フィンケルシュタインが「クロコダイルの涙」を流す連中を批判してもよいのは、フィンケルシュタインがユダヤ系アメリカ人であり、両親がホロコーストサヴァイヴァーだからではないのか、ということであり、そうした出自をもつ人じゃないとしたら、当該の批判は暴力の発動だと言われるのではないか、ということです。発言を正当化するのが発言者の出自だとしたら、それはもうアイデンティティ・ポリティクスに他ならないでしょう。それじゃあダメだろうと思いつつ、しかし「〇〇はみんなもの」言説にもそうやすやすと与するわけにはいかないとすると、いったいどうすればよいのか、判断がつきかねるところがあります。
かつて突撃隊隊長が突撃してきたときに、あるスペースの問題を口にしたら、あなたには関係ないでしょと言われたのでした。関係ないとはどういう意味か、とか尋ねても、突撃隊隊長からまともな答えが引き出せるはずもなく、そういう意味じゃ突撃隊隊長は相手にいろんなことを諦めさせることができる無敵の存在ではあったのですが、しかしまあそれは、ガキんちょと論争しようとするのは論争しようとする側に非があるというのと同じロジックです。話を戻すと、あなたには関係ないというのは、ある種の事柄について発言が許されているのは、一定の属性をもつ者だけだ、ということからきていると思われますので、すぐれてアイデンティティ・ポリティクスです。
2月3日(月)カレー食人
わざわざ政党名に元号を含めている元号政党の代表が、行政府の長について、「これまでの総理と違う。IQが高い」と、おっしゃったそうで、差別丸出しのメンタリティに乾いた笑いしか出ません。まあ、わざわざ政党名に元号を含めたんだから、差別者であることは自明だったわけですが、身分差別に加え、能力差別を惜しげもなく披露されているということです。やっぱIQが重要なんですね。よくわかりました。きっと被災地に乗り込んでカレー食べたのも、高いIQのなせるわざなのでしょう。
2月4日(火)辻褄
この発言て、相手のIQが高いことがわかるオレもIQが高くて優秀なんだよ、ってアピールでもあるわけです。さすがですねー。ところで、同じ元号党所属の議員には、そのIQの高い行政府の長に対して「さっさと辞めてもらっていいですか。いつ辞めるんですか」とおっしゃった方がいらっしゃるんですが、そこんところの辻褄はどう合わせるんでしょうか。カレー食人によればIQ高いけど、「気にするな!」はさっさと辞めるよう求めているわけで、二人合わせて政治とIQは関係ないという主張をなさっているのでしょうか。だったら、元々のカレー食人の発言の意味がまったくわからなくなってしまいます。「気にするな!」からすれば、行政府の長のIQはまだまだ低いってことなんでしょうか。
2月5日(水)「そんなことで」
ところでその元号政党では本部スタッフわいせつ事件というのがあって、被害者から告発されているのですが、IQの高いカレー食人は、まるで自民党の議員のように、説明を求められても個人情報がかかわるからと、発言拒否を貫いていらっしゃるようです。きっと「そんなことで」、崇高な政治的理念の実現が妨げられてはならないということなんでしょう。ひょっとしたら、「気にするな!」とか「怖がるおまえが怖い」とかって、お考えなんでしょうかね。
2月6日(木)大阪の南の方の市長
大阪の南の方の市長は、自供によれば不倫をしていたそうで、しかし不倫をしていたことと自己の政治家としての仕事は別であり、そのふたつをまぜこぜにして不信任案を決議するなんていうのはおかしいとお考えのようです。なるほど、私的なことと公的なことを混ぜるなということのようです。たしかに私的なことと公的なことを混ぜるのは問題かもしれません。ただ、この人の場合、自供によれば不倫でも、それは自供にすぎず、実際に行ったのが性加害だとすれば、たんなる市長としての資質の問題ではなくなるわけで、十分に市長の職を失う根拠になるわけです。
2月7日(金)ふーん
私立中高一貫で学んで東京大学へ進学し、おフランスへ留学し、東京大学にお勤めになっている方が、かりに私立中高一貫の同級生のなかで比較すれば相対的に貧乏だったとしても、「うちは貧しかった」なんて世界中に発信してしまうと、それが嫌味にしか聞こえない人たちが少なからずいることくらい、わからないものなのか、不思議です。この程度のことがわからないほどには、貧しくはなかったのだとパフォーマティヴに示しているとすら、言えてしまうかもしれません。
2月8日(土)狡猾さと傲慢さ
そしてこの自称「うちは貧しかった」の人、トランプの周りには白人女性が駆り出されていて、と書き、アジア系がまったく見落とされていることを指摘されています。もしお書きのように駆り出したりするのであれば、当然、白人女性ばかりにしたりはしないでしょう。そのくらいの狡猾さは備えているに決まっているのに、そうした政治的手腕を完全にバカにしきっていますね。そういうリベラルだか左翼だかの傲慢さが、グローバルに敬遠されている側面は間違いなくあるでしょう。
2月9日(日)非常にわかりやすい
そのトランプと「駆り出された白人女性たち」だけに見えてしまった画像を見て、この「うちは貧しかった」人は共産圏を思い出したそうです。なるほど、ここはひょっとしたら新しいかもしれません。こういうとき出てくるのはたいていナチスだからです。ナチスの「ナ」は「なんでも」の「な」ですから。しかしひねったつもりで共産圏なんて出さなくたって、1月2日くらいの千代田区のある場所の風景を思い出せばいいのではないでしょうか。どうしてそれを思い出さなかったのか、まあある意味では非常にわかりやすいです。
2月10日(月)疑念
2月に入って早くも10日が終わろうとしていて、かなりびびりつつも、ひそかに抱いている疑念をますます強くすることとなっている。それは、5月と関係している。5月が40日くらいあることは、知る人ぞ知る国家機密というか、地球規模での機密であるが、実はその相殺として、2月は20日くらいしかないのではないかと思う。5月に40日もかけているのだから、どこかでその分減らさないと辻褄が合わないだろう。その役割をどうやら2月が担っているらしいということに、気がついてしまったのだ。そう考えるといろんなことに納得がいく。もし2月がそうした役割を果たしているのではないと言うのなら、じゃあ5月の10日分の増加はどう片をつけていると言うのだ。だれでもいいので、ぜひ納得のいく説明をしてほしいものだ。
2月11日(火)恐るべし、イデオロギー
今日はイデオロギー的に出勤して仕事しないといけないので、イデオロギー的に出勤して仕事した。けっして他に行くところがないわけではなく、スキーとかスケボーとかスケートとかいろいろとすることはあるけれども、万難を排してイデオロギー的に出勤して仕事した。職場には、結構人が来ていて、こんなにどこも行くところのない人がたくさんいるのかとかわいそうになったけれど、ひょっとしてイデオロギー的に来てたんだろうか。
2月12日(水)クソギア
その俳優、むかしっからどこがいいのかさっぱりわからず、控えめに言って大嫌いでしたが、なんともあざといことに、いまそういうことを言えば喝采してもらえることが確実なときにそういうことを言ってるようです。現在のアメリカは、「いじめっ子や悪党が大統領」を務めていると。権威主義の蔓延が世界中で起きていると。ふーん、この人に権威主義なんて言葉遣いができたんですね。ところであなたは『プリティ・ウーマン』とかいうクソ映画に出ていませんでしたっけ。ミソジニーは後回しでいいと思ってるんですか。そうですか。
2月16日(日)ぼんやり
ぼんやりしていたらいつの間にやら1週間が終わっていた。あんなことやこんなことをするつもりだったのに、あんなことやこんなことはできず、そんなことばっかしていた。そんなわけで、ぼんやりと80年代の日曜の歌謡番組で「青空がまぶしくて、わたしはこんなに小さくて」と歌っているなんのを見て、日曜なのに、アイドルなのに、なんと暗い歌なんだと思い、ますます気分が沈んでしまった。おそるべし、たかお。
2月17日(月)24歳
なんとキム・セロンが亡くなった。『アジョシ』も『
Barbie』も、2回目を見ようと思う映画ではなかったけれど、しかしあの子役が亡くなったと聞くと絶句する。24歳だそうで、もうどうしようもなかったのだろう。「死ぬ気になればなんでもできるのになぁ」とか言う人はむかしからいて、「そうですかー」と答えるしかありません(でした)が、そんなふうには考えられないからこその出来事なんですよ。生き延びようと思ったら、ひたすら我慢するしかない。我慢したからと言って、見通しが明るくなるかどうかはわからないけど、でもただただ我慢するしかない、そういう状況なのでしょう。
2月18日(火)わけわかめ
性的関係じゃなくって性加害が問われている大阪の南の方の市長、2度目の不信任案可決で失職しました。記者会見によれば、不信任は民意だと受け止めているそうです。そう言っておきながら、しかし市長選出馬に前向きとは、これはいったいどういうことなんでしょうか。選挙って、民意が問われるのだと思いますが、民意で市長職に値しないと判断されていることを了解しつつ、出馬するとしたら、選挙で問われるのは民意ではないとお考えなのか、市長職に値しないという民意を民意に問おうというお考えなのか、もうさっぱりわけがわかりません。
2月19日(水)社会課題なんて解決しません
「社会課題を解決していく」とか言うと、立派な営みであるかのように聞こえますが、そして実際に社会課題があってそれを解決していくのであれば、それはそれでひょっとしたら立派な営みであるかもしれませんが、これはまあ、マッチポンプの言い換えかもしれません。課題なんてそもそもなかったけれども、「解決していく」ことが重要だから、「解決していく」ための「社会課題」が創り出されるというわけです。もはや「解決していく」ためのもっともらしい「社会課題」を創り出すことそのことが、「社会課題」なのかもしれません。もちろんこうして創り出される「社会課題」は、「解決していく」ことが可能なものでなければなりません。そうじゃないと、「無能」「役に立たない」「哲学にすぎない」と言われてしまうからです。
2月20日(木)皇国屋の作業
なんのことはない、これって皇国屋の作業じゃないですか。自分たちが「解決していく」ための「社会課題」を設定し、それを「解決していく」わけです。なるほど道理で皇国屋なんぞに勤めながらアカデミズムにかかわることができると考えるようなご仁たちがうじゃうじゃいるわけです。しかしここにも同様のトリックがあります。皇国屋なんぞに勤めながらアカデミズムにかかわることができる、ではなく、皇国屋なんぞに勤めながらかかわっていることこそアカデミズムである、という書き換えを行うのです。書き換えはこのご仁たちのもともと得意な分野です。困ったことにここでも昔から伝わる法則が妥当性をもっています。悪貨は良貨を駆逐する。
2月21日(金)何やってんだか
ぐだぐだ書いたのは、経済なんちゃら会という、要するに資本主義万歳の会が「共助資本主義」なるものを提唱しているらしく、あろうことかそれと連携する大学連合が設立されたという報道に接したからでした。共助ですよ、共助。子ども食堂が例にあがってるんですよ。「社会課題」がどうこう言うのであれば、子ども食堂を当てにしているような状況こそ、真っ先に克服されるべき課題だと批判しなきゃいけないはずなのに、大学が束になっていったい何やってんだという話です。皇国屋と絡んでるんだから仕方ない、なんて言うのはシニシズムです。
2月22日(土)差別だよ
見間違いかと思ったが、見間違っていなかった。夢の世界の話かと思ったけど、夢の世界の話ではなかった。では、150年くらい過去に飛んでしまったのかと思ったけど、150年くらい過去に飛んでしまったわけではなかった。じゃあ、じゃあ、じゃあ、いったいなんなんだろう、<
大学生日本一を決めるミスコンテスト『ミスユニバーシティ2025』>って文字列は。
2月23日(日)差別だよ 2
見間違いかと思ったが、見間違っていなかった。夢の世界の話かと思ったけど、夢の世界の話ではなかった。では、150年くらい過去に飛んでしまったのかと思ったけど、150年くらい過去に飛んでしまったわけではなかった。じゃあ、じゃあ、じゃあ、いったいなんなんだろう、<なんちゃら誕生日
>って文字列は。そんなわけで、本日はイデオロギー的に休むわけにはいかないので、普段の日曜ならあんな楽しいことやこんな楽しいことをするところだけれども、出勤した。臣民諸君は祝っちゃいましたかね。
2月24日(月)黒と赤の連立か
予想されていたように、ドイツの総選挙では、CDU-CSUが第1党、AfDが第2党という結果になりました。FDPは議席を失い、党首は政界から退くようです。遅い。ここの支持者とSPDの支持者が相容れるわけがないのに、緑のやつらがLinkeと手を組みたくないから無理クソ連立して、案の定、何をするにも歩調が合わず、結局空中分裂したわけです。選挙結果の分析を見ていると、非常に興味深いことに、緑の支持者たちのうち、最重要課題として「環境と気候」を挙げる者が「社会保障」を挙げる者の6倍もいるのです。まあ、中には自分の社会保障よりも未来世代のことを考えたいとかいう殊勝な人もいるかもしれませんが、この状況で「環境と気候」を最重要課題だと考えられる人って、結局<そういう>人だってことでしょう。やっぱ緑は信用できない。
2月25日(火)おねだりくんの行く末は
武器ちょーだいのおねだりくんは、国内で大統領選を先延ばししている正真正銘の独裁者ですが、このまま戦争をやめてしまったら国内的にヤバいと思っているのか、これまでにも増して武器供与の加担者たちにこびこびしているように見えます。最後まで戦うと勇ましいことを言ってたのに、軍事同盟に加入できればなんとかガス抜きができるとお考えなんでしょうか。それにしても米ロが手を組みEUと対立することになるとは…。
2月26日(水)任務が人殺し
無料配信されている映像は、たいていどうでもよくなって、その先どうなるかとか、まったく興味もなく、結局最後まで見ることなくやめてしまうことが非常に多いのですが、数日前に見かけたやつもそうでした。アメリカの特殊精鋭部隊とやらが、特別任務でパキスタンへ行き、あのターゲットを殺すというやつ。余計なことを考えず、ただ任務を果たして無事に帰ってくればいいんだ、とか登場人物に言わせてるのですが、その任務って、人殺しじゃねーか。なにが「ただ任務を果たし」だよ、とか、もうムカついて仕方ありませんでした。
2月27日(木)クソドラマ
昼間は人殺しの訓練をして、それが何のプロパガンダだか知りませんが、訓練の中で女性と子どもを殺した場合は厳しく非難され、絶対に殺してはならないと厳命されます。そして夜は、家族やら恋人やらの写真を見たり、スカイプかなにかを使って互いに顔を見せながら話をしたりします。要するに、兵士にも家族がいて愛する人がいて、普通の人間なんだといいたいのでしょう。でも、人殺しだからね。任務だってことにすれば、平気で人殺しができてしまう人たちだからね。そこのところを間違えちゃいけません。あれはきっと、ドラマを見る者たちを啓蒙しているのでしょう。すっかり啓蒙されると、悪を殺して何が悪い、って考えられるようになるのでしょう。クソドラマ。
2月28日(金)すすめないでくれ
なんでそんなのが「おすすめ」でまわってくるのかまったくわかりませんが、活け造りの魚にアルコールを飲ませたらこうなった、ワキャキャ、というポストを途中までみてしまいました。そもそも活け造りなんてものを平気で食べられる神経がまったく理解できないのですが(こういうのはたんなるブルジョワ道徳に過ぎないしそう言ってるにもかかわらず、漁業を生業にしている人はどうするんだ、ごらぁ、とどっかのアホに言われたことがあります。ブルジョワ道徳だって言ってんだろ、人の話を聞けよ)、生きたまま食べるだけでは満足できず、アルコールを飲ませてその反応を楽しみ、さらにその動画を不特定多数にばら撒いているのです。坂道理論でもなく、もちろんエコロジーでもないとしたら、この嫌悪感はどう説明すればよいでしょうか。
3月1日(土)ガチ
いまどき大統領同士の会談が決裂して共同記者会見が中止になるなんて、事務方同士の話し合いですでに決着がついている、なんてことがないわけで、そういう意味では本物の会談だったのでしょう。武器ちょーだいのおねだりくんは、服装も含めたそのあざとさがずっと気に入りませんでしたが、それに対して、感謝が足りないだの敬意をもてだのって、それじゃあガキんちょをもて余すおやじの反応でしかないですよ。思わず、研究科長室で「敬意をもて」って激怒されたことを思い出してしまいました。
3月2日(日)蔑み
すると連想ゲームのように、やはり研究科長室で(おまえは呼び出されてばっかりか。ばっかりだ)内部告発をするなと言われたときのことを思い出してしまいました。こっちの権力保持者のいやらしさに比べれば、「敬意をもて」と言って准教授相手に激怒してしまう人の方が、まあ、同じパワハラだとしても、なんだか憐れみを誘います。いやらしいやつは、非常に穏やかな口調で、いかにもものを考えていますという体で(もちろん、考えていません。なぜなら考えられないから)、だらだらだらだらとよくそこまでアホなことが言えるなぁと思わせるのです。こちらは憐れみではなく蔑みの対象です。
3月3日(月)なんと
なんとイギリスとフランスが「平和維持のために」地上軍を派遣するとか言ってるそうです。イギリスって、つい最近不動産王から、おまえらだけでプーチンを抑えられるのかよ、って嘲笑されたんじゃなかったでしたっけ。フランスが一緒なら可能なんですかね。そもそもイギリスとフランスって、そんなに仲がよかったでしたっけ。海底トンネルを両方の側から掘り始めたら、つながらないとかって言われてませんでしたっけ。イギリスはすでにEUの一員じゃないし、NATO軍の枠組みでもないし、文字通り「有志軍」なんですかね。
3月4日(火)ありがちなあれ
そして緑のドイツ外相の勇ましさ。「われわれは立ち上がるべき」だの、「ドイツが主導権を握るべき」だの。大丈夫ですかねぇ、ドイツが立ち上がっちゃって主導権を握ったりして。緑の外相はこんなに勇ましいのに、首相は、ドイツの援助額はアメリカに次いで第2位で、すでにゼに協力している、このうえ地上軍なんて…、と引き気味です。首相は武器供与のときも当初消極的で、叩かれたのでした。緑って、結局、戦争で人が死ぬことより、環境が破壊される方が重大な問題であると考えており、環境の破壊さえ食い止めることができれば、戦争が続いていても構わない、という発想なんでしょう。人がいなくなれば、自然破壊はなくなるという、ありがちなあれです。
3月5日(水)ゼがトに
ゼがトに書簡を送ったとかなんとか、調印も行われるとかなんとか言われていますが、えっと、そしたらおフランスとエゲレスの立場はどうなるんでしょう。その鉱物資源とやらのおこぼれに預かれるよう、前言を翻したり、あるいははじめっからトと対決するなんて考えていませんとか言うのか、悪いのはプーチンですとか言うのか、どれなんでしょうか。じゃあ、「立ち上がる」と勇ましいことを言っちゃってた緑の外相はどうするんでしょう。
3月6日(木)その作家はさまざまに差別者ですけどね
「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と問うた作家が死んで、とんでもない差別者だったことがいまさらのように確認されていて、それはそれで間違いじゃないし、いいことだと思います。ただ、この作家が93歳で亡くなったことを取りあげて、ご本人は天寿を全うしているだのと書いているリベラルっぽいおっさんというかじいさんというかが、ともかくそういうのがいます。お前は適当な時に死ぬ義務を果たしていないじゃないかと言いたいのでしょうけど、このおっさんというかじいさんは、93歳で亡くなると天寿を全うしたことになると考えているわけですが、つまり93歳なら死んでもいいと考えているわけで、おいおいあんたこそ差別者じゃないか。その作家は、93歳はまだ「適当な時」じゃないと判断したのかもしれないという可能性を排除すんなよ。
3月7日(金)そんな義務があるわけない
しかしこのように高齢者差別を口にした作家は糾弾されるのに、高齢者には死ぬ義務があることをカントの名のもとに論文として主張してもなんら糾弾されないのは、それがアカデミックな言説だから、ではなく、哲学の論文なんてほとんどだれも読まないからでしょう。これを機に、ぜひ広く知られてほしい、『新・カント読本』(法政大学出版局、2018年)の論文のことが。ナチスを見習えのじいさんも、自分と同じことを言ってるカント学者がいると知ったら、少しは喜ぶんじゃないでしょうかね。
3月8日(土)うるさいどこぞの私
カント学者と言えば、うるさいどこぞの私がどうしたこうしたの人は、ほとんど他の人の書いた物を評価しないけど、この「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」の人の書いた物はいい、とかなんとかお書きになられていて、ご本人は政治性などないとお考えでしょうけど、政治性などないと言う人こそ見事に政治性を帯びているという見事なまでの実証例でした。そんなわけで、カント学者は人材豊富です。まあ、だれもうらやましいとは思いませんが。
3月9日(日)勉強になりました
スピヴァックがド・マンというのはこれこれこういう人で、と〇〇さんに語ったとかで、実はこういうナラティヴこそが重要だという発言を聞いてしまいました。あれ、テクストの外部はなかったんじゃなかったっけ。だからこその、読むことの重要性じゃなかったんでしたっけ。ナラティヴだったら、どっかのあれな人が言ってるような聞く力がどうしたこうしたで、読むことじゃないじゃないですか。そこがちょっと残念でした。カントの統制的理念がろくでもないというご主張には、まったくその通りだと思いました。戦争だって肯定できちゃいますからね。「希望の論理」とか、アホなことをぬかしても免罪されちゃいますからね。
3月10日(月)「理不尽に」とはなにか
東京大空襲80年ということで、戦災資料センターの公式アカウントが、「80年前の、まさにこれから数時間で、約10万人もの人たちが、理不尽に、一方的に、命を奪われました」とか書いてるんですが、「理不尽に」ってどういう意味なんでしょうか。アジアの人々に対する加害者だったという視点がほんの少しでもあれば、「理不尽に」なんて書けないでしょう。加害者としては、「一方的に」命を奪ってるわけです。なのにあたかも無辜の民であったかのように歴史を修正してはいけません。まあ、アメリカの原爆投下は有無を言わさずに断罪するのに、皇国の侵略戦争についてはなんやかんやごにょごにょ言葉を濁す平和論者みたいなのもいますけどね。しかしそいつは自称健全なナショナリストですよ。