連日、<*手続不要*>という冠がついた「臨時支度金の5億8500万をお支払い致します。」というメールが届いています。手続不要だったら、何もしなくても手に入るはずなのに、メール本文には URL が貼られています。「手続不要ちゃうんかい」と、メールが届くたびに突っ込むのに疲れました。それにしても、いったいなんの支度金なんでしょうか。このあと、なにかやらされるんでしょうか。いずれにしても、イデオロギー的に、不労所得をいただくわけにはまいりません。
6月10日(火)『夢売るふたり』
観たことがあって、面白かった記憶があるので、無料配信されているのを40分くらい観ました。例によってほとんど覚えてなくて、えー、こんな展開になるんだっけ、と思いました。ラクダに似た俳優が夫を風呂で問い詰めるシーンが面白かったのは覚えていましたが、そこはやっぱり面白かった。しかしそれ以降は、かなりムカムカします。以前観たときもこんなにムカついたのだろうかと、記憶が定かではありませんが、ひょっとするとむかしはもう少し寛大だったのかもしれません。じじいになると、誠実性を踏みにじる者が許せなくなるとか、あらあらこれじゃあ意識哲学だわ。
6月11日(水)悩ましい
花粉症の薬をやめると途端に鼻水が出始めるのは、これはひょっとして禁断症状なんだろうか。だから仕方なく服用を再開するのだけれど、これって完全に依存していることになるのではないか。マスクをつけている国会議員はごく少数で、そのうちのひとりが太郎らしいということを知って以来、マスクを外すようにしていたら、これまた鼻水がやってくる。もうおとなしく薬を続け、マスクも外さなければいいのか。しかし依存と太郎はお断りしたいところだし…。
6月12日(木)そのまま暴力
わんわん男2人組が入れ墨をした女性に足払いして、さらに髪をつかんでいる動画が「おすすめ」でまわってきました。なぜ「おすすめ」されたのかはわかりませんが、その動画にぶらさがっているコメントの多くがクズばっかで、さす九どころかさすポンニチです。拳銃を所持しバックに国家が控えているわんわん男2人組なんて、それだけで暴力以外の何ものでもないのに、なんでそんなやつらの肩をもつコメントをわざわざ書き込めるのでしょうか。石原の支持者は石原がもっとも切りたがっている者たちだと、かつて言われていましたが、体制をどっこいしょしているそいつらって、事があれば真っ先に切られちゃうというのに。
6月21日(土)片づかない
あんなことやこんなことで忙しく、しかしまだそんなことやそんなことが残っているのだけれど、いつの間にやら30℃を超えるような日々が始まってしまったので、溶けてしまわないうちに何か書いておかないといけないと思った。いや、別に溶けるわけはないだろうし、何か書いておかないといけないなどという論理的必然性もどこにもないだろう。そんなわけで、阪ちんが弱すぎて無駄に時間を過ごすことがないというのに、ちっともいろんなことが片づかない。
6月22日(日)よくわからない
相変わらず、みんなが自分らしく生きられるようにうんぬんかんぬん言う人たちが後を絶たず、それ本気で言ってますかと思わずにはいられない。みんなが自分らしく生きようとしたりしたらどんだけ大変な状況になるか、とか考えないんだろうか。世界がひどい状況なのは、みんなが押しつけられた自分らしさを生きなくちゃいけなくなってるからで、「ホントの自分」を生きれば、みんなハッピーだと、そういうことなんだろうか。そもそも自分らしさなんてものを笑って見せたポストモダンはどうなったんだろう。
6月23日(月)正義に反する
アメリカがイランの核施設を爆撃した。テレビも新聞もないから知らないだけで、実はもっと大騒ぎになっているのかもしれないけれど、ネットではどっかのアホの政党の都議選候補者42人全員が落選とか、どっかのコンプラ違反のやつの話とかが多く、中にはフェイクニュースだと言ってる記事があって、ひょっとするとホントにフェイクニュースなんじゃないかと思ったほど。どうして世界中で反対声明や反対運動が起きないのか。さっき見たヤホーの見出しは、「米によるイラン攻撃 物価影響懸念」だよ。イランの人たちの被ばくの懸念じゃないのかよ。ドイツのニュースの見出しは、「イギリス外相がイランに警告」だけど、警告はアメリカに出せよ。アホなのか。
6月24日(火)バカ丸出し
どっかのクソ作家があそこの知事をくさして、そんなに蟹が好きなら知事を辞めて蟹工船に乗れやとかいう話をしたったと、自慢げにポストしているのですが、そのしたった話はどっかの政党関係者がご高説を垂れる催しの一環で行われたようで、その政党関係者がうれし気に一緒に写真に納まっていたり、好意的に引用リポしたりしていて、おまえらひょっとしたら小林多喜二すら知らないのかもしれんなと、クソ作家とバカ政治家たちにムカついてしまいました。もう、消え去ってくれていい。
6月25日(水)いまだに
いまだに「エロは反権力」などと大真面目に言ってる人がいて、ある意味では衝撃的だ。まさか、エロは権力による法を侵犯するのだから反権力だ、とか考えているんじゃないでしょうね。まさかね。もしそんなふうに考えているのだとしたら、全力で痴漢を擁護していただく必要があるでしょう。あの人たちは国家暴力による被害者であり、あの人たちこそ、反権力であるとかなんとか。そんなわけで、皇国屋が絡むエロこそ、暴力以外の何ものでもない。もっとも、皇国屋が絡めばエロだけではなく、なんだって暴力ではあるが。クソが。
6月26日(木)どうせ
「エロは豊かな人生の喜び」だそうです。いまどき、男子中学生ですら、そんなアホなことは言わないだろうし、そういうことを公言しているおっさんをきっとバカにするだろう。しかもこのおっさんにとってのエロは、どうせミソジニー丸出し、性加害全開の代物だろう。だけど「反権力」とかほざいちゃうわけで、きっと子どもをもつ権利がうんたらこうたら寝言を言うに違いない。一瞬でも、その「喜び」の犠牲になってる人がいるかもしれないとか、まあ考えないわな。
6月27日(金)法務省による殺人
本日、約3年ぶりに国家による殺人が行われました。「法務省は…死刑を執行しました」という記事を見て、最初は読み間違えたのかと思いましたが、読み間違いではなく、じゃあ記事の文が間違っているのかと思ったのですが、他の箇所でも「執行しました」の主語は「法務省」になっていて、どうやら法務省が執行したという言い回しで合っているようです。まあ、国家が殺人を行っているのだから、法務省が人殺しを行ったっておかしくはないのですかね。検察によれば、「非人間的な犯行」だそうですが、少なくとも非人間的な行為の責任を人間が負うのは不可能ではないのかと、思わなくもありません。
6月28日(土)鼻水がとまらない
もう大丈夫かとマスクをやめ、アレグラをやめると、途端に鼻水が出てくる。しかしそれはマスクをやめたせいなのか、アレグラをやめたせいなのか、どっちも関係ないのか、もうわけがわからない。鼻水が出ると、眠るのが難しくなり、それがもっとも不快だ。起きているときに鼻水が知らぬ間に垂れてきても、ただのはなたれじじいですむけれど、眠れないのはよろしくない。そういえば、鼻水がとまらないという歌がかつてあったような気がする。あなたに彼女を紹介したことを今も悔やんでいるとかなんとかいう話だったような。
6月29日(日)まあ、わかんないですけど
国家による殺人をめぐって、「人の心の痛みがわからない者に限って死刑廃止を訴えます」とかなんとかいう文字列を見てしまいました。かりに、死刑廃止を訴える者が人の心の痛みがわからない者だとしたら、それがどうしたと言うのでしょうか。150万歩譲って、人の痛みのわかる者は死刑廃止なんて訴えないとしても、それがどうしたと言うのでしょう。人の痛みがわかるとかわからないとかいうことと、刑罰を肯定するとか否定するとかいうこととは、まったくなんら関係のないことです。こんなところにむりくり結びつきをもってきてしまう人が、遺族感情がどうのこうのと言ってしまうわけですが、およそ刑罰はだれかの感情をどうこうするために設定されているわけではありません。
6月30日(月)毎○新聞
日本人の男がラオスで児童買春を行っていることが疑われるSNSでの投稿が相次ぎ、現地在住の日本人女性が「あまりにも目に余る」として、児童買春撲滅を求める署名を大使館に提出したという報道を、ある新聞社が行っています。あれ、その新聞社って、SWIW論肯定派じゃなかったでしたっけ。おまけに、子どもの自己決定をいたく尊重なさる新聞社だったような気もします。だったら、その新聞社は、とっても当該日本人の男を批判などできないでしょう。むしろ肯定して見せろよと言いたいくらいです。
7月1日(火)首尾一貫してセクシズム
ある女性のフィギュアスケートの選手について、彼氏を作って女にならなきゃダメだといったような飲み屋のおっさん達が言いそうなセクシズム丸出しのツイートをやらかしたバカ芸人が、参院選に出馬するそうです。非武装中立を唱える、少なくともかつては唱えていたその政党には、投票したこともありましたが、ある事柄に関して不安を表明する女性に対して「おまえの不安と向き合え」と言ってのけた副党首にはいまではブロックされている状況で、まあその政党からセクシズム丸出しバカ男が出馬するのは首尾一貫していて麗しいかぎりです。
7月2日(水)詭弁
ラオスで児童買春を行っている疑いのあるSNSだが、要約すれば、自分が買ってやっているから生活ができるんだぞ、という大昔から言い古されてきた人身売買を肯定する言い草。かつては、東南アジアや韓国へ買春ツアーに行ったおっさんたちがそう言ったもので、世代が変われば変わるのではないかと思ったものだが、なにも変っていないことがよくわかる。買われる子どもは、よく考えて行動に移しているのであり、その考えを尊重しなければいけないのだそうだ。この手の詭弁を、SWIW論を肯定し子どもの主体性を尊重する人たちは、けっして批判できないだろう。
7月3日(木)待ってますよ
そう言えば、SWIW論を肯定しつつ、でも自分は向いてないからやらなかったとかおっしゃった方がいましたが、その方のロジックに従えば、ラオスで買われた児童は、セックスワークに向いていたということになります。その方には、ぜひ、ラオスで買われた児童たちはセックスワークに向いていた、とおっしゃって欲しい。なんならそのご仁のご高説をありがたがって、講演会もどきをやらかしていた突撃隊のみなさんが、代わりにそうおっしゃってください。
7月7日(月)まるで現実じゃない
金曜はゼミ発表がダブルヘッダーで土曜は超久しぶりに handai metaphysica 特別講演会、そして昨日は家族サーヴィスとしてあんなことやこんなことをしないといけない日曜で、多忙を極めてしまいました。ダブルヘッダーのゼミ発表はいずれも興味深いものだったし、特別講演会はいまどきヘーゲルの『法哲学』の話が聴けるという僥倖に恵まれるものだったし、ハイキングとBBQと楽し気な語らいはまるで現実じゃありませんでした。まだまだ締切のある業務が山のように残っていて、とても織姫様に会いに行ってる時間はありませんが、いずれにしても王制には反対なので、会う必要もありません。
7月8日(火)これも「さす九」か
あれほど「私の勤務先」の方針を絶賛する靴ペロ教員ともなると、もはや共感性羞恥を超えていっそ清々しさすら味わえそうなくらいですが、言うまでもなくそんなものは味わいません。疑問を掲げられるとソッコーでポストを削除するなんて、いったいどこまで「私の勤務先」と心中するつもりだったのか、あやしくもなりますが、しかし「〇〇先生がそう言ったから」と自己のふるまいを正当化して見せるやり方からは、やはり靴ペロメンタリティは堅持なさっていることがよくわかります。
7月9日(水)あれ「研究」なんだ
この靴ペロ先生、そんなに目くじら立ててぎゃあすか言うことかということで「研究不正だー」と騒ぎ、若手の研究者に謝らせた「実績」のある人ですね。背後にいた偉いセンセに対する追及はやめてしまうところにも、靴ペロメンタリティは健在でした。あるクソ論文を絶賛したことでも知られています。
7月10日(木)ナラティヴなら「本物」
あるクソ論文というのは、風俗産業で働く知的障がい者女性たちに聞き取りをやらかし、性産業は彼女たちが主体的な行動を発揮しやすい場所だと結論するバカ論文のことです。どうせナラティヴならなんだって「本物」だと即断し、主体性の意味なんて哲学的に考えたことなどまったくない、それでも1本は1本という業績の数になってしまうような代物ですが(「読んでから言え」って? 読んでから言われたらもう逃げ道ないよ?)、それを無反省に「面白かった」とお書きになってるわけです。主体性はどのような条件を満たすことによって確立されていると言えるのか、たとえばヘーゲルに言及して論じてみてくださいよ。
7月11日(金)「駄文」「駄論」
なんと、読んだ方のポストによれば、「駄文」「駄論」だそうです。まあそうでしょう。驚くべきことに、当事者への聞き取りは2人だけだそうです。世の中には、「1、2、いっぱい」って数える人がいることは知っていましたが、「駄文」「駄論」の書き手ともなると、「1」の次がすでに「いっぱい」なんでしょう。これなら、メロンパン1個食べて死んだ人がいっぱいいるかもしれないな。いずれにしても、その「駄文」「駄論」を「十分すごい」と言ってしまえる大学当局の代弁者は「十分すごい」。ああ、この方、面接試験である種の人たちを見極めて落とすと書かれていましたが、こんなに明白に差別します宣言しちゃってもお咎めがないのは、当局の代弁者だからなんでしょうかね。
7月12日(土)さーすが
加害者が男の場合、加害者を透明にしてしまう「男消し構文」がメディアにおいて用いられるのを取りあげて、いい仕事したったーと悦に入っている朝日新聞は、「男消し構文」の命名者の女性には一切ふれることがなく、ひとひねりいれた「男消し構文」を用いているところが、さーすが大新聞ですねー。
7月13日(日)脳みそわいとんか的案件
この大新聞の天声人語では、そもそも自社のコラムを天声やら人語やらと呼ぶメンタリティが脳みそわいとんか的案件なんですが、ある判決に関連して、「デリヘルは風営法で営業を認められている」と書かれています。ほほう、営業を認められていることそれ自体を問う視点は皆無ということなんですか。そうですか。なるほど、ある研究者によって「性風俗利用者の意見を内面化し、あるいは代弁するもの」と断罪されるのも無理はありません。「性風俗利用者として(あるいはその代弁者として)、判決に対する怒りにまかせて書かれたことも感じ取れるものになってい」ると。
7月14日(月)何言ってんだかわかんねーぞ
「どうか茅ケ崎のみなさん、政治に無関心であるということは、無関心のままでいられると思います」と演説された何とか省の大臣がいるんですが、この演説を朝聞いて、言葉の意味を考えていたら夜になってしまった、とポストされている方がいました。この大臣、自分が所属している政党に関して、他の政党よりも「少なくとも、まだマシです」と言った人でもあって、まあ笑えることは笑えるんですが、しかしこういうわけのわからない発言は、それでもひとつひとつ批判していくべきなんじゃないかと思っています。なんちゃら語法とかって命名して、また言ってるよですましているうちに、父が郵政をつぶしたように、息子が農政をつぶしてしまうかもしれないからです。
7月15日(火)農薬ぶっかけ
農政のことを習熟しているわけではありませんが、かつてアメリカからの農産物の輸入自由化が問題となったとき、あるカント学者が自由化に賛成して、こちらの甘え切った農政は解体された方がいいとおっしゃったので、まあ、そのときも農薬ぶっかけのグレープフルーツとか嫌だとは言ったのですが、そのとき以来、農政は解体されない方がいいのだろうと確信しました。自律を重んじるカント学者が競争神話と親和的であることはある意味ではおかしなことではありますが、しかし自律なんてしょせんはそういうものだと考えれば、辻褄は合っています。
7月16日(水)期日前投票
期日前投票へ。毎回期日前投票に行けるんだったら、当日だって行けるんじゃねーのかよ。そのとーり。あれ、「いらっしゃいませ」とは言わないまでも、「お疲れさまです」とかおっしゃっていただくの、なんだかなぁです。権利を行使しているだけですからね。「候補者の氏名をお書きください」とか「候補者の氏名または政党名をお書きください」とかって、用紙を渡されるときに言われるのですが、用紙を折りたたんで投票箱へ入れるだけの人もいるんですよ、とか思ったけど、今年の誓いは、「これ以上めんどくさいやつだと思われないこと」だったので、おとなしく用紙をもらって書き書きスペースに向かって、折りたたんで、投票箱へ入れました。ぐっじょ。
7月17日(木)ろくでもない
左翼ポピュリストとされる元号党代表が国会でしゃべってる映像が「おすすめ」で流れてきて、ゲロ吐きそうになります。ポピュリストであることに間違いはありませんが、元号を使って平気な顔をしているんですから、左翼であるはずがありません。その映像では、戦争に行かない国会議員が戦争できる法律を作ろうとしていることに若者たちが怒っていると、さも若者の声を聞いてきたかのように悦に入ってしゃべっています。「もしも有事の際には真っ先に最前線へ行きます」と政治家が言ってくれるなら、まだ許せるかもしれないと、若い人々は言うそうです。そんなことを言う若者がいたら、反戦を貫けよ、と説教垂れないでどうするんですかね。そしてそんなことを言う政治家がいたら、まずは罷免を求めるべきです。
7月18日(金)『4デイズ』
無料配信されているので見ました。最初は拷問者であるサミュエル・L・ジャクソンが悪いやつに見えるけれども、次第次第にそうでもなくなるように作られているのかと思いましたが、そうでもありませんでした。ただ、容疑者を拷問することには黙ってた連中が、容疑者の妻についてはかなり懐疑的になり、容疑者のこどもたちを拷問するとなると途端に善人のようになるところが、なんだかなぁでした。どうしてこどもたちの拷問はいけなくて、容疑者本人ならいいのか。そんなわけで、容疑者本人に対する拷問はオッケーだっていうプロパガンダ映画だと思いました。
7月19日(土)たんに滅べばいい
どっかの元高校野球監督とかいうのが、別の高校へ行ってそこの球児たちに、自分が監督をしていた頃は毎日腹筋2000回して、それから練習が始まっていたと言い、主将に「どう思う?」と訊いて、主将が「勝てないです」と答えるとうれしそうにしているわけですが、まあアホですね。人ができないようなことをしないと絶対に人の上には立てないと、おっしゃっていますが、殺人だってなかなか人ができないことだし、そもそも人の上に立つことがいいことだなんて、高校生に教え込むことそれ自体が不正だとか、まあ、わからないでしょう。たんに滅べばいい。
7月20日(日)誤配送
朝、まだ出勤する前に宅配が「ピンポ〜ン」と鳴らし、いつもは出ないのだけれど、魔がさして出てしまい、配達物を受け取ってすぐに誤配送だと気がついて、まだ下にいるだろうと大急ぎで玄関を出て軽トラの横で待ってブツを渡してあげた私はバカでした。さて、なぜでしょう。そのとーり。鍵をもたずに飛び出してしまったので、中へ入れなくなってしまったのでした。誤配送してきたおっさんはさっさと立ち去ってしまい、日曜なのでみなさんお出かけにはならず、もうこのまま一生外で暮らすのかと絶望的な気分になりました。
7月21日(月)どうもすみませんでした
古くは、自転車に乗ることができるだけで選挙カーの中では性暴力を働いていたやつとか、「小さなことからコツコツとー」と言いながら首班指名で中曽根に投票したやつとか、雨合羽を送らせて市役所ロビーを占拠した挙句に公立中学に引き取りに来させたやつとか、イソジンの宣伝マンとかのせいで、都民に対して引け目を感じてきました。いや、都民だって差別主義者やセクハラヤロー、「ファースト」を選出してきたんですけどね。そして今回こそ、都民を嗤ってやろうと思っていたら、ぬぁんと大阪はそういうことですか…。どうもすみませんでした。
7月22日(火)太郎にはろくなやつがいない
なんちゃらミクスとか言ってわざわざ円安を作り出したようなやつがいて、そいつが「最長」に行政府の長だったとき副総理だかなんだかだったやつは、とうぜんこの状況を作り出した主犯格であるはずなのに、なんでこんなやつがエラソーな顔をして、ここ何人かの行政府の長の中ではもっともまともに答弁している者(おまけに猫好き)に退陣要求できるのか、さっぱりわからない。まずおまえこそがさっさと公衆の面前から消えるべきだろう。なぜマスコミはこいつに対して「どの面さげて出てきたんですか」と問わないんだ。
7月23日(水)選民の党
そんなに蟹が好きなら蟹工船に乗ったらいいと、クソつまらないどころか『蟹工船』すら知らないアホなんじゃないかと思わせる『蟹工船』の著者が関係していた党の支持者である自称作家とやらがいます。そのアホが今度は、日本全国が文京区になればいいと考えているようです。文京区は、所得水準が全国でも10位以内、ホワイトカラー率は1位だそうですが、なるほどその党はもはや選民の党になったということですか。たしかに貧困にあえぐ人はなくすことができるかもしれませんね。ふーん。
7月24日(木)なんと…
どういうわけか、『黒猫のタンゴ』を歌った人のことをここ何週間かときどきふと思い出し、たしか大ヒットしている最中に受けたインタヴューかなにかを読んで、「へー、同じ学年なのか。ずいぶん違うなぁ」と思ったものだ、と思っていました。小学校1年生とかそのくらいなのに、相手はしっかりと受け答えもできる人で、それに比べて自分はなんと取るに足りないか、と思ったのでした。昨日、亡くなったみたいです。
7月25日(金)そして実名報道
売春防止法違反容疑で女性が逮捕されました。TBSは、被害に遭った人の視点から報道したらしいのですが(なぜか、削除されています)、その「被害」というのが、「払ったのにできなかったこと」なんですよ。なるほど、SWIW的に言えば、金銭の授受があったんだったら、ちゃんと売るものを売れよ、ということなんでしょう。そういう意味で、被害に遭った人の視点から報道したのであれば、削除なんかしないで何度も見せてくださいよ。
7月26日(土)不正に不正を重ねる
アルゼンチン、どうなってるんでしょうか。国営の水道を民営化すると発表したそうです。そしてその水道をお任せされ、主な受益者となるのがイスラエル国営企業だそうで、不正に不正が重ねられています。不正かける不正は正義、なんてことになるわけがなく、不正プラス不正なんだから、不正が増えるばかりです。私はけっしてネーション主義者ではありませんが、ある意味では国家主義者であり、水道光熱は公共体である国家が保障すべきだと考えています。もちろん国家に代わって国家と同じような機能を果たす組織が創出されるのであれば、国家主義者をやめますが、少なくとも目下の状況において、国家に代わるような組織は存在しないと思っています。
7月27日(日)く〇たの話
買ったのにシャワー浴びてる間に逃げられて売ってもらえなかったと言うやつは逮捕されず、代金を受け取ったけれども売らなかった側が逮捕されるということを正当化するのが、言うまでもなくSWIW論だろう。ということは、自分は向いてないからその仕事に就かなかったと言いながらSWIW論を肯定するなんちゃらって人だって、買ったのに売ってもらえなかったやつが逮捕されず、売らなかった側が逮捕されることも、当然肯定しなきゃいけません。
7月28日(月)く〇たの話 2
SWIWが法的に妥当しているドイツで、「もう限界です」とその仕事を辞めようとして地元の相談センターへ行った女性が、「何が問題なの?ちゃんとした仕事でしょ?じゃあもう職場(売春宿)に行くのをやめればいいじゃない」と言われた、という話がある、というポストを見ました。SWIWが法的に妥当しているなら、その仕事も自由に選択したと考えられて、嫌ならやめればいい、と言われるだけだということなんでしょう。SWIW論そのものが不正だとか、考えもしないく〇ただったら、「向いてなかったんだね」と言うだけでしょう。バカなカント学者じゃないんだから、少しは構造とか考えたらどうなんだ。
7月29日(火)そんなことができるんだ!
21世紀にもなって、「女は論理的な判断ができなくて感情で判断する」とか言うやつがいるそうです。そいつによれば、これは「差別とか偏見ではなくて医学的、生物学的な話」だそうです。「感情で判断」できたら、むしろびっくり人間大集合に出られるくらいだと思っていますが、それはともかく、こんなふうにおっしゃる方がどのような論理的判断を下されて、このようにおっしゃっているのか、ちょっぴり知りたいところです。いや、別に知りたくないか。
7月30日(水)研究者が天職だってよ
買う側を処罰できるように法制化すべきだという声に対して、研究者が自分の天職だと思ってるとかすっとぼけたことを言うろくでもない人が、そんなことをすれば売る側はより貧困になるし暴力にさらされるしろくなことはないとかで、立法化を「本当に」阻止したいと思っているそうです。こんなところに「本当に」をいくつ重ねても、なんの意味もないことくらい研究者が天職だと思うくらいなら知ってるかと思ったけど、まあご存じないのでしょう。買う側を処罰したら売る側がますます貧困になるのであれば、そこに構造的な問題があることは明白であり、研究者が天職ならその問題こそを指摘すべきであるのに、買う側を擁護して、いったい何がしたいんだろう。
7月31日(木)研究者が天職だってよ 2
当然だけれど、かなり批判されているから、「私が間違っていました、ごめんなさい」とかってポストがあるかと思いましたが、まあ、あるわけがないですね。それどころか、懲りずにいけしゃあしゃあと駄文を垂れ流しているようで、つくづく研究者を天職だと考えるような人ってたんに厚顔無恥で図太いだけだって何度目になるかわからない確認ができました。なんか、公立大学で職に就いていることにご不満のご様子なので、さっさとお辞めになればいいのになぁと思いましたね。
8月1日(金)研天よ 3
この手の人は、おしなべて文献よりもナラティヴが重要だと感じるタイプで、たった2人のインタヴューを元に書かれた学生のレポートでも70点くらいにしかならない論文をいたくお褒めになっていました。しかしナラティヴを元に感想文を書くのがいかに恣意的かということを、はからずも一連のポストでゲロってしまっています。自分の思うとおりに相手が反応してくれなくても、エスパー並みに相手の「意」を汲んじゃうので、簡単に作文ができてしまうというわけです。それって、最高級に相手をバカにしていることになるわけですが、それは見事に文体にも表れていて、そういう意味では首尾一貫しています。
8月2日(土)類友
研究職を天職だと思っちゃってるこの方に呼応するように、性的逸脱を呼びかける大学関係者が登場しちゃいました。性的逸脱は家父長制の解体につながりうるのだそうです。へー、家父長制ってそんなに脆弱だったんですかー、って驚きしかないです。うそ。この手の人たちのボキャブラリーって、ほとんどアーペル並みに少なくて、罵倒する言葉は、家父長制、宗教右派、なんちゃらヘイターに尽きるくらいです。
8月3日(日)哲学史研究
性的逸脱はたんなる流行なんかじゃなくって実存だそうですが、前の世紀の後半部分とか、まるっとなかった感じなんでしょうか。アーペルはすでに70年代初頭に、科学万能主義と実存主義のイデオロギー的補完作用を指摘していて、究極的根拠づけとか言わなきゃきわめて鋭い時代診断ができる人なのに、とちょっぴり残念なところがあります。そんなわけで、バカを繰り返さないために、やっぱり哲学史研究は重要です。
8月4日(月)逃走できない
これって、結局のところ、「ホントのわたし」とか「わたしらしさ」とか、ポストモダンがせっかく冷や水を浴びせたやつを取り戻そうって話に過ぎないのではないでしょうか。あるいはひょっとして、「何者かであれ」って強要から逃走しているつもりなんでしょうか。しかしちっとも逃走できていません。そもそも逃走なんてできないし、逃走を呼びかけたやつ自身が、舌出してますよ。
8月5日(火)イラッ
あ〜ダメだわ、めっちゃ偏狭だわ。むかしから、言葉遣いとかがやたら気になるようになると、それはすでにじじいの徴だったわけですが、でももっと若い頃から半疑問とかを耳にするとイラッとしていたので、年齢は関係ないと思いつつ、いやいやたんに半疑問=イラッの時点でじじいだったってだけのこととも言えるだろうとも思いました。最近、半疑問に代わってイラつくのが「であるとか」「であるとか」「であるとか」、「思っていて」「思っていて」「思っていて」、極めつけが「何だろう」。自分でしゃべりながら「何だろう」とか言われても、「知らねぇーよ」としか言えないわ。
8月6日(水)イラッ 2
「思っていて」にイラッとするのは、自分が思っているにもかかわらず、思っていると言ったら責任を取らされるという浅知恵を働かせて、観察文の装いをこらしているところです。思っているのは「あの人」です、私にはそう見えています、といった具合です。そういう意味では、方向性は逆になりますが、「ぼくの中では」と同じです。ぼくの中の話なんだから、ほっといてくれ、といった具合です。そして半疑問もそうでしょうか。突っ込まれたら、だから訊いてるじゃないか、と言うのでしょう。
8月7日(木)炎は燃えるのか?
今日は曇りがちで、30℃ちょっとしかなくて、もうほとんど風邪引きそうでした。6月からいきなり夏が始まったように、8月上旬にしていきなり終わってしまうのでしょうか。まだ夏休みも始まっていないというのに…。こんなことでは毎年のマストであるキャンプファイアーと海水浴と避暑地の出来事がないままではないですか。これはゆゆしきあるまじき状況です。ところで「も〜えろよ、もえろ〜よ」って、炎は燃えるのでしょうか?
8月8日(金)ろくでもない
暴力事件を告発されているにもかかわらず、TBSのデジタル版の記事の見出しなんて、「悲願の夏制覇」ですよ。記事そのものを読んでも、暴力の「ぼ」の字も出てきません。主催の新聞社がろくでもないことはすでに知れ渡っていますが、改めて、ろくでもないです。高校を紹介するときに、3月に厳重注意を受けたと知らせるNHKの方がはるかにまともです。そしてもっともまともなのは、言うまでもなく、握手を拒否した高校生3人です。高野連のじいさんや朝日のやつらは、あれを見て自分たちの誤りに気がつかないのでしょうか。とっとと崩れ落ちたらどうなんだ。
8月9日(土)本質主義的に害
球界のご意見番とやらの93のじじいが登場してなにやら寝言をむにゃむにゃ言ってるようです。グランド外のことをグランドに持ち込むなとやらで、握手を拒否した高校生3人たちを非難しています。ほほう。あんたは監督時代にやれ玄米を食えだのなんだのグランド外のことをさんざんグランドに持ち込んでたよな。自分のしたことはオッケーか。自分だけはオッケーか。老害以外のなにものでもないと思ったけど、老いる前から害でしかなかったから、ほとんど本質主義的に害だな。
8月10日(日)がんばれ、球界の盟主
球界のご意見番、「辞退などすべきじゃない」と騒いでいるだろうか。せめて高野連あたりに「認めてはいけない」と申入れくらいしてほしいものだ。主催の新聞社はこれまでだんまりだったことをなにか弁明しているだろうか。予想だが、きっと直接手を下したわけではないチームメート擁護に走るだろう。そんなことより、自分たちの責任について考えたらどうなんだ、と思うが、まあ、この人たちは侵略戦争のプロパガンダだったことすら反省しているようには見えないので、きっと定番の「こんなことくらいで」がさく裂することだろう。
8月11日(月)完全な自由
野球部なんだからそれくらいのことはある、などとわけ知り顔で言ってるやつは同罪だ。不正があることを知っていて、黙認しているわけだから。元プロ野球選手たちのツベを見ていて何が嫌と言って、自分たちの高校生や大学生、あるいはプロ野球選手時代の暴力沙汰を面白おかしく言いっこしているのを見せられることに勝るものはない。とりわけ大阪のかつての強豪校の話はクソ過ぎて、だからそこの出身選手たちはおしなべて嫌いだ。「そういう時代だったんです」って、なに、高校球児が法の外にいる時代があったんですか、と尋ねたい。
8月12日(火)1001
あの駿河台の大学とか。そこ出身でクリーン・エネルギーとかいって関西電力の原発のCMに出ていた男1001とか。福島での人災後、桃太郎侍とともにその過去を封印した男1001とか。なにが鉄拳制裁だ。ただの暴力じゃないですか。「でも、ほんとは心の優しい人で」とかって、暴力ネタで笑いをとった後につけ加えるのが定番で、だからなんなんだ。「ほんとは心の優しい人」なら何しても許されるのかよ。この世界は、法治主義じゃなくて人治主義なのか。だから「平和とは一切の敵意が終わること」などとふざけたことを言えるのか。バカカント屋めが。
8月13日(水)さすが
さすがテレ朝(もう、あれに因んで「さすテレ朝」って呼ぶ?「が」しか省略できてないけど)、暴力事件隠蔽未遂により出場を辞退した(といっても、少しは出場して握手拒否されたんですけどね)高校の件について、悪いのはSNSだとおっしゃっているそうです。うむうむ、SNSがなかったら、「<そんなことくらいで>のそんなこと」は大新聞と皇国屋によって隠蔽できていたのに、ってことですよね。なかなか正しい分析です。なんといっても、「わが代表堂々退場す」の流れを汲む人たちですからねー。1ミリたりとも反省しない。
8月14日(木)悪いのは加害者だろ
件のアナウンサー、「SNSの何気ない投稿が高校球児の夏を終わらせてしまうことも投稿前に考えてほしい」とかなんとか、自分たちの責任を知らんことにして、識者ぶっておっしゃっているそうです。この「…考えてほしい」という大新聞やらTVやら皇国屋らが一緒くたになってばら撒く悪いのはSNSだー発言こそが、告発を抑圧することも発言前に考えて欲しいと言いたいところですが、言うまでもなく、考えているからこそばら撒くわけで、とりあえず何はさておきまずは皇国屋が死滅してほしい。
8月15日(金)ノー天気
その分野の学者で新聞やらなにやらに出てくる人はたいていあれで、リベラルとされている人も文字通りリベラルを発揮して児ポをたんに所持しているだけなら自由だとかなんだとか言ってしまったりします。「たんに所持している」のはその通りかもしれないけれど、そんなものがどこからか生えてきたりするわけではなく、だれかが作っていて販売していて、それを購入したって経緯をすべてすっ飛ばしたうえでの「たんに所持している」なわけじゃないですか。ケーニヒスベルクのじじいは、市民が軍事演習するのはオッケーとか寝ぼけたことを言いましたが、演習するための兵器はどうすんだよ、というのと同じノー天気さです。
8月16日(土)最高責任者はだれだ
昨日は地上波で「昭和20年9月21日夜 ぼくは死んだ」が放映されたそうですが、受像機をもっていなくて、いやもっているんですけど国家的陰謀のせいで勝手に放送方法を変えられてしまい、もはや砂嵐しか映さなくなってしまっているので、結局観なくてすみました。最近は清太を批判する声が大きいそうで、そうなる時代が来ることをはるかむかしに恐れていた高畑監督のコメントが残されています。朝からそれに関連するポストを読んでしまい、もはや何もする気にならなくなってしまった。
8月17日(日)エピストぼんくら主義
8月15日に書きかけた分野のどこかの教授が、すべてをSNSのせいにしてごまかそうとしている新聞社への寄稿で、「低能力者には選挙権を与えない」だの「高能力者には複数票を与える」だのいう制度があると、あたかも自分はその制度とは距離を取っていますという体で論じています。まあ、距離なんか取れていないんですけどね。まったく関係がないのなら、そもそも紹介する必要はないし、その制度に批判的であるのなら、批判するはずですが、ただただ紹介しているだけの体をよそおっているのですから、丸わかりです。そしてそれを掲載している新聞社だって、言うまでもなくニュートラルなんかじゃありません。
8月18日(月)エピストおやじ
このエピストおやじが確信犯なのは、その右翼政党について、政治資金は党費や寄付といった支持者の自発的拠出によって多くを賄っていると書き、候補者に占める女性比率が非常に高いと指摘し、「政治参加の観点からは高い評価を受けてしかるべきであろう」と言いながら、「参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るか」と問うているからです。つまり、その右翼政党への「参加の価値」は、合理性の価値をもたないと主張しているわけで、「低能力者」と判断する人たちには合理性を認めていない、あるいは合理性とは「低能力者」と判断される者が欠いている特性であると主張しているからです。
8月19日(火)どこがエピステーメーだよ
言うまでもなく、候補者に占める女性比率が非常に高いことを指摘し、「政治参加の観点からは高い評価を受けてしかるべき」と判断しているのですから、候補者に占める女性比率が非常に高いことが「参加の価値」を構成していることになります。そして「参加の価値」は「合理性の価値」と対立するものとして考えられているのですから、必然的に、候補者に占める女性比率が非常に高いことは、合理性の価値に反していることになります。これって、女性は理性的ではなく感情的だといういつものミソジニー以外の何ものでもないでしょう。憲法学者ってこんな人たちばっかなんでしょうか。
8月20日(水)ささなんちゃら
かと思えば、東海地方の国立大学法人に勤めるやつは、野宿者を飯のタネにしておいて、「別にかじってきたりしませんよ」とかほざく。それが差別発言だと、ひょっとするとわかっていないかもしれないところが恐ろしい限りです。そして先日は、どっかの下品なやつの尻馬に乗って、一定の人たちのことを「フガフガ」とバカにして見せます。人のことをバカと言う者がバカだと、フォレストガンプも言ってました。
8月21日(木)『阿修羅のごとく』
無料配信されていたので第1話を少し観ました。ところどころ音声がよくなくて、聞き取れないのですが、よく考えたらDVDをNHKさまから購入しているので、そっちを観ればよいのか。四姉妹のうち存命中なのは四女だけで、他の登場人物たちも亡くなっている人が多いのですが、まあ放送されたのが79年なので、そらそうよ、でしょう。結局話はどうなっていくのか、かつて観たはずなのにほとんど覚えてなくて、ただ三女を潔癖症のように描くところが嫌だった記憶が残っています。
8月22日(金)どうしようもない
右翼政党が街頭演説を始めると、騒音とミスト(それを「スモーク」だと言うと、「スモークではなくミストだ」と言い直しをさせられるようです)で妨害する人たちがいて、その妨害する人たちがある政党の支持者だったりすると、ますますその政党に対する支持は失われてしまうのではないかと思われるようなふるまいを行っているわけですが、ご本人たちは自分たちの正しさを信じて疑わないので、もうどうしようもないです。
8月23日(土)既視感
これって、エピストぼんくら主義と通底しているのでしょう。右翼政党のやつらはアホで、その支持者たちもアホで、しかし害悪をまき散らしているので、正しさを知るわれわれかしこがどんな手段を用いてだって正してあげなきゃいけない、目的が正しいのだから手段も正しいというわけなんでしょう。はじめから最後まで、なにひとつ正しくないんですけどねー。しかしこのやり方、既視感があるわけです。なにひとつ正しくないことも含めて、突撃隊隊長と同一です。そうです、かげで学生たちに「あいつは差別者だ」って言ってまわっていた突撃隊隊長です。まだ息してるんだろうか。
8月24日(日)正しさを「感じる」
それが息してるんですよ。たぶん人の分まで。この手の人は、自分が正しいと感じたことが(正しさを感じることができるなんて、こりゃもうびっくり人間大集合どころではないですよ)正しいことなので、それがどれほど一貫性を欠いていようと、どれほどとんでもだろうと、そんなことは関係ありません。「だってそう感じたんだから」で終わりです。だから、自分が何から何まで間違ってるなんてことに思い当たることはついぞなく、自己嫌悪なんてこともありえず、人の分まで息しちゃうでしょう。
8月28日(木)『大統領暗殺裁判…』
そんなわけで、イ・ソンギュンの遺作を観に行きました。最寄りの駅は、韓国映画を観るため以外にはけっして行くことはないだろうと思われる心斎橋。キノシネマの入る建物は改修されていましたが、なんと1階部分には、わざわざ英語名が記されている団体の勧誘施設がありました。英語名では、Forcesと言うそうで、それって軍隊じゃないですか。あれ、この共同体はいつから軍隊を所有してもよいことになったのでしょうか。まさか、Forcesとは名乗っているが、軍隊とは名乗っていないという、モリカケ桜語法ですか。そうですか。
8月29日(金)べったし
上映中の他の映画とかも紹介されるのですが、80年くらいに撮られた映画のオリジナルネガ・リマスター版で、暴走する人たちを主題化したものがありました。暴走する人たち、やたら旭日旗がお好きなようで、当人たちはさておき、こういうのを映し出す監督って、体制に背いているつもりなのか、体制にべったしなのか、まったくわかってないのではないかと思いました。それって、大日本帝国が侵略時に使用していたシンボルであって、そんなものを掲げて暴走したって、それは体制順応派以外の何者でもないふるまいですよ。
8月30日(土)あっぷる
ところが現代においてその旭日旗をふりまわして歌ってる人の動画を先日Xで目撃してしまいました。まあ、その人が右翼なのは知っていたのでそんなこともあるだろうと驚きはないのですが、その人はひょっとすると逆張りのシニシズムなのかもしれません。もちろんだからって、そんなものをふりまわして歌うことは正当化されませんけどね。ところでこの人、性的逸脱をウリにしていたと思いますが、ひょっとしてこの人には家父長制を打破する可能性があるんでしょうか。あるわけねーわ。
8月31日(日)ご存じないのだろうか
あっぷる当人は、ひょっとすると「わざと」やってるのかもしれないと思わなくもありません。もちろん「わざと」やってるのなら許されるというわけではなく、むしろより一層悪質であると言えると思います。他方、一緒になって旗をふってる観客とか、あるいはあっぷるを擁護して、日本人なら旭日にはおめでたいというポジティヴな意味があることを大事にしてよとかなんとか言っちゃってる人は、ひょっとしてあの旗の下でいかなる蛮行が行われたのか、ご存じないのかもしれず、それはそれでまた問題だろうと思います。
9月1日(月)やめときます
これって、これまでぶん殴ってきた側の人たちが、美やら芸術やらを隠れ蓑として「いいものはいい」と居直っているわけですが、構造としては、名誉男性が名誉男性ではない人たちを「啓蒙」する姿にも重なって見えますが、まあ、やめときます。
9月2日(火)まあ自称ですが
以前は、反戦にかかわる催し物を公共の施設を使って行おうとすると、右翼から妨害され、ひどい場合は、「混乱が生じる可能性がある」とかなんとかで、公共の施設を借りられないなどということがあったと思います。ところがいまや、右翼政党が公共の施設を使って何か催し物を行おうとすると、自称左翼たちが「ごらぁ〜」って文句を言って、ほとんど左翼のネガキャンかよと思われるようなことがなされています。これもキャンセル・カルチャーの一環だとすれば、わかりやすいことはわかりやすいのですが、かつての右翼による妨害はもはや批判できません。
9月3日(水)一択
日共の女性議員なのかただの党員なのかわかりませんが、ともかくそういう人がなにやら政策を訴えながら踊っている動画がいくつも出回っていて、まあ別に政党名に国名を含ませているような政党がどうなろうと知ったことではないのですが、しかしひそかにXをのぞいている方とか、熱心に信頼を寄せている人たちは一定数いるわけで、あんな醜態をさらしてそういう人たちに申し訳ないと思わないものなのかと思わずにはいられません。ああいうのって、どっかのクソ皇国屋の入れ知恵なんでしょうか。ったく、まずは皇国屋が死滅一択。
9月4日(木)醜悪
今日は政党名に元号を含める元号政党の女性議員なのかただの党員なのかわかりませんが、ともかくそういう人が、日共の女性議員なのかただの党員なのかわからない人たちと同じように、なにやら政策を訴えながら踊っている動画を目にしてしまいました。なんでこんな醜悪極まるものを「おすすめ」されなきゃいけないのでしょう。たしかに私は醜悪かもしれませんが、種類が違っています。強制されてもいないのにみずから進んで元号を使用したりはしませんし、被災地にいち早く乗り込んでカレーを食べて帰ったりもしませんし、怖がる人たちに対して「気にするな!」だの「怖がるおまえが怖い」だの正義に反したことを言ったりもしません。この元号政党の背後にも、死滅一択の皇国屋がうろついているのでしょうか。
9月5日(金)順番抜かすな
SWIW論者の方が、コロナ時に業者に給付金が支払われなかったことを合憲とする判決について、かつて皇国が国際連盟から脱退した折に「わが代表堂々退場す」と報じたあの新聞社の記事のなかで、なにか立派なつもりのことをおっしゃっています。ワーカー自身は給付金の対象だったわけですが、業者に給付金が支払われなかったことが、「女性の分断」だそうです。「女性の分断」と言えば、この方のように、学会のパネリストだからってタクシーの順番を守らずに真っ先に乗っちゃう人こそ、身をもって女性を分断していますよ。まあ、むかしから言うことだけは一見もっともらしいんですが(もちろん「一見」だけ)、ふるまいが差別的なんですよ、この方は。
9月6日(土)意味などない
右翼政党、50歳以上は生きていても意味がないとかなんとかおっしゃっているそうです。この件について、右翼政党にも右翼政党を批判している人にも訊いてみたいのですが、じゃあ50歳未満には生きていてどういう意味があるというのでしょうか。ことさら「50歳以上」とか言うから批判の対象にもなりますが、そもそも人が生きることに意味なんてないとしたら、「50歳以上」と言っても、当たり前のことを言ってるだけです。まるで生きる意味があるかのように皇国屋あたりが煽ってくるわけですが、そんなものは拒否して皇国屋は死滅させないと。
9月7日(日)糾弾と言えば球団
タクシーの順番抜かしの人がとんでもないことを言っていて、それについて糾弾しないといけないのだが、糾弾と言えば球団。ミリオタではあるがしかしアメリカによるイランの攻撃を非難したり、ここ何人か続いていたまともに議論もできないような行政府の長とは異なって、その点では質的に異なっていた人が退陣を表明して、その前に副総理とかやってたやつこそ糾弾されるべきだろうが、糾弾と言えば球団。そんなわけで、阪ちんが優勝してしまった。阪ちんが好きだったのは、つねに悪のジャイアンツに負けてしまうところだったが、まあ、たまには正義が勝ってもいいかもしれないと思う今日この頃だ。
9月8日(月)買春を肯定する大先生
タクシーの順番抜かしの偉い先生が、朝日新聞で、ワーカー自身は給付金の対象だったにもかかわらず、そのことには触れずに、業者に給付金が支払われなかったことに文句を言ってるのはおかしいんじゃないか、と思われたのですが、いえいえ、その文句のつけ方は首尾一貫したものだとわかりました。この大先生、自分より上の世代のフェミニストが、買春禁止に賛成していることを批判しているんです。買春するのは圧倒的に男性であり、買われるのは圧倒的に女性だと思いますが、この大先生は、したがって男性が女性を買うことを肯定しているんです。もうアホの一言で片づけたいくらいですが、しかし大学で教鞭をとる大先生なので、アホの一言で片づけていいわけじゃなく、「あなたは不正をばらまいています」と声を大にして言いたいです。
9月9日(火)バカも休み休み言ってください
この大先生には、自分より上の世代の有名なフェミニストたちは、社会の保守化に乗り遅れないようにと慌てて勝ち馬についているように見えるそうです。買春禁止が社会の保守化とは、いったいどういう世界で息をなさっているのやら。男性が女性の性を買うなんて、それこそずっとやられ続けていることであって、それをあえて肯定することこそ、保守化以外の何ものでもないだろうに、ネオリベに乗ることが保守化に反対することだとかお考えなんでしょうか。ネオがついてるから?バカも休み休み言ってください、というか、もう口を開かない方がいいんじゃないだろうか。
9月10日(水)権威主義
上の世代にかみつくことによって、上の世代にかみついている私すごい的な高揚感があるのかもしれませんが、それってたんなる権威主義だとか思わないのでしょうか。なんか、「勝ち馬」なんて言葉を使ってしまうあたり、あなたこそつねに勝ち馬に乗れるかどうかを気にしてるんじゃないですか、って言いたくなりますね。ところで買春に賛成するってことは、ラオスの児童買春も否定しないですよね。児童たちは意を決して家族を養っているんだとかなんだとか、バカ男たちと同じようなことを言って褒めたたえたりしちゃいますか。
9月11日(木)こんなところにもいた
その権威主義者によれば、上の世代はもともと性に対して規範的だそうで、おおお、この権威主義者も性的逸脱によって家父長制を打破するとかいう大喜利をかますおつもりなんでしょうか。性に対して規範的だと批判の対象なんですから、この方は、ペドフィリアにも言うまでもなく大賛成でしょう。「勝ち馬」がどうのこうのとか言うんじゃなく、性に対して規範的とかどうとか言うんじゃなく、だったらもっと明確に、ペドフィリアに賛成します、とか、児童ポルノに賛成します、とかおっしゃったらどうでしょう、って思います。バカ朝日新聞ならほいほい載せてくれますって。
9月12日(金)「正義の味方」
アメリカで保守派の論客が大学で講演しようとして何者かに射殺されましたが、そもそも「保守派」という言い方が気に入らない方がいらっしゃって、「極右」と言い直さなければならず、また「極右」たるゆえんとして、その方の主張が列挙されたりしています。それらがそのままその方の主張だとすれば、たしかにとんでもではありますが、だから射殺されて当然だというわけではありません。「極右」と言い直しさせる方たちは、ひょっとして射殺されて当然だと考えているのでしょうか。それじゃあまるで、極右政党の街頭演説なら、中指立てて、スモークたいて、爆音響かせて、妨害しても構わないと考える「正義の味方」じゃないですか。
9月13日(土)「猛省せよ」だって
どっかの弁護士先生は、極右政党の市議が差別発言をしたとして、そんな市議をトップ当選させたことを「猛省せよ」とか言ってるんですが、これってその市の有権者たちに猛省を命じているわけで、かなりびっくりしますね。弁護士先生は自分のことを賢いとお考えなんでしょうけど、賢い人は自分のことを賢いなんて考えないものですよ。だけど賢い自分が考えることとは別のことを考えて投票した人たちは、そのことを猛省せよと言うわけです。なんだかおかしなことを言ってしまっているとは、ついぞお考えになることはないのでしょうねぇ。
9月14日(日)気持ち悪い+不正
阪ちんが原発球団との最終戦にサヨナラ負けしました。現役時代に、試合中、捕手として投手の頭を叩くシーンを公共の電波に乗せてもらった原発球団の監督の勝利後のコメントですが、「みんなの気持ちが一つになった」。端的に、気持ち悪い。こんなことを言ってるから、いつまでたってもバカにされ続けるんだわ。頭を叩いたのも、きっと気合を入れるとかでしょう。そんなもの、入りませんよ。そこにあるのは、暴力だけ。したがって、気持ち悪いだけじゃなくって、そこには不正があるんです。『漂流教室』がすばらしいのは、みんなの気持ちが一つにならなかったところです。
9月15日(月)そもそも論破されているのか
射殺された保守派の論客がケンブリッジの大学生に聖書解釈をめぐって論破されるという動画があって、さすがケンブリッジだのバカなプロパガンダは本物の知性にはかなわないだの、言われていますが、そろそろそういう手法こそが人々を遠ざけるのだと気がつかないのでしょうか。本物の知性なのに。これって、都知事選やら参院選やらで敗北した自称リベラルや自称左翼にも通じるあり方で、もちろんその延長線上に中指立てるパフォーマンスもあるのでしょう。くだらない電2的しぐさ。
9月16日(火)王制を否定しろよ
保守派の論客は聖書に基づいて自己の主張を正当化し、ケンブリッジの本物の知性とやらは、聖書にはこんなことも書いてるけど、聖書に基づくならこんなこともしなきゃいけないぞ、と言い返すわけです。しかしそれでは元の正当化を論駁したことにはならないでしょう。論駁するには、元の主張の根拠とされている事柄は聖書には書かれていない、と言わなきゃいけないはずだからです。なのに、あたかも論駁したかのように見せかける手練手管には長けているというわけです。そんなに立派な学生が、なぜ王制の国家のうちにある大学に通い続けることができるのか。身分差別を肯定するようなやつが本物の知性であるはずがない。
9月17日(水)地上侵攻
ガザでは空爆だけでなく地上侵攻も始められた。「空爆だけでなく」という言い方をすると、空爆はまだましといったようなニュアンスが生まれてしまうかもしれないが、言うまでもなく、そんなわけはない。パレスチナに対するジェノサイドが行われているという告発・批判に対して、「あれは虐殺ではない、虐殺の定義とはふにゃふにゃ」とか言っていた浪速大学のドイツ人は、息しているだろうか。いや、しているだろう。ハマスが始めたんだから当然の報いだとか、ほざいているだろうか。まあ、きっとうまく生きていくことが優先されるので、声には出さないが、考えは変わらないだろう。
9月18日(木)レッドフォード逝去
ちょうど前の日に、『追憶』を聴き、画像を観たところだった。男性からの視点しかとることのできない男性の感傷主義の映画で、ほんと腐ってると思うし、こんなのを繰り返し観てしまう自分自身をまったく呪うしかない。こんなふうに書いてしまうところもますます卑怯で不正の極みだろう。なにをどう考えたってストライサンドが正しく、ストライサンドを悲しく思うのはたんなる内なるパターナリズムであって、批判されるべき対象だろう。自分が恵まれた側にいることをつねに痛感させられる作品。代表作として取り上げられることは少ないけど、これが一番心に残ってしまう。
9月19日(金)そんなわけで
しかも主題歌をストライサンドに歌わせることによって、あたかも女性も同一の感傷に耽っているはずだと思わせるところが、なんとも男性中心主義的だ。そんなわけで、『ゴッドファーザー』は女性と男性でまったく評価が異なると言われていて、そりゃそうだろうと思うけれど、『追憶』も、こっそりそういう映画ではないかと思っている。
9月20日(土)左による歴史修正主義
いくらなんでもそれはないんじゃないの、って思います。むしろそうすること正義だと誇らしげにすらしていたじゃないですか、とも思います。明確に呼びかけていた人たちだって数人じゃないですよ。しかしなんと、キャンセルカルチャーはなかったとおっしゃる左やらリベラルやらの方たちが現れています。極めつけは、「キャンセルカルチャーは存在しない。ただキャンセルされるべき者がいるだけである」とかって、なにごとかしゃれたことを言ったつもりになっている自称研究者の存在です。「キャンセルされるべき者がいる」とか言う人は、当該の対象を「キャンセルすべき」でしょう。にもかかわらず、キャンセルしていなかったとしたら、それは知的怠慢以外のなにものでもありません。つまり、その研究者は知的に怠慢か、キャンセルしたかのどちらかなんです。
9月21日(日)ゆるゆる
こういうのにかぎって、センスのないあなたはそこは絶対に避けた方がいい、というタイプの研究対象、たとえばシュミットを研究対象としたりするのですが、こんなゆるゆるな思考しかできないような人にシュミット理解ができるはずもなく、自己の能力を顧みることなくヴィトゲンシュタインに飛びついてしまう人と同様に、迷子になるしかなく、誤ったシュミット解釈をまき散らしてしまうのが関の山です。おまけに研究者なのに、堂々と「JK」がどうしたこうしただの「エロゲー」がどうしたこうしただの、SNSで垂れ流してしまうんですよ。
9月22日(月)ネガキャン
総裁候補とやらが、「子ども食堂」へ行って誕生日を祝ってもらいそれを大々的に公表するって、みずからネガキャンしているとしか思えないので、大物なのかもしれません。わしはこんなに自己を否定していても、勝てるんだぞとか。あるいは、自己否定することによって、ひとつ上の段階へあがってみせるという、馬上の絶対精神を目撃してしまった妄想癖のある人のロジックなんでしょうか。せっかく自己否定しているんだから、まわりも同じように否定してさしあげないと失礼極まるのではないでしょうかね。
9月23日(火)『ヒトラーの贋札』
無料配信されていたので、見ました。邦題がひどい。原題を直訳すると『偽造者たち』で、ヒトラーのヒの字も含まれていません。要するに、タイトルにヒトラーを含めておけば、はやるというやつでしょう。頭の悪い皇国屋(←冗長句)が考えそうなことで、あいつらにしてみれば、ヒトラーだって売れる記号にすぎないわけです。ったく節操がない。資本主義とともに死に絶えて欲しいが、それよりはるかに前に、自分が逝かないといけない。
9月24日(水)犯罪者
贋札は、収容所に入れられる前は犯罪者だった人たちと銀行員だった人たちとで作るわけですが、銀行員だった人たちは、犯罪者なんかと一緒に働けないと言い、明確に、あいつらと自分たちとは異なっているという姿勢を見せます。そうした態度に対して、犯罪者の側からは「本当の犯罪者は資本家だろ」と言われるところが痛快でした。それでいくと、少なくともイデオロギー的には、連合国側は犯罪者の塊だってことになります。
9月25日(木)残念ながら
行政府の長が国連でイスラエルによるガザ地上作戦に関して「この上なく強い言葉で非難する」と演説したことが伝えられています。すでに多くの人が指摘していると思いますが、史上もっとも長く行政府の長を務めていた人とか、その後任の人とかは言うに及ばず、総裁候補と言われている5人にも、とてもできることではないでしょう。しかし国立国会図書館のヘビーユーザーとされる現在の行政府の長が総裁では選挙には勝てない。それはそのとおりでしょう。そしてそのとおりであることそれ自体が、その人がかなりまともであることを明確に証立てているとも言えそうです。残念ながら。
9月26日(金)不法侵入だろ
豊中警察署桜井谷交番に勤務する警察官黒田がパトロールカードを置いていきやがりました。なにが「巡回連絡にまいりました。」だよ。玄関のインタフォン下に設置されている配達されてきた牛乳を置くための場所(たぶん、いまどきそういう使い方をする人はいないでしょう。じゃあ、あれは何のためにあるのか)にカードを入れやがったのですが、そもそもそこまでやってくるには共同占有している部分に立ち入らなければなりません。いったいだれの許可を得たのでしょうか。まあ、ひょっとするとわんわん大好きな臣民が招き入れたのかもしれないとして、しかし玄関のあの場所にカードを置くには、玄関ポーチに立ち入る必要があります。そこはもちろん私有地なわけですが、立ち入るという連絡を受けた記憶はまったくございません。
9月27日(土)ありうる可能性を考察する
いや、ひょっとしたら、玄関ポーチには入らず、共同占有部分からマジックハンドを使ってカードを入れていったのかもしれません。いやいや、なんなら共同占有部分にも入らずに、マンションの敷地外からマジックハンドを使ってカードを入れていったのかも。いやいやいや、ひょっとすると私有財産制度に反対していて、私有地だの共同占有だのを暴力的に否定しているのかもしれません。それ、心情的にはわからなくもないですが、しかしわんわんは唯一正当化された暴力の担い手なので、そんなやつが暴力を背景に私有財産制度を否定するなんてことを始めたら、それは上からの共産主義に他ならないではないですか。
9月28日(日)何が問題なのか
北関東の県庁所在地のその市長が叩かれていますが、問題はどこにあるのでしょうか。まあ、言うまでもなく大きいのは、その市長が女性だということでしょう。女性が市長を務めるなんてことそれ自体が、ある種の人たちにとっては大罪であり、まずはそのことが叩かれる理由でしょう。ほかには何があるんでしょうか。公用車を使用したことでしょうか。しかしご本人の証言によれば、「そこ」で仕事上の話をなさったそうですから、そりゃ公務でしょう。どっかの市長だったやつが公用車でタバコを吸ったり、スパへ行ったりしたのとはわけが違います。あるいは、公用車で靖国に乗りつけて、私人として「内閣総理大臣」と記帳したような「感動男」とかともわけが違います。
9月29日(月)洪水系
大雨警報発令中だったとかいう批判に対しては、対応の体制が整っていたとおっしゃっているので、発令中に仕事の話をしていたって、問題はないでしょう。きっと役人の方が、大雨とひっかけてこうした場面での定番の洪水系のギャグを飛ばしたに違いない点は、ひょっとしたら責められるかもしれません。部屋が露天風呂付きで他の部屋より1,500円高いとか、そんなことはもうほんとどうでもいいことです。
9月30日(火)目的外使用
問題があるとすれば、あの手のところは入り口に「ご休憩」と「ご宿泊」の価格が提示されていて、今回、「ご宿泊」はされていないので、じゃあ「ご休憩」しないといけないのに、仕事上のお話をされてしまったわけで、これって部屋の「目的外使用」が問われるやつです。旧言語文化研究科の案件でも、問われたのは研究室の「目的外使用」でした。今回の施設管理者が目的外使用で訴えるかどうか、目が離せません。
10月1日(水)無様な状況
資本主義ドロボーごまかしすっとぼけ(SDGs)なんてまだやってんのかと思いきや、浪花大学ではまだやってるどころか力の入れようが半端ないです。大学というものの理念をミジンコワムシほどでも知っていれば、ありえない無様な状況。皇国屋なんぞにうつつをぬかすから、こんなことになってしまうわけで、学内から皇国屋とか皇国屋的メンタリティを一掃すれば、いくら浪花大学と言えでも、ドラスティックに変貌を遂げることでしょう。「だれもが暮らしやすい社会」って、痴漢が暮らしやすい社会なんて御免こうむりたいんですけど。
10月2日(木)嘘くさい
ポール・シュレイダーが撮った『MISHIMA』の動画一部がアップされていました。例の、自衛官たちに向かって三島が演説しているところです。その事件当時、小学校4年生にすぎなかったある小説家は「茶番だと思った」とか、後年「ぼくって早熟でしょ」アピールをしていましたが、まあそのアピールに対しては、じゃああなたは小学校4年生時が最高の状態で、後は劣化一直線ですね、と言っておくとして、小学校3年生だった私は、兄と一緒に翌日の新聞の写真に三島の首を探しました。いや、言おうとしたのは、三島はきっと本気だったのだろうと思いますが、三島役が緒形拳で、いかにも嘘くさく見えて秀逸だということです。
10月3日(金)一駅分
ところで、決起を求めたその人は、出生地が四谷で、没したのが市ヶ谷駐屯地です。なんと、45年生きたわけですが、その一生はたった一駅分です。市ヶ谷駐屯地は、なんなら市ケ谷駅からよりも四ツ谷駅からの方が近いくらいではないでしょうか。市ケ谷には各停しか停まらないので、快速に乗ってしまったら四ツ谷から歩くのが常道でしょう。ところが、四ツ谷から駐屯地まで歩こうとすると、なんとサンミュージックの前を通る必要があるのではないかということに気がついてしまいました。
10月4日(土)絶望の論理
前回の総裁選は、決戦前は元民青の方が勝つはずだったところ、さすがにそれはまずいということか、イスラエルによるガザ侵攻を批判し、隣国を訪問すれば首都ではないところを訪れ、こちらで人命救助のために命をおとした留学生の墓参を行う人の方が逆転勝利したのでした。今回は、「恐怖」をとるか「バカ」をとるかなどと言われてしまう決戦で、要するにモリカケ桜か「感動したっ」かでした。このままなし崩し的に交戦することになるのでしょうか。ケーニヒスベルクのじじいとか、そのじじいのたわごとを真に受けて自然の働きに希望の論理を見出すようなくるくるとかなら、平和が実現されるまでの通過点だよ、わはは、って言ってのけるのでしょうね。アホ抜かせ。
10月5日(日)すべてのカップラはゆでラーメンである。
昼に辛ラーメン焼きそばトムヤンクン味のカップラを食べていて、汗がたらたら流れる中、ふとテーゼが思い浮かびました。すべてのカップラはゆでラーメンである。カップラの焼きそばが、ちっとも焼きそばなんかじゃないことは、よく知られている事実です。焼いていませんからね。熱湯かけて湯を捨てて調味料をかけて食べているのですから、せいぜいゆでラーメンのはずです。ほらほら。でも、「すべてのカップラ」は言い過ぎではないか、って言いますか?
10月6日(月)そんなわけで
ご慧眼をおもちで、人のテーゼになんでもけちをつけたいみなさんなら、ただちに、汁のラーメンはゆでラーメンとは言えないんじゃないか、とおっしゃることでしょう。ところが、みなさんはゆで卵を作っていて、湯の中でできあがってるゆで卵のことをゆで卵とは呼びませんか? つまり、汁の中に入っていたってゆでラーメンは成立するわけですよ。そんなわけで、すべてのカップラはゆでラーメンである。
10月7日(火)修正テーゼ
あっ、70℃くらいの湯で戻したやつはゆでられていないから、ゆでラーメンとは言わないんじゃないかって言いますか。まあ、そこまでして人のテーゼにけちをつけたいのなら認めても構いませんが、その代わり、熱湯を注ぐんじゃなくって、必ず70℃以下の湯で戻してくださいね。そんなものをお食べになるのなら、そんな人のために、大半のカップラはゆでラーメンである、にテーゼを修正しても構いません。
10月8日(水)オカルト
タカ派で差別的で虚言癖があるとされる女性総裁誕生を批判的に捉えて、なんとかしていかなきゃいけないと言う人がいらっしゃって、「地球は回っている」「政治は変えられる」とかお書きになっているのを目撃しました。たぶんこの方は何も考えていらっしゃらないのだろうと思います。私のちんけな常識に従えば、地球は人類が頑張らなくても回るんですが、政治は人類が頑張らないと変わらないでしょう。このふたつを併記されるなんて、地球が回ることも人間の努力のなせる業だとお考えになっているわけで、どこかのナショナリストの妄言である、人間の努力によって自然が助力を与えてくれて永遠平和が実現されるっていうやつと同一ですよ。たんなるオカルトじゃないですか。
10月9日(木)気持ち悪い
プロ野球の監督が、退団(要するにクビ)が決まっている別のチームの監督に花束を贈るとか、優勝が決まった別のチームの監督に花束を贈るとかいうセレモニーがやたら流行っていて、正直言って気持ち悪いです。別に1001みたいに、よそのチームの選手と口をきいたらどやしつけるとかいうことを求めたりはしませんが、デッドボールをぶつけあったりしているくせに、にこにこしながら花束の受渡しなんてするなよ、って思います。まあ、気持ち悪いとか、お気持ちの問題なので、普遍化はしません。ああいうのが麗しいと思う心の清い人たちも、きっといらっしゃることでしょう。
10月10日(金)構造的差別
なんとか賞受賞者が浪花大学の関係者で、妻と一緒に記者会見を行っていたそうです。研究を遂行するための重要な同僚だったのだとすると、夫だけ受賞するのはなんだかなぁという気もしなくはないですが、そういうことが背景となって、夫が頼んで記者会見の場に出てもらったということなのかもしれません。たんなる憶測です。残念なことに、妻のおかげを口にしながら、最後に、「これ言わないと怒られます」って言ったことです。ご本人は笑いをとるつもりだったのかもしれませんが、それがなぜ笑いの種になるのか、やっぱりそこまで考えは及んでいないんですよ。こんなのは、どっかの地方の女性差別がとりわけひどいということが言われると、でもそこでは実は女性がすべてをコントロールしているんだって、訳知り顔で言って見せるのと同一です。
10月11日(土)基礎研究
記者会見では、基礎研究の重要性が主張されたそうですが、まともに研究を行っている研究者であれば、だれもが同意するところでしょう。ところが、この手の主張があてつけに聞こえる人たちがアカデミズムにも少なからず存在していて、実に困った状況です。というか、むしろそっちの人たちの方が、いまや間違いなく主流です。人文系の部局が複数あっても仕方ないとかカネにならないとか無駄遣いだとかおっしゃる人たちとか、そういう人たちにへこへこして尻尾をふりつつ靴ペロする人文系の人たちとか。忘れてはいけない、大学がテーマパークだとか「感じている」人たちも。いくらなんでもアカデミズムにいるわけないはずの皇国屋とか。
10月12日(日)スーパーシオニスト
まあ、なんとか平和賞なんて、A作が受賞したくらいなんだから、一方的にしかものを見ない正義の味方たちによる評価であって、受賞したから偉いわけでもなければ、受賞者が実際に平和に貢献したかどうかも定かではない。あの大統領が欲しがっていたけれども、あの大統領に授与しなかった点に、その組織の見識の高さを認めてしまうような人は、今回の受賞者が「スーパーシオニスト」と呼ばれるような人だってことをどう考えるのか。まあ、どーせ考えなんてないでしょう。
10月13日(月)ぜひ抗議してほしい
性加害者をネーション代表に選出して、監督はじめみんなで寄ってたかって褒めたたえようとするスポーツがあります。どういうマジックなのか存じ上げませんが、性加害の罪をそのプレーで償えるそうです。びっくり人間大集合です。そしてそのスポーツの協会幹部が、児ポ閲覧でフランスで逮捕され、有罪判決を受けました。誰もが生きやすい社会系のみなさんは、こんな差別を許してよいのでしょうか。すべての差別に反対する系の中指立て男さんたちとかも、セクシュアリティの取り締まりに抗議されないのでしょうか。こんなことでは、家父長制を打破できませんよ!
10月14日(火)自己正当化
その点、AERAの記者なんて、記名して「児童ポルノ閲覧に厳しい世界標準」とかって、「厳しい」って形容詞で語るに落ちてますからね。ヌッポソでは「Xに16万人規模の閲覧・交換コミュニティも」って、こっちではこんなにたくさんユーザーがいるんだぞ、ってことでしょう。そういう共同体で生活していた者を処罰の対象にしたりするのか、という批判的問いかけでもあるでしょう。ひょっとして、自己正当化かも。
10月15日(水)とりとめがない
ANAは当該スポーツのスポンサーを降りることにしたそうですが、性加害の間に区別を設けているということなんでしょうか。まさか、前者は同意があり、後者は同意がないとか、そんな区別ではないでしょうね。前者にだって、同意なんてなかったですよ。SWIW肯定派のみなさんだと、後者はオッケーなんでしょうか。なにしろミャンマーの児童たちの「決意」やらなんやらを褒めたたえていましたからね。まあ、「決意」とやらは、カント研究者にも大好きなバカがいますけどね。そんなわけで、憤りのあまりとりとめがない。
10月16日(木)臣民共同体の倫理
共産主義者たちの集まりのはずなのに政党名に国名を入れ、機関紙に元号を併記しても平気でいられる政党の議員かなにかが、「政治は、批判よりも誠実な対話で変えていくものだ」とか書いているのを読んでしまって、どいつもこいつも誠実性ばっか求めやがってそれじゃあバカカント研究者と同じじゃねーかと思わずにはいられませんでした。心情倫理はクソだって学校で習わなかったんでしょうか。まあ、習ってないでしょうね。なんせこの臣民共同体の倫理では何をおいても誠実性ですから。そして批判より「対話」ですか。わかります。みなさ〜ん、呼ばれたいように呼びっこしましょうねー。そうしなきゃ必修の単位はありませんよー。クズだな。
10月17日(金)ふざけんなイソジン
どうしてくだらない催し物の実施を開催日に間に合わせるために無理を聞いてもらった中小企業に対して未払い金が発生しているというのに、黒字だと嘘をつくようなイソジンがキャスティングボードを握り、これまた馬鹿げた政策をごり押し宣言するのをだらだらと流し続けるのか。なぜぐちゃぐちゃ言い始めた時点で、未払いはどうなりましたか、と尋ねないのか。せっかく大阪が犠牲になってやってるというのに、こんなものが大阪以外にも広まってしまっていいわけないだろうに。とりあえず、ペログリ田中康夫は責任とれよ。
10月18日(土)ゲロ吐きそう
イソジンが、予定に反して東京に1泊することになってコンビニで購入してきたとかいうものをわざとらしく写真に撮ってXで流しているのが「おすすめ」なんぞでまわってきて、ゲロ吐きそうになった。そんなものを購入する前に、支払うものがあるだろうに、なんで恥ずかしくもなく人前に出てこれるのか。被災地へ行ってカレーを食べるのが得意な元号政党のやつは、スパイ防止法を批判する動画を流していたが、こんな法でスパイが防止できるのか、とか言ってて、できたらいいのかよ、と小学生でもつっこみそうなことをべらべらとしゃべっていて、ゲロ吐きそうになった。
10月19日(日)カレー食人
件のカレー食人は、スパイ防止法で売国奴を捕まえることができるのなら賛成すると明確に言っていて、Xでも拡散している。これを見たり聞いたりして、そうか、左翼でも「売国奴」なんて言葉を使ってもいいんだ、別にナショナリストだと思われなくてすむんだ、と安心して、かっさらわれてしまう人たちもいるのではないだろうか。そのご講話のなかでは、平蔵が名指しされ、スパイ防止法が導入されても、平蔵は捕まらないでしょ、とポピュリストのポピュリストたるゆえんの発言を情緒豊かに行って見せる。きっと、平蔵を捕まえることのできるようなスパイ防止法ならいいのだろう。なぜなら平蔵は「売国奴」だから。これって、少しだけ難し気なことを言って見せる神谷じゃないか。
10月20日(月)DH制
セ・リーグにDH制なんて絶対に導入すべきじゃないと思っていましたが、すでに2027年から導入することに決定されていました。パ・リーグで導入されたのは、人気のないころに、盛り上げようという狙いからだったわけで、すでにパ・リーグにも人気があるわけですから、むしろパ・リーグのDH制を廃止すればいいくらいだと思っていたのですが、パ・リーグに合わせてセ・リーグでも導入すると。知見の及ぶ限り、セ・リーグへの導入に明確に反対していたのは、江川だけです。そらそうよさまは、DH制によって監督がいろんなことを考えなくなるというようなことを言っていたので、ひょっとしたら導入に反対なのかもしれません。
10月21日(火)最悪の分断
DHを使える方が、ピッチャーに対する過大な負担を少しでも軽減することができる、とかいうもっともらしい議論がありますが、だったら、キャッチャーに対する負担もバカにならないので、キャッチャーの代わりのDHも必要じゃないでしょうか。先発ピッチャーなんて、1週間に1度だけだけど、キャッチャーは下手したら全試合出なきゃいけないわけで。いやいや、そういうことを言い出せば、ショートも結構ハードだぞって話になり、ファーストなんて、1試合で何度キャッチングをしなきゃいけないんだ、とかいう話になって、しまいには、攻撃専門と守備専門と走塁専門に分かれないといけなくなるのではないでしょうか。こんなもん、教育組織と研究組織を分けるという最悪の分断と変わらないじゃないですか。
10月22日(水)健気な大阪府民
結局これまでの大阪府民の我慢は無駄だったということですか。いや、もし我慢していた大阪府民がいたとしたら、ではありますが。雨合羽を収集して市役所ロビーを使えなくしようと、大阪城公園や御堂筋の木を切り倒してどっかの電飾をとりつけようと、サラ金の弁護活動をしようと、コロナには公立病院ではなくイソジンで対処しようと、テレビでは吉本の芸人たちの靴ペロ芸を見せつけられようと、こんな悲劇は大阪だけが犠牲になって大阪で食い止めると、大阪府民は健気に耐えてきたというのに、なんと元民青の方と手を組んで、全国展開されてしまうとは…。
10月23日(木)なるほろ
選挙で負けたから、その政党は支持されていないのだということになり、その政党の総裁は辞任することになり、行政府の長も交代することになったわけです。そして裏金議員たちは復活を遂げ、右傾化に拍車がかかり、戦争やるぞ状態に移っていきそうです。ということは、裏金議員を公認しなかったことや、右傾化にストップをかけてきたことや、戦争やらないぞ状態を維持することが、支持されなかったということですか。そうですか。
10月24日(金)突撃隊隊長の出番
女性初の総理大臣ということで、「ガラスの天井」がどうこうという話があり、それと関連してなのかどうかわかりませんが、数年前に少なくとも海外では一時はやった「コットンシーリング」なる言葉をまたしても目にしています。炎上商法だとかなんだとか言って擁護しているのかなんなのかわからない言説もありますが、ともかく先週あたりには頻繁に目にしました。ここはぜひ、突撃隊隊長になにか言って欲しいところです。性規範の逸脱は家父長制の打破につながるんだーーーとか。アホ抜かせ。
10月25日(土)青木なんちゃら
言う間でもなく、総理大臣を批判するのであれば、リベラルとか左翼とかを自認している青木なんちゃらとは違って、口裂け女のイメージだのなんだのと言っていてはいけないだろう。そんなことは当たり前であり、青木なんちゃらはたんなる女性差別者だ。この手のリベラルやら左翼やらがいて、それなりに声が大きい限り、予想に反してその人は長く行政府の長を務め続ける可能性があるのではないか。そうなったら、青木なんちゃらと田中康夫のせいだと思うことにする。
10月26日(日)勘違いも甚だしい
女性を買って妊娠させて出産させて子どもを取りあげたゲイカップルがたたかれて、自分たちがゲイカップルであるからたたかれていると言ってるそうですが、ひょっとするとそういう人たちもいるかもしれませんが、それはたんにその人たちが間違っているのであって、たたかれているのはゲイカップルだからではなく、女性を買って妊娠させて出産させて子どもを取りあげるような契約が成立すると考えているからです。代理出産を肯定しそれに乗ったからたたかれているわけで、ニコール・キッドマンやパリス・ヒルトンがたたかれたのと同じことです。カネを出せば何をしたっていいなんてゴミは、死滅一択の皇国屋の発想です。
10月27日(月)女性じゃなくてもよかった?
女性初の総理誕生については、「女性だからってだれでもいいわけじゃない」という言説があり、その人がタカ派であり差別的でありかなりあぶなそうな人であることに間違いはなさそうなので、とりわけ左派からそうした物言いがなされるような印象があります。こうしたコメントをする人は、ひょっとして、女性初の総理誕生ということそのこともなかった方がよかったと考えるのでしょうか。それはとりあえずよかったけれど、しかしこの人の政策には問題があるというふうにお考えなんでしょうか。もし後者だとしたら、「女性だからってだれでもいいわけじゃない」という言い方はミスリードを招くのでやめた方がよくないでしょうか。あんな人が選ばれるくらいなら、女性じゃなくてもよかった、というふうに受取られるからです。
10月28日(火)女性じゃなくてもよかった??
もし、あんな人が選ばれるくらいなら、女性じゃなくてもよかった、という主張がなされているのだとすると、その主張は、女性限定公募で選ばれた人をくさす物言いと同一だと思います。ろくに出勤もしないし定められた職務も果たさないし事務からのメールは無視するし教員の陰口はたたくし、とかいう人がたまたま選ばれてしまったとしたら、その人に問題があることは100パー揺るがないわけですが、しかしだからといって、アファーマティヴ・アクションを否定してはいけないわけです。ろくに出勤せずに「超レアもの」と呼ばれた男性の助教だっていたわけで、その人がどうこうではなく、アファーマティヴ・アクションそのものが重要だということです。
10月29日(水)死滅一択
だから、あんな人が選出されるくらいなら、女性じゃなくてもよかったとか言ってしまうとしたら、アファーマティヴ・アクションも否定することになるのだろう思います。結局、男基準で男並みに「優秀な」人じゃなきゃ選ばれちゃいけないし、またそうやって選ばれた人は名誉男性と化してしまうのではないかと思われます。それにしても相変わらずモリカケ桜ってなぁ。驚くほど貧しくなっているのはなんちゃらミクスのせいだってわかっているだろうに、ひょっとして世の中にはむしろそれで儲けた人の方が多いのだろうか。んなわけはない。やっぱ皇国屋は死滅一択。ひとまず皇国屋は死滅一択。なにはなくとも皇国屋は死滅一択。
10月30日(木)『食われる家族』
例によって以前に少なくとも1度は見たことがあるはずでしたが、途中の経過はもちろん、最終的にどうなるんだったかをすっかり忘れていて、しかし前に見たときもずっとむかむかしていたんだろうということは確実です。「家族のため」とか言って妻や子どもを顧みなかったたんなる仕事バカの話じゃねーか、そんなに仕事が好きならひとりで暮らせよ、としか思わんわ、と思っていたのですが、今回最後に、血のつながりなんかどうでもいい、犯罪者は犯罪者だ、ってメッセージがあることに気がついて、ちょびっとだけ我慢して見続けてよかったと思いました。
10月31日(金)償い
などと言ってる間に、めっきり冷え込むようになりましたが、鼻は相変わらずくすぐったくて、もはや花粉のせいなのか、鼻かぜの鼻炎なのか、区別がつきません。そんなわけで、花粉症対策の薬と鼻炎用の薬を飲むので、ぐったりんぎんぐです。鼻にフィルター付きのストロー状のものを差し込んで、何時間かごとに取り換えるとかすればいいんじゃないかと密かに思っており、製品化したら結構売れるんじゃないかとすら思ってしまいましたが、しかしそういうのは特許の思想であり皇国屋のクソバカメンタリティにほかならないので、思ってしまった頭を壁にぶちつけて罪を償おうと思います。ごつん。
11月1日(土)クソばっか
いったいいつからクソハロウィンなんてやるようになったのか、どうせこれもクソバカ皇国屋の仕業だろう。早く死滅してくれよ。それでコスプレしたア○学生が授業に出ようとして、千里線沿線の大学で教授が「ふざけてるのか!帰れ!」と言ったそうですが、それを「激ギレ」とか表現しているポストを見てしまいました。それとは対照的な、まあいつもの自由とはなにやってもいいことだと勘違いしているあの大学の様子もポストされていました。浪花大学の月5の授業でそういうやつが部屋にいたら、「このクソボケ」と思いつつ何も言わず、しっかりテストで落とすでしょう。そいつを落とすためだけに、最高級に難解なテストを作ると思います。ぐっじょ。
11月2日(日)あれとかそれとかのこと
皇国屋を何のためらいもなくアカデミアに招き入れてしまう連中とか、大学はテーマパークだとほざく連中とか、ほかに組織を作って好き勝手やればいいのに、どうして大学の中でそういうことをしようとするのか。そんなことで権威主義と闘っているつもりかもしれないが、ちゃんちゃらおかしすぎる。啓蒙主義の反対が蒙昧主義だと勘違いしており、さらに蒙昧主義が権威主義の反対だと、きっと「感じて」いる。大学の解体を声高に叫んでいた連中の末裔がのさばっちゃいけないのは、ほとんど自明だ。
11月3日(月)出勤した
文化の日なんて、かつて唯一の主権者だったやつの誕生日だったわけで、こんな日を祝うということは天皇制を祝うということにほかならないので、当然のように出勤した。これで11月は皆勤賞だ。ふと思ったが、この3日間、だれかと話をしただろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。ところで大学が休みの日に出勤すると、3階はタバコ臭くて仕方がない。学生や職員は、部屋で吸うことができず、卒園ブースなる欺瞞にあふれた個室まで赴く必要があるが、教員の中には、居室で吸うやつがいる。こういうのを特権というのだ。わかったか、くさった特権論文を書いた突撃隊隊長よ。
11月4日(火)なぜ提出したのか
名古屋でみずから出頭してきた殺人事件の被疑者がいます。物的証拠の決め手は、現場の血痕のDNAと被疑者のDNAが一致したことにあるようです。では、被疑者のDNAはどのようにして手に入れられたのでしょうか。どうも提出が求められたようです。その求められ方がどのようなものであるのか、よくわかりませんが、もし任意であれば、というか任意しかありえないと思いますが、提出などしなければよかったのに、なぜ提出してしまったのでしょうか。なんだかよくわからないです。
11月5日(水)大日本帝国のせい
タカ派の新総理は治安維持系に熱心で、憲法改正にも積極的で、それはそれらの点をひとつひとつ批判すればいい話なのに、やたら朝鮮半島のひとつの国家をとりあげて、○○○みたいになろうとしていると、左の連中が声高に言い募っています。この人たちがDPRKの何を知っているというのでしょうか。そもそも朝鮮半島が分断されているのは大日本帝国のせいじゃないですか。治安維持系に熱心で、憲法改正にも積極的なら、大日本帝国になろうとしていると言うべきでしょう。
11月6日(木)『暗殺』
すでに2回は観てますが、『猟奇的な彼女』の人も、これが一番いいのではないかと思っています。イ・ジョンジェは悪いやつです。ハワイはなぜ素晴らしいか。日本人がいないから、というのが秀逸です。ハ・ジョンウはちょっとカッコつけすぎですが、チョ・ジヌンはいい役でした。ああした状況なら、武器を手にとらざるを得ないだろうと思いますが、ああした状況が作られることが問題で、もちろん武器商人がいることが問題で、プロパガンダするやつは死滅一択。
11月7日(金)なにが「つまり」なんだ
国際的な、つまり地球規模でやらかしている女性品評会で、運営側がメキシコの品を侮辱した結果、各国家の品がこぞって退室してしまったことを受けて、全〇連を名乗るアカウントが「ストライキとはつまりこういうこと」とかってポストしてるんですが、つまりどういうことなんでしょう。その集まりって、女性品評会なんですよ。それを批判しないでどうするんですか。女性品評会について何も言わず、ストライキの何たるかを語ってしまえると思えるそのメンタリティ。つまりそういうこと。
11月8日(金)運営側だの主催者側だの
もちろん、運営側だの主催者側だのは男であり、国際女性品評会なんて、男による女性差別の一環であることに変わりはありません。だから、そのことを棚に上げて言うわけではありません。しかし品評会にのこのこ出てきて、男のメガネにかなうような品物になるように励むことだって、女性差別の一環であることに変わりはなく、そのことは批判されるべきだろうと考えているわけです。「男のくせに黙ってろ」とおっしゃるのなら、甘んじて黙りますが、その代わり、名誉男性なんかになったりせず、きちんと批判してくださいね、と言っておきたいです。「男のくせに黙ってろ」とおっしゃるのなら…。∞。
11月9日(日)のこのこ
昨日今日と、諸般あってもう行くことはないだろうと思っていた学会があって、のこのこ出かけてしまいました。テーマが「差別」のシンポジウムの司会にあてられてしまったため、どーせならと、2日目は一般研究発表にもエントリーしてしまいました。シンポでは、パネリスト3名の方のうち2名が、女性差別にふれていたにもかかわらず、質疑応答の時間になると、真っ先に「われこそ指名せよ」という男性ばかりが挙手されて、「話を聞いていましたか?」と言いたくなるところでした。
11月10日(月)内的亡命とか良心とか
平和とはすべての敵意が終わること、といったふうに、平和を内面の事柄として論じることがもちうる問題として、アーレントが言う内的亡命論と良心論を手がかりに指摘することができるという主張を行いました。内的亡命も良心も、市民的不服従の対極にあり、外の世界と内面を切断することによって、外の世界がどうなろうとそんなこととは無関係に、自己同一性を確保して平和でいようという発想だと思います。
11月11日(火)軽蔑から批判へ
ひょっとすると、外で何が起きようと、内面において自分が考える正しさを確保して、外のことは関係ないよ〜と平気な顔をしているのは、それ自体は軽蔑に値するふるまいにすぎないことだと言えるかもしれません。しかし、なぜそんなふうにふるまえるのかを考えると、途端にそれは批判されるべきふるまいではないかと思われるようになります。そんなふうにふるまえるのは、結局は当人がそれなりに力をもっていて、外の世界とそれほどのかかわりをもたなくてもそこそこ生きていけるからではないでしょうか。良心へと内的亡命を果たすことのできる者とは、所詮は力のある者のことではないでしょうか。
11月12日(水)不正にほかならない
おまけに、この臣民共同体においてはなによりも「まごころ」が最重要視され、「まごころ」の信奉者はアーレントに言わせれば「自分にとってよいこと」を強弁しているだけなのに、人格者とされ、正しい人とされてしまいます。たとえばある学会において、会員が知るところの会則よりも、もっともすぐれた「まごころ」をもつとされる人の「自分にとってよいこと」が優先され、会員には秘密裏に、会長も含まれる常任委員会ぐるみで会則破りが決定され、その決定に妥当性がもたらされるなんてことも起こりえます。こういうのを良心のテロリズムって呼んだ人がいませんでしたっけ。いやぁ、厳密に言えば、良心がテロリズムなんですよ。
11月13日(木)「節穴」
「わが代表堂々退場す」の新聞社の有料記事だったような気がするので、読めませんでしたが、まあ、そうじゃなくても読まない可能性は大きいのですが、伝え聞くところによると、おひとりさまは、もはや女性が行政府の長に選ばれたからといってニュースになるような時代ではないとおっしゃったそうで、それには例によって、女性なら誰でもいいわけではない、が続くのでしょうけど、ということは、女性に関するアファーマティヴ・アクションはもはや時代遅れだとおっしゃるのでしょうね。そうおっしゃらないのだとすると、前半部分と整合性がとれないからですが、どうもこちらの「節穴」が見ている世界とはまったく別の世界がお見えになっているのでしょう。
11月14日(金)ろくでもない
他方、弱者が弱者のままでいても許される社会をお望みのようです。この一見、立派なことを言ってるかのように見える言説は、その実、ろくでもないと思っています。それを口にすることによって勝ち誇った顔をすることができると思いこまれている格差原理と同じく、ろくでもないと思っています。もちろん、弱者が強者になることを強いられるような体制に対するアンチ・テーゼにはなるかもしれないとしても、弱者は弱者であり、弱者と強者を区別するその基準は手つかずのまま、しかもその基準は正当なものとして温存され続けるわけです。なにしろ、弱者が弱者のままでいても許される社会に弱者が存在することは、必要不可欠の前提ですから。
11月15日(土)SDなんちゃら
だとすると、すでに女性に関するアファーマティヴ・アクションが不要な時代とは、せいぜい弱者である女性が強者になれとは言われないかもしれないけれど、相変わらず弱者であり続ける社会が持続する時代だということになりそうです。なるほど、こういうのを持続可能な社会と言うのでしょう。資本主義−ドロボー−ごまかし−すっとぼけを信奉しちゃってる人たちって、きっとこの手の人たちなのでしょう。弱者は弱者のままでいいのですよ〜、どっちみち私たちみたいに強者にはなれないんだし、弱者と強者って区別をなくすなんて、できっこないんだから。そんなことしたら、私たちが困るじゃないですか、ってことですね。よくわかります。職場にもうじゃうじゃいます。
11月16日(日)イギリスの放送局
アメリカ大統領の演説を切り貼りして捏造したイギリスの放送局。優れた報道で名高いあの放送局が…、なんてわけはありません。2003年にアメリカに加担してイギリスも参加した主権国家イラクへの大量破壊兵器があるという、後に大量破壊兵器がある可能性があったと訂正されたいちゃもんにもとづく爆撃について、その放送局も批判なんて一切行っていませんでした。後年、フセインがイラク人たちの手によって処刑させられ、イギリスにとって御しやすい体制が整えられてから、検証を始め、政府を批判し始めるわけです。BBCなんてその程度のものであって、けっして賞賛などできる放送局じゃありません。
11月17日(月)絵に描いたようなアレ
その後出しじゃんけんが何より得意なBBCのなんちゃらという総裁は捏造の責任をとって辞任したわけですが、辞め際に「BBCのジャーナリストたちを誇りに思う」と言ったそうです。ほほう、捏造するやつらを誇りに思うと。たまには正直なんですねー。例によってノータイで自衛隊カット。ネクタイが権威の象徴だからって、ノータイなら権威主義的じゃないなんてことにはならないわけですよ。あのおっさん、ついでに禅とかやってりゃあ、絵に描いたようなアレだわ。
11月18日(火)人身売買は商取引ではない
12歳のタイ人少女が身体を売られ性暴力の被害に遭ったわけですが、買春を肯定することで有名な東海地方の公立大学にお勤めのフェミニズム研究者(自認)は、もちろんここに何の問題も見出さないばかりか、むしろたんなる商取引が行われたのだとおっしゃらなければならないはずです。買春が成立する背景には経済格差が存在しているわけですが、にもかかわらず買春を肯定してはばからないわけですから、経済格差は不問にふされることになり、批判の余地などミジンコワムシほども存在しないことになります。
11月19日(水)またしても逸脱かよ
その買春を肯定することで有名な東海地方の公立大学にお勤めのフェミニズム研究者(自認)は、自分より上の世代のフェミニストたちが、性規範に関して保守的であるがゆえに買売春を肯定できないのだとおっしゃっていなかったでしょうか。なるほど、12歳のタイ人少女は、性規範を逸脱することができたから、伝えられるようにふるまうことができたということですか。そこに人権侵害を認めるような者たちは、がちがちの性規範遵法者だというわけですか。この方、おまけに無邪気に自己決定権などというカントもびっくりの概念をもち出すのですよ。
11月20日(木)ある種の慧眼のもち主
無邪気に自己決定権をもち出すことができるのは、きっとご自分が自己決定できるご身分だからでしょうが、まあそういう言い方で終わるのではなく、原理的なことを言えば、自己決定できているかどうかをだれがどのようにして判定するのか、という問題があります。各人が自己決定できていると考えれば、それで自己決定権を行使できたということになるのでしょうか。それとも、すべての人にそんなことを判定できる能力があるわけではなく、ある種の慧眼のもち主、たとえばフェミニズム研究者を自認するような方じゃないと、そうした判定はできないというのでしょうか。
11月21日(金)意識哲学
各人が自己決定できていると考えればそれでよい、という発想は、各人には対他関係抜きに自分が考えていることがわかるという意識哲学を前提するでしょう。つまり、そんなことはわからないはずです。だとすれば、自己決定できているかどうかは、なにか特殊な能力をもつ方による判断次第だということになるでしょう。しかし経済格差も考えずに無邪気に買春を肯定するような慧眼のもち主によって、あなたは自己決定できます、とか言われてもねー、です。
11月22日(土)どぶ以下
文科省の大臣が国立大学の運営費交付金を増額することが必要だとおっしゃったそうです。それ自体はよいことのようにも見えますが、しかし増額分が部局にまわるのではなく、たとえばなんちゃらセンターみたいな文科省と相思相愛のおちゃらけにまわってしまうのなら、それこそ税金の無駄遣いというものでしょう。もっとも、部局にまわっても、ゴミのような必修科目はあるわけで、そこにまわるのなら、どぶに捨てた方がはるかにましです。そうそう、どぶ以下ってことです。
11月23日(日)働いた
公的な学会を修論検討会にしないで欲しいとおっしゃった方のポストが炎上したという話を学生から聞いて、ちょっとのぞいてみましたが、すでにご本人が謝罪されてしまい、問題が検討されていないのはもったいないことだと思っています。実名でポストされているので、その方が理事等を務めていると思われるような学会では前期課程の学生が発表できないと思ってしまうという可能性が考えられ、そうなるとそのポストはアカデミック・ハラスメントだという側面はあるかもしれません。
11月24日(月)「典型的なパターナリズム」とは?
他にはどのような批判がありうるのでしょうか。ぶら下がってるのを読めばわかるのかもしれませんが、読んだ後で批判を批判したら、特定のポストの批判を批判しているように見えてしまうので、ぶら下がってるのは見ないことにします。ご本人のポストには、反省の弁として、「典型的なパターナリズム」と書かれています。これはどこの部分なんでしょうか。修論検討会にはして欲しくなくって、「指導教員がチェックした上でこれなら、というものだけにして欲しい」というところでしょうか。しかし前期課程の学生やあるいは後期課程の学生だって、指導教員が論文指導するのは当然でしょう。何もしない教員の方がむしろ大問題で、給料泥棒です。給料泥棒を知っていますが、それはさておき、もし指導一般をパターナリズムと呼んでいるのであれば、それは誤用ではないかと思います。
11月25日(火)権威主義
学会に対する権威主義という批判もありそうです。学会とは、修論を検討する場ではない、もっと高尚な場であるとかなんとか。学会は高尚な場であるとかなんとか考えられているのだとしたら、それは権威主義かもしれません。他方、学会は一定の研究水準を保つべきであるという主張は、必ずしも権威主義であるとは思われません。どこの学会も、構成員が減少しており、従来なら門戸を閉ざしていた前期課程の学生に入会してもらわないと立ちいかない現実があるのはたしかなことで、だとしたら、従来よりも研究水準が下がるということもあるかもしれません。しかしそれは、何でもありを意味するわけではないでしょう。
11月26日(水)権威主義 2
一律前期課程は水準以下と判断することが権威主義と言われるかもしれません。たしかに前期課程の学生の書いたものの方が、どこかの専任さまの書いたものよりも研究の水準がはるかに高いということはありうることです。だから、身分ではなく書かれたものの内容によって、水準をクリアしているかどうかを判断しないと、権威主義に陥るかもしれません。しかし、水準を設けることそのことを権威主義と呼ぶのであれば、もはや学会なんて存在しても無意味でしょう。こうした意味での権威主義の対義語は蒙昧主義だと思いますが、蒙昧主義にとって学会は不要です。
11月27日(木)あれとかそれとか
かつて権威の象徴としての大学の解体を求めて暴れた人たち(たいていはミソジニーを内面化したスポーツの苦手な人たち)がいて、その人たちがまんまと大学に残り、いつの間にやら大学を動かす側にまわって学問ならざるものをねつ造し、見事にアカデミズムを内部から崩壊させたわけですが、こういう反権威主義の潮流は蒙昧主義に他ならないわけですから(具体的にはあれとかそれとか、一目瞭然でしょう)、倒すべき相手を間違えないようにしなきゃいけません。
11月28日(金)管理者も停電
火曜の夕方に近くでとんでもなくでかい音がして絶対にどこかに落ちたに違いないと思いましたが、17時40分くらいに3つくらい連続で落雷があったそうで、そのせいで、どこやらで一番高いだの大きいだの、いったい何を誇ることがあるのか、むしろ恥ずべきことじゃないのかと心から思う観覧車が停止したそうです。ところが、消防が救助活動を始めたのは、閉じ込められた子どもからの連絡で親が通報した21時過ぎからだそうで、いったいそれまで何をしていたんでしょう。ひょっとして、たくさん楽しませてやるよ、というパターナリズムだったのでしょうか。そもそもあんなものに乗ることそれ自体が野蛮の極みだというのに、脱出ははしご車ですよ。もう死んだ方がましだわ。
11月29日(土)『パーフェクト・ドライバー』
たぶん前にも見かけたことがあるはずで、なかなか面白そうなのになぜ20分くらいが限界なのか、たぶん前回もそれくらいが限界だったと思いますが、まったくわれながらムカつきポイントにブレがなく、我慢できる限度もアップグレードされていなくて、笑ってしまいます。開始直後から、ガキんちょが気に入らないのですが、それが徐々に容量をオーヴァーしてしまいました。もう、ガキんちょ使うのはやめにしたらどうでしょうか。少なくとも視聴者のひとりは、最後まで見続けますよ。
11月30日(日)『ゴーン・ガール』
たぶん最初に観たのも機内だったような気がします。フィンチャーなのではずれはないはず、と思って観て、とんでもなく面白かった記憶があるのに、実は3度目の今回も、ほとんど内容を覚えておらず、やっぱりとんでもなく面白かった。忘却は力だわ。
12月1日(月)1214について
そんなわけで、昨日は14時間の苦行の後、「あれはジェノサイドではない」の人たちがたぶんたくさんいるところへ来てしまいました。ホテルは1214号室で、12階とかとんでもなく野蛮なところに泊まっていますが、121階よりかははるかにましです。相変わらず、相手が外国人に見えることとかまったく関係なく、容赦ない速射砲のフロントで、それはそれでよいことだと思いました。
12月2日(火)バート・ホムブルク
まずはフランクフルトでの発表が終わりました。厳密に言えば、会場はフランクフルト近郊のバート・ホムブルクでした。ここは、留学したときに学生寮に入るまでの約1カ月間をホームステイした街で、35年も前のことになってしまいました。賭博好きのドストエフスキーも滞在していた温泉があり、当たり前ですが、賭け事をしていたそうです。
12月3日(水)平常運転
DBがしっかり仕事をしてくれました。列車が時刻通りに走るなんてありえないわけですが、少なくとも昨日の地下鉄は定刻通りに走っていました。今日は、フランクフルトからエッセンへ移動しましたが、まずは1時間20分遅れでフランクフルトに到着し、出発しました。そしてなんと、「この列車はデュッセルドルフで終わり」とか表示が出て、追い出され、後は各人勝手にしてくれ状態です。エッセンまで指定席料金を支払い、もちろん特急料金も払っているのに、ですよ。言うまでもなく、「ごめんなさい」の一言もありません。こういうとき、「理解してくれ」とか言われ、それはそれでムカつきますが、今回は理解さえ求められませんでした。ええ加減にせーよ。
12月4日(木)ノー天気さの重要性
コロキウムの発表で、まずは相変わらずノー天気にヨーロッパ連合に希望と可能性を見出しているハーバーマスを批判的に論じることから始められるものを耳にして、とはいえやはりそういう可能性を論じる人がいてこその批判だろうとは思いました。そうしたノー天気さを先行させることなく、現状はいかようにでも解釈できるとうそぶくようなポストモダンでは、結局のところ現状維持の保守主義にしかならないだろうと思うわけです。ハーバーマスがいてこそのデリダであり、デリダがいてこそのハーバーマスであり、それ以外はまあ、お遊びの域を出ないのだろうと思います。
12月7日(日)戻りぬ
そんなわけで、早朝に羽田に降り、昼くらいに伊丹に戻りました。行きは14時間、帰りは12時間。たった2時間しか違いませんが、この差がとんでもなく大きく感じられました。つまり、意識に直接与えられるものほど怪しいものはない、ましてそんなものは認識が成立するための根拠になんてなるわけがない、と思いました。しっかり働いたつもりなので、今学期はこれで終了でもよいのではないかと思いましたが、こんなところでもやはり意識に直接与えられるものほど怪しいものはありません。
12月8日(月)「わしは例外な」
「人の生き方に口出しするな」とかって文字列を目にしましたが、これが人の生き方に口出しすることを生き方にしている人に向けられていたりするので、それはたんてきに遂行的矛盾だろうと思いました。人の生き方に口出ししないことがこの発話のなされる制約であるのに、発話することそのことによってその制約が裏切られてしまうからです。この矛盾を避けようとすれば、「人の生き方に口出しするな、ただしわしは例外な」という仕方で補足をつける必要があるでしょう。こういうのを特権って言うのだということを、特権で論文らしきものを書いてしまった人に教えてあげたい。
12月9日(火)既視感
「人の生き方に口出しするな」と言いながら人の生き方に口出しするそのふるまいについては既視感がありました。「否定的なことを言ってはならない」というやつです。「否定的なことを言ってはならない」と言っておきながら、否定的な言説を発した者に対して否定的に対応するのは、わしが設定したルールに従わない者はわしが設定したルールにわしが違反しながら成敗してくれるということであって、しっかり遂行的矛盾です。そしてこの矛盾から逃れるには、「否定的なことをいってはならない、ただしわしは例外な」という仕方で補足をつける必要があるわけです。こういうのを特権って言うのだということを、特権で論文らしきものを書いてしまった人に教えてあげたい。まあ、理解できるかどうかは存じ上げませんが。
12月10日(水)学知(という言い方もどうかと思いますが)
学知(という言い方もどうかと思いますが)と社会が遊離していることは由々しき問題ということで、いったいどういう問題が考えられているのか。たとえば、ひたすら文献学に勤しみ、なんなら有名な哲学者が手書きしたきったない字のテクストを必死になって解読して、文にして見せるそのこと自体を学知と呼ぶのであれば、そりゃ社会から遊離しており、そんな趣味は勝手にやってください、って言われるでしょう。文字起こしをした結果、その内容がすぐれた社会分析となっていたりした場合、しかしその社会分析があろうとなかろうと、社会的営みが成立しているのであれば、そういう意味ではやはり学知は社会から遊離していると言われるかもしれません。
12月11日(木)蒙昧主義
しかしそういう意味での遊離なら、ある意味では当たり前のことです。さらに言えば、そうした社会分析は学として抽象化をともなっているのですから、社会を見事に反映しているなんてことにはならないでしょうし、そういう意味でも社会から遊離しているでしょう。こうした意味での遊離を逃れようとすればなにが待っているか。言うまでもなく、蒙昧主義です。学知一般を権威ととらえ、これにかかわらないことこそをよしとするわけですから、そこに残っているのは、たとえば大学をテーマパークだとか呼んで悦に入る蒙昧主義です。社会性のない学知がとんでもだからと言って、学知一般を否定するのなら、もはやアカデミズムではないでしょう。皇国屋たちとつるんで、どこかほかでやればいいことです。
12月12日(金)もっともすぐれた商品
ミス・フィンランドとやらが「つり目」写真を公表して炎上し、「頭痛と目の痛みを感じ、こめかみ周辺を揉んでいた」とかって弁明しているそうです。いやいや、弁明なんてしなくていいって。どーせあなたはミスなんちゃらなんぞの品評会にいそいそと参加して、もっともすぐれた商品であると認定されて喜んでるアホなんだから、アジア人を差別して何が悪いんじゃ、わたしは世界でもっとも進んだ北欧のミスコン・チャンピョンなんだぞ、って言えばいいんですよ。ところでもっとも進んだ北欧さまは、武器の輸出ランキングでも優秀ですね。
12月13日(土)首尾一貫して差別者たち
さすが女性の品評会をやらかすだけのことはある北欧のその国家、国会議員やらなにやらもがつり目+出っ歯をやらかして、こんな冗談を気にするなというスーパー擁護を繰り広げているそうで、もともとは中国人差別だったようですから、中国は輸出を一切停止してやればいいんじゃないだろうか。21世紀にもなっていまだにこの程度の差別を国会議員ぐるみでやるなんて、と思ったけれど、21世紀にもなっていまだにミスコンやってるんだから、差別主義的メンタリティは首尾一貫している。だれだ、北欧はもっともすぐれた福祉国家群だとか賛美してしまったのは。外の世界に武器を売ってそれで国内の福祉を充実させるのが模範になるわけないだろ。
12月14日(日)4人の会
今日は久しぶりにかつての同僚たちと会いました。一番近い人でも70歳でしたが、みなさん元気そうで何よりでした。定番の不健康ネタよりも健康自慢の方が多く、孫ネタは1分くらいで、さすが世の中の流れにはしっかりと逆らっていました。世の中のGGIぶりが発揮されたのは、食事が運ばれてきたときで、運んできてくれた若人がなにやらおっしゃったことが4人とも聞き取れず、もっとわかるようにしゃべれよ、とこっちのせいではなくあっちのせいにしました。まあ、一応へたれ哲学研究者ばかりだったので、そこで若人に向かって「ごらぁ〜」などと言うことはありませんでした。GGIの定番でしめることにします。あの頃はよかった。
12月15日(月)あの頃もいた
なんといっても、陰で学生たちに「あの男は差別主義者だー」と吹聴してまわるような人はいませんでしたからねー。と思いましたが、いやいや、あの頃も、自称博士が掲示板でぐちゃぐちゃ言ってましたわ。精神疾患のある人の物まねをして笑いをとろうとするゲーニンを批判したら、「笑いはすべてを超越する」と言ってのけたアホです。そりゃあなたはその浅薄な知性を笑ってごまかせるかもしれないけど、不正は笑ってごまかしてもかまわないものじゃないんです。まさか、こんな笑いはすべてを超越する系が、大学院生を相手に単位を認定しているなんてことはないでしょうね。
12月16日(火)「これは芸です」
すでに何度も書いたことだけれど、大事なことなので何度でも繰り返すことにすると、こういう「笑いはすべてを超越する」系は、少し頭を使えば維持できるわけがないことはわかるので、にもかかわらずこんなことを言ってしまうという点において、共感的羞恥すら覚えてしまう可能性もあるわけですが(まあ、共感しないからそんなものは可能性にとどまりますが)、もっと性質の悪いのは、「これは芸です」と真面目ぶった顔をして言ってのけるやつです。顔は真面目ぶってますが、こいつが真面目なのはハラスメントをするときだけで、反省文だって朝飯前という輩です。