1796年3月 常勝将軍の登場(司令官時代)

ナポレオンはマルセーユで司令官として軍務についています。
毎月1回、司令官コマンドを出します。コマンドによって、自分で行なったり、配下の軍人に実行させたりします。
勝手に持ち場を離れることは許されないので、歴史どおりにイタリア方面へ遠征するのが妥当でしょう。


開始時の交戦国………ヴェネツィア、ナポリ、オーストリア、イギリス
フランス領………リール、サンマロ、パリ、ボルドー、リヨン、マルセーユ

国際情勢

革命下のフランスは内外の危機にさらされ、深刻な危機に直面していた。国王ルイ16世の処刑を機に対仏大同盟が結成され、国内では王党派や民衆の騒乱が各地で発生していた。一時はロベスピエールが権力を握るも、行き過ぎた恐怖政治により人心を失い、結局クーデターにより失脚、処刑される。彼の弟オーギュスタンと親しかったナポレオンも軍籍を剥奪され、2週間の牢獄生活を送ることとなった。
ロベスピエールを追い落としたテルミドリアンと呼ばれる一派だが、確固たる政治信念をもたず、政局は左右の攻撃を受けて常に不安定であった。そんな中、パリで王党派の暴動が発生。国内軍司令官バラスはこの暴動を鎮圧することができず、かつてトゥーロン港奪回に成功したナポレオンを起用。ナポレオンは大砲を先んじて確保し、市街での砲撃戦の末に鎮圧に成功する。これにより権力を掌握したバラスらによって、1795年10月、5人の総裁による総裁政府が発足する。
目下のフランス軍の脅威は、ライン方面のオーストリア軍であった。皇弟カール大公率いるオーストリア軍が、モロー、ジュールダンらフランス軍の将軍を押さえ込んでいたためである。そこで総裁の一人カルノーは、イタリア方面軍の司令官にナポレオンを推薦する。イタリアでフランス軍の活動が活発になれば、そちらに兵を割くだろうとの見通しだった。
この後のイタリア戦役の輝かしい戦果が、ナポレオンの権力掌握への第一歩となったのである。

司令官の戦略

やはり、歴史どおりに32.ミラノを攻めるべきだろう。だが、これも史実どおりというべきか、フランス軍の装備は悲しいほど貧弱である。ここは焦らずに、まず軍備増強に努めたい。
それから、必ずバラスへ大砲配備の陳情をしておきたい。他の陳情はしなくてもいい。兵力が限られている現時点では、大砲がないと連戦を戦い抜くことができない。ただ、あまり時間をかけすぎるとかえってオーストリア軍が強大化するので、年度内にミラノを攻略しておきたいところである。ただし全軍でミラノを攻めると、ジブラルタルの英国海軍にマルセーユを落とされるので注意。
ミラノにはヴェネツィアが援軍に来ると思う。オーストリア軍を全滅させれば勝利なのだが、ここはあえてヴェネツィア軍を壊滅させておこう。ヴェネツィアの戦場は市街が川に囲まれて守備側有利な地形なので、大軍がいると手がつけられなくなる。なるべくここで兵力を減らしておこう。
その後はフィレンツェ、ヴェネツィアと落としていけば、順調に行けば最高司令官になれるはずである。
このシナリオでは、腐敗した総裁政府にとにかく足を引っ張られる。勝手に和睦されることが多いので、戦争はなるべく3カ月以内に済ませたい。注意点は、ライン方面の動き。時間をかけすぎると戦線が泥沼化し、対外関係が悪化していくので、早めにイタリアで決着をつけたい。
他にも攻略本によると、まずミラノに攻め込み、ある程度損害を与えたら退却。その後リヨンのモロー将軍にミラノを落としてもらい、ミラノに移動、という方法もあるらしい。



1798年3月 権力への意志(最高司令官時代)

ナポレオンは最高司令官として、サンマロにいます。
毎月1回、司令官コマンドを出します。
交戦状態にある国はイギリスだけですが、ヨーロッパでも反仏感情が高まっています。


開始時の交戦国………イギリス
フランス領………リール、サンマロ、パリ、ボルドー、リヨン、マルセーユ、ミラノ、フィレンツェ、ローマ

国際情勢

当時のイタリア方面軍は、全く堕落していた。軍規は乱れ、給料も払われず、軍服や靴すら満足にそろわない流民も同様の部隊であった。しかしナポレオンは演説で、「諸君を世界一の沃野に導こう。そこで諸君らは名誉と栄光と富に恵まれるだろう」と兵士を激励し、奮い立たせた。
フランス軍は3万7千、オーストリア軍は7万3千と数の上では2倍の差があった。しかしナポレオンは敵の指揮系統が分かれていることを突き、各個に殲滅することに成功。奇跡的な勝利でミラノに入城する。各都市には高額の献金を命じ、反抗したパヴィア市長を処刑。大量の戦利品を得る。
その後もナポレオンは、代わって赴任したヴュルムザー、アルヴィンツィ両将軍を続けざまに撃破。さらに教皇を屈服させ協定を結び、ローマを占領する。ついにはオーストリアも、切り札ともいえるカール大公を投入せざるを得なくなる。対してベルナドット将軍を増援に得たナポレオンも、ウィーンに向かって進撃を開始。カールは退却を続け、ついには増援を得られず敗退。ここにきてオーストリアは和平を請わざるを得なくなったのである。ナポレオンは政府の意向を無視し、単独でカンポ・フォルミオ和約に調印した。これによりオーストリアはロンバルディアを割譲し、ヴェネツィアは墺領になるも、ヴェネツィア海軍はフランスに接収される。
一躍国民的英雄になったナポレオンだが、講和条約でヴェネツィアを手放したことで総裁政府の不興を買うことになる。そこで政府は帰還したばかりのナポレオンをイギリス方面軍の総司令官に任命する。失敗してナポレオンの名声を落とすのが狙いであった。しかしながらナポレオンの胸中には、全く別の野望が抱かれていたのである…

最高司令官の戦略

基本戦略はシナリオ1と同じ。ただ、フランス国内を自由に動けるので、国内を回って大砲や優秀な軍人をかき集めておこう。そのうちバイエルンかオーストリアと戦端が開かれるので、それに備え30.リヨンか32.ミラノあたりで訓練しておこう。
物資が思うように調達できないかもしれないが、陳情してもバラスは受け付けてくれない。ナポレオンは忙しく国内を動き回ることになるだろう。ただし、あまり他から兵力を引き抜きすぎないこと。
なお、ある条件を満たせばエジプト遠征を行なうことができる。国内を長く空けるため、シナリオ1からはじめた場合はあまりメリットがないイベントだが、このシナリオでは序盤は比較的平和なので大丈夫。エジプトに行けば対仏大同盟が組まれるなんてことはないので、遠征して一気に第一執政を目指すのも悪くない戦略だ。



1802年3月 革命の終結(第一執政時代)

ナポレオンはパリにいて、第一執政の地位に就いています。
3カ月ごとに政府コマンドを出し、対外政策を行ったり、各都市の司令官に指示を与えます。また、自分がいる都市に対して、毎月1回、司令官コマンドを出します。
ヨーロッパに久々の平和が訪れていましたが、反フランスの動きが起こりつつあります。ナポレオンが、自ら前線都市に赴いて、軍の指揮を執る日も近いことでしょう。


開始時の交戦国………なし
フランス領………リール、サンマロ、パリ、ボルドー、リヨン、マルセーユ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ

国際情勢

イギリス方面の総司令官に任命されたナポレオンも、当然政府の思惑は見抜いていた。
「予が思ったとおり、イギリス侵攻の成功がおぼつかないようだったら、イギリス派遣軍を東方軍に切り替え、予はエジプトへ行こう。」(秘書ブーリエンヌとの会話)
だがナポレオンのなかには、東方を制圧し、独裁官として君臨せんとの野望もあった。そしてこの地で名声を稼ぎ、いずれフランスの政権を奪取するつもりであった。
ネルソン提督をかいくぐるため、荒天を突いてトゥーロン港を出撃。マルタ島を制圧し、エジプトに上陸する。エジプト上陸後、ナイル川沿いに待ち受けるマムルーク軍と会戦。騎兵中心のマムルーク軍に対しフランス軍は不利であったが、方陣隊形によりこれを撃破する。行軍途中ピラミッドを目の当たりにし、「四千年の星霜が諸君を見ているぞ」とはナポレオンの素直な感激であった。
だが、アブキール沖でフランス艦隊は全滅。トルコ軍は優勢で、エジプトの治安も悪化していた。そんな中本国でシェイエスがクーデターを計画。それを察知したナポレオンは少数の側近とともに帰国。総裁政府を倒し、執政政府を樹立した。(ブリュメール18日のクーデター)
ナポレオン不在の間、またもや対仏大同盟が結成。イタリアは陥落し、マッセナ将軍の奮戦で辛うじてオーストリアの進軍を防いでいた。帰国したナポレオンは休む暇もなく、ディジョンに予備軍を集結。ジェノヴァに篭るマッセナとオーストリア軍を挟撃するべく、冬のアルプス越えを敢行。マルモン将軍の活躍により、見事にこれを成功させる。
両軍は寒村マレンゴで激突。ナポレオンは、名将ドゼーの戦死と引き換えにイタリアの派遣を奪回することに成功した。ライン方面でもナポレオンの激励に奮起したモロー将軍がオーストリア軍を撃破。結果リュネヴィルで平和条約が調印される。
これにより、イギリスでは強硬派のピットが辞任、代わってアディントンが後任となり、和平の気運が高まった。1802年3月、アミアン条約調印。これによりナポレオンの威信は上がり、国民投票により終身執政として承認された。

第一執政の戦略

第一執政となったナポレオンだが、やることは多い。補給都市の指定、外交交渉など、課題は山積みである。序盤は比較的平和なので、戦う予定のない国とは積極的に同盟・貿易を行い反仏感情を下げておこう。
初期の軍人の配置はバランスが悪いので、前線に勇将を集結させるのも忘れずに。後のドーヴァー突破を視野に入れて、少しずつでもいいので艦船を建造しておく。こちらから宣戦布告すると忠誠と士気が下がるので、相手から宣戦布告させたい。
ゲリラが厄介なスペインと序盤で戦うのは苦しい。友好国のオランダ・ナポリとはわざわざ敵対するより、衛星国にして吸収したい。よって最初の攻撃目標は、ドイツ方面が望ましい。反仏感情上がる→戦争→反仏感情下がる→講和、を繰り返していけば、戴冠も間近。軍備増強のためにも、武器工場のある都市を優先的に占領していこう。外交交渉のため、兵士1でもいいのでタレイランを連れ歩きたい。
反仏感情は毎年2・5・8・11月に自然上昇。よって基本的な戦術として、講和狙いの国(オーストリア、プロイセンなど)とは季節終わりに戦闘して、翌月講和。逆に講和したくない国、一気に滅ぼしたい国(バイエルン、スペインなど)とは季節はじめに戦争するのがベター。
また、このシナリオは唯一イギリスと友好関係にある。最初に同盟を結んで、こまめに貿易をしていけば、同盟を持続させることも可能。英仏同盟も乙なものなので、興味があればやってみるのもいいだろう。



1806年3月 ナポレオン帝国の栄光(皇帝時代)

ナポレオンは皇帝で、最初はパリにいます。
3カ月ごとに、政府コマンドを出し、外交や軍政を行ったり、各都市の司令官に指示を与えます。
また、現在いる都市と兄弟・息子のいる都市でも、毎月1回、司令官コマンドが出せます。


開始時の交戦国………スウェーデン、プロイセン、ロシア、イギリス
フランス領………アムステルダム、ミュンヘン、フランクフルト、リール、サンマロ、パリ、ボルドー、リヨン、マルセーユ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、ナポリ

国際情勢

イギリスは期限が過ぎているにもかかわらず、アミアン条約で定められたマルタからの撤退を行っていなかった。さらに強硬派のピットが首相に返り咲く。艦隊を始動させ、再びフランスとの対決姿勢を顕わにしたのである。これに対しナポレオンは20万の大軍を結集させる。グランダルメ(大陸軍)の始まりである。
それと並行して、国内では帝政樹立へ向けての動きがにわかに高まる。そして1804年、元老院、護民院の動議によりナポレオンを帝位に就けることが議決。5月18日、ナポレオンはサン=クルー宮で元老院令を渡され、フランス第1帝政が成立する。
帝位に就いたナポレオンは、これまでたびたび延期されていたイギリス侵攻を決意。しかしながらヴィルヌーヴ提督の怠慢な動きによりはかばかしい成果をあげられない。対仏大同盟が結成されたこともあり、ナポレオンはオーストリア攻撃へと作戦を切り替える。
フェルディナント大公、マック元帥率いるオーストリア軍はバイエルンを攻撃。マックは地の利を得るべく、ウルムの地を確保して守備を固めた。しかしナポレオンはマックの裏をかき、退路を断ちウルムを包囲、マックを降伏させた。
しかしながら、ここでトラファルガーでの大敗北が伝えられる。ナポレオンはイギリス侵攻を諦め、大陸を制圧し、イギリスを封鎖することに方針を転換する。
この頃ロシア軍がオーストリア軍と合流。両軍は霧の中アウステルリッツで会戦する。ナポレオンはわざと作った右翼の弱点を攻撃させる。追撃するビグソーデンは湿地にはまり立ち往生。連合軍主力は凍ったテルニッツ湖に包囲される。武器や大砲を捨て逃げ出す連合軍に対し、ナポレオンは砲撃により氷を割るように命じた。散々な体裁で逃げ出す敵に対し、予備軍の騎兵隊で追撃をかける。この戦いにより、連合軍は壊滅的な被害を受けることとなった。
この後、ナポレオンは神聖ローマ帝国の解体にとりかかる。オーストリアはプレスブルク条約により屈服し、イギリスではピット首相が急死する。ヨーロッパは再び平和に向けての一歩を歩みだしたかに見え、ナポレオン帝国の栄光は絶頂に達したのである。

皇帝の戦略

いよいよ皇帝となったナポレオン。このシナリオからは一族のいる都市にも直接命令を下すことができる。ここまで来たら目的は1つ、全ヨーロッパの統合である。
とりあえずやっておくのは、人材の再配置。9.アムステルダム、25.フランクフルトはプロイセンに狙われやすいので、人材を移動させて守りを固めよう。
地位の向上とともに、戦略の幅も広がる。とりあえずは目下の敵であるドイツ2国と戦うことになるだろう。オーストリアと同盟を継続させ、プロイセンを叩く戦略。プロイセンを屈服させ和睦し、オーストリアを叩く戦略。あるいは先にトルコを滅ぼす戦略と、状況に応じて臨機応変に対応したい。
ポイントは、一族の活用法。ウジェーヌはそこそこ戦争に使えるので、第2戦線の司令官として使える。政治能力の高いリュシアンは落下傘の投資として使うのもよい。他の一族は後方の都市を回って予備兵を掻き集めさせ、前線に移動させよう。
戦線の拡大とともに深刻になるのが人材不足。優秀な人材はとかく不足しがちなので、有為な人物が後方で埋もれていないか、目を光らせておきたい。捕虜も貴重な人材なので、交換される前に登用しておこう。
ロシアやイギリスと戦うのもおそらくこの段階。両国とも相当厄介なので、攻撃する時は周到すぎるほどの準備を欠かさずに。



1815年3月 エルバ島脱出(皇帝の帰還)

開始時の交戦国………バイエルン、デンマーク、スウェーデン、スペイン、プロイセン、ロシア、オーストリア、イギリス
フランス領………リール、サンマロ、パリ、ボルドー、リヨン、マルセーユ

国際情勢

ロシア遠征の失敗で大陸軍は壊滅した。ライプチヒの敗北とともに、連合軍はフランス領内に侵入。ナポレオン自身は不屈の闘志のもと連戦連勝を続けるが、彼が不在の戦線では連合軍の前に敗北を重ねるのみ。パリを守備するマルモン元帥は土壇場で連合軍に降伏してしまう。ついにはナポレオンはフォンテーヌブローで退位し、エルバ島に流された。
紆余曲折の後、ブルボン王家が復活する。ダヴーを除く全ての元帥がブルボン家に忠誠を誓い、タレイランが首相の座につく。連合国は戦後処理のためウィーンに集まり、国際会議を開いてナポレオン戦争の責任について討議を始めた。
帰国したルイ18世は、絶対王政の復活を目指し反動的な政策を取る。亡命貴族への恩給を再開し、財源確保のため軍隊を縮小する。フランス革命以来ずっと海外生活を送っていた彼は国内事情に疎く、時代錯誤な政治を行うばかりであった。
外国の援助のもと成立したブルボン王家は国民感情をつかめず、ナポレオン時代を懐かしむ声が日増しに高まっていた。ことに軍隊給料の削減は反発が大きく、軍隊の間では「豚18世」と陰口を叩かれているほどであった。時期が熟したと見たナポレオンはエルバ島を脱出、フランスに上陸し「国民への布告」を発した。熱烈な支援者に支えられナポレオン軍は拡大。彼の逮捕の命を受けたネイ元帥も、軍隊内のナポレオン崇拝の大きさを見て、ナポレオンよりの帰順の誘いを受ける。ルイ18世はリールに逃亡、ここにナポレオン1世は再びパリに入城し、鷲の軍旗が再びノートルダムに掲げられることとなった。

皇帝の戦略

再び皇帝に返り咲いたナポレオンだが、かつてないほどの苦境にいる。なにせ周辺国全てを敵にまわし、同盟国は全く頼りにならない弱小ナポリのみ。初期兵力も金も非常に少なく、光栄ゲームの中でも屈指の難易度を誇るシナリオである。
この状況の中でフランス6都市を守りきるのは、非常に困難であろう。とくにベルギーに駐留するウェリントン軍には太刀打ちできない。ここは戦わず、都市を放棄してしまうほうがいい。兵力が少なくとも、集結させればそれなりの数にはなる。司令官がCOM担当だと勝手に応戦するので、初期6都市全てに親族を派遣しておこう。
とりあえず、何都市か手放せば、敵の攻勢も一段落するはず。ただし徴兵人数の多いパリと農業の高いボルドー、ナントはなんとしてでも守りたい。数年引きこもって軍備増強に努めれば、こちらも反転に出られるほどの国力がついているはず。とりあえずは包囲網を逃れるために、講和しやすいオーストリアから叩くのが望ましい。講和に成功したら、その間にパリを脅かすウェリントンをブリテン島に追い返しておきたい。なお、スペインはボルドーの守りさえ固めておけば攻め込んでこないし、バイエルンは攻めてくるほどの力はないので無視してもいい。
ここまでくると、ある程度の外交が可能になり、いくらか落ち着いた戦略がとれるようになってくる。これまでのシナリオで培った経験を生かせば何とかなるだろう。
最後に、このシナリオは開始年代が非常に遅いので、軍人がボコボコ死んでいく。だらだらプレイし人材不足になり、八方塞になるという事態は避けたいものだ。ただ人材不足はフランスに限ったものではない。他国の人材不足はフランス以上に深刻なので、意外と楽に勝てたりすることもあるのだ。



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