2025年
1月1日(水)今年の相手
 
 批判すると「怖い人」と言われたり、質疑応答があると「怖い授業」と言われたりしますが、批判が禁じられていたり(そのくせ、禁止しているやつだけは批判してもよいことになっている。もっとも、そんなやつの言説はちっとも批判ではなく、たんなる反論を受付けないおだべりにすぎない)、質疑応答なんぞあるわけがなく、自己表出とそれを受けてのどっこいしょ大会しかないような空間の方が、よほど怖いのですが、きっと臣民としてはそちらの方がはるかによいのでしょう。そんなものは不正以外のなにものでもないですけどね。



1月2日(木)
『権力に告ぐ』
 
 長いものに巻かれて不正に加担すれば、知り合いは告発されず、同僚の生活は保障され、なにより自分には破格の収入が約束される。まあ、映画であっても、それを蹴る主人公のことをバカだと考える頭のいい人はいることでしょうけど、多くの人は、主人公の生き方に賛同するのではないかと思います。ところが、現実になると、ほとんどの人が主人公のような生き方をバカだと考え、そんな選択肢はとらないでしょう。皇国屋なんぞに魂を売り渡すくらいなら、ちまちまと生き続けた方がいいに決まっている、と考える人はごくごく少数です。皇国屋からカネをもらって研究するくらいなら、研究しない方がましだ、と考える人もごくごく少数です。どれだけ言い訳を用意しても、しかし皇国屋は皇国屋です。忘れてはいけません。 



1月3日(金)
つぶれてくれてもいい
 
 組織の運営を人治主義ではなく法治主義で行おうとすれば、文書主義は必須のはずで、会議でも何でも議事録を残さないと人の記憶をあてにすることになり、それは結局声の大きい者の物覚え、要するにそいつの思ったままが通る世界になってしまうわけで、およそ近代主義からはかけ離れた存在様態だと思います。ある学会では、春の委員会の議事録も秋の委員会の議事録もなく、まさに人治主義が支配しています。まあ、金輪際運営にかかわることはないし、なんならソッコーで退会してもいいくらいなので、あとは野となれ山となれですけどね。



1月4日(土)
続:つぶれてくれてもいい
 
 上記とは別の学会は、いったい何にそんなに支出があるのか知りませんが、大幅な赤字が続いているそうです。そこで、会長名の「提案」がメールで届きました。どうやら年会費をあげたいようですが、メールの件名にもメールの本文のタイトルにも「提案」とあるのに、本文では会費を○○円と「いたします」って書いてあります。会長が「いたします」って書いてるんだから、これは「報告」なんじゃないかと思いましたが、しかしメールの件名もメールの本文のタイトルも「提案」です。ひょっとして、わしの提案は決定事項じゃ、とかそういうことなんでしょうか。学生からの抗議にしかとシカトするような学会は、退会してもいいくらいなので、あとは野となれ山となれですけどね。



1月5日(日)
相変わらず
 
 イスラエルのデモが見出しになっているドイツの放送局の記事をみると一瞬だけ、「おぉ」と思いますが、すぐにそれが「相変わらず」の代物であることがわかります。一瞬だけ、「おぉ」と思うのは、言うまでもなく、やっとイスラエルでもジェノサイドに反対するデモが行われるようになったのか、遅すぎるけど、ないよりかはましか、と思うからで(「一瞬」の設定なのにもりすぎ)、「相変わらず」の代物というのは、ガザで人質となっている自国民の解放を訴えるデモの記事で、イスラエルもイスラエルなら、ドイツもドイツだ、と思うからです。永遠に反省し続けるのはいいとして、だからといって虐殺をなきことにしていいわけがないことくらい、臣民共同体の成員じゃないんだからわかると思うのですが、まあこれもひとつの道徳主義であり、要するに自己自身との一致だけが重要だってことでしょう。



1月6日(月)
ポエム
 
 コンクリート殺人の準主犯格の犯罪者が孤独のうちに死んだからと、哀切たっぷりにこれが人間だ的なポエムを垂れ流している人がいて、こういうメンタリティは結局、戦争のプロパガンダではあったが思想としては深いものがあったとか、眉間に皺を寄せて言ってのけるぼんくらのメンタリティと同じなんだろうと思う。「早すぎる死だった」とか、さも残念であるかのように言うのだが、そりゃもちろん残念だ。準主犯格として、こんなに早々消えてもらっては困るわけで、最低でも500年くらいは自分がやらかしたことを反省し続けてもらわないといけないからね。



1月7日(火)伝統芸能
 
 そのさっさと死んだ準主犯格の犯罪者について、肉親が「本来は明るくて、物静かで、優しい子です」とか言ってるのをそのまま垂れ流すのは、もう共同正犯じゃないかと思うほど。だったらあれか、本来明るくて物静かで優しい子なら、やらかしたことは軽くなるのか。はぁ? そんなことを言うのであれば、むしろ、本来明るくて物静かで優しい子なのに、あんなことをやらかすとは、こいつとんでもないやつじゃないか、って話にだってなりうるだろう。そっちの方向性をとらないのは、はじめっから、そいつを免罪してやろうって魂胆があるからじゃないか。こういう個人の内面に問題を落とし込もうとする伝統芸能があるから、この臣民共同体において道徳を信奉するカント屋みたいなやつはうんこなんだわ。



1月8日(水)
ゴミ擁護
 
 NHKの大河ドラマなんて、もうずっと前からイデオロギー丸出しだったわけで、しかしだからといって、そのたびに批判しなくてもいい、ってことにはならず、そのたびに批判し続けなければいけないでしょう。今回のぼんくらぶりについては、例によって例のごとく、現代の視点から過去を裁くな式のゴミ擁護があるそうですが、現代の視点から過去を裁くのだって何が悪いんだと思いますが、少なくとも今回多くの方が批判しているのは、現代の女性差別のあり方であり、そこに働いているイデオロギーです。だから擁護したければ、当該イデオロギーを正当化しなきゃいけないのであって、過去のことは問えないという定型句は、まったく無意味です。



1月9日(木)
子役もクソ
 
 演出家がやたらと「感じさせる」だの「感じてもらいたい」だのを多用しつつ自己正当化を図っていて、まあ言ってることはろくでもないのですが、演出家とは、感じさせる人だったのかと思いました。「美化するつもりはない」って、そんなことは言わなくても当たり前なので、わざわざ言うと怪しく聞こえるわけです。どっちみち、あなたの「つもり」はどうでもいいことです。そして最近よくある言い分である「現実としてある」というやつ。そう言えばすべてが免罪されるかのようですが、「現実としてある」のがわかっているのなら、その現実を問うたらどうなんだ、という方向には進まないわけで、ここでもはじめっから免罪が前提とされているわけです。



1月10日(金)あらら
 
「民主政治とは『説得』であって、決して『自己表現』ではないのです。リベラルが本気で右派からこの国を奪い返したいと願うのであれば、今すぐに説教壇から降り、人々の話に虚心坦懐(たんかい)に耳を傾けるべきです。」これは、クソ朝〇新聞デジタル版に掲載されたある方の論考からの一節。あらら。政治とは、自己が何者であるかを広場で示すことだとおっしゃった方もいたような気がしますが、気のせいですか。そうですか。あるいは、どこぞで行われていると言われている自己開示祭りは、非政治性を装うことをもって、その実きわめて現状肯定保守主義的非民主的政治性を明確に帯びていると言えるでしょう。狙い通りじゃん。



1月11日(土)クソい
 
 しかし、「耳を傾けるべき」とか言うやつがもっとも人の話を聞かないということも、少なくとも経験則のレヴェルではかなりあたっていることのひとつでしょう。たとえば、「聞く力」がどうしたこうした言ってるやつは、自分の言うことを聞く力を人にもたそうとしつつ、人の言うことを聞く力を自分自身もとうとはしないわけです。同じように、「ここでちょっと立ち止まって考えましょう」とか言うやつも、クソい。あたかも自分はひとり冷静だよ、と言わんばかりですが、この手のやつは自己との一致が何より重要なだけで、要するに人のことなどどうでもいいわけです。そりゃあんたは立ち止まれるわな、ということです。



1月12日(日)フランクフルトの大学
 
 ドイツ、オーストリアの大学などの機関がXの使用を中止するそうですが、理由は、アルゴリズムに反映されているマスクの価値観を受け入れられないことにあるとのこと。まあ、極右政党への投票を呼びかけたりして、極右政党の宣伝メディアと化している側面はたしかにあるでしょう。ただ、ある大学は自分たちこそが自由やら多様性やらの担い手であると主張していて、それはどうだろうと思いました。なんといってもその大学は、HPのトップページでウクライナ支持を明確に宣言しており、ということはNATOだって支持するということでしょうが、同時にその大学の付属機関のHPでイスラエルとの連帯も高らかに謳っているのです。マスクを批判するのはいいけど、自分たちだってそれほど変わるところがないなんて、まったく考えていないわけです。



1月14日(火)ぐりぐり
 
 昨日は大学のサーヴァーがダウンしていたため更新せず、今朝は熱っぽくて36.2℃あり、やっばいと思っていたら出かけるときには36.7℃に上昇。こんな日は休んでおけばいいものを、金曜に来るはずだったのにすっぽかした業者が今日来ることになっているので行かないわけにはいかない。実はこの人、1か月前にもすっぽかしてくれた。もう20年以上付き合いのある業者だけど、こんなことがあったのは初めて。今日は朝一でやってくるに違いないと思ったので9時前から部屋で待機していたら、15時くらいに行きますというメールがきて、もうなんだか生きててごめんなさい、って思わされた。そうこうしている間に熱は38℃になり、かかりつけ医へ。早すぎるからまだ陽性でも陽性反応が出ないかもしれないと言われつつ、あの鼻の穴ぐりぐりをやられて、自然と涙が出てきた。結局どっちも陰性だったけど、明日朝37.5℃以上あったら、もう一回ぐりぐりをやりにこいと言われてしまった。頼むから、さがって欲しい。そのためだけに。別にインフルだのコロナだのに感染していても構わない。ぐりぐりだけはやめて欲しい。



1月15日(水)ぐりぐり回避
 
 昨日はぐりぐりの後、かかりつけ医のところから自宅まで、寒い中、悪寒を感じながら30分くらい歩き、「こんなことをしていたら風邪引くわ」と思ったが、いや、もはや風邪を引くことはないか、と思い直した。そこから連想で、柄谷が、この臣民共同体について、ファシズムに陥る危険性はない、なぜならすでにファシズムだからだ、と言ったのを思い出した。そんなわけで、帰宅後ソッコーで食事をして薬をのみ、震えながら眠ったら、今朝はすでに36℃台になっていて、36℃台だって十分に熱っぽいのだけれど、医療関係者たちは口をそろえて「それは熱ではない」と言うので、朝から熱はなかった。ぐりぐりは回避できた。



1月16日(木)『うっせぇわ』
 
 ビリーバンバンのひとりが『うっせぇわ』という歌を歌っていて、それは非常に趣のある歌だし、とても『さよならをするために』を歌っていた人と同一人物とは思えないほどですが、それをテレビでとりあげていて、歌っている動画などを見ながら論評が行われているのですが、どうしてあんたみたいな人が「素晴らしい」とかって上から言えるんだって人が「素晴らしい」を連発していて、一気に不快にしかならなくなってしまったというお話。おまえが「うっせぇわ」。



1月17日(金)9,000円て
 
 9,000円のお食事をいただきつつ情報を交換するという、年に1度のとっても場違いな会合がありました。何年か前は、この会合が開かれる少し前に、税金を大量に、しかも予告をはるかに上回る額を支出する税金博の開催が決まり、よかったよかったと大いに盛り上がって、はあ、そういう世界もあるんですねー、と思わされた会合です。そして昨日は、示談金が支払われているのに口止めがなされず、とんでもねーだの、法と道徳は異なるぞーだの、やっぱお金持ちのホモソーシャルはこうなるんですねーと思わされました。会合に出る前まで参加していた研究会の思想性とのあまりの違いに、3歩歩めずでした。歩んだけど。



1月18日(土)ろくでもない
 
 ある書籍のキャンセルに積極的に賛成し、個人情報ばら撒いた人が主導した差別反対声明賛同者に名を連ね、それについても積極的に発言していたのに、候補になった途端にそれら発言を削除された方が、見事に当該文学賞を受賞されたそうです。これに関連して批判を行った人に対しては、「安心して下さい、あなたがたは文学から選ばれてませんから。」とおっしゃる書評者がいらっしゃるそうで、世の中には文学から選ばれる方と選ばれない方がいるらしいことを知りました。こういうのを選民思想とか権威主義とか言って、文学ってそういうものを批判するというポーズをとる芸能だと思っていたのですが、皇国屋が絡んだりしてくると、もはやそういうポーズすらとらなくなるのかもしれません。ろくでもないな、皇国屋。



1月19日(日)
 
 あまりいい気分のしない夢を見てしまいました。目が覚めて、夢でよかったと思うような夢でした。だれか知らない人でしたが、殺してしまいました。まあ、人を殺す夢は以前にも何度か見たことがあって、それ自体はどうってこともないのですが(いや、本来どうってことがなきゃいけないのですが)、いい気分がしないのは、人を殺しておいて、その後しらばっくれているところです。なんなら、その知らない人がいなくなって、捜索に協力したりするわけです。今回新しかったのは、きっと捜査の手が突然伸びてくるに違いないので、そのときにどうやって死のうかと考えていたところです。いくつかシミュレートしているところで目が覚めました。ほんと、人を殺しておいてしらばっくれてバレそうになったら死んで逃げようとするなんて、サイテーだわ。



1月20日(月)バイデンにはできなかったこと
 
 一応、停戦している。バイデンにはできなかったことだ。言うまでもなく、トランプがいいだの立派だの言ってるんじゃない。ただ、バイデンにはできなかったことだ。就任式までに停戦しろよ、と脅しをかけるだけで、停戦したわけだ。バイデンにだって脅しくらいかけることはできたろうに、脅しはかけなかったということだ。脅しなんかかけて停戦させていいのかよ、と立派なことをおっしゃる方がいるのは存じ上げています。でも、少なくとも停戦中に虐殺はないってことをご存知でしょうか。もしいまも虐殺が行われているのであれば、それは停戦状態ではないということです。もしそうなら、言うべきことは、停戦なんかしていない、という指摘であって、トランプなんてくそだ、と言ってさえいればいいってわけじゃないです。くそだけど。



1月21日(火)名前はないのか
 
 ドイツの公共放送の文字による報道では、「テロリストハマスによって囚われていた」3人のイスラエル人の人質が解放されたことが伝えられ、その3人の氏名とそれぞれがどんな人であるのかが詳細に明らかにされています。他方、パレスチナ人の人質については、名前などまったく報道されていません。いや、ことによるとたまたまそういうページを目にしてしまっただけなのかもしれません。しかし目にしたページではそんな差別化が堂々と行われていました。こんな報道の仕方で、薄々、ちょっとおかしいんじゃないかとか、だれも思わないものなんでしょうか。思わないものなんでしょう。「始めたのはテロリストハマス」というのが、決まり文句ですが、因果の連鎖をどこから始めるかは任意だってことを少しも考えたことはないのでしょうか。考えたことはないのでしょう。



1月22日(水)言うまでもない
 
 イスラエルの刑務所に収監されていたひとりのパレスチナ人が、交渉によってもうすぐ出られるのかと尋ねたところ、ブチ切れた看守たち20人に撲殺されたとのこと。イスラエル側も発表しているので、いろんなところで流行っている「意に沿わないことはデマ」という手は使えません。だから「始めたのはテロリストハマス」という次の手が使われることでしょう。始まりをどこに定めるかについては、任意性がつきまとうわけですが、それに加えて、だったらその後なにが行われようと、すべてはその「始まり」に帰されるのか、という問題があります。撲殺した看守たち20人は、わざわざ言うまでもなく無罪ではありません。



1月23日(木)なるほど
 
 今日は教授会の後、FD(けっしてフロッピー・ディスクでもなければ、ふ○ばくん大好きでも、ふ○ばくん大っ嫌いでもありません)研修があって、ハラスメント防止のお話をうかがいました。ハラスメントと言っても、大半がセクシュアル・ハラスメントのことであり、しかも男性教員が加害者として想定されているお話に特化されていたと思います。加害者に対しては、反省など求めない、という講師の言葉は非常に納得がいくものでした。加害者はすぐに「反省しました」と言うそうです。知り合いも、反省文を書いてすぐまた繰り返してましたからね。



1月24日(金)加害者属性
 
 では、求められるのは何か。レクチャーのなかで提示されたのは、謝罪と説明責任と賠償でした。このなかで、説明責任というのが非常に厳しいものでした。説明責任とは、起きたことについて被害者が言うことをすべてそのまま覚えて口にすることとされていました。いやぁ、それはいくらなんでもないんじゃないの、被害者だって自分にとって都合の悪いことは言わないだろうし、脚色だってするだろう、それをそのまま繰り返すことが説明責任とは、あまりにも厳しくないか、と思いましたが、しかしそう思うのは、きっとこちらが加害者属性をもつ側にいるからなんでしょう。そんなわけで、非常に厳しいFDとなりました。



1月25日(土)イタコの時代
 
 選挙で選ばれた大統領が就任式に際して神の加護を口にするのもたいがいだと思いましたが、その大統領に対して神の使いがほにゃらら説教垂れるというのもたいがいでした。さらにその神の使いの説教を称賛してしまう人たちもいて、そういう人たちってひょっとして選挙権とかいらない系の人たちなんでしょうか。もはや主権は人民ではなく神にあるのでしょうか。これからはイタコの時代なんでしょうか。



1月26日(日)またしても伝統芸
 
 まあ、古典的と言えば古典的、伝統的と言えば伝統的なんですが、性犯罪者や性加害者のほとんどには家族や同僚がいて、それぞれの仕事をちゃんとこなして仲間思いだったりするわけで、だからそれらの人々は悪人ではないとか、バ○丸出しコメントをする人がいるそうです。家族や同僚がいて、それぞれの仕事をちゃんとして仲間思いだからって、犯罪や加害が帳消しになるとでも思ってるんでしょうか。アホなんでしょうか。こういう発想って、結局すべてを心に還元するやつであり、敵意を終結させれば永遠平和がやってくるとか言っちゃうのと同じです。



1月27日(月)「そんなことくらいで」
 
 「そんなことくらいで」というのも、性犯罪や性加害を免罪する古典的−伝統的やり方であり、また普遍的でもあります。普遍的ということは、アカデミズムにおいてもあるやり方だということで、ある大学で性犯罪もしくは性加害で告発された人物について、「そんなことくらいで」その人物が研究者としての道を断たれてしまうのはもったいない、と真顔で言ったカント研究者を知っています。さすが、法規範よりなにより道徳を大切にし、清い心を大切にする人だけのことはあると思いましたが、だからこそ、道徳やら清い心やらはクソなんだと再確認しましたお。



1月28日(火)「いい人たち」
 
 その人たちの言説を批判しているのに、その人たちのことを知っているかどうか尋ね(今回も、その人のことを知らないやつらが騒ぎ立てていると言う、靴ペロ男たちがわいています)、「知らないよ」と答えたら、「いい人たちですよ〜」と、それがあたかもその人たちの言説の擁護になるかのように言ってのけた突撃隊隊長みたいなのもいました。そんなものをもち出した時点で、その人たちの言説そのものが与太であることを証明してしまったことになるなんて、きっと知る由もないのでしょう。だからこその突撃隊隊長なんでしょう。渡辺真知子なら、「まるで喜劇じゃない〜の〜」と歌うところです。



1月29日(水)大阪選出なんだよなぁ
 
 国会で行政府の長に対して、「さっさと辞めてもらっていいですか。いつ辞めるんですか」とかって迫った元号党(!)の議員がいるそうです。これまでの政府与党の政策にご不満で、その党に所属する行政府の長の発言を批判された成行でこうおっしゃったのですが、この方は、ある種の予測される出来事を怖がる人々に対して「気にするな!」っておっしゃった方です。怖がる人々にすら「気にするな!」で済ませるのですから、ご不満くらいなら、それこそ気にしなきゃいいんじゃないですかね。「怖がるおまえらが怖い」のなら、「ドン引きしかありません」と言うあなたについてこそ、ドン引きしかありません。



1月30日(木)総合判断
 
 「気にするな!」「怖がるおまえが怖い」の方が所属する、頼まれたわけでもないのにみずから進んで元号を党名に含ませている党の代表は、行政府の長に対して、楽しいヌッポソを作ろうとか言ってる「張本人が、疲れ切って毎日、苦虫をかみつぶすようでは、楽しい」ヌッポソ「をつくれません」とおっしゃったそうです。どうしてなんでしょうか。楽しい○○を作ろうとしている人が、苦虫をかみつぶしているようでは、楽しい○○は作れない、って、総合判断ですね。けっして分析的ではないです。だったらなぜそうなのか、説明が必要なはずですが、まあ、カレー食人にそんなことはできないでしょう。



1月31日(金)『クロコダイルの涙』
 
 ノーマン・フィンケルシュタインの演説『クロコダイルの涙』の動画がまわってきました。「クロコダイルの涙」を流す連中のことを批判した演説です。その連中が出すのと同一の切り札をフィンケルシュタインももっているわけですが、しかしその使い方がまったく逆であることに眼目があるのでしょう。それは言うまでもないことだと思います。もちろん気になるのは、フィンケルシュタインはその切り札をもっているからこそ、こうした演説ができるのではないか、ということ、そしてこうした演説に賛同する人が得られるのではないか、ということです。だとするとこれはやはりアイデンティティ・ポリティクスではないのか、そしてひょっとすると、もはや説得力をもつのはアイデンティティ・ポリティクスしかないのか、というようなことを思い、ちょっと息苦しくなりました。



2月1日(土)承前
 
 フィンケルシュタインが「クロコダイルの涙」を流す連中を批判してもよいのは、フィンケルシュタインがユダヤ系アメリカ人であり、両親がホロコーストサヴァイヴァーだからではないのか、ということであり、そうした出自をもつ人じゃないとしたら、当該の批判は暴力の発動だと言われるのではないか、ということです。発言を正当化するのが発言者の出自だとしたら、それはもうアイデンティティ・ポリティクスに他ならないでしょう。それじゃあダメだろうと思いつつ、しかし「〇〇はみんなもの」言説にもそうやすやすと与するわけにはいかないとすると、いったいどうすればよいのか、判断がつきかねるところがあります。



2月2日(日)突撃隊隊長について
 
 かつて突撃隊隊長が突撃してきたときに、あるスペースの問題を口にしたら、あなたには関係ないでしょと言われたのでした。関係ないとはどういう意味か、とか尋ねても、突撃隊隊長からまともな答えが引き出せるはずもなく、そういう意味じゃ突撃隊隊長は相手にいろんなことを諦めさせることができる無敵の存在ではあったのですが、しかしまあそれは、ガキんちょと論争しようとするのは論争しようとする側に非があるというのと同じロジックです。話を戻すと、あなたには関係ないというのは、ある種の事柄について発言が許されているのは、一定の属性をもつ者だけだ、ということからきていると思われますので、すぐれてアイデンティティ・ポリティクスです。



2月3日(月)カレー食人
 
 わざわざ政党名に元号を含めている元号政党の代表が、行政府の長について、「これまでの総理と違う。IQが高い」と、おっしゃったそうで、差別丸出しのメンタリティに乾いた笑いしか出ません。まあ、わざわざ政党名に元号を含めたんだから、差別者であることは自明だったわけですが、身分差別に加え、能力差別を惜しげもなく披露されているということです。やっぱIQが重要なんですね。よくわかりました。きっと被災地に乗り込んでカレー食べたのも、高いIQのなせるわざなのでしょう。



2月4日(火)辻褄
 
 この発言て、相手のIQが高いことがわかるオレもIQが高くて優秀なんだよ、ってアピールでもあるわけです。さすがですねー。ところで、同じ元号党所属の議員には、そのIQの高い行政府の長に対して「さっさと辞めてもらっていいですか。いつ辞めるんですか」とおっしゃった方がいらっしゃるんですが、そこんところの辻褄はどう合わせるんでしょうか。カレー食人によればIQ高いけど、「気にするな!」はさっさと辞めるよう求めているわけで、二人合わせて政治とIQは関係ないという主張をなさっているのでしょうか。だったら、元々のカレー食人の発言の意味がまったくわからなくなってしまいます。「気にするな!」からすれば、行政府の長のIQはまだまだ低いってことなんでしょうか。



2月5日(水)「そんなことで」
 
 ところでその元号政党では本部スタッフわいせつ事件というのがあって、被害者から告発されているのですが、IQの高いカレー食人は、まるで自民党の議員のように、説明を求められても個人情報がかかわるからと、発言拒否を貫いていらっしゃるようです。きっと「そんなことで」、崇高な政治的理念の実現が妨げられてはならないということなんでしょう。ひょっとしたら、「気にするな!」とか「怖がるおまえが怖い」とかって、お考えなんでしょうかね。



2月6日(木)大阪の南の方の市長
 
 大阪の南の方の市長は、自供によれば不倫をしていたそうで、しかし不倫をしていたことと自己の政治家としての仕事は別であり、そのふたつをまぜこぜにして不信任案を決議するなんていうのはおかしいとお考えのようです。なるほど、私的なことと公的なことを混ぜるなということのようです。たしかに私的なことと公的なことを混ぜるのは問題かもしれません。ただ、この人の場合、自供によれば不倫でも、それは自供にすぎず、実際に行ったのが性加害だとすれば、たんなる市長としての資質の問題ではなくなるわけで、十分に市長の職を失う根拠になるわけです。



2月7日(金)ふーん
 
 私立中高一貫で学んで東京大学へ進学し、おフランスへ留学し、東京大学にお勤めになっている方が、かりに私立中高一貫の同級生のなかで比較すれば相対的に貧乏だったとしても、「うちは貧しかった」なんて世界中に発信してしまうと、それが嫌味にしか聞こえない人たちが少なからずいることくらい、わからないものなのか、不思議です。この程度のことがわからないほどには、貧しくはなかったのだとパフォーマティヴに示しているとすら、言えてしまうかもしれません。



2月8日(土)狡猾さと傲慢さ
 
 そしてこの自称「うちは貧しかった」の人、トランプの周りには白人女性が駆り出されていて、と書き、アジア系がまったく見落とされていることを指摘されています。もしお書きのように駆り出したりするのであれば、当然、白人女性ばかりにしたりはしないでしょう。そのくらいの狡猾さは備えているに決まっているのに、そうした政治的手腕を完全にバカにしきっていますね。そういうリベラルだか左翼だかの傲慢さが、グローバルに敬遠されている側面は間違いなくあるでしょう。



2月9日(日)非常にわかりやすい
 
 そのトランプと「駆り出された白人女性たち」だけに見えてしまった画像を見て、この「うちは貧しかった」人は共産圏を思い出したそうです。なるほど、ここはひょっとしたら新しいかもしれません。こういうとき出てくるのはたいていナチスだからです。ナチスの「ナ」は「なんでも」の「な」ですから。しかしひねったつもりで共産圏なんて出さなくたって、1月2日くらいの千代田区のある場所の風景を思い出せばいいのではないでしょうか。どうしてそれを思い出さなかったのか、まあある意味では非常にわかりやすいです。



2月10日(月)疑念
 
 2月に入って早くも10日が終わろうとしていて、かなりびびりつつも、ひそかに抱いている疑念をますます強くすることとなっている。それは、5月と関係している。5月が40日くらいあることは、知る人ぞ知る国家機密というか、地球規模での機密であるが、実はその相殺として、2月は20日くらいしかないのではないかと思う。5月に40日もかけているのだから、どこかでその分減らさないと辻褄が合わないだろう。その役割をどうやら2月が担っているらしいということに、気がついてしまったのだ。そう考えるといろんなことに納得がいく。もし2月がそうした役割を果たしているのではないと言うのなら、じゃあ5月の10日分の増加はどう片をつけていると言うのだ。だれでもいいので、ぜひ納得のいく説明をしてほしいものだ。



2月11日(火)恐るべし、イデオロギー
 
 今日はイデオロギー的に出勤して仕事しないといけないので、イデオロギー的に出勤して仕事した。けっして他に行くところがないわけではなく、スキーとかスケボーとかスケートとかいろいろとすることはあるけれども、万難を排してイデオロギー的に出勤して仕事した。職場には、結構人が来ていて、こんなにどこも行くところのない人がたくさんいるのかとかわいそうになったけれど、ひょっとしてイデオロギー的に来てたんだろうか。



2月12日(水)クソギア
 
 その俳優、むかしっからどこがいいのかさっぱりわからず、控えめに言って大嫌いでしたが、なんともあざといことに、いまそういうことを言えば喝采してもらえることが確実なときにそういうことを言ってるようです。現在のアメリカは、「いじめっ子や悪党が大統領」を務めていると。権威主義の蔓延が世界中で起きていると。ふーん、この人に権威主義なんて言葉遣いができたんですね。ところであなたは『プリティ・ウーマン』とかいうクソ映画に出ていませんでしたっけ。ミソジニーは後回しでいいと思ってるんですか。そうですか。



2月16日(日)ぼんやり
 
 ぼんやりしていたらいつの間にやら1週間が終わっていた。あんなことやこんなことをするつもりだったのに、あんなことやこんなことはできず、そんなことばっかしていた。そんなわけで、ぼんやりと80年代の日曜の歌謡番組で「青空がまぶしくて、わたしはこんなに小さくて」と歌っているなんのを見て、日曜なのに、アイドルなのに、なんと暗い歌なんだと思い、ますます気分が沈んでしまった。おそるべし、たかお。



2月17日(月)24歳
 
 なんとキム・セロンが亡くなった。『アジョシ』も『Barbie』も、2回目を見ようと思う映画ではなかったけれど、しかしあの子役が亡くなったと聞くと絶句する。24歳だそうで、もうどうしようもなかったのだろう。「死ぬ気になればなんでもできるのになぁ」とか言う人はむかしからいて、「そうですかー」と答えるしかありません(でした)が、そんなふうには考えられないからこその出来事なんですよ。生き延びようと思ったら、ひたすら我慢するしかない。我慢したからと言って、見通しが明るくなるかどうかはわからないけど、でもただただ我慢するしかない、そういう状況なのでしょう。



2月18日(火)わけわかめ
 
 性的関係じゃなくって性加害が問われている大阪の南の方の市長、2度目の不信任案可決で失職しました。記者会見によれば、不信任は民意だと受け止めているそうです。そう言っておきながら、しかし市長選出馬に前向きとは、これはいったいどういうことなんでしょうか。選挙って、民意が問われるのだと思いますが、民意で市長職に値しないと判断されていることを了解しつつ、出馬するとしたら、選挙で問われるのは民意ではないとお考えなのか、市長職に値しないという民意を民意に問おうというお考えなのか、もうさっぱりわけがわかりません。



2月19日(水)社会課題なんて解決しません
 
 「社会課題を解決していく」とか言うと、立派な営みであるかのように聞こえますが、そして実際に社会課題があってそれを解決していくのであれば、それはそれでひょっとしたら立派な営みであるかもしれませんが、これはまあ、マッチポンプの言い換えかもしれません。課題なんてそもそもなかったけれども、「解決していく」ことが重要だから、「解決していく」ための「社会課題」が創り出されるというわけです。もはや「解決していく」ためのもっともらしい「社会課題」を創り出すことそのことが、「社会課題」なのかもしれません。もちろんこうして創り出される「社会課題」は、「解決していく」ことが可能なものでなければなりません。そうじゃないと、「無能」「役に立たない」「哲学にすぎない」と言われてしまうからです。



2月20日(木)皇国屋の作業
 
 なんのことはない、これって皇国屋の作業じゃないですか。自分たちが「解決していく」ための「社会課題」を設定し、それを「解決していく」わけです。なるほど道理で皇国屋なんぞに勤めながらアカデミズムにかかわることができると考えるようなご仁たちがうじゃうじゃいるわけです。しかしここにも同様のトリックがあります。皇国屋なんぞに勤めながらアカデミズムにかかわることができる、ではなく、皇国屋なんぞに勤めながらかかわっていることこそアカデミズムである、という書き換えを行うのです。書き換えはこのご仁たちのもともと得意な分野です。困ったことにここでも昔から伝わる法則が妥当性をもっています。悪貨は良貨を駆逐する。



2月21日(金)何やってんだか
 
 ぐだぐだ書いたのは、経済なんちゃら会という、要するに資本主義万歳の会が「共助資本主義」なるものを提唱しているらしく、あろうことかそれと連携する大学連合が設立されたという報道に接したからでした。共助ですよ、共助。子ども食堂が例にあがってるんですよ。「社会課題」がどうこう言うのであれば、子ども食堂を当てにしているような状況こそ、真っ先に克服されるべき課題だと批判しなきゃいけないはずなのに、大学が束になっていったい何やってんだという話です。皇国屋と絡んでるんだから仕方ない、なんて言うのはシニシズムです。



2月22日(土)差別だよ
 
 見間違いかと思ったが、見間違っていなかった。夢の世界の話かと思ったけど、夢の世界の話ではなかった。では、150年くらい過去に飛んでしまったのかと思ったけど、150年くらい過去に飛んでしまったわけではなかった。じゃあ、じゃあ、じゃあ、いったいなんなんだろう、<大学生日本一を決めるミスコンテスト『ミスユニバーシティ2025』>って文字列は。


2月23日(日)差別だよ 2
 
 見間違いかと思ったが、見間違っていなかった。夢の世界の話かと思ったけど、夢の世界の話ではなかった。では、150年くらい過去に飛んでしまったのかと思ったけど、150年くらい過去に飛んでしまったわけではなかった。じゃあ、じゃあ、じゃあ、いったいなんなんだろう、<なんちゃら誕生日>って文字列は。そんなわけで、本日はイデオロギー的に休むわけにはいかないので、普段の日曜ならあんな楽しいことやこんな楽しいことをするところだけれども、出勤した。臣民諸君は祝っちゃいましたかね。



2月24日(月)黒と赤の連立か
 
 予想されていたように、ドイツの総選挙では、CDU-CSUが第1党、AfDが第2党という結果になりました。FDPは議席を失い、党首は政界から退くようです。遅い。ここの支持者とSPDの支持者が相容れるわけがないのに、緑のやつらがLinkeと手を組みたくないから無理クソ連立して、案の定、何をするにも歩調が合わず、結局空中分裂したわけです。選挙結果の分析を見ていると、非常に興味深いことに、緑の支持者たちのうち、最重要課題として「環境と気候」を挙げる者が「社会保障」を挙げる者の6倍もいるのです。まあ、中には自分の社会保障よりも未来世代のことを考えたいとかいう殊勝な人もいるかもしれませんが、この状況で「環境と気候」を最重要課題だと考えられる人って、結局<そういう>人だってことでしょう。やっぱ緑は信用できない。



2月25日(火)おねだりくんの行く末は
 
 武器ちょーだいのおねだりくんは、国内で大統領選を先延ばししている正真正銘の独裁者ですが、このまま戦争をやめてしまったら国内的にヤバいと思っているのか、これまでにも増して武器供与の加担者たちにこびこびしているように見えます。最後まで戦うと勇ましいことを言ってたのに、軍事同盟に加入できればなんとかガス抜きができるとお考えなんでしょうか。それにしても米ロが手を組みEUと対立することになるとは…。



2月26日(水)任務が人殺し
 
 無料配信されている映像は、たいていどうでもよくなって、その先どうなるかとか、まったく興味もなく、結局最後まで見ることなくやめてしまうことが非常に多いのですが、数日前に見かけたやつもそうでした。アメリカの特殊精鋭部隊とやらが、特別任務でパキスタンへ行き、あのターゲットを殺すというやつ。余計なことを考えず、ただ任務を果たして無事に帰ってくればいいんだ、とか登場人物に言わせてるのですが、その任務って、人殺しじゃねーか。なにが「ただ任務を果たし」だよ、とか、もうムカついて仕方ありませんでした。



2月27日(木)クソドラマ
 
 昼間は人殺しの訓練をして、それが何のプロパガンダだか知りませんが、訓練の中で女性と子どもを殺した場合は厳しく非難され、絶対に殺してはならないと厳命されます。そして夜は、家族やら恋人やらの写真を見たり、スカイプかなにかを使って互いに顔を見せながら話をしたりします。要するに、兵士にも家族がいて愛する人がいて、普通の人間なんだといいたいのでしょう。でも、人殺しだからね。任務だってことにすれば、平気で人殺しができてしまう人たちだからね。そこのところを間違えちゃいけません。あれはきっと、ドラマを見る者たちを啓蒙しているのでしょう。すっかり啓蒙されると、悪を殺して何が悪い、って考えられるようになるのでしょう。クソドラマ。



2月28日(金)すすめないでくれ
 
 なんでそんなのが「おすすめ」でまわってくるのかまったくわかりませんが、活け造りの魚にアルコールを飲ませたらこうなった、ワキャキャ、というポストを途中までみてしまいました。そもそも活け造りなんてものを平気で食べられる神経がまったく理解できないのですが(こういうのはたんなるブルジョワ道徳に過ぎないしそう言ってるにもかかわらず、漁業を生業にしている人はどうするんだ、ごらぁ、とどっかのアホに言われたことがあります。ブルジョワ道徳だって言ってんだろ、人の話を聞けよ)、生きたまま食べるだけでは満足できず、アルコールを飲ませてその反応を楽しみ、さらにその動画を不特定多数にばら撒いているのです。坂道理論でもなく、もちろんエコロジーでもないとしたら、この嫌悪感はどう説明すればよいでしょうか。



3月1日(土)ガチ
 
 いまどき大統領同士の会談が決裂して共同記者会見が中止になるなんて、事務方同士の話し合いですでに決着がついている、なんてことがないわけで、そういう意味では本物の会談だったのでしょう。武器ちょーだいのおねだりくんは、服装も含めたそのあざとさがずっと気に入りませんでしたが、それに対して、感謝が足りないだの敬意をもてだのって、それじゃあガキんちょをもて余すおやじの反応でしかないですよ。思わず、研究科長室で「敬意をもて」って激怒されたことを思い出してしまいました。



3月2日(日)蔑み
 
 すると連想ゲームのように、やはり研究科長室で(おまえは呼び出されてばっかりか。ばっかりだ)内部告発をするなと言われたときのことを思い出してしまいました。こっちの権力保持者のいやらしさに比べれば、「敬意をもて」と言って准教授相手に激怒してしまう人の方が、まあ、同じパワハラだとしても、なんだか憐れみを誘います。いやらしいやつは、非常に穏やかな口調で、いかにもものを考えていますという体で(もちろん、考えていません。なぜなら考えられないから)、だらだらだらだらとよくそこまでアホなことが言えるなぁと思わせるのです。こちらは憐れみではなく蔑みの対象です。



3月3日(月)なんと
 
 なんとイギリスとフランスが「平和維持のために」地上軍を派遣するとか言ってるそうです。イギリスって、つい最近不動産王から、おまえらだけでプーチンを抑えられるのかよ、って嘲笑されたんじゃなかったでしたっけ。フランスが一緒なら可能なんですかね。そもそもイギリスとフランスって、そんなに仲がよかったでしたっけ。海底トンネルを両方の側から掘り始めたら、つながらないとかって言われてませんでしたっけ。イギリスはすでにEUの一員じゃないし、NATO軍の枠組みでもないし、文字通り「有志軍」なんですかね。



3月4日(火)ありがちなあれ
 
 そして緑のドイツ外相の勇ましさ。「われわれは立ち上がるべき」だの、「ドイツが主導権を握るべき」だの。大丈夫ですかねぇ、ドイツが立ち上がっちゃって主導権を握ったりして。緑の外相はこんなに勇ましいのに、首相は、ドイツの援助額はアメリカに次いで第2位で、すでにゼに協力している、このうえ地上軍なんて…、と引き気味です。首相は武器供与のときも当初消極的で、叩かれたのでした。緑って、結局、戦争で人が死ぬことより、環境が破壊される方が重大な問題であると考えており、環境の破壊さえ食い止めることができれば、戦争が続いていても構わない、という発想なんでしょう。人がいなくなれば、自然破壊はなくなるという、ありがちなあれです。



3月5日(水)ゼがトに
 
 ゼがトに書簡を送ったとかなんとか、調印も行われるとかなんとか言われていますが、えっと、そしたらおフランスとエゲレスの立場はどうなるんでしょう。その鉱物資源とやらのおこぼれに預かれるよう、前言を翻したり、あるいははじめっからトと対決するなんて考えていませんとか言うのか、悪いのはプーチンですとか言うのか、どれなんでしょうか。じゃあ、「立ち上がる」と勇ましいことを言っちゃってた緑の外相はどうするんでしょう。



3月6日(木)その作家はさまざまに差別者ですけどね
 
 「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と問うた作家が死んで、とんでもない差別者だったことがいまさらのように確認されていて、それはそれで間違いじゃないし、いいことだと思います。ただ、この作家が93歳で亡くなったことを取りあげて、ご本人は天寿を全うしているだのと書いているリベラルっぽいおっさんというかじいさんというかが、ともかくそういうのがいます。お前は適当な時に死ぬ義務を果たしていないじゃないかと言いたいのでしょうけど、このおっさんというかじいさんは、93歳で亡くなると天寿を全うしたことになると考えているわけですが、つまり93歳なら死んでもいいと考えているわけで、おいおいあんたこそ差別者じゃないか。その作家は、93歳はまだ「適当な時」じゃないと判断したのかもしれないという可能性を排除すんなよ。



3月7日(金)そんな義務があるわけない
 
 しかしこのように高齢者差別を口にした作家は糾弾されるのに、高齢者には死ぬ義務があることをカントの名のもとに論文として主張してもなんら糾弾されないのは、それがアカデミックな言説だから、ではなく、哲学の論文なんてほとんどだれも読まないからでしょう。これを機に、ぜひ広く知られてほしい、『新・カント読本』(法政大学出版局、2018年)の論文のことが。ナチスを見習えのじいさんも、自分と同じことを言ってるカント学者がいると知ったら、少しは喜ぶんじゃないでしょうかね。



3月8日(土)うるさいどこぞの私
 
 カント学者と言えば、うるさいどこぞの私がどうしたこうしたの人は、ほとんど他の人の書いた物を評価しないけど、この「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」の人の書いた物はいい、とかなんとかお書きになられていて、ご本人は政治性などないとお考えでしょうけど、政治性などないと言う人こそ見事に政治性を帯びているという見事なまでの実証例でした。そんなわけで、カント学者は人材豊富です。まあ、だれもうらやましいとは思いませんが。



3月9日(日)勉強になりました
 
 スピヴァックがド・マンというのはこれこれこういう人で、と〇〇さんに語ったとかで、実はこういうナラティヴこそが重要だという発言を聞いてしまいました。あれ、テクストの外部はなかったんじゃなかったっけ。だからこその、読むことの重要性じゃなかったんでしたっけ。ナラティヴだったら、どっかのあれな人が言ってるような聞く力がどうしたこうしたで、読むことじゃないじゃないですか。そこがちょっと残念でした。カントの統制的理念がろくでもないというご主張には、まったくその通りだと思いました。戦争だって肯定できちゃいますからね。「希望の論理」とか、アホなことをぬかしても免罪されちゃいますからね。


 
3月10日(月)「理不尽に」とはなにか
 
 東京大空襲80年ということで、戦災資料センターの公式アカウントが、「80年前の、まさにこれから数時間で、約10万人もの人たちが、理不尽に、一方的に、命を奪われました」とか書いてるんですが、「理不尽に」ってどういう意味なんでしょうか。アジアの人々に対する加害者だったという視点がほんの少しでもあれば、「理不尽に」なんて書けないでしょう。加害者としては、「一方的に」命を奪ってるわけです。なのにあたかも無辜の民であったかのように歴史を修正してはいけません。まあ、アメリカの原爆投下は有無を言わさずに断罪するのに、皇国の侵略戦争についてはなんやかんやごにょごにょ言葉を濁す平和論者みたいなのもいますけどね。しかしそいつは自称健全なナショナリストですよ。



3月13日(木)飯島健太郎現象
 
 医師に胸を舐められる「幻覚」を見た「せん妄状態」の女性の胸からその医師本人の体液が飛沫実験の642倍検出されても、その医師が無罪になる現象は、飯島健太郎現象と呼べばよいのでしょうか。飯島健太郎とは、言うまでもなくあの元滋賀県立医科大生3名に関する裁判の裁判長です。そして文系同窓会幹事会へ行くと、おっさんやらじいさんやらから支持されてしまう裁判長です。おっさんの中には現役の弁護士も含まれていましたが、日常的に顔を合わせないこともないある部局の教授も含まれていて、ああ、そういう人だったんだとその人の部屋の前を通るたびに思い出します。ふざけんな。



3月14日(金)はるかにまし
 
 ここ何人かの行政府の長のなかでははるかにましな人じゃないかと思っていますが、きっと引きずりおろしたい人たちがいるのでしょう。自分の下した判断が間違いだと考えるだけでもここ何人かとはまったく違うと思いますが、間違えていたからということで謝罪もします。もりかけサクラのせいで自殺された方の墓参にも積極的だったし、韓国で事故があればハングルでお見舞い文を出すし。選挙の際、ちょろまかし議員たちを公認しないなんて、なかなかできることじゃなかったでしょう。なんといっても、「ナチスを見習え」から疎んじられているというこれ以上にないまともさの証左があります。



3月15日(土)ヤバす
 
 3月も早くも半分が終わってしまった。もうだめだ。時間がなさすぎる。まだスキーもスケボーもスケートも冬山登山もキャンプファイアーもかまくらもスキーもスケボーもスケートもしていない。驚くべきことに、その計画すらない。毎日毎日、いったいなにをやっておるのか。甲冑着た人がひとりで大食い選手権している様子を見たり、高校の頃一部で似ていると言ってもらっていた人の路線バス旅を見たり、めっちゃ料理がうまい新喜劇座員の1週間の様子を見たり。こんなことではいけない。ちゃんと心を入れ替えて、3月後半は最低でもスキーとスケボーとスケートと冬山登山をしよう。



3月16日(日)ドキュメンタリー
 
 アカデミー賞の候補になった、国家ぐるみの性犯罪を告発するドキュメンタリーがあり、出演者の承諾をとらないまま作品化したことについて賛否の声があがっています。靴ペロ権力支持者たちは批判し、自称正義の味方たちは擁護するという大まかな状況があり、手法に疑問があってもなかなか批判しにくいと同時に、自称正義の味方たちにそれがあくまで自称に過ぎないことも言いにくくなっていると思います。この件が取りざたされるようになって真っ先に頭に浮かんだのは、『ショワー』のことでした。ナチスだった人たちを隠しカメラと隠しマイクでインタヴューし、「本音」を言わせるという手法がとられたのですが、あのときは、その手法についてだれも問題化しなかったように記憶しています。



3月17日(月)逝去
 
 もしかしてそうじゃないかと思っていたのですが、やっぱり『ブルー・ライト・ヨコハマ』は筒美京平の作品でしたか。その歌と、それから何と言っても『阿修羅のごとく』でしょうか。四姉妹の三女で、愛人がいる父に対してもっとも厳しく、いろいろとうまく立ち回ることができない、という描かれ方が、三男としては非常に嫌でしたが、「おまえのようだ」と言われたことがありました。だから嫌だったんですけどねー。



3月18日(火)「マンスプ」知らないでしょうね
 
 近親姦のことを近親相姦と言わないでくれと要求する人に対して、漢文力が衰えると困った問題意識をもつようになるだの言い、「用語の成立ちやら語義」やらを得意げに垂れ流す近隣の大学に勤める人がいるようです。よくわかるのは、漢文については知ったかできるかもしれないけど、そのふるまいがまさしくマンスプと呼ばれるものだということについてはまったく理解できていないということです。まあ、仕方ないですかね、マンスプ実演者なんですから。しかし教員なんだから、場合によってはハラスメントですよ。



3月19日(水)自己論駁的
 
 漢文力が衰えていない方は、「用語の成立ちやら語義」を説明されるのですが、それはその語の用法によって行われます。用語の語義を用法によって説明するということは、意味の使用理論に乗っかっているのでしょう。使用理論は、理論として重大な問題を抱えていると思いますが、それはいま問わないとして、語の意味は語の使用によって決まることを前提としているのであれば、その漢文の権威のあずかり知らぬところでその漢文の権威がご存知であるところの使用法とは異なる使用がなされていたとしても、当該の使用を間違いだとは言えないでしょう。せいぜい言えるのは、それはぼくちんが知っている使い方とは違う、ってことだけです。



3月20日(木)裸ですよ
 
 バトラーは、差別語ですら使い続けることによって意味が変更される可能性が生じるがゆえに、禁止することに反対するわけですが、そんなことを言う人がいると知ったら、漢文の権威は仰天することでしょう。なにしろ漢文の権威によれば、「用語の成立ちやら語義」に反する使用法は誤りなのですから、意味が変化するなんてことはありえないわけです。イデア界のことを想起するとかいうほら話よりはるかに質が悪い。きっと諸般の事情から、万能感を身につけてしまったのでしょうねぇ。だれかちゃんと教えてあげたらいいのに、まあ、だれも「漢文の権威さまは裸だ」って言ってくれないのでしょう。



3月21日(金)どあほについて
 
 イスラエルが停戦協定を破って400人以上のパレスチナ人を殺害したことが報道されています。その虐殺報道を受けて、タイムズ・スクエアでは緊急抗議デモが何千人もの人々によって行われたとのこと。学生たちがイスラエルによるジェノサイドに反対するスタンディングを行っていたら、わざわざのこのこ出てきてジェノサイドの定義をつらつら言いつのったバカ教員は、こうした報道に接しても悪いのはハマスと言って終わりなんでしょうか。終わっているのはそいつの頭なんですけど、しかしそもそも始まったこともないかもしれないので、終わってはいないかもしれません。要するに、どあほ。



3月24日(月)ジャーナリストの魂


 
 土曜から、東京からクルマが500台北へ向かい、青森からクルマが500台南へ向かい、出会う場所へ行ってきました。昨年の同時期に同じ場所から撮った写真ですが、昨年の方が雪が多かったような気がします。いずれにしても、撮影場所は高所にある橋の上で、強風が吹き荒れており、写真を撮るときには両手がふさがるので、めっさ怖い思いをしました。にもかかわらず、ここは撮っておかなければならないというジャーナリストとしては当然のふるまいを選択してしまいました。



3月25日(火)ストレイシープ
 
 その会場、これまでまともに行けた試しがなく、たどり着くまでつねに迷子になりつつ、「ストレイシープ、ストレイシープ」と唱えながらなんとか偶然そこに出る、というのを繰り返してきました。それが今回は、まったく迷うことなく、昨年はグーグル先生がいるにもかかわらず、間違えた道を間違えることもなく、到達できましたよ。この年にして、成長を遂げてしまいました。このままどこまで成長するのか、末がおそろしい。ところが、研究会では90を超えたじいさんが語る紀元前4,000年の世界の話を聞いてしまい、成長するのもどうしたもんだろうと思いました。



3月26日(水)にもかかわらず
 
 高齢の人が缶チューハイ2本を万引きしたということなら、その背後にはいろんな問題を考えることができるだろうに、その人がたまたま350勝したプロ野球の投手だったということになると、そのことがまず取り沙汰される。350勝した投手は、普通の人よりか、万引きしてはいけない程度が高いのだろうか。少なくとも、350勝した投手もそうじゃない人も、同じくらいに万引きしてはいけないでしょうに。ひょっとすると、高齢ということに起因する事柄によって万引きしてはいけない度合いは高齢じゃない人よりかは少なくなるかもしれないけれど、その逆はありえないでしょう。にもかかわらず。



3月27日(木)立ちしょん
 
 奇しくもその投手と同じチームだった人は、国民栄誉賞授与を打診されて断ったとされています。その理由について、そんなものをもらったら立ちしょんができなくなるから、と答えたとされています。うーむ、そんなものをもらおうがもらうまいが、立ちしょんなんてしちゃいけませんけどね…。しかし学部生のころは、たしかにフツーに立ちしょんが行われていました。近隣の研究室のずっと上の方の人が立ちしょんをするのを目撃したことがあります。それはひょっとすると、市民的道徳なんてクソくらえだというイデオロギーが働いていたせいなのかもしれません。ともかく、立ちしょんはフツーにありました。そんなものがなくなったことそれ自体は、とてもいいことだと思っています。



3月28日(金)遅れた…
 
 先週から今週にかけて、ずっとお勉強週間で、疲れていたのかもしれませんが、薬を飲むのが1日遅れて、鼻水がとまらず、のどが痛く、身体がだるいモードに入ってしまいました。頭痛も痛い。もう3月も終わってしまうというのに、こんなことでは満開の桜の下でアホ面下げてBBQ大会をすることができません。みんな表面的には楽し気にキャンプファイアーをすることもかないません。ううう。



3月29日(土)国王なんぞ
 
 マクロンとは握手をして、そのまま着席しようとするから、マクロンがわざわざ服をつかんで隣に座っているどっかの国の21世紀にもなっていまだに国王なんぞをやっているチャールズとかいう名前のやつのことを指さして、握手すべき相手がここにもいるよと教えるのですが、まったく無視して着席したプーチンは、それだけで十分に立派だろうと思わせてくれる動画が流れてきました。



3月30日(日)なんと
 
 肥大化した私立大学の基金から数十億ドルを取りあげて、それを「アメリカン・アカデミー」というすべてのアメリカ人が無料で受けられる世界トップクラスの教育にあてるって、行われることはネオリベ・イデオロギーというよりかは、国家が再配分機関として大いに機能するわけだから、社会主義なんじゃないかと思われるのですが…。少なくともこの政策に関してだけ言えば、不動産王よりも息子のいくつもの犯罪をないことにしたじいさんの方が、よほどネオリベ的だったことになります。



3月31日(月)「すべてのアメリカ人」
 
 もちろん、不動産王の「すべてのアメリカ人」だってさまざまに問題があります。まず、アメリカ国籍をもたない人は、かりにアメリカに在住していたとしても、世界トップクラスの教育を受けることができません。では、アメリカ国籍をもつ人たちの間では、平等が保障されているのか。形式的には、アメリカ国籍をもつ人「みんな」に等しく可能性があると言えるかもしれません。しかし実際には、主として保護者たちの生活水準によって、同じスタートラインにはつけません。スタートラインが異なっていれば、みんなに等しく可能性があるなんてことは言えないでしょう。したがって、そこにはアファーマティヴ・アクションが伴わなければならないと思いますが、それはネオリベたちがもっとも忌避するところです。そんなことをしたら平等になってしまうじゃないかって。



4月1日(日)これこそ
 
 この前の日曜は、あるフェミニズムの著書に対する応答として複数の研究者が執筆した論文集の合評会がオンラインでありました。もともとの主題がフェミニズムとネオリベなので、フェミニズムはいかに資本主義に対抗するかということもテーマ化され、なかなか刺激的な内容でした。皇国屋なんかと結びついた文化左翼によるフェミニズムでは、とうてい主題化されることなどない(きっと突撃隊隊長の理解は120パーセント及びそうにない)事柄が議論され、これこそ私の知っているフェミニズムでした。



4月2日(水)市場はなくならないのか
 
 おひとりさまがまともなことをおっしゃっているのをあまり見聞きしたことがなかったので、市場はなくならないだろうけれど、資本主義はなくなる可能性があるとか、これまで「この人のいったいどこがマルフェミなんだろう」とばかり思わされてきたことを考えると、かなり「おぉ」と思いました。ただ、この人がコメンテータとして呼んだ唯一の男性がフェミニズムとはなんの関係もない人で、その人の専門を前提とした言葉遣いでつらつらと、ワード文書を共有画面に見せながらお話されて、かなり辟易しました。しかもその人がフェミニズムを評価し(フェミニズムは知らないと言うその口で、なぜ評価ができるのか)、おひとりさまが評価してもらったと喜んで見せるのは、茶番がすぎると思いました。



4月3日(木)ぐんばつの相性
 
 ケア理論はネオリベに対する批判というよりか、むしろネオリベを十分に補完するものであって、そういう意味ではネオリベと相性抜群だろうと思っていますが、これについてどのように論じられるか聴こうと思いきや、あの頭の青い人、途中からいなくなるという理由で順番を早めてもらってなんかしゃべっていました。この人、たまたまなのかもしれませんが、以前も立ち見が出ている教室に後からやってきて、堂々と空いてる椅子に座ってましたからねぇ。なんか自分を中心に世界が動いているという錯覚をもち続けていらっしゃるのかもしれません。そんなわけで、その方のご発言は拝聴できませんでした。



4月4日(金)名指し批判
 
 リーインフェミニズムが積極的に肯定されたシーンがなかなか面白かったです。おひとりさまが、リーインフェミニズム批判の急先鋒として、ある人物をフルネームで呼び、おもっくそ批判していました。リーインフェミニズムが自己目的と化しては名誉男性を生むだけで終わってしまうでしょうけど、しかし現状の構造的差別に変化をもたらそうとするのであれば、クォーター制も当然、肯定されるべきだろうと思います。くどいようですが、もちろんこれは手段であって目的ではないという条件つきです。その名指しされた方が手段としてさえ否定されるのかどうかは存じ上げていませんが、少なくともその方ご自身の生き方は、けっして99%側に立つものではありません。なんといっても、シンポの提題者だから、という理由で、順番を抜かしてタクシーに乗って会場へ行った人ですからね。



4月5日(土)ネオリベ化とは
 
 オンラインには参加されていなかったようですが、フェミニズムのネオリベ化に反対する旨寄稿されている方が、『世界』では最新の知見を一切無視して、それこそフェミニズムのネオリベ化じゃないのか、と思わせてくれる論考をお書きになっています。ということは、もともとの寄稿論文は自己批判とかの類なんでしょうか。まあ、きっとそんなことはないでしょう。たぶん、フェミニズムのネオリベ化ということで、見えているものがまったく異なっているのだろうと予想されます。



4月6日(日)太郎の話
 
 左翼でもなんでもないのに左翼ポピュリストとされる元号党代表が、政治資金を使用してある種の店に出入りしていた政治家について、「趣味をとやかく言うつもりはないが」と前置きした後、当該政治家が「女王様相手に秘密保持貫き通せるとお考えですか?」と内閣府に質問しました。この手の話に明るい太郎によれば、ある種の人たちにとって女王様は絶対だから、「女王様から厳しく要求されれば情報を大量にお漏らし」せずにはいられないそうなんです。こういうことをこういうふうに国会でしゃべるところがなんともあざといポピュリストなわけですが、もし太郎の言ってることが正しいのだとしたら、その政治家は政治資金を使用しなくたって、つまりポケットから支出してその手のところへ行ったとしても、秘密をしゃべることになるでしょう。なにしろ女王様は絶対だから。だから秘密保持のためには、そうした店には出入りするな、ということになります。なんと、趣味をとやかかく言ってんじゃん。



4月7日(月)コント55号の片割れ
 
 コント55号の片割れが、性暴力を働いて芸能界を引退した(えっ、それで済むの!)やつの肩をもつことを宣言したとかで「晩節を汚す」とか言われていましたが、んなもん、汚していたのは晩節だけではないでしょう。そもそも売れない頃の笑いは、真面目にリーマンするコント55号のもうひとりを小バカにするというハイ〇ガー研究者のようなやつらが好きそうな、保守主義的シニシズムだったし、売れるようになると、いったいどこで笑えばいいかわからないけど、まわりはお追従して笑ってみせるからお笑いを知っている人みたいな扱いをされてきただけで、そういう意味じゃ、ずっと汚れっぱなしですよ。



4月8日(火)言い回しがおかしい
 
 「自称○○を名乗る女」なんて言い方は、十中八九間違ってるはずなのに(いや、ひょっとすると「ありえない」ケースである可能性は消せないけれども)、ニュースの見出しなどとして流通してしまうのはどういうことだろう。「自称○○」とか「○○を名乗る」とかならわかるのだけれど、元の言い方だと、自称○○と名乗っていることになってしまうじゃないですか。そんなケースは「ありえない」だろうと思うわけです。そんなわけで、その言い回しはおかしい。



4月9日(水)カッパ祭り
 
 USJのはずだった修学旅行先がメタンガス工場に変更されたとしても、あるネオリベの場所が別のネオリベの場所に代わっただけで、別に大差ない、という話もありうるとは思います。いや、ひょっとしたら、30憶かけてマンホールの蓋に木の棒2本をかませているだけという贅沢三昧を目撃できる分、変更されてありがとう、かもしれません。まあ、目撃する際には静電気に気をつけろ、というスローガンも忘れてはいけませんけど。これ、行き先が変更になったんだから、行くのをやめて返金を要求してもいいと思うのですが、ひょっとして多くの人たちはカッパ祭りが大好きなんでしょうか。



4月10日(木)M○S
 
 メタンガス工場でのカッパ祭りにかんして、殺人集団航空部が、コロナのときにはそれを見せると生きる勇気をもらえちゃう人が出てくるというその因果法則がまったく理解できない(平和の実現に向けて努力していると、自然が助けてくれるという因果法則と同じくらいにまったく理解できない)、そういう代物を35年ぶりに寄越してきたとかで、その映像を延々流しているM○Sとかいう放送局は、やっぱカッパ祭り万歳なんだろうな、と思いました。まあ、普段だってあの政党の応援団なんだから、なんの不思議もありません。実にくさった話だ。



4月11日(金)A○C
 
 普段はリベラルっぽい傾向があって、殺人集団のことだってあまりポジティヴには考えていないだろうと思われるA○Cとかも、M○Cやらと同様に、それを見ると生きる勇気がもりもり湧いてきてしまう飛翔体がこのたんつぼの地(by サメの脳をもつと言われたびっくり人間)に飛来したと、なんの反省もなく、批判的視点もなく、垂れ流しちゃっています。まったく節操がない。いつまでもだらだら反対ばっかしてるんじゃなくって、大いに盛り上げようってことなんでしょうか。実にくさった話だ。



4月12日(土)兵庫県のわんたち
 
 兵庫県のわんたちによって、小6の女児が虚偽の自供を強要され、結局はクソ男児が嘘つき少年だったことが判明したわけですが、このわんたちはどういう処分を受けるのでしょうか。痴漢えん罪事件に熱心なみなさんは、騒がなくてもよいのでしょうか。飯島健太郎は、このでっちあげを正当化するために、どういう可能性をむりくそ引き出してみせるでしょうか。クソ男児のことを批判すると、クソ男児にも将来があるので…、とか言うのなら、自供を強要された女児の将来はどうしてくれるんでしょうか。あっ、でも突撃隊隊長のメンタリティに従えば、「あなたには関係ないでしょ」って言われるか。



4月13日(日)文化左翼が問わないこと
 
 亡くなった歌手の追悼を謳いながら、その歌手の私的生活において撮られたヌード写真がベストアルバムの特典とされるこのくさった臣民共同体。批判されれば、正当な商業活動であることが臆面もなく主張される。カネもうけして何が悪いんですか、ということなんでしょう。そもそもカネもうけが悪いんですけどね。皇国屋と結びついた文化左翼が幅を利かせるこの共同体においては、カネもうけを問うことなんてありえないのでしょう。これまた突撃隊隊長から「あなたには関係ないでしょ」と言われる案件だわ。



4月14日(月)レイプ犯たち
 
 ひとりの女子高生を相手に5日間にわたり45人の男にレイプさせたやつらが捕まりましたが、45人のレイプ犯は捕まっていないようです。いったいどうなっているのでしょうか。レイプ犯たちは、「ちゃんとカネを払った」とか平気で言いそうです。前述のカネもうけしようとしているやつらと同じメンタリティなんでしょう。飯島健太郎は、合意じゃなかったとは言い切れないと言ってのけるでしょう。突撃隊隊長は「あなたには関係ないでしょ」と言うでしょう。



4月15日(火)ポンニチ
 
 たしかにメタンガス工場でのカッパ祭りに関西の民放5局が「全局同じ番組」とかって、何重にも気持ちのいいものではありません。なんのための民放なんだろう、なんていうのは今更言っても仕方がなく、かつてはむしろ政府を批判するのはみなさまのN○Kでした。この民放の翼賛的放送について、しかし「○○○みたい」とか言ってるポストを見て、あなたはどれほどDPRKのことを知ってるんだよ、と思いました。どうしてもそこをディスらないと気がすまないんですね。そんなことをするより、「まるでポンニチみたい…、あっ、ポンニチだった」とか言ってみたらどうなんだろう。



4月16日(水)サンダースだもの
 
 サンダースの集会で、イスラエルによるジェノサイドに反対する人たちがパレスチナ旗を掲げたところ、わんわんたちに逮捕されたけれど、サンダースは一言も発することなく黙認していた、という記事が画像つきでまわってきました。その記事では、サンダースがその数分前に、「イスラエルには自衛する権利がある」と言ってたことにもふれられていました。まあ所詮はサンダースですから。そもそも掲げられ撤去されたパレスチナ旗があったその場所には、もともと堂々と星条旗が掲げられていたんです。サンダースの集会なんて、結局のところガス抜きと言わずして、なんと言うべきでしょうか。どっかのバカなら「希望の論理」を見ちゃうかもしれませんが。



4月17日(木)モヒートでモルディブを
 
 モルディブが、ガザでの虐殺を非難しつつ、 イスラエルのパスポート保持者を入国禁止とする法案を可決したとのことです。ひょっとして、虐殺者たちをメタンガス工場へ積極的に呼び込んでいるのは、その裏ヴァージョンなんでしょうか。まあ、違うでしょう。ところでモルディブと言えば、イ・ビョンホンによれば、モヒートで飲む飲み物でした。そしてモヒートは、ポンニチあたりにあるのではないかと考えられていたような気がします。



4月18日(金)筋金入り
 
 イタリア首相がEUの代弁者としてアメリカ大統領と会談するというのが、なんとも不思議というか、しかしある意味ではもっともというか、まあ、はっきり言えばどう考えればよいものかわからないです。というのも、イタリア首相って、イタリアのナショナリストなはずであり、それも筋金入りのナショナリストなはずであり、おフランスで言えばルペン、ドイツで言えばAfDじゃないのかと思うのですが、ということは、そもそもEUというあり方に反対しているのではないかと思うのですが、それがEUの代弁者としてアメリカに掛け合いに行くという状況になっているわけで、やっぱどう考えればよいものか、わからない。



4月19日(土)ネーション主義
 
 ひょっとして極右とか言っても、もはやかつてのような極右ではなく、もう少しやわらかいやつなんでしょうか。しかしやわらかい極右なんて、やわらかい個人主義の誕生とやらと同じくらいに意味がわからない。あるいは、ありうることかもしれませんが、もはやヨーロッパはひとつのネーションと化しているとか。だから、ヨーロッパとヨーロッパ以外を区別し、後者を前者から排除するというタイプのネーション主義をとるようになっているのかもしれません。あわわ。



4月20日(日)プロパガンダ
 
 ロシアが休戦宣言すると、そこには対米アピールが透けて見えるそうで、対米アピールだろうとなんだろうともしその間休戦が守られるのならそれに越したことはないはずなのに、NATOに武器ちょーだいアピを続けるスウェット男に朝日新聞社様はしっかり寄り添い、もはや報道とは言い難いプロパガンダに徹していらっしゃいます。ひょっとして、始めたのはだれかみたいなことをおっしゃるのでしょうか。因果連関をどこから始めるかなんて、任意だということをご存じないのでしょうか。ここで「実際に」なんていくつ重ねても無意味なんですけどね。



4月21日(月)募集された方から募集された方へ
 
 ある学会から、ある催しへのエントリーに関して不手際があったので、〇〇日までに回答した人はもういちどやり直してくれというような(たぶん)メールが届いたのですが、(たぶん)としているのは、そのメールのあて先が「募集された方」となっているからです。はぁ???「募集された方」はあなた方じゃないんすか。募集された方が募集された方へ不手際があったから(不手際をやらかしたのも「募集された方」)もういちどやり直して、って言ってるんですか。もうわけがわからんと思いましたが、これがその学会の構成員の多くが大好きな「自己内対話」というやつかと思えば、妙に納得できました。



4月22日(火)例のあれ
 
 いや、これはもしや、「募集された方」を繰り返し使い続けることによって意味が変容する可能性があるとかいう例のあれでしょうか。その学会には、近頃、ある領域のことになどまったく専門知をもち合わせていないにもかかわらず、いつの間にやらその領域の専門家のような顔をして研究組織を作り出してしまうような人たちも現れ始めているようで、これもその領域の名称を繰り返し使い続けることによって意味が変容する可能性があるという例のあれに乗っかっているのでしょうか。あ〜あ。



4月23日(水)ポイントがわかりません
 
 ある政党の機関紙の見出しに「ガザ侵攻ただちに中止を」とあるのですが、続く本文では、「イスラエルは、ただちにガザ地区への大規模侵攻をストップすべきです。」とあり、しかしそれに続けて、ややポイントを大きくし、かつ太字で「無差別攻撃と民間人の連行」とあり、その次に、明確にポイントを大きくし、かつ太字で「ハマスの蛮行を強く非難する」とあります。記事のポイントは「ガザ侵攻ただちに中止を」じゃなかったんですか。ハマスに非難されるべきことがあるとして、しかしガザ侵攻を行っているのはイスラエルじゃないんですか。これじゃあまったくどっかの文学部のあるバカ教員と同じメンタリティだわ。いや、やつは「大規模侵攻」なんて言い方も認めないか。



4月24日(木)法は倫理の一部ではありません
 
 法は倫理の一部だなどと自信たっぷりに断言豪語している文字列を目にしてしまい、クラクラしました。そんなことを言ったら、人治主義を法治主義に優先させることになってしまうじゃないか、とただちに思いつく反論が、実は反論として働いてくれません。なぜならその主張者は、人治主義は法治主義に優先されるとこれまた自信たっぷりに断言豪語するからです。なるほど、道理で侵略戦争の最高責任者であったにもかかわらず、法的責任を問われることなく元神が「いい人」として生き延びることができたわけです。その主張者は、左翼リベラルを自認していますが、まあ例のあれです。



4月25日(金)さすがすぎる
 
 「法は倫理の一部であり、法治主義よりも人治主義が優先される」とは、さすがは規約なんかよりも、ぼくちんが普遍化可能だと考えた格率を優先させ、常任委員会ぐるみで規約破りをやり、かつそのことは公けにしなかった人たちのお仲間だけのことはありますねー。公表できない格率は公法の資格を欠いているから、だから公法にはせず、こっそり善人たちの間の秘密事項にとどめおくということなんでしょうかね。いやもう私のような者には立派すぎて、ご尊顔を二度と見たくないほどですよ。



4月26日(土)
エートス
 
 しかし人治主義が法治主義に優先されるのは、常任委員会ぐるみで規約破りをやらかすような学会の特技なのではなく、この臣民共同体のエートスなんでしょう。その学会に属していない突撃隊隊長のようなやつも、こちらがある人物たちの言説を批判したら、「いい人たちですよ〜」って、あたかもそれで批判をかわすことができたみたいな顔をしていましたからね。まったくちょろいもんです。「それは論点先取じゃないですか?」「でもいい人ですよ〜」「その主張には根拠がないんじゃないですか?」「でもいい人ですよ〜」「おまえはアホか?」「でもいい人ですよ〜」ってか。



4月27日(日)あろうことか
 
 あろうことか性加害男がコンビで復活するそうです。もともといじめを笑いのネタにする人たちであり、正義を笑ってみせることが優れたことだという根本的な間違いを生きている人たちでしたが、どうも復帰が待望すらされているらしいです。なるほど、そういうことですか。「性加害者なんだけど?」「でもいい人ですよ〜」。やっぱり人治主義はクソだとよくわかります。規約よりもぼくちんの普遍化可能な格率を優先する人やら法は倫理の一部だとほざいてしまう左翼リベラルの人、それに考える能力が著しく不足している突撃隊隊長は、復帰を喜んでください。



4月28日(月)身体を金銭化する友愛ですか
 
 リーインフェミニズムの急先鋒の批判者としておひとりさまから名指しで批判された自己意識としては99%の側についている方、「セックス・ワーク、売(買)春、性売買、時代によっていろんな名前が与えられるけど、結局は(主に)女性の身体をめぐって特殊な意味づけと金銭化が行われていることの総称」だそうで、そこには暴力もあれば友愛もあるからひとくくりにするなとおっしゃっていて、仰天しました。身体をめぐる金銭化を友愛の名のもとに行うことを暴力と呼ばないとは、いったいどこのフェミニズムなんでしょうか。あっ、ネオリベフェミニズムか。それならよくわかります。しかし二度と99%の側についているような顔をしてはいけません。



4月29日(火)出勤しないわけにはいかない
 
 まあ今日にかぎった話ではないですけど、しかしとりわけ今日は、出勤しないわけにはいかないでしょう。まさか祝日を真に受けて、祝っちゃったりしてないですよね。仕事はしなかったけど、休んじゃったけど、祝ったわけではない、とかおっしゃるかもしれませんが、それは心のお話ですよねー。言ってみれば、差別的な制度があるのは知ってるけど、その制度に乗っかってるけど、魂は売ってませ〜んってことですよ。「でもいい人ですよ〜」は、この臣民共同体の倫理です。つーことは、不正以外の何ものでもないということです。そんなわけで、出勤しました。



4月30日(水)『インファナル・アフェア』
 
 GWサーヴィスとやらで現在無料配信されていて、一応有名なやつでこれにインスパイアされて撮られた映画もあるほどだから、まあ見ることに。無料で見ておいて文句言うなよ、と言われることは十分承知のうえで、端的に言えば、なんでこれがそんなにもてはやされたのか、さっぱりわかりませんでした。「香港ノワールの最高傑作」だそうですが、そもそも「香港ノワール」を最後まで見た試しがありません。この後に撮られた韓国ノワール(たとえば『新しき世界』とか)をすでに観てしまっているから、こんな感想なのか。それとも韓国ノワールを観ていなくても、やっぱりつまらないと思ったのか。



5月1日(木)無間地獄がどうのこうの
 
 無間地獄がどうのこうのと、映像に意味ありげな、しかし意味などあるわけがない説明をつけ加えるところも、つまらなさに拍車をかけています。芸術作品は芸術批評なしには成立しないとか言った人もいるような気がしますが、しかし作品の作り手自身が作品に批評を書き込んでどうするんですかね。そして、ひょっとしたら、生き残ってしまった者は無間地獄を生き続けなければならない、というメッセージがあったのかもしれませんが、あんな性根の腐ったやつが何を苦しむというんでしょうか。ちっとも苦しんだりしませんよ。うまいことやったった、ざまぁみろ、って思うだけです。



5月2日(金)ガクブル
 
 豊中キャンパスを停電にして点検を行う日程の問い合わせが届きましたが、メーリスのタイトルには「特高受電設備定期点検」とかあるんです(ちなみに添付資料に書かれている正式の停電理由は、「豊中団地特高受変電室特高機器等点検のため」です。知的誠実性を発揮し、正確に伝えておきます)。特高が受電する設備ってなんじゃ〜。これがちゃんと使えるかどうか、定期的に点検しないといけないってことですか。もう恐ろしすぎます。



5月3日(土)臣民の鑑
 
 さすが「我が代表堂々退場す」で知られる新聞社だけのことはありますねー。「天皇ご一家のための費用360万円を窃取 宮内庁職員を懲戒免職」という見出しをおつけになり、記事本文には「陛下」はもちろん、「〇〇さま」も登場します。もはや報道ではありません。丸山真男のことなんて、きっと知らないでしょう。この記事を署名入りで書いた提灯もちは、いやきっと畏れ多くて提灯なんてもったりしないでしょうけど、懲戒免職の理由を「盗み」ではなく「不敬」だと思っているでしょう。いやもう、臣民の鑑です。



5月4日(日)シニシズム
 
 『圭子の夢は夜ひらく』を歌った人の娘が、〇〇何年になれば夫婦別姓がOKになるのかと歌っているそうですが、〇〇は元号です。家制度の存続と元号使用には、ひょっとしたら密接なつながりがあるのではないか、なんてことはきっと考えもしないのでしょう。メンタリティとしては、太郎に通じるものがあり、左派ポピュリストと呼ばれるにふさわしい人物かもしれません。しかしこの手の人たちが左派だなんて、なんというシニシズムか。



5月5日(月)「監視」もたいがいだ
 
 ドイツの最大野党どころか第2党であるAfDが、極右団体として認定され、情報機関による監視が強化されることになったと伝えられています。たしかにその政党は結党以来、ずっと排外主義であり血統主義であって、極右と呼ばれるにふさわしい存在者でしょう。よくわからないのは、だったらなぜ国政を担う政党であることは否定されないのかです。その政党はヤバいけど、投票するのは勝手だよ、ってことなんでしょうか。いずれにしても、認定理由が「人間の尊厳」を冒しているからっていう点に、相変わらず法ではなく倫理が問題ですか、と思わずにはいられません。



5月6日(火)駆逐艦は軍艦
 
 駆逐艦て、当たり前ですが軍艦の一種であって水上戦闘艦とされています。それが「命を救い続けた」って、それ戦闘できなかったってことなんでしょうか。いやいや加害国であったことを例によって知らないことにして、「命を救い続けた」さまを描いてみせるという、いつもの「でもいい人ですよ〜」メンタリティ、したがって突撃隊隊長メンタリティってことです。なんちゃらとかいうゴミクソ映画の話。



5月7日(水)
 
 人が殺されることよりも環境が破壊されることをはるかに重大なことだと考える緑の外相は、「武器ちょーだい」男にもせっせと武器を提供するよう尽力し、イスラエルによるパレスチナの民間人虐殺も「ドイツの理念」と言ってはばからない地球にやさしい方ですが、次期国連総会議長のドイツ人候補者として指名されたそうです。他方、パレスチナにおける虐殺に積極的に加担しているため、手錠をかけて国際法廷へ突き出すことを主張するカタール国立大学のドイツ人准教授のポストも見ました。まあ、国内では言えないか。



5月8日(木)対立じゃないんだ
 
 ある党の女性党首が、フェミニズムは男と女の対立じゃないとか言っちゃってるんですが、いったいどのへんを狙っているんでしょうか。そんなことを言って喜ぶような人たちは、そもそもその党に投票なんてしないし、むしろそんな言い方に反発を覚える人たちこそが、これまでその党を支えてきたんじゃないのかと思いますが、まあ、勘違いかもしれません。この頃は期日前投票へ行っても白票ですが、白票にする前は、その党に投票してきたんですけどね。まあ、こんな1票、どうでもいいでしょうけど。



5月9日(金)格上げ
 
 上記のある党の女性党首の言い分も、この臣民共同体の伝統芸である「でもいい人ですよ〜」に乗っかるものでしょう。そりゃ個々の男は、ひょっとしたら「いい人」かもしれません。いや、実はそれもあやしいところですが、まあ「いい人」なんて「どうでもいい人」も含むとしたら、場合によっては「いい人」であるような男もいるかもしれません。しかしフェミニズムが問題にするのは、そんな個々の男が「いい人」かどうかなんてことじゃないでしょう。男性による女性差別、男性による女性の権利侵害は、構造の問題なのであって、それを問題化するのがフェミニズムなのですから、女性と男性は必然的に対立するわけです。それをなきものとして「みんな仲良く」とか言っちゃうようになったら、もはやその女性党首は名誉男性に格上げです。



5月10日(土)効いたはず
 
 「「血の池」イスラエルがガザでパレスチナ人100人を殺害。食堂や市場への攻撃 過去24時間で少なくとも100人を殺害。爆弾、ミサイル、無人機が避難民パレスチナ人の家屋、企業、アパート、テントに落ちた ガザ市の混雑した食堂と市場では少なくとも32人殺害。86人負傷。」というポストを見ました。こういう情報はきっと遮断しているのだろうと思いますが、かりにこういう情報を知らされたとしても、件の教員は「ハマスのせい」だと言うのでしょうか。かつて反戦運動の学生に対して、ジェノサイドの定義をし始めたそいつを数日前に見かけて、○ね○ね光線を送りました。



5月11日(日)カテゴリー化
 
 昨日はケーニヒスベルクのじいさんと人種主義をテーマとする発表を聞きました。あれほど明白な証拠を突きつけられても、経験的な事柄に関する発言と原理的な議論とは無関係であるとして、じいさんを擁護する研究者もいました。あれですかね、皇国屋に勤めているようなやつだって、その原理的な議論は聞くに値するかもしれないぞ、くらいのところでしょうか。まあ、目に入らないところでやってくれとは思いますね。ゴミクソの話はさておき、人種を分類し、それぞれの間に優劣をつけたりすれば差別だが、しかし分類それ自体は、まだ差別ではないのではないかという主張がありました。しかし、カテゴリー化を行うことそれ自体は差別ではないと、果たして言えるのでしょうか。



5月12日(月)承前
 
 たとえば、「○○じゃ」とか「○○ですわ」とか、ある種の人物の典型的なしゃべり方をその人物の属性と結びつけて分類するとき、そうした分類を学会発表なり論文なりで公共圏に撒くことそれ自体が、その属性としゃべり方との結びつきを強化する、という批判があります。撒いている人は、学問はニュートラルだからそんな効果は知ったことではないと開き直るのがつねですが、まあ、まともな人であれば、このとき分類それ自体が差別と結びついている可能性があるのではないかと、少なくとも疑うことはするのではないでしょうか。



5月13日(火)質問主意書
 
 小選挙区(大阪のある区)では落選したものの比例区でいわゆる復活なさった元号政党の国会議員が、よせばいいのに答弁待ちの「質問主意書」を公開しています。タイトルは、「日本の成人向け映像コンテンツによる外貨獲得の機会損失と海賊版対策に関する質問主意書」です。圧倒的に女性が搾取されているエロコンテンツによって外貨を獲得することを肯定し、その機会が失われることを憂い、偽物は許さないぞ、どうするつもりだ、というバカ丸出しの質問をするようです。さすがはあれが代表を務める政党所属だけのことはあります。う〇こ。



5月14日(水)「たんつぼ」
 
 元号政党は、比例区で2人分の票を獲得したらしく、上のう〇こはそのうちのひとりということです。そしてもうひとりが、正義のためなら時間を破ってもいいとお考えの時間を守れない人で、人が怖がっていると「気にするな!」と助言をくれて、それでも気にする人がいれば(怖がっている人で、「気にするな!」と言われて怖がるのをやめられる人は、太郎とその仲間くらいでしょう)、「怖がるおまえが怖い」と恫喝する人です。そんなわけで、大阪は「たんつぼ」(by 人類なのにサメの脳みそをもつと言われたびっくり人間)です。



5月15日(木)ネオリベ
 
 AV撮影現場での暴力とか、う〇こは聞いたことがないのでしょうか。きっと、「暴力はいけません」と言うに違いありません。物理的な暴力がなければ、自由に選んで出演しているんだから、なんの問題もないとおっしゃるでしょう。そういえば、WHOの定めたところによれば暴力かもしれないけれど、しかし臣民共同体の倫理法則によればちっとも暴力じゃないとおっしゃっている著名人もいるようで、このう〇こもこの著名人も、構造的な暴力を見ることのないネオリベ・イデオロギーにどっぷり浸かっていらっしゃるのだと思います。ここに、「おまえは関係ない」(突撃隊隊長)が加わってきて、キャストは完成します。



5月16日(金)新聞語法
 
 「日本人と偽り「出前館」で配達疑い ウズベキスタン人ら4人逮捕」という報道の見出しがあると、まさか本文で、逮捕されたのはウズベキスタン人1人と日本人3人だと真相が書かれているとは思わないでしょう。「女ら4人逮捕」で、逮捕されたグループのなかに女性が1人だけ含まれていて、他3人は男、とかいうのと同じやつです。いやもう、こういう新聞語法が行き渡っているので、むしろ「ウズベキスタン人ら4人逮捕」とか「女ら4人逮捕」とかいう見出しを見ても、騙されなくなっているかもしれません。ただし今回のこの見出し、毎〇新聞です。まあ、毎〇だって朝〇だって、電2の言いなりだから同じですかね。



5月17日(土)マルハラ
 
 マルハラとかいうのがあるそうです。「おまえはマルキストか」という「おまえはアカか」に類するハラスメントなどではありません。句点の問題だそうです。句点をつけられると、断定されたような気がするとか、親しくない間柄であるような気がするとか、たぶんそのあたりのことなんでしょう。「断定してるんだし、親しくなんてないんだけど?」って言ったら、そんなことは普段のおまえの言動からわかってるから、むしろ逆におまえは句点をちゃんとつけろ、ついてなかったらセクハラしていると受け取られる可能性すら生じるとご忠告をいただきました。まったくもってその通りだと思います。。。



5月18日(日)科学史家
 
 いくら科学史家だって、右翼的言説がどのようなものかということくらい心得ていらっしゃるものだと思っていましたが、まあ、正義の主張を行っているときに、そんな些末なことを問題にするなということなのかもしれません。しかしこの人が表に出てきてその件についてなにかおっしゃればおっしゃるほど、ご主張に賛同する人は減っていくのではないかと思わなくもありません。いや、お仲間うちではそんなことはないのか。「私たちはあるべき日本を取り戻す。 私たちを排除しない日本を取り戻す」ですよ。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」まで、あと50センチくらいです。



5月19日(月)罰ゲーム
 
 土曜に元号政党の代表がヨドバシとJRのJR側にいて拡声器を使ってなにかむにゃむにゃ言ってたようですが、人が集まらないから客寄せが大変だったとかいうポストをみました。まあ、実際そういうところもあったのかもしれませんが、しかし順番待ちの列が作られ、最後尾とかいう札もあったりして、いったい何が待たれているのかと思いきや、一緒に写真におさまるとかのようでした。それはいったい何の罰ゲームなんだろうと思いましたが、政党名に元号を含める政党代表なんかに興味をもった罰なんだろうと思い至りました。



5月20日(火)ハラスメント
 
 「清純派」(とかいう形容の仕方も、もういい加減やめにしたらどうなんですかねぇ)とされる俳優がスキャンダルを起こしたそうで、というかよからぬことをバラされたそうで、おっさんの俳優の方にはお咎めがないのに、いろいろと叩かれているようです(実はその俳優、名前も読めないし、5人くらい並べられて、どの人でしょう、と言われても、残りの4人がその俳優と同世代だったら消去法を使えないので、アイデンティファイできません)。「清純派がちょめちょめ」を楽しむって、単純にハラスメントじゃないんですかね。



5月21日(水)そういうやつ
 
 この人が上映中の映画に主演しているそうで、共演している男が何事もなかったように一緒にPRしているとかで、そういう人のことをプロと呼ぶとか、みょうちくりんな持ち上げ方をされています。その男、メジャーになる前から、そしてメジャーになってからも、ずっと好きじゃないのですが、ほとんどなにも知らないのになぜその男のことが好きじゃないかと言えば、たんに世渡りがうまそうに見えるところが嫌なんだと気がつきました。そうそう、この男、もりかけサクラにゴチになってますからね。忘れちゃいけませんよ。そういうやつなんです。



5月22日(木)50歳を過ぎたおっさん
 
 これとは対照的に、あるコラムニストによれば、「『万引きはしたが、泥棒呼ばわりは心外だ』とゴネているのに近い」50歳を過ぎたおっさんがいるそうです。万引きなら陰で「オイラー」と呼ばれるだけですが、そのわりには口止め料が破格であり、それって「万引き」じゃないんじゃないのと思わずにはいられません。スーパー擁護しているのが、カッパ祭り主催者のアニキとか、どこで爆笑すればいいのかまったくわからない問題を抱えるつまらんゲーニンとかであることを考えると、ますますその憶測は当たっているのではないかと信憑性を増します。


5月23日(金)さすがぼくちん
 
 決をとりたがらないじいさんは、むかしから決をとりたがらないのですが、決をとったりして対立が明確化するのはよろしくないと、さすがぼくちんいいこと言ってるみたいな顔つきでくっちゃべるのですが、その実露わになっているのはそのくだらない臣民共同体主義への忠誠であり、ついつい口を挟みたくなるところですが、きっと批判してもいつものように批判と悪口の区別をつけられず、悪口を言うなと上からたしなめられそうで、瞬間湯沸かし器としてはますます沸騰させてしまうだけなので、ぐっと大人の対応をしたとかしなかったとかいう話。



5月24日(土)であるとか語法
 
 まあいろいろとうまくいかないことはあるだろう。こういうとき、体育会的メンタリティのもち主だと、へとへとになるまで走るとか、一瞬死んだように眠るとかすると(こういうとき、「走るであるとか、眠るであるとか」といったようなクソ表現は死んでもしない)、すべてどうでもよくなって身軽になれる。いやもう、実ははじめっからどうでもよかったんじゃないかと思うほどだ。まったくひどい話。わはは。

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5月25日(日)クソ記事
 
 ドイツの放送局の記事で、イスラエルにおける反戦運動が紹介されていますが、反戦の理由はもちろん、人質(イスラエル人)の解放です。記事の見出しには、ガザではイスラエルによる攻撃があって死者が多数出ており、それには子どもも含まれる、というようなことが書かれていますが、「パレスチナの」という語はまったく出てきません。イスラエルの攻撃によって殺されているのはいったいだれなのか、どうして書けないんでしょうか。アホなんでしょうか。いえいえ、アホなんかじゃありません。計算高い利口な人たちなんです。



5月26日(月)ちっとも面白くない
 
 自分がいかに極悪非道なことをやらかしてきたかを面白おかしく笑いのねたにしてきた挙句、立場上逆らえない人に暴力をふるって傷害罪で罪に服することもなく、一線から退くことで責任をとったつもりになっていた暴力男が、またぞろどこかに姿を見せたとかで、××が許されるのなら、わいだって、くらいのつもりなんでしょうか。これとかいじめを笑いだと勘違い甚だしいやつとか、面白いと思ったことなど一度もありません。



5月27日(火)懸念しかないだろう
 
 アイルランドは代理出産法の制定が人身売買の懸念から遅れが生じているそうですが、「懸念」て、懸念以外になにかあるかのような書きぶりに驚きました。アイルランドと言えば、体操競技で、黒人少女にだけメダルを渡さない映像が世界中をかけめぐるということがつい最近あったばっかです。あれほど露骨な人種差別も、いまどきむしろ珍しいくらいでしたが、こんなメンタリティのもち主たちがヘゲモニーをにぎる国家において、代理出産が合法化されようものなら、女性が子宮マシーンと化すことは火を見るよりも明らかです。



5月28日(水)なんかみた
 
 「われこそは弱者である」とか「われこそは足を踏まれているのがだれだかわかる」とかを競い合うのが始まると、その手の言い合いは十中八九「強者のおまえにはわからない」に落ち着くので、少なくともアカデミズムにおいては手に余ることになるでしょう。こういう物言いができるのも、おまえが強者だからだ、と糾弾は続くかもしれませんが、なんなら謝罪してもいいですけど、しかしそれはもはやアカデミズムとは無関係のなにかであることくらいは理解してもらいたいです。



5月29日(木)靴ペロ新聞
 
 侵略戦争の最高責任者の孫が、アイスランドの大統領と会見し、どのようにしてジェンダー平等を実現したのかを尋ねたと、「わが代表堂々退場す」という見出しをつけて、ヌッポソが国際連盟から脱退したニュースをかつて勇ましく報道した新聞社が、垂れ流しています。そんなことを尋ねるとは、すでに政治的発言だと思いますが、したがって憲法違反だと思いますが、さすがこの新聞社は憲法違反の「け」の字にもふれません。ひょっとすると、こうして侵略戦争の最高責任者の孫のことをほめちぎっているのかもしれません。少なくとも、靴ペロであることは明確にわかりました。



5月30日(金)八〇なんちゃら
 
 韓国では、ヌッポソのAVフェスティバルなるものが市民たちの反対で中止になりました。「エロコンテンツで外貨を稼げ」で有名な元号政党のバカ議員は、騒がなくていいのでしょうか。韓国の良識ある市民たちをこき下ろさなくていいのでしょうか。くだらない規範意識によって、元号をいただくわが国の経済活動が阻害されているではないか、と。なんならバカ太郎も一緒になって騒ぎ、ぜひ外交問題化してください。



5月31日(土)さっぱりわかりません
 
 性暴力の加害者であるサッカー選手がヌッポソ代表とやらになり、記者会見を開いて「プレーで、行動で、示していきたいと思っています」とかおっしゃったそうです。いったい何を「プレーで」「行動で」「示していきたい」とおっしゃっているのか、さっぱりわかりません。サッカーって、プレー次第、行動次第で、性暴力をなかったことにできるマジック・スポーツでしたっけ。私の記憶では、そうじゃなかったと思います。監督は、性暴力のことを「ミス」と呼んでいました。きっと、バレちゃったから「ミス」なんでしょう。いっそ、○居とか松○とか園(一字だからどうしようもない)とかも選んだらよかったのに。そしたら見事にヌッポソ代表だわ。



6月1日(日)私立大学教授
 
 まあ、その教授についてはむかしから考えは浅いけれども権力志向は図抜けて強いという印象をもっていましたが、相変わらず、大学教授であるご自分のことをプロレタリアートだとかおっしゃって、どういう意味でおっしゃっているのか判然としませんが、肉体しか売るものがないとか言ってみせて、当たり前のように批判されています。国家とは何かを考え直したいそうですが、いやいや「考える」ってあなたのもっとも苦手とするところじゃないですか。もう、笑かしにかかっているとしか思えません。



6月2日(月)特権
 
 支払いにクーポンを使用したのに正規の額を請求するとかいうセコすぎる不正をかりにやらかしたとしても、サッカーがうまかったら許してもらえたりするだろうか。気に入らない発表をした学生を差別語を用いながらこき下ろして罵倒しても、サッカーがうまかったら許してもらえたりするだろか。いや、サッカー特権が使用できるのは性犯罪だけなんだろうか。性犯罪には、サッカー特権だけではなく、吉本特権とか、ジャニーズ特権とか、いろいろあるようです。特権については、ものを考えることが著しく苦手な突撃隊隊長が駄文を書くほどお詳しい。



6月3日(火)ちっとも特別じゃない
 
 朝から国民的英雄がどうのこうのとやかましい。親会社が原発を推進してきたチーム以外のファンでも、その英雄には魅了されたというのは事実で、私の上の世代にはトラ・フリークなのに「そいつだけは特別」とか言う人がいて、たしかにキモかった記憶があります。その英雄と言えば、真っ先に思い出すのは、キューバ―の野球をほめつつ、社会党が政権をとったら野球はなくなると選挙前にプロパガンダしていたことです。ちっとも天然なんかじゃなく、しっかりイデオロギー的に生きていた人なんですよ。



6月4日(水)死滅
 
 デモはかっこよく見せなきゃいけないだのなんだのという皇国屋的メンタリティ丸出しのバカポストを見てしまい、改めて皇国屋は死滅してほしいと思いました。こいつら、そこらじゅうに入り込んでいますからね。もちろんアカデミズムにも。もはやその時点で、そのあたりはアカデミズムではなくなっているわけですけどね。



6月5日(木)脳みそがわいている
 
 広島県民こぞって提灯でお迎えしましょう!って、原爆被害者は特別じゃないですとか、いやさらに、被害者意識ばっかもってちゃダメですとかっていう、批判的精神なんでしょうか。いや、侵略戦争の最高責任者に連なる人たちを「提灯でお迎えしましょう!」って言ってるんですから、私たち加害者を称えましょうってことですね。いやもう、脳みそがわいているとしか思えない。
 

6月6日(金)「裸の王様」
 
 子どものころ、「裸の王様」の話が好きじゃありませんでした。子どもが正直だというのは嘘くさいし、子どもだけが正直さを要求されるのはおかしいし、もっと大人がしっかりしろよと思っていました。まあともかく、私が子どものころは、裸の王様がいたら、「王様は裸だ!」と言うことが正しいこととされていました。ところが近頃は、裸の王様がいるのに、「王様は裸だ!」と言ったら、なんちゃらとかって言われて裁判まで起こされてしまうみたいです。これってそのまま「裸の王様」の話だと思うのですが、文筆業あたりの人たちの見解は異なっているんでしょうか。


6月7日(土)確信犯じゃん
 
 明らかに脚をひっかけにきているのに、「必死のプレー」などと思ってもいないことを口にして、被害者側が加害者を擁護してやらないといけない状況はとってもおかしいでしょう。まるでそうふるまわないとヘイターと呼ばれそうな勢いです。しかしその加害者、同じゲームで空振りしているのに、バットにボールが「当たった」って音声入りでアピールしちゃってる嘘つき男なんですよ。他のゲームでのラフプレーもアップされています。だけどそういうことを指摘すると、共同体の和が乱れちゃうんですよねー。