せっかく聞きに行った分科会でしたが、まあ司会兼発表の方のご発表は、伝えられた情報に関してはほとんど知ってることばかりで、そうじゃない部分は、以前もそうでしたが、たんなるアジテーションにしか聞こえませんでした。明らかにおかしな主張をしている、とか言うのですが、アジならそれでもいいかもしれませんが、研究者としては、ちゃんとそこを説明してもらわないと納得できるわけがありません。もうちょっと理論的な話のできる人が登壇すべきだったのではないかと思いました。
6月11日(火)あれじゃダメだろう
研究者ばっかじゃない、どころか、むしろ研究者じゃない人の方が多くを占めているので、学会独特のきまりみたいなものには縛られず、それはある面ではよいことなのかもしれませんが、しかしあそこはあくまで学会の分科会だし、差別的な発言があれば、司会者が発言を遮ってやめさせることだってしなきゃいけないだろうと思いました。まあ、それは研究者の集まりかどうかとは関係ないかもしれませんが。おひとりの方が、たんなる差別発言が自由になされているだけで学問の場になっていないと訴えながら退出されましたが、その通りだと思いました。この点からも、司会者のふるまいには問題があったと思っています。
6月12日(水)エラソーに
大会後、SNSにおいて、退出された方がいたことには言及するものの、言及するだけで、そこに何らの問題も見出すことのない文章を見てしまいました。ひょっとすると、勝つとか負けるとかが基準となる運動の論理に従えば、あれでいいのかもしれません。しかしあそこはやはりアカデミズムの場であり、基準となるのは勝つとか負けるとかではないでしょう。運営にかかわっていたわけでもなく、たんなる参加者としてせいぜい2時間程度その場にいただけなのに、なにをエラソーにと、われながら思わなくもありませんが、しかしアーレント的には傍観者(なんているのか?)だからこそ、言えることもあるだろうと思っています。
6月13日(木)ちょっとびっくり
東京のある区で、公有地におけるAV撮影禁止の陳情を区民が行ったところ、なんと都市環境委員会において、立憲民主党、共産党、公明党、緑の党、それぞれの所属議員の反対で、不採択とされたそうです。緑の党がなにものかわからないのでなんとも言えませんが、共産党って、リベラルなんですねーーー。もちろん前に「ネオ・」ってつくんですけど。これしかしいかなる理由で採択に反対したのか、知りたいところです。公益性とか言うんでしょうか。あるいは表現の自由でしょうか。リベラルなら、私的領域で好き勝手やってくれ、公的領域には持ち込まないでくれ、とかって、うわべだけの正しさを貫くものだと思いますが、「ネオ・」がくっつくとそうじゃないということですか。そうですか。
6月14日(金)問いが間違っている
国立大学法人の授業料値上げに反対する学生たちのニュースに関連して、TBSが「みんなの声 回答受付中」とかって、みんなの声の回答を受付けていました。何に対する回答かと言えば、これ、驚くべきことに、「大学への公費投入どう思う?」ですよ。公立私立を問わず、大学へ公費を投入することなんて当たり前なので、そもそもこんな問いを立てること自体、意味不明なんですが、きっとTBSの番組制作者はそう考えていないということなんでしょう。こういう方がきっと、役に立つとか立たないとかを学問の基準に持ち込んでもなんとも思わないメンタリティのもち主なんでしょう。きっと皇国屋とも相性がいいに違いありません。その時点で、アカデミズムにかかわっちゃいけないことは自明なんですけどね。
6月15日(土)バカ哲学史研究者
「コロンブス」に関して、「私たちは知りませんでしたー」と言って逃げる人たちがいて、作ったやつらがアホなだけで、そりゃいい迷惑だろうって、「知りませんでしたー」をかばう人たちがいて、そういえば原発が水素爆発したときに、東電の社長に責任を問うのはおかしいと言ったバカ哲学史研究者がいたことを思い出してしまいました。まあその手のバカは、侵略戦争の最高責任者も免罪して、臣民が悪いんだと言い出すことでしょう。さすが、バカ哲学史研究者だけのことはある。ほんとバカだな。
6月16日(日)隠しきれないナショナリズム
「コロンブス」に関して、「むしろ猿側に捉えられてきた日本人が、西洋風コスプレをして猿を"教え導く"という異様さ」と書く人の眼目が見えません。いや、実は見えています。これって要するに、たんなるナショナリズム以外の何ものでもないでしょう。「日本人」をそんなふうに描くな、という。まあ、このコメントを書いた方は研究者でも何でもなく、ただの運動家なので、ポイントは勝つか負けるかだけであって、イデオロギー批判が正当かどうかなんてどうでもいいわけです。「コロンブス」の問題は、植民地主義を無反省にノー天気にひたすら肯定しているだけってところにあるわけで、その問題については、「日本人」がどうとかこうとかなんてことは無関係です。
6月17日(月)理解不能
ハーバーマスやらフォアストやらとは違って、イスラエル批判と反ユダヤ主義を明確に異なることとして理解し、イスラエルのジェノサイドを批判するバトラーは、それによって殺害予告を受けてしまうけれども、しかしまったくまともだと思います。ところが同じバトラーが、またしてもへんてこなことを言ってしまい、もう余計なことを言うのはいい加減にしたらどうだ、と思わずにはいられません。その主張って、かつての自分の主張を裏切ることになっていないのか、少しでも考えみればわかることなのに。なぜそんなことを言ってしまうのか、まったく理解できません。
6月18日(火)『トンソン荘事件の記録』
たぶん5分も見なかったと思います。これはきっといい判断だったに違いありません。一緒にくっついてた新作紹介が、なんかそれ系のやつばっかで、嫌な予感はしていたのですが、まあたぶんそれ系だったのでしょう。なにしろ5分もしないうちに見るのをやめたのでわかりません。あのあと、ひょっとしたらちょーお下劣シーン満載とかってこともあったのかもしれませんが、カントも言ってるように、不確実な悪より確実な悪の方が避けられて当然です。
6月19日(水)さっぱり理解できない
無痛分娩を求めるだけでこれほど凄まじい反対意見が披露されるのは、いったいどういうことなのか、さっぱり理解ができません。ある事情の場合は、罰を与えようとしたり、そのことが痛みとして記憶に残るようにしようとしたり、あるいは産みの苦しみを味わわせようとしたりする男性の医者がいて、またそういう男性の医者をスーパー擁護する女性の医者がいて、「それでも医者か?」とついつい思ってしまいますが、ことによると、「だから医者」なのかもしれません。これに加えて、さらに、分娩の痛みをもつのはなんちゃら特権だとか言うやつも湧いてきそうな地獄絵図。
6月20日(木)天文学的にあれ
東京大学で学費値上げに反対して安田講堂前の芝生にテントをはってハンストしている学生たちがいますが、憩いの場としてそこへやってくる人たちの迷惑を考えないからまったく賛同できないと言わなきゃいいのに言わずにはいられない偉い先生がいるようです。大学当局に毅然とした対応を求めていらっしゃいますが、えっ、学生のハンストに反対する反動教員として大学当局から処分されたいってことなんでしょうか。なんとも天文学的にあれですね。
6月21日(金)ポスター
都知事選のポスターについて公序良俗がどうこう騒がれているようですが、しかし東京のある区では、公有地におけるAV撮影禁止の陳情を区民が行ったところ、立憲民主党、共産党、公明党、緑の党、それぞれの所属議員の反対で、不採択とされたのではなかったでしたっけ。きっと、騒がれてるのはそのア○丸出しの区以外でしょうね。その区では、何が悪いんだーって言ってくださいよね。
6月22日(土)事実なら暴挙
天文学的にあれがいる大学、わんわんを招き入れたそうです。その報道が行われていないというポストしか見ていないので、ハンスト組を排除するために大学当局が自治権も放棄してわんわんを呼んだのかどうか、定かではありません。かつて公安がうろうろしていて、今だって学内のローソンにわんわん立寄り所が設置されていてバイクに乗ったわんわんがうろうろしている要するに大学当局がア〇以外の何者でもない浪速大学に勤めていて、なにもエラソーなことなど言えません。しかし、大学にわんわんを招き入れてはいけないし、そんなことが行われれば速報されてもおかしくないと思います。ありていに言えば、朝〇やら毎〇になんて、何の期待もしていませんが。
6月23日(日)レーニン
パリ郊外で行われた新・人民戦線集会での、フランス高校組合の中心的人物なる人の演説が字幕つきでSNSにあがっていました。レーニンなんて名前が出てくる演説を高校生がやってのけるって、もうそれだけで大きな違いです。反安保法制のときのなんちゃらとかいうのに肩入れしていたじいさんたちがいましたが、この共同体においてはなにをしてもしょせんは臣民主義にしかならないでしょう。おまけに、学生がハンストすれば自治権なんてやすやすと放棄して大学がけーさつ暴力にすがっちゃうんですから。
6月24日(月)しらんけど
まあ、自治権をもつ大学へやすやすと進んで国家暴力を招き入れてしまう人たちがいるのはいまに始まったことじゃないですし、いまは幸いにも絶縁状態になったなにも知らない人たちからは人格者とされるような人が、ご自分の大学へやすやすと進んで国家暴力を招き入れたことも知っています。そのことで批判されたらまったく凡庸な理由でその行為を正当化していました。そんなことがあっても長らく人間関係を壊さずにいたってことは、かつては私も心が広かったというべきか。あるいはたんに日和見主義だったというべきか。それを考えると、いまはまだましかもしれません。しらんけど。
6月25日(火)脳みそ沸きすぎだわ
孤立したまま出産し、赤ん坊を遺棄したとかで実刑判決を受けたしまった女性がいて、それに対して射精したやつは何の罪にも問われず、そういう何の罪にも問われない射精責任者たちが取材を受けてほにゃほにゃ語ったという記事がポストされていて、それを引用して女性側を責めるある女性の使用した言葉がパワーワードすぎて、こういう人がいつかドラスティックに意見を変えることってあるんだろうかと思わずにはいられませんでした。それが、「着床責任」です。
6月26日(水)わけがわからない
「人殺しの子として生きるのは辛い思いをするから」という理由で、妻を殺したうえ小学生の子ども2人を殺害した人がいるのですが、いやいや、そもそも人殺ししなきゃいいだけの話じゃないですか。パリ郊外でユダヤ系少女が集団レイプに遭った事件について、ある政治家が「犯罪者の親になることはとても辛いことだ」と言ったそうですが、いやいや、そもそも集団レイプしなきゃいいだけの話じゃないですか。ユダヤ人に対してなら何してもいいと思ってるんでしょうか。もうなんだかいろいろわけがわからない。
6月29日(土)平常運転
他人様の家族についてとやかく言うなという言説がありますが、家族は制度なんですから、もし他人様の家族について沈黙しないといけないのだとしたら、制度に対して沈黙しないといけないことになって、要するに体制批判なんてするな、と言ってることに等しくなるわけですが、そういうことがわかっているとは思えない髪の青い政治学者(ですか?)がいて、まあ、平常運転かな。
6月30日(日)覚悟です
噂のなんちゃらとかいう都知事候補がどっかの市長だったときの財政説明会の動画が拡散されていて、それは支持者たちから絶賛されているものだそうです。動画の最後で、市民たちに覚悟を決めるよう迫ります。自分は覚悟ができているからと。ほほう、重要なことは覚悟ですか。そう言えば、ある学会で協会賞のようなものの選考をどのようにして行うか、という話になったとき、委員全員が対象論文すべてを読むべきだと主張なさった立派な方がいらっしゃいました。その方は、他の学会で、短期間のうちに10本の対象論文すべてを読んでちゃんと評価をしているそうで、必要なのは、覚悟だとおっしゃっていました。じいさんやらおっさんやら(たしか女性は皆無だったと思います)の会議において、大真面目に、必要なのは覚悟だとおっしゃったのです。私はてっきり笑うところだと思って笑ってしまいましたが、そんな不謹慎なことをしたのは私だけでした。みなさん、必要なのは覚悟だそうです。カ○ト協会の偉い人が言うんだから間違いないです。覚悟です。覚悟。
7月1日(月)強要せずにはいられない
まあ、その学会だからメンタリズムが尊重されることにはなんの不思議もありませんが、このメンタリズムは、言うまでもなく、9回2死で内野ゴロを打ってしまった高校球児がやらかすヘッスラと同一です。もっと言えば、米軍機を竹やりで落とそうとする覚悟と同一です。悪質なのは、ひとりで覚悟を決めてなんなりやってりゃいいものを、この手の人たちは、自分がやらかした覚悟を他の人たちにも強要せずにいられないところです。自分がなぜ馬鹿げた覚悟ができるのか、けっして意志が強いとか間違っても道徳的だからとかではなく、たんに生活に余裕があるからなのに、そんなことは知らないことにして、自分と同じように覚悟せよと迫るわけです。覚悟せよですよ。覚悟せよ。
7月2日(火)死滅一択
ある事件に関して、相変わらずその家族の猟奇性ばかりをセンセーショナルにとりあげて騒いでみせて、いったい何を隠したいんでしょうかね。そのやり方を恥じたりはしないのでしょうか。まあ、恥じたりするんだったらはじめっからやりませんね。どこか皇国屋あたりから指令でも出ているのでしょうか。それは大いにありそうなことです。世の中から皇国屋が死滅したら、どれだけ文化的な水準が向上することやら。なにが遺族は極刑を望んでいるだ。ちゃんとその人が何者だったかも報道しなきゃ不公平だろ。
7月3日(水)そういうことか
人のことをさんざん差別者だのヘイターだの反省しろだのそのためには自分の本を読めだのレクチャーしてやるだの言ってきたやつが、ヘイターだのなんだの言うのはよくないよ〜とか言い始めるのは、これはいったい何なんでしょうか。池乃めだかの「これくらいにしといたるわ」の新しいヴァージョンなんでしょうか。これじゃあまるで党員証の下の部分だけ切り取って、戦後もぬけぬけと同じ写真を使い続けたセクハラおやじと変わらないじゃないですか。ああ、なるほど。そういうことか。
7月4日(木)さっぱりわからない
髪の青い人、ポストすればするほど何言ってんだかわからないのですが、ひょっとしてバトラーを真似してたりするんでしょうか。近頃のバトラーは、イスラエル批判はさておき、それ以外のことについてはそんなこと言わなきゃいいのにってことを明確に言うので叩かれますが、しかし髪の青い人の場合、主張が見えないです。どれだけ「好意」を発揮しても、「不愉快である」とか「断固抗議する」ってところしかわからないです。ひょっとして、いまさらながらのポストモダン的文法なんでしょうか。いやぁ、わかりません。
7月5日(金)シニシズムが過ぎる
フェミニズム研究の専門家でもなんでもない人が、フェミニズムはずっと対話を拒否する実践だっただのなんだのとご託を並べているそうで、まあ、それだけなら保守系の雑誌やらにはありそうな話ではありますが、それが「奪われるフェミニズム」とかいう特集に寄せられた駄文だそうで、おそらくその掲載誌の発行元はリベラルか、下手をすると左翼自認かもしれないという、いくらなんでもシニシズムが過ぎる、ひょっとしてシニシズムって、死にしずむなんだろうかと思うほどです。
7月6日(土)順番抜かすなよ
学会会場までタクシー待ちの列ができているところ、あとからやってきた偉い先生が、自分はシンポの提題者だからと堂々と順番抜かしでタクシーにご乗車なさったとかいうことがかつてありましたが、その方も「奪われるフェミニズム」にご寄稿ですか。そうですか。その方の場合、「奪うフェミニズム」なんですけどね。まあ、偉いから許されるとお考えなんでしょう。だけど偉くもなんでもないし、かりに偉いとしても、順番抜かしは順番抜かしですよ。ただのア○ですね。
7月7日(日)ガチャじゃない
怪文書ガチャがご趣味の方がいらっしゃると聞いたことがありますが、ガチャなんてやってないのに定期的に送られてくる怪文書があって、まあ読まずに捨てていますが、奇特な方がいらっしゃって、先日送られてきた文書の内容をご教示いただき、改めて怪文書であることを確信しました。ニューヨーク・タイムズに「2024年に行くべき」ところとして選ばれた街にある建造物へ書き手がいらっしゃって、その歴史的価値にすっかり魅せられた旨記されていたそうですが、ぬぁんと、ぬぁんと、その建造物、現在改修中でシートですっぽり覆われています。心の眼をもたない凡庸な者にとっては、そんな旅行記が書かれているものは怪文書です。すみません。
7月8日(月)要するにミソ
選挙戦終盤に、ひとりのおっさんが、一方は男性に媚びてその地位に上り詰めた人であり、他方は男性に媚びずに闘ってきた人であるというようなことを言い、自分の娘にはどうちゃらこうちゃらふにゃふにゃとか言ってる動画が拡散されていました。すでに多くの人が批判していますが、こうした評価の仕方って、結局のところ、女性には政治的手腕なんてものは求めない、ってことですよ。一方の人が差別主義者でとんでもなのは知っていますが、だったらその政策なりなんなりを批判すべきであって、男性に媚びてきたかどうかなんて、どうでもいいことです。そんなことがポイントになるのなら、他方だって出自はクラリオンガールじゃないですか。クラリオンガールは男性に媚びなくてもやっていけたんですか、って話にしかなりません。
7月9日(火)どっかの大学の男性教員
そのおっさんがぼ〇くらであることはさておき、どっかの大学の男性教員も、強いられた仕方で男性に媚びる処世術と、そうじゃない仕方で男性に媚びる処世術は異なっている、だから一方はダメでもう一方はダメじゃないとかいうアホな議論を展開していて、ミソジニーを隠し切れていません。政治家なんだから、問われるのは政治的傾向や政治的手腕のはずなのに、どうして生き方で断罪されないといけないのか。しかもその差別構造によって有利な立場を生きているおっさんが、あんたは媚びたからダメ、あんたは媚びないからいい、っていったい何さまなんだろう。
7月10日(水)なんちゃら音頭とか
自分たちとは意見を異にする人たちのことをひたすら愚民呼ばわりし、愚民が投票したせいで自分たちが勝てなかったとか言い続けるのは、少なくとも賢くはないのではないかと思いますが、まあ、それはこちらが愚民だからかもしれません。なんちゃら音頭とか、あれを見て、投票しようって気になるもんでしょうか。内輪受けだと批判されれば、まずは内輪で楽しまなければ外にだって広がらないとか言ってる人もいましたが、それって、2,000万人のアジアの犠牲者に向き合うためには、まずは自国の300万人の死者を弔わなければならないとか言ったアホと変わりませんよ。念のために申し上げておけば、私がアホだと言っているのは、当該文芸評論家やその文芸評論家の書いた物を肯定的に引用した研究者のことですからね。
7月11日(木)うすうすは知ってたが
あたかも正論吐いているかのように見せかける麗しき男たちの団結。隠しきれないミソジニー。まあ入れてくれないだろうけど、お仲間になるくらいなら死んだ方がまし。
7月12日(金)ゲロ吐きそう
醤油皿について、芸術無罪論を展開する人もいるようですが、そもそもあれが芸術か、という言い方は、芸術無罪論に加担する可能性もあるので注釈が必要でしょうけど、しかしもしあれが芸術なら、女体盛りだって芸術でしょう。かりに芸術作品だとして、あんなのを制作するのは私的空間だけでやってろよ、としか思わないです。しかし私的空間において芸術作品なんて成立するんでしょうか。
7月13日(土)すげぇーな
件の醤油皿擁護として、セーヌ川の身元不明少女のデスマスクを飾るのが流行った時代もあるんですよ、とかおっしゃってしまっているこれどうしたらいいの案件の主がいらっしゃいます。これ、ミソジニーの歴史は古いってことと、ポストした方はこれどうしたらいいの案件の主であるってこと以外に、なにか示しているんでしょうか。ひょっとして芸術を解する能力があると、これ以外のなにかも見えるようになるんでしょうか。すげぇーな、芸術鑑賞家。
7月14日(日)「バ○。バ○。」
78歳のじいさんが狙撃され、こぶしを突き上げ、星条旗とともにカメラに収まり、81歳のじいさんが、暴力反対を唱える。えええーーー、暴力反対だったんですか。それは寡聞にして存じ上げませんでした。その割には、イスラエルを支援してジェノサイドに手を貸し、「武器ちょーだい」に忙しい名前をプーチンだと思っていた男にせっせと武器を供与してるじゃないですか。あれは暴力じゃないんですかね。藤谷美和子だったら、「バ○。バ○。」って、休み休み言うところですよ。
7月15日(月)ただの排外主義
玉蹴りのヨーロッパ選手権が開催中は国境警備を厳しくしていたろくに電車が走らない開催国が、引き続き、民族の祭典が行われる隣国との国境警備は厳しくしたままにするそうです。おまけに、野党やら与党の一員である自由民主党は、隣国との国境だけでなく、このまま全国的に国境警備を厳しくしておけと要求しているそうで、自由民主党なんてその程度のところだろうと思っていました。要するに、排外主義を前提としたうえでの自由なんでしょう。だから嫌われるんだとか、まあ、考えないんでしょうね。
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