2023年



1月1日(日)
大きな声

 アーレントは、『エルサレムのアイヒマン』を刊行してユダヤ人の友人のほとんどを失ったと言われています。アーレントの思想は、ハイデガー研究者がほいほい飛びつけるような部分もあって、たんなる保守反動じゃないのかと思わなくもないのですが、しかしほとんどの友人を失うようなことをやってのけるところはいくら称賛しても足りないくらいです。いまなら、なんら根拠も示されることなく、「ヘイター」と呼ばれていたに違いありません。アーレントが大胆にふるまうことができたのは、ひょっとするとジャーナリストだったからで、アカデミズムの一員ではなかったからかもしれません。アカデミズムこそ、言論の自由が保障されている世界であるはずなのに、その実大きな声によっていともたやすく自由が奪われますから。



1月2日(月)ろくでもない

 市の広報2023年1月号に、写真で振り返る2022年というのがあって、「3月3日〜4月8日 文化芸術センターをウクライナ国旗の色にライトアップ」とかって見出しをつけて、その写真を載せています。その国家は軍事同盟であるNATOと結びついているわけですが、税金を使ってNATOに賛意を示すライトアップって何なんでしょうか。ご丁寧に「ウクライナとの連帯を示し、平和への願いを込めて…。」などというふざけたキャプションまでつけていますが、文化芸術センターを国旗の色にライトアップすることが連帯を示したことになるとは、要するに文化も芸術も軍事同盟とひとつながりだということですか。平和への願いを込めて、「武器ちょーだい」って言って回る大統領に味方するわけですね。これじゃあまるで新春初笑い特集ですが、問題なのは、ちっとも笑えないことです。



1月3日(火)いきなり差別

 まあ、なんのためらいも恥じらいもなくなんちゃら戦略会議なんてものを作っている時点であれであり、そんなもののメンバーに加わっている時点であれあれなんですが、市の広報には「〇〇市経営戦略会議」(どうして自治体に「経営」なんてものが必要なんだとか、考えたことすらないでしょう)とやらに参画してるメンバーからの「ひとこと」が掲載されています。タイトルが、「母性の経営」ですよ、いきなり差別ですか。「母性ってどんどん広がっていくのですね」って、それ差別をどんどん広げてるだけの話ですよ。「私の『母性の経営』がお役に立てることを願い」とか言ってますが、願いがけっしてかなわないことを願ってやみません。



1月4日(水)『共助』

 観たことはあったものの、例によってほとんど覚えておらず、「またしてもエコー写真かよ」と、きっと前に観たときも思ったに違いないことを思いました。もはやこれって、水戸黄門における由美かおるのあのシーンと同じ扱いなんでしょうか。シュッとしている方の主役は人気俳優だそうですが、イム・スジョンに捨てられた人でした。わはは。あの見てるだけでちびりそうになるワルが、交通事故で亡くなった俳優だったとは知りませんでした。『毒戦 BELIEVER』が遺作だそうですが、いやもう、あれもとても演技とは思えないくらいのイキッぷりでした。



1月5日(木)無敵であること

 「実際のところ、「キャンセルされた」と主張している人で、実際にキャンセルされている人は、ほぼいないんですよね」と書く人は、まあ、無敵です。この人が、論文に書かれていないことを書いて、ある人のキャンセルを呼びかけ、そのせいで「キャンセルされた」と主張する人がいたとしても、元の言説の反証にはなりませんからね。「ほぼいない」って書いたじゃないですか、っておっしゃるでしょうから。いや、討議拒否ですかね。どっちみち、無敵であることに変わりはありません。問題は、無敵であることそのことです。



1月6日(金)異臭騒ぎ

 諸般あって、朝から中ノ島へ行き、あずき色で出勤しようとしたら、前のじいさんが数字のついた例の袋をショルダーに押し込んで網棚にのっけてから席に座りました。なるほど、臭っても自分のせいじゃないってすっとぼけるつもりなんでしょう。おもむろに読み始めた本が『世界』で、いろんなものを隠して表面的にはリベラルを装うんだろうなぁ、生き方にぴったりだ、と思っていたら、隣に数字のついた例の袋を隠しもせずに手にした方が座りました。マスクなんぞなんのその、異臭が直に押し寄せてきて、降車駅が池田だったら、確実にゲロっていたと思います。みんな鼻炎かなにかなんでしょうか。歯の拷問、爪の拷問には耐えられそうにありませんが、あの異臭の拷問にも耐えられそうにありません。



1月7日(土)ぜひ厳罰を

 世界に先駆けて悪の限りをし尽くしてきた身分制国家の王子を自称するようなやつが「タリバンを25人殺した」と主張したため、「王子の身の安全を懸念する声が広がっています」などと報道するやつはアホなんだろうか。こいつら、結局のところまったく植民地主義を反省なんかしてないわけで、懸念すべきはその無反省的差別メンタリティだろうが。みずから殺人をゲロったんだから、ちゃんと犯罪を訴追してくれ。それが正義というものだ。王子なんぞである時点で十分に有罪なのだが、明確に殺人を告白したわけだから、まずは捜査・立件してそれなりに処罰を与えるべきだろう。プーチンについて何事かをエラソーに言うのはそれからだ。



1月8日(日)ナショナリストの寝言

 ある野党の代表が乃木神社なんぞに初詣に行き、それを軍国主義者だと批判され、どこで参拝しても平和や不戦を誓っているのであって、平和主義者だと言ってるんですが、それって初笑いかなにかなんでしょうか。平和や不戦を誓ってておまけにカント研究者を自称してても、ちっとも平和主義者じゃないどころか健全なナショナリズムを信奉するようなアホがいることを教えてあげなきゃいけない。この手の健全なナショナリストは、きっと、何事かがあれば、正義の戦いはあるんだとか言い出すに違いない。なんせ、国連軍がやってくるまでの自衛の軍備は必要だとか、寝言を言うわけですから。皇軍はかつて侵略したんですよ、忘れましたか。いつも被害者になることしか頭にない平和主義者はたんなるアホです。



1月9日(月)悪質極まりない

 実に問題だと思うのは、このタイプの自称平和主義者たちです。太宰が、札付きのワルは怖くない、札が付いてるんだから近寄らなければいい、と言ったように、いわゆるタカ派はタカ派なんだから、何を言うかは自明だし、ずっと勇ましいわけで、騙されることもないでしょう。それに対して、国連軍がやってくるまでの自衛の軍備は必要だの、沖縄の米軍は本州に引き取るべきだの、原爆資料館は以前よりもよくなっただの、良識人みたいな顔をしているやつは性質が悪い。以前、ドイツ人を原爆資料館へ連れて行ったら、英語による説明をグーグル先生に翻訳させて、日本語による説明といかに異なっているかを、明らかにしていました。まあ、加藤典洋と親交のあったような研究者なら、「それがどうかした?」とか言いそうですけどね。したがって「たんなるアホ」は誤りでした。正確には、「悪質極まりないアホ」でした。



1月10日(火)絶滅してくれ

 道頓堀川に絶滅危惧種のウナギが生息していることがわかったという記事で、「蒲焼にはやや大きい」と見出しをつける朝日新聞のメンタリティは、絶滅を危惧しないどころか、ぜひ絶滅してほしいところだ。記事では、調査した研究所の何者かがそのように言ったように書かれているが、もちろんそいつのメンタリティも絶滅してほしいところだが、そいつがそう言ったからって、見出しにするやつのアホさ加減が軽減されるわけではない。この人たちは、よし、絶滅する前に食わなきゃ、ってタイプなんだろうけど、こういうタイプこそ、絶滅すりゃあいいのに、絶滅しないんだよな。



1月11日(水)たしかに大笑い

 たしかに「笑下村塾」なんて命名センスの人が平和を語るなんていうのがもっとも大笑いだろう。松下村塾が何者だったか知っていてこれをコケにしているのだろうか。きっとそんな気概も立派なイデオロギー性もないだろう。もしそんな気概や立派なイデオロギー性があるのなら、まったく別の名前をつければいいだけのことで、ことさらだじゃれにする必要など皆無だ。ひょっとして、吉田松陰を笑いで否定できるとでも考えているのだろうか。その考えの浅薄さを笑いの対象としようとしているのだろうか。笑いはすべてを超越する系なのか。つまりはアホなのか。



1月12日(木)なるほど大笑い

 祈るだけの皇国の平和教育をアップデートするべく、ウクライナへ行かれたそうで(ええ、軍事同盟であるNATOに「武器ちょーだい」っておねだりする大統領がいるところです)、そこからもう笑かす気、満々ですね。皇軍はどのような侵略戦争を行ってきたのか、とか、そもそも侵略戦争を行った最高責任者はだれなのか、とか、そういう教育をするべきだという提言がなされるのかと思いきや(まあ、思ってない)、スウェーデンやらイギリスやらのお話ですわ。じゃあ、スウェーデンが軍事同盟であるNATOへ加盟しようとしていることとか、イギリスにはいまだに王がいて身分差別が制度化され正当化されていることとか、そういうお話でしょうか。なわけがありません。なんせ、資本主義ドロボーごまかしすっとぼけ信奉者ですから。大笑い。笑いはすべてを超越する系。 



1月13日(金)「特権」だらけ

 「○○してもよい」とか「××せよ」とか、他の人に許可を与えたり命令したりできる人が、どっかの新聞の有料記事でインタヴューされているそうです。この方、だれそれの「特権」にもお詳しいのですが、布団から外へ出て行かないと生き延びられない人たちは、布団から外へ出て行かないと生き延びられない「特権」をもっているとお考えになるのでしょうか。あるいは、「○○してもよい」とか「××せよ」とか、許可を与えられたり命令されたりできる人も、「○○してもよい」とか「××せよ」とか、許可を与えられたり命令されたりできる「特権」をもっているのでしょうか。なんだか、世の中「特権」だらけですねー。



1月14日(土)無敵話法

 無敵の人、「○○の件は完全なデマの可能性が強まってる模様」ってツイートしたけど、「○○の件」で容疑者が逮捕されちゃいました。しかし、無敵は無敵。何重にも防御してますもんね。「可能性が強まってる」ってツイートしただけだし、しかも「模様」ですからね。「ちなみに私は他人を『差別者だ』と批判することはほぼないです」も、無敵話法のひとつ。「ほぼない」ですから。いやしかしこの方、だれかを「批判」なんてできたことが1度でもあるんでしょうか。



1月15日(日)電流ビリビリ

 「差別をなくすには法制度だけでは足りなくて、それを裏付ける思考や感覚の変容も必要」だそうです。まあ、無敵の人がこういう無邪気な物言いをしても、不思議ではありません。なにしろ自称哲学研究者たちが、「平和とは、敵意をなくすことである」とかいうとんでも邦訳を垂れ流し続け、その邦訳に乗っかってカントの平和論を論じてしまうわけですから。こんなのは日本語でしか通用しない、きわめてナショナリスティックな戯言にほかなりません。敵意をもったり、差別的思考や感覚をもつと、電流ビリビリなんですよね。おそろしい。



1月16日(月)「あらゆる差別を許さない」

 政党名にわざわざ国家の名称を含めている政党に所属する「2期目の区議会議員」とやらが、例によって何の根拠も示すことなく一般人のことをヘイターと呼び、「私とは立場が違うからここまで」とか話を切り上げてるんですが、いやいや「あらゆる差別を許さない」とか立派なことをおっしゃるのであれば、立場が違うからここまで、じゃあ、「ヘイター」はのさばるだけなんで、ちゃんと丁寧に説明して、相手がぐーのねも出ないほど、ヘイターであることを証明する必要があるんじゃないんでしょうか。「あらゆる差別を許さない」んでしょ。「ちょっとしつこいですよ」なんて言ってる場合じゃない。



1月17日(火)「自分らしく」

 その「あらゆる差別を許さない」けど「ヘイター」と根拠なく断罪する人物を放置する「2期目の区議会議員」のプロフによれば、「誰もが自分らしく、住み続けられる」区を目指すそうです。またしても例によって例のごとく、「自分らしく」ですか。そう言えば、同じ政党に所属されていた幹部役員が盗撮で逮捕されたようですが、その方がこの区へ引っ越してきた場合には、やっぱ「自分らしく」住み続けられるようにご配慮いただけるんでしょうかね。盗撮こそが「自分らしく」生きる生き方だとしたら、その「らしさ」を踏みにじっちゃいけませんよ。まさか、よい「自分らしく」と悪い「自分らしく」があるんだなんて、言い出さないでしょうね。



1月18日(水)元号党

 まあ、そんなくだらない芸人に投票した者に問題があるのはたしかだとしても、有権者が愚行権を行使するのと、そうやって選ばれたくだらない芸人がやーめたって言って議員をやめると、その後を選ばれもしなかったやつらがとっかえひっかえ務めるのとはまったく異なったことであり、こういうことを平気でやってのけるって、いくらなんでも国会をなめすぎていないだろうか。元号を党名に使用してるんだから、首尾一貫しているとは言えるが、首尾一貫してりゃいいってわけじゃない。たしかこの元号党って、トイレでの安全を憂える人に対して「おまえが怖い」だの「しばく」だの言い放ったのが所属してましたっけね。やっぱ首尾一貫しているとは言えるが、首尾一貫してりゃいいってわけじゃない。



1月19日(木)身代わりきどり

 共通テスト当日に、痴漢被害に遭う受験生の身代わりになるとかなんとかほざき自分の姿を写メってばらまき悦に入ってた女装男について、そいつの「おかげで確実に一人は痴漢されずに済んだ女子高生がいたわけだ。素晴らしい!」とか、これまたほざいているようなのがいる。どうして「確実に一人は痴漢されずに済んだ女子高生がいたわけだ」なんて言えるんだろう。せいぜい言えるとしても、着用した制服を売ると言う自称身代わりの男に痴漢しつつ、同時にまた女子高生に痴漢することは難しいということくらいだろう。逆に、そこで成功したから次も、ってことにならないなんて、どうして「確実に」言えるんだろう。



1月20日(金)『野良犬がどうしたこうした』

 以前はそうでもなかったのだけれど、コント55号のかたわれに似ていると思い始めてからか、この役者の演じる役がことごとくうっとうしく思うようになりました。『監視者たち』のエラソーなセクハラヤローも然り。この映画での嘘つきヤローも然り。しかし若造の方はもっと気に入らないかもしれない。そもそも潜入捜査官なんだから、こいつが一番の嘘つきなのに、コント55号のかたわれと信用し合う仲になり、このくだらないホモソーシャル的友情だか愛情だかのせいで、まともな女性主任が殺されなきゃならないとは、なんともミソジニーあふれる作品だわ。



1月21日(土)党をあげてのネガキャン???

 「誰もが自分らしく、住み続けられる」区を目指す、名前に国名を含ませ機関紙に元号を併記する政党にご所属の「2期目の区議会議員」さまですが、「どんなお困り事でもご相談ください」って書いてます。同じ政党に所属されていた盗撮がご趣味の地区幹部役員さまについて、どのようにお考えになっているのかを示すこともなく、「そして、憲法・平和・暮らしを守るために、岸田政権の大軍拡政治と対決し、130%の党づくりと統一地方選挙勝利をめざして全力をあげる決意を表明するものです。以上」って、すっとぼけたことを書いて見せる政党に困っている場合、相談に乗ってくださるんでしょうか。ひょっとして、「ちょっとしつこいですよ」っておっしゃるんでしょうか。



1月22日(日)まあ「緑」はそんなもんだろう

 ウのゼだけじゃなく、そこらじゅうから、戦闘能力のある戦車をウへ供与するようドイツが求められているなんて状況は、どう考えたって狂気の沙汰なわけですが、他人のことなんてどうでもよくって自分の自由だけが重要なはずの FDP のやつらも、人の生活なんかよりも環境がなにより大切な「緑」のやつらも、首相に対して、もたもたしてんじゃねーよって言ってます。戦車使ったら確実に死ぬ人がいるわけですが、そんなことは知ったこっちゃない、なんつったって、戦車使ったら環境破壊が進行するけど、それを我慢してるんだから、くらいですかね。こんなことやってたら、「世界中のみなさん、敵意をなくしましょう」とかって、寝ぼけたことを言い出すやつらが出てきちゃいますよ。いいんですか。



1月23日(月)待ち遠しい

 「Fuck ×××」ってプラカードやバッジを作っても、別に大したことじゃない、「Fuck」を文字通りとるな、「Fuck」は△△って意味じゃなくって○○って意味だ、などなど英語にご堪能な方たちも含めて、へーそうなんだ、と思わせるご意見がちょっと前にありました。「くそ食らえ」って言ったって、排泄物を食べるよう言ってるわけじゃないぞ、という謎の擁護もありました。だったら、、「Decapitate ×××」はどうでしょうか。これも大したことじゃないんでしょうか。死んだふりしないでちゃんと擁護してほしいところです。



1月24日(火)歴史修正中

 名前にわざわざ国名を入れて機関紙に元号を併記するその政党、一般の人たちからの批判を「誹謗中傷」と言い、一般の人たちに対して訴訟をちらつかせるとは、さすがすぎますね。党員じゃないとしても選択肢のなさからその政党に投票する人たちのなかには歴史修正主義に批判的な人もいるでしょうに、いまちょうど行われている歴史修正に対して、なにもおっしゃらないのでしょうか。「JK」(ママ)に電子辞書を貸したらどうしたこうしたとか「エロゲ―」(ママ)がどうしたこうしたとか書いてるようなのはさておき、心ある人なら、その政党の迷走ぶりがわかると思うのですが…。まあ、ちっとも迷走じゃなく、それがその政党のあり方そのままだとも言えそうですけど。



1月25日(水)いまここ

 「来月転勤が決まったとお聞きしました。その前に一度ご挨拶だけ宜しいですか?」というメールをいただいて、おぉ、転勤できるんだ、いったいどこへ移れるんだろう、まあ辞令を待つか、と思っていたら、「準備等で忙しいでしょうか?色々とお世話になったのでそのお礼も直接お伝え出来ればと思ったのですが…。」ってご親切に、次のメールが届きました。「色々とお世話」しちゃったか、まあ、礼とか言われなくてもいいよなぁ、でも、まだなんも準備等してない…、と少々焦り始めていたら、「ご挨拶も出来ないままお別れは寂しいです…一度連絡貰えませんか?」と、寂しさを吐露されています。うーむ、でもこういうの「色々と」うっとうしいしなぁ。



1月26日(木)ただの排除じゃん

 立看は禁止されてるからと、石塀の上に積もった雪に「プーチンを火星に放て!!」とか書いたのがいて、日がさすと自動的に撤去されるから「天才」とかどっこいしょしてるのがいて、絶賛しているぶら下がってるのがいて、いやもう、みんな「天才」だと思いま〜す。プーチンに問題があるのだとしたら、行かなきゃいけないのは国際司法裁判所とか国際刑事裁判所なのに、わたしたちならざる者を作り出して排除するというメンタリティに対する一切の反省のなさ。これはもう「天才」と呼ばずしてなんと呼べばよいのやら。言うまでもなく、その立看を禁止する大学の所在地の「風土」にはぴったりですけどねー。



1月27日(金)従順かつ善良

 こうやってなんの疑いももつことなく、プーチンだけを叩いておけば正義の側についているつもりになれるという広告屋の思惑通りに反応してくれる従順かつ善良な「天才」たち。われわれならざる不正義の存在者を仕立て上げると同時に、われわれという正義の存在者をちゃっかり構築するというわけですか。わっかりやすい。ところで、NATOはけっして正義なんかじゃないですよ。知ってましたか。パナマ文書にプーチンとともに出てきたゼだって、けっして正義なんかじゃないんですよ。こうした「天才」たちは、きっと無邪気に、資本主義ドロボーごまかしすっとぼけプロジェクトにも積極的に加担しちゃうでしょうね。らくちんだな、広告屋。



1月28日(土)「うっかり」殺人

 まあ、科学史家はあくまで科学史家であって歴史学者ではないということなのかもしれないけれど、だったらせめて黙っときゃいいのに、「うっかり暴力沙汰を起こした左派グループ」とか書くから、左派は「うっかり」人を殺すのか、とか突っ込まれるわけです。もちろんそう言われたからといって、私が間違っていましたなんて言うはずはなく、これもきっと討議拒否のひとつなんでしょうかね。こういう戦後史をきれいに俯瞰しました的な駄文は、リタイアしたじいさんが書くものだと思っていましたが、そうでもないみたいです。いずれにしても、元号で時代を画しちゃうなんて、およそ科学史とは何の関係もない営みです。



1月29日(日)侮辱がすぎる

 歴史修正に対する一般人からの批判を「誹謗中傷」と言い訴訟をちらつかせる党の関係者の言説は、実は反共主義の一環じゃないかって説もあったりしたけれど、左派による殺人は「うっかり」だという教授のご発言も、やはり反共主義の一環なのかもしれない。他方、暴力革命を信奉している人たちからすれば、あれらは確信的に行われたことであって、「うっかり」だなんて、侮辱がすぎる。「宗教右派の色彩を帯びた日本の反共はもはや厳密な意味での共産主義批判ではなく」とか、わたしにはわかっている的なことをお書きなんですが、じゃあその「厳密な意味での共産主義批判」とやらがどんなものであるのかを、ぜひ示してほしいところです。ああ、「ぜひ」じゃなく「うっかり」でもいいです。



1月30日(月)『MASTER/マスター』

 こういうのを観ると、ノワール物の方が断然面白いことがよくわかります。警官役のやつは、『ゴールデンスランバー』でも大嫌いだった(もっとも、それは原作のせいかもしれないが)。そもそも、執行猶予にしてやるから悪事を暴く片棒をかつげ、っておかしいでしょ。執行猶予にしてもらうとかどうとかは、そもそも悪事が暴かれることが前提にあるわけで、しかしそいつが協力しなければ悪事は暴かれないわけだから、そいつはなんらの協力もしなきゃいいわけです。また、裏の世界では知られている大金持ちの「シン先生」が、まっとうなカネの稼ぎ方をのうのうとくっちゃべるのも、なにも全力で笑わせにこなくてもいいのに、って感じです。おまえ、大金持ちの時点でワルなんだよ、知ってるか。こういうのにかぎって人の道を説くわけですが、人の道を説きたいなら、最低でもまずは一文無しになってからだって。しかしおまえなんぞ、一文無しになったらだれも話を聞きに来ないんだよ。アホか。



1月31日(火)『金の亡者たち』

 これも上と同じような感想をもつ作品です。もちろん2度目でしたが、もちろんどのような結末を迎えるか、覚えていませんでした。いい気になっていたワルが反省モードに入って、まんまと体制側の検察の言いなりになってワルの親玉を売るという、「へーそーなんだ(棒)」ってやつです。あの検察の俳優、申し訳ないけど元市長で元知事だったやつみたいな顔をしてるから、出てくるたびにゲロを吐きそうになってしまいます。もうあと10分長い映画だったら、きっとゲロっていたと思います。「ただ金持ちになりたかっただけだ」という願望が、なんの罪もないごくごく当たり前の願望であるかのように謳われていましたが、「ただ」やら「だけ」がどれほど欺瞞的であるかを少しは考えたらどうなんでしょうか。かつて「阪神」を買おうとして叩かれたコント55号の片割れに似たやつが「みんなお金好きでしょ」って居直ったことをお忘れでしょうか。



2月1日(水)すんごい

 すんごいのを目にしてしまいました。「親が嫌いな人はな、実は今が不幸なんだよ」だそうです。別に「実は」なんていらないっすよ。不幸で結構です。親が嫌いじゃなくなって幸福になるくらいなら、親が嫌いなままで不幸な方がいいと、たしか東インド会社の重役だった功利主義者も言ってたような気がします。うそ。「親に感謝できないのって幸せになる努力が足りないんだよ」だそうです。へーそーなんだ(棒)。だったら幸せになる努力なんてしない方がいい。だって幸せになっちゃったら親に感謝しちゃうんでしょ、この「親が大好き、親に感謝、わたし幸せ」先生によれば。それ、不幸の中でもとりわけ強烈な不幸じゃないんすか。さんざん爬虫類の夢を見続けて、やっと夢から覚めて、汗ぐっちょりのなか、「あ?、よかった」って思ったら、布団の中に爬虫類がいた的な。



2月2日(木)間違っていました

 女性専用車両については、とりわけあずき色が導入したときに、導入さえしておけば企業としての責任を果たしたつもりになっているように見え、かつ導入によって先進的な取組をしている弊社スゴイの類であるようにも見え、くだらないと思っていましたが、それは浅薄な反発であり誤りだったと思っています。あずき色についてどう考えるかということと、女性専用車両を設定することそのこととは、別のこととして考えなければいけないのに、いっしょくたにしていました。あずき色が無責任に見えようとあざとく見えようと、それはそれとして問題にすればよいことであって、だからって女性専用車両の設定を否定することは端的に間違っていました。「公共の交通手段を女だけで独占して恥ずかしかったり申し訳ないっていう気持ちはないの?」とか言ってるのがいるようですが、そんな状況を作り出した属性の保持者であることで「恥ずかしかったり申し訳ないって気持ちはないの?」



2月3日(金)衣笠のゼミ

 ゼミ生たちが「自ら取材テーマを決め」て行った取材について、「「パパ活」の実態を学生たちが実地取材、浮かび上がった様々な社会問題」とかってタイトルで書かれている記事があるようです。「ゼミの目的」は、「人々への取材を通じて様々な社会問題の背景を理解し、社会の複雑さや人間の奥深さを体感することにある」そうで、相変わらず「体感」とかお好きなんですね。「感じる」んですよね。この記事に対して、「学生たちが危険じゃないか」とか言ってる人たちもいるそうですが、こんなときこそ、あのフェミニズム鑑定家の先生にならって言わなきゃいけませんよね、「すべての仕事には危険がつきもの」って。そしてその後は、断固討議拒否。



2月4日(土)大事なので3度繰り返す

 わざとすっとぼけたことを言っているのか、それとも「真心」こめて言ってるのか、前者なら狡猾であり、後者ならあまりにもあれすぎると思われるご見解を目にしてしまいました。「マイノリティの意味は「少数者」」だそうで、すぐに、だったら「貴族がマイノリティってことになるけど大丈夫?」って突っ込まれ、「貴族については少数派なのでマイノリティで間違いないと思います」だって。「貴族については少数派なのでマイノリティで間違いないと思います」だって。「貴族については少数派なのでマイノリティで間違いないと思います」だって。もうあまりにも大事なところなので3度繰り返してしまいましたが、しかしこういう語法が広く行き渡っているようにも見えないわけではない状況もありますか。



2月5日(日)ファンブック

 「〇〇してもよい」とか「××せよ」とか、人に許可を与えたり命令したりするのがお得意の方のご著書について、人文書ではなくファンブックだとお書きになっている方がいました。その方は、冒頭で、その許可を与えたり命令したりするのがお得意の方のことを「嫌い」だとお書きで、まあ嫌いかどうかは書評とは関係ないよなぁと思いますが、印象を最悪のものとしたのは、『現代思想』のあの論証も何もないまま人の悪口(言うまでもなく、「批判」などという上等なものではない)を書き、出版社に責任取れと言って見せた、あのふるまいだそうです。「嫌い」なのにちゃんとお読みになるのは、すばらしい。そしてその方によれば、当該の書き物は、人文書ではなくファンブックだと。一定の共通理解と同一の価値観を前提とした、要するにわかる人にはわかる書き物のようで、まあ、そういうのは一般に共同体主義って言うのだと思いますが、評者が「連帯」をもち出している(「 」つきなので、ひょっとしてご著書の語?)点は、なかなかに興味深いところです。



2月6日(月)「いいね罪」

 「〇〇してもよい」とか「××せよ」とか、人に許可を与えたり命令したりするのがお得意の方、ある作家の本を「もう買えない」と言い(これって、「わたしたち」内部の人たちにとっては「買うなよ」って意味でしょう)、その作家が「大変軽率で無神経な行為であったと反省します」とかって平謝りすると、「姿勢を改めてくれたようだ」って、お許しを与えているようです。フェミニズムの主体を「女」とすることにもご不満のようですが、あれ、すべては「主観」だったんじゃなかったでしたっけ。ご自分以外の方の「主観」は認めないんですかね。もしそうなら、すべてはご自分の主観内のことだってことになりますから、アジる相手もご自分ですね。まあ、アジテーションってそういうもんか。



2月7日(火)なんか裏

 おひとりさまが、代理母や代理出産について、「他人の体を使って自分の自由を追求するな」と言ってるそうで、ちょっと意外な気がしています。それとは逆のことを言いそうだと思っていたし、代理母や代理出産だって、自己決定とか言いそうだと思っていました。しかしまあ、「この人が言うとなんか裏がありそう」とツイートしている人もいて、たしかにそのとおりだと思いました。



2月8日(水)『算数チャチャチャ』

 なぜか問題の部分だけがときどき脳内をぐるぐると回り続けて解法を考えてしまいます。問題についての記憶が合ってるかどうかを確認したら、合ってましたが、しかし解法は違いました。てっきり分母にも分子にも(ルート2マイナス1)を掛けて分母を1にするんだろうと思っていましたが、もっとずっと簡単な解法が記されていました。なるほど。ところで、歌っていたのはなんと『学生時代』の人でした。そしてこのタイトルから、「文献バババ」を連想してしまいました。「文献バババ」、実在するんですよ。



2月9日(木)公開審査会

 昨日は博士学位申請論文の公開審査会がありました。審査にあたり、こちらもかなり勉強し、研究に資するとともにそれ自体問うに値するような質問を考え、質問に対する回答を予想してさらにその先の質問を考えておき、しかし思いもよらぬ回答がなされて思わずうなるというようなこともあって、審査する側が充実していいのかどうかわかりませんが、連日嫌なことやら不快なことばかりが続く中、非常に楽しい充実した研究の時間を過ごすことができました。興奮のあまり寝つけないかと思っていましたが、灯りを消したらソッコーでぐったりして一気に朝でした。



2月10日(金)「本物」ではない

 「ありそうにない可能性をもち出す」という言い回しが以前からよくわからなかったのですが、というのも、ありそうにないのなら可能じゃないだろう、可能性があるのなら、ありそうにないってこともないだろう、とかって思っていたからですが、その「ありそうにない可能性」とされていたことが起きてしまうと、どう対応されるのか。もちろん、そんなことは起きていない、起こしたのは「本物」ではない、という言い方で首尾一貫した主張をなさるのだろうと思います。これはもう、望みを叶えたければ信じなさい、と言われ、望みが叶わなかった、と文句を言えば、信じ方が足りないんだ、とフツーに答える無敵論法以外の何ものでもないのではないかと思っています。



2月11日(土)「どっちもどっち」

 おひとりさまのフェミズムをめぐるおしゃべりについて、「すべての仕事には危険がつきものだ」「それではまだフェミニズムではない」でおなじみのフェミニズム鑑定家と、「〇〇してもよい」とか「××せよ」とか、人に許可を与えたり命令したりするのがお得意の「すべては主観」の方とが対立しているそうです。まあ、そこにあるのはけっして論争ではないでしょう。なにしろ「討議拒否」と「すべては主観」ですから、原理的に論争は生じえないのです(厳密にいえば、「すべては主観」の場合、対立さえ成立しない)。バトラーが理解できているかどうかが相違点のようですが、これが本当の「どっちもどっち」でしょう。



2月12日(日)「私にとって」

 ところで、この鑑定家の方は、「私にとってフェミニズムではないクィアはありえないし、クィアではないフェミニズムもありえない」とおっしゃっていて、もうこれだけでもかなり衝撃的ではあるのですが、さらにフェミニズムとクィアには「ズレが生じるとも思う」と続けていらっしゃっていて、このふたつの言説をどのようにして両立させるおつもりなのか、私にはさっぱりわかりません。しかし確実に言えるのは、このふたつを両立させてしまうことと、バトラー理解とは、ミジンコワムシほどの関係もないということです。ひょっとして、「私にとって」が効いてくるんでしょうか。だったらわかります。その「私」が端的に間違っているだけですから。



2月13日(月)とんでもすぎる

 「それではまだフェミニズムではない」の方によれば、女性が男性と平等な権利を求める思想や運動ではない、クィアと呼ばれる思想や運動はありえないし、クィアと呼ばれる思想や運動ではない、女性が男性と平等な権利を求める思想や運動はない、ってことになりますが、ひょっとして学部生がレポートでこんなことを書いても単位取得ができちゃうんでしょうか。あのご高著を読めば、こういう主張が理解できるようになってしまうんでしょうか。確実に言えるのは、バトラーを読んだところで、こんなとんでも話は理解できるようにはならないということです。



2月14日(火)ゲロ吐きそうになった

 名称にわざわざ国名を入れずにはいられない政党に所属する女性の杉並区議会議員候補が、小学校3年生の息子に自分の性器を見せたことをつらつらとお書きになっていて、ゲロ吐きそうになりました。ゲロ吐きそうになったり虐待に思えたりするのは、宗教右派のメンタリティだからなんでしょうか。「いずれ君も女の子とセックスする時」とかともお書きなんですが、「女の子」とセックスするのは犯罪だろ、って考えるのも、やっぱ宗教右派のメンタリティだからなんでしょうか。「女の子」は、小学校3年生に合わせた言い方にすぎないとして、じゃあ異性愛主義は自明なんですね。へー。



2月15日(水)なんと不敬な

 この方、博愛主義者なのかなんなのか存じ上げませんが、市井の女性たちのことだけじゃなく、皇賊の女性たちの自由や権利が保証されなきゃいけないと主張されています。ああそうですか。「○○と××子さまのこと、普通に人として好き」(もちろん、原文は○○とか××じゃないけど、引用でも書きたくない)だそうですが、こいつらの「人」としての側面をご存じなほど、親しくしていらっしゃるんですか。いくら名称に国名が含まれてるからって、こーあんの現状認識としてはいまだ暴力革命を準備している人々の集まりの一員なのに、よくそんなに親しくできましたねー。自称アナキストにしてフェミニストって、ああ、いまはやりのすべては主観系ですか。○○や××子を自己の表象とするとは、なんと不敬な。



2月16日(木)アナキストを自称すること

 アナキストを自称することほどアナキストであることを否定することはないと思っています。アナキストは、○○としてアイデンティファイされることを避けるに違いない存在者であるのに、アナキストを自称することによって自己自身をみずからアナキストとしてアイデンティファイしているからです。もっとも、アナキストほど秩序によっかかって生きている人もそうそういません。なんといっても、アナキストを気取っても生きていけるのは、奴隷たちが守ってくれている秩序において強者の地位を占めているからです。そんなわけで、自称アナキストが共産党員でもなんの不思議もありません。たんに間違っているだけです。



2月17日(金)「実存」ですか

 たしかにある種の属性を「実存」と言われれば、少なくとも哲学史のコンテクストを背景に考える人であれば、どういう意味だろうと考えずにはいられないところだと思います。実存主義協会や実存主義学会といったものが揶揄されてきたように、なんといっても、そうした「属性」のようなものを前提とした分類に反対するのが実存主義でしょうから。分類してもらって安心する単独者って、いったい何者なんだ、ってことです。もちろん、そんな単独者なんてものは幻想にすぎないという批判であればわかります。だとしたら、今度は「実存」ということで何が考えられているのか、さっぱりわからなくなります。



2月18日(土)戦争が不正なんですけど

 東京のおされな自治体が婚活パーティーを主催して、広報で参加者を募る際に、申し込み条件に女性と男性で年齢差をつけていたそうで、市民から苦情を受けて謝罪し訂正しつつ、なんちゃら委員会に諮問して審議中だそうです。申入れした市議やらなんちゃら委員会やら、またこのことを報道する朝日新聞さまもそうですが、婚活パーティーなんてものをそもそも自治体がやらかすことをだれかひとりでも問題化しているのでしょうか。少なくとも読めた範囲では、問題視しているのは申し込み条件における差別だけであり、広告屋が喜んでやりそうなこの腐ったパーティーそのものの不正についてはまったく触れられていません。ようするに、戦争における法のみが語られているということです。



2月19日(日)おぉ

 スペインは、そんな法律通しちゃいますかと思うようなものを可決成立させることがありますが、新しく制定した中絶法においては、代理出産を女性への暴力と定めたようで、これは実に画期的ではないでしょうか。この法案に反対したのは右派と極右だけだそうです。しかししばらくして次にやってくるのは、「対価」を支払えば「暴力」じゃなくなるっていう、カネさえ払えば何やってもいい、代理出産する女性の自己決定も尊重されるべきとかいう新自由主義でしょうけど、へんてこな例外条項やら付帯条項やらをつけることなく、きっちりと運用してほしいと思います。



2月20日(月)優秀だったりするんだろう

 売春させられることを知っていた可能性があるので、強制されたと言うことはできない、という判断を下す前橋地裁の杉山順一は、それで正義が実現されたと考えているのだろうか。「知っていた可能性がある」ということは、「知らなかった可能性もある」ことを意味するとか、かりに知っていたとしても、売春行為にはなんらの強制性もないなんて言えるわけがないとか、こうしたことを考えるのは、正義の実現とはなんの関係もないと考えているのだろうか。「思考停止」にこそ問題を見たりする人もかつていたようだけれど、いやいや、しっかり考えてやってるんだろう、この手の人たちは。



2月21日(火)『公共の敵』

 たぶんおおむかしに一度見たことがあったはずだが、いやひょっとするとあまりにもムカついて途中で見るのをやめたのかもしれない。こんなのが大ヒットしたそうで、しかしそれはきっと、シニシズムからだろう。「公共の敵」「公共の敵」と言ってまわる警察こそが、公共の敵じゃないか、と多くの人は思ったに違いない。つーか、そうであって欲しい。理由なく人を○すことにいたくご立腹の主人公でしたが、人を○す理由なんてあるんですかとお尋ねしたい。ああ、それなら仕方ないね、わかるわかる、ってことがあるのでしょうか。そういうメンタリティは、きわめて共同体主義的ではあるけれども、公共性には著しく反してるんだってことが、まあわかればけーかんなんてやってないか。



2月22日(水)「ねつ造」ではないとしたら

 架空の差別表現を本物と見せかけて示せば「ねつ造」と言われるだろう。そんな差別表現などないのに、あたかも実在するかのように見せているのだとすれば、「ねつ造」と言われるだろう。そのチラシを目にしたときに、そうした差別表現が実際になされていると受取った人は多いだろうと思うけれども、しかしそれはそんなふうに受取った方が間違いであり、ちゃんと架空であることが示されているのだとしたら、「ねつ造」という言い方も間違いだということにはなるだろう。それは認めるとして、じゃあ、そんな差別表現は実在しないんだから、いったい何を問題にしているのか、さっぱりわからないということになるのではないか。



2月23日(木)実在させているのはだれなのか

 ところが、そんな架空の差別表現をチラシに記載してまき散らすこと、そのことは問題ではないのか。その人たちが架空の差別表現をまき散らすことによって、その差別表現が実在することになるからだ。その人たちは、まさしく当該の差別表現を作り出していることになるのではないのか。ひょっとして、それは教員の指導の下で、学生たちが作り出したものだったりはしないのか。これなんか「いい」差別表現じゃないか、などと検討したりはしなかっただろうか。いったい差別しているのはだれなのか。



2月24日(金)独断

 法案が提出されたなら、それが可決成立した場合には従来「正しい」とはされていなかった事柄が「正しい」とされることになるわけだから、その法案がどのような可能性を含むものであるのかが審議されて当たり前だろう。そうした過程を否定するのであれば、そもそも法制化そのものが意味をもたなくなってしまうだろう。法案の問題点に対する指摘を「ヘイトスピーチ」と言って議論を拒否する政治家は、ひょっとして全権委任をよしとするのだろうか。学会において、ある人の書いたものを「フォビア」と断定し、根拠を尋ねられても無視し続けるような人と、メンタリティとしてはかわるところがない。



2月25日(土)「自衛」かつ「健全」

 ロシア大統領によれば、ゼの国への侵攻の理由は自衛にほかならない。さて、酔っぱらったおっさんとかじいさんとして飲み屋でぐだぐだ言ったわけではなく、また寝ぼけたおっさんとかじいさんとしてむにゃむにゃ言ったわけでもなく、公刊されている自著において明確に、侵略戦争の経験はあるがその反省はないこの共同体が「自衛の権利を認められるべき」(203)と、堂々と書いた「健全なナショナリスト」は、言うまでもなくこのロシア大統領の言い分を肯定するだろう。まさか、「本当の自衛」と「偽の自衛」があり、かつ、「健全なナショナリスト」の自分にはその区別ができるとか、寝言を言ったりはしないだろう。問題は、こうした言説が寝言としてではなく真顔で発せられ、しかもその発言の主が、それなりの識者として承認されてしまう現状が存在することだ。



2月26日(日)楽しい人

 「健全なナショナリスト」によれば、「侵略戦争が生じた場合の国連の武力介入と、それが発動するまでの自力防衛とを、どう考えるか」(203)が重要な問題だそうだが、そもそも「侵略戦争」なんてありえないのだから、「どう考えるか」もなにもあったものではない。そんなことを考える暇があったら、なぜ「侵略戦争」がありえないのかをせめてミジンコくらいは考えてみたらどうだろうか。いや、無理か。なんせ「健全な」ナショナリズムと「健全じゃない」ナショナリズムを区別することができると考えているような楽しい人なのだから。



2月27日(月)厚いにもほどがある

 世界中でもっとも多くの大量破壊兵器を保持する国家が、中国に対して武器供与に関して指図できる立場にいると考えているとは、まったくもってアメリカンだ。せっせと武器供与を行って軍需産業を潤わせているのはあんたたちだろ、という中国首脳の対応には、まともならぐうの音も出ないところだろうけれども、まともならそもそも武器供与なんかしないので、嫌味も何も通じないだろう。この対応には、いまだに国王なんぞがいるくさった国家が、かつて国内の人権問題に口出ししてきたときに、あんたたちは150年前に私たちの人権のことを考えたのか、と侵略戦争を咎めたことを想起させるものがある。なんとも、面の皮フル装備だこと。



2月28日(火)高石市の出来事

 「怖がるおまえが怖い」「気にするな」で有名な元号政党所属のなんちゃらという議員は、高石市の出来事が報道されたいま、なお「怖がるおまえが怖い」「気にするな」とおっしゃるのだろうか。「ありもしない可能性」とおっしゃっていた人は、高石市の出来事が報道されたいま、なお「ありもしない可能性」とおっしゃるのだろうか。「犯罪者とは犯罪を犯した人のことである」は、ほとんど同語反復なので間違っているわけではないが、この「真理」を聞かされたところで、被害者の経験がなかったことにはならないことをご存知だろうか。



3月1日(水)ちっとも読み取れない

 引用先の牟田さんのツイートは何度読み返してみても、ちっとも、ある種の人たちが「女性風呂に」「押し寄せてくるかのような想定」なんてそこに読み取ることはできないものなのに、JK(ママ)に電子辞書を貸したらどうしたこうしたとか、エロゲ(ママ)がああなってこうなってとか、学会の編集委員でありながら学会誌の査読がずさんであるとかなんとか公言する人には、そのツイートがこうした想定を煽っているように読めるそうで、いったいそうした想定を煽っているのはだれなんですかね。その人のことを「いい人ですよ〜」と尋ねもしないのに教えれくれた奇特な方もいらっしゃいましたが、「いい人」かどうかは何の関係もないですね。



3月2日(木)『公共の敵2』

 前作が300万人動員で、続編が作られたとのこと。前作でも我慢に我慢を重ねて見続けたけれど、これ、何のつもりか150分近くもあって、さすがに我慢しきれず、途中で見るのをやめました。正義の名の下に私怨をはらすだけの検事なんてものを、いったいだれが望んでいるのでしょうか。このコント55号のかたわれによれば、一生懸命働いて金持ちになる者は正しく、親の七光りによって金持ちであり続ける者は正しくないそうで、スタートラインさえ同じにすればあとは自由競争でいいって、あまりにも素朴すぎて共感性羞恥を禁じ得ないところです。スタートラインを同じにすることなんて脳内ファンタジーだし、かりにそんな脳内ファンタジーにつきあうとしても、競争したくない者はたんなる怠け者なんですか。こういう左翼のつもりの新自由主義の信奉者こそがなにより腹立たしい。



3月3日(金)軽率なはずがない

 政治家の発言を「プリミティブ」と言い(もちろん、根拠は示されない)、しかし政治家のものならその「プリミティブ」な発言もわからなくはないと言いつつ、「ただそこにフェミニズム研究者が軽々にのっかることは全く軽率だと思いますよ」と名指しでご忠告なさる社会学者かなにかの方の「××生まれとしては大浴場が安全だった時代なんて無いよ」というご発言は、けっして軽率なものではありえないということでしょう。だったら、「××生まれとしては」ちゃんと××観光協会あたりに、大浴場が安全になるまでクレームし続けるとともに、全国に向けて、××の大浴場はまったく安全じゃないってアピールしなきゃいけませんね。安全じゃないことを知っておきながらそのまま放置しているのは、共同正犯にだってなりえますよ。



3月4日(土)ラサールなんちゃら

 「ついこの間まで、黒人と白人はトイレを分けられていました。それと同じことだと、思わないんですかね」とかいうツイートを少し前に見たような気がしますが、なにとなにがどのような意味において「同じこと」なのか、さっぱりわからなかった記憶があります。前者は、白人が黒人を差別して分けていたわけですが、後者はだれがだれを差別して分けているとお考えなんでしょうか。ひょっとして1949年の文京区の事件とか、ご存知ないのでしょうか。その事件のことを知っているにもかかわらず、なお「同じこと」だと言うのであれば、なんらかの説明が必要でしょう。女性のフィギュアスケートの選手について、男を知らないからダメなんだ、というようなことをツイートできる人には、自明のことかもしれませんが、ハラッサーじゃない者には、まったく理解不能ですから。



3月5日(日)「新左翼」
 
 「国内の頭の悪いデマゴーグにのせられて旅行産業の人」たちがある法案に反対すると、皇国への「旅行の国際的なボイコット運動が起き」、さらに「他の産業にもボイコットが拡大するかもしれない」とか、憂えている自称「新左翼」の人がいるようです。まあ、自分とは意見を異にする人たちのことを「頭の悪い」と言ってのけるのは「新左翼」であることとしっかり両立しそうですが、皇国の産業が廃れてしまうことを「新左翼」としては願わないんですかね。えっ、まさかのナショナリストなんですか。ひょっとして「健全な」ナショナリスト系でしょうか。それなら仕方ありません。これはこれは、失礼いたしました。
 


3月6日(月)「いい人」らしいが

 「私にずっと粘着している相手がいて」と書き始める文の最後が、「どうやらいまだに粘着を続けているらしいというのを目にしてしまった」だったらおかしい、ってわかるでしょうか。「そのこだわりぶりが本当に気持ち悪い」そうですが、「本当に」はいくつ重ねても無意味だってことはご存知でしょうか。学者なんだから(学者なんですよね)、批判なり質問なりに答えればいいだけの話なのに、「気持ち悪い」とか言ってそれをしないのは、ガキんちょの「えんがちょ」と何が異なるのか、よくわかりません。



3月7日(火)びっつら案件

 少し前に電2と取引を停止する通達が本部からありましたが、そもそもそんなところと取引している人が大学にいることにびっつらですよ。あんなのがアカデミズムといったいどんな関係があるのか、さっぱりわかりません。そもそも、まだ廃業してなかったんですね。これまたびっつら案件でした。



3月8日(水)だから日経
 
 日本経済新聞に掲載された「日経ウーマンエンパワーメントの広告」とやらを見て、エンパワーメントなんかされるわけがないだろうと思いましたが、ひょっとしたら、だからおっさんやじいさんは、そしておそらくはおっさん予備はダメなんだ、といった仕方でエンパワーメントを試みているのかもしれないと思いましたが、しかしだったらわざわざ「広告」にするまでもなく平常運転を見せていればいいだろうと思いました。相変わらず、強くなることが求められているわけで、差別されるのは強くないからだっていう新自由主義のイデオロギーがだだ洩れです。



3月9日(木)「不機嫌である」
 
 まあ、以前から議論は不得意な方なんだろうとは思っていましたが、「不機嫌である」で文をしめる文体って、その方がずっと批判してきたおっさんとかじいさんとかの文体じゃないですかね。都合の悪いことを指摘されたおっさんとかじいさんとかが弁明できず、「不機嫌である」って話を断ち切るわけですが、そういうとき、「知らんがな」というツッコミをしてきたはずの方が、みずからその文体を使用してしまうとは。一説によると、機嫌によって話を断ち切るのは、モラハラかもしれません。



3月10日(金)まさかいないとは思うが

 オンデマンド授業で倍速視聴になれた学生を等倍速の対面授業に取り戻すにはどうすればよいかなどという問いが立てられ、それに対する返答を考えるなんてことが、執務時間内になんちゃら研修の名の下で行われたりすることは、まさかないでしょう。こんな問いを立ててさも立派なことを問うているかのようなつもりになっている人には、まず単位制度というものがどのような制度であるのかをしっかりと学ぶためのなんちゃら研修が必要になりますが、まさかそんな人はいないでしょう。もし倍速なんかで視聴をすませた学生がいたとしたら、単位認定のために必要な学習時間が確保されていないことになるので、単位を取得することはできません。単位認定をするにもかかわらず、必要な学習時間が確保されていることそのことを公式に否定するとすれば、単位を認定することは不正行為だということになります。単位を認定してはいけないのです。



3月11日(土)「普通に」とか「私たち」とか

 「JK」(ママ)に電子辞書を貸してどうしたこうしたとか公言する人に、「普通に考えて私たちは嘘と本当を区別しながら生活しているんですよね」とか言われても、その「普通に」とか「私たち」とかって、「JK」って言葉を使用する大学教員の「普通に」であり「私たち」なんですよね。なぜご自分が「普通に」を代表し、「私たち」を代表できるとお考えなのか、「JK」はひょっとしたら差別語じゃないのかとか考える者にとっては、さっぱりわからないんですよね。



3月12日(日)承前
 
 ある種のコメントを「逆手を取ってやったみたいな賢しらなコメント」とおっしゃっていて、それに対して「普通に考えて私たちは嘘と本当を区別しながら生活しているんですよね」と続けられるのですから、ある種のコメントをする人たちは「普通に考えて」いない人たちであり、その人たちは「私たちならざる者」だということになるんですよね。自分と同じように考えられない者は、「普通に考えて」いない者であり、「私たちならざる者」だって言ってるんですよね。これはイデオロギー的には共同体主義に他ならないわけで、共同体間の討議なんてもちろん原理的に不可能なので、そりゃno debate にならざるをえないんですよね。



3月13日(月)承前2
 
 その「普通に考えて」「私たち」が行っている区別は、「さまざまな事情」にもとづく「判断」によってなされているそうで、「裁判」においてだってそうだとおっしゃっています。しかし、いきなり出くわした人の「さまざまな事情」をどのようにして知るのかも、いきなり出くわした人を瞬時に「裁判」にかけることがいかにして可能になるのかも、判然としません。だから、その場で嘘と本当を区別できず、おそれをもつ人がいるとしても、おかしなことではないと思いますが、そうした人に対して理解を示すと、ある種のレッテルを貼られてキャンセルを呼びかけられ、学会において根拠を示されることなく糾弾されてしまうんですよね。



3月14日(火)そりゃ欠けている
 
 そしてお決まりのように、私たちならざる者たちに欠けているのは想像力だそうです。そりゃ、「JK」(ママ)に貸した電子辞書をひらいたら手紙がはさまってて、「これなんてエロゲ?」って膨らんでいく実り豊かな「想像力」は、私たちならざる者たちには著しく欠けていると思うんですよね。



3月15日(水)『愛のタリオ』
 
 チョン・ウソンは、おそらく文学部の大学教授だと思われますが、これがまあ、見事なクズ男です。最初は、観覧車でそんなことしちゃいかんだろ程度でしたが、あとは絵に描いたようなクズっぷり。文学的には、目が見えるようになったチョン・ウソンは自分のせいで目が見えなくなった人に対して一生負い目をもち続けることになり、そこに、そうなるように仕向けた娘による父親と父親の愛人に対する復讐が成立しているとか、そういうことになるのかもしれません。しかし、チョン・ウソンは負い目なんかもちませんて。こんなことがあったって、また同じことを繰り返すに違いありません。改心したかのように見せかけるところが、クズ男のクズ男たるゆえんです。



3月16日(木)『リトル・フォレスト』
 
 こういうのを観るようになったらおしまいだなと思いつつ、最後まで観てしまいました。『新しき世界』とか『チェイサー』とか『復讐者に憐れみを』とかを好んで観ていたような者が、よくまあ、だれも殺されたりしない都会より農村の方がいい自然と融合系の映画を観てしまうとは…。いろいろ悩んだけど、しかしやっぱりソウルを選ぶとかだったらいいのになぁと思ったのですが…。たしかにソウルの彼氏はクズなので、やめた方がいいとは思いましたが、しかし農村の三角関係の彼は『毒戦』のイ先生ですよ、おっとろしい。天ぷらがおいしそうでしたが、油は怖いので、作るならクリーム・ブリュレあたりでしょうか。



3月17日(金)承前
 
 最後のシーンとか、主人公が帰ってきたら家にだれか上がってて、何の疑いもなく、それは帰ってきた母親だろうと思ったのですが、いやいや、ここはきっと、イ先生だって考えるのがほっこり系の見方なんでしょう。しかしそれって、奨学金免除制度について女性に関して「地方に帰って結婚したら減免、子どもを産んだらさらに減免する」とか人権侵害を垂れ流したじじいの政治家のイデオロギーじゃないですか。そんなわけで、最後に家に上がっていたのは母親で、主人公はやっぱ考え直してソウルへ出て行くということで。
 
 
 
3月18日(土)承前2
 
 こんなじじいがいまだに政治を職業にできるなんてところが皇国の皇国たるゆえんでしょうけど、こういうとんでも制度が導入されたりしたら、きっと、男性差別ダーーーが湧いてでてくることでしょう。この手の人たちは、なにしろ女性にはレイプされる「特権」があるとか言いますからね。もっとも、「特権」の使用法をご存知ないのはこの手の人たちだけではありませんけど。使用法も知らないまま、論文のようなものすら書いてしまう人もいます。



3月19日(日)「全くストレスなし」
 
 限られた金持ちたちだけが入ることのできる場所へ行ってきた人が、「少人数制のところなので、それで全くストレスなし」とかおっしゃっていて、こういう人って、そうした仕方による排除そのものが不正であるとか、まあ、お考えにはならないのでしょう。批判されたら、「全くストレスなし」で何が悪いんだ、っておっしゃることでしょう。「パンがなければ…」というやつです。ひょっとしたら、ルサンチマンがどうたらこうたらも、くっついてくるかもしれません。そんなふるまいをしておいて、「全くストレスなし」だからダメなんです。(「全く」も気に入らない。)



3月20日(月)でかい独り言
 
 「○○せよ」だの「××してもよい」だの、人に命令したり許可を与えたりするのが得意で、「すべては主観的」の人、議論をすることが差別に加担するとき、「議論をしようという呼びかけは卑怯だ」とかおっしゃっているようですが、すべては主観的なのに「呼びかけ」があるんですね。ひょっとして自己呼びかけでしょうか。なんのこっちゃ。「その声には応じない」って文字列も見ましたが、「その声」って自己の表象ですよね。自己の表象が呼びかけてきてその自己の表象である声には「応じない」と自己の表象に対して応える、と。学問の手続きを心得ている人たちがちゃんと批判しないからこういうことになってしまうんですよ。



3月21日(火)本町幼稚園
 


 おぉ、わが心のふるさと八王子の本町幼稚園じゃないですか。夜が明けるまでに私のことを知らないと3度言うだろうと予言し、3度目に知らないと言ったとき、朝を告げるニワトリが鳴いたという一節を聞いて「おぉ」っと思い、嘘をついてはいけないということを学び、そう教えてくれた人たちが学芸会の余興で風船に針を刺しても風船が割れないのを見せてくれ、家に帰って風船に針を刺したらやっぱり割れ、嘘をつかれたことに軽くショックを受け、きっとそのとき以来猜疑心というものをもつようになった、などなどの経験がつまったわが心のふるさと八王子の本町幼稚園へ行ってみました。
 
 
 
3月22日(水)シニシズム
 
 いまだに春とか夏とかに「聖地」に集めてその球技を開催するとは、さすが侵略戦争に加担しつつ戦後もしっかり生き延びた新聞社の生命力にはずば抜けたものがあると驚嘆するほかありません。そしてどうやら、ある一家の繁栄を熱望する歌を人前で熱唱しちゃった人がいたそうで、ネット上では絶賛されちゃってるそうですが、きっとあれですね、お若いのに見事にナショナリストなんですね、って絶賛なんでしょう。しかしそういう褒め方はシニシズムですから。いくらこれら新聞社のありようがシニシズムだからって、首尾一貫していればよいというものではないでしょう。



3月23日(木)さすがアルジャジーラ
 
 さすがのアルジャジーラが記事にしています。20年前、大量破壊兵器があるという893のようないちゃもんをつけてアメリカがイラクへの侵略を準備していたとき、当時民主党上院議員だったジョー・バイデンは、共和党のジョージ・W・ブッシュの無謀な冒険に賛成票を投じた、と。そのときモスクワでは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がそれに反対した、と。ふーん。あのとき、明確にイラクの主権が侵害されたにもかかわらず、安保理は非難決議を行おうともしなかったし、国際刑事裁判所がでしゃばってきた、なんてこともありませんでした。そういうことです。



3月24日(金)『ザ・ネゴシエーション』
 
 そもそもネゴシエーション一般が気に入らないということもあるかもしれません。交渉なんて妥当要求とは何の関係もなく、ハーバーマスが討議に対置させて論じる営みです。そしてこの男、完全に私怨だけで動いてるじゃないですか。そういうのがぴったりな風貌だと思っていたら、ああ、イム・スジョンに逃げられたあの人でしたか。なんか正義の人みたいな描き方でしたけど、どっかの元総長同様に女性の捜査官にサイズがどうこう尋ねるたんなる古典的なセクハラ野郎じゃないですか。交渉なんて、しょせんはそんな問いが発せられそれに答えて続けられるようなものだってことがよくわかりました。



3月25日(土)あざとい
 
 世界に先駆けて囲い込みをやり植民地主義を遂行し侵略し続けこのまま搾取し続けられますようにとSDGsがどうしたこうした運動を行っているいまだに王がいる国家のその王の息子とやらが、ポーランドへ行って、どこそこをお忍びで訪れたとかニュースになってますが、あらあらお忍びなのにニュースなんですねー。お忍びなんだから、もちろん護衛なんていませんよねー。まさかこんなのがどこそこを訪れたからって、「公論」に影響を与えたりはしないだろう、なんて考えるのは身分制を否定しているからであって、臣民たちの「自分で考える」にはしっかり影響を及ぼすのでしょう。くだらなすぎる。



3月26日(日)自称弁護士
 
 「なんで被害者が偉そうにするかな。被害を受けたことを恥じるべきではないのかな。本当は。」というのは、弁護士を自称している人の言葉ですが、いくら加害者側専門の弁護士だったとしても、こんな「本音」を公にすべきではないでしょう。被害を受けたことは恥なんですか。だったら加害者は恥を与えたことになりますね。続けて言うには、「強くなろう、もっと。」ですよ。「被害者と加害者の二項対立を乗り越えなければ、被害比べがエスカレートするばかり。」だそうですが、その二項対立がなくなったら、あなたはどうやって食べていくんですか、って話ですよ。締めの言葉は「人類はどこへいくんだろうか。」ですが、「人類」なんぞ語る前に、まず、法に携わるのをやめたらどうでしょうか。



3月27日(月)ポンとは確実に異なる
 
 パク・チャヌク自身が、自分のファンかどうかはこの作品が好きかどうかでわかると言ってるらしい「この作品」は、途中で見るのをやめたものでした。だれがそう評しているのか記されていなかったのでわかりませんが、「もっともパク・チャヌクらしい映画と評される」とされる作品も、キム・オクビンのエッチシーンがあったにもかかわらず途中で見るのをやめたものでした。ひょっとして、この監督のファンでもなんでもなく、その作品についての理解もほとんど及んでいないのかもしれないけれど、ポンのように浅薄ではないことは、よくわかります。



3月28日(火)『別れる決心』
 
 そんなわけで、日曜の昼下がり、唯一の例外条件をのぞいてけっして足を踏み入れることはないと思われる場所にある映画館で、ようやく観ました。高いところにいることを想像するだけで心臓バクバク系の者にとっては、いきなりハードルが高すぎて、くぐったろかと思うほどでしたが、「慈悲深い者は山が好き」には、その対偶に心の底から賛意を表します。高血圧と心臓病には×××がいい、ってマジかよと思ったり、細部に気をとられているうちに、あれよあれよと話は進み、正直言って1回観ただけじゃ「???」でした。やっぱこの監督のファンでもなんでもないのか…。
 


3月29日(水)『砂の器』
 
 1回観ただけじゃ「???」なので、出勤途中に、連日で観に行こうかとも思ったのですが、そんなことをしたら蒲田操車場において轢死体として発見されてしまうじゃないかと気がつき、そこから白装束の加藤嘉が白装束の息子と楽し気に食事をしているシーンを思い出してしまい、朝から憂鬱になりました。あの映画にかぎらず、当時は日共系の俳優たちが結構活躍していた印象がありますが、50年近く経って、その政党はいまや機関紙に元号を併記し、堂々と資本主義を肯定するようになりました。なるほど、資本主義は普遍主義なのか。
 
 

3月30日(木)チャールズ3世って
 
 ドイツでは公共交通機関が賃上げ闘争の一環でストライキを敢行していましたが、労使交渉は見事に決裂しました。かと思えば、チャールズ3世などというふざけた名前をいまだに名乗るようなのがベルリンに降り立ち、大統領と軍隊に迎えられるという茶番も同時に進行していました。わざわざ見に来ている観客たちは、残らず身分制を肯定する差別主義者という理解でよろしいのでしょうか。あんなのに熱狂するのはアホだとかつてフランクフルトの学生が言うのを聞いたことがありますが、愚行権を行使する人たちもいるということなんでしょうか。嘆かわしい。



3月31日(金)進学校の自称エリート高校生
 
 ローマで女性の大学生6人がレイプされた事件の被害者たちに対してセカンド・レイプするやつが、国連難民高等弁務官なのか。統合前の箕面の大学で外国語を学び、豊中の大学やら大学院やらで法哲学を学んだそうで、いったい何を学んだんだと思いましたが、セカンド・レイプのツイートをこっそり削除したそうで、ああ、そういうことを学んだんですねー。なんか、差別語を認定して差別がひとつでもなくなりましたか、とか、進学校の自称エリート高校生が言いそうなことを言い、ご本人は差別語をご使用になっていますが、あれれ、だったらツイートをこっそり削除しなくてもよかったんじゃないですかね。セカンド・レイプのツイートをこっそり削除したからって、セカンド・レイプのひとつでもなくなりましたか、って言えばよかったじゃないですか。



4月1日(土)人権侵害こそが問題でしょう
 
 差別語を認定して使用を禁じるのは、その語を用いることによって侵害される人権があるからで、そのことを考えれば、差別語を認定して差別がひとつでもなくなりましたか、などと進学校の自称エリート高校生が言いそうなことをぬけぬけと言ったりはできないでしょう。たしかに差別語を認定したところで、ご自身のように差別語を吐き続ける人が少なくともひとりはいるわけで、差別はちっともなくなっていないことを身をもって実証できているかもしれません。しかし、自分は差別語を使い続けるんだから差別語を認定したって無意味だぜ、なんて言われても、ああそうですか、って納得するわけがないでしょう。



4月2日(日)さもありなん
 
 差別語をご使用になる豊中の大学や大学院で法哲学を「学んだ」方、やはり豊中の大学院で招へいなんちゃらにもなられたことがおありのようです。その大学院て、学生に自分の図書利用者カードをもたせ、自分の代わりに図書の貸出をやらせようとして、他の部局のやつから「それは不正であり、学生に不正を強要していることになりますよ」とメールを出され、返事をしないのでもう1度同じメールを出されたけれども、やっぱり返事をしなかった、誤りを認めたら死に至る病に罹患すると思い込んでいる先生がいるところですよね。さもありなん。
 
 
 
4月3日(月)本日はおだやか
 
 前置きしておくと、私は八王子で育ったがゆえのトラ・フリークであって、この「たんつぼ」(サメ男)で育っていたらきっとトラ・フリークにはなっていなかっただろうと思われます。そんなわけで、昨年は開幕戦でショックを受けてしばらく見ないようにしていたので、まさか9連敗もしていたとは、つい数日前まで知りませんでした。そして今年は、早くも月曜が落ち着ける日となってしまいました。言うまでもありません。通常、月曜はゲームがないからです。ゲームがないことの最大のメリットとは何でしょうか。そうです、原理的に負けることがない、ということです。こうした倒錯こそが、トラ・フリークのメルクマールに他ならないと思っていますが、ひょっとすると「たんつぼ」育ちのトラ・フリークには、こんな繊細さは理解できないかもしれません。



4月4日(火)「正解」は???
 
 「職権をついに濫用する時が来ました」という表現は、「誤解を招きそうな表現」だそうです。いったいどのような「誤解」を招きそうなんでしょうか。職権を正当に使用してハラスメントしているにもかかわらず、こんなことを言ったら、あたかもハラスメントが職権の濫用と「誤解」されてしまうとか、そういうことでしょうか。これまでだってずっと職権を濫用してハラスメントを行ってきたのに、こんなことを言ったら、さもこれまで職権を濫用してハラスメントが行われるなんてことはなかったと「誤解」されてしまうとか、そういうことでしょうか。「正解」を知りたい。



4月5日(水)サルへの謝罪を求める臣民
 
 名前にわざわざ元号を入れている臣民党の代表とやらが、憲法審査会のメンバーをサル呼ばわりした議員について、「すべてのサルに対する真摯な謝罪を求めたい」と言ったそうで、それって、面白いつもりなんでしょうか。ちっとも面白くないんですけど。こんなちっとも面白くないことを審査会で言ったことについて、真摯な謝罪は求めなくてもよいのでしょうか。それとも、代表を務める政党に身分制を肯定する名前をつけるような者には、真摯な謝罪なんて不可能ですか。そうですか。



4月7日(金)そっち?
 
 「G7の中で皇国だけが××だから、××を改めないといけない」という主張があるように思われます。もし××を改めないといけない理由が、G7の他の国家においてはそうじゃないからということ、そのことだけに尽きるのだとしたら、その主張は説得力を欠くのではないかと思っています。G7の他の国家はNATOに加盟していますし、G7の他の国家は憲法において戦争放棄を謳っていません。件の主張に従えば、皇国もNATOに加盟しなきゃいけないことになりますし、憲法を改正して戦争できるようにならなきゃいけないことになってしまいます。ひょっとして、「だから説得力をもつじゃないですか」って言いますか。
 
 
 
4月8日(土)首尾一貫してください
 
 もっとも、「9条守れ」系の人でも、国連軍がやってくるまでもちこたえるために自前の軍隊が必要だと堂々と言ってのける人もいたりします。あのぉ、9条をお読みなったことはおありですか、と尋ねたくなる暴論です。こんなことを言うのなら、いっそ憲法改正を主張する方が首尾一貫しているし、その善良そうな外見に騙される人も減るでしょう。「国連軍がやってくるまで」って想定も、あたかも侵略される側であるかのように思わせますが、皇国はこれまで侵略されたことなど一度もなく、つねに侵略してきた側だったって過去はまるっとなかったことになってるんですか。その歴史観、「勇敢に」侵略を行ってきた皇国を侮辱するものであり、右翼の風上にも置けませんよ。
 
 
 
4月9日(日)「死んでも生きるのです」
 
 日曜日の夕刻、憂鬱な気分になりながら蛍池付近を歩いていたら、先週同様に、「私を信じる者は死んでも生きるのです」という文字列を見てしまいました。もううっかり信じたりしたら大変なことになります。なんつっても、死んでも生きるのですよ。それ、死んでないんじゃないの、とか、それ、生きてないんじゃないの、とか思いますが、それはまだ信仰が足りないせいでしょう。信じる者は、死んでも生きるのです。死んだらもうずっと死んでいたいと思うのですが、信じた場合はそうはいきません。そんなわけで、うっかり信じたら大変なことになります。



4月10日(月)無敵だわな
 
 復活祭に際して、ドイツのカトリック教会のえらいさんが、アクチュアルな状況を踏まえた上で、「いかなる危機的状況においても、勇気を失ってはいけない」というようなことを言っていて、ああ、そう言えば、「自分で考える勇気をもて」とか、立派なことを言ったつもりになってる人もいたっけな、と思いました。そりゃあんたたちはなんらの危機的状況にもなくて危機的状況にある人たちに「勇気をもて」だのなんだの言ってりゃいいよな、ということです。どうせその物言いは、反転して、危機的状況を脱することができないのは勇気がないからだよ、ってことになるわけです。そりゃ無敵だわな。



4月11日(火)それは屈辱ではないのか
 
 自転車に乗れることだけが自慢の種であり選挙でのウリであったものの、その実、選挙カーに乗って移動し、その間、セクシュアル・ハラスメントをやらかし続けていたような山田の得票数を上回ってしまったなんて、それは屈辱ではないのでしょうか。まともな神経のもち主であったなら、その結果を受けて職を辞するということもありうるところだと思いますが、まあ、吉本の靴ペロ太鼓持ち提灯持ち芸人たちに支えられている人なら、やっぱ誇りに思っているのかもしれません。大阪は他山の石のある他山として生きるはずだったのに、近隣まで他山になりつつあります。もう大阪を笑えない。



4月12日(水)JARO案件
 
 部屋を片づけてくれる業者のチラシが投函されていたのですが、「ゴミ屋敷・汚部屋」(2つ目は何と読むのか、ちょっと考えてしまいましたが、「おへや」なんでしょう)を何とかしてくれるそうで、「おぉ」と思わなくもありませんでしたが、なぜか冒頭に、なぞの文字列がありました。「♪警察OBがいる安心のお片付け屋さん♪」って、どこが安心なんだよ。



4月14日(金)へー
 
 昨日から主として留学生を対象とした英語授業「哲学的思考と日本の伝統」が始まりました。各人のもつ伝統の特徴だと思うことを自由に話してもらいましたが、もっとも興味深かったのは、アメリカからの留学生が、「私はクリスチャンではない」と言ったことでした。クリスチャンではない、というのは、他の宗教に対する信仰をもっている、という意味ではなく、信仰一般をもたない、という意味です。へー。物事をどれほどプラグマティックに考えようと、あるいはプラグマティックに考えれば考えるほど、しっかりと神を信じたりするのだろうと思っていたので、非常に新鮮な表明でした。もう得るところがあったので、止めてもいいんじゃないかと思います。
 
 
 
4月15日(土)いくらなんでも
 
 すごいのがきてしまいました。これに比べたら、おまえがエロ動画を見ているところをネット上にばら撒くぞなんて脅迫は、ほとんど小学生並みです。「赤ちゃんもう会っても大丈夫みたいです!土曜か日曜くらいで見に行こうと思うんだけど、予定どうですか?」ってメールがきたわけです。差出人の設定は、彼女の友人あたりでしょうか。いっそ、おまえ、しらばっくれるなよ、とか書かれてた方がわかりやすいのですが、このフレンドリーな書き方には底知れぬ恐ろしさが漂っています。いや、これだけなら「別に大したことないじゃん」と思われる諸兄もいらっしゃるかもしれません。実はこのメールには赤ちゃんの写真が添付されているんです。いくらなんでも、こんなことをしてはいけません。



4月16日(日)まだ生きてたんだ
 
 「その批判はあたらない」でおなじみだったパンケーキがまだ生きていたようで、「民主主義への挑戦」とかなんとかおっしゃったみたいですが、審議を拒否し国会も開かなかった方によるこんな自虐ギャグを朝日もそのまま垂れ流してどうすんだと思いましたが、いやいや、朝日としては平常運転でした。取り押さえた善良な市民を褒めたたえる記事とその善良な市民を称賛する善良な市民たちの声。太宰だったら、こういうのこそ「暴力」と呼ぶのではないでしょうか。



4月17日(月)「暴力」にあふれている
 
 それなりに大きな声の人がキャンセルを呼び掛けて研究ができなくなる状況を作り出すことや、研究者の書いた物を学会でとりあげてフォビアと断定し、根拠を問われても答えることなくそれでも研究者として活動し続けられる状況があることも、十分に「暴力」だと言えるでしょう。侵略者の側が非侵略者に対して「共生」を強要するのも「暴力」だし、それは「暴力」ではないのか、との問いに対して「「暴力」の意味がわからないので答えられません」とすっとぼけて見せるのも「暴力」だし、そうやってすっとぼけて生きていける状況も「暴力」でしょう。



4月18日(火)だれがリベラル市民だって???
 
 「今まで一矢報いる事が出来なかったリベラル市民として言えば… せめて暗殺が成功して良かった」とか、どっかの大学で教鞭をとっているらしい小説家が言ったって、別に不思議はないです。この人たんなるポピュリストなんですから。それよりびっつらなのは、この紫綬褒章をいそいそと受賞した方が、自己意識としてはいまだにリベラル市民だってことです。だってたんなる臣民ですから。たしか、『優しいシンミンのためのなんちゃら』って印刷物をみずから出していませんでしたっけ。



4月19日(水)いまだに意識哲学か
 
 ひょっとして、乳児の写真を送りつけてくるような不届き者に比べれば、やってることが小学生並みだとか挑発してしまったせいか、日に何通も、「不正アクセス」というタイトルの「小学生並み」メールが届くようになっています。すでに何度も抗議したような気がしますが、そんな公開されたら公開された者が恥ずかしくてたまらない動画をもっているというのに、たった 1750USDしか請求しないなんて、ふざけんなです。私の羞恥心は20万円ちょっとくらいなんですか、って話です。この「小学生並み」の方、最後に、自分は「プロ意識」を持ってるから1度もミスしたことがないと言ってます。「気持ちのこもった135キロは打てない」派ですか。
 
 
 
4月20日(木)恐るべし
 
 この「小学生並み」の方、ちまちまひとりひとりを脅迫するのがめんどくさくなったのか、なんと、「不正アクセス」というタイトルの「小学生並み」メールを、あろうことか教授会のメーリスに送りつけてきました。いや、これはひょっとしたら効果的かもしれません。言われたとおりに振込まないと、あんな人やこんな人のあんな動画やこんな動画が送りつけられてくるわけですから、そんなもん間違っても目にしたくないわけで、「お金出すから送りつけないで?」ってなりますよ。書かれている内容は「小学生並み」ですが、しかし送り先を変えたところは、「高校生並み」かもしれません。恐るべし。



4月29日(土)いくらなんでも 
 
 いくらなんでも「従来の左翼」であれば、「G7の皇国以外は××だから」とか、「経団連も××って言ってるから」なんてことはけっして言ったりしなかったでしょうし、いまもたぶん、言わないでしょう。しかし無邪気なのか確信犯なのかわかりませんが、そういう言い回しを用いる人はいるわけで、「従来の左翼」はその言い回しを批判しなくてもよいのでしょうか。こんなG6やら経団連やらを崇拝しちゃってる人が、自分とイデオロギーを異にする人たちのことを宗教右派とか呼んだって、「もな?」って言われてしまうだけじゃないですかね。



4月30日(日)じじいのカント研究者
 
 唐突ですが、じじいのカント研究者のなかには、じじいになるずっと前から、女性が研究会にやってくると「女性が哲学研究してどうするの?」と尋ねるア○が少なからずいたし、そこに何の問題も見出せない「善良な」ア○もいました。この手の質問をするやつは、確信犯的に差別主義者ですが、それに対して「善良な」ア○は自分が差別主義者であることすらわかっていません。このとき、どっちがよりましか、なんて問いをついつい立てたくなってしまいますが、その問いの立て方は間違っています。「不正」は程度問題じゃないからです。だから、どっちの方が更生の可能性は高いか、ということが問われることになります。


5月1日(月)どっちもむりか
 
 確信犯的な差別主義者の場合、自己が差別主義者であることを知っており、そのうえで差別を行っている。何が差別であるかを理解しているので、その理解を修正できれば、差別主義者ではなくなる可能性があると言える。「善良な」差別主義者の場合、自己が差別主義者であるなどとは夢にも思わず、善良この上ないと考えている。それは大きな誤りであり、何が差別であるかを理解させることに成功すれば、善良だなどと勘違いすることなく、差別主義者であることを改める可能性があると言える。しかし、これまで確信犯的に差別主義者だった者が理解を改めたり、これまで無邪気に善良だと思い込んできた差別主義者が理解を新たにするなどということがありうるだろうか。



5月2日(火)おめでたい
 
 たとえばカントにおけるミソジニーを指摘するような研究発表が行われたとき、確信犯的な差別主義者の場合は、「何の話かわかりません」とすっとぼけるか、あるいは「それの何がいけないんですか」と居直るでしょう。ある意味では、こうした反応はわかりやすいものです。「善良な」差別主義者の場合、その指摘はステレオタイプの女性/男性の描き方を前提としたものであると、いかにも識者然とした顔をして批判が行われますが、その批判そのものがステレオタイプであり、そのミソジニーの現れ方がステレオタイプであることに気づくことはまったくないのです。こちらのタイプは、いわば失笑を誘いますが、ご当人は賛同の「笑い」だと受け止めるおめでたさです。



5月3日(水)『パンドラがどうしたこうした』
 
 シリーズ物なので、これでしばらくは同じものばかり何度も観なくてすむし毎回毎回必ずキム・オクビンさまを観ることができると思っていたのですが、同じく主役の男優がただただひたすらうっとうしくて、そもそもIQが高いとかなんとかいう設定も気に入らないので、第2話にして予約を解除して観るのをやめました。ああいうオレ様野郎の人物設定ってわざとなんでしょうか。不快さをあおるだけあおっておいて、気持ちよくしてくれる、という手なのかもしれませんが、別に気持ちよくしてくれなくてもいいからその不快さをどうにかしてくれよ、って思いました。観るのをやめてその男優を調べてみたら、ふーん、あれは演技じゃなかったのかってことをやらかしてました。



5月4日(木)自然派
 
 半年くらい前から行き始めた歯医者は、ちょっと自然派が入ってる人ですが、まあていねいに対応してくださるのでそのへんはスルーすることにしています。ただ、この前、なんか液体のしみ込んだ布をかまされ、これから歯肉を切りますが、注射の麻酔はしません、ちょっと痛いかもしれませんが、麻酔はしません、と重要だからか2度言われ、痛み止めも出さないといけないから出しますが、飲まないでください、とこれも2度言われました。いや、まだ痛み止めの話をする段階じゃないんだけど…、と思いつつ、でも痛いんですよね?と確認したら、痛みは人それぞれですから…、と言われ、いやだからあなたにとっては痛くなくても、こちらにとっては痛いかもしれないじゃないですか、と思っているのに、ぐいぐい押し切られてしまいました。恐るべし、自然派。



5月5日(金)自然派 その2
 
 たしかに注射による麻酔って、注射針を刺すわけで、それ自身痛くて、つねづね麻酔の麻酔が欲しいと思ってきました。歯肉の切り始めは、「ひぃっ」という感じでしたが、しかし作業が続けられるにつれて、痛みが耐えられないようなものではなく、むしろ気持ちよくなり始め、なんならもっと続けてくれていいと思い始めたところでふいに終わってしまい、残念なくらいでした。注射だと、麻酔が切れてきたころに嫌な痛みが始まりますが、今回はそれもほとんどありませんでした。なんたること。恐るべし、自然派。



5月6日(土)報道の「自由」
 
 国境なき記者団とやらが報道の自由国別ランキングを公表し、それをドイツの放送局が報道していました。ノルウェーやらアイルランドやらデンマークやらが上位国ですが、きっとこれらの国では、勝つまで戦うと勇ましいことを言ってみせて軍事同盟であるNATOに武器のおねだりをするゼレンスキーの批判も、SDGsなんて持てる者たちがこれからも持続して持てる者でいられるようにしましょうという国際的な企みだという暴露も、行われていることでしょう。すんばらしい。そうそう、最下位が DPRK ではなく Nordkorea と表記されていました。ふーん、たいした「自由」だこと。それをそのまま垂れ流すのも、報道の自由ですか。そうですか。



5月7日(日)息子はがんばるぞー
 
 パク・チャヌクを特集するおされな『ユリイカ』をこっそり購入して読んでいたら、ブルジョワとプロレタリアートの対立/衝突を描いた作品としてポンの『パラサイト』に言及されていて、あれ、そんな対立/衝突なんて描かれていたっけ、と思い、何度かその箇所を読み返しました。うそ。DPRKをバカにするシーンのほかは、父は新自由主義において成功者になれなかったけれども、息子はがんばるぞーって、メッセージしか記憶に残っていません。新自由主義を批判しているように見せかけて、その実そこにあるのは新自由主義における成功者に対するあこがれだけであり、勝たなきゃ意味がない、っていう右翼の発想じゃないですか。あほらし



5月8日(月)おーえんしています
 
 戴冠式などという差別以外の何ものでもない蛮行をやらかしている国家があるというのに、世界の警察アメリカさまは民主主義実現のためにロンドンを爆撃しなくてよいのでしょうか。すべての差別に反対する系のみなさんは、その蛮行を垂れ流すメディアにもちろんキャンセルをしかけていることでしょう。学会において根拠なく「フォビア」認定なさる方は、是非ともこの歴然とした差別を糾弾してください。おーえんしています。



5月9日(火)つける薬はない
 
 この世界同時配信差別して何が悪いんだ式コンサートやらにビデオ出演した、世界三大ゴミクズ映画の主役がいます。トップなんちゃらとかで軍人役をやらかしてしまったそうですが、軍人役なんてやらかしてしまったら、普通は人生の汚点なので隠して生きるところだと思いますが、さすがトムなんちゃらはからっぽなのでその役になぞらえてビデオでコメントしたそうで、やっぱトムなんちゃらにつける薬はないですね。



5月10日(水)焼きそば???


 
 たしかに辛いけれどもたしかにやみつきになり、週に1度は食べないといられなくなってしまいました。体調によって、食べながら冷たいものを飲まないととても食べ続けられない日と、そんな軟弱路線に走ることなく汗を噴きながらもこれだけを食べ続けられる日があって、われながら不思議なものです。ところで、ふと気がついてしまったのですが、これって焼きそばじゃないですよね。つーか、カップラの焼きそばって、押しなべて焼きそばじゃなくって、せいぜいゆでそばだと思うのですが、違うでしょうか。たぶん40年以上、何の疑問ももたないまま焼きそばとして食べてきましたが、ここへきて大発見してしまいました。



5月14日(日)武器ちょーだいの人
 
 武器ちょーだいの人、イタリアへ武器ちょーだいしに行って、次はドイツへ武器ちょーだいしに行くことになっているようですが、イタリアで、なんと、ぬぁんと、あのミソジニーの権化たる教皇と会ったようで、教皇にも武器ちょーだいって言ったかどうかは寡聞にして存じ上げませんが、カトリックって、結局殺し合いを肯定するってことなんですね。この人たちが殺したいのはプロテスタントだけかと思っていましたが(うそ)、だれかれ構わないと、そういうことですね。こういうのが、平和のために祈りを捧げるなんて、神に対する冒涜以外のなにものでもないと思いますが、ひょっとして、神を信じていないのでしょうか。まあ、信じてたら、天罰が怖くって生きていけない罠。



5月15日(月)『レイトオータム』
 
 冒頭付近、見たような記憶があったのですが、ヒョンビンがウザいから見るのをやめたのか、機内で見ていて冒頭しか見ることができなかったのか、ともかく最後まで見たのは初めてだと思いますが、まあ、見なくてもよかったです。手をあげるのはもちろん暴力ですけど、手をあげないからって、そこには暴力がないなんてことにはならないわけで、そういう意味ではヒョンビンは最初から最後まで暴力男でした。なのにスカしてるところがなんともシニシズム全開で、そこには不正しか見出せませんでした。



5月16日(火)どうなる???
 
 「久しぶりだね?連絡しなくてごめんね。やっとアドレスわかったから連絡したよ。返事頂戴ね?」
 ↓
 「連絡届いてるよね?」「LINEがダメになっちゃったからメール連絡してるんだけど…?」
 ↓
 「いろいろあったけど話したい事あるんだよね。ちょっと返事ほしいんだけど、メール使わない人だっけ?」
 
 これまでのパターンだと、このあたりでキレるはずなんですが、さて、どうなるでしょうか。「やっとアドレスわかった」のだとしたら、直接知らされていなかったのだから、嫌われてるのかもしれないとか、考えないんでしょうか。



5月17日(水)そういうこと
 
 研究室の部屋においてあるポットが長いこと壊れていて、押しても湯が出てこず、そのつどマグカップですくっていたのですが、先々週あたりに、壊れていることを知らないお客さんが押したらフツーに出て、えええーーー、このポット、自然治癒力があるのかよ、と思ったのですが、なんと、ぬぁんと、ロックを解除すれば湯は出てくるのでした。そういうことです。この前、カップの味噌汁に具を入れて湯を入れずに飲もうとしてしまった人がツイートしてましたが、そういうことです。



5月18日(木)降臨自認
 
 まあ、立ち居ふるまい、ご高著の売り方に鑑みれば、その方は少なくとも神さま自認かもしれない。なるほど、志村けんがむかし言ってたように、神さまなんて自認以外にはありえないだろうから、そういう意味では首尾一貫している。



5月19日(金)元号政党
 
 頼まれてもいないのに好き好んで政党名に元号を盛り込んでいる政党の共同代表とやらは、怖がる人たちに対して「怖がるおまえが怖い」だの「気にするな」だのと立派なことを垂れ流した方ですが、国会でくだんないパフォーマンスをやらかして厳重注意されると、「少数政党の小さな抵抗の声に厳重注意はありえず、全く不当なものだ」とか、弱者のふりをしてみせていて、まあ、首尾一貫して元号政党です。もうひとりの共同代表とやらは(それにしてもふたりの共同代表とか、やることがくさすぎる)、国会で「与党も野党も茶番」とか言ったそうですが、あんたたちも野党じゃないんすか。どうして自分たちだけは特別扱いなんですか。ああ、政党名に元号が含まれてるからですか。そうですか。



5月20日(土)わざわざ行った
 
 NAMの創立のときに大阪でシンポというか創立記念なんちゃらというか、そういうものが開催され、世界同時革命の人も、ポストモダンの旗手もやってきました。各種運動体のアソシエーションということで、教育関係の運動を担っている立て看がどうしたこうした大学の教育学系の大学院生が、子どもたちが自分らしく生きられる居場所をもてるように活動しているとかなんとか嬉しそうにおっしゃっていて、「はぁ?」と思いました。



5月21日(日)らしさとか
 
 各運動体の話を聞いた後、まとめをポストモダンの旗手が行うというやり方がまったくもってモダニズム的でしたが、自分らしさなんてものを押しつけられず居場所なんてものを定められないのが自由だと、大学院生を全否定して、そりゃポストモダンなんだからそうだよな、と思った記憶があります。小学校の保健室に貼られているらしい、自分らしさがどうこうとか書かれているパンフを見て、ポストモダンはどこへ行ったんだと思った次第です。



5月22日(月)竹槍で米軍機を墜とす覚悟
 
  「5歳で妊娠して出産した人もいます。 大事なのは子供を産んで育てる覚悟です。」というバカ文字列を見て思い出した。ある学会の委員会において、短時間のうちに投稿論文10本を査読してもっともすぐれたものを選び出すことは不可能だ、という主張に対して、「わたしはやりました。できるかどうかは覚悟です。」と、出来のよさげな中学生たちを前にしてではなく、いい年をした大人たちを前にして「本気で」言ってのけたアホがいましたよ。まあ、ひょっとするとああいうのはじいさんたちにはウケがいいのかもしれませんが、ただの純粋なアホです。『純粋理性批判』を読む前に、純粋アホ性をなんとかしないといけません。



5月23日(火)持続可能な軍需産業
 
 軍事同盟に対して武器ちょーだい攻勢をかけまくるあれが、平和サミットの開催を提案て、軍事同盟に対して武器ちょーだい攻勢をかけまくるのをやめるのが先じゃないのかと思うけれども、まあ、そんなことをしたら武器商人たちが儲けられなくなってしまって、「持続可能な軍需産業」に反するから、するわけがない。この武器ちょーだい男のために専用機を提供してやった年金受給年齢引き上げ男は、原爆資料館で「衝撃的」だと言ったそうだが、英語表記と日本語表記の内容の違いが「衝撃的」だったんだよね。



5月24日(水)なんとしても搾取し続けるぞ同盟
 
 G7さまたちなんて、なんとしても搾取し続けるぞ同盟にすぎないのに、エラソーによその国家の内政に干渉し、抗議のために呼び出された大使さまは、対応を改めない限り言われてもしょうがないだろ的なことを言ったそうです。いったいいつからそんな立派な口をきけるようになったのやら。他の搾取同盟の面々がバックについてるからねー、ってところでしょうか。これじゃあ、共産主義者のはずなのに、元号を併記する機関紙において、資本主義諸国から皇国が「周回遅れ」していることを憂えてみせるやつらと同じではないですか。きみらはみんな右翼なのか。



5月25日(木)『ラスト、コーション』
 
 公開当時、性の描写が物議をかもしたそうですが、それが「激しい」かどうかはさておき、何回も何回も、それ必要?と思わなくもなかったです。ああやって繰り返し見せることによって、いつしか愛情をもつようになってしまったということに説得力をもたせようとしているのかもしれませんが、何度も見せられると、実際に起きていた性暴力を撮影の現場で再現しているようにしか見えなくなってきます。いずれにせよ、革命家たちであろうと、裏切り者たちであろうと、やっぱ男たちはダメだってことがよくわかりました。



5月26日(金)ろくでもない
 
 『カサブランカ』の革命家もろくでもなかったし、革命家をろくでもない人物として描くのは、たんなる体制派のイデオロギーなのか、それとも実際に革命家はろくでもないのか。政党名に元号を入れている左翼ポピュリストがろくでもないのは知れ渡っているし、立派なことは言うけれども雑用は一切やらずに下々の者に押しつける左翼系の教員とか、学生に自分の図書利用票を使わせて本の貸出を試みるようなそのまんま不正の左翼系の教員とか、やっぱ実際にろくでもない面々のことがすぐに念頭に浮かんでしまう。イデオロギーもあるだろうけれども、実際にもろくでもない。



5月27日(土)共通点はある
 
 ある学会の学会誌が届いたのですが、まあ、いまさらではありますが、そろそろ退会でしょうか。善良の塊のような人(まったく褒めてません。むしろ、逆)の名前がいきなり目に飛び込んできてしまいました。自分のことをソクラテスのような人物だと信じて疑ったこともないと思いますが、まあ、共通点はないわけじゃないです、その無自覚なミソジニーとか。最低でも、哲学が役に立つとかふれまわるのはやめてほしい。
 
 
 
5月28日(日)『魔女ー増殖ー』
 
 えええーーー、そっちの方向へ行くんですか、という感じです。すでに続編の続編も予告されているような感じで、それなりに人気があるのだろうと思いますが、もうこのへんでいいかな、と思わなくもありません。それよりも、10分違いで手前のシアターでは『暗殺者』が上映されることになっていて、受付のお兄さんが、「『暗殺者』はこちらですよ〜」と連呼していて、その声に応えて入場していく人たちがまるで「暗殺者」みたいで面白かった。
 
 
 
5月29日(月)なるほど
 
 『魔女』の部屋は、8割以上が女性で、なるほどそういうことか、と思いました。マッドサイエンティストも隊長も、そしてなにより超能力者たちも、基本的には女性で、ちんぴらは男性という構図ですから。それから面白かったのは、小さいころに牛や犬を殺すけれども、愛情を注いで育てれば凶暴さはなくなるとかいうとんでも信念が、完全に打ち砕かれているところ。凶暴さを適度に隠しつつ生きているので、ますます性質が悪くなっているとも言える。でも殺されるなら「魔女」より「悪女」の方がいい。



5月30日(火)くだらなすぎる
 
 そんなわけで、『暗殺者』の予告編を観ていたら、続けてくだんない邦画の予告編を見てしまった。酒が嫌い、父を奪ったものだから、じゃなくって、やめらんなかったそいつに問題があるんじゃないのか。男同士は酒がなければ仕事にならないとか言ってる暇があったら、どーせそんな仕事はろくなもんではないからみんなでボイコットすればいいだけの話だ。まるで悪いのはアルコールであり、アルコールを必要とする仕事であるかのようだが、そんなふうに描くことによって、見事に父は悪くないし男は悪くないっていつもの免罪の完成ですか。そうですか。
 
 

5月31日(水)『死を告げる女』
 
 アルコールに溺れようと、アルコールに溺れて娘をレイプしようと、悪いのはアルコールであり、仕事のせいにしてもらえる父とか男とかとは違い、なんとも救いようのない思いしかしない映画です。おそらく、ラストに希望を見出そうというのが正しい鑑賞のあり方なのでしょうけど、ちっともそんなふうには思えません。生は何より素晴らしいという無邪気さのせいで、相変わらず愛の名のもとに犠牲にされる人々が残り続けるのであり、制度が変わらないかぎり、同じことが繰り返されるだけだからです。ある種の人たちは、こういうことも「特権」だと言うかもしれませんが、まあそんな人たちのことはどうでもいいです。
 
 

6月1日(木)シャートフが嫌い
 
 そんなわけで、シャートフが嫌い。いや、問題は好き嫌いなんかじゃない。シャートフによる生の無邪気な肯定は不正にほかならない。ドストエフスキーのああいうところも好きになれない。中途半端というか。シャートフがあんなふうにふるまえばふるまうほど、ドストエフスキーがシャートフをあんなふうに描けば描くほど、妊娠出産した人を追い込むことになるとか、そういうことはミジンコワムシほども考えられていないのではないだろうか。
 
 

6月2日(金)アフォーマンス
 
 頼まれてもいないのにみずから進んで政党名に元号を入れてきた臣民たちが、くだんないアフォーマンスに懲罰を科され、「狂っている」だの「恥を知れ」だのおっしゃっているそうです。なるほど、政党名に元号を入れた「正気」のわれわれを罰するとは何事か、ということでしょうか。政党名に元号を入れたわれわれを罰するなんて、「恥を知れ」ということでしょうか。怖がる人たちに対して「怖がるおまえが怖い」だの「気にするな」だの言ったのは、「正気」だったし、そこにはなんら恥じるべきことなどないということなんですか。そうですか。



6月3日(土)山田勇のだち
 
 トラフリークだった元芸人が死んで、例によってもちあげられていますが、この人、自分のことを「天才」って呼んでたんですよ?そして山田勇の悪行が噂され始めたころ、「知ってますからね」と半笑いで言いながら、しかし告発することもなく、したがってたんなるネタとして消費させていたのですよ。自転車に乗れることだけが自慢の知事やら国会議員やらの女性に対する権利侵害を知っていたにもかかわらず、告発せずにいたのですから、共同正犯を問われてもおかしくない人物だったわけです。だれか一言でもそのことについてコメントしているでしょうか。



6月4日(日)『非常宣言』
 
 まあ、アメリカの対応とかそんなもんだろうと思いました。皇国もあんなもんだと思いますが、皇軍がバイオテロに遭っている旅客機の撃墜を警告するというのが、なんとも理解できません。撃墜したら、ウィルスが拡散するとか、考えないんでしょうか。ひょっとして、撃墜したらウィルスも死滅するってお考えなんでしょうか。おそらく特攻を表象していると思われる皇軍の戦闘機が成田空港で当該旅客機と正面衝突を試みるなんて、元号政党のやつらなら「狂っている」と差別してくるところですよ。多国籍企業のことやら英語でしゃべるガキんちょたちのことやら、細部が非常に興味深かったです。



6月5日(月)牽制球って禁止されてるんですか
 
 いったいいつから牽制球って投げたらいけないことになったんでしょうか。牽制球を投げたらブーイングって、元号政党のやつらなら「狂っている」と差別してくるところですよ。ああいう法ならざる「マイルール」がもっとも唾棄されるべきものです。味方がぶつけられたらぶつけ返すとかいうのと同じメンタリティです。乱闘が少なくなって面白くなくなっているとか言う野獣のみなさんは、ファイトクラブかどっかへ行けばいいんじゃないでしょうか。ゲームはけっして自然状態において行われているわけではありません。お口の恋人たちの「マイルール」なんて、採用されませんよ。



6月6日(火)お犬様たち


 

働くおまわり様たちのご活躍を知っていただかなきゃいけないと思い、雨が降っていたけれども、スマホをとりに部屋まで戻り、物陰からこっそり撮らせていただきました。この物陰も、何をしているか知りませんがともかく人々ににらみをきかせている黄色いじいさんがたいていいるところで、あっちのお犬様たちとお友だちの可能性大なので、ちょっと場所を離れた数分のうちに、ばれないようにささっと写メっておきました。きっと大学の自治権にも優先されるような重要なお仕事をなさっているのでしょう。生協前までずかずかと入ってきているのですから、言うまでもなく令状はおもちでしょうね。わんわん。



6月7日(水)サンプルを送ってこい
 
 立て続けにハッカーを名乗るアホから、おまえの痴態とおまえが鑑賞していた動画をばらまかれたくなかったらビットコインで支払いをしろという、人を脅迫なり恐喝なり騙すなりするつもりなら、もうちょっとましなことを書いてこいよ、こんなんじゃせいぜい23点しかつけねーぞボケ、って感じのメールが届いてムカついています。ほんとにそんなものをもっているのなら、ぜひ高値で購入したいから、サンプルを送ってこい。

 

6月8日(木)脳内エンドレス
 
 ときどき脳内エンドレスが続くことがあって、ちょっと前は『別れる決心』を観たからか、パク・チャヌクつながりであの『オールド・ボーイ』の憂鬱極まりないメロディが頻繁に脳内をかけめぐっていました。幸いなことに、それを暗示として若い女性の板前と手が触れ合うということはありませんでした。その後は、なぜか『白銀は招くよ』の主題歌。山なんて、おまえの痴態をばらまくぞと脅されたって絶対に行かない場所だし、スキーなんて、死ぬまでするわけないんだけど、なぜかあのノー天気極まりないメロディがぐるぐるまわっていました。



6月9日(金)そして最近
 
 そして最近は、これまたまったくなぜだかわからないけれど『おさななじみ』。調べたら、ちょうど60年も前の歌だそうで、なぜこの曲がかけめぐっているのかさっぱりわかりません。作詞の人はリベラルだろうけれど、まあ歌詞の内容から時代的制約は免れないことがわかります。そういえば、たしかメートル法に反対していたような気がしますが、ひょっとしたら頑固おやじ万歳の人だったのかもしれません。まあ、仕方ないか。
 
 
 
6月10日(土)おそれおおい
 
 みずから進んで政党名に元号を入れたような本物の臣民を懲罰にかけるなんて、みなさん大丈夫なんでしょうか。だれに弓を引いていることになるのかわかっているのでしょうか。これほどの人物なら、物理的な力を行使したってあたりまえですよ。それはもはや暴力とは呼ばれないでしょう。この人の意に沿わなかったからいつ殴られるかわからないから怖いなんてことを言おうものなら、同類の臣民から、「怖がるおまえが怖い」「気にするな」と言われてしまいますよ。



6月11日(日)『空気殺人』
 
 出てる俳優がだれかもチェックせずにレンタルしてしまったので、体制批判派に見せかけてその実、新自由主義肯定派のポンの『追憶の殺人』の主役だったひとりよがりがぴったりな俳優が主役の作品を見ることになってしまいました。扱われている内容は非常に重いもので、監督の狙いも重要なものであることは確実だと思います。ただ、あのひとりよがりが医者ってなぁ。やっぱ肉体派のけーかんがぴったりですよ。怒りに駆られて国会で毒入り液体をまくなんて、正義のつもりの臣民太郎と変わらんじゃないですか。



6月12日(月)褒め殺しか
 
 「参院のドン」とか言われた人の死が判明したとかですが、例によって例のごとく、死者を讃える記事作りに余念がないと思われるところ、ある県の発展に尽力したとかあるのは、これはひょっとして褒め殺しているのかもしれません。国会議員だったのに、ひとつの県の発展に尽力しちゃったわけですからね。そんなことより、この人の特殊な能力について讃える記事はないのでしょうか。
 
 
 
6月13日(火)すんごい能力
 
 この人、なんといっても、脳梗塞のためすでに意識がない人から、代理指名を受けることができちゃったんですよ。そんな技が使えた脳梗塞の人もすんごいわけですが、その技を受け止めることのできたこの「ドン」とやらもすんごいじゃないですか。だれかちゃんと讃えているでしょうか。そしてその後、サメの脳をもつと言われたサメに失礼な人が行政府の長になるわけです。



6月14日(水)共同体の掟
 
 「××が不倫認める」とか「××が心よりおわび」とか、今更だけど、それがどーしたと言うのか。まあ、たしかに婚姻というのは共同体の掟なので、婚姻関係に入った以上、そこからはみ出る者は共同体として許さないぞ、ということなんだろう。だから、うんこであることは自明だろう。せめて、「心」なんてどこにもないから、「心よりおわび」なんてありえないんだよ、ざまぁみろ、くらいのことを言ってくれればすばらしいのだが。



6月15日(木)ゲロ吐きそう
 
 「不倫」という言い方は、実は見事だったりする。要するに、倫理性に反しているということだろう。倫理性は、共同体からやってくる、あるいは共同体そのものとも言えるかもしれない。倫理的であるということは共同体的であるということであり、共同体的であるということは倫理的であるということだろうから。だから、「不倫」は共同体の存続に直結していることになり、厳しく糾弾されることになる。そういえば、婚姻関係を結ぶことは、その関係に対して責任をとることであると上から教えてくれた立派な倫理学者がいたことを思い出してしまった。ゲロ吐きそう。
 
 
 
6月16日(金)得意技
 
 身体をはってでもとめなきゃいけない、などと「立派な」ことをおっしゃったのに、身体をはったのにとめられなかったわけです。さあ、どうしてくれるんでしょうか。わざわざ政党名に元号をいれるメンタリティでいけば、これはもう殉死しかないでしょう。ただただきたならしいだけなので、人前で見せる必要は皆無ですが、党本部なりなんなりで、やらかしてくださいね。アフォーマンスは得意でしょ。



6月17日(土)サーヴァー名変更て
 
 しばらくサーヴァーへ接続することができず、わざわざ元号を使用する臣民政党だの、アフォーマンスの臣民太郎だの、「怖がるおまえが怖い」「気にするな」で有名な臣民だの、書き連ねたため、ホムペも凍結かと思った。



6月18日(日)ポスト・モダンみぶり
 
 根拠を示すことなくだれそれを排除する言説だと宣言し抗議するというとんでもな文がかつてあり、その文には、なにさまなのか存じ上げませんが、だれそれは「死ななくていい」という人の生死に許可を与える文が続けられるという驚くべきことがありました。本日、ある学会で、そのとんでもな文に対して出版社に抗議したら、出版社から「そのとおりだ」という回答があったと聞いて、さらに驚きました。その出版社は、にもかかわらず、件のとんでも文について、訂正もなにもしていないのです。ひょっとして、21世紀にもなって、いまだにポスト・モダンみぶりなんでしょうか。まあ、相変わらずおされ系ではある。



6月19日(月)単身世帯
 
 昨日参加したパネル報告は、ある書籍が出版されたことを機に企画されたもので、著者が元気に話していました。20年くらい前に衣笠で「現場」の人たちから袋叩きに遭っていたときの印象があったので、実はこんなに元気なのかと思いました。ところどころ、その方が共通の前提であるとお考えになっている(と思われる)ことについて、そうだろうか、と思いました。東京のある区では、単身世帯が50%を超えているそうで、そのことを憂いつつお話されているように見受けられました。そのことが同時に社会性のなさの拡大を意味するのであれば、問題化する必要があるかもしれないものの、しかしそのことが説明もなくただちに憂いにつながるような前提は、けっして共有されていないだろうと思いました。
 
 
 
6月20日(火)アイポ
 
 アイポなんてその問題性がとっくのむかしに明らかにされ、文学のテーマにはなるのかもしれませんが(だれかが言うように、文学がもはやエンターテインメントの意味しかもたないとしたら、文学のテーマにもならないでしょう)、議論の俎上にのりさえしないと思っていたのですが、しかし新自由主義のイデオロギーはアイポと相性がいいわけで、議論さえしなければ、アイポを信奉し続けても、むしろ生きやすいことでしょう。それが正しいことであるとは、まったく考えられませんけどね。



6月21日(水)嫌悪感はどこから



 自宅マンションのエレヴェーター内に貼り出されていた文書なんですが、こういうのを見てみなさん嫌悪感を催したりしないのでしょうか。ゴミを分別して出さないと、業者が持って行ってくれなくなるよ、という注意を喚起する文書が先月貼り出されたのですが、それに続けて、これです。みんなよく頑張ったな、でももうちょっとだよ的な、上からのところが気に入らないのか、妙になれなれしいところが気に入らないのか、ともかくこんなの貼ったら、むしろ分別しなくなるんじゃないかとすら思えてくるのですが…。



6月22日(木)うんざりだ
 
 あああ、スマホを置き去りにしてきてしまった。こんなときにかぎって、明日の資料をCLEにアップし忘れていて、しかし自宅からアップしようとしたら、バカが認証を要求してきやがって、スマホがないと認証できないので、明日、出勤してアップしないといけなくなっている。まるで直前までノートを作ってるマヌケのようで嫌だなぁ。今日なんて、帰り道でスマホを部屋に置き去りにしてきたことに気がついたのに、次の瞬間にはそのことをまるっとすっかり忘れてしまい、帰宅して寝る前になってようやく気がつくという体たらく。もうダメだな。



6月23日(金)またしても

 
 なんか調子に乗ってるんだろうか。住民には倫理を問うてもいいと思ってるんだろうか。あれはするなこれはするな、あれはしてもいいいこれはしてもいいって、これじゃあまるで根拠もなしにフォビア呼ばわりするどっかの人と変わらない。ああ、うっとうしい。エレヴェーター内には防犯カメラという名の監視カメラが取り付けられているので(もちろん導入には反対したけど、たしか全住民中たった1人だけだったと思う)、ひっぺがすわけにもいかないし、落書きもできない。この堪え性のなさは、たんなる加齢のせいなのか、疲労のせいなのか、それともパーソナリティのせいなのか。 



6月24日(土)『残酷な怪物』
 
 20分くらいで見るのをやめようかと思ったけれど仕方がないので最後まで見てしまい、たんなるクズ男たちによるクズの話にゲロを吐きそうになりました。こういうのを「怪物」とか言って特別視しちゃいけないのであって、たんなるクズ男って呼べばいいのですよ。どうしてこんなクズ男たちの犠牲にならないといけないのか。しかもその犠牲になっている側からの視点はまったくと言っていいほど描かれない。まあ、きっとわからないしわかろうともしないのでしょう。まったくのゴミクソ映画。最後に希望みたいなものを描いているところが、ゴミクソのダメ押し。「永遠平和の保証」に希望の論理を見るとか寝ぼけたことを言うバカと同じです。



6月25日(日)ゲロ吐きそう
 
 上のクズ男たちのクズ話のゴミクソ映画を見て、そういえば、シベリアで自分たちが生き残るために女性たちをソ連兵に差し出した皇軍のクズ男たちのことを彼らも犠牲者だと擁護したクズ男もいたっけ、って思い出してしまいました。そいつ、批判されたため、ツイ消しして発言をなかったことにしたわけですが、きっと主催する「慰安婦」関連のパネル展も、政治運動のひとつにすぎないのだろうということがよくわかりました。ゲロ吐きそうだ。


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6月26日(月)バ×文字列
 
 「女性と男性のための〇○版フェミニズム」(○○は元号)とかいうバ×文字列を目撃してしまった。まあ、頼まれてもいないのにわざわざ進んで政党名に元号名を入れる革新派のつもりのバ×たろうもいるくらいだから、なんでもありなんだろう。なんでも受け入れます、すなわちなにも受け入れませんがこの臣民共同体の特徴だから、なんでもありで間違っちゃいないのか。そうか。つーことは、元号で区切られるフェミニズムだってあるんだろう。きっとそうなんだろう。だろう。たろう? バ×たろう?



6月27日(火)6回目
 
 もはやマニアの域かもしれない。周囲に、6回目の接種をした人はひとりしかいない。昨日、午前中に接種しに行ったけれど、予約いっぱいだったはずなのに、接種前から接種後の、医者と看護師たちの内輪の話を延々聞かされるという拷問みたいな待機時間も含めて、他にはだれひとりやって来なかった。さすがに午後から授業というのはヤバいんじゃないかと思っていたけれど、仕事の間はすっかり打ったことを忘れていた。夜、熱っぽくなってきた感じがしたので、体温を測ったら、35.7℃だった。so cool!



6月28日(水)「副作用」
 
 問診の際に、「副反応」といういまや懐かしのワードを耳にしました。そういえば、こういうまやかしの言葉遣いをしていたものでした。「副作用」と言ったら、あたかもワクチン側の働きであるかのように聞こえてしまうけれども、熱出たり腕が痛くなったりするのは、それはワクチンのせいじゃなく、あんたらの「反応」にすぎないよ、ってことなんでしょう。しかし、あたりまえですが、「反応」はひとりでに生じるのではなく、「作用」に対応しているのですけどね。そんなわけで、今回も、たぶん多くの人が体験していると思うのですが、しかしそれを公にはしない「副作用」が、しっかりあったことをご報告いたします。



7月2日(日)名称にわざわざ
 
 日刊クソゲンダイ(なぜ名称にわざわざ「クソ」なんて入れてるんだろう)、阪ちんが陰りを見せ始めてようやく叩けるので、うれしくて仕方ないところでしょう。球宴ジャックに関連して、2軍にいるやつなんか選出されて、阪ちんはどうするつもりか、とか言ってますが、投票したやつらがぼんくらだってちゃんと言って見せろよ。それともあれか、民主制なんてクソなのは自明であり、投票とは別のところに基準を設定しろ、って主張なのか。民主制はクソかもしれないとしても、日刊クソゲンダイが設定する基準だけは拒否する。



7月3日(月)まったく笑えない
 
 オランダ「国王」がかつての奴隷制や奴隷貿易について人道に反する犯罪だったと謝罪したとかです。全力で笑かしにきているのでしょうか。「オランダの大多数の人が肌の色や文化的背景にかかわらず、平等のための戦いを支持している」とかとも言ったそうです。最初の発言で笑えなかった人たちも残らずみんな笑えるように全力をつくしているのでしょうか。ミジンコワムシほども笑えないですけどね。そしてこんな大喜利ネタのつもりみたいなのをなんの批判的視点ももたずに活字としてばらまくテレ朝は、シニシズムを極めているのでしょうか。



7月4日(火)「国王」が口にする「平等」とは
 
 「国王」が「平等」を口にするとき、いったいどんなふうにお考えになっているのか、ミジンコワムシくらいは興味があります。東京駅で乗車位置に並んで待たずに、タクシーをつかまえて乗車し、文句を言われた阪ちんの選手が「おれらはええんや」と言ったのと、同じくらいのメンタリティなんでしょうか。いやしかし、阪ちんの選手ごときがそんな風にふるまったところで、「さもありなん」くらいのところでしょう。なんせ阪ちんの選手なんですから。「国王」の犯罪なんかと比べたら、ミジンコワムシほどの大きさもありません。



7月5日(水)扇動なのか脅迫なのか
 
 他の人に対して「生きてもいい」だの「蜂起せよ」だの許可を与えたり命令したりできる人は、ひょっとして万能感にあふれているのか、だから根拠を示すこともなく他の人を「批判」しているつもりになれるのかもしれませんが、そういうのはたんに誹謗中傷ではないかという指摘はおそらく正しいでしょう。この万能感にあふれていると思われる方、ある方が職に就かれていることに対して、「まだポストを持っている」とおっしゃっているようで、これって扇動とか脅迫とかの類でしょう。万能感にあふれる人は、もはやどうにも制御できないので、せめて持ち上げてきた人たちが、諫めるなり賛同するなりすべきじゃないでしょうか。死んだふりでしょうけど。



7月8日(土)『マドンナ』
 
 なんというか、加害者側の属性をもつ者として、生きていていいのかよ、と言われている映画でした。こんなふうに書いてみせることこそ欺瞞の極みであり、何しようと許されないんだよ、と考えるほかありません。ひところよく、おまえは男で大学教員で権力をもっていて生活が安定していて…と糾弾されていたことを思い出しました。



7月9日(日)おっとろしい感謝の念
 

 こういうのを共同体主義と呼ばずして何を共同体主義と呼ぶのやら。「感謝の念を伝えています」を住民のみなさんに伝えています、ということなんでしょう。「感謝の念」、重要っすね。「感謝の念」は時空を捻じ曲げるそうですからね。これって、永遠平和実現へ向けて人間が努力すると(しかし何をすれば永遠平和実現に向けて努力したことになるのかを、大先生は教えてくれません)、自然が人間を助けてくれて永遠平和を実現してくれるとかいう、「希望の論理」と同じですよ。ええ、カントなんかにかぶれてなきゃ、フツーはオカルトって言われるやつです。バーカ。



7月10日(月)『親切なクムジャさん』
 
 パク・チャヌク復讐3部作の3作目ですが、1作目、2作目は、すでに複数回観ているにもかかわらず、これはたぶん15年以上前に1度観ただけで、まったく観ることがありませんでした。なんといっても、最初の方に出てくる浴室のシーンがゲロ吐きそうに気持ち悪く、なかなか2度目を観る気にはなりませんでした。今回、やはりゲロ吐きそうになって観始めたことを後悔しましたが、ストーリーをほとんど覚えていなかったので、そのシーン以外は非常に新鮮でした。とはいえ、また当分観ることはないと思います。



7月11日(火)承前
 
 たしかに足の裏を蚊に刺される不快さはよくわかりますが、しかしだからといって、あんなことをさせてはいけません。とはいえ、どこに復讐しないといけないほどのことがあったのか、前2作と比べて、よくわかりませんでした。たしかにチェ・ミンシクはとんでもで、晩御飯を食べながら突然思い出したように、というのはあれですが、しかしみんなで殺すことに値することなのかどうかは、それほど自明ではないでしょう。まだ鑑賞の仕方が不十分で、あと何回か観ないと復讐ポイントがどこにあるのかわからないのかもしれませんが、しばらくは吐きたくないのでやめておくことにします。



7月12日(水)あのこと
 
 あのことについてあんなことやこんなことを言ったらあんな人やこんな人があんなことやこんなことを言ってきてまたしてもあんなことやこんなことになるのであのことについてあんなことやこんなことを言うのはやめる。こんなふうにしてあのことについてあんなことやこんなことを言う人はあんなことやこんなことを言わないようにしいられあんなことやこんなことを言う人だけがどうどうとあんなことやこんなことをいいはなってえつにいる。こんな状況がいいわけない。



7月13日(木)社民主義の必然
 
 スウェーデンがNATOに加盟で、どういうわけか北欧がもっとも進んでいると思い込んでいる人たちにはショックかもしれませんが、スウェーデンなんて、立憲君主制ですからね。国王がいるんですよ。そんでもって社民の発想なんですから、どうしたって国家主義を免れません。世界大戦においてだって、社民はいち早く戦争を肯定したんです。要するにいまはやりの自分が一番、自分が大事、自分さえよきゃいい、なんですよ。おぉ、そういう意味じゃ最先端かもしれないけど、悪の最先端になってどーするよ。そんなわけで、スウェーデンが軍事同盟に加わっても何の不思議もないどころか、社民主義の必然です。



7月14日(金)まったく笑えない
 
 冗談は〇〇だけにしてくださいという、三条正人(なんと、亡くなっていましたか)の名言がありますが、ノルウェーは正式名称が「ノルウェー王国」で、民主主義指数が世界第1位で「完全な民主主義」だそうで、報道自由度ランキング世界第1位だそうです。笑わそうとしているのでしょうか。「勝負ごとに絶対とか言うな」は、ブチ切れた監督の名言ですが、国王なんぞが存在していて完全な民主主義と呼ばれるのであれば、国王なんぞが存在しない不完全な民主主義の方がよっぽどましだって、そういうメッセージなんでしょうか。
 
 
 
7月15日(土)がんばってねー
 
 言うまでもなく、国王がいる完全な民主主義国家は軍事同盟であるNATOに加盟しています。徴兵制もあります。イスラエルと同様に、徴兵は女性にも義務づけられています。女性と男性は平等だそうです(おまえら、中学生か)。おまけに、陸海空軍のほかに、郷土防衛隊なる最高にキモいのもあります。さしずめあれでしょう、市民が自分や自国を守るために武器を手に取り演習するのは特別だとかいう、あのじいさんのたわごとと同じ類の戦争大好きメンタリティでしょう。そして捕鯨国。ほげぇ〜。
 
 
 
7月16日(日)ビジネス提案 1
 
 標題の件名がついたメールが連続でやってきて、もっともいらつく単語のひとつである「ビジネス」を件名に含むメールを送りつけてくるとはなかなかいらつかせてくれるわと思いました。そして本文を読み始めると、いきなり、「貴方のアカウントに最近メールをお送りしましたが、お気づきになられたでしょうか?」とあって、「最近」て、このメールのことなのか、それとも別のメールのことなのか、このメールのことなら読んでるんだから気づくもなにもないだろ、このメールじゃないとしたら、気づいてねーよ、バーカ、おまえはそんなに大物なのかよ、といらつかせてくれます。



7月17日(月)ビジネス提案 2
 
 続けて、「そうです。私は貴方のデバイスに完全にアクセスできるのです。」とあるのですが、ひょっとして、メールを送ることができるから、「デバイスに完全にアクセスできる」って言ってるんでしょうか。そこらじゅうでメール受信を拒否されてるから、メールを送ることができるだけで舞い上がって「完全」とか言っちゃってるんでしょうか。監督の口癖は「おまえ」ですが、おまえの「完全」はハードルが低すぎるぞ。下手したらくぐれないくらいだぞ。そしてこの恐ろしく低い「完全」によって、「貴方が気づくことなく、私が好きな時に貴方を見ることが可能となる」そうです。おまえ、ひょっとして好意を寄せてるのか???



7月18日(火)ビジネス提案 3
 
 ところがビジネス提案なんぞをもちかけてくるアホは大嫌いです。いや、好き嫌いはどうでもよくって、そんなやつは不正だ。正義に反している。正しくない。例によって、私が見ていた動画をばらまいてくれるそうだが、おまえ、ホントに盗んでいるのなら、「メールの連絡先」なんてリストにしてないことくらい知ってるだろ? アホなのか? いまどきそんなものを作るやつがいると思ってるのか? なんども言うが、そんな貴重な動画をばらまかれないために支払う金額が安すぎる。もっと高額をふっかけてこい。どっちみち、支払わないけどな。ばらまかれたら喜んじゃうかもしれないぞ。そしたらご褒美にクソビットコインで支払ってやるかも。



7月19日(水)ポワロの犯罪
 
 ポワロがロシアの伯爵夫人やら侯爵夫人やらの犯罪を見逃してやるというつまらない話があります。そいつはロシアから亡命してきたようですが、屋敷も没収されたとかなんとか嘆いているわけです。スターリンがすべてを変えてしまったと。えっ、それってすばらしいことじゃないんですか。クリスティー自身はポワロが好きじゃなかったとかですが、だとすると、伯爵夫人やら侯爵夫人やらをめでるのは、当時のそのあたりのメンタリティの描出ということなんでしょうか。とっとと死滅してしまえばいいメンタリティだと思いますが、いまだに十分残っているように思われます。



 
7月20日(木)寸劇
 
 おおむかし、ゲーテ・インスティテュートへ通っていたころ、クラスの人がポーランドかチェコか、そのあたりの友人の話をして、友人の屋敷の写真を見せながら、この住まいも取り上げられたそうです、とか言って、嘆き、聞かされている面々も嘆いてみせるという、寸劇があったことを思い出しました。そのころは、無駄にクラスに溶け込もうとしていたので、何も言いませんでしたが、いいことじゃないですか、って思いました。ひょっとしたら、小さな声では言ってたかもしれません。みなさん、そんなに身分制がお好きなんですか。アホですか。



7月21日(金)なぜ歴史を語るのか
 
 なぜ思想家は歴史を語りたくなってしまうのか。やはり初めて哲学史を語ることによって自己の哲学をその頂点として正当化しようとした人と同様に、自己の思想を正当化せずにはいられなくなり、正当化するには歴史を語るしかないと考えてしまうためなのか。その思想が「正解」なら、わざわざ歴史など語るまでもなく、いずれはその「正解」通りになるはずだから、語らなきゃよいものを、語ることによってその「正解」がどんどんあやしいものに見えてくる。
 
 
 
7月22日(土)「感じる」語法
 
 歴史を語るには、それなりに勉強が必要だし、壮大なほらに信ぴょう性を与えようとすれば、それなりの知識に裏づけられた壮大なほらである必要があるだろう。そういうめんどくさいことをせずに、自己のなんちゃってを正当化する仕方として「感じる」語法がある。どこかでそれがよいことだと教えられているのか、やたら「…と感じる」で締めくくる小レポートに出くわす。「感じる」はある意味では無謬であり議論を拒絶する性質をもつので、主張文に使用してはいけません、と何度言っても、相変わらずその方たちの「感じる」を読まされる。じゃあ、そう感じてしまったこと、そのことを問うてください。それができるくらいなら、そんな語法は使わない。そらそうよ。
 
 
 
7月23日(日)目薬じゃまったく不十分
 
 『ミッションなんちゃら』の宣伝を目にしてしまい、目薬をさしましたが、いったいいつまであんなことをやってんですかね。「俺が守る」とか、いいって。ほっといてくれよ。むしろあんたらがいるからいろいろといざこざが生まれるんだって、そういう反省はないのか。そもそもあいつらスパイじゃないんですか。スパイなんてものは、はなから誠実性要求を否定しているわけでコミュニケーションが成立するための超越論的制約を満たしていないわけです。それでものうのうと生き続けられるのは、たんなる権力要求を行っているからであって、あんなものはパワーの思想、マッチョの思想以外の何ものでもないんですよ。宣伝しているやつらとともに、死滅一択です。



7月24日(月)「違い」を認めたら???
 
 ぺろぐり康夫がかつて推薦してもらった政党ともろにつながりのある政党代表が、書記局長が女性党員を恫喝することで有名な政党について、「なくなったらいい政党だ」と言ったそうで、その女性党員を恫喝することで有名な書記局長が「民主主義は互いの違いを認めるのが当然の原理だ」と言って、そのぺろぐり康夫の関係政党代表の発言を批判したそうです。いや、だったら「なくなったらいい政党」って発言も認めるのがあなたの言う民主主義じゃねーのって思いますが、どうやらこの女性党員を恫喝することで有名な書記局長は、都合よく民主主義を切り取る才能をおもちなようで、さすが恫喝し慣れているとしか言いようがありません。



7月25日(火)あっ、感じたのか
 
 「敢えて悪意を持って読めば」と、みずから断り書きを入れて、「責任を回避するだけでなく」「誹謗中傷を続けるという宣言にも見える」と続ける人は、「じゃあ、悪意を持たなきゃいいんじゃないの?」って言われたらなんて答えるのでしょうか。「持たずにはいられないんだよ」は、おかしいですね。だって「敢えて」なんですからね。いくら匿名だって、もうあと10秒くらい考えてから、発言したらどうなんだろう。控えめに言って、ア○丸出しだよ。



7月26日(水)資本主義の走狗


 
 これ、豊中キャンパスのある場所に貼られているんですが、たぶん資本主義の走狗がゲリラ的に貼ったんでしょうね。まさかそこの関係者が、時間を賃金に換算して悦に入るようなこんな真似はしないでしょう。取り除かれるのは時間の問題(だじゃれではない)だと思ったので、ソッコーで写真を撮っておいたというわけです。こういう発想って、そこで無駄に生きている諸君、その無駄な同じだけの時間に大谷翔平ならいくらいくら稼いでいるんだぞ、と言ってのけるうんこの発想と変わらないですよ。消費者組合に異様に期待を寄せている哲学者もいるようですが、この掲示物のどこに期待をもてるのでしょうか。控えめに言って、絶望しかありません。


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7月27日(木)あなたがまず知らなきゃ
 
 「答えのない学問 哲学を知ろう」とかいう文字列を見てしまって、あなたがまず知らなきゃね、と思いました。いくらエラソーにしてたって芸人なんだから、そうめくじら立てなくても、というのは芸人差別であり、その人が芸人だろうとだれだろうと、誤った知を披露しているのなら、その知は訂正されないといけないでしょう。あなたが「答え」にたどりつけないからって、それは「答え」が「ない」ことを意味するわけではありません。「私が答えに到達できない学問 哲学を知ろう」に修正してください。



7月28日(金)ド詰めしてあげてください
 
 どうも人文学一般が答えのない学問だと考えられているような風潮があり、しかも人文学を研究する人たち自身がそんなふうに言ったりするのを間近で耳にしたこともありますが、それはたんてきに間違いです。答えが想定されていないとしたら、いったい何が探求されているのか、単純に理解できません。何が答えであるのかを知ることと、答えを想定することとは、まったく別のことです。ダメットが真理について言ったことが、ここでは答えについてあてはまると思います。そんなわけで、人文学は答えのない学問であると口にする人がいたら、ド詰めしてあげてください。
 
 
 
7月29日(土)『覗き屋』
 
 これって、ジャンルとしてはコメディですよね。「スリラー作品」って紹介されてますが、それはシニシズムが過ぎるというものです。「パソコンをカタカタやるだけで何でもできちゃう系のおバカ映画」って感想をお書きになっている方がいて、ピアノ売るならタケモトピアノくらい、「そのとーり」だと思いました。せめてもの救いは90分台だったことですが、しかしよく考えたら、10分でもよかったかもしれません。ちなみに、人が隠そうとしていることをなにがなんでも覗こうという趣味はまったくありません。



7月30日(日)『スティール・レイン』
 
 観たかったのは『鋼鉄の雨』なのに、こっちを観てしまいました。観始めてすぐに、ああ、知ってるわ、と珍しく思い出せる内容でした。前に観たときと同様に、やっぱ「世界の警察」が諸悪の根源だし、監督もそんなふうに見ているのだろうと思いました。ほんと、やつらとやつらの下僕がいなければ、軍需産業はいらなくなるし、もっと平和だろうけど、軍需産業が消えてなくなると困る人たちが一定数いることは確実でしょう。北欧の連中だって武器を輸出できなくなっちゃいますからね。そしたら、外国に武器を売りつけて国内で福祉を充実させるという「神業」が使えなくなっちゃいますもんね。



7月31日(月)あわわ
 
 『トランスクリティーク』で資本とネーションと国家の三位一体論が展開され、これら3つを同時に廃棄しなきゃダメだ、そうしないと強力な国家を作り出してしまうか、ネーションに足元をすくわれてしまうと言われていたときには、やっぱすごいなぁとただただ感服するばかりでした。しかしカントにならって「批判」のあとに「形而上学」が展開されるようになり、「あわわ」と思うことが増えました。近頃では、打倒すべき対象が国家と資本に絞られてしまったように見受けられるのですが、たんなる見間違いでしょうか。9条のために1条があるとか、ネーション主義が極まってないでしょうか。



8月1日(火)どんなお味???
 
 今日も1日、とんでもなく暑い日でした。こんなにとんでもなく暑い1日だったというのに、靴ペロの人とすれ違ってしまい、「靴はどんなお味ですか?」と尋ねたいくらいでしたが、いい大人というか、もはやじいさんなので、そこはぐっと堪えました。ああいう人って、自覚的に靴ペロなのか、それとももはや無意識のレヴェルで靴ペロなのか、ちょっとだけ興味をひかれましたが、どっちにしても靴ペロは靴ペロじゃんということに気がついて、どうでもいいことだとわかりました。



8月2日(水)すみっコぐらし
 
 「すみっコぐらし」を教えていただいて、調べたら、なんと2012年からあるそうで、すみっコぐらしがすみっコぐらしをし過ぎのせいなのか、こっちがすみっコぐらしをしているせいなのかわかりませんが、ともかく10年以上も存在を知りませんでした。もう、キャラクターのひとつであるねこなんて、気が弱すぎてすみっこすらゆずってしまうらしいです。そんなねこがいるのだろうかと思わなくもありませんが、このねこは、ともかく謙虚だそうです。なんか姿を見ているだけでかなり悲しくなります。



8月3日(木)ARD
 
 「親びん」トランプが訴追されていますが、それに対してトランプ側が反論していて、その反論の文書によると、訴追のやり方が1930年代のナチスのようだとあります。実は文書には、それに続けてソヴィエト連邦にも言及されているのですが、ドイツの放送局は、文書を画像で示しつつ、音声ではナチスのことにだけ触れています。こんなことを臣民の共同体で行えば、「自虐史観」とか「アカの陰謀」とか騒ぐ人たちが出てくることでしょう。ゼびいきのドイツの放送局ではありますが、自己批判的なところは臣民共同体の放送局とはおおいに異なっています。



8月4日(金)あなたのことですよ
 
 カンニングする人って、自分が不正をはたらいているってわかってないのでしょうか。ど真ん中の不正なんですけどね。人に見せてもらったりしたらそいつに対して恥ずかしいとか、他の人に対して恥ずかしいとか、そういうこともないのでしょう。まあ、それはいいです。恥ずかしいかどうかなんて、ただの恥の文化ですから。それより、不正なんですよ。罪を犯しているわけです。こうやって成功体験を増やして、世の中涼しい顔してわたっていくのでしょう。こういうときだけは、神がいればと思わなくもないですが、もうひたすらいつかうんこ踏めよって念力を送るしかありません。



8月5日(土)『ビー・デビル』
 
 薄々内容は知っていたので観たくなく、ずっと避けてきて、やっぱり始まってすぐに観なきゃよかったと思い始め、観終わってからも、やっぱり観なきゃよかったと思いました。「スプラッター映画」とか書いてありますが、いやいや、そこじゃないでしょう。男の暴力の話です。主演は、『チェイサー』とか『マドンナ』とか、これでもか、というくらいに男の暴力が描かれる作品に出ている人でした。この映画を観て、「女は怒らせると怖い」とか寝ぼけたことを言うやつは、「100パーアホ」と言っても過言ではありません。男の暴力のせいで、なぜ被害者である女性たちが敵対し合わなきゃいけないのかを考えさせられました。



8月6日(日)なるほど
 
 ところでおフランスへ政権与党の有能な政治家のみなさんがこぞって研修へ行かれて、いったい何を学ばれたんでしょうか。言うまでもなく、年金受給年齢の引き上げに反対する者たちをいかにして排除するか、ですよね。しかしおフランスみたいにおまわりによる目に見える物理的暴力を使わなくたって、広告屋という洗練された暴力を動員すれば反対の声なんて聞かなくてすむことは、十分にご存じでしょうに。なんつったって臣民の皇国ですから。あっ、広告屋って皇国屋なのか。なるほど、すべてわかってしまった。



8月7日(月)5でおひとり分


 昨日は、「おまわり」などとついつい下品な言葉遣いをしてしまいましたが、いやもう、このおまわりたちがいかに勤勉にお仕事をなさっているか、昨日はカメラにおさめてもいたのです。当初は、ひとりを相手にパトの2がお仕事をなさっていたのですが(しゃべっていたのはそのうちの1のみ。もう1は、あれはなんなんだ)、そのうちバイクの1がやってきて、最後はぱーぷー鳴らしながらもうひとつパトがやってきて、これで合計5。5でやっとひとり分ということですか。えっ、なにが? えっ、合算? でも掛け算はだめ? 正当化された暴力の担い手が5も集まって、おひとり分ですか。そうですか。



8月8日(火)異様ですよ
 
 ドイツの右翼政党の党大会は、最後に国歌斉唱があります。それはもう、かなり異様な雰囲気であり、おそらくその異様さを見せるために放送局もわざわざその場面を流すのだと思います。ところがこの皇国においては、だれも頼んでいないのにみずから元号を政党名に入れて悦に入る左翼ポピュリストの集団がいたりします。そう言えば、政党名に「共産」を含む政党は、その前にわざわざ国名をつけており、機関紙には元号を併記しています。この異様さが異様に映らない共同体のありようこそが、きわめて臣民的であり皇国的であり広告的です。
 
 
 
8月9日(水)すばらしくないよ
 
 その市の行政府の長でありながら、自分らがやろうとしている再開発とやらの邪魔になっているビルに「火つけてこい」などと言っても、そのまま生き続けたなんちゃらとかいうのが、市長をやめてからも相変わらずべらべら無意味なことを垂れ流し、それにこれまた相変わらずお追従するうんこがいるという状況があって、一度たりとも建前主義が徹底されたことのない共同体においては、いつまでもどこまでも「本音」はすばらしい信仰が行き届いています。
 
 
 
8月10日(木)「覚悟」つながり
 
 「ナチスに見習え」でおなじみの方が、相変わらず自分は戦場へ行くわけでもないのに勇ましいことをおっしゃっているようで、「戦う覚悟」を持たないといけないそうです。みなさん、覚悟ですよ、覚悟。この臣民共同体は、草の根メンタリズムというか、メンタリズム普遍主義というか、「心」の言葉にあふれかえっています。平和だって「敵意」をなくすことですし、カ〇ト協会だって運営のための「努力」が事前に決められたルールに優先されますし、適切な査読ができるかどうかは査読者の「覚悟」次第だと委員会で真顔で言ってのける善良な(=アホな)やつがいますからね。



8月11日(金)ヘッスラの世界
 
 プロ野球なんだから、全力疾走しようとしまいと、その「結果」だけを問題にすればいいのに、反社に1億も支払う余裕がおありの球界の盟主は、「すべての野球人に対し申し訳ない」などと相変わらずの大げさぶりです。この人、「野球人」とか「わが軍」とか、分類癖なのかミリオタなのか、よくわかりませんが、別に「申し訳ない」なんてことはないですよ。それで相手チームは得をしたわけですから。今回のケースとは異なりますが、内野ゴロでも全力疾走すれば内野手はエラーする可能性がある、と考えるか、プロなんだからそんな可能性はかぎりなく低く、だったら疲れないために全力なんかで走らない、と考えるか。それだけのことであって、カ〇ト協会じゃないんだからこんなところに「努力」を持ち込んじゃいけません。



8月12日(土)『パーフェクト・ドライバー』
 
 「クライムアクション映画」に分類するのなら、もっとまじめにやってくれと思わずにはいられない。ガキんちょがうっとうしくて仕方ない。こういう話にガキんちょをからませる意味がまったくわからない。もう「ガキんちょ大好きくそくそ映画」とかいうジャンルを作ったらどうだろう。そしたら、そんなものを見ようとしたおまえが悪い、と言われても納得する。ああうっとうしい。しかもこのガキんちょ、ご多分にもれず、セクハラ野郎。もうゲロ吐きそう。



8月13日(日)『事故物件』
 
 予告編を見て、絶対にレンタルするようなことはないだろうと思っていたのに、なぜか送られてきてしまった。それって、「事故」じゃねーの。ということは、これ自身が、「事故物件」なのか。そうなのか。これも冒頭からガキんちょたちが出てきて、まあ、昨日のガキんちょとは違って「早く失せろ」と思うようなタイプではなかったものの、いやいや(←監督の口癖)問題はそういうところじゃなく、映画そのものがトイレに行けない系だったので、10分で断念。ほんと「事故物件」だわ。



8月14日(月)どうやって見つけたの???


 「プラの中にこのような不燃が入ってました」よりか、どうしてこんなものを「発見」できたのかってことの方がよっぽど興味深いですよ。もう完全に「職責」の名のもとに、やりたい放題、趣味全開でしょ。「ここ3ヶ月程」満喫しちゃったわけですね。「快適なマンション生活を送るために、ご協力お願い致します。」って、趣味やら性癖やらを封印して協力しなきゃいけないのはだれですか、って話です。エレヴェーター内にこんなものがはられるようになって、「快適なマンション生活」が送れると思ってるんすかね。
 
 
 
8月15日(火)絶対に飲まない
 
 まあ、そのチームはむかしからチャラいのが多いので好きじゃなかったし、なんなら3Kとも関係があったわけだし、ろくでもないことはたしかです。ちょっと前には、ブーが、根拠もなくサイン盗みの嫌疑をかけるなんてこともありました。サイン盗みは、もしほんとなら永久追放なんだから、根拠を示して訴えるべきなのに、それをせずにただただ嫌疑だけかけるなんていうのがなぜ許されたのか。そして今回は、相手を骨折させたというのに、球団が公式サイトに「ナイスピッチング」って書いたわけです。つーことは、球団ぐるみで骨折させたってことでいいですか。



8月16日(水)なんちゃら世代
 
 なんちゃら世代が平和を語るやらなんやらいう番組の予告を間違って目にしてしまいましたが、「ウクライナの戦争でこれまでの常識が通用しなくなった」とかなんとかおっしゃっているなんちゃら世代の人がいて、その通用しなくなったこれまでの常識とやらを教えてほしいものだとミジンコ程度には思いました。やっぱあれですかね、Tシャツ着たやつが「武器ちょーだい」とひとつの軍事同盟におねだりしつつ、国民に対しては「勝つまで戦う」とかいさましいことを言ってのけるところが、これまでの常識を覆してるんですかね。だけどTシャツ着てるところなんて、姑息な広告屋(=冗長句)の入れ知恵でしょうし、他のことだってこれまでの常識とちっとも変ってないじゃないですか。いったいどんな常識をおもちだったんですかね。



8月17日(木)「怖い人」
 
 8月15日に行われた政府主催のなんちゃら記念式典の報道は、あれはひょっとしてわざとやってるんじゃないかと思うほど、見事に嫌味にしか聞こえてこないのですが、残念なことに、それはわざとではなく、きっと「心から」なされていることでしょう。なんちゃら「へーかのおことば」という言い回しが、報道の言葉として使用されているのです。そもそもそれは、侵略戦争の最高責任者だった元神にしてその後人間であることを宣言したあれの孫の「おことば」なんですよ。この不正を敬語を用いることによって効果的に暴露するって営為が行われているようにしか見えないのですが、そんなふうにしか見えないのは8パーセントに帰属する「怖い人」だからですか。そうですか。



8月18日(金)なんの不思議もない
 
 ドイツの放送局が、巡航ミサイルを「武器ちょーだい」大統領を擁する国家へ供与することについて、賛否を問うアンケートを行いました。支持政党別では、環境のためなら人権などどーでもいい党を支持する68パーセントが供与に賛成でもっとも多く、次が福祉なんてほんとのことを言えば全面的に廃止したいくらいの自由主義者たちの56パーセントでした。なんの不思議もありません。エコロジーを始めたのがだれかとか、自由主義者でいられるのはなぜなのかとか、そういうことを一切問わないぺらい正義の人たちなら、「Tシャツに味方しなきゃ。ピカッ」ってなるのも道理ですから。


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8月19日(土)そらそうか?
 
 阪ちんの選手がセカンドへ盗塁を試みたところ、キャッチャーからの送球がそれ、それを倒れながら捕球しつつタッチを試みたショートの左足が完全にベースをふさぎ、つまりブロックした形となったため、スライディングした阪ちんの選手の足はベースにタッチできなかった、ということがありました。当初はセーフの判定でしたが、いい年をしてリーゼントの髪形をした、いまだに「番長」と呼ばれていい気になってる監督がリクエストした結果、判定は覆りアウトに。ベースがふさがれているのだからベースにタッチする可能性がなく、したがって走塁妨害だという主張に対して、ベースは「故意」にふさがれたわけではないから走塁妨害ではない、というのが審判団の判定です。この判定には、なかなか興味深いものがあります。



8月20日(日)これって
 
 「故意」かどうかがアウト/セーフの基準とされ、それを審判団が判断できたというのです。これって、あれと同じじゃないでしょうか。ビデオ判定が行われている間、解説者は、これがアウトとされてしまうと、今後「故意」じゃないという巧みな演技をしてブロックする選手が出てくる、と言いました。今回のショートは100パー「故意」じゃないけれど、ということをわざわざつけ加えてそう言うのです。実はそれもあやしいところがあるのですが、それはさておき、要するに解説者は、「故意」かどうかの区別をつけることはできない、と言ってるわけです。これって、あれと同じじゃないですか。



8月21日(月)ありえない可能性ってなんだ
 
 もちろん違うところはあって、この解説者はありえない可能性を口にしているとして糾弾されたりしていないし、根拠を示すこともなくショート・フォビアの発言だと言われたりもしていません。「故意」かどうかを見分けるのは簡単だ、「故意」に行っている者が「故意」に行っているのだ、などと見分け方専門家が登場したりもしません。



8月22日(火)「番長」
 
 ところでいい年をした「番長」は、リクエストが成功して手を叩いて大喜びしていましたが、この人、これが先例になるとか、そういうところまで知恵はまわらないんでしょうか。えっ、ないものはまわらない? そらそうよ。あるいは、そんな巧みなことをやらかすショートはうちのショートだけだって自信があるんですかね。あのプレーのことを試合後「身を挺した」ものと表現して、しかしそれ、妨害をゲロっちゃってることになるんだけど、そういうところまで知恵は…(略)。



8月23日(水)やっぱサイテー
 
 たしかに阪ちんファンはサイテーかもしれない。なんつっても、ある政党関係者の靴ペロ競争でしのぎを削るゲーニンなんぞに応援マナーがどうこうなどと規範を説かれてしまうのですから。三平師匠とは違って、笑いどころのサインすら示してくれないから、どこで笑えばいいかまったくわからない靴ペロの人たちですよ。だけどあそこの人たちに対してはペロペロペロペロひたすら靴ペロですよ。そんな方たちに規範の何たるかを説かれしまう人たちは、やっぱサイテーと言わざるを得ないでしょう。



8月24日(木)文字通りおまわり
 

 柴原警備隊が信号待ちのトップに立って、赤に変わった後、交差点に右側より突っ込んでくるカモから小遣い稼ぎするのを阻んだのが、先頭の軽。ぐっじょです。トップに立てなかった柴原警備隊は、交差点手前の左に曲がる道へ左折し、1周して一方通行の標識が立っているあたりに再度登場し、次こそ信号待ちのトップを目指します。もちろんトップに立ってもカモがいなかった場合は、交差点を渡らずにやはり交差点手前の左に曲がる道へ左折します。かくして、柴原のその周回道路のみを何度も何度もぐるぐると厳重に警備するため、柴原警備隊と呼ばれるそうです。



8月25日(金)BRICS
 
 BRICSのサミットが南アフリカであって、今後6ヵ国が加わる予定であることが明らかにされたとドイツの放送局が報道していました。BRICSが謳っている「公正な世界」に疑問符をつけて、ほんとかよ、というスタンスで記事が書かれています。あやしいのはたしかかもしれませんが、しかし少なくとも同じくらいの熱量で、G7とか批判したらどうなんですかね。あるいは、資本主義ドロボーごまかしすっとぼけとか。こんなんじゃ、広告屋=皇国屋と変わらないですよ。



8月26日(土)差別文化
 
 スペインサッカー連盟会長は、公衆の面前で堂々と人権侵害を行っておきながら、「文化闘争」を開始しました。「この国を愛しているが誤ったフェミニズムが…」だそうです。もしあれが「文化」だったのなら、「文化」が間違っていたのであり、間違った「文化」を無反省に反復したことの責任が問われているというだけの話です。女性の人権侵害も「文化」だから許される、なんてことが世界中でまかり通るのであれば、なんと皇国は世界標準ですよ。そんなことがあっていいわけないことは自明です。



8月27日(日)二次加害どころか
 
 大韓民国の女性DJに対する人権侵害について、「公開型のつつもたせなのだろう」と言い、「音楽フェスの主催者は彼女の芸に加担しないことだ」と言った人、ジブリの映画の監督だそうで、まあ、ジブリだから女性に対する人権侵害があっても驚きはないか、なんせ巨匠があれだしな、とするのはシニシズムなので、やっぱ明確に批判されるべきでしょう。ツイートはすでに削除しているそうですが、ちゃんと「私は人権侵害をやらかした差別主義者です」とおっしゃったのでしょうか。まあ、「恩返し」がどうのこうのという映画を作っちゃう人ですから、権利の話なんてわからないかもしれないですが、だったら学ばなきゃいけないですね。



8月28日(月)『ヨコクソン』
 
 『コクソン』は祈祷師やら悪霊やらが本気で扱われていて「俳優たちもよーやるわ」と思ったものですが、これはタイトルからいってその女性版なんでしょうか、魔が差して(!)借りてしまい、2分44秒で見るのを諦めました。これはたぶん、飛行機でどうしようもなく選択したゴミ映画『セックス・アンド・ザ・シティ』を上回る、史上最速キャンセル映画だと思います。ひょっとして見続けたらちゃんとした説明が行われるかもしれないので、このゴミとは違うのですが、そうじゃなかった場合のことを考えてやめました。



8月29日(火)『ビースト』
 
 『チェイサー』とか『悪魔を見た』とかみたいに、そこまでやらなくてもいいじゃんというのを久しぶりに観た気がします。にっちもさっちも行かなくなってしまうところも、なかなかでした。チョン・ヘジンねえさんのキレ方とかも最高です。70歳超えたじいさんが怖すぎる。70歳超えてもあんなことをするもんなんでしょうか。あれって、性欲とは無関係なのか、それとも性欲なのか。とんでもなく有名な俳優は出ておらず、いつも脇役の渋めの人ばっかだったと思いますが、たぶんいずれ2回目を観ると思います。
 
 
 
8月30日(水)畏れ多すぎる
 
 国内法では、おとり捜査というのは違法とされているように理解しているのですが、ひょっとしたらそうじゃないのかもしれません。いずれにしても、情報セキュリティがどうこうで、どこそこの部署から、ひっかけメールが送りつけられてきて、そのメールの指示に従ってどっかに接続しようものなら、アホアホ、おまえは何度言ったらわかるんだ、ボケ、と言わんばかりの勢いで怒られるのです。要するに送り手は、人を騙しておいて、騙されたやつを糾弾するという神さまみたいな人たちなんです。いやもう、畏れ多すぎる。
 
 
 
8月31日(木)どーせアホアホ
 
 そこで思いついたんですが、どーせアホアホなんですから、毎回毎回学習することなく、ひっかけメールにひっかかってあげるというのはどうでしょうか。これこそ、ヘーゲルの言う主奴関係というやつです。アホアホなので、メールに逆らうことができず、つまり死を選択することはできず、アホアホとして承認してもらうことを選ぶのです。そうすることによって、神さまたち(あれ、複数いるのか)はひっかけが失敗するかもしれないという生死を賭けた闘いにおいて、見事に生を賭けることができたわけで、ほくほくですよ。ですから、今後も、せっせとひっかかり続けるというのが承認論の王道というものです。



9月1日(金)そう言えば
 
 そう言えば、むかし似たような有名な話があったような気がします。地獄にいるやつを助けてやろうとなにかの糸を垂らしてやるわけですが、そいつが自分だけ助かろうとするのを見てやっぱり助けるのをやめた者の話です。それほど全知全能なのであれば、なにかの糸にすがる者が最終的には自分だけ助かろうとすることなど、わかりきっていたはずなのに、なにを確認しとんじゃ、って話です。実に腹立たしい、あんたは全知全能かもしれんけど、底意地の悪さにかけてはとても人間など及びもつかんわ、まっさきに地獄へ行くべきなのはあんたじゃないのか、という話です。



9月2日(土)次元が違う
 
 阪ちんが負けだすと、15年前の話が持ち出されるということが、続いています。15年前にも圧勝していたのに、最終的にはひっくり返された、という話です。この手の話をする人も、あるいはそうじゃない人も、つまり多くの人はわかっていません。阪ちんは、歴史なんてものがいかに無意味に繰り返されるかを、身をもって実証する試みに専心しているのですよ。ちまちまと「意図なんかありませんでしたー」とベースをブロックしたり、「意図なんかありませんでしたー」と死球を投げて骨折させたり、なんて低次元の手段を用いて勝つことばかりを考えているアホたちは違うんです。
 
 
 
9月3日(日)「意図」なんてどこにあるんだよ
 
 なんと昨日の今日で、またしてもちゃらいあの球団が一方的に負けそうになってる腹いせなのか、それともたんなるノーコンのうんこのなせるわざなのか、阪ちんの主力にぶつけました。あのちゃらい球団には、根拠も示さずに人に永久追放に値する罪を着せようとするブーがいますが、「意図はなかった」とアホなことを言ってのけるうんこの監督もいます。そう言う以上は、じゃあ「意図」なんてものがどこにあるのか、ぜひご教示願いたい。



9月4日(月)どうだ
 
 まあ絶対に言うアホが出てくるだろうとは思っていたけれど、「むかしなら報復だ」とか言うのがやっぱりいて、こういう人たちが1001やら明○大学やらを美化するんだよなぁと思わずにはいられません。そんなもん、たんにむかしは不正がまかりとおっていたってだけの話ですよ。あるいは、「むかしなら」なんてことを言うなら、「むかしなら」野球なんて存在しなかったよ、だから「むかしなら」あんたみないな野蛮なことを口にする者もいなかったよ、って話です。「むかしなら」そもそも人類も存在しなかった。どうだ。



9月5日(火)猛省
 
 文学部教務係の窓口で、怒鳴り散らかす白髪の老人を目撃してしまった。何があったのか、まったく知らないのではあるが、何か対応に不服があったのだろう、人権がどうのこうのと激昂していた。ひょっとしたら、人権侵害されたと思わずにはいられないようなことがあったのかもしれないが、しかしあれほど怒りたおしていては、窓口で怒鳴りつけられている事務の方おふたりにも人権があることなど、とても考えつかないだろう。「考えること」より「感じること」を優先なさる系の人だったのだろうか。先を急いでいたもので、すぐにその場を通り過ぎてしまったのだが、やはり「おせっかい」をすべきではなかったかと悔やまれる。少なくとも、相手が女性だから怒鳴ってるんじゃないんですか、くらいは言えたはずだ。



9月6日(水)ここにもそれ系
 
 もうとっくにお答えになったのだろうと思っていたが(そんなわけがない)、学会において根拠もなく「フォビア」呼ばわりなさった研究者が根拠を示すよう求められ、当該学会からも回答を要請されて1年、しかし返答はなされていないようだ。たしかに知的誠実性なんてものは、誠実性が意識哲学の残滓であることを考えれば、不要であると言えるかもしれない。しかし根拠もなく公の場で「フォビア」呼ばわりすることは、十分に人権侵害に該当するだろう。「フォビア」呼ばわりされた方によれば、返答をなさらない方は「私は差別だと感じる」とおっしゃっていたそうで、ここにもそれ系かと考えました。



9月7日(木)『第7鉱区』
 
 47分で見るのをやめた。もう少しで半分というところだった。いまさらながら、自分の志向が少しずつわかってきた。怪物系は苦痛で仕方ない。しかしオカルト系はもっと苦痛。ああ、努力すると自然法則が変更されるというなんちゃって平和論解釈「希望の論理」系オカルトは、笑えるけどそれは失笑なので不要。



9月8日(金)仕方ない
 
 各種 e-lerning 研修とかがとんでもなくたくさんあって(たとえば、アンコンシャス・バイアスに気がつかなきゃ、とかいう、自己論駁的なものとか)、どれを受けたか、どれをまだ受けていないか、わからなくなるわけです。そんなわけで、自分が受けたものについては「いいね」を押せば、自分のページの研修一覧には「いいね」マークがついて、一目瞭然ですよとかいうツールが開発されました。つまり、自分たちが作った研修に対して「いいね」をつけろ、とおっしゃってくるわけです。そんなふうに、公然とマスターベーションの手助けを要求されたってキモいだけなので、研修が終わっても「いいね」なんて押しません。だから、受けたか受けてないか、いちいちそのページへ行ってプログラムを開かないといけなくて、まあめんどーです。



9月9日(土)そらそうか?

 なんだかあれが現実味を帯びつつあるのですが、クリーン・エネルギーとか言って原発のCFに出ていた暴力男1001が監督だったころからしかトラのことを知らない人たちはさておき、そいつに負け、翌日甲子園で0−10で負けて、あれを逃したころを知るフリークたちは、そんなことが現実になってはいけないと、そわそわしているのではないだろうか。そんなことが現実になってしまったら、もう友だちにはなれないではないかとか思っているのではないだろうか。



9月10日(日)そらそうか??

 あるいは、もはや来年のことを心配しているのではないだろうか。きっと来年もこんなことが続くということはないだろう。だとしたら、来年はずっとつらい思いをしないといけないだろう。そのことを思うと、もうやってらんない、そう思う人たちも結構いるのではないだろうか。しかし他方、それでこそ安心もできる。やっぱ友だちだったと。なんつっても安心たいがすだから。



9月11日(月)まるでプロパガンダ

 なんと2週続けて土日に研究会があり、いずれの研究会においても発表してしまい、なんだか研究者のようだ。そんなわけで、出張先のホテルで日曜の朝、テレビを見る機会があったのだけれど、TBSが一生懸命中国の覇権主義を批判していてかなりびっくりした。そりゃ覇権主義は覇権主義だろうしいろんなところで軋轢を生んでいるのかもしれないけれど、それをわざわざTBSがまるでプロパガンダのように報告してみせるのがなんとも異様に思われた。「焦りがあるんじゃないか」とか分析して見せるコメンテータがいたけれど、あなたたちもずいぶんと焦っているように見えますよ、と思いました。



9月12日(火)なんじゃそりゃ

 研究会のなかで、親子関係が主題化されるときがあり、親権がなくなれば親子関係もなくなるでしょ、と言ったら、親権の有無とは関係なく親子関係というものはある、と言われ、いったい何のことなのかさっぱりわかりませんでした。ひょっとして『砂の器』的な話なんでしょうか。あるいは、DVやらかして妻に出ていかれ、妻との関係とガキんちょとの関係は別だよ、と言ってのけるパパの話なんでしょうか。いや、素朴に、法的な関係以外の親子関係がいったい何を指しているのか、わからないだけです。



9月13日(水)鏡職人

 外務大臣の名前に見覚えがあると思ったら、なんと、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒したその果てに国家による殺人を命令した鏡職人の方じゃないですか。法務大臣なんて目立たないから嫌だとか言ったアホに比べて、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒すだけのことをしてその暁に国家による殺人を命じる人なんですから、なんとも立派な方です。外務大臣として、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒していったい何をしてくれるんでしょうか。もう、わくわくします。うそ。



9月14日(木)やってしまった

 途中からヤバそうになったので見るのをやめて風呂に入り出てきてこわごわ確認したら、なんとあれが実現されていた。あんなはらはらどきどきをリアルタイムで見ていられるほど心臓に毛は生えていない。貴族趣味のアドルノからは批判されるが、貴族じゃないのでダイジェスト版で十分だ。セカンドがフライを捕ってゲームが終わったところで、もう次に見ることはないだろうと思ったのだが、そんな感想が一番最初にやってくることはまったく予想していなかった。



9月15日(金)もうやめたらどうだろう 

 それはそうと、いい加減、ビールかけとかやめたらどうだろう。ああいうのは体育会メンタリティの典型的な発露の仕方だと思うのだが、プレーにおけるせっかくのすぐれたパフォーマンスを台無しにしているとか考えたりしないのだろうか。そこまでして広告屋=皇国屋の言いなりにならなくてもいいものを、進んでやらかしてしまう。9月に参加した研究会では、いずれの機会においても、適応的選好への言及があった。だからこそ自律が重要なんだ、ではなく、むしろ自律こそが適応的選好を招くのだろうと思ったが、いずれにしても自律的にビールかけを行う人たちって、たんてきにどうかしてるだろう。



9月16日(土)提灯行列
 
 存命中の人物で特集を組んだりしても、そこには提灯行列しか見出されないと思うのですが、ひょっとして最高の冷笑主義を狙っているのでしょうか。いや、失笑しかありませんけど。あるいはもしかして、「君、胸いくつ?」とハラスメントをやらかしていた現実もきちんと暴露されていたりするんでしょうか。酔っぱらってはハラスメントを繰り返し、反省文を書かされてもなおハラスメントをやめられなかった方が書き手に名を連ねているようでは、そんなまじめな話は不採択でしょうね。



9月17日(日)わはは
 
 インターフォンの更新工事があるので午前中は在宅せよ命令が出て、午前中とは幅が広いなぁと思いましたが、11時には工事が完了しました。インターフォンをいじるって、韓国映画を愛好する者としては、もうなにかあるに違いないと思わずにはいられませんでしたが、しかしまあストーリーどおり、とりあえずはなにも気づかないことにしておきます。さて、工事が完了した後、いとしの職場へ出かける準備をしつつ、日曜日になにをフツーに出勤する準備をしているのだとわれに返り(おぉ、返る「われ」は実在するのか)、予定を変更して自宅警備に務めました。なるほど、インターフォンの更新→あやしい→警備とは、うまいこと話がつながった。
 

 
9月18日(月)毀誉褒貶
 
 18年ぶりの優勝を決めたことで、阪ちんの監督をほめちぎる言説が飛び交っていて気持ち悪くなるほどですが、なるほど資本主義とはそういうことなんでしょう。阪ちんOBは、たいていがあんただれって感じの人たちが声高にたたえています。またジャイアンツOBなのに、ジャイアンツの一員だったのに、雑草がどうこうと言ってるような人までもが阪ちんの監督のことを語っていて、ああ、あなたはそうやって生きてきたんですね、たしかに雑草のようにたくましいわと思わせくれます。文春は一貫して監督のことをけなしています。友人が少ないとか、ほとんど小学生並みの悪口の言い方で、それはそれで笑えます。ところで、友人が少ないといけないんでしょうか。



9月19日(火)ケ○の話
 
 行政府の長によると、「女性ならではの感性や共感力」というものがあるそうです。ほほう。それはいったい何なんでしょうか。「多様性」とかって、なんのことやらさっぱりわからない呪文のような言葉を用いるのではなく、いくつか具体例を示してくださるとよくわかると思うのですけどね。まあ、「共感力」はひょっとすると具体的かもしれません。そしてそれは「女性ならでは」なのですね。なるほど。普遍主義的な正義ではなく、あれ(≠優勝)を可能にするものですか。だから「女性ならでは」だと。ああ、よくわかりました。



9月20日(水)ゲロ吐きそう
 
 ドイツの外相が、わざわざアメリカまで行って、いくらFOXニュースのインタヴューとは言え、公式にひとつの国家の主席のことを「独裁者」と呼んだそうです。さすが、600万人を虐殺した総統を輩出した国民の一員として、「独裁者」にはお詳しいようです。いったいいつから人のことを「独裁者」呼ばわりできるほどに立派になられたんでしょうか。ハーバーマスは、ナチスを生み出したのと同じ生活世界を生きる自分たちには、当然責任があるんだと言ってたと思いますが、ドイツの外相はとっくに過去を克服している派なのか、あるいはそんなの私には関係ない派なんでしょうか。いや〜、立派すぎてゲロ吐きそうです。



9月21日(木)独裁者判定の専門家
 
 この独裁者判定の専門家は、ウクライナが勝たなければならないともおっしゃったそうです。実現されないといけないのは、てっきり平和だと思っていたのですが、さすが独裁者判定の専門家だからなのか、実現されないといけないのは勝利だそうです。この人、SPDの人だと思っていましたが、違いました。緑の党の人なんですね。「武器ちょーだい」男に対して、早くから武器供与を主張してきた人たちの一員です。そうやって武器商人たちを儲けさせることについてはなんとも思わないんでしょうね。でも、大好きな環境も破壊されますよ。悪いのはプーチンだ、って言うのかもしれませんが、でも環境は破壊されますよ。実のところ、そんなことはどうでもよかったりして。



9月22日(金)私ではない
 
 大阪のわんわん本部に2342回にわたって電話をかけていた方が偽計業務妨害の疑いで逮捕されてしまいました。「「バーカ」などと暴言を繰り返したり」とか報道されていますが、それって「暴言」なんですね。しかし「よっ、秀才」とかって言った方がよっぽど「暴言」ぽいですが…。わんわんの「業務を妨害したつもりはない」とおっしゃっているようで、だったらこの「つもり」の共同体においては無罪ではないのでしょうか。ともかく、大阪わんわんが「嫌いで電話をかけた」そうです。他山の石。



9月23日(土)私です
 
 今日も朝早くから猪名川の堤防でご活躍なさっている横を通り過ぎましたが、ここで真実を口にすると真実を口にしているだけなのに真実を口にしたがために「暴言」と言われてしまうので、しかしそんなふうにして誤った規範を内面化させることこそがあっちの狙いでしょうから、聞こえないように囁くように真実をつぶやいておきました。それにしても、堤防って国交省の管轄だと思うのですが、だからそこでご活躍なさるにはそれ相応の条件を満たす必要があると思うのですが、それとも大阪わんわんは超法規的存在なんでしょうかね。



9月24日(日)ちゃんと鑑定してください
 
 もうひとりのあの候補者よりかはマシだろうくらいの理由で大統領になってるじいさんが、議会の合意を得ることなく、「武器ちょーだい」男に武器供与やら資金援助やらを確約したのですが、独裁者鑑定士であるドイツの外相には、このじいさんは「独裁者」には見えないのでしょうかね。歴史から学ぶことにはうるさいはずの鑑定士なのに、アメリカがイニシアティヴをとり始めるとすべてろくでもないことになるという歴史をご存じないのでしょうか。まあ、緑の人なので仕方ないですけど。



9月25日(月)「尊厳」を語る人
 
 ある学会のプログラムを見てしまったのですが、ある方が「尊厳」について論じるそうです。その方って、学生にご自分の図書利用票を使って本を借りてくるよう「お使い」をさせ、それが何重にも不正であることを指摘されても無視した方ですよ。なるほど、そういう方が「尊厳」を語るわけですね。よくわかります。要するに、「尊厳」なんて、その程度のものだということです。正しさとはなんの関係もない。いくら不正をやらかそうと、このオレ様には「尊厳」があるぞ、ということなんでしょう。はいはい。ゲロ吐きそう。



9月26日(火)「尊厳」を奉じる人
 
 そう言えば、国連でも人間の「尊厳」をくっちゃべった行政府の長がいたそうですね。議場はがら空きだったのに、聴衆がかたまって座っているところだけを撮影した偽装を暴露されていました。ところで「尊厳」は、行政府にとってはすこぶる都合がいいんです。だってどっかのじいさんが言ってたように、「尊厳」の対概念は「価格」であって、事物には「価格」をつけられるけれども人間には「尊厳」が備わっていて「価格」には還元できないからです。権利侵害には賠償が対応しますが、「尊厳」は侵害したって価格には換算できないんですよ。つまり、人間の権利ではなく人間の「尊厳」を奉じる者は、新自由主義者だというわけです。
 
 
 
9月27日(水)『奈落のマイホーム』
 
 なんかこういうの好きですよねーとしか言いようがない話でした。名もないおとうさんは子どものために頑張るぞ、おかあさんは無力感にさいなまれながら精一杯応援するぞ、というやつ(この順番も重要)。この監督の『第7鉱区』は、怪物系だから見るのをやめたのでしたが、実は、怪物系が本格化する前から、亡き父とその娘がどうしたこうした系の話なので、うっとうしいと思っていたのでした。父と娘の話にするなら、チェ・ミンシクの『ザ・メイヤー』くらいにしないと、もう『凡児の娘をよろしく』でいいじゃんて。
 
 
 
9月28日(木)『ハード・ヒット 発信制限』
 
 うー、どんな話だったか忘れてしまった…。たしか主人公があこぎなことをやり、復讐されるという話だったような気がする。しかし反省して組織ぐるみの悪事を暴露したからそいつだけは助けてもらえるという、えー、そんなのありかよ、って話でした。そもそもその俳優、顔が元知事・元市長に似てるから、むかしから嫌いだったんです。復讐する側は、『操作された都市』の「隊長」ですからね、どうしたってこっちを応援しますよ。そんなわけで、2度見ることはないと思います。



9月29日(金)「気にするな」
 
 頼まれてもいないのにわざわざ政党名に元号をくっつけている臣民政党があって、そこには「気にするな」「怖がるおまえが怖い」発言で有名な方も所属されていますが、その方は「一生懸命に生きてる人の「STOPインボイス」の叫びに対して、議員会館で聴いている議員がふみにじる言動が許せな」かったそうで、ルッキズム丸出しで「ちっちゃい奴だな!(器が) との批判をこめて「ちんちくりん」と言」ったそうです。許すとか許さないとか言う前に、そんなことを「気にするな」。「容姿への批判と受け取られる言葉であった点につきまして反省しています」とか言ってますが、どーせ反省なんてしてないんだから「気にするな」。



9月30日(土)多様なセクシュアリティ
 
 例によって自分が不正アクセスやらかしたことを自慢してみずから自分自身のことを「天才」と呼ぶアホからゆすりのメールが届きました。「絶頂を迎えている動画をネット上で公開することだって簡単」だそうです。ふーん、そりゃよかったね。こいつがダメなのは、「そんな姿を晒されたくはないと思います」と決めつけていることです。ごていねいに「監視」なさっていたわりには、他人のセクシュアリティについての理解があまりにも凡庸です。いったいなにを見ていたんだと言いたいくらいです。どうして「そんな姿を晒されたくはない」と思っているに違いないと考えたんだよ。ポンコツか。人からカネをせびり盗ろうとするのなら、まずは人々の多様なセクシュアリティを学んでこい。話はそれからだ。



10月1日(日)ひとり不買運動
 
 「感動したっ」のバ○息子をCMに起用した時点から(ほんとはもっと前からだったような気もしますが)、その企業の商品についてひとり不買運動を展開してきた者としては、そこの社長様が「国民皆保険ではなく、民間がこの分野を担っていったらどうかと思います」とか言っても、何の不思議もありません。しかしこの共同体におけるハーゲンダッツの40パーセント出資企業だとは、不覚にも知りませんでした。まあ、とりたててハーゲンダッツなんて買うわけじゃありませんが、これでまたひとり不買運動を展開する対象が広がってしまいました。



10月2日(月)「痛み」には政治が宿る
 
「無痛分娩で失うもの」とかなんとかいうタイトルのシンポジウムがあってどっかの名誉教授みたいなのがくっちゃべるみたいですが、んなもん、そんな立派な先生を呼ばなくたって、「失うもの」なんてわかりきってるじゃないですか。分娩の際のなくせるならなくせた方がいいに決まっている「痛み」と、分娩の際のなくせるならなくせた方がいいに決まってるのにそれを経験することによって「母」になるんだとかいうくだらなすぎるイデオロギーまみれの「痛み」ですよ。ああ、そういうアホアホ言説を垂れ流すやつらはそういうアホアホ言説を垂れ流す機会を失うけど、そんなことは知ったことではない。



10月3日(火)『悪魔の倫理学』
 
 例によって2度目だけれども、ほとんど覚えていない。だけど同じ感想をもったことはほとんど確信できる。国立大学教授はたしかに権威主義的でいやらしいやつかもしれないが、しかし権威主義的でいやらしいことは少なくとも適法的だろう。どう考えたって、魅力の点でこの教授の足元にも及ばなかった、高卒をバカにするしか能のない大卒だけが自慢の殺人者が不正であり、こいつが罰せられるべきだ。なのにこいつ、自殺するとか言ってたくせにのうのうと生き続けるわけだ。大声出せばいいと思ってるルサンチマン丸出しのわんわんとか、きっとニーチェがもっとも嫌う人物だろう。そんなわけで、やっぱ「倫理学」は意味がわからん。
 
 
 
10月4日(水)小物
 
 怪物の江川が自分のチャンネルにゲストとして招いたときに、「本日のゲストは小物です」と紹介した、文字通り小物の元プロ野球選手がいます。この人がなぜ、野球解説者のような顔をして野球解説のようなことを行っているのか、まったく理解できないのですが、優勝監督に、コンプラやらパワハラやらを考えているかどうか尋ねたそうです。この小物、自分のチャンネルで、女性のアナウンサーにアシスタントをさせ、彼女に向って、秋はクビになるかどうかプロ野球選手にとっては過酷な季節だが、おまえなんかクビになってもキャバ嬢やればいいから気楽だろ、という何重にも差別丸出しの発言をしたのでした。なんでのこのこ顔を出しているのか、さっぱりわかりません。



10月5日(木)補完装置
 
 自助→共助→公助の順番だと行政府の長が新自由主義丸出しで堂々と言ってのける共同体において、その住民の92パーセントが臣民であることを考えれば、「ケア」が新自由主義を補完する装置であることは、ほとんど自明ではないでしょうか。つまり、増税メガネ→増税クソメガネ→増税クソレーシックへと「進化」していった方と、「ケア」を奉じる方は、少なくともこの臣民共同体においては、それほど遠くにいるわけではないどころか、むしろ手と手を結び合っていることでしょう。そんなわけで、資本ーネーションー国家の三位一体を考えつつ、しかしネーションには甘く見えてしまう議論には、批判的でありたいところです。



10月6日(金)シニシズムが過ぎる
 
 イランで収監されている人権活動家に平和賞って、なんだかそのあざとさが鼻につきます。その平和賞って、この共同体の行政府の長だったやつがかつて受賞したような代物なんですから、まあ、ろくでもないわけですし、きわめて政治的なんですよ。スウェーデンには国王なんぞがいるわけですが、こんなものをいまだに温存し続けるやつらが他の国家のありようにいちゃもんつけるなんて、まるでスウェーデンさまじゃないですか。軍事同盟であるNATOにだって加盟するんですよ。ったく、シニシズムが過ぎますね。



10月7日(土)「だから○玉」
 
 「だから○玉」って笑い話ではすまない条例案。子どもが公園でひとりで遊ぶことも、子どもがひとりでお使いへ行くことも、子どもがひとりで留守番することも、「置き去り」認定だそうです。さらに、さらに、「通告義務」もあると。要するに、チクらないといけないわけです。パブコメで9割くらいが反対してても条例案を可決しちゃう「だから○玉」ブランドなので、このようなゴミ条例案も可決成立してしまうのでしょう。それでこそ、「だから○玉」とは言える。



10月8日(日)共同体仕様
 
 あの大学で、「相撲部などの運動部の学生に対し「単位を出して欲しい」と職員から求められ、教員が成績を改ざんしていた可能性があることがわかった」そうです。京都にある私立大学でドイツ語の非常勤をしていたころ、ドラフトにかかったやつに単位を出すように職員から言われ、困惑するドイツ人(非常勤)の嘆きを聞かされたことがありました。「なぜ、単位を出さなければいけないのか?」と尋ねたら、「お願いします」と返答されたと。AIって、こんな「高レヴェル」の会話もできるようになるんだろうか。



10月9日(月)不法行為
 



 
帰ってきたら、わんわんバイク(あるいはコスプレ好きによる模造品)が玄関前に停められていました。これって、不法駐車じゃないのでしょうか。そんなわけで、ばっちし収めました。そして帰宅すると、ゴミが玄関の牛乳入れ(?)にありました。マンションへは、善良な市民のおかげで入れちゃったのでしょう。そのへんは、まあ共用部分だから善良な市民に免じて見なかったことにしてやってもかまいません。しかしポーチは、個人の持ち物であり、立ち入るには持ち主の許可が必要ではないでしょうか。わんわんなんかに立ち入りを許可した覚えはないんですけど。このわんわん、みずから不法侵入であることを認めています。だって「クロだ」って名乗ってますからねー。



10月10日(火)たまには先に出せ
 
 BBCによれば、イスラエル人は「殺される」けれども、パレスチナ人は「死ぬ」だけなんですね。パレスチナ問題というのは、そもそも世界に先駆けて世界の不正をやり倒してきたいまだに国王なんぞがふんずりかえっている国家に端を発しているという事の真相は、どうなってるんでしょうか。BBCのことですから、どーせいつものように後出しじゃんけんでしょう。攻撃があたかも突然行われたかのような報道がなされていますが、言うまでもなく、背景があるわけです。背景を報じてこそのメディアじゃないんでしょうか。



10月11日(水)ぺらすぎる
 
 差別をしないマジョリティと差別をするマイノリティであれば差別をしないマジョリティであることを選択すると、高らかに宣言される方は、ひょっとしてマジョリティとかマイノリティとかは数の問題だとお考えなんでしょうか。そしてマジョリティとマイノリティの間で構築される差別は、心の問題であって、差別をしようとするから差別が生じ、差別をしようとしないなら差別は生じないとお考えなんでしょうか。宣言をなさっている方は、数の上では「マジョリティ」の一員でも、差別をしない善良な心をもつなら問題はない、とお考えなんでしょうか。これって、ぺらすぎるにもほどがあるという事例ではないでしょうか。



10月12日(木)「こっちの暴力を優先しろ」
 
 ドイツの放送局によれば、キエフの政府(要するに、「武器ちょーだい」)は、イスラエルとウクライナは同じ戦争を行っているのだと世界に伝えようと試みているそうです。わざわざ試みなくたって、それは広く知られていることだと思いますよ。ただ、こうアピっとかないと、武器をくれなくなっちゃうかもしれないからですよね。おまえんとこより向こうが先だ的な。いやいや、こっちが行使する暴力を優先しろーーーって言いたいんですね。そういやぁTシャツ、かつてはイスラエルにも「武器ちょーだい」って物乞いしてませんでしたっけ。



10月13日(金)過去の「実績」
 
 イスラエルとウクライナが同じ戦争を行っていることは、広く知らされています。いやもう、自由主義社会という建前はかなぐり捨てて、一方の軍事同盟に加担しイスラエルとウクライナを被害者とする報道が行われてしまうのですから(NHKで、ハマス側の累積死者数がイスラエル人のそれより多い、という報道が行われていたそうで、「おぉ」と思いました)。ほんの20年前に、大量破壊兵器があるといちゃもんをつけ、査察によってないことがわかると、大量破壊兵器を製造する可能性があるといちゃもんの内容をかえ、主権国家を爆撃して大統領を国民たちに裁かせ処刑させたやつらのことを肯定し、しばらくしてから自己正当化のために批判して見せた過去の「実績」が忘れられないんですね。
 
 
 
10月14日(土)ひどい話
 
 近隣の自治体で、人権総合講座なるものが開かれていますが、連続講座の1回分を担当するはずだった方が、当該講座を主催する研究所の協力者からのクレームにより、すでに広報がなされているにもかかわらず、依頼取り消しの連絡を受けました。その方を講師としたままでは、その協力者からの協力が得られなくなり研究所運営に支障を来すことを懸念したためだそうで、研究所自体が、主張の適否を判断するものではないそうです。この方の担当回をなくしても、研究所運営に支障は来さないが、その協力者の言う事を聞かなければ研究所運営に支障を来すから、講演依頼を取り消すというのであれば、ここには明確に「力」が働いていることになるでしょう。この程度のことすら考えることもなく、相容れない考えの方と同じ連続講座をもつことを拒否するのは、節操のあることだと言ってのける人もいますが、まあ、節操なんて所詮はそういうものだということでしょう。
 
 
 
10月15日(日)損得総合講座
 
 せめて研究所は、あなたの見解にはこれこれこういう問題があり、講座という公共圏においてそうした見解が披露される可能性があるとしたら、それは未然に防ぐ必要がある、と言うべきでしょう。あなたのことはキャンセルしても損害はないが、協力者にキャンセルされたら損害があるんだというのは、およそ人権総合講座にふさわしくない物言いではないでしょうか。このありようは、学会発表において人の書いたものについて「フォビア」と断定し、根拠を問われても答えないままでいる発表者を、放置し続ける学会の姿勢と同一でしょう。節操なんてものはどうでもいいですが、人権総合講座とか学会とかだってその程度のものだ、と言ってしまうのは、シニシズムにほかなりません。



10月16日(月)パターン思考
 
 「社会秩序のタガが外れる」とか、完全に右翼の発想、とおっしゃる人は、アナーキズムを信奉なさっているのでしょうか。しかし自然状態が、だれもが自分が正しいと考えることを行う権利をもつ状態であるとすれば、そこにおいてだれの権利が優先されるかを決定するのは結局は「力」だってことになるわけで、アナーキズムを信奉できる人なんて、所詮は「力」をもってる人なんですよ。規範が理不尽なことは、そんなもんたいていの人は知ってるわけで、しかしその理不尽な規範の中でなんとか生きていくしかなく、じゃあどうすればその理不尽さを少しでもましなものにできるかを考えているんですよ。規範を語る者は右翼だとか言って、人をバカにする前に、そうした言説を可能にする前提の権力性を問うたらどうでしょうか。



10月17日(火)その歌手について
 
 その歌手は、若いころから自分が保守主義者と言われていることを知っていて、「保守主義者で何が悪い?」(保守主義者だから悪いんですけど?)と言ってましたが、いつの間にやら関西ローカルの下ネタ歌手から死んだら中国メディアで報道されてしまうほどの人物になっていたようです。また保守主義者は保守主義者として、侵略戦争の最高責任者の息子の在位10周年記念式典に呼ばれてひょこひょこ出かけて行ったのでした。ところがその式典には、あの竹下景子も出席していて、「あわわ」ってなります。



10月18日(水)戦争させたいのでしょう
 
 安保理がロシアによる停戦案を否決した後で、ガザ地区の病院に爆撃が行われたということは、安保理はガザ地区の病院への爆撃に道をひらいたということですね。ロシアの停戦案が気に入らないのであれば、ブラジルのように独自案を出すべきでしょうが、そんなことはせずに停戦案にただ反対しただけの皇国やらNATO加盟国は、要するに戦争はとめたくないということなんでしょう。武器商人は儲かりますからね。戦争してくれないと、戦争による人殺しを生業とする武器商人は失業しちゃいますからね。よくわかります。今後、2度と人権がどうのこうのとか言っちゃいけません。



10月19日(木)大量発生



 カメムシが大量発生中だそうですが、昨日はモノレールの駅前ロータリーにわんわんが大量発生していて、朝から不愉快きわまりありませんでした。不愉快だけでは、「お気持ち」の問題になってしまうので、わんわんがいかに不正であるかを示すために、わんわんがまさしく不正をはたらいている現場を写メっておきました。「豊中市」とか「阪急バス」が駐車禁止を謳っても、自分たちは超法規的存在だと勘違いしているんでしょうか。そもそもこの大量発生していたわんわんが唯一正当化された暴力の担い手であるかどうかも、定かではありません。たんなるわんわんのコスプレ好き(なにもそんなに自己を貶めなくてもいいのに)かもしれませんからね。もちろん「とっとと消え失せろ」と言ったのですが、消え失せてくれませんでした。



10月20日(金)ジジェク
 
 ジジェクがフランクフルトのブッフ・メッセで、報道のあり方について言及していました。ハマスを批判するにせよ正当化するにせよ、背景を知る必要があり、一方に偏った報道ではいけないと。まあ、当たり前のことではありますが、しかしそうなっていないという現状認識があるのでしょう。マインツのサッカー選手がパレスチナに賛同するポストをしてソッコーでクビになるとか、まったくどうかしています。バトラーが言ったように、当たり前ですが、イスラエル批判と反ユダヤ主義は別物でしょう。いろんな案件で同じようなことが起きていて、大手メディアとかこの共同体においては皇国屋とかの犯罪だと思います。



10月21日(土)『ハント』
 
 設定が80年代だからなのか、チョン・ヘジンねえさんがへんてこな髪形で残念なことになっていたと思います。人民主権と世襲制は矛盾するという当たり前の指摘がありましたが、なるほどだから世襲制のこの共同体は臣民共同体なのか。そういう意味ではこの共同体は矛盾することなく首尾一貫しているわけか。もちろん、正義よりもケア、公的な法よりもぼくが普遍化可能だと考えた格率が優先されるところまで、まったく地続きだ。



10月22日(日)ハイキング日和
 
 今日は職場が停電の日なので、さすがに出かけるわけにはいかず、自宅でぼんやり過ごすことになってしまった。外は冷たい空気が入っているもののいい天気で、もう絶好のハイキング日和だったが、よく考えたらハイキングは、キャンプファイヤーとかキャンピングとか、海水浴とか花火大会とかと同じくらいに苦手なジャンルに属しているのだった。おまけに最近ヘルニーがうずうずし始めていて、極力歩きたくない。もっとも、最凶ヘルニーは、座っていても関係ないのではあるが…。そんなわけで、遠くない将来に退職したら、毎日こんなふうに過ごさないといけないのかと、かなり憂鬱になった。



10月23日(月)ううう
 
 ううう、イ・ソンギュンが薬物疑惑で刑事立件だそうです。チョン・ヘジンが悲しむとか、考えなかったのかよ。



10月24日(火)残念
 
 犯罪行為をネタに強請られて、強請られ続けるくらいなら、もう公にした方がいいだろうというところとか、半分正義を重んじつつ半分計算高いのは役柄にはぴったりだと思いますが、しかしそれを現実でやると、もう俳優として復帰できないかもしれないそうです。やたらポンのクソ映画出演のことばかりが取り上げられていますが、あんなのより、『教授とわたし、そして映画』のクズ教授とか、『PMC:ザ・バンカー』の声のいいDPRKの科学者とか、『僕の妻のすべて』の夫とか、よかったのになぁ。残念極まりない。



10月25日(水)権利侵害でしょ
 
 浪速大学のある部局の講師が盗撮行為で書類送検され、調査の結果、2018年以降繰り返し行っていたことが判明しました。講師は諭旨解雇という懲戒処分を受けましたが、ある大学関係者は、「高い倫理観を持って教育研究を行う立場にある者としてあるまじき行為であり、かかる行為は決して許されるものではなく、厳正に処分いたしました」とコメントしています。盗撮行為は権利侵害であり不正だから処罰の対象になるのだと思いますが、少なくともこのコメントだと、「倫理観」が問われることになっています。「倫理観」が問われてしまうんですかー。
 
 
 
10月26日(木)倫理観すか
 
 倫理観なんて、共同体に相対的であり、倫理観の高低なんて、当該共同体の価値基準によって測られるものです。共同体の価値基準をほいほい受け入れられる共同体主義者はいいかもしれないけど、少なくともリベラルは、そんなに簡単に価値基準を肯定したりはしないでしょう。そうすると、その人は低い倫理観をもつ人とされてしまうかもしれないし、それどころかそもそも倫理観をもたない人とされてしまうかもしれません。しかし共同体の価値基準なんて批判的にみることこそ、大学で学ぶべきことじゃないんでしょうか。



10月27日(金)当たりそう
 
 4勝1敗で、オリかな。初戦は2安打完封。2戦目はオリが前半から大量得点。3戦目に阪ちんがなんとか勝つけど、4戦目にオリが王手をかけ、5戦目で「好投したんだけどねぇ…」という結末。常勝軍団とか持ち上げられたのが嘘のように、早くも来年にはダメトラと言われ始め、暗黒時代が続き、次はまた18年後。まあいいや、その間、哲学研究が突如として隆盛をきわめることになり、各大学に哲学部が設置されることになってるから。
 
 
 
10月28日(土)『監視者たち』
 
 もう何度目かわかりませんが、観るたびに国家による暴力を許せない度合いが高まっていきます。こんなふうに監視カメラが正当化されてしまう社会を、オーウェルは予想していたでしょうか。オーウェルは反共主義者なので、共産主義社会がこういう恐ろしい社会になると考えつつ、資本主義社会は自由でよかったねくらいに考えていたのではないでしょうか。国家暴力の側の死者がめっちゃていねいに描かれるのに対して、ソーセージ好きのキモいおっさんの死にざまなんて実に哀れなもんです。最後なんて、もっと警官に銃を使わせろ、ってメッセージですからね。しょーもな。

 

10月29日(日)ほかにだれか
 
 アラブ諸国主導の停戦決議案が国連総会で賛成多数により採択されましたが、諸悪の根源イギリスは棄権、皇国はよく賛成しなかったねで棄権、ドイツはだらしなく棄権。この状況で、イスラエルに連帯しないとナチスを肯定したことになるなんて考える方がおかしいのに、いったいなにを内面化してるんだか。フランスが賛成するにはそれなりに利害計算があるんでしょうけど、ともかく停めなきゃダメなことはダメだと小学生だってわかる話じゃないのか。イスラエルを公的に批判している知識人は、管見の及ぶかぎりではバトラーとジジェク。ほかにだれかいるのだろうか。



10月30日(月)とほほ
 
 第1戦は、勝ち負けこそ逆だったものの、2安打完封は当たってしまった。第2戦は、これはもうほとんど未来において見てきたんじゃないかくらいに自信があって、やはりそのとおりになってしまった。とりあえずここで使っておけば、もう後の方の大事なところで使わなくてすむ、とかいう深謀遠慮があったのではないかと思われるほどだけど、しかしだったらまったく使わなきゃいいんじゃね、という話もないわけではない。予想では阪ちんは1勝しかできないはずで、すでに勝ってしまったので、明日からはすべて負けか…。とほほ。
 
 
 
10月31日(火)困ります
 
 油断していて、「伊藤5回4失点KO」とかいう文字列をうっかり目にしてしまったので、もう今日はとらわれないですむと思っていたのに、寝る前に、「サヨナラ」がトレンド入りしていて、「おぉ」って思ってクリックしたら、その汚らしいひげ剃って来いよ男のクソボールを阪ちんの4番が豪快に空振りするシーンを目にしてしまった。ちゃんと見出しは「サヨナラ失敗」にしておいていただかないと困ります。



11月1日(水)『悪女』
 
 英語吹き替え版が無料配信されていたので、観てしまいました。相変わらず、って当たり前ですが、最後の方はとんでもなく凶暴になっていて、おっとろしいかぎりです。永遠平和がどうのこうのとか授業を行っている人が、お勧めの韓国映画は何ですかと訊かれて勧めるのがこれですか、と言われたことを思い出しました。だってあの爺さんによれば、何をしようと自然が永遠平和を保証してくれるらしいですよ。どっかのマヌケとか、そんな与太話に乗っかって、「希望の論理」とか寝言を言っちゃったりするくらいですよ。



11月2日(木)言論封殺
 
 近隣の自治体で開かれている人権総合講座の1回分を担当するはずだった方が、当該講座を主催する研究所の協力者からのクレームにより、すでに広報がなされているにもかかわらず、依頼取り消しの連絡を受けた件、結局その当日までに話し合いの機会がもたれることもなく、講座は開かれなかったとのこと。受講者に取り消しの連絡をしたから、なんてことが依頼を取り消すことを正当化しないことは自明です。なぜ受講者に取り消しの連絡をしたのか、その理由を明らかにしなきゃいけないんですから。こんなの「力」による言論の封殺以外の何ものでもないでしょう。
 
 
 
11月3日(金)今日はサイテーでも負けない
 
 ちょっと予想がはずれ始めていますが、とはいえオリが有利であることに変わりはないでしょう。初戦と同じようなことが2回も続けて起こるとは考えられない一方で、第2戦と同じようなことは2回続いてもなんの不思議もありませんから。そんなわけで、西宮市から大阪市への移動日の今日がもっともしあわせかもしれない。(と書きつつ、西宮市って、かつてプロ野球の球場をふたつももってたんだな、と今更ながら感心タイガース。)



11月4日(土)そらそうよ
 
 投手4冠を3年連続達成しているようなエースを2回連続で打てますかって。もう、1点とれただけでもスゴいわ。それよりも収穫は、2戦目に投げさせた人を今日もまた投げさせて、明日使わない口実ができたことでしょう。セ・リーグでのアレを決めたとき、全体で写真を撮り、その後、投手たちだけが集まって撮影する様子を撮った動画がありましたが、この人、そこにはいなかったんですよ。明日先発予定の人は、控えめに、その集団の後ろにいましたけどね。「そういうことやんか。」
 
 
 
11月5日(日)はずれた
 
 予想が完全にはずれてしまいました。相手投手、ホームゲームなのに応援がほとんどいなくて、実に気の毒でした。相手監督は、マスコミに対してサーヴィスが足りない人だそうで、めっちゃいいじゃないですか。「そらそうよ」の監督も、負けるとマスコミに塩対応で、そっちの方が断然面白い。
 
 
 
11月6日(月)38年ぶり
 
 なんと38年ぶりだそうで、38年となると、この間とんでもなく長かったことになる気がするけれど、印象としては、85年の21年ぶりの方がはるかに長かった感じがするのは、たんに年齢の問題でしょう。85年の1,2戦のときは、たしか王子公園の陸上競技場で秋季大会が開かれていたはずで、船岡山あたりにある大学の女性短距離ランナーが、チームメートの男たちに「バース、ホームラン!」と、情報をうれしそうに伝えているのをこっそり見聞きしてしまいました。いやいや、「こっそり」はあくまで結果であって目的ではありません。言うまでもなく。



11月7日(火)『ザ・ネゴシエーション』
 
 英語吹き替え版が無料配信されていたので、ムカつきながら見ました。じゃあ、見なきゃいいのに。まったくその通りです。もちろん政府高官やら軍人やら警官やらが不正なのは許されてよいことじゃありませんが、だからってその悪事を暴露するこのすかしたやつ(ヒョンビン)が正しいってわけじゃ毛頭ありません。そもそも武器商人なんですから、それだけで135年くらい収監されてもいいです。そして暴露することにした理由がこれまた兄妹愛とか、もう勘弁してくらはい。



11月8日(水)なにも変わっていない
 
 国連で停戦決議を行っても、殺戮をやめないどころか一層激しく殺戮を続けている状況があって、これってナチス・ドイツがどうやら集団殺戮を行っているということを知っていながら、輸送経路を爆撃するでもなく、殺戮をさせ続けていたときと同じ状況ではないでしょうか。もちろん、あのときもいまも、観察し続けているのは国王なんぞが実在するイギリスです。きっと武器がはけた頃合いを見計らって、批判が始まり、メディアが反省するのでしょう。反省をちゃんとやるおれら立派じゃんってところでしょう。



11月9日(木)几帳面
 
 しばらく驚異的に暖かい日が続いたせいか、花粉症がおさまらない。今年からついに「気のせい」にするのはやめて、アレグラ・デビューを果たしてしまったが、薬に対して極端によわよわで、服用するとしんどくなるので鼻水が出ていなければのまないようにすると、翌日にはしっかり鼻水ずるずるで、そういう意味ではきわめて几帳面だ。部屋の中でもマスクを外せないってどういうことなんだろう。



11月18日(土)アレグラ切れた
 
 花粉で鼻水ずるずる状態に加えて、超多忙の日々が続いていた。まだ今日もどちらも終わったわけではなく、相変わらず鼻はむずむずしているが、アレグラを切らしてしまった…。超多忙の方は、多忙くらいにはなっているかもしれないが、まだまだ乗り切れるかどうか、油断をしてはいけないと思っている。



11月19日(日)ほんとすみません
 
 昨日はある集まりがあって、文学部における教育(あえて、「学び」なんてキモい語は用いない)がいかに役に立つかというお話をうかがい、ご講演の後、「そうだそうだ」の声また声をお聞きすることになりました。途中からいたたまれなくなったので抜けたかったのですが、ホストなので抜けられないというなんの罰ゲームだ状態。あれほど相互にべた褒めし合っているのを見聞きしてしまうと、「これはひょっとしてシニシズム大会が始まっているのか」と疑いたくもなったけれど、いやきっと例外を除いてだれもが大真面目であり、なんだか不真面目でほんとすみません、と思いました。いやしかし金曜ゼミの連中があそこにいたら…。



11月20日(月)大人気ある
 
 コメントを求められ、共通教育の第1回目の授業では、たいてい、哲学の授業なんてなんの役にも立たないし、人文学一般がなんの役にも立たない、って話してます、と正直に言ったら、「文学部の授業ではそんなふうに逆説的に教えられるわけで…」とかって、納得できる範囲内に回収されそうになってしまったので、「いえいえちゃんと研究なり論文なりに言及して、これがなにかの役に立ちますかって言ってます」と説明しました。なにかの役に立つかどうかという基準は、役に立たないものは存在しなくてもよいという規範が前提されているのであって、要するに差別体制の基準です、とまでは言わなかった私は大人です。



11月21日(火)人倫
 
 ある宗教団体の名誉なんちゃらが逝去し、それに対して行政府の長が「個人として」哀悼を示しただけだから、政教分離には反していないとかいう話があります。この「個人として」ないしは「私人として」は、この臣民共同体の人倫(Sitte)として流通しているものです。かつて、「感動したっ」は、「私人として」公用車で靖国に乗りつけ、「内閣総理大臣」と記帳したものです。喫煙したりスパへ行くために公用車を利用したどっかの知事だか市長だかもいたじゃないですか。万博を誘致したご業績のある方ですよーーー。
 
 
 
11月22日(水)人倫 2
 
 いや、「感動したっ」やスパ王の話なんて、大したことじゃないかもしれません。なんつっても、神嘗祭なんてものに税金が支出されてるわけですよ。いやいや、そもそもあの一家は税金暮らしですよ。そして「疲れたから辞めたい」と言えば、最高の議決機関である国会が全会一致でそれを承認しちゃうんです。へー、国会の開会では侵略戦争の最高責任者の孫から「おことばを賜ります」(←驚くべきことに、衆議院のホムペに、このまんまの言葉遣いが記載されています)。要するに、政教分離こそがこの臣民共同体の人倫には反しているんです。 
 
 
 
11月23日(木)感じる
 
 おまけに、家父長制を打破しなければうんぬんかんぬんおっしゃっていた人の記事をうっかり目撃してしまいましたが、その方、訊いてもいないのにわざわざわたしは天皇制支持者ですってゲロってきた人じゃないですか。ゲロ―。いったいどう辻褄を合わせているのかちょっぴりだけ興味がありますが、でもだいたいわかってます。考えてないんですよ。きっとそれだけです。でもそれでよいのでしょう。感じてるから。



11月24日(金)力持ち
 
 私人逮捕やら暗殺やらがはやるのは、いろんな意味で、それだけ法的体制が機能していないということの証左でしょう。まあ、私人逮捕そのものは法によって保証された正当なふるまいではあり、各人には自分が正しいと考えることにもとづいてふるまう権利があるという自然状態でのふるまいというわけではないのですが。無力を装ったキャンセル・カルチャーも同じ系列でしょうし、学会において「フォビア」呼ばわりすることも同一かもしれません。自然状態においてものを言うのは力なので、「フォビア」呼ばわりしたまま平気でいられることそれ自体が、背後にある力を証明していることになるでしょう。
 
 
 
11月25日(土)寡聞にして
 
 国会においてヘイトスピーチがあったのだとしたら、そりゃもちろん「許しがたい」し、そもそも「許しがたい」なんてポストしてる場合じゃないでしょう。しかるべき手続きをとって正式に言説の責任を追及すべきじゃないでしょうか。ひょっとしたら、国会内においても「ヘイトだ」とヤジが投げられていたのかもしれません。学会において「フォビア」呼ばわりするのと同じように。しかし少なくとも学会において「フォビア」呼ばわりした人は、その後、裁判所へ訴えたとかなんとかしたという話は、寡聞にして存じ上げておりません。



11月26日(日)もうめんどくさい
 
 ドイツ人共同研究者のうちのひとりは、おそらく社民党左派、もうひとりは緑の人だろうと思いますが、「イスラエルの側に立つ」のかどうか、興味深いところがあります。イスラエル批判と反ユダヤ主義とは異なるとわかっていても公にそれを表明するわけにはいかない、という立場なのか、そのふたつは異ならない、という立場なのか、あるいはふたつは異なっているし公に表明することだって構わない、という立場なのか。やっぱひとつめかな。



11月27日(月)いきなり文句ばっか
 
 なんとみぞれ降ってますよ。例によって、入国審査には長蛇の列で、対応しているのはヤル気のない役人2名。せっかく予定より40分も早く着くという「がんばりました」って花のスタンプ押してもらえる勢いだったのに、ここを抜け出すのに30分もかかる。そして外はみぞれが降っていて、タクを待つのに40分。路面が濡れてて視界も悪いのに140キロとか出さないでほしい。別に前のクルマを抜かなくたっていいのに。いきなり文句ばっかだ。



11月28日(火)『ガタカ』
 
 たぶん最初に機内で見て、レンタルして見て、今回が3度目だと思う。主役の俳優が、いかにも僻みだけで生きてきましたというふうに見えて、とりわけこの作品のこの役にはぴったりかもしれませんが、あまり好きにはなれず、しかし作品そのものはついつい忘れられないもので、忘れたころに見たくなってしまいます。ザンダー・バークレーとか、ジュウド・ロウとかが、いいのかもしれません。いつまでこういう作品が社会批判的なものとみなされるか、ひょっとしたらもう、ルサンチマンがどうのこうのと言われて片づけられているのかもしれません。



11月29日(水)全否定かよ
 
 昨日フランクフルトで発表が終わり、超満員かつ時刻表など何の意味も持たない列車でエッセンに移動しました。そういえば、発表は質疑応答を含めてひとり1時間以上も使い、これもまたタイムスケジュールなど何の意味も持たない催しと化していました。ドイツ人は2名ともこっちの発表の骨子を全否定してきましたが、こっちもそれらの批判はでたらめだろうと思ったので、なかなか面白くはありました。それにしても、これでは本気じゃないですか。社交性というものはないのですか。



12月5日(火)そのこと
 
 まったくこんなことを引き起こしてしまって、なんの危機意識ももたないのだろうか。部屋に突撃してきて「これ読んどけ」と言ってたア○なんかは、危機意識なんてミジンコワムシほどももつことなく、きっとわけもわからないまま快哉をあげているかもしれないけれど、みんながみんな、その手のそれではないのではないか。いや、ひょっとして、100パーそれなのか。まったく絶望的な状況だ。



12月6日(水)ぐったり
 
 今回の出張は月曜に出発し日曜に戻るというもので、向こうの時間に身体が慣れてしまう前に帰ってきたため、時差ボケはそれほどきつくないような気がします。じじいなので、どっちみち早寝早起きだし。ただ、みぞれ混じりの雪やら平常運転の役人やら、遅れに遅れまくる列車やらを経験し、おまけに最後はフライトまで遅れて羽田から伊丹へ乗り継げなくなりそうになるなどして、さすがにぐったり。列車はしばらくあの様子が続くそうですし、もうちょっと無理かな、と思いつつあります。



12月7日(木)認めるんだろうか
 
 よってたかっていじめたんだけど、いじめられた側が亡くなったりしたら、その人がみずから選んだんだと言い、自分たちには人の生命を奪うほどの力はない、そんな力をもっているのは教師であり、教師がいじめて亡くなったのなら問題だが、自分たちはなにも悪くない、その人の主体性を無視するのはよくない、なんて言い分をだれか認めるんだろうか。



12月8日(金)はぁ?
 
 アメリカの司法省がウクライナへの侵攻に関してロシア側の軍人を戦争犯罪容疑で訴追したそうです。ウクライナでアメリカ国籍をもつ民間人が誘拐され拷問された疑いがあり、ジュネーブ条約などについての違反があった、というのがその理由のようです。国際司法裁判所も国際刑事裁判所も認めていないような国家が、何言ってんですかとしか思わないです。
 
 
 
12月9日(土)ある政党について
 
 まあ、その政党は政党名に国家の名称を含ませている時点で、その政党名の後半部分と矛盾しているわけですが、党員が国家権力による拷問を受けて殺されたことがあるような党史を考えれば、弾圧なりなんなりには反対するはずだと思っていましたが、結局のところ、弾圧される側にいる場合は弾圧に反対するけれども、弾圧できる側にいる場合は進んで弾圧を行うことがよくわかりました。


12月10日(日)なるほど
 
 今回、エッセンの研究会でとりあげられたテクストは、フランクフルト学派第1世代が考えていた自由概念を主題としていたのですが、ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、フロムが扱われていて、学生たちの議論ではフロムの心理学主義的なところが叩かれていて、さすがニーダーベルガーのゼミだと思いました。マルクーゼが、性の解放運動はラディカルになるほど権威主義的になることを指摘していたという記述があって(たぶん)、非常に興味深く思いましたが、なぜかだれもマルクーゼをとりあげず、それもまた、非常に興味深く思いました。



12月11日(月)NATOの可能性なんて
 
 カントが『永遠平和のために』の第2確定条項において世界共和国ではなく消極的な代替物である諸国家連合を選択したことについて、諸国家連合に加盟する国家同士は戦争しないし、またこの諸国家連合は次第次第に規模を大きくしていくとも言ってることから、これじゃまるでNATOだ、と嫌味を言ってきたのですが、今回のフランクフルトでのコロキウムでは、こうしたNATOに可能性を見出す発言があって、唖然としました。軍事同盟は、つねに敵との関係において同盟関係を築くわけで、その存在自体が敵を前提としているというのに、いったいどうなってるんだろう。



12月12日(火)ひさびさの体験
 
 ひさびさに、むかしの病院の待合室を体験してしまいました。たんにひたすら待たされ続けるというあれです。やたらいろんなことを書かされる点や、ごていねいに何度も名前と生年月日を言わされるところは、むかしとは異なると思いましたが、まさか受付から診察まで3時間弱もかかるとは思いませんでした。支払いが終わって帰るときには、最初にどこそこへ行くようにと案内してくださった方が、「誕生日が同じです」とうれしそうにおっしゃっていたのが、もう何日も前のことであるかのような思いまでしてしまいました。あれ、絶対に待合室で病状は悪化しますよ。



12月13日(水)『LIES 嘘』
 
 なんでこんなのを借りてしまったのか。おまけに、じっくり観ようと思い、少し時間のとれるときまで観るのを延ばしにしていた。もう冒頭からゴミくさかったのだが、8分台から始まるシーンが気持ち悪すぎて9分で見るのをやめた。それでどんなゴミだったのか、ネットで調べてみたら、ああ、そういうやつですか。なぜ借りたのかは、チョン・ヘジンさまが出てたからだとわかったけど、9分までには一瞬しか出てこなくて、じゃあ早送りにしてヘジンさまのシーンだけでも観ようかと思ったけれど、へんてこな役をさせられていたら嫌なのでやめた。賛否両論じゃねーし。ゴミ一択だし。



12月14日(木)どーせすぐ…
 
 たんなる気のせいなのか、実際にそうなのか、たぶん実際にそうだと思いますが、年末になるとやたらビールのコマーシャルが増えないでしょうか。そしてみんなしあわせそうです。いろいろあったけど、ビール、とか、なにはなくとも、ビール、とか。ビールくらいでそんな笑顔を見せてしまっていいんですかと思うほどです。じゃあ何だったらいいんだ、と言われても代替案があるわけではないですが、しかしビールくらいでどうしてそんなにしあわせそうなんだ、という思いは払しょくできません。たかだかビールですよ? 苦いだけですよ? どーせすぐに排泄しちゃいますよ?



12月15日(金)エンタメ番組
 
 テレ朝のなんちゃらっていう夜10時からの報道番組(?)、本日は冒頭から約40分にわたって、ある野球選手の入団会見の模様を流していたそうです。これって、政府からの指導があったからだとか言ったら、陰謀史観→権威主義的パーソナリティとかって断定されちゃうやつでしょうか。じゃあ、政府からの指導なんてなくて、自主的にやらかしたことだと言ったら、リベラル認定されるのでしょうか。まあ、どっちにしても、それが報道番組じゃないことはたしかでしょう。



12月16日(土)新幹線
 
 新幹線で移動しましたが、フツーに時刻通りにやってきて、時刻通りに到着するので、いろんなことを計画していた通りに進めることができてしまう。予約していた列車そのものがキャンセルされるとか、キャンセルはされないけど今日は別ルートで走るとか、別ルートじゃないけど一駅進むごとに5分は遅れるとか、そういうことが「平常運転」だと、逆に「時刻通り」のためにどれほどの犠牲が払われているのかと心配になってくる。停車位置にぴたりと止めるなんて、あれ、どんな研修を受けるのだろうと思ってしまいました。ああ、けっしてなんちゃらスゲーって話じゃないですよ。



12月17日(日)「突然」
 
 なんちゃらという国際会議で化石燃料の削減について合意形成がなされ、その代替として「原子力」が明記されるようになったそうで、「ふーんの世界」としか言いようがありません。今回も、12歳の人が「突然」壇上にあがってアピールするというパフォーマンスがあったそうで、褒めたたえるついでに、原子力についてどう考えているのか尋ねればよかったのに、残念なことをしたと思います。もし化石燃料を削減するのであれば、代替など考えず、その分の活動を控えるという選択肢だって考えられるはずなのに、なぜそっちははじめっからないんでしょうか。ああ、けっして清貧の思想を信奉してるんじゃないですよ。



12月18日(月)たまにはいいっす
 
 わが心のふるさと八王子から東京へ戻るときに乗ってる電車が減速したりのろのろ走ったりしても、きちんと時刻通りに着くだろうと思っていたら、その通りで、東京から新大阪に向けて乗ったのぞみが静岡地獄の静岡駅付近で減速して止まっても、これもどうせ計算済みだろうと思いきや、なんと米原でポイント故障があったとかで、動けなくなってしまいました。きっとドイチェ・バーンの呪いだと思います。結局45分くらい遅れて新大阪に着く羽目になってしまいましたが、車内放送で謝るのなんの。「我慢しろ」と言ってのけるやつらとは大きな違いで、ついつい「そんなに謝ることじゃない」と思ってしまいました。



12月19日(火)ゴミ・ストーリー
 
 社内のエレヴェーター内で女性の身体に触った男がおもっきし蹴りを入れられ、女性の方は傷害罪で前科持ちになってみなから恐れられるようになるという、もうその設定自体がハラスメントだろ、という韓国の連続テレビドラマを見てしまいました。企業が検索ワードの順位を操作してもよいかどうかとか、重要な問題も扱われているにもかかわらず、仕事では有能な女性がスカしたセクハラ男と恋愛関係に陥るというゴミ・ストーリーが展開されていて、まったく見る気がなくなってしまいました。もうそういうのやめたらどうなんだ。



12月20日(水)『サモン・ザ・ダークネス』
 
 無料配信されていたので何度かに分けて見ました。どんなストーリーなのかまったく知らなかったので、そういう意味では「おぉ」と思うところがないわけではありませんでした。せっかくの展開なのにつまらない方向へ向かいそうで、ついつい悪魔崇拝者たちを応援したくなってしまいました。ひょっとしてそれが「狙い」だったのか…。結論としては、下心もつヤツらが悪い、ということで。



12月21日(木)ちらっと
 
 なんかちらっと見てしまって、ついついシニシズムに陥りそうになってしまう。ダイナマイトなんぞを作り出したヤツ絡みの平和賞を受賞したNGO(団体名の略称がICANとかいうのも、シニシズムを誘う)の事務局長が、「唯一の被爆国」(ほんまかいな)へやってきたときに、若者たちと対話して「”自分たちが歴史の正しい側にいる”ことを忘れてはならない」と言ったとかいう、かつての報道を見てしまったのです。たぶんアジア諸国を侵略していた皇軍の連中だってそう思っていたはずだし、??学派はまさしくそのことをインテリたちに教えてくれたのではなかったのか。そして当該事務局長が帰属する国家は、進んでNATOの一員になろうとしているわけです。これでもシニシズムに陥らないように努めるって、どんだけ努力好きなんだ、という言い方がすでにシニシズムか。



12月22日(金)口実増えた
 
 ドイツになんちゃらという名前のついた嵐がやってきて甚大な被害を与えているという報道がありました。ちょうど帰省が始まる時期だからかもしれませんが、その嵐のせいで列車が大幅に遅れると言われています。その嵐のせいで???じゃあその嵐が来なかったら遅れることなく、もちろん便自体をキャンセルするなんてこともなく、粛々と運行がなされていたと言うのでしょうか。最近では、ストでさえ、列車遅延の理由に使われると厳しいことが言われるほどなので、その嵐のせいで列車が遅延しているなんてだれひとり、ひょっとしたら運行に携わっている側ですら、考えてないでしょう。



12月23日(土)東欧でいいじゃん
 
 冷戦終結以後、東欧と呼んでくれるな中欧と呼んでくれと要求し、やっぱ中央好きのメンタリティなんだろうなぁ、少なくともあのあたりの街が好きだと言う人は、中央思考の強い人だよなぁ、と思わせてくれる国家とか都市とか街とかがあります。そのあたりにある大学で銃乱射事件がありました。関係があるかないかは不明ですが、哲学部の建物の前です。ゲーテ大学も、いまのキャンパスに移る前は、哲学部は本部やらメインの建物のある敷地にはなく、道路を1本隔てていて、まあ、わざとだと言われていました。



12月24日(日)集会の自由
 
 3.11後、反原発デモに出かけるようになった柄谷は、デモに意味があるかどうか問われて、デモをすることによってデモが行われる社会ができるようになると答えました。また、デモはアッセンブリーであって議会にも連なっているし、そもそもデモを行う自由は集会の自由に対応するということも述べています。ということは、こうしたデモの妨害を行うことは、集会の自由を侵すことであり、デモが行われる社会を否定することを意味します。たしかにそのやり方は反社会的勢力のそれに似ています。



12月25日(月)かなり驚き
 
 さらにデモを行っている人たちの写真を撮ったりするなんて、もはや公安の域です。ひょっとして公安のつもりなんでしょうか。かなり驚きの所業です。デモを取り囲んだというようなことを自慢げに書いちゃったりしている人もいるそうですが、ほんとにそんなことをしているのだとしたら、それって自慢することじゃなくってむしろ隠すことですよって、だれか教えてあげなくていいんでしょうか。



12月26日(火)でも反則だろう
 
 ある哲学会の公募論文に投稿してボツになった方が、査読者によるコメントを公開するとともにその内容を批判なさっています。ご本人がお書きのとおり、こうした文書を公開することは反則で、場合によってはなんらかの法的措置がとられてしまうかもしれません。また、コメントが公開されるかもしれないとなれば、だれもめんどくさい査読なんて引き受けなくなってしまうかもしれません。とはいえ、査読のコメントがまったく見当違いであると思われるような場合には、査読者を査定せよ、とついつい考えたくなることもないわけではないですし、コメントが実際に見当違いであることもないわけではありません。



12月27日(水)ショックすぎる
 
 イ・ソンギュンが亡くなってしまいました。今週の授業で、チョン・ヘジンさまに登場していただいたばかりなのに。ショックすぎる。



12月28日(木)弔問
 
 ツベで弔問の様子を見てしまった。イ・ジョンジュやユ・ヘジンが来ていた。死んでしまったらすべてが終わってしまうではないか。もちろんだからこそ死を選ぶのだろうけれど、自分のためにあんなふうに悲痛な表情を浮かべる人たちがいることを知ることができていたら、死んだりしただろうか。まあ、そんなことは関係ないと言えば関係ないだろうが。



12月29日(金)出棺
 
 ツベで出棺の様子を見てしまった。チョン・ヘジンのやつれようはとても見られたものではなかった。チョ・ジヌンとかイ・ソンミンとかと仲が良かったのだろうか。23日に警察の取り調べが20時間もあったとか言われていて、映画のようにコミカルに切り抜けるには暴力的すぎたのかもしれない。



12月30日(土)反則ですけどね
 
 査読者のコメントを公開することは反則であるということは大前提として、その公開されたコメントによれば、査読者は、当該論文がある種の論者の批判につながっていくものであるからダメ、としているのです。これにはちょっとびっくりしました。査読者は、論文において批判は展開すべきではないとお考えなんでしょうか。えええーーー。そりゃボツになった投稿論文の査読者によるコメントにこんなことが書かれていたら、反則技を使いたくなるかもしれません。批判の出てこない論文て、あれでしょうか、全編どっこいしょ論文のことでしょうか。『純粋理性批判』とか、どーなっちゃうんでしょうか。



12月31日(日)ひとつながりなのか
 
 これってまさか、商業誌において本文とはまったく関係のないたんなる宣言文を冒頭に書き連ねたりすることや、講演会の開催を取りやめさせることや、出版物を販売中止に追いやることや、デモを妨害することとかとひとつながりの出来事ではないでしょうね。国家がやらなきゃ「検閲」じゃないとかって力のある人たちが言ってましたが、臣民共同体だと国家がわざわざやらなくたって進んで代行してくれる人たちがいるとか、そういうことではないでしょうね。