1月1日(月)すばらしい2019年
今年は、ようやく共和制への移行が実現し、なんちゃら祭なんてものが行われることもなく、米軍が全面的に撤退していくとともに殺人集団も解散することになります。「民族の祭典」も万博も返上することが決定され、大阪府と大阪市はこれからも存続し、地下鉄は公営に戻り、あいつらはみんな揃って監獄へ入ることになります。スーパー私人はただの私人になり、スーパー私人の夫はただの被告人になります。大韓民国の大統領をテレビで「反日」と言い続けた池上は2度と公共の電波にのることはなく、天皇と霊的につながる内田はどっかにこもって2度と公衆の面前に姿を現すことはありません。おぉ、なんとすばらしい2019年。
1月2日(火)うはは
家庭に問題があって東京を離れることになってから大学へ入るまでは(まあ、入ってからもたいがいそうではありますが)、個人史の中から消し去ってしまいたい暗黒時代なのですが、性懲りもなくふらふらとなんちゃら会に出てしまいました。駅から会場まで、遠回りして歩く途中で、ここって映画館だったよね、という建物に出くわしました。たしか、壁面に「青春の構図」の岡田奈々の写真を見たような気がしますし、何が悲しかったのか、あるいは罰ゲームだったのか、原田知世の『私をスキーに連れてって』なんぞをここで観てしまったような気がします。そんなわけで、いまは堂々廃墟でした。なんちゃら会では、かっこいいなぁと思ってたバスケ部の方と(おそらく)初めてしゃべることができましたよ。うはは。
1月3日(木)なんでそーなるかね
うはは、とは言え、なんちゃら会ではどういうわけか、あるいは共同体としては当然の成り行きでしょうか、校歌とか歌っちゃうわけです。言うまでもなく、トイレへ逃走しました。体育会のなんちゃら部も、お開きにはいつも全寮歌とか歌っちゃってました。何なんでしょうか、あのメンタリティは。もう、強制されるまでもなく、ひのきみを進んで受け入れる気満々です。歌が終わるのを待って部屋へ戻りましたが、油断も隙もない、最後は万歳三唱とかやってました。共和制が実現されるなら、そりゃある程度はめでたいかもしれませんが、それでも万歳三唱は、ルソーのようでご勘弁願いたいところです。共和制ではない現状においては、臣民同士が臣民でよかったねって万歳しているようにしか見えません。ちゃんとその場でそう言えよ、ですか? あーそーですねー。
1月4日(金)そりゃたいへんだー
人文系学部をつぶしたがってて憲法を変え戦争したがってるある議員は、加計学園関係者にパーティ券を購入してもらったことについて選挙後に説明すると言って、ずーーーっとしらばっくれている人物ですが、そいつが、週刊誌で被害者がセクシュアル・ハラスメントを告発したことを「ある意味、犯罪」と言ったときに、「人それぞれ」と言ってのけた吾人は、記者たちに向かって模擬ライフル銃を振り回したことのあるやつですが、そいつは食卓から鯨を欠かすことができないそうです。へー。じゃあ、捕鯨反対が進んだ暁には、この方は餓死しちゃうかもですねー。そりゃたいへんだー。
1月5日(土)『タクシー運転手』
ようやく観ることができました。向こう側にもひとり、ソン・ガンホを見逃す者が出てきますが、だからと言って、向こう側にいる者も辛いんだよ、なんてことはまったく思いません。カヤックを漕いで辺野古の埋め立てに反対する人たちに対して海保隊員を称揚するようなのがいるとは思いも寄りませんでしたが(←偽の発言)、きっとその手のやつらは、この映画を観たら、ナンバープレートを付け替えるなんてけしからんとか、タクシーで私服の軍人たちに体当たりするなんて何様だとか、臣民メンタリティをいかんなく発揮し、遵法精神に満ちあふれた思いを抱くことでしょう。滅んでくれ。
1月6日(日)リーアム・ニーソンとか
上のDVDを観る前に、どうしてそんなものをレンタルすることになったのか、まったくわからないのですが、『トレイン・ミッション』などというクソ映画を見てしまいました。そもそもリーアム・ニーソンは、強いお父さんが家族を守るぞ的な役柄ゆえにまったく好きになれず、というか、むしろ大嫌いなので、どーしようもない10時間以上のフライトとかに間違って見始めるけど、やっぱり20分くらいでやめ、というパターンの俳優です。今回のも、人殺ししたのに何事もなかったようにふるまうところが、まったく理解不能でした。それと、『タクシー運転手』についてた新着DVDの紹介には、なんちゃら13とかいう、死に際の父親に会いに行くまぬけヤローのクソ映画が含まれていて、これらはすべて『タクシー運転手』を引き立てるために存在するのかと思いました。不要ですけどね、そんなゴミは。
1月7日(月)まずは議事録からの削除w
辺野古の軍事基地埋め立てについて、スーパー私人の夫が、サンゴも希少生物も他に移しながら行っているとみなさまのNHKでおっしゃったそうです。さあ、どうするんでしょう。まずは、<議事録から削除>を命じるのでしょうが、該当議事録がないことは、ちゃんと教えてもらえるでしょうか。ある方が書いていましたが、いまごろ必死になって内閣府の職員が発泡スチロール製のサンゴを作成中でしょうか。あるいは、スーパー私人の夫に、サンゴも希少生物も他に移しながら埋め立てを行っていますと報告した官僚が突如として現れ、そいつはいったん辞任するけれども、しばらくすると出世するのでしょうか。あるいは、「他に移す」は「他に移す」という意味であって、「他に移す」という意味ではない、過去のことをいつまでもごちゃごちゃ言うな、でしょうか。
1月8日(火)山○大学学長
甲信越地方にある国立大学法人学長の年頭のあいさつは、てっきりすでに削除されているものと思っていましたが、いまだに差別と歴史修正主義をまき散らし続けています。「不穏といえば、韓国もレーダー照射、徴用工問題、従軍慰安婦など異様な反日政策をとっています。」などと平然と言ってのける人なら、「安倍政権が比較的安定しているのが救いかもしれ」ないなんてことも何の臆面もなく言えるでしょう。ところが不穏といえば、このような救いようのない方が、大学関係者として教育に携わっていることです。学長のあいさつなんてだれも読まないからどーでもいいという意見もあるかもしれませんが、しかしだからって差別と歴史修正主義をまき散らしてよいというわけでは毛頭ありません。いつ辞表を出されるのでしょうか。
1月9日(水)平常運転じゃん
なんちゃらとかいうやつの息子となんちゃらとかいう社会学者(社会学を専門とする人たちが、極力「作家」と呼ぼうとしていますが、少なくともヌッポソの社会学者ってこんな人が多くないですか?)が、『文學界』においてどっちがどれだけ差別的かを競い合う対談をしたそうで、「えー、そんな人じゃないと思ったー」ってびっくりする人の声がありますが、そんな声を出すことこそびっくりですよ。なんちゃらとかいうやつの息子は、「士農工商っていいなって思うんだよね」(この「よね」にもとんでもなく差別的な響きがある)と言い、なんちゃらとかいう社会学者は「ポップに死を決定できる世界もいいと思う」と言うんですよ。なにが「びっくり」ですか。
1月10日(木)差別以外の文脈って何だ?
そして『文學界』でのどっちがどれだけ差別的でショーの発言を必死こいて弁明して、文脈を読めだのなんだの、例によって悪いのは発言者じゃなく発言者の「真意」を理解できないアホどもだ、という姿勢ですが、文脈を読めってあれですか、士農工商っていうのは生まれながらに身分が定まっていて生まれながらに差別される制度だ、これを「いいなって思うんだよね」って言っただけだぞ、ってことですか。凡庸な言い逃れなんてしなくても、別にファンを失うことはないですよ。あなたたちのファンは、あなたたちが差別主義者だからこそファンなんですから。
1月11日(金)あぶく銭に課税を
どっかのお金持ちが自身のツィッターアカウントをフォローし、「お金あげるよ」ツイートをリツイートしたら、抽選で100人に100万円プレゼントするとかいうクソのようなクソをやらかしているそうです。いったいいつの間に、お金持ちはお金持ちであることそれ自体が悪であるという正しい認識が失われてしまったのでしょうか。こういう言い方を「ルサンチマン」とか冷ややかに言ってみせ、こんなふうに冷ややかな自分カッケーってなってるのがニーチェかぶれのポストモダンでしょう。もうそういうのは止めましょうよ。お金持ちはお金持ちであることそれ自体が悪だし、「セレブ」なんてものは「悪」の別称ですよ。「でも当選したらうれしいでしょ?」いいえ、そんな悪貨は不要です。ちゃんと社会保障を充実させるためにあぶく銭に課税しろと訴えます。
1月12日(土)朝日新聞ほど間違ってる
虚偽の申請で有給の特別休暇をとり千葉市職員が懲戒処分にされことを「うそで特別休暇→遊ぶ様子をツイート」とかいう見出しをつけてフツーに報道しちゃってる朝日新聞デジタル版はどうかしていませんか。批判すべきなのは、有給休暇をとるのに理由を書かせる側ですよ。あなたたちはいつから権利を恵んでやるメンタリティ側につくことになったんですか。いや、これは愚問でしたか。あなたたちはずっとそっち側の人たちだったんですよね。だからこんな見出しをつけてもなんとも思わないわけだ。いいですか、権利を行使するのに対して理由を求めるなんて、朝日新聞ほどに間違ったことですよ。
1月13日(日)廃業した方がいい
1月1日の1面では、アジアに対する侵略戦争の最高責任者にして戦争を止めるよう進言されても「もう一度、戦果をあげてから」と拒否した人類史上初めて自分が人間であることを宣言した人間と言われている方が、歌を詠むためにつづったとかいう直筆の罫紙が見つかったことを記事にしちゃってます。臣民朝日は、「人柄がわかる肉筆」とかいつものようにどっこいしょしているそうですが、戦争について「あゝ悲し」という文字列があるそうで、なるほど、あんなことをやらかしてもいつものようにまったく他人事、なんなら自分は被害者だと言わんばかりの人柄がわかる、ってわけでしょうね。提灯持ちを続けるのなら、廃業した方がいい。
1月14日(月)なにが「とても左っぽい」だっ
新年から臣民ぶりをいかんなく発揮している朝日新聞デジタル版ですが、スーパー私人の夫にして自称「立法府の長」であり辺野古ではサンゴも希少生物も他へ移して土砂の搬入を行っていると公共の電波を使ってデマを垂れ流した人のことを、「とても左っぽい」などと言ってみせるまったくわけのわからんやつの駄文を掲載しているそうで、ぼんくらとしか言いようがありません。そもそもそいつって、『週刊金曜日』の編集委員をしながら『表現者』の編集委員もできちゃうようなスーパー編集委員じゃないですか。まあ、『週刊金曜日』の編集委員だって、あんな人やこんな人もいたわけですけどね。いずれにせよ、極右を「とても左っぽい」などと形容できてしまうようなやつは、うんこ以外の何物でもない。
1月15日(火)うんこスーパー編集委員
そのうんこスーパー編集委員ですが、「言うことを聞かないなら土砂を放り込んでしまうのは保守のやることではありません」とか言って、うんこぶりをさく裂させ、「中国共産党や朝鮮労働党を想起させます」と、差別丸出しだそうです。「保守」を「保守」したいだけなら、たんなるアホですませてもいいのですが、しかし「保守」がたいていそうであるように、「アカ」を差別しないといられないのですよね。こんなのが「リベラル」として通用している共同体がいまだに存在しているそうで、もう滅びるしかありません。臣民内田とか臣民高橋とかと一緒に、どうぞ心置きなく消えていってください。
1月16日(水)才能かもしれない
まあ、別に「哲学者」が立派なわけじゃないし、むしろろくでもないことは自明ですし、むかし、近くにいたエッセイストが「本当に「哲学者」と呼べる人はほとんどいないと思います」と意味ありげに(その実、その方の言うことにはいつもミジンコほどの意味もない。これはもう、ある意味では才能と呼べるかもしれない)言ったときも、「お前を筆頭にな」と思ったものでした。とはいえ、大胆な着想とかいう大ぼらの言い換えで形容されるような害悪を垂れ流してさっさと受勲なんかしたようなのが「哲学者」と呼ばれるのは、これはもう、金持ちのアホが「社長」と呼ばれるのと同じでしょうかね。私は少なくともエッセイなんか書いてふんずりかえったりしませんよ。
1月17日(木)さすが「知の巨人」
この大ぼら「哲学者」ですが、30年前から事故が起こるたびに原発に反対してきたと2011年に京都新聞のコラムに書いています(2011年3月26日付『京都新聞』コラム「天眼」)。ほほう。じゃあ、1986年のチェルノブイリの原発事故のあとも、きっと大反対していたのでしょうね。あれ、『原子力文化』(1986年8月号)に「原子力は日本の神ににている」とかいう見出しでどっこいしょコラムを書いているのは、これは同姓同名の方なんでしょうか。きっとそうでしょうね。まさか2011年になって自己の歴史を修正したりはしてませんよね。だって「哲学者」ですよ。「知の巨人」ですよ。そんなことをするわけがありません。しかしひょっとして、「巨人」って、ジャイアンツのことでしょうか。だったら、原発どっこいしょも歴史修正も必然ではありますが…。
1月18日(金)口のついたうんこ
沖縄でハンガーストライキしている人に対して、料理の写真を送りつけるやつとか、ハンストしても餓死した者はいないだの、餓死寸前までいった者はいないだのほざくやつがいて、うんこだったらうんこらしく、せめて黙っとけよ、と思いますが、口のついたうんこはきっと黙ったら死んじゃうんでしょうね。たとえうんこであっても、少しは自己の行為のイデオロギー性を問うてみたらどうだろうって思いますが、そんなこと、もちろん承知の上でやってるんですよね。口のついたうんこ。
1月19日(土)ポピュリスト
「なんだこの判決」とかいった下品な言い回しを使ってみせるところがポピュリストのポピュリストたるゆえんでしょうが、ひょっとするとそこにはなんの戦術もなく、たんにその品性を垂れ流しているだけなのかもしれません。まあ、「品格」なんてどうでもいいです。市営地下鉄がサービス業だというご認識をおもちであるのなら、市営地下鉄を民間に売り飛ばすなんて暴挙はサービス止めますってことを意味することはご理解できるでしょう。しかしこれこそ、行政府の長として大罪を犯していることになるのですよ。そんなにサービス止めたいのなら、まずはその職を辞して二度と人前に姿を現さないことです。
1月20日(日)小学生にだってわかる
戦術的に下品なのかそれとも戦術など使わなくても下品なのか、どっちかわからないけれども、歴史修正主義者であることはきわめて明白なある市の行政府の長は、同じ党に属していた前任者が市の保育士の給与を大幅に削減し、保育士の不足が問題になると給与をあげればいいと、だれのせいで保育士が不足するようになったのか、まるでわかりません的な発言をしたわけですが、それでも不足したままの保育士を増やすためなのか、なんとUSJの年間パスポート購入費の一部を補助すると言い出しました。これが、税金を保育士に投入するのではなく、USJの年間パスポート代に投入することを意味するってくらい、小学生にだってわかると思うのですが、黒字の市営地下鉄を民間に売り飛ばすことをいとわないやつにはわかんないんでしょうかね。
1月21日(月)奴隷になる権利はない
「未来の日本人も万世一系の天皇を頂く権利がある」とか言ってる人がいるそうで、なんて未来の他者思いの方なんでしょーね。でもその思い方はまったく間違っていますよ。全面的に間違っています。カントは、どんな意見にも一抹の真理があるとかいうようなことを言ってたと思いますが、大間違いです。完全に間違ってる見解だってあるんですよ。これみたいに。奴隷契約を結ぶ権利はいっさい認められません。言うべきなのは、「現代人にその権利を奪う権利はない」というすっとぼけたことではなく、「現代人にはこんな差別体制を一刻も早く解消する義務がある」です。
1月22日(火)「ぴー」
職務上、ある書類を書きましたが、部局で統一しているとのことで、西暦表記がなにやらへんてこな原理的にまったく普遍性をもちえない表記に改悪されることになってしまいました。あああ、こんなの教授会で読み上げなきゃいけないなんて、いったいなんの罰ゲームだよ、と思いましたが、言うまでもなく、へたれであることの罰ですね。しっかし、こんなものを使用することそれ自体が不正なんですけどね。それを知りつつ使用するなんて、もう何と罵られようとまったく弁明できません。だれか、「ぴー」って言ってくれないものでしょうか。そうか、何なら自分で「ぴー」って言えばいいのか。
1月23日(水)ちゃんと批判しろよ
自民党関係者に限定されていた既得権益を自分たちに寄越せということで、市民病院をぶっつぶし、市営地下鉄を売り払い、保育士にまわすべき金を「ユニバーサル死ねジャパン」へ流す歴史修正主義者は、新年度、市役所と区役所に保育施設をお作りになるそうですよ。朝日新聞デジタル版が、「待機児童解消に向けた取り組みの一環だ」と例によってどっこいしょしています。やつだってたまにはえーことするやんか、とか、まさかおめでたいことを言ってる人はいませんよね。園を運営するのは、パソナフォスターですよ。もう、失笑を禁じえません。
1月24日(木)平蔵の授業って・・・
そのパソナの平蔵の授業反対をたった一人で訴えている学生に対して、退学処分をちらつかせる大学って、いったい何なんでしょうか。そりゃビラ配りごときを口実に公安を構内に招き入れてしまうような大学なら、何の不思議もないのですが、しかし「そんなもんでしょ」と言ってスカしてみせるのは、たんなるシニシズムのアホがやることなので、ここはやはり、そんな大学はおかしいと言うべきでしょう。また、この学生に対して、「学則は守ったのか?」だの「文句があるなら講義の中で言え」だの寝ぼけたことを言ってる者には、おのれの臣民メンタリティを垂れ流すなよ、と言うほかありません。その後、大学は処分しないことを決定したようですが、処分をちらつかせたことについては、ごめんなさいって言ったんでしょうか。
1月25日(金)「とても左っぽい」の人なら言うかも…
2017年7月には、まだ霞が関の中央合同庁舎前にこんなのがありました。いまはどうなってるんでしょうか。スーパー私人の夫のせいで、議事録から文言を削除したり8億円もの空気ゴミを埋めたりたんなる飛翔体のためにまぬけな訓練をしたりサンゴや希少生物を他へ移してから(←移していない)基地を作り続けたりしているので、ひょっとしたらもうとっぱらってますかね。それにしても、「北方領土」に「ふるさと」ってルビふってますよ。つーことは、このスーパー私人の夫であるゴルファーは、ひょっとして「デラシネ」とか「ノマド」とか、だったらまさかの「コスモポリタン」とか、いずれ呼ばれちゃったりするんでしょうか。おそろしすぎる。
2月6日(水)不明を恥じる
諸般忙しすぎて、ゆっくりと駄文を考えることもできないでいるのですが、しかしこの発言が国会答弁でなされるのをネットで目撃してしまって、もう書かずにはいられなくなってしまいました。いやもう、すごすぎる。みなさん、すごすぎますよ。この共同体の行政府の長。こんなことをしかもさらっと言ってみせるところも、もうただただひれ伏すしかないかもです。見逃したみなさんは必見です。きっとひれ伏してしまうか、声をあげて腹筋が痛くなるほど笑ってしまいます。もう何をしようとこれにはかないません。
「総理大臣でございますから、森羅万象すべて、担当しておりますので」
2月7日(木)承前
ところで、上の発言をあげつらって大笑いすることは、「云々」を読めないことをあげつらって大笑いすることと同じなんでしょうか。「云々」のときに、漢字が読めないことを大笑いするのは、要するに学力主義であるという批判がなされて、たしかにそうだろうと思いました。「云々」くらい読めなくたって、別にいいよ、っていうのもありました。すると、「森羅万象」の意味を知らないからって、それを大笑いするのは、やはり学力主義に他ならないのではないか、何を大笑いし、何を大笑いしないかは、どこまでを許容範囲とするかという程度の差であって、学力主義であることに変わりはないのではないか、というふうに考えることができます。言うまでもなく、ここに「教養」をもちだして、「教養」は学力とは異なるのであって、政治家には「教養」が要求されるのだ、というような「教養」主義は、ソフィスティケートされた差別にすぎず、採用できません。やはり、上の発言を見聞しても、そういうこともあるだろうという態度をとるべきなんでしょうか。
2月8日(金)質的に違うのではないか
しかしたとえば、妻は私人であると言ってしまうことや自分のことを立法府の長だと言ってしまうことを、「私人」や「立法府」についての無知に還元し、それを笑うことはやはり学力主義だということになるのでしょうか。私には、<妻は私人である>や<私は立法府の長だ>や<総理大臣は森羅万象を担当する>を大笑いすることは、<「云々」を読めないなんて>って大笑いすることとは、質的に異なるのではないかと思えるわけです。「森羅万象担当」については、日ごろなされてきた数々のでたらめな説明がついにきわまってしまって出た大言壮語であって、これはたんに言語の意味を知っているかどうかに関する笑いではないのではないかと思っているのですが、しかしやっぱり「云々」とは程度の差でしかないのでしょうか。この種のネタも「そういうこともあるだろう」と静観できることは、ひょっとするとシニシズムとつながっているのではないかと思うわけです。いやあんまり自信はありませんが。
2月9日(土)密談≠密会
今週は超越論的にスーパー忙しく、卒論修論博論の試問に大学院入試に授業のテスト、その他各種会議やら密談(≠密会)やら、もうへとへとでした。それもこれも、やはり森羅万象を担当する方のさじ加減だったのでしょうか。そんなわけで、今日はあれほど読むのを恐れ、買ったまま捨てようかと思っていた『灰になる少年』を読みました。恐ろしいと思っていたシーンはごくごく最初の方に出てくるもので、子どもが父親に殺されそうになっていることを知り始める、というのは、記憶違いでした。しかしまあ、作者が描くあのしあわせそうな笑顔が、やはり非常に恐ろしく見えたことは、間違いではありませんでした。
2月10日(日)「戦争犯罪の主犯の息子」の謝罪
大韓民国の国会議長が、天皇が直接謝罪することによっていわゆる「慰安婦」問題は解決できると言ったと報道されています。「戦争犯罪の主犯の息子」として謝罪するのは当然と言えば当然です。もちろん、「息子だから」ではなく、そのまま「主犯」の地位を受け継いだ者だからです。しかし、強制連行して強制労働させた戦争犯罪を法的に認め、国家が賠償を行うことは、「戦争犯罪の主犯の息子」によるこの謝罪とは独立させる必要があると思います。これを独立させないと、臣民内田や臣民高橋、そして臣民中島の発想となんら変わるところがなくなってしまいます。
2月11日(月)祝うわけがない
間違ってもネーション主義者や資本主義万歳主義者にはならないと思いますが、絶対に国家主義者にならないかと言われると、前のふたつほどには自信がないのですが、しかし今日は雪が舞う中、出勤して仕事をする程度には、まだ反国家主義者です。私が国家主義者になるかもしれないのは、金持ちどもが阿漕なことをして蓄えた富をとりあげて再配分する組織として国家が機能するかもしれないと思ってしまうからであって、2000年以上前にどっかのあれが何したとかいうファンタジーを信奉するからではもちろんありません。人民革命が起きると今日が休みじゃなくなってしまうとご心配の方には、よくまあこんなこっぱずかしい日を設けていましたね記念日で休みとすることをお伝えしたいですね。
2月12日(火)なりすまし詐欺
先に書いたように、「戦争犯罪の主犯の息子」として「主犯」の地位をそのまま受け継いだ者として謝罪するのは、当然だと思います。しかし油断していると、いつものように、いつの間にやら加害側の最高責任者であることをすっとぼけて、人類を代表して、人類の平和を祈願しつつ、人類においては悲しいことがありました的なこと言いかねないところがあります。救いようのない人類を代表して、私が謝ってあげましょう的な得意技です。こんなものを繰り出されて喜ぶのは、臣民内田、臣民高橋、臣民中島くらいかと言えば、そうではないのです。なんせ反天皇制を支持する人はたったの8パーセントなんですから。自分以外に、24人と会わないと2人目を見つけられないんですから。
2月13日(水)クソ新聞
その新聞社は、人んちのポストに勝手に新聞を入れ続け、1ヵ月無料で受け取ったんだから最低でも1ヵ月は購読しろと、とんでもないことを言ってきた「前科」があるので、一昨日、ポストに入ってた紙くずをそのまま保管して、勧誘に来たらそっくりそのまま返してやろうと思っています。そもそもその新聞社は、「韓国の人々には、歴史の光の部分にも目を向け、今後の関係を考えてもらいたい。」などと、宗主国丸出しで命令するようなアホ論説委員を雇っているのですよ。少なくとも命令するなら、ちゃんとハングルで書けよ。ヌッポソ語で書いている限り、右翼たちに向かって、わが社もちゃんと見下してるんですよアピールをしているとしか考えられません。クソ朝日。
2月14日(木)解散すりゃいいだけ
自分の所属政党ではない政党が政権を担っていた時代を「悪夢」と呼び、発言の撤回を求められると、「総理大臣として言論の自由がある」と主張し、根拠のない断言の根拠を求められると「嘘つき呼ばわりは無礼だ」と礼儀作法を説く人が、まさかの行政府の長であり森羅万象担当大臣だったりしたら、もうどうしようもないですかね。ひどいのは、これが「悪夢」じゃなくって現実だってところです。ところで、「自衛隊員の子どもだからいじめられる」ということが、もしあの方の脳内事実にすぎないのではなく、あの方の言葉に現実を合わせるように(なんせ、森羅万象担当大臣だし)防衛省が必死になって該当者を見つけてきたとしても、だからってすべきことは、憲法改正ではなく、殺人集団の解散に決まってますよ。
2月15日(金)『ゲティ家の身代金』
観ていて不快にしかならないのはなぜなんでしょうか。強欲な大富豪が不快なのは言うまでもありません。金持ってるやつってやっぱクソだよな、と不快になります。バカ息子やそのバカ息子のバカ息子も、不快この上ありません。子どもが誘拐されてるのに飯を食うのかと言うパパラッチも、不快です。じゃあ、まともそうに見える母はどうでしょうか。金持ちのバカ息子と婚姻関係を結んだ時点で不快です。ウォールバーグは、元CIAという点で不快です。誘拐犯たちなど、言うまでもありません。なんでこんなものをレンタルしてしまったのでしょうか。やっぱこれからはあらすじを読んでからレンタルすべきなんでしょうか。いずれにしても、問題は不快かどうかではなく、大富豪なんて不正以外の何ものでもないってことですけどね。
2月16日(土)もう少し考える必要があるのではないか
「大学生が考えるえん罪の救済」とかいう副題をもつ催し物があって、主催者は記載されていないのですが、ある大学の学生ボランティアによる報告会のようです。内容をみると、御殿場事件、日野町事件、袴田事件という実際のえん罪事件が扱われ、弁護士たちも登壇し、概要と問題点が明らかにされるみたいです。しかしこのポスターのイラストはなんでしょうか。つり革のそばで、女性と思われる人がネクタイを締めた男性と思われる人に何か文句を言っていて、男性と思われる人の頭のまわりには「?」がついているという状況が、描かれているのです。学生たちにとってえん罪とは、結局、痴漢えん罪のことなんですかね。そして痴漢と言えば、真っ先にえん罪が頭に浮かんでくるんですかね。催し物は立派なものかもしれませんが、政治は細部に宿るのですよ。
2月17日(日)中央線かぁ
ちょうど中央線の終電で痴漢だと声を上げた女性が、男性たちの怒号にさらされたというツイートをいくつか読んだところでした。不正に対して「不正だ」と、ようやく声を上げてもよくなり始めた途端に、ただちにえん罪の問題が声高にまき散らされるようになるわけですが、痴漢えん罪を問題にする人のどれだけの人が国家ぐるみのえん罪を問題にしているでしょうか。むしろ、この手の人たちは、国家の無謬性を信じて疑わない人たちではないのでしょうか。もちろんこれは私のドクサであり、ドクサである以上、あれのドクサより100万倍ましなだけかもしれません。しかしもし私のドクサが合っているのだとすると、上のイラストは報告会を行う上で、まったく遂行的矛盾を犯していることになるでしょう。
2月18日(月)『5時17分、パリ行き』
まったくもって近年まれに見るクソ映画でした。なんなんでしょうか、このクソっぷりは。まあ、フランスやらアメリカやらの独善が見事に表現されていると言えば、たんに写実主義が過ぎているだけのことかもしれません。しかしそんなものは、わざわざ映画で見せてもらわなくても結構です。テロリストを3人がかりで痛めつけたくらいで人類の平和とかほざいているのですが、じゃあ、テロリストは人類の一員ではないのでしょうか。テロリストをテロリズムに走らせる要因は、ひょっとしたら自分たちの側にあるのではないかとか、ミジンコほども考えたことはないのでしょうか。まあ、監督が東森ですからね。クソに決まっていますよ。
2月19日(火)さすがだ
森羅万象担当大臣が不動産王を朝鮮半島を平和にしたとかでダイナマイト発明者平和賞に推薦したそうですが、これって、すごいことですよね。いやいや、森羅万象を担当しているのだから、わざわざ推薦なんてしなくても平和賞を受賞させることはできるだろうとか、森羅万象を担当しているほどの人物なのに、不動産王に尻尾振るんだーとかですごいってわけじゃないです。これでもう、沖縄に基地を作るために事前にサンゴ礁や希少生物を移動させた方は、朝鮮半島の脅威をもう口にしない、と言ってることになるからです。もしそんなことを口にしようものなら、不動産王が黙っちゃいないということを、わざわざお認めになったことになるのですから。さすがだ森羅万象担当大臣。
2月20日(水)へーぞー
へーぞーがそもそも授業なんてもってることに対して、立て看たてて抗議し、大学当局から退学処分を匂わされたまともな学生のいる大学出身者が、哲学の教員はなぜ当該学生を支援しないのかと嘆いているのですが、しかしその大学の哲学教員といえば、「また痴漢されたいと思われるように痴漢せよ」は定言命法だって主張された方がまっさきに思い浮かんじゃうんですよ。もう、そんな嘆きなんて、「過分なお言葉」と同義ですよ。エラソーなことを言って、お前はなにかしたのか、ですか? 少なくとも私は、定言命法を他人に押しつけることは矛盾していると考える程度には定言命法を理解していますし、まして「また痴漢されたいと思われるように痴漢せよ」は定言命法だ、なんてことはウンコがもれそうになっても言いませんよ。
2月21日(木)そんなもんがあるわけない
「正しい叱られ方」を教えてくれるような大学があるそうです。それをみなさまのNHKが垂れ流し紹介したそうです。やっぱあれですよね、何を言われようと、「そ〜れで〜?」って言い返すのが「正しい叱られ方」ですよね。それ以外に「正しい叱られ方」なんてありえないでしょ。ったく、これって結局「正しいパワハラはある」って話と同じであり、「正しい体罰はある」とか「正しい痴漢はある」とか「ヘイトスピーチする自由はある」とか「総理大臣としての言論の自由はある」とか「データを改ざんする自由はある」とか「正しい不正はある」とか「不正を犯す自由はある」とか「疲れたからやめたいって言う自由はある」とかって話と同じですよ。こんなもんはすべてありません。
2月22日(金)クソの上塗り
まあ国家公安委員会委員長だった時点であれなんですけどね。しかしそんなあれが衆院議長だったりしたこともあるんですよ。「終わり」はなんど重ねても「終わり」ってことなんでしょうか。そして準強制性交容疑で告訴された議員について、「問題にならないようにやらないと駄目だ」と。もうクソ以外の何者でもないのだけれど、しかしすでにクソだったからクソの上塗り状態です。さらにいつものように、報じる方も、問題にならなきゃ許されるかのような誤解を招く、と。じゃあ、「誤解」じゃない理解を教えてくださいよ。あっ、そうか、「問題にならないようにやらないと駄目だ」って発言は、<そこには何の問題もないわ、あほんだら>って意味なんですね。そりゃ誤解を招くわけだわ。
2月23日(土)文京だろうと文明だろうと
それにしても、問題にならないように準強制性交をやれって、「また痴漢されたいと思われるように痴漢せよ」って「定言命法」と同じじゃないですか。これはどう考えるべきなんでしょうか。哲学研究者が、国家公安委員会委員長なんてものを務められるようなやつと同じレヴェルだよ、って言うべきなのか、それとも国家公安委員会委員長なんてものを務められるようなやつは哲学研究者なんぞと同じレヴェルだよ、って言うべきなのか。そう言えば、件の哲学研究者が教鞭をお執りになられている教育機関では、公安さまたちが堂々と門の内側で仁王立ちしていましたね。所在地が「文京」区だろうと、国家公安委員会委員長が「文明」だろうと、なーんも関係ないんだな。
2月24日(日)祝うわけがない
言うまでもなく、今日はちゃんと働かないといけない日なので、出勤しました。休んだりしたら、祝っているのかとうっかり誤解されますからね。冗談じゃない。本当なら、新橋あたりで行われていた反対集会に参加したかったところです。新橋駅には私服の公安がうじゃうじゃいたようですね。それにしても、自分の誕生日を親に報告に行く一家って、すごいっす。それをわざわざ報道しちゃうやつらって、フツーに考えたら一家を辱めていることになるはずですが、しかしこの無責任共同体においては、敬意を表していることになるんですよね。そしてそれを見た臣民はひれ伏す。いつまでこんな差別を続けなきゃいけないんだ。
2月25日(月)「民度」とか「人々」とか
アジア侵略戦争に際して統帥権を有していたが何の責任を負うこともなく、そのうえ戦争責任とか文学はわからんとか、戦争責任を問われ辛いとか、まるで濡れ衣でも着せられているかのように言った父親の地位をまるっと引き継いだ息子から、「日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度」とか言ってもらうと、やっぱ臣民としては、もったいない「お言葉」にただただ感涙にむせぶものなのでしょうか。「人々の助け」などという言い回しも、いいか、臣民は臣民という身分をわきまえろよ、というメタメッセージしか発していないでしょう。でもきっと、臣民内田、臣民高橋、臣民中島は、もはやひれ伏すのみでしょう。いい加減にしてくれ。
2月26日(火)無法状態
さらに「民度」だの「人々」だの言うやつのことを、行政府の長が「万歳」と言ったそうですね。証拠として、ちゃんと音声入り動画をアップされている方もいらっしゃるのですが、んなもん耳にし目にしたら、大脳反射的に何をしでかすかわかりませんから、クリックは控えました。やらかしたのは、行政府の長のみならず、立法府の長も司法府の長もだそうですから、これはもう無法状態と言ってもよいのではないでしょうか。そして無法状態であれば、革命を起こしても罰せられる理由はないですね。残念ながら、8パーセントなので、革命は起こせませんが…。それにしても、国民の代表を福島県知事にやらせるという狡猾さ。フランスなら、間違いなくそこらじゅうで火の手があがるでしょう。
2月27日(水)まったく笑えない
注文されたうどんを店員が客のところへもってくる途中につまづいて客の前でうどんを床にばらまくのですが、それらを鉢に回収し、ぐるっと1周してから、客に「どうぞ」と出して、「食えるかー」ってなるのは、定番のネタです。放射能に汚染された土をいったん除去し、処分すると決めたけれども、やっぱ再利用することにするのは、これは定番のネタなんでしょうか。たぶん、この共同体の原子力行政としては定番のネタなんでしょう。そんなに使いたかったら東電本社や電2本社や二重橋の奥とかで使えばいいじゃん、という言い方は、基地引き取り派と同じことになるのでやめます。汚染土なんて使うなよ一択です。
2月28日(木)たんなるハラスメントでしょ
「過激イラスト」で有名って言われるくらいだから、少なくとも反天皇のイラストくらいあるんだろうと思ったのですが、まあ、『新ジャポニズム』の芸術家にそんなものがあるわけがないですね。やってることといえば、表現の自由と芸術の名の下に、「涙を流した少女がレイプされた絵」とか「全裸の女性が排泄している絵」とか「四肢を切断された女性が犬の格好をしている絵」とかを公開講座でスクリーン上に見せながら、下ネタを言い続けるというクソそのものです。芸術家である私にはハラスメントする自由があるんだよ、というわけでしょうか。ありませんねぇ、そんな自由は。公衆の面前でクソを垂れ流してはいけません。まさか、そんな自由があるなんて思ってませんよね、公開講座を開いたそのクソ大学は。だからこそ、ハラスメント対策が不十分であったことを認めたんですよね。
3月1日(金)バカ倫理学者が許せない
これって結局芸術ならなんでもオッケーってやつで、笑いはすべてを超越する系でしょう。要するに、クソだってことですね。芸術界隈のやつらや笑いはすべてを超越する系のやつらが「王様は裸だ」って言えないのは、別にどうでもいいです。そいつらは「王様」を崇めることによって「王様」を崇める自分はすごい、って考える臣民であり、世の中のすべての臣民を救えるわけではありませんから。そいつらのメンタリティなんてどうでもいいですが、そいつがやらかしている差別は問題です。女性差別を芸術だと言い、障がい者を笑いものにすることを芸だと言う、その差別性です。なんちゃらカフェで、障がい者を笑いものにする芸人のパフォーマンスを見て、これは差別ではなく彼女の芸でしょ、と真顔で言ったバカ倫理学者のことを、私は絶対に許しません。
3月2日(土)市民運動家が許せない
3.1独立宣言100年ということで、侵略やらかした側が、大韓民国への渡航に注意を呼びかけるなんていうのは蛮行以外の何ものでもありません。こうした政府のアホさ加減のほかに、独立宣言に関連する催し物で、和田春樹が引っ張りだこになるっていう状況も、批判されてしかるべきではないかと思います。良心的知識人だかなんだか知りませんが、何と言っても、「女性のためのアジア平和国民基金」の呼びかけ人であり、専務理事ですからね。「慰安婦」問題に対する国家の責任を回避するお先棒を担いだわけです。もっとも、同じく呼びかけ人のひとりで、被害者の視点などまったく持ち合わせておらず、フェミニズムのフェの字も知らない鶴見俊輔なんかよりかは、はるかにまともだと思っています。こんなのが主導していた市民運動なんて、当人の自己意識とは無関係に、国家的暴力を補完する運動にすぎません。(つまり、自己意識なんてたんなる誤謬でクソだってことです。)
3月3日(日)学問を尊重するんだ、へー
例によって、大統領が演説の中であげた被害者数について、「学術的に確立された数ではない」とか文句を言ってる政府があるそうです。ほほう、この政府が「学術的に確立された」ことを尊重するとは知りませんでした。学術的に確立されている皇軍による南京大虐殺も皇軍による「慰安婦」の強制労働も、認めているのですね。じゃあ、ごちゃごちゃ言わないでちゃんと国家賠償しないと。繰り返される南京大虐殺否認論やら、「慰安婦」は騙されていないだのいうデマは、誤りだと公言しないと。得意の閣議決定をしたらどうなんですか。ったく、「学術的に確立され」ていないとしても、じゃあ、侵略していた側がどれだけ殺害したのか、言ってみろって。まさか、何人殺害したかわかりません、とかじゃないよな。
3月4日(月)価値を貶めるとか、アホか
臣民内田が臣民内田らしく臣民内田丸出しで、次の元号に「安」とか「晋」とかが含まれていたら「これほど元号の価値を貶めるふるまいはない」とか言って、臣民内田を垂れ流し続けています。その場合、「死ぬまで二度と元号を使いません」と、臣民内田は臣民内田としての固い決意を表明しています。「元号の価値」ってあれですかね、その名の下に侵略戦争を行うことができるやつらの代ごとに時間を区切り、差別を温存させ続けるためにそいつらの代ごとに時間を区切る、そういう価値のことですか。そんなことに価値があるとお考えとは、臣民が過ぎますね。この臣民ツイートにぶら下がってるやつらも臣民ぶりをいかんなく発揮していて、「死ぬまで二度と元号を使いません」じゃなくて、二度と元号を使わないですむようにみんなで××なさってはいかがかと思います。
3月5日(火)末期的状況
末期的状況を示す「不正」がいろいろあって、しかしこうも末期的状況が続くことを考えると、ひょっとしてこれはデフォじゃないかと思えてくるのですが、なんと、なんちゃら在位30年に、衆議院が「感謝」の意を表すという暴挙ですよ。ったくどーなってんですか。これって、定義上クーデターと呼べないのだとしたら、国家テロですか。報道によれば、共産党は欠席したそうですが、主権を代理で担う立法府の他の構成員たちは出席しちゃったんですか。そりゃ臣民内田とかは大喜びで、できるものならみずから出席したいくらいでしょうが、こうやってほいほい「感謝」を示すことで、またいつか「民度が高い」とかなんとか言ってもらおうってことなんですかね。「これは不正だ。」
3月6日(水)自発的隷従
しかし臣民内田が泣いて喜びそうな臣民としての「感謝」の振舞いを拒否したその政党も、機関紙には元号を併用するようになっているわけです。そして元号の強制にはNOと言うけれども、慣習的には認めるそうなんです。つーことはあれですか、あんなものを強制されてもいないのに、進んで使いますって宣言ですか。臣民であることを強制するのはいけないけど、進んで臣民になるのはいいじゃんってことですか。こういうのを、自発的隷従って言いませんでしたか。だけど、奴隷契約は契約として無効なのをご存じないんでしょうか。なるほど、だから「慣習」ですか。慣習的に臣民になるのはオッケーだと。それも言うまでもなく不正です。
3月7日(木)恩赦なんて出願してはいけません
もちろんいろんな葛藤があってのことでしょうし、外野が安全地帯からものを言うな、ということになるかもしれませんが、しかしやはりそれはおかしいんじゃないかと思います。「履けないズボン」など、数々の疑問点があるにもかかわらず、死刑が確定してしまった冤罪の犠牲者について、弁護団が、刑の執行の恩赦を出願する方針を固めたとのこと。そもそも国家が間違えたわけであり、ありもしない罪を着せられ、それに対応する罰が定められたというのに、その罰を無責任体制の大御所に許してもらおうなんて、シニシズムにもほどがあります。結局あれですか、やつが生殺与奪権をもっていることを承認してしまおうということですか。いくらなんでもそれは不正がすぎます。
3月8日(金)最終講義
ついにきてしまったという感じでしょうか。同僚の最終講義がありました。15年間同僚だったわけですが、あれ、ひょっとして、この15年間でもっとも長い時間をともに過ごした人ではないか、という気がしています。帰宅しても人と会わないことを考えると、たぶんその通りでしょう。毎回あのとんでもない展開を見せる授業をもう聴講することができないのは、寂しいかぎりです。ご本人としては、雑事から解放され、研究に専心できるので、この上なく喜ばしいことかもしれませんが、残された者は、途方に暮れてしまいます。決して愚痴を言ったり陰口を叩いたりされないそのパーソナリティの1/10でも真似できればと思いますが、とてもできそうにありません。ああ、悲しい。
3月9日(土)きっと死にきれるぞ
「死んでも死にきれない」とか(ちゃんと「のぞみ」の前に立ちはだかってから言ってみろ)、どーでもいい私的口実で辞めることができるような知事のいる地方自治体があるそうです。そいつは、沖縄の基地建設に反対する住民に対して差別語を吐いた大阪府警のやつらの労をねぎらったやつですが、そもそも登庁しない方だそうですから、とっとと辞めてくれた方がいいでしょう。もうひとり辞めるやつがいるようですが、そいつも歴史修正主義者で、サンフランシスコ市に歴史修正主義を強要しようとして失敗したご仁。サラ金業者の味方をしてがっぽり稼ぎ、黒字経営だった市営地下鉄を売り飛ばし、住吉市民病院をぶっつぶしたんですよね。おい、田中康夫、ちゃんと責任とれ。ぜんぶ、お前のせいだ。
3月10日(日)『金子文子と朴烈』
観に行きたいけれど、シネ・ヌーヴォ20時35分から1回きり…。うー、じじいとしては、22時以降はもう半分眠ってて、ちゃんと帰宅できるかどうか、心もとないのですよ。仕方ない、レンタルになるのを待つしかありません。金子文子役の方のインタヴューが公開されていますが、好きな俳優とか監督とかがちょっとね。その監督、もてはやされていますが、基本は限りなく保守ですよ。そして父になっちゃうんですよ。その俳優も、つまらんエッセイスト(冗長句か)と大物のつもりの俳優の子どもなんですよねー。「親は選べない」って? だから?
3月11日(月)『リグレッション』
途中まで見ましたが、主演が好きじゃないことを思い出したので、時間の無駄だと思って、そこでやめました。まあ、冒頭で配給会社が「ワインスタイン・カンパニー」だというクレジットが入るので、その時点で見るのをやめればよかったのです。言うまでもなく、製作にはハラッサーが関わっていました。父親が娘をレイプするとか、娘がレイプされるのを父親が目撃しているとか、製作者としてそういうシーンを目にしたときに、どう思ってたんでしょうか。ともかくこれからは、ちゃんと製作者を確認してからレンタルすることにしましょう。それと、イーサン・ホークが出てるかどうかも。
3月12日(火)森羅万象担当大臣じゃなかったから?
総理大臣として言論の自由がある人は、福島にある東京電力の原子力発電所について、総電源喪失はありえない旨、国会で答弁なさったことがあるのですが、8年前にはありえないはずの総電源喪失がありました。森羅万象担当大臣に着任されたのはほんの最近のことですから、「想定外」で片づけるのかもしれませんが、しかし追悼式で追悼を述べるのは、やはりいくらなんでも茶番がすぎます。まあ、板子一家の関係者が被災者に寄り添うとか「お言葉」を吐けば、それですべてがちゃらになるなんてのが、伝統的にまかり通ってるわけですが…。
3月13日(水)デリダ研究者
徴兵制を導入すれば戦争をわがことと考えて「戦争やめとこ」という抑止効果があるとか言ってる、「スリーパーセル」差別扇動発言で著名な国際政治学者(って、形容矛盾だけど)がいるそうで、だれかがツイートしていたように、まったくぶれないですね。まあ、こんなのはほっておくとして、しかしこのまぬけな言い方は、良心的な学者みたいな顔をしたデリダ研究者が、沖縄に集中する軍事基地を沖縄以外に引き取ろうとか言ってるのと、どの程度違っているのでしょうか。このデリダ研究者は、朴裕河をどっこいしょするアーレント学者との論争において、はるかにまともなアーレント解釈を示してみせたわけですが、しょせんはこの程度の「現実主義者」ということなんでしょうか。まるでダメです。
3月19日(火)凡庸さが凡庸でない
例によって都知事だったやつが、「品行方正な芸人に魅力はない」と、<芸術だけは特別>論を垂れ流しているようです。笑いはすべてを超越する系と同様に、きわめて凡庸な芸術擁護論ですが、こんなものは要するに、芸術なんだから差別したってオッケーだ、芸術なのに差別しないでどーする、差別もないのに芸術であるわけない、くらいの主張にすぎません。芸術はイデオロギーだってことが非常によくわかります。ところで、「芸のこやし」にされた者は、ありがたく思えってことになるんでしょうか。こういうクソ芸人にかぎって、年取ってから、むかしひどいことをしてきました、とかほざき、「芸のこやし」はセカンド・レイプされるわけですよ。ったく、すべて不正なんだよ。
3月20日(水)そしてテロと戦うらしい
まあ、「連帯」なんてワレサのときだって十分にあやしかったし、意識哲学の残りカスである「承認」とか言ってる共同体主義者が「連帯」とか言うから、ますますろくでもないことが明白ではあるのですが、スーパー私人の夫が、ニュージーランドの国民に「連帯」するとツイートで表明しているみたいですね。ということはあれなんでしょうか、ニュージーランドはそこらじゅうに8億円分のゴミが埋まってて、「首相頑張れ」と幼児たちが声を揃えるなんちゃら学園みたいなものを作りかけたりできるんでしょうか。油断してると、その後不当に収監され続けたりもしますけどね。迷惑だろうなぁ、ニュージーランド。もう獣医学部はいらんて。
3月21日(木)悪夢の国だろが
レットパージに加担してハリウッドの赤狩りに貢献したような差別主義者に関係する施設で、ドナルドとかいうやつがミニーとかいうやつのスカートめくりをしたところで、別に何の不思議もない、不正なやつが不正を重ねただけだと思いますね。もちろん、スカートめくりを批判するのは当然のことですが、しかし「夢の国なのに」とかいう理由によってこれを批判するのは、どうでしょうか。スカートめくりをしちゃいけない論拠が夢の国であることに求められるのだとすると、しかしあんなところは差別が横行する悪夢の国なんだから、だとするとスカートめくりを批判できないことになりますよ。あんな反共施設へ行って喜んでないで、ちゃんと他の理由を考えてください。
3月22日(金)なんちゃらロー
たまたま人より何パーセントかバットをボールに当てるのが得意なだけだったのに、そしてそもそもバットをボールに当てるのが得意だからって何も偉いわけじゃなく、そんなことは資本主義社会を前提にしなきゃ褒めたたえられたりしないことなのに、いつの間にやら文化人にすらなってしまっているなんちゃらローとかいうのがいます。みなさん、お忘れなんでしょうか。このなんちゃらローと言えば、バカにしてやまない隣国にまったく勝てなかったとき、自分の野球人生の中でもっとも屈辱的な日だとのたまい、皇国のウヨたち(=ふつうのヌッポソ人たち)を狂喜乱舞させた差別主義者なんですよ。ったく、野茂の爪の垢すらもったいないわ。
3月23日(土)忘れちゃいけない
そうそう、まだまだ忘れちゃいけないことがありました。このなんちゃらローは、大学生とホテルで密会してSMプレイを行い、「男はそれを我慢できない」って、男を代表した人でしたねー。いいか、我慢できないのはおまえであって、男一般じゃない。自分の性欲なり性癖を一般化してごまかしちゃいけません。ちょっと人より何パーセントかバットにボールを当てるのが得意なくらいでね。ったく、野茂の爪の垢すらもったいないわ。
3月24日(日)クソが作るクソCM
先週今週と出張があり、先週は20℃を超えていたのに、今週は雪を体験することになりました。それはさておき、ホテルに泊まると、普段は総務省の陰謀によって見ることのできなくなっている動画を見る機会ができてしまいます。そんなわけで、悪質極まりないことで有名なハズキルーペのCMを見てしまいました。実にクズです。あんなものを作る広告屋は、やっぱ滅ぶべきです。だれかを不快にするとかじゃなく、たんなる差別なんだから、不正を垂れ流しているわけです。まあ、広告屋はヘイトスピーチも垂れ流すので、そういう意味じゃ、平常運転なんでしょう。8は基本的にクソなんですが、しかしこの件に関しては、「サンデーモーニング」なんぞより、はるかにまともで、ちょっとびっくりです。
3月25日(月)あんなこと
先週の出張で会ったドイツ人から、飲み会の折に、おまえは酒も飲まないし、タバコも吸わない、じゃあドラッグをやるのか、とフツーに訊かれ、品行方正なみなし公務員の私はかなりびっくりしました。ドラッグを否定すると、じゃあおまえにとってのアヘンはなんだ、というようなことを訊かれ、あやうく正直に答えそうになってしまいましたが、そんなことを言うわけにはいかないので、国立大学法人に勤める者として「哲学」と言っておきました。しかしこういうことを本気で言いそうな哲学研究者は多そうですよねー。そう言ってる自分大好き、みたいな人たちのことです。ああ、キモい。幸いなことに、私はその手のキモさとはまったく無縁であり、たとえあんなことをアヘンとしていたって、こんなキモさはミジンコほども持ち合わせていないことを誇りにしたっていいくらいです。
3月26日(火)イデオロギーを免れているわけがない
「民族の祭典」を口実に国家の犬どもを動員してホームレスの人たちを排除し、宮下公園をつぶして高層ビルを建設しようとしている現場に設定された柵には、「アート」が描かれており、何の冗談か、その「アート」を見て「泣いた」とか言う、「アート」系の人がいて、芸術無罪はいたるところに存在するのだということがわかりました。まあ、知ってましたけど。泣いてしまった人には罪はないが…、という前置きとともに、柵の設置理由を説明し、「アート」が無罪ではないことを指摘する人もいるのですが、その前置きは不要です。その場所がどういう場所で、そこで描かれている「アート」にはけっしてホームレスの人が登場することはありえないことを知らないことは、それ自体不正だし、知っているのにそのことを切り離して泣いて見せることは、不正に不正を重ねていることになるんですから。
3月27日(水)残念な文芸評論家
なんちゃらローが、何パーセントか人よりボールにバットを当てるのが得意なだけで、隣国や隣国の人々を差別してやまないヤツであることはわかりきったことであるのに、そのことを認めずに一生懸命擁護してみせるのって、いったい何なんでしょうか。ある文芸評論家がなんちゃらローについて書いていることも、残念ながら、大外れだと思います。やつはフツーのヌッポソ人にウケることを言うフツーの差別主義者ですよ。新庄がメッツに入ってもメッツがちっとも強くならないどころか低迷するのを捉えて、「新庄は阪神からメッツに来たのではない、メッツが阪神になっただけである。」と言うところとか、「私は新庄のファンではない、たんに阪神ファンである。そして、私は心情左翼などではない、たんに左翼である。」などと言うところは、相変わらず面白いのですが…。
3月28日(木)絶対買わない
まあ、その会社の製品はPC的にひとり不買運動をしているのですが、「男だから、女だから、こうあるべき……じゃなくて、もっと自由でいんじゃない?」とかいうクソコピーで自社製品が宣伝されているそうです。この手のクソコピーがクソなのは、もっと自由に振舞えるはずなのにそうしないお前が悪いと、いとも簡単に問題を個人の意識に還元して、構造的差別を正当化してしまう点にあります。もちろん、死ぬ気で抵抗しないかぎりレイプじゃない、という判断と同一のやり方です。「コーヒーのボスが紅茶だしちゃう時代だし」とか、クソどーでもいいことですよ。それともあれですかね、あんたの会社が今まで売ってなかった製品を売り始めると、それが時代を画するんですかね。へー、すごい会社なんですねー。絶対買わない。
3月29日(金)提灯持ち
なんか素朴なことをツイートしているやつがいて、アカウント名が「桂小枝」だったけど、あの「小枝」じゃないんだろうと思っていたら、「芸人如きが言わせて頂きます」とか言ってるので、やっぱあの「小枝」なんでしょう。「二重行政はホントに無駄」だそうです。なるほど、だから住吉市民病院はぶっつぶし、市営地下鉄は売り飛ばし、「near eys 3」(←「Tenjin bridge muscle 6-chome」とか「World Teahouse line」とかより、これが最強だと思う)ですか。しかし、あなたが素朴なのは、あなたが「芸人」だからじゃなく、あなたがあなただからですからね。「芸人如き」とか言って、ごまかしてはいけません。まあ、提灯持ったりするのが「持ち芸」なんでしょうけどね。
3月30日(土)『1987』
2月にレンタルしていたのだと思いますが、ようやく観ることができました。当時は大学院生だったのですが、無知なことに、こんなことが起きていることをほとんど知りませんでした。デモをしても世界が変わるわけではない、ということが映画の中で何度か言われますが、圧倒的な暴力を前にして、そう考えるのがむしろ普通でしょう。しかし独裁は打倒されたわけです。では、天皇制という圧倒的な暴力を前にして、この状況はひっくり返るかというと、やはりまったく絶望的です。そしてこの共同体においては、「しかし…」ということは、100年経ってもありそうにないです。ほんとスゴイわ、ヌッポソ。
3月31日(日)アホかつ差別主義者
ドイツのDIY用品の会社のCMが女性差別、とりわけアジアの女性差別だと大韓民国の女性たちによって指摘され、批判されています。白人男性の汗がついた下着を東京とおぼしき街の自販機で購入した女性が臭いをかいでうっとりするというクソCMです。下着が入っている箱には「春の香り」と書かれています。批判されて、ヌッポソでは女性が使用した下着を自販機で購入できるそうだから、このCMはそのパロディなんだ、という返答があり、さらに、こうすれば日本女性にとって平等だろ、とほざいています。広告屋っていうのがアホで差別主義者なのは、ひょっとしてたんなる経験則ではなく、広告屋であるための超越論的制約ではないのかとさえ思えてきます。きっとこういうアホは、ミスコンに対して男も品評会をやればいいと言うに決まっています。自己批判の後、滅んでしまえ、広告屋。
4月1日(月)エイプリルフールに違いない
まさか21世紀にもなって特定のやつらが特定の地位に就くたびに時間を区切るなんて蛮行はやるはずがないので、これってエイプリルフールでしょう。なんちゃらってのを伝える号外を奪い合い混乱なんてのも、きっとエイプリルフールとしか思えない。しかし考えてみれば、マスコミも芸人も元プロ野球選手もこぞって提灯持ちどっこいしょメンタリティなので、けっして4月1日だけのことじゃなくて、たんなる「フール」なんでしょう。いや、しかしたんなる「フール」じゃない。差別にあふれ、不正まみれの「フール」でした。もうやめにしましょう。
4月2日(火)「政治的なにおいはしない」←臣民の妄言
臣民内田がなんちゃらって××は「政治的なにおいはしない」とかほざいているそうで、さすが臣民は臣民らしい言動です。言うまでもありませんが、褒めてませんし、冷笑しているわけでもなく、バカはいつまで経ってもバカだが、まあ、愚行権は法的に認められているのでバカであることはたんなる権利の行使に過ぎないが、しかしその言動が不正である点は許されないのであって、それをちゃんと理解しろよとは思うけれども、臣民は臣民なのでそんなことは理解できないな、と思うだけです。「におい」がしないのは、たんに鼻がつまってるだけのことで、××が政治的でないわけがないだろうが、鼻かめよ、ボケが。
4月3日(水)なにが「新しい」んすか???
「新しい時代の始まり」とかそこたらじゅうで言われているようなので、やったぜ、やっと共和制かと思ったら(←うそ)、どうやら、侵略戦争の最高責任者を父にもってそのままその「無責任ぶり」を引き継ぎ、疲れたから辞めると言ったら憲法違反を国会で承認してもらったやつの息子が、やっぱりこれまでどおり差別体制を引き継ぐらしく、いったい何が「新しい」んですかね。ひょっとするとあれなんでしょうか、あっち側にいると、「新しい時代だ、めでたい、めでたい、わっしょい、わっしょい」って気分も高揚してしあわせになれるんでしょうか。かりにそんなことがあるとしても、不正の上にあぐらをかくくらいなら、犬のうんこを踏んでしまった方がはるかにましです。
4月4日(木)きっと言い出したヤツはアホに違いない
またまたきました。月収700万円あると税金で半分もっていかれるから、3割程度もらってくれという懇願メイル。ウィンウィンの関係ですよね、だと。アホ抜かせ。どーせろくでもないことして稼いだカネだろ、ちゃんと税金払えよ、ボケ、と言いたいですね。能力に応じて働き必要に応じて受け取るって、知ってるか? おまえのその薄汚い能力で稼いだカネは、必要とする人たちに回さなきゃいけないんだよ。とまあ、こういうことをつらつらと書いて返信してやりたいくらいのところですが、そんなことをしても無意味であることを理解できる程度には世間知があるので、やめておきます。それにしても、ウィンウィンとかいう言い回しって、虫唾が走る。
4月5日(金)「私の御代」かよ
<疲れたからやめたい>で有名な、あの法の下の平等に反する超法規的存在者にして侵略戦争最高責任者の息子が、「××(←漢字二字。書きたくない)の時代(私の御代)は戦争がなかったことが最も重要。国民が戦争の悲惨さを真剣に考え対応してきたからだ」とか言ったと、朝日臣民新聞で報道されているようです。「私の御代」とか言っちゃってる時点で、行っちゃってるわけですが、臣民新聞はもちろん突っ込んだりしません。戦争がなかった???イラク戦争とか知らんのか。「自衛隊がいるところは戦闘地域ではない」とほざいたぼんくらを知らんのか。希少動物は移して基地を建設していると嘘ついたあれを知らんのか。いいか、「戦争の悲惨さを真剣に考え対応してきた」のなら、侵略戦争最高責任者の地位をまるっと引き継いだその息子がのこのこ公共空間に出てこれると思うのか。
4月6日(土)うんことうんこ
仕方がないので休日出勤したら、勧誘やらなんやら見たくないものを目にしなければならず、つくづくこの人たちのことは好きになれないなぁと思いつつ、まあ、向こうもそうだろう、いや、そもそも向こうはこっちの存在なんて目に入らんだろうということに思い至りました。仕方がないので、池田まで散歩してから帰ることにしましたが、池田は、というか大阪は、やっぱ地獄であることをひしひしと思い知らされました。駅前の商店街で緑色の旗と白旗(白旗なんだ!)が「ガーガー」言ってるわけです。さあ、どっちのうんこにしますか的な展開ですよ。緑色の方には、選挙区で落選したら比例区で復活なんてするわけがないとほざいて比例区で復活したやつが応援演説してましたが、おまえ足引っ張んてんじゃねーの、って思ったので、マイクもったやつが耳元で「ガーガー」言ってきたときに、「うるせー」って言ってやりました。ぐっじょ。
4月7日(日)何をいまさら
いつもはまともなツイートなのに、かつてウォルト・ディズニーが<疲れたからやめたい>人を直々にクソクソランドへ案内した、とかいうクソ記事に対して、「こういうのを見てなにがダメって思うかって、ディズニーがダメって思う
明仁がダメなのは当然として」とかツイートしちゃってるアカウントがあって、愕然とします。ウォルト・ディズニーが何者だか知らないんですか? 共産主義者をスパイして摘発していたようなやつが、天皇に媚びを売ったって何の不思議もないじゃないですか。そんな記事を見なくたって、ディズニーがダメなのは自明でしょ。何をいまさらですよ。もっとしっかりしてください、って思いますね。
4月8日(月)あ〜、引っ越したい
あ〜、引っ越したい。あ〜、引っ越したい。あ〜、引っ越したい。じゃあもういいや、豊中をEUの飛び地にするってことで手を打ちましょう。「EU」とか言うと、表向きリベラル、その実たんなる天皇主義者が、西洋中心主義とかなんとか、きっとほざくでしょう。どーでもいいです。しかし豊中も、府議会議員が定数4のところ、自民の既得権益をおれらに寄越せが2名、森羅万象担当大臣を総裁とするのが1名、権力にすり寄る線香屋が1名なんですよね…。わかった、もう604だけEUの飛び地にしてください。言うまでもありませんが、国家による殺人である死刑制度撤廃条項には、全面的に賛成です!
4月9日(火)あ〜、やめたい
そして授業が始まってしまいました。しかもあんなに多くの受講者がいるなんて、ものを知らないにもほどがありますよ。反天皇制支持者8パーセントからすると、あんなにぎゅうぎゅうづめの教室なのに、自分以外には3名、端数を切り上げても4名しか、まともな人はおらず、ということは、大半の人たちにとっては聴講したってムカつくことばっかなはずです。「ハイデガーはナチス党党員だった」とか「漱石は天皇主義者に違いない」とか、そんなことしか言いませんからね〜。おまけに、意味もわかってないのに笑うやつとか、いらねー。
4月10日(水)退場していい
その人が反原発を主張してまともな議論を展開し、森羅万象担当大臣が反社会的勢力の関係者を使って選挙妨害をやらかし、報酬をけちったので自宅に火炎瓶を投げ込まれ「私は暴力に屈しなかった」と大喜利ネタをかますことになる質問をカジノ法案に反対しながら行ったことはたしかであって正しいでしょう。しかしその人が以前から臣民メンタリティの持ち主としてへーかにこびへつらっていることは知られており、クソの党名を掲げて新党を結成しても、ああそうですか、って感じにしかなりません。この人もひょっとして、内田のアホとかと同様に、霊的につながっていたりするんでしょうか。もう退場していいです。
4月11日(木)どあつかましい
戦争を止めるよう進言されたそいつは、もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話はむずかしいと思う、と答えたわけですが、そいつが戦後の回想において、自分が民主的に振舞おうとつとめたため、かえって軍をつけあがらすことになったとのたまわっているそうで、まあそいつのレゾンデートルとはいえ、つくづくどあつかましいというかどあつかましいというかどあつかましいというか。しかしこのどあつかましさをそのまま引き継ぐ者たちにこびこびの政党名を掲げるアホもいるそうで、自発的隷従と書いて、「やまもとたろう」とルビをふりたいくらいです。
4月12日(金)すべての責任は田中康夫にある
沖縄の新基地建設現場までのこのこ行ってヘイトスピーチやらかして帰ってきた大阪府警のわんわんたちの労をねぎらうようなのが、選挙に出て当選する。公共の保険制度のことを「掛け捨て」などと言ってはばからない、公共性というものが何であるかミジンコほどもわかっちゃいないようなのが、選挙に出て当選する。新年の休みにあれと同じ本を読むと言って誇らし気にバカをさらす歴史修正主義者が、選挙に出て当選する。住吉市民病院をぶっつぶし黒字経営だった市営地下鉄を売り飛ばすようなのが、選挙に出て当選する。おい、田中康夫、これらすべてお前のせいだ。ちゃんと責任とれよ。
4月13日(土)アホぬかせ
まあ、どうでもいいことですが、日共には左翼前衛党的日共と草の根的日共の2種類があり、前者はバカな大衆を左翼エリートが導くというタイプで、後者は大衆に寄り添うふりをするタイプですが、その映画監督がずっと草の根的日共だったことを思えば、勲章なんぞをもらい国家に顕彰されて大喜びしたって不思議でもなんでもないわけです。そして「天皇陛下から勲章を直接いただくのですが、陛下はじーっと僕を見つめられた。ちょっと不思議だったけど、あとでわかりました。陛下は僕に「これからも体を大事にして、いい映画を作ってくださいね」と念じておられた。」とか、朝日臣民新聞紙上においてほざいているそうです。バカですねー。こいつもやっぱり自己意識としては特別な臣民として、霊的につながっちゃってるんでしょうね。ああ、胸糞悪い。
4月14日(日)『ヒポクラテスたち』
昨年の忘年会で話が出て、久しぶりに観てみようかと思っていたのですが、ようやく実現しました。最後の伊藤蘭のシーンのためだけに観るのはきっと苦痛に違いないと思っていたのですが、思っていた以上に苦痛でした。あまりにもむかしに観たため、細部どころかほとんど覚えておらず、しかし不快になることはしっかり覚えていたわけですが、これほど不快になるとは…。当然のように、ジェンダー論のジェの字もありません。森永のヒ素中毒やチッソの水俣病を糾弾する運動も、なんだか戯画化されているようにしか見えませんでした。芸術家は所詮ノンポリだという主張なのかもしれませんが、ノンポリなんてものはたんなる体制順応派の別名に過ぎないんですよ。
4月15日(月)その地の選民思想たるや
そうそう、舞鶴に帰った恋人は京都に戻ることはなかったとかいう言い方が、あそこに住むやつらのいやらしさを如実に物語っていました。自分のせいで妊娠したその恋人が、ニセ医者による堕胎手術を受けたために入院生活を余儀なくされ、場合によっては不妊症になっているかもしれないと気がついて、涙ながらに電話して婚姻関係を申し入れるという、もうクソの上になんぼほどクソを重ねるんだ的なシーンもありました。そう言えば、似たようなエピソードが出てきたせいか、同級生は病死したのに自分は実験でマウスを殺してしまっている学生生活をどうすればいいのかと訊かれたけれど一切返事をしなかったという過去を思い出してしまい、うるせーって思いました。
4月16日(火)へー
吹田市長によれば、吹田市は「高質な街」だそうです。「ご存知でしたか?吹田市内にはラブホテルは皆無、定住ホームレスも居ません。質の高い品格ある街の自然な姿です。」って。へー、ラブホがなく、定住ホームレスがいなくても、こんな差別的な市長が行政府の長だっていうのにですか。ひょっとしてあれですか、こんな市長のマイナス分を取り戻すだけの街だから、質が高いってことですか。しかし、「差別」は損得じゃないので、取り戻すとかできることじゃないですよ。差別主義者が市長である以上、その街は差別主義者を市長とする街です。「この住みやすく誇り高い街を皆さんとともに未来に引き継ぎます。」なんて言われて、吹田市民のみなさまはいいんでしょうか。ラブホがなく、定住ホームレスがいないことを吹田にお住いのみなさんは誇りにしちゃうわけですか。そうですか。
4月17日(水)自宅で婚外交渉てか
ところで吹田市民のみなさんは、まさか質の低い街である豊中市や茨木市のラブホを利用なさったりしませんよね。けがらわしい。すると婚外交渉もご自宅でなさるわけですか。さすが高質ですね。えっ、婚外交渉なんてけがらわしいことそれ自体、吹田市民のみなさんはなさらないと、そういうことですか。なるほど、そういうことはきっと「自然な姿」ではないということですね。ところで、婚姻制度なんて、人為的な制度以外の何物でもないと思うのですが、吹田市長にとっては、それは自然の賜物なんでしょうか。定住ホームレスがいないのも、けっして人為的に排除しているわけではなく、それは「自然の姿」なんですね。ところで、こんな差別主義者が市長を務めることは「自然の姿」なんでしょうか。
4月18日(木)強姦はいいが淫乱はいけないらしい
なんと、出会い系アプリを使って知り合った複数の男性と交際した女性の警官が懲戒処分だそうです。これ、どこの部分に問題があって罰が与えられているのでしょうか。女のくせに複数の男性様と交際するなんてけしからん、ですね。この淫乱女めが、ですね。しかし男性様の警官だと、強姦したって「強姦じゃないと誤認しましたー」って言えば、罰せられなくてすむんですよねー。アホぬかせ。ところがきっと、ラブホけがらわしーの吹田市長には、この不正もわからんでしょうね。まあ、高質だこと。
4月19日(金)みなさま臣民のNHK
みなさまのNHKはニュース番組において、「両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。」と報道したそうです。まあ、報道なのに敬語なんて使ってる段階でアウトなんですが、いや、報道じゃなくったって敬語なんて使うのは正義に反していますが、それに加えて、「天照大神」をあそこの祖先だと報道しちゃってるわけですよ。それはそれは驚きなんですが、しかしこのたんなる宗教活動は時間を区切ることにつながっているわけで、なんちゃらをうれしそうに使う臣民たちにとっては、別に驚きでもなんでもないですよね。臣民内田、そうだよな。
4月20日(土)たかだか寺が焼けただけ
たかだか寺が焼けたくらいで大騒ぎして、所得の低い人々やそもそも所得のない人々に再配分されることは断固拒否する存在自体が悪である富裕層というのが、再建に向けて寄付するそうで、まさにこうした富裕層のクソメンタリティの恥辱のために寺は燃え墜ちたのだと言いたいところですが、そんな恥辱などあの寺がもつことはありません。インタヴューを受けて、「フランスは今、社会的にも政治的にも国民が分断されているが、この出来事をきっかけに一つになれる」とほざいたフランス国民がいるそうですが、こういうのをきっと「健全なナショナリズム」と言ってしまううんこたちがたくさんいそうで、ひとつひとつバカ呼ばわりしたくなります。
4月21日(日)法政大学の政治学者
父親の死後、父親の地位をまるっと受け継ぎ、父親同様侵略戦争の責任を負わないどころか、平和を祈る「いい人」になったとかいうのが、税金使って宗教活動すると、沿道では園児がそろってお辞儀していて、それを見て法政大学の政治学者が「××××の戦後憲法体制の象徴としての様々な努力も、最後は明治国家的な天皇制に回収されていく」とか寝ぼけたことを言っています。アホぬかせ。××××はせっかく努力してきたのに、周りが悪いかのような言い方は、言うまでもなく臣民丸出しです。政治学者なのに、これじゃあポストモダンのアホ学者と同じですよ。もっとも、この政治学者には、明治政府による最初の植民地主義も知らないことにした前科があるので、あのアホ学者と同じでも不思議はないか。
4月22日(月)なのに呼びかけ人なんだよなぁ
政治家が科研費研究について「ねつ造だ」とデマを飛ばしてきたことに対して訴訟を起こされている人たちがいるのですが、この政治学者が支援呼びかけ人のひとりになっていて、「ニュースレター」第1号にそのメッセージが掲載されている(しかも一人目として)のを見て、なんだかなぁと思わずにはいられません。その訴訟そのものは非常に重要だと思っていますが、賛同者のなかには、政治家が科研費研究の内容に口を出すことそれ自体に対しては異議申し立てをするけれども、もともと「ねつ造」とデマを飛ばされたのが「慰安婦」問題についてであるということに関しては、どうでもいいと考えている人も少なからずいそうで、やはりなんだかなぁと思わずにはいられません。呼びかけ人のひとりに、朴裕河を支援するやつも含まれていますからね。
4月23日(火)ここにもいた
政治学者だか社会運動家だか知りませんが、どれだけ立派なことを言ってても、代替わりとやらの前に外遊するアレのことを「チャレンジャー」と言い、その含意は、アレによる天皇の軽視とかついぽろっと言ってしまう(たぶん、ついぽろっとなんかじゃなくって、120%くらい確信しているに違いないけど)人は、終わってますね。ええ、自分が立派なリベラル天皇主義者であることを語ってみせたという意味においてです。まあ、前からあまり信用できる人だとは思っていませんでしたけどね。やっぱあれですかね、霊的につながっちゃってますかね。すげー。
4月24日(水)政治は暴力なのか
あいりん総合センターで過ごす人たちがいることを知っているにもかかわらず、警官たちを大量に動員して強制的に排除する行政を見ていると、政治とは暴力のことだと思わずにはいられない。こうして暴力を行使している人たちは、自分たちが新自由主義者であって人権を侵害する者であることの自覚くらいはあるのだろうか。まさか本気で、正義を実行しているなんて考えていないでしょうね。もうずっと、さまざまな局面で上から押さえつけられることが続いていて、それでも冷笑主義に陥らず、かつ、暴力にも訴えないなんてことが、なぜ可能なのか。
4月25日(木)「アート」は不正だ
渋谷の宮下公園でも同じことがあったわけです。そして工事中のその場所にフェンスが築かれ、そのフェンスにはよろこんで「アート」を描いたやつがいて、その「アート」を見て涙を流したやつがいるわけです。描いたやつも涙を流したやつも、そこがどういう場所だったのかを知らなかったのなら、無知を恥じ入って崩れ落ちるべきであり、知ってたけど「アート無罪」を主張するなら、どあほすぎるために崩れ落ちるべきです。無知は不正だし、芸術にイデオロギー性がないと考えるなら、やっぱり不正です。
4月26日(金)ろくでもない催し物
あるろくでもない大学のろくでもない部署のろくでもない催し物のろくでもないタイトルは「ねぇねぇはかせ、「家族はどうして大切なの?」」だそうです。「ねぇねぇはかせ」の部分が、すべてを物語っていると言えなくもありませんが、しかしこのうんこはどういううんこで、あのうんこはどういううんこで、といううんこ間での差別化も場合によって必要かもしれません。このうんこは、「家族はどうして大切なの?」というイデオロギー丸出しの質問に対して、「ニュートラルな」はかせが答えるというタイプのうんこみたいです。そりゃ人文学は不要だと言われるわけです。だって身を削ってこんな大笑いをとるようなネタを披露できるようなセンスは、人文学にはまったくありませんからね。そりゃ役には立ちません。
4月27日(土)バカとかアホ
とはいえ、人文学を出自とする人文学をぶっ壊せ系の人たちなら、このくらいの大笑いをとるネタは披露できます。でもそれはもはや学問じゃないですから。障がい者のまねをするゲーニンのパフォーマンスを見て「これは芸です」とほざくバカとか、障がい者と一緒にピクニックへ行って弁当をちゃんと食べられない障がい者がご飯をぼろぼろこぼすのを互いに笑い合ったとクソどーでもいい個人的体験を垂れ流して、障がい者を笑うことを正当化して安心するアホとかのことです。「家族はどうして大切なの?」だって、奴隷のおかあさんが主人とこどものために身を捧げてご飯を作ってくれるからよー、って全然笑えねーよ。たんなる不正じゃねーか。
4月28日(日)すべて田中康夫が悪い
どっかの市長を勝手に辞めることにして、同じようにどっかの知事を勝手に辞めることにした「死んでも死にきれない」ビックリ人間大集合系の者と入れ替わりに知事になった者がいますが、知事ってその地域の行政府の長なんですが、この方のご自慢は、公共施設に税金を使わないことなんです。そうやって市営地下鉄も売り飛ばし、市立病院も図書館もぶっつぶし、人が生活している場所に権力の犬たちの動員をかけて、居場所を奪ってしまいました。わかってますか、田中康夫。これはすべてあなたの責任です。関係ないなんて、言わせませんよ。
4月29日(月)臣民選手権大会
今日はクソクソな日なので、平壌冷麺を食べに行かなくてはならないと思い、朝から出かけて、まんまと平壌冷麺と玉子スープをいただきました。テレビでは相変わらずなんちゃら最後の××とか、クソクソな話を垂れ流していて、やはりテレビがないのはよいことだと思いました(業界とつるんだ国家的陰謀さえなければ、まだまだ映っていたであろうものはあるんですけどね)。おまけに、なんちゃらが「自然に」教育したいからと、平民の通う学校へ行かせただのなんだの、報道に「○○さま」が出てくる異常さをなんとも思わない臣民たちが、だれがどれだけ立派な臣民かを力のかぎり競い合っていました。食事はすばらしかったのに。
4月30日(火)『ハッピーエンド』
なんか謎解きみたいなサイトもあって、監督が「伝えたかったこと」とか、いまだにそんな「作者の意図」理解みたいなことをやっておるのかと暗澹たる気分になる、ということはないですが、というのも「意図」理解がすべてだと考えている人たちが掃いて捨ててもまだまだ湧いて出てくることを知っているからです。それはそうと、やっぱ13歳が自殺未遂を起こすのは、あれほど憎んで殺してしまった母親の夫だった自分の父親があまりにも変態すぎるのをチャットを覗き見て知ってしまったからですよね。ったく外科医の性癖ときたら…。ジャン=ルイ・トランティニャン、なんと88歳ですか。あああ。
5月1日(水)ミジンコワムシ
前の改元のときは弔意もあったが今回は祝賀ムードしかなく…、とかいう、ひょっとして現況を憂えているつもりの言い回しがもしあるとしたら、しかし実は何を言っているのかさっぱりわかりません。前の改元のときに弔意なんてミジンコワムシほどもありませんでしたからね。今回だって祝意なんてやはりミジンコワムシほどもないのでそんなムードがあることも知りません。祝意ってあれですか、侵略戦争の責任をじいさんの代からまんまとごまかし続けられそうだってことですか。それとも、民主主義とか言ってるけど、まんまと身分制を維持できそうだってことですか。アホぬかしちゃいけません。侵略戦争の責任も身分制も忘れちゃいませんよ。
5月2日(木)臣民だけど上から
「元号に批判的な政治的姿勢というのは勿論あっていいんだし堂々と主張すればいいのよ」とか、ずいぶんと上からものをおっしゃるんですね的なのがいるようですが、この物言いはそもそも間違っており、こんなことを言ってしまう者はきっと臣民に他ならないのだろうと愚考いたします。なぜなら、元号は批判してもよい対象なんかじゃないからです。批判してもよい対象であることは、批判しなくてもよい対象であることを含意しますが、元号は批判すべき対象であって、批判しなくてもよいなんてことはミジンコワムシほどもないからです。だから、件の方は批判してもよいなどとエラソーに言ってのける割には、しっかり臣民でいらっしゃるというわけです。ご存知ですか、差別する自由なんてないし、侵略戦争の責任をばっくれるなんて選択肢もないんですよ。
5月3日(金)身分制を楽しむのかよ
この臣民による上からの「許可」発言が、どういうコンテクストから出てきたのかと言うと、同調圧力を批判する者に対して、元号を批判してもよいが、しかしなんでもかんでも同調圧力とか言って批判するな、そんなものはない、という話からなんです。つまりこの臣民の前提に従えば、同調圧力もないのに、へーこら元号を使ってる方たちがいらっしゃるというわけです。ほほう。つまりみずから奴隷になる者がいるんだというわけですか。そういうのを自発的隷従と呼ぶのだと思いますが、自発的隷従は批判しなくてもよいわけですか。「個人的に楽しんでるんだからいいだろ」ですか? 冗談じゃありません。身分制を「個人的に楽しむ」者は、身分制を「個人的に楽しむ」者として批判されるんですよ。
5月4日(土)『主戦場』
十三の改札を出たのは、もう20年ぶりくらいかもしれません。なぜそうなったのかまったく覚えていませんが、20年くらい前にはたしかジャンカラへ行ったはずです。なんと、同じビルでした。昨日着いたのは上映1時間前でしたが、すでに整理券は20番。観客は、高齢者が多かったような気がします。日の丸背負うのがどうこうとか、なんちゃら家のゴドーとか、絶対に本編を見ることはないだろうという予告編をいやいや見ました。この映画については、チラシにコメントがあって、「見てから,見たうえで、何を語るかは自由」だとか言ってるやつがいて、ああまたしても自由主義者かよ、このクソが、と思っていました。
5月5日(日)どーせリベ天だろ
上のご仁には、いったい何を「自由」に語るのか、ぜひ教えてほしいものです。所属しているわけでもない学部の入試に知恵を貸してやろうとか言ってくださるほどの劇作家さまのことですから、きっと立派なことを語れるのでしょう。まさか、「慰安婦」なんて存在しなかった、とか、強制連行はなかった、とか、そんなことを垂れ流す「自由」があるなんて、お考えじゃないでしょうね。そんな「自由」があると考える者は、身分制以外の何ものでもない「即位」なんてものを祝う「自由」があると考える者や、侵略戦争の責任をこれからもとらないままでいることを意味する「即位」なんてものを祝う「自由」があると考える者と同一です。あっ、でもこいつもリベ天か。だったらなんの不思議もない。
5月6日(月)フィクション作家
「エンタメ性」なんて不要だと思いましたが、内容に関して不満だったのは、朴裕河のところです。例によって、でかい構造の話をしてみせるわけですが、挺対協(映画が製作されたのは名称変更前なんでしょうか、このように紹介されていました)の方から、構造の話をすることによって日本の国家としての責任をうやむやにしているというイデオロギー暴露が行われていました。ただ、彼女が何らの実証もなく「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)」と書いていることも紹介しないと、挺対協の方が「小説」と呼んでいる理由がわからず、イデオロギー暴露も恣意的に見えてしまうのではないでしょうか。言うまでもなく、彼女は確信犯なんですよ。
5月7日(火)もうひとつの不満
もうひとつの不満は、河野談話以降に数々発見された皇軍の関与を示す証拠のうち、慰安所設置の根拠法に関する発見について言及がなかったことです。監督が、この発見を知らないということはないと思うのですが、なぜこの決定的な証拠を示さなかったのか、それが不思議でなりません。これを出したところで、どうせ歴史修正主義者はゴールポストを動かすか、わけのわからないふりをするだけだから、でしょうか。あるいは、「歴史戦」の「主戦場」はもはやアメリカにあるのだから、根拠法に関する発見がなされようがなされまいが、実はどうでもいい、とかいうことなんでしょうか。とにもかくにも、慰安所が法的根拠をもって皇軍の施設だったこと、このことは確証されています。
5月8日(水)なんなんだこれは
こんななぞの掲示物がありました。これはいったいだれに向けて告知しているのでしょうか。ひょっとして、蛍池のあの店には侵略戦争の最高責任者だったむかし神だった人間の孫がやってくるのでしょうか。そうじゃないとしたら、買い物客に向けて、こちらは臣民ですよ、と訴えかけているのでしょうか。同じ臣民だから安心して買い物してくださいね、ってことですか。PC的に、もはやここでは買い物しない宣言をしたいところですが、ことはサ〇トリーやらメ〇ミルクやらの不買のようなわけにはいきません。梅田の成〇石井までお買い物に出かけるほどのプチブルじゃないし(そのうえひょっとすると、そこにも貼り出してあるかもしれないし)、そもそも梅田へ行くには阪急に乗らなきゃなんですよ。かくしてPC的にはまったく不本意な生活を営まねばなりません。くやしい。
5月9日(木)控えめに言ってどあほ
尿意やら便意やらはあったのですが、祝意なんてミジンコワムシほどもなかったので、連休中も、平壌冷麺を食べに行った日と『主戦場』を観に行った日以外はせっせと出勤していました。ところが、「天皇の制度は憲法上の制度であり、制度にもとづいた即位に祝意を表するのは当然です。」とかほざいている、ヌッポソなんちゃら党の委員長がいるそうです。まあ、そんなやつの「当然」からは外れて当然なんですが、「即位に祝意を表する」って、身分制を祝う気持ちがあるってことだってわかってますか。こうやって自分自身の差別主義的メンタリティを「護憲」によって正当化するんですよね。「ただし過度な礼賛や祝意の押しつけには賛成できません。」って、要するにあなたは押しつけられてもいないのに礼賛し祝意を表しちゃうんだ。控えめに言ってどあほですね。
5月10日(金)『万引き家族』
パルム・ドールを獲得したときに、この監督のことがしきりに左翼だと評されていて、ナチス党党員だったある哲学史家の名前をかつて作品の中でチラ出ししたことのあるようなこの人が左翼なわけがないだろうと思っていましたが、この前これを観て、左翼だと評していた人にいったいどこが左翼なのか改めて問いたいところです。相変わらずの立派な保守主義者じゃないですか。「本物」じゃない父と息子でも、「本物」と同じような会話があるんだという描写として、「男はみんなおっぱいが好きなんだよ」というセリフをもってくるところに、安定の保守主義が示されています。「本物」だろうと「本物」じゃなかろうと家族なんて不要だとは、絶対に言えっこない保守の王道でしょう、この人は。
5月11日(土)なにが「妹にはさせるな」だ
「妹には万引きをさせるな」とたしなめる柄本明のようなやつがひょっとして「いい人」として描かれていたのかもしれませんが、冗談じゃありません。この「いい人」は死ぬわけですが、それってひょっとして「むかしはこういう『いい人』がいたもんだ」とかいう懐古趣味ですか。この手の「いい人」が自民党を選び続けてきたからこそ、格差は拡大し続けてきたのですよ。この監督にはそういう視点はまったくありません。そして樹木希林、相変わらず嫌いです。この人の演じる役はいつも嫌いですが、エラソーなことを言いつつまんまと国家に顕彰されて大喜びだった当人自身も嫌いです。ところで「JK見学店」て、カンヌで上映されたときにそれがいったい何なのか、理解されたのでしょうか。「ヨコ乳」はどう翻訳されたんでしょう。
5月12日(日)身内が○○だから語法
ある落語家(?)が自分が大韓民国に対してヘイト心(「ヘイト心」ってなに?)がないことの根拠として、「身内は韓国系だし」とか言ってて、はいはい、いつものやつですねー。障がい者と一緒にピクニックに行って障がい者がおにぎりをボロボロこぼすのを障がい者と一緒に笑い合った僕は、障がい者を差別なんてしません、というやつ。「アメリカに原爆まで落とされた日本が反米教育をするか」、そんなことしないだろ?、だそうです。たしかにそうですね。アメリカに原爆まで落とされたのに、沖縄を差し出してのうのうと独立を果たし、いまもアメリカの言うままに高い戦闘機を買ってますね。ああ、絶対落ちないオスプレイとかいう、優れものもありましたっけ。わかりやすすぎるやつだ。
5月13日(月)親しみを感じるって何なんすかね
侵略戦争の最高責任者の孫に親しみを感じる臣民のみなさんが8割もいらっしゃるそうで、自発的隷従をされる方たちなので、選挙権なんて不要なんじゃないかと思いますが、違うでしょうか。だって主権者は親しみを感じるあれ一人でいいってことなんですから。そもそも「親しみを感じる」って何なんでしょうか。そんなに個人的によくご存じなんですか、って話です。つまりそんなことを問うやつらが第一にクソなんです。そういえば、侵略戦争の最高責任者のことを「個人的には好き」と言った知り合いがかつていました。この人、侵略戦争の最高責任者と個人的に知り合いなんだーと、驚愕しましたが(←するわけがない)、お別れしました。
5月14日(火)田中康夫が責任とれ案件
戦争で北方領土を取り返すと勇ましいことをおっしゃった国会議員がいるそうですが、もうお辞めになりましたよね、もちろん。えっ、まだお辞めじゃない? じゃあ、せめて国会で辞職を勧告しなきゃいけませんね。いや、無理ですか。なんつっても、あそこは全会一致で「祝意」を示してしまうところですからね。「戦争で北方領土を取り返す」だと勇ましすぎると考えるりべ天とかなんちゃって共産主義者たちも、「へーかのために」っていうのをくっつけりゃ、きっとほいほい賛成しますよ。いずれにしても、田中康夫にはちゃんと責任をとってもらいたい田中康夫案件です。
5月15日(水)なんちゃらの会
「9条のおかげで」「朝鮮戦争にもベトナム戦争にもイラク戦争にも行かずに済んだ」とか言ってる人がいるそうで、おまけにそういうことを言う人が護憲派だそうで、なんちゃらの会に入ってたりするそうで、やっぱなんちゃらの会に入ってる人は信用できないという「偏見」が正されないままです。もちろん全員が全員、こんな寝ぼけたことを言うわけではないのでしょうが、しかし残念ながら(でもない)反証例に会ったことがないです。こういうことを言う人は、きっと「感動した!」の「自衛隊がいるところは戦闘地域ではない」を耳にしてもなんとも思わないか、あるいは「そのとーり」とか言っちゃうんでしょうね。アホちゃうか。
5月16日(木)要するに、ウヨ
侵略戦争の最高責任者やその一族に人権がないとか言って心配する木村なんちゃらという憲法学者や井上なんちゃらという法哲学者は、結局のところ、戦争するしかないという、ただちに国会議員を辞めさせられてしかるべき発言を垂れ流したやつが、国会議員を辞めたら無職になってしまうと心配してやるような心優しいウヨと同じなんですが、そういうことが、件の学者たちにはわかっているのでしょうか。わかっているのなら、ウヨですね。わかってないのなら、たんなるりべ天だから、やっぱウヨですね。どんどん親しみ感じちゃってくださって結構ですが、学者としては終わってます。(「『どうして学者としては終わってます』なんて言えるんですか?」「はいはい、どーせ『無批判にノーテンキに思想を垂れ流す』ですよ。安心したろ。」)
5月17日(金)総会で黙とうって・・・
ある学会の大会が今日あたりから行われるはずで、出張して、総会で、改憲が進められようとした場合、学会としてなんらかのアクションをとるつもりがあるのかどうか、尋ねてみてもいいかなぁと思ったのですが、まあ、どうせ画期的な答えが出るわけないとわかっているのにそういう質問をするのはたんなるつまらんパフォーマンスに過ぎないと受取られそうで、とりあえず行くのすらやめました。つーか、その学会の総会って、死者に対してその場の全員で黙とうしちゃうんですよ。いられるわけないでしょ、そんなところに。臣民じゃないんだから。そんなわけで、明日も明後日もせっせと出勤しよ。
5月18日(土)断る!
そんなわけで仕方ないので出勤し、帰りにお散歩していたら、こんなものを目にしてしまい、一度通りすぎてから、また戻って撮影してしまいました。言うまでもありませんが、こんなことを言ってるから宗教は不正なんです。なぜ逆境なんて状況が作り出されてしまったのか、それは新自由主義の政策やら新自由主義の政策に貢献大のクソ広告屋やら4月から5月にかわっただけなのに新しい時代が始まったとか言ってるわけのわからんリベ天やら臣民やらクソ広告屋やらのせいに間違いないわけですが、そんなことには一切ふれずに、逆境のなかで喜びを深めるよう、求めてくるわけです。喜びを深めようって、もう逆境でもすでに喜びがあることが前提で、さらにそれを深めろだと。まるでその逆境を喜べない者が悪いかのような言い分じゃないですか。つまりこれはきちんとイデオロギーとして機能しているというわけです。要するにクソ広告屋。
5月19日(日)クソアンケート
女性が天皇になることの是非を問うアンケート実施者は、天皇制などという差別制度は一切認めないというまともな人がいることを失念しているのでしょうか。まともな人は、もちろん女性が天皇になることになんて賛成しません。なにしろ、だれかが天皇になるということそのことを否定しているのですから。これに賛成してしまう人は、あれでしょうか、女性だって男性並みに差別する主体にならないと平等じゃない、ってお考えなんでしょうか。しかしその考えは間違っています。人を差別する自由なんてありませんし、人を差別することにおいて達成される平等なんてものもありません。お前は英国のあり方を否定するのかって? はぁ? 世界に先駆けて悪の限りをやり尽している英国のあり方のどこを肯定できるのか、ひとつでも結構ですから教えてください。
5月20日(月)加藤なんちゃら
皇軍によるアジアの侵略の被害者2,000万人と向き合うためには自国の300万人の死者を先に弔わなければならない、そうしないと責任の主体が立ちあがってこないなどという寝ぼけたことを言ってたのが先日死んだそうです。こんなものはたんなる右翼の発想に他ならないのに、「ねじれ」とか文学的表現を使ってみせてインテリっぽく見せていたせいか、結構その気になってた人も多かったと思います。『ねじまき鳥』の書評か何かで、日本人の根拠なんてないように見えるけど、井戸を深く掘っていくと地下でつながっているとかほざいていたわけで、まぎれもなく右翼でしたよ。言うまでもなく、健全なナショナリズムなんてのは、冗長句です。数年前に哲学の学会でこんなのを今更のように引っ張りだしてきたのがナチス党党員の哲学史家の研究者だったことも傍証のひとつです。
5月21日(火)人間科学研究科VS文学研究科
そうそう、この寝ぼけた話が書かれた本を、「今年の3冊」に選んだのが、当時文学研究科にいたやつなんですよね。まあ、あの人には学問性なんて無関係だから仕方ありませんが、要するにあの手のやつらをひきつけたわけです。その学問性とは無関係のやつと同僚だったやつも、当時このクソ本を評価していました。他方、このちょっと後に『国民の歴史』だかなんだかが出て、さすがにこれに飛びつくアカデミシャンはかなりイッちゃってるわけですが、なんと当時人間科学研究科にいたやつが、「今年の3冊」に選んでました。どっちもクソであることに変わりはないのですが、どちらかと言えば、インテリを装う文学研究科のクソの方が悪質だと思っています。それはそうと、責任の主体立ちあげ派と論争した方が、いまでは基地引き取り派に落ちぶれてるんですよね。デリダが聞いたら泣くぞ。
5月22日(水)立派でもなんでもない
ある臣民が、「日本の教育行政の目的は『愚民化』と『イエスマン化』だと断じてよろしいかと思います。」とか立派なこと(しかしこんなところでも、「イエスマン」ですからね。「マン」以外のことは念頭にないわけですよ)を言ったつもりになっていらっしゃるようですが、あれ、あなたは規範について声高に主張することはためらわれるとかなんとかほざいた「ため倫」の人じゃなかったでしたっけ。しかも天皇とは霊的につながっちゃってる臣民ですよね。ああそうか、「愚民化」はいかん、目指すべきは「皇民化」だということですか。ひょっとして、「やっさんもおっさんや」というツッコミはご存知ないんですか。
5月23日(木)「当面」公認停止ってなんだよ???
身分制体現・臣民は臣民らしく祝えやパレードとかいうのがあるそうですが、そのコースが自民党本部前を通るものに変更されたことについて天皇の政治利用だとか文句言ってる人は、あれですかね、天皇に大権があるのに、それを臣民ごときが政治利用するなんて許せない、ってことですか。ひょっとして、そういう人って、漢字二字の差別記号策定にあたり「安」が入っていたらどうとかこうとかつべこべ抜かしていた人ですか。ああ、霊的につながっちゃってる系の人ですか。だったら仕方ない、なんて思いませんよ。ちゃんと自分が、差別発言によって田中康夫に連なる党から「当面」公認停止されたクズと同じであることを認め、自己批判しなさいよ。
5月24日(金)チョーウケるわ
市民運動家だか大学教員だか存じ上げませんが、ある臣民のとりくみのことを、「いわゆる政治ではなく、信仰と救済の運動ですよね。ポピュリズムは神なき世界の信仰ですから。」と、評価してんだかけなしてんだかわからんちょっとばかりむずいことを言ってみました的なコメントをしてるのがいます。その臣民は国会議員なわけですよ。すると国会議員が信仰の運動をしていると言うわけですか。そういうのって、政教分離に反するってご存知ですか。「ポピュリズムは神なき世界の信仰ですから。」ぺらすぎるのに鼻のあなこれまでにないほど膨らましていそうでチョーウケるわ。
5月25日(土)『薄氷の殺人』
なんでこんなのをレンタルしたのでしょう、ミステリのジャンルで上位だったんでしょうか。半分見たましたが、これまでのところ、記憶に残っているのは数々のセクシュアル・ハラスメントだけですよ。メインは、警官によるハラスメントですが、それ以外にもハラスメント盛りだくさんです。ひょっとして、残りの半分ではこのクソイライラを一気に解消してくれるような展開が待ち受けていて、前半部分はそのための長い伏線にすぎないのでしょうか。前半にも、警官が拳銃で撃ち殺されるシーンがあって、ざまぁざまぁと思いましたが、後半はあんなスカッとするシーンの連続なんでしょうか。あーあ、また全部見ずに返却だよ。
5月26日(日)ルーターソラリス
昨日の夜はとつじょ「アクセス制限されています」表示が出て、モデム、ルーター、PCのすべてを再起動しても、いつまでたっても制限されたままで、おまえ、持ち主はこっちなんだから、他のやつが使うのは制限されても当然だが、こっちはむしろ「制限」の内にいるんじゃねーのかよ、と思いつつ、仕方がないので『薄氷の殺人』後半を見て、つくづくクソ映画だということがわかってしまいました。ホントにクソです。これほど怒りを覚えるクソ映画は、ディズニーとかくらいでしょうか、イデオロギー的に見ないのでわかりませんが。そんなわけで、いっそのことネット断ちをしようかとも思ったのですが、あんなことやこんなことができなくなってしまうのかと、踏ん切りをつけられず。仕方ないから新しいルーターを買うか、と思ったのが伝わったようで、帰宅したらフツーにつながりました。ルーターソラリス。
5月27日(月)ずーーーっと黙っとけ
ある歴史修正主義者がデマを垂れ流し、それがデマであることを実証的に暴露されると、「裁判記録がある」と言い出し、しかしそんなものは存在しないものだから、一転、<私は左翼からいじめられるかわいそうな被害者>を演じ始め、基本的にナショナリストだが公言すると罵倒されることくらいはわきまえている支援者みたいなのがわらわら湧いてきて、やつがデマを垂れ流しているかどうかなどどうでもいいから、人を罵倒するなおらおら、とかわけのわからんキレ方をするという状況があったりします。もし、<おまえのように罵倒する者がいるから、歴史修正主義者は意見を言えなくなる>のであれば、言えなくなって結構です。むしろ罵倒された方が、口をつぐむ口実ができてよかったじゃん。ずーーーっと黙っとけ。
5月28日(火)あの手のメンタリティ的党派
デマをデマだと暴露されたとたんにかわいそうな被害者を演じ始めたやつの肩をもつ者が、デマをデマだと暴露することを党派的なふるまいだと言って片づけるのはきわめて簡単な作業ですが、そんなことをする人が哲学研究者だったりするんですよ。しかも哲学の世界では、知る人ぞ知る著名人だったりするんですねー。あの手のメンタリティと歴史修正主義というのは、やはり必然的に結びつくものなんでしょうか。それともこの方において偶然に結びついているだけなんでしょうか。いや、少なくとももう数件、両者が結びつく例を知っています。逆にそうじゃない例はどうでしょうか。あの手のメンタリティだが歴史修正主義者ではない、もしくは歴史修正主義者だがあの手のメンタリティではない。う〜ん、思いつかない。
5月29日(水)中島基至ってやつ
憲法違反だが国家の責任は問わないし、したがって国家賠償もしない、ただ「一時金支給」を行うのみ、なんて判決を出したやつが、言い渡しの最後に「憲法の普遍的な価値に照らして平成の時代まで根強く残っていた優生思想が正しく克服され、新たな令和の時代では誰もが差別なく幸福を追求することができ、国民ひとりひとりの生きがいが真に尊重される社会になり得るように、付言する」と、エラソーなことを言ったそうです。こんなところに元号を使用するのは、ようするに自分は臣民だとゲロってるわけですが、いいですか、あなたがしなきゃいけないのは、「なり得るように付言する」ことじゃなくて、被害者の救済を意味する国家賠償を正義の名のもとに認めることですよ。
5月30日(木)「意図」なんてどーでもいい
「子どもを安心して産み、育てやすい環境をつくることが重要」だと考えると、「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」という発言につながるそうです。きっと私がイデオロギー的に偏っていて、自民党の国会議員(まだ辞めてませんでしたよね?)の言うことなんてゴミに決まっていると党派的にきめつけているから、なぜ「子どもを安心して産み、育てやすい環境をつくることが重要」だと考えると、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしたくなるのか、理解できないのでしょう。でも、そんなことはどうでもいいです。理由はどうあれ、その発言が女性差別だから、不正なんです。それだけです。「誰かを傷つける意図はなかった」かどうかなんて、どうでもいいです。
5月31日(金)度し難いア○
電車の痴漢に対して安全ピンを使用することを肯定的に論じると、じゃあお前は憲法9条改悪(この手のやつは、けっして「改悪」なんて言いませんけど)も肯定するんだな、とたたみかけるアホがいるそうです。こんなアホはどっかに、「私が、電車の痴漢に対する安全ピンの使用と国権の発動たる戦争と武力の行使を同次元で語ったアホです」という看板でもぶら下げて、安全ピンで留めておきたいものです。そうだ、念のために教えてやってもいいかもしれません。安全ピンをもつために、憲法改悪は不要ですよって。
6月1日(土)かなりびっくり
空母なんちゃらなんてタイトルの映画に出ちゃう時点で、もうあれなわけですが、出演している俳優のコメントをろくろく読まずに吹き上がるもうあれな人たちはもうあれとして、その俳優が反体制の役者だという自己意識をもっているのだとしたら、もうかなりびっくりです。その俳優の父親は社会党支持者であり、原発にも反対していたような記憶がありますが、しかしそれでも紫綬なんちゃらとかいう体制お墨付きの差別賞を受章しちゃったわけです。ましてその息子なんて、愛知の自動車会社のCMに進んで出てたじゃないですか。『星屑のステージ』とかと同じですよ。どこが反体制なんだか、まったく理解に苦しむところです。
6月2日(日)やっかみの対象の副総理ってだれだっけ
「諸外国がやっかむほど日本の地位は国際社会で上がっている」そうです。「反日」の私としては、残念この上ないことです。しかし「諸外国」も「国際社会」も地に落ちたもんですね。歴史修正主義をまき散らし、国家としての責任は一切果たさず、お友達を優遇し、「ナチスを見習え」と言っても「戦争するしかない」と言っても国会議員を辞めずにすみ、身分制度を堂々と維持し続け、女性を産む機械として扱い、沖縄に基地を作り、反対する人々にはヘイトスピーチを浴びせ、ヘイトスピーチを浴びせたおまわりにはちんぴらみたいなのが労をねぎらい…、そんなクソをやっかみ、地位を上げちゃうんですからね。ったく、認知の歪み度だけは超一流だよね。
6月3日(月)ファンタジー作家とバカ倫理学者
皇軍が明確に関与していた「慰安婦」の人たちに対して国家が法的に責任を負うべきであるという主張と、のらりくらりああ言ったりこう言ったりしてつまるところ国家の関与を否定する主張は、そもそも同じ土俵にのせる「両論」ではありませんが、あるファンタジー作家によれば(ファンタジーだからって許されないですよ)、これらは「両極端の言説」だそうで、「その両方とも問題とした」「私」が言うことといえば、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)ですよ。全力で笑かしにきてるのかと思いますが、しかし人権を侵害して笑いをとろうとするのは、障がいのある人を笑いものにするパフォーマンスを見て「これは芸です」と、さも深遠な真理を語っているかのようにふるまうバカ倫理学者と変わりません。まあ、実際イデオロギー的には近いのかもしれませんけど。
6月4日(火)ファンタジー・ジャーナリスト
このファンタジー作家が、ある映画ではあまり取り上げられていないと文句を言ってる江川なんちゃらとかいうジャーナリストがいるそうです。この方がおっしゃるとおり、「慰安婦問題における日本や韓国の対応を考えるうえで無視できないはずのアジア女性基金」について、ごくわずかしか語られないのは、たしかに問題かもしれません。なんといっても、「アジア女性基金」が国家の法的責任を免罪する方向にしか機能しなかったことは、「無視できないはず」ですからね。そうそう、ファンタジー作家が「両論」にはなりえないものを「両極端」と呼んでいるように、このファンタジー・ジャーナリストにとっては「両極の間にある史実」を探していくことこそが大事なんだそうです。なるほど、そうやって生き残っていくということですか。クソだな。
6月5日(水)「郵便」がどうしたこうしたのおっさん
「郵便」がどうしたこうしたのおっさんが、『敗戦後論』を評価しています。もうこれだけで、おわかりでしょう。皇軍による侵略戦争のアジアの被害者2,000万人に向き合うためには、まず自国の死者300万人を先に弔って、分裂を解消し日本人という主体を立ち上げなければならないとか、クソ以外のなにものでもないたわごとをほざいた文芸評論家の言説が、やっぱりクソ以外のなにものでもなかったってことが。こんなものに乗っかったやつらはみんな「郵便」がどうしたこうしたのおっさんと同じだってことです。件のバカ倫理学者もその同僚だったハラッサーも、そして最近では哲学会で一緒になってなにやらやらかしてたやつらも、みんな同じなんですよ。「政治は友と敵を分割する」などというどっかの政治学者の言葉を引いたところで、ちんけなナショナリストであることに変わりはありません。
6月6日(木)哲学的妄言
捕虜にごぼうを食べさせて死刑になった日本兵がいるという嘘も、当該日本兵の裁判記録を読んだという嘘も、すべて寓話であって、寓話が全体の主旨でもって真実を告げるとかなんとか言う、歴史修正主義者の提灯をもつ哲学研究者がもしいたとしたら、尋ねたいところです。たとえばセクシュアル・ハラスメントを行い、セクシュアル・ハラスメントで告発され、いやぁ、あれは恋愛関係ですと聞き飽きた言い訳をし、係争中は授業をもたせてもらえず、反動的な裁判によって恋愛関係が認められたりした場合、どこまでが寓話で、全体の主旨でもってどのような真実が告げられているのでしょうか。やっぱあれでしょうか、左翼にいじめられる歴史修正主義者かわいそう、でしょうか。「全体の主旨でもって真実を告げる」などという、仰々しい言い方はやめて、裁判記録を出してもらいなさいよ。あっ、ひょっとして「読んだ」のか。
6月7日(金)不可能世界
東京の国立大学法人に所属する哲学者を名乗る研究者が、差別主義者のテンプレである恣意的なデータ借用にもとづきトランス女性を差別する言説をばらまき、若手研究者たちによって批判されています。若手研究者たちの多くが専任職にないことを考えるとき、こうした批判は非常に勇気のある行為だと思います。差別発言を糾弾するのは当たり前じゃないか、というのはその通りですが、しかし専任職に就いていない現状で、それなりに名前を知られている者を批判することは、この先のキャリア形成にとって不利に働くのではないかという計算が働いても、全面的に責められるものではないだろうと考えられる程度には、この共同体は閉鎖的です。何と言っても、「<また痴漢されたいと思われるように痴漢せよ>は定言命法である」と発言した重鎮は、いまだに重鎮のままなんですから。
6月8日(土)間違ってますか?
したがって、この批判の声そのものは非常に重要であるし、なんらの否定される側面も含まれていないと思います。私が残念なのは、「慰安婦」の人たちに対する国家の法的責任を否定する歴史修正主義者たちを批判する人たちの多くは、LGBT差別に対しても批判的な声を挙げますが、LGBT差別に対して批判的な人たちのなかには、歴史修正主義に対する批判は別の問題だと考えているように見受けられる人が混じっているように見える点です。それはたんに私への見え方がおかしなだけで、つまり私が事実を捉えそこなっているだけで、実際には私が残念に思っているようなことは一切ない、ということかもしれません。もしそうであれば、私が認知の歪みを矯正すればすむ話です。しかしそうなんでしょうか。
6月9日(日)集団的モノローグ
「大きな物語の終焉」とかで、理念について論じることを冷笑するのがはやり、自分が問題だと「感じる」(このときまさに重要なのは「感じる」ことであって、「考える」ことではありません。なぜなら、「考える」ことは抽象化・普遍化を意味するわけで、それは個別のこの自分の問題だけにかかわることを不可能にしてしまいますから。しかし個別のこの自分の問題なんてものは、たんなる「実感」にすぎません)事柄だけを主題化するようになると、言うまでもなく「人権問題」なんて語れなくなってしまいます。それぞれが「感じる」問題をしゃべりっこして、しかしだれひとり自分の話以外には興味がなく、いろんな問題がありますねと締めくくられるような状況がもしあるとすれば、それはたんなる集団的モノローグの世界にほかならないでしょう。
6月10日(月)相変わらずのあずき色の電車
むかしからあずき色の電車は乗客に説教垂れながらマナーを強要するクソなわけで、車内にはられている掲示物から発せられるイデオロギー臭も半端ないものがありました。そして昨日あたりまで、乗客にマナーを求める割には乗客に吐き気を催させるような「はたらく言葉」キャンペーンをやらかしていました。この前、仕方なく乗車したときに写メってやろうかと思ったのですが、「この人、この言葉に感動してる」なんて思われる生き恥をさらしたくなかったので、必死になって覚えてここでクソっぷりを紹介しようと思ったのですが、なんつーか、そのありがたいお言葉の数々は私のボキャブラリーにはないものばかりで、なかなか覚えられないのでした。(目撃したのは先々週の土曜で、まだまだそのクソっぷりが知れ渡る前だったのですが、記事が遅れてしまい、まるで勝ち馬に乗るかのごとくになってしまいました。もちろん、そういう右翼のメンタリティではありません。)
6月11日(火)「ブライダル」てwww
持って生まれた天分や才能を世のために用いること、それが仕事、といった内容の「はたらく言葉」が掲示されていました。作者は、どのような職業に就いているかも記されているのですが、「ブライダル」でしたよ。わはは。するとこの方は、持って生まれた天分やら才能やらが、差別以外の何物でもない制度を支え続けるためのものだったということになるのですね。生まれつきの差別主義者ってことですか。私はそういう捉え方には反対です。そんなふうに理解すると、出自によって人を差別していることになります。このありがたい(正確に言えば、ありえない)言葉の発言者は、生まれつきじゃなく、みずから差別主義者となったアホなのです。そこのところを間違えないでいただきたい。
6月12日(水)「たんなるバカ」ではすまない
三重の国立大学法人の名誉教授で、なお教育学部で特任教授を務めているのが、数式とともに「痴漢積分」と「不貞積分」という文字列が含まれる画像に「〇〇さんのスライド、、、」と添え書きをしてツイートしています。控えめに言ってバカですが、しかしそうやってバカと片づけてすませてよいことではありません。これは不正を笑いのネタにしているわけであり、不正に加担しているわけであって、場合によっては共同正犯にもなりうる所業です。そいつがバカだから、ですむ話ではありません。すでに雇い主に抗議を行っている人がいるようですが、まだ謝罪もなにもありません。別に大学の教員が人格者である必要などないと思いますし、そもそもだれもそんなものは期待していません。しかしせめて自分の不正に自覚的であれよ、と言いたいです。
6月13日(木)ハラスメント防止の第一歩
大阪の国立大学法人で開催されるハラスメント防止セミナー(FDプログラム)のお知らせが届きました。新任教員研修プログラム(教育能力開発プログラム)も兼ねているそうです。講師名を見て、驚きました。だってこいつ、以前も、セミナーとやらで自信満々に、引きこもってしまう学生にどんなふうに対応するか、といったことをテーマに、打たれ弱い人は打たれ強くしないといけないと言ったやつですよ。問題は打つやつにあるんじゃなく、打たれ弱い者にあるってことですよ。そして打たれ弱いままだと社会に出て闘っていけないってほざいたんですよ。こんなのがハラスメントについて語るとどうなるか。「ハラスメントなんか(!)にくよくよしてちゃダメだ。もっと前向きに考えろ」に決まってます。こんな話をありがたく拝聴して、いったいどんな能力が開発されちゃうんでしょうか。教育の名のもとにいかにハラスメントをやり遂げるかですか。こんなクソセミナーを止めること、それがハラスメント防止の第一歩です。
6月14日(金)一層悪質
「同等の業績がある場合は女性を優先して採用する」などという文言は、公平さを尊重するかのように見せかけている分だけ、一層悪質だと思っています。構造的に差別があることがわかっているのなら、「同等の業績がある」女性が、はるかに優れた研究者であることは言うまでもなくわかることです。はるかに優れた研究者が採用されることは自明でしょう。だとしたら、件の文言はいったい何なのか。これは、選出された男性研究者と「同等の業績がある」女性がいなかったから、だからこの人事においては女性は採用されなかったのだ、という理由づけを正当化するための文言以外の何ものでもないのです。したがってこれは、差別解消を装いながら、その実しっかりと差別を正当化する悪質な文言に他ならないのです。
6月15日(土)21世紀にもなって王室とか
ウィキリークスの創始者をアメリカに引き渡すことに関与したスウェーデンも大英帝国も、要するにそういう国家だということです。資本主義を堂々と正当化することには恥じらいを覚えるものの、しかしマルキストなんかにはけっしてなれないインテリが、北欧びいきになったりするのはわかりやすすぎるのですが、スウェーデンって、その北欧ですよね。北欧は断種の先進国でもあります。そして世界に先駆けて悪の限りをやり続け、いまなお女王なんかが実在している大英帝国。大丈夫ですか、21世紀にもなって王室とか。「クイーン」の音楽がどれほどすごいのか、私はまったく知りませんが、しかしそんな名前を名乗っている時点で、やっぱ差別主義者なんじゃないですか。
6月16日(日)『シークレット』
いろいろとどんでん返しがあることそれ自体は覚えていたのですが、しかしそれがどんなどんでん返しだったのかはまったく覚えておらず、まあ、そういう意味では便利なほど忘却能力に優れているので、何度でも楽しめるわけです。さまざまな「シークレット」が出てきますが、もっとも浮かばれないのは、小さな娘の「シークレット」でしょうか。内容はまったく異なるのですが、『火垂るの墓』の節子の「シークレット」と同様に、こんな小さな子どもが「シークレット」を背負わないといけないのかと思うと、やりきれない気分になります。
6月17日(月)決定的な共通点
<捕虜にごぼうを食べさせて死刑になった日本兵がいる>と言い、<その裁判記録を読んだ>と言ったやつの話を、つまり歴史修正主義のほら話を「寓話だ」と言ってごまかそうとするやつについては、どこか既視感があると思ってきましたが、わかりました。障がいのある人のマネをして笑いを取るクソゲーニンの動画を観て、「これは芸です」と言った倫理学者です。あのときも、障がいのある人のマネをして笑いをとることは許されるのかどうかということに問題の所在があることがはじめに説明され、その時点で、「これは芸です」という言い逃れはできないことになっていたのでした。「寓話だ」という言い逃れができない前提がなされていたのに「寓話だ」と言ってごまかすやつと「これは芸です」という言い逃れができない前提がなされていたのに「これは芸です」と言ってごまかすやつ。そういえばこいつらには決定的な共通点もあるじゃん。まったく笑えない。
6月18日(火)なぜ休講にならないのか
拳銃をもった容疑者なんかよりもはるかに恐ろしいのが、拳銃をもつことが法的に正当化されているやつらであることは自明であり、しかもそういうやつらがうじゃうじゃいることを思うと絶望的な気分になります。拳銃をもった容疑者がいることを理由に学校を休みにするのなら、あんなのがうじゃうじゃいることを理由に休講にならないのはどう考えてもおかしすぎますよねー。なんといっても、そういうやつらが沖縄で基地建設に反対する人たちに対して差別語を吐き、知事から労をねぎらわれてしまうのです。そいつらは、監視カメラの画像をまき散らすやつらであり、集団で強姦しても何の罪にも問われないやつらです。右翼のヘイトスピーチを守ってやるようなやつらであり、痴漢の被害者に対して「ミニスカはくのが悪い」と言ってのけるやつらなんですよ。冗談じゃない。
6月19日(水)相変わらずの「意図」
性に関してあけすけに話す人は差別主義者ではない、なんてことがまったくあたってないことは、むしろあたってないことの反証例に出会う方が少ないくらいですが、岩井なんちゃらとかいう作家も反証例ではありませんでした。知ってたけど。そしてその差別丸出しの発言を放送したやつらが「差別する意図はなかった」と、例によって「意図」による逃げ込みを図っています。この手の言い方は、間違いを認めているようなふりをして、その実、こちらの「意図」を誤解する者が悪い、というメタ・メッセージを伴っています。したがって、こう言いたいです。すみません、当方がアホで「意図」を「誤解」したので、ぜひ「正解」を教えてください。
6月20日(木)そういえば
そういえば、日本人兵士と朝鮮人慰安婦はいわば同志的関係だったと書いたファンタジー作家も、やたらと「真意」を理解せよ、と言います。捕虜にごぼうを食べさせて死刑になった日本人兵士がいるしその裁判記録を読んだというデマを「寓話」だと弁護するやつも、書き手の「真意」を理解せよ、と言っているのでしょう。そして障がいのある人のまねをして笑いを取るクソゲーニンのパフォーマンスを「これは芸です」と弁護するやつも、クソゲーニンの「真意」を理解せよ、と言ってるわけですね。ようするに、この手のやつらはみんな差別主義者だということです。在特会やらと違うのは、ソフィスティケートされているかいないかであり、ソフィスティケートされているだけ一層、悪質だとも言えるでしょう。なにしろ学者を装ってますからね。
6月21日(金)「王道」で答えてやるか
選挙のたびに、自民党やら立民党やら複数の候補者を推薦「できる」市長がいる豊中市から、「豊中市民の生活と今後のまちづくりに関する調査研究へのご協力のお願い」が届いてしまいました。対象は、「市内にお住いの30〜50歳代の単身世帯の方」だそうです。行われるのはインタビュー調査ですが、「調査でお聞きしたい内容は、ひとり暮らしになった経緯、現在の生活、老後の展望、などについて」とのこと。「ひとり暮らしになった経緯」って、あれですか、どのようにして家族イデオロギーはクソだって認識するようになったのか、ってことですか。いや、ここはやはり、仕事仕事に明け暮れて家族を顧みなかったため、愛想をつかされ、妻と子どもに出ていかれたからです、と涙ながらに訴え、「現在の生活」は、すさんでます、と答え、「老後の展望」は、まったくありません…、と「王道」で答えるべきでしょうか。
6月22日(土)ウソじゃボケ
市議会議員もここから選出される府議会議員も国会議員も、なんちゃらの会のやつらばっかなのに、どのようにして「老後の展望」をもてるのか、ああそうか、ギャンブルですかそうですか。そうか、せっかくだから「老後の展望」として、数年後に人民革命が起き、人民政府による支配なき統治が始まるので、悠々自適ですよ、わっはっはー、って答えてやりましょうか。そんなわけで「ご協力」しないことにしました。まちづくりの方向性を検討するための「貴重な声」として活用すると言ってても、けっして元号使用をやめたり祝日に侵略の象徴を掲揚するのをやめたりしないでしょ、どーせ。それ、基本なんですけど。
6月23日(日)『バラの秘密』
2年前に1度レンタルしたことがあって、冒頭から観たことがあることはわかりましたが、しかしあんな結末を迎えるのをまったく覚えていなかったなんて、ある意味ではまったく便利な脳みそです。前回、印象に残ったのは「岩」発言だったということを、今回観て、思い出しました。「岩」に喩えるって、あんた「岩」と経験あるのかよ、と思ったのでしたが、今回も同じことを思って、そういえば前もそう思った、と思い出したというわけです。これで当分忘れることはないはずです。実は、まったく左翼でもなんでもないのに左翼扱いされちゃってる監督の『万引き家族』も、見てから2ヵ月も経ってないのに結局どうなったのか、忘れてしまいました。なんせ、樹木希林と柄本明がウザかったことと松岡茉優の下ネタのセリフしか残ってない…。
6月24日(月)まったく簡単
沖縄まで行って基地建設反対運動の人々に差別語を吐いてなんちゃらとかいう田中康夫が全面的に責任を負うべき会に所属する当時の知事から労をねぎらわれるようなやつらが銃を奪われない方法なんて、まったく簡単です。補聴器をつけて自転車に乗っていた人がその手のやつらに止められて、イヤフォンではなく補聴器だと説明したら、誤解を招くという理由で補聴器をはずすように命じられたりするわけですが、そういうやつらが誤解しない方法なんて、まったく簡単です。そいつらがまとめてこの世界から消えてしまえばいいだけです。まったく簡単。
6月25日(火)平常運転すか
法人化したら少しはましになるはずが、逆にそれ以前に増して当局の言いなりになっている国立大学のうちでも、しかし程度の差はあって、山崎豊子にモデルにされるようなところがサイテーなのは自明として、所在地はぶっちぎりで最悪であっても、やはりリベラル度はずっと高いと思われていたあそこ。ところが驚くべきことに、構内において学内規程に基づかない無断の集会は認められないと、掲示しちゃってます。そもそも集会規程なんてものが定められているだけでも恥ずべきでしょうが、それに基づかないものは認められないって、大丈夫ですか。それじゃまるで浪速大学と変わりませんよ。いや、所在地が差別の権化であるだけ、ぶっちぎりで悪質です。まあ、侵略戦争を正当化して戦後も反省しなかったのだから、平常運転ですか。
6月26日(水)「神」も堕ちたもんだ
その差別の権化の地にあるなんちゃらカメラは、「転売目的はお断り」とかで、商品名を言えるかどうかを基準として、売る相手を識別しているそうで、それがまた「神対応」などと称賛され、ネットの記事になっています。店長とやらは、外国人差別ではないと強弁しているそうですが、もしこれが「神対応」なのであれば、関東大震災時に「15円50銭」と言わせて、虐殺する相手を識別したことも「神対応」ですね。「一見さんお断り」のその地にあってみれば、これは当然のことなんでしょうか。それでもみなさんは、あんなところを特別視して、観光なんかに行ってしまいますか。そうですか。
6月27日(木)おまえみたいなやつが消えることが大前提
自死防止セミナーというのが学内で開かれるのですが、講師名を見て、仰天しました。いや、ホントは、そうじゃないだろうかと思いながら、確認したらやっぱりそうだった、というのが真相です。打たれ弱いのはダメだと言ってのけるやつです。「打つ」やつを批判するのではなく、むしろそれに加担するやつです。これって、「いじめ」はいじめられる方にも問題がある、ってほざくやつと同じでしょ? どうしてこんなことを言うやつが自死防止セミナーの講師を務めるんでしょうか。こいつの言い分だと、自死するのは弱いからであり、もっと強くなれ、って話にしかならないじゃないですか。自死するのは、つまりは弱いのが悪いんだ、ってことでしょう。完全に間違いです。強くあれと強要してくるやつが悪いんです。そういうやつが消えてなくなること、それが自死防止の大前提です。
6月28日(金)「恥」がお好きなんですね
はいはい、「非常に恥ずかしい」のが問題なんですね。国会で「恥を知りなさい」と、きっと恥のことにかけては右に出る者がいない恥の大家がおっしゃったようですが、そうなんですね、やっぱ重要なのは「恥」だと。だからこそ、人の迷惑になるかどうかが問題になるのだと、そういうわけですね。「恥の文化再考」とか言ったやつは、「恥の文化最高」って考えてたわけですが、いまだにそのレヴェルなんですね。そうそう、森羅万象担当大臣が、間違いだらけのスピーチをして、しかもウケると思ったエレヴェーター・ネタがその差別主義者としてのメンタリティを世界に知らしめるだけに終わったことについて、さかんに「恥ずかしい」と書き連ねる人がいるのですが、やっぱ「恥」が問題なんですか、とお訊きしたいですね。それじゃあ、八紘一宇じゅん子と変わりませんよ。
6月29日(土)うんこもちかえりびと
東京の駅のトイレからサニタリー・ボックスが撤去されたことに関連して、トイレで捨てるのが当たり前だと思っている人がいるけれども、「自分が出した物です。ペーパーでクルッと巻いてバッグにしまって何食わぬ顔で個室を出ましょう。」とかツイートしているうんこ持ち帰り人(優雅に、「うんこもちかえりびと」と読みたい)がいるのですが、このうんこ持ち帰り人、「『半島ごと別の惑星に行って欲しい』←名言です」とかってツイートしたこともあって、これってやっぱ関連あるんですよね。お上のやることはなんだって正しいと「感じる」(もちろん、考えたりしません)臣民メンタリティの持ち主は、そのまま差別主義者だってことです。ところで、「自分が出した」下痢ピーとかの場合はどうするんでしょうか。
6月30日(日)絶望ばっかじゃない
昨年の4月27日に続いて、世界は絶望ばかりではないとほんの少しだけ思える出来事がありました。言うまでもなく、ほんとにこんなことは言うまでもないことですが、政治家たちのやってることなんですから、裏だって思惑だってあるに決まってますし、この人たちが善良かどうかは知れたものではありませんし、おそらくそんなわけがないでしょう。しかし現職のアメリカ大統領が初めて共和国側に入り、それに続いて委員長がまた反対側に入ったこと、このことを猿芝居だの茶番だのほざくやつは地獄におちればいいです。あるいは、現世において行く先々でうんこを踏んでくれていいです。また平壌冷麺を食べに行かないと。
7月1日(月)まずは、ゴルフ
今後の予定はなんでしょう。大阪城にエレヴェーターを設置したのはミスであるということの閣議決定か、私はそんなことは言っていないということの閣議決定か。あるいは、「ドナルド」のやることはすべてわかっていましたということの閣議決定か、知らなかったけど、握手も拒否られたけど、それでも「エマニュエル」とも「ドナルド」ともマブダチであることの閣議決定か。昨年のサミットでもスピーチ中にまわりは勝手に井戸端会議で、スピーチ終わった時に、ナチスを見習え・難民は殺せ・いつまで生きてんだetc.太郎しか拍手してくれなかったけど、しかし<私は森羅万象を担当している>ことの閣議決定か。いや、まずはゴルフだな。
7月2日(火)だれにも越えられない
なんと、私の予想などやすやすと乗り越えていく森羅万象担当大臣。自分の発言を「遺憾」だと言ったと、獣医学部を無理やり作った大学のやつと3人でバーベキューやってる様子を嬉しそうに世界中にばらまいたやつに言わせるとは。どうして明確に、私の発言はたんなる差別でした、私は差別主義者です、と言って謝らないのでしょうか。自分のことを立法府の長だと言いその発言を議事録から削除させた人類唯一の行政府の長は、自分の妻のことを私人であると閣議決定させた人類唯一の行政府の長であり、自分の発言のことを「遺憾」と言った人類唯一の行政府の長です。だれもこいつは越えられない。
7月3日(水)天声なんちゃら
天声なんちゃらがろくでもないことは今に始まったことではなく、受験のためにあんなものを読み続けることによっていつの間にか自分のことをリベラルかなにかと勘違いするナショナリストたちが量産されているのではないかと思っています。半島を侵略し植民地化した過去の清算もなく、ただただ差別だけを繰り返すあまり、まったく蚊帳の外状態で世界が和平へ向けて動き始めてしまっているのを受けて、例によって何の反省もなく、パフォーマンスをあげつらって何かを言ったつもりになっているクソエッセーが掲載されているそうです。心ある人は、「内容空虚」と形容していますが、いえいえ、しっかりナショナリズムの旗振りをやらかしていますよ。そういう意味じゃ、しっかり内容があります。腐りきった内容ですが。
7月4日(木)戦前からプロパガンダ
この新聞社は、大韓民国の行政が司法に働きかけないため、経済制裁とか自由主義経済が聞いて呆れることをやらかすヌッポソ政府の「我慢の限界」とかいう言い回しを、そのまま見出しにつけて「報道」しちゃってるわけです。いくらこの政府に三権分立を理解する者がいないからと言って、それをそのまま垂れ流してどうするんでしょう。そんなもの、「報道」でもなんでもない、ただのプロパガンダって言うんですよ。損害賠償を要求されていることについても、ヌッポソの損害にならないようにとかなんとか、賠償の意味がわかっていたら言えそうにない言葉遣いをするわけです。もちろん、首相じゃあるまいし、賠償の意味を知らないわけはないでしょうから、要するに徴用工に対する賠償責任などない、と考えているということなのでしょう。ったく、戦前からずっと生き延びたままの天皇制と新聞社は、やっぱろくでもない。
7月5日(金)ああ、それ知ってる
「小さな声を聴く力がどうしたこうした」って文字列の入ったポスターをどっかで見かけたような気がしますが、この手の文言がミスリードなのはよく知っています。「聴く」ことの力がなんちゃらかんちゃら言ってたある大学の総長だったのが、若手教員との懇談会において、出席していた大して若くもないが下っ端ではある教員から批判されて、「そういう話はお止めなさい」とかほざいたのを目の当たりにしたことがありますからね。あれ、「聴く」ことの力はよ?って思いましたが、そういう理解が間違っているわけです。「聴く」ことの力をもたなきゃいけないのは総長様ではなく、下っ端が偉い人の言うことを、つまり「わし」の言うことを「聴く」ことの力をもて、ってのが、その「聴く」ことの力がなんちゃらかんちゃらの正しい理解なんですよね。バッカじゃねーの。
7月6日(土)許さない
そんなわけで、件のメッセージも、つねに政権与党にすり寄っていく「小さな」集団だけど(「卑小な」と言ってもいいかもしれない)、この卑小な集団がなければ、自衛隊員がいるところは戦闘地域じゃないイラク派兵も行えなかったし、集団的自衛権を行使するのは憲法違反だけど合法ってことにする安保法も、何が秘密か秘密だ法も、おまえら反抗的なヤツをチクらなかったら共謀だかんなの共謀罪も、すべて可決成立しませんでしたからね。つまりは、この卑小な集団は選挙民の声を聴きます、ではなく、この卑小な集団の声を聴く力をもて、ってことなんですよね。ええ、わかります。聴きませんが。
7月7日(日)実におそろしい
短期間のうちに覚えてもらえるからとかで、そんな党名を作り出す人を、支持しちゃっていいんでしょうかねぇ。その人は、それを党名に含めることについて、イデオロギーは関係ない、って言ってたような気もします。まさにそれじゃないですか、あれが果たす役割は。あれは、あたかもイデオロギーなんてないかのように見せかける看板だし、あの一家もあたかもニュートラルな存在であるかのようにふるまうわけですよ。これを政治利用と呼ばずして、いったい何を政治利用と呼ぶんでしょうか。森羅万象担当大臣による政治利用は許さないけど、こっちの政治利用はいいんだって、そんな都合のいい話がありますか。りべ天は言うに及ばず、ふだんはりべ天に対して批判的であるような人たちですら、これを認めてしまう状況って、実におそろしい。
7月8日(月)58パーセント
「輸出規制が妥当だと思う」が58パーセントって、妥当だと思う根拠はいったい何なんでしょうか。個人請求権が消滅していないことはヌッポソ政府が認めているところで、民間人がヌッポソ企業に賠償を求めているのだから、権利を要求しているだけなのに、それに対して政府が輸出規制をやらかすなんて、不正以外のなにものでもないのに、それを「妥当だと思う」って、いったい何をどう考えればそうなるんでしょうか。まあ、この件については、朝日だって毎日だって、3Kやら原発推進新聞社と姿勢が変わりませんからね。要するにあれですか、植民地にされた者がいつまでも過去のことを言ってんじゃねーよ、ってことですか。そういうのは、逆ギレって言いませんか?
7月9日(火)差別できないと退屈するやつら
オーストラリアのなんちゃらとかいう新聞が、性差別、人種差別丸出しのクソのような風刺画を掲載し、批判されると、同じクソ風刺画を再掲して批判に反論し、「PCな新しい社会はとても退屈なものになる」とかなんとかほざいているようです。どこの差別主義者も同じ言い回しを使うわけですが、このように言うということは、自分たちの行っていることがPCに反しているということはわかっているということなんでしょうね。つまりこいつらの主張は、人を差別できない社会なんて退屈だ、ってことです。ああよくわかります。障がい者を笑いものにできない社会なんて退屈だって大学で主張したやつらと同じですね。ええ、しつこいですよ。同じことばっか言ってます。しかし、そいつらが存命中でエラソーなことを言い続けるかぎり、なんどでも繰り返してやります。
7月10日(水)ええ、しつこいです
しかもあのとき、主催者らしき人物は、障がい者を笑いものにしてもよいかどうか結論を出そうとしていたのですが(もっとも、こんなことを問うこと自体、正義に反しているわけですが、きっとそんなことはケンミジンコほども理解できないでしょう)、なんちゃらカフェの性格上、結論など出さなくてもいいのだと、その場にいた倫理学の教員が言ったのですよ。このクソぶりを理解していただけるでしょうか。こんなやつが、他のイシューにかんしてどれほど差別を糾弾していたとしても、そんなものはもはやまったく信用できません。気が向いたからしゃべっているのか、あるいはファッションとしてしゃべっているのか、その程度のパフォーマンスにしか見えませんね。いろんな意見がありますねー、でまとめようとするやつは、二度と規範を語るなよ。
7月11日(木)誰だと思ってんだっ
繰り返し繰り返し「民主党の〇〇さん」と言い間違いをして笑いが取れると思い込んでいる笑いの森羅万象担当大臣がいるそうで、さすが、大阪城にエレヴェーターをつけたのがミスだったと言って笑いが取れると思い込んでいただけのことはありますね。と思っていたのですが、どうやらそうじゃないようです。抗議されたら、「毎回(党名が)変わると間違えてしまう。そんなに怒るんだったら、何年も同じ党名で頑張ってもらいたい」って答えたようですから。つまりこうですね、この森羅万象担当大臣の情報処理能力じゃあ、党名変えたりしたらついていけるわけねーだろ、ボケが、考えてみろよ、ってことなんですね。そりゃそうだ。そんなことを期待する方が間違っている。
7月12日(金)「あほ」だった責任もある
自分のことを「あほ」呼ばわりすればすべてが許されるとでも思っているのか、「だまされた私があほ」と言ってみせて脱原発の主張をする「感動したっ」やつがいるそうです。「あほ」の部分について、ようやく気がついたのか、とは思いますが、「だまされた」などと被害者面するところが実にうんこです。ちゃんと積極的に推進してきたことを認めないといけません、いくら「あほ」でも。そうそう忘れちゃいけません、平蔵を取り立てて新自由主義を確固たるものとした「業績」も。それから、憲法に違反してイラクへ派兵したこともね。自衛隊がいるところは戦闘地域じゃないだ? そんなうんこにだまされるほど「あほ」なやつはいませんよ。もちろん、いまさら「脱原発」を言ったところで、だれもだまされはしません。(ほんとは大量にだまされてる人がいるそうで、絶望的な気分です。)
7月13日(土)桜満開かからっぽか
映画『主戦場』を観て、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」という脳内ファンタジーをまき散らす確信犯的歴史修正主義者朴裕河の『帝国の慰安婦』を読むように勧める、頭の中は桜満開かからっぽの小説家がいるそうです。その方は、きわめてわかりやすいことに、天皇主義者であり、「左折の改憲」(この言葉の意味はさっぱりわかりませんが、きっと文学的表現なのでしょう。だからわかる必要はありません)がどうしたこうしたとか言ってる人なんですよね。そしてその「左折がどうしたこうした」を同じように主張していたのが、皇軍の侵略によるアジアの犠牲者2,000万人に向き合うためには、まず自国の300万人を弔わなきゃいけないと、まわりくどい仕方でたんなるナショナリズムをダダ漏れさせていた文芸評論家なんです。そしてこいつのクソ本を今年の3冊の1冊に選んだのが、「わし」の言うことを聴けと言ったやつで、こういうのをうんこの連鎖っていうんですよね。
7月14日(日)『ヒューマニスト』
まったくのクソ映画でした。たぶん脚本にパク・チャヌクが入っているからレンタルしたのだと思いますが、こういったタイプの作り方にはまったく賛成できません。汚物を濾した水を飲むシーンで、あまりにも気持ち悪くてゲロを吐きそうになり、げっぷまでしてくれて、そこで見るのをやめればよかったです。そうか、あれは制作側のサインだったのですかね、やめるならここですよという。「徹底してクール」に社会批判をしているそうですが、障がい者差別を笑いのネタにするのがなぜ「クール」なのか、私にはさっぱりわかりません。殺す前に強姦したいというシーンをコミカルに描くことが、なぜ「クール」なんでしょうか。それってたんなる不正じゃないですか。PCばっか言ってたら退屈だって、言いますか。そういう方は、退屈のあまり消えてしまってくれて結構ですよ。
7月15日(月)ちゃんと臣民してください
森羅万象担当大臣を総裁とする党のやつが、ヌッポソは「天皇の国」と言ったそうですが、だったらこいつ、ただちに選挙権も被選挙権も放棄しないといけませんね。そいつの言葉に従えば、国民が主権をもつなんて、とんでもないことですよ。もう不敬罪以外の何ものでもありません。しかし実は内田とか高橋とか池澤とかだって、そうなんですよね。あいつら、まさか選挙へ行ったりしてないだろうな。あっ、そう言えば森羅万象担当大臣の口癖は、「私は選挙で選ばれた」でしたが、まあいいか、あの方だけは。なんせ「説明が天才的」と言われたらそれを嫌味だとは受取らずにそう言われたことを吹聴してまわり、自分の発言が批判されるとその自分の発言のことを「遺憾」だと発言できてしまうような人なので、もうどうしようもないですから。
7月16日(火)あるいは手足か
なんちゃらとかいうどっかの会長が、森羅万象担当大臣やら「共産党ウォッチャーの松井さんとしては珍しい」と嫌味を言われつつその無知ぶりを暴露されるやつやらを舞台にあげてどっこいしょしても、「体制の手先ではない」とかなんとか言ってるそうです。これってあれですよね、「怒るでしかし」と浅香あき恵が言うと、「おっさんになっとるで」と突っ込まれ、それに対して「いまのはおっさんじゃないの、やっさんなの」と言うのと同じですよね。「体制の手先ではない、提灯持ちである」ってわけですか。しかし「いまのはおっさんじゃないの、やっさんなの」に対しては、さらに「やっさんもおっさんやがな」って続くのをご存じないのでしょうか。提灯持ちも手先なんですよ。
7月17日(水)「手先」でもないのにねー
もしかして、手先でもないのに、森羅万象担当大臣におべっかを使い、新基地建設反対派に差別語を吐いてきた犬どもの労をねぎらったやつにおべんちゃらなんですか。驚くべきメンタリティですねー。そう言えば、以前は関西電力のコマーシャルで一生懸命クリーンエネルギーって垂れ流してましたけど、あれも自主的にやってたんですか。だったらちゃんとその責任をとらないといけませんね。私たちは原発を推進してきましたが、間違っていました、ってちゃんと言わないといけませんよ。あっ、ひょっとして間違ってると思ってない? だったら、コマーシャル止めないでクリーンエネルギーって言い続けないと。笑いの要素はどこにもありませんけどねー。
7月18日(木)SPの犬たち
森羅万象担当大臣の応援演説中にヤジったまともな方がスーパー私人が恋人ではなく妻である森羅万象担当大臣のSPの犬たちや北海道警の犬たちに強制的に排除されたようです。その動画がSNSでまかれ、「何をいまさら」とかおっしゃる方もいるのですが、もちろん森羅万象担当大臣に逆らう人たちが強制的に排除されるのはいまに始まったことではなく、そういう意味ではもちろん「何をいまさら」ではあるのですが、しかしやはり、こうした「実例」をそのつど広めることは重要だと思います。「ナチスに見習おう」とか「難民は撃ち殺せ」とかを、「また言ってるよ」ですませてはいけないのと同じ理由です。他方、こうしたケースでかならずわいて出る「○○○みたい」という差別意識丸出しの言い回し。そんなことを言ってるかぎりは、差別主義者の森羅万象担当大臣を批判できません。
7月19日(金)わっかりやすいアート系
臣民の証しを政党名に入れてることを、「自分たちの党名にしてしまうなんて、これはまさにアプロプリエーション、つまり一種の芸術運動だ。」とか言って感激してるのがいるのですが、まあ、わっかりやすいアート系の人です。大丈夫ですか、文学学術院は。こんなわっかりやすすぎる人に教鞭をとらせてしまって。芸術無罪論のみなさん、芸術ってことほどさように、見事にイデオロギーまみれなんですよ。この方、森羅万象担当大臣らが自分の手がらのように語る「から」、それを使わないという抵抗しか残されていないのかと思っていたそうで、そうじゃなかったら、使いたいんですよね。ひょっとして、リベラルのおつもりなんでしょうか。たんなる右翼ですよ。
7月20日(土)たんなる不正
ただ働きさせておいて、報酬を寄こせと言ったら、「無礼」って、どういうことなんでしょうか。さすが、アラブの首脳に飯食ってけって言われたら(それが「ぶぶづけ」以外の何ものでもない可能性は大いにあるが、しかし無法者サウジとはまぶだちかもしれない)帰りの時刻を気にせずに飯を食いたいから専用機を用意しろとおっしゃった方の言うことは違いすぎる。あれですか、強制的に働かせてやったのに、その恩を忘れるとは、無礼以外の何ものでもない、ってことですか。いいですか、相手のふるまいを「国際法違反」だと言うのなら、どのふるまいがどの国際法に違反しているのかを明確にすることこそが第一に行われるべきことです。人のことを無根拠に「不正」と呼ぶことは、それ自体不正ですよ。「礼節」なんてどーでもいいです。
7月21日(日)言うまでもなく
「京都アニメの事件でも死刑廃止論の方は、犯人を死刑にしてはいけないと大声で叫ばなければなりません なおぼくは廃止論者ではありません」というのを見かけました。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。「犯人(という言い方は大いに問題ですが)を死刑にしてはいけない」(大声)。
7月22日(月)臣民らしくしろよ
なんと驚くべきことに、臣民であるはずの高橋や臣民であるはずの内田が、投票へ行ってきますだの投票へ行ってきましただのとツイートしていました。しかも、臣民であるはずの内田なんて、投票行為の意味をつらつらと説教がましく語ってました。どういうことでしょうか。この人たちは臣民であるのに、主権者のつもりなんでしょうか。臣民であるはずの高橋にとっても臣民であるはずの内田にとっても、主権者は天皇であるはずなのに、投票なんて行ったりしたら、それはもう反逆以外の何ものでもないし、不敬以外の何ものでもありませんよ。当局は一刻も早く取り締まってくれないでしょうか。
7月23日(火)ぺろぐり案件
田中康夫が全責任を負うべき政党に所属し、大阪選挙区でもっとも多く得票した(ということは、もっとも愚かとか不正とか、ちんぴらとか、いじめが基本のお笑い芸人的メンタリティの持ち主とか、そういうことなんでしょうか)方が、「子育て支援として具体的に何を考えてますか?」と訊かれて、子育てというものをわからずに母親になる女性が問題だから「子育て教育」と答えたそうです。まず、この返答について、その方の目つきがどうのこうの言ってる人がいますが、それはたんなる差別であって、それじゃあ田中康夫が愛して止まない政党支持者たちと同レヴェルに陥ってしまいます。さてこの方にとって、子育てと言えば、「母親」なんですねー。やっぱあれですか、単為発生した以上、責めを負うのは卵子の持ち主だってことなんですか。へー。ぺろぐりよ、ちゃんと責任とってくれよ。
7月24日(水)ぺろぐり案件 2
田中康夫が全責任を負うべき政党に所属する、子育てと言えばまっさきに母親の教育が必要だと考える方がトップ当選を果たした地域の知事は、核武装しなきゃいけないと言い始めているそうですね。やっぱあれなんでしょうか、現実がよくお見えになる白〇聡さまとかと同様に、核武装している国家に対抗するには、核武装するしかない、そんなものはあたりまえだろ、ボケッ、ってところなんでしょうか。まあ、どうでもいいです。すべての責任はぺろぐりにあります。ぺろぐりはまだ息してるんでしょうか。
7月25日(木)断罪の十分な理由
「22才の若きポール・ド・マンが複雑な背景のもとで一度か二度記した反ユダヤ的な一文を抜き書きして、脱構築についてナチスに通じる退廃を読者に植え付けようとする印象操作の悪質さ」とかいう文字列を目にしてしまいました。ということは、ポール・ド・マンという人は、22才のときに、複雑な背景のもとで、一度か二度、反ユダヤ的な一文を書いたわけですよね。若いときに、複雑な背景のもとで、一度か二度、反ユダヤ的な一文を書いただけで、その人を断罪するには十分じゃないんですか。何度も何度も反ユダヤ的な一文を書く者は、差別主義者であることが明々白々なんです。それを考えれば、「一度か二度」が非常に重要じゃないのでしょうか。それをこの文字列の書き手は、一度か二度記したくらいで…、って言ってませんか。
7月26日(金)たんなる権威主義
「若き」って言い方も、反ユダヤ的な一文を書いたときは「若かったんだよ」ってことを言外ににじませていませんか。「複雑な背景」があったんだから、そのことも考慮しなきゃって、言ってませんか。あれやこれやは、すべて、反ユダヤ的な一文を書いたポール・ド・マンの弁護にあてられていませんか。しかし「複雑な背景のもとで」書かれたからこそ、「一度か二度」書かれたからこそ、若いときに書かれたからこそ、それは許されないことだと言えませんか。まあ、政治は細部に宿るなんて、ポストモダン的には無意味かもしれませんね。しかしこういう弁護の仕方って、ポストモダンが軽蔑して止まないモダニズム的権威主義に他ならないってことはないですか。
7月27日(土)だらしがない
晩年の廣松が東亜の新秩序がどうこうと言ってしまったことを、病床でチューブにつながれた状態で言ったことだと弁護して見せる子分がかつていました。病床でチューブにつながれた状態であるにもかかわらず、言ったことだからこそ、東亜の新秩序発言は批判されるべきであるのに、まったく逆の仕方で弁護してしまうその言説を、上のポール・ド・マン擁護に思い出してしまいました。どうしてこう、みんなだらしなくなってしまうのでしょうか。あらゆる神話化に抗することこそ、哲学にできる数少ない営為のひとつじゃないのでしょうか。
7月28日(日)排外主義以外の何ものでもない
「昨年の末に決まったのは何か。大量の外国人を安い労働力としてこの国に招き入れる。これによる混乱によって首が絞まるのは誰か?皆さんなんです。」という発言は、排外主義以外の何ものでもないのに、なんか一生懸命擁護している人たちがいて、きっとそういう人は、この排外主義者が党名に元号を入れてたってまったく気にならない人たちなのでしょう。この排外主義者が、入管における非人道的な犯罪行為に抗議する人であったとしても、そのことは排外主義と両立しますよ。国内において、外国人に対して非道をなすことは許されないと考えつつ、しかしそもそも外国人を国内に招き入れることには反対だ、と主張することはなんら矛盾してませんからね。もっと言えば、党名に元号を使っている時点で排外主義者以外の何ものでもないことは自明です。
7月29日(月)どこに非があるのかご教示ください
<韓国は「敵」なのか>という声明があり、賛同者を募っています。和田春樹とか山口二郎とか、何ひとつものを考えていないようなのばかりが呼びかけ人に名を連ねているのであれば、無視すればよいのですが(いや、ホントは無視するんじゃなくて、批判するんですが)、こんなものにどうして〇〇さんは乗っちゃったんだろうか。「世話人一同」によるリード文には、「本来、対立や紛争には、双方に問題があることが多いものです。今回も、日韓政府の双方に問題があると、私たちは思います。」ってあるんですよ。いったい大韓民国のどこに問題があるのか、言えるんでしょうか。どっかの専用機が欲しいやつと同様に、「国際法違反」とか言って、しかしどのふるまいがどの法に違反しているのか、まったく言えないんじゃないんですか。そもそも森羅万象担当大臣らは、大韓民国に非があるという前提で、経済制裁をやらかしているのですよ。この世話人たちは、あれらと同類じゃないですか。
7月30日(火)取り消すべきだ
上の世話人のリード文は、次のように続きます。「しかし、私たちは、日本の市民ですから、まずは、私たちに責任のある日本政府の問題を指摘したいと思います。韓国政府の問題は、韓国の市民たちが批判することでしょう。双方の自己批判の間に、対話の空間が生まれます。」つまり世話人たちは、大韓民国の政府にも問題があると言いながら、どこにあるかは言わない宣言をし、かつそれは大韓民国の市民がやれ、と言ってるわけです。挙句の果てに、双方の自己批判によって「対話の空間が生まれ」ると。大韓民国の市民が、大韓民国の政府の問題点を明確にしない限り、対話はできないと結論づけているのですよ。対話ができないとしたら、それは大韓民国の市民のせいだというわけです。これって、森羅万象担当大臣らや大手マスコミ連中がさんざんやらかしてきた、悪いのはあいつらだって言い分そのものじゃないですか。心ある人たちは、これからでも賛同を取り消された方がよいのではないかと愚考いたします。
7月31日(木)どれいあたま
かくも恐ろしきイデオロギーというか、フロイト万歳的な無意識というか。どっかの放送局の番組タイトル「オウム死刑執行1年 見えてきた真相」を、「オウム死刑執行1年 見えてきた首相」と読んでしまいました。なるほど、国家に楯突く者は、処刑する、それが見えてきた、と。いやいや、そんなこと、1年前に1ヶ月のうちに25人も殺す前からわかっていたことでした。そしてもうひとつ、「提灯持ちのすべらない話」とかなんとかいう番組宣伝にリツートしている方が、「吉本の奴隷頭」とお書きになっていて、それを「よしもとのどれいあたま」と読んでしまいました。よく考えたら、その提灯持ちは、「どれいがしら」なんですね。でもまあ、「どれいあたま」でも間違っちゃいませんか。ところで、あと200くらいで150,000のキリ番です。キリ番なんて死語だし、そもそも150,000なんて、人によっては達成するのに1日もかからないわけですけどね。踏んだ方によっては贈り物も辞さない所存なので、ご一報くださいね。
8月1日(木)クソ日刊ゲ○ダイ
日刊ゲ〇ダイは、なぜか阪ちんを目の敵にしているのでまったく信用していませんが、スポーツ、とりわけプロ野球における暴力をここ数日とりあげています。(そうそう、暴力をとりあげるのなら、大リーグで使い物にならなくなったから「男気」とか不正極まるメンタリティを口実に戻ってきて、球界の宝を恫喝してダメにした、なんとかってやつのことを糾弾してくださいよ。)例によって、オレ流がドラゴンズの監督を引き受けた際に、コーチに暴力を禁止し、守れなかったら解雇するという念書を書かせたことをとりあげ、「暴力を一掃するのに5年かかった」というオレ流の言葉を引いているのです。つーことは、5年の間にコーチをクビにしたんですか、オレ流は。違うでしょ、見て見ぬふりをしてたんでしょ。そういうのが一番性質悪いし、またもっとも責任だって重いんですよ。ちゃんとオレ流を批判してみせろよ、阪ちんばっか叩いてないで。クソが。
8月2日(金)慎重に検討したうえで殺すやつら
まったくやりたい放題。かつて侵略したことも知らないことにして現在の状況はすべておまえのせいだと閣議決定をやらかす。まあ、森羅万象担当大臣がメンバーにいる閣議決定は、これまでもろくでもない決定しかしてこなかった実績はあるのですが、あろうことか、この決定は両国の関係に影響を与えないと官房長官は言ったそうで、影響を与えないようなことをわざわざ閣議決定したのかよ、ボケ、というツッコミ待ちなんでしょうか。いくら吉本とつるんでるからって、つまらん「笑い」は不要ですよ。フツーにやってるだけで国際的には失笑されてるわけですから。そしてまた殺しました。法務大臣は、「慎重なうえにも慎重な検討を加えたうえで」殺したと言っています。まったく言い逃れのできない確信犯だということです。第2次森羅万象担当大臣政権下では、これで38人も殺したことになります。
8月3日(土)だから、アート系は…
国際芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」が、政治的圧力によって中止されることになりました。例によって、こうして政治的圧力により「表現の自由」が抑圧されることまで含めてアートなんだと、したり顔で批評するようなやつがいて、ついつい「だから、アート系は…」と思わずにはいられません。そもそも「平和の少女像」をめぐる問題は、「表現の自由」の問題などではなく、歴史認識に関する正義の問題なのですが、それはおくとしても、このような批評をやらかすやつは、では、小林多喜二は虐殺されたことまでが文学だと言うのでしょうか。なすべきことは、権力を正しく恐れるとともに検閲の不正を糾弾することであって、芸術はいつだって勝利するんだなんてくだらないマスターベーションに耽ることではありません。
8月4日(日)クソ芸人
右翼テロリズムによる脅迫とそれに便乗した歴史修正主義者たちの圧力によって、「表現の不自由展・その後」は中止が決定されたというのに、あろうことか、企画側を批判し、企画側のせいで言論の自由がますます失われていくとのたまう江川紹子という芸人がいるそうですが、ホント、くずですね。まあ、朴裕河に味方する人だから、非常にいろんなことがよくわかっている人ではあります。そう言えば、朴裕河と共同研究ができてしまう人も、何かと言えば、「上がやれって言うから仕方なくやってるんだ」って言いますね。この方たちって、アイヒマンをご存知でしょうか。
8月5日(月)『あと1センチの恋』
まったくもってクソ映画。2014年に作られたというのに、なんですかね、このクソっぷりは。自分はハーヴァード大学の医学部へ行くから、お前はボストン大学へ行けばいいと言ってのけるアホ。そのアホは、同居中の女性に食事の後片づけをフツーにさせておいて、二人の仲はうまくいっていないとかほざきやがる。言うまでもなく、定番のバカ女も登場しますよ。養子に出すつもりだったのに、産んだとたんに母性に目覚めるやつは、男が筋肉ムキムキだとわかるやいなやセックスするとかね。数え上げたらキリがないこのクソエピソードは、きっと最後の最後に人民革命が起きるための布石なんだろうと思いますが、最後まで見続ける前にPCを破壊しかねない気もしたので、間違いなく素敵なラストを見ずに返却しました。(しかもドイツとイギリスの合作って。女王なんぞがいる差別大国はさておき、カネになりそうだからってこんなもんを作るからおフランスにバカにされるんだよ。)
8月6日(火)掃きだめ府掃きだめ市の市長
「表現の自由とはいえ、単なる誹謗中傷的な展示はふさわしくない。朝日新聞自体が謝罪した、デマの象徴である慰安婦像を、行政が展示すべきではない」と、囲み会見とやらで垂れ流している掃きだめ府掃きだめ市の市長がいるのですが、この方は、何もご存知ないのか、教えられても頭に入らないのか、それともわかったうえでデマを飛ばしているのか、どれなんでしょう。まあ、そのどれにしても、きっと支持者は「そのとーり」としか思わないので、痛くもかゆくもないでしょうが、しかし支持者以外にとっては、無知なのか、学習能力がないのか、デマゴーグなのかによって、それぞれ対応が異なってきます。場合によっては、この人って、この発言だけでも訴えられたら敗訴するんじゃないでしょうか。いくら掃きだめ府掃きだめ市の市長だとしても。
8月7日(水)元神とかお祈り魔とかお祈り魔の息子とか
天皇制批判をすると、「そんな制度はありません」とか言って、パフォーマティヴに自己の臣民性をゲロっちゃってる方が散見されます。「そんな制度」が存在しないにもかかわらず、侵略戦争の最高責任者だった神(当時)が人間になっても、その地位を引き継いだのが「お祈り魔」になっても、そしてさらに「お祈り魔」を引き継ぐやつが現れても、なんとも思わないなんて、なんて素敵な臣民なんでしょうかね。そういえば、かつて一般教養で仕方なく授業に出ていた哲学の教師(坊主でもあった)は、極左が授業前にアジをやらせてくれと言ってきたときに、やらせておいて、やつらが帰った後で、ヌッポソは「帝国主義ではありません。民主主義です」とほざきました。民主主義なのに、元神や「お祈り魔」やら「お祈り魔」の息子やらが召集しないと国会は開かれないのですよ、びっつらです。
8月8日(木)哲学研究者
人口200万を超える都市の市長2人や、人口800万を超える府の長が、歴史修正主義を声高に主張するとともに戦争被害者の人権を蹂躙するのは、かのぼんくら文芸評論家に言わせると、「われわれ日本人」という謝罪の主体が立ちあがっておらず、分裂したままだからなんでしょうか。そのぼんくらは死んだので、そのぼんくらと歩調を合わせていた哲学研究者たちにぜひ訊いてみたいものです。あいつらが歴史修正主義をばらまくのは、アジアの戦争被害者2000万人に向き合う前に、侵略者300万人の死者を先に弔わないからなんですか。こういう文学的表現がいかにバカげたものであるか、あの3人の話しているところを見れば、丸わかりではないですか。そんなこともわからずに、よくまぁ哲学研究者を名乗れるものです。ああ、そうですね、哲学研究者をかいかぶりすぎています。むかしから、侵略戦争を正当化する立派な伝統がありましたね。
8月9日(金)大差ない
「表現の不自由展・その後」が白色テロとそれに乗っかる政治家たちの暴力によって中止になったことについて、日本国民として恥ずかしいとか言っちゃう人は、あの政治家たちとそんなに遠くないところにいることに、きっと気づいていないでしょう。まあ、気づくかどうかはどうでもいいから、「日本国民として」などとわざわざ言うことと、皇軍の残虐行為をなかったこととする主張とは、それほど距離はないこと、このことは理解しないとダメですね。その結果、ああ、それって自分のことだってわかればいいですけど、まあ、きっとわからないでしょうし、つまり自覚するかどうかはどーでもいいです。いやぁ、いくらなんでもそのふたつは違うだろう、って言う人には、じゃあ、「日本国民」の含意をご教示願いたいですね。
8月10日(土)たんなるバ○だろ
「自衛隊がいるところは戦闘地域ではない」「人生いろいろ、社長もいろいろ」などなど、でたらめ発言しかしてこなかったし、郵政民営化という歴史に残る大罪をやらかしたのに、反原発とか言い始めてごまかしたまま逃げ切ろうとしているやつの息子が、自分のことを「政治バカ」とかなんとか、父親並みのでたらめを言ったそうですが、「政治バカ」って、政治に関して無知きわまりないアホのことでもなければ、バカ一般のことでもないって、ご存知なんでしょうか。言語の意味が使用にあるなら、その物言いが流通するときそうした意味をもつことになるでしょうけど、しかしいまのところ、「政治バカ」で政治に関して無知きわまりないアホのことも、バカ一般のことも、指さないと思いますよ。
8月11日(日)「それだけ。」じゃねーよ
ベトナムが、20世紀においてだけでも12ヵ国に侵略されたため、その恨みを忘れないとダメになるからと、1991年に「過去を閉ざして未来を志向する」というスローガンをかかげて、歴史教科書を編んでいることを紹介し、「これを素晴らしいものだ、ということは、加害国の国民がいうことできません。もちろん。」と言いながら、「けれども、このベトナム教科書では、戦争の記憶の忘却に抵抗しつつ、その場所に留まらない叡知があると思いました。それだけです。」というやつは、だれあろう、臣民高橋です。「いうことできません」と言いながら、「けれども」と続けるところに、この人、論理学って知ってるんだろうかと思わずにはいられませんが、最後に「それだけです」と言って、「『それだけ』って言ってんだから、『叡智』に気がついたおれさまに文句をつけんなよ」と予防線をはるところに、論理学なんぞをはるかに超えた臣民の狡猾さを見出さずにはいられません。「それだけ」じゃないですけどね。
8月12日(月)臣民の言い草
この臣民の言い草によれば、20世紀において1ヵ国に侵略されたくらいで、がたがたいつまでも騒ぐなよ、12ヵ国に侵略された国家だって、「過去を閉ざして未来を志向する」んだよ、それが「叡智」ってもんなんだよ、ってことですよね。20世紀において1ヵ国に侵略されたくらいで、がたがたいつまでも騒いでるようなやつらには、「叡智」のかけらもない、ってことですよね。なんならあれですかね、皇軍が侵略してやったことを感謝するくらいが「叡智」ってもんだとか、言いたいところですかね。こんなのが、実は昨年度までプロテスタントの大学にお勤めだったんですよ。臣民なのに。こいつはいったいどっちを裏切ってたんでしょうか。まったく節操のかけらもない。言うまでもなく、叡智のかけらもない。
8月13日(火)笑いはすべてを超越する系
提灯持ちの吉本興業が当局のSDGs推進本部から「第一回ジャパンSDGsアワード」を受賞したときの事業概要などがネット上にアップされています。「SDGs実施指針における実施原則」がつらつら書かれているのですが、「包括性」と称して、芸人の「時にコンプレックスすら笑いに変える生き様は、困難な状況にある人たちに対するロールモデルともなりうる」だそうです。ああ、知ってますよ、これ。笑いはすべてを超越する系でしょ。「コンプレックスすら笑いに変える生き様」って、障がい者のまねをして笑いを取るって生き様ですよね。そして障がい者差別だと批判されると、「これは芸です」とエラソーな顔した倫理学者が太鼓判を押してくれる、ってやつですよね。倫理学者なら、もうちょっとだけでいいから、勉強したら?
8月14日(水)「芸術的」ですらある
白色テロとそれに乗じた声のでかい右翼政治家たちの圧力のせいで中止になった「表現の不自由展・その後」について、「キッタネー少女像。」と書くやつが、同じツイートで「現代アートに求められる面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性」と、「現代アート」とやらを語るわけです。見事なまでに、「アート」のイデオロギー性を垂れ流していて、もう「芸術的」ですらありますね。そうそう、侵略の歴史、加害の歴史、そしてこれらを隠ぺいしてきた歴史を突きつけるようなものには「美しさ」も「心地よさ」もないんですよね。知ってます。「これは芸です」と同じメンタリティです。こういう芸術無罪系が歴史修正主義者であっても、たんに実証例がまた増えたってだけで、別に何の「驚き」もありません。
8月15日(木)猛省してください
国家的陰謀によってテレビは映らないし、高校野球を主催し続けるような新聞なんて購読するわけがないので知らなかったのですが、式典では国会議員が起立して「歌う」んですか。正面には、ドイツならハーケンクロイツにあたるのが堂々と掲げられているんですか。そしてドイツならヒトラーにあたるやつの身分を血筋によって引き継いだのが「お言葉」を述べるんですか。そんなふうにして行われている追悼が、侵略されたアジアの被害者2,000万人のことを念頭に入れているわけがないですよね。だとしたら、もうずーーーっと前から、どっかのぼんくら文芸評論家が言ってたとおりに、自国の死者300万人を先に弔ってるじゃないですか。なのに右翼政治家たちの反動的な物言いはけっしてなくなってないどころか、年々増えているのはどうしてなんだよ。ヌッポソ哲学会においてこんなぼんくらを担ぎだした哲学研究者たちは猛省してください。猛省したって許さないけど。
8月16日(金)『リバイバル』
太陽フレアが発生した影響で、電波障害が発生し、1年前の同じ日に殺されたはずの妻から電話がかかってくるという設定で、主人公の男は妻が難に遭わないよういろいろと指示を出して過去を変えようとします。そしていくつかの過去の出来事は回避され、その結果、「現在」が変わります。事件の経過を書き留めていた手帳の文字が消えたりするわけです。『共謀者』とか、辛すぎるものばかりを観ていると、たまにはこんなのがあってもいいかと思ったりもしましたし、過去が変われば現在も変わるということそれ自体は、非常に合理的だと思いました。ただやはり、過去から電話がかかってくるという大前提そのものが問題だと思っていたら、なんとこのことについてもおそらく唯一可能な合理的説明が用意されていたので、「おぉ」と思いました。
8月17日(土)『悪のクロニクル』
冒頭のシーンは観た記憶があったのですが、しかしあんな展開になるなんて、フツーなかなか忘れるもんじゃないと思いますが、まったくどうなるか覚えておらず、へー、へー、へーの連続でした。主人公の刑事が『リバイバル』の主人公であることはまだ覚えていますが、実はちょっと前に観た『インサイダーズ』と話がごっちゃになりかけていて、もう数ヶ月もすれば初期化完了のはずです。『インサイダーズ』には「ドライバー」が出てきますが、『悪のクロニクル』には出てこなかったような気がします。ったく、その違いしかわからないとは…。
8月18日(日)中止が必然
憲法違反の法案が成立してしまったのは、強行採決が行われたからなのに、戦略がどうこう言ってた筋バが、「ところで大会期間中の気温を心配する人たちと、現政権に反対の人たちが妙に重なっているのが偶然だろうか」とか言ってるようです。相変わらず、体制べったし気質丸出しですが、「大会期間中の気温」なんて、別に心配していません。大会開催をやめちまえって、言ってるんです。それとも、民族の祭典が中止されたら、なにか困ることでもおありなんでしょうか。エラソーに解説できなくなるって? なもん、知ったこっちゃないっす。
8月19日(月)空気吸えるんすか???
ちょっと前に自賠責保険が切れるという案内が届き、そして運転免許証更新連絡書なるものも届きました。しっかしもう、長い間乗ってなかったので、購入先に電話をして廃車手続きをとってもらうことにして、バイクも持っててもらいました。それでも、免許証は身分証として使えるから更新した方がいいんじゃないかという考え方もあったのですが、どうにもあいつらがうろうろしているところへわざわざこちらから出向き、あいつら吐いた空気を吸わなきゃいけないのかと思うとゲロ吐きそうになったので、もう免許証の更新もやめました。身分証ですか? これがちょー恥ずべきことに、もはや絶滅危惧種と言えるマイナンバーカード保持者なんですよ。はいはい、どーせ私は国家の手先ですよー。でもみなさんは、あいつらが吐いた空気を平気で吸いに行けちゃう人たちなんですよねー。
8月20日(火)『甘い人生』
これは主演と邦題タイトルから予想されるものとはまったく異なる、ただただつらいだけの話だというのをしっかり覚えていました。じじいの悪意はクソだし、じじいの嫉妬ほど醜悪なものはありません。自分のような者をチェロ奏者がまともに相手にしてくれるわけはなく、それでもおつき合いしてくれてるんだから、それで十分だろ、とは思えなくなっちゃうんですよねー、じじいの金持ちは。イ・ビョンホンが嬉しそうに彼女を迎えに行ったときに、ちょうど彼氏が彼女を迎えに来たため、何事もなかったかのように踵を返し帰って行くシーンは、なんとも涙を誘うものがあります。まあ、仕方のないことですが。
8月21日(水)どうして切断できるのか
普段のツイートでは反天皇制を明確に掲げられてきわめて正義にかなった主張をされている方が、あるおばあさんが得意料理である四川料理のひとつを作る様子を撮ったツイートをリツイートされています。当該の動画は、おばあさんがじいさんに料理を食べさせるシーンで終わります。ぶらさがってるのも「エプロンがかわいい」とか「うまそー」とかなんですが、こういうのを見てもまったく気にならないんでしょうか。もちろん、そのおばあさんとじいさんの関係性がどうなってるかなんてことは知りません。しかしそんなことが、リツイートにとって重要でしょうか。まあ、重要だと考える人はいるでしょう。「ぼくには〇〇の友人がいる」という言い方で、自己の差別主義的メンタリティをなかったことにできる人とかは、そういう人です。しかし反天皇制を明確に主張できる人が、そんな「現場」主義者であるとは考えられず、どうしちゃったんだろうと思いました。
8月22日(木)ふざけちゃいけません
福島駅周辺には、Csだけで数千〜1万bq/kg以上の土壌汚染があるということと、福島市で行われる野球やソフトボールの競技に選手を派遣する場合、選手の安全性に懸念がもたれるということとは、そのつながりを理解することができます。しかし、福島駅周辺には、Csだけで数千〜1万bq/kg以上の土壌汚染があるということと、福島の人たちが、五輪の野球が福島で行われることを喜んでいることや東北の人たちが復興五輪を待ち望んでいることとが、どうつながるのか、その国会議員じゃない私にはまったく理解できません。土壌汚染があったって、楽しみにしている人がいるんだから、安全性なんて気にするな、とおっしゃっているのでしょうか。これってあれですが、笑顔でいれば、被曝したって関係ない、ってやつですか。もちろん笑顔でいることは、競技にやってくる人たちのみならず、そこで生活する人たちにも強要されるわけですが、しかしそこは「自己責任」と「風評被害」を組み合わせてごまかすわけですよね。ふざけちゃいけません。
8月23日(金)「その意思の強さで、治安を維持する。」
自席発言「ニッキョーソ」でおなじみのあれが選挙応援中に(えっ、あれがしゃべって選挙応援になるの? どうやらなるそうです。もうその時点で大間違い)ヤジった正しい人たちを排除した北海道(←大日本帝国最初の植民地主義の「成果」)わんわんの採用募集のキャッチコピーが、「その意思の強さで、治安を維持する。」ですよ。これって、笑かそうとしてるんじゃないみたいです。「治安を維持する」法律の名称をご存知なんでしょうか。ご存知なんでしょう。もし自分のゼミ生がこういうところへ就職すると言ったら、きっとその方の指導教員はご辞退申し上げるでしょう。もっとも、どう間違っても、そういう強い意思をもって治安を維持したいような立派な方は、私のところへは来ませんけどね。よかった。よかった。
8月24日(土)「巻き込まれている」
「白色テロ」とそれに乗じた歴史修正主義者にして差別主義者である右翼政治家たちの圧力によって中止された催し物について、アート系の人たちが「あいちトリエンナーレ2019は、一連の騒動によって、アーティストが、そして展覧会が政治的分断に巻き込まれている。」とかおっしゃってるわけです。すでにいろんな方向からツッコミがありますが、私はやはり、「巻き込まれている」という表現が、いかにもアート系ですね、と思わずにはいられません。アートは、政治的に公正中立、別にだれかの肩をもつわけでもないし、右でも左でもない(って言いたいでしょ!)、なのに「巻き込まれている」んですよね。言うまでもなく、政治的弾圧に対しては抗議すべきだと思っていますし、歴史修正主義も差別主義も糾弾されるべきだと思っていますが、こんなふうな「巻き込まれている」系を擁護するつもりはさらさらありません。
8月25日(日)まごうことなき臣民
ヌッポソ代表の試合ならわかるけど、普通のプロ野球の試合で、開始前に血による支配者を称える歌を歌ったりするのはマジでキモい、というようなことを言ってるツイートを見てしまいました。ヌッポソ代表の試合ならわかるってことは、立派な臣民だってことです。だったら、立派な臣民であることを確認する作業が、普通のプロ野球の試合開始前に行われたって、何の不思議もないじゃないですか。むしろ確認の機会が増えて喜ばないといけないくらいですよ。何がマジでキモいんだか、さっぱりわかりません。へこへこ歌ってるのが『女性差別宣言』の人であることを残念がってもいますが、あの人が臣民丸出し宣伝マンってことは、むかしから知られていることで、何も残念じゃないし、同じメンタリティでよかったね、ってところですよ。ったく、もうちょっとちゃんと臣民やってください。
8月26日(月)『猟奇的な彼女』
以前はもう少し面白いと思っていたのですが、ラーメンゲロとかヅラネタとかで、もう半分以上見るのを諦め、バカな軍人(まあ、冗長句です)が出てきたところで、断念。もちろんこの後話がどうなるか、まったく覚えていませんでしたが、見る必要がないことは十分わかりました。どうして以前は面白いところもあると思ったのに、今では不快でしかなくなってしまったのでしょうか。もはや、女性は強がっていても本当は弱いものであり、それを理解するのが男だ、みたいなジェンダー規範しか読み取れませんでした。調べてみたら、大林案件なんですか…。まったく不思議がない。
8月27日(火)伝統芸
ある新聞社が万能川柳とかいうのを掲載していて、「秀逸」とされているのが、「台風も日本のせいと言いそな韓 」ですよ。これって、見事に社の姿勢を示しているという意味で「秀逸」なんですよね。選んでるやつも、「コピーライターの神様」だそうで、ということは、クズの中のクズってことだから、クズの中のクズのメンタリティを見事に表現しているという意味で「秀逸」ということになるのでしょう。クズの中のクズはどーでもいいとして、社をあげてデマと差別をまき散らすとは、戦前からの伝統芸であっていまに始まったことではないとはいえ、やっぱこういう形でじわじわコンフォーミストの生産に貢献するってわけですか。もはや3Kとか原発推進社とかとなにも変わりません。なにも変わらずクズ。
8月28日(水)次は、「いつまで過去のことを…」
なんとこのクズの中のクズが「秀逸」とした川柳が掲載されている該当ページだけ、削除されているそうです。「秀逸」なのに。クズの中のクズがそう認定したのに。そんなことをしていいんですか。そうか、敗戦まではイケイケどんどんとプロパガンダしていたのに、あれが耐え難きを耐えた途端、そんな過去はすっかり消し去って「デモクラシー」の宣伝部長と化した、そのふるまいと同じですね。こっそり削除すればなかったも同じだと。なぜ削除しなきゃいけなかったかなんて、まったくわかっちゃいないけど、なんかうるさいことを言う者がいるから削除しとけ、くらいでしょうか。自分のことを立法府の長だと言った行政府の長が、なぜか理由は理解できないけれどもその発言を議事録から削除させたのと同じですね。コンフォーミストを生産するには、まずみずからがコンフォーミストでなきゃ、ってね。バーカ。
8月29日(木)「意図」なんてどーーーでもいいよ
「嫌韓を煽る意図はなかった。」じゃあ、どんな意図があったんだよ? まるで嫌韓を煽っていると誤解するやつが悪いかのような書きぶりですね。差別差別言うやつが差別してんだ、って言う差別主義者と同じだってことですか。そうですか。どうして自分たちの非を認めて謝罪できないのでしょうか。ああ、わかりました。自分たちに非なんてミジンコほどもないと考えているからですね。それが大きな間違いなんですよ。あなたたちには非しかないんです。そんなこともわからないのであれば、色使いも似てることだから、もう3Kになっちゃったらどうですか。研究者の知見などガン無視で修正された稚拙な歴史を声高に語れるやつらとは、きっと見事にわかり合えるに違いありませんよ。
8月30日(金)よし、明日から毎日20キロな
高校野球なんて、なくなってくれても一向に構いませんが、やるならせめて、ダルビッシュとか筒香くらいの見識をもつ人が運営しないといけないことは確実です。けがを恐れていては何もできないと言う張本大先生には、これから毎日20キロ走ってもらいたいですね。けがを恐れていては何もできませんよ。そして広岡大先生。人は言われればできるものだそうです。じゃあ、だれかこの大先生に、これから毎日20キロ走るように、言ってください。きっと言われればできるものですよ。こいつらのメンタリティは、要するに、「欲しがりません勝つまでは」と同じです。「いまはそういう時代じゃない」という言い方も間違っていて、こいつらが現役でいたころから、まったく間違っていたのです。当時だってそういう時代じゃなかったんですよ。
8月31日(土)まだやめてなかったんだ
たしかに動けない鉄人のせいでショフトをやらされていたのは大変だったかもしれません。しかし入団したときにそのポジションにはレギュラーがいたにもかかわらず、6大学出身者だからかなんだか知らないけど、暴力監督から自動的にスタメンに使ってもらい、優遇されてきたのですよ。ろくに打てもしないし、守備も明らかに力が衰えているにもかかわらず、連続出場記録を延ばすためにだけ、使ってもらい続けた高給取りだったし、そのことでやんややんや言われたにもかかわらず、いざ引退勧告がなされると、敬意がないだのかんだの、そんなもんどーでもいいわ。強制的に働かせておいて賃金未払いの人たちがたくさんいるのに、それは無視したままかよ、って話です。
9月1日(日)もちろん東京都の人も黙っちゃいない
いわゆる大都市の知事や市長たちの間で、実はひそかに、だれがもっともクズか選手権大会でも開催されているんでしょうかね。開幕当初は大阪が知事も市長もぶっちぎりだったけれども、そしていまもまだトップを並走中ではありますが、ひょっとすると、表現の自由の線引きを政治的であるかどうかという自己の判断と明確に関係づけることを臆面もなく主張する神奈川あたりの知事は、ギャンブル大好き二人組を抜きにかかっているかもしれません。その発言は政治的であるから、言論の自由は適用されないって、とんでもないことだって、わかってないんでしょうか。いや、わかってるんですよね。靖国に代理を行かせたやつをヤジると、政治的だから排除されるってことと、まったく首尾一貫しています。もう、まるでヌッポソみたいだ!
9月2日(月)万能川柳社
なんちゃら祭とかいうくだらなさこの上ない神事が公開で行われることを報道しながら、「宗教的な性格が強い大嘗祭に国費を支出することへの理解を求める狙いもあります。」と解説して見せる万能川柳社。ほんと、大丈夫ですか。「宗教的な性格が強い」という言い方も、すでにべったしですが、向こう側の「狙い」なんか説明してどうすんですかね。まあ、向こう側の「狙い」に沿って、嫌韓を煽るわけですから、そういう意味では首尾一貫しています。もっといえば、戦前からずっとですけどね。いいですか、こういうときは、政教分離に反している、と報道しなきゃいけないんですよ。
9月3日(火)いわれなき左翼社
まあ、『週刊ポスト』が右翼だってことはずーーーっと前から自明だったわけですが、「韓国なんて要らない」という見出しの記事を掲載し、万能川柳社同様に、「誤解を広めかねず…」と言い訳して終了。この見出しで何が書かれてあるか「誤解」する方が悪いということですね。はいはい。記事本文には、「ソウルは3日で占領できる」とありますが、これも「誤解」する方が悪いんですよね。えーーーっと、どんなふうに「理解」すれば「誤解」じゃないのか、ご教示いただけないでしょうかね。こんなクズ雑誌の広告を堂々と載せているいわれなき左翼社は、あれですか、資本主義なんだから、広告料払えばなんだって載せるよ、ってことなんでしょうか。おまけに「言論の自由」をくっつけてきますかね。ったく、いわれなき左翼。
9月4日(水)両論併記クズ
そして「韓国なんて要らない」に対して「韓国は要る」とかほざいてカウンターのつもりになってる方々がわいているそうで、まあきっと、あれでしょうね、元号を政党名に入れたってなんとも思わないリベラルなみなさんとかぶってるでしょうね。要るとか要らないとかほざく、その前提をまずは問わなければならないなんてことは、ミジンコワムシほども考えたことはないでしょう。「人文学は要らない」に対して、人文学はこんなに役に立つから「要る」と言って何かをやり遂げたつもりになれちゃう人とか、「なぜ人を殺してはならないか」に答えを出そうとやっきになる人とかは、同じメンタリティのもち主なので、「韓国は要る」という言説の何が問題か、きっと永久にわからないまま朽ち果てていくことでしょう。つーか、一刻も早く朽ち果ててくれ。
9月5日(木)さぶい
そんなわけで月曜日から、行政府の長をはじめ万能川柳社やいわれなき左翼社といったマスコミも一般人もまとまって、要するにアジアの侵略の犠牲者2000万人を無視して先に自国の死者300万人を弔えとかなんとかいうわけのわからんことを言うまでもなくとっくのむかしに立ちあがっている「われわれ」が、侵略された側を差別して止まない共同体から、侵略された側に謝罪を行う大統領のいる地へ来ています。クズたちのいる共同体は30℃を超えていたのですが、こっちはとんでもなく寒く、朝のおつとめには手袋がいるほどですが、手袋をもっていません。仕方がないので、靴下を手袋代わりにしておつとめを果たしているのですが、これはもうクズ共同体なら絶対に通報案件です。
9月6日(金)まるでダメ
もちろん諸般の問題はありますが、しかし汚職しようがレイプしようがネポティズムだろうが歴史修正主義者だろうが差別主義者だろうがクズだろうが生き続けるような政治家はありえないこの地ではあっても、本屋へ行くとこんなのが並べられた一角があるんです。婚姻関係を結ぶことや妻になることがそのジェンダーの夢だと言わんばかりの出版物が揃えられているわけです。まあ、ここは基本的には保守主義の潮流の中にあると言われているので、いまだにこんなことが行われていてもある意味では不思議ではないのですが、しかしそれでも、ヌッポソと変わらないこの風景を見るとなんだかなぁと思わざるを得ず、ついつい写真を撮ってしまいました。まるでダメ。
9月7日(土)アホか
元号を政党名の一部にして平気でいられるやつが、大韓民国とヌッポソとの関係について、「色んな思いがあるのはわかる」と言い、同じ町内に苦手な人がいたら引っ越せばいいけど、国の位置は動かせないからうまくやっていくしかないとかほざいているそうです。「うまくやっていく」って、あれですか、侵略し植民地化した過去があって、その清算ができていないから正当に抗議してくる「苦手な人」がいるけれど、そういう人に対しては、居丈高にふるまうのではなく、まあまあそういつまでも過去にこだわらずに仲良くしようぜ、って感じで「うまくやっていく」ってことですか。そうですか。ひょっとして、前々からわかっていましたが、アホですか。アホなんですか。「色んな思い」に、植民地主義とか歴史修正主義とかを含めんなよ。ボケが。
9月8日(日)もうボケはいい
「日本でも世界でも人権と自由を守ってきた」という理由で、国連人権理事会理事国に立候補したそうですが、もうこの手の渾身のボケはいい加減にした方がいい。こういうボケは、維○を選ぶような吉本-大阪メンタリティの理解力をはるかに上回るものなのでまったく通じないし、言うまでもなく国際的にはたんに失笑を買うだけのものです。それはそうと、驚くべきは、現在理事国だってことです。そういう現実を突きつけられると、ついつい、国連も大したことないなと思わざるを得ません。その名の下に侵略をやり、延命工作の間にのちに「仕方がなかった」と言ってのけた原爆投下があり、戦争責任を「文学」と呼んだようなのが戦後も生き続け、息子も孫も、まんまと象徴であり続けるようなくさった共同体が「人権と自由を守ってきた」わけがないので、国連人権理事会は名誉にかけてこんなのは排除しなければいけません。
9月9日(月)見る前からわかる見ない映画
まあ、原作者の名前を見れば一目瞭然ではありますが、「2011年に発生した東日本大震災、福島第一原発事故を描く映画」って文言からも、クソ映画だってことは十分にうかがい知ることができます。原発事故は、地震とは異なり、けっして「発生した」わけじゃありません。クリーンエネルギーとか言って原発を推進してきたやつらがいて、そこにろくでもない原発が存在したからこそ、原発事故と呼ばれる人災が引き起こされたわけです。そして言うまでもなく、騙されて連れてこられそこで除染作業を強制された外国人技能実習生の姿が描かれることはないでしょう。いやひょっとして、それは募集に応じて応募してきただけの人たちだとか、デマをこそっと挟みこんでいたりするかもしれませんが…。見る前からわかるけっして見ることのない映画。
9月10日(火)そうですか
内閣改造人事がものすごいことになっているわけですが、しかしよく考えてみれば、あれのお友達なんですから、ものすごいことにならない方がおかしいですね。それにつけても、わが心のふるさと八王子出身であれと獣医学部を作りたくて仕方なかったのと一緒にバーベキューに勤しみその写真を嬉しそうに配信していたようなのが文科大臣ですか。「赤ちゃんはママがいいに決まってる」と、自己のミソジニーを赤ちゃんのせいにした人ですよ。そして法務大臣は力がありあまっている方だそうですね。そのありあまる力で鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて、死刑執行するんでしょうか。西日本新聞の記者の割には品のいい顔をしていると言った気品あふれるご尊顔をおもちのナチスに見習え氏は、まだ大臣なんですか。そうですか。ひょっとして、スーパー私人の夫も留任ですか。そうですか。
9月11日(水)よくわかります
日本原子力研究開発機構の大洗研究所(茨城県大洗町)にある研究用の原子炉「材料試験炉」の2次冷却塔が台風の影響で倒壊したそうですが、機構の担当者によれば、「原子力施設なので自然災害で壊れないよう設計をしている」そうです。ということは、倒壊は天災ではなく人災だということですね。なるほど。原子炉なんてものを作ってることそれ自体が人災だと、そういうことなんでしょう。よくわかります。どっかのクソ映画の宣伝文句とは異なり、原発事故は「発生」したりしませんからねー。
9月12日(木)『七つの会議』
さすがに行きも帰りも探偵ピカを見るわけにはいかず、こんなのを見てしまいました。きっとこういうのをクソアホらしいとか言うと、それはおまえが恵まれたみなし公務員だからだと言われるのだと思いますが、しかし最後に垂れられる説教によれば、不正は人間の本性だとかヌッポソ人のDNA(って何?)だそうなので、私はひょっとすると人間じゃないかもしれないし、ネーションも変更できるかもしれません。前者なら、もうネ申しか選択肢がないし、後者なら喜ばしいことこの上ありません。わはは。
9月13日(金)『未来のミライ』←見てない
そしてひょっとしたらネ申かもしれず、ネーションを変更できるかもしれない私は、続いて『未来のミライ』を見かけましたが、10分しか我慢ができませんでした。冒頭からあの歌手が歌ってるので、むしろよく10分も我慢できたよねと褒めてほしいくらいです。その後どんな話が待っているのかは知りませんが、10分で、「はいはい、お金持ちでよかったですねー」とクソアホらしくなってしまいました。一刻も早く、人民革命が起きてくれよと。ほんのちょっぴり、こういうのを10分しか見ていられない私は、やっぱり人格的に問題があるのではないかと思ったことは内緒です。
9月14日(土)理由が重要
どっかの大学のユーチューバーが、天皇制批判をしているそうで、もちろん天皇制批判をすることそれ自体は重要だし、国民全員加入型の宗教だという批判や勝手に天皇教に入信させられて勝手に布施も取られるという批判はその通りだと思います。しかし反原発を唱えているからと言って、DPRKを差別するようなのはたんなるクズであるのと同様に、天皇制批判をしているからと言って、ただちに正義に合致しているとはかぎりません。他の人間に比べてなにかすごい能力があるわけではない、という言い方で、自己の主張を根拠づけている点に、すでに馬脚が現れているのではないかと思えてきます。じゃあ、かりになにかすごい能力があれば、法の下の平等に反してもよいと言うのでしょうか。お祈り一家の長なんですから、ある意味ではなにかすごい能力をもっていますよ。「普通のおじいちゃん」とかいうのも間違ってますね。侵略戦争の最高責任者だった元神の地位をそのまま引き継いでる人なんですから、まったく普通なんかじゃないです。
9月15日(日)「事故れ」
いまって、ひょっとして何ちゃら週間とかなんでしょうか。青いのを着た国家の犬たちがうろうろしているような気がします。さっきから、柴原警備隊がやたらとサイレンを鳴らしています。まさかとは思いますが、正義を実現しているだなんて、思っちゃいないですよね。もし正義を実現するということの意味がわかっているのなら、一旦停止を無視したり信号を守らなかったりといった程度の違反を、唯一正統化された暴力装置を背景にちまちまと摘発するわが身を振り返り、恥辱のあまり崩れ落ちるところですからね。あいつらを見かけるたびに「事故れ」と念力を使い、「殺生してしまった」と思う今日この頃です。
9月16日(月)びっくり人間か
守られるべき信条の自由の例として、「女系・女性天皇容認」とかを堂々と挙げてしまえる人って、女性差別反対論者のつもりになってるだけで、結局のところ差別主義者であることに変わりはありません。自己意識としては、差別に反対しているつもりでいるだけに、直球の差別主義者よりも性質が悪いかもしれません。この手の人は、天皇制が身分制であることをご存じないのでしょうか。ご存じであるにもかかわらず、こんな例を挙げてしまえるのだとしたら、差別する自由を認めろって言ってる人と変わりません。ひょっとして、天皇制は身分制じゃないとお考えなんでしょうか。その場合は、頭蓋骨の中に入っているのがう○こという、びっくり人間かもしれません。もうどうしようもないですかね。
9月17日(火)『殺人の輪廻』
恋人が殺されるきっかけに、『漂流教室』的な要素があって、冒頭あたりからなんだか気分が沈みますが、その後の展開は、まあどうでもよくなってしまいました。大韓民国においては死刑制度は残っているものの、1ヶ月に13人も殺すどっかの野蛮な国家とは異なりすでに長い間執行されていないはずだが…、と思って調べましたが、やっぱりその通りで、この映画はその点に関してまったく事実に反したものです。また、この映画についてレヴューを書く方がいて、途中まではまあまあ読めたのですが、これがこの国の人の気質なんだろうかとか差別主義的メンタリティが次第にだだもれになり、「どうどす」とかいう言葉遣いと見事に合致して、なるほどなぁと思いました。タイトルの邦訳も含め、冒頭あたり以外はうんこです。
9月18日(水)差は歴然
Intern なんちゃらというアカウント名のツイートによれば、「授業が忙しいからを理由に立ち止まってる大学生」は、言い訳しているのであり、重要なのは「言い訳する前にどうにかできないかを考えて行動する」ことだそうです。「これができるかできないかの差は歴然」と、よくご存じですね。そう、そんなことができるかどうかで社畜になるかどうかが決まりますから、差は歴然です。ところで、大学生が「授業が忙しい」って言ったらいけないんですか。まあ、社畜になるためにはいけないかもしれませんが、しかし社畜になることがいけないことなんですから、この発言はまったくいけないことじゃないですよ。むしろ、喜ばしいことです。しかしこんな当たり前のことを、この方はきっとミジンコワムシほども理解できないでしょう。差は歴然です。
9月19日(木)クソだと気づいてます
官邸の公式ホムペにリンクが貼られている「クールジャパン戦略」とかいうものを見てしまいました。まあ、ツッコミどころ満載ではあるのですが、「世界の目線と日本人の目線」と題して、世界がクールだと思うものの集合とヌッポソ人がクールだと思うものの集合がベン図として描かれています。重なっていない部分の説明が、ヌッポソだけの部分は、「日本人は良いと思っているが、世界の人々からそう思われていない日本の魅力」と書かれ、世界だけの部分に、例として「部活」が挙げられています。ほほう、「部活」は、世界の人々は良いと思っているが、ヌッポソ人からそう思われていない、と判断されているのか、やるじゃん、と思いきや、世界だけの部分の説明は、「世界の人々が良いと思っているが、日本人は気が付いていない日本の魅力」だって。ふーん。そして共通の部分の例は、「アニメ」「神社・仏閣」「歌舞伎」「日本食」だって。やっぱ私はネ申か。
9月20日(金)裁判長は永渕健一
最高裁長官とあれが朝会って、その日に東京地裁は、東京電力福島第一原発メルトダウン(←「してない」と言い張ってた人は、いまも息しているようですね)に関して東京電力旧経営陣3人に無罪を言い渡しました。なんと、「津波についてあらゆる可能性を想定し、必要な措置を義務づければ、原発の運転はおよそ不可能になる」から、無罪だそうです。だったら、小学生だって「だから原発の運転は不可能だ」って結論を導くと思うのですが、裁判官ともなると、人間は神じゃないんだから仕方のないことだってあるさ、といった具合に話をでかくして人の罪を問わなくなるのですね。さすがです。しかし人間の知に限界があることを理由にするのなら(ほんとはこれだって、共産党の議員に国会においてしつこく問題にされていたのですから、理由になんてならないんですけどね)、サリンを作ったからって、ばらまくことを完全には予見できないし、ばらまいたとしても人が死ぬことを完全には予見できないのだから、国家によって「処分」するのはおかしい、って話になるはずなんですけどね。裁判長の名前は記憶にとどめなければなりません。
9月21日(土)書いたのは永井貴子
『週刊朝日』オンライン限定記事は、署名入りで、ヌッポソにとって「最悪のシナリオは朝鮮半島の南北統一」と書いています。永井貴子とかいう人は、あれですよね、ヌッポソにとって最悪のシナリオなんだから、朝鮮半島の南北統一は世界でもっとも望ましいことだ、ってつもりなんですよね。何てったって、元をたどればヌッポソが植民地支配していたことによって南北分断は引き起こされたんですから、そのヌッポソにとって最悪ってことは、つまり世界でもっとも望ましいって考えられる、って言いたいんですよね。つまり発言の意図はそこにあるんですよね。でもね、永井貴子とかいう人、意図なんてどーでもいいんですよ。この発言は、たんてきに、朝鮮半島の南北統一は最悪だ、という意味をもつものとして理解され、流通するんですよ。「最悪の近未来にならぬよう……。」だぁ? あんたみたいなのがジャーナリストである時点で、もはや十分最悪だよ。あほんだら。
9月22日(日)アホぬかせ
1997年の「少年A」について、またしても「商店街」的なものがない機能的な新興住宅地が生み出したのだともっともらしく言ってのけるような凡庸なやつが現れたようです。こういうたんなる保守反動を垂れ流すだけの分析は、当時、自称哲学研究者のエッセイストが朝日の夕刊にぐだぐだと書いたんですよ。知らないんですかねぇ。いわく、鬼ごっこがなくなっただの、ガキ大将がいなくなっただのと。アホぬかせ。鬼ごっこがなくなってガキ大将がいなくなると、2人を殺すのかよ。それにしちゃあ、「少年A」の数が足りなすぎやしませんかって。ほんのちょっぴりだけでも頭を使えばわかることだけど、ひょっとして使い倒したうえであれだったのでしょうか。もう笑うしかないのは、今回現れた凡庸なやつが、浪速大学に勤める劇作家の言葉を引用しちゃってることですね。はいはい、そのメンタリティ、よくわかります。そして、「単一機能の空間、ノイズのない社会がいかに人間にとって生きづらいかを、つくづく実感しました。」ですと。やっぱ「実感」重要っすねー。
9月23日(月)クソの「実感」はクソの「実感」
言うまでもありませんが、こんな凡庸なやつの「実感」したことは、屁の突っ張りにもなりません。この凡庸なやつの「実感」は、この凡庸なやつの「実感」にすぎず、それは自称哲学研究者のエッセイストの「実感」が自称哲学研究者のエッセイストの「実感」にすぎないのと同様です。この手の人たちは、しかしなぜか知りませんが、自分たちの「実感」にとんでもなく自信をもっていて、いとも簡単に一般化してくれるのですが、それは言うまでもなくたんなる錯誤です。「実感」は、「感じてしまったのだから」という強みをもっている、というのもたんなる錯誤です。そもそも自分が「実感」していることが何であるのか、イデオロギー論やフロイト以後においてはそんなに簡単に口にできるものではないはずですが、まあ、それでも自分にはわかるんだとしましょう。だったら、そんなクソのような「実感」をもってしまったこと、そのことを問うてください。「実感」だからすべてが許されると思ったら、大きな間違いです。ちゃんとクソの私の「実感」はやっぱりクソですと言ってください。
9月24日(火)これが「なにげない話」かよ
ところで、今回の凡庸なご仁が失われた「商店街」的なものとして例に挙げているのは、豆腐屋で「交わされるかもしれ」ない、「久しぶりにお使いで買いに来た高校生の女の子に、『この前、あなたの同級生が豆腐を買いにきたんだよ。みんな大きくなったわね」とか、『この前おたくの旦那が、私たちが仕事を始めた早朝にヘロッヘロに酔っ払って店の前を通り過ぎたけど、大丈夫だった?』とか」いった、「なにげない話」です。これ、「なにげない話」ですか? 私には控えめに言ってちくりっこにしか聞こえませんね。こんなウルトラプレモダンの監視共同体があれば、「少年A」はいなかったんですか。バカも休み休み言ってください。
9月25日(水)息してる???
クソ芸人のテニス選手に対する「ネタ」という名の差別発言についても、政府やら維新やらにべったしのクソ提灯持ち企業に所属するクソ芸人による「ネタ」という名の黒人差別発言についても、「笑いはすべてを超越する」系のみなさんは、ちゃんと擁護してるんですよねー。「自分にはハイチ系アメリカ人とヌッポソ人を両親とする友人がいて…」ですかね。あるいは「自分には黒人の友人がいて…」ですかね。いやいや、忘れてはいけません。こんなとき、すでに現実の社会に生きているにもかかわらず、仰々しく「現実の社会に飛び込む」とかわけのわからんレトリックを使用する倫理学者なら、クソ芸人の差別発言を「これは芸ですね」といかにもものを考えているような顔をして、自己の差別主義を糊塗して見せますね。みんな滅んでください。
9月26日(木)まずは女王がいなくなってから
なんであんな差別主義者が首相なんだって不思議なくらいですが(ああ、あれのことじゃないですよ。世界に先駆けて「囲い込み」をやり、植民地主義をやり、パレスチナに問題を引き起こした、あの国家の首相のことです)、言うまでもなく司法は政府から独立していて、政府の決定を「違法」だと判断できるわけです。大統領が司法に働きかけないから関係が悪化するんだと何重にもわけのわからないいちゃもんをつける人たちには、まったく理解できないことでしょう。ですから、この点を見ているとあそこはまだまともだとついつい考えてしまいがちですが、しかしご存知でしょうか、首相が議会閉会の裁可を求めたのは女王だって。いまだに英王子夫妻がどうのこうのだの、そのガキんちょがどうしたこうしただの、バカ言ってんじゃないですよ、まったく。
9月27日(金)God, don’t save the Queen!
上の記事に関して、親切な方から、司法の判断は首相に響くだけではなく、すべてが「首相のもくろみに際して問題のある役割を果たした」女王にも降りかかってくるというドイツメディアの報道を、教えていただきました。また、サンデー・タイムズによれば、労働党のメンバーの29パーセントだけが君主制の維持を支持しており、5人に1人だけが、「God Save the Queen」というクソのようなタイトルの国歌(まあ、言うまでもなく、すべての国歌はクソですが)を歌うと(歌うんかい!)幸せになったり誇らし気になったりするそうです。実はこう書きながら、「やっぱ全然ダメじゃん」と思いましたが、しかし天皇制に反対しているまともな人々の割合のことを思えば、「全然ダメ」ってこともないか、と思わなくもありません。まあ、比較の対象が悪すぎますね。
9月28日(土)いわゆるアート系
文化庁の補助金交付取り消しに対して、「アートをなめるな」ってプラカードもって反対している人たちがいて、やっぱその人たちにとっては「そこ」なんですね、としか思わないです。きっとあれでしょうね、アートに政治をからめるなとか、アートは中立だとか、言っちゃうでしょうね。それがアートなら、歴史修正主義だろうとなんだろうと関係ないって言っちゃうでしょうね。結局、芸術無罪論から1ミリたりとも動いていないわけです。きっと、優れた審美眼の持ち主であることを自負し、リーフェンシュタールを絶賛できてしまうタイプの人たちですね。よ〜くわかります、右翼だってことが。
9月29日(日)主奴関係
ある住宅見学会のチラシに書かれていた文言。「ご主人様がデッキに座ってゆっくりとビールを愉しむ。お子様もお庭で元気に走り回ったり、リビングカウンターでお勉強。奥様はキッチンからその様子をにこやかに眺める。」リビングは「みんなのリラックスの場」で、「家族みんなの時間を大切にしながら、お互いを想い合い過ごせるお家を目指しました。」これについて「奥様のにこやかな笑みの裏に殺意を感じます。」ってツイートをしている方がいらっしゃって、それはまあよいのですが(いや、「あ〜女は怖いねー」って話になって「わっはっはー」で終わるかもしれないので、やっぱダメだ)、しかしことによると、この文言のどこが問題なのかまったくわからない人たちが結構いらっしゃるのではないでしょうか。冒頭「ご主人様」が登場する時点で、「奥様」は奴隷ですよ。相互に主人と奴隷の時間を大切にしながら、お前は奴隷、あなたはご主人様と想い合い過ごせるお家ですよ。すわ親治の替え歌が思い出されます。
9月30日(月)ヌッポソ流ポストモダンの本流
南京大虐殺があったかどうかはわからないとかほざいたデリダの研究者もどきが、「加害側がその責務を果たさないかぎり、悪循環はとまらない。知識人はその記憶の道こそを考えねばならない。」とか、フツーなら「だれが言ってんだよ、おい」となるようなことをほざいたとしても、ヌッポソ流ポストモダンとしては平常運転ですよ。「ヌッポソ流」とつけるのは、この研究者もどきが恣意的な引用によって貶めているデリダ自身は、ホロコーストはなかったなどという言説は認めないからです。理念を語る者を冷笑しつつ、時と場所をわきまえて同じ事柄について肯定したり否定したりして、体制に寄り添い生き延びていくそのあり方は、見事にヌッポソ流ポストモダンの本流ですよ。クソですが。
10月1日(火)まさにクソ
「日本もまた韓国とのあいだに論争を抱えている。」とか言ってるんですが、「論争」と言う以上、どちらにも「論」があることになりますが、ヌッポソのどこにどんな「論」があるとお考えなんでしょうか。まさかとは思いますが、歴史修正主義や戦争無責任論を「論」だとお考えじゃないでしょうね。こんなことを言ってる時点で、「加害側がその責務を果たさないかぎり、悪循環はとまらない。知識人はその記憶の道こそを考えねばならない。」なんて言説が内容空虚であることを明確に示しています。こんなやつはせいぜい、両論併記すべしとか言ってなにかいったつもりになってるけど、その実、加害者に加担しながら鼻くそほじってるぼんくらにすぎません。ヌッポソ流ポストモダンの本流、まさにクソ。
10月2日(水)クソアエラドット
テニス選手に対する差別発言をネタとするクソ芸人をクソアエラドットで擁護して見せるクソお笑い評論家を名乗るクソがいましたが、あらら、そのクソ擁護が削除されていました。さすがクソアエラドット。臭いクソには蓋ですか。だったらはじめっから載せんなよって小学生だって思うと思いますが、観測気球なのか、それとも本気でなにも考えられない人たちなのか、まあどっちにしてもぼんくらに変わりはありません。そして件の削除されたクソ擁護ですが、クソ芸人には「差別心」があったわけではなく、たんなる無知から発せられた発言なので、それは差別ではないという代物です。なのに発言者が芸人だから叩かれた、これは芸人差別であると。きっとこのクソ擁護も、「無知」ゆえに発せられたものであり、「クソ心」があったわけではないから問題ない、ってことなんですかね。だったら、掲載し続けろって。
10月3日(木)職務という人殺しの正当化
ハンガーストライキは、非暴力による抵抗の仕方であり、抵抗された側にとって物理的には何の脅威にもなりません。したがって、ハンガーストライキが意味をもつかどうかは、ひとえに抵抗された側のメンタリティにかかっていることになります。ハンガーストライキは、権力側のメンタリティを問いながら、なおこれに信頼を寄せているわけです。しかし大村の入管は、なお信頼を寄せつつ抵抗をする人を見殺しにし、「問題はなかった」と言い切れるメンタリティの持ち主たちでした。言うまでもなく、これは大村の入管だけの問題ではなく(だからって、大村の入管の責任がミジンコほども少なくなるわけではありません)、「職務を果たしただけ」というこの共同体の伝統である「陳腐な悪」のなせるわざでしょう。それは臣民主義以外のなにものでもありません。大村の抵抗者を殺したのは臣民主義です。
10月9日(水)ちょ〜ウケる
阪ちんの監督のさい配について「0点ですよ。」と言ったやつがいるのですが、例によって、オレはすべてわかってるんだよ的な顔して言ったんだろうと思うと、ちょ〜ウケますね。「0点ですよ。」この方、続けて阪ちんの来季の4番打者について「オレなら…」と言ったようですが、いやいや聞いてねーし。「オレなら」なんて、接続法100万式くらいで書かないといけないくらいの非現実話法ですよ。調子こいて、監督就任の話があったら「受ける可能性はある」だそうで、どんだけ妄想激しいんだか。いい加減、こんなやつを取り巻いて、意味ありげなことを拝聴して、理解できた者だけが野球通みたいなゲームをするのは止めたらどうでしょうか。なんつっても、選手会から抜けておいて、選手会が苦労して手に入れたFA権をさっさと行使して、「父親の遺言」とかクソみたいなことを口実に、原発推進新聞社の球団へほいほい行ったやつですよ。「0点ですよ。」
10月10日(木)すげー技術
中国の空港だと、ゲートを通過するときにスマホの情報を全部抜かれるとデマを垂れ流す歴史修正主義者にして差別主義者の国会議員がいるそうです。えっ、歴史酒精主義者にして差別主義者が国会議員になってよかったんでしたっけ。それじゃあ、まるでヌッポソじゃないですか。それにしても、すっごい技術ですよね、ゲートを通過するときにスマホの情報を全部抜いちゃうって。ヌッポソの技術じゃ、まだまだそこまではできませんよ。中国に断然負けちゃってますよ。そんなことを認めちゃっていいんですか、歴史修正主義者にして差別主義者で国会議員の大先生。ったく、右翼の風上にもおけない。
10月11日(金)滅んでくれ
朝から非常に気分が悪かったです。柴原のバスのロータリーにバカパトが停車し、青いシャツ着てアホ面さげたやつらが3匹も反則キップを切っている現場に出くわしてしまいました。そのうちの1匹には「バーカ」と言ってやったのですが、周りをきょろきょろしていました。お前以外にいるのかよって話なんですけど、ひょっとして残りの2匹のことだと思ったんでしょうか。例によって、自分の母親ほどの人をとっつかまえて、説教垂れて、説教垂れられてる方はぺこぺこしてるわけです。恐ろしいのは、あんなクソみたいなことをして、社会正義を果たしていると本気で信じちゃってるところです。こういうやつらが、きっと、基地建設に反対している人たちにヘイトスピーチできちゃうんですよ。頼むから滅んでくれ。
10月12日(土)まあ知ってたけど
〈皇后は宮中祭祀など伝統を守り、その時代の女性の「ロールモデル」の役割も果たし、皇位継承権のある男児を出産することも求められる。「私たち」はこれからも、皇后という存在に、過酷な条件を求め続けていいのでしょうか〉(朝日新聞)だってさ。だから原武史なんてのは、まったく信用できないんですよ。要するに、霊的につながる臣民内田やら高橋やら池澤やらとミジンコワムシほどの差もありません。あれですよね、あそこの住民には人権がなくてかわいそうって言うんですよね。はいはい。差別意識丸出しのどっかの市長なんかよりも、こういうインテリ風のやつの方がはるかに悪質です。頼むから滅んでくれ。
10月13日(日)臣民はエラソーなことを言うな
「どうしてこの内閣は災害に対してこんなに動きが鈍いんでしょう。「深く憂慮している」ふりさえしないのか。たぶん後で「迅速かつ適切に対応したので何の問題もない」と官房長官が棒読みすれば、「ああ、そうなんだ」と国民が黙り込むということを知っているからなんでしょうね。」と第一臣民の内田がツイートしてますが、内閣が何もしなくたって、あんたが霊的につながってるあれらが何とかしてくれるんじゃないんですか。きっと霊的につながっていない者だけが被害に遭うんでしょ。「ふりさえしない」って、さすが「ふり」こそすべての臣民は言うことが違いますね。滅べ。
10月14日(月)『操作された都市』
いったいどういう話なのかさっぱりわからず、例によって囚人たちと看守たちのおぞましいいじめを見せつけられて、途中で断念しかけたのですが、なんとかそこを乗り越えてよかったです。何と言っても、「ヒゲ面兄貴」がいいです。人権派弁護士なんて裏で何やってるかわかったもんじゃない的な描き方には反対ですが、「ヒゲ面兄貴」がコールセンターのワルを罵るところとか、すばらしい。マ先生も、心の底から憎たらしくなりますしね。全体がゲーム仕立てで作られている(と思われる、なんつってもゲームをやらないのでわからない)ところも、見事だと思いました。
10月15日(火)ネーション主義者たち
テレビ局のみなさんは、きわめて国際性にあふれているそうで、なによりです。なんつっても、国内の「まずまずに収まった」台風被害なんかよりも、大韓民国の法務大臣が辞任したことをいの一番に報道するそうですからね。台風が接近していた土曜日に、官邸から出ずにきっと「公務」に励んでいた自称立法府の長である行政府の長をなんら批判することなく、そんな国内問題なんてどうでもいいからグローバルに隣国の政治問題を大々的に報道してみせる。いやもう、立派すぎて、まるでヌッポソみたいと言いたくなります。しかしこういうのは国際性とは言わないのですよ。まあ、ご存知ですよね。十分ご存知なうえで、ネーションに迎合した振舞をするんですよね。
10月16日(水)正解プリーズ
出ました。テンプレ。「被災地の皆さまに誤解を与えたとすれば、表現が不適切だった」。ちゃんと「まずまずに収まった」の「正しい理解」を示しなさい。そうじゃないと、「誤解」する側が悪いのであってわしはなんも悪くないというメッセージにしかなりません。で、「正しい理解」はなんでしょうか。人がどれほど亡くなろうと、「まずまずに収まった」ってどういう意味ですか。さすがモデルガンを記者たちに向けて見せた「まずまずに収まった」びとは、違いますね。しかしあれですよね、自由民主党の幹事長によるこんなクソ発言を許さないマスコミのみなさんが、大韓民国の法務大臣のことはさておいて、大々的に批判したために、もう辞任したんですよね。もう今後、人様の前に出てきたりはしないんですよね。よかった。よかった。
10月17日(木)ああ、差別主義者の倫理学者だ
台東区が台風の迫る中、避難所へ避難に来たホームレスをホームレスだからという理由で排除した件について、ホームレスは結核菌の保菌率が定住者と比較して高く、また大半が治療を受けていないため、定住者と同じ避難所に入れると感染を広げてしまう可能性があるとかなんとか、もっともらしく言ってみせて差別を正当化してほっとしている姿に既視感がありました。障がい者のまねをして笑いをとる芸人のパフォーマンスを、「これは芸です」ともっともらしく言ってみせて差別を正当化した倫理学者がいましたっけ。それもう何回も読んだよ、ですか。ええ、何回も書きましたから。そしてこれらかも書き続けますよ。少なくともあの倫理学者が誤りを認めるまでは、しつこくねちねち忘れた頃に繰り返し。もちろん、誤りを認めたからってやめるとはかぎりません。あのすっとぼけ方はそれほど許しがたいということです。
10月18日(金)なにが「あげて」だ、ボケ
恩赦なんて、法治国家を否定する暴挙以外のなにものでもないのですが、人治国家だったことを思い出せば不思議でもなんでもないことだとわかります。これは要するに、昨年、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて磨き倒して20日間に13名処刑したことと、同じ種類の事柄です。そして、第一臣民内田は「恩赦するなら入管に収容されている方たちを全員出してあげて」などと、相変わらずのクソっぷりですが、「あげて」ってなんなんでしょうか。あんたは第一臣民だからひょっとして自分のことを偉いと思ってるのかもしれないけど、なぜ臣民の分際でそうやって上からものを言えるのか、少しは考えてみたらどうなんだと思いましたが、考える能力がケンミジンコほどもあれば、臣民なんてやってられるわけがないので、それはないものねだりでした。ごめんねー。
10月19日(土)なにが「よろしいかと」だ、ボケ
さらにこのクソボケは、「奨学金を全部チャラにする「徳政令」がよろしいかと」思ってるそうだ。そうすると、恩赦を受けた「人たちはきっとこれから生涯「天皇即位の日」を暖かい気持ちで思い出すはず」だと。アホですか。みんながみんな、おまえのような奴隷じゃないんだよ。入管に無理矢理入れられていた人が恩赦なんぞで解放されても、奨学金という名の不当な借金を背負わされていた人が恩赦なんぞで全部チャラにされても、クソのような恩着せがましさに屈辱しか感じないんだよ、ボケ。こいつ自分で「僕のような天皇制支持者」って書いてるんですが、ということは、みずから身分制を支持していることをゲロってるわけで、ということは、みずから差別主義者であることをゲロってるわけですよ。こんなやつに、もう公の場で発言の機会を与えてはいけないのです。与える者も、同罪ですよ。
10月20日(日)なんちゃらクズゲンダイ
臣民高橋とかつて暮らしたことのある(もう、それだけでビックリ人間大集合に出る資格がある)作家も所詮は臣民なのですが、そいつが竹田なんちゃらの「天皇は親戚」発言を許していいのかとか書いてるクソ媒体は、阪ちんをこきおろしてやまないあのなんちゃらゲンダイです(そういえば最近も、「父親の遺言」とかクソのような言い訳をしてジャイアンツへのこのこ行った「0点ですよ」が監督をやればいいと、最大限の侮辱を行っていた)。だからなんちゃらゲンダイも結局のところ臣民メンタリティを保持しているのであって、そんなところに阪ちんがこきおろされても、それはむしろ勲章かもしれません。もっとも、勲章なんてものは、差別の代理表象以外の何ものでもない代物なのでまったく不要ですけどね。そんなわけでなんちゃらゲンダイ、なんちゃらフジとなんら変わるところのないクズです。
10月21日(月)クズ公安(←冗長句)
革労協の活動家とされる人だと、知り合いに4回にわたって合わせて12,000円貸すと、無許可で貸金業を営んだ疑いで逮捕されてしまいます。ほほう。額は問題じゃない、人に金を貸すのなら、貸金業を営む許可が必要だ、その許可のない者が人に金を貸したのだから、法を犯しているのだと、そういうことですか。こんなに法に厳しいにもかかわらず、ある種の人たちとなると、「賄賂」を受け取っても、返せばチャラにするんですよね。あれあれ、おかしくないですか。そうか、革労協の活動家とされる人は、弾圧されてもよく、「賄賂」をもらう人たちは優遇されなきゃいけない、そういう法があるだろと、そういうことですか。ったく、転びさえしない公安、もはややりたい放題だな。こんなクソみたいな不正義を、「客観的に」報道するメディアも同罪だが。
10月22日(火)どうして差別を祝うんだ
言うまでもなく、今日は出勤しました。以前、自称左翼の人が、××誕生日だろうと何だろうと、休みがあるのはよいことだと言ったのを聞いたことがありますが、それを思うと、「自称左翼」のハードルって、右翼だって飛び越えられ程度の高さしかないってことがよくわかります。きっと今日もすばらしい「休日」をお過ごしでしょう。しかし今日は、「祝日」なのですよ。祝う日なんです。身分制を祝う日であり、したがって差別制度を祝う日です。いやいや、多くの人は別にどーでもいいと思っているとおっしゃいますか。それは大きな誤りです。「どーでもいい」ってことは、身分制があってもいいって考えているわけで、差別があってもいいって考えているんですよ。こういうふうに言うと、今度は「こわい、こわい」と怯えてみせるのですが、三権の長を下においてほにゃらら言ってる状況を「どーでもいい」と思える人たちの方が、よほどこわいことは自明でしょう。
10月23日(水)素直に差別が祝えるのかよ
「素直に祝えない心の寂しい人」とかって、言う人が絶対に出てくるだろうとは思っていましたが、まあ、現実に存在するんですよね、こう言う人が。そしてきっと、そういう人は「素直」なんでしょう。「心の寂しい」私なんかとはまったく異なり「心も豊か」なんでしょう。これって、まったく嫌味でもなんでもなく、私が100%そういう人じゃないのと同様に、100%そういう人なんでしょう。しかし問題は、その素直さや心の豊かさにあるんですよ。そうした人たちは、身分差別を「素直に」肯定できる人たちであり、身分差別も受け入れられる「豊かな」心の持ち主なんですよ。どうしたら、何のためらいもなく、「素直に」身分差別を肯定でき、身分差別を受け入れられるほど心が「豊かに」なれるんでしょうか。そこが問題なんですよ。わかってますかね、素直で心が豊かな人は。
10月24日(木)催し物そのものを批判してください
阪ちんをおとしめてやまないクソなんちゃらゲンダイは、立法府の長を自称して議事録から削除させた行政府の長の妻であるスーパー私人の服装について「ドレスコードがどうのこうの」とネットで声が上がっていると記事にしているのですが、さすが相変わらず臣民メディアですね。第一臣民内田とか高橋とか池澤とか原とかと同じく、あっちを叩くのにこっちをもちあげるというドストレートの臣民しぐさです。いいですか、ドレスコードなんてどうでもいいんですよ。公共性をもつメディアなら、あんな催し物が行われたこと、そのことを批判してみせろよ。まあできないよね。せいぜい阪ちんを叩くくらいしかできない人たちだからね。
10月25日(金)公道は犬のものではない
大阪で行われた反天皇制デモの動画で、沖縄で新基地建設に反対する人たちにヘイトスピーチを行い勝手に知事を辞めた当時の知事に労をねぎらってもらったやつらとか、集団で強姦したのに起訴されないやつらとかのお仲間が、熱心にお仕事に精を出される姿を見てしまい、念力を送らずにはいられませんでした。ご尊顔を撮影すると、前を向いて歩けと指示するわけですが、ほっとけよ、そんなもん。「あぶないですよ〜」って、右翼のヘイトスピーチは守ってやるのに反天皇制を訴えると実力を行使するようなやつらこそがあぶないんだって。まあ自覚はあるよね。そういうことしたいから、たとえバカにされようとなんだろうと、それになったんだもんね。
10月26日(土)さすがバカじゃない人
飛び出した子どもに平手打ちし、さらに自動車という動く凶器を運転するやつに一礼していることをもって「これこそが親」とかなんとかほめたたえ、「こういうのも体罰とかいうバカは居るのかのう(・ω・)」と言ってみせるバカじゃない人がいるそうです。あれですよね、「体罰」なんて、あたかも罪を犯した者がいるから罰を与えているんだというような正義を果たしているんだ的なやつのことを「バカ」と言ってるんですよね。こんなのただの「暴力」だと、ちゃんと言え、ということですよね。よくわかります。「痛みで子どもは覚える」って、そうですねー。痛みで暴力を覚え、暴力装置に感謝するようになり、国家による殺人も肯定するようになる。さすがバカじゃない人はよくわかってます。
10月27日(日)言説分析
今日は友人がシンポジウムのパネリストを務める学会に参加するため、積極的に足を踏み入れることなど断じてない地へ行きました。友人の発表は、92年から現在に至る日本軍「慰安婦」問題バッシングの言説を分析するものでしたが、分析対象がきわめて細部まで及ぶものであることはもちろん、ただ言説を「ニュートラルに」分析して終わりというとても学問とは思えないものとは異なり、背後にあるイデオロギーの考察が説得力のある仕方で論じられることも含め、あの地に足を踏み入れてまで聴講に行ってよかったと思いました。ただ、友人の発表を聴いていつも思うように、こんなに右派の言説に、おそらく右派自身よりも詳しくなってしまって大丈夫だろうか、ということと、こんなに右派の言説に詳しいのだから、右派に寝返ったら、とんでもなくお金持ちになれるのに…、ということを、思ってしまいました。
10月28日(月)政治屋みたいな人たち
昨日の学会でも、すぐに戦術の話をする人たちがいて、ああこの人たちは結局ヘゲモニーを握りたいのだよな、と思わずにはいられませんでした。運動しようと思えば、そうしたことが重要になる局面があるのかもしれませんが、しかしアカデミズムに携わる人がうまいこと立ち回ろうとすればろくでもないことになるのは目に見えていると思うのですが、自分ならできるとお考えなんでしょうか。いや、ひょっとすると、その手の人はうまくやれるのかもしれません。しかしそれは、ある種の組合の委員長と経営のトップが向こうとこっちに座ってるだけの差異しかないのと同じことでしょう。なんか、反吐が出そうです。
10月29日(火)逝去
24日に亡くなっていたことが昨日報道され、今朝その報道を知り、朝から元気を失う。何と言っても『けったいな人々』だと思う。でたらめな長男役の藤田まこともよかった。次女役の武原英子は美しい人だったけど、若くして亡くなってしまった。ちょっと調べたら、1年ものだったことがわかり、『続』を加えても2年間のみ。なんだかずっと長いこと放送されていたような気がしていた。大人になって、こがねを持つようになって、NHKが出したVHSを購入して、いつでも観ることができると思っていたら、1度も観ることなく、いつの間にかヴィデオの時代でもなくなってしまい、もはや観ることができない。八王子の小学生としては、ドラマに出てくる「豊中の美容院」というのが、とんでもなく洒落た存在に思えた。まさか後年、「豊中の病院」の前に住むようになるとは思わなかった。あ〜あ、せっかくノスタルジックで感傷的なことを書いてたのに、最後につまんないだじゃれを言わずにはいられないこのパーソナリティをどうにかしたい。
10月30日(水)どうにかなった
と思い、確認してみたら、『けったいな人々』のVHSなんてもってなかった。もしかすると、というか、まず確実に、『けったいな人々』のVHSなんて発売されていないのではないか。もってるのは『阿修羅のごとく』のVHSだろうと思いながら探してみたら、なんと、『阿修羅のごとく』のVHSなんてものももってなかった。『阿修羅のごとく』はDVDでもっていた。夫(緒形拳)が、「出張」と嘘をついて家を出てすぐに旅行相手の愛人に電話をするのだが、間違えて自宅にかけてしまった、という秀逸なシーンをまた観ることができる。三女のいしだあゆみが、気難しい潔癖な人で、なんだか嫌な気持ちがした。ところで、なにをVHSでもっていたのだろう。『高校教師』かと思ったが、これもDVDだった。今日はつまんないだじゃれはないぞ。
10月31日(木)どうして辞めるんだろ
隣国の法務大臣と妻についてわきゃきゃ言ってた芸人たちは、きっとヌッポソの法務大臣と妻についてもわきゃきゃわきゃきゃ言ってるのでしょう。立派なことです。ところでその法務大臣、「私も妻も全くあずかり知らない」にもかかわらず、辞任されるそうです。その理由は、「法務、検察への国民の信頼を守るため」だそうですが、いやいや、「全くあずかり知らない」のに責任を負うようなまねは、まったくもって法務、検察への信頼を失うことにつながりますよ。これってえん罪だってことですからね。それともえん罪を肯定しないとヌッポソの法務、検察は信頼を失うんでしょうか。ひょっとしてあれですか、「任命責任は私にある」を言い続けるけど責任をとったためしがないことと、表裏一体ですか。なるほど。
11月1日(金)何の冗談だよ
「東京五輪は歴史的失敗に終わると思います。『失敗したら私が責任を取る』という人間がどこにもいないからです。そういうプロジェクトは必ず失敗します。」こんなエラソーなツイートをしている人が、無責任の代名詞と霊的につながってるって、いったいどんな冗談でしょうか。あっ、そうか、天皇主義者を自認・公言するあの第一臣民に言わせれば、霊的につながってる対象は「人間」じゃないのか。だから「失敗したら私が責任を取る」なんて言うわけがないと、そういうことですか。はいはい。ところで、「失敗に終わる」ってことは、行われることは前提なんですね。霊的につながっていない私のような者は、開催そのものに反対なんですけどね。
11月2日(土)まるでヌッポソ
官邸が文科大臣を守るためと言ったと報道されている大学入学共通テストにかかわる英語の民間検定試験導入の延期ですが、なんとこの延期のことを「受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断だと思って」いると言う、総裁が立法府の長を自称する行政府の長である政党に所属する議員がいるそうです。参院の幹事長だそうですが、こんなことをおっしゃるということは、これまで導入しようとしていた前の文科大臣のことは思いやりのないひどいやつだとお考えだということですよね。おお、さすが幹事長だけのことはありますね。ちゃんと身内も批判できる。しかし「思いやり」とやらで民間検定試験が導入されたりされなかったりなんて、とても法治国家とは思えません。まるでヌッポソみたいだ。
11月3日(日)専門が思想史なのに…
他者の決断を「思いやりあふれる」と認識できる方も、必ずしもそうだとはかぎらないとはしても、しかしこの件に関して言えば、きっと同じ意味で「思いやりあふれる」のだと思いますが、そのきっと「思いやりあふれる」のだろうと予想される方が、ある大学教員を名誉棄損で訴えています。その大学教員は、その「思いやりあふれる」と思われる方が、かつて石橋にも支部があった団体に所属していたと言い、ネットでたくさんの人がそう言っているということを根拠(のひとつ)にしています。あらら。「思いやりあふれる」と推測される方の思想も、「所属」の根拠にされているようですが、それってもう、「おまえは共産党だろ」とか「おまえはヌッポソ人じゃない」とかと同じじゃないですか。左翼がどんだけ証拠を揃えて主張してると思ってんでしょうか。ちょっとなめすぎですよ。
11月4日(月)『コインロッカーの女』
ジェンダーを入れ替えた『甘い人生』だと思いますが、『甘い人生』を心に残る辛い映画だと思っていた私は、所詮そのジェンダー規範を内面化した甘っちょろい人だということを突きつけられた思いがしました。原作は村上龍とかいうのをどっかで見たような気がしましたが、あれって、こんな話じゃなかったですよね。たんなる右翼の話で。ネットには、「想像していたより普通」とかおっしゃっている人がいましたが、いったいどんな日常を生きていらっしゃるんでしょうか。容赦なく喉をかっきっちゃうわけですよ。それが「普通」って。
11月5日(火)まるでダメじゃないですか
日常的にツイートをこっそり読み、同意することの多い方が、ある人が市民講座か何かで、絶対的な天皇主義者は5%。絶対的な反天皇主義者も5%。残りの90%は一晩でどっちにでもひっくり返ると信じていて、その希望があるから頑張っているといったようなことを言ったというのを知り、「強く勇気づけられた」とお書きになっていて、えぇー???と思いました。天皇制が身分制であって差別制度であることは自明なのに、2つ目の5%ではなく90%に属している人たちって、何があったら一晩にして「改心」するのか知りませんが、もう一晩したらきっと反天皇主義者たちに平気で石を投げますよ。一晩なんかでひっくり返る人たちの恐ろしさをけっして侮ってはいけないと思います。
11月6日(水)動けだけでいいわけじゃない
言うまでもなく、私は「デモ」には意味があると思っていますが、かつてデモ帰りの人たちと論争したことがあります。論争相手は、デモに参加する人が全員、理論武装している必要なんてない、まず動くことが重要だと言い、理論武装しないとデモをしても意味がないという発想はエリート主義だと批判されました。私はむしろ、一部の者だけが理論武装していればよくて、他の人たちはとりあえず動くことが重要だという発想こそ、エリート主義以外の何ものでもないと返答しました。90%は一晩でひっくり返るという考え方は、一部の者だけが理論武装していればよいという考え方につながるものがないでしょうか。
11月7日(木)大学公認の差別
あるミッション系の大学では、大学祭においていまだに「ミスコン」を堂々とやり続けています。主催は〇〇祭実行委員会とやらですが、その委員会は大学の公式SNSで課外活動団体のひとつとして紹介されているので、結局のところ「ミスコン」は大学によって公認されているということでしょう。悪質なのは、というか、笑止千万なのは、「ミスターコン」も行っている点です。品評会は女性だけでなく男性も対象としているのだから、女性差別ではないって???女性だけではなく男性も等しく性の商品化の対象としているのだから、女性差別ではないって???いったいどういう「智」を身につけたらこんなことを続けられるのかと思いましたが、ひょっとしてあれでしょうか、神を前にすれば、人間なんてどうせ卑小なんだから卑小な者の間で差別があろうとどうでもいいってことですか。ご立派すぎて卑小な私には理解できません。
11月8日(金)歴史を学んだらどうだ
地下鉄なんば駅に「目の前でマウンドに韓国の国旗を立てられた時は屈辱で震えそうになった。」とかいう文字列が、堂々と掲げられているそうです。てっきり、人よりもほんの何割かボールに棒きれをぶつけて人のいないところに飛ばすのが得意だっただけなのにいつの間にやら文化人みたいになっちゃってる「男はそれを我慢できない」の人の発言かと思ったら、人よりほんのちょっぴり速いボールを投げることができた人の言葉でした。そろいもそろって、あれでしょうか、外国で暮らして強固なナショナリストになったパターンなんでしょうか。いや、きっとそんなことは関係なく、いつだって強固なナショナリストだったし、これからもそうあり続けることでしょう。もう滅んでくれていい。
11月9日(土)備忘録
第一臣民たちの名前を忘れないようにしよっと。イルカ。片岡鶴太郎。桂由美。つのだ☆ひろ。鶴田真由。藤岡弘、。林真理子。水樹奈々。イルカとかには、侵略戦争の責任がだれにあるのか、訊いてみたい。あっ、侵略戦争した過去を知ってるかどうか、訊いてみたい。いや、「侵略戦争」って知ってるかどうか、訊いてみたい。あの人たちって、別に運動がつぶされて挫折したわけじゃなくって、はじめっからど真ん中の臣民だったんでしょうね。
11月10日(日)酔っ払いのバカ
「誰かが作った」のだから、「あなた」が作った可能性もあるし、「私」が作った可能性もあるってね。しかしこれを言うのに、「このなかにおいて」を3連発したのはどういうことなんでしょうか。いや、そもそも「誰かが作った」なんて発言を認めちゃいけないですよね、この方は。なんつっても、「森羅万象を担当している」とゲロった経験をお持ちなんですから。すべての責任をちゃんと負ってほしいものです、森羅万象担当大臣として。そして2日後。むかしから飲み屋では、「共産党」とか「アカ」とか、酔っ払いのバカに罵られたものですが、それを国会において行政府の長がヤジとして発言する時代が来るとは、いくら反日の私でも、まったく予想していませんでした、と言ったら真っ赤なウソになります。アカだけに。へへへ。
11月11日(月)四谷とか田町とか
四谷では、神以外の卑小な存在者たちが相互に差別し合っても知ったこっちゃないようですが、田町でも、唯一の「先生」以外の卑小な存在者たちが相互に差別し合っても知ったこっちゃないようです。田町の方は、ただちょっと狡猾で、大学が公認していない学生団体が勝手に差別を行っている、という体をとっています。ところが、品評会に関連してハラスメントがあり「憂慮している」と。いや、あの、品評会そのものがハラスメントなんですから、品評会に関連してなされたハラスメントを憂慮するなら、品評会の開催そのものを憂慮しなきゃ、首尾一貫性というものが保てなくなりますよ。ハラスメントの現場で行われたハラスメントはもちろん問題ですが、元のハラスメントだって言うまでもなく問題です。かかわっている広告屋とか名誉男性とかは、とっとと消えてなくなってほしいところです。
11月12日(火)今出川とか
関西のミッション系の大学で学生が政治的主張を書いたプラカードを掲げている画像に、「大学内で政治活動をするなクソども」と、なんとも上品極まりない言葉を使ってこき下ろしている上品な方のツイートを見てしまいました。「まず、もう少し勉強してから発言しような。恥ずかしいぞ」ですって。あれ、もう少し勉強したら、大学内で政治活動してもよいって考えていらっしゃるんでしょうか。だったらひとつめの上品なご批評は撤回しなきゃいけませんね。ぶら下がってる「政治活動するな」派のみなさんも、黙らさないと。しまった、この手の人たちは、こういう物言いに対する理解力が著しく乏しく、あなたの主張に乗っかればこうなるよ、というのを、おまえはそんなふうに考えてるんだよな、って受け取るんでした。だからはっきり言わないと。大学内で政治活動する人たちはけっしてクソどもじゃないですよ。
11月13日(水)さあ、どれよ?
森羅万象担当大臣、この公職選挙法違反をどういけしゃあしゃあするか。@税金を使ってるんだから、かりに自分の後援会関係者を招こうと、それは公的な営為であって、公職選挙法違反という批判はあたらない、と官房長官に言わせる。A自分の後援会関係者は、「各界で功績や功労のあった方々」であることを閣議決定する。B「私は森羅万象を担当しているのだから、そのなかにおいてですね、公職選挙法違反ではないと承知している」と言う。C追及する日共の議員に「共産党!」とヤジを飛ばす。Dまぶだちのウラジミールに助けを求める。(←そして豪快に薄ら笑いを浮かべられる。)
11月14日(木)それじゃあまるで私物だよ
あれあれ「各界で功績や功労のあった方々」の日ごろのご苦労を慰労するとともに親しく懇談しなくていいんですか。税金を投入してきた行事なのに、いつも予算を超過するほどの盛大な営みなのに、「私の判断で」やめたりしちゃっていいんですか。それじゃあまるで、お友達の日ごろのご苦労を慰労するとともに親しく懇談する私的な集まりみたいに見えちゃいますよ。まさか「共産党!」の議員に追及されたから、やめちゃうんじゃないですよね。まあ、「教育勅語を義務教育へ」もしくは「タイーホ」の市民なんちゃらの講演会が抗議によって中止になったのを、「妨害予告で中止」って書いちゃう臣民朝日なら、きっと、妨害予告で中止って書いてくれますけどね。
11月15日(金)おわり。
昨日は諸般あって教授会がとんでもなく長く続き、さらにその後、「ハラスメント防止研修会」がありました。通常は、教授会が長くなろうと、この手の研修会には出席してきました。ということは、つまりとんづらしたということです。別に怠けたわけじゃありません。イデオロギー闘争であり、政治的行為です。おわり。
11月16日(土)唐揚げパーティ
ニューオータニの5,000円唐揚げパーティを盛大にとりあげ(「唐揚げ」だけに)、公職選挙法違反をガンガン報道しているのは(してるんですよね?)、20億かけてあやしげなものを作り、5億かけてとりこわすという大川隆法祭から人々の目をそらせるためじゃないかと陰謀論を唱える人がいたりしますが、陰謀論は権威主義的パーソナリティの特徴のひとつだそうですから(まあ、あの研究そのものもイデオロギー的にかなりあやしいと思っていますが)、止めた方がいいかもしれません。わざわざそんなことをしなくても、92%は反対しちゃいません。それと、25億の話ばかりにフォーカスするのもちょっと違うのであって、あんなのはすべて差別制度の一環でしかないからダメなんだと、声を大にして言いたいです。(むしろ「合成麻薬で逮捕」こそ、唐揚げパーティ隠しじゃねーか?)
11月17日(日)ところが
ニューオータニのルームサーヴィス、唐揚げ1皿2,500円だってね。つーことは、わざわざあんな遠くからやってきて唐揚げ2皿ですか???
12月1日(日)何言ってんだか
政党名にあれを使うようなやつなんだから、自分が知らない専門的知識を補うためとかなんとか言ってレイシストに講演させたって別になんの不思議もないし、それを批判されて、ヘイト団体だって消費税廃止を求めてるんだから「そんなものと組むのか」とかいう物言いはずれた指摘だと言ってのけても、クズさにかけては首尾一貫していると言う他ないですよ。驚愕するのは、ふだんは一定程度まともなことをツイートしていると思ってた人が、「天皇に手紙渡したり名前に元号掲げたりしてる」ことと「歴史修正主義やレイシズムは次元の違う話だって自覚してないとかなりヤバイよ」って書いてることです。それらを次元の違う話だって自覚していることの方が、私にはよっぽどヤバく思えますね。臣民はいいけど、臣民が歴史を修正したりレイシストであることは許せないって、そういうことですか。何言ってんだかさっぱりわかりません。
12月2日(月)清廉潔白なんてどーでもいい
何言ってんだかさっぱりわからない人、「清廉潔白求めるなら、天皇に手紙渡したり名前に元号掲げたりしてる時点でアウト」とかって言ってます。天皇制に反対し、臣民であることを拒否するのは、「清廉潔白」なことなんですか。天皇制は身分制であり差別の制度ですが、差別に反対することは「清廉潔白」なんですか。正義の話と心情倫理の話をごっちゃにするのは、この共同体においては、まさしく臣民主義以外の何ものでもないのですよ。「清廉潔白」かどうかなんて、どうでもいいことです。差別は正義の問題であって、差別する心の問題ではありません。
12月3日(火)「これは芸です」←アホか
浪速大学のある学部の名前を冠にした中之島祭とやらには、黒人差別やHIV陽性者に対する差別発言で笑いをとる芸人が呼ばれるそうです。これもあれでしょうか、「笑いはすべてを超越する」から何の問題もないって理屈なんでしょうか。あるいは、黒人差別やHIV陽性者に対する差別発言も、「これは芸です」と真面目そうな顔して差別を正当化してくれる倫理学者がいるから、安心していられるってことなんでしょうか。この催し物によって、「学生個々の社会性を養う」つもりなら、「閉鎖的と思われがちな」その学部を「身近に感じて」もらおうとするのなら、差別で笑いをとるような芸人を呼ぶのではなく、また、ぼんくら倫理学者に差別を正当化してもらうのではなく、差別は正義に反しているというメッセージを発信するのでなければなりません。
12月4日(水)差別する自由などない
「だれがもっとも正義に反しているでしょう」大会でも繰り広げられているかのように、いろいろ(ではないですが)繰り出されてきます。もういろんなところで使い古されている「差別する自由を認めろ」に対しては、そんな自由はありませんの一択。これまたテンプレの「差別者を差別するな」に対しては、批判と差別の違いくらい理解しなきゃダメですよの一択。ポストモダン風味の「人によって見方は異なる」に対しては、その「見方」が問われているのですよの一択。「これは芸です」には、おまえはぼんくら倫理学者かの一択。言うまでもありませんが、だれがもっとも正義に反しているかなど、競うことはできません。みんな等しく不正です。もっとも、ぼんくら倫理学者が、倫理学者としてエラソーにしていることが予想されるゆえ、もっとも悪質かもしれないとは思いますが。
12月5日(木)責任とらずに死んだ
不沈空母風見鶏がもはや息ができなくなったことをめでたいと思うのはわからないではありませんが、しかしやはりめでたさよりも、死ぬ前に責任取らさなきゃいけなかったのにそれが果たせなかったということの方が大きいし、そもそもめでたいとか悔しいとかはどうでもよく、ただただ不正が温存されたままでいることがまったくよくないと思います。もちろん、どっかの哲学史家の研究者じゃないので、死者に責任を問うことだってできると考える者の目からすれば、けっして死に逃げができたふうには映らないわけですが、どういうわけか、敵ながらあっぱれ的なことを垂れ流すあんたにとっちゃほんとは敵じゃなかったんだろ的なのがうようよしていて、実に嘆かわしいことです。「こたつは…」とか寝ぼけたことを言ってる市民運動家とかです。
12月6日(金)「慰安所」設置して自伝で自慢したやつ
この不沈空母風見鶏の功績として、国鉄の解体を挙げているようなメディアがあって、もう頭がくらくらしますよ。そもそも駅員の愛想なんてまったくよくなる必要はなく、ちゃんと仕事をしてくれればそれだけでよいのですよ。どっかのスマイル0円みたいな感情労働なんて、クソくらえです。不沈空母風見鶏ロンとヤスのヤスの方のせいで、労働運動がまるで悪いことであるかのようにみなされるようになってしまいました。電車にストライキされると「迷惑だ」と思うのなら、その「迷惑」がだれのせいなのか、考えるべきでしょう。犯人は、ほかならぬ新自由主義の道筋をつけた、「慰安所」を設置して自伝で自慢したロンとヤスのヤスの方ですよ。こんなやつに、褒めたたえるべきところなど、ミジンコワムシほどもないです。
12月7日(土)ど真ん中の差別主義者
東大最年少准教授という自己紹介をしていたAIの人、ご自分が優秀である根拠として偏差値をもち出してきちゃった点で、優秀じゃないことを暴露しちゃってましたが、なんと平素からウイグルやチベット、香港の人々に共感していて、その義憤が、「雇いません」発言に繋がってしまった点は否定できないとおっしゃっているのですね。しかしそれを否定できないのだとしたら、やっぱりど真ん中の差別主義者だってことがわからない時点で、十分に差別主義者ですよ。それにしても、ロンとヤスのヤスが不沈空母発言をしたころは、まだかろうじて産学共同なんて、悪口以外の何物でもなかったと思いますが、いまや産学共同(もっと洒落た呼び方をしていますが、差し障りがあるので使いません)をできないやつらこそ、税金を無駄遣いする者として、蔑まれるのです。でも、少なくとも大先生たちのような差別はしませんよ。
12月8日(日)名前は柴山智
京都朝鮮第一初級学校に対する在特会元幹部による差別発言には「公益目的もあった」と認定した京都地裁の柴山智という裁判官の名前は、いつまでも覚えておかなければなりません。なんといっても、ヘイトスピーチに「公益目的」を認めたのですから。なるほど、所詮「公益」なんてものは、共同体に相対的なものであり、この共同体は朝鮮の人々を差別することに価値を見出す価値共同体なのだから、この判断は共同体主義的には当たり前だということですか。そうですか。そうであれば、いまさら言うまでもなく自明ですが、やはり共同体主義はクソですね。そして司法とは、正義の担い手かと思っていましたが、せいぜい倫理の担い手にすぎないということですか。そうですか。
12月9日(月)あなたが判断できてない
SNSにまつわる事件で、連絡とってた方が悪いとかのこのこついて行った方が悪いとか言い、詐欺にあうのは騙される方が悪いと言う歴史修正主義に連なる人たちがいることは知っていますが、被害にあったのが高校生で、それについて「高校生にもなって、善悪の判断もつかないほうが悪いと思いますけど。」と言う小児科医らしき人って、じゃあご自身はひょっとして高校生にもなっていないのでしょうね。いやそれはすごいかもしれない。どんだけ飛び級なんでしょうか。しかしかりに高校生にもなっていないのに小児科医になれているとしても、善悪の判断がつけられないようは人はダメです。詐欺は、騙す者が悪いのだと、ちゃんと学んでから開業してください。
12月10日(火)けーさつ国家へ
国家による殺人をしたくってしたくってたまらないサラ金業者の顧問弁護士だったあの人は、歴史修正主義者であってサンフランシスコ市との姉妹関係をやめた市の行政府の長だったわけですが、黒字だったのに(言うまでもなく、公共の交通機関が必ずしも黒字である必要はありませんが)民間に売り払ったその市の地下鉄では、顔認証改札の実験を始めたそうです。他方サンフランシスコ市では、まあ当たりまえっちゃ当たりまえですが、顔認証技術を公共機関で使用することを禁止する条例が可決されています。このあまりにも恥ずかしすぎる状況を目の当たりにして、恥辱のあまり崩れ落ちてくれても別に構いませんが、こんなところで崩れ落ちるわけがないですよね。知ってましたけど。
12月11日(水)首尾一貫してぼんくら
「桜を見る会」問題よりも重要なことがたくさんあるとおっしゃるエクストリーム擁護団の面々は、ある意味ではきっと首尾一貫しているのだろうと思います。「桜を見る会」問題では、森羅万象担当大臣に対して公職選挙法違反の疑いがかけられているわけで、もしこの疑惑が払拭されないとすると、公職選挙法に違反した、本来議員であってはならない人物が森羅万象を担当していることになります。結局のところ擁護団の面々は、公職選挙法に違反した者が森羅万象を担当したって、そんなことは大した問題ではないとおっしゃっていることになりますが、きっとこの方たちは、臣民のみなさんでもあるでしょうから、正当に選挙された人物が国政を担うなんて、とんでもないことですって考えるでしょう。そんなわけで、この人たちはある意味では首尾一貫しているのです。首尾一貫してぼんくらだというだけですが。
12月12日(木)「左右」の意味すら知らない臣民
党名に国名を掲げている時点で共産主義とは何の関係もないことが明白なその政党は、機関紙に元号を併記するようになっていても何の不思議もないのですが、森羅万象大臣「桜を見る会」公職選挙法違反疑惑事件の可視化など、その党の個々の活動については他の党にはできないことがあることもたしかです。しかしやっぱり、臣民内田にインタヴューして、「山本太郎を真ん中にして、左右にウィングを拡げて挙国一致で救国戦線を結成してください」などと天皇制ファシズム丸出しの「お願い」をされてしまっては、もう死ぬしかないです。そもそもこいつ、「左右」の言葉の意味を知ってるんだろうか。
12月13日(金)「説明」の意味はもちろん知らない市長
沖縄の新基地建設に反対している人々に対してわざわざヘイトスピーチやらかしに行った大阪府警のバ〇の労をねぎらった歴史修正主義者にしておタバコをお吸いになられるために公用車をお使いになり日共の書記長から共産党ウォッチャーとほめてもらったけど気づいたら一生懸命墓穴を掘っていたあれが、まだまだ懲りずに大阪府が大阪都になるわけでもない「都構想」に関する市民向け説明会について、「反対の意見は、時間が限られているからご遠慮願いたい」とほざいたそうで、もうさすがとしか言いようがありませんが、このままではたんなる冷笑主義なので、おまえは正義に反しているんだよ、と言っておきます。
12月14日(土)ただの極右
「日本人諸氏に告ぐ。天皇と靖国の為、そして私達の先祖の為に、我が国を無断で蹂躙するアジア諸国に反旗を翻し、失われた自由を奪還しよう。本日夕刻5時、号砲は鳴らされた。反撃の狼煙を上げろ」とか、ツイートしているのは、だれあろう件の最年少准教授さまです。これって、完全にネタに入ってるとしか言いようがありませんが、ひょっとして再就職先をお探しなんでしょうか。だったら、「反旗を翻す」の意味とか、号砲が鳴らされたのに狼煙を上げるのはおかしいだろうとか、ほんのちょっぴりでも考えたらいいのにねー。これじゃあ壺太郎水準にすら届くかどうか、非常にあやしいですよ。最年少准教授くらいじゃあ、「定義ができない」系の閣議決定もしてもらえませんし。
12月15日(日)Linksについて
なんと画期的な名前の建物ができたものですよと喜んで撮ってしまいました。「Links」ですよ、「左」ですよ、「左派」ですよ、「左翼」ですよ。と思っていたら、なんとウニ黒が…。「Links」なのに、「左」なのに、「左派」なのに、「左翼」なのに。そう言えば、あそこって、もともと国労の拠点だったはずですが、不沈空母風見鶏「慰安所」設置を自伝で自慢しておきながらすっとぼけたまんま死んだやつのせいで、売り払われてしまったわけですよね。よし、こうなったら、これからはその名前の通り、「Links」として、「左」として、「左派」として、「左翼」として生きていただきましょう。手始めに、商業施設には出て行ってもらい、人民のための集会所として開放しましょう。
12月21日(土)一生忘れない
ある新聞社の記者だった方が、自殺した後輩の実家に線香をあげにいった社の幹部に対して泣き叫びながら責める後輩の両親のモノマネをして飲み会で笑いを取ろうとした上司の笑顔を一生忘れない、とツイートされていました。このクズ上司はきっと、「笑いはすべてを超越する」系のクズなんでしょう。ひょっとすると、その場でその上司のふるまいを見て、「これは芸です」と言ってくれるクズ倫理学者もいたかもしれませんね。私は、なんちゃらという集まりで、障がい者のマネをして笑いを取る芸人のパフォーマンスをDVDで見せて、「笑いはすべてを超越する」と言ったやつのことは一生忘れないし、そのパフォーマンスのことを「これは芸です」と言ったクソ倫理学者のことも一生忘れません。
12月22日(日)何度でも繰り返してやる
そのときそのなんちゃらという集まりは、障がい者のマネをして笑いを取るその芸人のパフォーマンスを見て笑ってもよいかどうかをテーマとして掲げており、テーマとして掲げている以上、笑ってもよいかどうかの判断が下されようとしたのですが、なんちゃらという集まりの性格からして判断を下してはいけないと言いやがったこれまたクズ倫理学者のことも、忘れません。こいつは、障がい者のマネをする芸人のパフォーマンスを見て笑ってはいけない、とは言えない、と宣言したわけですよ。考えようによっては、先のふたりのクズよりも、クズっぷりではいっそう抜きん出ているかもしれません。と、すでにこの話は何度も繰り返しており、聞き飽きたと思う向きもおありかと思いますが、ここでまた繰り返すことには、もちろんそれなりの深い意味があるのです。
12月23日(月)息してる???
海外のメディアでは、森羅万象担当大臣の伝記を書いたやつがレイプしたと報じられているのに、本邦ではなんだかつつましやかな論調が多いそうで、それどころか、意識不明になるほど酒飲んじゃダメとか、どんな下着をつけていたかが問題だとか、だれが一番のセカンドレイパーかを競い合っている状況とすら言えるかもしれません。なぜそいつが逮捕寸前で逮捕されなかったか、その経緯もちゃんと提灯持ち吉本芸人たちによって説明されているのでしょうか。まあ、されているわけがないですね。そういえば、学生に対してセクシュアル・ハラスメントを繰り返し、「飲んでたから覚えてない」とばっくれた倫理学者は息してるんでしょうか。
12月24日(火)高2っすか
いつの間に、この月の24日はろくでもないプレゼントを競う日になったのか、寡聞にして存じ上げていませんでしたが、「これまでにもらったろくでもないクリスマスプレゼントを教えてください」ってツイートに、すんごいのがたくさんぶら下がっていました。そこで発見された知見は、「自前の歌を贈る人は案外多い」と、「かける手間暇と要らねぇ度は比例する」だそうです。ここまでボロクソ言ってもらえると、自前の歌を贈った人がドМなら浮かばれるような気もしますが、しかし自前の歌を贈ってしまう人はきっとドSでしょうから、同じことをひたすら繰り返しそうです。高2のときに、親に嘘ついて彼氏とはじめてお泊りしたのに、もらったプレゼントが「黒ひげ危機一髪」だったのでドン引きしたって人がいましたが、高2のときに親に嘘ついてラブホで一泊の方がよっぽどドン引きじゃねーのかよ、って思ったことは秘密です。
12月25日(水)さっぱりわからん
5年前の内閣府の統計によれば、死刑制度反対派は9.7%であり、天皇制の反対派より少し多い比率です。まあ、内閣府の統計だから、都合が悪くなったらシュレッダーにかけ、「キョーサントー」に公文書館で見つけられてしまう程度のものかもしれませんが、このズレはいったい何なんだろうと思います。国家による殺人には反対するけれども、生まれながらの差別は肯定するわけですよね、これらの人々は。あれなんでしょうか、臣民といえども、国家によって殺されるのはいけないとお考えなんでしょうか。しかし臣民は、「おことば」があれば尻尾をふる代わりに(尻尾、ないからね)日の丸をふるメンタリティなんだから、国家によって殺されたりすることは本望だったりするはずなんですよ。要するに、そこまでちゃんと臣民になりきっていない不敬な人たちってことですかね。
12月26日(木)国家による殺人以外の意味はない
本日午前中に、国家による殺人が行われました。昨年は、鏡を磨いて磨いて磨き倒しつつ、執行命令を下し、森羅万象担当大臣らと宴会やってた法相が、1ヵ月で13人とか殺しましたが、今回国家による殺人命令を出した法相は、どんな人なんでしょうか。へー、人権弁護士育成のための制度を使ってアメリカ留学してるんですか。いったい人権の何を学べば、国家による殺人を肯定できるようになるんでしょうか。TPPには賛成って、森羅万象大臣は「反対の賛成なのだ」ですよ? 挙句の果てに、何が秘密か秘密だ法の担当大臣を兼務ですか。そりゃ、国家による殺人を肯定するわな。
12月27日(金)「国難」などどーでもいい
出生数が初めて90万人を下回る見通しとなったことを受けて、森羅万象担当大臣が「国難とも言える状況」とかなんとかおっしゃったそうですが、まあ、右翼が「国難」とか言うのなら、別にいいじゃん、って思えてきますよ。問題は、「国難」かどうかなんてことにあるんじゃないですからね。金持ちがますます金持ちになるだけの新自由主義を推し進め、基本的人権を蹂躙し続けること、このことこそが問題なんですよ。少子化対策を進めるように指示って、あれですかね、行き過ぎた個人主義で外で働いたりせず最低でも2人は産んで家を守れ、とか号令かけるんですかね。号令の前に、この人、公職選挙法に違反していたとしたら、まず議員を辞めないといけないはずですが…。
12月28日(土)『パラサイト 半地下の家族』
始まる前に監督が「ネタバレさせないでください」とおっしゃっているので、ステキなセリフもいくつかありましたが、披露はやめておきます。「それじゃダメだろ」とだけ言っておきたいと思います。
12月29日(日)アナがどうしたこうした
そんなわけで昨日は久しぶりに映画館で映画を観ましたが、いつの間にやらチケットはすべてマシーンで購入になってました。宇宙で戦争やりたくって仕方ない的映画が上映されていましたが、たんに偶然だったのかもしれませんが、それが上映されている部屋へ入っていく人たちの多くは、手にバーレルのポップコーンを抱えていて、なるほど、ポップコーン食べながら殺し合いを見たいんですね、と思いました(すみません、「殺し合い」があるかどうか、まったく知りません)。アナがどうしたこうしたという、身分制を肯定する反共主義者の映画もやってました。もうやめりゃーいいのに。予告編では、『打ち上げ花火…』の監督の、相変わらずいやなところを突いてくるやつが流れていました。あーやだやだ。
12月30日(月)たんなる「物欲」
『関白宣言』なんて、当時ですら差別だと糾弾されたのに、作り手は、文化を差別とか言うな、アホか、と言ったのでしたよ。そしてまだ生きてたこの方が、今度は、「お前」なんて言ったらコンプライアンス的にダメだと冗談めかして言って、エンターテインメントに対する「言葉狩り」を皮肉ったつもりになってるそうです。当時もそうでしたが、そこには「妻に対する愛」があるからいいんだ的な擁護があふれているのですが、「嫁にもらう」なんてほざいているのですから、そこにあるのはたんなる「物欲」じゃないですか。「お前」という呼び方の問題なんかに矮小化してはいけませんよ。当時からずっと変わらず差別主義者なんです。まあ、天皇崇拝者なんだから差別主義者であることには何の不思議もないのですけどね。
12月31日(火)まったく信用できない
普段は立派なことをおっしゃっている人たちが、アンチ・マヨネーズネタで盛り上がり、なんでもかんでもマヨネーズをかけるやつらは「シベリア送り」とか言う者が現れても、咎めることもなく、「ロシア人はマヨネーズ大好きらしい」とか、「おお、同士よ」(←漢字が違うんじゃないのかな)とか、話を続けるのを目にすると、まさしく政治は細部に宿るんだなぁと思わざるを得ません。きっとこの人たちは、「シベリア送り」の代わりに「アウシュヴィッツ送り」と言う者がいれば、袋叩きにするでしょう。要するにそういうことです。別に「シベリア送り」なんて言わなくたって、「ヌッポソ送り」とか「<桜を見る会>にご招待」とか言えばいい話です。やっぱこの手の人たちは信用できない。
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