2月29日(木)そこですか
たしかにこの臣民共同体においては、再配分機関が果たすべき役割を果たすことなく、家族がその代わりを担わされることがデフォルトになっているのだろうと思います。しかしこうした臣民共同体のあり方を批判するときに、「だから経済の発展が阻害される」とかポストされている方がいて、「ダメだこりゃ」(長さん)と思いました。問題は経済が発展するかどうかにあるのでしょうか。経済が発展するなら、再配分機関が果たすべき役割を果たさなくても問題ないと、そうおっしゃるのでしょうか。それって、新自由主義のイデオロギーとどれほど違っているのでしょうか。
3月1日(金)問うべきは規範ではないのか
問題は、ある臓器をもっているからといって、その臓器の使用を強いられる点にあるわけで、そうした強制を正当化するイデオロギーを暴露し、規範の変更を実現することこそが問題の解決をもたらすに違いありません。その臓器をもたないことにする権利を主張する人たちは、結局のところ、その臓器をもつならその使用を強いられる規範を肯定していることになるのではないでしょうか。
3月2日(土)『THE WILD 修羅の拳』
うたい文句が、「終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖 ルール無用のバイオレンス・ノワール開幕」なんですが、土曜日は、9時35分の回しか上映がありませんでした。9時35分て、朝の9時35分です。土曜日の朝、9時35分から、終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖があり、ルール無用のバイオレンス・ノワールが開幕しちゃうわけです。これ、いったいどういう人が観るんでしょうか。可能性としては、金曜日の夜から眠ってないという人も考えられるでしょうか。土曜日の朝、フツーに起きてこれを観れちゃう人と、前の晩に眠らずにこれを観れちゃう人、うーむどっちもヤバすぎる。
3月3日(日)『犯罪都市 3』
そんなわけで、「終わりなき謀略、裏切り、殺戮の連鎖 ルール無用のバイオレンス・ノワール開幕」を土曜日の朝から観たりしない凡庸な一般市民のわたしは、筋なんてほとんど関係なく、おそらく途中で1時間くらい眠ってしまったとしてもさほど問題のないマ・ドンソク(だれがマブリーじゃ)を観てしまいました。最後に「coming soon」とかいうのがくっついてて、もういい加減にしたら、と思わなくもありませんでした。真面目なことを言えば、やっぱ「真実の部屋」は許されないでしょう。
3月4日(月)『落下の解剖学』
そんなわけで、話題のこれも観ましたが、まあじじいには長い。何度も逆転したりするので、これだけの長さが必要なのかもしれませんが、まあ、逆転しなくてもいいという身も蓋もない言い方もないわけではないでしょう。いや、そういうやつは観るなよ、ですかね。これって、結局あれですよね。あれだと思うんですが。違うんですかねぇ。だれも答えをコメントしてくれていない。
3月5日(火)お気持ちの問題ではない
少なくともその「不適切行為」というものが懲戒処分の対象なのだとしたら、それはやっぱり問題がないだろうか。まあ、婚姻関係にある人がいることからすれば、そうじゃない人との「行為」は「不適切」であり、厳密には「違法」なのだろうけど、それよりもその懲戒処分を受けた人の道徳性が罰せられているのではないだろうか。あるいは、その「不適切行為」以外の過去の言動込みで罰せられているとかいうこともないだろうか。性暴力があったのならそのことが問われなければいけないし、人権侵害があったのならそのことで罰を受けなければいけないだろう。道徳と法をごちゃごちゃにして、すべてお気持ちの問題にするのは臣民共同体の掟かもしれないけれど、それ自体が不正ではないだろうか。
3月6日(水)アウフヘーベン(分離動詞)
皇国屋にお勤めのような方がアカデミックな営為をなさること自体、まったく理解を超えていて、だから皇国屋にお勤めであるという情報が間違っているか、その方のなさっていることはアカデミックな営為であるとされていることが間違っているか、きっとどちらかなんだろうと考えられますが、なんと仄聞するに、この生ける「矛盾」が公共放送においてウクライナとの連帯を高らかに謳ったそうです。ということは、皇国屋にお勤めであるという情報は誤りではなく、なさっていることはアカデミックな営為であるとされていることが誤りだと判明しました。かくして「矛盾」も見事に止揚されました。
3月7日(木)わはは
阪ちんが面白いことになっていて、シーズン最下位だったときと同じく、オープン戦6連敗だそう。阪ちんをディスりたくて仕方のない日刊クソクソゲンダイは、大喜びしていることでしょう。優勝した翌年に一気に最下位になり内紛勃発とかいうのが、華々しくってそれなりにインパクトがありそうなんですが、たぶん、中途半端に4位くらいになって、来年以降、暗黒時代が始まるのではないかと、そしてその中途半端さも阪ちんらしいところではないかと思っています。
3月8日(金)生きている以上、安全じゃない
市報に市議会での質疑がまとめられており、そんなものを読んで文句を言うとか、どんだけ政治的なんだと思わなくもないのですが、いやしかしなかなかすごいことが書かれてあります。来年開かれるらしい(いやもう、いまからでも返上していいんですよ)なんちゃらとかいう催し物に関連して、その埋め立て地は安全性に問題があり、予算をつけてそこへ子どもたちを送るのはよろしくないのではないかという質問に対して、安全じゃないのはここに限った話じゃない、全国的に安全じゃない、という返答ですよ。えええーーー。もういっそのこと、テーマにからめて、命とはつねに危険との隣り合わせであることを経験するのだ、とかなんとかほざけばよかったんじゃないのくらいに思えてきますよ、まったく。
3月9日(土)「私だって」だって
国際女性デーにちなんで、ネオリベもリベラルだの新聞社が記事を組み、その中でしゃべらせている人が、「自分の特権に気づくのは難しいことですし、それは私だってそうです」とかおっしゃっているそうです。この「私だって」ってどういう意味なんでしょうか。いろんなことに気がつくこんなに賢い「私だって」っていう意味なんでしょうか。ぼんくらの読者諸君とはレベチで、ぼんくらの読者諸君の蒙を啓いてあげる「私だって」っていう意味なんでしょうか。それはそうと、このコンテクストにおいて「私だって」なんて言ってしまえることそれ自体において、自分の特権に気づくのは難しいことが明確に示されていると言えるでしょう。さすがだ。
3月10日(日)んちゃ
ペンギン村からおはこんばんちわの人が亡くなって、その作風は政治的じゃなかったとか言って褒めているつもりで貶めている方を見かけてしまいました。それに対して、あぞといことが得意なネオリベもリベラルだの新聞社が、いかに政治的だったかを紹介していて、それはそれでうんこ臭い。政治的じゃない言説なんてないんだから、政治的じゃなかったとか言ってるやつは寝言を言ってるだけだし、政治的だったとか言うことによって政治に敏感ですアピールをするやつらもうっとうしい。そんなわけで、断然あられちゃん。
3月11日(月)暴力を連想
構内のある場所ですが、いったい何が起こっているのでしょうか。けっしてエコロジストではありませんが、しかしエコロジストじゃなくても、この光景を見て、暴力を連想することは難しくないのではないでしょうか。ほんとに、いったい何が行われようとしているのでしょうか。
3月12日(火)ハリウッド
白人至上主義を全世界に向けて広報したアカデミー賞授賞式って、さすがハリウッドと言うほかないです。まともな対応をとろうとしたのはサリー・フィールドだけでした。そういえば、ウィル・スミスは10年間、授賞式に出ることができません。その決定も、いかにもというポリコレしぐさです。ジェノサイドの手助けをしておきながら、支援物資を空中投下するとかいう欺瞞としっかり通底しています。そんなわけで、ハリウッドは見事にアメリカを代理表象しています。
3月13日(水)『ある会社員』
もちろん初見ではなかったけれど、結末を覚えていなくて、ひょっとしたらこうだっけ、と思っていたのとはまったく逆の展開で、つくづく忘却は力なりです。今回、ジャケットを見て「おぉ、竜ちゃんが出てるのか」と思った記憶があるのですが、実はジャケットには竜ちゃんの姿はなく、いったい何を見て竜ちゃんが出ていると思ったのか、直近の記憶すら忘却しています。そしてあれほど重要な役回りだったにもかかわらず、竜ちゃんが出ていることをすっかり忘れていたなんて。まあ、繰り返し観ることができるから便利ではあります。
3月14日(木)婚姻しない権利
人権云々とか言うのであれば、婚姻の自由なんかより、婚姻しないことの自由の方がはるかに重要だと思っています。パートナーを国家に登録したがる心境がまったく理解できないとか言えば、それはおまえがいつだって登録できる特権をもっているからだー、とか言われそうですが、いやだからパートナーを国家に登録することを権利だなんて考えるのが間違っていると言ってるわけです。
3月15日(金)見世物
どうして野球選手が婚姻関係を結ぶとその婚姻関係を結んだ相手を見世物にしないといけないのか、まったく理解が及びません。もちろんこの臣民共同体においてだけでなく、おっとろしいほど家族主義的で、暴走じいさんか暴走じいさんよりかはましだということそのことだけがウリのじいさんか、そのどっちかが大統領になってしまうような文字通りアメリカン・ドリームの実現する共同体においても、それがフツーのこととされています。もうゲロすぎる。
3月16日(土)ぜひ
ある市議会議員が市議会での発言を画像と共にSNSにアップしていますが、それを引用しながらヘイトだから閲覧注意とお書きになっている研究者とおぼしき人がいます。市議会議員が市議会においてヘイトスピーチを行っているのであれば、それは大問題でしょう。この研究者とおぼしき人は、閲覧注意を呼びかけるだけじゃなくて、当該市議会に申入れを行う必要があるのではないでしょうか。不正がなされていることをご存じなのに、何もなさらないのであれば、共同正犯を疑われかねないところですから。
3月17日(日)『ベテラン』
これも2度目ですが、言うまでもなくどんな話だったかほとんど覚えておらず、途中でとても笑えるような話じゃないところがあって、そういえば前も嫌な気持ちになったことを思い出しました。オ・ダルスやユ・ヘジンだけじゃなく、なんとマ・ドンソクまで出てて、結構お金はかかっているかもしれません。あとは、ミス・ボンにキックされたいくらいでしょうか…。
3月18日(月)働くお兄さん
黙々と働くお兄さんがまぶしかったので、ついつい撮ってしまいました。もちろん本人の許可は得ております。ちらかしよごすお兄さんたちがきちゃなくした学部生室を、働くお兄さんが掃除しているわけです。床のしみになった汚れが雑巾がけできれいになったと喜んでいる姿を目の当たりにして、涙が出そうになりました。やたら道徳性を説きまくるくせにこういう仕事は一切せずに外注するカント研究者たちには、爪の垢すらもったいないところです。
3月19日(火)有給
有給休暇を年に5日分はとらないといけないことになっていて、ほったらかしておくと勝手に休業日を決められてしまうので、仕方なく本日が休業日で、久しぶりに平壌冷麺と玉子スープの日でした。本店は定休日で支店へ行きました。冷麺は本店がおいしいそうですが、いやもう、支店でも十分においしいと思いました。あまりにもおいしすぎて、つくづく、近くになくてよかったと思いました。
3月20日(水)笑うしかない
マレー特派員だった人が、いつの間にかジュ○ク堂ウォッチャーと化していて、現在のジュ○ク堂でありようを写真つきでご報告くださいました。いのちshine(≠○ね)なんちゃらとかいうスローガンのなんちゃらとかいう箱もの一攫千金後は負債だらけ大会キャンペーンが行われているようで、もう笑うしかありません。そういえばかつて三波春夫は満面の笑みで「こんにちは〜、こんにちは〜」と歌っていました。「お客様は神様です」で知られるこの方は、赤旗まつりにも右翼の集まりにも呼ばれれば行くという、ある意味では有言実行の人でしたが、よく考えたら、赤旗まつりだって今となっては…(略)。
3月21日(木)だる
婚姻関係を結んだ人を見世物にしている・されちゃってる人は、たしか東北地方の高校出身で、てっきり野球留学かと思っていたら、岩手で生まれ岩手で育ち岩手の高校へ進学したみたいで、少なくともその点においては、スポ根に否定的で立派なことを言うけど大阪出身で東北地方の高校へ行った方よりかははるかに優れているでしょう。後者は、偉いとされているじいさんたちに盾突くのは立派だと思うけれど、でも大阪じゃ甲子園に出らんないから野球留学しちゃったんですよねー。
3月22日(金)反論
ひと頃、野球留学に対しては批判的な声もあったように思うのですが、いつの間にやら批判されないようになっているのではないでしょうか。これについて、有名私立の進学校へ行くために親元を離れる者と同じではないか、と弁護する人の話を聞いたことがあります。しかし甲子園へ出られる高校は、夏は各都道府県1校ずつ、春だってせいぜい2校でしょう。そうすると、野球留学生たちを集めて強くなった高校が甲子園へ出たら、その他の高校に進学した生徒たちは甲子園には出られないことになります。他方、大学進学に関しては、少なくとも形式的には都道府県別の割り当てはありません(男性は下駄をはかせてもらえるという特権はありましたが)。そんなわけで、他都道府県の有名私立の進学校へ行くことと、他都道府県へ野球留学することとは、同じように論じることはできないのです。
3月23日(土)雪山
そんなわけで、本日からこのような景色が見えるところでの研究会です。ここは、いわゆる「人の絶景ポイントは私の絶叫ポイント」で、とっても怖い思いをしつつ、雪山を撮らないわけにはいかないので、とんでもなく視野を狭めることにしました。会場は、すでに何度か行ったことのある場所ですが、しかし毎回、必ず迷います。今日もしっかり迷いました。ここだけの話ですが、あの建物は、きっと動いていますね。それに気がついてしまいましたよ。諸般あるので、まあ、知らないことにしておきますが。
3月24日(日)矛盾はしてないか
朝から「錯覚の科学」を観ました。血液型と性格などなどが取り上げられ、疑似科学の話になり、境界設定の切り札として反証可能性が紹介されました。この番組の何が問題なのか。番組は、ふたりの登場人物によって進められます。ひとりがわからない人、ひとりがそのわからない人に教えてあげる人です。もう予想がつくと思いますが、わからない人は若い女性、教えてあげる人は若造でも年寄りでもない年齢くらいに見える男性です。えっ、タイトルが「錯覚の科学」ですか。そうですか。
3月25日(月)めんどくさい
帰りの便は、3人掛けの通路側で、窓側の女性と真ん中の男は、おそらく婚姻関係にある人たちだったと思います。行きの便は揺れたので飲み物サーヴィスがなくなりましたが、帰りはありました。キャビンアテンダントがやってきて、まずは窓側の女性に何にするか尋ねるのですが、尋ねられてもいない真ん中の男が「スープ2つ」と答えるのです。それがどうしたって、思いますよね。こんなことが気になるなんて、おかしいですよね。しかし気になってしまうのです。「うるせー」って思ってしまうのです。「おまえは訊かれてないだろ」って。その男は、ことによるとそこに「やさしさ」を見出しているのかもしれませんし、それが一般的なことなのかもしれません。しかし「人のやさしさポイントは、私のうっとうしさポイント」です。われながらめんどくさい。
3月26日(火)めんどくさい 2
ここでその男や女性がどんな顔をしているんだろうとかって、のぞき見たりすれば、それはもうルッキズムの始まりであり、差別の始まりであるので、言うまでもなくご尊顔をあおぐことはありませんでした。そもそもそれでどちらも満足しているのなら、何の問題もないではないですか。いや、そうでしょうか。満足しているかどうかと正不正の問題は別です。自発的隷従を生きる人たちは、きっと満足しつつ隷従することでしょう。しかし満足しつつ隷従することそれ自体が、問われるわけです。何を「スープ2つ」くらいで騒ぎ立てているんだって言いますか。でも、細部に政治は宿りますから。
3月27日(水)ったく
昨日は、初の試みとして金曜ゼミ春期研究会を開催し、金曜ゼミなのにどうして火曜に開くのかとかいう本質的な問いに対しては、本質を問う者は差別主義者であると答えることにして、昼休憩を挟み、7時間くらい公共圏が形成されました。まあ、いまに始まったことではありませんが、大学教員に対する批判的見解が数多く提出され、自分のゼミ生たちが教員に対して批判的であるのは大いに結構、わはは、などと喜んでいられるほどアホでもなければ面の皮も厚くないので、諸般考えさせられました。まあ、やってられっかって、いつもより早くに寝ましたけどねー。
3月28日(木)不正への加担
もう耳タコだと思いますが、人文学が何のためになるのかとかいう問いに答えるのが、人文学者の役割だなどというのはまったく間違っています。そんなありもしない使命を果たして喜んでいる姿は滑稽であってそれこそ笑い飛ばされるだけ、ならまだましです。こんなありもしない使命に応えることは不正だと考えているわけです。「〇〇のために」ゲームが前提しているイデオロギーは、「〇〇のために」が言えないようなものは不要であり、もっと言えば存在してはならないという、簡潔に言えば新自由主義です。だから、こんな問いに答えることはたんに滑稽ではすまないことであり、端的に不正への加担なんです。
3月29日(金)レトリックじゃねーって
こういうふうに言うと、それはレトリックであって本当は人文学も共同体の役に立ってるって考えてるんでしょ、とか、私はすべてお見通し的な人が登場したりするのですが、いやいやあなたが見通しているのはあなたのささやかすぎる利害だけで哲学の議論はちっとも見通せていませんて。だから文学部出身者による、私はいかにして勝ち組に入れたかなどという講話をありがたがってしまうのですが、そのありがたがり方はシニシズムにしか見えないよ、なんて言われても何のことかわからないのです。何度言ってもいいですが、人文学で学んだことが、人生の岐路において役に立つなんてことは、ロジカルにありえません。
3月30日(土)形式がすでに…
研究会でのもともとの問題は、現代における知識人の役割であり、大学教員としておまえはどういうふうにふるまっているつもりなんだ、ということでした。少なくとも、啓蒙された左翼前衛党が大衆を導くなんて絵空事はやるべきじゃないし、幸いなことに、すでにそんなことはできないでしょう。別に左翼前衛党じゃなくても、知識人と呼ばれる人がなにか政治的発言をして、従順にそれに従う人々がいる状況は、まったく好ましいわけがありません。近頃あるイシューをめぐって、自分の新書を読んで勉強しろとか言ってのけるアホがいますが、主張内容以前に、そうした形式がすでにうんこであることは自明です。
3月31日(日)なはずがない
そうなるとせいぜい言えるのは、自分で考えるよう求めることくらいか、ということになり、ケーニヒスベルクのあのじいさんが正しいってことになってしまうのか、やだなぁ、と思いましたが、やっぱそうじゃないことがわかりました。あのじいさんが求めているのは、自分で考える勇気をもつことです。重要なのは、勇気をもつことなんです。えっ、それがなぜ問題かって思っていらっしゃるでしょうか。問題ですよ。そしてそこにあのじいさんの哲学の悪質なところが集約されていると言えるかもしれません。ええ、もちろんその理由はご自分で。
4月1日(月)ほとんど自明
ある書物の出版に関して、その書物の取扱店を放火するという脅迫があったらしく、実際に丸善やジュンクで予約しようとしたら、予約できない旨、返答されたという事例をいくつか目にしました。これに関して、購入者に危害を加えるという脅迫があったと言い換えた方が、報道によれば脅迫内容は書店の放火であって購入者への危害ではない、と言われ、?つき呼ばわりされていたりします。なるほど、書店の放火と購入者への危害が別の事柄であることはたしかでしょう。嘘つき呼ばわりする方は、では書店の放火についてはどのようにお考えなんでしょうか。この件に関してことさら正確さを要求する人は、いったいどのようなイデオロギーを背負っているのでしょうか。まあ、ほとんど自明でしょう。
4月2日(火)恐れ入る
ある学会に、当該学会員の論文が差別的だからとかでなんらかの要望を出した人たちがいるそうです。差別的な論文を書いたとされる人が、要望を出したひとりに直接返答したら、ショックだのパニックだの言って体調を崩したからもうやめてくれと言い出す始末なんですが、がきんちょの喧嘩じゃあるまいし、差別的だと強い言葉で批判されたら、いかに差別的ではないかを明らかにするのはあたりまえで、それでもなお差別的だと考えるなら、再反論すべきだし、再反論できないのなら、差別的としたことは誤りであることを認め、相手に謝罪すべきでしょう。そんなルールも守れない人が研究者とは、まったく恐れ入る。
4月3日(水)恐れ入る 2
もうひとつのパターンは、そんなことしましたっけ完全無視タイプ。学会発表において、ある人たちの論文をとりあげて、「フォビアだ」と言っておきながら、根拠を求められると死んだふり。あくまで死んだふりなので、その実めっちゃ元気だったりして、体制批判をしたりするんですが、しかし体制批判がいくらまっとうな言説だからって、研究者なんだから学会におけるふるまいは、それとは別に評価されるわけです。根拠を言えばいいだけなのに、なぜそれができないのか。まさか根拠がないなんてことはないですよね。
4月4日(木)脅迫者に寄り添う
販売したら放火だからなって書物について、ある書店では、こんな本じゃなくってこれこれが書いた別の本を読めって自家製の帯をつけて販売しているそうです。この行為に対して、こうやって放火されないように販売してるんだよ、という脅迫者に寄り添った心優しい言説も見受けられます。こういう帯をつけておけば、放火したりしないだろう、だそうです。でも販売してるんだから、しかも脅迫者をなだめすかすような態度をとりつつ販売してるんだから、逆にむききーってなる可能性だってあるでしょう。つまり、それはたんなるスーパー擁護にすぎないということです。
4月5日(金)ラリアット
スタン・感染。7回もワクチン接種したというのに。7回も接種している人ってレア者なのに、そのうえスタン・感染の人って「さらに倍」(大橋巨泉)みたいな話ではないか。もう言ってることがわけわからん。きっとそいつのせいだろう。そんなわけで、5日間、自宅警備に徹します。アポのあった人、すみません。
4月6日(土)クソクソ
なにがなんでも阪ちんの悪口を書きたい日刊クソクソゲンダイ(名称にふたつも「クソクソ」を入れるなんて、どういうことだろう)、まだまだシーズンは始まったばっかで、そりゃ最下位になりそうな雰囲気は濃厚に漂ってはいるものの、しかしスポ根監督のいるチームとか、ちゃらい集団とか、勝手にこけそうなところもあるので、なかなかボロカスには書けません。そこでどうするか。なんと、ファームの惨状をとりあげています。ファームで最下位争いをしていると。ファームで最下位争いしてるぞー、「アレンパ」達成に影落とすぞー、ってアホなのか。
4月7日(日)最悪のディストピア
その本を置いたら放火するという脅迫を受けて、ある大型本屋では置くのをやめ、他の大型本屋では、注文を受けると「地下に行ってください」と言われ、地下に行くと、店員が一冊手にして待っていた、とかいうエピソードを読みました。ほんとの話なのかどうか、あやしいと思っていますが、このエピソードを受け、ぜひそんなふうにして購入したいとか言ってる人がいます。発禁本の闇取引みたいで最高だし、21世紀にもなってなかなか経験できそうにないから、と。そんな経験を21世紀にもなってしなければならないとしたら、とんでもなくディストピアだというのに、その人は、ディストピアにわくわくしちゃってるわけです。戦争は楽しい、って話と同じですね。これ自体が、最悪のディストピアかもしれません。
4月8日(月)エリート主義
こんなことでわくわくできてしまうのって、要するに、秘密裏に行われていることがあって、その秘密を知っている者は限られていて、自分がまさしくその限られた集団の一員だってことにわくわくしているのでしょう。こういうのって、一般的にはエリート主義って呼ぶんじゃないでしょうか。実にくだらない。ばかばかしい。エリート主義なのに凡庸。それともあれですか、なんでも笑いに還元できてしまう笑いはすべてを超越する系ですか。たしかにあの人たちも、なんだって笑いにできてしまう自分たちスゲーのバ○であり、エリート主義者ですね。まったくもってくだらなすぎる。
4月9日(火)すべて0点の根拠は?
期末テストでカンニングが判明した場合、その学期中に受けたテストをすべて0点とする、というのはよくある処分の仕方だと思いますが、これがむかしからあまり納得できていません。浪花大学では、少なくとも私が教養部にいた頃は、カンニングがバレるとその学期中に受けたテストがすべて0点とされた上、所属学年氏名が掲示されました。歯学部の1年生の名前が晒されていた記憶があります。こんなことは論外として、当該科目以外も0点とする根拠がわかりません。当該科目以外もやらかしているのではないかという疑わしきを罰することは問題なので、たぶんこれではないでしょう。当該科目以外も0点とするのは、明らかに罰を過剰に与えていることにならないでしょうか。
4月10日(水)真面目
休養期間が終わってもまったく戻れそうな気がしていなかったのですが、朝目が覚めて体温を測ると36℃なかったので、もう走るしかなくなり、しかしここは理性的にいつもより控えめに走っておきました。今日から授業開始日なのですが、その開始日にきっちりと復帰するなんて、どんだけ真面目なんでしょうか。もうこれから氏名を漢字で書いたら「まじめ」とふりがなつけるか、「マジメ」とフリガナつけるか、どうしようか迷うくらいの勢いです。うー、何言ってんだかさっぱりわからない。
4月11日(木)どっぷり疲れた
1時間目に演習の授業。シラバスにはアーレント『全体主義の起源』「イデオロギーとテロル」の途中から読むように予告していたのですが、昨年度の続きだとイデオロギー論の途中からで、そこまでの部分の説明をしなきゃいけないこととか、そのまま最後まで読んでそれほど面白いか問題とかがあって、内容を変更することにしました。それに関連して、ハーバーマスの真理性と正当性の問題とかについて説明したりしたら、予想外に話は展開され、1回目の授業としてはもったいなさすぎる内容になってしまいました。もう、10回分終わったことにしてもいいんじゃないかくらいの話です。いかがでしょうか。
4月12日(金)合図します
そして今日は2時間目に共通教育の授業。毎年100人切るか切らないかくらいの登録人数だったというのに、人気授業がどこか他の時間帯へ移ったからなのか、それとも人気のあるいい先生がお辞めになられたからなのか、ともかく今年は久しぶりの200人越えです。どーせ登録者がみんな来たりするわけがないとなめていたら、準備していた配布物が足りなくなってしまい、登録者たちがほぼ全員1回目の授業に出席するという、そんなことでいいのか学生諸君状態でした。おまけに笑ってくれないしね…。ああ、どこで笑えばいいのかわからなかったのか。だったら三平師匠のように合図するっちゅーねん。
4月13日(土)8名減
少しでも多くの人が登録したことを後悔しないですむように、2週間は変更可能期間だから変更したい人は変更した方がいい、ついては、この哲学の授業では人生論なんて絶対にやらないし人生の意味なんて論じないしそもそも人生に意味なんてないし人文学は生きていくうえで何の役にも立たないしそれはけっしてレトリックなんかじゃない、ということを伝えました。すると、この1日で8名の登録が取り消されました。やっぱ人生論が欲しかったのでしょうか人生の意味を教えられたかったのでしょうか人生には意味があると言われたかったのでしょうか人文学は生きる上で役に立つとお考えなんでしょうか役に立たないなんて言い方はレトリックにすぎないとみなしたいのでしょうか。まあ、仕方がない。
4月14日(日)文責はだれにあるのか
それにしても人権問題をあつかう社団法人が講演を依頼していておいて「受講者には中止の連絡をしたから」という理由(?)で講演を中止し、講演予定者には説明もなく、ようやく説明だかなんだかわからない文が出たと思ったら、当該講演予定者のことを差別者呼ばわりするって、いったいどういう了見なんだろうか。書き手は法人であり、個人の署名はない。この場合、文責は個人にはない、ということだろうか。どんな組織体制なのかわからないが、理事会なりなんなりが文責を負うということでよいのだろうか。理事会は個人によって構成されているのだろうから、要するに理事会の構成員全員がそれぞれ責任を負うということだろう。まさか、だれも責任は負いませんとかいう、大日本帝国の真似はしないでしょうね。
4月15日(月)物笑いの種
それにしても、中学生くらいを相手にした入門書ならいざ知らず、研究者が手に取る『事典』に、カントの平和論の意義は人々があらゆる努力を試みて永遠平和へと接近すべきことを明らかにした点にあると記し、人々に自覚するよう促した点にあると記すとは、どんだけ人を笑かそうとしているのだろうか。まったく笑えないけど。まあ、カント研究者が努力とか自覚とかが大好きなのは知っているけれども、いくらなんでも永遠平和の実現にとって重要なのは努力と自覚だなどと『事典』に書いたりしたら、物笑いの種にしかならないくらいのことは理解できる社会性を身につけましょうよ。
4月16日(火)むしろ憐れむ
医療問題がレポートされ報道され始めているというのに、ダイナソーを取り返すとかなんとか寝ぼけたことを言ってる人がいて、そう言えばその人のことについて以前批判的に書いたら、「いい人ですよ〜」と教えてくれたバ○がいました。そいつがいい人であるかどうかとそいつの言説が正しいかどうかは別の問題だってこともわからないようなバ○から、これ読んどけってお約束のコピーもいただいたのでした。なるほどこういうときに、バカもホリデーホリデーに言え、とかって言うんですね。
4月17日(水)ダメだこりゃ
まさかそんなことをするわけがなかろうということをやらかしてしまうようになると、もうそろそろ終わりが近づいていることになるのか、それともこのままやらかし続けつつなお生き延びてしまうことになるのか。バ○のことを憐れんでやっている余裕などない。自分のことを憐れまないといけない。それはそうと、『復讐者に憐れみを』は、生きることをつらくする名作です。
4月18日(木)どーせ
なんか味覚がおかしい感じがしなくもないのですが、しかしよく考えたら、どーせ激辛好きとかで舌バカなので、そもそも微妙な味覚なんてなかったのでした。いや、味覚なんてそんなもんでしょう。味の違いがわかるとか言う人は、味の違いがわかるとか言う人にすぎません。どーせ、あのときのあの味に比べると、これはダメだ、くらいの差異にすぎません。そんなわけで、味の違いがわかるとか言う人、すごいですねー。
4月23日(火)大したことあるって
かかりつけ医は相変わらず陰謀論者なので、「大したことはない」と言い、でも日常生活がしんどいですよ、と言ったら、瞬間的に声を荒げて「そんなことを言ってちゃダメですよ」とたしなめられてしまいました。まるでズル休みを咎めるクソ教師のような言い草で、ちょっとびっくりしました。「しんどい」とか言ってちゃダメだってことのようでしたが、もうこっちは十分じじいなんですよ。もちろん若造だって、「しんどい」と言うのであれば、それ相応の対応が求められるとは思うのですが、じじいにもっと覇気をもて的なことを言ってどうするつもりなんでしょうかねぇ。そんなわけで、もういろいろとしんどい。
4月24日(水)ちゃんとナショナリストであれって
ドイツの右翼政党幹部のところで働く人が、軍事情報をスパイしていた容疑で拘束されました。それを受けて、内務大臣が当該幹部の責任を追及しているのですが、これってあれですかね、右翼政党なんだからもっとちゃんと右翼政党をやれよ、ってことなんでしょうかね。ドイツにとって不利益につながるようなことをするなんて、おまえはそれでもナショナリストなのか、って批判だとすると、逆に言えば、そんな批判をするあなたはナショナリストなんですか、って話になりそうで、なかなかに興味深いところです。ああそうか、こんなときに便利な形容詞、「健全な」を使用するのかもしれません。しかしご存知でしょうか、健全なナショナリストなんて、せいぜいただのナショナリストで、へんてこな形容詞をつけている分、ひょっとしたら悪質極まりないナショナリストかもしれません。
4月25日(木)まさしく道徳的行為
ナショナリストといえば、ナショナリストにして歴史修正主義者である東海地方の市長が、祖国のために命を捨てるのは道徳的行為とかおっしゃったそうで、なるほど道徳的行為というものがどういう代物か、よくご存じだと思いました。道徳的行為なんてそんなものだし、道徳の時間なんてそういうことを教えるための時間じゃないですか。これはけっしてシニシズムじゃなくって、だから道徳なんてダメだって言ってるんです。こういう歴史修正主義者の発言に対して、「真の道徳的行為」を語り始めるやつが出てきたら、そいつだって同類ですから。平和とは一切の敵意をなくすことである、とか誤訳できる人たちは、いずれ名古屋市長になれるかもしれない。
4月26日(金)ポピュリスト
どっかのあれな知事、「0歳児にも選挙権を」とかおっしゃっているそうで、この方が共同代表を務める政党のマニフェストとして提案したいそうです。これが右翼ポピュリストで、他方、左翼ポピュリストと呼ばれるのが、ちっとも左翼でもなんでもない政党名に元号を使用する天皇主義者のたろー。どっちも消えてほしい。
4月27日(土)馬の脚
「彼らからしたら、叩けさえすれば何だっていいんです。今までも、公務員、被差別部落、在日コリアン、沖縄、トランスジェンダーと、叩く対象をコロコロと変えてきました。」とかって、差別する者は宗教右派だーのポストを見てしまいました。あらら、コロコロ変えてきたわりには、叩く対象に女性があがっていませんね。女性は差別されてこなかったって認識をおもちなんでしょうかね。細部に政治は宿る。
4月28日(日)まだまだ続く
差別本だから出版するな運動があって、別の出版社から出版された翻訳書について、ある書店の書店員が読んだ感想を書いたところ、さっそく攻撃にあってポストは削除、書店が謝罪するという状況になりました。こんな状況になって、検閲者たちは「よかった、よかった」と考えているのでしょうか。あるいは、「勝った、勝った」でしょうか。まあ、後者なら仕方ないですね。勝利するかどうかが問題なんですから、しょせんは力の話です。前者だとすると、言論を封殺できて「よかった、よかった」ですから、深刻な問題だと思いますが、まあ、事の深刻さは理解できず、ひょっとしたらコピーを手に「これ読んどけ」ですかね。ええ、特定の人を念頭に置いていますよ、もちろん。
4月29日(月)北〇なんちゃら
その書店員の感想について、プロフにジャーナリストとかって書かれている方が、「あの本はそういうふうに誤読するように上手く書かれています。ま、そうじゃなきゃ商品にならない。上手い文章のあちこちにミスリーディング(恣意的な方向づけ)を誘う小さな事実誤認、あるいはバイアスが散らばっています。」とかお書きなんですが、これってどの箇所がそうなのか、具体的に提示しないとたんなるデマにしか見えません。賢い自分は騙されなかったけど、バ〇なみなさんは騙されないようにしましょうね、ってメッセージは、あまりにも人をバカにしすぎていませんかね。
4月30日(火)デモによる支配
そしてプロフにわざわざ「民主主義者」って書くタイプ。これに「戦後」をくっつけてる人も見たことがありますが、そもそも民主主義がデモによる支配だってわかっていたら、無邪気にプロフにそんなことはなかなか書けないと思うのですが、まあ、そうでもないんですかね。「戦後」をくっつけてる人は、沖縄をアメリカに引き渡す代わりの独立だったことや、ずーーーっと臣民主義を続けていることとか、どう考えているんでしょうか。あっ、基地を「本土」に引き取り、開かれた皇賊ならいいと思っているタイプか。健全なナショナリストか。度し難いア○か。
5月1日(水)あのパターン
件の書店は悔い改めました文書を公開し、許しを乞い、次からは気をつけろよ忠告をもらうという、この前もあったパターン。いやしかし、こんなことを繰り返していて、まったく不安もなにもないのでしょうか。女性の参政権が実現されるまでにはとんでもなく長い時間がかかったし、別姓制度なんて、まだ導入されないというのに、その手の権利に異を唱えることは差別とされつつ短時間のうちに認められていく、なんてことが可能になるには、背後に巨大な力が働いているとか考えないのでしょうか。ああ、こういうとき、陰謀史観は権威主義的パーソナリティの現れだとか、おっしゃるのかもしれません。しかし少なくともあの権威主義的パーソナリティの研究には問題があると思っています。
5月2日(木)ちまちま
そんなわけで、イ・ソンギュンの『白い巨塔』をちまちま観ているのですが、数日前に、誤診があったことを知っているイ・ソンギュンが、組織や友人関係や、ひょっとしたら自身のアメリカでの研究活動のために、証言をしない、という選択肢を選ぶシーンを観ました。周囲は、イ・ソンギュンが証言するんじゃないかって、心配(!)していたのですが、証言しないことに決めたのを知って、安心したりしています。この先、ひっくり返してくれるのだろうと思っているのですが、しかし少なくともいったんは、組織やら友人関係やら自己の利害やらを、正義に優先させていて、これがもう、まったく理解できません。
5月3日(金)伝聞
まあ、内部告発すると、内部告発した側が不正を働き内部告発されたアホから誠実性を欠いているとかなんとか言われるという話は、耳にしたことがあります。組織の長であれば、内部告発した側を擁護すべきところ、そのアホをたしなめることもなく、一緒になって内部告発した側に説教を垂れるとか、ありえない(まあ、その手のメンタリティのもち主であれば、その逆こそありえないのですが)ことも起きるそうです。なるほど、組織やら友人関係やらを正義に優先するという、ほかならぬ臣民主義なのでしょう。