認知を変えれば…!

- 2001.04.30 -

▼大学生活4度目の春。なんかやる気ないようなあるような微妙な感じ。 ▼戻る

▼きのこ。 (2001.04.30)

 庭にきのこが大量発生。5年前には都内では珍しい「アミガサタケ」を確認。「しいたけ」まで自生している。うちはいつからきのこに占拠されるようになったのだろう…。


▼影響のあった言葉。 (2001.04.29)

(1) いまの大学生の多くは、どうすれば大学が卒業できるかに苦心し、どのように学問を研究しようかと苦心していないように見受けられる。要求された単位数をできるだけ容易に修得する方法を工夫することにはなかなか利口であるが、問題と取り組んであくまでもそれを解決しようとする努力が足りない。したがって読書に対する興味も薄く議論をたたかわす熱意もなく、講義はノートしても、それは本代を倹約するくらいのもので、教授の意見を質そうとする意欲すらも乏しい。これでは、日本の大学教育はどうなるか気づかわしい。

(2) 大学での勉学は、4年間に一応おまえの志している学問の研究に基礎を与えるだけの教養を積むことを目標として学習の方法を工夫する必要がある。これはもちろん教授の指導を受けなければならないが、それにはただ教授の講義をきいただけではだめで、研究の方法について教授の意見を求め、また自分の意見を述べて批判してもらうように努めなければならぬ。とくに一般教養時代の勉学を無駄にすごさないようにすることが大事である。それには、おまえが志している学問を研究するのにどうしても必要な基礎となるものを一般教養の科目から選んで必修し、それに主力を注ぎながら、他の科目は現代人としての一般教養を高めるための知識として、むしろ専門以外に広くわたる必要がある。しかし、これは講義で単位を稼ごうなどと考えてはらちがあかない。これは図書館を利用して読書で学んでいくのがよい。そういっては悪いがいまの大学でノート式講義などをきいていては時間の浪費になる。読書学習で単位がとれないようなことでは実力がないことでもあるし、またノートを記憶していなければ単位がとれないような講義は敬遠した方がよい。

(城戸幡太郎著『心理学と教育』中「プロローグー大学へ入学した娘への書簡」より)

 学部生である間は基礎を。冒険はその後でも遅くはないでしょう。私の指針に影響を与えたこの書物との出会いは3年の初夏。古書店で導かれるように手にとり、昼飯代を節約して買った思い出ある本。城戸先生は尊敬する研究者の一人です。


▼他者分析。 (2001.04.28)

 成績に異様に固執。自分では何も行動しないくせに不平不満だけは一人前に述べる。穿った意見を一般論と称し責任逃れをした上でばらまく。権威主義的パーソナリティ。塵。コンプレックスの塊、負け犬根性。自分が本当は一番、周りはそれが理解できないだけで、正当な評価を受けていない。崇めよ!称えよ!

 誰のことでしょうか?


▼せせらぎ。 (2001.04.27)

 「私立せせらぎ高校」なんて所から案内書がきた。入学金が1000円という異様な安さと、通信教材と称される冊子が年2回ほど届くそうだ。学校は今流行りなのか。


▼コピー代。 (2001.04.27)

 今月だけでコピーカードを5枚も消費。つまり500枚もコピーをとったことになる。英語文献、明治大正期の本、レジュメ…。結構かかるものだ。専用コピー機の導入を検討しよ。


▼家庭菜園。 (2001.04.27)

 実はひそかに作っています。ジャガイモを…。


▼無意味。 (2001.04.25)

 みんながみんな同じことを調べるというのは無意味なこと。時間、労力の無駄。代表者が調べてそれをシェアすればいい。しかし、自分の担当する箇所以外は一切読んでこない、調べてこないなんていう状態ではそれこそ無意味な議論となる可能性は高い。与えられた作業をこなしているという認識しかないのならそれでもいいけど。


▼居場所。 (2001.04.25)

シタン「居場所なんてものは、自らが作り出すよりも、誰かに与えられる方が楽なんですよ。そんなことも解らないんですか?

フェイ「そんなものは本当の……!

シタン「青臭い理想論など現実の前では意味をなしません。事実、多くの人はそれを満足としているではないですか。与えられた居場所ならば、自分はそのリスクを背負わなくてもいい。たとえうまくいかなくても、その責任を転嫁できるんです。人が何故個々人ではなく、集団、国家といったより大きなものに依存するのか解りますか?人には寄る辺が必要なんですよ。自分が自分自身である為のね……それが強固であればある程よしとされる。ガゼルの法院は、その寄る辺を与えてくれるのです。絶対的な管理者の下でならば、人は個人を保とうとするリスクを背負う必要はない。自分は”一個の人間だ”という幻想だけを持って生きていける。なんと楽なことじゃないですか。事実は事実。受け入れましょう。その方が気が楽です。抵抗したところで虚しいだけです。辛いだけです。

PS「ゼノギアス」より


▼暫定解。 (2001.04.25)

 結論:棄てます。もういいです。おなかいっぱいです。
 理由:前提が間違っている。議論の余地もない。無駄。コスト>メリット。


▼寝。 (2001.04.24)

 紀元節。


▼ハンドブック。 (2001.04.23)

 『新編感覚・知覚心理学ハンドブック』は定価が50,000円(税抜き)もする。こういう高価なハンドブック類は学部生であっても、研究をするなら必須のものだ。最優先で入手しなければならない。だいたい今の古書店相場はこんな感じ。

  1. 青年心理学ハンドブック(福村出版):9,000円
  2. 発達心理学ハンドブック(福村出版):5,000円
  3. 性格心理学ハンドブック(福村出版):7,000円
  4. 児童心理学ハンドブック(金子書房):2,000円
  5. 学習心理学ハンドブック(金子書房):2,000円
  6. 知能心理学ハンドブック(田研出版):7,500円
  7. 感覚・知覚心理学ハンドブック(誠信書房):5,000円
  8. 新編感覚・知覚心理学ハンドブック(誠信書房):20,000円
  9. 認知科学ハンドブック(共立出版):13,000円
  10. 行動心理ハンドブック(培風館):5,000円
  11. 心理臨床大事典(培風館):20,000円
  12. ロマンシングサ・ガ大事典(NTT出版):再販交渉中らしい。

 その他に専門分野の辞典や事典類が必要。こんなとき、奨学金が出たら助かる。でも、現実はそう甘くない。学部2年次はがんばってよい成績を修め、3年次で奨学金20万円をゲットしてから、必要書籍を購入、研究開始、って方がいい。冒険は3年次以降にした方があとあと有利。奨学融資制度の金は(学部生では)研究資金に使えないのは痛い。私みたいに自腹で購入すると、何かを犠牲にしなければならなくなる。


▼特価品。 (2001.04.23)

 自然科学系の古書店では、人文科学系の古書は捨て値で売られていることが多い。逆に人文科学系の古書店では自然科学系の古書が捨て値で売られていることが多い。社会科学系はよほど古くない限り値崩れすることは少ない。専門書の古書を買うときはあえて専門店を後回しにすると、いい買物ができるかも。


▼合宿。 (2001.04.21)

 はじけっぷりがテイルズオブエターニア(WOWOW)の最終回以上だったかもしれない。修学旅行気分を久しぶりに味わえた。というか、最近ヘコみすぎだったのかもしれない。がんばろ。


▼不平不満。 (2001.04.21)

 日常感じている憤りを文章にすることによって、精神的安定を保っているが、書かれた文章を読み直すと、なんでこんなの書いたんだろう、って自己嫌悪感に陥ることがある。やらなきゃいいのにやってしまう。自分で鬱の原因を作っていることに気付いてもやめられない。他の手段を見つけないと、悪循環に陥り、再起不能となる日もそう遠くはない。


▼召還獣。 (2001.04.21)

 都合の良いときに、MP(コスト)を消費することにより、召還される召還獣。召還獣にはなりたくない。召還される可能性を極力抑えた結果が、人間関係の断絶だった。これが正しい選択だったのかどうかは、言うまでもない。


▼セクハラ野郎。 (2001.04.20)

 日本臨床心理学会の元会長のセクハラ事件。強制猥褻(わいせつ)罪だって。相手がクライエントではなく部下だったのはせめてもの救いか…。


▼客じゃない。 (2001.04.20)

 マックで平日にハンバーガーを買って、手提げ袋をくれないという事態に遭遇したことのある者はかなり多いと思う。私は先日ハンバーガーを4個買ったが、その時も手提げ袋をくれなかった。しかし、その次の日にマックリブ1個とハンバーガー1個を買った時には、きちんと手提げ袋をくれた。この違いは何か。「平日マック」だけの客は客じゃない的態度はやめれ。


▼学力判定。 (2001.04.19)

 「成績指数」ではなく、「IQ」を用いた方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。「成績指数」という客観的妥当性のない数値で評価されるよりは、不公平感も少なく良いと思いますけど。大学の成績を学力判定基準にする態度は旧世代的な考えではありませんか。大学の成績評定ほどあいまいなものはない。


▼出願資格。 (2001.04.19)

 「勉強の意欲があり、成績・人物共に特に優れ、将来成業の見込みのある者」

 これを読んでから出願するのは気が引ける。所詮私は後ろ向き思考の持ち主。勉強の意欲はないけど研究への意欲はある。成績は優れてないし、人物が優れているなんて自己評価する問題じゃない。将来成業の見込みは、どーだか。私には出願資格すらないのか…。


▼就職活動。 (2001.04.19)

 友人のエントリーシートを見せてもらったことがある。私ならこれじゃあ採用できないなぁ、と具体的な箇所も指摘してコメントしたけど、当然うざがられた。その友人は今も似たようなエントリーシートを書いているのだろうか。まだ内定が1社からも出ていない。自分じゃ個性的に思えていてもそんなのはどうでもいいことだってことに気がつかないのか、それとも他に書く事がないのか…。他人に見せてコメントしてもらい、フィードバックしていかないとうまくいくわけがない。自己陶酔は夢の中だけにしろ。


▼除外。 (2001.04.19)

 単位を金で買う、さらに言えば卒業証書を金で買おうとしている者は役立たずなので除外。「学生」ではなく「お客様」には「リスク」を背負わすことはできても、金以外のコストを払わしてはいけない。これはサービスの基本だ。「学生」の中にこのような「お客様」が大衆化により数多く紛れ込んでいることを完全に忘れていた。


▼予防策。 (2001.04.18)

 別に就職活動を理由に休むな、と「学生」に言っているわけではない。就職活動をしている学生を最初からカウントしないでゼミを進めるな、と「教員」に言いたいのだ。コストを払わない者と払った者とが同じ扱いであるシステムに未来はない。中途半端な共産主義に陥る。直接参加できないのなら、別の形でゼミに寄与できるシステムを構築すべきだし、寄与しないのであればそれ相応のリスクを背負ってもらわないと、参加している者のモチベーションにも影響する。放置するとそれは往々にして表面に見えない形で進行し、ある時期が来ると顕在化し、加速度的にシステムを崩壊させる。初期段階で手を打たないとならない。


▼四月休み。 (2001.04.18)

 欠席しても出席しても何ら単位取得に影響がないとするならば、一部の知的好奇心溢れる者を除いて欠席するのは自明の理である。欠席者の多い授業はそれだけ魅力のないものであり、欠席者の少ない授業はそれだけ魅力あるものである。結局のところ欠席者、つまりコストを払わない者が容易に単位取得できる科目は誰にとっても価値のないものであり、病的なまでに出席をし続ける「いい子ちゃん」だけが生息する、異様な空間が形成されるに至る。これはゼミも同じである。就職活動という免罪符があれば、どんなに休んでも単位は安泰。こんな状況の中でやる気を出しても未来はないし、意味もない。そもそも意識の違う人たちがゼミに集まること自体が誤りだとも思えてくる。やめられればどんなに「楽」なことか。


▼2000円札。 (2001.04.17)

 先日偶然入手した。本を買うのには便利かもしれない。


▼最高位…なのか。 (2001.04.16)

 卒業式に「首席」とよばれる各学部ナンバー1が表彰される。気になる選出方法だが、それはいたって簡単。全評語に占める「A」の割合が最も高いものが選出されるのである。「A」の数ではなく比率。で、「首席」になるには、最低でも95%以上は「A」である必要があるそうだ(「A」以外は1,2個ってこと)。もしまだ狙える人がいましたら、狙ってみてください。私には当然無理。


▼いまさら。 (2001.04.16)

 WOWOWで放送されていた「テイルズオブエターニア」の最終回。…あのはじけっぷりはなんとも表現しにくいものだった。でも、そんなことよりもう少しクィッキーを出して欲しかった。みんなクィッキーを過小評価しすぎだ。


▼今年度の履修計画・改。 (2001.04.15)

 WEBで以下のように履修申告。履修科目も決定したので、「学問の郷4」を開設。講義総評はやはり申告期間後でないと公開できない。レポート課題や過去問の掲載は通信じゃないから問題なしだと思うので、そのまま掲載しておく。

  1. 社会学特殊11(月曜4時限)
  2. ライフサイエンス(月曜5時限)
  3. 教育社会学(火曜1時限)
  4. 幸福の逆説(火曜2時限)
  5. 教育史特論1(火曜3時限)
  6. ゼミ(水曜1,2時限)
  7. 図書館の計画と経営(水曜3時限春)
  8. 学校カリキュラム論(水曜3時限秋)
  9. 博物館学特殊2(水曜4時限)
  10. 児童資料論(水曜5時限秋)
  11. 哲学的人間学(木曜2時限)
  12. 教育心理学特殊演習3(金曜1時限)
  13. 教育学史(金曜2時限)
  14. ライフコース研究(金曜3時限)
  15. 図書館資料論(金曜4時限春)
  16. 学校図書館メディア論(金曜4時限秋)
  17. 人の尊厳(社会と人権)(金曜5時限春)
  18. 教育心理学特論4(通年集中)
  19. 卒業試験(卒業論文)(通年)
  20. 教育学特講(春集中)

 以上58単位+4単位。これで卒業までにMAX264単位取得可能。勢いで申告したから、修正するかもしれない…。


▼運命の子。 (2001.04.14)

 里望…テオドル・リボー(フランス心理学創始者)。
 誼余夫…ジャン・マリー・ギヨオ(遺伝・教育論)。

 そして、来週誕生予定の「完斗(カント)」。 女の子だったら「さくら」。


▼過剰。 (2001.04.14)

 「講義などにおいて必ずしも準備学習が要求されない、授業への出席状況が確認されない、学期末の試験結果のみで単位認定が行われるなどの理由から、学生が過剰な履修科目登録をし、容易に単位を取得しているケースもあります…(以下略)」(「我が国の文教施策平成11年度版」より)

  …私のことか?


▼大学院設置科目を専門選択科目として履修可能か。 (2001.04.12)

 学事センターの答えは「NO」。学部生(文学部の場合)が大学院の科目を履修することはできない。しかし、私は昨年度大学院の科目を履修し、専門選択科目として単位取得している。表向きはダメだけど、実は可能といった裏技の類なのだろうか。該当すると思われる学則をもとに考察してみる。

 学則第33条第2項 本学則34条に定める本大学設置科目の専門教育科目は以下の通りとする。
1.教授会の認める他学部設置の授業科目
2.言語文化研究所・メディア・コミュニケーション研究所・斯道文庫・国際センター・情報処理教育室・教職課程センター・語学視聴覚教育研究室設置の授業科目または講座

 学則第35条第2項 本大学付設の研究所その他諸機関における授業科目のうち、教授会の認めたものは、選択科目として履修することができる

 学則第2条 本大学は、学部及び大学院から成る。 

 学則第37条 他の学部および本大学付設の研究所その他諸機関における授業科目を履修しようとする場合は、当該授業科目担当教員の承認を得なければならない

 第33条第2項には、大学院設置科目について書かれていないのは当然だ(学事センターが履修不許可の根拠としているから)。そこで、大学院を学則第2条をもとに、大学付設の諸機関に該当すると考える。そうした場合は、学則35条第2項の条件を満たせば、専門選択科目として認められることとなる。あとは第37条に示された通り、担当教官に許可をもらい、履修申告すれば何ら問題なく、大学院設置科目を専門選択科目として履修することができるのである。

 …解釈に誤りがないかは不明。でも、学事に相談するとアウトなのは確かなこと。


▼突然の終焉。 (2001.04.12)

 生協で「頭脳パン」を探していたら、いつもの「頭脳パン」の姿がなく、明らかにクリームパンだと思われる「頭脳パン」を発見。その名も「超頭脳パン、ブリオッシュ風黄色いクリーム」!この商品の存在そのものも衝撃的であったが、パッケージに書いてある頭脳パンの紹介文にはそれをも上回る驚愕の真事実が記されていたのである。

 「ビタミンB1を100gあたり0.17mg以上含んだ頭脳粉(小麦粉)を使用して造ったパンです。…(以下略)」

 そう…。「頭脳粉=小麦粉」だったのだ。なんか、これを発見してからやる気が失せた。もう「頭脳パン」を食べたとしても、少なくとも私に限って言えば「効果は期待できない」…。これも知らなきゃ良かったことのひとつ。


▼休日返上。 (2001.04.10)

 色々と今後のことを考えたら、月曜日の休みは必ずしも効率の良いものではないことが判明。そこで、月曜日にもいくつかの科目を履修することにした。

  1. 社会学特殊XI(月曜4時限):FFの先を行くもの。内容は「テレビ放送論」。
  2. ライフサイエンス(月曜5時限):「生物と環境」。ギブソン?ユクスキュール?形而上生物学?

 以上8単位追加。これで計50単位+4単位。当初の目標は達成された。今週はこの暫定的な時間割で行動してみることにする。多分、来週頭には大幅な修正がなされると思うが…。落ち着いたら「2000年度講義総評」と「偽講義要綱」の公開。履修申告前に公開できないのは大人の事情ってヤツです。


▼成績指数について。 (2001.04.09)

 成績指数。それは前年度までの履修科目の評語(A・B・C)の数を次式に当てはめることにより算出可能な魔法の数字(ちなみに科目による重みづけなどは一切行われていない。どんなAでもAはAです。1単位科目でも6単位科目でもそれは同じ)。

 成績指数=2A+B/2(A+B+C) ×100

 目安は80以上が優秀。50以上が普通(平均水準)。この数値で奨学金の受給の可否が決まる。私も何度も挑戦しているけど、この成績指数の為、すべてアウトになっている(ちなみにA20個、B4個、C1個の場合は、44/50×100=88となります。)

 大学側が一年間に消化不良を起こさず(自宅学習時間などを考慮して充分に理解可能)履修可能な単位数は50くらいだとしている。私の場合は昨年度は92単位だからその約2倍だ。大学の授業料がこの50単位を基準に設けられているなら、私はかなりの得をしていることになる(つめ放題のしいたけを店が用意した袋なんておかまいなしに無理やり押し込んで張り裂けんばかりになった姿を想像してくれたら理解しやすいだろう)。

 そう考えて、奨学金がもらえなくてもがまんしてきたけど、今年は50にだいぶ近づいた。でも、成績指数は昨年度までの履修科目の評語。つまり過去の負の遺産で審査が行われる。今年もダメだな…でもそれは、自業自得。


▼不祥事。 (2001.04.09)

 学事センターに英文成績証明書の発行を依頼。早速見てみると、どうも取得した単位数が少ないように思える。ま、まさか、履修しすぎで半分無効になったのでは?と思ったりしたが、そんなわけない。それに、どうも評語も違うし、履修していない科目名もある…。でも、名前は私の名前になっている。わけがわからなくなったので、受け付けの人に申し出る。すると、どうも学籍番号の打ち間違いで、他の人のが出てきてしまったそうだ(ちなみに名前は別途打ち込んでいるようです。技術的にはオールAの人の成績を自分名義で発行可能の模様)。偶然のミスであって滅多にないことだとは思うけど、学校が発行するオフィシャルな証明書を、他人の成績で発行してしまったことには変わりない。システムを変えるなりして今後はこういうことのないように気をつけてちょーだい。


▼今年度の履修計画。 (2001.04.07)

 卒業までに256単位(二人前)を取得するには、取得済み単位が206単位だから50単位取得すればいいことになる。保険科目を含めて54単位を履修申告することにする。参考までに以下の科目を履修予定。

  1. 教育社会学(火曜1時限):「教育社会学」は休講続きで、やっと本年度開講された。
  2. 美学特殊(火曜2時限):「物語論」は勉強したかった。今年度は内容が違うので「幸福の逆説」にする。
  3. ゼミ(水曜1,2時限):必修。
  4. 図書館の計画と経営(水曜3時限春):図書館は身近だけど知らないことだらけ。
  5. 学校カリキュラム論(水曜3時限秋):カリキュラム論は未履修。
  6. 博物館学特殊U(水曜4時限):統計関連。
  7. 現代教師論(水曜5時限春):米っち。歴史上に見られる教師像は知らなかった。
  8. 教育基礎論(水曜5時限秋):基礎がなってない気がしている。
  9. 哲学的人間学(木曜2時限):進化論的人間観しか知りませんから。
  10. 教育心理学演習V(金曜1時限):今年度は「特殊演習V」で履修申告してみたい。
  11. 教育学史(金曜2時限):自由科目。リピーターです。
  12. ライフコース研究(金曜3時限):昨年度関連科目を履修したから。
  13. 図書館資料論(金曜4時限春):図書館大好き。
  14. 学校図書館メディア論(金曜4時限秋):メディアリテラシーに関心あり。
  15. 人の尊厳(金曜5時限春):実は無根拠だったりする。

 以上42単位+4単位。あと8単位をどうするか思慮しています。もう取り尽しているので、苦しい。


▼邪道。 (2001.04.07)

 教育実習を行うための要件。1)実力試験、教科教育法合格、2)事前事後指導出席、3)書類・課題提出、4)教職課程費を納入済み、5)学部4年以上。国語科や英語科を目指す人は、1)の実力試験合格ができず泣きを見ることが多い。社会科(含む地理・歴史科)は「課外講座」に出席していれば99%合格可能なので書類提出、ガイダンス出席に注意すれば教育実習を行うことは前者に比べて容易。教科教育法の単位は取得したい免許の種類のものを必修だが、教育実習の単位は代替可能。

 そこで、国語科or英語科の免許取得希望者で実力試験に合格できそうにない場合は、こうするといい。

  1. 教育実習の単位を取得するために、3年次に「社会科教育法」「課外講座」を履修、合格し、実習を「社会科」で行う。社会科は誰でも授業案作成ができるし、ボロが出にくいので心配ない。
  2. 国語科or英語科の教科教育法、教科に関する科目の単位を満たす。これは重要。
  3. 社会科の実習で得た「教育実習」の単位を用いて、国語科or英語科の免許を申請する。

 多分、イケる、イケる!


▼現在進行形。 (2001.04.06)

 近所の公園に大人のテレタビーズがまた現われたようだ。奇声を深夜まで聞かされる近所の人のことなんてやつらは微塵も考えちゃいないんだろうな。それにしてもバカなヤツの声質って似ている…。なんでかなー?


文部科学省白書等データベース。 (2001.04.06)

 コピペの素材に最適。レポート作成の力強い味方。一度はおいで〜。


▼教職課程センター登録費。 (2001.04.05)

 登録に3万円かかるけど、その大半は教育実習受け入れ校への謝礼金に消える。当然、教育実習に行かないと、自分で払った登録費の大半は自分以外の者達の為だけに使われることとなる。となると、何らかの理由で、教育実習に行けなくなると、下記のような疑問を自然に抱くことになる。

  1. 全員実習を受けるとなると財政面で困るのではないか。
  2. 教育実習を行う者に対して別途実習費という形で請求し、登録費を極力抑えることはできないか。
  3. 教育実習を行わない者に対しての登録費の一部返還はできないか。

 半分くらい返してくれてもいいじゃないか……所詮、世の中「金」だ。


▼ひげをばかにすることなかれ。 (2001.04.03)

 慶應大学三田キャンパスの旧図書館なんて塾生もあまり縁のない場所であろう。地下書庫なんて足跡が不気味に響くし、窓一つの一畳ほどの部屋に椅子がひとつ置かれているなぞのセーブポイントがあったりと、古代図書館(FF5)を思わせる雰囲気が漂っている。こんな旧図書館は戦前の本が開架され、実際に手にとってみることができる。他の目的で本を探している最中に面白い本をみつけた。その名も『ひげ』。寺田四郎氏がひげ風俗について熱く語ったと思われる本である。請求記号は8S@310@1。機会があったら是非手にとって見て欲しい。何の目的もなしに潜るのもいいかもしれない。面白いものが見つかるから。


▼某ML発言NO.41、某氏の発言に対する私の見解。 (2001.04.01)

>あまったレジュメは勝手に「計算用紙」にしないように
 すみませんでした。
#この一行で事足ります。

>今日はまじキレそうになった。
 いつもはややギレ程度なのでしょうか。
#この一文が「言いたかったことその1」でしょう。

> 遅れてくる人がもらえなくなるでしょ。
 まったくもってその通りでございます。
#正論をかざします。確かに貴方の方が「正しい」。

>もう少し、「常識」ってものを覚えましょう。
 了解、了解!
#これは「言いたかったことその2」でしょう。  

 …ある個人を攻撃するのにメールで直接当事者に伝えるのではなく、メーリングリストといった手段を用いるということはどういうことか。MLは加入している人全員に一方的且つ強制的に情報伝達がなされてしまう。個別メールではなくMLを用いることにより、攻撃の標的を「パブリック・エネミー」に仕立て上げ、みんなで総攻撃せよ。なんて意図を忍ばせているような気がしてならない。「××は…なことをしたけしからんヤツです」なんて批判的な意味をもたせた文章をMLで送るということは、外野に同意を求め非難の矛先を一点集中させるというイジメの構図そのものではないか。それとも私を「スケープ・ゴート」にして、他の多くの「常識」のない人への謹告を意図したものなのか。どちらにしろ主張は正論ですが、もう少し「常識」的な方法をとってもらいたかった。


▼タイムリミット。 (2001.03.31)

 某ゲームにはまって思うように進行しません。しかもはまったのが「α」ではなく、「Sub…」の方だから手に負えません。レポはなんとか完成したのですが、メールサーバーが不安定らしく送れたかどうかも微妙。念のためプリントアウトしたものを初回ゼミ時に持っていくことしよっ。切なさ炸裂。


▼学問とサークル活動をみごとに両立させました。 (2001.03.27)

 私はテニスのサークルに所属し技術の向上に日々努力してきました。ゼミとの両立は大変でしたが、仲間達と協力し合い、学問にも一生懸命打ち込みました…(以下略)。一日何十人もの自慢話を聞くハメになる人事の方には頭が下がります。両立できずにサークルは3日でやめましたとか、両立できずに留年しました、は模範解答だと思う。自慢にならない独り善がりの話を聞くほど不快にさせることはない。

▼ここまで読んでいただいて本当に感謝します。でも、「今は」何もないです。 ▼戻る