2024年
1月1日(月)ビビる
 
 親はすでにいないし、義理の親は生得的にいないので、帰省とか親類との楽しい語らいとか「大きくなったねぇ〜」とか「相変わらずアホだなぁ」とかの「あるべき生活」とはまったく無関係な時間を本館3階312号室で過ごしていたら、なんと夕方に結構長い間揺れてかなりビビりました。



1月2日(火)『白い巨塔』
 
 亡くなったイ・ソンギュンを代表する出演作について、新自由主義に対して批判的っぽく作りました(が、その実、新自由主義を肯定することにしかなってない、なんつっても、親父は失敗したけど息子は成功するぞ、がんばるぞ、って主張だし)的ポンの作品が挙げられていて、悲しみを倍増してくれます。どうした偶然か、亡くなる直前に、年末年始を利用して観ようと思い、まだ観ていない出演作をツタヤに予約していたのが、亡くなった後に送られてきて、もう焼いてしまったのだよなぁと思いつつ、観ています。



1月3日(水)『白い巨塔』2
 
 これって、もちろん原作は浪速大学医学部が舞台で、何度かテレビでドラマ化されていたと思うけれど、小説を読んだこともなければ、テレビで見たこともない。こういうのが好きな人って一定数いると思うけれど、そういう人は、こういうのの面白さがまったくわからない人も一定数いることを、きっと理解できないのではないかと思う。それはさておき、イ・ソンギュンを見ながら、いつか車の中でひとり死ぬことになるなんて思ってもいないだろうなぁと、悲しくなった。



1月4日(木)どうしてオリビア
 
 まあもう終わってるのに夜更けに電話とかしちゃいけないでしょう。だけど、だからと言って、もう話すことなど何もないとか、あんまりじゃないでしょうか。最後は、二度とかけてこないで、ですよ。まあ、そのくらいうっとうしいってことでしょうけど、こんなこと言ったら逆ギレする可能性もあるのではないでしょうか。などということを、何の脈絡もなく、今更ながら、ふと思いました。



1月5日(金)さすが
 
 災害支援となんちゃらとかいう新自由主義者たちの箱もの一攫千金事業とは、二者択一ではない、と主張なさっているどこかの市長だか知事だか(どっちでしたっけ?)がいらっしゃるそうです。さすがよくわかっているなぁと思いました。もちろん二者択一なんかじゃないです。一攫千金事業なんて、アプリオリにボツですから、選択肢なんかにはならないわけです。そんなわけで、二者択一なんかじゃないです。
 
 
 
1月6日(土)さすがすぎる
 
 元市長だか知事だかだった人が、救援物資を求める以上受け入れ体制が整っていなければならない、送られてきたものに対して責任がある、とかなんとか言ってるのを聞いて、さすがだなぁと思いました。この方の盟友が市長で、雨合羽を送ってきてくれと公共の電波を使って広く求めたときには、受け入れ体制を整えて、市役所にスペースを設けましたもんね。そして送られてきたものに対して責任があるので、公立の学校に引き取らせましたもんね。いやもう、さすがすぎます。



1月7日(日)どーしよ
 
 件のさすがすぎる方は羽田での事故についてもコメントされていました。管制官は、停止線で停止するよう指示を出したのであれば、その指示が守られているかどうかを見届ける義務を引き受けることにもなるそうです。だとすると、次に要求されるのは、当該義務を果たしているかどうかを見届ける義務の遵守でしょう。おぉ。だとすると、さらに、当該義務を果たしているかどうかを見届ける義務の遵守が果たされているかどうかを見届ける義務が発生することになります。部屋の鍵を閉めたときにやらかしてしまうがちゃがちゃ問題が始まってしまうわけです。どーしよ。



1月8日(月)なんでわかった???
 



新年早々、仕事熱心な方がいらっしゃって、「お米が入っています」とのこと。プラごみじゃないからダメみたいです。「プラ製の米です」と言い張るのはどうだろうかと思いましたが、「プラ」のマークがついてなければ可燃ごみになるそうです。じゃあ、「プラ」つけたらどうだろう。そこまですれば、この仕事熱心な方も認めてくださるでしょう。もう、新年早々、こんなお仕事をしている人もしている人ですが、そのお仕事ぶりをスマホで撮影する者の身にもなってください。だれかに目撃されないか、ドキドキしながら撮影しちゃいましたよ。



1月9日(火)元号党
 
 電話すりゃいいじゃん、って内容のことをわざわざ聞き取りに行ったと批判されているパフォーマーがいらっしゃるようです。ええ、所属する政党名にわざわざ元号を入れ込んだ元号党の方です。いやいや、その批判者はまるでわかっちゃいません。電話じゃあ、カレーを食べることができません。同じ釜の飯を食べると連帯感が生まれるそうですよ。連帯感。大事なところなので2度書いておきました。ところで、被災地ではもちろん、その党所属のなんとかって議員が言ったように、「怖がるおまえが怖い」とか「気にするな」って言って差し上げたんでしょうね。



1月10日(水)異論は合意を含意する
 
 カトリックのもっとも偉い人なんて、女性差別の最高位にいる人でもあるのだから、その人が代理母出産は「搾取に基づく」とか言ってもなぁ、と思わなくもないのですが、ここは見方を変えて、女性差別の最高位にいるような人ですら、代理母出産は「搾取に基づく」と判断できるような案件に他ならない、と言うべきではないでしょうか。合意があれば搾取ではないとか言う相変わらずノー天気なリベラル気取りの人も散見されますが、代理母となることに合意とやらをする人が富裕層に属するわけではないことをどう考えるのか、ぜひ聞かせてほしいところです。



1月11日(木)党派性
 
 現場で被災しつつどういう状況にあるのかポストを続ける国会議員がいて、もちろんその人のポストを全面的に信用していいかどうかはわからないし、自分にとって都合の悪いことは極力書かないようにするだろうけれども、しかし全面的に嘘八百ということも考えにくいところでしょう。ところがこの人のことをあしざまに言い、代わりに、カレーを食べて写真を撮り2日間でとっとと帰って行った元号にひれ伏すおっさんのことを持ち上げる弁護士みたいな人がいて、いったい何なんでしょうか。この弁護士、件の国会議員を与党の議員だと考えてポストしていましたが、その間違いを指摘されても一向に訂正しません。どうしてあの人たちは判で押したように無謬なんでしょうかね。



1月12日(金)大物芸人
 
 大物芸人とホテルで会って何もないと思う方がおかしいのだとしたら、その大物芸人は、ホテルで会ったら何かやらかす者であると思わなきゃおかしい、ということになるでしょう。大物芸人とホテルで会って何もないと思う方がおかしいとか言ってる人は、その大物芸人を擁護しているのか貶めているのか、どっちなんでしょうか。むかしは面白かった(がいつの間にかダメになった)と言う人もいるんですが、むかしから差別を基調とした弱いものいじめの芸風じゃないのでしょうか。ほとんど見たことはありませんが、笑った記憶がありません。



1月13日(土)カレー食人
 
 あのカレー食人、「動く千羽鶴」と言われているそうです。その心は、「沢山の人の思いが詰まっているが、役に立たない」だそうです。なるほど。しかし沢山の人の思いが詰まっていることは詰まっているんですか。嘆かわしいことです。千羽鶴自身は、鼻はふくらましていませんが、食人の方は、どんなもんだって考えてないですかね。「焚きつけて炎上するにはいいかも」ってぶら下がりがあって、それが面白かったです。
 
 
 
1月14日(日)無謬じゃなくてもいいじゃん
 
 ホテル・旅館などを避難所として利用する場合、災害救助法を法的根拠に、国と都道府県が財政負担をすることとなっていて、今回、すでにこれが適用されているところの知事がその旨発言したところ、「被災者にホテルや旅館へどうぞって、どれだけズレてるんだ」と、ご自身こそズレたことをポストし、その間違いを指摘されても訂正もごめんなさいもないようです。なにがなんでも無謬だぞ。



1月15日(月)ゲロ雑誌
 
 ある週刊誌のWEB版が、ある大物芸人について、「不利に働くような情報を持っている女性が証人として法廷に立てば、敗訴だけではなく、その後の芸能生命にまで影響を与える」かもしれないと書き、それが行き着く先を「最悪の事態」と呼んでいます。えっ、「最善の事態」とは言えないとしても「次善の事態」くらいには言ってもいいんじゃないの、と思いきや、「最悪」なんですか。まあ、語るに落ちるとはこういうことを言うのでしょう。ゲロだな、週刊○代。



1月16日(火)飛び降り
 
 年長の知り合いの叫び声が聞こえたような気がして、その後なぜか物音がする予感がして、しかし実際には予想よりも大きな感じがする「ドスン」という音がして、そしてその音を聞いて、逆にやっぱりさっき叫び声が聞こえたもんな、と思った。怖かったけれども第一発見者になり、ロッカーに戻ったら貸していた本が返されていて、それにはメモ書きが挟まれており、「遺書なんだろう」と思い、たたまれたメモをひらこうとしたところで、アラーム音に起こされた。



1月17日(水)ダメ出し???
 
 その大物芸人について、いつ自分に火の粉がかかってくるか半ばびくつきつつ、芸能界の常識とやらをお伝えくださる靴ペロ芸人たちがいます。それに対して、元々姉と漫才コンビを組んでいたのが、いつの間にやらたんなる声のでかい人になった方は、ダメ出しを行っている、とかいう言説があって、どのへんがそうなのかさっぱりわかりませんでした。芸は一流だが遊びは三流以下だというコメントが、「ダメ出し」にあたるようですが、伝えられているようなふるまいは、たんなる三流以下の遊びにすぎないと言ってるわけで、こんなもの、いったいどこが「ダメ出し」なんですか。見方によれば、たんなる靴ペロたちよりもはるかに質の悪い擁護ですよ。アホちゃうか。



1月18日(木)正直な人
 
 わざわざ政党名に国名を含ませているところがあって、委員長が交代するとかで、その新しい委員長のブレーンには「不機嫌である」の人がもれなくついてくるとか言われていて、まあ、その政党に期待するところなんて大してあったわけじゃありませんが、しかしその人がもれなくついてくるとなると、控えめに言って絶望しかないですね。その人、ある学会で冗談半分に「会長やったら?」と言われたら、満面の笑みだった、という過去をいつまでたっても言われてしまうほど、権力欲を隠しきれない人で、ある意味では正直な人ではあるのですが…。



1月19日(金)むかつきしかない
 
 わざわざ政党名に国名を含ませているところの書記長は、今度委員長になるとか言われている人をかつて恫喝し、今度委員長になるとか言われている人はその書記長にへーこらしていたような関係だったと思いますが、1月1日に心のふるさと八王子にある高尾山に一緒に行った様子を、今度委員長になるとか言われている人が動画として公開しています。恫喝した方は、さすが機関紙に元号を併記するだけのことはあって、いわゆる和服を着ています。その顔を見るとほっとするとかぶらさがってる人もいて、やっぱあれですかね、女性がしゃべると恫喝してくれる人を見るとほっとできるんですかね。ゲロ吐きそう。
 
 
 
1月20日(土)スタヴローギン
 
 その今度委員長になるとか言われている人は、党大会で他のコマを批判・糾弾し、晴れて名誉男性になれたみたいです。亀裂が入りかけている共同体を修復するためにはどうすればよいか。スタヴローギンが言ったように、仲間内でだれかひとりをその他みんなで殺せばいいと。しかしそんなことを繰り返す共同体に、外部から入りたいと思う人がたくさんいるかどうか、殺す側にまわりたい人たちっていうのは確実にいることはいるだろうと思うけれども、多くの人たちはまともな判断をするでしょう。そんなわけで、「不機嫌である」の人にはぴったりだけれど、まっぴらだ。



1月21日(日)デモとテロ
 
 派閥が解体されるのはいいことなのでしょうけど、その派閥が解体されることにとって、やはり大きかったのは、モリカケ桜氏がいなくなったことでしょう。だとすると、デモには意味がある、デモを行うことによってデモが行われる社会ができる、という言い回しを使って言えば、テロには意味がある、テロを行うことによってテロが行われる社会ができる、ということになるでしょう。もちろん、テロによって実現可能になってしまったことがあることは問題だと思いますが、しかしより大きな問題は、テロじゃないと実現されるべきことが実現されない状況がある、ということにあるというのに…。



1月22日(月)いつの間に
 
 「ロシアは10年以内にNATOを攻撃する」とか言ってるフランスの隣国の防衛大臣がいて、いつの間にそんな立派なことを言えるようになったのだと、かなりびっくりする。もう反省はやめたのか、こういう「フツーの国家」になるチャンスは逃しちゃいけないと考えているのか、ロシアを叩くのは許されているのか。NATOの他の連中は、この国家がこうしたことを言い出したら、恐ろしいとか思わないのだろうか。防衛大臣は社民党だけど、連立を組む緑の人たちは基本的に反共で反戦ではないし、もうひとつの政党は、むしろいまだに夜警国家を信奉しているだろうから、結局歯止めなんか効かないのだけれど。



1月23日(火)水滴チェック
 
 修学旅行において行われているという水滴チェック。最初はなんの話だろうと思って記事を読んだら、ますます何の話だろうってなりました。修学旅行で、風呂上がりに水滴がついてないかどうか、裸のまま教員によってチェックされるそうです。いったいどんな大義名分のもとでこんなチェックが行われているのかというと、入浴マナーを身につけるためにも必要な指導とのこと。こんなことを言ってる学校側は、もうアホ認定でいいんじゃないでしょうか。いや、ただのアホじゃなくって、収監されるべきアホということで。なんなら、国会に呼んで「入浴マナーを身につけるためにも必要な指導です」と言わせたらどうでしょうか。ちょっとびっくりし過ぎて嫌味も何も思いつきません。



1月24日(水)『レッド・ライト』
 
 なるほど、そういう話だったのか、と見終わってから考えてようやくわかりました。バカなんでしょうか。以前、観たような気がするのですが、合理的な説明のところで納得して、それ以降のシーンはただただわけがわからんと思っていたような気がします。じゃあ、謎が解けたからってわけがわかるかと言えば、別の意味でわけがわからず、んなアホな、という感想です。



1月25日(木)『コンクリート・ユートピア』
 
 たしかにノリノリで歌を歌うイ・ビョンホンは面白いのですが、しかしそのシーンも見方によっては非常にあやうい状況だし、全体的にいろいろと考えさせられる映画だと思いました。再配分を行う組織は必要だと思いますが、そして再配分を行う組織それ自体は再配分の対象がだれであるかということとは関係ないはずですが、共同体の成員であることが再配分の対象の資格として設定され、再配分を行う組織が同時に再配分の資格を満たしているかどうかをチェックすることになります。このふたつの結びつきは、なんとか切り離せないものなのか。あっ、さらにここに資本を絡めてくる人もいましたっけ。



1月26日(金)そりゃそう
 
 いつから「アンバサダー」なんて言うようになったんだ、などと言うようになったらじじい以外の何者でもないが、まあじじい以外の何者でもないのだからそこは別に構わないのですが、それが「余人をもって代えがたし」だそうです。つまりあの、大量に税金を投入して潤ってるのはだれでしょう祭は、あの方が「余人をもって代えがたい」ような催し物だということなのでしょう。まあ、そりゃそうでしょうね。



1月27日(土)宇宙か…
 
 なんと国際電話でなんちゃらファイナンスを騙る詐欺電話があるそうです。基本的に、知らない番号から電話があっても出ないので(場合によっては知ってる番号から電話があっても出ない、あるいは知ってる番号だからこそ出ない、なんてことはないです)関係ないのですが、今日+1844からかかってきたので調べたらそんなことが書かれてありました。ネットでは、ケベック州からの電話番号が示されていましたが、844なんて市外局番はアメリカにもカナダにもありませんでした。いったいどこからかかってきてるのやら。



1月28日(日)シニシズムならまだまし
 
 ある大学には、「迷惑をかけなければ授業中に鍋をやってもいい」という教師の言葉通りに鍋をやらないと自由について考えることのできない学生こそが、自分の授業の受講生であると考える教師がいるそうで、驚愕します。自分の言葉にまさしく従わせることを通じて自由について考えてもらうとは、なんたるシニシズムでしょうか。ただ恐れるのは、それがシニシズムですらなく、ひたすらマジだったりするかもしれないってことです。



1月29日(月)強者のロジック
 
 そもそも「迷惑をかけなければ」話法は、新自由主義のイデオロギーであり強者のロジックじゃないでしょうか。強者は、その言動が人に迷惑をかけているなんて、まったく考えもしないわけです。自己の言動が人に迷惑をかけているのではないかとびくびくしながら生きなきゃいけないのは、つねに弱者です。「迷惑をかけなければ何をしてもよい」というルールに従ってしたいことができるのは強者だけなんです。大学じゃなきゃ学べないですって? 新自由主義はそこらじゅうにあります。大学はむしろ、新自由主義を批判することのできる数少ない場所です。



1月30日(火)アレ、ぐら
 
 ちょっと前から目が痒く、鼻もむずがゆく、油断していると例の特有のはなみずが垂れる状況なので、昨日の夜、しばらくやめていた禁断のアレグラに手を出してしまいました。それが、久しぶりだったため服用の仕方をすっかり忘れていて、1度に2錠服用してしまいました。そしたらしばらくして、心臓がばくばくし始めて、心なしか背中がぞくぞくし始めて、メールも打ち間違いをするようになり、おっとろしくなったので強引に眠ってごまかすことにしました。過ぎたるは及ばざるがごとし。



1月31日(水)すみっコぐらし
 


 いただきものです。光がともります。じじいになると、夜中に目が覚めます。永遠に眠り続けないためにストッパーが作動するのだと思います。そんなとき、これまではスマホをいじるという若造のマネをしていましたが、昨日は、光をともしました。こんな感じです。・・・って、結局スマホいじってんのか。



2月1日(木)つくつくぼーし
 
 つくつくぼーし(と言ってもなんのことかわからない人が大半でしょうけど)が、大物芸人を擁護しているつもりの靴ペロ芸人たちについて「内側からものを言ってちゃだめ」とか「世話になったとかは論点が違う」とか、まともなことを言ってるそうです。小さなことからこつこつとー、と言いながら、首班指名でさっさと中曽根を選択するようなやつの選挙運動を手伝っていたのは、「西川」だから仕方のないことだったのですかね。「遊びは3流以下」などと、権利侵害の問題を遊びの質の問題にすり替えて擁護するような世渡りねえさんなんかとは、比べ物にならないほどまともでしょう。



2月9日(金)反抗期
 
 最終授業があり、テストがあり、成績登録があり、卒業論文・修士論文の試問があり、大学院入試があり、課程博士学位申請論文公開審査会があり、審査結果報告書作成があり、ドイツ語教室があり、しかしまだまだ片づけないといけないことが残っている。いろいろとすることが遅いので、ひとつひとつ片づけるのに時間がかかるのではあるが、ほかの人たちはよく片づけることができるものだと思う。明日もひたすらコピペをしないといけない。けど、やりたくない。



2月10日(土)あんなことやこんなこと
 
 「けど、やりたくない」とすっとぼけたところで、どうせいつかは自分がやらなきゃいけないわけだから、きっと今日終えてしまうだろうとうすうす思っていたら、案の定、5時間かけて終わってしまった。これでアドレス帳は作成できたのだが、実はこれはまだ準備段階で、次にこのアドレス帳を使って送り先1件ごとに手作業で送り状を作らないといけない。そうしないと海外へ印刷物すら送れなくなっているのだ。もうやめっか。ここまで労力かけて送っても、ルッツ=バッハマンとニーダーベルガーから「届いたよ」って連絡があるだけなんだから。あ〜あ、こんな作業さえなければ、土曜日はあんなことやこんなこともできたというのに。



2月11日(日)『彼と彼女のソネット』
 
 知り合いの最近の脳内ぐるぐるは知世さんが歌うこの曲だそう。学部生の頃、変なやつだと思われないように、公称原田知世ファンということになっていたので、陸上部の追いコンでもらったプレゼントは『原田知世写真集』だったし、この曲も知らないわけではないけれど、脳内ぐるぐるするほど知ってるわけではありませんでした。だから、たぶん京王線の車内から撮られたと思われる夕闇迫る街の風景の映像とともに流れる歌声を繰り返し聴いてみましたが、なんだか曲調も歌詞の内容もすこぶる難しい。これって、片方はパターナリストでいたかったけど、もう片方は相手にパターナリストじゃないことを望んでいるって話でいいんでしょうか。



2月12日(月)じんわり
 
 樽井さんが亡くなって3週間が過ぎ、じわじわと現実味を帯びてきました。式が行われたのは京王線沿線の教会で、京王線沿線の車窓を繰り返し見ていることと関係しているのかどうかはわかりません。式場には30分くらいしかいなくて、さっと行ってさっと帰ってきたので、あまり現実のこととは思えなかったということもあるのかもしれません。二人称が「てめぇ」とか「おまえさん」とか、怖すぎますよ。そんな人が亡くなったなんて、現実とは思えませんよ。棺の中のご尊顔を見て、「聖人のようだった」とかおっしゃる人がいて、まあその人は本気でそうおっしゃったんでしょうけど、聖人が「てめぇ」とか「おまえさん」とか言うものでしょうかね。



2月13日(火)聖人か?
 
 行きつけの飲み屋の旧知の店員が身体のためにメンソールを吸っていたら、「そんなもんはタバコじゃねぇ」と吐いて捨てるように言う人が聖人なんてことがありうるでしょうか。大阪哲学ゼミナールには、2度もお呼びしたことがありますが、石橋方面へ降りていく際に、一瞬だけ目にすることのできる絶景をお見せしたら、「おぉ」という顔を見せたものの、「おまえさんのもんじゃねーだろ」と憎まれ口をたたかずにはいられない人が、聖人なんてことがありうるでしょうか。そんなわけで、油断してたらまだまだそこらで悪態をつきそうなんですよ。



2月14日(水)わはは
 
 「授業評価アンケートで心をやられたコメントを教えてください」って問いに対して。「英語で話すのをやめて欲しい」 (ちな英語の授業)」(英語だってわかるなんてすごいじゃん。)「授業中に課題について説明したそうですが、授業に出るか出ないかは学生の自由なので、授業中に説明するのはアンフェアだと思います」(自由を行使できたんだからフェアじゃん。)「スライドで英語が出てきた。気を付けてほしい。」(気がつきませんでした。ごめりんこ。)「偉そうに喋ってるだけで 給料もらえて羨ましいわ。」(だよね〜。)



2月15日(木)ううう
 
 

おひるねにゃんこ、かわいすぎて食べらんないじゃないですか。



2月16日(金)2度言っておこう
 
 『白頭山大噴火』のロシア語吹き替え版を見ましたが、まあさっぱりわかりませんでした。何の間違いか、近頃マブリーとか呼ばれている人が科学者を演じるという、もうそれだけで十分に冗談がきっつい映画です。もちろん、核弾頭をそんなに都合よく爆発させるなんてことができますか、という笑えない問題も含まれています。いくらチョン・ヘジンが美しいからって、そんなご都合主義を娯楽映画に混ぜ込んでくるのはどうなんだと思いました。いくらチョン・ヘジンが美しいからって。



2月17日(土)『教授とわたし、そして映画』
 
 イ・ソンギュンのクズっぷりを観たくなって再見。やっぱ、クズだわ。寄ってきた女に夫がいるかどうかを尋ね、いるとわかると、用事が待っていることになる。まあ、相変わらず声はすこぶるいいのですが…。そのクズに惹かれるのは何となくわからないでもないのですが、妻のいる教授はいったいどこがポイントなのか、よくわかりませんでした。そもそも山登っちゃうしね。ありえねー。



2月18日(日)自由に支える
 
 ポンの『パラサイト』(なんとこれもロシア語吹き替え版がでまわっていました)は、基本的に新自由主義の肯定でしかないと思ってきましたが、よく考えたら、パラサイトなんだから宿主に死んでもらうわけにはいかないわけで、当然それを肯定するほかないでしょう。ひょっとして、パラサイトがいるかぎりにおいて宿主は生き続けることができるのかもしれないのだとすると、新自由主義を存続させてしまうのは、パラサイトなのかもしれません。おまけにソン・ガンホは、みずから進んで自由にパラサイトとして生きることを選択していました。自発的隷従。



2月19日(月)還付金詐欺
 
 派閥の政治資金パーティーによる収入から議員へとキックバックされたものを「還付金」と呼ぶそうです。これが噂の「還付金」詐欺ですか。ATMとかでは、「還付金詐欺」に気をつけるよう注意喚起が行われていますが、あれって、「還付金」がもらえるよ、だから暗証番号教えてね、ってタイプの詐欺じゃなかったでしたっけ。暗証番号教えても、「還付金」は1円ももらえないどころか、逆に知らない間に口座から引き出されてしまうんですよね。だけどさすが自由で民主的な人たちの「還付金」は、ちゃんともらえるみたいですよ。裏金なのにちゃんともらえちゃうからこそ、正真正銘の詐欺なんですけどね。
 
 
 
2月20日(火)お金持ちクラブ
 
 大学院生の時に、お金持ちクラブの奨学金で留学させていただき、帰ってきてからはしばらくご奉仕活動に勤しんでいたことがあります。相手はお金持ちなんだからふんだくってやればいい、とか言うような自称左翼の図々しすぎる人ではなかったので、それなりに返済はしないといけないと思っていました。当たり前です。ところがあるときこの人たちが開くチャリティー・コンサートの企画にかかわって、それ以降、かかわることを辞めました。地方自治体では、「チャリティー」というタイトルがつくと、公共施設の使用料を減額されたりする場合があるのですが、その減額制度を利用して、お金持ちクラブがチャリティー・コンサートを開いたのでした。



2月21日(水)伝統芸
 
 いや、別にお金持ちクラブが減額制度を利用したって問題はないでしょう。問題は、チャリティーを謳い、その売り上げをどこに寄付したか、です。もちろん寄付すべきところに、売り上げの一部は寄付されました(このことが、ある意味ではいっそう狡猾です)。しかし売り上げの大半は、コンサートが開かれた地域のお金持ちクラブに寄付されたのです。責任者は、ある私立大学の教授でしたが、その行為を「日ごろから上納金を収めている地元へのチャリティーだ」と臆面もなく言いました。「還付金」詐欺は、この共同体のお金持ちたちの伝統芸なんです。



2月22日(木)強制による共生
 
 被害者が処罰を望んでいないということで、法の運用が左右されていいわけがないでしょう。そんなものは、人治主義であって法治主義ではありません。被害者の遺族の気持ちをもち出して、国家による殺人を正当化するのと同じ理路です。関係ないやつがエラソーなことを言うな、実際には二次被害とかがあるから問題を大きくしたくないんだよ、って言いますか。そうですか。その言説そのものが、二次被害を生んでいるってことはお考えにはなりませんか。そうですか。かくして「共生」は完成する、と。



2月23日(金)祝っちゃいましたか
 
 当然だけれど、臣民じゃないので祝ったりするわけがなく、出勤してようやく海外発送分を発送できるようにしました。こんな面倒なことを、これから毎回やらなければならないのかと思うとぞっとします。こうやってめんどくさい作業をかませることによって、脱税を防ぐつもりなのか、テロを防ぐつもりなのか知りませんが、脱税しようとする者やテロを実行しようとする者なら、こんなことくらい厭わないでしょう。だから抑止策にはならないのです。脱税もしないしテロも試みない多くの人たちに、ただただ無益な作業を強いているわけです。臣民は黙って従ってろ(おぉ、テロ)ってことですか。でも臣民じゃないしなぁ。



2月24日(土)マレーの猫


 
 マレー特派員から、マレーの虎ならぬマレーの猫の写真が送られてきました。マレーの虎なんぞよりはるかにいいです。つーか、比べることすらおぬこさまに対する侮辱です。



2月25日(日)根絶一択
 
 女王が長々と生き続けたため、高齢になってようやく王として身分制の頂点に立つことができるようになったやつがガンだそうで、そもそも王室なんてものが除去しなきゃいけないガンなんだよ、くらいにしか思わないです。いや、間違ってました。たんなる除去なんかじゃなく、根絶しなきゃいけないと思ってます。何世紀にもわたって植民地主義の先頭に立ち、元を質せばおまえたちのせいだろ、という問題なのに、パレスチナにおけるジェノサイドを肯定しています。どっかのノー天気なじいさんとは異なり、共和主義なら平和が実現されるなんて単純に考えたりしませんが、しかし少なくとも君主なき共和主義は実現されなきゃいけないと思います。



2月26日(月)空耳なのか
 
 かりに複数の人たちが同一の証言をしたとして、たとえばある人たちは長いこと談笑していたと証言したとして、そのときそう証言された側が全否定するとすると、その全否定する側の人たちは、証言者たちは長いこと空耳アワーズだったんだと言うのだろうか。あるいは、証言者たちは同一の虚偽を発言しているのだと言うのだろうか。もしマジでそんなふうに考えているのだとしたら、なぜ複数の証言者たちがそんなことを言うのか不思議でならないだろう。謎は解き明かさないと。



2月27日(火)靴ペロ提灯記事
 
 朝○新聞デジタル版の提灯記事。どこぞのわんわんがあろうことか職務質問の技の継承を進めているなどというクソ記事を、臆面もなく垂れ流している。マス・メディアであれば、職務質問などという任意の名のもとに行われる暴力を背景とした職権の使用を批判する役目があるだろうに、「技の神髄を記者が聞いた」などと靴ペロ全開だ。「職務質問はあくまで任意。相手には、自分の意思で応じてもらう必要がある」などと書いて、バ○丸出しだとか思わないのだろうか。ひょっとして、恥辱のあまりすでに崩れ落ちているのだろうか。だったら、崩れ落ちる前にそんな仕事はすんなよと言いたい。



2月28日(水)ひょっとして
 
 技の神髄を聞いた靴ペロ提灯バ〇記者は、東南アジアからの人たちは急いでいても極力走らないように注意しないといけない、なぜなら走っているとわんわんによって職質で引き留められ、結局遅れることになってしまうから、なんて話を聞いたことはないのでしょうか。自分の意思で応じてもらう必要があるため、「犯罪とは無関係の雑談から、会話を続け」るそうですが、どうしてわんわんなんぞと雑談しなきゃいけないのか、理由を教えてほしいものです。背後に暴力が控えていなきゃ、だれがわんわんなんぞと好き好んで話をすると言うんでしょうか。「バカも休み休み言え」(藤谷美和子)。ところでこの提灯記事の見出し、「職務質門のすご技」でした。ひょっとして、全編職質をディスってるのだったら、謝ります。ごめりんこ(島木譲二)。



2月29日(木)そこですか
 
 たしかにこの臣民共同体においては、再配分機関が果たすべき役割を果たすことなく、家族がその代わりを担わされることがデフォルトになっているのだろうと思います。しかしこうした臣民共同体のあり方を批判するときに、「だから経済の発展が阻害される」とかポストされている方がいて、「ダメだこりゃ」(長さん)と思いました。問題は経済が発展するかどうかにあるのでしょうか。経済が発展するなら、再配分機関が果たすべき役割を果たさなくても問題ないと、そうおっしゃるのでしょうか。それって、新自由主義のイデオロギーとどれほど違っているのでしょうか。
 
 
3月1日(金)問うべきは規範ではないのか
 
 問題は、ある臓器をもっているからといって、その臓器の使用を強いられる点にあるわけで、そうした強制を正当化するイデオロギーを暴露し、規範の変更を実現することこそが問題の解決をもたらすに違いありません。その臓器をもたないことにする権利を主張する人たちは、結局のところ、その臓器をもつならその使用を強いられる規範を肯定していることになるのではないでしょうか。
 
 
 
3月2日(土)『THE WILD  修羅の拳』
 
 うたい文句が、「終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖 ルール無用のバイオレンス・ノワール開幕」なんですが、土曜日は、9時35分の回しか上映がありませんでした。9時35分て、朝の9時35分です。土曜日の朝、9時35分から、終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖があり、ルール無用のバイオレンス・ノワールが開幕しちゃうわけです。これ、いったいどういう人が観るんでしょうか。可能性としては、金曜日の夜から眠ってないという人も考えられるでしょうか。土曜日の朝、フツーに起きてこれを観れちゃう人と、前の晩に眠らずにこれを観れちゃう人、うーむどっちもヤバすぎる。
 
 
 
3月3日(日)『犯罪都市 3』
 
 そんなわけで、「終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖 ルール無用のバイオレンス・ノワール開幕」を土曜日の朝から観たりしない凡庸な一般市民のわたしは、筋なんてほとんど関係なく、おそらく途中で1時間くらい眠ってしまったとしてもさほど問題のないマ・ドンソク(だれがマブリーじゃ)を観てしまいました。最後に「coming soon」とかいうのがくっついてて、もういい加減にしたら、と思わなくもありませんでした。真面目なことを言えば、やっぱ「真実の部屋」は許されないでしょう。



3月4日(月)『落下の解剖学』
 
 そんなわけで、話題のこれも観ましたが、まあじじいには長い。何度も逆転したりするので、これだけの長さが必要なのかもしれませんが、まあ、逆転しなくてもいいという身も蓋もない言い方もないわけではないでしょう。いや、そういうやつは観るなよ、ですかね。これって、結局あれですよね。あれだと思うんですが。違うんですかねぇ。だれも答えをコメントしてくれていない。



3月5日(火)お気持ちの問題ではない
 
 少なくともその「不適切行為」というものが懲戒処分の対象なのだとしたら、それはやっぱり問題がないだろうか。まあ、婚姻関係にある人がいることからすれば、そうじゃない人との「行為」は「不適切」であり、厳密には「違法」なのだろうけど、それよりもその懲戒処分を受けた人の道徳性が罰せられているのではないだろうか。あるいは、その「不適切行為」以外の過去の言動込みで罰せられているとかいうこともないだろうか。性暴力があったのならそのことが問われなければいけないし、人権侵害があったのならそのことで罰を受けなければいけないだろう。道徳と法をごちゃごちゃにして、すべてお気持ちの問題にするのは臣民共同体の掟かもしれないけれど、それ自体が不正ではないだろうか。



3月6日(水)アウフヘーベン(分離動詞)
 
 皇国屋にお勤めのような方がアカデミックな営為をなさること自体、まったく理解を超えていて、だから皇国屋にお勤めであるという情報が間違っているか、その方のなさっていることはアカデミックな営為であるとされていることが間違っているか、きっとどちらかなんだろうと考えられますが、なんと仄聞するに、この生ける「矛盾」が公共放送においてウクライナとの連帯を高らかに謳ったそうです。ということは、皇国屋にお勤めであるという情報は誤りではなく、なさっていることはアカデミックな営為であるとされていることが誤りだと判明しました。かくして「矛盾」も見事に止揚されました。



3月7日(木)わはは
 
 阪ちんが面白いことになっていて、シーズン最下位だったときと同じく、オープン戦6連敗だそう。阪ちんをディスりたくて仕方のない日刊クソクソゲンダイは、大喜びしていることでしょう。優勝した翌年に一気に最下位になり内紛勃発とかいうのが、華々しくってそれなりにインパクトがありそうなんですが、たぶん、中途半端に4位くらいになって、来年以降、暗黒時代が始まるのではないかと、そしてその中途半端さも阪ちんらしいところではないかと思っています。
 
 
 
3月8日(金)生きている以上、安全じゃない
 
 市報に市議会での質疑がまとめられており、そんなものを読んで文句を言うとか、どんだけ政治的なんだと思わなくもないのですが、いやしかしなかなかすごいことが書かれてあります。来年開かれるらしい(いやもう、いまからでも返上していいんですよ)なんちゃらとかいう催し物に関連して、その埋め立て地は安全性に問題があり、予算をつけてそこへ子どもたちを送るのはよろしくないのではないかという質問に対して、安全じゃないのはここに限った話じゃない、全国的に安全じゃない、という返答ですよ。えええーーー。もういっそのこと、テーマにからめて、命とはつねに危険との隣り合わせであることを経験するのだ、とかなんとかほざけばよかったんじゃないのくらいに思えてきますよ、まったく。
 
 
 
3月9日(土)「私だって」だって
 
 国際女性デーにちなんで、ネオリベもリベラルだの新聞社が記事を組み、その中でしゃべらせている人が、「自分の特権に気づくのは難しいことですし、それは私だってそうです」とかおっしゃっているそうです。この「私だって」ってどういう意味なんでしょうか。いろんなことに気がつくこんなに賢い「私だって」っていう意味なんでしょうか。ぼんくらの読者諸君とはレベチで、ぼんくらの読者諸君の蒙を啓いてあげる「私だって」っていう意味なんでしょうか。それはそうと、このコンテクストにおいて「私だって」なんて言ってしまえることそれ自体において、自分の特権に気づくのは難しいことが明確に示されていると言えるでしょう。さすがだ。



3月10日(日)んちゃ
 
 ペンギン村からおはこんばんちわの人が亡くなって、その作風は政治的じゃなかったとか言って褒めているつもりで貶めている方を見かけてしまいました。それに対して、あぞといことが得意なネオリベもリベラルだの新聞社が、いかに政治的だったかを紹介していて、それはそれでうんこ臭い。政治的じゃない言説なんてないんだから、政治的じゃなかったとか言ってるやつは寝言を言ってるだけだし、政治的だったとか言うことによって政治に敏感ですアピールをするやつらもうっとうしい。そんなわけで、断然あられちゃん。



3月11日(月)暴力を連想




 
 構内のある場所ですが、いったい何が起こっているのでしょうか。けっしてエコロジストではありませんが、しかしエコロジストじゃなくても、この光景を見て、暴力を連想することは難しくないのではないでしょうか。ほんとに、いったい何が行われようとしているのでしょうか。



3月12日(火)ハリウッド
 
 白人至上主義を全世界に向けて広報したアカデミー賞授賞式って、さすがハリウッドと言うほかないです。まともな対応をとろうとしたのはサリー・フィールドだけでした。そういえば、ウィル・スミスは10年間、授賞式に出ることができません。その決定も、いかにもというポリコレしぐさです。ジェノサイドの手助けをしておきながら、支援物資を空中投下するとかいう欺瞞としっかり通底しています。そんなわけで、ハリウッドは見事にアメリカを代理表象しています。



3月13日(水)『ある会社員』
 
 もちろん初見ではなかったけれど、結末を覚えていなくて、ひょっとしたらこうだっけ、と思っていたのとはまったく逆の展開で、つくづく忘却は力なりです。今回、ジャケットを見て「おぉ、竜ちゃんが出てるのか」と思った記憶があるのですが、実はジャケットには竜ちゃんの姿はなく、いったい何を見て竜ちゃんが出ていると思ったのか、直近の記憶すら忘却しています。そしてあれほど重要な役回りだったにもかかわらず、竜ちゃんが出ていることをすっかり忘れていたなんて。まあ、繰り返し観ることができるから便利ではあります。



3月14日(木)婚姻しない権利
 
 人権云々とか言うのであれば、婚姻の自由なんかより、婚姻しないことの自由の方がはるかに重要だと思っています。パートナーを国家に登録したがる心境がまったく理解できないとか言えば、それはおまえがいつだって登録できる特権をもっているからだー、とか言われそうですが、いやだからパートナーを国家に登録することを権利だなんて考えるのが間違っていると言ってるわけです。



3月15日(金)見世物
 
 どうして野球選手が婚姻関係を結ぶとその婚姻関係を結んだ相手を見世物にしないといけないのか、まったく理解が及びません。もちろんこの臣民共同体においてだけでなく、おっとろしいほど家族主義的で、暴走じいさんか暴走じいさんよりかはましだということそのことだけがウリのじいさんか、そのどっちかが大統領になってしまうような文字通りアメリカン・ドリームの実現する共同体においても、それがフツーのこととされています。もうゲロすぎる。



3月16日(土)ぜひ
 
 ある市議会議員が市議会での発言を画像と共にSNSにアップしていますが、それを引用しながらヘイトだから閲覧注意とお書きになっている研究者とおぼしき人がいます。市議会議員が市議会においてヘイトスピーチを行っているのであれば、それは大問題でしょう。この研究者とおぼしき人は、閲覧注意を呼びかけるだけじゃなくて、当該市議会に申入れを行う必要があるのではないでしょうか。不正がなされていることをご存じなのに、何もなさらないのであれば、共同正犯を疑われかねないところですから。



3月17日(日)『ベテラン』
 
 これも2度目ですが、言うまでもなくどんな話だったかほとんど覚えておらず、途中でとても笑えるような話じゃないところがあって、そういえば前も嫌な気持ちになったことを思い出しました。オ・ダルスやユ・ヘジンだけじゃなく、なんとマ・ドンソクまで出てて、結構お金はかかっているかもしれません。あとは、ミス・ボンにキックされたいくらいでしょうか…。



3月18日(月)働くお兄さん


 
 黙々と働くお兄さんがまぶしかったので、ついつい撮ってしまいました。もちろん本人の許可は得ております。ちらかしよごすお兄さんたちがきちゃなくした学部生室を、働くお兄さんが掃除しているわけです。床のしみになった汚れが雑巾がけできれいになったと喜んでいる姿を目の当たりにして、涙が出そうになりました。やたら道徳性を説きまくるくせにこういう仕事は一切せずに外注するカント研究者たちには、爪の垢すらもったいないところです。



3月19日(火)有給
 


 有給休暇を年に5日分はとらないといけないことになっていて、ほったらかしておくと勝手に休業日を決められてしまうので、仕方なく本日が休業日で、久しぶりに平壌冷麺と玉子スープの日でした。本店は定休日で支店へ行きました。冷麺は本店がおいしいそうですが、いやもう、支店でも十分においしいと思いました。あまりにもおいしすぎて、つくづく、近くになくてよかったと思いました。
 
 
 
3月20日(水)笑うしかない
 


 マレー特派員だった人が、いつの間にかジュ○ク堂ウォッチャーと化していて、現在のジュ○ク堂でありようを写真つきでご報告くださいました。いのちshine(≠○ね)なんちゃらとかいうスローガンのなんちゃらとかいう箱もの一攫千金後は負債だらけ大会キャンペーンが行われているようで、もう笑うしかありません。そういえばかつて三波春夫は満面の笑みで「こんにちは〜、こんにちは〜」と歌っていました。「お客様は神様です」で知られるこの方は、赤旗まつりにも右翼の集まりにも呼ばれれば行くという、ある意味では有言実行の人でしたが、よく考えたら、赤旗まつりだって今となっては…(略)。



3月21日(木)だる
 
 婚姻関係を結んだ人を見世物にしている・されちゃってる人は、たしか東北地方の高校出身で、てっきり野球留学かと思っていたら、岩手で生まれ岩手で育ち岩手の高校へ進学したみたいで、少なくともその点においては、スポ根に否定的で立派なことを言うけど大阪出身で東北地方の高校へ行った方よりかははるかに優れているでしょう。後者は、偉いとされているじいさんたちに盾突くのは立派だと思うけれど、でも大阪じゃ甲子園に出らんないから野球留学しちゃったんですよねー。
 
 
 
3月22日(金)反論
 
 ひと頃、野球留学に対しては批判的な声もあったように思うのですが、いつの間にやら批判されないようになっているのではないでしょうか。これについて、有名私立の進学校へ行くために親元を離れる者と同じではないか、と弁護する人の話を聞いたことがあります。しかし甲子園へ出られる高校は、夏は各都道府県1校ずつ、春だってせいぜい2校でしょう。そうすると、野球留学生たちを集めて強くなった高校が甲子園へ出たら、その他の高校に進学した生徒たちは甲子園には出られないことになります。他方、大学進学に関しては、少なくとも形式的には都道府県別の割り当てはありません(男性は下駄をはかせてもらえるという特権はありましたが)。そんなわけで、他都道府県の有名私立の進学校へ行くことと、他都道府県へ野球留学することとは、同じように論じることはできないのです。



3月23日(土)雪山
 


 そんなわけで、本日からこのような景色が見えるところでの研究会です。ここは、いわゆる「人の絶景ポイントは私の絶叫ポイント」で、とっても怖い思いをしつつ、雪山を撮らないわけにはいかないので、とんでもなく視野を狭めることにしました。会場は、すでに何度か行ったことのある場所ですが、しかし毎回、必ず迷います。今日もしっかり迷いました。ここだけの話ですが、あの建物は、きっと動いていますね。それに気がついてしまいましたよ。諸般あるので、まあ、知らないことにしておきますが。
 
 
 
3月24日(日)矛盾はしてないか
 
 朝から「錯覚の科学」を観ました。血液型と性格などなどが取り上げられ、疑似科学の話になり、境界設定の切り札として反証可能性が紹介されました。この番組の何が問題なのか。番組は、ふたりの登場人物によって進められます。ひとりがわからない人、ひとりがそのわからない人に教えてあげる人です。もう予想がつくと思いますが、わからない人は若い女性、教えてあげる人は若造でも年寄りでもない年齢くらいに見える男性です。えっ、タイトルが「錯覚の科学」ですか。そうですか。



3月25日(月)めんどくさい
 
 帰りの便は、3人掛けの通路側で、窓側の女性と真ん中の男は、おそらく婚姻関係にある人たちだったと思います。行きの便は揺れたので飲み物サーヴィスがなくなりましたが、帰りはありました。キャビンアテンダントがやってきて、まずは窓側の女性に何にするか尋ねるのですが、尋ねられてもいない真ん中の男が「スープ2つ」と答えるのです。それがどうしたって、思いますよね。こんなことが気になるなんて、おかしいですよね。しかし気になってしまうのです。「うるせー」って思ってしまうのです。「おまえは訊かれてないだろ」って。その男は、ことによるとそこに「やさしさ」を見出しているのかもしれませんし、それが一般的なことなのかもしれません。しかし「人のやさしさポイントは、私のうっとうしさポイント」です。われながらめんどくさい。



3月26日(火)めんどくさい 2
 
 ここでその男や女性がどんな顔をしているんだろうとかって、のぞき見たりすれば、それはもうルッキズムの始まりであり、差別の始まりであるので、言うまでもなくご尊顔をあおぐことはありませんでした。そもそもそれでどちらも満足しているのなら、何の問題もないではないですか。いや、そうでしょうか。満足しているかどうかと正不正の問題は別です。自発的隷従を生きる人たちは、きっと満足しつつ隷従することでしょう。しかし満足しつつ隷従することそれ自体が、問われるわけです。何を「スープ2つ」くらいで騒ぎ立てているんだって言いますか。でも、細部に政治は宿りますから。



3月27日(水)ったく
 
 昨日は、初の試みとして金曜ゼミ春期研究会を開催し、金曜ゼミなのにどうして火曜に開くのかとかいう本質的な問いに対しては、本質を問う者は差別主義者であると答えることにして、昼休憩を挟み、7時間くらい公共圏が形成されました。まあ、いまに始まったことではありませんが、大学教員に対する批判的見解が数多く提出され、自分のゼミ生たちが教員に対して批判的であるのは大いに結構、わはは、などと喜んでいられるほどアホでもなければ面の皮も厚くないので、諸般考えさせられました。まあ、やってられっかって、いつもより早くに寝ましたけどねー。



3月28日(木)不正への加担
 
 もう耳タコだと思いますが、人文学が何のためになるのかとかいう問いに答えるのが、人文学者の役割だなどというのはまったく間違っています。そんなありもしない使命を果たして喜んでいる姿は滑稽であってそれこそ笑い飛ばされるだけ、ならまだましです。こんなありもしない使命に応えることは不正だと考えているわけです。「〇〇のために」ゲームが前提しているイデオロギーは、「〇〇のために」が言えないようなものは不要であり、もっと言えば存在してはならないという、簡潔に言えば新自由主義です。だから、こんな問いに答えることはたんに滑稽ではすまないことであり、端的に不正への加担なんです。



3月29日(金)レトリックじゃねーって
 
 こういうふうに言うと、それはレトリックであって本当は人文学も共同体の役に立ってるって考えてるんでしょ、とか、私はすべてお見通し的な人が登場したりするのですが、いやいやあなたが見通しているのはあなたのささやかすぎる利害だけで哲学の議論はちっとも見通せていませんて。だから文学部出身者による、私はいかにして勝ち組に入れたかなどという講話をありがたがってしまうのですが、そのありがたがり方はシニシズムにしか見えないよ、なんて言われても何のことかわからないのです。何度言ってもいいですが、人文学で学んだことが、人生の岐路において役に立つなんてことは、ロジカルにありえません。



3月30日(土)形式がすでに…
 
 研究会でのもともとの問題は、現代における知識人の役割であり、大学教員としておまえはどういうふうにふるまっているつもりなんだ、ということでした。少なくとも、啓蒙された左翼前衛党が大衆を導くなんて絵空事はやるべきじゃないし、幸いなことに、すでにそんなことはできないでしょう。別に左翼前衛党じゃなくても、知識人と呼ばれる人がなにか政治的発言をして、従順にそれに従う人々がいる状況は、まったく好ましいわけがありません。近頃あるイシューをめぐって、自分の新書を読んで勉強しろとか言ってのけるアホがいますが、主張内容以前に、そうした形式がすでにうんこであることは自明です。



3月31日(日)なはずがない
 
 そうなるとせいぜい言えるのは、自分で考えるよう求めることくらいか、ということになり、ケーニヒスベルクのあのじいさんが正しいってことになってしまうのか、やだなぁ、と思いましたが、やっぱそうじゃないことがわかりました。あのじいさんが求めているのは、自分で考える勇気をもつことです。重要なのは、勇気をもつことなんです。えっ、それがなぜ問題かって思っていらっしゃるでしょうか。問題ですよ。そしてそこにあのじいさんの哲学の悪質なところが集約されていると言えるかもしれません。ええ、もちろんその理由はご自分で。



4月1日(月)ほとんど自明
 
 ある書物の出版に関して、その書物の取扱店を放火するという脅迫があったらしく、実際に丸善やジュンクで予約しようとしたら、予約できない旨、返答されたという事例をいくつか目にしました。これに関して、購入者に危害を加えるという脅迫があったと言い換えた方が、報道によれば脅迫内容は書店の放火であって購入者への危害ではない、と言われ、?つき呼ばわりされていたりします。なるほど、書店の放火と購入者への危害が別の事柄であることはたしかでしょう。嘘つき呼ばわりする方は、では書店の放火についてはどのようにお考えなんでしょうか。この件に関してことさら正確さを要求する人は、いったいどのようなイデオロギーを背負っているのでしょうか。まあ、ほとんど自明でしょう。



4月2日(火)恐れ入る
 
 ある学会に、当該学会員の論文が差別的だからとかでなんらかの要望を出した人たちがいるそうです。差別的な論文を書いたとされる人が、要望を出したひとりに直接返答したら、ショックだのパニックだの言って体調を崩したからもうやめてくれと言い出す始末なんですが、がきんちょの喧嘩じゃあるまいし、差別的だと強い言葉で批判されたら、いかに差別的ではないかを明らかにするのはあたりまえで、それでもなお差別的だと考えるなら、再反論すべきだし、再反論できないのなら、差別的としたことは誤りであることを認め、相手に謝罪すべきでしょう。そんなルールも守れない人が研究者とは、まったく恐れ入る。



4月3日(水)恐れ入る 2
 
 もうひとつのパターンは、そんなことしましたっけ完全無視タイプ。学会発表において、ある人たちの論文をとりあげて、「フォビアだ」と言っておきながら、根拠を求められると死んだふり。あくまで死んだふりなので、その実めっちゃ元気だったりして、体制批判をしたりするんですが、しかし体制批判がいくらまっとうな言説だからって、研究者なんだから学会におけるふるまいは、それとは別に評価されるわけです。根拠を言えばいいだけなのに、なぜそれができないのか。まさか根拠がないなんてことはないですよね。
 
 
 
4月4日(木)脅迫者に寄り添う
 
 販売したら放火だからなって書物について、ある書店では、こんな本じゃなくってこれこれが書いた別の本を読めって自家製の帯をつけて販売しているそうです。この行為に対して、こうやって放火されないように販売してるんだよ、という脅迫者に寄り添った心優しい言説も見受けられます。こういう帯をつけておけば、放火したりしないだろう、だそうです。でも販売してるんだから、しかも脅迫者をなだめすかすような態度をとりつつ販売してるんだから、逆にむききーってなる可能性だってあるでしょう。つまり、それはたんなるスーパー擁護にすぎないということです。



4月5日(金)ラリアット
 
 スタン・感染。7回もワクチン接種したというのに。7回も接種している人ってレア者なのに、そのうえスタン・感染の人って「さらに倍」(大橋巨泉)みたいな話ではないか。もう言ってることがわけわからん。きっとそいつのせいだろう。そんなわけで、5日間、自宅警備に徹します。アポのあった人、すみません。



4月6日(土)クソクソ
 
 なにがなんでも阪ちんの悪口を書きたい日刊クソクソゲンダイ(名称にふたつも「クソクソ」を入れるなんて、どういうことだろう)、まだまだシーズンは始まったばっかで、そりゃ最下位になりそうな雰囲気は濃厚に漂ってはいるものの、しかしスポ根監督のいるチームとか、ちゃらい集団とか、勝手にこけそうなところもあるので、なかなかボロカスには書けません。そこでどうするか。なんと、ファームの惨状をとりあげています。ファームで最下位争いをしていると。ファームで最下位争いしてるぞー、「アレンパ」達成に影落とすぞー、ってアホなのか。



4月7日(日)最悪のディストピア
 
 その本を置いたら放火するという脅迫を受けて、ある大型本屋では置くのをやめ、他の大型本屋では、注文を受けると「地下に行ってください」と言われ、地下に行くと、店員が一冊手にして待っていた、とかいうエピソードを読みました。ほんとの話なのかどうか、あやしいと思っていますが、このエピソードを受け、ぜひそんなふうにして購入したいとか言ってる人がいます。発禁本の闇取引みたいで最高だし、21世紀にもなってなかなか経験できそうにないから、と。そんな経験を21世紀にもなってしなければならないとしたら、とんでもなくディストピアだというのに、その人は、ディストピアにわくわくしちゃってるわけです。戦争は楽しい、って話と同じですね。これ自体が、最悪のディストピアかもしれません。



4月8日(月)エリート主義
 
 こんなことでわくわくできてしまうのって、要するに、秘密裏に行われていることがあって、その秘密を知っている者は限られていて、自分がまさしくその限られた集団の一員だってことにわくわくしているのでしょう。こういうのって、一般的にはエリート主義って呼ぶんじゃないでしょうか。実にくだらない。ばかばかしい。エリート主義なのに凡庸。それともあれですか、なんでも笑いに還元できてしまう笑いはすべてを超越する系ですか。たしかにあの人たちも、なんだって笑いにできてしまう自分たちスゲーのバ○であり、エリート主義者ですね。まったくもってくだらなすぎる。



4月9日(火)すべて0点の根拠は?
 
 期末テストでカンニングが判明した場合、その学期中に受けたテストをすべて0点とする、というのはよくある処分の仕方だと思いますが、これがむかしからあまり納得できていません。浪花大学では、少なくとも私が教養部にいた頃は、カンニングがバレるとその学期中に受けたテストがすべて0点とされた上、所属学年氏名が掲示されました。歯学部の1年生の名前が晒されていた記憶があります。こんなことは論外として、当該科目以外も0点とする根拠がわかりません。当該科目以外もやらかしているのではないかという疑わしきを罰することは問題なので、たぶんこれではないでしょう。当該科目以外も0点とするのは、明らかに罰を過剰に与えていることにならないでしょうか。



4月10日(水)真面目
 
 休養期間が終わってもまったく戻れそうな気がしていなかったのですが、朝目が覚めて体温を測ると36℃なかったので、もう走るしかなくなり、しかしここは理性的にいつもより控えめに走っておきました。今日から授業開始日なのですが、その開始日にきっちりと復帰するなんて、どんだけ真面目なんでしょうか。もうこれから氏名を漢字で書いたら「まじめ」とふりがなつけるか、「マジメ」とフリガナつけるか、どうしようか迷うくらいの勢いです。うー、何言ってんだかさっぱりわからない。



4月11日(木)どっぷり疲れた
 
 1時間目に演習の授業。シラバスにはアーレント『全体主義の起源』「イデオロギーとテロル」の途中から読むように予告していたのですが、昨年度の続きだとイデオロギー論の途中からで、そこまでの部分の説明をしなきゃいけないこととか、そのまま最後まで読んでそれほど面白いか問題とかがあって、内容を変更することにしました。それに関連して、ハーバーマスの真理性と正当性の問題とかについて説明したりしたら、予想外に話は展開され、1回目の授業としてはもったいなさすぎる内容になってしまいました。もう、10回分終わったことにしてもいいんじゃないかくらいの話です。いかがでしょうか。
 
 
 
4月12日(金)合図します
 
 そして今日は2時間目に共通教育の授業。毎年100人切るか切らないかくらいの登録人数だったというのに、人気授業がどこか他の時間帯へ移ったからなのか、それとも人気のあるいい先生がお辞めになられたからなのか、ともかく今年は久しぶりの200人越えです。どーせ登録者がみんな来たりするわけがないとなめていたら、準備していた配布物が足りなくなってしまい、登録者たちがほぼ全員1回目の授業に出席するという、そんなことでいいのか学生諸君状態でした。おまけに笑ってくれないしね…。ああ、どこで笑えばいいのかわからなかったのか。だったら三平師匠のように合図するっちゅーねん。



4月13日(土)8名減
 
 少しでも多くの人が登録したことを後悔しないですむように、2週間は変更可能期間だから変更したい人は変更した方がいい、ついては、この哲学の授業では人生論なんて絶対にやらないし人生の意味なんて論じないしそもそも人生に意味なんてないし人文学は生きていくうえで何の役にも立たないしそれはけっしてレトリックなんかじゃない、ということを伝えました。すると、この1日で8名の登録が取り消されました。やっぱ人生論が欲しかったのでしょうか人生の意味を教えられたかったのでしょうか人生には意味があると言われたかったのでしょうか人文学は生きる上で役に立つとお考えなんでしょうか役に立たないなんて言い方はレトリックにすぎないとみなしたいのでしょうか。まあ、仕方がない。



4月14日(日)文責はだれにあるのか
 
 それにしても人権問題をあつかう社団法人が講演を依頼していておいて「受講者には中止の連絡をしたから」という理由(?)で講演を中止し、講演予定者には説明もなく、ようやく説明だかなんだかわからない文が出たと思ったら、当該講演予定者のことを差別者呼ばわりするって、いったいどういう了見なんだろうか。書き手は法人であり、個人の署名はない。この場合、文責は個人にはない、ということだろうか。どんな組織体制なのかわからないが、理事会なりなんなりが文責を負うということでよいのだろうか。理事会は個人によって構成されているのだろうから、要するに理事会の構成員全員がそれぞれ責任を負うということだろう。まさか、だれも責任は負いませんとかいう、大日本帝国の真似はしないでしょうね。



4月15日(月)物笑いの種
 
 それにしても、中学生くらいを相手にした入門書ならいざ知らず、研究者が手に取る『事典』に、カントの平和論の意義は人々があらゆる努力を試みて永遠平和へと接近すべきことを明らかにした点にあると記し、人々に自覚するよう促した点にあると記すとは、どんだけ人を笑かそうとしているのだろうか。まったく笑えないけど。まあ、カント研究者が努力とか自覚とかが大好きなのは知っているけれども、いくらなんでも永遠平和の実現にとって重要なのは努力と自覚だなどと『事典』に書いたりしたら、物笑いの種にしかならないくらいのことは理解できる社会性を身につけましょうよ。



4月16日(火)むしろ憐れむ
 
 医療問題がレポートされ報道され始めているというのに、ダイナソーを取り返すとかなんとか寝ぼけたことを言ってる人がいて、そう言えばその人のことについて以前批判的に書いたら、「いい人ですよ〜」と教えてくれたバ○がいました。そいつがいい人であるかどうかとそいつの言説が正しいかどうかは別の問題だってこともわからないようなバ○から、これ読んどけってお約束のコピーもいただいたのでした。なるほどこういうときに、バカもホリデーホリデーに言え、とかって言うんですね。



4月17日(水)ダメだこりゃ
 
 まさかそんなことをするわけがなかろうということをやらかしてしまうようになると、もうそろそろ終わりが近づいていることになるのか、それともこのままやらかし続けつつなお生き延びてしまうことになるのか。バ○のことを憐れんでやっている余裕などない。自分のことを憐れまないといけない。それはそうと、『復讐者に憐れみを』は、生きることをつらくする名作です。



4月18日(木)どーせ
 
 なんか味覚がおかしい感じがしなくもないのですが、しかしよく考えたら、どーせ激辛好きとかで舌バカなので、そもそも微妙な味覚なんてなかったのでした。いや、味覚なんてそんなもんでしょう。味の違いがわかるとか言う人は、味の違いがわかるとか言う人にすぎません。どーせ、あのときのあの味に比べると、これはダメだ、くらいの差異にすぎません。そんなわけで、味の違いがわかるとか言う人、すごいですねー。



4月23日(火)大したことあるって
 
 かかりつけ医は相変わらず陰謀論者なので、「大したことはない」と言い、でも日常生活がしんどいですよ、と言ったら、瞬間的に声を荒げて「そんなことを言ってちゃダメですよ」とたしなめられてしまいました。まるでズル休みを咎めるクソ教師のような言い草で、ちょっとびっくりしました。「しんどい」とか言ってちゃダメだってことのようでしたが、もうこっちは十分じじいなんですよ。もちろん若造だって、「しんどい」と言うのであれば、それ相応の対応が求められるとは思うのですが、じじいにもっと覇気をもて的なことを言ってどうするつもりなんでしょうかねぇ。そんなわけで、もういろいろとしんどい。



4月24日(水)ちゃんとナショナリストであれって
 
 ドイツの右翼政党幹部のところで働く人が、軍事情報をスパイしていた容疑で拘束されました。それを受けて、内務大臣が当該幹部の責任を追及しているのですが、これってあれですかね、右翼政党なんだからもっとちゃんと右翼政党をやれよ、ってことなんでしょうかね。ドイツにとって不利益につながるようなことをするなんて、おまえはそれでもナショナリストなのか、って批判だとすると、逆に言えば、そんな批判をするあなたはナショナリストなんですか、って話になりそうで、なかなかに興味深いところです。ああそうか、こんなときに便利な形容詞、「健全な」を使用するのかもしれません。しかしご存知でしょうか、健全なナショナリストなんて、せいぜいただのナショナリストで、へんてこな形容詞をつけている分、ひょっとしたら悪質極まりないナショナリストかもしれません。



4月25日(木)まさしく道徳的行為
 
 ナショナリストといえば、ナショナリストにして歴史修正主義者である東海地方の市長が、祖国のために命を捨てるのは道徳的行為とかおっしゃったそうで、なるほど道徳的行為というものがどういう代物か、よくご存じだと思いました。道徳的行為なんてそんなものだし、道徳の時間なんてそういうことを教えるための時間じゃないですか。これはけっしてシニシズムじゃなくって、だから道徳なんてダメだって言ってるんです。こういう歴史修正主義者の発言に対して、「真の道徳的行為」を語り始めるやつが出てきたら、そいつだって同類ですから。平和とは一切の敵意をなくすことである、とか誤訳できる人たちは、いずれ名古屋市長になれるかもしれない。



4月26日(金)ポピュリスト
 
 どっかのあれな知事、「0歳児にも選挙権を」とかおっしゃっているそうで、この方が共同代表を務める政党のマニフェストとして提案したいそうです。これが右翼ポピュリストで、他方、左翼ポピュリストと呼ばれるのが、ちっとも左翼でもなんでもない政党名に元号を使用する天皇主義者のたろー。どっちも消えてほしい。



4月27日(土)馬の脚
 
 「彼らからしたら、叩けさえすれば何だっていいんです。今までも、公務員、被差別部落、在日コリアン、沖縄、トランスジェンダーと、叩く対象をコロコロと変えてきました。」とかって、差別する者は宗教右派だーのポストを見てしまいました。あらら、コロコロ変えてきたわりには、叩く対象に女性があがっていませんね。女性は差別されてこなかったって認識をおもちなんでしょうかね。細部に政治は宿る。



4月28日(日)まだまだ続く
 
 差別本だから出版するな運動があって、別の出版社から出版された翻訳書について、ある書店の書店員が読んだ感想を書いたところ、さっそく攻撃にあってポストは削除、書店が謝罪するという状況になりました。こんな状況になって、検閲者たちは「よかった、よかった」と考えているのでしょうか。あるいは、「勝った、勝った」でしょうか。まあ、後者なら仕方ないですね。勝利するかどうかが問題なんですから、しょせんは力の話です。前者だとすると、言論を封殺できて「よかった、よかった」ですから、深刻な問題だと思いますが、まあ、事の深刻さは理解できず、ひょっとしたらコピーを手に「これ読んどけ」ですかね。ええ、特定の人を念頭に置いていますよ、もちろん。



4月29日(月)北〇なんちゃら
 
 その書店員の感想について、プロフにジャーナリストとかって書かれている方が、「あの本はそういうふうに誤読するように上手く書かれています。ま、そうじゃなきゃ商品にならない。上手い文章のあちこちにミスリーディング(恣意的な方向づけ)を誘う小さな事実誤認、あるいはバイアスが散らばっています。」とかお書きなんですが、これってどの箇所がそうなのか、具体的に提示しないとたんなるデマにしか見えません。賢い自分は騙されなかったけど、バ〇なみなさんは騙されないようにしましょうね、ってメッセージは、あまりにも人をバカにしすぎていませんかね。
 
 
 
4月30日(火)デモによる支配
 
 そしてプロフにわざわざ「民主主義者」って書くタイプ。これに「戦後」をくっつけてる人も見たことがありますが、そもそも民主主義がデモによる支配だってわかっていたら、無邪気にプロフにそんなことはなかなか書けないと思うのですが、まあ、そうでもないんですかね。「戦後」をくっつけてる人は、沖縄をアメリカに引き渡す代わりの独立だったことや、ずーーーっと臣民主義を続けていることとか、どう考えているんでしょうか。あっ、基地を「本土」に引き取り、開かれた皇賊ならいいと思っているタイプか。健全なナショナリストか。度し難いア○か。



5月1日(水)あのパターン
 
 件の書店は悔い改めました文書を公開し、許しを乞い、次からは気をつけろよ忠告をもらうという、この前もあったパターン。いやしかし、こんなことを繰り返していて、まったく不安もなにもないのでしょうか。女性の参政権が実現されるまでにはとんでもなく長い時間がかかったし、別姓制度なんて、まだ導入されないというのに、その手の権利に異を唱えることは差別とされつつ短時間のうちに認められていく、なんてことが可能になるには、背後に巨大な力が働いているとか考えないのでしょうか。ああ、こういうとき、陰謀史観は権威主義的パーソナリティの現れだとか、おっしゃるのかもしれません。しかし少なくともあの権威主義的パーソナリティの研究には問題があると思っています。
 
 
 
5月2日(木)ちまちま
 
 そんなわけで、イ・ソンギュンの『白い巨塔』をちまちま観ているのですが、数日前に、誤診があったことを知っているイ・ソンギュンが、組織や友人関係や、ひょっとしたら自身のアメリカでの研究活動のために、証言をしない、という選択肢を選ぶシーンを観ました。周囲は、イ・ソンギュンが証言するんじゃないかって、心配(!)していたのですが、証言しないことに決めたのを知って、安心したりしています。この先、ひっくり返してくれるのだろうと思っているのですが、しかし少なくともいったんは、組織やら友人関係やら自己の利害やらを、正義に優先させていて、これがもう、まったく理解できません。



5月3日(金)伝聞
 
 まあ、内部告発すると、内部告発した側が不正を働き内部告発されたアホから誠実性を欠いているとかなんとか言われるという話は、耳にしたことがあります。組織の長であれば、内部告発した側を擁護すべきところ、そのアホをたしなめることもなく、一緒になって内部告発した側に説教を垂れるとか、ありえない(まあ、その手のメンタリティのもち主であれば、その逆こそありえないのですが)ことも起きるそうです。なるほど、組織やら友人関係やらを正義に優先するという、ほかならぬ臣民主義なのでしょう。



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