2020年
1月1日(水)やったぜ共和制

 おかしいなぁ、昨年中に共和制に移行するはずだったのに、どうやらまだ移行していなかったんですね。でもいいです、今年移行しますから。別に共和制に移行したからって、これまで臣民だった人たちを人民裁判にかけたりはしませんよ。みなさん、仕方なく臣民だっただけですよね。まあ、アイヒマンもそう言ったんですけどね。それはそうと、共和制は、必ずしも国民国家の形態をとるわけではありません。たとえば、世界市民的体制は、共和制です。逆に、国民国家の形態をとる共和制じゃあ、行為者は国家市民であって、どうあがいても世界市民は出てきません。昨年、ある学会で教えていただきましたが、カントは『人間学』の最後で、世界市民は不可能だと言ってるそうです。カントが『人間学』で何を言おうと興味がないので確認していませんが、『平和論』のなんちゃって議論を知っていれば、カントがそう言ったとしても、別に何の不思議もありません。



1月2日(木)いい加減に辞めてください

 3Kがヌッポソは五輪で再生するとか新年早々政権批判をしているそうで、それはなるほどいろんな意味でめでたいかもしれません。「再生する」ってことは、ここ何年もずーーーっと森羅万象担当大臣が森羅万象を担当しているにもかかわらず、死んでるってことですからね。しかし、五輪なんかで再生するんだったら、言うまでもなく再生しない方がいいに決まってます。さて、この森羅万象担当大臣、年頭の所感とやらを披露したそうですが、公職選挙法に違反して議員になってる疑いをかけられているというのに、どうしてその疑いを晴らすことなく、ぬけぬけと年頭の所感なんて垂れ流すことができるんでしょうかね。「公職選挙法」は定義できないからなのか、「違反」は定義できないからなのか、「疑い」は定義できないからなのか。どれでもいいから、辞めてほしい。



1月3日(金)『悪魔の倫理学』

 「愛ゆえに殺した」などというクソのような理由で殺人を犯したやつがもっとも不正なのは明らかで、次は盗撮と盗聴をやらかしていたおまわり(おまわりであるというだけでも十分に不正ですが)でしょう。しかしさらに反社の人(しかし「反社」は定義できないそうです)と国立大学教授まで「倫理」の名のもとに裁かれるのがどうにも納得できません。ところで、この教授は、被害者に残された精液がこの人のもの一致したため逮捕されるのですが、いくら教授といえどもそこらじゅうに精液をまき散らしているわけではないので(たぶん)、きっと採取されたわけですが、どんな正当な理由があってそれが採取されるのか、まったくわかりません。これって完全に違法ですよ。国立大学教授は立場上、外では遊べないので、愛人を囲ってもよいというルールも、ファンタジーがすぎますよ。



1月4日(土)安保理決議はまだですか

 アメリカ軍がアメリカ大統領の命令に従って他国を爆撃し、他国の軍司令官たちを殺害しました。アメリカ大統領は、「戦争止めるため」と言ってるそうです。「正しい戦争はある」のみなさん、聞いていますか。アメリカ大統領は、「戦争止めるため」と言って、他国を爆撃し、他国の軍司令官たちを殺害したんですよ。「戦争止めるため」だったら、アメリカ大統領を殺害するのがもっとも手っ取り早いと考える人たちがいたって不思議ではありませんが、そういう人たちをどうして批判できるでしょうか。安保理は何をしているのでしょう。飛翔体を飛ばしたくらいでただちに経済制裁を決議する「正義」の人たちなんですから、飛翔体を飛ばすどころか、他国を爆撃し、他国の人々を殺害したやつらに対して、最低でも経済制裁くらいはさっさと決議してください。まさか、どっかのクズみたいにゴルフやってんじゃねーだろうな。



1月5日(日)なにが「巻き込まれる」だ

 この状況において静養先のホテルからお戻りになり、私邸からゴルフへお出かけになられ、本日は私邸でゆっくり静養なされた森羅万象担当大臣よ、やっぱ森羅万象を担当しているのですから、アメリカ大統領による命令にもとづくアメリカ軍による殺戮も、あなたの責任ですよね。いや、こんなことを言っても無意味でした。だって、「私の責任だ」と言ってのけることと、私が責任を取ることとは、別のことですからね。なんなら、責任を持つことと責任を取ることとは異なるということを閣議決定しますか。いや、それよか「責任を持つこと」は定義できない、ですかね。いずれにしても、同盟国として、中東で堂々と人殺しができるとか、考えてんすかね。なにを勘違いしているのか、「ヌッポソが巻き込まれるかもしれないのに…」的な批判をしている人がいますが、ヌッポソが人々を巻き込んで殺戮するんですよ。ちゃんと理解してください。



1月6日(月)アメリカこそ国民国家主義

 カントの主張に反して世界共和国を積極的に肯定すると、決まって出てくるアメリカ化反対の主張ですが、こういう善良な人たちには、アメリカが共通の法に服そうとしているように見えるのでしょうか。アメリカは、主権をもった国民国家としてのふるまいをしているだけで、何よりそれが優先されるべきだというイデオロギーを主張しているだけであって、世界共和国にはまったくつながりようのない国民国家主義でしかないですよ。そしてこうした国民国家主義に由来する諸国家連合としての国連だって、経済制裁を行う相手と行わない相手を国力によって見定めているのであって、これまた世界共和国とはまったく関係のないふるまいです。アメリカ化反対を持ち出す人は、しょせんは国民国家主義者なのであって、現状を批判するロジックなんて何も持ち合わせていないと思います。まあ、きっとそれでいいんでしょう、健全なナショナリストとしては。



1月7日(火)滅んでしまえ

 けっして under control などではない状況で「国威発揚のため」(by NHK)行われる民族の祭典とか傷痍軍人の社会復帰を目指して開始されたと言われる要するにミリタリー・能力主義の祭典とかの総合演出を務めるやつは(要するに、総合的にクズですが)、あのなんとかという反社会的広告屋(冗長句以外のなにものでもありませんが)のなんちゃらプロデューサーだそうですが、パワハラで懲戒処分を受けたそうです。しかしそのことをその反社会的広告屋(冗長句以外のなにものでもありませんが)は隠蔽し、そのまま総合演出を務めさせているそうで、そいつは要するに総合的にクズであり続けていることになりますが、まあ、クズ広告屋のなんちゃらプロデューサーがクズでも別におかしなことではないです。ただ、そいつらがみんな滅んでくれればいい。それだけです。



1月8日(水)その校長は不正

 「冬に家に帰れば、暗くて寒い。寒さが身にしみるのです。そんなとき、シチューをつくって待っていてくれる彼女がいたら、「このまま一緒にいようか」となります。結婚が早くなるのです。」すっかり有名になったある有名私立中高の校長の発言ですが、こういうのを「古い」とかなんとか言ってすませるのではやっぱりダメだと思います。もちろんバカ丸出しなんですが、笑い者にするだけでもダメだと思います。それはたいてい、冷笑系に終わるだけです。つまり、セクシュアル・ハラスメントだと告発すべきなんじゃないかと思います。あの中高の関係者のみなさんには、ハラッサーを長の座から引きずりおろしてほしいものです。そんなこと、まあ絶対にありえないとは思いますがね。



1月9日(木)障がいを笑いのネタにすんなよ

 本日のFD研修会。その組織がかかわっている「フロントスタッフ・ミーティング」に何度も出て、何度も不正を目の当たりにした者としては、もちろん何の期待もしていないわけですが、しかしひょっとしたら知らないことを教えてもらえるかもしれない(それって期待じゃねーかよ、って言う人がいたら、はいはい、そーですねー、と言っておくことにします。めんどくせー。)とは思っていました。まあ、予想通りでした。自閉症スペクトラムの特徴を挙げ、ここにいる人は当てはまる人が多いのでは…?、と遠回しに(つまり、直接的に言わない)言ってみせ、笑いをとるのは、きっとこの手の催し物のときには毎回毎回やらかしているんでしょうけど、それで笑いをとるなんていうのは、障がいを笑いのネタにしているだけですからね。こんなメンタリティで、特任なんちゃらとかいう肩書をもって、いったい人に何を教えようっていうんですか。やっぱりあなたたちのことはまったく信用ができない。そのことだけは、確認できました。差別主義者が。



1月10日(金)差別主義者は差別主義者

 上記は、「遠回し」というのもポイントです。「遠回し」に言うことによって、その差別発言に乗って笑う者が出ても、「私は差別なんかしていません」と言い逃れができるわけです(できませんけどねー)。差別発言に乗っかって笑った者が、勝手に差別して笑ったんだ、というわけです。「笑いはすべてを超越する」系が、単純な差別主義者であるのに対して、「これは芸です」系の倫理学者がより狡猾な差別主義者であるように、この手の「遠回し」話法を使用する差別主義者は、より悪質と言えるでしょう。まあ、いずれも差別主義者であり、いずれも正義に反していることに間違いはないので、より狡猾とかより悪質とか差異化しても仕方ないと言えば仕方ないのではありますけど。クズはクズですから。



1月11日(土)殺人に意味などあるわけがない

 左翼は、戦争に負けたからその戦争は無意味だったと考えている、なんてお考えになっている(ひょっとして、そう「感じている」のかもしれない。だって、考えていれば、そんな結論にはならないからねー)たぶんまごうことなき右翼がいるようですが、まったく間違っています。その右翼の言によれば、左翼はこんなふうに考えているから、「必死に日本を守ろうと戦って戦死された方を平気で無駄死とか言えてしまう」そうなんですが、必死のパッチだろうとなんだろうと、人を殺すことには何の意味もないのですよ。戦争するっていうのは、人を殺すってことなんです。だからそんなものに勝とうが負けようが、何の意味もありません。だから、「無駄死」とか、よく使用される「犬死」とかいう表現も、戦争においてあたかも無駄じゃない死に方があったり犬死じゃない死に方があったりするかのように聞こえる点で、私は不適当だと思っています。



1月12日(日)日常語ロマン主義

 いまだに成人式なんて開催するのもどうかと思いますが、そのうえ、ナチスを見習えだの難民殺せだのいつまで生きてんだだのいままで何してたんだだのほざくようなのを呼びますかね。こんなのに言いたい放題させておいて、「荒れる成人式」はいったいどこへ行ってしまったのやら。「パクられたら名前が出る。少年院じゃすまねぇぞ。…それが二十歳だ」とか言ったそうですが、「パクられたら」とか、こういう語を使うのがいいことだと思ってるわけですよ、単純に。なんというか、日常語ロマン主義みたいなのがあって、日常語は建前を崩すとか、日常語こそ、自分の言葉だとか。そうだ、これから「自分の言葉で話そう」系の人たちのことは「ナチスを見習え」系の人たちだと自動変換することにしよう。そんなに大きく間違っちゃいない。



1月13日(月)パクられずに名前が出る

 「パクられた名前が出る。」なるほど、あなたなんて、パクられないけど名前が出てて、ご尊顔さえお見せになっていますよね。「桜を見る会」で公職選挙法違反の嫌疑がかかっていて、したがって議員でいることが不正であるかもしれない、あの森羅万象を担当されている方も、パクられないけどお名前が出ています。公務員に随行してもらっても私人であることを決定されちゃうこれまたパクられない方も、お名前が出ちゃってますね。他の国家を空爆して殺戮をやらかしてもパクられないようなやつも、お名前は知られています。ということは、冒頭の警句は、パクられずに名前が出るような者になれ、という意味ですか。クソですね。



1月14日(火)「正しい」理解を言ってみろ

 パクられずに名前の出ているこの方、「2000年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」ですってね。もしそんな国家があったとしたら、それはもう、クソの中のクソに決まってますが、この方右翼のはずだったのに、「反日」発言ですかぁ。ったく、こんなことほざいたのに叩くはずの万能川柳社は、「単一民族国家と受け取られかねない」だの「批判を呼ぶ可能性がある」だの、「単一民族国家」以外にどういう受け取り方があるのか、ちゃんと提示してみせてくださいよ。それができないのにこんな言い回しを使うなら、「誤解が生じているのなら」詫びるとか言いながら、いかなる理解が「誤解のない」「正しい」理解なのかけっして言うことのできるわけがない森羅万象担当副大臣となんら変わらないってことがわかりますかね。



1月15日(水)とっとと辞めてください

 王朝があるのに、ご自分のように選挙権をもつ人々から選出されて議員となり、森羅万象担当副大臣として執行権を担うような者がいていいとお考えなんでしょうかね。王に対して越権が過ぎるのではないでしょうか。ただちに辞職しないと、いつまで生きるつもりだよ、って言われちゃいますよ。そうそう、この方、たしかカトリック教徒だったような気がしますが、これまた大問題ですね。いったいどっちの神に服するんでしょうか。まさかバチカンを欺いていたりしないでしょうね。あるいは、英霊を騙していたりしないでしょうね。ひょっとして線香屋と結託して憲法変えるつもりじゃないよな。



1月16日(木)優生思想

 どっかの人が、イランのミサイル誤射で墜落した旅客機には、「新婚夫婦や幼い子どもを含む一家、将来有望な科学者、歯科医、医師らが乗っていたという。それぞれの人生が一瞬で奪われたのだと思うと、本当に胸が痛い」ってツイートしてるんですが、じゃあなんですか、若くもないしひとり者や、科学者でも歯医者でも医者でもなんでもない「ただの人」だったら、胸は痛まないんですか。そう言われたら、きっと、「そんなことは言ってない」とおっしゃるでしょう。そのとおりです。問題は、この方がおっしゃらなかったところにあるんです。だれに言及しなかったかというところに、見事にこの方のイデオロギー性が暴露されちゃってるわけです。こういうの、優生思想って言うんですよ。知ってますか。



1月17日(金)真偽や正不正は感じたりできません

 私にとっての関心は事実は何かだと書く人が、「凍傷の実験は本当にあったことだと感じています」って書いてます。この方は、731部隊による人体実験をできるだけ過小評価しつつ、「日本のいいところも認めないと」とおっしゃる、要するに右側の人なんですが、この方、驚くべきことに、「本当にあったことだと感じ」る人なんです。事実が何であるかを感じる人。右翼が左翼やフェミニズムを罵倒するとき、「感情的だ」という言い回しを使うことがあると思いますが、こうした事実を感じる系を批判しようとすると、件の右翼と同じ言い回しになってしまうというつらさがあります。でもやはり、事実を感じることはできません、とか、「感じる」はある意味では無謬なので最強になってしまいますよ、とか、言い続けるしかありません。きっとこちらの正しさは感じてもらえないでしょうけど、正しさは感じるものじゃありません。



1月18日(土)偽議員かもしれないのに

 定義できないことが閣議決定された反社会的勢力の関係者に選挙妨害を依頼して報酬をけちったため自宅に火炎瓶を放り込まれしかし報酬を増やすことはしなかったので「私は暴力に屈しない」と明言を吐いた方が、党の集まりで何を言おうと知ったことじゃありませんが、しかしこの「任命責任はすべて私にある」の人、公職選挙法に違反しているかもしれなくて、だったら議員でいることが不正であるかもしれなくて、なのにどうしていまの憲法は時代にそぐわないだの、言ってのけられるんでしょう。そりゃ2000年も続いちゃってる王朝があるなら、そんな不正の極みは即刻廃止しなきゃいけないわけで、その意味ではたしかにこの憲法は時代にそぐいません。でも、公職選挙法に反しているかもしれなくて議員であることが不正であるかもしれないような、スーパー私人を妻とするような人が言うことじゃないです。



1月19日(日)「感じた」んですね、やっぱり

 その大学の〇〇学派と呼ばれる研究者たちは、アジアに対する侵略戦争をヨーロッパ列強からの解放戦争として正当化するプロパガンダの役割を「立派に」果たしたわけですが、その大学の総長が性懲りもなく「一神教ゆえの欧米社会の行き詰まり」を「感じた」(ハハハー、そらみろ)そうで、だれですか、京都学派に戦争責任はないとか、すでにそれは総括されたとか、擁護してきた人たちは。この総長、しっかり京都学派のある人物の名前をわざわざとりあげて自慢しているんですよ。結局、「間」がどうしたこうした言う人は、たんなる臣民だってことですよね。もっともらしい顔して文化論を語るのはやめて、堂々と、「私は臣民です」って、内田とか高橋みたいに言えばいいじゃないですか。言ったからって、ゴミはゴミですけどね。



1月20日(月)なんなんですか

 夜中に熱を測ったら39.7℃で、ちょっと見たこともない数字でかなりビビり、朝方に目が覚めたときに、次に長いこと目が覚めなかったら休講通知が遅れると思い、その時点で通知を出して、それでもう1度測ったらやっぱり39.7℃で、インフルかぁと思いました。しかしそこで体温計をよくよく見ると、37℃と39℃の間が切れているのですよ。これ、水銀柱が伸び縮みして体温を測るむかしのやつなんですが(だって、体温計なんて滅多に使わないから、1度買ったら、そのまま使い続けるでしょ)、水銀柱が途中で切れてて、振っても元に戻らない。ということは、39.7℃なんてないのかと思いつつ、医者へ行ったら36.8℃で、おもっくそ笑われてしまいました。しかし微熱はあるし吐き気もするってことで、診断はノロでした。昨年から続く一連の破壊行為は自分自身がインフルで破壊されるというオチかと思ったら、なんとも間抜けな話で、もうお前のようなやつには吐き気しか催さんわ、ってか。



1月21日(火)すべて同じこと

 「先生」はひとりしかいないある大学で、元課長がトイレ盗撮容疑で逮捕されました。少し前には、やはり「先生」はひとりしかいないその大学の、なにが面白いんだかさっぱりわからないなんちゃらというスポーツのクラブの合宿で、マネージャーに対する盗撮というのが発覚して、無期限活動自粛ということがありました。そしてまたまた「先生」はひとりしかいない大学に在学する差別主義者がミスなんちゃらだそうです。どういうわけかわかりませんが(ホントはわかってますが)、一番最後のニュースだけは不祥事でもなんでもなく、むしろ喜ばしいことのように報道されているのですが、すべて同じことなんですよ。前のふたつを正義に反すると考える人は最後のものも正義に反すると考えなきゃいけないし、最後のものに狂喜乱舞する人は盗撮にも狂喜乱舞してください。あっ、すでにしてるのか。



1月22日(水)どういう人たちなんだろう

 死刑制度に反対している人たちは9%で、身分制に反対している人たちは8%だとすると、その差の1%の人たちっていうのはどういう人たちなんでしょうか。反対していない人たちは、わかりやすいんですよ。人権の普遍性なんてものは認めない、たんなる差別主義者ってことでちょー簡単にまとめることができます。わからないのは、死刑制度には反対しているけれども、身分制には反対していない人たちのことです。この人たちが人権の普遍性を認めていないことは明確です。だって身分制を認めているわけですから。なのに、国家による人権蹂躙には反対するって、それたんに間違いなんですか。物事を首尾一貫して考えられないのでしょうか。あっ、ひょっとして、「感じる」系でしょうか。しかし「感じる」系は、死刑制度にも身分制にも反対しませんからねー。まったく謎です。



1月23日(木)なんちゃらゲンダイ(提灯持ち)

 日刊阪ちんが死ぬほど大嫌いなゲンダイは、阪ちんのことを悪く言うしか能がないのかと思ったら、違いました。これはもう、大変失礼ぶっこいてしまいました。「長嶋氏が金田さんお別れ会に」だそうです。はいはい、実は知ってました。ジャイアンツを悪く言ったりなんてするわけないですよね。それどころか、持ち上げきれないほど持ち上げるんですよね。そりゃそうでしょう。要するに、そういうイデオロギーを生きているメディアだってことなんですよね。実にわかりやすい。わかりやすすぎてかわいた笑いさえ出んわ。そう言えば、かつて森羅万象担当大臣から、批判的なメディアとして名前を挙げられていましたっけね。フツーなら恥辱のあまり崩れ落ちるところですが、まだ生き続けているのは、まあそういうことなんでしょう。あほらし。



1月24日(金)いいえ

 「世界の真ん中で輝くニッポン、希望にあふれ、誇りあるニッポンを作り上げる、その大きな夢に向かって、この7年間全力を尽くしてきました。夢を夢のままで、終わらせてはならない。新しい時代のニッポンを作るため、今日ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。」ウォッチャーの方が字起こししてアップしてくださるので、こうやって何の罰ゲームかと思えるような「所信表明」を読むことができるわけですが、こんなの字起こしされているなんて、ほんと、気の毒にも程がありますよ。「世界の真ん中」だったんだ、とか、あれ、まだ「希望にあふれ」てないし「誇り」もないんだ、とか、「今日ここから」スタートなのかよ、じゃあこれまでは何だったんだ、とか、いろいろありますよね。しかしやっぱあれですかね、森羅万象を担当してるのに、「7年間全力を尽くして」夢を見続けてきたってことですかね。もうお引き取りいただいて結構です。



1月25日(土)『ラストレター』

 出てくる男はみんなクズです。もう、だれが一番クズかを競い合っているとしか思えないような有様です。妻と娘を虐待していたクズを演じるのはいったいだれなのか、登場まで結構引っ張られましたが、ついに登場して、もう笑いそうになりました。その人、『Love Letter』でもクズ役だったからです。あんなエラソーなセリフを聞いて、なるほどなぁ、虐待する者にも言い分があるんだよなぁ、やっぱ監督は深いなぁ、とか思っちゃう人がいるんでしょうか。おれは何者にもなれなかった的な「知らんがな」発言がありましたが、いえいえ、あんたはしっかりDV野郎ですよって。自分で世話をするわけでもない大型犬を購入するバカ夫(そもそも、ペットショップで買いやがった)とか、自分の家に来てぎっくり腰になった人が救急車で運ばれるのを見送るクソ元英語教師とか。卒業式のシーンで、侵略のシンボルを掲げなかったのは評価してもいいけど、でもそれは法制定が行われる前って設定だから、ってだけかもしれないし、やっぱ『打ち上げ花火』で終わった人なんじゃないかと思ってます。



1月26日(日)だって○○じゃん

 ある地方都市の新聞に、「未来の〇〇(←当該地方都市名)を守る会」の広告が掲載されたそうで、「大切な〇〇(←当該地方都市名)に共産党の市長は「NO」」ってあります。なんと社民党さえ、この広告に名を連ねているそうです。もちろん現職の市長もでかでかと顔写真入りで載ってますが、この市長って、あれですよね、たしか教育長だった時代に学校に素手によるトイレ清掃を導入し、市長として素手によるトイレ清掃を熱く語るご仁ですよね。この地方都市にこの市長ありという精神主義が見事ですよ。ええ、こんな「大切な」精神主義は、マルクス主義によって木っ端みじんです。左翼の思想信条を持つような者は排除していかないと、「未来の〇〇(←当該地方都市名)」はありえません。「京都」って、元来そういうところじゃないですか。いまさら驚くほどのことでもありません。



1月27日(月)悪すぎる冗談

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)」とかいうファンタジー(ファンタジーだからって、何を書いてもいいわけじゃもちろんありません)を書き連ね、被害者の名誉を棄損している人が、「歴史の司法化」とかなんとかいうタイトルで発表するそうです。まず、この書物を歴史学の書だとお考えになっている時点で大いに驚かされますが、何の実証性もなく、というか、恣意的な引用を行うことによって実証性を伴っているように装ったうえで、上記のような主張をすることにより、司法の場に引きずり出されたのは、いったいだれのせいなのか、ミジンコワムシほども考えられていないのです。あっ、ひょっとして「歴史の司法化」を招いたのは私ですって、自己批判なんでしょうか。なわけがない。



1月28日(火)「直接の原因」

 でたらめな「歴史」を書いて被害者の名誉を棄損したから訴えられ「司法」に裁かれている人が講演をするその会の趣旨には、「現在日韓で最も大きな焦点となっている徴用工問題は、日本での裁判に負けた原告が韓国の裁判所に改めて訴えて出た判決が直接の原因となった。」とかってあります。「直接の原因」は、強制的に働かせておいて賃金未払いのやつらがいる、ってことじゃないですか。というか、それ以外に原因がどこにあるんですか。ああ、民間が支払いに応じようとしても、圧力かける歴史修正主義的で宗主国気取りの国家があるってことも原因ですね。なのに、確信犯的誤謬を犯して他のところに「直接の原因」を見出しちゃう人たちとなんて、どんだけ「時間をかけ」たって歴史解釈に関して「接点」は見出せません。おわり。



1月29日(水)並べることすら…

 司法に介入しないから問題が解決しないとわけのわからないいちゃもんをつけられている大統領は、新型肺炎が猛威をふるう中国に対して協力は惜しまないと言います。司法に介入しないから問題が解決しないとわけのわからないいちゃもんをつけている森羅万象担当大臣が言うことといえば…。「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」「幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです。」



1月30日(木)妄言を妄言だと言えるのか???

 「幅広く募っている」と「募集してる」は異なっているという森羅万象担当大臣の妄言が妄言だとわかる人には、言うまでもなく、92%に属していながら差別反対を主張することの不正がわかりますよね。「幅広く募っている」と「募集してる」は異なっているという森羅万象担当大臣の妄言が妄言だとわかる人には、障がい者の真似をして笑いをとろうとする芸人のパフォーマンスを「これは芸です」と言うア〇の不正がわかりますよね。ええ、もちろん嫌味を言っているのです。森羅万象担当大臣の妄言は妄言だと言うくせに、あなたたちは何をしているのですか、ということです。あっ、あれを妄言だとは考えないという選択肢があるのか…。それならわかります。首尾一貫してア〇だってだけのことですね。



1月31日(金)ちゃんと想定してください

 厚労省のみなさまにおかれましては、症状のない人が感染しているなんて「想定外」だそうです。ここで、厚労省のみなさんの「想定」を予想してみましょう。感染者の場合、顔に「症状ないけど感染してます」マークが出てるに違いない、とかでしょうか。あるいは、頭の上に「症状ないけど感染してます」フラグが立ってるに違いない、とかでしょうか。いくらなんでも、こんなバカげた「想定外」はないでしょうから、次の一手は、「想定外」とは、想定していなかったを意味するものではない、ですかね。蒙昧主義はもういいです。



2月1日(土)このままおとなしく消えていい

 21世紀にもなっていまだに女王みたいのが処刑もされずにのうのうと生き続けているような国家が存在することすら大いに驚愕すべきことですが(もちろん92パーセントが臣民であるような国家に帰属してしまっている者がこんなことを言っても天に唾ですが)、あろうことか、ついさっきまで欧州連合の一員だったなんて、もうありえないにもほどがあります。そもそも別の通貨を使うというあこぎなことをやってたわけですしね。しょせんは、利害関心しか考えられない人たちなんでしょう。これを機に、欧州連合は、共和体制であることを加盟の条件にしちゃえばいいんじゃないですかね。戻りたいなら、まず女王の首をはねてね、ってことで。



2月2日(日)笑うに笑えない

 アーレントが『共和国の危機』に収められた論文のなかで、公共サーヴィスの崩壊が明白な状況に対してとられる解決策は、相も変わらず調査委員会の設置であると論じていて、なかなか興味深いものがあります。合衆国は、地球上でもっとも調査される国家となっている、と。そしてその調査委員会が多大な時間と経費を費やした結果発見したことといえば、「貧しい人ほどひどい栄養失調になりやすい」だそうで、このあまりにも名言すぎる名言は、ニューヨーク・タイムズの「今日のひとこと」で取り上げられた、ということにも言及がなされています。かりに、研究力を向上させるために阻害要因となる会議を減らさないといけない、ついてはどんな会議が開催されていてどの程度減らすことができるか、調査せよ、なんて話があったりしたら、もう笑うに笑えません。



2月3日(月)ひょっとして流布しているのか

 かの有名な「セクハラ報道と検証を考える会」が、「「レイプ」=「合意のない性関係」と片付ける人たちがいますが、逆に、こうした態度が性暴力の被害と加害の実態を公正に判断する姿勢を遠ざけ、問題点を隠蔽してしまう危険性があることを知るべきでしょう。」とおっしゃっています。「知るべきでしょう。」ですか。ほほう。要するに、「募っている」と「募集してる」は異なっていると言う輩を笑えないということですね。そんなアホは、障がい者の真似をして笑いをとろうとする芸人のパフォーマンスを見て、「これは芸です」と言ってのけるアホ倫理学者くらいなものかと思っていましたが、実はこの共同体においては主流派なのかもしれません。そのうちあれですかね、「セクハラ」と「セクシュアル・ハラスメント」は異なっているとか、言い出すんでしょうかね。



2月4日(火)たまにはいいこと言う

 前述のアーレントは、調査委員会が問題の「より深い原因」を見つけるのにやっきになり、その「より深い原因」はあまりにも単純な「明瞭な原因」を覆いつつあると言います。スラムのこどもは何も学習しないという調査されすぎた周知の事実があり、その明瞭な原因のひとつとして、スラムのこどもたちは朝食をとらずに学校へくるので、ひどい空腹に悩まされているということが挙げられます。もちろん、スラムのこどもたちが学習しないことには「より深い原因」があり、朝食をとるだけで問題が解決するかどうかは疑わしいけれども、しかし天才児のクラスであっても、空腹では何も教えられないことはおよそ疑わしくないと続けられます。天才児とスラムのこどもたちを素朴に対比するところがいかにもアーレントですが、しかし「より深遠な真理」をこけにする点に関して、たまにはいいことを言うなぁと思いました。



2月5日(水)なにが良心的な自由主義者だ

 ミルあたりだけで表現の自由を全部語れると思っていそうな人がいるというような文字列を見て、「まさか」と思いつつ、しかし同時に、「さもありなん」とも思いました。功利主義を正当化するのに、質みたいなものを混ぜ込んでくるところが、いかにも欺瞞に満ちた、世界でもっとも民主主義が進んだ女王のいる資本主義国家のプロパガンダにはふさわしいですね。ミルを評価する人は、この「良心的なイギリス自由主義者」(ほとんど、「香りのいいうんこ」みたいな表現だ)が東インド会社で何をしていたのか、まずはちゃんと明らかにしてください。広告屋に勤めながらエラソーなことを騙ってみせる輩とミジンコワムシほども変わるところはありませんよ。 



2月6日(木)首相にしておくのはもったいなさすぎる

 ホテルと後援会事務所との間で「契約をしている」と答えたにもかかわらず、「契約主体は参加者だ」と言えば、それは矛盾していることになる、ということをちゃんと理解できるとは、さすが首相だけのことはあります。だから、このさすがの首相はどうされたか。発言を「訂正」されました。ホテル側と「合意」した内容を参加者に伝えたのだそうです。えっ?どこに「訂正」があるんでしょうか。「多少のキャンセルが発生しても問題ないという契約をしている」っていうことは、「多少のキャンセルが発生しても問題ないという合意をしている」ってことじゃないんですか。ひょっとして、「契約」するのは「契約の主体」で、「合意」するのは「合意の主体」だから、事務所が行ったのは「合意」だって言えば、事務所は「合意の主体」だけど「契約の主体」じゃなくて、「契約の主体」は参加者だって言えるとお考えなんでしょうか。へーーー、切れ者ですねーーー。こんなこと、だぁれも思いつかないですよーーー。もう首相なんかにしておくのはもったいなさすぎます。とっとと告発してさしあげないと。



2月7日(金)あ〜あ

 あ〜あ、なんでそんなことを言ってしまうのでしょうか。大学が女性教員の比率を上げようとする取り組みを始めるやいなや、「ダイバーシティ」というそれ自体批判できない言葉を持ちだして、結局のところ女性教員の比率向上策を骨抜きにしようと躍起になっているみえみえの勢力を力強く批判してみせた方なのに。皇室典範は女性差別だとかおっしゃっているのですが、皇室典範そのものが身分差別じゃないですか。女性も等しく、差別する側に立てなきゃいけないっておっしゃるのでしょうか。これじゃあ、まるでなんにも考えていないなんちゃって研究者みたいなのと変わらなくなってしまいます。



2月8日(土)一言で言えば、「クズ」

 「会話を生み出す国際メディア」とやらの企画について、そこのエディターとかいうのが、「フェミニズムのことをフェミニズムの専門家に聞いても、関心のあるひとにしか届かない。フェミニズムに関心がない人の目線から、そこそこフラットに語ることができる」やつを呼んで、「理解できる層が広がるという取り組みのはず」だと言ってます。フェミニズムに関心のないやつが語るということが、なぜ「そこそこフラット」であることを保証すると考えているのか、エディターとしては「そこそこフラット」に考えてみたらどうでしょうかね。いや、きっと十分「そこそこフラット」に考えてるんですね。「そこそこフラット」に考えるって、要するに何も考えない、ってことですからね。いや、これでは正確ではないです。「何も考えない」のではなく、反動的にしか考えられないのに、「そこそこニュートラル」に考えているつもりになる、ってことでした。長ったらしいので、一言で言えば、「クズ」です。



2月9日(日)反動的なうんこ

 その「クズ」企画で呼ばれたやつが「そこそこフラット」に語ったことといえば、「男女平等を実現したいのであれば、今の日本では『フェミニズム』って言葉を使わないほうがいいように思うんですよね」です。「『クズ』の証拠を出せ」派のみなさん、これが「クズ」であることの正真正銘まごうことなき証拠です。こんな「クズ」を元にしてフェミニズムについて「理解できる層が広がる」のだとしたら、そんな「層」は広がる前に排除しなければなりません。「そこそこフラット」信奉者っていうのは、専門知というもののもつ意味がわかっておらず、専門知を否定しさえすれば反権威主義だと思い込める「自分の言葉で語る」系なんですが、「自分の言葉で語」った途端、「男女平等を実現したいのであれば、今の日本では『フェミニズム』って言葉を使わないほうがいいように思うんですよね」ですよ。反動的なうんこになりたくなければ、ちゃんと文献を読んで物事を考えましょうね。



2月10日(月)まったく笑えなかった

 「脚本賞」やら「作品賞」やらを受賞しているようですが、まあ、ハリウッド的良心に響くのだろうと思います。細部に宿る政治から言わせてもらえば、途中で出てくる DPRK を笑いものにするシーン、あれもすばらしい脚本のいちぶであり、すばらしい作品のいちぶなんでしょうか。大韓民国の国民一般が、ああしたことを行っているのだという描写なんでしょうか。しかし、言うまでもなく「一般」をどう切り取るかには、イデオロギーが反映されます。私はあの結末がまったくクソだと思っていますが、そしてそこにはハリウッド的良心が信じて疑わないイデオロギーがやはり見事に反映されていると思いますが、もちろん DPRK を笑いものにするそのメンタリティとひとつながりです。「脚本賞」やら「作品賞」やらを受賞したことで、この見方は間違っていないということがよくわかりました。



2月11日(火)隠しきれないなんちゃら

 相変わらず、隠しきれないなんちゃらみたいなことをだだ洩れさせながら「感じない男」が言ってます。小津や溝口や黒澤は、「当時の庶民も観に行くエンタテイメント」だったって、ひょっとしたら他に娯楽がなかっただけかもしれないとか、ほんの少しでも考えてみたんですかね。「日本のローカルな歴史や文化を普遍にまで高めてて奇跡のよう」とか平気で言ってのけるその口こそ「奇跡」ですよ。『東京物語』には、夫が前を歩き、妻が3歩下がってその後ろを歩くなんてシーンがありますが、あんな「ローカルな文化」が「普遍にまで」高まったんですか。それ、あなたの脳内の話じゃないですか。そしてあなたの脳内は、つぶされそうな職場からとっとと逃げて見せることと同様に、まったく普遍じゃありませんよ。



2月12日(水)どいつもこいつも

 東京外国語大学の教員による差別イヴェントは、マイノリティを差別することによってマジョリティさまの内面にある差別意識に気づかせようという代物ですが、この差別イヴェントを批判する人が、「外大の学びと名誉が守られますように」とか言ってて、かなり驚きます。この批判者にとって重要なことは、差別は不正であるということではなく、大学の「学びと名誉」なんですね。それこそマジョリティさまの差別的メンタリティ以外の何ものでもありません。この批判者に対して、就活に影響が出たらどーすんだ、ごらぁって噛みついている自称当該「ゼミの生徒」がいて、ほほう、東京外国語大学には「生徒」がいるんですか、と思いつつ、しかし「生徒」だからって、差別しておいて自己の就活なんぞを気にしているのは不正の上塗りですよと批判するほかありません。ったく、どいつもこいつも脳みそわいとんか。



2月13日(木)殺人集団を活かす、ってなんだ???

 東京外国語大学で、マイノリティを差別することによって、マジョリティさまの差別意識を自覚しよう的なマジョリティさまによる差別を実践した方がいらっしゃったそうですが、もうお辞めになりましたか。早いとこお辞めにならないと、東京外国語大学側が処分しますよ。きっとしますよ。するに違いない。つか、しないなんてありえない。この方って、そもそも「自衛隊を活かす」とかなんとか、寝ぼけたことをおっしゃってる人ですよね。自衛隊は憲法違反の殺人集団ですよ? それを「活かす」ってどういうことでしょうか。殺人しましょう、ってことですか。そうですか。差別主義者が殺人を肯定するのは、別に不思議でもなんでもないのであって、首尾一貫しています。首尾一貫してクズですが。



2月14日(金)「レッドアイ」

 昨日の朝から左目に出血があり、ちょっとびっくりです。こんなに血が出ているというのに、まったく思い当たることがないのですよ。ドライアイとかになったこともないし、わんわんに連行され、拷問されたという記憶もありません。もっとも、その記憶は消されているかもしれないのですが、そもそもわんわんに連行され、拷問されるほどの大物ではありませんでした。ところで、「レッドアイ」と言えば、『パラレルライフ』を思い出します。ゲーデルの死因ときたら、かなり衝撃的でした。



2月15日(土)フランクフルト

 そんなわけで、フランクフルトに来ました。飛行機は、前の2つの座席に日本語ネイティヴ(と思われる)妻とドイツ語ネイティヴ(と思われる)夫とその間の1歳児とが座っていましたが、どうやらこの夫、3つの席を予約するはずだったのに間違えたようです。そのうえ育児をほとんどせずに、ゲームばっかしているのです。たまに抱っこをすると、こどもが猛烈に泣き始めるので、すぐにやめます。挙句の果てに、ゲロまで吐いていました。客室乗務員が複数がかりでタオルをつかっていろんなところをふき始めるので、てっきりそのこどもがもどしたのだと思ったのですが、なんとこのチケット取り損ないの育児しないゲーム野郎がゲロッていたのです。ところで、ANAのテーマ曲は、いつ聞いても「つぐない」にしか聞こえなくて、笑えてきます。



2月16日(日)『マチネのなんちゃらかんちゃら』

 まあ、飛行機じゃなかったら絶対に見ないだろうという予想があったので、だから見たのですが、たぶん10分くらいでやめました。フランスだかパリだかが「ひどいことになっている」とかいったようなセリフがあって、「ひどいこと」というのはテロリズムによる事件のことなんですが、その「ひどいこと」を招いたのはだれなんだよ、相変わらずの被害者面に加担するんですねーと思って、もう見てられなくなったのでした。原作者を調べてみて、ちょっとびっくりしました。あの人でさえ、こんな発想なのか、あるいはこれは脚本のせいなのか。ひょっとして、最後まで見てたら大逆転で資本主義がぶっ倒れたとか、そんな素敵な話になってたりしたのかもしれませんねー。



2月17日(月)高級週刊誌とやら


 高級週刊誌と呼ばれている『Spiegel』ですが、この表紙に見出される差別丸出しメンタリティは、いくらなんでもわかりやすすぎます。経済的にはとっくに「脅威」の段階をすぎていて、それがわかっているからこその、この見出しなのでしょう。こういうのを見て、留飲を下げるのは高級週刊誌を読む「高級な」人たちなんでしょうけど、それは要するにいわゆるインテリとされる人たちなのだろうと思われます。まあ、インテリだからって、差別しないなんてことはありえず、むしろインテリはその差別を正当化するに違いないので、たんなる差別主義者よりもたちが悪いかもしれません。実にクソです。



2月18日(火)平和の少女像


 フランクフルトの大学に、昨日から展示されています。昨年秋に、市内の Haus am Dom で展示されていたものが、そこでの展示を終え、大学にもってこられたということのようです。Haus am Dom にあったときは、なんちゃらかんちゃらとかいう右翼団体の女性が、現地報告を行い、抗議レターを送るように、呼びかけていました。大学におかれるようになったいま、また現地報告を行い、抗議レターを送るように、呼びかけるのでしょうか。そんなことをすればバカにされるだけだなんてことは、バカにされるのはご当人なので、まあどうでもいいです。それがどれほど不正な振舞いであるか。そのことを考える必要があると思います。



2月19日(水)説明文


 近くに掲示されているドイツ語の説明文は非常に厳密で、「慰安婦」という表記の仕方をするだけでなく、さらに「いわゆる」もつけ加えています。「慰安」なんて言い方は、侵略者であり人権を蹂躙した皇軍の側からの言葉遣いにすぎないわけですから、当然といえば当然のことです。そして「性奴隷を強制された」と明確に書かれています。あっ、しかし forced labor と forced to work は異なっているとかほざいたやつらは、「性奴隷を強制された」としても、強制労働ではないと言うのでしょうかね。あまりにもこどもじみている人たちなわけですが、しかしこどもじみているからと言って、不正が許されるわけではありません。



2月20日(木)NSドキュメントセンター


 ケルンのNSドキュメントセンターへ行きました。ニュルンベルクのとは異なり、ここのは主としてケルンとNSとの関係に関するドキュメントを集めたセンターでした。(写真は、こどもを少なくとも4人「授けている」母親に与えられる勲章で、1938年に導入されたものですが…。)このセンター、実は戦争中はGestapoが置かれていた場所で、使われていた留置場がそのまま残されていて、壁に書かれた文字や絵も読んだり見たりできます。中庭では処刑が行われていて、最大で一気に7人を吊るすことができたとありました。一番下の階では、拷問が行われていたのですが、それは外へ声が聞こえないようにとの配慮からだそうです。そして今日、2月20日は、小林多喜二が虐殺された日です。



2月21日(金)次に期待


 ハーバーマスの最新の著作を購入しました。2巻本の分厚いものですが、宗教論だそうで、わざわざ購入する必要があったのかどうか、疑問です。しかし、戻ってから購入するとなると、とんでもなく高くなるんだろうと、ちょっとチェックしてみたら、それほどでもありませんでした。それよりも、こんなに重いものを持ち運ばないといけないかと思うと、やはり無理して購入する必要はなかったのかもしれません。それにしても、この期に及んで宗教論とは…。どこかのじいさんと同様に、宗教論のあとに平和論と法論が出ることをひそかに期待していますが、まあ、期待はずれでしょう、残念ながら。



2月22日(土)桜がどうしたこうした

 世界の片隅で加害者意識をすっかり忘却して被害者意識を肥大化させることにのみ専心する映画があるそうですが、その映画の上映館ではなんちゃらとかいう戦艦のプラモが売られているとかで、実にわかりやすい状況です。その映画の原作者は、もともと、桜がどうしたこうしたという漫画を描いた人で、桜がどうしたこうしたなんてタイトルをつけている時点でその人のイデオロギーは丸わかりなのに、ポストモダンの人とかはそれには目をつぶって、その桜がどうしたこうしたを絶賛したりしていました。なんつーか、表層文化論て、文字通り表層文化論なわけで、体制に順応していることに対する自己批判があまりにも希薄すぎると思います。



2月23日(日)「願っております。」それで?

 臣民のみなさん、「感染の拡大ができるだけ早期に収まることを願っております。」だそうです。もう、感謝感激でしょ〜。願ってもらっちゃいましたからね〜。貧困の問題にも心をお痛めあそばされているそうで、もう臣民としては死んでもいいくらいじゃないですかぁ〜。しかし、臣民とはいえ、ほんの少しでも、ケンミジンコほどでも考えることができるなら(「感じることができるなら」じゃないですよ。そんなもん、たんなるうんこですから)、臣民というのは差別体制を前提としているのだということがわからないですかね。まあ、わからないから臣民なんですけどね。



2月24日(月)相変わらず

 いない間に、てっきり身分制は全廃されて共和制へ移行し、公職選挙法に違反している議員は逮捕されてようやく「意味のない質問だよ」「ニッキョーソ」「キョーサントー」を聞かなくてすむのかと思いきや、身分制にあぐらをかきながらいけしゃあしゃあと「願っております。」だの、スーパー私人を妻にもちながら「中におきまして」だの、相変わらずなんですか。支持率を不支持率が上回ったとか言われていますが、なんと46パーセントと47パーセントの争いですよ。この状況でもまだ46パーセントは支持するのかよ、と驚くべきか、臣民なのに不支持という内田や高橋みたいのがうようよいるのかよ、とあきれるべきか。いや、きっと時差ボケの間に、共和制と内閣総辞職と議員の逮捕が実現されるに違いない。



2月25日(火)実はどれも同じ

 新型コロナウイルス最強対策
@「願っております。」(身分制の頭)
A「ヌッポソ人の国民性」(ジャーナリストというたんなる右翼)
B「検査しない」(あれ)



2月26日(水)あざます

 「今の日本の国立大学の文系授業は最低レベル。」だそうです。ひょっとして、どこかの国立大学の文系授業にもぐったんでしょうか。私は、もぐってまで聴講してくださる方には感謝しかありませんが、しかしこの方の主義主張からいって、もぐりは許されないでしょう。それをやらかしたんですかね。そうじゃなきゃ、こんなことは言えませんよね。しかしこの方がこんなことをおっしゃるということは、当該授業はもちろん捨てたものじゃないことが立証されましたね。こんな方に高い評価を与えられてしまうような授業は、もはや授業の体をなしていないでしょうからね。「感じる」系とかね。ともかく、実証してくださってあざます。でも、もぐった分は、ちゃんと払ってね。



2月27日(木)そりゃスゲー

 自衛隊は戦闘に参加できないので自衛隊のいるところは非戦闘地域だと言ったバカで片づけばよいのだけれど権力をもっていたのだからバカで片づけるわけにはいかないバカがいましたが、そのバカの息子の環境問題解決はセクシーにが、「事実は謝ったところで変わらない」とのたまわったそうです。ええ、知ってますよ、そんなことは。環境問題解決はセクシーにが謝ると、新型コロナ対策会合に欠席したのに出席したことに変わったりしたら、そりゃスゲーですよ。謝って事実が変わるなら、なんぼでも謝って変えたい事実がたくさんありますよ。まず、「事実は謝ったところで変わらない」とか言うやつが国会議員であるという事実とかね。反省しているところが伝わらないことを反省しているだけじゃなく、国会議員であるという事実を変えてみたらいいと思いま〜す。



2月28日(金)アホですか

 「フェミニストは性的解放を支持する一方で性的客体化に反対している。」とかいう文字列を見てしまいました。これ、だからフェミニストはおかしいって文脈での文字列ですよ。この方は、「解放」の意味がわからないのか、「支持する」の意味がわからないのか、「客体化」の意味がわからないのか、「反対」の意味がわからないのか、どれなんだかわかりません。ひょっとして、この方の考え出したあるべきフェミニストは、性的客体化を求めて性的解放を訴えるんでしょうか。かりにそんなフェミニストがいたとしたら、アホですか、の一言で片づきますよ。ったく、どこの世界に生きてるんでしょう、だいたいわかりますが。



2月29日(土)で、「つまらなくないこと」って何?

 つまんないことをきくねぇナチスを見習え大臣は、要請を受けてから支出するんだから、はじめからおいくらですよと決めるわけにはいかないとおっしゃったそうで、へー、いつの間にそんなに寛大になったんでしょうか。だって、要請を受けたら出すんですよ? ハローワークに来ている若者に、「いままで何してたんだ」なんてクソのようなことしか言えなかったようなご仁が。でもそうか、政治資金とかは要請されたら銀座とかに湯水のように支出なさっていましたっけ。あれがあまりにもあれでちょー目立ってしまうのがくやしいのか、これはこれでいつまでもこれのままです。



3月1日(日)「行き過ぎた個人主義」

 記者会見を時間が来たからと原稿のあるところで切り上げ、「何かいけないことなのか」会食へも行かずに、とっとと自宅へお帰りあそばされたのは、日々批判してやまない「行き過ぎた個人主義」ではないのでしょうか。公務員を従える妻を閣議で「私人」と決定したのも、「行き過ぎた個人主義」ではないのでしょうか。そこへいくと、あれですよ、大阪市なんて、市長が沖縄の新基地建設反対派にヘイトスピーチしてきた大阪府警のわんわんたちの労をねぎらうくらいにお情けが深く、早々(!)28日に新型コロナウイルス感染症対策本部を設置し、第1回目の本部会議を開きましたからねー。「何かいけないことなのか。」



3月2日(月)実感主義と政治的反動

 「事実は謝ったところで変わらない」って言う人は、「○○って感じたのは事実です」とか言って、何事かを言ったつもりになってる人とほとんど変わらないですね。どっちも「事実」にとんでもなく重きをおいているんですけど、その「事実」とやらを問うって発想は皆無なんですよ。「事実」って言えば、相手がひれ伏すかのごとくですが、その「事実」は謝らないといけない「事実」なんですよ。「○○なんて感じてしまった」こと、それ自体問わないといけない「事実」なんですよ。結局、実感主義って何の反省もしないってことだし、政治的には反動以外の何ものでもないってことですね。



3月3日(火)R-15

 新型コロナウイルスの影響でカナダでも買い占めがあるのかどうか取材したら、避妊具16箱とココナッツオイルの大瓶を買いだめした男性がいたという記事があって、その記事をリツイートした方が、オイルヌルヌルプレイはコンドームの樹脂を劣化させるからやめておく方がいいと聞いた覚えがあるとお書きになっています。さらにある研究所のサイトへ飛び、「学校では教えてくれない!?絶対にやってはいけないコンドームの使い方」で、その「覚え」を確認され、ヌルヌルプレイにはローションを使用しましょうというアドヴァイスまで。ある種の人にとっては、もう至れり尽くせりかもしれませんが、最後に「コンドームの賞味期限は6年ですって。」って、食べるんすか!



3月4日(水)そのとーり

 アーレントは、『共和国の危機』において、大学には政治的干渉や社会的圧力から保護されるために特別な信頼が寄せられているのに、戦争に関連する研究や政府の指示による研究を行うことによって、大学はその信頼を裏切ったと書いています。面白いのは、このことをめぐる論争で、政府による大学への介入を攻撃する者も擁護する者も、いずれも大学はより広い社会のたんなる鏡にすぎないという「根本的に誤った前提に立っている」と、アーレントがこき下ろしていることです。最後にシカゴ大学学長の言葉を引いています。「社会はその社会にふさわしい類の教育を成し遂げるだろうとしばしば言われる。もしそうなら、天よわれわれを助けたまえ。」「産学共同」を「社学連携」と言い換えたやつに教えてやりたい。



3月5日(木)「巨匠」かもしれんが臣民

 「悪いやつをやっつければこの世はよくなるという考え方、あれはもうやめようと思っている。そうじゃなくて、こうなったのはみんなのせい。みんなで一緒にやっちゃったんだというふうに思わないと、なにも道は生み出せないと思う。」とかって、ある「巨匠」が言ってるようです。ひょっとしたら、この「巨匠」を貶めようとして、デマがまき散らされているだけなのかもしれないので、この「巨匠」が言ってると断言はできません。だから、だれが言ってるかは問題にしないとして、こういうのは、要するに一億総懺悔の発想であり、「悪いやつ」は象徴となってのうのうと生き続け、その子ども、その孫まで、見事に象徴を受け継ぐということは、言っておきたいところです。言うまでもなく、それは不正です。



3月6日(金)いくらなんでも

 公職選挙法に違反している疑いのあるあれが、独断で一斉休校をやらかし、さらに差別意識丸出しで大韓民国と中華人民共和国からの入国制限を強化しました。恐ろしいのは、マスクやトイレットペーパーが不足していることなんかじゃなくて、こんな愚行によって支持率が上昇してしまうことです。まさかそんなことはないだろうと思いたいところですが、しかしとっくに収監されていてもおかしくないのに、いまだに足組んで人の質問を理解しているふりをし続けていられるわけですから、何があったって不思議ではないでしょう。もちろん、そんなことは不正です。



3月7日(土)で、「正解」は?

 アースなんちゃらのハラッサーの話を目にして、てっきり「アース製薬」かと思ってたら、ああ、梅田とかで見たことのあるあれか、と気がつきました。公式なコメントによると、「セクシュアル・ハラスメントの事実は認められませんでした」が、 「セクシュアル・ハラスメントと誤解を受ける行為や従業員との距離のとり方等について、厳重注意を受けました」ので、「このことを真摯に受け止めて反省し、今後適正な業務執行に努める所存」だそうです。それが「誤解を受ける行為」なんだとしたら、悪いのは「誤解」する方です。何も真摯に受け止めて反省する必要なんてありません。言うまでもなく、社長を辞めたりしてはいけませんね。これだと、罪のないところに罰が与えられていることになってしまいます。ひょっとして、あれかな、「セクシュアル・ハラスメント」なんて「誤解」であって、もっと明確に「レイプ」と認めてくれ、ってことですかね。



3月8日(日)感動ポルノ

 例によって脳みそが80年代のまま固まっているコピー屋みたいなのが、あるクソ映画を観て「約2時間ぼくは泣きっぱなしだった」とかお気持ちを垂れ流しています。こういうとき、「感じる」系の人たちは、「感じたのは事実」ってことで、このどうしようもないクソコメントを不問に付してしまう時点で、やっぱ「感じる」系はクソだとわかりますね。この感動ポルノは、この人たちのおかげでいまの自分たちがあるという謎の因果法則を発見してしまう点も含めて、まったく特攻賛美と変わるところがないですね。いのちを捧げることに感動してしまうことは、いのちを捧げさせるやつらの延命を積極的に支えているわけで、控えめに言っても殺人の共犯です。少しはものを考えてください。



3月9日(月)なんちゃら太郎

 浪速大学文学研究科出身の差別主義者であれのエクストリーム擁護太郎とかいう人が(「浪速大学文学研究科出身の差別主義者」じゃあ、数が多すぎてだれだかわからないか、と思って、「あれのエクストリーム擁護」も付け加えたんだけど、ほとんど数は減らない)、これまであれはいろんなことをしてきたそうで(たしかに!)、これ以上何をしろと言うんだとお尋ねになっています。簡単です。とっとと罪状を認めて収監されてくれればいいです。それ以上何を要求しろと言うんだ?



3月10日(火)ゲートウェイ

 「高輪ゲートウェイ駅」ってなんじゃらほいと思いきや、フランクフルトの空港からメイン・ステーションへ行くまでの間、厳密には空港からサッカー場の最寄り駅へ行くまでの間に、「ゲートウェイ・ガーデンズ」という、完全に英語名の駅ができていました。知らないところで「ゲートウェイ」って流行ってるんですか。その新しい駅、新しいのでまだ薄汚く汚れてはいませんでしたが、しかししっかり、時計は12時を指したままでした。日に2回は「正確な」時刻を指し示すかもしれませんが、しかしいつ「正確」なのかは、時計をみないとわかりません。ぐはは。



3月11日(水)笑いごとではない

 ジェンダー平等に関して問われたナチスに見習え財務大臣が天照大神をもち出してヌッポソの場合はこれが一番偉い神様だから女系家族の長い伝統があるとほざきました。答弁の後、質問した議員は「大変勉強になりました」と皮肉を言って答弁したやつに対する嘲笑が広がったわけですが、いやいや、これ笑い事じゃなくて、真面目に言ったにせよ、なんちゃら節のひとつでたんなるバカをさらしただけだったにせよ、こんな答弁をやらかすやつはただちに罷免でしょ。もちろん、アホ発言するやつをバカにして笑うのはいいけど、それだけじゃなくて、国会議員の質問に対して自己の奉じるフィクションを垂れ流して答えとするようなやつは、閣僚としての責任とか議員としての責任とかを問われてしかるべきなんですよ。とっとと辞めさせてください。



3月12日(木)堂々コクる

 自由民主党の幹事長は、規定の報酬で選挙の運動員を集めるのは難しいと記者会見で言ったのですが、これを聞いて、その場にいた記者はだれも突っ込まなかったのでしょうか。みずから、自由民主党は公職選挙法に違反していますと、堂々告白しているのですよ。ひょっとしてあれですか、××が桜見ながら堂々と公職選挙法に違反しているんだから、それは自明である、問題は、そのことを認めるかどうかである、いや、認めたとしても、認めると認めるは異なる、とか延々言い続けて、結局不正がまかり通るのだから、幹事長の記者会見くらいでぐだぐだ言っても仕方ない、ってことですか。そうですか。



3月13日(金)それって必定じゃんか

 「民族の祭典」の採火式会場に旭日旗男が現れて立ち入りを拒否されたそうですが、しかしあれって、「国威発揚の場」であり「民族の祭典」ですよ。しかも聖火リレーとやらがベルリンのときから、もちろん明確な目的をもって始まったことを考えれば、旭日旗男が現れるのは必定じゃないかと思うのですが、おかしいでしょうか。言うまでもなく、これはシニシズムじゃありません。ポストモダン系のシニシズムだと、あんなもん、しょせんはそういうもんだろ、と冷笑しつつ、都合よくスポーツだけをとりだしたつもりになって「××はすばらしい」などと批評して見せることでしょう。私は、あんなものが地上から永遠になくなってしまえばいいと考えています。冷笑の余地などまったくありません。



3月14日(土)なんちゃらクレイン

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』朝日新聞出版、2014年、83頁)と、何らの根拠も示すことができないまま「実証」したつもりになっている(実のところ、その「つもり」もないでしょう。なぜなら誤魔化していることは本人が知っているのですから)ファンタジー作家の著作を紙媒体にするだけでは飽き足らず、 e-book にもしてしまった出版社が、批判にに対して、「刊行物の宣伝を汚い言葉を使って妨害」とか「失礼な言葉を使い続けるのやめてくれる? 目にするだけで気持ち悪くなるんだよ。」とか返答してます。こんなお気持ちを表明する前に、ことごとく「実証」がつぶされていることに反論したらどうでしょう。できないのはわかってるけど。



3月15日(日)儲けがすべてではないですよ

 批判に対して「汚い言葉」だの「失礼な言葉」だの言って、「証言集から都合よく切り貼りしたものに日本人男作家のフィクションでコラージュして、戦時性奴隷被害者をトコトン侮辱した」当該ファンタジー作家をもち上げるのなら、せめて「証言集から都合よく切り貼りした」わけじゃないことを、証明して見せたらどうでしょうか。もちろんそんなことはできないわけですが、なぜなら当該ファンタジー作家は「証言集から都合よく切り貼りした」からですが、その作家のことを「小社の大切な著者」と言う出版社は、要するに、被害者の名誉棄損に堂々と加担するところだという理解で間違いないですね。ひょっとして、儲かるんですかね。



3月16日(月)隠しきれないメンタリティ

 「結局は中国の隠蔽体質が、世界をパンデミックに陥れたという事。」とツイートされている方がいらっしゃって、ただちに「結局は維新の隠蔽体質が、大阪をパンデミックに陥れたという事。」と言い返されています。しかし、あれですよね、差別主義のメンタリティを「隠蔽」などしないから、わざわざ沖縄まで行って基地建設に反対する人々に差別語を吐いたわんわんたちの労を「ご苦労様でした」ってねぎらったんですよね。差別主義のメンタリティを隠したりしないぞ、正直だぞ、誠実に差別するぞ、ってことですよね。でもねー、正直なら何でもいいってわけじゃないんですよ、元知事の現市長。田中康夫、ちゃんと責任取れよ。



3月17日(火)選別するな

 奪ってもよい生命の選別をして19人の障がい者を殺した人物が正義に反したことを行ったことはもちろん自明です。障がい者の真似をして笑いを取る芸人のパフォーマンスを見て、「これは芸です」と言ってのけるバカ倫理学者がいるとしても、それはそいつがバカだってだけの話で、件の自明性が揺らぐことはありません。しかし、だからといって、その人物を国家が殺してよいわけがありません。そんなことをすれば、そこではやはり奪ってもよい生命の選別が国家によって行われていることになるからです。「更生の余地」があろうとなかろうと、そんなことも関係ありませんが、それにしても裁判長には人の未来が見えるのでしょうか。よくまあ臆面もなく、「更生の余地はない」などと断定できるものです。ひょっとして未来から来たのかよ。



3月18日(水)ネーション主義

 イタリアではテレビで国歌が盛んに流れ、イタリア人6,000万の連帯が叫ばれ始めていると嘆かれているイタリア在住の方がいらっしゃいます。まさにネーション主義です。こういうのは健全なネーション主義だとか言う自称リベラルがたくさんいそうですが、じゃあ、イタリア人がイタリア人であるというただそれだけの理由で、なぜ他のイタリア人と連帯できるのか、その根拠を教えてください。そしてイタリア人がイタリア人であるというただそれだけの理由で他のイタリア人と連帯するとき、同時にイタリア人ならざる人を生み出し、連帯できない人を生み出すわけですが(もしこういう人を生み出さないと言うのであれば、イタリア人はイタリア人というただそれだけの理由によって他のイタリア人と連帯できるってわけじゃない、ってことになります)、それのどこが「健全」なんでしょうか。



3月19日(木)差別の横行

 「朝鮮学校だからという線引きなど考えもしなかった。困っている保護者の負担軽減という目的に照らせば、子どもを預かっている施設であれば対象にするのは当然だ」というのは、朝鮮学校にもおにぎりを無償で配った川崎のローソンの担当者の言葉です。まったく当たり前のことをおっしゃっているだけなのに、非常にすばらしく響いてしまうのは、それほどこの共同体には差別が横行しているということでしょう。同じ関東のなんちゃら市では、「不適切に使用されるかもしれない」という理由で、当初朝鮮学校幼稚部にマスクの配布をしませんでしたよね。そしてこのやり方を批判するやつが、「子どもには罪はない」って、勝手にボケてみせてましたが、全然面白くないんだよ。



3月20日(金)『エターナル』

 やはりなんといっても証券会社なんてクソ以外のなにものでもないし、そもそも資本主義はろくでもない、という映画です。それから、下心がみえみえのクリスがうっとうしい。観終わってから、予告編を観ましたが、あの予告編じゃあ、どんな話なのかまったくわかりません。ともかく、やっぱ電話はよくない。知ってましたが。



3月21日(土)田中康夫案件

 行政府の長が(自称「立法の長」でもありますが、議事録からは削除させました)「その中において」の人で、妻はスーパー私人で、得意なのは「予定がある」と言って台本通りの記者会見を終えてとっとと自宅へ戻ることなんですが、大阪府の前首長は「隠蔽」がお嫌いな人で、だからヘイトスピーチした「正直者」の労をねぎらってやるくらいで、得意なのは誤読、大阪市の前首長も、「隠蔽」がお嫌いなのか、わざわざご自分がどの文章を誤読したのか赤ペンで示してくれる親切な人です。この人たちの誤読を、「わざとだ」と言うのは、陰謀史観というやつで、この人たちはたんに実力通りに誤読したんですよ。そして謝罪したら死ぬ病のせいで、一切謝罪しないどころか、居直っています。もう、ヌッポソの大阪府の大阪市で生活している人たちっていうのは、ドМに違いありません。田中康夫、責任とれよ。



3月22日(日)バカ丸出し

 メルケルのテレビ演説が絶賛されていて、あれとは大違いだと言われています。歴史を修正しようものなら政治家生命を絶たれるどころか罪を問われ収監される法体系の中で生きている人と、歴史修正なんて朝飯前、「募る」と「募集する」は違うだの、森羅万象を担当しているだの、偽の発言を繰り返し、答弁に困ったら「その中において」を連発するような人を、比べるだけでも失礼ぶっこきすぎですよ。しかし、翻訳されたメルケルの演説を読み、「ドイツの母のようなことば」だとか、「『母のようなことば』を使うと共感度はより高い」だとか、「誰もが親しみをもつ『母の想い』だ」とか、全力でメルケルをディスる本質主義者のクソツイートを目にしてしまい、きっとこういうのが「家庭内野党」とかを絶賛するんだろうなと思いました。バカ丸出し。



3月23日(月)まるでダメ

 上のように、母について本質主義的な言説をはくと同時に「共感」に言及することは、まったく偶然ではありません。母に女性を代表させその本質的特徴として感情を配当し、父に男性を代表させその本質的特徴として理性を配当するというのは、フェミニズムが長く批判してきたイデオロギーです。特殊とかかわる「共感」に低い地位を与え、普遍とかかわる理性に高い地位を与えることを批判したくらいでフェミニズムだと思っている人もいるようですが、問題とすべきなのは、「共感」を女性に配当し理性を男性に配当していることです。これを叩かない人は、近代を超克すると息巻いて「特殊」を語ったつもりになっていた人たちと同様なので、要するに臣民主義者でもあります。きっと進んで元号を使用することでしょう。



3月24日(火)はいはい、違いますねー

 「民主党政権は悪夢だった」とは言ったことがあるけれども、「悪夢の民主党」なんて言ったことはない、「正確な質疑をしたほうがいい」ですか。さすがです。たしかに「民主党政権は悪夢だった」を「正確」に言うなら、「民主党政権は悪夢だった」ですもんね。さすがです。「民主党政権は悪夢だった」と「悪夢の民主党」は、「募っている」と「募集する」くらい、まったく異なっていますよね。さすがです。ところで、「民主党政権は悪夢だった」って、言ったんですよね。ええ、「民主党政権は悪夢だった」と「悪夢の民主党」はまったく異なっていて、質疑に持ち出すには「正確」じゃないとか、うんこたれ小学生ですら言わないようなことを認めてあげたとしても、「民主党政権は悪夢だった」って、言ったんですよね。ったく、なんなんだこのうんこたれ小学生ですら言わないようなことを国会で言ってのけるやつは。



3月25日(水)クズ

 これってネタですよねって、冷笑系じゃないはずのやつが、ついぽろっと冷笑主義を吐露してしまう「冷笑系ほいほい」みたいな、ある大学の卒業生総代答辞が実名入りでネットにアップされています。答辞を述べるにあたり、定型文をほだほだ連ねるのは「思考停止」であるといい、どんな立派なことをおっしゃるのかと言えば、私は自分に感謝すると。なぜなら、私は卒業論文の最優秀賞などといった素晴らしい学績を獲得したからだそうです。そしてこんな優れた私だからこそ、大学批判といった「おかしい」ことを口にする権利もあったのだそうで、大した仕事もせずに自分の権利ばかりを主張する人間とは違うのだと。あれ、まだ「思考停止」してますか? こんな凡庸な能力主義を臆面もなく披歴して、まさか「思考停止」してないなんてことはないでしょうね、素晴らしい学績を獲得された方なんですから。これはきっと、「思考停止」を批判するやつがみずから「思考停止」している姿を見せているんだ、という批評は、冷笑主義以外の何物でもないので、こんなクズをネットに公開しちゃいけません、と言っておきます。



3月26日(木)たんなる新自由主義じゃねーか

 上のようなクズを、20代はこれくらいイキってもいいとかなんとかほめそやすうんこたちが結構いるんですが、こんなもん、1980年代から延々と続いている新自由主義以外の何物でもないわけで、別になにもイキってなんていなくて、たんなる現状肯定の保守主義者にすぎません。たしかにこんなやつはこれまたうんこが言うように「大成」するかもしれませんが、それは新自由主義がまだまだ続いて、こいつがそれに何の反省もなく乗っかってるからですよ。こんなのがパンクだロックだって、どんだけ笑わせるんだよって思いましたが、しかし少なくとも「ロック」とかのやつで、あれのお食事会に誘われて尻尾振って喜んで行ったやつがいましたっけね。そういう意味じゃ、このクズは「ロック」かもしれません。



3月27日(金)たんなる差別じゃねーか

 大学のゼミでマイノリティを差別することを通じて自己の差別意識に気づこうという、それ自体差別の実行以外の何物でもないことをやらかしておいて、居直っている人がいるそうです。こんなことをしないと自己の差別意識に気づくことができないと考える時点で、すでに差別主義者なんですよ。そしてこの方、「ポリコレが統制すべきは政治であってアートとアカデミズムではない」ともおっしゃっています。つまり、自分のやらかしたことがコレクトじゃないということはわかっているのです。いまだにニュートラルなアートとアカデミズムがあると思い込めるのって、何なんでしょうか。なんか、ある種の学者を「エセ学者ども」と呼び、「首を洗って待ってなさい」とかおっしゃってるようですが、あれれ、アカデミズムって、恫喝は許されているんですか。それって、ハラスメントって言うんですよ。



3月28日(土)たんなるクソじゃねーか

 阪ちんのエースがカミングアウトして、エースと同じ症状だからと検査を受けて陽性だとわかったという人が出てきました。エースの行為は勇気があるとか言われるのは、まあよいとして、どうしてもこんなところにさえ「男気」とかもってきて評価しようとするのがいるんですけど、それって評価していることにならないし、「男気」なんて、ど真ん中のセクシュアル・ハラスメントですから、ちゃんと講習受けてくださいね。そういえば、このエースにど真ん中投げて来いと恫喝した、カネ稼げなくなる前に大リーグから戻ってきた、デッドボールのサインがあったと言われているクルマの球団の投げるやつが、「男気」あるとかなんとか言われてましたっけ。なるほど、「男気」とは恫喝ができることなんですね。クソじゃん。



3月29日(日)廃止じゃなくって禁止

 いつの間にか、「都市」開催のはずの「民族の祭典」なのに、行政府の長であり森羅万象担当大臣であり妻は公園じゃないところだから花見「もどき」をしちゃった人でありしかし「いわば私人でありますから」「その中において」何をしようとほっといてくれよと言えばいいのにそうは言わなかった人が、G7が開催を賛成してくれていたはずなのにそれを裏切って延期を発表しちゃったんですよね。これじゃあまるで国家的行事であり、国威発揚行事じゃないですか。いやもう、延期じゃなくって中止じゃなくって、廃止だっておっしゃる人もいるのですが、私としては、延期じゃなくって中止じゃなくって、廃止じゃなくって禁止と言いたいですね。こういうことを言うと、「ああ、怖い怖い啓蒙主義」とか怯えて見せる「蒙昧主義者」がいるに違いありませんが、やっちゃいけないことは禁止するんだよ、当たり前だろ。



3月30日(月)ただのバカじゃなく、差別するバカ

 なにより阪ちんが嫌いで嫌いでたまらない日刊ゲンダイきました。“藤浪コロナ”だって。こういう名づけ方が差別以外の何ものでもないって、マスコミの端くれなら、少しは理解したらどうなんだよ。無理なのか。なあ、バカなのか。これじゃあ、ナチスを見習え今まで何してたんだよただの風邪だろ差別主義者となにひとつ変わらないって、わからないのかよ。まあ、わからないんだな。バカなんだな。「阪神の“藤浪コロナ”対応に他球団は怒り心頭」とか見出しつけてるけど、他球団のせいにするんじゃなくって、日刊ゲンダイは社として阪ちんが嫌いなんだと、ちゃんと書けよ。なんでも、阪ちんにコロナ感染者が出たのは「必然」だそうだ。「必然」だったらどうしようもないよな。わかってるか、この差別主義者が。



3月31日(火)マスクいらねーって話っすか

 「『見えない敵』と戦う中で、みんなストレスがたまっている。こういう時こそ芸術の力が大切だ」とか言ってる「劇作家」がいるそうですが(私の知識が少ないせいでしょうけど、この肩書がついてるやつでまともなのっていますか?)、まあ、「敵」とか「戦う」とか、そしてとっておきの「力」とか、勇ましいのがお好きなんですねと言うしかありませんが、結局こういうメンタリティなわけですよ。だれですか、「芸術」はニュートラルだとか寝ぼけたことを言ってた人は。ここにしっかり「芸術」のイデオロギーが垂れ流されているじゃないですか。そして「芸術の力」によって、観客は感染しないと、そういうことですね。そういうメンタリティって、竹やりで米軍機を墜とそうってメンタリティと同じだってわかりますかね。まあ、わからないでしょう。



4月1日(木)どあほ

 こういうメンタリティのやつが、これまで大学では「知」「情」「意」のうち、「知」と「意」しか教えてこなかった、だからこれから「情」を教えるんだとか言うわけです。いいですか、「情」を評価の対象とし、単位認定の対象とするわけですよ。はい、あんたの「情」は23点ね、とか言われるんですよ。まあ、こんなやつから90点とか採点されたら、それはもう生き恥以外の何ものでもないわけですが、「情」を評価の対象にするなんてことが、いかに悪質極まりないかという問題意識など、きっと皆無なんですよ。きっと、「芸術」がわかる人は、「ニュートラル」に判定ができますからね。どあほ。



4月2日(木)もういいって

 「一世帯に布マスク2枚」って、ひょっとして渾身のアイデアだと思ってるんでしょうか。表明したのが、厚労省の大臣でもなく、官房長官でもなく、「まさに」「その中において」「募っていると募集するは違う」「私の妻はいわば私人でありまして」の人だったわけで、この素晴らしいアイデアは私のものであるというメタ・メッセージを伴っているのですよね。もうなんだかすごすぎる。まさにいま、「全力」で取り組んでいるそうなんですが、いやいや、「全力」とか使うのやめた方がいいんだって。むしろ「全力」使うことが批判されているのですから、残るのは退場しかないですよ。もう笑わせるのはやめにしておいてください。「笑いはすべてを超越する」系なら、ひょっとしたら大歓迎してくれるかもしれませんが、私はそれ系をクズ以外の何ものでもないと思っているので、とっととやめてほしいです。



4月3日(金)細部に宿る政治

 日本集中医療医学会の理事長声明というのがネットにあがっていて、新型コロナウイルスに関して、まずはイタリアとドイツの比較を行い、3月31日の時点でイタリアの死亡率が11.7%であるのに対してドイツの死亡率は1.1%であるとし、この違いは主として「集中治療の体制の違いである」と言われています。ICUのベッド数は、ドイツでは人口10万人あたり29〜30床であるのに対し、イタリアは12床だそうです。そして本邦は、「人口10万人あたりのICUのベッド数は5床程度」と続けられます。具体的な数を挙げ、問題点を指摘する記述は、非常に重要なものであると思います。だからいま、それを言うべきではないという意見もあると思います。しかしそれは、私には、いまは天皇制を問題にするときではない、まずは内閣総理大臣をなんとかしないといけない、という意見と同一に聞こえます。この声明の結論部分を引用します。「マンパワーのリソースが大きな問題であることは明白です。」政治は細部に宿ります。



4月4日(土)盗むやつが悪いんですよ

 遠隔授業をしないといけないので、zoom を使おうってことになり、にわか講習会を受け、さあ使うか、って状況になったら、zoom の脆弱性がどうこうって話になり、でもしょうがないから使うわけですが、そこで「悪意がある」人から情報を盗まれ、いろんなことをばらまかれたりしたら、技術的なことのわかっていないバカ文系が使うからだと叩かれるのでしょう。ホムペとかから、こいつ「反日」だぞ、とかも言われるでしょう。あんなことやこんなこともばらされてしまうのでしょう。しかし言っておきます。たしかにあんなことやこんなことは恥ずべきことかもしれませんが、しかし不正を行っているのはばらす側です。「悪意がある」人、って言い方も気に入らないです。情報を盗むやつに「悪意がある」のであって、「悪意がある」から盗むんじゃない。恥ずべきことは行っているかもしれませんが、こんな意識哲学などというとっくに克服された思想はもち合わせておりませんので、そこんとこ、よろしくお願いします。



4月5日(日)バカで差別主義者

 まあこんなやつが何言おうとどうでもいいと言えばどうでもいいけれど、やはりこんなやつがインテリの代表とされてしまうのでは、ハーバーマスも後20年くらいは生きないといけないと考えるのではないでしょうか。なんとかっていうドイツの哲学者と紹介されるやつが、パンデミーは平等だとかなんとか、語源を元に論じるという凡庸な駄文を垂れ流し、なにか言ったつもりになっているのですよ。この人って、ハイデガーに0点つけたこと以外に、何か業績ってあるんすかね。それだって近親憎悪に過ぎないわけでしょ。スローターダイクに言及している時点でお察しなんですが、「私の友人のニューヨーカーが『科学を信仰する北朝鮮』と的確に表現した例外状態」なんて言うわけです。そいつの友人がボケなのは言うまでもありませんが、「的確に」と言ってるそいつもボケです。どーせ、原語は Nordkorea でしょう。どうやら「全体主義」を表現したいようですが、だったらあんたの祖国は世界に冠たる全体主義国家だったじゃないか。それを出せよ。こんなところにわき出てしまうイデオロギー性なんて反省しないよね、なんせ実在論者だから。



4月6日(月)なあ、どこで爆笑すんのよ?

 まあ、そのどこで爆笑するのかさっぱりわからないのが最大の問題であるクソお笑い芸人と言うか笑われ芸人と言うか、嘲笑われ芸人と言うか、もうなんでもいいですけど、ともかくそいつが森羅万象担当大臣はよくやっているとどっこいしょしたところで、何の不思議もありません。ずーーーっとそういうやつですよ。なんとかって差別主義者が府知事だか市長だかしてたときに(やつらにとっては、どっちでも同じなんだろ、なあ、田中康夫?)、わざわざ大阪にふるさと納税したクズなんですから。強い者大好き、権威大好きってメンタリティなんですよ。なあ、ところでどこで爆笑するのよ?



4月7日(火)なにが「お久しぶりです。」だっ

 あらら、この状況で、donald-duck2から、「久しぶりにお食事でも御一緒できればと思っているのですが、来週はお忙しいですか?」ってお誘いのメールが届きましたよ。ひょっとして、Go to eat の人なんでしょうか。いやしかし、件名は「お久しぶりです。」だから、どうやら知人とかの類のようですが、はて、私の知人に Go to eat にへこへこ従うようなバカはいましたっけ。おまけに、このアカウント名。それって、共産主義者を密告してパージし「夢の国」を作ったやつの創作物じゃなかったでしたっけ。かりに来週が暇だとしても、おまえのようなアヒルと食事に行くわけがなかろうが。ボケが。



4月8日(水)「私費」から「ご寄付」だとよ

 いまだに処刑もされずに女王なんぞが君臨するなんちゃらというところで、そのいまだに処刑されていない女王がなにやらアピールをしたとドイツのニュースで言ってましたが、見出しでは、アピールの対象が Nation と表記されていて、なるほど処刑もされずにのうのうと女王が生き続ける体制は、やっぱりネーション主義なんだとよくわかりました。ということは、三権の長を従えるやつも、頃合いを見計らって、「お言葉」を発するんでしょうね、いずれ。そうすると、ありがたや〜、ありがたや〜、ってのがぞろぞろ出てくるというわけですか。これぞ「健全な」ネーション主義以外の何ものでもない。



4月9日(木)うんこたれ小学生以下

 「すべての責任は私にある」けど、「責任がある」と「責任を取る」は異なるから、「すべての責任は私にある」と言っても、「すべての責任を私が取る」は意味しない、という論法からの進化です。「どのように責任を取るのですか?」という質問に対して、「私には責任はあるが、それは<責任を取る>と同義ではない」と答えるのではなく、「責任を取ればよいというものではない」と垂れ流したのです。なるほど。これなら、「責任がある」と「責任を取る」は同義ですよ、と指摘されても、「<募っている>と<募集する>は異なる」などと、うんこたれ小学生ですら言わない呆言をしなくてもすむ、というわけですね。もちろん、森羅万象担当大臣が責任を取ったところで、新型コロナウイルスが死に絶えてくれるわけじゃありません。しかしだれもそんなことは要求していません。「どのように責任を取るのですか?」と訊かれているのだから、どのように責任を取るのか、答えろよ、ボケが。



4月10日(金)滅べ

 フランスのバカ医者たちが、新型コロナウイルスのワクチン開発のための治験をアフリカで実施するよう提案したそうで、こいつらやっぱり何もわかっちゃいないことがよくわかりました。ええ、もちろん国家ぐるみで歴史修正主義と差別主義を実施するようなところに政治的に帰属する者がえらそうなことを言うな、ということはあります。天唾を承知の上で言えば、G7だのなんだのは、過去の植民地主義をまったく清算していないということが明々白々です。だからこそ、アフリカで人体実験しようなんてことを堂々と提案できるわけです。実に胸糞悪い。こいつらには表向きの「正義」すらない。滅んでしまえ。



4月11日(土)もっと長くてもいいっす

 「吉村寝ろ」って、あれでしょ、「吉村寝ろ、150年くらい」の略ですよね。あと150年くらい寝とけよ、ってことですよね。よくわかります。聞くところによると、そいつの前に知事だった、基地建設反対派に差別語垂れ流してきたバカ警官どもの労をねぎらった、共産党書記長に「共産党ウォッチャー」と呼ばれてしまった、あれは、緊急事態宣言下の今週でさえ、計10時間も働かずに月収100万円以上だそうですが、自分みたいな者が働いたらろくなことはないってことを自覚する程度には物事がわかってるっていうのと同じ理屈ですよね。そこまでわかってるなら、あと一歩。もうとっとと辞めるか「松井寝ろ(略)」ですね。



4月12日(日)食わなきゃいいんだよね、はいはい

 だれの顔色をうかがってるのか知りませんが(ほんとは知ってます)、4月9日から、予定通りに授業が行われているような大学があるそうです。その大学では、3月末の通達で、教職員は食堂の利用を自粛するように言われました。生協は、組合員の権利が侵害されているのに黙ってるのかよ、と思いましたが、さすがにダイエットに耐えられない声が大きかったのか、「混雑する時間帯には」という条件がつけられ、要請が修正されました。具体的には、12時〜13時を避けて利用しないといけないので、13時以降に利用しようとしたら…。なんと、金曜は営業していませんでした。だから生協じゃない食堂へ向かったら、営業は13時まででした。ぐは〜。ところでその大学、ホムペのニュースに、「両親のハグによって乳児がリラックスすることを実証」などと、イデオロギーを全開していました。ひょっとして、実証主義の中立性なんてものを信じている、頭の中は桜満開の人がまだ生息しているんでしょうか。



4月13日(月)ルサンチマンと言うやつはうんこ

 私邸(そういえば、「予定がある」と記者会見を切り上げて戻った先でしたね)でくつろぐ優雅な姿をアップする愚かさにムカつきを覚えるかどうかで、半分でしょうか。その残りの半分のうち、さらに、「一人一人の自覚が必要なのですね」とほざく「象徴」にムカつくのは16パーセントですか…(臣民内田、臣民高橋、臣民池澤はここで脱落)。これを希望と捉えるべきか、絶望と捉えるべきか。まあ、少なくとも、臣民内田、臣民高橋、臣民池澤と同じ道を選んでいない点では、希望かもしれません。ちなみに、あれも「象徴」も、おまえらはどんなにあがいたって、こんな生活はできないんだよ、ってメッセージを発しているのであって、けっしてうっかり方向を間違えたわけでもなければ、想像力が欠如しているわけでもないですよ。



4月14日(火)ファンタジーが過ぎる

 「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」「わが国の支援は世界で最も手厚い」



4月15日(水)巻き込まれたんですねー、ってか

 そのシンガーソングライター(なんて言葉がまだ使われているのでしたか)だか俳優だかのことはほとんど知らず、そもそも「星野」と言えば、北小の同級生だった星野さんと勘太郎くらいしか思い浮かばないのですが、またしても、というか、いつものように、巻き込まれた系の言説がまき散らされているようですね。政治なんて無関係なのに、音楽を巻き込まないでくれ、ってやつです。「左でも右でもない」「ニュートラルな」音楽活動を政治に利用するな、ってやつです。ところで、このなんとかさんの試みには、水曜がどうしたこうしたのやつが乗っかったそうですね。そうです、あの水曜がどうしたこうしたのやつです。お友だちなんですね。あらあらなんて奇遇なんでしょう、この水曜がどうしたこうしたのやつって、優雅に犬とたわむれるあれから、お食事に呼ばれて、のこのこ出かけて行ってゴチになってましたよね。お友だちなんですね。



4月16日(木)ネタ以外のなんだ?

 教員の話をオンラインで1時間も聞き続けるのは大変だってことを、教員の立場からは気づきにくいんじゃないかとかってツイートを見かけましたが、悪いけど、そんなことはオンライン授業のにわか講習会の時点で、とっくに話題に上ってましたよ。だからって、その対策がとられているかどうかはまた別の問題ですけどね。ともかく、そのツイートによれば、「自分が学生の立場だったら、よっぽど心酔している人の話でも、1時間もパソコン前で聴ける気がしない」そうですが、「私は大好きな鶴見俊輔DVDですら」「通しで見るのしんどい」って続いてて、やっとネタだとわかりました。ところでそのDVDでは、特攻隊員にとって日本軍「慰安婦」は、母親のような存在であったって、そいつちゃんと言ってますかね。



4月17日(金)「ただの風邪」なのに

 どっかのぼんくら自称哲学者がパンデミーは平等だとかなんとかほざいていたことを前に書いたような気もしますが、いったいどういう世界に住んでいるのでしょうか。きっと「実在」が見えてしまう、特殊な能力をおもちの方なんでしょうけど、ちゃんと現実も見てほしいものですよ。同じニューヨークでも、ブロンクスは感染者も死者も多く、マンハッタンは感染者も死者も少ない。金持ちは外へ出ることなく働けるが、金持ちじゃない人は外で働かざるを得ない、ということが、そのぼんくら哲学者の住む国のテレビで報告されていました。「人はいつか死ぬ」と言ってのけた大統領のいるブラジルでも、同様の状況だそうです。そう言えば、「ただの風邪」とか言った政治家もいましたね。「ただの風邪」なのに、マスク2枚も支給してくださるそうですね。和牛券とかお魚券とか、くれるんですか、「ただの風邪」なのに。えええー、10万円支給ですかぁ。「ただの風邪」なのに。どあほ。



4月18日(土)それがどーしたんだよ?

 どっかのバカが466億円もかけて1世帯に布マスク2枚を支給することにして得意げになっていることをある新聞社に批判されたところ、「御社も3300円で販売している」と答えて、なにか言った気になってますますバカをさらしている状況があるというのに、それをこれまた得意げに、別の新聞社が、言い返されてやがんのとばかりに記事にしていて、もうとっとと廃業するか、滅んでしまえよとしか思わないです。東京新聞の労組は、このバカのバカさかげんがどこにあるのかを指摘して、あたりまえですが批判しています。こんなあたりまえのこともできない毎日新聞は、とっとと廃業するか、滅ぶか、どっちかを選んでください。



4月19日(日)モラルを説くバカ

 ほとんど人権侵害じゃないかというほどに阪ちんのエースを貶めてやまないクソ日刊ゲンダイデジタル版ですが(あれあれ、名前に「クソ」が含まれてるんですね、珍しい)、COVID-19感染者のモラルを問い始めましたよ。まあ、どーせそういうメンタリティだとはわかってましたけどね。公共圏においてモラルを云々するやつらは、むかしっから保守反動って決まってるんですよ、マスコミの端くれならそれくらいのことはわきまえろって。こんな前近代のやつらに貶められてもへでもありませんが、だからといって、メディアを用いて人権侵害を行ってもよいということにはならないことくらい、いくらなんでもわかりますかね。むりか。売れりゃいいってメンタリティなら、毎日新聞と一緒に廃業するか、滅びるか、どっちかしかない。



4月20日(月)まだ息してたんだ

 まだ息してたんだぺろぐりが、ラジオか何かで優雅に犬と戯れるあれのことを「××のルイ16世」(「××」は、差別の象徴である漢字2字)とか言ったと記事になっていました。もう、「××」なんて使う時点で、イデオロギー全開ですが、要するに、あんなふうに優雅に暮らしていてもよいのは、内閣総理大臣ではなく、三権の長を足下におき、「お言葉」を垂れ流す者だけだ、ってことですよね。相変わらずクソですね。そもそも田中康夫が公共圏に出没してもよいのは、大阪クソの会から立候補したことを総括してからですよ。それをしない間は、ぺろぐりでも書き、柄谷のことを「よほどのバカか偽善者」と言ったポストモダンの旗手と呆談しとけよ、ただしこっそりな。公共圏には出てくるな。うましか。



4月21日(火)カッパ祭り

 どっかの差別主義者が営業している店を密告せよとテレビで言ったら、せっせと500件もチクる人たちがいて、どっかの差別主義者が3日連続でお休みになった翌日に「雨合羽」と言ったら、市役所ロビーでカッパ祭りが開催されてしまうというディストピアをご存知でしょうか。ええ、なにかと言えば公務員を叩けばすむと、さんざん医療体制をぶちこわしてきて「有事のこと」は考えてこなかった的なことを言いつつ、自分はこっそりPCR検査を受けてたクソが知事とか市長とかを務めていたディストピアです。当たり前だけど、「病院」っていうのは、いつでもすでに「有事」の場所なんですよ。そんなこともわからずにひたすら統廃合を繰り返していた過去を振り返ったら、フツーは恥辱のあまり崩れ落ちるぞ。



4月22日(水)だれがもっとも俗情に訴えるかコンテスト

 所属議員から給付金をぶんどって「党として寄付」って、この人ほんと大丈夫なんですかって、大丈夫なわけねーのはもうずーーーっと前から知ってます。公務員は受取禁止をルール化しろ、とか、要請に反して営業してる店を密告せよ、とか、これら田中康夫案件人士たちは、だれが一番俗情に訴えてるでしょうコンテストをいつまでたっても止めない、っていうか、まあそれのみが生命線なので、やめられないわけですね。ゴーゴーイチローよ、公職選挙法って知ってるか? ひょっとしてあれか、「状況が厳しい人」はおれだから、おれがおれに金を出すっていう、共産党書記長に党首討論会で暴露されたフツーなら恥ずかしくって二度と公衆の面前には出てこらんない、あの技を使うのか。



4月23日(木)本日の雨合羽うましかくん

共産党書記長から「共産党ウォッチャー」と嫌味を言われてしまった、新基地建設反対派に差別語をまき散らしてきた大阪府警のごろつきどもに「ご苦労様」と労をねぎらった、「党として寄付」すると公職選挙法に違反するぞと堂々と宣言した、雨合羽うましかくんの本日のバカ発言は、「女性は買い物に時間がかかる」でした。みなさ〜ん、女性は買い物に時間がかかるそうですよ〜。女性って、少なくともこの検査数が少ないから感染者数も死者数も少ないというゼンジ―北京並みにタネを丸見せのマジック共同体においては、法的な概念ですが、すると出生後すぐに、こいつは買い物に時間がかかるって、わかっちゃうんですねー。すげ。このうましかくん、あまりのバカさ加減を指摘されて、「うちの場合は」などと言い訳したそうですが、おまえんちのクソ話なんかきいてねーって。



4月24日(金)なにが「やわらかなフェミニズム」だよっ

 まあもともとその人のことはほとんど信用してなかったし、昨年、久しぶりにのぞきに行った学会でも、帰りの電車の時間があるから先にしゃべらせろみたいなことを言って戦術の話しかしないし、ああいうのをそのまま「仕方ない」ってずっとのさばらせてるからダメなんだよなと思わせてくれたやつが、フェミニストカウンセリングに関する本を書評していて、やっぱうんこだと再確認しましたよ。前置きのように、「闘うフェミニズムは実に大きな成果を生んだし、今後も貴重な存在であり続けるだろう」と言って、さあくるよ、と思った通り、「だが同時に、理論ではとらえきれていない女性たちの多様な現実を一つひとつ畳み込み、織り上げていくやわらかなフェミニズムの無数の小さな輝きに大いに着目していくべきだろう」だってさ。声高に正義を叫ぶんじゃなくって、やわらかに、ってことでしょ。「フェミニズムに疎い筆者であるが」って書きゃなんでも許されると思うなよ。せめて黙っとけよ。(『救援』第611号、2020年3月10日)



4月25日(土)3ヶ月先を見据えたカッパ祭り

 3ヶ月先を見据えた政策を行う雨合羽うましかくんですが、雨合羽に大号令をかけて大阪市役所でカッパ祭りを開催しているのは、やっぱあれですよね、7月中〜下旬を見据えてのことですよね。たしかに、梅雨は終わっているかもしれないくらいの絶妙のタイミングで、雨合羽は「不要」になっていると、そういうことですよね。さすがです。でもそれだとその前にある梅雨とか、どうすればいいんでしょうか。あっ、外出自粛の要請ってやつですかね。「自粛」してない店があったら、密告させて公表ですかね。あっ、それは「××、寝ろ。150年くらい」の人の職分でしたか。ところで、3ヵ月先を見据えるのはいいけど、党首討論会で共産党を批判したつもりになって鼻を膨らませていた数分後に、自分の政党の議員が領収書の支払者でありかつ受取者であることを指摘されてぐうの音も出なくなってるところ、うましかが過ぎますよ。



4月26日(日)何の不思議もない

 ほらほら、ある地方都市の性差別を生きる人たちが「一針一針気持ち込め」てマスクを作り、共産党撲滅協会会長が同時に市長も務める当該地方都市に寄付しましたよ。組合長(へー、組合があるんだ。きっと足抜けできないための組織なんでしょう)は、「千羽鶴を折るような気持ちで一針一針、気持ちを込めて作りました。元気になってもらえれば」だそうです。いいですか、この人たちはけっして被害者なんかじゃないですよ。むしろ加害者です。なにもしない行政に「気持ち込め」て加担しているんです。普段から、金持った権力者に寄生して生きているように、しっかりお気持ち奉仕しているんです。「お気持ち」に「お気持ち」で返すとすると、すっげぇ気持ちわりぃ。



4月27日(月)せっかくの記念日が台無しだ

 「こうした中でも、ウイルスとの戦いの最前線である医療現場に、一つでも多くの医療防護具を届けるため、政府の総力を結集してください。」って、まあ「こうした中」とか「戦い」とか「最前線」とか使ってる点で、書き手がだれだかわかるかもしれませんが、しかし最後のところを読んで、「おや?」と思わないでしょうか。「政府」にお願いしているのだから、政府関係者ではないだろうと思いきや、それではまだまだあまかったって話です。そしてこの方、COVID-19対応について、「すべての責任は首相である私にある」っておっしゃったそうですね。でも「責任をとればいいというものではない」んですよね? すべての責任は私にあるが責任をとればいいというものではないから責任はとらない、ってことになると、すべての責任を負う人が責任をとらないんだから、だれも責任をとらない、ってことですか。まるで皇国日本みたいですね。



4月28日(火)ネーション主義者たち

 「自粛」だから「自由」であり、「自由」だから自己責任な、自己責任だから補償はないよ、ってことだから、店を開いていたら、あろうことか行政から自由を行使した者として名前をさらされ、それを受けて善良な市民たちが抗議の電話を入れ、休業に追い込まれるという、これって見事に関東大震災時の大虐殺と同じだし、「水晶の夜」と同じですよ。まだ息してた田中康夫よ、息してる間に、自分が何に乗ったのか、ちゃんと見ておけよ。たしかそのやり方を「ナチズム」と批判されたときに、自分はむしろムッソリーニのようにデブだから、せめて「ファシズム」と言え、とかほざいていたよな。でも「水晶の夜」と同じことをやらかしてるわけだから、あなたが信奉しているのは「ナチズム」であり「ファシズム」であり、そして皇国主義だよ。



4月29日(水)侵略戦争最高責任者の日

 ちょっと前には、バンダナのピカとかイーブイとかが出ていましたが、この頃はサンダースやブースターとは異なるイーブイの進化系が出てきたり、イーブイやニャースのいろちが出てきたりして、任天堂って、ひょっとして不要不急がどうしたこうした「自粛」の「要請」を批判しているのでしょうか。もう吉村にチクらないといけないくらいかもしれませんね。そしたら吉村、「任天堂」って名前を公表するんでしょうか。そんなことより、「平熱パニックおじさん」とかクソ面白くもないことを言って、自分がなぜPCR検査を受けることができたのかは明らかにしようとせず、またそんなクソ面白くもないことを言ってるのにお追従を止めずに笑って見せるクソ芸人たちの氏名を公表してくださいよ、自分がなぜPCR検査を受けることができたのかを明らかにしようとしない差別主義者とそれにへらへら媚びるクソ芸人たちは、この人たちですって。



4月30日(木)「不快な思いを」させたクソ芸人

 そのクソ芸人、三平師匠とは違って、笑うところを手で合図してくれるという親切心がなかったので(もっとも、その合図で出る笑いは「失笑」って名称でしたが)、どこで笑えばいいのかさっぱりわからず、ラジオなんて、いつかどこかで食事をしたときに流れていて、延々垂れ流されるクソ話を聞かされ「これは前衛芸術か」と疑うほどでしたが、さすが吉本の芸人だけあって、ミソジニーはちゃんと身につけていました。これ、基本ですからね、吉本のクソ芸人の。そして差別発言に対する「謝罪」として、「不快な思いを」どうたらこうたら。差別発言は、「不快な思い」をする側が悪いってことですね。そんなことにいちいち目くじら立てないで、笑って過ごさないとってことですね。そうか、要するに吉本のクソ芸人は、「笑いはすべてを超越する」系か。なぁんだ、ただのクズじゃん。滅んでほしい。



5月1日(金)何が「頑張れ」だ

 このクソ芸人の名前のあとに「頑張れ」をつけてハッシュタグというのを目にしましたが、世の中、吉本のクソ芸人並みのクズばっかってことですか。だって、<生活に困った可愛い子が風俗嬢になるのを楽しみに待っていよう>とラジオで言ったクズに「頑張れ」って言うやつは、クズ以外の何者でもないじゃないですか。そして「笑いはすべてを超越する」系のクズたちも、もちろん「頑張れ」って言ってますよね。なんつってもあなたたちはクズだから。ああ、こんなふうに取り締まると、また「超越論的御用論」とかって、言われるかもしれませんね。しかしね、「笑いはすべてを超越する」わけないでしょ、アホですか。あなたたちはたんなる差別主義者なんですよ。どっかのバカ憲法学者が「自分が不快なものであっても存在を認めるのが表現の自由です」とかほざいたばっかですが、きっとお友達になれますよ、クズ同士。



5月2日(土)考えるんじゃなくて「感じる」んだと

 「自粛要請」などというわけのわからないものには従わない人々をチクって休業に追い込み「正義」を果たしたつもりになってる人々は、とても太刀打ちできない大きな権威に従いつつ小さな権力者となって力を行使できたことに喜びを見出す人々だということも、「みんな一丸」の状況において和を乱す異端者を摘発し平時には抑圧している攻撃衝動を発散するのはファシズムのメンタリティだということも、そのとおりだろうと思います。このように、ファシズムが「気持ちいい」というのも、ある意味では間違っちゃいないかもしれません。私がわからないのは、わざわざファシズム体験をさせて、「ハイル××」と自分の名前を呼ばせる授業を実践しないと、こうしたことは理解できないのか、ということです。これって、考えてるだけじゃ「真の」理解は得られない、まずは体験して「気持ちよさ」を「実感」しなきゃ、という発想じゃないんでしょうか。それこそほかならぬ、全体主義の思想じゃないですか。その言動に信頼を寄せている何人かの人々が、なぜかこの方の仕事を評価されているのが、私にはよくわかりません。



5月3日(日)承前

 もう少し言うと、そんなにこの手の「気持ちよさ」を体験させたいのであれば、1月2日にあそこへ行って旗を振ってくればいいじゃないですか。そこでこそ、この共同体においてずっと続いている全体主義をじかに体験できますよ。「ハイル××」なんて、しょせんはドイツのお話にすぎないわけですし、しかもドイツではいまなおその過去を清算中ですよ。それに比べて、ここには無反省なまま続けられている現実としての全体主義があるわけで、なぜそれを問題にせずに「ハイル××」なのか。ひょっとすると、ほんとは問題にされているのだけれども、私が知らないだけなのかもしれません。しかし「「コロナ自警団」はファシズムか」という見出しのインタヴューですよね。どうして、これは天皇制の問題だっておっしゃらないんでしょうか。



5月4日(月)『デモリションマン』

 感染を防ぐため、人とは2メートルの距離をとることが勧められ、この間隔を確保したセックスが提案されている記事について、『デモリションマン』を想起する人のツイートを読み、ああ、同じ世代なのか、と思いました。スタローンなんて、わざわざ見るわけがないので、きっとまだ家族がいた頃、『日曜洋画劇場』で流れていたのを見たのだと思います。1996年に冷凍され、2032年に解凍されたスタローンが、サンドラ・ブロックとヘッドギアをつけてヴァーチャル・セックスをするのですが、「まだ触ってもいない」セックスを途中でやめてしまい、「昔ながらの方法でやろうぜ」と言うのでした。冷凍されている間の出来事として、シュワルツェネッガーが大統領だったと聞いて驚くシーンとか、記憶に残ってもよさそうなところはまったく消去されていましたが、その問題のシーンは、記憶にあるとおりでした。いろいろと、おそろしい。



5月5日(火)みなさ〜ん、「敬意・感謝・絆」ですよ〜

 情報源が偏っているからでしょう、私が知る限りでは、早急にCOVID-19のワクチンを作り出すことが求められていて、高額の資金が投入されようとしていますが、なんと、実はワクチンなんて不要だそうですね。だって、「感染者数が少ない」ことを誇りにして(その実、何人いるのか尋ねられても、紙に書いてないことを訊くなとキレる)、イタリア人記者をバカにしたあの方が、ウイルス克服の方法を会見で教えてくださったそうじゃないですか。「敬意・感謝・絆」があれば、ウイルスは克服できるんですってね。「ワクチン」「ワクチン」言ってるやつらは、きっと似非科学者だってことなんでしょう。ということは、もう150回くらい繰り返されている「この1、2週間」は、「敬意・感謝・絆」をもつための期間なんですか。そうですか。あ〜、やべぇ、そのうちのどれひとつとして、何度「この1、2週間」を繰り返そうと、もてそうにありません。つか、私の周辺にいるのはそんな人ばっかですが、こりゃ集団感染必定だわ。



5月6日(水)あれとかそれとかの同類

 いざとなったら公務員叩き、そんなときのための公務員、わっかりやすいスケープゴートであることこそが公務、というわけで、戦場に「慰安婦」は必要だ(だったら、ちゃんと国家が責任もって賠償するよう要求しなさいよ)でおなじみの自分だけぬけぬけPCRのあれとか、考えつかないような暴力シーンだけがウリなのになんちゃらブルーとか言われて舞い上がったままの出版社を襲撃したそれとかが、公務員に「公務」を与えるわけです。そして「私はフェミニストではない」と周知の事柄をわざわざ言ってみせる元東京大学教授も、特定定額給付金は、公務員や正社員には必要ないとおっしゃっているようです。じゃあだれに必要かと言うと、「ほんとうに必要なひとに」だそうです。みなさん、いいですか、「ほんとうに」はいくつ重ねても何の意味もない証拠がここにあります。そしてこの手のことを言うやつが、貧困を固定化することに加担するだけのたんなるポピュリストであるという証拠も。ったく、どこがマルフェミだよ、って思いましたが、ああフェミじゃなかったんでした。



5月7日(木)AfDとかペギーダとか

 徹底した検査主義で感染者数を減らしてきたドイツですが、個人の生活を元通りにすることにはいまなお慎重です。バイエルンがとんでもなく慎重なのは、非常によくわかるのですが、興味深いことに、慎重な政府に批判的なのは、FDP(その名も自由民主党!)とAfD(右翼政党)、そしてペギーダたちです。FDPなんて、スローターダイクの支持政党なんですから、まあろくでもないことはたしかです。AfDやペギーダは右翼政党であって、「個人の自由」なんて抑圧したくて仕方ない連中なのに、なぜ政府の方針に反対するのか、よくわかりません。抑圧するのが自分たちじゃないからなんでしょうか。この人たちは、基本的に、新自由主義者たちと同様、国家主義者というよりかはネーション主義者と呼ぶべき人たちだと思うのですが、そのことと関係しているのでしょうか。ちょっとその理路がわからずにいます。



5月8日(金)どっちでもいいから滅んでくれ

 サラ金業者の顧問弁護士たち一派を持ち上げる吉本のクソ芸人たちとか、関西のテレビ局関係者たちっていうのは、とりあえずこいつらに乗っとけば仕事も確保できるとか、あわよくば、政治のことはよくわからないけど、でもものは考えてますよ的なイメージを植え付けてやっぱり今後も仕事を確保し続けることができるとか、考えてるんでしょうか。そういうやつらは、覆面座談会で「カネのためです」と言う3Kの記者と同じく、許し難いです。ところがひょっとして、「PCR検査で医療崩壊する」前に、とっくに医療崩壊を実現していたその一派たちのことを、吉本のクソ芸人たちとか関西のテレビ局関係者たちは、利害抜きにして素晴らしい政治家たちだと考えてるんでしょうか。そういうやつらも、無知は犯罪だという意味で、やはり許し難いです。いったいどっちなんでしょうか。まあ、どっちでも滅んでくれれば言うことはないです。



5月9日(土)「それが何か?」

 「人文学なんて何の役にも立たない」と言う人たちに対して、「ほらほらこんなときに人文学は役に立つんですよ」って力説して人文学を擁護する人っていうのは、結局のところ、役に立たないものは地上から消え去ってもいいという差別主義者と同じ土俵に乗ってることになるのですが、そういうこと、わかっているんでしょうか。たぶんわかっちゃいないでしょう。この世の中には役に立たないものなんてないんだ、ってごまかしても同じです。だって役に立たないものは地上から消え去ってるわけですから、必然的に、世の中に残っているのは何かの役に立つものだってことになりますからね。ひょっとしたら、あなたがかかわっている人文学は、何かの役に立っているのかもしれませんが、そんなことはどうでもいいです。「人文学なんて何の役にも立たない」と言ってくるやつがいたら、「それが何か?」って言ってやるのが唯一の正解です。



5月10日(日)自明じゃないですか

 どうしてシティズンシップを研究してきた人が、「コロナ危機はもうけ第一、弱肉強食で自己責任を強いる新自由主義のあり方を問うていると言い、政治に人間や社会の脆弱さを前提に考える「ケアの倫理」が必要と語」ってしまうのか。「ケアの倫理」なんてものを、臣民が92%にも及ぶこの共同体において働かせようとしたら、パターナリズムに陥るか、滅私奉公になるか、あるいはそれらが見事に役割分担するか、そんなふうにしか機能しないことくらい、まともな学者にとっては自明じゃないですか。倫理の問題なんかじゃなく、というか、倫理みたいなものこそが問題なのであって、必要なのは権利の尊重です。



5月11日(月)『コンフェッション』

 つらすぎる話でした。結局生き残った者は、「真相」を知らずに不信感をもったまま生き続けないといけないという点も含め、すべてがつらすぎました。このところ、クソポリの話にすぎない『ミッドナイト・ランナー』とか、全編ムカつきしか覚えない『ザ・キング』とかを見ていたので、映画としてはよかったのかもしれませんが、しかし日常が楽しくないのに映画までつらいなんて、なんか悪いことでもしましたか状態ですよ。もうこうなったら、モリカケ桜と平熱パニッククソ野郎とたっぷりねむってる吉村と雨合羽うましかとが、そろってたがいのうんこを踏んでしまうとかいう目に遭ってもらわないとわりに合いません。



5月12日(火)カッパ祭りは不要です

 雨合羽うましかくん、自分が勝手にコロナ専用病院に定め従来の患者をほっぽり出させた病院の医療従事者から、カッパは要らない、送ってこないでくれと言われて、「ないよりマシ」と答えていました。これは「ないより」の使用法を知らないのか、「マシ」の使用法を知らないのか、あるいはマジでそう考えているのか、しかしそれはそもそも「考えている」の誤用ではないか、などなどと思ってしまいますが、しかしこのわざわざ沖縄まで行って差別語を吐いてきたポリに「ご苦労様」と言った雨合羽うましかくん(名前が長い)には、そもそも合理的な理由なんて不要なんでしょう。いや、わかりました。3ヵ月先を考えると、「ないよりマシ」なんですね。しかしそれまでに感染しちゃいますよ、雨合羽じゃ。知ってました?


5月13日(水)あれに指示されてしまう専門家

 自分が答えるときには「まさに」「その中において」「書いてないじゃないですか」などなど、あほあほワードをさく裂させるのに、専門家の答弁を後ろから指示できちゃうんですね。すっごいわ。ひょっとして、ヤジ飛ばすときも、「まさに」「その中において」「書いてないじゃないですか」「私の妻は私人です」「責任をとればいいというものではありません」とか、言ってからようやく指示出してるんでしょうか。それにしてもこの専門家。普通に考えたら、もう学会ではやっていけないでしょうね。エビデンスもなしに、いろんなことを断定しちゃってますからね。えっ、ひょっとして、それでこそ学会ではやっていけるって?



5月14日(木)臣民メンタリティ

 「何気ない幸せ」とか言う人のイデオロギー性って、だいたい「お察し」で、こういう状況においてことさらそんなことを言うなら、なおさらなんですが、紅茶のCFで言われているそうですね。なんちゃらとかいう人が、楽曲を書き下ろしたそうですが、その人って、「さぁいざ行かん 日出づる国の御名のもとに」の人ですよね。おっとろしー。どーしてくれんだよ、もう「午後の紅茶」飲めないじゃん。政府や知事や市長(とか吉本のクソ芸人たちとかクソ広告屋とか)が殺しにかかってくる状況で、「何気ない幸せ」なんてあるわけねーだろ。ったく、臣民メンタリティをまき散らすのはやめてくれ。



5月15日(金)批判精神のかけらもない

 COVID-19感染拡大の余波として、あらたに駐日大使に着任したやつらが侵略戦争の最高責任者の地位をそのまま引き継いでいるお祈りカップルの息子に信任状を手渡せない事態に陥っているって、「事態に陥っている」んですか、そりゃあ大変ですねー。新任大使とやらは、東京駅から馬車で悪の巣窟に入り、自国からの信任状を手渡す式を行うはずが、それができないんですってよ。馬車で巣窟に入るのって、重要ですもんねー。それができない「事態に陥っている」んですよねー。ったく、ばかばかしい。もういい加減やめにしたらどうなんですかね。こんなことをだらだら書き連ねる臣民新聞も、これじゃあ広告屋のぼんくらたちと変わりませんよ。広告屋のぼんくらたちは絶滅してくれてもいいけど(つーか、絶滅しろ)、一応、新聞はまだ重要だと思ってるので、もっとしっかりしてほしい。



5月16日(土)とっとと消えてくれ

 天皇と霊的につながるいたこ第一臣民内田が、「日本人は「どうやって負け幅を最小化するか?」という後退戦の発想がとことん苦手です」とかなんとか書いてるんですが、どうして日本国籍をもっていることと、立派なことを言った感文字列について「とことん苦手であること」とが、関係するんでしょうかね。やっぱ霊的につながってないとわかんないんでしょうか。じゃあ、原理的にわかりようがない。ざまぁみろ。そしてこの「苦手であること」は、「種族的な病」だそうです。日本人て、種族だったんですか。へー、びっくりしました。ったく、あの年代のフランス現代思想かぶれにはまったくろくな者がいない。あれとかあれとか。ろくでもないやつらが、たまたまフランス現代思想にかぶれたのか、それともフランス現代思想にはあの手のろくでもないやつらを生み出すなにかをもっているのか。まあ、どっちでもいいけど、みなさんごっそり消えてほしい。



5月17日(日)「失礼」なわけがない

 「自粛警察」って言い方は「警察」に失礼であり、「自粛チンピラ」でいい、とかおっしゃる人もいるようですが、えええー、ですよ。やつらは、沖縄で新基地建設反対運動中の人たちに、わざわざクソ大阪からのこのこ出かけて行って差別語吐くようなメンタリティなんですよ。そして雨合羽うましかから、労をねぎらわれちゃったようなやつらなんですよ。あえて言えば、そのうえ国内唯一の正統化された暴力装置であるという点で、ただの「チンピラ」に比べて極悪さが桁外れと言えるかもしれません。きっと「失礼」とか言えてしまう人が、デモへ行ったら「おまわりさん、ありがとう」とかほざいちゃうんでしょうかね。おぉ、しかし「敬意・感謝・絆」のもち主に違いないから、ウイルスには感染しないのか。おっとろしー。



5月18日(月)よくわからない

 「差別的だとわかっていて批判しつつ作品を愛したり、論じたりする」のと「差別的であることに目をつぶって作品を愛する」のは、たしかに「全然違う」ことかもしれません。しかし前者の方が後者よりもましだとか、そんなに簡単に言えることだろうかとは思います。差別的な作品を愛していることを批判されたときに、これこれこんなふうに私は批判しています、と言うことと、差別的であることに私は目をつぶっています、と言うこととは、全然違うことかもしれませんが、しかし差別される者からすれば、そんなのあんたたちの問題だ、ということにならないのでしょうか。批判しているからといって、差別的な作品を愛することが免罪されるわけではないのは、目をつぶったまま差別的な作品を愛することが免罪されるわけではないことと、同じではないのでしょうか。ひょっとして、「批判しているんだから」ということで、差別的な作品を愛することは正当化できると考えられているのだとすれば(実際、どう考えられているかは存じ上げておりませんが)、むしろそれはいっそう悪質なのではないかと思っています。



5月19日(火)もしくは、アホか

 「25年以上前、「電通って、すごいな」と、はじめて思った瞬間だった。」←笑い死にさせないでくれ〜。



5月20日(水)言うまでもなくクソくらえ

 夜中に「大阪大学に新型コロナウイルス感染拡大に対しての経済支援を求める署名」という件名のメールが、「授業料・学費免除を考える会」からダイレクトに届きました。もちろん署名はしましたが、ただ、経済支援を大学単位でするのはどうだろうかと思わなくもありません。再配分機関というものがあり、しかも再配分だけが、その機関の存在理由だろうと思うくらいですから、これは立派にその再配分機関の仕事のはずです。大学ごとに経済支援を行うということになると、当然、余裕のある大学と余裕のない大学との間に、対応について差が生じてしまい、その結果、受験者数やら入学者数やらで余裕のある大学はますます余裕のある大学になり、余裕のない大学はますます余裕のない大学になってしまうのではないかと危惧されます。これって、完全に資本のロジックに従った淘汰です。しかし、資本のロジックなんて、言うまでもなくクソくらえじゃないですか。



5月21日(木)「自首」の「要請」とかどうだろ

 ハーバーマスのコミュニケーション論のことを「話せばわかる」ってことでしょ的にバカにしつつ、講義で「人は癒されたいんです」と呆けたことを言ったバカのことは忘れませんが、少しでもハーバーマスを読んだことのある人なら、その理論が非常に厳しいものであることがわかります。何と言っても、妥当要求のひとつである主観的誠実性ですら、合意の対象なんですから。その人が誠実であるかどうかはその人自身がもっともよく知っているなどという小学生ですら考えつかないようなことはもちろん言うわけがなく、その人が誠実かどうかはその人の行為を見なければわからないと言うのです。そんなわけで、例によってあれが「ご批判は真摯に受け止めたいと思っている」と言ったんですが、辞職するなり辞職するなり辞職するなり、ちゃんと行為で示せよな。



5月22日(金)人材豊富な浪速大学

 浪速大学の吹田キャンパスにある研究科の未来なんちゃらセンター(「センター」と名のつくものでろくなものがないのは、たんなる経験則なのか、それともアプリオリに決まっていることなのかはさておき)招へい教授とやらが、「集中治療を譲る意志カード」などという殺人教唆カードを作ったそうで、「まず隗より始めよ」って言葉、知ってますかと言ってやるしかない。こんなうんこカードを作って悦に入ってるようなやつらがのさばる未来を創るんすかね。現役の医者だそうですが、たんなる医者ごときが、神のごとく、人間の命の選別ができるなんて思ってんじゃないですよ。どあほ。



5月23日(土)ろくでもないやつら

 いつの間にか、というか、ポストモダンのぼんくらたち以降ですけど、金持ちを批判すると、ルサンチマンがどうのこうのと言ってその批判の声を封じ、のうのうと何の反省もなく「なんとなくクリスタル」だの「おいしい生活」だのと消費社会を謳歌する言説が、新自由主義をしっかり支えるイデオロギーとして機能してきたわけです。堀江みたいなのは不正のかたまりだと一言で片づく輩なのに、こんなふうにのさばらせてきたことを、ポストモダンのぼんくらたちはどう弁解するのでしょうか。まあ、弁解なんてしないでしょう。やつらはそもそも責任なんてものは、体制の陰謀だと思ってますからね。実にろくでもないやつら。



5月24日(日)公開処刑されるうましか

 サンフランシスコ市との姉妹都市関係をやめた差別主義者にして歴史修正主義者のたっぷり眠っているサラ金業者の顧問弁護士は、わざわざ会見で、「大阪は雨合羽で治療が行われている」というのはデマであるとし、ネット上での不正確な情報発信に苦言を呈したそうです。えええー、そうだったんですかぁ、でも雨合羽うましかくんは「ないよりまし」って言ってましたよ???これってひょっとして、雨合羽うましかくんの公開処刑なんですかね。ひどいことするなぁ。だって、この人ら「ケンカになったら、ケツふいてくださいよ」「ネピアで拭きなさい」とかいう、バカ丸出しくそくそツイートのやりとりをする仲なんだから、公開処刑じゃないんだとしたら、サラ金業者の顧問弁護士から雨合羽うましかくんへ「デマはやめなさい」ってツイートすればすむことですからね。



5月25日(月)知性のかけらもない

 「安倍政権って急進革命集団だって知ってる。ジャコバン派みたいなものだな。ってことは極左集団なのだ。」だってよ。まったく生物学者は…、とついつい言いたくなってしまうけれども、それは間違いなのでやめておきます。たんにこいつがアホなだけです。たんなるネポティズムの嘘つき集団が、フランス革命のほとんど唯一と言ってよい「功績」を果たしたロベスピエールたちみたいなものだなどと言ってのける知性のかけらも感じさせない戯言を、よくまぁ恥ずかしげもなく垂れ流すことができるものだ。まあ、こんなやつのことはずっと前からまったく信用していませんが、わが偏見が間違ってなかったことを裏づけてくれました。ばーーーか。



5月26日(火)新聞はクソ広告屋ではない

 現役の朝日新聞の政治部記者が、取材相手と酒を飲んで信頼関係を築くと本音を引き出すことができるようになるとかなんとかほざいていて、これって懺悔なのかと思ったら、「政治記者のこうした努力を心から尊敬する」とか結んでおり、もうクソ広告屋(これは冗長句だが)と区別のつけようがなくなっています。新聞は、クソ広告屋(これは冗長句だが)ではないのですから、いくらなんでもこんなことを自慢しちゃいけないのですよ。これって、わざわざこの時期にツイートするってことは、明確に、自社の元記者(陸山会事件の時に検察担当で、ないことないこと垂れ流したやつ)が違法に定年を延長してもらったやつと賭け麻雀していたことの擁護じゃないですか。新聞は、クソ広告屋(これは冗長句だが)じゃないんですから、こんなことを言ってはいけません。クソ広告屋(これは冗長句だが)は一刻も早く死滅していいけど、新聞には、まだ使命があると思います。



5月27日(水)生き方上手

 「自粛警察」という言い方は警察に失礼だとか、ついぽろっとなのか、フツーになのかわかりませんが、そんなふうに言ってしまうおめでたい人がいるかと思えば、相変わらず「自粛警察」とファシズムがどうしたこうしたと言いながら、天皇制には一切触れることのない、生き方がお上手なハイルなんちゃらさんとかがいます。ところで、「自粛」は88年から89年にかけて流行りましたが、当時その風潮を見事に批評的に表現したCFがありました。井上陽水が、走行するクルマの助手席から、窓越しに「みなさんお元気ですか?」と言うのですが、「自粛」以後、「みなさんお元気ですか?」の音声だけが消された同じフィルムが流されました。たしか日産のCFだったはずで、やはり愛知にある会社とは違うんだと勝手に納得していました。



5月28日(木)しょせんはクソ功利主義者か

 まあ、ヘアの翻訳しちゃったり(うかつにも購入していたようで、本棚に発見してしまった)ヘアに依拠して論文書いちゃうような人だから、その程度の人ではあったのでしょうけど、つまりクソ功利主義者なんでしょうけど、いくらなんでも「地球を救う人類哲学の黎明 : 梅原猛の「森の思想」と加瀬英明の「発信する会」」はないでしょう。やっぱ長生きはするものではないです。大阪教育大学も、こんなのを『紀要』に掲載しちゃってどうするんですかね。浪速大学も、あまり言えたものじゃないですけど…。「他方、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教は三教不一致で、いつでも対立・衝突することが多く、幾多の戦争の原因となってきたように見える。何故そうなるのだろうか。」あんたがそう見るからだよ。



5月29日(金)暴力革命忍耐ゲーム

 きっとずーーーっと暴力革命忍耐ゲームが続いているのだとしか思えません。都こんぶフレグナンスクソマスク(しかも届かない)に給付金詐欺に気をつけろ給付金、ウイルスを克服するには検査数を増やすんじゃなく、ワクチン開発でもなく、「敬意・尊敬・絆」。モリカケ桜のやることと言ったら、こんなどんだけぼけなすになっても思いつかないようなことばっか。そして殺人集団による曲芸。この曲芸が「敬意・感謝」だそうです。人々を殺しにかかってるモリカケ桜としては、殺人集団を使う点において、まったく首尾一貫しています。しかし首尾一貫していればよいというものではありません。はやくすべての責任をとってください。ええ、もちろん責任をとったところで愚行の数々が帳消しになるわけではありません。しかし結果がどうなるかということと、果たすべき責任を果たすこととは、まったく独立したふたつの事柄です。



5月30日(土)「その道」のプロ

 殺人集団の高価な乗り物による曲芸は、「その道のプロが鍛錬を重ねた最高の技術をもって、別の道のプロの最高の技術をもって行った貢献に報いる」という意味合いがあるそうで、なるほど、そういえばこんなに大金かけたクソパフォーマンスをやらせるお方は、縁故主義の道のプロで、「鍛錬を重ねた最高の技術をもって」記念小学校を8億も値引きで作らせるし、成績優秀な大韓民国からの留学生は全員不合格にする獣医学部を作らせるし、妻は私人にするし、後援会の面々は功績のあった人たちにして「桜」に呼んじゃいますもんね。さすがです。



5月31日(日)何も考えていないか、ぼんくら

 「世の中を良くするのが政治家の仕事。そのための努力を称賛するのは自然な行為だ。」ある国会議員のツイートですが、共通教育でも専門の授業でも、死ぬほど言い続けてきたような気がします。「××は自然だ」系の発言をするやつは、何も考えていないか、たんなるぼんくらか、いずれにしても、けっして信用してはいけないということを。そしてこの何も考えていないか、たんなるぼんくらが「自然な」行為として称賛するその対象は何かと言えば、殺人集団の曲芸ですよ。あれが「世の中を良くする」のであれば、世の中は消えてなくなった方がましです。ところで、あの天皇主義者の「リカ」も、うるっときたそうですね。アホですね。



6月1日(月)渋谷のクズ

 ったく、だれですか、「自粛警察」という言い方は警察に失礼だとかほざいていた臣民は。渋谷のポリたちは、たんなる差別としてクルド人に暴力を行使し、それを一部始終動画に収められているわけです。そしてわんわんの巣窟の前でそれに抗議する人たちのうちのひとりを、公共施設侵入罪で現行犯逮捕ですよ。実際には、侵入などしておらず(だれがあんな薄汚い差別まみれ暴力まみれの建物に入りますかって)、侵入しようとしたから逮捕です。ここまででも十分に驚愕ですが、動画によれば、侵入しようともしていないとのことです。えっ? わんころが、手を引っ張って侵入させようとし、さらに後ろから押すわんころもいたと。こんなやつらに対して「失礼」とか言ってしまえるご仁は、控えめに言ってクズです。だってポリがクズだから。



6月2日(火)まだ息してんのかよ

 PCR検査、平熱パニッククソヤローとか元大阪府知事にして元大阪市長のクソ差別主義者とかリバティ大阪をぶっつぶしたクソ歴史修正主義者とかだと受けられるのに、そうじゃない人は「家で寝とけ」みたいなことを言われて受けられない状況を一変させる画期的な案を思いつきました。これってたぶん、とんでもなく「現実的」です。そうです、PCR検査を受けるために、電通とパソナをかませるのです。あっ、手続きだけがどんどん増えて、ゴールまで到達できないか…。かりにあのクズたちをかませることによってPCR検査数が飛躍的に伸びることがあったとしても、白昼堂々と盗みを働くあんなやつらにかかわらせてはいけません。あいつらがまだ息していることすら、犯罪以外の何ものでもありません。



6月3日(水)クズ作家はなぜ叩かれないのか

 新潮社のPR誌『波』5月号で、東京新聞の記者がなんちゃらとかいう作家と「皇后陛下が立ち上がる時」とかいうタイトルで対談していて、天皇・皇后への賛美と期待を繰り返していると批判されています。記者会見において「その批判は当たらない」のやつから避けられるその記者が臣民だというのは、もう死ぬほど目にしてきたあれの代わりに皇室をというクズリベラルの証拠以外のなにものでもなく、もちろん批判はされるべきだと思います。しかしどうして、対談相手のなんちゃらという作家については何も言われていないのでしょうか。対談のきっかけとなったそいつの著作を読まずして、批判するわけにはいかない、とかいうことなのか、あるいはそいつがクズなのはわざわざ言わなくてもみんな知ってるからもういいや、ってことなのか。著作を読まなくたって、対談の中で「天皇は誰にも従属せず、より強力に国際協調のスタンスで世界と連帯する『象徴』となるほかないんですよ」などとほざく時点で、やっぱりクズ臣民であることは明確なので、叩くべきじゃないんでしょうか。



6月4日(木)かつて「サヨク」とか言ってたクズ臣民作家

 侵略戦争の最高責任者だったのに戦後まんまと平和主義者に化けたやつの地位をそのまま引き継いでいるようなのが、どうしてその過去を清算することなくのうのうと生き続けられると、このクズ臣民作家は考えることができるのでしょうか。それは侵略をなかったことにする以外の意味をもたないわけで、それを堂々と主張しているのですから、愛知県知事のリコール運動している歴史修正主義者どもとなんら変わるところはないのです。あいつらを極右と呼ぶのであれば、このクズ臣民作家島田も極右と呼ばないと、配分的正義に反します。ああ、言うまでもないですが、第一臣民内田とか高橋とか池澤とかも同じですよ。もう「内田クリニック」とか「高橋クリニック」とか「池澤クリニック」とか開業したらどうだよ。



6月5日(金)「右翼です」←ク○宣言

 「自粛警察」は警察に失礼の臣民研究者(?)が、あたりまえだけどそのバカっぷりを指摘されて、今度は「デモやってる人っぽい」という言い方を使って、その地金を見せつつ、「普通の市民」を代表しています。プロフを見たら、「右翼です」ってあって、「右翼です」って書けば許されるとでも思っているのかもしれませんが、言うまでもなくそれはただのクズ宣言です。だからアート系のやつは…、なんて一般化はもちろん不当です。このクズメンタリティのもち主の研究領域がアート系だというだけです。もうさっさと大学辞めて〇〇クリニック始めろよ。



6月6日(土)テンプレどおり

 とっとと大学辞めて〇〇クリニック始めた方が断然いい人が、どんどんテンプレを繰り出していて、またしても経験則が反証例を見つけることに失敗したの巻です。「ただ「デモで出会う警察」だけが警察やとは全く思ってない、ということに過ぎません」ですって。これは「男がみんな痴漢だってわけじゃない」とか言って、なにか言ったつもりになる、まあ、典型的なバ〇です。こういうメンタリティのやつは、確実に、「差別されているのは黒人だけではない」とか言い出すだろうし、さらに、障がい者の真似をして笑いをとるクソ芸人が批判されているときに、僕には障がい者の友人がいて、そいつがおにぎりを食べながらぼろぼろこぼすので笑ったんだよ、って「現場」のクソ話を垂れ流すでしょう。



6月7日(日)お見事

 はははー、そして「ネトウヨもネトサヨもルサンチマン的」だそうです。バブルに支えられてこその80年代ポストモダン的言説をいまだに垂れ流すんですか。そうですか。まあ、意外でもなんでもないですけどね。こうやって、正義を主張する言説を、「ルサンチマン」の一言で片づけてきたわけです。簡単ですねー。そして資本主義を1ミリたりとも疑いもしないで(きっとそんなことをしたら「失礼」なんでしょう)「おいしい生活」なんですよね。たまに「現場」へ行ってちょろちょろっと意味ありげなエッセー書いたり、「正義を声高に叫ぶのはためらわれる」とスカしてみせたりする連中と、まったく同一です。見事に右翼。



6月8日(月)『サッドムービー』

 まあ、タイトルだけなら絶対にレンタルしたりはしなかったはずですが、たぶん、シン・ミナが出てるからポチったのだと思います。ところが15年も前の映画なので、いったいどこに出てたのか、さっぱりわかりませんでした。あとから調べて、そういえば面影あったかなぁ、と思ったくらいです。いろいろと辻褄の合わないところが気にならなくもありませんでしたが、イム・スジョンを見たのですべて帳消しにしました。あああ、『箪笥』なんて絶対に見るわけにいかないし、『隠密な計画』は、さすがにまだ内容を覚えているし…。どうしとこ、イム・スジョン。



6月9日(火)東京湾

 イギリスで奴隷商人の銅像(そもそも、なんでそんなもんがあったんだよ?)が台座から引きずりおろされ、市中引き回しの上、ブリストル湾へ沈められたとニュースになってました。はい、もうみなさんお考えのことはひとつですよね。そうです。どうしてあのクソ女王一族は引きずりおろされ、島中引き回しの上、北海に沈められないんだよ。あれが身分差別でなくてなんなんだって。あっ、言うまでもなく、みなさんこっちのことも考えていますよね。こっち?東京湾のことですよ、言うまでもなく。



6月10日(水)待ってろよ、人民裁判

 「ナチスを見習え」などとドイツならとっくに収監されてるようなことを言うクズが政治家でしかも行政府のナンバー2でいられるような「民度」だと、新型コロナウイルスを克服できるそうですね。その「民度」って、やっぱ行政府のナンバー1的には、同時に「敬意・感謝・絆」(これって、なにかを想起させると思ったら、あれだ、「不倫・路上・カーセックス」だ。まあ、メンタリティもイデオロギーもほぼ同じだろ)も備わってるレヴェルなんでしょうね。すごいわ。そうそうそう言えば、お祈りヤローも、「民度」がどうこうって「お言葉」を吐いてましたっけ。さすが身分差別をのうのうと生き続けるやつらは言うことが格別だわ。待ってろよ、人民裁判。



6月11日(木)自称小児科医

 自称小児科医とかいう人(少なくとも、プロフ的にはそういう設定)が、女性は「男性と2人きりで泥酔してはいけない」とか、あるいは「男性の家に女性1人で行ってはいけない」とかツイートしていて、なぜそういうことをしてはいけないかと言えば、「それはあなたに好意がありますというサイン」という「社会的常識」があるからだそうです。へーーー、そんな「社会的常識」があるんですか。それってどの社会なんでしょうか。自称小児科医のみが集う社会でしょうか。もしそうなら、知らないはずです。なぜなら私は自称小児科医のみが集う社会の成員じゃないからです。ああ、望むらくは、こんなひとが実際に小児科医だなんてことはなく、自称小児科医のみが集う社会の外側で実害を発生させていないことです。



6月12日(金)あんたらのせいだよ?

 市役所ホールを占拠して繰り広げられるカッパ祭りの実行委員会委員長である歴史修正主義者にして差別主義者であり共産党ウォッチャーなのに何も「見てない」雨合羽うましかくんは、新世界のむかしからあった店が補償なき自粛アンドちくりのために閉店に追いやられたことに対して「寂しいけど、今までありがとうございました。」とかって、他人事のように、しかしきっと信者にとってはいい人のように、ほざいています。づぼらやも、屈辱的でしょうねぇ、こんなやつに飲食物を提供していたってことになるとすると。ふぐも浮かばれない。



6月13日(土)いらねー



 12日に96パーセント配布完了と「その批判はあたらない」が言ってたみたいですが、ただし「反日」はのぞく、かと思っていました。今日届いてしまったので、なんと、4パーセントに入っていたことになります。臣民じゃない8パーセントよりもさらにマイノリティに属していたとは…。しかしこんなもん使うわけないし、税金の無駄遣いだとしか思わない点では、90パーセント以上のマジョリティに属していることでしょう。えっ、違うんですか。ひょっとして、ありがたがってる人がいるんでしょうか? 「そんなやつおれへんやろ。」←おもしろい漫才師だと思っていましたが、でもあそこの芸人さんだからなぁ。



6月14日(日)収監しよう

 徴用の歴史の説明を行うことを条件として世界遺産登録が承認されたにもかかわらず、大昔からある元島民の「軍艦島で朝鮮人差別は存在しなかった」という証言を一般公開する現政権は、控えめに言ってもただの嘘つきです。これほど嘘つく政権は世界遺産レヴェルだと言いたいところですが、しかし現在進行中なんですよ。生けるこれほど嘘つく政権。歩くこれほど嘘つく政権。電通とパソナに利益をもたらす嘘つく政権。しかしこれほど嘘つくのはあれの政権だけではなく、サンフランシスコ市との姉妹都市をやめた嘘つきの元大阪市長現大阪府知事とか、医療用の防護服が「ないよりまし」な雨合羽を買い取ると言ってがめてカッパ祭りをいまだに開催中の嘘つきの元大阪府知事現大阪市長とか、「南京大虐殺はなかった」と嘘つく名古屋市長とか、そんなのばっかです。もうとっとと電通とパソナとこの方たちを収監しよう。そうしよう。



6月15日(月)デモを何だと思ってるんだ

 「Black Lives Matter TOKYO」というアカウントの臣民が、デモ中の注意を英語で書き、さらにご丁寧に翻訳してくれています。「行進中に平和的ではない行動を起こした参加者は直ちに警察へ通報し、警察側の処罰となります。」だそうです。他にもいろいろあります。「近くにいる警察官、セキュリティーボランティア、リーダーに問題を起こした人を行進から外す様、助けを求めて下さい。」「セキュリティーのボランティアは行進の全体にいます。行進の両側に警察も私服警察官もいます。」こんなまどろっこしいことを書くのはやめて、「ちゃんと臣民の分をわきまえましょう。」とか「副総理の『民度』に応えましょう。」って書きゃいいじゃん。クズ。



6月16日(火)落選ファーストでしょうが

 都知事選において民族の祭典中止を主張する人物が2人になり、「2人の論戦が楽しみだ」とか言う人は、やっぱりシニシズムです。前知事が大韓民国の小学校に無償貸与することを約束していた土地を「都民ファースト」という差別標語を用いて取り上げ、また関東大震災時の朝鮮人虐殺をなきものにしようと務める現知事を落選させることはとてもできない、ということを前提とした物言いだからです。党名に元号を入れて平気でいられるようなやつが言うことなんてたかがしれているわけで、そんなやつの議論が楽しみになんてなるもんですか。そいつ、自分じゃなきゃできないと思って出馬したそうですが、じゃあ落選したらどうするんでしょうか。「できなかったこと」をどうしてくれるんでしょうか。いまからでも出馬を取り下げたらどうでしょうか。



6月17日(水)死滅してください

 NATOへの決められた拠出金を支出していないからと、ドイツから米軍が「罰として」出て行くという話があります。すばらしいの一言です。左翼党が歓迎している様子がニュースで流れていました。格兵器ももってけ、とか言ってたように思います。どっかのバカは絶対に墜落しない(!)オスプレイを購入したり、自然破壊しながら新基地建設にまい進したりするわけですが、ドイツに見習って拠出をやめたらどうなんでしょうか。そしたら「罰として」出て行ってくれるわけですよ。ただ、そうなったら恐ろしいのは、自前の殺人集団が間違いなく増強されてしまうことです。米軍だろうと皇軍だろうと、軍隊などこの世から電通およびパソナが死滅するのと同時に死滅してください。



6月18日(木)まったく同じだ

 「責任を痛感」やら「全責任は私にある」やら「責任をとればいいというものではない」やらをあれの一つ覚えのように繰り返すあれは、セクシュアル・ハラスメントをやらかすたびに「酔っていたから覚えていない」とごまかした倫理学者を想起させます。そうそう、自分が関与していたら総理大臣はおろか国会議員を辞めると言っておきながらいまだにのうのうと公共圏にあれがのこのこ出てくるように、「それが本当なら私は辞めます」とか言っておきながら、それは「本当」だったのに、周りが当該学生の非を責め立てて、結局セクシュアル・ハラスメントを理由にしてその倫理学者が大学を辞めることはなかった点も、まったく同じですねー。出来の悪い研究科長が、当時、「セクハラに時効はないのか」とバカ発言をしたときに、笑っていたその倫理学者のクソ顔がいまでもありありと目に浮かびますが、時効もなにも、おまえ反省文ちょろちょろって書いただけじゃねーかよ。



6月19日(金)まさか息してないだろうな案件

 雨合羽うましかが設立者のひとりであり、現在、代表を務める政党から、都知事選に出るやつがとんでもない差別主義者であることがツイートを証拠として明らかにされていますが、この差別主義者、なんと現在ある県の副知事だそうで、まったく仰天します。しかしそんなやつを、山本元号バカ太郎が「副知事に」とかほざいても、もはやなにも驚きはありません。だって山本元号バカ太郎なんですから。あっ、山本元号バカ太郎、出馬表明取り下げましたか? まだ? まあ、山本元号バカ太郎だから仕方ないか。そんなわけで、これも田中康夫まさか息してないだろうな案件です。なんせ田中康夫は、ポストモダンの騎手「よほどのバカか偽善者」との対談で、雨合羽うましかとともに共同代表を務めているやつのことを痛く褒め称えていましたからね。要するに、ぺろぐりは新自由主義者なわけで、クズだってことですよ。



6月20日(土)「もらう」ものじゃない

 定額給付金の支給率がいまだに4%だというのにカッパ祭りは開催中のままという信じられない政令指令都市がありますが、そこの行政府の長が定例の会見でいついつまでに申請しないと「もらえません」と言ってるわけです。「もらえません」という言い方がそもそもおかしいのですが、給付する側の責任者なんだから、給付できないなんてことがないように、一軒一軒配って歩いたっていいくらいなんですよ、だれもうましかなんかに会いたくないのはさておき。そして記者たちは給料もボーナスも減らないんだから申請を忘れてもいいだの、「3K新聞と毎日は申請しとき」だのと言ってます。こいつがうましかなのはいまに始まったことじゃないのですが、しかしどうしてだれもつっこまずにへらへらしているのでしょうか。こういうなれ合いが、カッパ祭りを開催させるんだということを、記者の連中も少しは考えたらどうなんだと思いましたが、まあ無理なんですね。



6月21日(日)まったく賛成できない

 その人の文体はやっぱりどうも苦手ですが、しかしたんに苦手であるだけなら、それはそれでどうでもいいことかもしれません。ただ、「学者は真実か美に仕える者」とか言われると、「そうか?」と考えずにはいられません。「真実」という言い方で「真理性」がかかわる領域のことを表現しているのだとすると、学者は「正当性」には仕えないということになりますが、それはまったく間違っています。では、「真実」という言い方で「真理性」と「正当性」がかかわる領域のことを表現しているのだとすると、「真理性」と「正当性」が重ね合わされていることになり、道徳的実在論が採用されるのだとすれば、それは反動以外の何ものでもないでしょう。どっちにしたって、「学者は真実か美に仕える者」なんて言い方は不当であり、まったく賛成できません。



6月22日(月)『青い塩』

 ずっと前に観たはずなのに、あのすかしたゲゲゲの鬼太郎みたいなの以外は、ほとんど覚えていませんでした。まあ足洗おうと何だろうと893の幹部だったから、足洗ったっていい暮らしができてたわけだろうし、相手が悪だろうとなんだろうと、平気で人殺しができてしまうわけだし…、などなど嫌なところもあるのですが、そしてご都合主義的で甘っちょろいところもたくさんあったのですが、でもまあ、あまりにも辛い映画を観続けてきたせいか、ほっとしてしまいました。言われている通り、最近、丸くなってしまったのでしょうか。



6月23日(火)右に口実を与えてはいけない

 シュトゥットガルトで先週の土曜日の夜に若者たちが暴れ、店を破壊したりしました。ついでに言えば、警官たちも襲いました。飛び蹴りされている警官の動画とかがニュースに流れていました。もちろん、その逆は報道されないので、警官たちがおとなしくしていたのかどうかは不明です。その騒ぎを受けて、ゼーホーファーみたいな右の政治家が、法治国家への挑戦だとか厳罰に処さなければいけないとか、調子に乗っていろいろクズいことを言ってます。この手の人が、しかし「レヒツシュタート(Rechtsstaat)」を連呼すると、「右の国家」にしか聞こえないのは、私が偏向しているからです。黒人を取り囲み、身分証の提示を求めている場面なんて、何度も見たことありますからね。そりゃ偏向もするでしょ。



6月24日(水)通報案件

朝日のバカ記者が、朝日のバカ記事の見出しをツイートとしている。これって、暴力革命の扇動として通報案件じゃないでしょうか。

両陛下、コロナ禍の介護ねぎらう「大変だったんですね」



6月25日(木)「私人」の系譜

 自分たちが死ぬように強制した人たちの慰霊をするのではなく、死ぬように強制した側の司令官が死んだ(ということは、それですべてはちゃらですか)時刻に合わせて、慰霊塔を集団参拝した殺人集団がいます。もちろん死ぬように強制しただけでなく、虐殺も行いました。そんな皇軍を顕彰したというわけです。さらに、みんな揃って制服を着ているにもかかわらず、「私的参拝」だそうです。ということは、最低でもコスプレ野郎たちってことですか。こういうのって、死者を冒とくとか言わないのでしょうか。まあ、小泉「感動した」「自衛隊のいるところは戦闘地域ではない」純一郎という、靖国へ公用車を使って行き、「内閣総理大臣」と記帳した私人もいましたっけ。ああ、「ぜひ前に進めてください」スーパー私人も忘れてはいけませんね。どあほが。



6月26日(金)シンプルな××

 きっとあれなんでしょうね、このままじゃ先細りは見えている、学問が生き残るために統合するんです、大きくなることでメリットがたくさんあるんです、ちゃんと現実を見なさいよ、ごらぁ、って感じで、あるのは経済合理性だけなのに、経済合理性に対する異議申し立てなんてガキんちょのすることだという大人の発想で作られちゃったんでしょうね、その名も大阪公立大学。「奇をてらうのでなく、シンプルな名前だ」とか言ってる歴史修正主義者がいるそうですが、たしかにこんな名前を思いつく頭の中はシンプルに違いない。(シンプルな人が評価するシンプルな名前の英語表記について、不快なお気持ちを表明している別のシンプルな人もいるそうですが、差し障りがあるのでコメントは控えます。)



6月27日(土)ウェブセミナー

 「日本から『反日種族主義』を読む」というウェブセミナーがあって、参加しました。印象に残ったのは、最近の右派の動向として、主張の学術化が行われているという指摘でした。映画『主戦場』なんか見てると、ついつい右派はアホだなぁとか思ってしまうわけですが、ああいうキワモノと並んで、歴史修正主義や差別に学問の装いをこらす面々がいるわけで、こちらは要注意だということです。「これは学問だ」と言えば、加藤典洋みたいなのにころっと騙されるリベラルという名の素朴なナショナリストたちは、きっと主張を聞かなきゃいけないとか言い出してしまうのです。歴史修正主義者の話なんて、批判の対象として以外に、どんな主張にもいくらかの真実はあるなんてアホなことを理由にして聞いてやる必要なんて、髪の毛一本ほどもありません。



6月28日(日)承前

 「慰安婦」の問題は性差別の問題であるという主張も、至極当たり前であるにもかかわらず、朴裕河を支持するフェミニストたちがこの共同体にはわんさかいることを思うと、やはり非常に重要だと思いました。あるいは、LGBTQには関心をもつけれども、朴裕河なんてそもそも知らず、そして「慰安婦」の問題にはかかわろうとしない人たちもわんさかいます。もちろんあらゆる問題にコミットすることなんてできるわけはありませんが、しかしこの問題をまったく知ろうとしない人は、容易に、「おひとりさま」たちの術中にはまってしまうのです。「慰安婦」の問題は性差別の問題です。それには帝国主義の問題や植民地主義の問題もかかわっていますが、しかし性差別の問題をなかったことにするために、帝国主義や植民地主義をもち出し人の名誉を毀損するような者は、大いに批判されるべきです。



6月29日(月)しかしこういうバカは多い

 「人種差別がなくなって一番得をするのはだれでしょう?」などというゴミ以外の何物でも文字列を垂れ流しているのは、東京大学をクビになったあれです。カントはあまり大したこと言ってないと日々思っていますが、差別の問題を損得で考えるやつは、正義の問題を好き嫌いで考えるアホと同一であることを明確に示した点では、まあ当たり前のこととは言え、評価されてもよいかもしれません。ところで、こいつがまだ息していることすら仰天なのに、この文字列の後に例によって差別を繰り広げ、しかしアカウントを凍結されていません。言うまでもなく、ツイッター社も同罪です。



6月30日(火)金持ちであることが不正

 金持ちが大金を寄付することに対して「売名」とか「偽善」とかいう批判があり、そうした批判に対するアンチテーゼとして、「売名だろうと偽善だろうと、実際に大金が支出されるのだからそれは正しい行為だ」という言い方があり、これには、文句ばっか言ってる左翼は社会に対して何の貢献もしないとかいう余計な「枝葉」がくっつけられたりする場合があります。(いや、おそらくこっちが「幹」であって、「売名や偽善で何が悪い」の方が「枝葉」なんでしょう。)しかし言うまでもなく、こんなアンチテーゼにひるむわけがなく、言うべきことはちゃんとあります。なんちゃらおじさんとかいうのを登録商標したクズとか、大金を寄付できる金持ちであること、それ自体が不正なんですよ。あったりまえじゃん。



7月1日(水)死刑制度を問えよ

 国家による殺人の犠牲者の写真に「執行」というシールを貼っていくエンターテインメントは、BPOによれば、「公益」にかなっているそうです。なるほど、国家に逆らった者が国家によって「処分」されるのはみんな見たいよね、でも直接見るわけにはいかないから、せめて「執行」ってシールで満足してね、って放送を流すことは、死刑制度支持者たちが大多数を占めるこのクソ共同体の「公益」に他ならない、ということですね。わかります。わかります。それで、国家による殺人はどのようにして正当化されるのでしょうか。ああ、BPOは「放送倫理・番組向上機構」だから、「倫理」しかわかんないんですね。そこの「放送人権委員会」だって、「倫理」にもとづく「人権」なんだから、およそ「権利」とは無関係なんでしょう。もう電通とかパソナとかといっしょに死滅してくれ。



7月2日(木)とっとと辞めろ

 ベルギーの国王が、コンゴ民主共和国の植民地支配を巡って、王室として初めて「深い遺憾」を表明したとか、ニュースになってました。そりゃしないよりかはした方がましかもしれませんが、まあ、「まし」に関しては、どっかのうましかが言った「ないよりまし」を想起させるので、あんまし使いたくないです。しかも、どんだけ「深い」遺憾なのか存じ上げませんが、植民地支配の責任をとって国王なんか辞めるとは言わない時点で、不正を自覚しながら責任はとらないという点で、不正とかなんとかを一切理解できずに責任はとればいいというものではないと言ってのけるあれよりも、悪質かもしれません。とっとと国王やら王室やらをなくしてください。そしたら話を聞いてあげてもいいです。(言うまでもなく、おいのり一族の話は聞かないよ。)



7月3日(金)存在自体が不正

 「私が子どもの頃、まわりのおとなたちは皇族を、ヒロヒトさん、ミチコさん、火星ちゃん、ヒゲの殿下、ナルちゃん、アーヤなんてよんでたけど、ツイッターあったら炎上してたいへんだったわね。」とかノー天気に臣民ぶりを垂れ流す精神科医にしてどっかの大学で教鞭を執るやつは、身分制を差別だと考えていないのでしょうか。もしそうだとしたら、たんなるアホです。身分制を差別だと考えつつ、こんなゴミを垂れ流しているのだとしたら、確信犯的アホ、ようするにアホです。しかしアホだからって許されるわけじゃありません。なぜならアホであることそれ自体が不正だからです。つまり、香山リカは存在自体が不正です。


7月4日(土)何も面白くないよ

 歴史修正主義者にしてサラ金の顧問弁護士だったクズと雨合羽うましかが人前で食事しながらバカ話を垂れ流しているその動画は、やはり暴力革命を扇動しているのではないかと思います。クズが10万円もらってないと言うと、うましかがおまえはボーナスもらったばっかりで10万円なんて必要ないと言って、笑ってみせる。そんなにおのれの無能さが面白いのでしょうか。人前で食事なんてしてる暇があったら、みずから買い取ると言って騙し取った雨合羽をなんとかしなさいよ。「ないよりまし」なんだったら、騙し取った本人がちゃんと責任もってお届けにあがりなさいよ。こんなやつらの口車に乗っかって大学をひとつにしてしまった大学関係者は、どう責任をとるつもりなんでしょうか。「生き残りのため」とか言いながら生き残るやつらがろくでもないことは、ほとんど自明なんですよ。



7月5日(日)同席してしまった・・・

 市報にはリレーエッセーなるものが掲載されるのですが、今月号の書き手は、ある集まりで、万博が大阪に決まってよかったと言った人で、そんなことを言う人は私の周りにはだれひとりいなかったので(「おまえの周りにはそもそもだれひとりいないだろ?」ですか。はいはい、失礼いたしました)、100年に1度の驚愕を与えてくださった方です。タイトルからしてもうヤバいのですが、内容は、祭とか神社とか故郷とかご縁とかが入り乱れてるやつです。そして座右の銘を説明するところにありました。「大事な事は、不断の努力をする者とダーウィンが言う変化する者のみが生き残るという鉄則である。」これって、この前そっくりそのまま使われた学問的にまったく間違ったダーウィン理解じゃないですか。この言い回しは、ひょっとしてどこかでそれ系の人たちが愛読する紙にでも印刷されているのでしょうか。まったくそのままだったので、100年に2度の驚愕をいただきました。



7月6日(月)『アメノナカノ青空』

 2003年には、まだこんなことやってたんだと思う代物でした。途中でなんども見るのをやめようと思いました。とっととライター返せよ、とか、なんだよたんなる軍人じゃねーか、とか、まあもういろいろと設定がひどすぎます。やっぱ言うまでもなく、幸福主義よりもPCです。芸術無罪論者なら、主人公が高校生だろうとなんだろうと、映像がどうこうとか、アングルがどうこうとか、PCを「超えた」レヴェルを勝手に設定してその不正を正当化するのでしょう。イム・スジョン、もうちょっといい作品に出てくれたらいいのに。なお、カタカナ邦題もさっぱり意味がわかりません。



7月7日(火)消去法なんて使っちゃいない

 消去法で「きこえな〜い」を選んだと言い訳するみなさんがいるそうですが、そういう方たちはけっして消去法なんて使用していません。なぜなら、消去法を使用するのであれば、真っ先に消える人物を選んでいるからです。そういう方たちは、オリパラ開催にずっとこだわり続けた結果、感染者を増やした張本人を、非常に厳密な意味においてみずから進んで選んだのです。あの石原でさえ送り続けた追悼文を送ることなく、関東大震災時の朝鮮人虐殺をなかったことにしようとする歴史修正主義者を、非常に厳密な意味においてみずから進んで選んだのです。前任者が大韓民国の学校に無償貸与していた土地を取り上げる際に初めて「都民ファースト」なるクソ標語を使用したその差別主義者を、非常に厳密な意味においてみずから進んで選んだのです。他に適当な候補者がいなかったなどと、ごまかしてはいけません。正々堂々と不正に加担したんです。



7月8日(水)クソクズ文字列

 あああ、クソクズ文字列を見てしまった。「最下位低迷の阪神 再建できる新監督は「落合博満」の声〈週刊朝日〉」というクソクズ文字列が、AERA.dot.に並んでいたのです。『週刊朝日』もクソなら、AERA.dot.もクソで、そのクソっぷりたるや、名前に「クソ」が入ってるクソ日刊ゲンダイデジタル版に匹敵しますよ。いいですか、父の遺言とか言って、親会社が原発を推進する「わが軍」へのこのこ行ったようなクソクズじゃなきゃ「再建」できないのだとしたら、そんなもん、「再建」できない方がいいにアプリオリに決まってんだろ。アホか。藤谷美和子も言ってたように、バカも休み休み言え。



7月9日(木)「死ぬ義務」を語る者

 元号を政党名に使うような臣民政党の公認候補になるような大西なんちゃらとかいうようなやつが、命は選別しなきゃいけないと言い、具体的には高齢者には死んでもらわなきゃいけないと言ってます。思わず『新・カント読本』に掲載された論文(279-292)のことを想起しました。優生思想を肯定するその論文は、もっと批判されてしかるべきなのに、ほとんど存在すら知られていません。よくある下らない例を引いて、しかも卑怯なことに、他の研究者が使用している例を引用する形でとり上げて、ほらほら死ぬ義務があるだろ、と主張するのです。まず、この人は問題の所在がまったくわかっていません。なぜなら、「死の義務」の主張は「道徳的に不快な言動としか受け取りようがないであろう」(287)とか「不謹慎なことこの上ない」(287)とか、優生思想をたんなる「お気持ち」の問題に矮小化しているからです。こんな言い分は、差別したやつが「不快に思われた方もいらっしゃったのですみません」(舌ぺろ)と言うのとなんら変わるところはありません。



7月10日(金)ちゃんと考えてください

 カント的理性の根本的特性は「批判の自由」にあるのだから、このような「挑発的な思考であればこそ」「その主張を理性的討議の場に留めおくべきであることをカントは要求するのではないか」(291)とか「すくなくとも、二十一世紀におけるカントのテクストの読み手たちが、カントのテクストに基づきつつ、本章のような角度から「生と死の倫理」を論じることを、カントその人が拒絶することは決してないようにわたしには思える。」(291)とか、カントがどうするかなんて、どうだっていいことだってわからないんですかね。この方にとっては、カントがどうするかが重要なのかもしれませんが、そんなことはカント屋サークルの外部にとってはどうでもいいことです。あなたの考えが優生思想に他ならないということ、そのことが問題なんですよ。ちゃんと考えてください。



7月11日(土)差別する自由はありません

 それから、どんな差別的言説であっても理性的討議の場に留めおかれると考えているんだとしたら、大きな間違いです。それはけっして「不快だから」ではありません。正義に反しているからです。なんちゃらカフェじゃあるまいし、まさか何を言っても自由だとか、考えていないでしょうね。この手の論文については、もちろん批判はすべきですが、しかし討議すべきではないと思っています。それは歴史修正主義者の議論は批判すべきだけれども、同じ土俵に乗って討議してはならないのと同様です。ついでに言うと、こんなひどい論文を認めると編者の見識が問われると思ったのですが、なんと序論で、当該論文について「読者の多くが共感を覚えることであろう。」(xii)とお書きになっています。この論文集の読者の多くは、差別主義者だってことなんでしょうか。ともかく、自身が優生思想のもち主であることは自身で引き受けて欲しいものです。それが哲学研究と関係しているかのような風評被害をまき散らしてはいけません。



7月12日(日)クソクズ文字列 2

 「ゴミ屋敷で娘を餓死させ、彼氏に会い、偽装工作した24歳母親の鬼畜な素顔 「飛行機が満席」と嘘も〈週刊朝日〉」という見出しを垂れ流すクソAERA.dot.。記事を読むと、「取り調べに対し、反省した様子もみられないという沙希容疑者。」と、人が反省しているかどうかを判断する能力にあふれているクソ犬たちのコメントを丸ごとうのみで掲載ですよ。「子どもは親を選べない。お腹を空かせ、母親を待ち続けて亡くなった稀華ちゃんが不憫でならない。」と、えーこと言うたった状態ですが、子どもには精子提供者の親もいるって、ご存知ですか?そいつについてはガン無視ですか。犠牲者を盾にあるべきジェンダー規範を反復強化して悦に入ってるおまえらが不憫でならないわ。いや、ほんとは不憫でもなんでもない。どーしようもないクズに違いないから。



7月13日(月)クソクズ文字列 3

 そして名称にクソが含まれている類まれなクソ日刊ゲンダイデジタル版は、「男にうつつ抜かし8日間放置…3歳女児餓死させた冷酷母の嘘」ですよ。このクソクズメディアも、「任意の聴取に対し」「ウソの説明をしていた」って、なんのためらいもなく垂れ流しているんですよ。それって、人が反省しているかどうかを判断する能力にあふれているクソ犬たちのコメントを丸ごとうのみで掲載ってやつだろうが。いくら名称にクソクズがつくとしても、マスメディアのつもりでいるのなら、「任意の聴取」の「任意性」を問うてみろ。もし言葉の正確な意味において「任意」なんだったら、何言おうと構わないだろ。おまえら「任意」の意味知ってんのか。ボケが。そして最後は、「男と遊ぶために娘を放置し、食事も与えず、姑息な隠蔽工作まで行うとは「人でなし」と言うしかない。」だそうです。まさかおまえら「人でなし」に責任求めたりしないよな。言うまでもありませんが、精子提供者については一言もふれていません。クソクズ日刊ゲンダイデジタル版。



7月14日(火)バカなんだろうか

 本日見つけたAERA.dot.のクソクズ文字列は「姫路市殺人 24歳美人シングルマザーを子どもの目の前で刺殺した男の凶暴性〈週刊朝日)」です。おぉ、またしてもクソクズ『週刊朝日』の見出しでした。『週刊朝日』の記者は、セクシュアル・ハラスメント防止講習会とか、ほんの1度でも受講したことがあるんでしょうか。こんなの基本ですよ。いいですか、あんたたちクソ記者連中がだれかクソ記者連中のうちのひとりのきったねぇ自宅に集まって「美人がどうこう」とかほざいているのは、あんたたちの品性がどぼんなだけですが、公共のメディアにそのクズ話をそのまま活字にして垂れ流してはいけないのですよ。哲学研究者にも、尊厳がどうしたこうしたと語るくせに、女性研究者を紹介するときに「美人だよ」と言わずにはいられないハラッサーがいますが、もう全部まとめて死滅してほしい。



7月15日(水)藤田なんちゃらって人

 『下流老人』の人、まあ政府関係者とうれしそうに写真に納まるフローレンスの人とはまるで違うのでしょうけれど、しかしちょっと前には「漢がどうしたこうした」とマッチョの本性をさらけ出してはいたのです。そしてここへきて、一定の職業に就く人々に対する差別を堂々と口にするようになり、それを批判されると、ごめんなさいって言ったら死んでしまうからなのか、まったくわけのわからないことを言い始めてしまいました。セックスワークは、雇う側が雇われる側の人権を侵害しているから、労働ではない、と言うんです。こんな言い分が妥当性をもつのであれば、雇う側が阿漕なことをやればやるほど、「労働」災害なんて起きませんね。なまじ雇われる側の人権を尊重したりしたら、そこには「労働」が成立してしまうので、労災が適用されてしまう。雇う側が阿漕であればあるほど、労基法も何も適用されないという、あっちの人たちのパラダイスじゃないですか。職業差別したんだから、一言、職業差別しました、すみません、って言えばいいのに、なぜそれが言えないんでしょうか。やっぱ「漢」だからかな。



7月16日(木)物自体は認識できないはずだが

 専門家であるはずの医学博士が、「旅行自体が感染を起こすことはない」とおっしゃったそうです。おっかしいなぁ、「物自体」については認識できないはずだから、少なくとも「感染を起こすことはない」なんて言えないはずなんだけれども、まあ、ひょっとすると100%叡知界の住民なのかもしれません。だったら、現象としての旅行が感染を起こすかどうかくらいもご存知でしょう。「旅行自体」の話はどうでもいいので、現象としての旅行の話をぜひ聞きたいところです。つーか、元々科学者だったはずの人が、いったいどんなうまい汁を吸うと権力者の提灯持ちと化してしまうのでしょうか。この人は、もはや学界では生きて行けないでしょうけど、それでもいいや、ってことなんでしょうね。しっかし、これってめっちゃ現象界の話じゃないですか。



7月17日(金)通報案件

 NHK NEWSWEB は、暴力革命を扇動しています。「この中で、寮などに住みながら働く非正規雇用の人たちが、今後、仕事と住まいを同時に失うケースが増える可能性が高いなどと説明されると、天皇陛下は「家を失うのは大変ですね」とか「現場は本当に大変なのですね」などと、繰り返し述べられたということです。…。両陛下は予定の時間を大幅に超えて話を聞き、最後に「本当に大変でしょうけど、頑張ってください」などと、励ましのことばを贈られたということです。」



7月18日(土)ラブホにも出没するらしい

 サラ金の顧問弁護士でスラップ訴訟をやらかしたような歴史修正主義者にして差別主義者がいるようなところだと、そして沖縄まで行ってヘイトスピーチ垂れ流したバカ犬の労をねぎらったカッパ祭り主催者がいるようなところだと、わんわんが堂々と店の中に入り込んで職権を濫用するわけです。そしてそれをまた絶賛するようなうんこたちがいるわけですが、そのうんこたちは自分の職場に柔道やらがめっちゃ好きそうなのがやってきてなにやら「指導」するなんてことがあっても平気なんでしょうかね。まあ、平気なんでしょう。私は平気じゃないですよ。なぜなら、それは不正だからです。浪速大学にはしょっちゅうああいうクソクズ犬たちが入り込んできますが、ことごとく不正だと思っています。だれだよ、許可してるバカは。



7月19日(日)「根源」を発見した官房長官!

 どれほど核心を突かれようとも、「その批判はあたらない」を繰り返せば、批判されていないことになると考えている「最強」の長官が、ついに発見したようです。これは朗報です。世界中に拡散すべきです。私たちは、こんなテクノクラートを官房長官として雇っているなんて、なんて幸福なんでしょうか。やっぱ「日本スゴイ」。ええそうです、「その批判はあたらない」は、風営法を適用することによって、COVID-19感染の「根源をひとつひとつ潰していきたい」と言ったのです。感染の「根源」を発見したんですよ?いままで世界中で、だれひとりとして「根源」を発見できた人はいないのではないでしょうか。検査もろくにせず、感染経路もろくにわからないはずなのに、「その批判はあたらない」は、ずばり「根源」を発見したのです。あ〜、すげぇ。いままでクソボケクズだと思ってたけど、もう靴でもなんでもぺろぺろしたいくらいですよ。 うそじゃぼけ。



7月20日(月)「信仰」はびくともしない

 「家をなくすと大変ですね」(←あったりまえだろ、ボケ)が、家業の「祈り」に励んだところで、COVID-19はおさまるわけがないし、放射性廃棄物が無害になるわけがないし、雨合羽が医療用防護服に化けるわけがないのは自明ですが、しかしこうした真相を暴露したところで「祈る」やつらに対する臣民たちの「信仰」をなくすことができるかと言えば、そんなことはまったくないのです。声高に倫理を語ることはためらわれる(だったら、一生表に出てくんなよ)系のバカから、「イデオロギーを生きている人たちもいるんです」とドヤ顔された経験をもちだすまでもなく、こういった臣民は、「祈る」やつらの祈りが現実にならない場合、自分たちの「信仰」が足りなかったからだと「感じる」からです。そんなのが92パーセントもいる共同体って、あっちの人たちにはおいしすぎますね。



7月21日(火)「フェミニズム色のない」人たち

 訳者があとがきで「読者のフェミニズムという言葉への抵抗感を少しでもやわらげようという編集部の配慮で「フェミニズム色のない」訳者二名が本書を担当することになった。」と書いているらしい、フツーに考えれば編集部は冷笑系なんだろうと判断できそうな『フェミニズム大図鑑』という本があるそうです。「訳者さんはちゃんとした方」というツイートもあるのですが、その「ちゃんと」の意味がよくわかりません。「豚野郎を告発せよ」と訳すべきところが、「あなたのブタに悲鳴を聞かせよう」って訳されているとのこと。「悲鳴」って、日本哲学会のシンポジウムにおいてフェミニストの主張を「黄色い声」と形容した死刑制度存置派のバカと同じメンタリティじゃないですか。「フェミニズム色のない」っていうのは、要するに「左でも右でもない」語法と同じってことですか。



7月22日(水)何が「なんちゃら王子」だよ

 このクソ暑いのに何が悲しくてブラウザを立ち上げニュースを見ようとしたらガキんちょが笑ってる写真を何度も見せられなきゃいけないんでしょうか。なんちゃら王子7歳とか、知るかよ。7歳だって十分に罪はありますからね。将来人民裁判が開かれた暁には、7歳のときに「王子」と呼ばれ、くさった笑い顔をさらしたことの責任は問わせていただきますよ。ったく、あんなもんを記事にしていてなんとも思わないんですかね。フランスじゃあ、とっくのむかし、18世紀には首がはねられていたと言うのに、21世紀にもなって堂々と生まれながらの身分差別を生き続けるやつらがうろうろしていて、それを称賛し続けるとは。そんなわけで、自称リベラルとか左翼とかの中にいる漱石フリークがまったく信用できないのと同様に、女王なんぞに称号もらってうはうはだったビートルズのフリークも、信用できません。



7月23日(木)まだ生きてたんだ

 「日本の学校教育が子どもたちに求めているのは「上位者に抗命しないこと、無意味なタスクに耐えること、査定に基づく資源分配が唯一のフェアネスだと信じること、周りの子どもの市民的成熟を妨害すること」です。そういう子どもばかりだと管理コストが削減できますからね。」と、エラソーに第一臣民の内田がほざいていますが、おまえの上位者への服従靴舐めぺろぺろはいいのかよ。そうか、コストの問題じゃないからいいと。霊的につながっているんだからいいんだと。アホか。おまえが何か言ってもいいのは、その臣民主義を自己批判して、人民から承認されてからだよ。アホ。それまでは公共圏に出てくんな。



7月24日(金)殺人じゃねーか

 筋萎縮性側索硬化症の患者を殺した容疑者がふたり逮捕されました。どういうわけか、「尊厳死」がどうのこうのとか、「安楽死」がどうしたこうしたとか言われていますが、殺人じゃないですか、人殺しですよ。さすが雨合羽うましかは、「この様な悲惨な事案」と言ってます。そうですよね、命を救うはずの医者が患者を殺したんですからね、殺人ですよ、殺人。あれ、「国会でまともな議論がなされていません」? ああ、COVID-19感染拡大なのに、国会を閉じたまんまのやつがいることを批判しているんですか。でも、あんたたちも閉会に賛成してましたよね。いいですか、人を殺すことは、殺人ていうんです。それ以上、なにも言うことなんてありませんから、時間があるならとっとと雨合羽の行商をしなさい。



7月25日(土)「死ぬ義務」などあるわけがない

 しかしあれですよね、「みずらかの人生を終わらせるべき「義務」の生じるときが、わたしたちの人生には存在するのではないだろうか。」(ねーよ)などと哲学の論文集において堂々と書き、公共圏において「死ぬ義務」を主張するような哲学研究者は、筋萎縮性側索硬化症の患者を殺したとされるふたりの容疑者を擁護しなければいけませんね。ああ、言うまでもなく擁護していますか。ひょっとすると、快哉をあげてるかもしれません。よくぞ義務を果たしたぞ、と。まったくおぞましいかぎりですが、もちろん問題はおぞましいかどうかに尽きるわけではありません。こんな差別思想を公共空間においてまき散らす自由など存在しません。それはたんなる不正であり違法です。



7月26日(日)政治的闘争

 3月末まで決定を引き延ばしに引き延ばし、なんとか実施できないかと画策し続けたせいで感染者を増大させるに至った、あの「民族の祭典」の開催を口実に、アートも一役買って野宿者を追い出した「宮下公園」の跡地に、ジブリグッズの店ができることを嘆いているリベラルないしは左翼の人がいて、ちょっとびっくりします。だってジブリですよ? どうしてジブリなんかに過剰な期待を寄せることができるのか、まったく理解できません。これはけっして冷笑主義ではありません。ジブリがエコロジーと結びついており、エコロジーがファシズムと結びついており、ファシズムが資本主義と結びついていることを考えれば、ジブリ批判は政治的闘争です。なにが「猫バス」だ。



7月27日(月)なにが「パブリック・アート」だよ

 そして跡地の名称は「ミヤシタパーク」???なんというか、カタカナ書きにすることによって、ますます欺瞞性が透けて見えて、そういう意味では素晴らしい命名かもしれません。野宿者を追い出して作られた「ミヤシタパーク」ってわけですね。そしてそこになんちゃらって芸術家による「パブリック・アート」《渋谷の方位磁針|ハチの宇宙》が登場だそうです。この場合の「パブリック」には、野宿者は含まれないんですよね、言うまでもなく。「パブリック・アート」は、「少なくとも野宿者は排除したアート」って翻訳できそうです。だれか、アートは無罪だって言ってませんでしたっけ。ひょっとして、社会貢献とか言いますか。野宿者を排除しなんもなかったように知らないふりをすることを可能にしてくれる社会貢献。死滅してくれていいです。



7月28日(火)ど真ん中

 そう言えば、国旗の歌を作っておきながら臆面もなく芸術無罪論を主張してたなんちゃらってのが、野球選手やら棋士やらといった「お化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。」ってほざいたそうですね。国旗の歌を作るやつなんだから「国家プロジェクト」とか言っても何の不思議もないし、差別主義者なんだから優生思想を肯定してもこれまた何の不思議もないです。むしろ、ちゃんと一歩一歩着実に押さえていきますね、ってところでしょうか。批判されると、冗談を真に受けるな的な返答をするところには、ややアート系のへらへら感が出てるかもしれませんが、まあ本質的には石原とかと変わらない右翼の差別主義者です。



7月29日(水)クソですねー、立民幹事長

 土下座像に対して、野党の幹事長が「極めて遺憾。強く抗議したい。」って、言ってるわけですが、これ、抗議の対象が政府なんですよ。他国に帰属する人が私有地に像を拵えた、という報道に対して、当該政府に「強く抗議したい」ってどういうことなんでしょうか。おまえんとこも、うちみたいに、ちゃんと言論を抑圧しろよ、ってことですか。それに比べて、さすが、COVID-19感染の「根源」を発見した「その批判はあたらない」は、立派です。「国際儀礼上許されない」とか遠回しな言い方してますが、あれですよね、土下座すべきは侵略戦争の最高責任者だったが何の責任も負うこともなかったやつの地位をそのまま受け継いだお祈りヤローの息子だ、って主張ですよね。それはもちろんその通りですが、でも、公式な謝罪を一度たりともしてこなかった政府の代表者の像がつくられたって何の不思議もありませんよ。つーか、委託業者に電通とパソナをかませることができるなら、率先してつくらせるんじゃないの?



7月30日(木)ばーか

 たんなる人殺しを尊厳死だの安楽死だの言い立ててるやつらが維新とか石原慎太郎とかである時点で、あれはやっぱりたんなる障がい者差別であり障がい者排除であり、障がい者抹殺の一環であることがよくわかります。維新とか石原慎太郎の言うことじゃ、さすがに乗れないわと思ってるインテリも、たとえばカント哲学の研究者が「死ぬ義務」を論じていると聞いたら、安心できるんじゃないでしょうか。そうなんです、カント哲学の研究者が「死ぬ義務」を堂々と論じているんですよ。維新とか、講演会の講師に招いて差し上げたらどうだろうか。きっと新規の支持者たちを獲得できると思いますよ。ばーか。



7月31日(金)田中康夫の責任

 雨合羽うましかによれば、生きる価値を見出せない人がいたらその人を殺すこと、これを国会議員は逃げずに議論しないといけないそうです。へー。国会議員って、人を殺すことは犯罪です、以上、ですませちゃいけないそうです。医療用防具服の代わりに雨合羽を送れ、買取るよ、と言った挙句、大阪市役所でただでカッパ祭りを開催するようなうましかくんは、問題から逃げないそうですが、いや、あんたたちみたいなのが行政に関わっていることそれ自体が大問題なんだから、まずはこの大問題から片付けてくださいよ、と思いましたが、たぶん「問題から逃げない」とは言ったが「大問題から逃げない」とは言ってないとか言いそうですね。田中康夫と「死ぬ義務」があると主張するカント研究者案件。



8月1日(土)またしても暴力革命の扇動

 民族の祭典開催を口実に野宿者を排除して作り上げたのは「ミヤシタパーク」ではなく「MIYASHITA PARK」だったようです。そしてコンセプトやらがネット上にアップされていて、親切な方が「みんなに読んでもらいたい」「野生の駄文」「読むと背筋が寒くなる」って紹介されていました。私はこれは、最近お祈りヤローの息子や政府関係者や田中康夫案件に連なるアホらがやらかしている暴力革命の扇動だと思います。気持ちが悪いのはもちろんですが、しかしそんな「お気持ち」の問題に回収するつもりはありません。ここには不正が満ち溢れています。「全部が新しくなった」って、そりゃそうでしょう、野宿者を排除したんだからね。「ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください」、だけど、野宿者は来るなよ、ってことですね。これが暴力革命の扇動でなくて、いったい何なんでしょうか。



8月2日(日)『ハピネス』

 いったいどこが「ハピネス」なのか、さっぱりわかりませんでした。主役のバカ男が療養所にやってきて女性と出会って心を入れ替えるかに見えてやっぱりそんなことはできるわけがなくバカなままで、彼女に死なれて療養所に戻っていくというクソのようなお話ですよ。こんなバカ男、どーせしばらくしたらまた療養所を出て行って、同じことを繰り返すだけです。ああ、そういうのを「ハピネス」と呼ぶのであれば、よくわかります。しかしそのクズ男の「ハピネス」の犠牲になる者はどうでもいいんすか。そんなわけで、イム・スジョン、また死にました。



8月3日(月)『僕の妻のすべて』

 代表作の一つだということは知っていたのですが、たいてい「ラブコメ」という紹介がついているので、ついつい観る気になれませんでした。「ラブコメ」というジャンルに分類されるものって、たいていは、とんでもジェンダー規範を笑いによってごまかす、ってところがないでしょうか。まあ、笑いはすべてを超越する系のぼんくらならいざしらず、差別を笑いによってごまかすなんて不正の極みは、正視にたえないわけです。果たしてこれは…。もういきなり、上はTシャツ下はパンツで、××をぼりぼりかくし、Tシャツを脱ぎ、パンツを脱ぎ、パンツを脱ぐときに「プ〜」って音がするし、放尿はするし…。あのぉ、『ハピネス』の幸薄かった人ですよね? と思わずにはいられませんでした。そんなわけで、「ラブコメ」なんかじゃありません。「猟奇的」という形容詞で紹介するのも、大間違いです。すんばらしいわ。



8月4日(火)雨合羽VSイソジン

 吉本のクソ芸人たちはなんつってフォローしてるんでしょうか。もちろん、イソジンでうがいしたら陽性が陰性に変化するというまことしやかなデマを堂々と公共の電波を使って垂れ流したサラ金業者の顧問弁護士だったやつの戯言をです。きっと、一生懸命頑張ってはるんやから、足引っ張るようなことを言うたらあかん、とでも言ってるんでしょうね。アホですね。そういうクソ芸人たちは、せっせとイソジンでうがいしてくださいよ。ああ、言われるまでもなくやってますか。あっ、きっと雨合羽着てイソジンでうがいですかね。さすがです。そんなに立派な特効薬を見つけたんですから、吉本興業が直接被害に遭わない地域だけを選びだして休業要請なんてしなくてもいいじゃないですか。イソジンと雨合羽を配れば終わりですよ。終わり。



8月5日(水)「ぼくが感じたこと」←クソ

 さて、くだんのイソジン行商人は、「予防効果があるとは、ひと言も言っていない。ぼくが感じたことをしゃべり、『それは間違いだ』と言われたら、ぼく自身、言いたいことが言えなくなる」と述べたそうです。この人、何を勘違いしているんでしょうか。公共の電波を使って、クソのような「ぼくが感じたこと」(「クソのような」は、どっちにもかかるよ〜)なんてしゃべっていいわけないでしょ。アホですか。おまけにあんたが言いたいことなんて、どうせろくでもないことなんだから、言えなくていいです。ああ、でも「感じる」が重要だって言ってるやつらはいますね。思想史的には理性能力が扱うアナロジーの問題を「感じる」かどうかで判断しちゃうぼんくらたちです。研究ごっこはいいから、イソジン行商でもしてください。



8月6日(木)たんなる権威主義者

 何かの記事の見出しに、「江夏 豊・落合博満・野茂英雄――現代のプロ野球にも求められる一匹狼という魅力的存在」とかってあったんですけど、言うまでもなく、「一匹狼」に該当しないやつが含まれていますね。父親の遺言だとかなんとかふざけたことを言って、行きたくて行きたくて行きたくて行きたくてたまらなかった、親会社が原発を推進する球界の盟主とやらへ、うはうは行ったやつのことですよ。こいつは、大リーグ行って稼げなくなる前にとっとと戻ってきた「男気」どうように、投手を恫喝するんですからね、どこが「一匹狼」なんだか。たんなるわがままを「一匹狼」とか呼んじゃいけません。そんなわけで、こんなやつ、求められてもいなければ、魅力的でもありません。どこまでも底抜けに俗物で、言ってみりゃアイヒマンと変わりません。



8月7日(金)PC的にはもう買えない

 なんか、冷凍食品に対する批判があるそうで、それに答えてあるメーカーが、次のようにツイートしています。「冷凍餃子を使うことは「手抜き」ではなく「手“間”抜き」ですよ! 工場という“大きな台所”で、野菜を切って、お肉をこねて、皮に餡を包んで…という大変な「手間」をお母さんに代わってに(ママ)丁寧に準備させていただいています。」へー、その「手間」は「お母さん」が担うものだってことですか。こういうのを性別役割分業と言うのですが、ご存知ですか。ご存知で言ってるとしたら、確信犯だよセクシュアル・ハラスメント、ご存知ではないとしたら、無知は立派な犯罪だよセクシュアル・ハラスメントです。まあ、どっちにしても、お箸の国がどうしたこうしたってコピーの宣伝をしてたくらいの企業なので、ナショナリストだよセクシュアル・ハラスメントであることは疑いえないところです。



8月8日(土)「敗退行為」じゃん

 「わが軍」という言い方が大好きな永遠の若大将が阪ちんに11対0で負けていて、8回に代走の切り札を6人目の投手として起用したことをめぐって、あの現役大リーガーのダルビッシュや元大リーガーの上なんちゃらとかいうのが、なんと、現役時代に親会社が原発を推進している「球界の盟主」へ行きたくて行きたくて行きたくて行きたくて仕方なかった「球界のご意見番」と、意見を一にして、賛意を示しています。若大将によれば、「俺たちは勝つために戦ってる」(「わが軍」とか「戦う」とか、好きなんですよね、この人)そうですが、だったら、11対0だって、エース級を投入しなきゃダメじゃないんすかね〜。これじゃあまったく「敗退行為」にしか見えないですよ。そして「わが軍」を率いているのがなにより賭博が大好きな若大将であれば、「敗退行為」は大問題でしょう。まあ、「球界のご意見番」があの球団の批判なんてできるわけはないでしょうけどね。



8月9日(日)村の掟

 一生懸命やってるんだから文句を言うな的な言い回し、大笑いですが、しかしこういうのが結構通用するんですよ、この共同体においては。ついこの前も、手続きに不備があるからそのことを問題にしたら、「努力」を理由に、手続きに関する瑕疵はどこへやらです。忙しいところ、精一杯やってるのに、文句を言うなって、それ、よくある特攻の賛美とどこが違うんですかね。規約に反する対応を取ろうとするから、それを指摘しているのに、その行為が善良であることを理由に、規約破りを容認するなんてこともありました。こういうのって、正義なんかより、村の掟が重要だってことですよね。いっそのこと、「正しいふり」なんてやめて、「善良な人たちが善だと感じる村の掟」で動かせばいいじゃん。アホらしい。



8月10日(月)バカほどある代案

 「雨合羽着てイソジンでうがい」の代案なんて、アホほどありますよ。「雨合羽を買い取る」という詐欺を働いて雨合羽をがめるようなことはしないこと、とか、イソジンでうがいしてもCOVID-19を克服できるわけじゃないからイソジンでうがいするよう提灯持ちメディアに露出して公言しないこと、とか、雨合羽着てイソジンでうがいしても維新の支持者としか思われず「あんたそれでいいの?」状態なのでそんなことは死んでもしちゃいけないこと、とか、田中康夫を呼び出して雨合羽着てイソジンでうがいさせること、とか、それには吉本のクソ芸人たちもぜひ参加させること、とか、サラ金業者の顧問弁護士だったやつが辞任すること、とか、「共産党ウォッチャー」(by志位)の雨合羽うましかが辞任すること、とか。



8月11日(火)公務を忘れるほど忙しい首長たち

 「雨合羽着てイソジンでうがいしながら田中康夫を読む」政党関係者が、授業料をもらってるんだから大学は対面授業をしろとおっしゃっているそうです。まあ、これに対して「大学は頑張っている」なんて言う気はないし、手抜きしている人は手抜きしているし、しかし手抜きしている人は新型コロナとは関係なしに手抜きしているだけだし、ろくに対策も何も考えずに予定通りに春〜夏学期を開始し、全員が使ったらサーヴァーがダウンするようなシステムを包括契約して、Zoom は個人契約させ、さらに「学生が不利益をこうむらないように配慮せよ」とか立派なことを言ってくる大学当局はクソだとしか思わないです。ところで、まさかテレビに出るのが公務だとかふざけたことを言ってる首長たちは、給料分、登庁してお仕事なさっているのですよね。まさか公用車に乗ってたばこ吸ったりしてませんよね。まさかね。



8月12日(水)それ、ただの侵略だろが

 NHKの全国電話世論調査(8日から10日)によると、「相手の領域内でも攻撃を阻止する能力(敵基地先制攻撃)」保有について、「持つべきだ」が50%、「持つべきではない」が27%、「わからない、無回答」が23%だったそうです。どんな聞き方をしたのかは知りませんが、こんなのただの攻撃ですよ。要するに、ただの攻撃を認めるどころか、攻撃すべきだと答える善良な市民が半分もいるのです。ただの攻撃なのに「わからない、無回答」も2割以上って、まったく何なんでしょうか。もちろん、侵略したくって仕方ない者もたくさんいるでしょうが、侵略はいけないけど、「健全な」ナショナリズムは「自然なこと」とかほざくぼんくらたちがたくさん含まれていそうです。ったく、現代において、すべての戦争は「自衛」のための戦争であり、すべてのナショナリズムは「健全」であるってことがわからないんでしょうか。自己の戦争を侵略戦争だと言うようなやつはいないし、自己のナショナリズムを不健全だと言うようなやつはいないんですよ。ったく、道理でカンペ・コピペのモリカケ桜が居座り続けられるわけだ。



8月13日(木)副作用ではない

 イソジン吉村(一部では、差別主義者にして歴史修正主義者のなんちゃらクリニックのやつポビドンヨードをポピンヨードと言い間違えたのを受けてポピ村とも呼ばれている)が、今週は休みだと言ってたのにテレビに出るのかとテレビで言われて、「テレビ出演はすべて公務」と答えてるんですが、この人、何言ってんでしょうか。もうわけがわからないです。ひょっとしてあれですか、公務員の付き添いをつけても「私人」であることが閣議決定されるあれの妻とか、公用車で靖国に乗り付け、「内閣総理大臣」と記帳しても、私人として参拝したと言った小泉のバカ息子の父親とか、ああいうのと同じ類なんでしょうか。あっ、ひょっとして、イソジンによるうがいって、こんな副作用をもってるんでしょうか。いやいや、それはいくらなでもイソジンに悪いでしょう。実力だよね。



8月14日(金)うげっ

 かたくなにマスクをつけない人って、どのようなイデオロギーを生きているのでしょうか。マチズモはあるでしょう。強いオレさま(「オレ流」でも一向にかまいません)は、コロナなんかに感染しない、あるいは感染しても大したことはない、さらに他人に感染させたって知ったこっちゃない、といったところでしょうか。これらの点から、少なくとも反科学主義、オカルティズムを生きていることもわかります。「コロナなんかに感染しない」というのはたんなる信念であって、信念と現実は異なりますから。反体制を気取っている人たちも結構いますが、しかしけっしてアナキズムではなく、たんに民主的な縛りが気に入らないだけなので、基本的にはデスポティズムでしょう。会議とかでも、マスクをとって話すやつとかがいるんですが、これら全部があてはまりそうです。うげっ。



8月15日(土)暴力革命扇動案件

 ったく、報道なのに(報道じゃなくったってアホだとしか言いようがないが)、「おことば」って見出しをつける新聞社は、要するに共和制に反対し、出自にもとづく身分制を肯定するってことですね。それだけでも十分に暴力革命を扇動していると思いますが、そいつのじじいを最高責任者としてアジア諸国を侵略したことには一切ふれない全文を垂れ流しておいて「「深い反省」今年も」って、じゃあその「深い反省」とやらの中身をご主人さまに代わって示してみろよ。報道する者の責任として、それくらいやれ。中身が不明なら、発言者に問い質せ。それでこその報道だろうが。それとも新聞社は死滅一択の電通になり下がったのか。



8月16日(日)ただのイデオロギー装置

 日刊クソゲンダイDIGITALが、なんちゃらとかいう差別主義者である憲法学者の「これは、かの国に対する「内政干渉」などではない。これは「人類」と「世界」が中国による勘違いな挑戦に応えることで、中国に「文明」の共有を求めることに過ぎない」とかいう戯言を「専制と覇権主義は歴史に対する冒涜だ」とかいう見出しをつけて垂れ流しています。見出しだけを見たら、おお、日刊クソゲンダイDIGITALもやるなぁ、天皇制批判か、日刊クソゲンダイDIGITALのくせに、ようやく更生したのかと思ってしまいますが(←大嘘この上ない)、なんのことはない、ただの平常運転でした。日刊クソゲンダイDIGITAL、八紘一宇っていう覇権主義はご存知ないのだろうか。それが制度としていまだに生き続けている「この」国のことをご存知ないのだろうか。いやいや、十二分にご存知ですよね。だからイデオロギー装置として積極的に機能してるんですもんね。ばーか。



8月17日(月)隠されたミソジニー

 アマプラのCMに「スリーパーセル」発言でおなじみの差別主義者である自称国際政治学者が出るようになったので、アマプラを解約するという人たちが増えているそうです。もちろんその意思表示そのものには意味があると思いますし、正しいと思います。しかし、これまでだってあの体制べったし吉本芸人がCMやってたじゃないですか。あれは許せるけれどもこの国際政治学者は許せないというのは、まさにその中においてですよ、まさしくミソジニーが混入しているのではないかということ、このことはですね、ぜひ申し上げておきたいところであります。



8月18日(火)香山○カ

 ある精神科医が、「ファシズムに反対してます。ファシズム下では医者もおかしくなり、731部隊やT4作戦など専門知識を用いた禍々しい行為に走りました。それを絶対に忘れず、ファシズムを強く警戒しもし予兆があれば抗議します。」とかって書いてるんですが、驚くべきことに(←実は驚いてなんかいない)、この方、皇室万歳なんですよね。天皇制なんて、ファシズムの「予兆」どころか「ど真ん中」なのに、あれですか、「予兆があれば抗議します」とは書いたけど、「ど真ん中に抗議します」とは書いていないという、あれ語法ですか。「おかしくな」るの用法が差別的であるとは思いますが、この方、「ファシズム下」の「医者」なんですよ。自己言及ですか。



8月19日(水)クソ芸

 「過去を謙虚に問うことは日本の名誉につながる。」だのなんだのと、元首相が言ってるようですが、そりゃ「過去を謙虚に問う」なんてことはけっしてやらないあれなんかと比べればましかもしれませんが、それはあれがひどすぎるというだけの話であって、どうしてこういうコンテクストにおいて「名誉」なんてものがもち出されるのか、さっぱりわかりません。侵略の過去を認めるかどうかは正義の問題であってそこで問われるのは正不正であり、名誉があるとかないとかいう話じゃまったくないわけです。こういう「心情」の問題に帰するやり方は、法的責任は一切認めず、すべてをどうとでも言える道義的責任に回収するやり方と同一であり、この腐った共同体の隅々にまで及ぶ「クソ芸」です。隅々にまで及ぶ、ということは、もちろんアカデミズムの世界にも及ぶのであって、そこにおいても正義の問題がいとも簡単に心の問題に還元され「温情」が発揮されます。滅んでください。



8月20日(木)「価値中立」???

 この共同体の女性による保守運動を考察する論考があって、オンライン合評会があるので参加しようと思っていたら、もたもたしているうちに申し込みが締め切られてしまいました。著作のあとがきに、いろいろと謝辞が書かれてあるのですが、ある教員からは「価値中立を堅持することの大切さ」を教えてもらった旨、記されていました。合評会に参加できたら、「価値中立」とはどういうことなのか、そしてそれはどのようにして確保されうるものなのか、お尋ねしたいと思っていたのですが、しかし尋ねるべき相手は当該教員であり、指導を受けていた側ではなく、教員が答えるべき事柄を尋ねることはそれ自体、ひょっとするとハラスメントの可能性もあるのではないかと思うようになりました。いずれにしても、私にはとてもできそうにない「指導」です。



8月21日(金)監修は劇作家

 いざとなったら「むかしの日記だから」と言って逃げるに決まっていると思っていたNHK広島の創作ヘイトスピーチですが、監修は劇作家でサポートは演劇関係者だそうで、もうなんだかわかりやすすぎて乾いた笑いしか出ないところです。そんなわけで、逃げ方は「むかしの日記だから」ではなく、「芸術無罪論」ですね。それにしても、これが「共感」を目指した「創作」って、「井戸に毒を入れた」っていう「創作」によって「共感」を目指すのと、いったいどこが違うんでしょうか。もういちど、そこから再現しようってことなんですか。ったく、被害者意識しかない「片隅」がこの共同体の「ど真ん中」であることをわざわざ実証すんなよ。



8月22日(土)「気鋭の研究者」はどこ???

 『教養としての歴史問題』とかいう本の座談会部分が抜粋されて「日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由」というタイトルでネット上にアップされています。「議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か」という副題からして、もうまったく理解が及びませんが、論者たちは「気鋭の研究者」だそうで、そうなると私には「気鋭」の意味にも「研究者」の意味にも理解が及んでいないことになるかもしれません。そういえば、論者のひとりについては以前から知っていますが、すぐに戦術を語りたがる人でした。「曖昧になった右左の概念」とかいう小見出しもあって、出席者は「そうだそうだ」って言ってるようですが、だったら「右でも左でもなく」と前置きをするバカを、もはや批判はできませんね。だってこの人たちは「右」と「左」の区別をつけられないんだから、「右でも左でもなく」のアホが「右」だって言えないですからね。ああ、戦術的にはそれがいいんですか。しかしそれは死滅一択の電通的発想にすぎず、「研究」とは一切かかわりがありませんよ。



8月23日(日)『建築学概論』

 借りる時点で前に借りたことがあるのを教えられたのですが、しかしまあ、例によって内容をほとんど覚えていなかったので、再度観ることになったのですが、やめておけばよかったです。たぶん、前回観たときも、観なきゃよかったと思ったに違いありません。ひたすらつらいだけ、こういうのを平然と観ていられる人は、きっと成熟しているのでしょう。ともかく、友人の話が事実であれば、舌の話が面白かったとはいえ、友人はたんなる犯罪者です。「先輩」も飲酒運転のうえ、やっぱり犯罪者。そして本人は、相手が「眠ってる」のにそんなことをしてはいけません。犯罪です。そんなわけで、また忘れた頃にレンタルして、後悔するに違いない。



8月24日(月)出ました「覚悟」

 筋萎縮性側索硬化症の女性に対する殺人に関連して、「自分だったら生きたいと思わない」とか「もし私なら死にたい」とかいうネット上の発言はヘイトスピーチであると、ある学者が新聞で言っていて、それはその通りだと思いますが、理由を説明するときに、「例えば、なんでもいいですよ、「私がもし黒人として生まれたら、生きていられない、死んじゃう」」とか言って、議論を展開するのです。「なんでもいい」ヘイトスピーチの例なんてあるんでしょうか。差別を問題としている文脈で、あまりにも言葉が軽くないですか。自殺ほう助についても、これを社会制度として認めることには反対しつつ、「罪を覚悟したら可能だ」なんてことは言うべきじゃないですね。どうして正義の問題が「覚悟」などという心の問題に置き換えられてしまうのでしょうか。「覚悟」なんて、めっちゃ簡単にできますよ。「覚悟した」って言えばいいんですから。まさか、それは「本当の覚悟」ではない、とか言いませんよね? それともその道の権威になると、人が「覚悟」しているかしていないか、見極めることができるようになるのでしょうか。



8月25日(火)「覚悟」それ自体

 「覚悟」したなら殺人なんてするはずがない、と言う人は、「覚悟」するかどうかを殺人するかどうかの決め手としていないわけです。むしろ、殺人するかどうかによって、「覚悟」したかどうかを判定しているのです。そう指摘したら、いやいや、「本当に」「覚悟」したら殺人なんてするはずがない、と言い募るかもしれませんが、「本当に」なんて、いくつ重ねても、何の意味もないことは明らかです。私は「本当に」「覚悟」して殺人しました、って人が現れたら、それは「本当の」「本当に」じゃないと言わなきゃいけなくなって、もう永遠に同じことをやり続けるしかないからです。しかし哲学史的には、こういうのは「オッカムの剃刀」が使用されてそれで終わりです。こんな単純な話なのに、道義的責任が大好きなこのクソ共同体では、すべてが心の問題に回収されてしまいます。どんだけ心が清く美しいんだか、びっくりするばかりです(←大うそ)。



8月26日(水)ある専任教員の暴力性

 フェミニストの間で、現在ある件に関して論争が行われていて、日ごろ信頼を寄せツイッターを覗き見している人たちが意見を異にしています。論争のきっかけになった文章は読んだのですが、しかしその文章が現れるまでに前史があって、その前史を詳細に把握しているわけではないので、どちらの言い分に妥当性を見出せばよいのか、判断ができないままです。論争内容に直接関係するわけではないですが、片方の主張を支持する大学の専任教員が、本名を名乗らずに論争している相手に対して、本名を名乗るよう要求する点には、暴力性を見出さずにはいられません。当該の論争相手は、匿名性を利用して誹謗中傷を行っているわけではなく、自己の主張とともに妥当要求を掲げ、論拠も呈示しているわけです。そうであれば、重要なのは言説が妥当性をもつかどうかであり、その人がだれであるかは重要ではないでしょう。それともあれでしょうか、この大学教員の他のツイートに見出すことができるように、発言者がその世界の著名人であるかどうかが言説の妥当性を左右するのでしょうか。こういうのを、まさしく権威主義と呼ぶと思うのですが、違うでしょうか。



8月27日(木)その言い換えこそが問題だ

 件の、罪を覚悟したら自殺ほう助も可能だの人、これは「死に方」の問題ではなく、最期の「生き方」の問題だというようなこともおっしゃっていて、それを受けて「目からうろこ」とか言う人もいるのですが、こうした言い換えこそ、欺瞞以外のなにものでもない可能性はないのでしょうか。最期の「生き方」として、人に迷惑をかけてまで生きたくはないっていうのは、この共同体の倫理そのものじゃないですか。「死に方」を最期の「生き方」と言い換えることによって、逆に、あたかもみずから最期の「生き方」を選んだかのように見せかけることに、成功しちゃってませんか。要するにこれは、自己責任論者と変わらない論じ方になってますよ。まったくダメだと思います。



8月28日(金)アホですか

 なんとかという吉本の芸人が「おもんない」とハッシュタグを作られ、似顔絵つきのツイートをばらまかれ、「法治国家」に生きる者として訴訟を匂わせているそうです。「この国のことを愛してるだけやで!」という文言を含むタイトルのついたご高著がおありのようですが、パトリオティズムとナショナリズムを区別することによって自己の内なる「愛国心」を正当化して安心しているインテリとか、ナショナリズムの前に「健全な」という内容空虚な形容詞をつけてやはり自己の内なる「愛国心」を正当化して安心しているインテリとかと同種なので、まったく笑うことなどできません。いや、笑うことができないところか、番組内で堂々と犯罪を犯しているそうで(これを笑って見ていた現場の連中も共同正犯です)、「法治国家」に生きる者として、罪は償っていただく必要があります。笑いはすべてを超越なんかしませんよ、アホですか。



8月29日(土)まだまだあるぞ在職中の起訴

 報道がずっと「あれ特集」で、「天皇じゃねーんだぞ」とか、あれが「お辞めになる」とか「ご判断された」とか敬語を使って報道されているのを受けて「天皇じゃねーんだぞ」とか、じゃあ天皇だったらどうだっていうのか、まさしくご教示いただきたい中におきまして、これはですね、これはしっかりとその、申し上げておきたいところでございます。「疲れたから辞めたい」と言って憲法に違反してとっとと辞めたお祈りヤローを批判した者のみが、あれについても批判できるってわかってますかね。そうなると、批判できるのは8パーセントだけですか。そうですか。なんだか絶望的な気分です。表明しただけで居座るそうですから、まだ在職中に起訴する可能性はあるわけですね。公職選挙法違反で起訴しましょう。そうしましょう。



8月30日(日)臣民だから

 内閣支持率20ポイント以上、上昇。わはは。言うまでもなく、在職中、もっとも優れた判断を下したことによる評価ですよね。しかし病気のせいにしちゃってるところはいいんですか。それにしても、病気なのにこれまで「ありがとう」で20ポイント以上ゲットか。そもそも行政府の長がかりに仕事をしていたとしても、感謝するなんてわけがわからんわけですが、仕事をしていないどころか、悪行三昧の限りなのに、なにがどうなるとこうなるのか。いやいや、答えは簡単、心を大切にする臣民だから。



8月31日(月)まるでダメ

 前もこの手のものが届いたような気がするのですが、またしても、市の「多文化共生の地域づくりに向けたアンケート」への協力依頼というのがきました。依頼は市長名でなされ、問い合わせ先は「人権平和センター」内におかれている市の都市経営部「都市創造研究所」とかいうところ。なのにアンケートの送り先は株式会社であり、民間の調査会社です。どうしてこんな営利団体に丸投げをするのか、さっぱりわかりません。設問も、「以下のような人びとが増えることに賛成ですか」とか問われ、「以下のような人びと」として、「アメリカ人」とか「中国人」とかって、それがいったいだれであるのか何の説明もなく、選択肢として挙げられています。きっと、答えた者が判断したんだよ、って逃げるんでしょう。「以下の国々が好きですか」って、もはやアンケート事態が差別を扇動しているとしか考えられません。行政の仕事をきちんと行いたいのであれば、まずは差別主義丸出しの民間業者なんかに委託するんじゃなくて、自分たちでちゃんと設問から考えるべきだと思います。



9月1日(火)終息後は撤去

 昼を食べに生協食堂へ行くのは、「感染なんかしない、したって軽症に違いない、人にうつっても知ったこっちゃない」の日焼けしたマッチョたちが大騒ぎなので、命がけです。そんなわけで、さっさと選んでレジへ行けば、無人レジに誘導されます。「接触を避ける」とか「人と人との間隔を確保する」とか、口実はあるんでしょうけど、要するにこれって人減らしでしょう。今日は案内をしている職員の方に、「これって人減らしでしょ?」って尋ねました。「いやぁ、そういうんじゃ…」とおっしゃるので、「でも、人はいらなくなりますよね?」と言ったら、「まあそうです」とおっしゃって頭を下げてくるのです。いやもう、どうして首切られちゃう側の方に謝られないといけないのか。正義面して余計なことを言って、ほんとすみません。でも、生協幹部は猛省しろよって思います。



9月2日(水)類友

 あれの辞任表明を聞いて「切ない」と言った八王子出身の歌手は、ずっと前に古賀政男についてコメントを求められ、「古賀先生は…」と言いかけて、「あ〜らやだ「先生」だなんて、体制べったし」と言ったことがありますが、少なくとも当時は、それなりに権威のある作曲家のことを「先生」とか呼んでしまうことは体制べったしだと理解していたということでしょう。もちろんだからと言って、当時からご本人が体制べったしではなかったかどうかは、また別の問題ではありますが。この「切ない」発言を受けて、加藤典洋の二番煎じみたいな天皇主義者である白井なんちゃらが問題発言を垂れ流し、その垂れ流した問題発言を受けて、PCR検査不要論を力説しながらとっととこっそり自分は検査を受けていた差別主義者が朝日や毎日を叩くという、うんこはうんこを呼ぶうんこ連鎖の状況があります。その加藤典洋の二番煎じは、核武装論者なんですから、イデオロギー的にはとっととこっそり受検者と同じなんです。どーせみんなお仲間なんだから仲良くしなさいよ。



9月3日(木)言うまでもなく

 核武装論者にして天皇主義者の「夭逝すべきだった」発言は、言うまでもなく、生きるに値する命とそうじゃない命との区別および判定を前提としているわけです。したがって、この発言に噛みついている方は、言うまでもなく、筋萎縮性側索硬化症の女性に対する殺人を安楽死だの尊厳死だのと「正当化」しようとし、議論までしようとか言ってる(へー、議論できたんですか。てっきり雨合羽の収集と放置しかできないのかと思っていました)どっかの市長のことも批判してるんですよね。しかしこの党に関係する人たちの物言いは、たんに劣情に訴えるものにすぎないので、人には死ぬ義務があるともっと立派な言葉で哲学的に考察してしまうイデオローグを批判しないといけませんよ。なんなら当該クソ論文を紹介しましょうか。



9月4日(金)何も学んでいない

 多くのナショナリストというか帝国主義者というか差別主義者というか、そういった類の人たちが一斉に「改名」したんかいという「JE SUIS CHARLIE」とかいう騒動がありました。そのときの裁判が開かれているのですが、相変わらず、言論の自由がどうのこうのと立派なことだけが言われています。なぜその宗教を信奉する人たちがおふらんすにいるのか、なぜその人たちの信仰心が強いのか、そういう背景はいっさいなかったことにして、その人たちの信仰の対象を侮辱してみせることを言論の自由だと言ってのける、そのド厚かましさはちっとも変っていません。言うまでもなく、人を差別する自由も人を侮辱する自由もいっさいありません。少しは学んだらどうなんでしょう。



9月5日(土)でたらめ

 ××××は「悪」。悪い人。自分の利益のためなら平気で他人を蹴落す極悪人。息を吐くように嘘がつける人。都合が悪くなるとすぐ裏切る。闇の人と恋仲に。
 そんなことはないと思います。他人を蹴落とすとしたら、それは「自分の利益のため」ではなく、社会正義のためですよ。そもそも「嘘」はつけません。「嘘」の成立を説明しようとすると、意識哲学に戻る必要がありますが、しかしそれは言語論的転回以降、不可能です。都合が悪くなろうとなかろうと、社会正義に反した時点で、そいつのことは裏切ります。「闇の人」がどういう人かによります。天皇主義者は、わたし的には「闇の人」ですが、そんな人と「恋仲に」なるわけがありません。そんなわけで、「漢字1文字で表現するでたらめ」ですね。



9月6日(日)「政治を持ち込むな」←○○丸出し

 テニスの選手が白人警官による黒人差別に抗議して試合を棄権したり、抗議を明確に示す仕方でプレーしたりすると、「スポーツに政治を持ち込むな」という差別主義者がわいて出てきます。あれ、これって何かと似ていると思ったら、「アートに政治を持ち込むな」ですね。スポーツなんてバカにし尽くしているアートの人たちがいるとしたら、これって屈辱的な現象じゃないんですかね。バカにし尽くしているやつらと同じメンタリティなんですからね。そうそう、市長が雨合羽着て公用車でたばこを吸い、知事がイソジンでうがいして吉本のクソ芸人どころか関西のマスコミからちやほやされている(と「ぼくが感じている」)地で開催されるバンクシー展のコピーは、「天才か反逆者か」なんですよね。「アートに政治を持ち込むな」ってか。アホですか。



9月7日(月)「死ぬ義務」なんてあるわけがない

 「あいち国際女性映画祭2020」で、重い障害のある人が親が亡くなった後も地域で暮らし続けられるよう、家族や支援者らが奮闘するというドキュメンタリー「普通に死ぬ?いのちの自立?」が公開されているそうです。えらそうに哲学の用語を使って、人には「死ぬ義務」があるなどという論文を書いて公開する者は、大いに恥じてください。いや、恥じるかどうかはどうでもいいです。大いに自己の不正を理解してください。哲学的議論なんだから何を言っても許されるなんて、大きな間違いです。優生思想を肯定的に論じる者は、正義に反しているのですよ。人には「死ぬ義務」なんてありません。いったい何を学んできたんだよ、アホが。



9月8日(火)イデオロギー丸出しのバカ

 (9/5, 08:04)「お久しぶりです。同窓会のことで話があるので連絡ください。」
→無視
→(9/5, 17:05)「度々ごめんね。同窓会のことで話があるので連絡下さい。」
→無視(「えっ?」)
→(9/6, 08:00)「忙しいのかな?参加の可否だけ連絡くれない?困るから。」
→無視(「えぇっ?困らせてる?」)
→(9/6, 18:00)「今って電話できる?」
→無視(「できません」)
→(9/7, 08:00)「無視してるの?それって失礼じゃないかな?」
→無視(「やべぇ、怒らせた?」)
→(9/7, 18:00)「最低限参加の可否ぐらい伝えるのが礼儀じゃない?」
→無視(「礼儀とか知るかよ、ボケ」)

プログラムは、最終的には「礼」とか「礼儀」とかを口にすれば相手に届くと考えているイデオロギー丸出しのバカによるものと思われる。



9月9日(水)理解できる差別など存在しない

 この共同体に住んでいるヌッポソ人で、BLTが憎く憎くて仕方がないって人が何人もいるのは理解を超えていて、「普通に怖い」っていうのはその通りかもしれないのですが、その人がそう語る同じツイートで、「アメリカの白人右翼がBLMを嫌うのは、まあ実際に利害が対立するわけだし、分からないでもない」なんて言ってて、私は「普通に怖い」です。私は、あらゆる差別を理解することができません。どうして、この差別は理解できるけど、あの差別は理解を超えているなんて言えるんでしょうか。こんなことを言い出せば、すべてのナショナリズムが「よい」ナショナリズムであるように、またすべての戦争が「正しい」戦争であるように、すべての差別には理由があるんですよ。しかしそんなものを「理解」してはいけないんです。すべての差別は正義に反していると、なぜ言わないのでしょうか。



9月10日(木)理解できるわけがない

 上のツイートは、フェミニズムの立場に立つ方によるものですが、女性が社会に出られるようになると、それまでふんずりかえっていられた男性はその地位を脅かされることになるので、そうした男性が女性を排除しようとすることは理解できる、なんてその方は言うわけがないと思うのですが、やっぱ言うんでしょうか。もし言うのなら、ある意味では首尾一貫していますが、もつべきなのはそんな首尾一貫性ではなく、いかなる差別にも理解など示さず反対する、という首尾一貫性ではないでしょうか。



9月11日(金)いい差別なんてものはない

 高校の頃、同和教育がありました。クラスに帰国子女がいて、アメリカで部落差別の話をすると、色で差別をする人種差別は理解できるけど、部落差別は理解できないという反応が返ってくる、ということを、得々と話していました。しかし、色による差別が理解できてしまう人は、語り方によっては部落差別だって理解できてしまいます。なぜこんな単純なことがわからないのでしょうか。世の中にはいい差別と悪い差別があって、いい差別は理解できるが、悪い差別は理解できないんだ、とか言うんでしょうか。あるいは、「差別と区別は異なっている」という、「左でも右でもない」語法をもち出すんでしょうか。言うまでもありませんが、どっかのあほうどもとは異なり、こんな私的な経験にもとづいて、何事かを主張するわけではありません。私がいかなる経験をしようと、そんなこととは関係なく、いい差別なんてものは存在しません。



9月12日(土)税金使うな

「不沈空母」「風見鶏」でおなじみの中曽根康弘の合同葬儀とやらをやらかすことを、11日の、持病のためにまともな政治的判断ができなくなってる(しかしそれは言うまでもなく「持病」のせいじゃなくて、あれがあれだからにすぎないのですが)設定のあれが関係する閣議で決定し、合同葬儀には国費も使用されるそうです。ほほう。やっぱりあれですか、アジアに対する侵略戦争の際に、慰安所設置に尽力したからですか。しかしそれは政府が法的責任を認めるべき事柄であって(鶴見のアホとかがわかってなかったことです)、けっして顕彰すべき事柄なんかじゃないってご存知でしょうか。



9月13日(日)「目星はついてる」だろ?

 外国人技能実習生という名の奴隷は、たかだかぶどうを盗んだくらいで記事にされてしまいますが、農作業を強要されて落雷死しても、外国人労働者はなぜ雷雨の中で農作業をしてなきゃならなかったのか、明らかにしてもらえません。技能実習生の場合、技能を実習しに来ているだけなのに、なぜ6年間で171人も亡くならなきゃいけないんでしょうか。だれがパクチー盗んだかわかっちゃう慧眼のもち主なら、こうして外国人を殺しにかかっているのがだれなのか、当然わかりますよね。ちゃんとツイートしてください。目星はついてるって。もうこんなクソ共同体に来ちゃいけません。ここには何一つ学ぶべきことなどありません。



9月14日(月)知ってたけど

 件の慧眼のもち主は、「僕は生きていて、そもそも差別という概念はないですし、意識をすることもない。」ってお書きなんですが(右翼なんだから「国語」は大切にしないとね)差別という概念がわからないということなんでしょうか。もしそうだったら、ちゃんと学ばなきゃいけないし、ちゃんと意識もしなきゃいけないですね。そうじゃないから差別をやらかし、指摘されても、何を言われているのかわからないんです。いやいや、この方、ちゃんとわかってるはずです。だって、「差別なんて大大大反対」ってお書きだし、「差別を助長しているのは紛れもなく犯人本人」ってお書きですからね。あれれ、「犯人」によって自分は差別することになったんだ、ってゲロっちゃってますね。慧眼のもち主かと思いましたが、ただのクズ差別ヤローでしたか。知ってたけど。



9月15日(火)まさにパラサイト

 こっそりツイートをのぞいている方が、ときどき「あれ?」と思うようなことをお書きになって、まあ、意見が完全に一致するなんてことはありえないからそういうこともある、と思うようにはしているのですが、しかしやはり『パラサイト』を評価されるのはどうかと思います。内容についてはしゃべってくれるなと監督が言ってるので、あまり書けないわけですが、やはりなぜ DPRK を笑いものにするシーンを入れなきゃいけないんだって思います。いや、それはひょっとしたら、あの結末とつながってるんでしょうか。要するに、あの結末って、新自由主義も、もちろん資本主義も否定なんかしない、ってことですよね。次こそはうまくやるぞ、って話じゃないですか。そりゃハリウッドでウケてもおかしくないです。ちょっとだけ社会性をもたせてみて、金持ちの良心をくすぐりつつ、でもひっくり返したりはしないから安心、って映画ですよ。まさにパラサイト。



9月16日(水)ソン・ガンホといえば

 ソン・ガンホといえば、何と言ってもパク・チャヌク監督の復讐3部作の第1作目『復讐者に憐れみを』(第2作目は、あの『オールド・ボーイ』、第3作目は、観ててゲロ吐きそうになる『親切なクムジャさん』)だろうと思います。あの、だれひとり幸せになれない救いようのない映画。「観なきゃよかった」と、観たことを後悔してしまう映画。主人公の1人の姉さんのことを考えると、もうそれだけで十分憂鬱になれる映画。けっしてハリウッドなんかじゃウケない映画。



9月17日(木)近隣の国立大学法人による差別大会

 「菅少年、頑固者だけど女子に赤面 農家の長男坊が総裁に」という「それがどーした?」以外の何ものでもないクソ見出しをつけたクソ記事を配信するクソ朝日新聞クソデジタル版ですが、かがみよかがみクソ編集部とかいうのがあって、浪速大学近隣の国立大学法人で行われる「ミスコン」という名の差別主義的品評会に出場する差別主義者にインタヴューしています。ミス〇〇大学を差別とともに選出する以上、大学当局も当然、知るところでしょう。つまりこの国立大学法人は、公に差別を肯定しているわけです。ひょっとしたら、「学生が勝手に行っていること」とかなんとか言って逃げるのかもしれません。しかし、大学名が使用されているわけですから、もし許可も得ずに差別大会が行われているのであれば、抗議声明を出すとともに企画する学生を呼び出して、差別に抗する教育を施すべきでしょう。それが教育機関というものです。まさか、どっかの大学の憲法学者みたいに、「ミスコンは言論の自由である」とパフォーマティヴに差別を実行したりしないでしょうね。



9月18日(金)125万歩譲っても

 当該国立大学法人の「ミスコン」には、もっともらしい審査基準が設けられていて、たんなるルッキズムではありませんアピールをしているのですが、ほんとにバカですかとしか言いようがないです。そういうけっしてたんなるルッキズムではありませんアピールそのものが、それがルッキズムに他ならないことをゲロっているわけですが、125万歩譲ってたんなるルッキズムではないことを認めてやったとしても、こうして公共圏において人に序列をつけることそれ自体が差別なんですよ。インタヴューされてるのは、ある学部のぼんくらで、その学部に所属しているだけで「賢い」と思い込んでるところに大きな錯誤があってまったく「賢い」わけじゃないことを露呈しているわけですが、だからって、そのことを理由にそいつがダメだなんて言いません。そうやって賢いか賢くないかで順位づけをすること、そのことが差別だと言ってるんです。ある大学の入試で女性だからという理由で80点減点という不正がありましたが、品評会の基準に賢さをもちこんだところで、名誉男性を生み出すだけのことであり、不正がなされる構造的差別の解消にはまったく結びつきません。



9月19日(土)クソ編集部

 言うまでもありませんが、こんな堂々と公的になされる品評会差別を企画する差別主義者も、こんな堂々と公的になされる品評会差別を容認している当局も、こんな堂々と公的になされる品評会差別にのこのこ参加する差別主義者も、非難されてしかるべきですが、こんな堂々と公的になされる品評会差別を宣伝するかがみよかがみクソ編集部とかのやつらも、共同正犯ですからね。ジョディ・フォスターって知ってますか、って話ですよ。編集長とやらが書いてるポエムらしき散文を読んでしまいましたが、「もう、自分の評価を他人にゆだねるのはやめよう。他人と比べて卑下したり、嫉妬したりするのをやめよう。」ですってよ。「ミスコン」って、自分の評価を他人にゆだねることじゃないんですか。なるほど、「ミスコン」出場を推薦されないからって「卑下したり、嫉妬したりするのをやめよう。」ですか。差別主義者じゃない限り、そんなアホなことで卑下したり、嫉妬したりなんてするわけねーじゃん。電通とともに一刻も早く滅びてくれ。



9月20日(日)ひとり不買運動

 テニスのトーナメントでプレーしながら黒人差別に反対するアピールを行った「スポーツに政治をもちこむ」(というか、厳密にはもちこむももちこまないも、スポーツにだってつねにすでに政治は宿っているのですが)すぐれて政治的な人が所属するスポンサーのセクハラ全開ポスターには、「大坂さんのことを好きになってもらえたら勝ちだなという結論にたどり着いたので、かわいい情報を置いておきます。」とあります。「大坂さんのことを好きに」なるには、大坂さんは「かわいい」ところをもってなきゃいけないんですか。そうですか。またしてもひとり不買運動を敢行しなければならなくなってしまいましたが、しかしそれらの隣に置いてあるのが東洋水産で、これってこれまたセクハラの武田鉄矢じゃないですか。もうカップラは食うなということですか。



9月21日(月)「○○年9月21日、ぼくは死んだ」

 「〇〇20年(〇〇には、クソ元号)9月21日、ぼくは死んだ」というセリフで始まる、野宿者を追い出して警備員が警備する公園と化した場所に出店するもう電通とともに死滅した方がいいジブリの制作したアニメがあります。原作者は反米ナショナリスト(世の中には、「反米」だとすでに「左翼」であると思っているまぬけがたくさんいますが、それはまったくの誤謬です。加藤典洋だって白井なんちゃらだって、立派な「反米」ですが、ミジンコワムシほども「左翼」ではなく、たんなるナショナリストです)だと思いますが、あそこで描かれていることは、原作者の意図なんて無視して普遍性をもちうるだろうと思っています。たぶん1度しかテレビで観たことがありませんが、とても2度目を観ようとは思いません。



9月22日(火)イ・ビョンホン

 内容はうろ覚えだけれど、しかし観たら絶対に観なきゃよかったと思うことは確実にわかっていて、にもかかわらず観てしまって、確実にわかっていたとおり、「観なきゃよかった」と思いました。『悪魔を見た』と続けざまに観て、『悪魔を見た』も、アキレス腱を切断するシーンとか、捕まえた女性の首をはねるシーンとか、「観なきゃよかった」シーンはあるのですが、しかしそういうシーンは実際には観ないので、観終わって疲れるけれども、ダメージは大したことないわけです。それに比べて『夏物語』ときたら…。街中へ出て、ラジオで音楽を聴くシーンがとんでもなく美しいのですが、しかしだから一層、憂鬱になってしまいます。ああいうことは、実際にあったのだろうと思いますが、元をただせば侵略した日帝のせいです。



9月23日(水)だからこの人は信用できない

 オンラインで授業となると、とりわけ大学なんかの場合、いわゆる「潜り」が非常に簡単に可能になります。私は、オンラインに限らず、いわゆる「潜り」の聴講者なり参加者がたくさんいることは素晴らしいことだと思いますし、それこそが大学のありようだと思っています。しかし言うまでもなく、それは教員が公に認めることではないとも思っています。教員がツイッターやらなんやらで、自分の授業には潜れるよ、なんて宣伝すべきではないと思っているわけです。なぜかって、それじゃあけっして安くない授業料を支払って受講している人の権利を侵害していることになるからです。邪魔をしなきゃいいとか、そういう話ではありません。授業料なんてとってなくてだれにでも文字通り開かれているのなら、問題ないと思いますが、そのとき「潜り」なんてことはそもそも成立しなくなります。自分の授業には潜れるよ、ってツイッターやらなんやらで言ってる大学教員、ちゃんと公的領域と私的領域の区別くらいつけてください。それともあれでしょうか、お金を出して受講する人はマヌケってことなんでしょうか。



9月24日(木)「共産党ウォッチャー」って

 どっかの雨合羽着て公用車に乗りたばこを吸ってる(と、「ぼくが感じている」)市長が、都構想の住民投票で「負けたら政治家終了」とか言ってるそうです。あれ、都構想の住民投票って、とっくに否決されたんじゃなかったでしたっけ。えええー、まさかもう1度やるとか、言ってるんですか。もうびっつらこの上ありません(←大うそ)。都構想に反対する者は説明会に来ないように言い、否決されなければ大阪市がなくなることを明確に記載することに反対し、雨合羽はないよりマシと言い、共産党書記長から「共産党ウォッチャーの松井さん」と呼ばれ、その場で自分自身に領収書を出している自党の議員の不正を暴露されたようなやつは、否決される前にとっとと退場すべきなんですよ。



9月25日(金)あたかも「終了」してないみたいだな、おい

 それにしても、雨合羽着て公用車に乗りたばこを吸ってる(と、「ぼくが感じている」)市長による都構想の住民投票で「負けたら政治家終了」って、虚偽に満ちた発言ですよね。こんなふうに表現するための前提条件として、この雨合羽はあたかも現在は終了していない政治家であるかのようじゃないですか。えええー、もうびっつらこの上ありません。突然、市立病院をコロナ専用病院にするとぶち上げたり、突然、雨合羽を買い取ると嘘ついて雨合羽祭りを開催したり、お友だちに便宜をはかったりすることが政治だと思ってるんでしょうか。「共産党ウォッチャー」だからって、政治家とはかぎりませんよ。たんなる右翼のおっさんだって十分共産党ウォッチャーたりえます。虚偽に満ちた発言をしてはいけません。



9月26日(土)根強くて悪かったな

 「進むミスコンの脱・性別化 それでも根強い「やめたら」」。クソ朝日新聞クソデジタル版の見出しです。なるほど、クソ朝日新聞クソデジタル版は、かがみよかがみクソ編集部があるだけあって、そしてクソ編集部のクソ編集長がいるだけあって、全力で差別を肯定するってことですね。なにが「根強い「やめたら」」だ???差別に対して「差別をやめろ」と言ってるのに、反差別が根強いって、おまえら何考えてんだ???「脱・性別化」って、じゃあなんで「ミス」とか「ミスター」とか言ってんだよ、ボケが。本文では差別に差別を上塗りして「差別して何が悪いんじゃ」状態を作り上げていますが、そんなに人の間に序列をつけたいのかよ。それを差別って言うんだよ、知らないのか。あれか、「序列化」は人と人の間に序列を設けることであって、「差別」は差別をすること、とかほざくのか。バカ丸出しだな。電通と一緒にこの世から消えてくれ。



9月27日(日)きっと批評性など皆無だろう

 浪速大学のなんちゃらバトルで明治はよかったと寝言を言う歴史妄想作家が取り上げられているわけですが、ちゃんとそいつの描く歴史はナショナリズムを喚起するたんなるプロパガンダフィクションだって紹介してるんでしょうね。「豊臣秀吉の壮年期を扱った作品」とかフツーに書いてますが、こいつが元祖朝鮮半島の侵略者だってちゃんと紹介してるんでしょうね。有田焼は、こいつが朝鮮半島を侵略したときにさらってきた朝鮮人たちによって製造されるようになった磁器だって、ちゃんと紹介してるんでしょうね。『坂の上の雲』を読むと興奮すると言ってたバカなナショナリスト(←冗長句でした。バカじゃないナショナリストなんて存在しないわ)がいましたが、そんなバカを拡大再生産するようなことはやめたらどうだ。



10月2日(金)1条〜8条がまるまる不正

 それにしても、「…にもとづいて、××が任命する」にもとづいて、あれの番頭だったやつが学問の世界に介入することは、もちろん批判されるべきことだと思います。これを批判する人で、この元番頭の言い分にしたがったら、「…にもとづいて、内閣総理大臣を任命する」やつの独断を認めなきゃいけなくなるとおっしゃってる人がいるんですが、いやもう、そのとおりじゃないですか。だから、憲法にそんな文言が残ってることそれ自体が間違いであり、不正なんじゃないでしょうか。そういう文言があっても「実力」をともなっていないのだから、とりあえずは問題ないとか言っちゃうクソリベラルは、侵略戦争の最高責任者の息子の「疲れたから辞めたい」という意向を、国会が全会一致で承認した憲法違反を思い出してください。



10月3日(土)なんでそんなバカが監督なんだよ

 ほとんど個人的な怨恨か、社を挙げての怨恨か、トラに食われたことでもあるのか、阪神電車に乗車拒否でもされたことがあるのか、よくわかりませんが、ともかく阪ちんをこき下ろすことしか能のないクソ日刊ゲンダイクソデジタル版ですが、トレードするしかないなどとろくでもないことばかりを書き散らしてきた球界の至宝である阪ちんのエースが中継ぎで160キロを連発するようになると、「再生への不安材料は安易で芸がないベンチの鈍感さ」だそうです。あれれー、トレードしなくてもいいんすか。今度はベンチの鈍感さのせいですか。でもこんなクソ日刊ゲンダイクソデジタル版ですが、「フロントが「落合監督」を招聘することは絶対にない」と見出しをつけています。梅田で改札出て「聖地」へ続く階段でこけたかなにかして以来怨恨をもってるのだと思われるこいつらの言うことはいつもでたらめですが、このフロントの正しい判断については合っていることを心の底から願います。「父の遺言」と抜かして原発球団へ行ったようなバカが監督なんて、ふざけるにも程がある。



10月4日(日)へー、そうなんだ

 諸般あっていろいろのぞいているのですが、「トランスジェンダリズム問題を語り合う言論空間」というサイトがあり、そのサイトについての広報を行っているツイートに対して「本質主義的に女性の枠をギチギチに決めておいて何から解放されたいのだろう。」と、パレットーク関係者が批判的にリツイートしています。パレットークは「漫画でわかるLGBTQ+」を謳い、漫画でいろいろと教えてくださるわけですが、その第81作目は、FTMとMTFがテーマ化されています。具体例を挙げたご教示によれば、「生まれた時の体が女性」だけど、「物心ついた頃から」「はい!お人形」と言われても興味を示さず、「スカート嫌」「ピンク嫌い」で「ロケット欲しい」って子どもは、「自分が男であることを自認し自分の体に違和感を持っているんだ」そうで、こういう人のことを「FTMと言うよ」ですって。ごていねいに、「最初から全部理解しようとしないでできるところから覚えていくのがいいと思うよ!」ってアドヴァイスまでつけてくださっています。は〜い、ロケット欲しいって思うのは男性で、お人形に興味を示し、スカートとピンクを好むのが女性だってことですね、できるところから覚えていきますねー。



10月5日(月)「本質主義」って何ですか???

 上述のように「本質主義的に女性の枠をギチギチに決めておいて何から解放されたいのだろう。」とおっしゃっているのは、パレットークの副編集長なのですが、この方のおっしゃる「本質主義」とはいったい何なのでしょう。「生まれた時の体が女性」とお書きなので、まず、ある一定の「体」をもつ人のことを「女性」と呼ぶことは、本質主義ではない、とお考えなのでしょう。そして、お人形に興味を示し、スカートとピンクを好むのが女性だと理解することも(まさかそう理解しているわけじゃない、なんて言わないですよね。「できるところから覚えていくのがいい」と、「無知」を相手にご教示されているのだから、その内容に「自分はそんなふうには理解してないけどね」なんてことを含めちゃいけませんからね)、本質主義だとはお考えではないわけです。ひょっとしたら、「最初から全部理解しようと」しちゃってるからわからないのでしょうか。しかし「トランス」が「本質主義」に対するアンチテーゼなのだとすると、「本質主義」ということで何をお考えなのかをわかることは、けっして「最初から全部理解しようと」しちゃってることにはならないと思うのですが、どこかで教えてくださっているのでしょうか。



10月6日(火)同志社の人や名誉教授とかも

 昨年も同じような声明が出て、賛同署名を募っていたけど、どうして「現在の日韓関係悪化の直接的なきっかけは、2018年の元徴用工を原告とした損害賠償請求裁判の大法院判決であり、それをめぐる両国政府間の葛藤、あるいは国民を巻き込んだ感情的なやり取りです。」なんてことを言って、あたかも双方に非があるかのように書き立てるものに賛同できると思っているんだろうか。「現在のデッドロック状態から抜け出す知恵を両国は互いに出し合うべきです。」って、司法の決定に対して政府が口出ししろって言うんですか。こんなもの、あれとかあれの番頭とかと同じ発想なのに、呼びかけ人として名前をさらしちゃう人がいて、ああこういう人たちが「アジア女性基金」に賛同して「良心」を示したつもりになるんだろうなぁと思ってたら、呼びかけ人名簿の一番最後にあらら。柄谷も、人の言いなりにならないでもうちょっと考えたらどうなんだろうか。



10月7日(水)78年も生きてきたのに

 同性愛が広がれば足立区は滅びるといった内容の発言を、自宅で寝る前に用を足しながら垂れ流したのではなく、区議会において堂々と言いやがった区議会議員は、発言の撤回も謝罪も拒否したわけですが、「当事者が不快に思っても別に良い」そうです。なるほど、差別発言を行えば、だれかを不快にしたかどうかなんてことは問題じゃないし、発言を撤回したり謝罪すればすむ問題なんかじゃないぞ、ということですね。よくわかってらっしゃいます。もちろんこの自由民主党の区議会議員の差別発言は、だれかを不快にするかどうかとは無関係に、差別発言であるがゆえに糾弾されるべきであり、発言が撤回されようが謝罪が行われようが、そんなこととは関係なく、こいつには少なくとも議員を辞めてもらうべきですね。



10月8日(木)役に立つわけない

 ある編集者の方が、『科学朝日』という雑誌の1944年3月号のことを紹介されています。特集は、「戦争と数学」だそうで、数々の数学者が数学はいかに戦争に役立つかをこんこんと説いているそうです。これらの数学者たちも、そうしないと生きていけないとかって考えた末のことなんでしょうか。「も」というのは、<人文学なんて社会の役に立たない>言説に対して、人文学がいかに社会の役に立つかをこんこんと説き、そうしないと生きていけないとかって言い訳をする人文学者たちがいるからです。<人文学なんて社会の役に立たない>言説が前提とするのは、役に立つ者のみが生きてもよいというイデオロギーであって、要するに選別思想であり優生思想であって、差別以外の何ものでもないわけです。ですから、人文学がいかに社会の役に立つかなんて、こんこんと説いてはいけないのであり、役に立つことを要求する者は差別主義者であると、イデオロギー暴露を行うことこそが肝要なのだと思います。



10月9日(金)改名クソベルリン

 「平和の少女像」の設置許可をベルリン市が取り消しました。ろくなことをしないこの共同体の外務大臣が撤去を要請し、市当局がアホだからそれを受け入れたというわけです。ドイツでは、以前、フライブルク市も圧力に負けて「平和の少女像」の設置を断念しています。要するに、フライブルクやベルリンは、歴史修正主義に加担し、差別に加担するという姿勢を見せたわけですね。ベルリン好きなヌッポソ国籍をもつ人は結構いるわけですが、まあ、アートに政治を持ち込むな系どか「健全な」ナショナリスト系とかであり、こういう市当局の対応にもぴったり符合します。フランクフルトでは、言うまでもなく、昨年10月に大聖堂近くの「Haus am Dom」に設置され、その後、ゲーテ大学にも設置されました。フランクフルトはけっしておされ系の街ではありませんが、少なくともこの件に関しては、きわめてまともな街です。



10月10日(土)パレットーク大先生

 「ノーベル化学賞「リケジョ」コンビ初の快挙 女の子もシンデレラより科学にときめく時代はやって来るのか」というのは、ヤフー・ニュースのクソタイトルですが、しかしパレットーク大先生に教えていただき「わかるところから覚え」たことからすると、「シンデレラより科学にときめく」「女の子」は、「FTMと言うよ」なんですよね。だってパレットーク大先生によれば、お人形に興味を示さず、スカートとピンクが嫌いでロケット欲しいって思うのは、「男の子」であり「男性」なんですからね。パレットーク大先生、そういう発想こそ、まごうことなき本質主義であって、この認識って、ジェンダー論の基本中の基本だと思うんですが、ひょっとすると「最初から全部理解しようと」してるからダメなんでしょうか。しかしパレットーク大先生は、最初からまったく理解できてないんじゃないですか???



10月11日(日)もう言われる方が悪い

 「僕のことはキライでもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンスなんです。」ってコピーとともにご尊顔をさらしたポスターで、かつて都構想への賛成投票を呼び掛けた平熱パニックさっさとPCR検査さまに、人文系の学者は「自分は賢い!一般国民はバカ」と考えていると言われてしまっています。ホント、人文系の学者はサイテーだわ。だってさっさとPCR検査さまの子分である公用車に乗って喫煙している雨合羽うましかさま(と僕が感じている)は、「大阪都構想、ラストチャンスに賭ける」って見出しで、今回何かしゃべってるんですよ。ラストチャンスを2回も使うなんて、よほど語学力がないか、人をバカにしているかどちらかでしょう。そんな検査さまにこき下ろされてるんですから、人文系の学者はサイテーと言わざるを得ません。



10月12日(月)すげーな、とっとと

 <政策に文句があるなら政治家になれ>が口癖で、高校生に対してもそのようにご高説を垂れたことのあるとっととPCRさまですが、じゃあ、学者の行うことに文句があるなら、ご自分も学者にならないといけなくなるわけです。ところが、こんな切り返しはまったく批判にならないことに、クズ人文系の一研究者が気づいてしまいました。この論法が最強なのは、とっととのなすことに文句があるのなら、とっととになれってことを、これは含意しているからで、しかし雨合羽うましか氏とか田中康夫は別として、だれもとっととなんかにはなりたくないので、けっしてとっととに文句は言えなくなってしまうという結論に至るからです。すげーな、とっとと。



10月13日(火)浪速大学公認

 スコーパスに載ってないような人文系の学者の研究はクソだ、そしてついでに人文系の学者はクズだ、というようなことをおっしゃっていた(そしてツイートは削除されたそうですが)アカウント名が「理系猿」の方、浪速大学のレーザー研にお勤めだそうですね。この方のツイートに対する、人文系の学者の業績評価はスコーパスじゃ測れないという批判はまったくその通りなんですが、しかし浪速大学では、部局評価の指標のひとつがスコーパスへの掲載論文の数なんですよ。研究科長がこの指標はおかしいと何度か申し入れたことがありますが、少なくとも昨年度までは変更されていません。つまり、何も「理系猿」だけが極端に人文系をディスってるわけじゃなく、浪速大学においてはその発想が本部公認の本流だってことです。ところでレーザー研て、浪速大学憲章だか規約だかで禁止されている軍事研究を、米軍から補助金もらって行ってて暴露された部署ですよね。なるほど、軍事研究に反対する学術会議はけしからんわけですね。



10月14日(水)「プロぼっち」

 ううう、「プロぼっち」に認定されてしまいました。これではあまりにも他者がいないかのようではないですか。もちろん、いかにも他者のことを考えています的な、そしてなにが意味ありげな無意味なことを言ってスカしている「レ」で始まる現象学者みたいなのはお断りですが、だからと言って、堂々とオナニズムに耽るオレカッケー的なのも、ご遠慮申し上げたいところです。だから一応、判定に文句をつけることにします。「孤独を愛し孤独に愛された人」って、「愛され」ちゃったら、ちっともぼっちじゃないじゃん。「1人で遊園地に行けるレベル」だって? 遊園地なんて行かねーし。バカ言ってんじゃねーよ。おまけに、「結果をみんなにシェアしよう」って、ぼっち認定したんじゃないのかよ、ちゃんと首尾一貫しろよ、ったく。という悪態のつき方が「プロぼっち」かな。ざまぁみろ。



10月15日(木)まるで雨合羽うましかだな

 固有名(書くと〇〇になりそうなのではばかられる)の後に(大阪市長)ってついてるアカウントのやつが、市民に対して住民投票での「賛成」を要求するなんて、こいつ本当にバカなんだろうか。バカなんだろう。まあ、これまでやってきたことのすべてが、「公的な事柄は私的な事柄」っていう小学生ですらわかるような「大間違い」だから、そういう意味じゃ首尾一貫してずっと間違い続けているわけで、ずっとバカなんだろう。こいつのすごいところは、サラ金業者の顧問弁護士なんかとは違って、この区別が本気でつけられないところかな。どうして公用車を私的に使用して喫煙しちゃいけないんだ、おれは行政府の長だぞ、とか考えてそうだもんな。いや、「行政府」なんてわからんか。



10月16日(金)自然な弔意なんてあるわけがない

 侵略者である皇軍のために侵略先で「慰安所」設置に尽力しその自慢話を公にしていた不沈空母風見鶏国鉄解体労働運動弾圧ロンとヤスのヤスの方の税金を大量につぎ込んだ葬式に際して弔意を示すよう、政府から恫喝されている件について、いつもツイートをのぞいている方が、「自然に湧き上がる感情であるはずの弔意」とかおっしゃっていて、さすがにそれはないわーと思っています。弔意なんて、社会的に構築されるものでしょう。そんなところに自然をもちこんだりしたら、弔意をもたない者は自然に反する存在者だってことになっちゃいますよ。しかし自然法則に逆らうことなんてできません。ですから、批判されるべきは、あんなやつに対する弔意を社会的に構築しようとしていることそのことです。



10月17日(土)粛々と屈服

 共同通信が、文科省による恫喝に82の国立大学法人がどのように屈するかを調査し、東京新聞Web版が記事にしています。見出しに大学名+「粛々と要請に従う」と書かれたあの大学は、記事本文で、「粛々と要請に従い、掲揚する」と答えた旨、記されています。その大学、弔意を要求する通達文書が、ある部局では届いたそうですが、実は文学研究科では、少なくとも教員のメーリスには配信されませんでした。まさかそいつだけ、そのときメーリスからはずされていた、なんてことはないでしょう。これはやっぱあれでしょうか、そんなことをしたら騒ぐやつがいてめんどくせーという判断なんでしょうか。それにしても、選挙前に特定の政党に肩入れしたような発言を授業などで行ってはいけないというなんちゃってニュートラルを求めるクソメールは送りつけてくるくせに、ロンとヤスのヤスの方の葬式に際して「粛々と」(=ほいほい)弔意を示す屈服ぶりは、臣民の鑑ですね。ご立派。



10月18日(日)残るのはほんのわずか

 不沈空母に対して弔意を示すよう要求されると文句を言う人たちのなかで、どれほどの人が、これが予行練習となっている、次にやってくる「疲れたからやめる」のときにも文句を言うでしょうか。臣民内田とか臣民高橋とか、あるいは香山リカとかは、風見鶏への弔意はもたないかもしれないけど、侵略戦争の最高責任者の地位をまるまる引き継いだ息子に対する弔意はあふれんばかりにもつことでしょう。それがいかに間違ったことかってわかりますか。それは不正ですよ。この不正を理解できない者は、ロンとヤスのヤスの方に弔意を要求されたって、文句は言えません。これら臣民は、よい差別と悪い差別があると言ってるだけですからね。言うまでもありませんが、すべての差別は不正です。



10月19日(月)クソまみれ

 あるクソ大学では、学生アンケートなどで評判が高かった教員がオンライン授業の手法を紹介するとかいうウェブの学内イベントを開いたそうです。あるクソ男性教員は、フィルターアプリで、顔を若い女性に置き換えて学生の注意を引いたそうで、「学生から予想以上の感激の声が寄せられた」と記事にされています。記事では、これを「学生の孤独感に配慮した小さな工夫」として紹介しています。いいですか、こんなことをやらかすクソ教員も、こんなクソ教員を高く評価するクソ学生も、こんなクソ学生に評価されるクソ教員を学内イベントでしゃべらせるクソ大学当局も、これらをすべてまったく批判もせずにまるでよきことのように報道しているクソ新聞社も、まずはセクシュアル・ハラスメント防止のための講習会を100時間くらい受けてください。まったくバカですか。言うまでもありませんが、こんなクソイベントをやらかしておいて「講義の質の向上に向け、好事例共有の気持ちが現場に芽生えている」とか言ってるバカ学長は、真っ先に反省文を書いてください。



10月20日(火)『魔女』

 「もう1度観たくなる」とだれかが感想を書いていましたが、たしかに1週間に2度観てしまいました。<女のくせにそのかっこはなんだ?>とかいったようなことを、里親のじいさんが2度も言いますが、その場で首をひねってやればよかったのに、と思いました。それ以外は、まったくスカッとする映画です。「レベルが違う」というセリフが何度か出てきますが、実にその通りです。牛の飼料を載せてトラックを無免許運転しながら聴いてる歌が吉幾三みたいなやつで、ほんと「レベルが違う。」見事に騙されましたが、監督は『悪魔を見た』と『新しき世界』の人でした。殺し方が、徹底して凄惨です。



10月21日(水)何が「文革化」だよ

 授業で学生たちに「ハイルなんちゃら」を言わせる人が、学問に対する政府の介入に関して、やはりというか、「文革化」とか言っちゃうんですよねー。ナチズムやらの研究にはご熱心で、だから「ハイルなんちゃら」と言わせるわけですが、そんなことをわざわざ再現しなくても、正月の一般参賀を見せればわかることなのに、そういうことはしないんですよね。それで「文革化」を問題にする。8パーセントに属する私には、何かと言えばウィグル自治区を問題にしたがる人たちまであと一歩にしか見えません。



10月22日(木)線香屋

 安保法案だって共謀罪だって国旗国歌法だってなんなら都構想だって賛成してきたクソ線香屋に、「攻撃する自衛隊を認めないで」などと申し入れをしている人は、むしろ犯罪的なんじゃないでしょうか。これはけっしてシニシズムではなく、そんなクソのようなことをしても何も変わるわけないのに、それをわかりきったうえで申し入れて何かした気になってるクズっぷりが不正だと言っているのです。柄谷が、冷戦期にはソ連さえ批判していれば自分がまっとうな左翼として何かしらしているような気になれたと言ってますが、それよりはるかにひどいことです。比べることすらおぞましい。あんな線香屋になにかを期待すること、それ自体が犯罪なんです。そうですよ、信仰は犯罪です。あったりまえじゃん。



10月23日(金)まさか理論的支柱ではあるまい

 女湯と男湯に分けることが明治期に成立した慣習であるかどうかは存じ上げておりませんが、かりにそうだとして、その「たかが明治期にできた慣習」と普遍的な人権のどちらを優先すべきかは自明だというような雑な議論しかできない人が理論的支柱だとしたら、きっとその人が属する側の議論はろくでもないと考えられてしまうので、その人が属する側のものを考える人たちは、その人は理論的支柱でもなんでもないと言うでしょう。普遍的な人権が認められるべきことは言うまでもありませんが、目下の問題は、その普遍的な人権の内容が何なのかです。普遍的な人権の内容と普遍的な人権という形式を比べてどちらを優先すべきかなんて問いは、そもそも問いとして成立しないのに、あたかもここに二者択一があるかのように語るのは、わからずにやってるのならどうしようもないけど、わかってやってるのなら詐欺師以外の何者でもありません。



10月24日(土)ただの論点先取

 内容と形式を比較しておいてあたかもどちらかがどちらかに優先されるかのように語り、自分が普遍的な人権であると考えている事柄がそう考えていない事柄に優先されるのは自明であるかのように語っているわけですが、これはたんなる論点先取にすぎません。「たかが明治期にできた慣習」と語ることも印象操作のひとつですが、女湯と男湯を分けることが、ことによると普遍的な人権の実現であったと言えるかもしれない可能性がなぜ消されているのか、何の根拠も示されていません。要するに、件の雑な議論は、私が普遍的な人権だと考えないことと私が普遍的な人権だと考えることのどちらを優先すべきかは自明だと言ってるだけです。



10月25日(日)革命ロマン主義

 「トランス女性への差別には死刑を含む厳罰が課せられるべき。暴力革命を通してプロレタリア独裁の革命政府が成立し、私がそこの執行機関に入れば、トランス女性差別アカウントの中の人間をすべて特定し、特に悪質な者については公の場で石打ちの刑にでもして処刑する。暴力こそが正義を保障する。」だそうです。この方は、死刑制度が国家による殺人を肯定するだけの制度だとお考えにならないのか、あるいは国家による殺人を肯定されるのか。どっちにしても、この方のお考えになるプロレタリア独裁って、死刑制度を残すんですね。じゃあダメですね。そして革命政府において人を処刑する地位におつきになるおつもりで、権力欲を隠しもしないんですね。暴力は暴力である以上、すでにそれ自体正義に反しているのであって、正義を保障するわけがありません。こんな革命ロマン主義のメンタリティじゃ、右翼と変わりませんよ。



10月26日(月)『美しい夜、残酷な朝』

 オムニバスなんですが、パク・チャヌクが監督でイ・ビョンホンが主役だから何とか観ることができたのが1本目。クソ面白くもない「エキストラ」の言い分には、「はいはい、ぼくちゃん大変なんですね〜」とねぎらってあげましょう。2本目は、まったくみませんでした。三池なんちゃらなんて、ミジンコワムシほどもみる気になりません。3本目が、実にひどい。ゲロ吐きそうになりました。そんなわけで、カネと時間を返せ。



10月27日(火)こいつの漫才が面白かったことなど1度もない

 「小さなことからコツコツと」と、クソつまらないスローガンを立て、首班指名でしっかりと不沈空母風見鶏慰安所設置者国鉄解体労働運動破壊ロンとヤスのヤスの方に投票したバカがいましたが、そいつが文化功労者だそうです。いったいどんな文化に功労したんでしょうか。そいつの漫才と言えば、相方の犯罪歴をネタにするものか、外国人の妻をネタにするものか、あるいは目が大きいことをネタにするものか、それに尽きるわけです。こう列挙すると、どれもまったく笑いと結びつかないところが明々白々です。あれですか、この地には、無垢を装って保守反動歴史修正主義を堂々と主張できる「文化」があり、その形成と維持に功労があったということですか。まあ、国家による顕彰なんてそんなもんですね。



10月28日(水)やってないことはやめられない

 雨合羽うましかは、10月16日〜10月28日まで、ずっと「公務日程なし」だそうですが、これはあれですよね。住民投票によって、大阪市がなくなり特別区が作られることによって住民サーヴィスが低下する代わりに支出が増大する「都構想」が否決されたら、「政治をやめる」と断言したからですよね。つまり、元からやってないことはやめられない、って雨合羽うましかみたいな幼稚な発想のなせるわざですよね。ひょっとすると、もうちょっとだけ狡猾で、おらおら市長なんていらねーだろ、って実証なのかもしれませんが、いらないのは雨合羽うましかだけであって、大阪市じゃないし、もちろん「市長」でもないですよ。言うまでもなく、雨合羽うましかは、「ないよりまし」ではなく、「ない方がはるかにまし。くらべんな」一択です。



10月29日(木)「これはごっこです」

 GoToトラベルの補助対象外となった「コンパニオン旅館 セクハラごっこプラン」というやつ。あれでしょうか、障がい者の真似をして笑いをとろうとするクソ芸人のパフォーマンスを「これは芸です」と言って差別するクソ倫理学者なら、「これはごっこです」と言って正当化するんでしょうかね。するんでしょうね。ああそう言えば、酔っぱらってセクシュアル・ハラスメントをやらかしても「覚えてない」って言ってましたね。さしづめ「これは酒席です」でしょうかね。<ったく、シャレじゃないですかぁ、何をマジになってるんですか、笑いはすべてを超越するんですよ〜>は、別のクズでしたっけ。



10月30日(金)どっちがクズか

 国立大学でドイツ語の教師だったやつが現在ドイツにいて、ドイツ語関連のある有名な出版社の定期刊行物で、次のように書いています。「近年、ドイツのラジオ・テレビのニュースや新聞紙上で筆者にとって耳障り、目障りなのは、Politikerinnen und Politiker, Buergerinnen und Buerger, Leserinnen und Leser等のような御大層な言い回しです。」(2つ目のペアは、厳密には u ウムラウトが使用されています。)こうした言い回しはずっと前からのことですが、この方は「近年」「耳障り、目障り」になったとのこと。「近年」になって、突如として差別主義者に変貌したというのはなかなか考えにくいので(どーせ大昔からセクシストだろう)、「近年」の意味を知らないのか、あるいは「近年」になるまで、ドイツ語に触れなかったということなのか。調べると、長いこと大学で教鞭をとっていたようですが、もう差別まみれの授業だったに違いありません。よくまあ、告発されずに済んだものです。この出版社も、こんなのに書かせちゃってよかったんですかね。ひょっとして教科書をたくさん書いてくれたんでしょうか。いまだにこんなのが文を書いているなんて、セクシュアル・ハラスメントをやらかしておいて「覚えてない」とすっとぼけるのと、どっちがクズでしょうかね。



10月31日(土)頭が下がる

 昨日は、知り合いがゲストでしゃべる You Tube の番組を視聴しました。会場は東京なので、オンライン配信というのがなけりゃ話は聴けないところでした。そもそも知り合いも関西在住で、東京へ行かずにしゃべっていました。知り合いは右派の言説分析を専門的に研究していますが、ツイッターでも、非常に根気強く右派の相手をしています。ネットで差別的な言辞をはけば、ただちに突っ込まれるという経験を右派にさせることで、右派が気軽に差別できないようにする、という目論見があると言ってました。まったく頭が下がるばかりです。私にできるのは、せいぜい、過去において私の周囲にいて差別を行ったか、あるいは現在私の周囲にいて差別を行うやつらを繰り返し、しつこく、糾弾し続けるくらいで、とても右派一般を相手になんてできません。



11月1日(日)「中抜き」の「中」

 口入れ屋の取締役会長が、「首を切れない社員なんて雇えないですよ普通」と言ってますが、だとするとこの口入れ屋で雇われている者は首を切れる人たちなんですね。あるいは、この口入れ屋が「普通」じゃないか。この人、経済学者だそうで、浪速大学の経済学部にもいたんですが、いったいどんな経済学を学ぶとこんな「普通」を身につけてしまえるのでしょうか。浪速大学ではこんな「普通」が教えられているのでしょうか。ちゃんと、竹中の「中」は「中抜き」の「中」だって教えなきゃダメですよ。この口入れ屋と電2は、廃業の一択。



11月2日(月)笑かすにも程がある

 今回の住民投票の結果を受けて、「大阪市の草の根民主主義に脱帽」とか言っちゃってる人がいますが、それってたんなる嫌味であり、大阪市民をdisってるんですよね。もしそうじゃないとしたら、この人、たんなるノーテンキか、あるいは<上からものを見たりしないインテリ>を装ってるかでしょう。そんな草の根民主主義があるのなら、どうして市長があれで、その前の市長がそれだったんですか。どうして市立住吉市民病院をぶっつぶし、市営地下鉄を売り払い、雨合羽を送りつけてこないでくれという切実な訴えに「ないよりまし」と言ってのけるようなのを、のうのうとのさばらせていたんでしょうか。さらにそいつは、否決されたら政治はやめると言ってたにもかかわらず、まだ2年以上も「公務日程なし」の市長を続けるのですよ。突っ込まれても、「いつやめるとは言ってません」とか言いそうなやつなんですよ。こんな自民党がまともに見えてしまう地に、草の根民主主義なんてぺんぺん草1本分すらあるわけないでしょ。



11月3日(火)神さまでしたか

 平熱パニックの方が、住民投票の結果をうけて、「人間には変化に対する不安がある。それを解消することができなかった」とか言ってるそうです。完全に見誤っていました。大変失礼いたしました。「人間」を語れるあなたは、そう見えて、実は、神さまだったんですね。いやもう、とてもそうは見えないので、すっかり騙されました。さすが神さまです。しかし、もし「変化に対する不安がある」のが「人間」だとしたら、それは「解消すること」なんてできないですよね。だって、解消できちゃったら「人間」じゃなくなっちゃいますからね。ひょっとして、平熱パニック神さまは、「人間」を自分に近づけようとなさっていたのでしょうか。いやもう、おそれ多すぎます。そんなことはなさっていただかなくても結構ですので、どうかあっちの世界で体温でも測ってお暮しください。



11月4日(水)たんなる差別主義者

 反天皇制の素晴らしいツイートを繰り返し、また高橋留美子の国家による顕彰を受けて、「勲章もらう奴はうんこ」って正しいことをおっしゃっている方が、ショーン・コネリーを「魅力的」なんて評していて、がっくりします。ドイツの放送でもえらい長いこと死を伝えていましたが、代表作が女王のために働くスパイものって、それだけでもかなりはずくないですかね。称号なんてもらっちゃって、たんなる差別主義者じゃないですか。さらに、この Sir のセクシュアル・ハラスメントもDVも有名でしたが、死ねばそういう話はちゃらですか。普段立派なことを上から言ってるのに『スター・ウォーズ』好きって人がいますが、いくらなんでもそこまではひどくないものの、ちょっとなんだかなぁと思いました。



11月5日(木)すべて現実

 今日は1時間目があるので昨日の晩は阪ちんが4番のサヨナラホームランで勝利したのを確認してソッコーで寝たら夜中に目が覚めてしまって大学を爆破予告した容疑者が逮捕されたニュースをスマホで見て今朝いつものようにツイートをのぞきに行ったらその人のアカウントが凍結されていて大学へ向かう途中で車道から歩道へあがろうとした自転車の方が目の前でぶっとんで「頭が痛い痛い」と言って「どうかなってませんか」と聞かれたので触ったらこぶができていて授業にきたら出席者がいつもの半分しかいなくておまけにひとりは途中からいなくなってひょっとしてこれら一連の出来事はすべて幻なのではないかと思いましたがすべて現実でした。こんな現実、ひとりではとても支えられません。



11月12日(木)『悪女』

 ネットにあがっている予告編で冒頭のシーンを知り、ソッコーでレンタルして観ました。すごい。「魔女」は脳の移植とかしたことになってましたが、「悪女」は鍛えられた「だけ」なのに、もう残酷すぎます。父親が殺されたことに対する復讐とか婚姻関係への憧れとか子どもに対する嫌な感じの愛情とか、破格のひどさですが、そういうゴミ設定は見なかったことにします。中田ボタンみたいな顔したやつは、とことんどうしようもありませんが、それもまた、最後に「スカッ」とするための布石なんでしょう。ともかく、ついついどんなふうに殺されたいか、って妄想してしまいますよ。



11月13日(金)賽銭が泥棒だろ

 テレビはありますが国家的陰謀によって受信できないような送信方法に勝手に変えられてしまって以来、画面は砂嵐ですが、賽銭650円を盗んだ人がクソわんころたちに取り押さえられ、それをクソわんころたちの不正を暴くためではなく、「正義」がなされている現場としてクソマスコミが垂れ流しているそうですね。たかだか650円だとか言わないだろうな、などとほざくアホも散見されますが、きっとその手の方は、電通やパソナに連日抗議の電話を入れまくりでしょうね。そもそも賽銭なんて、神社仏閣が人の弱みにつけ込んで、「自由意志」という虚構のもと、カネをがめている(税金かかりませ〜ん)「伝統芸能」じゃないですか。こんなもん、壺を買わせるのとどこが違うんですか。まさか、たかだか賽銭だとか言わないでしょうね。



11月14日(土)アホアホ話

 朴裕河のような悪質なファンタジー作家を擁護してやまないおひとりさまが、人工妊娠中絶に関係して「闇に葬られる子ども」という言い方をしています。この差別主義者の言い分に従えば、人工妊娠中絶は、「闇に葬られる子ども」を生み出すことを意味するわけです。つまり、人工妊娠中絶を肯定するフェミニストはけしからん、ってことなんですね。さらにおひとりさまは、経済的に余裕があれば女性は子どもを産むものだ、というようなイデオロギー丸出しの前提でアホアホ話を垂れ流しています。そしてこれら一連の保守主義言説にかみついているのが、あのパレットーク大先生だったりして、あわわってなります。



11月15日(日)なぜ理由を求めるのか

 「推薦に基づいて任命」の「任命」が「形式的なもの」であれば、任命拒否の理由を求めたりしてはいけないのではないでしょうか。任命するのは推薦があったからであり、任命しないのは推薦がなかったから、そのことに尽きるはずです。今回、105名が推薦されたのですから、そのうちの6名の任命を拒否する理由なんてものは、はなから存在しません。にもかかわらず、わざわざ学者の側から任命拒否の理由を求めるなんてことをすれば、それは、理由があれば拒否することもできるという可能性に道を開いてしまうことになるでしょう。拒否する理由なんてないのです。だから、それを問うなんてこともすべきではないのです。任命拒否を取り消すよう求める以外にすべきことがあるとしたら、内閣総理大臣をとっとと辞めろコールくらいです。



11月16日(月)あわわ

 くどいようですが、権限がないことをやらかした人に対して言うべきことは、「それは違法です」ってことであって、やらかしたことを正当化する理由を尋ねることなんかじゃありません。そんなことをすれば、権限がないことに対して権限を発生させてしまいます。こんなことをしていたら、当然ですが、侵略戦争の最高責任者だったやつの地位に就く者にも任命の権限が生じてしまいます。いや、実はすでに「疲れたから」って理由にもとづいて、国会ぐるみで憲法違反をやらかしていました。あわわ。



11月17日(火)学問であるのなら

 表向きは国家に盾突くようなポーズを見せつつ学生は弾圧するという伝統芸能の継承者を総長としていた大学で、「緊縛」シンポを行い動画配信したところ、批判が寄せられたため、動画公開を中止し謝罪するということがあったそうです。インタヴューに答えた方(この方からは、以前、「われわれの世代はノンポリですよね?」と、さも当然であるかのように相槌を求められ、「いいえ、私は左翼です」と答えた記憶があります)は、シンポの「意図」を説明し、謝罪のコメントは、「不快に思われた方には申し訳ない」と。そりゃもう、「意図」なんだから「快不快」、「快不快」なんだから「意図」ですよね。そりゃそうだ。やっぱ古式ゆかしき意識哲学というわけでしょうか。いずれにしても、もし動画配信も含めてすべてを「学問」だとお考えだったのなら、「学問」を不快に感じる人がいようといまいと、そんなことは関係ない、と言うべきだったのではないでしょうか。



11月18日(水)殺人鬼が法務大臣なのか

 鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒した上で国家による殺人を決定し、あれらとのどんちゃん騒ぎにいそしんでいたあのバカ、またしても法務大臣なんですね。そしてこいつ、<最高裁判事の任命については司法の独立を踏まえるべきであり、任命権が内閣にあるからといって人事に自由に介入できるわけではない>と考えているかどうかを問われ、お答えを差し控えました。元祖お答えを差し控えるは、自分のことを立法府の長と言い、公務員に付き添いをさせる自分の妻が私人であることを閣議決定した行政府の長だったやつですが、そいつの内閣の一員だった鏡を磨き倒すやつが、司法が独立しているかどうかを答えなかったわけです。これはもう、体制が崩壊しているのですから、革命が違法にはならない状況じゃないでしょうか。



11月19日(木)出来の悪いアイポ

 ある高齢者を自称するアホが、「高齢者の命を何人か救うために、経済を停滞させ、職を失い命を絶ったり、就職できずに将来の第2氷河期になってしまう若者を大量生産するというのは間違っている。人の命は皆重いが、若者の命は高齢者より大切にすべきだ。」とかってほざいています。これじゃあ、人には死ぬ義務があるとかって堂々と論文に書いたどこぞのクソカント学者と変わらないではないですか。この高齢者、「私一応もう高齢者だからはっきり言おう。」とかって言ってるんですが、そんなクソのような自己紹介がそのクソのような言い分を正当化するわけがないってこともわからんのですよ。高齢者であることが高齢者について語る事柄を正当化するなんて発想は、せいぜい出来の悪いアイデンティティ・ポリティクスの主張にすぎません。たとえあんたの命が陳腐に思えるからって、しかしそれをだれか他の人の命と比較するなんてことは許されないんですよ。



11月20日(金)池田なんちゃら

 また別の年長者(この人は自称しているわけではないですが、まあ、年長者なんでしょう)が「若い人に言いたいこと」とか言って、立派なことを垂れ流したつもりになってるんですが、「今はまだ、貧乏になるのは自己責任で済んでいるが、そのうちホームレスになるのも自己責任、餓死するのも自己責任になるよ。」って、どんだけ認知にゆがみがあるんでしょうか。そんなもん、とっくのむかしに「自己責任」ってことになってますよ。何を見てるんですか。挙句の果てに「自公維新の反日政党を打倒しよう」って、自分がただの右翼であることをゲロってしまっています。「これだから生物学者は…」なんてことは言いません。こんな呆けたツイートを垂れ流すやつがひとりの生物学者だというだけです。



11月21日(土)存在自体が不正

 タイ国王とやらが、国内の団結を求めるメッセージを送ったそうで、「よく考え、善を行い、希望を持ち、耐えなさい。タイ人として団結しなさい。」だそうですよ。要するに、タイ人として団結して国王を支持しろと。おまえらは国王とは身分が違うんだから、耐えろよと。ったく、こんなやつ、真っ先に消えてなくならなきゃいけないんですよ。「よく考え」るまでもなく、そんなことは自明です。生まれながらの身分差別に加担しているようなやつは、この世から消えるのが正義というものです。ええ、もちろんタイだけの話じゃないですよ。あっちにいるクソ女王とか、こっちにいるお祈り夫婦のバカ息子とか、存在自体が不正なんですよ。そこを正さずして、何も始まらないと言っても過言ではありません。



11月22日(日)差別主義者たち

 <「差別はいけない」とみんな言うけれど>だの<ホームレスを異文化扱いしてはだめなのか>だの<鳥居みゆきを笑ってはいけないのか>だの、この手の認容文なり疑問文なりを発するバカがバカじゃなかった試しはなく(まあ、同語反復的なので恒真的か)、みんなそろいもそろって差別主義者です。真ん中のやつは、きっと、「文化には優劣などない」という耳障りのよさげなことを言ってみせるでしょうが、「ホームレスであること」を「文化」の話にしている時点で、イデオロギー丸出しの不正です。最後のやつは、「笑いはすべてを超越する」系の差別主義で、最近ではトランプの画像が流通していました。「笑いはすべてを超越する」系の人たちのメンタリティは、クズであるということ以外は存じ上げておりませんでしたが、ひょっとしたら新自由主義だったのかもしれませんねー。



11月23日(月)Schwachsinn

 CO-VID19感染拡大防止のための規制に反対するドイツの集会で22歳のアホが、「私はちょうどナチスの犠牲者となったゾフィー・ショルと同じ22歳」と言ったところ、警備員から、「ホロコーストの矮小化だ」と批判される映像を見ました。警備員は、その人がどういう人かとは無関係に、イデオロギー的に敵ですが、こんなまともな人もいるんだと思いました。ヌッポソだと、たいていはやらかしたわんころの天下り先だったりするので、とてもこんなことを言える人はいないでしょう。そもそもこの手の規制反対者は、ぼんくらのFDP支持者か、極右のAfD支持者なわけですから、ゾフィー・ショルとはイデオロギー的に正反対です。そんなことすらわかってないから、「こんな Schwachsinn のために、警備員なんてやってらんねー」ってキレられたんでしょう。Schwachsinn は、直訳すると、たぶん差別語になると思われますので、「思慮の浅い人」と訳しておきたいと思います。ツイートのぶら下がりには、「どうして警察が来たんだ?」って突っ込んでる人もいて、なかなかです。



11月24日(火)『一級機密』

 軍の不正をこんなふうに内部告発する軍人がいた方が、いないよりかははるかにまし(これは、雨合羽うましかの語法とは異なります)だと思いますが、しかしまあ、軍人なわけです。そもそも軍隊がいらないわけで、軍隊さえなければこんな不正もなく、もちろんこんなましな軍人も不要です。ちらっと連想したのは、「ミスコン」という名のセクシュアル・ハラスメント大会がありますが、その参加者に対するセクシュアル・ハラスメントの報道。もちろん、そこに人権侵害があったのなら、問題にすべきなのは言うまでもありませんが、しかし同時に、「ミスコン」なんてものそれ自体が人権侵害なわけで、そのことも同じく問題にすべきです。軍隊という不正な組織において不正がありました、と言うべきであるのと同様に、「ミスコン」という人権侵害のクズエンターテインメントにおいて人権侵害がありました、と報道すべきです。



11月25日(水)『殺されたミンジュ』

 マ・ドンソクだから、という理由で観たのが間違いでした。監督がキム・ギドクだと知っていたなら、けっして観なかったのに、完全に間違いでした。社会正義をエラソーに謳っていても、結局は個人的怨恨じゃねーか、と観ている者を誘導する点にも不正が見出されますし、苦しめられていても楽しみもある、という奴隷のメンタリティを押しつけてくるところにも不正が見出されます。その人のことをフェミニストだなんて1度たりとも思ったことのないおひとりさまが、以前、メキシコの女性は、男から殴られても、殴られなくなるよりましだと考えるんだと肯定的に評していたのを思い出しました。いいですか、暴力は暴力です。そんなものは他者承認とはなんの関係もありません。ただの犯罪です。いったいいつまで、キム・ギドクみたいなたんなる小悪党が「鬼才」などと呼ばれて、その犯罪行為を映画撮影という名のもとに正当化されるのでしょうか。



11月26日(木)さもありなん

 「大阪医学」(byイソ村)関係者でワクチン開発中(?)の浪速大学教授とやらが、日本国憲法はGHQによる押し付け憲法だとかいう内容のクズ映画のゼネラルプロデューサーだそうで、もう「さもありなん」以外に浮かぶ言葉と言えば、「クズ」「クソ」「うんこ」くらいしかありません。いっそのこと、ワクチン開発なんて「科学」はやめて、イデオロギー通りに、祈ったらどうなんでしょうか。いやいや、このイデオロギーにはカネが絡んでますから、儲かるとなれば、なんでもするんですよね。ちなみにクズ映画に出演するのは、浅野忠信に小林薫、柄本明。もうまったく驚きがありません。「食べていくためには仕方ない」とか、ほざいちゃいけませんよ。みずから選んで極右映画に出演してるんですからね。要するにそういう人たちだってことです。



11月27日(金)うようよ人材豊富

 うようよ人材豊富な浪速大学には、inochiがどうしたこうした万博で仲間内でゼニ儲けしようぜフォーラムやらなんやらに、雨合羽を買い取ると嘘ついて雨合羽を集めその雨合羽を公立学校に引き取らせる公用車で喫煙するけど公務予定なしの「政治はやめる」うましかとか、イソジンでうがいしながら(←「僕の感じること」)命の選別を公言して「ようやってはる」サラ金の顧問弁護士とかと、出ちゃう方もいらっしゃれば、トランプへの投票とバイデンへの投票にはおなじ1票でも価値に違いがあるとうようよ雑誌に寄稿してしまう歴史修正主義者の法学研究科教授もいらっしゃいます。おお、忘れちゃいけない。K値の方もいらっしゃった。そんなわけで、浪速大学すごくね?



11月28日(土)ごみクソ謎理論

 言うまでもなく、親会社が首尾一貫して原発を推進して止まない「球界の盟主」が2年連続で4連敗して、うれしくないわけがありません。普段エラソーなことを言ってた割には「親の遺言」とか言ってのこのこと移籍したつまらんやつとかもいましたが、そんな「わが軍」が2年連続で4連敗して、うれしくないわけがありません。むかしから、「アンチ巨人のやつは、実は巨人ファン」という謎理論がありますが、関節もないのにやたら「脱臼」させることが大好きなこんなポストモダンかぶれの言説は、ごみクソです。この手のことを言うやつが、実際、「反天皇制を唱えるやつは、実は天皇主義者」って言うのも聞いたことがあります。ほらやっぱごみクソじゃないですか。バックネット裏でのヤジですら批評的であったと言われるひとりの熱狂的トラファンの口真似をすれば、2年連続の4連敗には「うれしくならなければならない。」



11月29日(日)続ごみクソ



 機関紙に元号なんぞを使い、「疲れたからやめたい」の憲法違反に賛成したような政党なんて支持しませんが、ごみクソ関連で言えば、その党のかつての書記長のことを「天皇」と呼び、その政党は天皇主義だと批判する言説もありました。(ちなみに、雨合羽界隈では、いまなお「都構想」に反対すれば○○党と、もれなく認定されます。しかし個々人は「党」ではないですよ、知ってますか?)この手の言説は、天皇を矮小化するものです。その党の書記長が、2,000万人の犠牲者を出した侵略の最高責任者だったのでしょうか。原爆投下について「仕方ない」と言い、戦争責任について「文学のことはわからない」と言ったのでしょうか。もしそのとおりであれば、おお、これぞまさしく「コミンテルンの陰謀」じゃないですか。要するに、件のごみクソ言説は、うはうは言説だということです。きっと、うぎっぷ信奉者でもあるでしょうね。アホが。



11月30日(月)『聖女』

 『魔女』『悪女』に続き、『聖女』も観ました。どれも凶暴な女性が主人公ですが、『聖女』だけはちょっと設定が異なっているように思いました。この3つを並べて、仲間はずれはどれでしょうという設問が立てられたら、正解は間違いなく『聖女』でしょう。「魔女」も「悪女」も、殺しを仕事にしているわけですが、「聖女」は、正義を果たすために暴れるのです。そうなると、「魔女」については、ただただ驚嘆したり、「悪女」については、こんなふうにして殺されたいかなとか妄想したりできるのですが、「聖女」については、たとえばキックされたいとかヒールで踏まれたいとか、そういう不謹慎なことを考えたりしちゃいけないんじゃないかと思えてくるわけです。そんなわけで、『聖女』はちょっと辛いところがありました。未成年者のパンツが見えちゃうところもアウトです。



12月1日(火)野宿者を排除する企業じゃないですか

 その企業のCMに対して反感をもつ差別主義者たちには、「お前は差別主義者だ」と批判する必要があるのはその通りだと思います。しかしやはり、あのCMのメッセージは正しいなんて、批評すべきではないとも思います。すでに指摘されているように、あの企業は宮下公園から野宿者を排除することに加担した、そしてなお加担している企業であり、あのCMのメッセージのもつ意味は、野宿者を排除する言説と整合的に理解されなければならないということです。CMでは、スポーツの能力に優れている人たちが自分を変えることで周囲に認められるようになる姿が描き出されます。それはつまり、野宿者たちは、能力を欠き自分を変えようとしていないのだから周囲から認められず排除されて当然だということでしょう。何のことはない、あのCMのメッセージは、新自由主義万歳以外のなにものでもないわけです。資本のロジックに従って、差別が資本に有利に働くなら、差別は温存されるでしょうし、差別が資本に不利であれば、差別は人権を侵害するという理由ではなく、まさしく資本に不利であるという理由で、解消が目指されるというだけのことです。



12月2日(水)ひとつのシニシズム

 社会問題に対する企業の姿勢を明確に示している点をもって、このCMMを評価する人もいますが、<うちが儲かるためなら差別はない方がいい>なんてことを明確に示されて、そのどこを評価するんでしょうか。「正直だね」ってことでしょうか。差別問題に取り組み、レイシズムに関する著作をおもちの方でさえ、ジェントリフィケーションに加担しているからと言って、CMを全否定してはいけない、などとおっしゃっているのですが、ジェントリフィケーションに加担しているからこそ、「反差別」を訴えているらしいそのCMは全否定されなければならないのです。この企業の所業は、資本主義をろくに批判もせず、鼻くそほじりながら「おいしい生活」を送っていたポストモダンのシニシズムと大差ないですよ。



12月3日(木)「反差別」の「商品化」???

 この企業のことを「反日だ」というようなゴミコメントがたくさん行われる状況において批判を重ねることは賢明ではないのかもしれませんが、しかしやはりそうであればこそ、批判されるべきところを明確にしておかなければいけないだろうとも思います。上記の方は、この件に関して、「ビジネスが反差別を商品化する」なんてことを肯定的に論じてしまっています。いったいどうなってるんでしょうか。「反差別」は「商品」なんでしょうか。売れなかったら、売れないような物を作るのがダメってことなんでしょうか。売れないような「反差別」なんて、意味がないってことなんでしょうか。これこそまさしく野宿者を排除するロジックじゃないですか。そういえば、リベラルから評判のよかった『パラサイト』(『万引き家族』も加えてもいいかもしれません)を、売れた「反差別」の「商品」として評価する声がありましたっけ。あれも、「反差別」を装ってはいるけれどもまったく新自由主義の転覆なんて考えてもいないろくでもない映画だと確信しています。



12月4日(金)腐った町長と腐った町議たち

 関東地方に、温泉で有名な腐った町長と腐った町議のいる町があります。その腐った町で唯一の女性町議が「犬でもしねぇ」ことをやらかした、つまり少なくとも町議会を傍聴していたクズによれば犬以下ということになる町長によるセクシュアル・ハラスメントを議会で告発したら、あろうことか「議会の品位を傷つけた」と言われ、除名処分を受け、それに異議を申し立てたところ、さすがにまだ少しはまともだった県が除名処分を取り消し、それに対してじじい町議たちが中心となってリコール運動を展開、なんと住民投票が行われることになっています。驚くべきことに、駅には議員のリコールを求めるクソポスターが堂々と貼られています。そんなものを外部からやってくる人たちが見れば、議会の品位を傷つけているのがだれなのか、いっぱつでわかってしまうわけですが、そんなことにすら考えが及ばないのでしょう。これ、もしリコールが認められたりしたら、もはやだれもそんな温泉には行かなくなることでしょう。その後も、こんな温泉へ行く人は、共同正犯と言っても過言ではないです。



12月5日(土)やめてほしい

 ツイートを覗いているその方は、たぶんイデオロギー的には近いだろうと思われるのですが(まあ、そうじゃなきゃ毎日覗きに行ったりしないでしょう)、しかしときどきどうしてそんなものをアップするんだろうと思う動画を配信されます。その方、猫を飼われているのですが、外猫が家のサッシの外にやってきたときに、その飼われている猫がものすごい声で鳴いて件の外猫を追い返す様子をお撮りになって流されるのです。この前追い返された猫は、なんだかものすごくゆっくりと身体を反転させて来た道を引き返していきました。ちょっと弱っているからなのか、その姿を見ていると涙が出そうになって、いろいろと考えさせられるものがありました。勝手に覗いている方が悪いのですが、できればあの手の動画はもう配信しないでほしいと思いました。そんなの知ったことじゃないでしょうけど。



12月6日(日)『チェイサー』

 全編走りまくるので、以前観たときにとんでもなく疲れる思いをしたことは覚えていたのですが、例によっていろんなことを忘れていて、それが途中で、「あああ、そんなバカな」ってシーンがあるんだっけな、って思い出して、その記憶は合っていて、やっぱり嫌な気分になりました。ところで、『V.I.P.修羅の獣たち』でもそうだったのですが、この手の犯罪者はある種の能力が欠けている者として描かれ、さらにそのことでバカにされるというシーンがあるのですが、それはそういう現状がある、という描写なのか、それともその手の者たちのことはそうした仕方で笑ってもよい、という規範が展開されているのか、どっちなんでしょうか。犯罪は犯罪として裁かれる必要があると思いますが、その理由とされることを突き止め、そのことでバカにするというのは、犯罪者なんだからいいだろ、ということにはならないでしょう。映画においてPCは重要です。



12月7日(月)ああ恐ろしい

 三名泉と言えば、有馬と下呂と「犬でもしねぇ」ことをやらかした犬以下の町長とその所業を告発した町議会議員を辞めさせることに奔走したクズ町議たちと有効投票の90%以上がリコール賛成票だったぼんくら町民たちのいる××。こんな恐ろしい××にはもう行けませんよ。セクシュアル・ハラスメントやりたい放題ですからね。それで訴えたって、町議会議長名で盗聴しただのなんだのとデマを吹聴されて、町ぐるみで排除されますから。ああ恐ろしい。ああ恐ろしい。これはつまり、××へ行ってセクシュアル・ハラスメントに遭うのは自己責任、あんたそんなことわかっててきたんでしょ、わしらはちゃんと教えてやっていたじゃないか、それを××に来てセクシュアル・ハラスメントに遭ったとか、なに言うとんじゃ、ってことですよね。ほほう、親切さの証拠がリコール成立だと。滅んでしまえ。



12月8日(火)相変わらずの言葉遣い

 イソ村さんが自分たちで破壊した医療体制のために殺人集団に協力を仰ぐそうで、何の羞恥プレイか、殺人集団の制服を着た殺人集団の成員たちと写真に収まってツイートしています。それによれば、「維新は命がけで都構想をやって大将の首をとられた」そうです。相変わらず時代がかった言葉遣いで、こんなのによくまあいちころになるもんだと思いますが、しかしそうだったんですか。近頃姿を見かけないので、てっきりだまし取った雨合羽をひとつひとつ返しに行くのに忙しいのかと思っっていたら、首がとれちゃってたんですか。まあ、命をかけていたわけですから、失敗したら命を失いますね。当然です。さすがです。聞いてますか〜、田中康夫。あんたは大阪維新の会から立候補したんですよ。ちゃんと「大将」みたいに首を失っちゃってくださいね。



12月9日(水)アホすぎる

 「犬でもしねぇ」ことをやらかした犬以下の町長とクズの町議たちとセクシュアル・ハラスメントを町ぐるみで促進する町民たちのいる町の議会に傍聴しに行って、いかにひどい状況であるかを告発する LOVE PIECE CLUB の人が、その同じ口で皇室を賛美する。アホなんでしょうか。アホなんでしょう。「性差別のない、性暴力のない、女性が性を安心して楽しめる、 そんな社会に近づくために、 文章を書き、会社経営し、女性運動したりして」いるそうですが、皇室なんて存在そのものが性差別の再生産装置だってご存じないんでしょうか。アホなんでしょうか。アホなんでしょう。この手の人や精神科医のあの人がいくらセクシュアル・ハラスメントを告発しても、このありさまなので、まったく信用ができません。それはちょうど、反差別のCMで正義を訴える企業が野宿者排除に全力で取り組むのとまったく同じことです。アホなんでしょうか。アホなんでしょう。



12月10日(木)伝統芸

 2025年に開催予定(だけど予定のまんま開催できなくなったらざまあみろ)のお仲間だけで盛り上がろうぜあとはどうなったって知るかよどーせ電ツーパソ中イヴェントについて、「いのち輝く未来社会のデザイン」とかいうテーマを紹介して、「日本が誇る医療技術とITを駆使した未来社会を、具体的に示そうという意気込みが感じられる」という「僕が感じたこと」を惜しげもなくだだもれさせているクソ新聞があります。(念のために言っておきますが、3Kとか原発新聞じゃないですよ。)関連する記事として、学生を弾圧することに大いに実力を発揮したどっかの大学の総長だったやつのエッセイを掲載しているそうですが、そこには、「天から主体性を与えられた人間が自然を支配し管理しようとする論理ではない。主体も客体もなく万物と溶け合うとする日本の精神文化が息づいている」って書かれているそうです。やっぱそう来なくっちゃいけませんね、これぞ安定の伝統芸「主客未分の自己同一」ってやつです。主体も客体もないから、侵略なんてありえませーん、ってわけですね。はいはい。



12月11日(金)AfDとかFDPとか

 どっかの共同体では説明もお答えも差し控える国会がとっくに閉会しておりますが、ドイツでは行われていて、COVID-19関連で借金をする予算案について、自覚的な右翼政党であるAfDと自覚的にはリベラルだけれども結局のところ右翼政党と同じ方向を向くことになっているFDPが、反対していました。AfDは、こちらのウヨとどうように、コロナは大した危機じゃないと言い、ロックダウンの解除を求めます。なんと、ロックダウンは個人の権利侵害であり、憲法違反だと。へー、右翼なのに個人の権利を認め、憲法を遵守しちゃうんだ。ったく、右翼の風上にもおけないやつらです。FDPは、借金は次世代へのつけだと言ってました。へー、あんたたちが次世代のことなんて考えるんだ。てっきり自分の自由だけが大切な人たちだと思っていましたよ。そんなわけで、なんでこんなやつらに議席があるんだと思わずにはいられませんが、しかしよく考えたら、そんなのが大勢を占める共同体に暮らしているのでした。ぎゃふん。



12月12日(土)政治的自律

 結局のところ、AfDとFDPの共通点とは何なのか。一方は自覚的に民族主義者たちでありナショナリストたちだが、他方はまさしく「私」だけが大事な人たちでしょう。一見異なっているどころか、むしろ対立しそうなのに、政治的には同一の方向に向かってしまう。少し思ったのは、私的自律の評価という点では、両者は異なっているけれども、政治的自律に重きをおかないという点では、一致するのではないかということ。ナショナリストは、個々人に政治的自律なんて認めるつもりはないだろうし、リバータリアンも私的自律さえ確保されれば、政治的自律なんてどーでもいいでしょう。市民性の所在が政治的自律に見出されるのだとすると、両者ともに、市民性を否定するか、もしくはどーでもいいと考えていることになります。自分たちが従う法は自分たちで定めるという点に民主制の核心を認めることができるので、両者が民主主義に異論を唱えることにも符合します。



12月13日(日)なにが「鬼才」だ

 「いまどうしてる?」のところにキム・ギドクの名前が出てたので、おお、ついに告訴されて有罪判決か、とりあえず最低限のことはなされた、と思っていたら、どうもそうじゃなく、たんにコロナで死んだってことでした。ふーん。死ぬ前に、映画製作を利用して性犯罪を繰り返してきたことは、ちゃんと自白したんでしょうか。そしてこんなやつが謝ったところで何の重みもありませんが、しかし自白ののち謝罪したんでしょうか。してないのなら、自己の性犯罪を自白もせず謝罪もしないまま死んだって、ちゃんと報道しなきゃダメですね。例によって、芸術無罪論がわいて出てきそうですが、こいつの場合、性犯罪がなければそのしょーもない映画は撮られることがなかったわけですから、犯罪と映画が直結しているんです。のーてんきに「鬼才」だのなんだのもち上げてるやつらは共同正犯です。



12月14日(月)アホぬかせ

 移動そのものが感染を招くわけではないと言い、公共の電波でマスク会食の仕方を実演してみせ、左利きの方は逆に行うようにと親切なアドヴァイスまでしてくださった、あれは感染症対策の専門家なんでしょうか、今回はまたすごいことをおっしゃったそうです。初詣は日をずらしてもご利益に変わりはないという学説があると。えええー。三が日に行かなくてもご利益に変わりはないんですかぁ???そんな嘘ついちゃいけませんよー。やっぱ三が日に行かないとダメでしょー。もう、そんな学説唱えているやつは糾弾しなきゃいけないから、どこのだれがどの論文でそんなデマを飛ばしているのか、明らかにしてほしいですよー。この人、まだ学会でやっていけるんでしょうか。まあ、学術会議のメンバーにはなれそうだし、桜を見る会にも行けそうですが…。



12月15日(火)浪速大学の人

 「goto中止を主張してた人たちが、いざ中止が発表されると手のひらを返したように「遅すぎる」とか文句を言うのは、それはちょっとどうかと思いますよ。さすがにそれは内閣が気の毒になるわ。」ってツイートする人は、「手のひらを返す」という表現の用法を知らないのか、たんなるアホアホなのか、内閣ラブなのか、どれなんでしょうか。「さすがに」どころか、いつだって内閣のことを気の毒がってるのは知ってます。そんなあんたが気の毒だ、なんて言うつもりはミジンコワムシほどもありません。たんなるちょうちん持ちに対しては、侮蔑しかありません。



12月16日(水)「差し控える」もあるか

 4人以下での会食を推奨していたやつが7人で会食したことを問われた際の反応を予想しましょう。「みなさんこんにちは。〇ー〇ーです」と「その批判はあたらない」を繰り返すというのを基本として、「会食の定義はできない」「以下とはなにか」「4人とか7人とか、数字が重要ですか」「秘書は人数にカウントされない」とかいうのをちょこちょこ挟んでくる、といった感じじゃないでしょうか。あるいは、「私はたたき上げだ。たたき上げをバッシングするのか。たたき上げ差別か」とか「会食と言っても、私はパンケーキしか食べなかった。パンケーキを差別するのか」とかも挟んでくるでしょうか。いや、「絶対に中止しないと言ってたのにすぐ中止するような者が、4人以下と言ってたのに7人で会食したっておかしくないでしょう。なにをぎゃあぎゃあ言ってるんですか」かな。選挙妨害を手伝ってもらった反社に謝礼をケチったため自宅に火炎瓶を放り込まれたやつが、それでも謝礼を増額せずに、「私は暴力には屈しない」と言ったのと同じ論法か。



12月17日(木)さすが「精霊」


 あれがケンミジンコほどの意味もない御託を垂れ流していたときに、ヤジを飛ばして言論の自由を行使した正しい方を取り押さえるような北海道のわんわんが生息する官舎に入り、落書きをされた方がいらっしゃいますが、なんと報道は、正当な理由がないのに官舎に侵入とか書き腐っています。「精霊のお告げがあった」ってちゃんと言ってるじゃん。あんたらは「精霊のお告げ」をなんだと思ってるんだよ。「精霊」よりも権力に尻尾ふる能しかないようなわんわんを優先するとは、さてはマスコミとか言ってるけど、たんなるちょうちん持ちだな。そんなわけで、これまで「精霊」なんて否定してきましたが、たまには立派な「精霊」もいて、正しい「お告げ」をするのだとわかりました。ハーバーマスも厳密な自然主義には反対してますしね。



12月18日(金)まずは息を止めてください

 スウェーデンがCOVID-19対策を誤ったのは周知の事実ですが、そのことについてスウェーデン国王がスウェーデン政府を批判したって、そもそも国王なんぞが21世紀にもなって首もはねられずにのうのうと生活し続けていることそれ自体が誤っているのですから、政府を批判するのなら、まずその前に最低でも100時間くらいは息を止めていただかないといけませんね。そういえば、スウェーデンと同じ考え方で検査を徹底的にやらない島国がありましたね。そこにも生まれながらの身分差別を堂々と生き続けている一族がいます。この一族は、スウェーデンの国王一族なんかよりももっとエラいからなのか、直接的に政治的意見を言わなくても、リベラルという名のクズたちが、行政府の所業を咎める者たちとして持ち上げてくれます。こういう言い方をすると、あたかもその一族が「利用」されているかのようですが、それもまた間違いで、みずから進んで「利用」されてるんですよ、やつらは。



12月19日(土)DH制をやめりゃいいじゃん

 球界の盟主にして親会社が原発推進派、監督が反社に1億円払っちゃう球団が、2年連続で4連敗したからって、DH制を導入せよという声がでかくなっています。DH制があるリーグとないリーグでは、力量的に差がつくというのが本当のことだとしても、じゃあ、DH制をやめよう、って選択肢だってあるはずなのに、どうしてそうならないんでしょうか。DH制を肯定する発想って、基本的にパワー礼賛じゃないでしょうか。この世界、投手がストレートを投げ、バッターがフルスイングで応えるというのがよいことのように語られるのですが、コントロール・ピッチャーとか、変化球ピッチャーはダメなんですか。たしかに「男はそれを我慢できない」と、おのれの性癖を男に一般化した51みたいに、こつこつ当てるばっかだと辟易しますが、しかしつねにフルスイングすればいいってわけじゃないですよ、バカじゃないんだから。そんなわけで、パ・リーグも人気が出るようになったんだから、もはやDH制を採用する必要はまったくないと思います。



12月20日(日)公用車を私的に使ううましか

 なんか例によってごちゃごちゃ言ってるようですが、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんですよね。リフレッシュするほど働いているのかどうかはさておき、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたわけです。公務終了後だろうとなんだろうと(公務終了後ではない場合もあったと言われていますが)、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんです。スパつきホテルが自宅よりも近かろうとなんだろうと、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんです。舛添が公私混同と批判されたときに、「僕なら辞める」と言ったわけですが、そして100億かけて2度もやらかした住民投票で否決されたら「政治を辞める」と言ってたのにやっぱりたんなる辞める辞める詐欺師に違いないとしても、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんです。買い取ると嘘をついて雨合羽を送らせて、しかし処分に困って公立の学校に引き取りに来させているとしても、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんです。要するに、公用車を使ってスパつきホテルへ通っていたんです。とっとと、辞職して2度と人前に出てくんな。うましか。



12月21日(月)クズはクズ

 あるクズであることで有名なクズ漫画家が、COVID-19はインフルエンザに比べて「愛のあるやさしいウイルスである」と言い、その理由として、「子供と若者を殺さないから」と言い、「寿命が来た、基礎疾患のある老人がウイルスで死の機会を与えられることは、当たり前のことだからだ」と言ってます。言うまでもなく、このクズ漫画家は批判されるべきだし、実際に批判されています。なのに、人には死ぬ義務があるという論文を書いたクズ研究者が批判にさらされたとか、そのクズ優生思想を反省して論文を撤回したとか、そんな話は寡聞にして存じておりません。そいつを呼び出してシンポでもなんでもすればいいって?私はそんなふうには考えません。こんなクズ主張との対話など、不必要どころか、行ってはなりません。そんなことをしたら、このクズの垂れ流しが討議に値するひとつの議論であるかのように認めたことになるからです。差別主義者はただただ糾弾するのみです。



12月22日(火)森羅万象つかさどってましたよね

 東京地検特捜部は、あれの桜を見る会にかかわるもろもろの不正に関してあれを起訴しない公算が大だとかふざけた報道がなされていますが、もしそのとおりだとしたら、これはもう、東京地検特捜部は、リンチを扇動しているとしか考えられません。そういうことですか。それにしても、あれとしてもそんなことでいいんでしょうか。秘書に「勝手に」ふるまわれてしまう、間抜けなバカうすのろクズボケナスだったってことになっちゃいますよ。いやいや、あれが間抜けなバカうすのろクズボケナスのーたりんだなんてことはありえません。だって、森羅万象担当大臣だったじゃないですか。いくら秘書が「勝手に」ふるまったつもりになっていても、森羅万象をつかさどってるんですから、それはあくまで「つもり」にすぎず、すべてはあれの手のひらの出来事だったということです。そんなわけで、東京地検特捜部がもし不起訴なんかにしたら、桜を見る会に招待してもらってほいほい出かけて行ったサポーターたちが黙ってませんからね。きっとそいつらこそ、暴動を起こすことでしょう。森羅万象担当大臣を侮辱するな、って。



12月23日(水)クソ人治主義共同体

 ウラジミールが、いやこれではあれと同じになってしまう(←わざと)ロシアの大統領が、大統領経験者は生涯にわたって刑事訴追から免責されるという法案に署名した、って記事があって、独裁者だなんだかんだわいている人たちがいます。そうですね、そのとおりだとは思いますよ。だけど、そんな法がないにもかかわらず、公職選挙法に違反しようと、政治資金規正法に違反しようと、反社を使って選挙妨害をしようと、その謝金をケチろうと、森羅万象担当大臣が刑事訴追から免責されるクソ人治主義共同体のことについては、どうお考えなんでしょうかね。当該共同体では、なんといっても、侵略戦争の最高責任者だった元神が、免責どころか象徴にまでなり、孫に至るまで遺産相続していますからね。プーチンのやってることがおかしいなら、法を変更すればよいのですが、この92%が臣民で構成されている共同体においては、何をどうしても変えようがないのです。小賢しいインテリは、自己の内面が美しければそれでいいとカントを手本として道徳を説いたりしますが、それは臣民主義以外の何ものでもありません。



12月24日(木)『完璧な他人』

 『魔女』とか『悪女』とか『聖女』とか『チェイサー』とか、ともかく人を殺したり人が殺されたりするのばっかだったので、むしろなぜこれを選択していたのか、不思議なくらいです。イタリアのブラックコメディのリメイク版だそうで、元のは観ていないのですが、もうこれで十分に楽しめたので、観なくてもいいです。もちろん、楽しむだけではなく、ゲイのシーンでは観ている者に対してその差別意識を突きつける仕組みが施されていました。笑いはすべてを超越する系にはまったく通じないところではありますけどね。もっとも笑ったのは、やはり「キティ」のところです。思わず声が出ました。



12月25日(金)リンチ扇動発言

 「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「その批判はあたらない」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「ないよりまし」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「みなさん、こんにちは。○ー○ーです」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」



12月26日(土)「国民の信を問う」笑かすな、ぼけ

 「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」しているらしいぼんくらが、次期衆院選に「出馬して国民の信を問う」とかほざいてるそうですけど、その「国民」て、ぼけなすが桜を見る会に招待したお得意様じゃないですか。これで当選したら、桜を見る会に格安でお招きになった見返りが実証されたことになるだけの話で、公職選挙法に違反した甲斐があったねって言われるだけですよ。わかってるんでしょうか、スーパー私人のバカ夫は。それにしても…。「研究不正するな」「研究不正するな」って日々うるさく言われて、コンプライアンスがどうしたこうした講習会を受講したり、理解度チェックで理解度がチェックされたりしているわけですが、各教員に秘書をつければ、教員の不正はなくなりますよ。いい案でしょ。いやしかし、道義的責任を痛感したりできるあほたれじゃないから、やっぱダメですかね。



12月27日(日)よくまあぬけぬけと

 21世紀にもなっていまだにクソ女王を名乗る差別主義者が、テレビ放送されたクリスマスのあいさつで、「無私の思いやりで他人を助けた人たち」をたたえたとかで、記事になっていました。これはあっちの島国の「道義的責任を痛感」でしょうか。おのれは夫と3月からロンドンを離れ、郊外のウィンザー城で生活しているそうですよ。今年は、世界各地で植民地主義に「貢献した」極悪人どもの銅像やらが引き倒されましたが、もっとも欺瞞的なことに、この極悪非道の女王一家は肥溜めに放り込まれることもなく、のうのうと生き続けているばかりか、一般市民を高みの見物ですよ。そこをいじったってどうなるものでもないと「冷静に」分析して見せるぼんくら学者もいますが、どうなるかどうかなど、どうでもいいです。悪事を働いたやつらがその責任を果たす。それだけのことです。



12月28日(月)食ったのは秘書だったんじゃないのか

 あらら、記者の前でライフル構えて見せたバカ幹事長は、会食の定義はできない系だったのですね。なるほど、食事が目的で集まったわけじゃないから、COVID-19も見逃してくれるし感染しないし感染拡大もしないと、そういうことですね。さすがです。てっきり、飯を食っていたのは秘書である、と言うのかと思っていました。秘書が食ってるのを「知らない中とはいえ、道義的責任を痛感」するのかと思いきや、そうじゃないんですね。そしてあっちは、過労死の遺族を前にして道義的責任を痛感マンと下品な笑い顔をさらして『赤旗』にすっぱ抜かれていたぼんくら官房長官が、「虚偽答弁」の定義はできないと言ってましたっけね。おい、吉村と松井と河村、なんかネタ出さないと目立たなくなるぞ。



12月29日(火)クソすぎる

 「道義的責任を痛感」とか寝ぼけたことを言ってるアホは批判されてしかるべきなんですが、これが正義を求める隣国の人々に対してもずっと使われてきたことはご存知でしょうか。「道義的責任を痛感」を叩いておきながら、まさか「アジア女性基金」を支持したり、これに賛同していた和田春樹やら鶴見俊輔やらを信奉しているアホはいないでしょうね。まさかね。言うまでもありませんが、日本政府はこの件についても法的責任を一切認めたことはありません。にもかかわらず、そのことを不問にふしたまま善人面さげてるやつらが「アジア女性基金」に乗っかったんです。政治家がぼんくらであることは自明ですが、こんなものにほいほい飛びついたいわゆる知識人たちの罪は計り知れないほど大きいものがあります。けっして「道義的責任を痛感」を批判したりはできません。あっ、政府の対応を批判もせずに善人ぶったことについて「道義的責任を痛感」しているのでしょうか? あまりにもクソすぎます。



12月30日(水)妄想

 村上春樹がうんこなのは自明ですが、そのうんこが政権批判をすると、「先生は日本人ですか?」と、政治的信条と国籍にはあたかも関係があるかのように語る差別主義者でならす美容整形屋がいます。ひょっとするとこの方は、天皇主義者じゃないと日本国籍をもてないし日本国籍をもつ者は天皇主義者であると妄想されているのかもしれませんが、そしてその妄想はおおむね合っているかもしれませんが、8%のまともな住民がいることを忘れてもらっては困ります。件のうんこは、8%には含まれないでしょうけど、しかし8は0じゃないので、かの質問が前提とするところはまったく間違っています。すでにたくさん突っ込まれていますが、愛知県知事のリコール運動をしたこの右翼は愛知県人ではない、ってことなんでしょうかね。あっ、だから署名は不正だらけなんですか。なるほど。



12月31日(木)ち〜ん

 今年も共和制に移行することができませんでした。残念で仕方ありません。田中康夫に全責任がある案件について言えば、3度目の住民投票への道を開いてしまいました。公用車を使ってスパつきホテルへ通い、公用車を使って喫煙し、「木を切る改革」しかしないようなやつを、公職に就かせたままにしてしまいました。イソジンで新型コロナウイルスに対抗できると公共の電波を使って断言したやつを、「ようやってはる」と持ち上げる83%の住民の更生に失敗しました。あれには、「道義的責任を痛感」させてしまいました。あれの後継者に、会って食事をしたけれども会食ではないという神業をやらかされてしまいました。ち〜ん。



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