渇水対策の現在

- 2001.06.29 -

▼はじめに

 東京都の水源となっている山間部のダムは、降雨によってその水量を確保している。降水量が少なければ当然貯水量も少なくなり、十分な量の水を供給できなくなる事態も生じる。現に過去に夏期の給水制限の措置がとられている。このような渇水時の給水制限は主に晴天が続く夏期に起こり、梅雨時の降雨量が十分でなかった(=少ない)ことが原因でとられる。給水制限がとられると、当然水を十分に使うことができなくなり、日常生活にも重篤な影響を及ぼすことは容易に想像できる。当然、このような事態を回避すべく様々な努力が行政レベルで行なわれている。また、各家庭でも渇水時の対策として、様々な努力がなされている。今回は、家庭で行なわれている渇水対策をいくつかの事例を紹介しつつ、考察していく。


【1:通常の方法】

 渇水対策としては、給水制限時の水の確保がある。この水の確保として代表的な方法が、ペットボトルに水を蓄えておく方法である。しかし、家の中に蓄えておくには、空間上の制限があり、現実的に困難な家庭も多い。そこで、屋外に保管するという措置をとることが多いようである。街角に多くのペットボトルが見られるのもこのためであろう。

 最も代表的な方法としては、左の写真のように、花壇の淵に整列させる方法である。これなら、景観を損ねることを最小限に食い止めることが出来る。しかし、ペットボトル1本ではせいぜい2リットル程度しか蓄えることができない。一日に一人が使う水の量は100リットルを超える。しかし、それでもないよりはましであろう。

他の例


【2:事故防止を重視した方法】

 縦に並べると、風などで倒れてしまう危険性がある。そこで、思い切って横にして並べるという方法をとっている家庭もある。このような整列方法により、転倒による事故を防止する措置は街角に置く以上、必要であろう。何かの拍子で倒れて、犬や猫、そしてイタチたちが怪我をしてしまう危険性もあるのである。転倒防止の策はやはり必要なことである。

 しかし、縦に並べるより単位面積あたりの貯水量は減ってしまう。安全性と効率性のどちらをとるかは、各家庭の判断に委ねられているのである。


【3:とにかく保管する方法】

 前述の通り、多くの水を確保することは困難である。しかし、ある程度の量を確保できなくては、貯水の意味がなくなる。そこで、景観を無視してまでも、多くの量を確保するという方法をとらざるを得ない状況が生じ得る。写真の例では、花壇の内部に無造作にペットボトルが置かれている。これには犬もあきれ顔だ。

 柵があるにも関わらず無理にペットボトルを柵にしようするのは、見苦しい。また、ラベルをとらないで整列させたり、規格を統一しないものも美しくない(写真)。


【4:不幸な事例】

 街角に保管するということは、当然他人に盗まれるというリスクがある。外に出しておいた植木が盗まれたり、花壇のへちまやひょうたんを盗まれた経験がある者はそれなりに多いと思える。渇水時でなくても、水を盗まれないように、毎日の確認作業が必要である。自分の水は自分で守らなければならないのである。

 不幸にも写真のように水を盗まれて、空っぽになったペットボトルが放置されている光景は、どこか哀愁を誘う。こうなる前に今一度管理体制を見直す必要がある。


【5:なぞの方法】

 太陽光により、内部の水に何らかの悪影響があると考えたのか、それとも内部が水以外の何かなのかはわからないが、同じ規格で内部が全く見えないペットボトルを整列させている家庭もある。この状況に犬も驚き、早々にその場を立ち去ろうとしている。このペットボトルは何か。

 中に入っているものは「アロエ」のジュースである可能性が高い(別の写真)。これは渇水時の栄養補給も考えた貯水方法なのだろうか。しかし、一方で裏口付近にも整列させているところをみると(裏口)、何らかの結界の役割があるようにも思われる。このような貯水+αの効果をもたせるように工夫されている例も近年見られるようになってきた。その真意は不明だが、今後も探究していきたいと思う。


▼おわりに

 街中のペットボトルには、渇水対策としての貯水役割がある。この貯水役割の実用性は実際には低いかもしれないが、日ごろから自分でできる範囲の備えをするという意識そのものが大切なことなのではないだろうか。焼け石に水だから、と最初から諦めていてはいけない。街角にこうしたペットボトルが並んでいるのをみると、アリとキリギリスの寓話を思い出す。街角のペットボトルをバカにし、水の大切さを軽視してはいけない。ペットボトルを笑う者、ペットボトルに泣く。なんて事態が起らないとは限らないのだから。