2021年
1月1日(金)大したことじゃない

 今年は大したことはなさそうです。天皇制が廃止され、共和制に移行します。「道義的責任を痛感」するやつは、「道義的責任を痛感」するだけではなく、法の裁きを受けます。虚偽答弁の定義はないと言ったやつは、虚偽答弁の定義を毎日10時間、365日にわたって筆記し続けます。「みなさん、こんにちは。〇ー〇ーです」のじじいは、毎日「みなさん、こんにちは。〇ー〇ーです」と「その批判は当たらない」を交互に1万回ずつ唱え、合間合間にパンケーキとステーキを食べ続けます。「わめきたいのか、討論したいのか」と言ってる割にはおまえが「討論していない」とARDに報道された民族の祭典会長はオリパラを中止し、その後オリパラは禁止されることになり、これまでかかった経費は電2とパソ中と猪瀬直樹と森喜朗がすべて支出することになり、電2とパソ中は死滅します。雨合羽とイソジンと平熱は、田中康夫が自宅に引き取ります。すべて起こるべくして起こるだけの、ごくごく当たり前のことです。



1月2日(土)会って食うけど会食じゃない

 たたき上げその批判は当たらない〇ー〇ーですパンケーキが、COVID‐19対策について、「ブレーキとアクセルを踏みながら、あるいは同時に踏むこともあるのだろう。私自身、悩みながら悩みながら判断をしてきている」と言ったと報道されています。そりゃ悩みに悩むでしょうね。ブレーキとアクセルを「同時に踏む」とどうなるのか。それでストップしてしまうと、ブレーキが働いていることになるので、「同時」じゃないでしょう。それで動いてしまえば、アクセルが働いていることになるので、やはり「同時」じゃないでしょう。そりゃ悩みますね。そんなときは、あれですね、悩みを相談することを目的として、パンケーキとステーキの会食を開催。ここには悩みはありません。その批判は当たりません。そんなわけで、新型コロナ対策は、××を目的とした会って食うけど会食じゃない会食の一択。



1月3日(日)83%は何を見ているのか

 COVID-19による大阪府内の12月の死者数は、東京都のそれの約2倍です。いくらなんでも、人口も大阪府が東京都の約2倍だと思うようなぼんくらはいませんよね。東京都の人口は大阪府の人口の約1.5倍です。大阪府はなぜこんなにも死者の割合が高いのでしょうか。きっと知事はご存知でしょうね。在阪のメディアは、こんな「素朴な」疑問をなぜ大好きな知事にお尋ねにならないのでしょうか。「ようやってはる」割には、この割合ですよ。83%の住民が支持しているのにこの割合ですよ。いったいどこをどう見れば支持できるんでしょうか。この人、新型コロナ対策はイソジンによるうがいの推奨だけで、せっせと住民投票をやらかした張本人なんです。それだけでは懲りずに、雨合羽と条例を提案しようとしているんです。田中康夫、なんとかしろ。



1月4日(月)「死ぬ義務」があると言うやつにはわかるまい

 年末に経験したことですが、阪急宝塚線のある駅で電車を待っていると、阪急神戸線のある駅で人身事故があって運転を見合わせているというアナウンスがあり、電光掲示板にもその旨、記されています。発生したのは10分ちょっと前ですが、すぐに連絡が入ってそれが通知されているのです。代替輸送が行われ、「復旧」が90分後に設定されていることも告げられました。10分ちょっと前に確実に一人の命が失われたわけですが、その後、まったくルーティン・ワークのように伝達が行われ、交通機関が協力し合い、迅速に「原状」回復が果たされます。すべてはシステマティックに進められます。ことによると人が亡くなることすらも、そのシステムの一部をなしているのでしょう。確実に一人の命が失われているというのに。



1月5日(火)「そらそうよ」はおもしろい

 元プロ野球選手によるユーチューブ、なんであんなにそろいもそろって元阪ちんの選手だった人のはつまんないんだろう。選手時代のことを阪ちんファン以外は知らない人たちばっかだということもあるのだろうか。「代打の神さま」とか「虎のプリンス」とか。そこへ行くと、元ドラゴンズの選手のは面白いのが多い。「オレ流」のモノマネとか、父親の遺言でジャイアンツなんかへ行きくさったやつをどっこいしょするやつらばっかなのに、素晴らしすぎます。日本シリーズでの完全試合達成をつぶしたこととかも暴露しちゃうし。そうそう、この手の元プロ野球選手によるユーチューブの先駆者的なやつ、元大洋のやつだけど、セクシズムとセクシュアル・ハラスメントだだもれでとっとと消えてほしい。



1月6日(水)伝統芸

 高校野球でノックを素手で捕らせるなんて軍事演習やってるやつは、傷害罪です。場合によっては殺人未遂だって問えるかもしれません。元阪ちんの「火の玉」は、太古の指導法に疑義を呈していて、まあ、それは当たり前のことですが、しかし「年齢に関わらず相手への尊敬を持って人に接すれば絶対こんな事は起こらない!」とか言っちゃってるんですよ。問題は人権侵害かどうかじゃなくて、尊敬してるかしてないかなんですって。これって、権利侵害を道義的問題にすり替える、このクソ共同体の伝統芸以外のなにものでもありません。こんなものは、愛情をこめて素手で捕らせていればオッケーって話に容易に反転します。あの人たちは、所詮はスポ根なんでしょう。そうそう、オレ流がある選手が失神するまでノックしたって話がありますが、あいつはそういうやつなんです。合理性のかけらもないうんこです。



1月7日(木)図書館の向こう側に…

 ちょー有名な「メルトダウンじゃないだす」発言をかつて垂れ流したのが「意識の低いリベラル」を自称しているようですが、先日も、「今のところ、「安倍政権の新型コロナ対策は結構よかった」という話にしかならないんじゃないかな」とか垂れ流してて、なるほど「意識の低い」ところを相変わらず身をもって実証し続けています。「僕がまともなことを言うと思われるようでは日本は危ない」発言もあるんですが、まあヌッポソなどどうでもいいということはおくとして、たしかにこんな「意識の低い」のが「まともなことを言うと思われるようでは」ヤバいですね。しかしそんなことを思う人がいるのでしょうか。前半部分は、たんなる条件文ではなく、非現実話法ではないですかね。こんなのが図書館の向こう側に…。



1月8日(金)そりゃ地上波で流せますよ

 なんかツイートで話題になってるのを見かけると思ったら、『パラサイト』が地上波で放送されたんですね。日テレ系列で。なんの不思議もないです。そりゃ「新自由主義にはネガティヴな側面もあります」程度なら、地上波で放送されるでしょうし、DPRKをバカにするシーンがあるのですから、日テレ的にも何の問題もないでしょう。こんな結局のところ新自由主義万歳映画を「映画館で観た時の衝撃は10年経っても忘れないと思う」人って、きっととんでもなく記憶容量がでかいんでしょうね。もしくは、「衝撃」はなにがあろうと100年に1度くらいしか受けないとかですか。そんなわけで、これがもてはやされるたびに、そりゃ天皇制に反対しているのは8%だよな、って思います。



1月9日(土)「こびん」とか「仮定の話」とか

 トランプの「おやびん」を慕ってやまなかった「こびん」のみなさんは、政権移行を認めてしまったトランプの「おやびん」のことを、トランプの「おやびん」に対する裏切り者と呼んでいるんですよね、当然。ところで、ツイッター社は、一時的にトランプの「おやびん」のアカウントを凍結したあと、「暴力扇動の危険性」を理由に、トランプの「おやびん」のアカウントを永久に停止することにしました。地球上のどっかに、「仮定の話にお答えすることはできない」ぼんくらたちがいるそうですが、「暴力扇動の危険性」なんて、このぼけなすたちには、いったい何の話なのか理解不能でしょうね。だったら仮定の話にのっかったお得意の改憲ぷぎゃーもやめましょう。



1月10日(日)『未成年』

 これを観る前に、一緒に借りていた『殺人漫画』を先に観ようとしました。たぶん、『聖女』つながりでレンタルしたんだと思います。ところが、夜中にトイレへ行けない系だったので、10分でやめました。ネットで調べたら、ラストのどんでん返しが面白いそうですが、とてもそこまでたどり着けませんでした。残念です。そしてこれを観たのですが、まあ、見事にクズ男の話で、こんなクズ男のせいで愛人とか愛人の娘とか妻とか娘とかがいがみ合わなきゃいけなくなるのが理不尽でした。この後どうなるかは描かれていませんでしたが、結局は妻も娘もクズ男と暮らさざるを得なくなりそうな伏線はあって、だったらこいついずれ同じことを繰り返すだけだよなぁと思いました。そうそう、火葬場のじじいが、娘に対して「弟は運がよかったから引き取り手がいた」といいこと言ったつもりになりながら骨を渡したら、「運がよかったら弟は死んでない」と言い返されて、ざまぁみろでした。



1月11日(月)「僕が感じたこと」などどーでもいいよ

 なるほどイソ村くんは語用論者のようで、「ガラスの天井」に固定的な意味などないという立場をとるのでしょう。しかしそれならそれで、「××のつもり」なんてものをもってきちゃダメですね。ところで、「僕が役所内の「ガラスの天井」を打ち破る為に何をしてるのかも知らないんだろうな」なんて言い方をすると、熱狂的なイソ村ファン=どあほは「かわいそうだな」って思うのかもしれませんが、ええ知らないですよ、だって何にもしてませんからね。そして「いつ割れてもおかしくない状態を「ガラス」に喩えただけ」だそうですが、あれ、あれれ、先週は、かつて森喜朗のあほが「たんつぼ」と呼んだその街はCOVID-19を抑え込むのに成功していたんじゃなかったんでしたっけ。「いつ割れてもおかしくない状態」だったんですか。83%が「ようやってはる」って評価していたのに。なんだよ、たんなる嘘つきじゃないですか。知ってたけど。



1月12日(火)そんなものは要らないよ

 侵略の象徴だった旗が高々と掲げられ、「不浄な」女性は上がることの許されていない「神聖な」場所で、太っちょたちがなにやらやってみせる、そんなことが、会って食っても会食じゃないその批判はあたらない〇ー〇ーですたちの無策ゆえにCOVID-19の感染が拡大しているもとで生きていくための勇気につながるって、ちゃんこ食べ過ぎて頭蓋骨のなかまで血がまわってないのだろうか。あの太っちょたちがスポーツ選手かどうかは存じ上げておりませんが、スポーツ選手たちが「勇気をあげたい」とか言うたびに、おまえらみたいに単純じゃねーんだよ、ぼけ、と思うのはどーせ私だけですね、はい、すみません。ケーニヒスベルクのじじいも「勇気をもて」とか言ってましたが、うるせーよ、ほっとけ、と言いたいですね。人に「勇気をあげる」だの「勇気をもて」だの、あんたたちはいったい何者なんだよ、と言いたいです。



1月13日(水)とっとと禁止しよう

 それに比べてさすがはビル・ゲイツ。「東京五輪・パラリンピックの開催が世界に対して大きなメッセージになる」って、あれですよね、こいつらこの状況で開催って、やっぱバカだよ、って「大きなメッセージになる」ってことですよね。もっとも、この金の亡者はわかってないですね。別にこの状況じゃなくったって、民族の祭典で金稼ぎしようなんて了見は、バカが過ぎるわけです。能力主義を隠しもしないスポーツメーカーが野宿者を排除するジェントリフィケーションに積極的に加担しているさまを見れば、そんなことは一目瞭然でしょう。厚底靴はサイコーだとか言ってるぼんくらたちも共同正犯であり、要するにそいつらは差別主義者だということです。こんなやつらはみんな電2もろとも死滅していい。



1月14日(木)まあ、知ってたけど

 ホテルで朝食くいたい会って食ったけど会食じゃないその批判はあたらないお答えはしかねるみなさんこんにちは〇ー〇ーですが、医療法の改正がどうしたこうしたの質問に答える際に、国民皆保険をいじることを、意識的にか無意識的にかどっちでもいいですが、ともかくにおわせました。国民健康保険については、雨合羽を買い取ると嘘ついて集めておいて、処分に困って公立の学校に引き取らせた「実績」のあるスパつきホテルへ行くのに公用車を使うバカが、「掛け捨て」と言ったことがありますが(実にバカだ)、大阪府立大学がなくなりかけるととっとと東京の有名私立大学へとんづらした「感じない男」は、「国民皆保険は日本が世界に誇れる数少ない財産だよ」と、その隠しきれないナショナリストぶりを遺憾なく発揮しています。この制度がすぐれていると考えるのなら、そのすぐれている点だけを説明すればすむのに、こんなことをわざわざ言わずにはいられないんですよね。細部に政治は宿る。まさしく。



1月15日(金)とっとと放送中止

 客にマナーを強要する阪急電車の2階の改札口を出てJR方面へ向かう途中の靴磨きスポットの前の壁に、藤原なんちゃらとかいう俳優が出演するテレビ番組の宣伝が貼ってあって、その藤原なんちゃらとかいう俳優がわんわんのコスプレしているのですが、どうやら、歴史修正主義に連なる局のスクールポリスがどうしたこうしたっていう番組だったようです。(そもそも、スクールにごみくそわんわんが入り込んでいいと思ってんのかよ、ぼけが。)外国人労働者が増加していていろんなタイプの子どもが通っていて学校は危険だとかほざいているのですが、こんな差別丸出しのヘイトスピーチを公共の電波を使って垂れ流すことがどうして許されているんでしょうか。その局の番組を見るようなやつらはどうせ差別主義者だから、なんてことは言い訳にはなりません。なぜなら、差別主義者であることそれ自体が不正だからです。とっとと放送を中止しろ。



1月16日(土)「僕の中」とか、どーでもいい

 イソ村が「僕の中では感染者っていうのは、やっぱりそれに感染して、ほかに感染させる力がある状態で、PCRで陽性っていうのは、陽性者はあくまでもPCRで陽性…それはイコール感染者ではない。」とか言ったそうですが、まず、「僕の中」の話はしなくていいです。吉本のバカ芸人じゃないので、イソ村の「僕の中」のことなんて何の興味もないですから。ところで、この人、PCRで陽性っていうのは、感染を意味しているってご存じないのでしょうか。きっと、ご存じなのでしょう。だから、「ガラスの天井」同様、「感染」に対して、独特の解釈を与えているのです。「感染」者とは感染力がある状態の人のことだと。もちろん、「感染」している人全員が、感染力のある状態にいると言えるわけではありません。しかし、ある「感染」者が、感染力のある状態にいるかいないかは、わかりません。イソジンで新型コロナに対抗しようとするようなアホでないかぎり、そんなことはわからないのです。だから、検査するしかないのですよ。もういい加減にしてくれ。



1月17日(日)まったく理解できません

 「仮に産んでいないということ」が「欠如」だとしても、それは経験が「欠如」しているわけではなく、そこには「欠如」の経験があるのだという詩をいいこと言ってる的に選ぶエッセイストがいて、それを紹介するツイートにはご丁寧にこの「何か言ってる感」を満たしてくれる「ことば」を解説してくれる面々もぶら下がっていますが、だれか、「産んでいないということ」に対して「欠如」というネガティヴな評価を与えることに異議申し立てをしている人はいないのでしょうか。「欠如」がネガティヴでも、そういうひとつの「経験」をしたんだから、それはすばらしいんでしょうか。たしかに私には詩を解する能力はありませんが、しかし、「産んでいないということ」を「欠如」などと言ったりはしません。



1月20日(水)永遠に軽妙

 菊池なんちゃらとかいう「軽妙なエッセイスト」(これって、そもそも冗長句じゃないのか)がいて、なんちゃらとかいう本を出し、インタヴューに答えています。「軽妙なエッセイストとして最後まで貫いていられればよかったんですけど、堪え性がなくて、最後のほうは社会時事に対して舌鋒鋭くなってしまいました。」だそうです。ほほう。まあ、ごみくそを読む時間はいくらなんでもないので、最後のほうがどれほど「舌鋒鋭く」なってるのかは検証できませんが、インタヴューで「ぼくの希望としては、オリンピックがつつがなく開催されたほうがよかったんです。」なんて言ってる段階で、大丈夫だよ、きっといつまでたっても「軽妙なエッセイスト」であり続けるよ、と思いました。オリンピックがつつがなく、だ? 民族の祭典のために宮下公園から野宿者を追い出しておいて「つつがなく」かよ。なるほど、こうじゃないと「街歩きのプロ」にはなれないと、そういうことですか。うんこだな。



1月21日(木)右翼もしくは極右

 最初に掲載されたときも、つくづくアホですな、という再確認が各所で行われたように記憶していますが、どういうわけかまた、「平等に貧しくなろう」とほざく自称社会学者の記事が出回っているようです。移民を受け入れると(って、そもそも来てもらえるのが前提なんですねー)「社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ」とかって、こんなのド真ん中の排外主義者の言説じゃないですか。「日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」とかって、エラソーに解説者みたいな口ぶりですが、それはあんたのことでしょう。挙句の果てに、「日本の市民社会」は「厚みを持ってきています」と。ほほう、要するにあれですが、排外主義にかけちゃ、ちょっとやそっとじゃびくともしないほどの「厚み」があるってことですか。もう「社会学者」なんて名乗らずに、正直に、「右翼」もしくは「極右」って言えばいいのに。



1月22日(金)うらやましいかぎり

 朝鮮語を教えてくれる公立学校があるそうで、うらやましいかぎりです。小・中学生であれば、きっといわゆる激音、濃音、平音を聞き分けることもできるようになるでしょうし、発音できるようにもなるでしょう。ああ、まったくうらやましいかぎりです。どっかのバカ政治家(これって、そもそも冗長句じゃないのか)が、「この類の問題を、2010年以来追及」しているそうですが、「この類の問題」ってなんなんでしょうかね。こいつ自身が差別主義者であることでしょうか。2010年以来って、まだ10年ちょっとしか追及してないんですね。今後の人生、ずっと反省し続けてください。だからって、差別主義者であることが清算されるわけではないですけどね。せめて、ひっそりと暮らし、日に100万回、「私は差別主義者でした」と唱えてください。



1月23日(土)2度とおすすめするな

 これまでに購入した商品または見た商品に基づいて、おすすめ商品として紹介されるのが、天皇と霊的につながってるぼんくら第一臣民内田のごみくそ本って、これまで購入したり見たりしたどの商品のせいなんでしょうか。おすすめされちゃっている最初の本ですが、『前‐哲学的:初期論文集』ってタイトルが、すでに詐欺ですね。あたかもこの板子ヤローに「哲学的」なときがあったかのようですから。おまけに、「論文集」って…。エッセイは論文とは呼ばないんですよ、ご存知ないんですか。そして次に、平和論の研究会にやってきて、核武装している国家があるんだから、核武装しなきゃ話にならんとほざいた、加藤典洋の二番煎じみたいにアメリカ批判してりゃなにか言った気になれるこれまた天皇主義者である白井なんちゃらとの天皇万歳対談集。こんなうんこ本をすすめてくるんだったら、おたくとは2度と取引しないぞ!



1月24日(日)ひとつの伝統芸

 「たんつぼ大阪」(by 森喜朗)コロナ重症センター長って、たぶん医学者だと思うんですが、そして医学者って、たぶん科学者だと思うんですが、「僕が感じている」イソ村が、蛍光ペンで塗り、赤色のペンで囲んでツイートに挙げた記事によれば、「目の前の患者を救うことが医療従事者の考えていること。そのメンタルがある限り、医療崩壊とは言わない」って言ってるんですね。ぎょえ〜。これって、竹槍で米軍機に立ち向かっちゃうやつじゃないですか。笑顔でいれば被曝したって大したことないってやつじゃないですか。しかし、まじめな話、これはカントの永遠平和について、一切の「敵意」がなくなる状態と訳して平気でいられる連中のメンタリティでもあるんですよ。もう、日に100万回、「一切の敵意がなくなること」って唱え続けてください。



1月25日(月)それ、差別じゃないの???

 トランス差別が差別である以上、正当化されるわけがないことは自明だと思いますが、トランス差別を批判する人たちの語ることのすべてが正当であるわけではないことも自明でしょう。ハンドルネームを用いて意見を表明する人に対して、本名を名乗って意見を言えと大学の専任教員が言うとき、その発言がいかに暴力的でありうるか、まったく考えているようには見えないその人の言説は、ほとんど信用していません。それどころか、おそらくケアレスミスだと思われるようなミスであっても、ことさらに取上げてやろうって思います。その准教授は、「生理になるのは女性だけじゃない」と言うのですが、「トランス女性は女性です」とも言うのです。「生理になるの」が「女性だけじゃない」のだとしたら、その「じゃない」人たちのことは、なんて呼ぶのでしょうか。



1月26日(火)地方大会について

 正月にやってるらしい大学駅伝の地方大会で、どっかのマッチョ監督がなんか言ったそうで、見出しは見たけど、現役の実業団選手だった頃からあれなやつだろうと思っていたので記事なんか読んでいませんでした。そもそも、人が走ったりするのを見るほど暇じゃないし、その手の記事には何の興味もありません。しかし先日、そいつが「おまえ、男だ」と走ってるやつに檄を飛ばしたことを知ってしまいました。こんなクソのような文言が話題になり、こんなクソのような文言を吐くやつが名物監督だそうで、地方大会にはいろいろあるんですねー。なんちゃら道とかいう武道系とは異なり、マッチョだろうと遅いやつは遅いし、遅いとエラソーにはできないので、陸上はわりと体育会要素が少ないはずですが、まあ、実際にはそうでもないということですね。今後、こんなクソのような文言を吐かれたら、走ってるやつは立ち止まり、「それが何か?」とど詰めしてやらなきゃいけません。まあ、いろんな意味で無理でしょうけど。



1月27日(水)衣笠の人は気をつけた方がいい

 「自慰プロフェッサー」が女性の生理と男性のマスターベーションを同列に並べて「男性には射精切迫に振り回される受動的面が多分にあり」だそうで、まあ、この方がその時と場所を選ばない「切迫」とやらに「振り回される」のは勝手だけれど、こんな「射精させられちゃう」人物が衣笠に出没してひょっとして授業とかおもちなんだとすると、危険極まりないですね。いくらなんだってやらかすあの大学だって、いつそんなものを見せつけられるかわからない授業をウリにしたりはしないですよね。大学教授ですらこの水準なんだから、一般男性の女性の生理に関する知識が歪んでいるのも不思議はない、などというツイートも見かけましたが、いえいえ、こんなのが大学で教えていることに問題があるんです。学問の自由っていうのは何をしたって学問になるって意味じゃないし、大学は学問を行うところです。



1月28日(木)学問でもなんでもない

 そんなわけで、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』朝日新聞出版、2014年、83ページ)なんて文言を含む著作を書く人はたんなるファンタジー作家であって、歴史学者ではないし、ファンタジーの内容が名誉棄損であれば、その責任は問われなければいけないし、その責任が問われることは学問の自由の侵害とはなんの関係もありません。にもかかわらず、こんな人権侵害をやらかす人物による連載を始めてしまう毎日新聞は、いったい何を考えているのでしょうか。原発推進新聞社とか3Kとかが、太宰の言う「札付き」だとすると、このリベラルを装った新聞社の罪は大きすぎます。



1月29日(金)ごみくそ法律案

 「刑法の一部を改正する法律案」というごみくその提案がなされています。そのごみくそは、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」というものですが、提案理由として、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」とされています。これ、あまりにもすごくないでしょうか。これこれを法律にするのは、これこれを法律にする必要があるからだって。知ってるわ、ぼけが。なぜこんなはなくそを法律にする必要があるのか、その理由を明らかにしろって。要するに、こんなごみくずを法律にする理由なんてないってことですよ。だからうんこたれのようなことしか言えないわけです。こんな帰属先に対しては、むしろ侮辱する義務があるくらいです。



1月30日(土)鼻出しわんわんは差別主義者

 友人の息子「(ブラックのハーフ)」が都内でわんわんから職質を受けた際の動画を提供された方が、当該動画をネットにアップされています。動画の中で、わんわんは堂々と「こういう見た目の人は薬物を持ってることが多い」(大意)って言ってます。「私の経験則ですよ」「私の経験則ですよ」と、覚えたてでうれしいのか、「経験則」を何度も使っていますが、それって内実は、私は見た目で差別するって「経験則」のことですよね。(ひょっとしたら、おまえの場合、アプリオリかもしれんな。)そもそも職質なんてやらかしてる時点でうんこなわけですが、それを「警察官の方も辛いと思うな」などと擁護するようなのもぶら下がっていて、げに「札のついていない」臣民は恐ろしい。ちなみにこのわんわん、鼻出しマスクです。共通テストだと、不正行為ですからね。そこんとこよろしく。



1月31日(日)あるいは、税金はオレのもの???

 大阪市役所は、パチンコ屋のように電飾されていますが、しかし緊急事態時に「営業」していても名前をさらされたりしないどころか、お仕事をよくなさる市長によって不要不急の仕事ばかりを任されています。ところで、あの電飾も、いわゆる御堂筋イルミネーションの予算によって賄われているのでしょうか。御堂筋イルミネーションの経費は、昨年から4千万円アップして、約5.2億円だそうです。そのうち協賛金が12%で、残りは税金とのことですが、ご実家がたしか電飾屋さんだったあの市長は、市民に負担はかけないと言ってました。ということは、この市長によると、大阪市民は税金を納めていないというご理解なんでしょうか。なんと。大阪市民は脱税していると、そういうご理解ですか。そうですか。



2月1日(月)そして名誉男性が増えるだけ

 ある商社が3年以内に新卒総合職の半数を女性にするとかで、「異例の比率増」というニュースがありました。これに対して、「女性云々ではなく、いかに優秀な若手を採用するかが重要だ」とかほざく、わかりやすい差別主義者が現れるのを考えると、「異例の比率増」はよきことのように思われてしまいますが、いえいえ、これを行うのは商社なんですよ。資本主義的搾取を国際的に展開する商社みたいなところの新卒総合職の半数が女性になったところで、資本主義的搾取を国際的に展開する側の総合職に女性が増えるってだけの話じゃないですか。女性も男性並みに、搾取しましょうってことでしょ。こんなの、まったくよきこととは思いません。こういうのを肯定できる人っていうのは、たぶん、「健全な」ナショナリズムを肯定する人であり、米軍基地を「本土」へ引きとろうって主張する人ですよ。



2月2日(火)それでいいんですか?

 もともとシティズンシップをテーマ化されていた人が、近頃はどっぷりとケア論に浸かってしまっているような印象があって、「それでいいんですか?」と思わなくもありません。シティズンシップを探求されていたということは、政治哲学のパースペクティヴで思考されていたのだと思いますが、いまでは倫理学を専門領域とされているということになるのでしょう。しかしよくよく考えてみれば、シティズンシップを重視するということは、リベラルというよりかは共和主義ということであり、リベラルよりかは共和主義ということは、正より善を優先するということであり、結局正義よりもケア倫理ということで、首尾一貫しているといえば首尾一貫しています。でもその評価の仕方って、アメリカの文脈だから通用するのであって、この共同体においては臣民主義とめっちゃ親和性があるとかお考えにはならないのでしょうか。



2月3日(水)サメに失礼すぎる

 人類であるのにサメの脳みそをもつと言われた、とってもサメに失礼な人がかつてこの共同体の行政府の長だったことがありますが(まあ、この共同体の行政府の長って、あれやあそでもそうだったわけで、とっても失礼な人たちばっかです)、その人が現在「民族の祭典」実行委員会委員長みたいなことをやらかしていて、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」と発言しました。もちろん「民族の祭典」なんて中止でも廃止でもなく禁止すべきだと思っていますが、それとは別に、このサメに失礼極まりない人の発言は女性差別であるとして、糾弾されるべきだと思います。朝日は、この発言が女性差別であるという指摘のかけらもなく、ただただ発言を垂れ流すだけですが、だったらそれは共同正犯以外の何ものでもありません。



2月4日(木)死滅一択

 さて、件のサメに失礼極まりない人の謝罪会見(?)を見てしまいました。「誤解が誤解を生む」とかおっしゃっていましたが、件の発言についてどのような「誤解」があり、さらにどのような「誤解」を生むのですかね。「誤解」があったのなら、悪いのは「誤解」したやつなんだから、何も謝罪する必要なんてないんですよ、わかりますかね。定番の「不愉快」メソッドに加え、心配させてすまんな論法も使用されていますが、だれか何かを心配したんでしょうか。だれが何を心配したのか、ちゃんと説明してほしいですね。それにしても、昨日は件の発言をただただ垂れ流すだけだった朝日、本日は「女性を軽視するかのような自身の発言」ですって。つまり、この記事の書き手は、件の発言が女性の軽視を意味するわけではないと考えているのです。だったら、謝罪すべきじゃないと言わなきゃいけないし、辞任を求める側を批判しなきゃいけませんよ。朝日って、もはや電2なんですか。だったら死滅一択です。



2月5日(金)たんなる差別主義者

 サメに失礼極まりない人は、「面白おかしくしたいから聞いてるんだろ?」って言うわけですが、差別発言を取り上げることが「面白おかし」いとお考えなんでしょうか。あっ、このサメに失礼極まりない人も、ひょっとして「笑いはすべてを超越する」系なんでしょうか。なるほど、それならいろんなことに辻褄が合いますが、しかし笑いはすべてを超越するわけじゃないし、差別を笑いの種にしてはならないし、そんなことをするやつも、「笑いはすべてを超越する」とかほざいて正義に反した行為を正当化するやつも、さらに「これは芸です」と言って真面目くさった顔してごまかすやつも、みんなたんなる差別主義者なんですよ。



2月6日(土)「老害」ではなく

 さらに、このサメに失礼極まりない人は、自己の差別を「老害」一般に落とし込もうと試みていますが、それは何重にも間違っており、それ自体不正です。この人がやらかした差別はこの人の問題であり、老人一般の問題ではないし、有害なのは老人一般ではなく、この人自身です。いつの間に、この人が老人を代表することになったんでしょうか。そもそも、差別発言を「害」として語ることが間違っています。差別発言は、害を及ぼすことがあろうとなかろうと、そんなこととは関係なく、正義に反しており、不正であって、そこに問題があるからです。いったいいつからこうやって功利主義的に物事を捉えるのがフツーになってしまったのでしょうか。これって、功利主義を唱える人たちがどういうつもりなのかとは関係なく、きっと新自由主義の時代潮流とつながっているのだろうと思っています。



2月7日(日)『KCIA 南山の部長たち』

 今週は月曜から金曜まで超ハードな日々でした。そんなわけで、昨日久しぶりに映画館で映画を観ました。アメリカ批判は登場人物たちから頻繁に聞かれたのに、そもそもの侵略者に対する批判がほとんど描かれていないような気がしていましたが、実はそのことそれ自体が批判なのではないかと思うようになりました。それは、「あのころはよかった」という言い回しにおいてだけ、わざわざ日本語が用いられていたからです。元軍人たちによる支配には、もはや自覚されない仕方で侵略者の影が及んでいるということとして、当該シーンを理解したわけです。発砲の後の停電など、非常に事実に忠実に作られていたので、ひょっとしたらたんなる事実の再現だったのかもしれませんが、イ・ビョンホンが2人を射殺して部屋を出ようとしたときに、血の海に足をとられて豪快にすっころぶところは、非常に象徴的でした。かりに革命の大義があろうと、結局この「部長」も同じ穴の狢だ、ということなのでしょう。いろいろと考えさせられる映画でした。



2月8日(月)まったく無知でした

 なんとも自己の無知を恥ずべきことに、映画を観るまで、あの「閣下」は文世光に暗殺されたものだとずっと思っていました。だから、拳銃を向けるまでにどこかで露見して逮捕されるのだろうと思っていましたし、拳銃を向けても、1発目では仕留められず、使える拳銃を探しに行って戻ったあたりで逮捕されるのかと思いましたし、2発目で殺害したときには、ああ、これはフィクションなんだな、と思いました。この出来事の時の方が5年も年をくってるのに、文世光による暗殺未遂の方が印象に残っているのは、たんなるアホだからなのか、それともひょっとしてこの共同体における報道が、文世光による暗殺未遂の方を大きく取り上げる理由があったからなのか、とか思わなくもありませんが、しかし自己の無知を陰謀論に帰するのはよくないと思いました。



2月9日(火)ばんばってください

 サメに対して失礼極まりない人について、「お年寄りをいじめないで」などとほざいているごみくそタレントとかもいるそうですが、他方、高齢者を例にとって人には死ぬ義務があるという珍説を論文ちっくに仕立て上げたカント学者もいます。そのごみくそタレントは、件のサメに対して失礼極まりない人を高齢者とみなしているでしょう。もしそうだとしたら、次にこのカント学者は、件のサメに対して失礼極まりない人には死ぬ義務があるとお考えになることでしょう。なるほど。あんなカント研究者のごくごく一部しか読まないような公刊物にご意見を披露するのではなく、今こそ、サメに対して失礼極まりない人には死ぬ義務があるとどこかでご発言なされば、その優生思想に満ち溢れたご高説が世に知られるようになりますよ。ばんばってください。



2月10日(水)何が「思想としては深いものがあった」だ

 どっかの予備校教師が「ナチスの政策がいかにすばらしいかということを超論理的に書いて提出してきた」(「超論理的」って何なんでしょう。論理を超えているってことなんでしょうか。もうこの時点でわけがわかりません)高校生の小論文について、「文体や論理性がずばぬけている」と言い、しかし「「虐殺の有用性」は明らかに倫理に反する」とかで、「採点に困った」そうです。虐殺は正義に反しているのですから倫理がどうこうって話ではないだろうと思いますが、150万歩譲って倫理の圏域があるとして、「論理は倫理を前提する」って言葉くらい、予備校教師なら知っていてもいいんじゃないですかね。そう言えば、〇〇学派の議論について、侵略戦争を正当化する側面をもっていたことは疑いえないが、思想としては深いものがあったと『思想』に書いた差別主義者もいましたっけね。件の予備校教師のようなメンタリティのやつは、実はそこらじゅうにいて、倫理学を教えたりもしたわけです。まあ、倫理学ですけどね。



2月11日(木)『ミッドナイトFM』

 これまた前に観たことがあったのに、ほとんど内容を覚えていませんでした。たしか母性がどうこうとかで、本質主義的差別主義丸出しだと思った記憶だけがありました。マ・ドンソクが出ていたことも知りませんでした。さらに、悪いやつがユ・ジテだとは、終わってから初めてわかりました。『春の日は過ぎゆく』はもちろん、『オールド・ボーイ』だって、もうちょっと穏やかな面持ちだったような気がするのですが、役柄のせいでしょうか。『タクシードライバー』の英雄論が展開されるのですが、きっとどっかの予備校教師は採点に困ることでしょう。一生困り続けてください。



2月12日(金)ちょっとなら許されると思ってるのか

 セクシストであるサメに対して失礼極まりない人は、そもそもそれ自体が不正以外の何ものでもない組織の長を辞任したそうですが、これに関して、「辞任に追い込んだ議員の先生がたは、今後ちょっとでも差別的な発言、蔑視する発言をしたら辞めないとですね」とか言って、何事か言ってるつもりの臣民がいます。こういう臣民は、それが当たり前のことだってわからないんでしょうか。わからないんでしょう。本当のところを言えば、ちょっとだろうとたくさんだろうと、議員が「差別的な発言、蔑視する発言をしたら」みずから「辞める」なんて選択肢はないんですよ。電2が死滅一択なのと同様に、こんなごみくそ議員は「辞めさせられる」一択です。ったく、こんな臣民が92%もいるなら、そりゃ身分差別はなくならん罠。



2月13日(土)不要不急不正

 ほぼ10年前に爆発して放射能をまきしらした原発のある地域で大きな地震があると、戦闘機が出動しなきゃならないほど、戦闘機が所属している殺人集団はなくなってしまえって思われているってことでしょうか。それだったら、大変うれしく思いますが、しかし残念ながら、そうじゃないでしょう。むしろ、ある種の人たちは、「災害時には殺人集団」というわけのわからない呪文の裏づけをここに見出すことでしょう。そう言えば、医療関係者への感謝を示すブルーインパルスの飛行とそれに手を振る医療関係者という壮大な茶番もありました。もうただちに電2ともども死滅してください。



2月14日(日)ごみくそ倫理学者

 例によってデマツイートが流され、それを批判すると、そんなことは冗談だとわかっている、マジレス乙、という冷笑主義が蔓延しているわけですが、ひょっとしてあれでしょうか、精神疾患のある人の真似をして笑いをとろうとするパフォーマンスを「これは芸です」と言ってのけたごみくそ倫理学者は、その人なりの冷笑主義を披露していたのでしょうか。てっきりそいつはたんなるアホの倫理学者にして芸術無罪論者なんだと思っていましたが、そのパフォーマンスが差別であることなんて、みんなわかっている、マジレス乙、という意味で、「これは芸です」って言ってたんでしょうか。だとすると、〇〇学派の議論が侵略戦争に加担したことは事実だが、「思想としては深いものがある」と書いたのも、冷笑主義だったのか。まあ、どっちにしてもクズに変わりはありませんけどね。



2月15日(月)どこが同じだか言ってみろ

 そんなことは冗談だとわかっている、マジレス乙の冷笑主義者たちは、その冷笑主義を批判されると、冗談だとわかっていることなのにアカウントの凍結を求めるなんていうのは、「井戸に毒を入れた」というデマをばらまくことと同じだと言うのですが、いったいどこがどう同じなのか、言えるのでしょうか。デマにもとづいて警察、軍隊、一般人が一体となって虐殺を行ったことと、デマをまくやつのアカウントの凍結を求めることが、どう同じなんでしょうか。まあ、こいつら冷笑主義者は、ド詰めされてもどうせヘラヘラしているだけでしょう。そういうところが見事にポストモダン的身振りであり、許しがたいところです。



2月16日(火)臣民主義者の精神科医

 いろいろとリベラルな発言はするのだけれども、結局のところ臣民主義者である精神科医にして大学でも教鞭を執られるあの方が、ある新聞に「オリンピックは、平等で公正な場でアスリートたちが実力を競い合う場だ」とかお書きになられているそうで、どうしてそんなに熱心に人を笑わせようとなさるのか、まったく理解ができません。こんなもの、「民族の祭典」以外の何ものでもなく、かつてみなさまのNHKが「民族の祭典」を開催するメリットの第一に「国威発揚」を挙げた際にそこらじゅうから非難がありましたが、この件については珍しくNHKの「解説」が正解であって、「民族の祭典の憲章がどうのこうの」とか言ってるやつらこそは、欺瞞だらけのたんなる「健全な」ナショナリストなんです。まあ、「平等で公正な場」とやらを設定する名誉総裁がだれだか知ってんのかよと、この精神科医に言ってみても、なんの意味もありません。なぜなら、この方、皇族のお靴ぺろぺろですから。「民族の祭典」なんて、電2ともども死滅一択。



2月17日(水)おまえこそ金払え

 あああ、きてしまった。どうしよう、どうしよう。「あなたが性的な行為を行っていた間、私はビデオを作りました。」って。あんなことやこんなことを行っていた間、ビデオを作っていたんですね。おそろしや、おそろしや。なわけねーだろ。「正直なところ、最初は悪いことはしたくないと思っていたので、遊びでやっていました。」って、あんたの遊びはすでに犯罪行為なんだよ。犯罪行為は「悪いこと」だって学校で習わなかったのか。いくら「COVIDで体調を崩してしまい、仕事を失ってしま」ったからって、「これを使ってお金をもらう」なんてことをしちゃいかんのだ。えっ、金を払えば「あなたの友人や親戚にこのビデオを送りません。」って? アホ抜かせ、何を勘違いしてんだ。おまえはまず出演料を払わなきゃいかんのだよ。金を払わなきゃいけないのは、おまえなんだよ。ったく、ただでビデオ撮ってそれで金儲けしようなんて、クズにもほどがある。



2月18日(木)なんと

 上記のおまえこそ金払えによれば、ビデオ撮影は、こちらのカメラとマイクを遠隔操作して行ったそうです。ノーパソのカメラって、言うまでもなく、少なくともディスプレイを立てないと使えないわけですが、ひょっとして、遠隔でディスプレイを立てていたのでしょうか。もう恐ろしすぎるにもほどがありますね。いやいや、あれか、どーせこいつのことだから、ノーパソ使いながら「性的な行為」をやらかすだろう、って読んだんでしょうか。うーむ。なんてことを考えてたら、今日、03から始まるまったく見覚えのない番号から電話がかかり、もしやものほんの脅迫をされるのかとビビりました。ネットでその番号を調べてから、2度目のコールで通話したことは秘密です。なんと。



2月19日(金)どっかで聞いた話

 何を狙っているのか、少なくとも学問的名声だけではないことが明確なハーバードのなんちゃらとかいう歴史修正主義者が、日本軍「慰安婦」について右翼が喜ぶ論文を書いているそうです。それに対して、英語圏のある日本史研究者が、そのごみくそ論文の解釈を検証すべく、逐一典拠史料に当たり、文脈から切り離された解釈がなされていることを批判しているそうです。あれ、どっかで聞いたことがあるような話です。浪速大学文学研究科でも特任として呼んでしまったことのある歴史修正主義者にしてファンタジー作家も、典拠史料から恣意的な切り取りを繰り返し、でたらめフィクションをばらまいたわけですが、逐一典拠史料に当たった人からでたらめぶりを暴露されたわけです。その結果、この朴裕河という人は、「真意」の理解を求めるという、なるほどファンタジー作家ならではの逃げ方を見せたわけですが、同時に、自分が歴史学者でもなんでもないことをゲロったわけです。さあ、ハーバードの方も、「真意」の理解を求めるのでしょうか。そうすれば、おひとりさまからは支持してもらえるかもしれないし、ひょっとしたら浪速大学文学研究科でも教鞭を執ることになるかもしれません。ぼんくらのせいで。



2月20日(土)もっともひどい死刑制度廃止論

 亀井静香は死刑制度に反対する超党派の議員連盟会長だった人ですが、しかし同時に、「日本は天皇の国」とか「みんな天皇の子」とか言う人でもあるわけです。死刑制度に関するインタビューで、「ちょっとした感覚で死刑廃止には賛成できない」議員も、「真剣に考えれば、死刑はやはり廃止すべきだという考えに達するだろうと確信」していると言ってるんですよ。「人間のいのちや自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではない」とかね。身分差別の制度が「人間のいのち」を「大事に」してますかね。「真剣に考え」て、死刑制度は廃止すべきであるという考えに至ることのできる人が、なぜ、身分差別は差別だとわからないのでしょうか。こんなのたんなる分析判断じゃないですか。これじゃあ、たんに「天皇の子」を国家が殺してはいけない、って言ってるだけですよ。もっともひどい死刑制度廃止論です。



2月21日(日)何の説得力もない

 阪ちんから大リーグへ行ったことのある人が(あれ、この人って、もしかして東京駅でタクシー乗り場の手前でタクシーに乗って「おれらはええんや」って言った人でしたっけ)、セ・リーグにもDH制を導入すべきだと主張して、「やった人間が言うてるんや」とおっしゃったそうです。大リーグでDH制を経験した人間が言ってるんだから、この主張は正しいんだ、ってことなんでしょう。そしてこれを聴いて、「説得力がある」とか言っちゃってる人もいるそうですが、これは典型的なアイポの主張です。「経験した」からこそ、見えなくなっていることだってあるかもしれないわけで、そうだとすると、「経験した」ことは、むしろ主張の正当化とは逆に働いてしまうでしょう。ですから、「経験した」ことは、なんら論拠にはならないわけで、結局のところ、DH制を導入すべきである、なぜならDH制を導入すべきであるからだ、と言ってるだけです。こんな主張に「説得力がある」わけがありません。



2月22日(月)それは新自由主義だ

 このアイポの人が、DH制に反対する理由として「出場機会に恵まれない選手たちが出てくる」と言われる点に言及するや、対談相手がすかさず、「でも実力社会やん」と言い、それを受けてアイポの人は、「そうなんですよ、それがプロ。」だと。「下手な人は去れ」って。まあ、このおふたりのように、自分には実力があったとか、あるいはみんなが大好きな努力で実力を獲得したとか、そういう勘違いをする人たちにはありがちな話の展開です。そんな「実力」とやらは、相対的なものにすぎないのに、あたかもある一定の水準を超えたもののみが「実力」であり、自分たちはそれを身につけていたと錯誤しちゃうんです。こうした実力主義こそは、まさしく新自由主義のイデオロギーにほかならないわけで、もちろん当人たちにイデオローグの意識なんて皆無でしょうけど、それがイデオロギーのイデオロギーたる所以です。これで明確になりました。DH制導入に賛成することは新自由主義に賛成することなんですね。



2月23日(火)言うまでもなく出勤

 言うまでもなく、本日は出勤しました。まさか祝意をおもちの方などいらっしゃるとは夢にも思っていません。そう言えばむかし、左翼とおぼしき方が、だれの誕生日だろうと休みはあった方がいいとおっしゃって、途方もなく絶望的な気分をあじわったことがあります。休みはあった方がいいことは間違いないと思いますが、しかしそこに「祝意」がくっついてくるのであれば、そんな「休み」は全力で拒否すべきでしょう。実際に「祝意」があるかどうかなど、問題ではありません。いや、実際にもっちゃう人ともたない人の間にはそれなりの違いはあると思いますが、しかしそれは質的な差異ではないでしょう。いずれにしても、こうした人たちは「恩赦」にも賛成するでしょうし、十中八九、基地引取り派でもあるでしょう。要するに、「健全な」ナショナリストという名の立派な臣民です。



2月24日(水)精進は不要

 どっかの漫画家の方が「なんで7万円くらいの飯で、あそこまで騒ぐのか分からない」とかおっしゃっているのですが、この方は贈収賄という概念をおもちではないのか、それとも贈収賄くらい知っているけれども、7万円くらいの飯で何が悪いんだってことなんでしょうか。しかし、贈収賄という概念をおもちなのであれば、7万円くらいの飯で何が悪いんだってことにはならないので、この方にはやはり贈収賄という概念が欠けているのでしょう。「3000円のパンケーキの様な焚きつけ方や報道に対しての僕の書き込み」が、「政権批判の人たちには伝わらなくて」、「漫画家としては誰にでもわかりやすい、簡単に伝わる様な台詞回しをもっと精進したいです」とおっしゃっているのですが、ご心配には及びません。ちゃんと伝わっていますって、あなたが吉本のクソ芸人たちと同様に、たんなる提灯持ちだってことは。必要なのは、おっしゃっているような「精進」ではなく、「悔い改めること」です。



2月25日(木)変更の理由は言えまい

 『週刊朝日』オンライン限定記事の見出しが、「菅首相の長男が接待した美人内閣広報官の裏の顔 更迭された総務省幹部の後任は夫」だったのですが、批判が殺到して、しれっと「菅首相の長男が接待した山田内閣広報官の裏の顔 更迭された総務省幹部の後任は夫」に変更されています。批判されて修正するのはよいことだという声もあったりしますが、しかしこれって、不正だから修正したんじゃなく、がたがた言われるから修正したんじゃないんですかね。だって、クソ朝日新聞クソデジタル版では、かつて「進むミスコンの脱・性別化 それでも根強い「やめたら」」って見出しをつけていましたよ。ミスコンという品評会的差別主義に対する批判を「それでも根強い」って形容しているのです。差別に対して「差別をやめろ」って言ったら、「それでも根強い」って返してくるメンタリティなんです。なにしろ、かがみよかがみ編集部なんてごみくそ編集部があるくらいです。



2月26日(金)てへっ

 なんちゃら賞をとったとかでまたちょっと騒がれている『パラサイト』ですが、そりゃなんちゃら賞もとるでしょう、ハリウッドの「良心」に触れる程度の作品なんですから。ちょっと新自由主義批判をしてみました、てへっ、ですから。重要なのは、「ちょっと」ってところです。それを根本から覆すなんて「現実が見えない」ことをしちゃいけません。その一環として、DPRKをバカにするシーンも挿入されているのです。そんなわけで、ソン・ガンホと言えば『復讐者に憐れみを』ですが、その監督の『オールド・ボーイ』を久しぶりに観ました。もっとも好きな映画のはずが、細かなところが記憶とは異なっていました。とはいえ、『パラサイト』が酷いという記憶に間違いはないでしょう。




2月27日(土)不憫な書類ケース



 この書類ケースはどうして机の上から落ちていないのでしょうか。測ってみたら、机の上に乗っている部分はせいぜい1/6にすぎません。滋賀県の面積に占める琵琶湖の大きさが、まさかの1/6だからって、この書類ケースが机の上に乗っているのは錯覚でもなんでもありません。机から落ちないのは、上に乗ってるやつらがとんでもなく重くて、「落ちたくても落ちられない」って感じなんでしょう。しかしそもそもこんなふうに書類ケースが断崖に立たされているのは、地震のせいで横にあった本たちから押されたせいです。横にあった本たちのなかには、なんの遠慮もなく、堂々と書類ケースにもたれかかっているのもいます。横からはもたれかかられ、上からは押さえつけられ、なんとも書類ケースが不憫です。というようなことを、土曜日の昼下がりに書類ケースの写真を撮りながら思いました。



2月28日(日)卑劣かつオカルトなやつ

 人が気分よくイバTVとか観ようとしていると、カードもったやつがここは自分が払うだのなんだの言うCMが流れてきて、一気に不愉快になります。そもそもこの人、カード作るときに審査に引っかからなかったのか、こんなところもコネクションでなんとかなるんか、まったくネポティズムはくそいまいましい、って感じです。聞くところによると、あの親会社が原発を推進してやまない「わが軍」(by 恐喝に1億円払う男)のコーチになってるそうですね。この人がドラフトのときに大学進学すると嘘ついて、まんまとその「わが軍」から指名され、その後、その高校からその大学への推薦入試枠がなくなったことは有名ですが、世の中の人たちは、こんな卑劣なやつのことを何とも思わないのでしょうか。「わが軍」のファンは、勝てば何やってもいいと思う右翼メンタリティの人たちなので、何とも思わないでしょうけど、それ以外の人たちが、このボールとしゃべっていたオカルトなやつのことを何とも思っていないのが、不思議でなりません。



3月1日(月)なぜそう考えるのか

 いわゆる「かかりつけ医」というのが、よく見かける典型的な「医者」で、ずーーーっと検査抑制派だったし、親切心だかなんだか知らないけど、マスクをして歩くのは苦しいでしょうから、マスクなんてしなくていいですよ、と言うし(言うまでもなく、そんなご助言には従いません)、こちらの職業を知っていて、ずーーーっと対面授業をすればいいと言い続けています。「クラスターも出てますけど?」と口答えしたら、「僕は「クラスター」という言い方も好きじゃないです」とおっしゃるのですが、いやいやいやいや、COVID-19の動向はあなたの好き嫌いで決まるんじゃないでしょ。この手の医者から見ると、オンラインで授業しているようなやつはたんなるチキンだってことなんですかね。あるいは、怠けものか。しかしチキンとなまけものでは、類が違うぞ。



3月2日(火)品評会を問えよ

 「男性がミスコンに出る」というノーテンキな映画があるそうで、そのノーテンキな映画から「男らしさ」と「女らしさ」の境界線を考えるノーテンキな人が、そのノーテンキな映画から「男らしさ」と「女らしさ」の境界線を考えるノーテンキな記事を書き散らしています。どーせ、そんなに明確な境界線は引けないんだとかいう話になるわけですが、しかし「らしさ」は何が何でも堅持するわけですよ。そもそも、「コンテスト」という名の品評会=差別大会について、どうお考えなんでしょうか。例によって、あれですか、そんなだれかからの借り物の原理原則を語るのではなく、面白おかしく笑いながら自分の頭で考えましょう、ですか。笑いながら差別するようなやつがそいつ自身の頭を使って考えた末に出てくるものがうんこじゃなかったら、それは奇跡か、あるいは便秘だろう。



3月3日(水)ごみくそ差別大会

 ノーテンキに続いて、パナマの団体が、「法的・医学的に女性と認められた男性からの性転換者に対し、ミス・ユニバース代表選考会への門戸を開くと発表した」というごみくそニュースがありました。その団体は、「ミス・パナマはわれわれの文化における平等と尊敬、愛を広め、パナマ女性の社会的地位向上を推進する」とかいう声明も出したそうです。「コンテスト」という名の品評会が、どんな「平等」を広めるんでしょうか。こんな差別大会が、どのようにすれば「女性の社会的地位向上を推進する」というのでしょうか。バカも休み休み言ってください、ではなく、バカは言ってはいけません。そもそもミス・ユニバースという差別大会は、たしか2015年まで、当初はマスクをせず、感染したらとっとと最前線の治療を受け、その後こっそりワクチン接種もすませ、選挙に負けたら支持者たちを煽って暴動を起こさせ、ヨーロッパの政治家たちをあきれさせたあのゴミが、共同代表を務めていた団体による催し物ですよ。もう死滅の一択でしょ。



3月4日(木)そんな「学問の自由」はない

 ハーバード大にある三菱の寄付講座に所属するラムザイヤーとかいうデマ吐きが日本軍「慰安婦」に関する歴史修正主義のファンタジーを書き連ね、論文の撤回を求められているのですが、出ました、出ました、「学問の自由」ガ―。ひょっとすると中には本気で何を書いても「学問の自由」だと「感じている」うんこたちもいるかもしれませんが、大半は、歴史修正主義を「学問の自由」の名のもとに正当化したいのでしょう。しかし歴史を修正する自由なんてありません。それは、名誉を棄損する自由もなければ、差別する自由もないのと同じことです。逆に言えば、朴裕河のことを「守らなければいけない」と言った立命館のマッチョ差別主義者とか、おひとりさまとか、「笑いはすべてを超越する」系とか、「これは芸です」ぼんくら倫理学者とか、こいつらはみんなラムザイヤーを擁護しなきゃいけません。死んだふりしないで、ちゃんと擁護してやってください。



3月5日(金)やりすぎにも程がある

 ドラ1がいきなり流し打って、レフトフライかと思いきや、そのまま初打席初安打初本塁打初打点などということがあったり、ちゃんとバントしやすいところへ投げて来いと大リーグでは稼げそうになくなったのでとっとと元の球団に「男気」とやらを見せて戻ってきたやつから恫喝されて潰されかけてた球界の至宝が4回無失点とか、おまけにつねに本気のホークスに完勝してしまって、もうやりすぎにもほどがあります。こんなことをやってるから、シーズン始まったら、全然勝てなくなっちゃうんですよ。きっとそのうち、クソ日刊ゲンダイにボロカス書かれるに違いありません。



3月6日(土)だって大阪だから

 都構想の代案が市議会で可決成立する見込みだそうです。そうです、そうです、いつものように宗教政党が賛成にまわることを決めたからです。雨合羽は日頃から宗教政党をあしざまにこき下ろしているというのに、法案を通すのに協力してもらうわけですね。さすが、公用車を乗り回して煙草を吸い、公用車を乗り回してスパつきホテルへ行くだけのことはあります。しかしそんなことはせずに、池田市長に見習って、執務室にスパを設置すればいいじゃないですかね。そしたら「公務予定なし」の日も激減するんじゃないですかね。なんでこんなでたらめがまかり通るのでしょうか。だって大阪ですから。長らく、吉本の芸人上がりのセクハラヤローが知事を務め、首班指名に際して皇軍のための慰安所設置に貢献した不沈空母・風見鶏・原発推進の中曽根に「小さなことからこつこつと」投票したやはり吉本の芸人上がりの国会議員が選出されていた地ですから。



3月7日(日)『依頼人』

 ハ・ジョンウが主演の『チェイサー』と『哀しき獣』を2度ずつ観て、今回これを観たのですが、これもひょっとして2度目だったのか、いやいくら何でも記憶が消えすぎていて、今回が1度目だと思うのですが、しかしこの手の結末には嫌な思いしかせず、その嫌な思いは前にも味わったような気がするので、やっぱり2度目かもしれません。と思ったのですが、同じ嫌な思いは、『セブンデイズ』でも味わったので、その記憶かもしれないと思い始めています。ところでハ・ジョンウは、イム・スジョンが夫と別れる夫ざまぁみろ映画にも出ていたようですが、ひょっとして、電話で出てくる恋人だったのでしょうか。それ以外に、それらしき人がだれか出てきたような記憶がないのですが、まあ、映画の記憶なんてあいまいなものなので、よくわかりません。



3月8日(月)臣民ホイホイ

 沖縄での米軍ヘリに対する批判として、皇居の上空に米軍ヘリが飛んでもいいのか、と問うた人は、もちろん問いの相手はネトウヨだという前提だと思います。そしてこの問いは、自己意識としてはネトウヨじゃないけど、その実、臣民であるという人たちホイホイ、したがって自覚的にはネトウヨじゃないけど、しかしたんに自覚していないだけのネトウヨの人たちホイホイでもあります。なぜならこのように問われて「ノー」と言うネトウヨを自覚していない人は、皇居の上空に米軍ヘリが飛ぶという虚構によってはじめて、米軍ヘリの存在に疑いの目を向けるからです。自覚しているかしていないかなんて、どーせ意識哲学の問題ですから、どっちもごみくそ認定でよいのだろうと思います。ただ、この質問に対して、何が悪いんだ、ドローンだったらまずいけど、と答えるネトウヨは、ある意味では最強かもしれませんが、しかしウヨの風上にもおけないことはたしかです。



3月9日(火)まあ、はみ出る

 諸般の事情により、FMを聴いていたのですが、『山谷ブルース』を歌っておいて、左派だのなんだの言われるのが嫌だったとか、いったい何なんだろうと思ったりしました。しかしまあ、なんつっても「フォーク」のかみさまなんだから、そんなものかもしれません。この歌のB面だった『友よ』は、殺人集団の駐屯所の愛唱歌か何かに使われたりもしたし、キャンプファイヤーで歌われたりもした、歌にはいろんな解釈があるのが理想だ、といったようなことをおっしゃっていたような気もしましたが、それ、全部ひとつの解釈じゃねーの、って思いました。左から右まで、自覚的には政治的スタスをとっていないキャンプファイヤーの参加者たちも、みんな臣民主義じゃないですか。この歌は、八王子2中の文化祭か何かでかっこよさげな男性美術教師が歌い、異性愛主義者の多くがうっとりしていたことを記憶していますが、なるほど、たしかにキャンプファイヤーにつながるものがありますね。道理ではみ出るわけだ。



3月10日(水)みぐるみはいで、野に放てばいい

 王室などというそれ自体差別の代物以外の何ものでもないところで人種差別に遭ったという「王女」の告発があって、クソ女王が「真剣に受け止めている」と声明を出すといううんこ芝居が垂れ流されています。言うまでもなく、人種差別そのものが正当化されるわけがなく、それは告発されてしかるべきでしょう。しかしその人は、その婚姻相手たちが差別の上に存在しているうんこたちだと知らなかったと言うのでしょうか。そうそう、この告発した人とその夫とかいうクソ女王の孫は、米CBSに放映権を7億円で買わせていたそうですね。かつてダイアナのことをかわいそうだと言ったリベラルの知り合いがいましたが、ほんと、心の底からつくづくアホだなと思ったものです。こんなやつら、みぐるみはいで野に放てばいいと思います。あとは知ったことじゃありません。



3月11日(木)『ゆきのこぼうず』

 知り合いから、『ゆきのこぼうず』を知っているかどうか尋ねられましたが、まったく知りませんでした。ずっと頭の中を回っていると言ってましたが、そのまったく知らなかった歌をつべで見てしまい、今日は一日中、「ゆ〜きのこぼうずゆ〜きのこぼうず」が頭の中を回っていました。ひょっとして感染力があるのかもしれません。これってひょっとして『しゃぼん玉』と同じような話なのかと思い、ちょっとだけ調べてみましたが、真偽不明でした。そもそもこれって、どのへんで流行っていたのでしょうか。やっぱ「みんなのうた」あたりでしょうか。明日も頭の中を回ったままかもしれません。



3月12日(金)身分差別の巣窟

 世界に先駆けて囲い込みをやり、世界に先駆けて植民地を作り、世界に先駆けて「パレスチナ問題」を引き起こし、世界に先駆けて…、といった具合に世界に先駆けて悪のかぎりを尽くしてきた差別主義者が集まる一家の「王子」とやらが、差別主義者同士の争いについて「人種差別ではない」と言ったそうです。なるほど。自分たちのやらかしていることは人種差別なんかじゃなく、身分差別だよ、ってことなんでしょう。よくわかります。人種差別なんて、この偉大な差別主義を矮小化しないでくれ、って主張ですよね。こんな差別主義者たちから称号もらって喜んでた「ずうとるび」もどきもいましたっけ。おぉ、やはりこいつらから称号もらってたなんちゃらとかいうスパイもののシリーズの俳優が生前DVに勤しんでいたのも、差別主義の体現にすぎなかったというわけですね。



3月13日(土)あれはゴミでしょ

 加藤典洋のことを歴史研究者なんて形容することは、朴裕河を歴史学者と呼んでしまうのと同じくらいに深刻な問題だと思いますが、それはさておき、哲学研究者にもあんなのを平和論を論じる文脈で引用してしまう人がいて、しかもそういう人は問題意識のある善良な哲学研究者とみなされてしまいます。ああいうのをもち上げる手合いは完膚なきまで叩き、その名前を口にしたことを一生後悔するくらいにしてやらないといけません。もっとも、何を言っても構わないのがリベラルだと勘違いしている哲学研究者は結構たくさんいるので、叩かれたところでたんなる見解の相違だとしか考えないでしょうし、叩かれていることすらわからないかもしれません。つまりそれほど事態は絶望的です。



3月14日(日)実にサイテーな人たち

 原発推進の日テレが、アイヌの人々を差別する表現を笑いのネタとして放送しました。同じ日のニュース番組内で謝罪が行われたようですが、いやいや、こんなときは「笑いはすべてを超越する」とかほざいて差別を正当化してくれる博士に登場してもらえばいいじゃないですか。「ぼくにはアイヌの友人がいて…」とか、クソどーでもいい個人的なバカ話を披露するやつも現れますよ。おっと、この件について、「これは芸です」のごみくそ倫理学者は何てコメントするでしょうか。差別的ではあるが、表現として深いものがあるという、京〇学派擁護メソッドが用いられるのでしょうか。その表現が差別的かどうかは判断すべきではない、とかいうのもわいて出てくるかもしれないと思いましたが、いや、立ち回りのうまいあの人は、こういうときはまったく関係ないふりをするでしょう。実にサイテーな人たちだ。



3月15日(月)だから、田中康夫案件

 田中康夫案件のどっかの市長が記者会見で、記者から、大阪の変異株の調査状況や発生状況を尋ねられ、専門家に聞くよう答え、ワクチンが効くかどうか、専門家じゃないんだからわからないとも答えました。子どもにも感染する可能性が示唆されていると言われても、「だから、専門家に聞いてよ」と答えました。この「だから」は、わいはアホ「だから」という意味なのか、わいは公務なんかに興味はないの「だから」という意味なのか、公務には興味はないが公用車を使って煙草を吸うようなアホ「だから」という意味なのか、公用車を使ってスパつきホテルへ行けるわいはえらいん「だから」という意味なのか、いったいどれなんでしょう。あっ、忘れてました、わいは雨合羽の専門家「だから」という意味なんでしょうか。だから、田中康夫、一刻も早く責任取れよ。



3月16日(火)『殺人者の記憶法』

 主演のソル・ギョング、その髪型は笑わせようとしているとしか思えませんでしたが、そうでもなかったのでしょうか。DVの父親を殺して以来、社会のクズと判断した者を殺しまくるわけですが、やがて「娘」に近づいてきた新たな殺人鬼と対決することになります。この新たな殺人鬼が、なんと警棒もってるやつです。なにかあればその警棒で人のことをひっぱたくことをへとも思わないわんわんなんです。映画の中で、あの人はわんわんだから信用できるなんて言われていますが、いやいや、ほかならぬわんわんだからこそ信用できないだろ、と思った私は、ひょっとしてソル・ギョングと同じメンタリティなんでしょうか。しかし記憶にあるかぎり、殺人の経験はないし、幸か不幸か肝心の「娘」もいません。



3月17日(水)電波部長に偽証を教唆する大臣

 総務省の大臣武田良太(衆院:福岡11区)は、電波部長(←役職名ですよ。ギャグじゃない)が野党の質問に対して答えようとした際に、「記憶がないと言え」と明確に指示を出していますが、その様子がその声ともども中継されました。さすが電波部長に命令するだけのことはあって、偽証の教唆という自己の悪事も堂々と公共の電波に乗せて放送するんですね。きっと忘れんぼさんなので、自分が教唆したことを証拠として残しておいて、すぐ「記憶にない」とか言って逃げたりしないように退路をお断ちになられたのでしょう。いやもう立派すぎます。ところでこの方、以前は「国土強靭化担当大臣」だったようですが、なんですか、国土強靭化って。やっぱ岐阜県とか長野県あたりに腹筋とか背筋とかをやらせるんでしょうか。わけわからん。



3月18日(木)クソどーでもいい思い

 民族の祭典のクソ面白くもない差別演出に関して、あるやつが、「『Japanese DARUMA』に扮して開会式に出演するような演出があった場合、やっぱり世界中から非難を浴びることになるのかな」だの、「演出家の方が、そうしたアイディアを仲間内に提案した場合、やっぱり『辞任に値する内容』だと判断されるのかな」だの言って、「私に関してはOKにしてくれ笑!」と、いつの間にやら障がい者代表を気取っていますが、別にこいつ個人がどう思うかなんて、クソどーでもいいことであって、こいつのクソどーでもいい思いは差別を正当化しません。それは、差別を「芸」と称して笑ってもよいことを教員から教えてもらったバカが、「ぼく」と障がい者とのクソどーでもいい経験を語ったところで、それが差別を正当化するわけじゃないのと同じことです。



3月19日(金)意図&誤解メソッド

 野党の質問に対して答えようとした電波部長に「記憶がないと言え」と偽証を教唆し、その様子を中継された総務省の大臣武田良太(衆院:福岡11区)は、その教唆について、やはり退路を断っていたため、「記憶がない」とは言いませんでした。「その言葉が私の口から出たのかもしれないが、答弁を指示する意図は全くない」そうです。「意図」メソッドできました。差別する意図はありませんでした、と同じですね。そして「誤解を与えたのであれば申し訳ない」と。おし、じゃあどういう「意図」でそれを発言し、それの「誤解」ではない正しい理解は何であるのか、説明していただきましょう。



3月20日(土)自覚のないただの右翼

 「編集業」に就く方が、自由主義史観研究会が登場した頃にクローズアップされた言葉として「健全なナショナリズム」を取り上げ、「そんなものはあるのか」と疑問を呈していらっしゃいます。言うまでもなく、そんなものはありません。こんなものがあるとしたら、「健全な差別」があることになりますが、そんなものはないじゃないですか。にもかかわらず、こんな自明な話なのに、右翼の自己意識をもたない、むしろ自分のことを最低でもリベラルだと思い込んでいるような人が、「健全なナショナリズム」を肯定的に論じたりするのは、たんに考えが足りないからなのか、なんとしても「ナショナリズム」だけは否定したくないからなのか、あるいはなんらかの深遠な理由からなのか、どれなんでしょうか。どの理由でもどっちみちうんこですが、では、「不健全なナショナリズム」とはどのようなものであるとお考えなのか、お尋ねしたいものです。いや、ほんとは口も聞きたくないです。



3月21日(日)善良な顔をした差別主義者

 その頃、教科書を歴史修正主義的に書き換える運動を行った人たちは、きっと自覚的にナショナリストだったでしょうし、いまも自覚的にナショナリストでしょう。だからいい、なんてことにはなりませんし、だからまし、なんてことにもなりません。しかし自己意識としては少なくともリベラルで、自己のことをたんなる「健全なナショナリスト」だと思ってる連中は、これら自覚的なナショナリストとは違った意味で悪質であり、太宰が言う意味で札のついていない恐ろしさがあります。善良な顔をしているだけに、これらの連中は信用まで勝ち得てしまい、これらの連中を信用する人たちは、自己のナショナリスティックなメンタリティを肯定してもらい、安心して差別を実行するというわけです。そしてこれら善良な顔をした差別主義者が、下品な教科書書き換え派を侮蔑しつつ、絶賛していたのが加藤典洋の『敗戦後論』です。



3月22日(月)自己意識としては「リベラル」

 そう言えば、障がい者差別をウリにして笑いをとろうとするクソパフォーマンスを「これは芸です」と言って障がい者を笑いの種にすることを正当化し、安心して障がい者を笑えるよう導いた者も、『敗戦後論』を肯定していました。ここには何の不思議もありません。そして自己意識としてはリベラルくらいのやつがもつナショナリズムを肯定してくれる『敗戦後論』の著者をかついで、日本哲学会でワークショップなんぞを開いてしまった人たちもいます。「死者の責任は問えない」といって、ナチス党党員だった哲学史家を免罪した者とか、「これは芸です」とともに、他大学でセクシュアル・ハラスメントをやらかしたやつについて「しかしあの人の人脈は貴重だ」と言って、浪速大学で共同研究していた者とか。ひょっとして、これらは別の問題だとお考えの方がいらっしゃるでしょうか。ああ、あなたは自己意識としては「リベラル」ですね。



3月23日(火)『復讐者に憐れみを』

 やはり『パラサイト』(←「資本主義を痛烈に批判する」なんて形容がされているのを見てしまいましたが、はて、どのへんが「痛烈」だったんでしょうか)などと比べたりしたら、『パラダイト』が恥辱のあまり崩れ落ちるのではないかと思えるほどでした。革命的無政府主義者同盟の彼女は、明確に新自由主義批判を口にしています。これがすでに2002年に作られているわけです。なのに、父親はやり損ねたけれど、ぼくは頑張って新自由主義を生き抜くぞ、どころか、新自由主義で成功者になるぞ、というおぞましい映画が作られ、ハリウッドの良心を少しだけ刺激して、しかし体制そのものの転覆なんて考えるわけがないので、絶賛されちゃうんですよ。ああいうのを絶賛する人たちって、ひょっとして健全なナショナリストじゃないでしょうか。平然と、排外的なナショナリズムはいけません、とか言っちゃいそうです。あのぉ、排外的じゃないナショナリズムって何ですかぁ〜〜〜。



3月24日(水)「意図」なんてクソどーでもいい

 『報道ステーション』とかいうエンタメ番組があるそうですが、「これは報道ステーションのCMです。」という差別丸出しの番組CMを作り、例によって「意図」をきちんと伝えられなかったとかいう「理由」で動画を削除しました。仕事から帰宅した女性が、「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と言わされるのですが、この発言の「意図」は、ジェンダー平等なんて時代遅れだという主張を伝達することにあるのではないそうです。「ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとした」ことに、「意図」があったのだそうです。ほほう。「意図」を説明している時点で、もはや発話を理解することに「意図」は関係しないことが示されていますが、それはおくとして、この方たちは、「議論じゃなくて実践だ」と言いながら、見事に差別を実践したわけですね。なんだよ、じゃあちゃんと「意図」は伝えられてるじゃないですか。だけど、エンタメ番組なら差別してもいいなんてことにはならないんですよ。



3月25日(木)相変わらず上からの人

 「だから、現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか。成熟期の社会では、皆が髪を振り乱して働き、他人を蹴落としてまで成長していかなくてもいいんですから。賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 東日本大震災の後、日常が何事もなく続くのが何よりの幸せだと多くの方々は痛感したはずです。」とか言ってる人が、曲がりなりにもかつてマルフェミと呼ばれたことがあったわけですが、まあ、適度に男性批判をしつつしっかり体制派のイデオロギーを垂れ流してくれるので、フェミニズムの代表者としていまだに重宝がられるんですよね。ファンタジー作家朴裕河の支持者ですしね。非常によくわかります。



3月26日(金)くだらなすぎる

 韓日関係や戦後補償問題に取り組む研究者や弁護士たちが「慰安婦問題の解決に向けて」というタイトルの論文を発表し、国会内で記者会見を開き、「心に届く誠実な謝罪」が必要だと日本政府に訴えたとかいう記事がありました。なんと記者会見をしたひとりが、和田春樹ですよ。いわゆる「アジア女性基金」の専務理事だったやつが、いったいどの面下げて日本政府に物申しているんでしょうか。自分が日本政府の法的責任を不問にふすことに積極的に加担した過去は、どうなったんでしょうか。この人は、やたら「良心」をもつ人として語られますが、「慰安婦」問題を「良心」の問題にすり替えることこそが、問題なんです。「良心」みたいなものなら、森羅万象担当大臣だったあれですら、道義的責任を口にしてきたわけですから、十分に備えていることになっているのです。「心に届く誠実な謝罪」とか言ってる時点で、国家としての法的責任は問わない宣言です。くだらなすぎる。



3月27日(土)ア○にしか見えない

 ナチスが始めたことに倣って、民族の祭典の聖火リレーなるものが始まったそうです。なでしこなんちゃらたちがうれしそーな笑顔を見せて走るさまを映すのは、これは罠でしょうか。「みんなア〇にしか見えない」とか言ったら、「ミソジニーだ」とか「ルッキズムだ」とかって叩くための。みんなア〇にしか見えませんが、しかしそれは、ジェンダーともルッキズムとも関係ありません。何重にも不正に加担する聖火リレーなんてものに出てへらへら笑ってるやつをア〇と呼ばずして、いったいなんと形容するのかってことです。もちろん、ア〇と呼ぶだけでは、その不正を見逃してしまうことになるので、正確には、「不正に加担するア〇」と言わなければなりません。つまり、「みんなア〇にしか見えない」じゃ、言葉が足りないぞ、いうお叱りは、真摯に受け止めたいと思います。



3月28日(日)笑止千万

 ナイキが自社は強制労働に加担していないと言いつつ、同時に中国政府を批判しているという話がありますが、あれ、強制労働に加担していようといまいと、強制労働させられている側が傑出した能力を発揮すれば、世界は変わるんじゃなかったでしたっけ。差別されていたって、スポーツに秀でることによって、周囲に認められ、世界は変わるんじゃなかったでしたっけ。だから、宮下公園から野宿者を排除したって不正だと考えないのですよね。能力を発揮しない野宿者が悪い、ってことですよね。ったく、笑わせてくれるにも程がある。



3月29日(月)加害者がロースクールの教員って

 ある大学でハラスメントによる懲戒解雇処分があったのですが、いわゆるプレス発表は、なぜか決まって金曜日に行われます。すっげー偶然ですね。まさか土曜日と日曜日は大学をしめているので問い合わせに答えなくて済むとかいうセコいことを考えて、わざと金曜日に行ってるわけじゃないですよね。まさかね。そして例によって、被害者が特定される恐れがあるという理由で加害者の氏名も所属も公にされません。まさか、加害者を守ってるんじゃないですよね。まさかね。しかしこんなことが行われるから、記者会見まで開かれたセクシュアル・ハラスメントのハラッサーが「これは芸です」たちのCOEの研究メンバーになり、ロースクールで教鞭を執るようになり、エラソーな顔をして学生向けの教科書すら作ったりするわけです。まあ、名前が公にされたところで、「あの人の人脈は重要」とかなんとかほざいてセクハラヤローと一緒につるむ倫理学者たちがいるので、どーしようもないですか。そうですか。



3月30日(火)1日1万回で10年

 女性がいると会議が長くなると「本音」を言って女性差別を指摘され、民族の祭典のなんちゃらとかいう長がつく役職を降りた方が、次は「女性と言うにはあまりにもお年」と言ったわけですが、このサメの脳みそをもつと言うにはあまりにもサメに失礼な元行政府の長(!)について、田原なんちゃらとかいう「朝まで差別大会」の司会者が「森さんの家はね、完全なかかあ天下ですよ」とコメントしていたそうです。これでひょっとしてフォローしているつもりなんでしょうか。こんなもの、「だから?」で終わりですよ。たぶん、「だから?」と言われても理解できないでしょうから、「森さんの家はね、完全なかかあ天下ですよ」を毎日手書きで1万回書くことにしたらどうでしょうか。差別を理解できるようになるにはあまりにもお年、なんてことはないので、今後10年続ければ、ひょっとしたら気がつくかもしれません。それはなんともいいことです。



3月31日(水)いろいろつらい

 かつて職場にはスピノザとフィヒテとニーチェの専門家がいて、何をするにもたいてい4人で動き、研究科の他の専門分野の教員たちから「哲学は仲がいい」と、半ば蔑みつつ、半ば羨ましげに、何度も言われたことがありました。当時は、それが所与だったので、別に何とも思うことなく、むしろ他の専門分野はどうなっているんだろうと思ったものでした。年齢の関係で、何もやらかさず、かつ、引き抜きにあわなければ、2年ごとに定年退職を迎えることになっていて、4年前に1人目が、2年前に2人目が、そして本日、3人目が定年退職されました。なんだか、荒野(行ったことはありませんが)に1人だけ、取り残された気分です。いろいろつらい。



4月1日(木)小学生だって言わない

 「今まで大阪では650人が過去最多だったがそれを超えてくる数字がすぐ出てくると僕自身は予測している」とか言ってるのは、大阪の小学生ではありません。小学生だって、こんなことを「僕はよくわかってます」みたいな顔して言ったら恥ずかしくっていたたまれなくなるのを知っていますからね。じゃあだれでしょう。そうです、サラ金の顧問弁護士だった人で、歴史修正主義者にして差別主義者、うがい薬でCOVID-19をなんとかできると公言したあの人です。吉本のクソ芸人たちは、こういうイソジン兄さんの言葉を聞いて、なるほど、なるほど、って言ったりしてるんでしょうか。さすが提灯持ち靴ペロペロだけのことはありますね。しかしこの人、まだ辞めてないので府知事なんですよ。いい加減、「僕の感じたこと」じゃなくて、具体的な対策を口にしたらどうでしょうか。



4月2日(金)ずっと第一波

 検査抑制論者たちの「おかげ」で、昨年よりひどくなっているかどうかはわかりませんが(たぶん、ずっと第一波なんだと<僕自身は予測している>)、しかしなにもさしたる対策はしてこなかったので、もっともよくても昨年並みだろうとは思われるこの状況で、なんと対面式に突入ですか。対面式を恐れる学生に配慮せよ、とか言ってくる人がいるんですが、どんなふうに配慮するのか、それは現場に押しつけることじゃなくて、対面式を決めた偉い人たちが考えることじゃないんでしょうか。ああ、偉い人たちは現場に押しつけることを決めたんですか。そうですか。「学生が望んでいる」という声に応えて対面式を選択する方もいらっしゃるようですが、他者の幸福を倫理的義務とするようなじいさんには賛成できないので、その声には応えられません。すみません。(しかしこれ、途中からオンラインになった場合、定期代とかどうしてくれるんでしょうね。)



4月3日(土)どういう仕様なのか

 差別主義者に加担することで有名な Twitter Japan ですが、本日の午後からずっと、3名分が表示される「おすすめツイート」が、イソジン兄さんと、権力関係にもとづいていじめることを笑いだと思い込んでいる坊主頭の人、それに大阪の医療体制を崩壊させ検査抑制を声高に叫び微熱でさっさと検査を受けたパニックヤローで占められています。それ系のツイートなんて見るわけがなく、のぞきみるのは左翼の人たちのツイートなのに、ことごとくその惨状でした。あれって、どういう仕様になっているのでしょうか。あんなごみくそトリオのうちのひとりですら「おすすめ」してくるようなのがいたら、そのような方とは2度と口をきくこともなくなるだろうというのに…。えっ、雨合羽うましかが抜けてるじゃないかって。公用車使ってタバコでもふかしに行ってるんじゃないですかね。いやいや、「買い取る」と言って集めた雨合羽の試着にお忙しいのでしょう。さすが。



4月4日(日)逝去

 大越愛子さんが亡くなってしまいました。厳密には、すでに3月15日に亡くなっていたのでした。4月2日に朝日で報じられ、昨日、岩波書店がツイートして、今朝、それをリツイートしている方のツイートで知りました。大越さんには、非常勤時代に声をかけていただいて読書会に参加するようになり、『ジェンダー・トラブル』で発表させていただいたことがありました。「気前のいい」大越さんのことを財布としてしかみていない連中のことが気に入らず、『感じない男』のようなごみくそが読書会でとり上げられたのをきっかけに、読書会には行かなくなってしまいましたが、大越さんには事あるごとに悪だくみの会に呼んでいただきました。デモについての考え方など、衝突することもしばしばありましたが、たくさんのことを学びました。東京へ引っ越されてからも、いつでも会えると思っていたのですが、結局、東京でお会いすることはありませんでした。もう痛みに苦しむこともなくなってよかった。



4月12日(月)ぼっち喪

 先週の日曜の朝に、大越さんが亡くなったことを知ったので、1週間ぼっち喪を敢行してました。この間、すでに学期が始まり、150名くらいの学生に対して対面式による講義というのがありました。小レポートを書く上での注意として、「人は…だ」とか「人間とは…だ」とか、書かないように伝えました。ひょっとしてみなさんが神さまで、神さまなのに浪速大学の共通教育に出席して、小レポートを書いている場合のみ、人間一般を語っていただいても結構です、というようなことを言ったのですが、だれひとり笑ってくれませんでした。爆笑することによる飛沫を恐れて我慢した説がありますが、だとすると、来週以降、いずれ?み締めた唇から出血してマスクに血が滲み始めるに違いありません。あ〜、つらい。



4月13日(火)「府市合わせ」とは

 ぼっち喪の間、この共同体では「まるでヌッポソみたい」なことがさまざまにありました。市長の雨合羽うましかが「買い取る」と嘘をついて市役所でカッパ祭りを開催するために徴収した雨合羽ですが、ぬぁんと、ぬぁんと、府が1900万円かけて21万着用意していたことが発覚しました。これほど見事に「府市合わせ」を見せつけちゃったら「府市合わせ」の正体がバレバレですが、いやもう、どーせバレバレですかね。そうです、悪いのはすべて田中康夫です。東京あたりのテレビでは、ようやく「このままでは大阪になってしまう」的な表現もあるようですが、関西では、相変わらず提灯持ちたちの、というか、靴ペロペロたちの、というか、局ぐるみでまるっと、やつらをどっこいしょなんですよね。すげーな、都構想。



4月14日(水)うちわ32万枚程度じゃ勝てないよ

 森羅万象をつかさどるという「国家機密」をうっかりしゃべってしまったことがあるあれは、虫の死骸入り布マスクを大金かけて配布しました。公用車を使ってタバコを吸うのが大好きで、公用車を使ってスパつきホテルへ出かけるのも大好きな雨合羽うましかは、「買い取る」と嘘ついて雨合羽を収集して大阪市役所でカッパ祭りを開催しました。芸名にうがい薬の名称がくっついているイソジン兄さんは、テレビに出るのが何より好きですが、そのテレビでコロナ重症センターは3月末で閉鎖する予定だったが自分の力で閉鎖を免れたとおおぼらを吹きましたが、そう言えばうがい薬によってコロナを克服できるとも言ってのけたことがありました。兵庫県知事は、安全に会食するためにうちわを32万枚配布することを決定しましたが、しかしその程度じゃ、前のお三方の足元にも及びませんよ。まだまだ恥じらいのようなものを捨てきれていないことがみえみえです。それでは到底勝てません。



4月15日(木)大事な事なので繰り返す

 イソジン兄さんは、2020年4月14日に、次のように言ってました。「ワクチン、予防薬ができれば、コロナとの戦いを一気に形勢逆転できる。大阪の力を結集させ、治験、実用化に乗り出す。大阪府市、大学、病院機構。早ければ7月治験、9月実用化、年内量産。最前線の医療関係者から治験。大阪医学は、コロナに打ち勝つ力があることを証明する。」大事な事なので、繰り返します。イソジン兄さんは、2020年4月14日に、次のように言ってました。「ワクチン、予防薬ができれば、コロナとの戦いを一気に形勢逆転できる。大阪の力を結集させ、治験、実用化に乗り出す。大阪府市、大学、病院機構。早ければ7月治験、9月実用化、年内量産。最前線の医療関係者から治験。大阪医学は、コロナに打ち勝つ力があることを証明する。」大事な事なので、繰り返します。イソジン兄さんは、2020年4月14日に、次のように言ってました。「ワクチン、予防薬ができれば、コロナとの戦いを一気に形勢逆転できる。大阪の力を結集させ、治験、実用化に乗り出す。大阪府市、大学、病院機構。早ければ7月治験、9月実用化、年内量産。最前線の医療関係者から治験。大阪医学は、コロナに打ち勝つ力があることを証明する。」



4月16日(金)人災以外の何ものでもない

 18時前に「メディア授業を主体とします」という簡単に言いますね的な通達が発出され、研究科のスタッフには21時30分過ぎに連絡がまわってきましたが、あれでしょうか、偉い人たちともなると、事務は21時だろうとなんだろうと働いているということが前提なんでしょうか。そして翌日の2時間目に共通教育で150人の授業をもつ者としては、オンライン方式に切り替えるべきかどうか、悩みどころでした。共通教育の偉い人からはなんの連絡もないところで、オンライン方式に切り替えない授業がたくさん残るとしたら、どうせ学生たちは大学へ来ないといけないわけで、ひとつだけオンライン方式に切り替えることは、学生にとって好ましいことではないのではないか。結局は、150人がひとつの部屋に集まることそれ自体の危険性を避けるべく、オンライン方式に。授業前に、使うことになっていた大講義室へ行ってみると、何人かの学生が来ていて、そこで端末を使って受講するというなんとも気の毒なことになってしまいました。こういう状況が人為的に作り出されるってこと、わかってますかね。



4月17日(土)ごみくそ

 とっとと死滅しろよいったいいつまでのさばってるんだ電通のかかわっている「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」という、「私が「新今宮」に足を運んだ際に、実際に起きた出来事」とやらを綴ったクソエッセイがあります。「新今宮エリアブランド向上事業」の取り組みの一貫で依頼されて書かれたクソ文ですが、要するにジェントリフィケーションに加担して野宿者と「デート」した「私にとっては、贅沢な時間」を、だらだらだらだらだらだらだらだら垂れ流した、ごみくその代物です。こういう「私には〇〇の友人がいます」的な体験をしたからなんだって言うんでしょうか。野宿者のおかげで、私は贅沢な時間を過ごすことができました、これからも私が贅沢な時間を過ごせるように、ずっと野宿者でいてくださいね、ってことですか。いい加減、こういう「私の経験」をもとにして何かを語れるつもりになるのはやめなさいって。こんなもの、アイデンティティ・ポリティクスにすらならんわ。こういうごみくそ手法が、しかし一部では学術的だと勘違いすらされているのは、きっとポストモダンのせいでしょう。



4月18日(日)権利をなんだと思ってやがるのか

 言うまでもなく、権利と義務が表裏一体だというのは、権利を行使する者はまず義務を果たせ、などという臣民思想ではなく、ある人にあることを行う権利があるのだとしたら、その人がその権利を行使できるようにするための果たすべき義務を有する人もいるということでしょう。権利に対応している義務は果たすべきものですから、けっして功績的な義務ではなく、したがってそれを果たしたところで、当たり前のことがなされたというだけのことです。にもかかわらず、この臣民共同体においては、障がい者が権利を行使すると、それに対応する義務を果たした者に対して「感謝せよ」と言われます。これはあれですか、障がい者は障がいをもたない者によって「生かされている」のだから、「感謝せよ」ってことですか。これって、どっかのごみくそが言ってる、死ぬ義務を有する人がいるって発想と同一ですよ。もちろん、ジェントリフィケーションとも。



4月19日(月)『密愛』

 なんでこんなのレンタルしたんだろうタイプです。職場の部下に手を出して家に乗り込まれた夫は、その後のふるまいからもクズ以外の何ものでもないし、その妻に「愛していると言ったら負けゲーム」をやろうともちかける、かなり脳みそがやられちゃってる痩せた渡辺徹みたいな顔をしたクソ医者はクソ以外のなにものでもないし…。しっかもこの痩せた渡辺徹は動きが緩慢なうえに4回くらい上下に動いただけでもう終わりって、まったくもって「こんなの初めて〜」だわ。「悲しい大人の純愛ドラマ」(正確には、「悲しい」より「残念すぎる」だろう)とかいうレヴューがつくようなものをレンタルした者が悪いの一択です。



4月20日(火)人民新聞が陰謀論て

 人民新聞の記事だからって、まともであるとはかぎらないでしょう。しかしいくらなんでも、『コロナパンデミックは本当か?』などという翻訳本の書評を掲載してしまったら、たんなる陰謀論に乗っかってしまったことになるということくらい、わかりそうなもんですが、なにか「真実」が見えてしまっているのでしょうか。おそらく、従来好意的に人民新聞を捉えていた人たちから批判があったのでしょう、わざわざ戯言に満ちた書評本文に、編集部による追記を載せていますが、これで何事かを言ったつもりになっているのでしょうか。公的医療体制を崩壊させたのは新自由主義であり、ワクチン至上主義(この言い回しそのものが陰謀論だってわからないのでしょうか)は新自由主義の陰謀であって、その見地から集団免疫論を積極的に評価しちゃうのです。編集部は、集団免疫論を信奉する新自由主義者たちが席巻するこの臣民共同体をご存知ないんでしょうか。これじゃあ人民新聞じゃなくて臣民新聞ですよ、まったく。



4月21日(水)著者を責めても仕方がない

 ワクチンによって製薬会社がぼろ儲けしようとしているのであれば、そのこと自体を批判すればよいのに、批判の根拠としてワクチン至上主義なんてものをもち出してしまうところが陰謀論にほかならないわけです。こんなのにやすやすと加担してしまう前に、原著がドイツでどのように扱われているのかとか、調べてみたんでしょうか。著者のひとりは「マスクの義務は完全にバカげている」と、どっかの大統領だった人とかと同じようなことを言っちゃってますよ。その大統領だった人は、さっさとワクチン接種しましたが、まさかこの著者たちはそんなことはしてないでしょうね。こんなあれな本の翻訳の書評を掲載してしまった新聞ばかりに文句を言ってるのは、だって書評を書いた人って、名前の次にカッコの中に書かれているその専門分野が「フランス現代思想」なんですから、もうどうしようもないじゃないですか。せめて新聞が良識をもつしかないでしょ、って話です。



4月22日(木)「重大なニュース」

 またきてしまいました。今度の方は、ハッカーからメールアカウントへのアクセスを購入したそうです。「最近では、そういったものをネット上で購入するのは、かなり単純です」だそうです。(惜しい。そこは「簡単」だわ。)そして私が「アダルトサイトの大ファンだということを発見」しちゃったとのこと。きゃー。「ポルノサイトを訪問して、とてつもない快楽に耐えながら、興奮するような動画を閲覧するのが本当にお好きなようですね。」って、それが「とてつもない快楽」だったら、「耐え」たりしませんよ。アホですか。PCのビデオカメラとかも遠隔で操作できるようになり、「偶然にも、貴方の卑猥なシーンを録画することに成功した」んですって。それ、偶然じゃねーだろ。ついては、ばらまかれたくなかったら、17万円送金しろって言うんですが、そんなに安いんすか、私の「卑猥なシーン」は。口外したら公開してくれるそうなので、いったいどんなのが飛び出すのか、めっさ楽しみにしています。



4月23日(金)おぉ、珍しい

 まあ、クソデイリースポーツがクソなのは、名前にクソが含まれている時点でまるわかりだし、クソデイリースポーツのクソコマーシャルを1度でも見たことのある人なら、いかにクソデイリースポーツのクソコマーシャルが女性差別を垂れ流しているか、ご存知でしょう。さて、そのクソデイリースポーツ(おぉ、珍しい。名前にクソがついている!)ですが、この期に及んでなお、どんだけ舐めてもまだまだ舐め足りないのか、イソジン兄さんの靴ぺろぺろが止められず、記者会見に関してどっこいしょ報道ですよ。中継を見ていた靴ぺろぺろたちから「「顔がホンマ疲れてる」「顔がやつれてるのに加えて髪の乱れが…」「ネクタイ曲がってる」「いつもよりクマが多め」「痩せちゃったよね」「今までにないぐらいやつれた表情 お体心配です」「今日は特にやつれてる」「休んで」など、体調も含め心身両面の疲れを心配するコメントが殺到」とか書いちゃってます。いいですか、そりゃ靴ぺろぺろたちがいることは知ってます。しかし権力のチェック機関であるなら、現在の状況を招いたのはテレビに出るばかりでろくな対策をしてこなかった知事だろ、という声を拾うべきであり、かりにそんな声は皆無だったのだとしたら、みずからその責任を追及したらどうなんですか、って、そりゃ無理ですね、なんつっても名前にクソがついてるクソデイリースポーツですからね。



4月24日(土)臣民に責任は問えない

 いまだに派遣をとりやめると正式に表明したのは私の知る限りDPRKのみで、オーストラリアがある種目に関して予選への出場を身送りました。このごろ思うのは、臣民が全体の92パーセントを占め、ネポティズムと新自由主義の合わせ技が席巻する共同体の首都なんかを開催地に選んだ者たちこそが不正だってことです。マリオのかっこしたアホを行政府の長に選べてしまえるような者たちに、まともな判断ができるわけがないことは自明でしょう。だから、こちらの判断なんかを待ってちゃいけないわけです。参加する予定でいるところが、進んで参加のとりやめを表明すべきです。それをやらないのは、未必の故意というやつで、責任を問われるべきです。だって実は知ってるでしょう、アンダー・コントロールなんかじゃないことは。



4月25日(日)「元気」なんていりません

 アスリートとか呼ばれる者がこの状況下で「みんなを元気にする」とか言うの、まあ、この状況下でなくてもそうですが、いい加減にやめたらどうですかね。「いやいや、だって元気もらえるよ」とか言っちゃう人、あなたはもともと元気だからもらわなくてもいいし、そもそももらってませんよ。あれは、一種の自分も社会の役に立ってます宣言なんでしょうか。そうでも言っとかないと、おまえなんかいらねー、って言われるのを恐れているんでしょうか。まあ、いらないんですが、それは役に立たないからいらないのではなく、イデオロギー装置だからいらないんです。こんな状況下でも、元気でいられることのしあわせ、みたいな話がいらないんです。必要なのは、「元気」なんかじゃなく十分な検査と補償です。法よりも道徳を重んじるような共同体では「元気」が求められるのだと思いますが、それはたんてきに不正です。



4月26日(月)あああ

 あああ、名古屋市民ときたら…、とついつい思ってしまいますが、おまえだって大阪府民じゃねーか、と言われれば、もうぐうの音も出ません。しかし、灯火管制のオリパラやりたいやりたい東京都民だって「あああ、名古屋市民ときたら…」なんて言えません。団扇で会食の兵庫県民のみなさんも、もちろん言えませんねー。あっ、市役所1階ロビー貸し切りでカッパ祭り開催の大阪市民は言えるかもしれない。なんつってもあそこの長はいろんなことがわかってないから。無知の無知ほど強いものはない。冗談はさておき、「××は定義ができない」「その批判はあたらない」が行政府の長を務めるようなクソ共同体に生きてしまっている有権者はだれひとりとして、「あああ、名古屋市民ときたら…」なんて言えません。ぐは〜。



4月27日(火)平壌冷麺

 共和国の労働党委員長と大韓民国の大統領が握手をしてからちょうど3年です。人権に関してレポートを課すと、いまだに共和国のことを引き合いに出して何事か言ったつもりになってる人がいるのですが、「共和国みたいな状況」とか言えるほど、共和国について知っているわけではありません。共和国に言及するのであれば、せめて、「日本が侵略し植民地支配したせいで分断を余儀なくされた朝鮮半島の共和国」くらいは言ってもらわないといけません。平壌冷麺を食べに行けない責任を、うがい薬屋はちゃんととってくれ。(そんなわけでしつこいようだが、『パラサイト』はごみくそ映画だ。)



4月28日(水)どーせハリウッドか

 アカデミー賞を受賞したユン・ヨジョンの記者会見で、ブラッド・ピットはどんなにおいがしたか尋ねたバカ記者は、そろそろ息するのをやめたでしょうか。そんなことをしたら、においかげなくなっちゃうから、しませんよね。しかしそうすれば、二度とバカな質問をしなくてすむんですけどね。残念なことです。結局あれなんでしょうか、アカデミー賞の記者会見にかかわる記者なんて、結局はどっかの芸能リポーターとメンタリティ的には変わるところはない、ということなんでしょうか。ハリウッドは、大物プロデューサーであろうと、セクシュアル・ハラスメントには厳しい態度を見せたと言うのに、この質問にはセクシュアル・ハラスメントに加えて非白人差別が含まれているからオッケーなんですかね。まったくクソいやつらです。



4月29日(木)あるイシュー

 何人かのツイートを定期的にのぞき読んでいますが、ある実名でツイートをされている方のツイートもそのひとつでした。そもそもを言えば、人のツイートをのぞき読むようになったのも、その方がツイートをされていることを知ってからでした。実名で、歴史修正主義者や差別主義者を相手にされて丁寧に批判することはとても真似のできることではありません。また、何度か講演会に参加したり、お書きになったものを読んで、たくさんのことを学んできました。ただ、あるひとつのイシューについては、どうしても賛成できないところがあって、自分の正しさを確信できないものの、あるリツイートを目にしてからは、定期的にのぞき読むのをやめてしまいました。



4月30日(金)「すげえばか」の方

 ある在日女性の方のツイートも定期的にのぞき読んでいます。この方(「すげえばか」という気に入っている言い回しをお使いになる方なので、「すげえばか」の方と呼びます)と上記の実名の方とは、少なくともSNS上では知己同士であり、ひょっとすると現実的にも知り合いなのかもしれません。「すげえばか」の方からもたくさんのことを学びました。もちろん賛成することばかりではありませんが、例のイシューについては、私の見解はこの方の見解に近いと思っていました。つまり、「すげえばか」の方と実名の方は、この件に関して意見を異にするだろうと思っていました。そして先日、「すげえばか」の方が実名の方に対して直接、批判的なツイートをされました。実名の方の言い分もわかる部分はありますが、しかし基本的には、「すげえばか」の方を支持しています。



5月1日(土)承前

 もちろん、ある種の物言いが本質主義を前提にするものであるとしたら、本質主義は差別主義を含意するので、それは批判されるべきでしょう。しかしそうした物言いが同時に、そのイシューに関して多くのアカデミズムの関係者たちがとっている態度を批判するものでもあるとしたら、その物言いを批判しつつも、アカデミズムの関係者たち自身は、その態度をふりかえってみる必要があるのではないでしょうか。あるいは、ひょっとして自分たちが擁護している立場にも本質主義が含まれていて、だとしたらその立場も批判の俎上に載せる必要があると考えなければならないのではないでしょうか。「すげえばか」の方は、こうした視点から問題提起をしているのであって、それを差別に加担しているだけだと切ってしまえるものだとは、到底考えられないわけです。



5月2日(日)『傷だらけのふたり』

 まあもうタイトルからいってくっさい話に違いないから、なぜレンタルしたのかわからないくらいですが、予想の上を行くごみくそでした。たんなるクズの893が銀行に勤める女性を好きになり、余命がわずかであることを告げずにクズい行為ばかりを繰り返し、結局は介護してもらって死ぬという、そいつ自身が言う通り、まったくもって「クソの人生」なんですよ。ずっと見続けるのが実に苦行で、最後にこいつが死んでみんなで万々歳ってなることだけを期待したのですが、なんとこのクズ野郎、自分の父親の介護を恩着せがましく、というか、さもその決定権が自分にあるかのごとく(あいつには父親がいないから迎え入れてやってくれ、とか、その父親に言うのです。アホか)その女性に押しつけるわけです。映画のタイトルは、英語版だと Man in Love で、ハングルもほぼそういう意味のようです。たしかに映画では、こいつに振り回される女性を含めた周囲の人間のことなど、どーでもいい存在でした。そういう意味では、邦訳はまるでダメですが、原題は見事に内容を表現しています。あ〜、最高に気分悪い。



5月3日(月)絶望しかない

 毎日新聞の世論調査によれば、憲法改正について「賛成」が48%「反対」が31%だそうです。まあ、改正に賛成するからと言って、必ずしもイケイケどんどんの人たちとはかぎらないかもしれません。第1条から第8条など不要かつ不正なので廃止することだって、というか、それこそが文字通り改「正」ですから。逆に、改正には「反対」していたって、「9条守れ」の人たちのうちのとんでもなく多くの人たちは、みずから進んで元号を使用する臣民だったりしますからねー。とはいえ、9条を改正して自衛隊の存在を明記することに「賛成」が51%で「反対」が30%だそうで、もはや過半数はやりたくってやりたくって仕方ないみたいです。自衛隊員のこどもが学校で父親のことを憲法上認められていない存在だといじめられたというバカのほら話がありましたが、きっと51%はパイナップルでも食べながらそういう話に乗るんでしょう。「反対」の人たちだって、加害者であることをすっかり忘れさせてくれる『この世界の片隅に』に呆けているようなら、潜在的にはイケイケどんどんです。



5月4日(火)衣笠も人材豊富だわ

 オリパラ開催は「あくまで科学的、論理的に決定されるべきである」などと、ネット右翼が大好きな言い回しである「科学的、論理的」を使用してご高説を垂れている方は、きっとネット右翼の関係者なんだろうと思いきや、なんと衣笠の人でした。まあ、衣笠の人だからと言って、それだけではネット右翼の関係者ではないとは言い切れないのではありますけど。では、なぜオリパラ開催は「あくまで科学的、論理的に決定されるべきである」のか。「五輪は世界最大のイベントであり、その開催は『国家事業』」だからだって、書かれてあります。ほほう。この「世界最大のイベント」って、「科学的、論理的」には都市開催じゃありませんでしたっけ。それがいつから、どのような「科学的、論理的」根拠によって「国家事業」になったのでしょうか。そんな「科学的、論理的」根拠なんてものはないのであれば、「あくまで科学的、論理的に」開催はやめなきゃいけませんね。



5月5日(水)臣民スゴイの人

 この方によれば、海外からこの臣民共同体は、「コロナ禍の日常生活におけるマスク着用、うがい、手洗いの励行、「3密」を避けるソーシャルディスタンスを守るなど、日本国民の規律ある行動」が高く評価され、また「日本の街の清潔さ、国民皆保険制度による日常的な医療の充実も評価が高い」そうです。それはういみみでした。検査数の圧倒的少なさに一切言及せずに、まさかそれが感染者数・死者数が少ない理由だなんて、「科学的、論理的」には言わないですよね。「日常的な医療の充実」って、この方は、衣笠の隣の「大阪府」ってところをご存知ないんですかね。そこは自民党の変異株と呼ばれる田中康夫案件の人々の「功績」が行き渡っている地であり、すでに「日常的な医療」が存在せず、したがってそれが充実するなんてありえなかった場所なんですけどね。「科学的、論理的に」まったく違う世界が見えているんですかね。



5月6日(木)差別主義者による差別

 営業を認可しておいて、しかし公的な助成対象からは「不健全」とか言って除外するのは、言うまでもなく明白な職業差別でしょう。その問題にふれている方が、しかしその問題にふれる際に参照しているのが、「エリザベス女王が、なんと“大人のオモチャ”の企業に女王賞を授与!」という見出しのついた記事なんですよ。そいつ、95歳にもなっていまだに身分制差別を堂々と生き続けているようなやつなんですよ。そんな差別主義者が“大人のオモチャ”の企業を差別しなかったからって、それがどうしたんですかね。しかも実際には、よく資本主義に貢献した、って理由で差別賞を授与しているわけですから、差別主義者が差別を実行したってだけのことです。こんなのを喜んで記事にしてるんじゃなくって、まだ女王なんているのかよ、そしてそいつが資本主義に加担してるのかよ、ありえねー、世界中で銅像が倒されたのに、実物はのうのうと息してんだねー、って差別主義を糾弾してください。



5月7日(金)矜持のかけらもない

 こんなクソ差別賞をもらった方ももらった方で、今後5年間、広告やら商品のパッケージやらにエンブレムを使用できるとかで、喜んじゃったりしているようですが、大人のオモチャを売る矜持のかけらもないクズっぷりです。身分制差別に反対する考えがあれば、こんな恥ずべき賞は受賞せずにむしろ抗議すべきだし、自社の広告やら商品のパッケージやらに王冠なんぞをつけることは差別に加担することだと声明を出すべきですよ。あれなんでしょうか、こんな王冠マークのついたおもちゃを買って、「あの」快楽以外の快楽を享受できちゃう臣民たちが、やっぱうようよいるんでしょうか。さすが、世界に先駆けて囲い込みをやり植民地支配をやりパレスチナに問題を引き起こした、いまだに女王なんぞが息をしている国家に帰属する人々だわ。



5月8日(土)うるわしき伝統芸

 そもそもオリパラなんてものは、COVID-19があろうとなかろうと、世の中から消えてなくなればいいものだと思っていますが、この状況でテストなんちゃらに北海道まで出かけて行って走ってるやつらは、オリパラ開催に明確に加担しているわけですから、それ相応の責任を負わなきゃいけないのは当然でしょう。「アスリートを責めるな」なんて戯言はたんなる誤謬で、アスリートを責めない者は、同じ理由から、そいつらを走らせた者も責めることはできず、結局だれも責任を負わないというこの臣民共同体のうるわしき伝統芸に帰着するだけのことです。こんなことはわざわざ言うまでもなく、名誉総裁があれだって時点で自明です。名誉総裁の負うべき責任と、走るのが少しだけパンピーより速いだけのやつらの負うべき責任はもちろん異なりますが、しかしアスリートだからって免罪されるわけではありません。



5月9日(日)まき込まれているのではない

 すでに指摘している人もいるかと思いますが、「個人を責めないでください」というアスリートの言い方は、「アートが政治にまき込まれた」と嘆いてみせたアーティストや批評家の物言いと同一でしょう。ひょっとしたら、こうしたアーティストや批評家は、今回の件に関して、スポーツが政治にまき込まれたと言ってるかもしれません。いや、筋肉系の人たちと自分たちとは異なるので、一緒にしてくれるな、かもしれません。しかし同一です。どちらも政治と無関係に成立するような領域ではないし、それらに携わる人々も、決して政治的にニュートラルなんかじゃありません。言うまでもなく、だからと言って、政治家の責任が問われなくてよいなどということもありません。悪いのは水泳選手じゃなくて電2だと言ってる人もいますが、電2が不正まみれであってとっとと死滅しなきゃいけないのは言うまでもありませんが、だからと言って、水泳選手に罪がないわけでもありません。



5月10日(月)バカ丸出し

 仮面ライダーが監修しているらしいアカウントで、「大和民族。追い詰められても、いざとなると一致団結し極難に立ち向う勇気と覚悟。まさしく遺伝子的に武士道精神、侍魂を奥深く秘めている。まだまだ我が民族は捨てたものではない。」とか書いてるんですが、ひょっとすると全力で笑わせにきているのかもしれませんが、ひとつも面白くないし、むしろつける薬を全力で探したらどうだよ、見つからないけど、案件です。これはあれですか、「我が民族」は殺人集団だって理解でよろしいですか。それともあれですか、こんなに新型コロナを蔓延させて死者を多数出してしまったことの責任をとって切腹します宣言ですか。汚らしいからやめてくださいね。



5月11日(火)なぜ非がないと言えるのか

 かつて都知事選に複数回出て、いまはネット上でオリパラ反対署名活動を行っている弁護士がいますが、「当然のことながら選手にはいっさいの非はない。」とかツイートしちゃってるんですよね。予想通り、見事に日共的大衆こびこび路線で、やっぱり署名しなくて正解でした。「五輪中止を求める相手は選手ではなく、主催者であるIOC、IPC、国、東京都、組織委」だと言うわけですが、代表内定選手の大半がボイコットすれば、オリパラ中止が実現できるときに、それをやらない者は、すでにオリパラ開催に賛同しているんですよ。その非を問わないのは、あれですかね、名誉総裁の責任にまったく言及がないのと同様、やはりきわめて日共的大衆こびこび路線なんでしょうね。



5月12日(水)パターナリズム

 こたつがどうしたこうしたの社会運動家とやらが、サメの脳をもつと言われたサメに失礼な男と、その水泳選手とは異なっているのであって、サメの脳をもつと言われたサメに失礼な男を批判するのは結構だが、その水泳選手を叩くのはミソジニーじゃないかとおっしゃっているようです。なるほど、病を克服し民族の祭典への出場を勝ち取った若い女性を批判するなんて、かわいそうじゃないか、ってことですか。社会的な問題について発言をした以上、その責任を問われるのは当たり前のことなのに、「20歳の水泳選手のツイートにそんな重荷背負わせんのか」って、こうやってお父さんのようにかばって見せるのはパターナリズムでありミソジニー以外のなにものでもないですよ。



5月13日(木)ちゃんちゃらおかしい

 いまだに女王なんぞが君臨する世界に先駆けて植民地主義=帝国主義を実施しパレスチナ問題も引き起こしたあの国家のバドミントン銀メダリストとやらが、訳文によれば、「より速く、より高く、より強くをモットーに世界の選手が集まるスポーツの祭典が五輪の神髄。でも、今の五輪の目標は?本質を見失ってはいませんか?お金のため、損をしないために進める大会なら、開催するべきではありません」とか言ってるそうですが、これぞアスリート無罪論以外の何ものでもありません。資本主義と結びついていなかった民族の祭典なんて、これまで一度でもあったんですか。悪いのは金の亡者たちであって、純粋なスポーツ選手ではないとは、資本主義をなめすぎだし、そもそもあなたのスポンサーに申し訳なさすぎないのかよって話です。ちゃんちゃらおかしすぎる。



5月14日(金)虐殺者への賛同を公言する差別主義者

 差別語をまき散らしたツイートが公開されている、「私達の心はイスラエルと共にあります」と、みずから虐殺者たちに賛同することをゲロってはばからない防衛副大臣がいます。「その意図を承知していないのでコメントは差し控えたい」と、過労死の遺族たちに対して、あれと一緒になってバカ笑いしたことのある官房長官が言うのですが、「私達の心はイスラエルと共にあります」という発言の「意図」は、「私達の心はイスラエルと共にあります」という発言を伝えること以外にはありません。それを「承知していない」というのは、たんに理解力がないということなんでしょうか。だったら、官房長官なんてとっとと辞めなきゃダメですね。前任者があの調子だったのに、どうして自分が辞めなきゃいけないんだってお考えでしょうか。そもそもあの前任者が官房長官だったことそれ自体が間違いなんですよ。間違いはたださないと。



5月17日(月)終身不名誉監督とか

 まったくいつまで「伝統の一戦」などというクソどーでもいい形容の仕方をするのでしょう。やっぱあれですか、神話と地続きのニセ歴史で長い間続いてきたということそれだけを取り柄とするようなのが身分制の頂点にいる共同体が続くかぎり、この言い方はやめられないということなんでしょうか。かりにそれだけ長い間続いてきたのだとしたら、それだけ長い間悪の頂点に立ち続けてきたということになるだけなんですけどね。ところでその「一戦」(この言い方もあれです)が、先日2,000試合目だったのですが、そう言えば1,000試合目の記憶があって、あれは日曜で、投げてたのは伊藤で、とか思ったのですが、いやいや、この記憶ってほんのちょっと前のものだから、1,000試合目なんてことはないだろうと思いきや、やっぱその記憶はあの日の記憶でした。ぐは〜。そんなわけで、「伝統の」なんて言い方は臣民制度ともども、即刻やめるべきです。



5月18日(火)死神う○こ

 鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒した果てに国家による殺人を実施した、死神と呼ぶ人もいる鏡職人がいますが、こいつ、名古屋の出入国在留管理局に収容中亡くなった被害者の遺族との面会に際して、「法務大臣として会うわけではなく、上川陽子として会う」とか言ってるようです。死神個人なんかと会っていったい何の意味があると思ってるんでしょうかね。死神なんかにめったに会えないぞ、私と会うのは貴重だぞ、ってことでしょうか。たしかに死神なんぞと会うことはめったにないでしょうから、珍しいかもしれませんが、しかし別に会う必要もないですよ。100日連続してうんこを踏むことは珍しいでしょうけど、しかしだからって100日連続してうんこをふむ必要はないのと同じです。何言ってんですかね、この死神うんこは。



5月19日(水)どっちも同じくらいあれですよ

 まだ生きてたらしいかつて行政府の長を務めつつみずから立法府の長であると複数回言ってみせてそのうち1回は議事録から削除させた妻がスーパー私人のニッキョーソが、朝日新聞、毎日新聞のことを「愉快犯」だと言ってます。また、公用車に乗ってたばこをふかし公用車に乗ってスパつきホテルへ赴き買い取ると嘘をついて雨合羽をがめたうえ公立学校に引き取らせる共産党ウオッチャーが、朝日新聞、毎日新聞のことを「愉快犯」だと言ってます。このおふたりが「愉快犯」なんて難しい言葉をご存知だったとは、かなりびっくりしてしまいましたが、さて、このおふたりは、朝日新聞と毎日新聞に対する物言いが一致してしまって、相互に「えええー、自分はあの程度なのかよ〜」と嘆いているでしょうか。ひょっとすると、ご本人たちは気がついていないかもしれませんが、どっちも同じくらいその程度なんですよ〜。



5月20日(木)笑かすわ

 天皇と霊的につながってるとか公言するオカルト差別主義者が「日本人は市民革命を通じて自力で自由を勝ち取った経験がありません。だから、市民の中のより活動的で影響力の大きい人間が相対的弱者の自由を損なうことの意味がわからない。」などとエラソーなことを言ってますが、ひょっとして、市民革命によって王のクビをはねろって主張なんですかね。だったら大賛成しますよ。しかし霊的につながっちゃってるこの方が、そんな見識をもつとはとうてい考えられないので、所詮、市民なんてろくなもんじゃない、って主張に至るに違いありません。「長く生きてわかりましたけれど、正直ってほんとうに大切ですよ。」だそうです。だから、自己の臣民ぶりをまったく隠さないのでしょうけど、そのクソどーでもいい正直はさておき、臣民であることそのことが正義に反していることを理解しなきゃダメです。



5月21日(金)ゲロ吐きそうになった

 「女の子はプリンセス、男の子は宇宙飛行士になれる布団&枕カバー」とか説明のついたクソい画像を目にしてしまいました。まず、プリンセスとかになりたいアホに対しては、人は法の下に平等であるってことをちゃんと教え込む必要があります。それから宇宙開発なんて、どーせ戦争するための営為なんですから、そんなことに加担するような人間になってはいけないとちゃんと教え込む必要があります。そんなわけで、元々これらの職業はいずれも世界から消え去るべきものです。そんな世界から消え去るべきものにジェンダーを本質主義的に配当するとは、いったいどういう了見なんだと思いますが、「最初から全部理解しようとしないでできるところから覚えていくのがいいと思うよ!」ってご親切にご教示くださるパレットークが、ロケット欲しいって思うのは男性だって垂れ流していたのを思い出してしまい、ゲロ吐きそうになりました。



5月22日(土)なぜ批判されないのか

 ローリングに対する自己の身の処し方について、アカデミズムに携わる者としてどうなのかという批判をされた社会学者が、その立場を説明するための道具として「従軍慰安婦」という言い方(「 」はつけていない)を、2020年にもなって用いていました。要するにこの方にとっては、日本軍「慰安婦」の問題なんて、どうでもよいことなのでしょう。そうじゃなかったら、この言い回しを使うはずがありません。まあ、どうせそんなところだろうとは思っていました。この社会学者がその程度の人であることはどうでもいいとして(まあ、どうやって言い逃れするのか、尋ねてみたい気もしないわけではありませんが)、どうしてこの点に関してこの人を批判しようとしたりたしなめようとしたりするアカデミズムの人がいないのか、ここにある種の問題が集約されていると思っています。



5月23日(日)ミジンコワムシほども払うか、ぼけ

 「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく五輪の夢を実現することができます。」とかオリパラ開催の最高責任者が言ったそうです。ということは、アスリートやらは、誰もが払ったいくらかの犠牲のうえでその夢とやらを実現する差別主義者たちということですか。そうですか。この発言を聞いてもオリパラをボイコットしようとしないアスリートやらは、要するに、差別主義者ということですね。そうですね。こんな差別主義者たちからもらってしまう「生きる勇気」って、人を犠牲にすることをへとも思わないでのうのうと生き続ける電2&パソナメンタリティじゃないですか。ところで私は、アスリートやらがそのくそどーでもいい夢を実現するために、ミジンコワムシほどの犠牲も払いたくありません。「誰もが払わないといけない」などと、勝手なことを言ってくれるな。



5月24日(月)『名もなき復讐』

 出てくる男はどれもクズばっかで、そいつらが射殺されたり撃たれたりしても、まったくすっきりしません。直前に見た『鬼はさまよう』が、妹を殺されたバカ刑事(おっと、冗長句だった)と妻を殺された夫のたんなる私怨をはらす話だったのに対して、こっちも私怨と言えば私怨かもしれませんが、しかしそれが普遍的な正義につながるような話になっていたという印象をもったのは、クソ刑事(おっと、冗長句だった)がうっとうしいとかいうたんなる偏見のせいかもしれません。ある種の犯罪について、「犯罪が起きてから対処できればよい」とか呆けたことを言ってる人もいますが、起きたことは何をしようとなかったことにはできないという問題はどのようにお考えなんだろうかと思います。こういうことを言うと、どうせ「厳罰主義者め」とか「監視カメラ賛成派め」とか言ってくるのかもしれませんが、普遍的法則に従った自由ってことを言ってるだけです。



5月25日(火)「合理的な疑い」

 陸上の女性選手について、かつて全数検査というのが行われていたときには、多数の「白人」選手も大会出場を阻まれていたのに、全数検査に対して人権侵害が指摘されるようになり、「合理的な疑い」があるとされた場合のみ、検査が実施されるようになると、なんと少なくとも名前を出される「白人」選手はひとりもいなくなったとのこと。2000年以降、「合理的な疑い」がかけられたのは例外なく「有色人種」の女性であり、2011年以降だと、南アジア(インド)の1例以外は、すべてサハラ以南アフリカの出身だそうです。なるほど、「合理的な疑い」とは、そういうことなんですね。なにかと「合理的な理由」がもち出されたりしますが、その理由の合理性は「合理的な疑い」をクリアしたものなんでしょうね。



5月26日(水)あ〜、やだやだ

 監督と同じ出身大学だからかどうかは知らないけれども、ともかく入団当時から優遇されて、すでにレギュラー選手がついていたポジションをそのまま与えられ、大リーグへ行くぞと言いながら高額の複数年契約を交わし、オフにはなんか勘違いした風貌を見せつつ、専門家からは、打席ではもはや外角の速球は見えず、守備では第一歩目が踏み出せないと弱点を指摘されて、引退を勧告されたものの、ゴネて他球団へ移籍し、甲子園へ「凱旋」してヒットを打って歓声を浴びるとか、もういい加減やめてほしいです。将来の監督候補だって???そんなことになったら北小時代以来のファンをやめてやる。



5月27日(木)まー、たいへん

 「会社へは 来るなと上司 行けと妻」が1位で、「十万円 見る事もなく 妻のもの」が2位とかですが、いずれも「サラリーマンの悲哀」をお詠みになってるそうです。そりゃたしかにこんなもんをさらされたら悲しすぎるけれども、これってひょっとして、そういうコンテストなんでしょうか。ついでだから、「本日は、お詠みになった方に、スタジオへお越しいただいております。」とか言って、それぞれ作品に込めた「思い」を1時間くらいしゃべってもらってはどうでしょう。「上司からは来るなと言われて、おくさま(ママ)からは行けと言われて、大変なんですね」とか「十万円、見る事もないうちに、おくさま(ママ)のものになっちゃったんですね」とか話をふって、それぞれ1時間ずつ、延々「サラリーマンの悲哀」とやらをしゃべってもらうわけです。マッチ棒のエッフェル塔製作者ほどは盛り上がらないかもしれませんが、そこそこ笑えるかもしれません。言うまでもなく、それで終わると冷笑主義にしかならないので、しゃべっていただいた後、審査員ともども、自己批判していただきましょう。



5月28日(金)政治批判なんて皆無

 そもそもまともな仕事をしないから上司は「来るな」と言ってるんだし、家にいても家事も育児もなにもせず寝ころんだままでただただ邪魔なだけだから会社へ「行け」って言われるんですよ、そんなの全部自分が悪いんじゃないですか。給付金て、家族分が世帯主の口座に振込まれるんじゃなかったでしたっけ。そもそもそんなもの、だれも生で見たりしないんだし、突っ込むべきは、家族分が世帯主の口座に一括で振込まれてしまうってところでしょ。これら「リーマン」の人たちは、けっして政治の批判なんてできず、男性原理にどっぷりつかったまま、しょーもないことをぐずぐず言ってるんですよね。そういうところが見事に現れている川柳なのかもしれませんが、しかしわざわざゴミを人前にさらすとは、どんな了見してるんだか。



5月29日(土)AV落人

 『全裸監督』とかいう、性暴力によって女性の人権を侵害した男の人生をいつものように「破天荒な生き様」と称えるごみくそ映画があるそうです。AV落人を名乗る方が、内幕を暴露し、名誉棄損等で訴えられています。だんまりを決め込むどころか、称賛してしまう者たちばかりの中、あのAV落人がこんなに立派な方だとは知りませんでした。しかし読んでる本がギドーですか…。あんなのミソジニーの塊じゃないですか。そこがかなり残念です。



5月30日(日)ディストピア

 民族の祭典開催という「大義」のもと、宮下公園の野宿者たちを排除し、ジェントリフィケーションに「多大な貢献」を果たしたスポーツ用品メーカーがあります。以前、能力があれば差別なんて克服できる、変わらなきゃいけないのはおまえだ、さあ、しっかり能力を身につけよ、という選民思想丸出しのCMを作っていました。そしてまた、「今までは「女性らしく」なろうとしてた。だけど、今はもう、何にでもなれる時代。新しい未来を生み出すまで、前に進み続ける。」とかコピーをつけて、こんなのにいまさら騙される人がいるのかよ、というCMを作りました。何にでもなれる女性たちのラストシーンは、相撲です。この企業が描く「新しい未来」は、ディストピア以外の何ものでもないことがよくわかりました。



5月31日(月)「重要なニュース」

 またまたきてしまいました。いきなり、自己紹介しますね、って訊いてもいない自分語りを始め、「ハッキングを専門にしております」って、みずから犯罪者であることを自慢げに言うなって。そして例によって、私がどんなアダルトサイトをのぞき、何を閲覧し、どんなふうに楽しんでいたか、動画として記録におさめたらしいのです。17万円(だからなんでこんなに安いんだよ。もっと高くしてくれよ)支払わないと、SNSの私の友人に動画をまくぞって言うんですが、私に友人がいないことくらい、ハッキングしてるんだったら知ってるだろって。こいつエラソーに、通報したりとかいった、「バカな真似はこれ以上しないでください」などと言うのですが、「これ以上」ってなんなんだよ。おまえはセクシュアリティの発露を「バカな真似」って言ってるのかよ。道徳警察なのか。ホント、恥ずべきごみくそだな。もっとしっかりしたハッカーになれよ。ぼけ。



6月1日(火)ただの傷害罪だろ

 「21球」の人って、みょうちくりんな精神論をふりかざしたりせず、権威主義的でもなさそうなので、もう少しまともなのかと思っていたのですが、阪ちんのとんでも新人について、投手は当てなきゃダメだ、とか言っちゃてるんですよ。それで相手が怖がってくれれば、それでいいんですと。そして例によって、むかしならそうしていたと。それ、たんにむかしは人権意識が著しく低かったってだけのことじゃないですか。故意にぶつけにいったりしたら、紛れもなく傷害罪が適用される案件ですよ。いまだに「ミスター」とか呼ばれるやつは、監督時代にぶつけるよう投手に指示を出していたと言われていますが、その一点に関して言えば、そうした指示をけっして出さなかったという証言のある月見草は、まともな人だったと言えるでしょう。まあ、当たり前なんですどね。



6月2日(水)そんなところだろうとは知ってました

 晶文社だから出しちゃいけないなんてことはまったく思いませんが、しかし『はずかしい天皇制』と空目してしまいました。「不適切な関係」(「セクシュアル・ハラスメント」と断定しなかった当局の用語)のため、大学を辞めた社会学者と、くだんないポエムを書き綴ってなにが秘密か秘密だ法の成立を肯定した憲法学者による共著。宣伝文句に「なぜ天皇制は捨てられないか?」とか書いてますが、簡単ですよ、こういう学者を自称する者が臣民を辞めないからです。「何を象徴しているのか?」って、そんなもの簡単ですよ、身分制、侵略戦争、無責任体制です。「社会学者と憲法学者が自在に語り合う」って、「自在に」語ったところで、靴ペロに変わりはありません。「秀逸な日本論」って、こういうのを冷笑主義って言うんです。



6月3日(木)ドMのコスプレ

 今朝出勤途中に、車道をうろうろしたり赤信号をものともしない青い服きたわんわんたちがいて、何事かと思いきや、昨日その時間帯にそのあたりでひき逃げ事件があり、信号待ちをしているドライヴァーたちに情報提供を求めつつビラを配っていたのでした。「トントン」って窓ガラスを叩くと、健全な市民のみなさんは従順に窓を開けて話を聞きビラを受取ったりしているのですが、やつらがたんなるコスプレマニア(あんな格好でコスプレするとは、きっとドМに違いないです。だって、わんころです、ってわざわざ宣言しているんですから)じゃない保証なんて、これっぽっちもありません。そもそもあのあたりは、柴原特別警戒区域で、日々わんわんパトがウロウロしてるじゃないですか。なのにひき逃げ事件なんて発生するわけがないですよ。もしそんなものを起こされたのだとしたら、日々のあの活動はたんなる国庫稼ぎと権力誇示じゃないですか。そんなわけで、やつらは偽物じゃなかったのか説を唱えたいと思います。



6月4日(金)「可とします。」←寝言にしては声がでかい

 4月以来、COVID-19の感染拡大防止に向けてなにかプラスに働くことが行われたのでしょうか、ひょっとして私が知らないだけなんでしょうか、私の知っていることと言えば、大阪では自宅療養者という医療体制崩壊の被害者、ということはあの人たちの被害者が1万人を超えているという現状なのですが、はて、状況をドラスティックにひっくり返すようななにかがあったのでしょうか、なんてことを思ったのは、「春学期当初に対面で実施することとした科目及び以下の科目区分について、対面授業に戻す(実施する)ことを可とします。」などという文字通りありがたい「お許し」が届いたからです。通知文を読んでみると、「夏学期開始を目途に」とかあります。たしかにクォーター制が導入されているので、もう少しで夏学期が始まったりはします。えっ、ひょっとして、対面授業の「お許し」の理由って、それですか。まさか、そんなことはないですよね。きっと「大阪医学」はひそかにワクチンを開発していて、構成員は優先的に接種できるとかなんですよね。しかしダメですよ、そんな抜け駆けは。どっかの社員とかじゃあるまいし。断固拒否します。



6月5日(土)下劣さがウリ

 野党第一党党首が理解してくれなくて「うっとうしい」とか言ってる人がいるそうですが、そりゃ野党第一党党首じゃなくたって、イソジンでCOVID-19を克服するとかドヤ顔で言われたって、なんも理解できませんよ、在版メディアじゃあるまいし。世の中の全員が在版メディアの関係者と吉本の靴ペロ芸人たちだと思ってるのかもしれませんが、それは大きな間違いです。えっ、ほかにもいろいろしてるって? ああ、いろいろ「お願い」ばっかしてますね。しかし要求をしてもよいのはそっちじゃなくってこっちですよ。そっちにあるのは要求に応える義務です。「うっとうしい」などという言葉遣いを公の場で使ってしまえる品性の下劣さは、まあそれがウリなんだからどうしようもないとして、まずは理解に値する仕事をしてください。



6月6日(日)パソ中

 御用学者にして人前でマスク会食の実演までやって見せたような人ですら、オリパラ開催は「普通ではない」と言い始めたところ、<その批判はあたらない><定義はできない><パンケーキ>は、激怒しているそうです。「首相にでもなったつもりなんじゃないか」って、やっぱあれですが、「首相」ならオリパラ開催に反対できるってことですか。あれは建前上、都市が開催することになっていたような気もしますが、招致に際してマリオのかっこうしたバカがいたわけですから、この際、その後任が中止宣言してくれてもいいです。「延期」とか言ってる金の亡者のスポンサーもいるようですが、ここは断固中止宣言一択ということで。(ちなみに、パソ中はこの御用学者の発言を「越権だ」と言ってるそうです。なるほど、口入屋を通さない発言は「越権だ」というわけですね。わかります。)



6月7日(月)油断していた

 64年に五輪の詩を書いたじいさんが、「今、五輪の詩を書いてくれと言われても、僕は書けない。」とか言ってるんですが、64年に書けたんだから今だって平気で書けますよ、と一瞬思った私は油断していました。64年には書けたけど今は書けないとか、平気で言ってのけるのが詩人でした。「64年の時にはまだアマチュア精神というものがあって、選手たちの闘う姿が美しかったという記憶がある。」から、民族の祭典を賛美するようなイデオローグとしての仕事をしても自分は正しかったと、そういうことですね。「それがいつの間にか、カネの世界になっちゃったわけだ。」って、へー、ひょっとして64年は資本主義じゃなかったんですか。「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」と言った貴族趣味の人もいましたが、何が野蛮かって、こうやって過去の自己の所業を否認したり正当化したりすることほど野蛮なことはありません。



6月8日(火)ひとつの典型

 学生に図書を借りに行かせ、しかも自分のカードを使うように指示する教員は、何重にも犯罪を犯しています。そういう教員にかぎって左翼だったりするわけですが、その犯罪行為をやんわりと他部局の教員から指摘されると、これまた左翼教員にありがちな対応、つまり無視を決め込んでくれます。あれって、何なんでしょうかね。あの手の人たちは、判で押したように、自己の誤りを認めようとしません。左翼の自分が罪を犯すわけがないということなんでしょうか。そんなわけないんですよ、いくら左翼のあなただって、間違えるときはあるんです。間違えたときに、「間違ってました」って認めればよいものを、どうして無謬でいられると思ってるんでしょうか。返事がないから、またメールしてやろか。



6月9日(水)さもありなん

 演習の授業に学期途中から参加したいが可能かという問い合わせがあり、登録そのものは行われていたので形式的には問題がなく、これまで出された課題があれば遅ればせながら提出するから教えてくれとか言うので、演習の授業は毎回ランダムに当てられ、当てられたときに該当箇所を訳せれば出席、訳せなければ出席したことにはならない、と回答しました。さらに、「単位がほしい」といううんこなことを書いていたので、この授業には単位がほしいなどという理由で参加している学生は皆無です、と親切にも程があるほど親切に教えてあげました。向こうは問い合わせてきて、こちらは答えたわけですが、その後「わかりました」の一言もなく、もちろん授業にも出てきません。この話のオチは、この学生が上記大先生と同じところに所属しているということです。どっひゃー。



6月10日(木)さすがエコノミスト

 まあそもそも「英誌エコノミスト(Economist)」なんて、世界に先駆けて資本主義、植民地主義、帝国主義をやらかした女王のいる国のカネのことしか考えられないやつらの雑誌なんでしょうから、ろくでもないことは確実なんですが、その差別を食い物にする雑誌が「世界の住みやすい都市」に関する調査の2021年度版とやらを公表し、イソジンでうがいしながら雨合羽祭りなんぞが行われる都市を2位に選んだそうで、まったく無知ほど強い者はありません。「新型ウイルスの流行に迅速に対応した都市」が上位に選ばれているそうで、もはや名誉棄損のレヴェルですが、調査したやつにはぜひその都市で暮らしてほしいと思いましたが、いやいや、きっとネポティズムだから暮らしやすいこと、この上ないでしょう。さっさと滅んでしまえ。



6月11日(金)わんわん業

 「痴漢被害撲滅キャンペーンを実施」とかの見出しで、神奈川のわんわんがキャンペーンしている写真をつけてツイートしていました。どういう写真かと言うと、わんわんが女性たちにビラを配布しているものです。ツイートには、「みんなで勇気を出して撲滅しましょう!」ってあるのですが、「はぁ???」って思わないのでしょうか。これってどこをどうとっても、「勇気を出して」「被害に遭わないようにしましょう」ってメッセージでしょう。アホなんでしょうか。まあアホなんでしょう。なんつってもわんわんだから。これでいくと、被害に遭った場合は、勇気が足りなかったんだってことになるのでしょうね。わんわんたち、一次加害に先立って二次加害をやらかすというわんわん業です。まあ、平常運転か。



6月12日(土)『82年生まれ、キム・ジヨン』

 男性原理にのっかって生きている者として、まったく反省しかない映画でした。父親が徹頭徹尾クズで夫の同僚も徹頭徹尾クズ、夫の実家も徹頭徹尾クズですが、あいつらとは違うと思いつつ、きっと自分も同じようにクズなんでしょう。夫が「自分のせいだ」と泣いてみせても、それで終わりですか、楽ちんですねー、としか思いませんでしたが、お前だって同じだよ、と言われることでしょう。数年前、セメスターごとに、お前のように恵まれた者こそが人権を語るんだよな、というようなことを授業中に言われたことがありましたが、きっとこの映画と同根のメッセージだったのだと思います。お前は気がついていないけれども、人の足を踏んでいるんだよ、と。



6月13日(日)アホぬかせ

 負傷していない方の軸足を攻めてメダルをとったのに、負傷した足を攻めなかったという美談に仕立ててもらって有頂天になってしまった柔道家が、頭の側面が電車と接触したけれども、電車に飛び込んではいないとか言っても、ああ、あなたのウソ美談と同じ語法ですよね、としか思いません。そしてこの語法は、この柔道家が大好きそうな伝統以外の何ものでもありません。最近でも、募ったけれども募集していないとか、ありましたよね。また、このたんつぼ(byサメの脳をもつと言われたサメにとんでもなく失礼なやつ)シティのイソジン兄さんは、「大阪で起きていることの結果の責任は、すべて僕にあると思っている」と言いますが、責任はとりません。責任があるとは言ったけど、責任をとるなんて言ってないも〜ん、ですよね。そうそう、手続きに「不備」はあったけれでも「不正」はなかったとほざいたカント学者もいます。アホぬかせ。



6月14日(月)「事実だけれども事実じゃない」

 上のパターンをちょこっとひねったものとして、「事実だとしたら辞めます」と言っておきながら辞めなかったというのもあります。ある大学関係者だったやつは、酔っぱらうと学生に対してセクシュアル・ハラスメントをやらかし、しかし酔っぱらってて覚えていないとバックレるということを繰り返していました。そしてあるとき、例によって酔っぱらってセクシュアル・ハラスメントをやらかし、学生が訴えかけたのですが、そのときに、「事実だとしたら辞めます」と言ったのでした。このとき使用された技は、学生が訴えないよう研究室ぐるみでプレッシャーをかけるというものでした。つまり、「事実だとしたら辞め」るけれども、「事実」をねつ造して辞めなかったわけです。「事実だけれども事実じゃない」ってところでしょうか。実に腐っている。



6月15日(火)エスパー・パンケーキ

 まあ世界の先進極悪資本主義国家の代表が集って持続可能なカネもうけの話をしているような集まりなのでろくでもないことはたしかですが、そこで首脳たちが話している中にはいっていけず、ひとりでたたずまってる人が、「リードスピーカーとして議論を主導しました」ってツイートしてるの、すごくないですか。だってこの人、遠隔で首脳たちの議論を主導してたんですよ。ファースト・ネームで呼ぶしか能のなかったようなあれとは異なり、離れて立って言葉も交わしていないのに、議論を主導していたんですよ。まさか小学生並みのウソをついたりなんてしないでしょうから、この人、とんでもない能力をおもちなんですよ。ヤバい。ヤバすぎる。こんな能力をもってることがバレたら、各国から命を狙われます。なんつっても、言葉を使わなくても人が話すことを操作できちゃうんですから。こわすぎる。



6月16日(水)女王囲んで何がG7だよ

 集団に加わることなく言葉も使わずに「リードスピーカー」を果たせるエスパー・パンケーキはなかなかにびっくり人間ですが、しかしよく考えたらこの共同体には、天皇と霊的につながっている臣民学者の内田とか、臣民小説家の高橋とか、臣民精神科医の香山とか、ほかにもたくさんびっくり人間はいました。あの集まりには植民地主義の最高責任者である女王なんぞもが出ていたので、ひょっとしたら身分制差別主義者同士として、エスパー・パンケーキは女王とも心が通じ合っていたかもしれません。ところでやつらは、あの会合の後、NATOの会議にも参加しているんです。要するに、やつらは戦争によって人を殺すことも厭わない面々だということです。



6月17日(木)「一喝」したんだっ

 現金の授受があったのに、あっせん利得処罰法違反について不起訴にしてもらった方のツイートによれば、エスパー・パンケーキ・その批判はあたらない・定義はできないの人が、先進搾取諸国首脳の「目を見据えて一喝」し、その「迫力に先方もタジタジ」だったそうです。遠く離れたところからのリードスピーカーぶりといい、テレパシーで一喝して相手をタジタジにする技といい、もう凄すぎますね。せっかく不起訴にしてもらったんだから、その先方がだれなのか、明記した方がよくないでしょうかね。まさか「一部首脳」じゃなくって「1部首脳」って書いたんだから、フィクションだよ、なんて言いませんよね。「全責任は私にある」けど「責任をとるとは言ってない」論法じゃないですよね。さあ、エスパーごときにタジタジしてしまった首脳はだれなんだ。そいつはそのことが本国でバレたら、即刻クビだろうから、国内の政敵に教えてやんなきゃ。そこでまた現金授受ってか。



6月18日(金)排水溝へGO!

 「女子校のプールの水になりたい」と公言するようなバカ弁護士がいて、それを「この世界に男性の中に現実にそのような感情をもっている人がいるのであれば、子供のときでも「恐怖と似たものがある」ことを知っておいた方がよいのでは」と弁護するこれまた法曹関係者とおぼしきバカがいて、こんなやつらが合格してしまう司法試験なんて、やっぱりクソなんだなぁと思わずにはいられない。このごみくそ擁護は、「その方が性的被害とか予防できるような」とか言ってるんですが、「女子校のプールの水になりたい」とか言われた被害はどーすんだよ? とっとと排水溝から流されてしまった方がいいやつ、実は「東京シューレ」で男性指導者に性暴力を受けた少女の事件を検証する委員だったんだと。フリースクールも含め、すべてが腐っている。



6月19日(土)「アートは無実だぁぁぁ」

 男性アーティスト(!)とやらがある大学で撮影した匿名の女性たちの写真や動画を使い、映った女性の魅力度を順位づけするとかいうごみくそ映像「作品」を作ったのですが、それを上海の美術館が宣伝し(おのれが差別主義者であることを宣伝したんでしょうか)、批判が殺到して作品の撤去と謝罪に追い込まれたという報道がありました。中国語のタイトルを「校花(学校の花)」としておき、英語のタイトルを「Uglier and Uglier」としているのは、何重にもクズ過ぎて、謝罪じゃあとてもすまないところです。ところでこれって、ミスコンそのままなんですが、「進むミスコンの脱・性別化 それでも根強い「やめたら」」とかいうタイトルをつけて差別しているつもりはありません差別主義者たちを擁護してみせたクソ朝日新聞は、批判できますかね。無理でしょうね。「アート」に政治が介入するなとかほざいちゃうかもしれませんね。滅びろ。



6月20日(日)公的文書なのにこのありさま

 DPRKとは仲良くするな通達というのがありましたが、大学の理事からの通達文には正式な国名が書かれることはなく、漢字三文字で記されています。公的な文書なのにこのありさまです。その通達の根拠が、対面授業をやらせたくて仕方ありません省のある課からの通達文ですが、そこにも正式な国名が書かれることはなく、漢字三文字が使用されています。公的な文書なのにこのありさまです。そしてその通達文の根拠は、国連安保理のDPRK制裁委員会という何様なんだ委員会による報告です。この手のやり方を経験するたびに、やっぱり国連なんてろくでもないと考えざるを得ません。正義のつもりがあるのなら、最大の核保有国を制裁してください。けっしてアンダー・コントロールなんかじゃないのに嘘ついてオリパラを強行しようとしている資本主義の走狗たちを制裁してください。話はそれからです。



6月21日(月)戦前から一貫している

 「オリパラ開催無観客で」が53パーセントだとかって、調査して報道するのはすでに煽動です。開催によって感染が拡大したら、この調査を行いこの報道を行った朝日新聞は責任を取らなければいけません。「責任は私にある」じゃなくって、責任を取らないといけないんです。侵略戦争を煽っておいて、戦後、一切の責任を取ることなく生き続けたこの方たちの次の手は、開催と感染拡大の因果関係を科学的に証明することはできないという、お得意の可謬主義です。きっと、科学の非政治性とかいうボケをかましてくる科学者も加担してくれます。言うまでもなく、みなさんだって開催を望んでいたんでしょ、感動したんでしょ、って態度も取るでしょう。いいえ、開催なんて望んじゃいないし、感動なんてしませんよ。だから責任取ってくださいね。



6月22日(火)ちっとも「重要」じゃねーわ

 これって、結構稼いでるんでしょうか。またまたきました。「自由時間ではハッキングを専門としております」とか書いているんですが、そのハッキングで金を稼ごうとしているわけで、ちっとも「自由時間」じゃないじゃん。それともおまえは「自由時間」においてすら資本主義的にしか生きられないのかよ。そういうのは不自由って言うんだよ。そして「画面の左側では貴方がご自分を楽しませている様子、そして右側ではその時に視聴されていたポルノ動画を表示するようなビデオクリップを作成」したそうです。ポルノ動画を見たら、かならず「ご自分を楽しませている」と思っているようですが、それはおまえの生き方だろうが。17万円支払わないとそのビデオクリップを公開してくれるそうですが、それで喜ぶセクシュアリティもありうることすら、想像が及ばないんだよな。もうちょっと真面目に騙しに来いよ。



6月23日(水)いや差別ですよ

 当局からは、ワクチン接種に関して授業を休む学生がいた場合は考慮せよ、という通達があり、接種するかどうかは学生の自由であり、強制するようなことを言ってはならないし、授業中にもその点に十分気をつけろ、という警告がありました。にもかかわらず、浪速大学のある教員が「看護学生はワクチンを接種するのが当然で、接種しないと実習が受けられないというのは差別ではない」などとツイートしています。これって、処分しなくてよいのでしょうか。この「メルトダウンじゃないだす」が寝る前に日記に何を書きつけようと、そんなことは知ったことじゃありませんが、これは日記の類ではありません。当局が禁じていることに反しているのですから、当局としては何らかのリアクションをすべきではないでしょうか。まさか、「個人の見解」とか言わないでしょうね。そんなことを言ってしまえば、なんだって「個人の見解」ですよ。



6月24日(木)アンケートからも排除

 授業前に非通知による着信があり、普通なら出るわけないのに、魔がさして出てしまったら、17万円請求されました、ではなく、衆議院が解散された場合の意向調査でした。まず、自宅の郵便番号を入力して選挙区がわかると、選挙に行くかどうかが問われた後に、候補者(!)が3人告げられ、「えぇ〜」ってなってると、最初のやつに投票するなら「1」を、などと指示され、「その他」は「4」なのかと思っていたら、「4」は、「まだ決めてない。わからない」でした。こんなのに乗っかって「世論」を形成してはならないと思い、答えずにいたら、「次の質問です」と言うので、「やれやれ」と思いきや…。またしても候補者が告げられようとしたので、そこで電話を切りました。やっぱ非通知は出ちゃいかん。



6月25日(金)この上なくクズ

 「ご懸念」「ご心配」を拝察してしまった宮内庁長官がいるわけですが、予想を裏切らず、バカの臣民内田が「五輪開催の可否を決するのは政治判断でもビジネスマインドでもなく、科学的知性であるべきだと言われているのだと思います」だって。「思います」じゃなくって、霊的につながってるから「感じました」だろ。ホント、実にクズだ。この上なくクズだ。ところでこいつが霊的につながってるのは、「科学的」なんですかね。言うまでもありません、それはど真ん中の「政治」です。こういうのが『赤旗』に駄文を書くわけで、そりゃ「共産党」の前に国名つけるわけだ。



6月26日(土)雑にも程がある

 「サッカーとかバスケとか頑張ってるけど男子スポーツの何段も下の扱い」だから、「女子スポーツはトランス女性もトランス男性もバンバン入れて、今の男子競技の地位を奪ってやるってくらいのが面白い」とか言って、たぶん自己意識としてはトランス擁護しているつもりの社会学者がいるのですが、こういう雑なことを学者として発言するから、ますます溝が深まるのだとか、きっと考えたことはないでしょう。「バンバン入れて」「面白い」ことになれば、「そしたら私はもっと見に行くよ」って、「バンバン入れ」る前の状況をすでに差別だと呼んでいる人たちからしたら、この人は差別の現場を「面白い」と呼び、「もっと見に行く」宣言していることになるんですよ。まあ、そこまで考えが及ぶわけはないですね。



6月27日(日)死滅一択

 日刊クソゲンダイDIGITAL、さすが名前にわざわざ「クソ」が入ってるだけあって、エスパー・パンケーキと中におきましてニッキョーソとを批判するのに、「天皇無視」という見出しをつけています。クソ記事なのはわかっているので読みませんが、こいつらはエスパー・パンケーキと中におきましてニッキョーソが、天皇の「ご懸念」やら「ご心配」やらを無視して、行政権を執行していると文句を書いているのでしょうか。するとこいつらは、議会制民主主義を否定し、天皇が主権をもつべきだと主張しているのでしょうか。なるほど、改憲派ということですか。そうですか。しばらく阪ちんの悪口を書けなかったからって、本性をむき出しにすんなよ、この臣民メディアが。とっとと死滅してくれていい。(青木理も、「陛下」って言ってたってね。アホ丸出しですね。)



6月28日(月)片隅系

 ミュージシャンらしき人がラジオで長崎の平和運動にかかわって「感動した」って言ってて、なぜかと言うと、声高に平和を叫ぶのではなく、静かに祈るように平和を求めるからだと続け、「ああ、そうですか」と思いつつ、なんとなく片隅系かなとも思いました。すると、長崎の方、東シナ海では、アメリカと中国が対立していて、もう本当に怖いんだ…、って。やっぱ片隅系でした。侵略者だったことなどすっかり忘れて、ひたすら被害者、いつでも被害者、戦争の被害に遭うのは嫌だから平和を望む、って言ってるわけです。だからきっと、被害に遭わない戦争なら、朝鮮半島やベトナムでやってくれる戦争なら、別に構わないって話になるのでしょう。ネットでその人が何者か、実は調べてしまいましたが、たぶんこういう人が良心的で善良なミュージシャンなんですよね。良心とか善良さとか、その程度のものですから、まあ不思議はありません。



6月29日(火)「加担」のはずがない

 企画展「表現の不自由展かんさい」がエル・おおさかの指定管理者から会場使用許可を取り消されたことについて、イソジン兄さんが取り消しに賛成しました。このことについて、「こういう政治家たちがこれから先、テロに屈しない、みたいなカッコイイことを言い出しても、私は一切信用しない。屈しただろ、お前らは。」とおっしゃっている方がいるのですが、いやいや、イソジン兄さんはテロに「屈した」わけじゃなくて、テロに加担してるんですよ。サンフランシスコ市との姉妹都市の関係を一方的に解消した歴史修正主義者の兄さんなんですよ、「加担」どころかイデオロギー的には「先導」してるんです。そもそも、「テロに屈しない」と言ったやつでまともなのがいましたかね。むしろこういう輩こそ、「テロに屈しない」って言うんですよ。だから、こんなことを言うやつ一般を信用してはいけないんです。



6月30日(水)さすが浪速大学

 浪速大学、すごいのがきました。「教育担当理事のご了承を得た上で、メールにて案内させて頂きます。」って、わざわざ明記されたFD研修会の案内です。ぬぁんと、徒弟制を基盤とした教育方法をうまく実施する仕方について、能力を開発してくれる研修会です。現行の労基法では、規定を設けて、徒弟制度を名目としてなされる労働者の酷使は禁止されています。労働者に、酷使を酷使として受け取られないですむような能力が開発されるのでしょうか。あるいは、労働者として、酷使を酷使とは考えないですむ能力が開発されるのでしょうか。いやいや、実はこれはハラスメント防止のFD研修会だったりしないでしょうか。いやいやいやいや、浪速大学にかぎって、そんなメタレヴェルは成立しません。恐るべし、浪速大学。知ってましたが。



7月1日(木)煽ってるのはおまえらだろ

 オリパラ選手への誹謗中傷をIOCさまが監視するそうですが、その誹謗中傷を煽ったIOCさまの偉いごみくそたちは、当然監視されてるんですよね。殺人よりも殺人教唆の方が罪が重いわけですが、そのごみくそたちはどんなふうに処罰されるんでしょうか。だれかがツイートしてたのを見かけましたが、こいつらみんな、人道に対する罪で問われるべきじゃないでしょうか。広島や長崎に行けば、すべてが許されるとでも思ってるんでしょうか。なめてるんでしょうか。ぺろり〜んなんでしょうか。開催地の側のくそぶりを棚に上げて言うと、アスリートやらを派遣してくるやつらが悪い。みんなでボイコットすれば中止になるのに、ボイコットしないんですから。派遣してくるのは、殺人ほう助以外のなにものでもありません。



7月2日(金)どこのだれでしたっけ???

 「ご懸念」および「ご心配」を宮内庁の役人から拝察されてしまったオリパラ名誉総裁がいるわけですが、ぬぁんと、この方、オリパラ選手団に金一封をくれてやったそうですね。これって、バカボンのパパ風に言えば、「反対の賛成なのだ」でしょうか。状況に応じて、朕には決定する権限などないと言い、朕は反対していたのに国民が望んだのだと言い、もう一花咲かせるまではやめられないと言うのでしょう。あれ、これってどっかで聞いたことがあるような態度じゃんと思うのですが、こんなふうにふるまったのって、どこのだれでしたっけ。たしかそいつの血縁関係者には、お祈り好きがいて、妻とともにしょっちゅうお祈りに出かけて行ってましたが、数年前に「疲れたからや〜めた」とか言い出して、国会議員全員で憲法に違反するってことがあったような希ガスなんですが、あれはどこのだれでしたっけ。



7月3日(土)特大ごみくそ

 おおかみがどうしたこうした(?)というアニメ(キャラデザインしたとかいうやつは差別主義者のクソです)が地上波で放送されたそうですが、細部がやたら詳しいわりには、というか、細部がやたら詳しいからこそ、というか、ともかくリアリティに乏しく、フェミニズムの視点からはごみくそ以外の何ものでもないとのこと。ところが、そうした指摘をされている方が、「大学講義に潜っている謎の男と恋仲になる話」の例として『ラストレター』を挙げていらっしゃっていて、ちょっとびっくりしました。この方の視点からは、『ラストレター』に出てくる男が、みんなくずばっかには見えなかったのでしょうか。どのように寛大になればあの特大ごみくそ映画を批判的に論じる文脈以外で取り上げることができるのか、まったく理解できません。特大ごみくそは特大ごみくそだって言わなきゃダメです。



7月4日(日)それで???

 反日的な人がオリパラ開催に反対しているとかなんとか、モリカケ桜こと、中におきましてニッキョーソだって書いてないじゃないですか全責任は私にある非常にしつこい中においてですね立法府の長である森羅万象を担当しているこんな人たちに負けるわけにはいかないが言ったそうですが、選挙妨害を依頼して(そのこと自体は裁判で認められている)、報酬をねぎったから自宅に火炎瓶を投げ込まれ、しかし増額せずに「私は暴力には屈しない」と言った不屈の方が言ったそうですが、だからなんなんですかね。だからなんなんですかね。大事なので二度言ってみましたよ。



7月5日(月)へー

 中におきましてニッキョーソ(以下、長いので略)によると反日的な人がオリパラ開催に反対しているそうですが、にもかかわらず、都議選のあの惨憺たる結果を見ると、オリパラ開催に反対している人は必ずしも反日的な人ではないどころか、オリパラ開催に反対していて反日的な人は、きわめてごく少数だということがわかります。まあ、そうでしょうね。オリパラ開催に反対していても、天皇と霊的につながってるバカ内田とかがいるわけですから。なるほど、ということは、オリパラ開催に反対している人は反日的な人とは言わなかった中におきましてニッキョーソは、ひょっとして論理学がわかっているのでしょうか。恐るべし、モリカケ桜。爪を隠し過ぎて、てっきりないものだと思っていました。



7月6日(火)ぺろぐり

 ぺろぐりの経歴とかなんとかがネットのニュースの見出しになってたので、おぉ、ようやくおおさかごみくその会公認で選挙に出たことを反省して自己批判でもしたのかと思ったら、なんと、どっかの市長選に出馬するとかで、まだまだ恥辱のあまりに崩れ落ちるには、アンドロメダ星雲ほども遠いのですね。ポストモダンの騎手(笑うところ)とだべってるだけでなく、こうやって人前に堂々と出てきてしまうということは、おおさかごみくその会に公認してもらったことをなんとも思っていないってことなんでしょうね。ミジンコワムシほどの良心でもあれば、とても人前になんて出てこれませんからね。なにがなんとなくクリスタルだ。



7月7日(水)「男をあげた」www

 サイン盗みはルール違反であり、したがってその嫌疑をかけられたときに無実であれば、激怒するってことだってあるでしょう。それを、「逆ギレ」と形容するスポーツ記者はバカなんでしょうか。バカなんでしょう。そういうやつは、非常にわかりやすいことに、野村だったらそんなことはしなかったろうし、原だったらそんなことはしないだろうと、権威主義を丸出しに何事かを言ったつもりになるわけですが、そんなもの、「それで?」って言えば終わりですね。ああ、たしかに原とは違って、下ネタで脅されて反社に1億円払ったりはしない小者ですよ、って答えればいいんですかね。いったいいつからたかだかプロ野球の監督が「子供たちにお手本を見せ、夢を語らねばならない人間」になったんですか。プロ野球の監督なんかにお手本を見出そうとしたり、夢を語ってもらおうとしたりするガキんちょがいたら、たしなめるのが正しい大人のあり方ですよ。そうそう、こいつ極めつけに抗議した選手は「男をあげた」って言ってます。「男をあげた」んですねー、すっごいですねー、立派、立派。「アホ。」「ボケ。」



7月8日(木)「感じた」などどーでもいい

 日刊クソゲンダイ(おぉ、名前に「クソ」が入っているとは珍しい)あたりは、ネタができてうれしくてうれしくて仕方のないところでしょうが、まったく理解できないのは、セ・リーグ統括とやらが「サイン盗みがあったと」「全く思って」いないと言いつつ、紛らわしい行為はするなと注意していることです。サイン盗みじゃないと断言するのなら、「紛らわしい行為」なんてものは存在しないわけで、むしろ紛らわしく見えてしまった飲料メーカーのやつらに、「紛らわしい行為」として見るな、と言うべきでしょう。いや、ところがこの統括とやら自身が、「紛らわしい動作、行為であったと率直に感じます。」とか言っちゃってるんです。あんたの感じたことを口にするなって。感じたことは、ある意味では不可謬なので、これをもち出した段階で議論はできなくなってしまいます。アイデンティティ・ポリティクスの主張と同様です。そんなわけで、サイン盗みがあったと言うのなら「あった」と明確に言うべきであり、あったと全く思っていないのなら、「ごちゃごちゃ言うな。」



7月9日(金)恥辱のあまり崩れ落ちてください

 ぺろぐり、横浜市のカジノに反対しているそうですが、大阪でカジノを推進しているおおさかごみくその会の公認候補だったことを突っ込まれて、「それは私の黒歴史です」とかほざいたようです。その「黒歴史」とやらは、おおさかごみくその会の公認候補だったことそのことなのか、それともカジノをめぐってだけなのか、どっちなんでしょうか。もし前者だとしたら、「それは私の黒歴史です」なんて一言で、おそらく笑いをとりながら、片づけてすむ話じゃないですよ。ぺろぐりの政治信条そのものが「黒歴史」だってことなんですから。とっとと恥辱のあまり崩れ落ちてください。(なお、「黒歴史」という言い回しそのものが、色による価値づけであって、問題がないわけではないと思っています。)



7月10日(土)おっとろしい

 あれれ、「選手が何を言おうが世界は変わらない」とか言ってる体操の人、前は民族の祭典が中止になったら死ぬかもしれないとか言ってませんでしたっけ。ああ、たんなる死ぬ死ぬ詐欺じゃ世界は変わらないってことでしたか。そうでしたか。そりゃそうだ。民族の祭典なんてそれ自体が犯罪行為であって正義に反しているのですから、それを中止にしたら(ほんとは、禁止だけどね)死ぬかもしれないとか言う人がいたって、そんな放言は無視して構わないですからね。いや、むしろ正義に反したことができないんだったら死ぬかもしれないとか堂々と言っちゃう筋肉の人には、むしろ毎日1万回の腕立て伏せをしながら「私は間違っていました」って唱えていただかないといけないかもしれません。なんだか、喜んでやりそうでおっとろしい。



7月11日(日)まあ、仕方ない

 少し前まで、野良だった猫を飼っている方のツイートを定期的にのぞいていました。しかし別の野良が雨宿りなどをするためにその方の家に来るようになり、すると家の中からいまや飼われている猫が激しく鳴き立て、その結果野良は家の中に入るのを諦めて引き返していくという様子を、飼っている猫に対する愛情を吐露しながら、ときに動画つきでツイートされるということがあり、なんだか見るのが嫌になっていました。自分ちの猫が世界一かわいいと思うというのは、それはあることでしょう。しかしこの方は、野良がどれだけ過酷な日々を強いられているかも十分にご存知なはずなのに、あんな残酷な真似がどうしてできるんだろうと、猫を飼ってもいない者が思ったのでした。そこへきて、例のイシューです。明確な発言をされる前から、たぶん「すげえばか」の人とは対立する立場だろうと予想していました。そしてついに、予想通りの発言をされるようになってしまったみたいで、もうのぞくこともないのかと思うと、ちょっぴりさびしいです。



7月12日(月)よくあるんですね〜

 ある社会学の先生によれば、性暴力に対して「下着や裸で抗議」しないと、「行儀のよい貞淑な女性の受ける暴力だけが性暴力である」という「保守的性道徳」を肯定してしまうことになるのでしょうか。「どんな格好をしていようが性暴力を受けていいわけではない」ことを表現するのに、「下着や裸で抗議」するのが「よくある運動」なんだとすると、そうした「よくある運動」を行う人たちからすれば、服着たままの人たちなんて、「保守的性道徳」を肯定している人たちに見えたっておかしくはないですよね。なんせ「よくある」のに、そうしていないわけですから。そしてこの「慧眼」のもち主によれば、「そういう保守的性道徳とトランス女性に対する偏見が重なっていることがよくわか」るそうです。ふ〜ん、すっごいね。さ〜すが。



7月13日(火)「あほ1」とか「あほ2」とか

 現地の住民を殺し盗みを働きつつ生き続け、刑罰に処せられるのを逃れるために戦争が終わったことを知らないふりをしていた小野田ってやつのことなんぞを、映画化しちゃったあほ1がいるそうで、それがカンヌで上映されたそうで、まあ、『パラサイト』みたいなごみくそ映画に賞をくれてやるようなところだから、そういうものかもしれません。主演したあほ2が、インタビューで「監督にオファーをいただき、55歳になった僕が一生懸命、小野田さんを調べてみたら(略)高度経済期(略)いろいろなことが混乱していた日本に、大和魂を持って帰ってきた人なんだと分かった。(略)誇りをなくさず、演じようと思いました」とか言っちゃってて、「あほ1」とか「あほ2」とか、お前は何様だよ、って思った人も、十分に納得いただけることと拝察いたします。「55歳になった僕が一生懸命」「調べてみたら」「大和魂を持って帰ってきた人」だってわかっちゃったんですから、もう「あほ」じゃあ月並みすぎて、むしろごめんなさいですね。



7月14日(水)まごうことなきあほ2

 しっかし、住民を殺し食料を略奪して生き延び、罪に問われないように、終わってるの知らなったとすっとぼけて見せるって、それって「大和魂」そのものじゃないですか。自分の名の下に侵略戦争を始め、自分の名の下に人殺しを正当化し、自分の名の下に戦争を終わらせ、しかし利用されたみたいな顔をして、ぬけぬけと「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」とか言い、戦後は、広島への原爆投下は仕方なかったとか言い、自分の持ち物であるかのように沖縄を差し出し、最後の詔勅で民族差別を断行し、右はもちろん自称リベラルと霊的につながって見せたやつがいましたからね。じゃあ、津田なんちゃらとかいう55歳になって一生懸命調べたやつのこと、あほ2とか呼んじゃいけなかったのか、とかいう言い方はシニシズムなので、このごみくそ俳優はまごうことなきあほ2だと言っておきます。


7月15日(木)おぉ、珍しい

 バカAERA(おぉ、珍しい、雑誌名にみずから「バカ」をつけている!)が「【反日的な人】アンケート」なんてものをやらかしています。いくら雑誌名に「バカ」をつけてるからって、なんだって許されるわけではありません。「東京五輪に反対しているのは、本当に「反日的な人」たちだけなのでしょうか」などと言うのであれば、じゃあ「反日的な人」とはだれのことなのか、明確にすべきでしょう。にもかかわらず、こいつらの卑怯なところは、アンケートのひとつとして、自分が「反日的」か「親日的」かを答えさせる設問を用意していて、要するに「反日的な人」を定義しているのは私たちではありません、って態度をとっているところです。オリパラを協賛しつつ社説で開催に反対して見せるそのクソっぷりが首尾一貫しています。



7月16日(金)ペテン師

 1人1泊300万円のところにお泊りのごみくそ貴族が、わざとらしく広島へ行ったそうですが、広島は中国にあると思っているかもしれません。そう言えば、「生まれは中国広島あるよ」と言ってた手品師がいましたっけね。あのごみくそ貴族はしかし手品師といったような立派な人ではなく、ただのペテン師ですけどね。ところで件の「生まれは中国広島あるよ」の方は、わざとタネを見せておいて、最後にちゃんとした手品を行うという芸風ですが、このただのペテン師は、はじめっからずっとタネしか見せていませんね。そもそもペテン師であることを隠してもいないわけで(そうじゃなかったら広島へ行ったりしません)、そいつは太宰が言うところの札付きのワルなんですね。こんなやつを生み出した生活世界をともにするハーバーマスは、責任を意識しているでしょうか。



7月21日(水)そんな権限あるわけねーだろ

 民族の祭典開催に反対する人たちが、1人1泊300万円のところに宿泊する中国の広島へわざとらしく行ってきたバッ○とかいうやつに、ホテル正面で抗議しようとしたら、青いシャツ来た権力のわんわんに、「国益に反する」と言われ、さらにそのわんわんは、自分たちに「国益を決める権限があると思う」と言ったそうです。青いシャツ来たわんわんなんて、自分の利益さえどこにあるか判断できないのに(だって、その判断ができるんだったら、権力の犬なんかになり下がらないですよ。いくらなんでも、それは恥ずかしすぎますからね)、どうして他の利益が判断できると思ったのでしょうか。まあ、自分の利益はわからないけど、国の利益はわかる、っていうことも論理的には可能ですけど、およそものを考えることのできないわんわんには不可能です。



7月22日(木)もっとも卑劣

 所詮は民族の祭典であり、資本主義の走狗たちと天皇制の臣民たちの催し物なんだから、とか言って鼻の穴をふくらませているのは、たんなるポストモダンのシニシズムなので、ごみくそが出てくるたびに、「正義を振りかざす」ことも「ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティ」であることも重要だと思いますし、ユダヤ人に対する虐殺を笑いのネタにしようとしたようなバカが表舞台に出てくるなら、叩かなければいけません。このバカ、解任されたそうですが、「笑いはすべてを超越する」系のごみくそのみなさん、こんなことが許されていいんですか。ちゃんと声をあげてくださいよ。「これは芸です」の教員(当時)も、黙ってちゃダメですね。「芸術」の弾圧ですからね。しかしこれらのごみくそはまだかわいい方で、もっとも卑劣だったのは、障がい者の真似をして笑いをとってもよいかどうかをここで判断してはいけないとスカして見せた教員です。こんなやつが教員だなんて、いくらなんでもひどすぎませんか。



7月23日(金)伝統芸

 「やめることは一番簡単」とか言ったエスパー・パンケーキですが、だったらそれを選びましょうよ。ひょっとして、あれですか、タバコを買いに行かされた飛雄馬が、父ちゃんに一刻も早くタバコを届けてやろうと近道して帰ってきたら、鍛えるためにタバコを買いに行かせたのに近道なんかしてきやがってと、飛雄馬を殴り飛ばす、あんたは星一徹か。なるほど、とりあえずはその方法しかないだろうというPCR検査を拒否し続けたことにも通じますね。ところで、あんたにそんな権限はないって設定じゃありませんでしたっけ。そう言えば、侵略戦争を始める権限なんてなかったと言いつつ、もう一花咲かせるまではやめられないと言って侵略戦争を長引かせ、戦後、なんの責任もとらないどころか、のうのうと生き続けたやつがいましたが、これって伝統芸ですかね。「これは芸です」(by 元教員)か。



7月24日(土)「努力」

 アスリートのまっすぐな思い的な話とか、一生懸命頑張っている人がいるんだから水を差すなよ的な話とか、なんだか既視感がありましたが(「なんだか」どころか、実はそればっかだと思っており、以下のことだって今やっと気がついた、なんてわけではありません)、あれですね、定められた手続きに則っていない点を指摘したら、「努力」をもち出してきて手続き的正義に蓋をするという心情倫理の極みがあったのでした。決まったことをあとからごちゃごちゃ言う方が「不正だ」とか言う人もいましたが、それが「健全な」ナショナリストを自称する人だったりして、もうこれって壮大なギャグでしょうか。しかし私は「笑いはすべてを超越する」系のごみくそじゃないので、たとえそれがギャグだとしても、許しませんよ。



7月25日(日)げろー

 侵略戦争の最高責任者だったのに何の責任もとらなかったやつの地位をそのまま引き継いで疲れたから働くのやめると言って国会全体で憲法違反を認めてやめたやつの地位をそのまま引き継いだやつが民族の祭典でなにかしゃべったそうですが、それについて、なぜいまだにこんな人がフェミニストの代表としてなにかをしゃべるのかさっぱりわからない元東京大学教授(自称)とやらが、「天皇はん いややったやろうなあ」とかほざいていて、吐き気しかありません。こういうときにわざとらしく似非方言みたいなのを使うところも、相変わらずのいやらしさで、吐き気しかありません。「職業選択の自由も無いもんな」って、こんな臣民しぐさを平気でやってのけるのがマルフェミだったなんて、吐き気しかありません。げろー。



7月26日(月)「お気持ち」エスパー

 民族の祭典なんてものを21世紀にもなっていまだにやり続けていることを一言も批判せず、21世紀にもなっていまだに身分差別を温存し続けている制度の頂点にいる者を一言も批判せず、そんなやつがちょろちょろっと何か言ったことに対してコメントを求められてへこへこと答えて見せる「識者」が東海地方の国立大学法人で近現代史の教員をなさっているそうで、そりゃいつまでたっても君主制はひっくり返らないわけです。「陛下のお気持ちもあるのではないか」って、この人も「お気持ち」をご推察できるエスパーのようで、歴史学っててっきり学だと思っていたのですが、いまどきは違うんでしょうか。このあわれな臣民が特例であることを願ってやまない。



7月27日(火)「正しさ」を現実に合わせてどうする?

 ILOの勧告に基づいて事業所には女性・男性別のトイレ設置が法制化されており、現在こうしたトイレを設置しないのは違法なのですが、法が守られない状況に対して厚労省が10人以下の職場では共用トイレでいいって具合に法律を変えようと考えています。実際に守られていないのだから「正しさ」の方を変更しようなんて話は、賃金の発生する残業のことを「サーヴィス残業」と呼び換えて賃金を支払わないのと同じですが、驚くべきことに、この暴挙に反対する意見に対して、女性・男性別のトイレ設置を要求して小規模の事業所を廃業させるのかと、政府側を擁護する意見があるようです。もうどうなっちゃってるんでしょうか。左翼なら、新しいトイレ設置のための補助金を支出せよと要求するとか、あるいは補助金とか言ってんじゃねーよ、全額支給に決まってんだろ、ボケ、とか言うべきじゃないのでしょうか。



7月28日(水)念力

 どっかのバカたちが「日本一イケメン&かわいい高校一年生」を決める「高一ミス/ミスターコン2021」とか「日本一かわいい中学一年生」を決める「中一ミスコン2021」とかをやらかしてのうのうと呼吸をしているそうで、そりゃ緊急事態宣言下だろうとなんだろうと民族の祭典はやるし、「感動をあげた」「感動をもらった」「生きる勇気をあげた」「生きる勇気をもらった」クソ茶番は続けられるし、死滅一択の電2は搾取し続けるわけです。こんなクソ品評会をやらかす者たちや参加するガキんちょ、参加させる保護者には、何をどう言えば通じるのでしょうか。きっと何をどう言おうと通じないでしょう。もう念力を発揮するしかない。



7月29日(木)隠せないナショナリズム

 ある小説家が、「せめて日本の『メダルラッシュ』などとはしゃがないとか、国別の順位の表示はしないとか、そういう最低限の慎みさえないのか。恥」とか「私見をつづっ」ているそうです。ひょっとして、全力で笑わせようとしているのでしょうか。ちっとも面白くありません。この「私見」に続いて、「僕は五輪は中止すべきだと思ってるが、SNSでフォローしている新聞やニュースが五輪報道だらけで、イヤでも目に入る」と書き、「この状況で強行した政府や東京都、IOCやJOCの問題もさることながら、感染を拡大させるアナウンス効果に全力で荷担しているスポンサーメディアの責任は、絶対に問うべき」と書いているそうですが、どうしてこのことだけを書かなかったのでしょうか。「慎み」がどうのこうのとか、「恥」がどうのこうのとか、そういうメンタリティこそが、この状況下においてバカ騒ぎを続けさせるイデオロギーじゃないですか。



7月30日(金)「そういう人」

 「とある国から、『○ね、くたばれ、消えろ』とかめっちゃDMくるんだけど」とか書いたこれまたエスパー・卓球は、このツイートを大急ぎで消すと、中傷されている被害者だって報道してもらえるんですね。そしてまた、「「五輪を反対している人がいるのももちろん知っている。だけど、どうしても見たくなくても嫌な気持ちになってしまう、勝手に入ってきてしまう。それがすごく残念で悲しかった。コロナになってそういう賛成と反対の意見が分かれるようになってから。でもそういう人を見返したいと思って、この1年頑張ってきた。そういう人達に思い知ったかと思ってもらいたいです」って書く人も、中傷されてる被害者だそうです。民族の祭典に反対する「そういう人」は、「見返したい」んですね。それで「1年頑張ってきた」んですね。しゅごいしゅごい。でもね、親切だから教えてあげますが、「思い知ったかと思」うのは、あなたなんですよ。ひょっとして、1年頑張って体操やり過ぎちゃいましたか。



7月31日(土)かけらもない

 ベトナムから技能実習生としてやってきてこき使われ、孤立出産して死産だと、「国民の一般的な宗教的感情」を害したからという理由で有罪って、まったくこの臣民共同体は、行政府は言うまでもなく、立法府も「疲れたからやめたい」という憲法違反を全会一致で決めてしまうところなので地に落ちているわけですが、司法府もクソっぷりでは負けていません。そもそも「国民の一般的な宗教的感情」なんてものが、どうして裁判官ごときにわかるんでしょうか。ここでも伝統芸のエスパーなんでしょうか。宗教的感情なんてものはかけらももち合わせていませんが、こんな判決を下せるやつが不正この上ないという正義感覚が一般的であることくらいは知っています。エスパーにはわからないでしょうけど。



8月1日(日)『おとなの事情』

 まったくクソクソ映画。元々はイタリア映画で、大韓民国でリメイクされたのが『完璧な他人』ですが、よくまあこれほど見事に「日本化」できるものだと思うほどの代物です。『完璧な他人』は、観客の差別意識を問う作りになっていて、非常に厳しい映画だと思いましたが、このクソクソは、生きているんだからなんだっていいという、生の浅薄な賛歌です。(まあ、浅薄じゃない生の賛歌があるかどうかは知りませんが。)従業員を妊娠させたことも、ゲイ差別をやらかしたことも、すべて最後の演説みたいなのでちゃらかよ、って話です。そりゃいつまでたっても、どんな目に遭おうとも、臣民主義はやめられないわけだ。哲学研究者も、「努力」してんだから正義に反していようとオッケー、オッケーって言ってくれる共同体ですから。そもそも、コンビーフをあんなふうに開けて食うやつなんていない。食ったことあんのか?



8月2日(月)仙人の養育か

 養育費を月に5万円払って子どもに会えないのは人権侵害だとか言ってるのがいるんですが、そもそも養育費って、養育のための費用であって、バカ親が子どもに会ってもらうための費用じゃないんですよ、知ってましたか。しかも5万円が子育ての費用のほぼ全額だとか言ってて、つくづくそんなバカ親のもとを離れてよかったですよ。にもかかわらず、こんなクソと子どもをくっつけないと気が済まないぼんくらもいるんです。調停委員のクソっぷりを間近にすると、つくづく、婚姻関係なんてものは共同体の掟なんだとわかります。おまえら、いったん一緒になった以上、そんなに簡単に別れられると思ってんのかよ、共同体が許さねーぞって感じです。「お父さん来てるけど、会いたいでしょ?」と言われ、「べーつにー」とか答えようものなら、そんなはずはない、母親に洗脳されてるのか、かわいそうなやつだ、くらいの勢いです。アホか。



8月3日(火)死に至るメンツ

 例の案件、今度は「札幌の弁護士」が参加して、トランスセクシュアルとトランスジェンダーの区別すら知らない知識にもとづいて「ぷぎゃー」って言って、無知を指摘されると、「異様な攻撃性」とかって駄文を垂れ流してしまっています。「多くのツイートをみて、なるほど自分の感覚は正しかったと実感しましたから」って、「感覚」やら「実感」は、無謬なんですよ、知ってましたか。知らないか。問題なのは、「無謬」だってこと、そのことです。だからこんなものは根拠にならないんです。そうか、所詮は遺族感情とやらで死刑判決を肯定できてしまう人たちのお仲間だってことなのか。ったく、無知とか間違いとか認めたら死んじゃうんすかね。そうかもしれません。



8月4日(水)『無垢なる証人』

 この邦題のつけ方、映画を観たとは思えません。観ていたら、こうしたタイトルを選んでしまうことこそ、批判されているのだとわかるはずです。ハングルの原題は、邦訳するとたんに「証人」です。「証人」であるということが、映画の中で非常に重要な位置を占めることを考えれば、タイトルをたんに「証人」としていることは、至極もっともだと思われます。実は、英訳が邦訳と同じなんです。くだらない形容詞をつけています。きっと訳者のメンタリティが同じなんでしょう。ところでこの主役の人、『優しい嘘』の人でした。暗澹たる気持ちになる映画でした。



8月5日(木)知ってる。知ってる。



 知ってる。知ってる。集団で強姦しても「同意だと思っていた」と言えば起訴されなくて済むんですよね。わざわざ沖縄まで出かけて行って、新基地建設反対をしている人たちに対して、ア〇面さげて(←ルッキズムではなく、リアリズム)差別語を吐き、雨合羽うましかから労をねぎらってもらえるんですよね。柴原あたりで働くことになると柴原警備隊として、年がら年中バ〇丸出しで、信号無視の罰金を取り立てるために、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる(ぱー)体育館の周りを回り続けるんですよね。せっかくのポスターなんですから、ちゃんとそういう「実績」を書いておいたらいいのにね。と思いましたが、ア〇だから、そんなことを言ったらホントに書きそうです。そのくらい、すんごい人たちです。知ってる。知ってる。



8月6日(金)「ア」がかぶってる

 その市長が何をしようと、どうせ南京大虐殺否定論者のごみくそなので、何も不思議ではありません。民族の祭典なんぞにボイコットもせずにひょこひょこ出て、メダルをとったとかでそのごみくそに見せに行く人も、そもそもア〇と「ア」がかぶっているアスリートです。そしてそのごみくそ市長のごみくそパフォーマンスに対して、そのアの勤務先であり民族の祭典なんぞに協賛している排ガスをまき散らす乗り物の会社が「今回の不適切かつあるまじき行為は、アスリートへの敬意や称賛、(新型コロナ)感染予防への配慮が感じられず、大変残念に思う」とかコメントしているそうです。ジェントリフィケーションに加担し、感染拡大に貢献するアへの「敬意」とか「称賛」て、いったい何のことでしょうか。こういうアとか協賛企業に「感染予防への配慮」を感じるんですか。そうですか。やっぱり「感じる」は無謬だな。



8月7日(土)ここにもエスパー

 ある容疑者の供述として、「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった」というテロップが流れていたのに、数時間後には、「幸せそうな人を見ると殺したいと思うようになった」というふうに変更がなされるのは、この数時間の間に、「人」とは「女性」のことを指すよう、変更されたということなんでしょうか。まさか「フェミサイド」を隠ぺいしようとか、そういうことじゃないですよね。ところでこの件について、ある国立大学法人准教授が、容疑者のおきもちをご推察なさって(やっぱりエスパーか)、女性から「差別」され、「「低スペック論外男」として扱われ続ければ,若い女性一般に殺意を抱くことも不思議ではない」とおまとめになられています。これは、この方の周囲にいらっしゃる女性に対する脅迫ではないでしょうか。おれさまを低スペック論外男として扱うなら、殺意を抱くことも不思議ではないからな、ってことですよね。おっとろしい、和歌山大学。



8月8日(日)災いエスパー

 上記国立大学法人にお勤めのエスパーは、さらに、「男性全般を攻撃したい、という衝動を持っている女性はすごくたくさんいます」ってお書きになっています。「すごくたくさん」って、どのくらいなんでしょうかね。ひょっとして、「1、2、すごくたくさん」の人なんでしょうか。そういう数え方をする人であろうとなかろうと、このエスパーには、なぜそんなことがわかるんでしょうか。社会心理学やらなんやらの専門家であればわかる、なんてことを言うつもりは毛頭ありませんが、この方の専門は、なんと「防災」だそうです。なるほど、災いは防がなきゃいけないってことですか。男性全般を攻撃したいって衝動をおもちの女性が「すごくたくさん」存在するのであれば、その衝動が発揮されないように防ぐ方途を考えなければいけませんね。しかしそんなことより真っ先に考えなきゃいけないのは、こんなアホアホ言説を垂れ流す防災の専門家という災いは、どのようにしたら防ぐことができるのかってことです。



8月9日(月)「だれか」じゃない、あんただよ

 上の件については、ある政党の副委員長かなにかが、犯行と非正規雇用とを絡めて論じていて、そりゃその方のイデオロギーに従えばそういう言い方になるかもしれないけれども、しかしやはりその方のイデオロギーゆえにそこではフェミニズムの視点がまったく欠落していて、その点がかなり強く批判されました。すると、まあ政治家なので票のことを考えてという打算もあるかもしれませんが、その方は自分の考えの足りなさを率直に認め、その旨ツイートされていました。他方、アカデミズムに関係するエスパーは、批判に対して逆ギレし、「だれかを吊るしたいのですか」ですよ。アホか、「だれか」じゃない、アホアホ言説を垂れ流すおまえこそが批判されているんだよ、なに被害者みたいな物言いをしてるんだっつーの。こんなのに単位を認定されないといけない学生のみなさんが、なんともお気の毒です。えっ、おまえが言えるのかって? 少なくとも、この件については言えますよ。あたりまえでしょ。



8月10日(火)とりあえずごみくそ

 「五輪は特に開催反対しない。何で反対している人がいるのかも,よくわからない。いまさら反対したところで,多額の費用が無駄に終わるという現実は取り戻せないし,Z株はもう蔓延している。」とか書いてる人がいて、きっと「どっか〜ん」とか言ってひっくり返してくれるのかと思ったのですが、そのままでした。そのまま。「何で反対している人がいるのかも、よくわからない。」私の周囲にもかろうじて人々がいますが、しかしそのかろうじて私の周囲にいる人々のだれひとりとして、こんな間抜けなことを言う人はいません。言えば罵倒されることがわかっているから、何もおっしゃらないのかもしれませんが、ともかくだれひとりとして、こんなアホアホ言説を垂れ流したりはしません。そうです。アホアホ言説と言えば、あのアカデミズムのエスパーが、こんなことを書いていたのでした。これって、やっぱイデオロギー的なつながりがあるのだと思うのですが、せっかく考えたところで、どうせごみくそであることに変わりはないので、とりあえずごみくそで片づけておきます。



8月11日(水)なぜ差別主義者に謝るのか

 京都のミッション系の大学、「外見主義は時代錯誤」って理由だけでミスコンをやめたんだとしたら、じゃあ内面でコンテストするのは問題ないんですか、とか、外見主義の時代が戻ってきたらまたやるんですか、とか、ツッコミどころ満載ではないでしょうか。それでもミスコンをやめるのはいいことじゃないか、という言い方もありうるかもしれませんが、しかしそもそもそんな差別大会を堂々とやってきたことが問題なんだから、やめるのは自明であって、「いいこと」でもなんでもないでしょう。「お知らせ」には、「楽しみにしてくださった皆様、申し訳ありません」とかあるんですが、どうして差別大会を「楽しみに」しちゃってた差別主義者たちに「申し訳ありません」と言わなければならないのか、ミジンコワムシほども理解できません。



8月12日(木)職務をかけて説明してほしい

 件の国立大学法人とは別の国立大学法人の助教さまが「道徳的に劣っている中国人をまともに相手にする必要はない」とツイートし、所属大学の学部長が「人権侵害になりかねない発言は許されない」とノーテンキなことを言ってます。「なりかねない」っていうのは、どういうことなんでしょうか。例によって、受け取り手が人権侵害だと「誤解する」可能性があるってことなんでしょうか。当の助教さまも、謝罪しているつもりにすぎないと受け取られかねないツイートで、「特定の集団と特定の行為を結びつけているように受け止められかねない表現」があったと書いてます。もしそれが文字通り「受け止められかねない表現」にすぎないのなら、なにを謝る必要があると考えているのでしょうか。「道徳的に劣っている中国人」は、<道徳的に劣っている中国人>以外に、どんな理解の仕方があるのか、職務をかけて説明してほしいですね。



8月13日(金)わかりやすすぎる

 「道徳的に劣っている中国人」を<道徳的に劣っている中国人>と理解されかねない(されかねない、の部分は傍点)ツイートをしたために謝罪する助教さま、例によって例のごとく、通信社の取材に対して、「差別的な意図はなかった」とかおっしゃっているようです。通信社も通信社で、じゃあどんな意図があったんですかとたたみかけてほしいところですが、そんなことを通信社に期待する方が間違ってました。そしてこの方、これまた例によって例のごとく、「ツイートによって傷つけられた方々」に謝罪しているのですが、問題は、そのツイートが差別であって不正であるってことなんです。「功利主義的に政治的秩序を形成していくより他ない」とか、全力で笑かしにかかる前に、ちゃんと、私は不正を犯しましたって言わなきゃダメです。まあ、功利主義礼賛の時点で、不正をゲロってはいますけどね。



8月14日(土)『操作された都市』

 やっぱひげ面兄貴が最高です。前回も、同じようなコメントを書いたような気がしますが、うーむ、すばらしい。運転席と助手席を、隊長と入れ替わるところで顔が接近するシーンとか、もう突きすぎです。ところでひげ面兄貴、あの『少女は悪魔を待ちわびて』で復讐する相手が眠っている間に部屋の床に割れた空き瓶を敷き詰めちゃった人なんですよ。ヤバすぎる。いやいや、フィクションと現実の区別がつかなくなってるやつが一番ヤバいか。ぎゃふん。



8月15日(日)死滅一択

 「ホームレスの命はどうでもいい」とほざいたごみくそ自称メンタリストやらが批判されるのは当たり前であり、二度と人前に姿を現せないほどに批判し尽くすのが妥当であることは言うまでもありません。しかしこんな取るに足りないごみくそ(「取るに足りない」からといって、ほったらかしで構わない、なんて言ってませんよ)ほどに、宮下公園を破壊したジェントリフィケーションは批判されているでしょうか。あの能力主義丸出しのスポーツ用品メーカーが不買運動のために世の中から消えてなくなったという人が生きていくための最低条件のひとつ(電2の死滅とか、ほかにもたくさんあります)がクリアされたという話は聞いたことがありませんが、ひょっとして私が知らないだけなんでしょうか。



8月16日(月)隠しきれない差別主義

 櫻井よしこがネトウヨの親玉程度ではすまないから問題なのに、櫻井よしこをネトウヨの親玉と言い、「日本のネトウヨの起源は韓国」とか言ってネトウヨすら外注しちゃってる人は、いったいなんなんでしょう。国基研やら日本会議やらをネトウヨと一緒くたにする発想って、結局のところ一億総懺悔の思想と変わるところがないでしょう。かと思えば、日本会議は過去の侵略戦争についての認識が天皇とは異なっており、天皇は「深い反省」と言っているだの、日本会議の会長はCOVID-19に関して「コロナ騒ぎ」と言ってるだけだが、天皇は「新たな試練に直面」と言っているだの報告しちゃってる人がいて、左翼と呼ばれる人たちは、しょせんはこの程度だったのかと唖然とします。臣民たちによって見事に国体護持が果たされている。



8月17日(火)「お気持ち」ロックダウン

 なんの反省もなく消費社会にどっぷりつかっていただけの人生で、告発したり自分こそが正義だと言い募ったりしないから犬や猫が好きだとほざいたバカがいましたが、そいつが相変わらず、「他人を管理したい気持」がロックダウンを願うんだろうなぁとか言ってて、こんなやつと一度でもつるんでいたポスト・モダンのぼんくらは、恥辱のあまり崩れ落ちてほしいところです。とはいえ、ロックダウンといった政策が、この共同体においては「お気持ち」で行われると、きっと「感じて」いるに違いない点は、あたっているかもしれません。あああ、一度でも正義が「暴走」してほしいものです。



8月18日(水)見るまでもない

 『日本のいちばん長い日』とかいう、なんとなく内容の予想がついてしまう映画があるのですが、その出演者たちが「その日わたしは」と題して設けられた質問3つに答えている文書が、ある人のツイートにアップされていました。出演者のひとりとして感じたこと、という質問に対して、「今の若い人たちは日本人の歴史を知らないのではないか。」と言い、「あの時の人々が如何に一生懸命に生きたかを知ることは、最も有意義なことである。」と続ける若大将こそ、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」に代表される皇軍の蛮行を「知らないのではないか」。終戦を知った時にどんな気持ちだったかという質問に対して、「玉音にタダ涙。」と答える笠智衆、やっぱりアホだったんだとよくわかります。出演者のひとりとして感じたことに対して、「偉大なる無駄と罪悪を犯していたということ」と答える三船敏郎は、ひょっとすると侵略者であり加害者であったことを批判しているのかもしれません。いずれにしても、この映画は見なくてもよいことはよくわかりました。



8月19日(木)「正しい理解」を示せ

 まあ試合前の「声出し」なんてものそれ自体がごみくそ以外のなにものでもないわけですが、そのただでさえごみくそ行事のなかで、「声出し」をさせられていた父の国籍がコンゴ、母の国籍が日本という選手に浴びせられた「日サロ行きすぎだろ」と言うごみくそ発言を含めてそのまま「声出し」を球団の公式ツイートで垂れ流していたごみくそ球団があります。指摘を受けて、例によって「誤解」メソッドを使用するわけですが、では「誤解」ではない「正しい理解」が何であるのか、示すことはしません。まあ、球団名に「日本」が含まれている段階で、差別しますよ、なにが悪いんですか、不快に思ったらめんごめんご、でもそれ誤解だから、を含意してますね。そんなわけで、ハムのひとり不買運動を始めます。



8月20日(金)『教授とわたし、そして映画』

 チョン・ユミが出ているからレンタルすることにしたのか、それともイ・ソンギュンが出ているからレンタルすることにしたのか、もはやまったく思い出せないのですが、面白かったのは、売れない映画監督は仕方なく大学で教えるという状況です。「教授」も、映画を撮るから大学は辞めると言ってました。なるほど、大学は腰掛けなんですね。あとは、イ・ソンギュンが自分が撮った映画の試写会に出て、試写会に来た人の質問に答えるってシーンで、質問者の友達をもてあそんで捨てたことを糾弾されて、クズが見せそうな表情をうまいこと見せていたこと、チョン・ユミが、かつて「教授」とデートした同じ道を罪悪感を感じながらイ・ソンギュンと歩き、そのふたつを比較しながら映画を撮ったことが、それぞれちょっぴり面白かったです。



8月21日(土)『10億』

 まったくくだらなすぎる。かなり腹が立ちました。やはり、ある程度ストーリーの紹介を読んでから選択した方がよいのでしょうか。サバイバルできた者1名に賞金を出す、という企画のテレビ番組、という設定を知っていたら、きっとレンタルすることはなかったでしょう。この手のサバイバル物がむかしから大嫌いで、はいはい、さっさと殺してくださいって思ってしまいます。それはおまえが現実的には殺す側にいるからだろ、とか言われるかもしれませんが、かりに現実的には殺す側にいるのだとしたら、ますます、はいはい、さっさと殺してくださいって思いますよ。最後に、この企画の背景が明らかにされるのですが、そういう怨恨のもち方が一見必然的に見えて、きわめて恣意的だってわかってるんでしょうかね。そんなことを言い出せば、殺される妻と電話で話していた夫であるおまえが悪い、なんならおまえが夫であることが悪い、さらにはおまえが存在したことが悪い、って話になってしまいますよ。



8月22日(日)不正以外の何ものでもない

 そもそもこの反動的な時代状況において「日本学の拠点をつくる」だの「アジア人文学」だの「アジアからの世界哲学」だの、アナクロにもほどがある程度なら、おもっくそバカにして笑ってやればいいだけの話でしょう。しかし、学生に対するセクシュアル・ハラスメントをやらかしたために反省文は書いたことがあるものの、プロパガンダとして積極的に侵略戦争を正当化したなんちゃら学派について「思想としては深いものがある」などと言ってみせるなんの反省もないやつとかがいるわけです。戦争責任をテーマ化するシンポで外国人研究者に戦争責任の「せ」の字も出てこないようななんちゃら学派論を語らせ、大阪大学のやつひとりだけがその暴力性を質問したら、「暴力の意味がわかりません」との回答があってそれでよしとする、そんな状況があるわけです。要するに、これらはすべて不正以外の何ものでもないわけです。



8月23日(月)ぺろぐりに20万人も

 やっぱ横浜市の有権者のみなさんは、「買い取る」と嘘を言って雨合羽を収集し、市役所ロビーを占拠してカッパ祭りを敢行し、処分に困って公立学校に取りに来させ、公用車を使ってたばこをふかし、公用車を使ってスパへ行ってたような「共産党ウォッチャー」(by 書記長)を選んでしまうどっかの有権者よりも、正不正とか物事の道理とかをご存知なのでしょう。まあ、この雨合羽うましかのお友達であるぺろぐりなんぞに投票しちゃった人も20万人近くはいらっしゃったわけですけど。しかしこれで首都圏でのIRがなくなるとなると、ますます「たんつぼ」(by サメの脳をもつと言われたサメに失礼なやつ)のアホが調子に乗って蠢きそうで、引き続き「たんつぼ」は他山の石状態で絶望しかありません。



8月24日(火)ろくでもない

 なんと「医療崩壊」なんて言葉が変だと言い、今の状況はたんに「通常医療が災害医療になるということ」だと「ぼくが思うこと」(これは別の歴史修正主義者の言葉。まあ、南京大虐殺を否定する点では同一)を垂れ流しているのがいて、災害医療になると、「救急車も来ない、検査もできなくなる、手術も延期される、死者も増える」そうです。しかし災害医療なんだから、「しかたない」って。なんつっても「相手はウイルス」だから、「がんばって生きるしかない」ってよ。この人、デリダからいったい何を学んだんでしょうか。他の人から学ぶなんてことは近代主義であって、学んじゃいけないってことでも学んだんでしょうか。いやいや、それ、あんたのオリジナルだから。こうやって日本版ポストモダンは体制側にとってつねに便利なプロパガンダとなるわけです。ここまで居直るのがはずいやつは、体制批判なんてしても仕方ない、「ケア」しなきゃ、とかって、やっぱり体制をしっかり支えるわけですが、どっちも日本版ポストモダンに変わりはありません。つまり、ごみくそです。



8月25日(水)「闇」でもなんでもない

 野球協約に反する暴力行為があったため、球団から無期限出場停止処分を下された暴力選手が、親会社が原発を推進する「球界の盟主」を自称する恥ずかしすぎる球団に無償トレードされ、社会党が政権をとったら野球ができなくなるとかつてデマを飛ばしたミスター・バカから激励されて、なんと処分を下された10日後には試合に出るということがありました。他方、同居家族以外の女性と長時間密会を行っていた選手が、1ヵ月の対外試合出場禁止の処分(もちろん、所属球団は原発球団ではありません)を受けました。「暴力より女密会の方が罪が重いプロ野球の闇」とかいうツイートもあるそうですが、いやいや、何が「闇」ですか。「球界の盟主」がやりたい放題だってことは、「プロ野球の自明」でしょう。おのずから明るい。



8月26日(木)電流ビリビリ派

 原発推進新聞社の「医療・健康・介護サイト」に「夫婦生活拒否された男性40代」が「妻に出した手紙」とやらが掲載されていて、「夫婦生活」って何だよ、と思ったら、「あれ」のことでした。「今のままセックスレスの状態が長く続くのであれば、俺は暴力を振るうことになる可能性が高く、もう自分の意志ではコントロールできない状態になっています」って、これもう、レイプします宣言じゃないですか。「自分の意志でコントロールできない状態」だったら、残るは電流ビリビリとかしかないですよ。こんなのをわざわざ活字として載せる者たちは、このレイパーに同情する者たちともども共同正犯です。やはり電流ビリビリ派ですね。



8月27日(金)それ、霊感商法だから

 『永遠平和のために』においてカント自身、各人が道徳的になったとしても永遠平和は実現できないと言ってるにもかかわらず、各人は永遠平和を実現するために努力すべきだとカントは言っていると呆けた解釈を行い、そうした人間の努力が無駄にならないために、カントは自然の摂理という希望の論理を展開しているなどと垂れ流してしまう方もいるようです。相変わらず、努力がお好きなようですが、そんな自然の摂理があるのなら、自然の摂理の定義上、人間の努力なんて関係なく、事は進むでしょう。まったく、自分で言ってることがわかってるんでしょうか。そもそも、そんな摂理に期待しなきゃいけないなんて、希望の論理じゃありません。永遠平和のために壺を買おうぜ、って世界には、絶望しかありません。そんなところに希望を見出すやつは、たんなるお金持ちのアホです。



8月28日(土)ひとり不買運動

 なんちゃら大学の文学部哲学科を卒業してある大型書店の店長を務める者が、なんちゃら大学の教員と対談して、「ぼくは「ヘイト本」を店頭から排除しません。「ヘイト本」を「ヘイト本」たらしめているのが「排除の思想」であるなら、みずからも同じ排除の構えを取りたくないからです。」とか、さもリベラル風を装っていますが、要するに、「ヘイト本」を「ヘイト本」と同定しつつ、それを書店で販売し、「ヘイト本」を「ヘイト本」たらしめている「排除の思想」に乗っかって金を稼いで生きています、って言ってるだけのことです。これこそが、差別を飯のタネにして資本主義を堂々と生きていくための典型的なリベラリズム・イデオロギーです。ジュンク堂、ひとり不買運動開始します。



8月29日(日)クソ本

 上のクソ本の紹介がネット上にあって、「ヘイト本」でカネ稼いでいる店長が、「どんな本でも「不要不急」のものとは思えないのです。」とか言ってるんですが、はて、「ヘイト本」がどのような点において「「不要不急」のものとは思えないの」だろうかと思いましたが、すぐにわかりました。そいつが食っていくために「不要不急」なんですね。しかし知ってますか、差別をなくすことこそ、「不要不急」なんですよ。ある紹介者は、「借り物ではない、自前の、手持ちの知識で考えていくスリリングな楽しさが、書店と教室にはあるのだ。」とか言ってますが、いまだに「スリリング」とか使うって、80年代で思考停止なんでしょうかね。「自分でものを考えるきっかけとなる本」だそうですが、「スリリング」とか使っちゃう人は、「自分でものを考え」ないほうがいいです。



8月30日(月)いつものやつ

 厚労省の公式ツイートで、武田/モデルナ社の使用見合わせ対象ロットのワクチンについて、「使用前に目視で異物が確認されたものは、接種されていません。」と言っています。目視で異物が確認されたにもかかわらず、接種したりするわけはないでしょうから、これは当たり前のことを言っているだけです(いや、「ヘイト本」を「ヘイト本」だと同定しつつ、カネ儲けのために販売するアホはいますけどね)。問題は、この当たり前の言葉に続けて、「同一ロットのワクチンであっても、異物が確認されていないものを接種された方に、重大な健康問題を起こすリスクは低いと考えられています。」などと言っていることです。異物が確認されたら接種はしないということと、異物が確認されていないものを接種してもリスクは低いということとは、まったく関係のないことです。にもかかわらず、こんなふうに続けることによって、ミスリードを実行しているわけです。そして突っ込まれたら、読み手の誤読のせいにするといういつものやつです。



8月31日(火)丸出し

 集団的、政治的責任を論じるのに、同じ政治的共同体に帰属する成員がなしたことに対する責任は免れないと、ただそれだけを言えばすむ話なのに、なぜオリの代表選手の偉業に歓喜したり、同国人のノーベル賞受賞に誇りを感じうるのと同様に、なんて余計な文言を付け足さずにはいられないのでしょうか。いや、ある種の人たちにとっては、まさしく付け足さずにはいられないのでしょう。この余計な文言のおかげで、侵略戦争を反省して見せるかたわら、「健全な」ナショナリズムなどという呆けたことを垂れ流すことが可能になるんですから。同じ××人として誇りに思います、にっこり、ってできるんですよね。ア○丸出しで。ったく、すべてのナショナリズムは「健全」だって、何度言えばわかるんだ。



9月1日(水)いずれも捨てがたい

 だれがもっとも臣民か争いに勤しんでいるみなさんがいます。ブルーインパルスの着色スモークがすぐに消えてしまうのは、着色したスモークのカスが地上に落ちてきて洗濯物を汚さないようにという航空自衛隊の心優しさが理由だと、防衛施設庁の知り合いに教えてもらっちゃった人。そんなに心優しいのにどうして殺人集団に所属しちゃってるんですかね。ブルーインパルスの飛行日は分かっていたのだから被害者も洗濯物を干さない、車にブルーシートをかけるなどの対策はできたはずなのにしなかったやつが悪いって言う人。あれれ、心優しいはずなのに、「被害者」を出しちゃったんですか。飛ばなきゃよかったのにね。スモークオイルが付いた洗濯物は記念品として大事に保管するとか言っちゃった人も、臣民の中の臣民としてまったく捨てがたい。この人、さらに「一般人は敏感過ぎますよ。」って続けるんですが、ご自分が「一般人」ではないことをゲロっちゃってます。さすがすぎる。



9月2日(木)70のじじいの凄テク

 あの件で有名な東大の人が、セックスワークについて教えてくれています。しかしその記事、「テクスト」と「編者」にそれぞれ異なる人の名前が記され、さらにその東大の人の名前も記されていて、いったいだれに文責があるのかわかりませんが、ひょっとするとそれが狙いかもしれません。その記事では、売られているのはあくまでもサービスであって人格や人間ではないとされるのですが、だったらだれかが突っ込んでいたように、70のじじいの凄テクが売れないとおかしいはずだし、どうして写真と名前が重要なのか、説明できるんでしょうか。非常に雑なことに、セックスワークは危険と隣り合わせだという見解に対しては、「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきものです。」と言われています。東大で仕事を行う東大の人の危険もセックスワークに従事する人の危険も、「大なり小なり」つきものの危険なんですか。「労働に対する正当な対価」がどのように決定されるか考えたことがあるのでしょうか。バカも休み休み、というか、ずっと休んでいた方がよいのではないでしょうか。



9月3日(金)「合理性」を問えよ

 「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきもの」と言うこの東大の人によれば、現状、仕事を選ぶにあたり、セックスワークを選択するのがもっとも合理的だと考える人もいると、あたかも自分がそう考えているのではなく、選択する人のなかにはそう考える人もいると、解説者のようなことを言っています。しかしこの合理性は、コロナ禍において経済的苦境に陥り、「可愛い人が風俗嬢やります」と言った吉本のクソ芸人が考える合理性と、どのようにして差異化できると言うのでしょうか。あの件に関してこの東大の人の言う雑な議論を支持してしまう心ある左翼やリベラルは、この件に関してもでたらめを受け入れることができるのでしょうか。それとも、あの件とこの件は異なるとお考えなのでしょうか。私には、いずれの件に関しても、この人はほんのちょっとでも頭を使っているようには見えません。



9月4日(土)絶望に満ちている

 モノレールに乗っていて、かつてコカ・コーラのCMに出ていたようななぜ幸せなのかまったくわからないけれどもやたら笑顔ひたすら笑顔とにかく笑顔の学生風の人たちが大量に出てきて、医療従事者に感謝するという映像をうっかり見てしまいました。医療従事者に感謝するのはいいですが、だれひとりマスクをしていないのは、医療従事者にケンカを売っているようにしか見えません。そして映像の終わりの方で、未来は希望に満ちているとかなんとか文字列が出てくるのですが、未来は絶望に満ちているの間違いじゃないのか、と確信したのは、映像の最後に大学名が表示され、これが大学のプロモーションヴィデオだとわかった瞬間でした。



9月5日(日)『国選弁護人 ユン・ジンウォン』

 ソウルでの民族の祭典のために強制的に立ち退きをさせられた人たちが、その立ち退き先の再開発のためにまたしても強制的に立ち退きを迫られ、国家権力による暴力のため住民5人が亡くなるという実話を元に作られた映画で、とりわけ検察の悪辣さや検察と裁判所の癒着などが批判的に描かれていました。とはいえ、やっぱ言わなきゃいけないと思うのは、女性の記者のことを「美人」と言ってほめるシーンが当たり前のように挿入されていたことです。それが法曹界とマスコミとの日常であり、その日常を批判していたのだ、というふうには見えませんでした。記者はキム・オクビンで、わんわんのせいで負傷しますが、のちに「悪女」になる人になんてことを。



9月6日(月)『権力に告ぐ』

 これまた大韓民国の銀行をアメリカのカネ儲けしか頭にないぼんくらなんちゃら銀行が不当に安く買収したという実話にもとづく映画でした。資本主義なんてなんだってごみくそだと思いますが、とりわけ金融資本主義のごみくそぶりは、存在自体が暴力革命を煽動しているのではないかと思うほどです。ま、そういうお話でした。父親が大好きな弁護士も、かなりのムカつきポイントですが、調べたらその俳優はミスなんちゃらだそうで、ああそうなんですねー。検事を応援しなければならないなんて、なんとも倒錯した状況です。



9月7日(火)なるほど

 セックスワークは危険と隣り合わせだという見解に対して、「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきもの」と言ってみせた東大の人によれば、売られているのはあくまでもサービスであって人格や人間ではないとのことでしたが、援助交際という名の買春実践家で有名な都立大の人も、「サービスを買ってるんだ」と言い、人間を買っているのだとする人のことを「頓馬」と呼んでいます。なるほど。「感情豊かな男を相手にする感情豊かな売春婦は平価の何倍も金を稼ぐ」そうで、自分は吟味された上で「感情豊かな男」に認定され、「界隈ナンバー1」を紹介してもらったそうですが、あれ、「感情豊か」だと何倍も稼げるって、それ人間を売ってるんじゃないんですか。せっかく「感情豊かな男」に認定されたのに、サービスしか買えなかったんですか。へー。



9月8日(水)自己言及



 先日こんなのが大阪駅にあるのを見かけたので、「撮らねば」と思ったのですが、これって何秒おきなのか何分おきなのか、画像が一巡するまで待たないといけなくて、一巡するのを待って撮りましたが、実はこの表示器の上には監視カメラが設置されていて、待ってる間、ずっと監視されていました。「不審な行為」って緊急事態宣言下において強行されるオリパラのことじゃねーの、と思ったんですが、まったく「見かけ」なかったので、「お知らせ」できませんでした。言うまでもなく、「特別警戒」とか「警戒警備(の)強化」とか、おもっくそ「不審な行為」ですよ。それと、善良きわまりない市民を監視する行為とか。



9月9日(木)まるでダメ

 「「慰安婦」30年 被害者の救済が原点だ」というタイトルで朝日新聞デジタル版が「社説」として垂れ流していることは、右派が言うことを難しげな言葉で言い換えただけのごみくそに他ならない。「アジア女性基金」なんてものは不正の塊以外の何ものでもないのに(そういう意味では、呼びかけ人だった和田春樹や鶴見俊輔なんてのは、不正をなした者以外の何者でもない)、大韓民国において「日本政府の責任逃れだとの反発が起き」たせいで、「成功とは言い難い結果に終わった。」と言ってます。こんなもの、「成功」しなくてよかったわけで、むしろ日本政府の責任を追及してくれたことを感謝しろよ、って話です。どうせ朝日新聞じゃそんなことはできないんだから。国家の法的責任を認めようとしないこういった姿勢は、「ニッキョーソ」と変わるところがない。これが「社説」として披露されているのだから、要するに朝日新聞は社を挙げて「はやく質問しろよ」と同一だということだ。



9月10日(金)提灯記事
 
 6年前のとんでも「政府間合意」を批判もせずに現在の大統領が「この合意を骨抜きにした。」と「社説」で書く朝日新聞デジタル版は、「ニッキョーソ」の言い分とどこが違うのか、説明してみてはいかがでしょうか。「この合意を骨抜きにした。」に続けて、「歴代の日本政府が謝罪を重ね、償いを試みたにもかかわらず、問題が前進しないのはなぜか。」と書けば、問題があるのは大韓民国側であるかのようです。つまり、この新聞社は社を挙げて「モリカケ」と同じスタンスをとっているわけですが、政治家に加えて政治家を批判すべき立場にある新聞社がこんな提灯記事しか書けないから、「前進しない」のですよ。さらにまたもや、大韓民国の市民団体が「日本の法的な責任追及にこだわるあまり」という表現を用いています。あんたたちのような臣民は、国家の「法的責任」になんてこだわらないのかもしれませんが、少なくとも立憲主義とか法治主義とかを生きる者であれば、「法的責任」にこだわるんですよ。アホですか。



9月11日(土)やっぱ勝ち数っしょ

 勝ち数が多いのと勝率が高いのとでは、どちらが「勝利」という観点からは上位に位置するべきなのか。実際には、どっちかに決めてしまってシーズンは始まるのですが、それとは別に、どちらを上位とすべきなのかを考えることは可能でしょう。かりに1リーグが6チームだとして、相互に20試合ずつ対戦するとします。それぞれのチームは、100試合ゲームをすることになります。このとき、80勝1敗19分のチームと、1勝0敗99分のチームが生まれる可能性を考えることができますが、これってどっちが「勝利」という観点から上位におかれるべきでしょう。勝ち数で言えば、圧倒的に前者ですが、勝率で言えば、後者です。今年は、勝率で上位を決定することになっているあるスポーツがありますが、この思考実験ほどあからさまではありませんが、しかし勝ち数で10勝近く上回るチームが2位とか3位とかになったことがあります。それってどうよ、と思って少し考えたのですが、1勝0敗99分のチームって、高いのは「勝率」ではなく、「負けない確率」じゃないのかよ、と思うようになりました。しかし「負けないこと」と「勝つこと」は同義じゃないですから、やっぱ「勝利」という観点からどちらを上位におくべきかという問いについては、「勝ち数」を決め手にすべきではないかと思うようになりました。いえいえ、けっして阪ちんに有利になるように考えたわけじゃないですよ。



9月12日(日)まあもう無理だな

 あの「9.11」から20年ですが、当時、アメリカやイギリスが「無限の正義」(羞恥のあまり崩れ落ちそうになったのか、さすがにこの名称は変更)というどの口が言ってるんだよ的な作戦名で行っていた報復の爆撃に反対するシンポのようなものを開催しました。私が問題だと思っていたのは、一方的に容疑者を断定して殺戮を行うアメリカやイギリスのやり方でしたが、シンポの参加者には、テロも批判すべきだと言う「まともな」人もいて、正直、(この人大丈夫かよって)びっくりしました。10年後の2011年には、秋葉原にある、ある大学のサテライトキャンパスで「あれから10年」という討論会を行いました。そして20年後。シンポをともに行った大越さんが3月に亡くなり、埋めようのない思想的差異が明確になった人たちもいて、何も行う予定はありません。W.が偉そうになにかコメントをしているようですが、国際刑事裁判所で裁かれるべき人間のひとりであることは確実です。



9月13日(月)なぜか

 なぜじいさんはマスクをしないのだろうか。なぜじいさんは、ワクチン接種をすませたら自分は感染しないと自信満々なんだろうか。なぜじいさんは、ワクチン接種をすませて感染したとしても、自分が他の人を感染させるはずなどないと自信満々なんだろうか。なぜじいさんは、透明マスクをしているのだろうか。なぜじいさんは、わざわざ、あご付近に口と鼻をもってきて、偽物の口と鼻を口と鼻のあったところに設置しているのだろうか。なぜじいさんは、ときおり手で口と鼻をもって、偽物の口と鼻を口と鼻のあったところに設置しているのだろうか。なぜじいさんは、マスクをはずしたところで生きづらさに変わりはないことに気がつかないのだろうか。すべての答えは、「じいさんだから」だろう。



9月14日(火)『白頭山大噴火』

 のぞき見しているツイッターで評判がよかったので、観に行きました。しかしもちろん一般的な人気はないのか、梅田で上映されているのは1ヵ所のみ、1日1回かぎりでした。イ・ビョンホンとハ・ジョンウとマ・ドンソクが出ているというのに、なんということでしょうか。予告編が流されていたスパイの話、しかも女王のために働くとかいうスパイの話などという恥ずべき映画に、みなさん群がったりしないでしょうね。全宇宙から狙われた男、などという被害妄想も宇宙並みに甚だしいやつが出てくる映画の予告編も流されていました。そいつが地球を守ってくれるそうですが、そんな必要ないって。もう宇宙戦争とかせんでよろしい。


9月15日(水)なわけがなかろうて

 ある政党がいまだに暴力革命を否定していないとテレビでデマを飛ばした自称弁護士がいるそうですが、過労死した被害者たちの遺族たちを前に「ニッキョーソ」とともに下品に笑って見せた(まあ、上品だって品性は下劣なんですが、下品以外の形容が思いつかないような風貌ではありました)姿を『赤旗』にすっぱ抜かれたことのある政治家も、やはり同意見だったそうです。まあ、この人たちはイデオローグだからどうでもいいとして、この言説を信じちゃう人っているんでしょうか。党名に国名がくっついちゃってるんですよ? 機関紙には西暦以外にへんてこな漢字二文字のやつも併記しちゃってるんですよ? いったいどこに暴力革命を起こす素地が残っているというのでしょうか。ほんの欠片でも残っていたら、喜んで投票してやるわ。



9月16日(木)これは迷惑メールなのか

 大学のメアドの「自衛隊大規模接種センター」というアカウントから、とんでもなく大量のメールが届くのですが、これって、いわゆる迷惑メールで、開いたら釣られたことになるやつなんでしょうか。タイトルは、「自衛隊大規模接種センターの概要 予約サイト案内(予約・受付案内)」とか「【重要】自衛隊大規模接種センターの概要 予約サイト案内(予約・受付案内)」とかなんです。メールについてる下線部分をクリックしたら、エロサイトとかに飛ぶんでしょうか。それならそれでわかりやすいからいいのですが、おっとろしいのは、大学のメアドがそのまま殺人集団にごっそり渡ってたりするんじゃないかってことです。いくら浪速大学でも、そんなことはないですよね。いくら大阪府があれだとしても、まさかね。



9月17日(金)とっととなくなって欲しい

 阪ちんのある選手が引退を表明しましたが、その選手について語られることと言えば、鉄人とやらの連続試合出場記録を盗塁死によって止めたことばかりです。しかしあれって、もう晩年は記録のためにのみ試合に出続けていたけれども周りはとても出場を止めることができないという困った状態を、見事に打破した行為であって、むしろ称賛されてもいいくらいのことだと思ってきたのは私だけでしょうか。いや、多くの人はそれどころかなんの話かまったくわからないでしょう。この話に関して、今日、気分の悪くなる記事を読んでしまいました。その鉄人の連続試合出場記録の祝いの席で、だれもできなかった「偉業」をやってのけたこの盗塁死した選手が、当時の主力選手からビンタされ、笑いをとることによってわだかまりがなくなったと、こんなたんなる暴力沙汰が「美談」として語られていたのです。そんなことをやらかす連中も連中だし、「美談」として語る連中も連中で、スポ根て、やはりとっとと消えてなくなって欲しいものです。



9月18日(土)いつの間に

 いつの間にやらキングメーカーになられているつもりのモリカケ桜氏が、自分の推薦する歴史修正主義者にして名誉男性である方について「女性首相誕生すれば世界が注目」とかっておっしゃっているそうです。さすが、ジェンダーギャップ指数の順位が下であれば下であるほど正しいと考えてきて、その通りの政策をとり続けてきたと思われる方は、この共同体のありようをよくご存知で、こんな状況であるにもかかわらず女性が首相になったりしたら、そりゃ世界は注目するだろうというわけですね。こんなにすぐれた自虐ギャグを飛ばせる人だとは知りませんでした。こういうのも「自虐史観」って言うんでしょうか。その実態が「加害の歴史」である点もまったく同一ですね。



9月19日(日)びっくり

 たとえばSDGsに関心をもちそれ系の活動に参加したことがあったりしたら、そのことでその人には社会性があるなどと判断できると考えてしまう人がいたとしたら、それはもうびっくりです。繰り返しになりますが、びっくりなのは、そんなふうに判断できると考えてしまう人のことです。言うまでもなく、少なからぬ人たちが、そんなふうに判断できると考えてしまう人のように見える機会があったので、記しています。SDGsを例にとるのであれば、少なくとも私は、こんなものは資本主義諸国が持続的に搾取し続けられるための取組に他ならないからそれ系の活動になんて参加しない、とか言う人の方が、よほど社会性があると判断してしまいますが、まあ、そんな意見が多数派じゃないことくらいは知ってます。



9月20日(月)どーせ卑小だからですか?
 
 東京のある私立大学に勤める妻帯者の教授がラブホで学生に論文指導を行い(いやもちろん、それだけじゃないですけど)、学生はその妻から損害賠償請求裁判を起こされて敗訴し、現在、当該学生が当該教授に対して損害賠償請求を行っているところです。この件について、妻帯者の教授と学生の自由恋愛を認めうるのかどうかを問われた大学は、「本件については個人間のことと認識しておりますので、大学としてコメントは控えさせていただきます」と回答したそうです。さすが、神や神の世界についての「智」以外は、取るに足らないごみくずだと考えているのでしょう。なんだかんだ言って、この大学はミスコンをやめませんしね。所詮は人間界のどーでもいいことなんでしょう。とんだ情痴だ。



9月21日(火)そういえば

 上の大学には、たしか「健全な」ナショナリストを自称・公言する教授もいたはずです。人が何度、すべての戦争が「正戦」であるように、すべてのナショナリズムは「健全だ」と言っても、「ほらお前も『すべてのナショナリズムは健全だ』って、言ってたじゃないか」とびっくりするような反応をなさる方でした。そりゃ、アジアの2,000万人の犠牲者に先立って自国の300万人を弔わなきゃ責任の主体は立ち上がらないとか寝ぼけたことを言うナショナリストとともに、平気で平和を語れるわけだ(「ほらお前も『(あの文芸評論家と)平和を語れる』って言ってたじゃないか」ってか)。これもあれですかね、神や神の世界についての「智」じゃないから、でたらめでいいってやつなんでしょうか。



9月22日(水)たんなる買収

 勝ち馬に乗ることだけを考えているその宗教政党は(ちなみに、勝ち馬に乗ることだけを考えているメンタリティは右翼のメンタリティです)、もちろん政権与党のはずですが、だったら政権についているいまこそやればいいのに、まあ、憲法に違反して、国会を開くよう求められても開かないんだからなんでもありではありますが、なんと衆院選の公約として、0歳〜高校生までに一律10万円の支給とか言ってるそうです。これって、すでにいろんなところから指摘されているように、たんに買収って言うんじゃないんですかね。



9月23日(木)失念

 祝日なんて、たいていがろくでもない日に因んでいるのであって、4月やら7月やら11月やら2月なんて、ろくでもなさすぎるのですが、そんなわけで今日もなにかろくでもない日に因んでいるのかもしれませんが、実は休みであることをずっと失念していました。ほぼいつもと同じくらいの時刻に出勤したのですが、いつにも増して人影がまばらです。休みであることを失念しているにもかかわらず、横の入口からカードキーを使って入ったのはいったいどういうことなのか、自分でもわかりません。暴走していた頃だと、この休日は、たいてい大暴走して、連休だったりしたら次の日は寝倒すとかしていたはずです。11年前は、デリチュースへ行ったと思います。だからどうした。どうもしません。



9月24日(金)『SE7EN』

 観たのは3度目くらいだと思いますが、2度目がはるかむかしなので、クレジットの出し方からはじまって、細部などほとんど忘れていました。何と言っても、95年の映画です。そして、犯人役がセクシュアル・ハラスメント、刑事役がドメスティック・ヴァイオレンス、もう一人の刑事役もセクシュアル・ハラスメントで訴えられていたはずで、観てはいけない映画に指定していたのすら、すっかり忘れていました。「怠惰」のところはびっくりでした。かつてびっくりしたことを思い出しました。弁護士の妻のメガネなんて、まったく覚えていませんでした。「異常者」として片づけてすませるのか、それとも「私たち」と同じであることを認めるのか、というありもしない二者択一を迫ってくるのですが、立件されればたんなる犯罪者です、と答えればすむ話だと思います。



9月25日(土)デヴュー

 かつて尿管カテにデヴューしたのが今日でした。曜日も同じ、土曜日でした。尿管カテについては、人間の尊厳にかけて拒否した、とかいう話を聞いたことがありますが、そこはやっぱ、人権に訴えて拒否すべきところだと思います。尿管カテしたくらいで損なわれてしまう尊厳なんて、大したことはないですよ。それよりも、他の選択肢が説明されることなく、じゃあ尿管カテしますからねー、って感じで突っ込んでくるところが、まごうことなき人権侵害です。痛み的には、はるかに持続的なヘルニーの方が上だと思いますが、しかし痛みに上下なんてつけて何の意味があるんだ、って話です。そんなわけで、今後、もし尿管カテを要求されても、断固拒否する所存です。



9月26日(日)ラシェット

 ドイツは今日が総選挙の日で、各党の選挙前最後の訴えが報道されていました。首相を辞めるメルケルの後任はラシェットというあまりにも人気のない人ですが、この人が最後にしゃべっていたのは、ライバル政党が連立を組むかもしれない旧東ドイツ社会主義統一党の流れもくむ左翼党への批判です。左翼党は、NATOからの離脱を考えていると言うのですが、えええー、それはすばらしいじゃん、とついつい思ってしまいました。ともかく、保守政党が選挙前に「赤い」人たちを批判するのはどこでも同じなんですねぇ。異なるのは報道で、そのラシェットの映像に続けて、社民党の訴えを流すときに、こちらは他党の批判ではなく具体的な政策を訴えた、とリード文をつけます。政党としてはどっちが優れているか丸わかりでしょという「報道」です。中立提灯主義とはまったく異なっています。



9月27日(月)アプリオリにアホ
 
 「×室に生まれたばかりに、結婚の自由もないのか」と嘆き、「××さん、おかわいそうに」と寄り添って見せるやつがマルフェミだったなんて、いったい何の冗談なんでしょうか(「×」にしたのは、書きたくないからです)。「1億五千万円はこれまでプライバシーもない囚われ人だった慰謝料としてお支払いしたらいい」そうです。どっぷりと資本主義に浸かってたんまり稼いだあんたが払ってあげりゃいいじゃん。「こんな扱いが続けば、どなたも×族であることに嫌気がさすだろう」って、「×族」なんて存在が法の下の平等に反しているって知らないのでしょうか。さすがは朴裕河応援団長だけのことはあります。



9月28日(火)あああ

 定年退職された元同僚の退職記念号となる研究室の学術雑誌を刊行するため、元同僚の業績一覧を作成していますが、なんとも規則正しく業績をあげられていて、「あああ」となっています。現職の頃から、定期的に論考を発表されることには薄々気づいておりましたが、こうして改めて一覧にすると、それが明確になり、わが身を振り返って断然愕然呆然です。そろそろ店じまいの準備を始めないといけない頃になって焦ってももはやどうしようもありませんが、しかしまあ、焦りなんてどうせそんなものでしょう。なんとも締まりのない文章。



9月29日(水)遡及

 こうなると、あの何の根拠もない「サイン盗み」という言いがかりが大きかったことになる。根拠があるのなら、それを提示すべきだと思うが、それを示すことなく(まあ、根拠はないので示せるはずもないのだが)、ただただ言いがかりをつけたわけだ。そしてあんな丸わかりの伝達の仕方はしない、と「サイン盗み」を否定する解説者みたいなのが、「紛らわしい行為をしてはいけない」と言い、根拠なく言いがかりをつけたやつのことを立派だともちあげる。あんな丸わかりの伝達の仕方はしないのだとしたら、それが紛らわしいなんてことはないはずなのに、解説者なんて、やはり元プロ野球選手だからなのか、そのふたつを同時に言ってみせて、さらに根拠もないのに嫌疑をかけたやつを非難すらしない。遡及すると、あのときからすべてが理不尽な方向へ動き始めたのだと言えるだろう。



9月30日(木)マジか

 レイプされたときの問題として妊娠の可能性を云々するのは家父長制だという議論の理路がわからず、出所はどこなんだろうと思っていたのですが、ひょっとしてあの方のその推論(?)なんでしょうか。「家父長制は妊娠を重視する」という、それはまあそうだろうという議論から、あの方が、「妊娠を重視するのは家父長制だ」を導いたとかいう話を見ましたが、にわかには信じられません。なぜなら、そんな推論ができないことくらい、だれだって簡単にわかると思われるからです。もしそんなことを導くことができるのだとしたら、それはどのようにしてなんだろうと興味がわきますが、どうも答えてくださらないそうです。それはまあそうだろうという議論から、そのことが帰結すると言えるのであれば、もうぎゃふんって言いますけどね。



10月1日(金)いまだに市場経済って

 ドイツでは、なんと社民党が第一党となり、連立政権樹立に向けて、いろいろと動いているようです。メルケルの後任ラシェットは、自党支持者の60パーセント以上から、党首をやめた方がいいとこきおろされています。世論調査では、信号機と呼ばれる連立が望まれているようで、赤は社民党、緑は緑の党、黄は自由民主党を意味しています。この自由民主党は、コロナ対策でつねにドイツの極右政党AfDとともに政府のやり方を非難してきた人たちで、どうも「自由」が大好きな人たちみたいです。緑の党は、気候問題を第一のアジェンダとしており、その施策のために増税を主張していますが、「自由」な人たちはそんなものには大反対です。国家による積極的な介入より、自由な市場経済をいまだに信奉し続けています。うーむ、こんな政党と連立組む必要があるのか、って思います。もっとも、左翼党に対するアレルギーは相変わらず強いので、だれも連立を口にしません。連立組んでNATOから脱退すればいいのに。



10月2日(土)何重にも不正じゃん

 というようなどこがどこと連立を組むかという報道や、COVID-19感染者がまた増えつつあるが原因のひとつは接種しないことにあるとやんわり個よりも共同体だろをにおわすような一言をはさんでくる報道とかがなされているのですが、最後に、どういうわけかいまだに女王なんぞが存在する国家の女王のために人を騙したり殺したりすることを生業とするような者を主人公とした映画の紹介が行われます。前世紀からずっとミソジニーを垂れ流し続けるこんな映画のどこがいいのかさっぱりわからないのですが、別に批判的に紹介がなされているわけではありません。あのDV男が死んだときも、このシリーズがメインでとり上げられていました。ひょっとして、女王とか身分制差別とか堂々とミソジニーとか人を騙すこととか殺すこととか、羨ましくって仕方ないのでしょうか。結構がっくしです。



10月3日(日)なんちゃら「マン」だそうです

 自説を正当化するために、「仮に「朝鮮人を日本人と同じトイレに入れると犯罪が増えるから別にする」という法案が出たとする。」などというたとえ話をもち出してしまえる弁護士は、歴史的にずっと存在してきたし現在だってしっかり存在し続けている民族差別のことなどこれっぽっちも気にかけていないのでしょう。「仮に」と言ってるじゃないか、って言うんでしょうけど、「仮に」言ってるわけですよ。愛読書を『レ・ミゼラブル』だと公表して憚らないのは、まあ「お好きに」の問題ですが、こういう人が死刑廃止論者を自称しようと、非武装中立を主張しようと、もはやまったく信用できません。



10月4日(月)厳密に言わないと

 新たに任命された国会対策委員長は「女性下着ドロボー」だという言説は正確さを欠いているのではないかと思います。厳密に言えば、新たに任命された国会対策委員長は、被害女性の妹の証言によれば「合鍵を作り」「手には白い手袋をはめて」気に入った女性宅に侵入し、女性の下着を盗んだけれども、親の権力とカネでその事実をもみ消しつづけたと週刊誌で暴露されている人です。その親は銅像がたてられちゃうくらいの人だそうですが、ドロボーの嫌疑をかけられているこの方が選挙に出馬した際には、その銅像がパンツをかぶるということがあったそうで、こちらは事実性が確定しているようです。



10月5日(火)お察し

 合鍵を作り白手袋をはめて女性宅へ侵入し女性の下着を泥棒したけれども権力とカネでその事実をもみ消しつづけたという嫌疑をかけられている人は、『南京の真実』に賛同する人だそうで、じゃあ『南京の真実』ってどういう映画かと言えば、「真実を全世界に伝える」というスローガンから丸わかりのとおり、歴史修正主義の映画です。こんな映画に出ちゃう人って、ひょっとしたらお客様は神さま系の人なのかもしれないと思いましたが、かつて劇団○季に所属しちゃってた人みたいで、なるほど、そういう人なんですね。



10月6日(水)muy bien

 このくらいの時期には、なぜかたいてい鼻がむずがゆくなり、うっかりしていると鼻水が垂れるという、洟垂れ小僧、洟垂れおっさん、そして洟垂れじじいと化してきました。花粉症なのか、季節の変わり目で風邪を引くせいなのか、新学期が始まって一気にストレスが高まるからなのか。花粉症だとしたら、まあ、我慢するしかなく、風邪だったら薬でごまかすしかなく、ストレスだったら休むしかないところ、やっぱストレスってことにするのが一番でしょうか。おまえがどうしてストレスなんか感じるんだ、むしろおまえこそがストレスだ、ですか。そうですね。私のようなものがストレスを感じてはいけませんでした。そのとおりだと思います。無為鼻炎。



10月7日(木)防止しなくていいのか

 ハラスメント防止研修会の案内が届きました。最初は浪速大学が主催するものかと思っていました。全学ではまだあんな人を起用するのかと唖然としました。あんな人っていうのは、ハラスメントに対応する部局の関係者たちが集う会で、講師として招かれた人で、いじめはいじめられる側にも問題があると言い、強くならなきゃダメだと言い、そうじゃなきゃ社会に出てからやっていけないと言った人です。ところが、案内をよく見たら、主催は浪速大学ではなく、今年度で消えてなくなる部局が主催でした。こんな人を招いて話をさせるって、この人がどんな人だか知ってるんでしょうか。ハラスメントを防止するのなら、まっさきに講演させちゃいけない人ですよ。あっ、ひょっとして更生したんでしょうか。ハラスメントをしてきた人間だからこそわかるハラスメントの防止の重要性とか話すんでしょうか。そんなもん、ハラッサーを呼ばなくてもわかりますよ。もう、かなりびっくりです。研修会には出ません。



10月8日(金)要するにクズですが

 首都圏で大きな地震があったからか、「地震が起きたら「井戸に毒」とツイートする」というアホツイートが行われていました。いや、「アホ」かどうかはどうでもいいかもしれません。過去に、そのデマによって何人もの人を虐殺した歴史があるというのに、そうしたツイートを流す者の所業は不正以外の何ものでもありません。さらにその不正をなす者は、「ツイートする方はネタとして遊んでるだけなんだけどさ」だと。虐殺を起こした過去に連なることも「ネタ」と言うわけです。なるほど、こいつって、笑いはすべてを超越する系なんでしょう。要するにクズですが、しかしクズかどうかより、重要なことは、こいつが不正をなし続けていることです。



10月9日(土)「執念」とか「必死」とか

 日刊クソゲンダイ(おぉ、珍しい、名前に「クソ」がついている)によれば、「ヤクルトにあって阪ちんにない「勝ちたいんや!」の執念…燕ナイン必死、虎ベンチはまるでお通夜」だそうです。これって、完全になんちゃらって球団をディスってますよね。だって、勝利したって、それは技量が優れていたからじゃなくって「執念」とやらがあったからですもんね。へー、燕ナインって必死なんですね。そうか、だから根拠も示さずにサイン盗みだって騒いだわけですか。サイン盗みは球界追放ですよ、その嫌疑をかけたというのに、根拠も示せないって、まあ「執念」があるし「必死」だから仕方ないですかね。これに対して阪ちんの監督やコーチが「ボケ」と言ったと騒がれましたが、根拠もなく球界を追放されるのであれば、むしろよく「ボケ」くらいですんだな、ってところですよ。そうそう、日刊クソゲンダイの記者が知ってるお通夜では、「ボケ」とかいう言葉が飛び交うんですね。なんとお上品な世界にお住みだこと。



10月10日(日)なるほど

 ムッソリーニの孫娘が、ローマの市議会議員選挙でトップ当選を果たしたとかでニュースになったりしていますが、これをニュースにするってことはやっぱあれですか、ファシズム体制の最高権力者かつ侵略戦争の最高責任者だったけれども民衆によって吊るされたんだからその血縁関係者が政治家になったっていいでしょ、ってことでしょうか。ということは、このニュースは、体制における唯一の主権者かつ侵略戦争の最高責任者だった者が戦後うまいこと立ち回って免責されたうえに「総意の象徴」なんぞになり、孫に至るまでその地位が引き継がれているような恐るべき状況を糾弾しているというわけですか。なるほど。たまにはまともなことも行うんですね。



10月11日(月)満足しているのだろうか

 厚労省分科会とやらが、構成員10人以下の事業所においては、ILOの勧告に反して、女性・男性別のトイレ設置を義務化せず、共用トイレひとつでよしとする決定を下しました。これまでは、女性・男性別のトイレ設置が義務化されていたので、設置していない事業所は法律に違反していたわけですが、今後は、設置しないことが法的に認められるわけです。共用トイレしかない事業所が多くを占めるという現状に合わせて法を作りかえるという暴挙です。これで、女性・男性別のトイレを設置するよう求めても、それに応じなければならない法的根拠はなくなってしまいました。今年の7月に、こうした改悪の動きが表面化したときに、女性・男性別のトイレ設置を求めて小さな事業所を廃業に追い込むつもりなのかと、びっくりするようなことを言った左翼は、この結果に満足しているのでしょうか。できれば、その発言を後悔していてほしい。



10月12日(火)誤謬であり不正

 カントを批判する場合にしばしばなされるものとして、これこれこういう状況ではそんな規範を遵守することはできないのに、いついかなるときであろうと当該規範の遵守を求めるカントはリゴリズムだ、というのがあると思います。この手の批判が前提としている事柄を要約すると、結局のところ、遵守できないような規範は規範ではない、ということになると思います。だとすると、規範とはつねに遵守されるようなものであり、違反なんてことはありえないことになってしまいます。しかし、規範を自然法則のようなものとして理解することはたんなる誤謬です。遵守できないからって規範を変更するなどという発想には、こうした誤謬がともなっています。女性・男性別のトイレを設置できない事業所があるのなら、補助するなり、全額支給するなりの対応をとるのが政策というものであり、規範を変更するなんてのは、それを支持することも含め、誤謬であり不正です。



10月13日(水)ほほう

 野党攻撃で有名なツイッター・クソアカウントの正体が法人で、その法人と自由で民主的な議員とか自由で民主的な党の支部とかが取引していることに関してなんちゃらとかいう内閣総理大臣が質問され、「選挙運動や政治活動については、公職選挙法などに定めがあり」「それらのルールに従って」「政治活動を行うべきであるということ、これは当然のことであると考えます」と答えたそうです。つまりあれだ、カネを使って(しかも税金だよ)自分の選挙区の人間たちを桜なんぞを見るために招待したりしたら、それは公職選挙法に違反しているわけで、ちゃんとルールに従って政治活動を行うべきだって言ったわけですか。モリカケ桜を批判したということですね。ほほう。



10月14日(木)世襲は重罪 その1

 いまだに選挙前になるととっても恐ろしく最強の存在者と化す政党があります。この前のドイツの総選挙においてすらそうでしたが、あるいはコロナ陰謀説を唱えていたどっかの不動産王の元大統領も選挙に際してそうでしたが、92%が臣民を占めるこの共同体においても、「共産主義に染まってしまうのかどうかが問われる選挙だ」とかなんとか言ってるやつがいるそうです。アラブ諸国へ行ったときに飯でも食ってけって言われても帰りの便の時刻があってそれがかなわないから専用機がほしいと言ったアホですけどね。閣僚になるまでは反原発のツイートをしていたのに、閣僚になった途端にそれらのツイートを削除したアホですけどね。しかしこんなやつに罪はありません。リベラルとか言われている父親がすべて悪い。なんつっても、世襲なんですから。それだけで重罪です。



10月15日(金)世襲は重罪 その2

 若い弁護士たちが、「好きでその家に生まれたわけでもないのに、税金で生活する罰かのように、彼女の人権がないがしろにされていることを当然視するのもおかしい」とか言ってるのだそうです。罪と罰の専門家たちだけあって、あそこに生まれついたというただそれだけの理由で「税金で生活」したりしたら、そりゃ「罰」があったっておかしくない、って発想はさすがだと思います。しかしそんなに人権はないがしろにされちゃあいけないんだと考えるのであれば、天皇制の廃止とか禁止とかを主張したらどうなんでしょうかね。もちろん憲法は改正です。天皇制をいじらずに「おかわいそう」を「当然視するのもおかしい」ですよ。



10月16日(土)クズ

 「代理出産を問い直す会」代表者のアカウントで、いわゆる発展途上国の女性が利用される「生殖アウトソーシング」の場合、代理母はほぼ100%、帝王切開で出産するというツイートがありました。理由は、その方が母体が安全だから、ではありません。その方が新生児を安全に取り出せるから、です。また、これらの代理母たちは、いわゆる先進国から来た依頼者たちに対して、フレンドリーに接することが求められるそうです。なぜか。依頼者たちは自分たちが女性を買っているのではないかと罪悪感をもっているので、代理母たちがフレンドリーに接することによってその罪悪感を払拭してさしあげる必要があるからだと。こういう話を聞いても、カネのためにやってんだから当然だろ、と言うやつが絶対にいると思います。クズです。



10月17日(日)『暗殺』

 もちろん、イ・ジョンジェのようなやつが許せないのは言うまでもないとして、しかしあんなふうに生きざるを得なかったのも、侵略者の皇軍のせいであることに間違いはありません。ハ・ジョンウはカッコよすぎです。『チェイサー』で女性たちを残忍な仕方で殺しまくるやつだったというのに、いつの間にこんなふうになったんでしょうか。ハワイの素晴らしさを語るときに、女性差別を口にする点はまったくダメだとして、ヌッポソ人がいないことを理由として挙げるところはまったく秀逸です。チョン・ジヒョンは、『猟奇的』のときよりもはるかに魅力的で、やはりメガネをかけている方が断然いいと思いました。8月15日なんて、国内向けのアフォーマンス以外の何ものでもないことがよくわかりました。



10月18日(月)『神と共に』

 こんなタイトルの映画をフツーはレンタルなどするはずがないのですが(なぜなら、神はいつも私の心の中にいるので「神と共に」なんて言い方は不適切だと思うから、ってか)、オールスターキャストなので、まあ借りてもいいかって感じで借りたのだと思います。実は『暗殺』よりも前に観たので、閻魔役のイ・ジョンジェはなかなかいいなぁと思ったのでした。ハ・ジョンウもオ・ダルスも出てて、ひょっとして同時に2本撮ったんじゃないか説を出したいくらいです。そうそう『猟奇的』のチョン・ジヒョンではなく、チョン・ジヒョンに振り回されてたチャ・テヒョンの方が15年前とほとんど変わらない顔で出てました。やっぱ同時に2本撮ったんじゃないのか…。最後にマ・ドンソクが出てきて、すでにおなかいっぱいなのに、続編はさらに詰め込んでくるんかい、って予感。



10月19日(火)凡庸すぎる

 選管から立候補者の性別が公開されないことになってるようですが、これって「候補者が女性だから」という理由それだけで投票してはならない、ってことですよね。この理由だけで投票しようとする人は、候補者の性別がわからないと投票できませんからね(あっ、「白票」を投票できるじゃねーか、って言ってきそう)。これについて、数年前から機関紙に堂々と元号を表記するようになった党の議員が、女性だってひどい議員はいるだの、政策がすばらしければその人を選べばよい、それで女性比率がさがったって大したことじゃない、というようなことをぬかしていて、これってアファーマティヴアクションに反対する凡庸な物言いなんですが、こうした見解は党是なんでしょうね。だってあそこには個人の見解なんて存在しませんからね。そこの党員はどーでもいいとして、心ある左派は、こういう言説を聞いても何とも思わないのでしょうか。



10月20日(水)筒井建夫。うひょ〜。

 筒井建夫はある裁判の裁判長です。どんな裁判かというと、警察庁に出向した滋賀県警彦根署の男性署長が懇親会でズボンを脱いで下着を露出させたり男性性器に言及したりしたことを、筒井建夫が認めたけれども「不快感を与えるおそれはあるが、原告の人格権を侵害する違法行為とまではいえない」とか言って、女性警視の損害賠償請求を棄却した裁判です。この件、2017年には警察庁がセクシュアル・ハラスメントを認め、国家公務員災害補償法に基づく公務災害に認定しているんですよ。にもかかわらず、筒井建夫によれば、「社会的相当性を欠くとまでは言えない」そうです。女性警視の前で、滋賀県警彦根署の男性署長がズボンを脱いで下着を露出し男性性器に言及しても、筒井建夫によれば、そんなことは「おきもち」の問題ではあるかもしれないが、なんらの法的責任も負う必要などないことなんですって。筒井建夫によれば。うひょ〜。



10月21日(木)何かの間違い

 少し前に兵庫にある遊園地で事故がありましたが、あの遊園地って、たぶんむかしは他の名前の遊園地だったと思います。学生の頃、知人の運転する車(かつては「マイカー」を所有する「知人」がいました。これはもう、どれほどなじられようと弁解のしようもございません)に乗って、4人で遊びに行きました。そこは、「関西有数のレジャー施設として、若者向けジェットコースターなどの「絶叫マシン」を次々揃え」とかって、書いてあるページがあるとおり、そういうのがウリの施設で、一生にただ1度のことですが、360度回転してしまうジェットコースターなんぞに乗って、死ぬ思いをしました。あれって、途中で一瞬止まるのがお約束なのか、意外と速く終わったぜ、やれやれ、って目を開けると、とんでもなく高いところで止まっていることがわかって、改めて恐怖を感じ直すという仕掛けでした…。という夢を見たことがあります。じゃなくって、これが何の間違いか、あるいはすべてが間違いか、現にあったことでした。ここで絶叫。



10月22日(金)「そういう男だ」

 「強き者の不正義にあらがい、弱き者の苦しみに寄り添う」人がいるそうで、「山○太郎とはそういう男だ」って。なるほど、「そういう男だ」って言い回しが、やっぱ重要なんですよね。「男の中の男」とかもいいんじゃないですかね。そしてこの方、わざわざ党名に元号をお使いになられているんですよね。だとしたら、「さすが、日本男児」とかいうフレーズもいいですね。ところで、元号なんぞは、「強き者の不正義」じゃないんですか。ひょっとして、人権を奪われた「弱き者」に属する人たちで、主体的に結婚もできない「苦しみに寄り添う」必要がある人たちなんですか、あれらは。なるほど、「そういう男だ」ってか。



10月23日(土)大ぼら氏

 隣の選挙区には、選挙区で落ちて比例区で復活なんてことはない、政界を引退すると、頼みもしないのに勝手に宣言して、まんまと選挙区で落選して比例区でどの面下げてなのか知りませんでしたが復活してみせたことで有名な大ぼらさんが性懲りもなく立候補しているようで、ああ、この面下げて選挙区で落選して比例区で復活しているんだぁ、と掲示板を目にして思いました。この大ぼら氏によれば、正社員というのは雇用という既得権をもっているそうで、それに切り込まなきゃいけないそうです。切り込むって何するんでしょうか。そんな既得権は許さん、とか言って、クビにするってことでしょうか。そういうの、フツーに違法なんですよ。知ってますか。



10月24日(日)『神と共に 第2章』

 オ・ダルスはさすがにつき合いきれないと思ったのか、出ていませんでした。いろんな謎解きがあって、にもかかわらず、すでに第3章がありそうな終わり方でした。しかしもう観なくてもいいかな。面白かったのは、「ハングリーで、愚かであれ」とか言ったやつのことを、マ・ドンソクが「マイケル・ジョブズ」と言って、訂正されて「スティーブ・ジョブズ」と言い直すシーン。「成功したやつらの話は信じるな」と批判し、「現状維持のためにほざいている」とこきおろします。SDGsも同じだよなぁとぼんやり思いましたが、そう言われてみれば、SDGsに肩入れしてる人はリンゴが好きそうだ…。まあ、たんなる偏見ですけど。そんなわけで、空腹は満たさないといけないし、そこそこ賢くないといけないと思いました。



10月25日(月)承前

 マイケル・ジョブズだかスティーブ・ジョブズだか知らないが…、というこき下ろし方は痛快だし、その際に自国がいかにひどい状況にあるかを批判的に論じる点には、名だたる俳優たちが多数出演する一大エンターテインメントであっても政治的であることからは離れないという姿勢を見出すことができると思います。ただ、そのシーンでは自国を批判する前にDPRKがディスられます。一大エンターテインメントにおいて、DPRKがディスられるわけです。自国の批判をするには、これもやっとかなきゃいけないとかいうお約束でもあるかのようです。第3章を観る気がしないのは、悪質さという点においてははるかに及ばないものの、しかし基本的には結局、本邦である種の人たちが絶賛する『パラサイト』と同一なんだなと思ってしまったからです。



10月26日(火)バ○2人組

 昨日はアホほど早くに目が覚めてしまったのでアホほど早い時刻に走りました。そのくらいの時刻だと、大学会館への上り道にいるつねに絶妙な距離を保っている茶色の猫と白黒の猫に会えます。いや、一方的に見ることができます。せっかく人が気分よくしていたというのに、正門のところで「大阪府警」って書かれた箱を積んだバイクに乗るバ○2人組を目撃してしまいました。こいつら、信号が青でもエンジンをかけたまま停まっているんです。一旦停止を怠った人や信号無視をした人に対して正統化された暴力を行使するために、待ち構えているわけです。それだけでも十分に愚劣極まりないわけですが、こいつら堂々と大学の敷地内にいるわけで、大学の自治権を侵害しているのです。走りながら、「そこは大学の敷地内だろ」と親切に教えてあげたのですが、たぶん通じなかったと思います。だってバ○2人組だから。



10月27日(水)出版社の見識が疑われる

 またしても元広島大学ドイツ語教員が出版社の出す新刊ドイツ書カタログにたんなるまぬけならまだしも、差別メンタリティ丸出しの寄稿をしていて、こんなのを載せてしまうと出版社の見識が疑われると思うのですが、ひょっとして出版社は賛成しちゃっているのか、それとも「多様性を認める」という自己意識としてはリベラルのつもりだけれどもただただ差別に加担しちゃっているのか、どっちなんでしょうか。ある有力なドイツ語の辞典が、身分や職業を表わす名詞を女性/男性別々に記述することにした、ということに対して、男性中心主義のメンタリティを隠せなくなって「ごらぁー」って言ってるのです。文法上の性と人間の性を混ぜるなとのご主張ですが、だったら、医者でも教師でも、いわゆる女性形で医者一般やら教師一般やらを表わしたっていいのに、なぜ男性形で一般を表わすことに疑問をもたないんですかね。男性中心主義のメンタリティだからですよ。今からだって遅くないので、生きてる間に猛省してください。



10月28日(木)まだまだ裕福じゃん

 アベノマスクが8200万枚も残っていて、倉庫の保管料だけで6億円払っていたとか書いたり話したりしたら、この時期、公職選挙法に違反しているとかになるんでしょうか。だけどこんな「立派な実績」は、広く知られないといけないじゃないですかね。経済はとっくに破たんしていると言われているのに、なんとこんなことに使えるほど、まだまだ裕福じゃないですか、って宣伝になりますよ。こんなのに比べたら、雨合羽集めてのカッパ祭りなんて、いくら市役所ロビーを借り切ったって、ちんけすぎます。田中康夫は、「黒歴史だ」などと「黒」を差別的に用いて自虐ギャグめかしてごまかすんじゃなく、ちゃんとボクちんがバカで間違ってましたって言えよ。まあ言ったところで、こんなやつの言うことなんてミジンコワムシほども信用しませんけどね。



10月29日(金)いくらなんでも

 トイレを性別で分けたって犯罪を犯す人は犯罪を犯すんだから抑止力にはならないって言う人は、かつて共用だったころに犯罪が多発していたからようやく性別で分けるようになったということそれ自体が間違いだったと言うことになると思いますが、それはいくらなんでもおかしなことだって考えないのでしょうか。性別で分かれていることでトイレを使うことが難しくないという「特権」にも気がつかないと批判をする人もいるようですが、そりゃ気がつきませんよ、だってそんな「特権」は存在しませんから。



10月30日(土)承前

 上のような人は、女性専用車両についても同じように考えるのでしょう。私も女性専用車両が導入され始めた頃、女性専用車両には反対でした。しかしそれは、そうした車両を導入することによって、それだけで電鉄会社が犯罪を野放しにすることをみずから免責するに違いないと思っていたからです。いまでももちろんそういう側面は間違いなくあると思いますが、しかしそれよりもその車両によって守られる権利があることの方が重要だと思っています。しかし上のような人は、女性専用車両を使用する人には「特権」があると言うことでしょう。人権侵害に遭わない「特権」って、いったい何なんでしょうか。さっぱりわかりません。



10月31日(日)植民地主義

 すでにきっと言い古されてきたことだと思いますが、しかし言い続けてやろう。"Trick or Treat"って、要するに植民地主義そのものじゃないですかね。こんなことをガキんちょのころから「文化」としてやり続けてるから、侵略したってなんとも思わないんですよ。きっとあれでしょう、Treatを選んだのはおまえたちだろ、って言うんですよね。こんなものが流行るのは、どーせ死滅一択の電2のせいでしょうけど、ようやく植民地主義を公言してもいいことになったぞ、って認識なんでしょうか。しかしようやくもなにも、侵略の最高責任者が責任もとらないどころかむしろ被害者面してきたことを考えれば、ずっと植民地主義を公言しているわけです。そんなわけで、なにをいまさら"Trick or Treat"だよ、ですね。



11月1日(月)見たかっ!

 モリカケ桜が何をしようと、「その批判は当たらない」がパンケーキ食べて悦に入っていようと、ゆるぎない単独過半数を獲得するわけですが、大阪だけは違います! キリッ! 買い取ると嘘をついて雨合羽を集めて市役所ロビーでカッパ祭りを開催し、喫煙用の公用車をスパへ行くために使用し、歴史修正主義によってサンフランシスコ市との姉妹関係をやめ、コロナには「イソジン」が効くという世界的秘密をばらし、コロナ禍が始まる前から公立病院をぶっつぶすとともに医療関係者に多数の離職者を創出し、「身を切る改革」として「公務なし」の日々を送り続けるような「ようやってはる」人たちを選びますからね!! もう大阪は羨望の的、これからきっと大阪への大移動が始まると思います。住宅供給がおっつかないに違いないので、なんだったら間借りさせてあげますよ。あっ、直に貸すわけにはいきません。「中」を通してね。



11月2日(火)まったく理解できません

 「死刑になりたかった」と言う人に対して、「なぜ人を巻き込むのか。まったく理解できません」と言う人こそ理解できません。「死刑になりたかった」と言う人がいたら、まず言わなければならないのは、「死刑制度は廃止すべきです」ってことです。そんなものを存置しておいて「なぜ人を巻き込むのか」ってどういう了見なんでしょうか。要するに、死にたきゃひとりで勝手に死ね、って言ってるんですよね。こういう輩が、鉄道における人身事故に対して、「人に迷惑かけるな」って言うわけです。そういうやつがいるからこそ、「迷惑」かけて死ななきゃならない人がいるってことを少しでも考えたらどうなんでしょうかね。この発言の主は、なんちゃらって俳優ですよ。フツーの人の代弁者のつもりなのか、それとも識者の代表のつもりなのか。どっちも不正解で、たんなる差別主義者ってところです。



11月3日(水)「文化」の日

 大日本帝国憲法において唯一の主権者とされた者の生まれた日が文化の日に定められたのは、1948年だそうで、この共同体においてはポストモダンなんかにはるかに先立って冷笑主義が成立していたことになります。いやいや、なにも文化の日に言及するまでもなく、1946年のこの日に公布された取り決めの第1条から第8条までを考えてみれば、侵略戦争に失敗した直後から冷笑主義だったことがわかります。そんなわけで、こんな「文化」の日には出勤しないわけがありませんでした。



11月4日(木)さっぱりわからない

 「悪い予感しかしない」というつぶやきのあった、NHKの「体の性の実態に最新科学で切り込み、ジェンダーを問い直す「ジェンダーサイエンス」」という触れ込みの番組について、「とても興味深い番組でした」と言い、「人間の脳は男性か女性かに二分されない。男女入り混じったモザイク状態。」と、学ばれたことをツイートされている、党名に国名を含め、機関紙の年号に元号を用い、DPRKに対する制裁に賛成した党の書記局長がいらっしゃいます。漏れうかがうところによれば、この方、前職は医者だそうですが、少なくとも「モザイク状態」ってことなら、やはり女性脳と男性脳と言われる部分があるってことですよね。いったい何をおっしゃっているのでしょうか。



11月5日(金)やっぱりわからない

 その書記局長が言うとおり、もし「性自認の多様性の科学的な根拠が示された。」のだとしたら、もはや「性自認」は重要じゃないってことになるんですが、それでいいんでしょうか。それどころか、「性自認」は誤りうるってことの「科学的な根拠が示された」ことにもなるわけですが、それでいいんですか。たしかこの方が所属される政党には、個人の見解なんてものは存在しないので、書記局長の見解は党の見解ってことになるでしょう。しかしちょっと前まで、党の見解はまるで逆でしたよね。「性自認」の尊重を謳っていたのに、選挙が終わった途端に手のひら返しですか。まあ、党員以外の支持者なんて関係ないですかね。



11月6日(土)エスパー政治学者

 中央線で人身事故が多いのは霊峰高尾が終点だからだと、さすがおれ、すげーことに気がついた的な発言をして鼻をふくらませていた自称学者で恐るべきことに大学(しかもミッション系だぞ)で教鞭をとっていたエスパーがいました。言うまでもなく、人身事故は下り線だけで起きていたんでしょうね、上り線は逆にどうなるんだろう。そのエスパーが、相変わらず「○○妃」「××妃」と身分差別丸出し拡散であのイシューを語っているのですが、なんとこのエスパーによれば、天皇制は革命がなくてもそのうち廃止されるそうです。えええーーー、学術的な話をしているのに、「○○妃」とか「××妃」とか言わずにはいられない臣民放送大学教授とかがいるのにですか。どーせ、このエスパーもあれらと霊的につながってるんじゃないんですかね。正直に言えばいいのに、靴をぺろぺろしたいです、って。あっ、畏れ多すぎるか。



11月7日(日)球団より教団

 その人の選手としての意味って、51に当てつけるように「思いつきで」大リーガーになったことくらいしかないと思ってましたが、どっかの球団の監督になるそうです。「優勝は目指さない」そうですが、ダメットが眼目としての真理を説明する際にもち出す、ゲームにおける眼目としての勝利に反しているので、きっとアプリオリに間違っているでしょう。それはさておき、「いただきます、ありがとうございましたを言える選手を育てたい」そうです。「ちゃらんぽらんにしてますけど、上下関係は親の教育でしっかりしたものを持ってたんで」って、そんなもの、この共同体におけるちゃらんぽらんな人のただの模範例じゃないですか。球団よりかは教団の方が向いてますよ。



11月8日(月)おぉ、珍しい

 日刊クソクソゲンダイ DIGITAL 版(おぉ、珍しい、名前に「クソクソ」が入っている)が晴れて思う存分阪ちんの悪口を書けることになって、例によってゴミ情報を垂れ流しています。その傍ら、「維新が公明党に“攻撃”開始!「18歳以下への一律10万円」案に噛みつき岸田首相にも揺さぶり」と、見出しをつけて、雨合羽うましかを代表とし、うがい薬でコロナを克服するを副代表とし、身を切る改革で公務はしない連中のどっこいしょ提灯靴ペロ記事をばらまいています。ハハハー、わっかりやすいなぁ、こいつらのイデオロギー。長いものが大好きな反権力しぐさ。うんこにもほどがある。



11月9日(火)海外在住臣民

 カリフォルニア州在住の映画評論家を名乗る臣民が、「それより、天皇制廃止すべきでは?」というツイートに対して、臣民は臣民らしく、「絶対にダメです。」と言い、麻生みたいなやつとは異なって、「憲法を守る意志を誰よりも強く明確に表明し続けている人は天皇陛下なんですよ。」と、霊的つながりを誇示しています。そりゃ、侵略戦争の最高責任者だったにもかかわらず、その責任を一切とることなく、まんまと「象徴」という地位を憲法によって保証してもらったやつがいて、そいつの地位をそのまま引き継いでるやつだったら、当然「憲法を守る意志」をもつでしょう。しかし、憲法なんてなくったって、この手の臣民が人口の92%を占めている共同体では何も恐れる必要はないですよ。(この臣民に至っては、海外在住臣民だよ。)



11月10日(水)にわかには信じがたい

 どのように自認しているかは関係なく、身体男性と身体女性の力の差こそが問題化されている動画について、暴力をふるわれた身体女性の人権侵害よりも、身体男性がなぜ暴力をふるったか、その背景に思いをめぐらさなければならないと言う方が、戦時性暴力の研究者とは、にわかには信じがたいところです。だったらひょっとして、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)という差別的ファンタジーにも賛同してしまうんでしょうか。なにしろこのファンタジー作家、皇軍の軍人のお気持ちに、いたくご理解をお示しになっていますからね。しかしそれはあまりにもひどいことじゃないでしょうか。



11月11日(木)安定のひどさ

 さらにおなじみの上から社会学者が、母親がひどい児童虐待をしたというニュースがあったら、母親が育児で孤立していなかったかとか、DV被害を受けていなかったかとかいった背景に思いをめぐらすことと、暴力をふるった身体男性の、その暴力の背景に思いをめぐらすこととを重ねて論じ、なにか言ったつもりになっています。きっと鼻はふくらんでいるでしょう。当たり前のことですが、話を重ねるのであれば、もってこなきゃいけないのは、児童虐待をした母親についての話などではなく、DVの加害者である夫や父親の話じゃなきゃダメです。夫や父が暴力をふるうのにも背景があるんです、そこに思いをめぐらさないと、って言わなきゃいけないんですよ。これ、わかっててやってるんだったら非常に悪質だし、わかってないんだったら非常にあれです。いずれにしても、こんな比較をしていたら、普通は卒論の中間発表においてすらボロカス言われますよ。



11月12日(金)名言ですねーーー

 上のような普通は卒論の中間発表においてすらボロカス言われるような比較をやってのけた社会学者は、その後で、「行為はどういう文脈に置くかで見え方が変わり、どういう文脈で見るかにはその人の思想があらわれます。」と、松下幸之助語録かなにかに出てきそうなことをおっしゃっています。身体男性が身体女性を一方的にボコボコに殴る行為は、どういう文脈に置くとどんな風に見えるんでしょうか。身体女性を一方的にボコボコに殴る身体男性の行為が、松下幸之助語録に出てきそうなことをおっしゃるこの方の文脈に置くと、当該暴力の背景に思いをめぐらさないといけない行為に見えるこの方の思想って、どんな内容なんでしょうか。およそ思想と呼べるほどの代物をおもちなのであれば、後学のために知っておきたいところです。



11月13日(土)男性左翼の暴力信仰

 とんでもなくむかしに行われたバトラーをめぐる当時のバトラー研究第一人者と当時浪速大学に勤務していた男性研究者との対談を読み返してみたのですが、やはりこの男性研究者はしゃべってることが文学的で、要するに何言ってるのかほとんどわかりません。わずかにわかったのは、暴力信仰です。この人、たぶん自己意識としては左翼なんでしょうけど、その信仰はこの共同体における男性左翼には非常によく見られることだと思います。「9.11」があったときに、快哉をあげたタイプです。そうやって暴力信仰を平気で口にできてしまうのは、自分がその暴力にまき込まれることは絶対にないと確信しているからなんですけど、なんかこれって、「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきものです。」と言ってのけるメンタリティに通じるものがあります。つまるところごみくず言説です。



11月14日(日)「やられっぱなし」って

 また、この共同体の他のマルキストの男性左翼が、「やられっぱなしじゃ悔しいじゃないですか」と、きっと「本音」を吐いている場面に遭遇したことがあります。そのとき、この人がいったいどんなふうに「やられっぱなし」だったんだろうと思ったものです。男性であり反省しない侵略者であり党内人事と言われていた国立大学法人の教員であり、いったいいつ「やられ」たのか、不思議でした。せいぜい、講座派と労農派のヘゲモニー争いにおいて「やられ」たくらいの話であって、そんなものはたんなる党内の話にすぎません。この方が到達していた学術的水準が、「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきものです。」などと言ってのけるような人よりかは、はるかに上方に位置することは間違いありませんが、しかしそんなことは研究者である以上、当たり前のことでしょう。



11月15日(月)あの手の左翼

 件の文学的な表現しかしないけど暴力信仰はもってる人、浪速大学にいた頃は、教授会にもほとんど出席せず、いろんな業務はことごとくサボったうえに人の名前を勝手に使い、突然事務方から電話連絡があって、関係ないのに会議に出席しなければならないなんて僥倖にもあわせていただいたことがありました。どうやら、大学の運営に関する業務を行うことは、体制側を利することになるからサボタージュするのだとかいう謎理論を展開されていたようですが、だったらその業務そのものを否定すべく体制側に抗議なりなんなりするかといえばそんなことをするわけがなく、ただただ自分はやらないというたんなるフリー・ライダーでした。浪速大学を退職して私立大学へ移る際に、最後くらい、みなさんに迷惑をかけどおしでしたとか言うのかと思いきや、「私には夢があります」とかどーでもいい文学をだらだら垂れ流していました。だから嫌いなんだよ、あの手の左翼は。



11月16日(火)なんちゃらとかいう俳優

 その俳優が出たどの映画を見たのだったか、その役柄がクソだと思ったものですが、そして役柄と当人とは異なるとわかりつつ、たいていそいつ自身もクソに違いないと思い始めてしまうということがその俳優についても出来し、そしてこれまたたいていやっぱ役柄と当人は異なっていなかったと確信できてしまうということがその俳優についても出来しました。ご本人は野党びいきのつもりですが、自由で民主的な人たちが勝つのは、ひとえに女性のせいだと言うのですよ。女性たちがかえたければ政権は交代するそうです。なぜなら、有権者の半分は女性だからだそうです。へー。さーすが。物言う俳優は一味違いますねー。ところで、有権者の半分である男性はどうなってるんでしょうか。モリカケ桜なんて、女性は支持より不支持の方が多かったというのに、男性は支持の方が不支持より多かったんですよ。そういう事実を突きつけられても、まだごにょごにょ言ってるようですが、ちゃんと自己の内なるミソジニーと向き合わなきゃダメですよ。



11月17日(水)古舘なんちゃら

 まだごにょごにょ言ってるなかみですが、この共同体の男には既得権があり、だからこの共同体の男にはこの共同体を変える力がない、そうなると残っているのは女性であり、自由で民主的な人たちが選挙で勝つとしたら、それはひとえに女性が変えようとしないからだ、というアホアホ理論です。要するに、女性が男性の尻拭いをしなきゃいけないのに、女性はそれをやってない、っておっしゃるわけです。とってつけたように、「一緒に」政治やら社会やらを変えたいとかのたまわっていますが、あれ、この人はなんの期待もできない男に属していたんじゃなかったんですか、いったいいつから名誉女性になったんでしょうかね、って感じです。つまらんのは「演技」だけにしときゃいいのに。



11月18日(木)犬問題

 高齢者が自動車事故を起こしたとかでニュースになってましたが、「職質」とかいう不正がなされている最中だったそうで、その不正と事故の因果関係は存じ上げませんが、少なくとも「職質」が不正であることは確実でしょう。「職質」に対して逃げようなんて考える者がいるのはわけがわからん、とかいうコメントを見たような気がしますが、これはなんなんでしょうか、国家権力の犬に対してさらに尻尾をふってしまう犬の犬であることの告白なのか、それとも国家権力はそれほど強力な存在であり強力な存在に対しては靴でもなんでもぺろぺろしちゃいます宣言なのか。ところで「職質」とかいう不正の真っ最中に事故を起こされてしまった犬たちの責任はどーなるのでしょうか。高齢者の事故ばっか騒ぐんじゃなくって、犬のこともちゃんと問題にしてください。



11月19日(金)ある紹介本におけるルッキズム

 諸般の事情から、ルッキズムが特集されている雑誌を久しぶりに購入しましたが、ルッキズムと言えば、ハーバーマスのある紹介本を想起せざるをえません。日本語で書かれたハーバーマスの紹介本はそれほど多くないので、ハーバーマスに興味を抱いた人はたいていこの本を手に取ることになるだろうと思うのですが、かつてドイツの首相だったヘルムート・コールとハーバーマスを比較して書かれている箇所を読んで、「えっ?」と思わなかった人はいるでしょうか。「ただし、出身地…、宗教、政治的姿勢、職業、理知的に見えるかどうかなど、それ以外のあらゆる点でかれはハーバーマスと対照的である。」(27ページ)なんて書かれているのですよ。この手のことを、自己意識としてはインテリである人物が酒席で口にするとかいうことはありうるでしょう。その場合はまあ、その方の品性が下劣であるとかいう話で片がつくかもしれません。しかしこれは公共圏において流通する出版物での記述です。よりにもよって公共性に関する論文を書いた人物の紹介本で、こんなルッキズムを堂々と披露してしまうわけです。ハーバーマスが誤解されないことを切に願うばかりです。



11月20日(土)「汝自身を知れ」とか

 上のように論じる方は、人が「理知的に見えるかどうか」に一定の価値を見出し、かつご自分には人が「理知的に見えるかどうか」を判断することが可能であるとお考えなのでしょう。では、この方はご自分自身については「理知的に見える」とお考えなのでしょうか。まあ、自分自身については、この価値を当てはめて評するつもりはない、という選択肢もありえます。その場合、自分自身には当てはめないけれども、かつてドイツの首相だった人物を評する際には当てはめた、ということになります。ふーん。いや、そんな恣意的なことはせず、自分自身についてもこの価値を当てはめるのだとしたら、やはりご自分のことを「理知的に見える」とお考えなのかどうか、問うことが可能でしょう。その類まれな判断力によれば、ご自分のことは「理知的に見える」んでしょうか。



11月21日(日)滅んでくれ

 「ティッシュ箱で6メートルのキングギドラ 市職員が13時間かけ制作」などという見出しで写真をつけて配信してしまう朝日新聞デジタル版。実にバカげた所業だとこき下ろすのかと思いきや、なんの疑いもなく、「市の担当者は「圧倒的な力で新型コロナを払う疫病退散の願いを込めた」と話した。」と垂れ流しています。竹やりで米軍機に立ち向かおうとするメンタリティから1ミリたりとも動いていません。これが噂の「ぶれない」というやつであり、「ぶれない」蒙昧主義でしょう。あっ、ひょっとして「大阪は他山の石ん」で名高い田中康夫案件の政党に、「だから公務員は減らさなきゃダメなんだ」と言わせるための全社あげてのサポートなんでしょうか。だったらよーくわかります。電2とともに即刻滅んでくれ。



11月22日(月)『PMC:ザ・バンカー』

 『白頭山大噴火』でもそうでしたが、この作品でも、やはり統一こそがすべてであるという思いが非常に強く伝わってきます。一見左翼を装って見せても、新自由主義の礼賛にしかつながっていないような『パラサイト』が、DPRKをディスって喜んでいるのとは、まるで違います。イ・ソンギュンも、『パラサイト』なんかに出てしまったことはきっと汚点だと思っているんじゃないかと予測しますが、こちらの作品では、かっちょいい役回りでした。暗闇の中でホッとする声を出すなぁと思いました。そしてハ・ジョンウ。この人、『チェイサー』の犯人ですよ? 無慈悲に女性を惨殺しまくる男だったんですよ? いつの間にやら、ヒーロー役ばかりを演じるようになっています。それにしても、半島で米中が軍事衝突するなんて、迷惑以外のなにものでもありません。もちろん、分断の直接の原因である皇国など、存在それ自体が迷惑です。



11月23日(火)健全なナショナリズムとミソジニー

 ある哲学者の名前を冠した学会があって、その学会の大会でその哲学者のミソジニーを明らかにする発表があったそうです。私もその学会の会員で、もっといえば委員だったりしますが、あることを機に、決められた手続きよりも努力が優先されるような運営はくさっていると思ったので、会員から選ばれた委員としての責任を果たすべく、それ以降委員会には出席していませんし、大会にも出なかったので、その発表については伝聞です。漏れ伝え聞くところによると、その発表に対しては、ほとんど怒りながら反発する人がいたそうですが、健全なナショナリズムはやはりミソジニーと親和性が高いのかと納得しました。そのみょうちくりんな反発も、ぜひ文字化されて広く知られるところになればいいのにと思います。きっとご本人も自己の内なるミソジニーにまったく気がついていないでしょうから、ほいほい文字化してくれるでしょうし。まあ、アホ丸出しなんですけどね。



11月24日(水)残念

 「善良」で「健全」なミソジニストが釣れた上のような催し物があったことを紹介していたら、ハーバーマスの90歳の記念講演の翻訳が掲載されている同じ雑誌に載ってて、一部で評判になっているという論文のことを教えていただきました。そこでは、ヒュームの人種差別主義思想がテーマ化されています。ヒュームの文献の丁寧な分析にもとづいて、その非白人に対する偏見が、人間本性に本質主義的に由来するものとしてとらえられていることが論証されています。「ヒュームとてその時代の産物であって」という、名前のところだけ入れ替えれば簡単に差別を正当化できてしまう擁護者のクリシェも読むことができました。残念なのは、注とはいえ、論文本体に「先生」が出てきてしまうところです。これでは、報道において「○○様」が出てきてしまうのと変わるところがないのではないでしょうか。



11月25日(木)その人はひどすぎますよ

 殺害予告が行われている人の住所がSNSでばらまかれていても、でもその住所って××にも公開されてるから、とか言って、その証拠のつもりか何かわかりませんが、そのページをSNSでさらすことをするような人は、同じように殺人を扇動していることになると思うのですが、そうした行為について、あの人たちはどう考えるのでしょうか。この人は、セックスワークには危険がつきまとうという意見に対しては、「どんな仕事にも大なり小なり危険はつきものです。」と言ってのける人ですが、こういう発言についても、あの人たちは肯定的なんでしょうか。それとも、あの一件では賛成するけれども、扇動やら危険はつきもの発言やらについては批判的なんでしょうか。かつて小沢一郎が「神輿は軽い方がいい」とか言ったことがあったと思いますが、いい加減、こんな人を担ぐのはやめた方がよいのではないでしょうか。



11月26日(金)おかしくないですか?

 ルッキズムが特集されている雑誌を購入したのは、ある論文ないしはその執筆者を批判すると言ってるのにちっとも批判が行われていないと言われている文章を読むためでした。なかなかに高い買い物です。ところが、批判が行われているかどうかを検証する前に、他者に「死なないでほしい」という件の文章の書き手の願望が、「あなたは死ななくてよい」とか「絶対に死ななくてよい」とか「あなたは絶対に死ななくていい」とかって表現されているのを読んでしまい、引っかかってしまいました。「死なないでほしい」と「死ななくてよい」って同義なんですか。「死なないでほしい」って願望をもつことは、「死ななくてよい」って言えるようになってるってことなんでしょうか。いったいどのようなメカニズムで、だれかの生死に許可を出せるようになっているのでしょうか。これって、けっしてつまらない揚げ足取りではないと思っています。とんでもない表現がなされていると思います。



11月27日(土)ついに開催

 木曜日に、ついに「女性研究者の集い」が行われました。もともと2019年12月に開催するはずでしたが、それこそ「女性研究者の集い」にふさわしい理由があって、開催前4時間を切った時点で中止を決定せざるをえないこととなり、次は年明けに調整して、2020年3月に万全の状態で開催するはずが、COVID-19のせいでこれまた中止。今回は、7月から企画を始めましたが、実際に当日のその時刻がやってくるまで、何が起こるかわからない気分でした。この手の催し物が行われることになると、もう行われる以前から、催し物を相対化するようなコメントが寄せられて、かなりうんざりします。きっと、コメントされている方は、ものを大局的に見ることができるという自負がおありなのでしょうが、これまでただの1回すら開催されたことのない催し物なのですよ。とりあえずはその慧眼をお使いになるのをお控えになられたらどうなんだろうと思いました。



11月28日(日)困ったこと

 そういえば、1回目の企画が中止に終わってしまったころ、かかわる事柄がことごとく失敗し続けるという状況でした。まあ、失敗し続けるとは言っても、不正のとばっちりとかも混ざっており、純粋に自分のせいだと思っていたのはたった1件だけですが、1件あれば十分ですね。かかわった事柄をことごとく失敗に導く特殊な力のことを当時いっしょに仕事をしていた事務の方に自虐的に自慢していたら、その力がうらやましいとおっしゃられ、もしその力をもっていたら、ある部署をつぶしたいとゲロっていらっしゃいました。たぶん、うっとうしいとお感じになられていたのは、その部署そのものではなく、その部署に配置されている教員たちのことだろうと思いましたが、私もまったく同感でしたし、いまなお同感です。しかし残念ながら、その人たちがつぶれることはなく、むしろ増長されているかもしれません。困ったことです。



11月29日(月)意識哲学的、もしくはおっとろしい

 「人は誰もが自分が思う自分で生きる権利があります。」とかって文字列を目にしました。そこには何の留保もなく書かれていましたが、書き手は、何の留保もなくおっしゃっているのでしょうか。あのミソジニストのカントですら、自由とは「他の人の強制する選択意志からの独立」と言いつつ、「それが他のだれの自由とも普遍的法則に従って両立できるかぎりで」(VI, 237)という条件をつけています。そうしないと、けっきょく力のある者のやりたい放題こそが自由の実現ということになってしまうからです。「自分が思う自分」という言い回しがすでに意識哲学的であって、少なくとも哲学史的にはとっくに乗り越えられているわけですが、まあ、いまだに意識哲学を信奉するミソジニストのカント研究者はたくさんいますし、ひとまずこうした言い回しをレトリックとして認めたとしたら、次にだれもがそんなふうに生きようとしたりしたらおっとろしいことになるのではないか、という問題が発生すると思います。



11月30日(火)ヘッスラ学会

 まあ、前からずっとそうでしたが、そのミソジニストの学会の大会では、だれがもっとも優秀なイタコであるかを競い合うのが通例です。要するに、200年以上前に死んだそのミソジニストの「意図」がどこにあるのか、われこそがもっともよく知っているぞ競争が行われるということです。実にくだらない。文学研究においてすら、書き手の「意図」を探ったりしたらアホ呼ばわりされるというのに、いまだに「意図」の所在をめぐって競い合うことが哲学研究だと思い込んでいるなんて、いったい何を「意図」しているのでしょうか。イタコ合戦に続いて行われるのは、信仰告白大会。人の発表の論証過程なりを批判するのではなく、そんな解釈はそのミソジニストの倫理学を信奉してきた私にはとうてい受け入れがたい、おわり、と言い放つタイプがいます。こんなのが批評であるはずがないのですが、そこは信徒たちの集う空間なので、重要なのは批評より信仰告白というわけです。なるほど、手続きよりも努力が重んじられるヘッスラ学会としては首尾一貫しています。



12月1日(水)驚愕、もしくは平常運転

 ある中国地方の行政が発行しているハンドブックは、「よくばりハンドブック」というタイトルをもっています。なぜ「よくばり」なのでしょうか。答えは、このハンドブックのフルネームを知ると、ある意味では驚愕しますが、ある意味では平常運転だとわかります。フルネームは、「働く女性応援よくばりハンドブック」です。ご丁寧に。「働く女性、働くことを考えている女性、育児中の女性、仕事と家庭の両立を希望する女性…すべての女性を応援する小冊子です♪」と、歌いながらゲロってくれています。やっぱあれですが、女性が働いたらよくばりなんですかね。女性が育児したらよくばりなんですか。仕事と家庭の両立を希望するなんて、なんてよくばりなんだ、ってことですか。欲の皮が張ったりしちゃいけませんから、女性は、少なくとももはや育児なんてしちゃいけないんじゃないでしょうか。ぜひぜひそれを訴えてください、「世界の片隅」から。



12月2日(木)アホなんだろうか

 そういえば、世界大会を誘致して学会を盛り上げるんだとか、およそ哲学的思考からはかけ離れた発想のもち主たちが理事なりなんなりをお務めになっていると思われる学会もありました。ホームページには、観光名所として侵略戦争の最高責任者一家が住まう住居の一部が掲載されていましたっけ。いまはどうなっているのか、見る気も起きません。その学会から、会員情報リストを作るからグーグルフォームで情報を寄こせという連絡があり、グーグルフォームへ行ってみたら、氏名の書き方が例示されていて、驚くべきことに、「(例)日本 太郎」ですよ。氏と名の間は全角スペースとか、ご丁寧に注意書きがありましたが、注意すべきところはそんなところじゃねーだろって。人を全力で笑い殺そうとしているか、もしくは退会へ追い込もうとしているとしか思えません。そんなわけで、グーグルフォームへの記入は断念しました。そっちのせいだからね。

  

12月3日(金)<自分は例外ゲーム>

 「一般論として、シス女性でも、トランス女性でもない人がトランスジェンダーをめぐる議論に参加するのは慎重であるべきだと僕は思います。」と、シス女性でもトランス女性でもない自称「おっさん」が言ってるのですが、なるほど自分には一般論は適用されないってことですか。要するに、よくある<自分は例外ゲーム>ですね。そして「この程度のことが分からずに」とか「分からないなら勉強してください」とか、いつものようにいとも簡単に「知を支配しているのは自分だ」宣言をなさるわけです。あれ、慎重であるべきだったんじゃないの、なんて考えてはいけません。なにしろ一般論は適用されない<自分は例外ゲーム>ですから。しかし少なくとも、「この程度のこと」なんて言い回しを用いることこそ、「慎重であるべき」じゃないですかね。



12月4日(土)前衛メンタリティ

 いやいや、「この程度のこと」どころじゃなく、相手の発言をとらえて、「全く分かっておられません。わからないことについて発言されるのは、罪です。」と、断罪までやってのけてしまいます。この自信はいったいどこからくるのでしょうか。こんなに自信満々なのに、なぜ「慎重であるべき」なのでしょうか。ああ、ご自分には一般論は適用されない<自分は例外ゲーム>でしたっけ。まあ、バカな大衆を引っ張って行ってあげますというこうした前衛メンタリティは、パネル展でも発揮されていたので、別に不思議ではありません。共同代表のもうひとりの方とはまったく異なり、みなさんはわかってないから教えてあげるね、って姿勢だったし、実際にそれに近いことも口にしていましたからね。しかし、もう少し「慎重であるべき」じゃないですかね。



12月5日(日)さすがすぎる

 「全く分かっておられ」ない私は、この方が司会を務めるオンライン学習会なんぞにも出てしまったことがありました。言うまでもなく、こんな立派な方のご高説を拝聴するためではなかったのですが、なぜかこの方が司会をなさって取り仕切っていました。そこで、笑いながらおっしゃったのが、「女性のみなさんは、お化粧をされていない場合はカメラオフでも構いません」でしたが、なぜちっとも面白くもない事柄を笑いながらおっしゃっているのか、さっぱりわかりませんでした。そうです、さっぱりわからなかったのですから、この人のことをミソジニー丸出しだったと言うことは「罪」ですね。そういえばこの方、敗戦後、自分たちが生き延びるためにソ連兵たちに対して女性たちを差し出した男たちのことを、男たちだって被害者だってかばったことがあって、批判されるとそのツイートを何も言わずに削除してすっとぼけたことがありました。なるほど、「わからないことについて発言」するのは「罪」だから、こっそりツイートを削除して終わりにしたわけですか。「慎重である」こと、この上ないですね。



12月6日(月)ジブリギャグ

 アムネスティ日本とやらが、世界人権デーの啓発として、「ジブリで学ぶ世界人権宣言」とやらを撒いているそうです。ジブリって、あれですよね、野宿者たちを追い出して拵えたミヤシタ・パークに出店なさっているジェントリフィケーション・ラブ組織ですよね。そんな人たちと世界人権宣言を学ぶってことは、自虐的にやるわけですか。私たちはこんなに阿漕なことをやってます、私たちに人権侵害させたら右に出る者はありません、トトロだなんだかんだ言っても、すべてカネでしょ、とかとか教えてくれるんですよね。ひょっとして、資本主義ドロボーごまかしすっとぼけにも賛同してますか。どっちみち、こんなジブリギャグ、まったく笑えませんよ。



12月7日(火)恐ろしい

 ある政党の福島総支部というアカウントのツイートをその政党本部が削除要請し、総支部がそれに答えなかったところ、ツイッター社から総支部がアカウント凍結されたわけですが、まさか本部がツイッター社に働きかけて言論を封殺したんじゃないでしょうね。もしそのとおりだとしたら、その党がきわめて恐ろしい組織であるように見えることを、党本部はわかっていらっしゃるのでしょうか。ツイッター社は民間ですけど、こんな組織なら、党内の異分子を排除すべく、当局の手だって平気で借りるのではないでしょうか。少なくとも、そんなふうに見えることはおわかりでしょうか。もしそんな働きかけはしていないのだとしたら、党として、ツイッター社に総支部のアカウント凍結に関して抗議すべきではないでしょうか。それが行われないとしたら、やはり恐ろしい組織にしか見えません。



12月16日(木)『海にかかる霧』

 「この先、どーするの???」という展開が待ち受けているという「お薦め」評をネットで見ていたので、どんな話になるのだろうと思っていましたが、正直言って、大したことないと思いました。いや、ひょっとすると、キム・ユンソク主演のもっとえげつないのをいくつも観てしまったせいで(といっても、例によってほとんど結末とかを覚えていない)、この程度ではなんとも思わなくなっている、ということなのかもしれません。すべての出来事の根底には貧困があるという描き方をしつつ、ミソジニーが貫かれているのではないか、という具合でもありました。そんなわけで、たぶんもう一度観ることはないと思います。



12月17日(金)PCを生きる

 2018年6月の地震以来、書棚から乱雑に飛び去ったままだったものを、被災したときのままには見えないところまでなんとか片づけ、さらにいろんなものを大量に捨てまくったおかげで、故障したエアコンを取り替えることが可能になりました。しかし、エアコンメーカーはたいてい同時に戦闘機メーカーでもあったりするので、COCOM協定にかつて違反したことのあるメーカーのものに絞ったら、なんと12月30日まで商品が届かないと。同じようなイデオロギーをもつ人がたくさんいて心強いのではありましたが、昨日はあまりにも寒すぎて夜中に鼻水が止まらなくなりました。だけどただの戦闘機メーカーの商品を購入するわけにはいかず、つくづくPCを生きるのは辛すぎます。



12月18日(土)『金の亡者』

 はじめっから不快で、こんなバカなことはやめにして資本主義を全否定しようなんて結末が待っているわけがないことはわかっていたので、きっとずっと不快なままなんだろうと思い、我慢しながら見続けて、やっぱり最後まで不快なままでした。こういうのを毛嫌いするやつほどカネの亡者だとか、アンチジャイアンツはジャイアンツファンだとかと同じように語られますが、そういう精神分析の自称権威みたいなやつが何を言おうと、こんなものは毛嫌いするし、不正だと思うし、ジャイアンツは不正の塊だと思っている。この主人公の俳優、他の映画ではえげつない殺し屋だったような気がするのですが、どの映画だったでしょうか。そうそう、どっかの元知事とか元市長みたいな感じのやつが出てくるのもムカつきポイントでした。



12月19日(日)卑怯な連中

 逮捕状の請求前に容疑者の実名を公表するのはきわめて異例で、「実名を出すことが一種の制裁になってしまっている」という識者の指摘を伝える新聞社が、しかし同時に「放火殺人事件」となんのためらいもなく報道しています。もちろん、その容疑者の実名も堂々と報道しています。だってわりぃのは逮捕状の請求前に「放火殺人事件」の容疑者の実名を公表する警察であって、私たちはそれを伝えているだけですよー、ってことなんでしょうか。この新聞社はどのようにして、それが「放火殺人事件」であると断定できたのでしょうか。いえいえ、私たちが「断定」したわけじゃありません。私たちは報道しているだけですよー、って言うのでしょう。だったらどうして識者の発言も流すのでしょうか。もちろん、逃げ道をこしらえておくためです。しかしこの人たちは、逮捕状の請求前に容疑者とされる人物の実名が公表されたけれども、それは問題のある行為だから伝えることはいたしません、って選択だってできたわけです。それを「報道」の名の下にしなかっただけのことです。実に卑怯な連中です。



12月20日(月)人権政策課

 市報で、人権政策課が性別による「アンコンシャス・バイアス」について、漫画にして教えてくれています。のぞみの父親が、のぞみから、友達のひかるの「おうちの人」が「研究の仕事で海外出張なんだって」という話を聞いて、「へ〜 ひかるのお父さんは海外出張なんて大変だな」って思ったところで、「海外出張なのはひかるのお母さんだよ!」と言われ、「てっきりひかるの”お父さん”が海外出張なんだと思い込んでいたよ」と言って頭をかく、というものです。解説もいろいろと書かれているのですが、なんの罠なのか、のぞみの父親はテレワークをしていて、のぞみの母親とおぼしき人は洗濯物をたたんでいます。これって、わざとなんですよね。ほら、こんなふうに「アンコンシャス・バイアス」はアンコンシャスだ、ってことで。だけど、そうだったらちっともアンコンシャスじゃないことになってしまう。ということは、これはモノホンの「アンコンシャス・バイアス」なのか。やるなぁ、人権政策課。全然ほめてませんよ。



12月21日(火)国家による殺人

 国家による殺人がありました。昨年は執行されていませんでしたが、COVID-19が小康状態に見える間にさっさと、って感じなんでしょうか。いったいいつ頃から、今日執行することに決められていたのかわかりませんが、これってまさか、逮捕状の請求前に容疑者の実名を公表することと結びついていないでしょうね。あるいは、若い俳優が亡くなって大騒ぎになっていることと関係してないでしょうね。執行を命令した法務大臣は、やはり鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒したんでしょうか。コメントが報道されていないので、さっぱりわかりません。殺された受刑者のひとりは、裁判のやりなおしを請求中だったそうですが、そんなことは国家権力にとってはなんの意味もないということですか。そうですか。



12月22日(水)いいわけないだろろくでもないだろ

 「他山の石ん」大阪で、「他山の石ん」らしくいまだに誘致が進められているIR(=いいわけないだろろくでもないだろ)事業に出資するひとり不買運動の対象となる企業名が公表されました。まあ、パナソニックなんて、とっくのむかしにひとり不買運動の対象なので、関係ありません。近鉄は乗らないし、オリックスからカネは借りないし、大阪ガスのガスは使わないし、言うまでもなくダイキンの作る戦闘機は利用しません。JR西日本はどうしましょう。天王寺に行くのに環状線を使わないとしたら、「他山の石ん」関連で民営化されてしまった地下鉄を利用しなければならないじゃないですか。こうして天王寺へ行くことも断念しなければなりません。まあ、そもそも行ってないけど。



12月23日(木)4時半と5時半は区別しにくい

 スマホの時計は秒針とか短針とか長針とかがあるやつで、実は4時半とか5時半とかの区別がつきにくいのですよ。4時とか5時じゃないですよ、あくまで4時半とか5時半とかです。区別がつきにくいですよね。そんなわけで、昨日の朝は4時半過ぎから朝のルーティーンを始めてしまい、石橋に戻ってきて赤い橋の時計も目にしたのに、あれも秒針とか短針とか長針とかがあるやつで、5時半とか6時半とかの区別がつきにくく、家に戻って食事しようとPCを立ち上げたら6時17分とか表示され、ったくPCめが、壊れやがったと思っていたら、壊れていたのはこっちだった、ということにしばらくして気がつきました。4時半とかにうろうろして、職質をやらかすぼんくらたちに出くわさなくてよかったです。



12月24日(金)大丈夫か???



 しばらく前に、アズナスでピエール・エルメのめっちゃ美味なピーチミックスティーを購入したことがありますが、いつの間にやら阪急からアズナスが消え去って、しかし後継のローソンにも、ピエール・エルメのめっちゃ美味なピーチミックスティーが置かれているのを目にしました。ところが今日、いまだにサンタの恰好をさせられてデコレーション・ケーキともも肉を売らされている人たちを目撃した7で、しかしデコレーション・ケーキももも肉も購入するわけにはいかないしな〜と思っていたら、こんなのを売ってたので購入しました。ピエール・エルメ、どうしちゃったんでしょうか。コンビニに商品を出すだけでもけっこう驚きですが、異なる系統の複数のコンビニで商売やっちゃってるじゃないですか。ひょっとして、そんなに困ってるんでしょうか。ちなみにこれ、美味でした。



12月25日(土)ひたすら我慢

 なんと、ガトーショコラパッションは期間限定商品だった模様。やっぱピエール・エルメは困っているわけではなかったようです。むしろ、もはや今日は手に入れることができなくなっている消費者こそが困っているのでしょう。もちろん、ガトーショコラパッションの隣にいたチーズケーキフランボワーズもいなくなってました。まあ、チーズケーキは別にどうでもいいかもしれない。ガトーショコラパッションの引き立て役をするのもつらかろう。そういうのは、ラーメンゲロあたりに任せておけばよろしい。そんなわけで、来年までひたすら我慢。



12月26日(日)究極の冷笑主義

 ローマ教皇とかが何か立派なことを訴えている報道とかを見ましたが、恒例の行事とはいえ、あれこそは究極の冷笑主義ではないのかと思われて仕方ありません。世界に先駆けて囲い込み運動をやり、世界に先駆けて悪のかぎりを尽くしてきたいまだに女王なんぞが存在しているあそこでは、その女王が何か立派なことを訴えていましたが、これこそは究極の冷笑主義ではないのかと思われて仕方ありません。まっさきに実現されるべきなのは、教皇なんぞが存在しない現実であり、身分制差別の存在しない現実でしょう。女王なんぞがいなくなったところで身分制差別は存続するぞ、とか言う現実がよく見えているどーでもいい人とかも確実にいますが、しかし言うまでもなく、女王なんぞがいなくなっても身分制差別は存続することが、女王なんぞが存在することを正当化するわけではありません。あったりまえでしょ。



12月27日(月)『私を忘れないで』

 たぶん観たことがあったはずだと思っていたのですが、どんな話になるのかほとんど思い出せなかったので、ほぼ初見と変わりませんでした。しかし、たぶん前に観たときもそう思ったはずですが、一言で言えば、どーでもいいよ、です。繊細なんだかなんだか知らないけど、ひとりで傷ついて苦しんで、しかしすべてを忘れることができて、そのせいで、周囲の人たちは振り回されるばかりです。妻こそ、すべてを忘れてしまいたいだろうに、どうしてあんなふうに夫のために生きてやらなきゃいけないのか、さっぱり理解できません。そんなわけで、どーでもいいよ、でした。



12月28日(火)「+猫」がうらやましい件

 ツイートを定期的にこっそりのぞいている人はいまでは2人しかいませんが、そのうちのおひとりが高岡在住の方で、人に自慢できるほど部屋が寒いそうで、「俺も老いたな...まーさぶい」とつぶやかれています。たしかに高岡は「他山の石ん」なんかよりはるかに寒いと思いますが、この方は私より10歳以上若かったはずで、その方が「老いたな」とおっしゃるのであれば、私なんぞが寒くてもなんの不思議もありません。「この休みはガソリン灯油満タン&寝袋+猫で乗り切る所存だ」とのことですが、「+猫」がなんともうらやましいかぎりです。しかしこんなことで来るべきペットロスを背負い込むわけにはいきません。ほとんどの悲しみはなんとかなりそうですが、ペットロスだけはちょっと耐えられそうにないので、ここはぐっとこらえてひたすら寒さを我慢し続ける所存だ。



12月29日(水)所存

 ペットが死ぬのが怖いから飼えないというのはおかしい、んなもん、生きてる間からずっとそのことが辛くて仕方ないんだから、だから飼うしかない、というどこへ連れて行かれるんだかわけがわからない謎理論があって、この謎理論、実は高岡在住の方がリツイートしていて知ったのですが、いやいやいやいや、いやいやいやいや、それおかしいから。死んでしまったときだけでなく、生きている間からすでに悲しみに見舞われるのであれば、そもそも飼わない、というのが大人の判断というものじゃないのでしょうか。いやもう、この際、大人だろうとガキんちょだろうとどうでもいい。ペットロスだけはちょっと耐えられそうにないので、ここはぐっとこらえてひたすら寒さを我慢し続ける所存だ。



12月30日(木)51と変わらない

 「女のものは男のもの」と批判的に論じる言説に対して、カ○ト協会に集う「健全な」ミソジニストのように not all men 的なことを言ってしまう、ある意味ではわかりやすく、ある意味では間抜けぶりが大笑いの対象である、しかしまたある意味ではきわめて深刻な状況を体現する人たちは確実に存在し、こんな人たちには何を言っても通じまいと考えつつ、やはりそのつど批判を繰り返す必要はあるだろうと思います。しかしだからって、「女のものは男のもの」は「本能にセットされた我々の内面の一部」なんてことを言い出してしまっては、万事休すでしょう。本能にセットされているのだったら、もはや改めようはないし、責任も問えませんよ。「男はそれを我慢できない」と言った51と変わりません。



12月31日(金)なにひとつみたことはないが

 原作者を差別者だと糾弾する俳優たちが、シリーズ20周年番組とやらにのこのこ笑顔で出てくるっていうのは、いったいどういうメンタリティがなせるわざなんでしょうか。ポリティカル・コレクトネスを考えるのであれば、そんな番組に出ることはおろか、番組の制作そのものに異議申し立てすべきでしょう。ひょっとして、原作者と作品は異なるとかおっしゃるのでしょうか。しかしこの原作者の作品に登場する人物の設定が差別だという批判もなされていましたよ。人のことを差別者だと糾弾するのなら、せめて差別に加担するようなことは慎もうとかは思わないのでしょうかね。あっ、あれか、資本主義ドロボーごまかしすっとぼけプロジェクトか。それならよくわかる。



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