2018年
1月1日(日)密約の順守が賢明なのかよ、ボケ

 さて、「身体性のある表現」を用い「筆者の体温が感じられる」「論説」をお書きになる「論説」委員のいらっしゃる新聞社は、公開できない密約なんてものを含む「合意」を批判したりはしません。批判しないばかりか、ヌッポソ政府に同調しつつ、「合意」の「順守こそ賢明な外交だ」という見出しをつけて、密約を明らかにした大韓民国側に「賢明な外交」がいったいいかなるものであるのかを教え諭しています。そもそもこの「合意」は、公開されていた部分でさえ、被害者なき解決にすぎないとして、国連の拷問禁止委員会から見直しを勧告されていた代物なのです。そのうえ密約があったことが明らかにされたというのに、閣僚になるまでは反原発ツイートをしていたくせに閣僚になった途端、そのツイートを削除し、約80憶円の専用機が欲しいと言うやつと大差のない「論説」を掲載してしまうのですよ。顔を100万回くらい洗って出直した方がよい。

1月2日(月)『弁護人』

 主演はソン・ガンホです。いつの間にやら、立派な俳優になっています。『反則王』に出ていた人だというのに…。いや、『反則王』だって素晴らしいのではありますが…。それにしても、公安なんてものは存在自体腐っているので、あんなことをしてもなんとも思わないやつらだということは当たり前だとして、判事があれでどーすんですかね。『歴史とは何か』を読むような者は「アカ」だとする検察の言い分に対して、その本を学生たちに対する推薦図書としているソウル大学は「アカ」の大学であり、検事も判事もその「アカ」の大学出身だとソン・ガンホが反論するところは痛快です。まあ、マッカーシズムを扱った映画についても同様ですが、争点とされるのは「アカ」であるかどうかであり、「アカ」だとなぜいけないのかということじゃないのが、歴史的制約なのか、大人の事情なのか、隔靴掻痒というところです。もう、靴底から掻いてやる。



1月3日(水)それ、あんたの席じゃないの?

 恣意的な引用を繰り返すことによって自己の主張を根拠づけようとして、逐一その引用のでたらめさを指摘されると、「真意」の理解を求めるような方を支援するその人がろくでもないことは知れ渡っているわけですが、なのにさらにろくでもない(ろくでもなさにもグレードがあったのか!)アート系の人と対談したものだから、どっちもうんこだと言えばすむところを、妙に持ち上げられていて、おかしな状況です。その持ち上げられている発言にしたって、「保守論壇の指定席空いてるけどどう?」とかっていう、いかにも私は論壇通なんですよ的な権威主義丸出しのゴミ発言なんですよ。ところでその席って、あんたが座ってんじゃないの?



1月4日(木)相変わらずの無反省
 
 「衆議院解散後から、選挙に至るドタバタ劇。」と題して、文字通り「呆談」が行われています。何が「呆談」かって、自分の県知事時代のご業績を自慢するわりには、大阪維新の会の公認候補として参院選に立候補したことについては一言もふれず、あの差別主義者の府知事で市長だった者について、自分が道をつけてやったみたいなことを何の臆面もなくくっちゃべってるんですよ。ところで、その府知事で市長だった者は、最初サラ金被害者団体の弁護団にいたけれども、いつの間にかサラ金会社の顧問になっていたという、才覚をおもちの方で、現市長は「スラップ訴訟」でサラ金会社の代理人をお務めになったり、サンフランシスコとの姉妹都市解消にご尽力になられたご業績をおもちの方ですよ。田中康夫、ちゃんと責任とれよ。



1月5日(金)何が「管理不能」だよ

 閣僚になる前は反原発ツイートしておいて、閣僚になるやさっさとそのツイートを削除したやつは、中東で飯食ってけと言われても帰りの便の時刻があって食ってけないから約80憶円の専用機が欲しいと言ったやつですが、そいつは、国連からは見直しを求められていた「合意」にはさらに「密約」まであったことが暴露され、この被害者抜きの「合意」では問題を解決できないとまっとうなことを言われ、合意を見直すようでは日韓関係は「管理不能」と言いやがったのでした。二国間の関係を、どうしてあんたが管理するんだよ?ただの一方の、スーパー私人を妻とする自称「立法府の長」が行政府の長を務めるような国家の外務大臣にすぎないようなのが、どうして二国間の関係の管理人なんだ?ひょっとして、それも「密約」か?こんなところにも、すでに明確に、差別意識が丸出しなんですよ。そいつんちは金持ちなのかもしれないけど、朝鮮半島はそいつの持ち物じゃないんですよ。



1月6日(土)差別も暴力も「笑い」に回収する悪質さ

 もともとむき出しの暴力と権力関係を前提とした上での隠微な暴力とがウリのコンビだったわけですが、相変わらずブラック・フェイスによる差別とレイプまがいの暴力沙汰をやらかしたそうですね。まあ、あれと仲良しだから、何をしたって拘置所で何ヶ月も過ごさないといけないなんて正義に反した目に遭うことはないでしょう。ところで、やつらのもっとも悪質な点は、差別もレイプまがいの暴力も「笑い」として回収するところです。批判すれば、「笑い」なのに、何をマジになってるんですか、というわけです。「笑いはすべてを超越する」の学者さんたち、息してますか?あんたたちは、このコンビを批判できないイデオローグなんですよ。



1月7日(日)差別も暴力も「芸」に回収する悪質さ

 件の学者さんたちは反論できないので、ここで登場するのが、「文学部は要らない」の学者さんで、あれは「笑い」ではなくてあの人たちの「芸」でしょう、とほざくわけです。ほほう。そして差別と暴力を笑っていた差別主義者・暴力主義者たちは安心するわけです。ああ、「芸」なんだから笑ったっていいよね、むしろこの「芸」がわからないなんて、だから講壇学者はダメなんだ、と。いいすか、かりにその腐った行いが「芸」だとしても、だからといって、差別や暴力が許されるわけじゃねーぞ。こうやってごまかしたうんこ学者はどーせ反省するわけないので、もうすぐ死ぬのを待つしかありませんが、そのうんこの言葉によって安心しちゃったみなさんはまだまだ生き延びてしまうでしょうから、せいぜいちゃんと反省してくれ。



1月8日(月)たんなる暴力だろ

 「闘将」だかなんだかと持ち上げるのは、死んだらすべてをちゃらにしてしまう(まあ、死ぬ前からちゃらにされていましたが)この共同体の平常運転ですが、これを機にきっと、やっぱ正しい体罰はあるとかいうクソ言説が蔓延しそうです。言うまでもなく、暴力は暴力です。正しい暴力なんてものはたんなる形容矛盾であって、侵略戦争が侵略戦争以上でも以下でもなく、たんなる侵略戦争であるのと同じことです。ところで、だれかこの「闘将」だかが、クリーン・エネルギーとかいって原発のCMに出ていたことには言及しているでしょうか。生前は、原発を推進していた立派な人でしたとか、3.11後は自分が原発の宣伝マンだったことをきっぱりなかったことにできた優れた能力の持ち主だったとか。やらかしたことの責任は一切問わない、この共同体の美風の正統な継承者であったこととか。桃太郎、死ぬ前にちゃんと謝罪しろよ。



1月9日(火)アリストテレスですか、わかります

 「慰安婦問題を再び感情的対立に発展させれば、日本の安保政策に大きなマイナスをもたらす。文政権の対応と同じ土俵に乗らない賢慮が求められる。」と、社説を締め括る新聞社の論説委員は、どっかの新聞社の論説委員と同様、「身体性のある表現」とか「筆者の体温が感じられる」文章とかをお書きになる方なんでしょうか。身体性とか体温とか、どーでもいいので、つーかそんな表現とか文章なんて存在しないので、そんなうんこより、ちゃんとした論説文を書いてください。あんたたちにとって重要なのは、元「慰安婦」の方たちの人権や社会正義ではなく、ヌッポソの安保政策なのかよ。それでどうやって政権批判をできるわけ?ああ、はなからそんなつもりはないですか。そうですか。それにしても、あそこの新聞社は「賢明さ」を説き、ここは「賢慮」を求める。好きなんですね、アリストテレスが。よくわかります。



1月10日(水)政権応援団コンテスト

 これに対して、「身体性のある表現」とか「筆者の体温が感じられる」文章による「論説」文を書ける(書けねーよ)「論説」委員を擁するあそこの新聞社は、もうまるで自分たちこそナンバーワン政権応援団だよコンテストでもやらかしているかのように、「慰安婦問題 合意の意義を見失うな」と、命令形のタイトルをつけた社説をデジタル配信し、冒頭で「韓国政府として今後どうするのか明確な考え方が見えない。理解に苦しむ表明である。」と書いています。そりゃ、エスパー「論説」文を書くような人々には、人権とか正義とかについて、「理解に苦しむ」どころか、理解できないでしょう。そして出ました。大韓民国の外務大臣がヌッポソ側に「再交渉を求めない」と「明言したのは賢明である」と。好きですねー、賢明さごっこ。われこそは、賢明さのなんたるかを知る者であるという、どあほ勘違い。「支援事業のていねいな継続」とかいう言い回しも使われていますが、へたくそな科研費の申請書じゃないんだから、論説文に「ていねいな」とか使うなよ。基本だろ。



1月11日(木)スーパー私人の夫はやっぱスーパー私人か?

 言うまでもなく、行政府の長が公務として伊勢神宮を参拝し、その場で年頭の記者会見に臨み、政権運営について述べるなんていうのは、憲法違反以外の何物でもないわけですが、ひょっとして、公費を使い公務員を従えて出張するスーパー私人の夫は、やっぱスーパー私人なんでしょうか。ひょっとすると、その行為を正当化するためになんでしょうか、「新年の伊勢神宮参拝は歴代首相の恒例行事」とか報道している新聞社がありますが、これってたんに歴代首相が毎年新年早々憲法違反をやらかしてきたということでしかないですよね。連立を組む線香屋たちは、黙ってていいんですか。ああ、権力をもてるなら、なんでもやります、ってとこですか。うんこですね、相変わらず。



1月12日(金)自分で考えろってことですよ

 報道されている政府高官の言葉によれば、「(日韓合意破棄の)発表に加え、慰安婦像が韓国のあちこち設置されている中、五輪のために訪韓すれば首相が持たない」そうです。これってあれですよね、さすがにあれでも、良心の呵責に耐えかねて身が「持たない」ってことですよね。だれが何と言おうと、得意の「道義的責任」は果たさなきゃって「最終的かつ不可逆的」に思ってしまい、身が「持たない」と。でも、良心の呵責とかどーでもいいっすよ。そんなものは、日記にでもせっせと書き綴ってください。それより、「交渉するつもりはない」という大統領の言葉は、自分で考えなさいよ、ってことですから、自分で考えて密約は破棄し、法的責任を認めましょう。



1月13日(土)もちろん忘れてはいけません

 「総意の象徴w」が、「沖縄戦の記憶風化」を危惧して沖縄を訪問するそうですね。ほほう。自分の父親の名の下に侵略戦争をやらかした帰結としての沖縄戦という記憶を風化させてはならないと。当然ですね。自分の父親を最高責任者とする皇軍が住民をスパイ呼ばわりして虐殺した沖縄戦や、自分の父親を最高責任者とする皇軍が住民を集団自決させた沖縄戦という記憶を風化させてはならないと。当然ですね。自分の父親を頂点とする天皇制を引き継ぎのうのうと暮らし続ける前に、自分の父親を頂点とする天皇制の下で繰り広げられた集団殺戮としての沖縄戦という記憶を風化させてはならないと。当然ですね。



1月14日(日)差別も豊か

 現在ニューヨーク在住の「世界の○○○○」が、「最期は京都で」とか言っちゃってるそうです。はいはい。もうなんだかあまりにもわかりやすすぎて、ひょっとしてなにか含みがあるんじゃないかと一瞬だけ疑わしくなるほどですが、なんの含みもないんですよね、これが。さすがはポストモダンの旗手のお友達だと言うしかないです。「京都は水も森も豊か」だそうです。へー、そうなんだ。納税しないどころか、かつては古都税なんてものも収奪していた偉い人々のおわします京都は、もちろん差別だって「豊か」ですよ。なんちゃら祭とかって言って、差別を売り物にさえしてますからねー。どあほが。



1月15日(月)差別主義者たち

 見出しを見るだけでも嫌悪感がある。いや、それは不正を目にすることに対する嫌悪感なので、言うまでもなく、重要なのは私の感じることなどではなく、それが正義に反して不正だということです。「第50回ミスヌッポソ」だと。差別主義者たちによる差別主義者たちのための差別主義者たちのクソグランプリ。とっとと消え失せろ。



1月16日(火)たんなる××かと思ってた

 大日本帝国の命令に背いて、ということは、唯一の主権者だった現人神の命令に背いて、ユダヤ人たちに対してビザを発給した人物のことを「同じ日本人として誇りに思う」とか言っちゃってる人がいるんですが、いいんすか? それは、大日本帝国に弓を引くことになるわけですよ? 人体実験をやらかしていた731部隊の部隊長の上司にあたる自分の母の父を裏切ることになるんですよ? 皇軍に楯突くんですか? いやぁ、ひょっとしたら誤解してたかもしれません。「同じ日本人として」が何を意味しているか、まったくわからないのではありますが、スーパー私人と一緒に公金使って北欧の旅に出ているこのスーパー私人の夫は、隣国の飛しょう体が北欧の脅威だとか驚異的なほらを吹く、たんなる××かと思ってましたよ。



1月17日(水)なにが「おしゃれなセクハラ」だよ、アホが

 森繁久彌とかいう人は、名優だかなんだかは存じ上げませんが、ありえないことができた人のようです。仄聞するに、「おしゃれなセクハラ」ができちゃったそうじゃないですか。「セクハラ」という不正にいくら「おしゃれな」という美学的な形容詞をくっつけたところで、不正は不正なんですが、しかしどうやら「おしゃれなセクハラ」は許されるそうなんですよ。こんなことができちゃう人なら、「おしゃれなレイプ」とか「おしゃれなジェノサイド」とかだって、できそうですね。いや場合によっては、「セクハラ」はすでに「レイプ」ですから、森繁久彌は「おしゃれなレイプ」ができた人ってことになります。こんな政治の美学化を堂々と口にしているアホがいるそうですが、そいつもその発言とともに「おしゃれな共同正犯」をやらかしているのです。どあほ。



1月18日(木)セクハラはセクハラだ、ボケ

 「正しい不正」なんて言ったら、さすがにアホだと思われるから、「おしゃれな不正」と言い換えるのです。これが悪質極まりない政治の美学化でなくて、いったいなんだと言うのでしょうか。「おしゃれな」をつければすべてが許されると考えているのですよ。これはあれです、たんなる暴力の行使なのに、批判されると「しゃれがわかんねーのか」とか「芸じゃん」とか、言い逃れするアホと同根です。そしてもちろん、障がい者の真似をして笑いをとることはたんなる差別なのに、「笑いはすべてを超越する」とか「芸じゃないですか」とか、すっとぼけたことを言うアホとも同じです。いい加減にしてください。



1月19日(金)ひょっとして喜んでるのか?

 ある外相級会合で、漂流船が増えているのは経済制裁が効き始めた結果だという趣旨の発言をヌッポソのやつが行ったと、アメリカの国務長官がばらしています。そいつは会合で「(昨年)100隻以上の漁船が日本に漂着し、乗組員の3分の2が死亡した」と報告したそうです。つまり、乗組員の3分の2が死亡したことを制裁の効果とみなしているわけです。「外相級会合」って、出席者は外相なんでしょうか。だったら、閣僚になるまでは反原発のツイートをしておいて、閣僚になるや、そのツイートを全消ししたあれが言ったんでしょうか。そいつって、諸外国に朝鮮民主主義人民共和国と国交を断絶するよう説いて回るという愚行をやらかしているあれでしょうか。中東で飯食ってけって言われても、帰りの便があるから、って断らなきゃならないから、だから専用機が欲しいとほざいた、どこまでもうんこなあれなんでしょうか。ふざけんな。



1月31日(水)まずあなたがお消えになってはいかがでしょう

 公用車で靖国へ出かけ私人として「内閣総理大臣」と記名した元祖スーパー私人「感動した」男のたんなる息子であるというだけの理由で地盤を引き継ぎ国会議員をやってる輩が、「ひと言でいうと日本という国は、既存のシステムを作り上げた人に甘い。そして、挑戦者、チャレンジャーに厳しい。」とか言ったそうです。なるほど、自戒を込めていらっしゃるわけですね。だったら、まずはあんたが議員を辞めるべきでしょう。もちろんあんたごときが辞めたところで何かがドラスティックに変わるとは思いませんけど、少なくともそのご尊顔を見なくてすむようにはなります。得意の後出しじゃんけんパフォーマンスも見なくてすむようになります。朝日新聞デジタル版も、へんてこな肩入れをしなくてすむようになります。この程度のチャレンジもできませんかね。できないでしょうね。「自民党をぶっ壊す」とか言って、実際に壊したのは郵便局だけだったというやつのご子息ですからね。



2月1日(木)「信じろぅ」

 そして、既存のシステムにどっぷりつかっているがゆえに発言の機会が与えられているに過ぎないのにそのことに気がついていないか(この場合、頭の中は桜満開)、わかってるけど知らないふりをしているか(この場合、たんなる悪党)、そういう「信じろぅ」とかいうやつのブレーンとやらが、これまたあれで、もう笑うしかありません。元広告屋というだけでダメ出しするのはあまりにも偏見がすぎるのじゃないかって言われても、これまで反証例にお目にかかったことがないもんで…。そういえば、交遊範囲に広告屋なんているわけがありませんでした。道理で反症例にお目にかかれないわけです。「レールからの解放」とか言ってるそうですが、まずは広告屋を一掃してみろ。そしたら数分くらいは信用してやってもいい。数分だけどねー。



2月2日(金)もちろん推定無罪の問題もある

 娘が大麻取締法違反の疑いで逮捕されたシティーボーイズのひとりが、「親の監督不行き届き」と言って謝ったそうです。娘は、8歳かと思いきや、28歳だそうで、もう開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。28歳の娘の監督なんぞしてたら、その方がよっぽど人権侵害ですよ。死んだ関西の反動的なことしか言ってない委員会のゲーニンとは合わなかったし、この人の芸風から言って、ひょっとしたら身を削ったアイロニーかもしれないとは思ったのですが、しかし東京の反動的なことしか言わない漫才師とはうまいことやっていける人なので、やっぱ全身全霊謝っちゃってるのかもしれません。アホですね。



2月3日(土)なるほど、だからあれは…

 後を絶たない芸能人2世の大麻取締法違反逮捕とか報道しているやつらがいますが、言うまでもなく、後を絶たない親の謝罪会見こそを問題とすべきでしょう。柄谷が、いわゆるオウム事件のときに、親が出てきて謝罪するのを見て、爆弾闘争のころとまったく変わっていないというようなことを批判的に言ったのですが、それから20年以上経っても、相変わらず、親が謝罪しないといけない状況です。なるほど、だからあれは、国会答弁で何度沖縄へ行ったか尋ねられて答えることができなくても平気で、エンゲル係数の上昇は景気回復の証拠だとすっとぼけたことを言っても平然としているわけですか。なんせタカ派だった父親は死んでて、謝るやつがいませんからね。



2月4日(日)たぶん腐っている

 大阪あいりん地区について偏見に満ちあふれた記事を書いたやつが大○大学特任講師だそうで、こんな差別主義者を平気で雇ってみせるその大学は、たぶん腐っているのでしょう。なにが超域イノベーションか知りませんが、あれですかね、エラい人は「差別してはいけない」という規範なんてやすやすと超えて見せるぞイノベーション、って話なんですかね。この差別主義者の偏見を叩いたところで結核患者が減るわけじゃないとか言ってるぶら下がりがいましたが、だからって、差別を垂れ流したままにしてもよい、って話にならないことは自明でしょ。どーせ役に立たない学問領域に従事する私は、なんらのイノベーションも発案できませんが、しかし「差別してはいけない」という規範を超えてはいけないと思っています。どうだ。



2月5日(月)なんとかって絵本作家

 なんとかって絵本作家がいるそうです。まったく後から後からどうしてこう反動的なやつらが出てくるのかと思います。しかもどういうわけか、こういう反動的なやつらは、とんでもないほどとんでもな自説をとんでもなく信じて疑わず、自信満々なんですよ。あるインタヴューで「子どもは愛を注入してあげないといけない生き物なんです。」と言います。ほー、そうですか。「0?6歳の間にお母さんの愛が入ってないと思春期でグレてしまう。」へー、なんで「お母さん」なんですかね。ガキんちょが0〜6歳の間、「お母さん」は働いちゃいけないんすかね。ずっと愛の注入儀式でもやり続けないといけないんすかね。なんと、このご主張の根拠が、こちらです。「僕がそうだったからよく分かる(笑)。」あなたのクソ人生がかりにそうだったとしても、どうしてそのクソのような一例を一般化することができるのでしょうか。もちろん、こんなとんでも話ができるのは、あなたに「お母さん」の愛情が入ってないからではなく、あなたがアホだからです。



2月6日(火)争点なのにふれなかった???

 米軍を沖縄県内で移設しなければならない理由を問われ、あれが、「本土の理解が得られないから」と「本音」を言ったそうです。じゃあ、移設先では理解が得られているんですか、という話になるわけですが、きっと、「選挙で信が得られた」とか言うのでしょう。しかしその選挙たるや、選挙期間中、辺野古に触れてはいけないとする、自民党の内部資料が暴露され、実際に沖縄入りした自称「信じろぅ」とかいう客寄せパンダ(あんなのをめでる客も客だが)は、一言も辺野古には触れず、したがって、まったく争点とはしなかったという選挙だったのですよ。なのに、「移設受け入れの是非が最大の争点となった」とか伝えるメディアは、ひいき目に見ても「客観性」ということを取り違えており、正確なところを言えば、体制側のアリバイ作りに協力的なだけです。前回の選挙と正反対の投票行動を示したとされる線香屋たちについては、またしてもおまえらか、と思うばかりですが、しかしもちろん、命のある限りこいつらのことは許しません。



2月7日(水)公約は守ろう

 しかし聞けば当選なさったやつは、「海兵隊の県外・国外への移転を求める」が公約だったそうじゃないですか。座り込む移設反対住人たちを日々暴力的に排除して造り始めている基地は海兵隊の基地ですよね。だとすると、言うまでもなく、当選なさったやつは基地の移設に反対なんですよね。む?ひょっとして、基地は作ります、でも、海兵隊には出て行っていただきます、って立場なんでしょうか。それは論理的にはありうる立場でしょうけど、こんなことを言って悦に入るのはどっかの法哲学者とか、その類のやつらだけです。公約には、「海兵隊の県外・国外への移転を求める」って明記しているんですから、さあ、ちゃんと移設にも反対しましょう。そうじゃなきゃ、たんなる嘘つきになってしまいます。


2月8日(木)東京23区へ

 言うまでもなく、むかしはもうちょっとまともだったはずだけど、突如として「現実」が見えるようになってしまった「リアリスト」のデリダ研究者なんかに賛同するわけはありません。しかし、辺野古に移設するんじゃなくて、ちゃんと東京23区に作ってほしいと思います。大丈夫ですよ、選挙に勝ち朝日に勝った行政府の長がすることに反対するようなやつは、「反日」って呼んで片づけりゃいいんですから。なんせ墜落することがないんですから、23区をびゅんびゅん飛び回っても何の問題もないじゃないですか。ちなみに飛べましたよね?たまに窓枠落としたりすることもあるかもしれませんが、何人死んだか確認すりゃ、それで終わりですからね。あっ、もうこれからは、東京23区って書いて、べいぐんきちってルビふってもいいんじゃないかなぁ。



2月9日(金)それでも裁判所か

 大阪入管のやつらが、裁判所の令状もなく本人の同意もなく、入国管理局に「収容中」の外国人男性のアパートを違法に捜索したと訴えられていたのですが、大阪地裁は、住居侵入などの疑いについて「嫌疑不十分のため不起訴」と決定したそうです。「犯罪の成立を証明するに足る証拠がなかった」と。へー。じゃあ、大阪入管のやつらは、証拠もないのに、法を犯したと訴えられていた、ってことになるんですか。大阪入管のやつらはいつからそんなに「寛大に」なったんでしょうかねー。証拠もないのに犯罪者扱いされたって、訴えないんですかねー。大阪入管のコメントも報道されていましたが、しかしそのコメント、実は入管への取材にもとづかないものだそうで、フィクションと報道の区別がつかない3Kときたら…。大阪地裁の決定は「事実」なんでしょうか。



2月10日(土)クズはクズ

 「シンガー・ソングライター、俳優」らしいけど、もう「ちょうちん持ち」って名乗ったらどうでしょうかね。「相手が攻撃してきてから応戦するとか、まどろっこしいこと言ってないで、こういった状況では「戦闘してよし」と記載すべきではないのか」とか、「改憲」についてだべってしまうのは、あれと一緒に食事をしたからなのか、それともこういういけいけどんどんだから一緒に食事ができたのか。まあ、どっちでもいいです。クズはクズです。ところで、有名な俳優の息子だというだけでずっとのさばり続けている中〇なんとかって大根役者もあれと食事してゴミのようなことを垂れ流しているのは、さもありなんですが、熊毛郡出身のトラキチまでもが誘蛾灯に誘われてしまうとは…。もう、トラキチとは認めてやらん。



2月11日(日)言うまでもなく、出勤

 戦争放棄を謳った憲法の支配下にある国家の行政府の長が、かつて侵略し植民地化していた国家の大統領に対して、アメリカと軍事演習をするように求めるという愚行を働きました。みなさまのNHKは、共和国側がこの大統領に対して会談を求めたことをとり上げて、アメリカと大韓民国を分断する狙いがあるというクソまみれの解説を垂れ流すという愚行を働きました。ひょっとして、愚行コンテストでも行われているのでしょうか。ヌッポソすごい!



2月12日(月)差別主義者にして扇動者

 テロリスト分子が大阪に潜んでいます、というようなことを言ったやつが、いくら「国際政治学者」だからって、しょーがないか、なんて言ってはいけません。いくらその差別主義者にして扇動者の対談相手が、権力にすり寄るこれまた差別主義者のつまらんゲーニンだったとか、強い者に巻かれてコバンザメとして生きるこれまた差別主義者のつまらんゲーニンだったとか、そんなこととは関係なく、こいつら全員、差別主義者であって扇動者だと批判すべきです。たとえこの「収録」番組を垂れ流した局が8だからって、ああ、しょーがねーか、なんて言ってはいけません。この国際政治学者、どっかの大学にお勤めだそうですが、こんな差別と扇動を公共の電波を使用してまき散らす人物を雇っているとなれば、当該の大学にも責任が及ぶでしょう。やめてくださいよ、学問の自由とか言うのは。差別することや扇動することと学問することとは、なんの関係もありませんからね。差別する自由や扇動する自由なんてあるわけないでしょ。



2月13日(火)クソ共同体

 差別主義者にして扇動家であり国際政治学者でもあるやつが公共の電波を使ってデマを垂れ流し、体制にこびへつらうことしか知らないゲーニンたちがそれに相槌を打ったりしていても、なおのうのうと大手を振って生きていけるような共同体は、クソ以外のなにものでもありません。これですでにクソなのに、さらに、工作員が存在しないことを証明してみせろとほざくようなのさえ出てくるヌッポソが、憲法で戦争放棄を謳っているなんて、こういうのをまさしくポスト・モダン状況と呼ぶのでしょうか。工作員が存在しないことを証明できないとき、どうなるんでしょうか。工作員だと判断された人物はなぶり殺しにしてもよいってことになるんでしょうか。だれもそんなことは言ってません、「事実」として、工作員が潜んでいると言っただけです、とかほざくんでしょうか。まさかとは思いますが、ひょっとして、「事実」をニュートラルに記述できるとお考えなんでしょうか。



2月14日(水)劣化なんてしてないよ

 ワレサが、トランプのことを好きだと言い、エリザベスや天皇のような「確固たる存在」が民主主義には必要だとか言ってるそうで、「劣化し続ける」ワレサとか批判されていますが、いやいや、劣化してるわけじゃなくって、もともとこんなもんでしょ、としか思わないですよ。「ポーランドではそういう(エリザベスや天皇のような)存在がいなくなってしまった」って嘆いているそうですが、要するに、自分がかつてそういう存在だったって言いたいわけでしょう。この人、共産党には抵抗したかもしれないけど、抵抗勢力のトップにはなりたかったわけで、結局は権力大好きっ子なんですよ。だから、「連帯」とか言うやつは信用できないのです。今も、コミュニケーションに先立つ「連帯」とか言ってる自己意識だけ左翼のやつがいますが、この共同体主義者は、日本国籍をもっていたとしたら、間違いなく天皇制を支持しますよ。



2月15日(木)憲法違反だろ

 あれが、「先に攻撃した方が圧倒的に有利」とか言ったそうです。あれ、あれが愛してやまない国家の憲法って、戦争放棄を謳っていませんでしたっけ?国会答弁でこんな憲法違反発言をする行政府の長がいても、不信任案も提出されないのは、これが平常運転だからでしょうか。しかし平常運転だって不正なら、たんに不正な平常運転を行っているだけで、要するに不正は不正なので、罰せられたっていいくらいですよ。いや、罰せられないといけないですね、法治国家なんだから。ところで、「先に攻撃した方が圧倒的に有利」だから、真珠湾攻撃を行ったってことですかね。そう言やぁ、そいつの名の下に侵略がなされたのに、その後そいつは人間になったし、地上戦は沖縄を犠牲にする「だけ」ですんだしね。そういうことですか。



2月16日(金)何重にも差別的な研究

 「ナース服を着た女性が呼び込みをする場合とそうでない場合を、「介入群」「非介入群」として、健診サービス利用者の属性の違いを検討した。その結果、介入群では、無職者等、社会的なストレスが高いと考えられる人々の割合が統計的に有意に多かった。」といった具合に「研究実績の概要」が綴られるような研究がかりにあったとしたら、要するに当該研究は何重にも差別的だってことですね。例によって、「ニュートラルに」「事実」を分析しただけです、とか言うのかもしれません。なんつっても、この分析は、医学部の倫理審査委員会の承諾を得てなされたものだとか言ったりして。まあ、そんな委員会に期待するのは無意味だとしても、かりにそれが科研費研究だったりしたら、申請を採択するかどうかの判定には、倫理的な審査基準も適用されるはずですから、通ってしまったとしたら、審査に問題があったことになります。研究の進捗状況について、「おおむね順調に進展している」なんて書いたりしたら、差別をおおむね順調に進展させているってことになりますね。



2月17日(土)「つらい」かどうかなど、どーでもいい

 スリーパー・セルが大阪に潜んでいるだのなんだのという差別主義的扇動家の発言を、「サービス精神の発揮」と言う方がいらっしゃるそうですが、いったいどういう「サービス」なのか、ぜひお聞かせいただきたいところです。自分たちの番組を見ているような者たちは、差別主義者ばっかなんだから、そういう人たちに対して「サービス」してやっただけじゃん、ってことなんでしょうか。しかし、使用されたのは公共の電波ですよ。差別主義者たちに「サービス」するために使用することは、明確に不正です。正義に反しています。正義に反していると指摘されることが「つらい」かどうかなんて、どうでもいいです。ちゃんと消え去ってください。跡形もなく。



2月18日(日)胸糞悪い

  国家的陰謀のせいで受像機が機能しなくなっているため、民族の祭典そのものもそれに駆けつけてナショナリズムを垂れ流すクソレポートも目にすることはないのですが、まあ、PCをネットにつなげばおのずと見たくもないものが目に入ってきてしまうわけです。朝からあれが電話してる画像なんて目にした日は、朝からうんこを踏んでしまった日の何百倍も、その日一日を呪いたくなりますよ。電話の相手も、ある一家のための歌を喜んで口ずさみ、アジアを侵略してきた旗をまとって笑顔でいられる臣民にして侵略者ヤローだそうですから、「安保法案は憲法違反じゃないですか」とか「あなたの妻はスーパー私人だそうですね」とか「元友人を裁判にもかけずひたすら収監し続けるのは不正じゃないですか」とか、電話で言うわけないですよね。あ〜、胸糞悪い。



2月19日(月)パトリオティズムはクソです

 「以前はナショナリズムへの直接的な接続を阻む為のものとして、パトリオッティズムとの区別や必要性、有用性が検討されるべき、と思っていたけど、結局どっちも五十歩百歩じゃねーか、と言うとこに落ち着きつつある。」というツイートを見かけました。私はずっと前からそう思っています。いや、厳密に言えば、ナショナリズムとは異なるものとして持ち上げられるパトリオティズムは、たんなるナショナリズムよりもより一層悪質だろうと思っています。むき出しのナショナリズムは、太宰が言うところの「札付きのワル」であって、「ワル」であることが「札」によって示されているわけです。それに対して、だれだって自分が生まれ育った故郷に対する愛着はあるだろう、そうした愛着は自然なものだよ、といったような一見無罪に見せかける手口がパトリオティズムの狡猾なところで、リベラルを自称するような立派な方でもいちころなわけです。ちゃんと声を大にして言いましょう。パトリオティズムはクソです。



2月20日(火)カントだって例外じゃない(自明)

 そして、カントは、けっしてナショナリストではなかったが、しかしパトリオティストではあって、だから素晴らしい、というような言説がないことはないと思いますが、こんなご高説は聞くに値しません。カントはパトリオティズムを説明する箇所で、「母の懐」とか「父祖の土地」とかいう言い回しを使っているのですが、アンダーソンによれば、家族に関係する語彙を用いるのはナショナリズムを「自然化」する典型的な手口です。たしかにカントには、ひょっとしたらナショナリズムを超える視点を見出すことができるかもしれませんが、しかしカントにだって、ナショナリズムの要素が見え隠れしていることは間違いないことです。このことを認めずに、カントだけは立派な例外だと見なすことは、「アイドルはうんこしない」と同様の神話化以外の何ものでもないわけで、そうしたふるまいこそ、「啓蒙は神話に堕する」を見事に実証してみせていることになるのですよ。カントが無謬であるわけねーだろ。



2月21日(水)黙ってこっそり死ねよ

 人に迷惑をかけたくないとかなんとか言って自裁死を選んだとされる西部みたいなやつが持ち上げられていることには大いに問題があります。人に迷惑をかけたくなかったんなら、死ぬの遅すぎんだろ、なんてことは言いません。人に迷惑をかけずに死にたいなんてことは、非公開の日記にでも書いて、こっそり死んでくれれば別に文句は言いません。ほんとかどうか知りませんが、『週刊金曜日』が西部の特集を組むとかいう話があるそうですが、全編、西部批判で埋め尽くしてほしいものです。



2月22日(木)近年まれにみるひどい論文

 ところで、この自裁死にまっすぐつながる「死ぬ義務」みたいなものを堂々と肯定し、しかもそれは権利に対して義務を第一に考えるカント哲学に含意されているんだというような論文を先日読んでしまいました。カントが無謬であるわけはないのですが、しかしいくらなんでもこんな不正を主張をするわけがありません。正義に反した誤った主張をしているのは、あくまでこの解釈者です。一応、快復の見込みのない老人は早く死んだ方がまし、早く死になさい、なんて発言は、「道徳的に不快な言動」とかおっしゃっているのですが、こういう言葉遣いひとつとっても、この解釈者は何も理解していないと私には思われます。道徳的に問題となるのは、「不快」かどうかなんてことじゃないんです。「不快に思われたみなさんに申し訳ない」とか、クソのような釈明を行う差別語を吐いたやつらのメンタリティですよ、これは。近年まれにみるひどい論文です。



2月23日(金)両論併記はクソだって知らないのか

 さらに、このような「挑発的な思考」(と書かれているが、<挑発的な思考>はけっして、<暴論>と同義ではない)は、「有限な理性の限界を自覚するカント哲学」であれば、絶対的真理を認めないがゆえに、「理性的討議の場に留めおくべきであることをカントは要求するのではないか」と言われます。数々の断言を行うカントがこんなことを要求するとはとうてい思えませんが、まあ、カント解釈なんてどうでもいいです。ここにあるのは、いわゆる両論併記の発想です。きっと解釈者はリベラルのつもりでしょうし、リベラルなんて、所詮こんなものかもしれません。いいですか、「南京大虐殺はなかった」とか「皇軍は「慰安婦」の強制労働に関与していない」なんて暴論を語る自由はありません。こんなものを「理性的討議の場に留めおくべき」理由なんて、まったくないのですよ。自分の書く文章がもつ政治的意味を少しは考えてみたらどうですか。



2月24日(土)たしかにわかりやすいけどね

 差別主義者にして扇動家の国際政治学者が見事に正論新風賞とやらを受賞したそうですが、あれは、おそらくスーパー私人としての総理大臣としてでしょう、贈呈式にわざわざビデオメッセージを送っています。その差別主義者にして扇動家の国際政治学者について、「既存メディアの論調などに決して流されることなく、持ち前の冷静な分析力とわかりやすい語り口で、評論活動を通じておられる」と評したそうです。あのクソゲーニンの番組で、差別主義的扇動的発言があったその後で、このコメントです。つまり「冷静な分析力」に基づいて、スパイが潜伏しているぞと、「わかりやすい語り口」で語っているというわけです。ところでこの差別主義者にして扇動家である国際政治学者の話すことなんて、3Kやら8やらの論調と変わりないわけですが、ひょっとしてあれは、こいつらのことを「既存メディア」とは認めていないってことなんでしょうか。なるほど、あれほどよいしょを繰り返してもらっているにもかかわらず、改憲については〇〇新聞を読んでくれって、つれなくしてましたね。



2月25日(日)だって平蔵だし

 乗客にマナーを要求するあずき色の電車が、車内吊り広告で「お金」の本とかいう下品な出版物を大々的に宣伝しているのは、マナーに反していないのかよ、と思います。件の本の推薦者は、平蔵ですが、こんなやつが推薦文を寄せているだけですでに、その本はクズだと考えるのがポリティカル・コレクトネスに合致していると思うのですが、しかしひょっとすると、そんなふうに考える人はむしろ少数派で、平蔵が推薦しているということは、これを読んだら自分も金儲けの秘密にたどりつけるかもしれない、なんて愚考(文字通り)する人が多数派を占めてしまうんでしょうか。かりに金儲けの秘密にたどりつけるとして、しかしそれが人を出し抜くようなやり方だとしたら、そして金儲けなんだから人を出し抜くやり方に違いないわけですが、そんなものを読むこと自体、不正以外のなんでもありません。客にマナーを説いてる場合じゃないぞ、あずき色。



2月26日(月)二度と来るな

 この前、ある研究会を名乗る二人組が部屋にやってきて話がしたいと言うので招き入れたら、ソファに座るや開口一番、その研究会がある団体に属していることを教えてくれて、その団体のことはけっして許せないからと言って、お引き取りいただきました。お引き取りいただくまでに、言わなきゃいいこともいくつか言いましたが、ちゃんと現実を見なきゃみたいに諭してくれました。「でも自衛隊はいるじゃないですか」とおっしゃるので、「いらないよ」と言ったら、この人何言ってんだって感じできょとんとしていました。わはは。帰り際に、「またいつか」とおっしゃるので、「改宗したらね」と答えたところ、それは絶対にありえない、と。もう二度と来んなよ。



2月27日(火)何でもコメディにできると思うなよ
 
 「わが家の最終的解決」とかなんとかいう、芸術系の方々による演劇があります。「ナチス秘密警察とユダヤ人が同居する家を舞台とした異色のシチュエーションコメディ!」だそうです。ナチスによるユダヤ人の「最終的解決」をもじってコメディなんて作れるんですね。どうしてそんなことが許されるんでしょうか。やっぱ芸術系だからでしょうか。「笑いはすべてを超越する」と同じ類の、芸術にタブーはない、というやつですか。そうですか。せっかくですから、自分たちのその愚かしさを描く演劇でも作って見せてくださいよ。まさか、自分たちは政治的にはニュートラルだし、別にユダヤ人差別に加担する「つもり」はないんだから、愚かだと言われる筋合いじゃないって言いますか?いえいえ、あなたたちは十分愚かだし、不正です。



2月28日(水)辞職せよ

 選挙区で落選したら比例区で復活するなんてことはしないとエラソーなことを言ってたくせに、選挙区で見事に落選して比例区で復活した隣の選挙区の方は、たびたびその差別主義的メンタリティを吐露して右翼のみなさんを勇気づけていますが、今回は、「立民は 北朝鮮の 工作員」という歌をお詠みになりました。「立民」というのは、「立憲民主党」の党員もしくは議員のことでしょうか。「北朝鮮」というのは、朝鮮民主主義人民共和国のことでしょう。この方、選挙区で落とされたけれども比例区で復活した現役の衆議院議員なんですよ。これでは差別主義的扇動家の国際政治学者と同じじゃないですか。こんな方でも国会議員を務めていられるのは、行政府の長やら財務大臣やら外務大臣やらが負けず劣らず差別主義者であり、朝鮮総連がテロにあってもマス・メディアが右翼によるテロリズムを批判しようとしないからです。せめて国会は、辞職勧告を決議すべきです。



3月1日(木)金持ちなら税金払えよ、ボケ

 「困っています、助けてください!」というタイトルのメイルが届きました。小遣い程度になればと「ブログにて広告収入」(って、いったい何?)を始めたそうですが、軌道に乗って月収700万円ほど稼げるようになったんだそうです。そんな不労所得者が何に困っているのかと思えば、「税金問題」だそうで、「私の稼いだ金額の3割程度を無償で受け取って」欲しいのだと。「稼いだ額の税金分に値する金額を無償にてあなたが受け取って下されば私は助かります。」って言うんですが、おいおい、どーせ広告に関係するようなクソ仕事で稼いだあぶく銭なんだから、せめてちゃんと税金払えよ。なにが「助けてください」だ?お前のやろうとしていることは脱税だ。立派な犯罪だよ、ボケが。



3月2日(金)差別的だと心をつかめるのかよ?

 ある大学の男女協働推進なんとかというところが共催するなんとかというセミナーが、「心をつかむ話し方を知っていますか?」とかいうタイトルで行われるようです。チラシに、「男性教員、男子学生のご参加もお待ちしております!」とあるので、参加者として、もともと念頭にあるのは女性教員や女性の学生でしょう。そして人と話すうえで悩んでいることの一例として、「論理的に話すことができない」と書かれています。つまり、女性教員や女性の学生は、「論理的に話すことができない」という悩みをもっている、って言ってるわけです。私は、心をつかむ話し方なんてクソのようなことは知りませんが、このセミナーが女性差別的であることは十分に理解できます。先生、わかりますか?



3月3日(土)こいつらこそ、不審の極み

 職質は任意なのに、断ると発砲されるって、どーなってんでしょうか。たんにやつらがア○だから「任意」の意味を知らないということなのか、やつらはア○だけど自分のバックには国家が控えていることくらいは知ってるから「職質は強制」だと考えているってことなのか。犯罪を防止するために職質をするそうですが、職質に応じることを強制することが犯罪なんだから、みずから犯罪を犯しているわけですよ、こいつらは。動きが不審だったから職質するって、ええ大人が警官の制服着てエラソーに職質するなんて、不審の極みじゃねーのか。



3月4日(日)「イタリアンに拘ります」ってか

 ある臣民メンタリティの落語家らしき人が、「20歳から10年間貧乏生活してた、食事はチキンラーメンとコンフレークばかり」と貧乏自慢(のつもり)して、そんな状況から自分は努力してはいあがった、貧乏なやつはしょせん努力が足りないんだ的なご高説を垂れました。この落語家らしき人、トラキチで有名だった落語家の息子なので、家賃を滞納したって許されたんだろうと突っ込まれていたのですが、このたび、この貧乏話すら創作だったことが暴露されています。なぜなら、ご自分で書かれた28歳頃のプロフィールでは、「趣味はスキーと映画鑑賞、映画は年間100本はみる。料理は特にイタリアンに拘ります」と。しかしひょっとすると、イタリアンに拘りつつ、「チキンラーメンとコンフレークばかり」食べ続けたのかもしれません。そして家賃を滞納しつつ、スキーを続けていたのかもしれません。いやもう、こんなちんけな嘘はどうでもいいです。問題は、こいつが「生活保護」に関する無知にもとづいてデマを拡散していることです。



3月5日(月)やっぱクソ

 ある大学の男女協働推進センターとやらが主催する講演があります。講演では、「香粧品学としてのシワ素材の概論、開発ステップにおいて大きな壁となった出来事と共に、化粧品業界での女性活躍の取り組みについてお話しいただ」くそうですが、講演タイトルの副題には「シワ改善医薬部外品の誕生秘話」とあります。なるほど。シワは改善しないといけないことであって、その改善のための商品開発に貢献した女性のお話は、「次世代を担う女性が“私にもできる!”や“自分がやってみたい!"と自信を持っていただくきっかけとなる」のだと。へー。シワを改善しないといけないって、つまりあれですね、目の下にクマなんか作って出勤すんなっておっしゃった電2さまと同じメンタリティってことですね。そうじゃなきゃ、活躍なんてできないぞってことですね。よ〜くわかります。クソっぷりが。



3月6日(火)人権や尊厳を否定しない差別なんてねーよ

 あるアニメ監督は、差別は現時点でなくなることはないとお考えで、むしろ「差があるからいいんだ」という「バランス感覚」に納得されるそうです。よくわかりません。「差があるからいいんだ」とお考えなのであれば、差別が現時点でなくなるかどうかは関係ないですよ。いやむしろ、差別はなくなっちゃいけないですね。だって「バランス」が失われてしまいますからね。しかし<差別があってもいい>なんて言うわけにはいかないことを理解する程度には悪知恵が働く方なので、この方が許容する差別は、「人権や尊厳を否定するようなものでない限り」での差別です。ほほう。そんな差別があるんですか。後学のためにぜひ教えていただきたいものです。人に関係する差別は人権や尊厳の否定を分析的に含んでいると思うのですが、どうもこの方によるとそうじゃないみたいですから。「日本に工作員は入っていないと言える感覚が理解できません」ってあなたの発言は、差別的だが人権や尊厳を否定するものではないのですか。そうですか。



3月7日(水)最高責任者は最高に責任とらない

 行政府の長は、国会において自分のことをみずから「立法府の長」であると断言したにもかかわらず、その証拠となる議事録から、その間抜けな発言が削除されていて、その間抜けな発言は公的にはなかったことになっています。この実績を踏まえれば、国権の最高機関であると憲法で定められている国会に、財務省の決裁文書が書き換えられて提出されたって、裁量労働制という名の定額働かせ放題制度を広く普及させたいために偽データを駆使したって、「私はまったくあずかり知らない」とすっとぼけて見せても、何の不思議もないですね。でもたしかその人、事あるごとに、自分が最高責任者であることを自慢げに吹聴してませんでしたっけ。あっ、ひょっとしてあれですか、侵略戦争の最高責任者だったやつが何の責任もとらないどころか無責任体制の「象徴」となったように、このままいろんなことを朝日新聞やらのせいにしておけば逃げ切れると踏んでいるのでしょうか。その読みは当たっているかもしれませんが、まったく正義には反していますよ。



3月8日(木)どーするよ???

 「日本がアメリカとの戦争に負けたことによって利益を得ている敗戦利得者がいます。彼らは日本が悪い国であることが必要なのです。これに対し大阪の森友学園などが日本を立て直そうと頑張っているのです。現在の森友学園の騒動は反日的日本人たちの日本潰しの行動なのです。」と、元航空幕僚長がツイートしています。ということは、かつては妻であるスーパー私人を名誉校長にまでしてもらったにもかかわらず、裁判にもかけずに投獄したままのあの方のことを、「非常にしつこい中においてですね」(「しつこい中」という言い回しがよくわからないのではありますが)と切って捨てたスーパー私人の夫とか、もう反日の極みですね。どうしてくれますか。



3月9日(金)今日も会食に勤しんでいたそうですね

 まさか国税庁長官が辞任して、すべて終わりってわけじゃないですよね? 国税庁長官が辞めることと、決裁文書が改ざんされたこととは、とりあえず関係ないですよね。だって、辞める理由は<国会審議を混乱させた>からであって、<決裁文書改ざんに関わった>からじゃないですからね。決裁文書の改ざんについて責任を負うのは、すでにいたるところで言われているとおり、自称立法府の長にしてスーパー私人の夫である行政府の長ですよね。なんつっても、わざわざ内閣人事局を設置なさって「私が最高責任者だ」っておっしゃっていたんですからね。つーかこの方、関わりがあったら辞職するっておっしゃっていませんでしたっけ? いったい何度お辞めになるおつもりなんでしょうか。それとも、どれだけ嘘をつこうと、どれだけ責任をつきつけられようと、依然として生き続けてしまえる、超法規的存在者なんでしょうか。これを上回るヌッポソすごいネタってないんじゃないですかね。



3月10日(土)ちゃんと答えろ

 そしていつものように、「仮定の質問には答えられない」と答えるやつがいるわけですが、少なくともこいつはたしか、難民がやってきて武装していたら射殺するって言いませんでしたっけ? 「射殺する」って答えたってことは、「難民がやってくる」も「武装している」も、こいつの頭の中では仮定じゃないんですね。こいつの頭の中ではすでに難民がやってきていて武装しているのですね。ほほう。つーことは、どこかで射殺も行われているのか。ふ〜ん。よしわかった。親族が財を成した炭鉱で、朝鮮半島に出自をもつ人たちを強制的に働かせこき使ったことは仮定でもなんでもない紛れもない事実だが、これについてどう考えているのか、ちゃんと答えてくれ。



3月11日(日)ひょっとしてまだ辞めてない???

 そして差別主義者にして扇動家の国際政治学者は、人が亡くなったというのに、人が死ぬほどの問題じゃないと、わざわざおっしゃったそうです。ということは、人が死ぬほどの問題じゃないのに、死んじゃった人がいる、その人はおかしいんじゃないか、ってことですよね? 別に悪意がなくても、誤解しなくても、こうとしかとれないですよ。ひょっとして、差別主義的で扇動的で国際政治学を学ぶと、他の受け取り方ができるようになるんでしょうか。あっ、国際政治学者って書いてしまいましたが、この方、まだクビになってないんですか。「大阪はヤバい」という扇動は、<クビにするほどの問題ではない>ということですか。この方がろくでもないことは自明だとして、所属機関の他の人たちは、このまま同僚であり続けているんですか。ああ、差別する自由もあるっていう、いつものリベラルですか。どあほ。



3月12日(月)世界中に笑いをふりまく芸???

 まさかこんなに暴露されるとは思わなかったので、昼前から午後にかけて仕事が手につかないほど気分が高揚し、夕方には内閣総辞職だろうと思っていたのですが…。すべて財務省が勝手にやったことだという話で行こうってことなんでしょうか。しかしすでに早くから、豊中選出の共産党の議員が、佐川氏の国会答弁に合わせて改竄が行われたと主張するのはおかしい、なぜなら価格提示に関する佐川氏の国会答弁は3月に行われたのだが、改竄は2月下旬に行われているのだからと、きわめて筋道の通ったことを言っています。そして2月下旬の改竄前、2月17日に行われたことと言えば、「私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」といういつもの言い回しを用いた力強いご発言でした。これでどうして詰みじゃないの?



3月13日(火)なんて誠実な

 「その批判はあたらない」の人、決裁文書改竄に関して、官僚による首相官邸への忖度は「ありえない」とお答えになったそうです。にもかかわらず、決裁文書は現に改竄されているのですから、この人、首相官邸に弓を引いていることになりますよね。官僚が決裁文書を改竄したのは、忖度によるのではなく、命令によるのだとおっしゃっていることになりますから。まあなんて誠実な方なんでしょう。「仮定の話には答えられない」けど、武装しているかもしれない難民は射殺と言ったヒトラーフリークのあの方に、爪の垢でも煎じて「ごっくん」させてあげたらどうでしょうね。いやもちろん、「非常にしつこい中において」の方に飲ませてあげてもいいですよ。



3月14日(水)これはあれじゃないんですね

 あれに「詐欺を働く人」と断言されてしまった、まだ裁判にかけられることもなくただただ収監されているだけの推定無罪が適用されるべき人の言葉のなかにスーパー私人の名前が出てくるだけだから、スーパー私人がかかわりがないことは決裁文書を見れば明白なんだとしたら、改竄する必要なんてなかったってことじゃんね。なのにキャリアを棒にふる覚悟で改竄したのは、これじゃあかかわりがないことがまったく明白には見えないって判断されたか、あるいはこれはあれじゃない、ってことでしょう。ところで、名誉校長だったこととか、教育方針に感涙したとかいうのは、だれが書いたフィクションでしたっけ。



3月15日(木)ふざけんな

 オウムの死刑囚たちを、国家による殺人を実行できる国内各所へ移送するという話が出ています。そもそもこの人たちがかかわったとされる事件は全容が解明されているとは言えず、にもかかわらず刑が確定しているのはおかしな話です。そこへきて、巷間ささやかれているのは、世界中に笑いの輪を広げる計画の張本人たちがやらかしたことを隠蔽するために、国家による殺人を実行するのではないか、ということです。まあ、世界中に笑いをばらまき倒せる人たちなら、そういうこともやってのけるかもしれないとは思うのですが、しかし国家による殺人を実行すると悪行を隠蔽できるって、いったいどういうメカニズムなんでしょう。私にはさっぱりわかりません。自分たちの悪行を隠蔽するために、国家による殺人という悪行を重ねる。私にはそんなふうにしか見えないのですが、ひょっとして、「木を隠すなら森へ」ですか。うんこだな。



3月16日(金)犯罪だろっ

 高校生になるとこそこそタバコを吸ったくらいで出場停止処分とかになるのに、中学生だと、集団で女性に襲いかかっても、「抱きついた」とゲロっても、何のお咎めもないどころか、本来お咎めをすべき側が、大会を中止しないのですよ。男性中心主義のこの共同体においては、吸ったやつの肺をみずから黒くすることの方が、女性の人権を侵害することよりも罪が重いのです。いやもう、しばらくしたら人権を侵害したことが自慢話になるかもしれません。だから私は、「若いころはやんちゃしてた」とか言ってワル自慢をするやつが許せないのです。おまえのやんちゃで侵害された人権はどうしてくれるんだ、と思うわけです。クソ中学生たちも大会を運営するやつらも、みんな犯罪者であることをちゃんと引き受けろよ。



3月19日(月)大阪哲学ゼミナール

 先週の土曜日から今日まで、大阪哲学ゼミナールというガチの研究会を開いていました。朝は3時間、合評会をやり、昼に1時間休んで、午後は研究発表を2本で4時間半。テーマを絞って集中的に討議するという超ハードな研究会でした。言うまでもありませんが、討議のルールとして、「合意に至らなくてもよい」などというクソのような規定はありません。そんなルールをもつ営みは、クソなんとかと呼ばれていますが、およそ討議とは関係がありませんし、学的営みとも無関係です。そうそう、どうしてそんな名前をつけたか知りませんが、その手の営みはクソなんとかって呼ばれてるんですよね。クソリチャード・ギアとかクソハイ〇ガーとかと同じです。参加者は、学生をのぞくと、30代、50代、70代で、こんな年齢構成のメンバーが、一堂に会して論争するなんて、なかなか稀有なことだと思いました。もうへっとへと。



3月20日(火)なぜあんなに自信満々にうんこなのか

 ゼミナールのおかげで、ほとんどふぬけ状態でしたが、今日は公務のためなんちゃらミーティングというのに出ました。昨日までの言説空間であれば、おまえ、5分もしゃべれねーぞって感じのクソのようなご講演を拝聴しましたよ。フツーに聴いていると腹が立つし、途中で「黙れ、バカ」とか言ってしまいそうだったので、必死になってネタとして聴いていました。引きこもってしまう学生にどんなふうに対応するか、といったことをテーマに、自信たっぷりにお話なさるその方の説によれば、打たれ弱い人は打たれ強くしないといけないそうです。問題は打たれ弱いことにある、ってわけです。こいつ、こういう言説が、いじめはいじめられる方にも問題がある、って言説と同じだってわかってるんでしょうか。まあ、こいつならきっと、いじめはいじめられる方にも、あるいはいじめられる方にこそ、問題があるって言いそうです。うんこだから。最後にはっきりと言ってましたよ、打たれ弱いと闘っていけないって。なんで闘わなきゃいけないのかなんて、考えたことないんですよね、きっと。うんこだから。



3月21日(水)うんこだもの(by み○お)

 この手の自信満々のやつらが跋扈しているからこそ、外へ出るのが嫌になる人だって出てくるだろうなんて、まあ、わかんないですよね。きっと。うんこだから。質問タイムでたくさんの方が質問されるのですが、驚くべきことに、この差別主義者の差別主義を糾弾するどころか、絶賛しちゃうのですよ。もうびっつらです。ひょっとしてほめ殺しかよ、って思いましたが、たぶん違いますね。それにしても、対人関係やらプレゼンやらが苦手な学生が多いだの、世の中の人間は、みんなあんたみたいにど厚かましくないんだよ、ってことがわからないんですかね。わからないですよね。きっと。うんこだから。いいか、自分は対人関係が得意だとか思いこんでるやつほど、うんこくさいやつはいないからな。プレゼンがうまいとか自慢げなやつほど、バカをさらしているやつはいないからな。そんなこともわからないよな。きっと。うんこだから。



3月22日(木)桜満開アート系

 神戸にあるアート系の大学(なんと経営母体は、あの至〇館が姉妹法人だそうです、わはは)にお勤めの方が、「極左暴力集団アジトに注意」というポスターの作成に協力なさりやがって感謝状をもらい、何がうれしいのか、制服制帽姿のおっさんと、写真におさまってしまっているという恥辱極まりない記事が、ある新聞に掲載されていました。(「何がうれしいのか」は、言うまでもなく、「制服制帽姿の」と「写真におさまってしまっている」のいずれにもかかります。)やっぱ、アートは政治的にニュートラルだしー、ですか。いや、それよりも、アートと言えでも、共同体のみなさんに支えられているのですから、共同体のよき成員として、「極左暴力集団」の排除・撲滅には全力で協力しますよ、ってことですか。まあなんて立派な心掛けだこと。これなら、あっちに脅威がある、こっちに脅威があるとか、ほらみんな故郷のために戦わなきゃとか、なんのためらいもないどころか、積極的に加担できますね、侵略に。あ〜めでたいめでたい、アート系。頭の中は桜満開。



3月23日(金)うんこ臣民高橋

 「これですね、保守党の議員が「BBCは国営放送なのだから一日の最後に国歌(God Save The Queen)をやれ」と文句をつけたので、一日の最後のニュースの後、「言われた通りやります」といってエンドロールにセックスピストルズの同名異曲を流したやつ。映像のバックにはパロった国旗も。堂々たる非国民」とか、いくらほざいてみせたって、あんたは臣民内田と同じく臣民高橋じゃん。天皇陛下万歳じゃん、どーせ。君が代は手放せないだろ、どーせ。他国における「非国民」を評価できる「僕すごーい」かもしれないけど、でも自分自身はしっかり「国民」つーか天皇の子どもであって「臣民」じゃん。だからもう、エラソーなことは言わなくていい。天皇大好きですと言ってろ。うんこやろう。



3月24日(土)そもそも村長になりたいわけだしね

 まあ、悪いけど、年越し派遣村村長とか言ってた頃から、信用はしていませんでした。この方たしか、ろくに研究しなくても学振の特別研究員が務まったわが身を振り返り、「牧歌的な時代」とか、ほざいていましたよね。ろくに研究しなくても学振の特別研究員が務まるのは、ひとえにあんたがその大学に属していたからじゃん。その大学に属しているというただそれだけの理由で、ろくに研究しなくても学振の特別研究員になれる時代を「牧歌的」と呼ぶのであれば、「牧歌的」じゃない方がいいに決まってる。そして、ついにゲロったそうです。「天皇は、慰安や慰問を行い、国民をケアし続けた。それが、身近な存在としての象徴天皇像の確立とともに、自助から共助への変化を促進した」ってね。クズっぷりがわかりやすすぎる。



3月25日(日)「闇」そのものがねつ造だ

 森友学園の問題はいわゆる「関西の闇」の問題だとか、クソデマが流布しているようですが、文春報道では、発信源は官邸だそうです。この報道が真実だとすると、官邸は堂々とデマをまき散らしているわけで、こんなことが許されてよいわけがないでしょう。もはや共和国によるミサイル攻撃のデマやらJアラートというデマやらを使えなくなったから、じゃあ、他のデマでってことなんでしょう。言うまでもなく、そもそも「関西の闇」なんてものそのものがデマであり、ある地域を「闇」と呼ぶことそれ自体が問題です。デマなんか飛ばしてないで、いい加減、「最高責任者」の責任を果たしてみたらいかがでしょうか。



3月26日(月)自慢することじゃないよ?

 朝日新聞による「慰安婦」報道についての3つのグループが起こした集団訴訟は、すべて朝日新聞の勝訴が確定していますが、これを受けて、「朝日新聞が勝訴してよかったです。誤った認識が世界中に広がったのは朝日新聞のせいではありません。」とかツイートしている自称歴史学者がいるようです。なるほど、さすが自称でも歴史学者の自負とか矜持とかでしょうか、朝鮮人慰安婦と日本の兵士は同志的関係にあったという「誤った認識」を世界中に広めたのは、他ならぬこの私だよ、ということですね。だけど、それ、自慢することじゃないですよ?なんらの実証もできず、恣意的な引用を繰り返すのみで、学術的に批判されてもそれらに一切答えることなく(いや、答えることができず、まあ、答えられるわけがないのだが)、真意の理解を求めるような人に、それが自慢することじゃないってわかるかどうかは不明ですけど…。ご本人がわからないとしても、大学にお勤めの人とか、支援しているやつらはちゃんと理解してくださいよ。



3月27日(火)殺人集団は違憲だよ

 自分の力で改竄が行われたのだとしたら、改竄された箇所すべてに妻の名前がないとおかしいと、いったい何をどう考えたらそんなとんでも話を思いつくか、さっぱりわからないあの方ですが、党大会で、「自衛隊違憲論に終止符」とかいったことを口になさったそうです。ほほう。右とか右翼とかナショナリストとか全体主義者とか、スーパー私人の夫とか自らを立法府の長と言ったけど議事録からは削除してもらった行政府の長とか、さんざんボロクソ言われてきましたが、しかしここへきて、殺人集団自衛隊を解散するって言ったんですよね。なんせ殺人集団なんて存在が違憲だから、それをなきものにして違憲状態を解消するんですからね。いやもう、すごい。えらい。さすが最高責任者だけのことはある。まさかお得意のデマじゃないですよね。明確にこうおっしゃたのですから、あとは実行あるのみ。さあ、殺人集団の解散だ。



3月28日(水)うんことしての「公共」

 ハーバーマスが「公共性」を強調するとき、それはけっして共同体主義とは関係のないものとして語られるのですが、しかしこの極東のいまだに天皇制なんかが妥当している差別主義的空間においては、「公共」を語ればろくでもないことになるのはよくあることです。たとえば、「○○のための公共」を謳うやつらは、「上から押しつられる「公」ではなく、私たちの足もとから立ち上げる未来のための公共を。」とか言ってるのですが、官邸前抗議はどこそこの団体が主催するとか、「上から」言ってくるわけです。どうして官邸前で行われる抗議活動に主催者が必要なのかとか、個人が官邸前で抗議しちゃいけないのかとか、まったく考えたこともないのでしょう。要するに、「上から」ものが言いたい、それだけですね。こんなところにはハーバーマスが言う「公共性」はありません。せいぜいミニ天皇制が反復されているだけであり、したがってたんてきにうんこです。



3月29日(木)強い運動が好きなうんこ

 ついでに TOKYO DEMOCRACY なんちゃらについても言っとこ。まあ、この人たちは〇〇のための公共の人たちより、もっとストレートというか、ひねりがないというか、そもそも「東京から日本に民主主義を取り戻しましょう。」ですからね。すんまへんな、地方在住者でって感じですよ。そしてずばり、「強い運動が好きなんです」とか、臆面もなく言ってしまうそのメンタリティーたるや。ファシズムの運動やらナチスによる反ユダヤ主義の運動やら、めっちゃ強かったわけですが、お好きなんですよね。強いものに惹かれるなんていうのは、ジャイアンツとかヤンキースとか、バイエルン・ミュンヒェンとかレアル・マドリードとかが好きとかいう、たんなる典型的な右翼の発想なのに、わかってないんですかね。わかってるのなら悪質だし、わかってないのなら桜満開だわ。そんなわけで、ここにもうんこたちがいます。



3月30日(金)そいつこそ民主主義への挑戦だろ

 大日本帝国による琉球処分が確定したその日に、疲れたからやめたいと言って国会を動かすという憲法違反をやらかしたのが、なんの冗談か慰霊のために沖縄へ行ったそうです。琉球処分の最高責任者は言うまでもなく天皇であり、沖縄戦の最高責任者も言うまでもなく天皇なんですが、その天皇が「慰霊」って、どういう了見なんだ。与那国島への訪問は、2年前に殺人集団が居を構えたその日であり、どこまでも確信犯だ。今回は火炎瓶を投げられなかったが(ところであの「火炎瓶」は、裁判官から「民主主義への挑戦」と言われたようだが、天皇制は民主主義への挑戦じゃないのかよ)、世の中の人間、みんながみんな、内田や高橋や湯浅みたいな臣民だと思ったら、大きな間違いだ。



3月31日(土)教条主義者ですが、なにか?

 この前、ナショナリズムに対する批判の仕方が「教条主義」とか「原理主義」とかと言われてしまい、なんだか久しぶりに褒めていただいた気分になりました。かつては、よくそんな風に評していただいたものでしたが、近ごろはめったになく、やっぱ日和っているように見えるのか、と内心忸怩たる思いがありました。自己意識的には、委員会やら会議やらにおいて、みんなだんまりの中、文句を言って、そのたびに「ああ言わなきゃよかった」と思うような孤立感を、ここ数ヵ月の間に何度か経験しているのですが…。そういえば、もっとはるかに若いころ、言われていたことを思い出しました。「挙動が子リス。」



4月1日(日)紛うことなき右翼のメンタリティー

 「いまの日本の閉塞感は靖国の英霊が篤く弔われていないことにあるのだ。祖国のために命を捧げてすらなお、尊敬も感謝もされない」「これで公共心を持てというほうが無理」ということを、元防衛大臣が対談の中で言ってるのを知ると、きっとぎょっとするはずの人が、なぜ、侵略戦争の被害者である2,000万人のアジアの人々と向き合うには、まず自国の300万人の死者を弔わなければならないとかいうクソ敗戦後論を支持するのか、まったく理解ができません。こんな議論に乗っかってしまう人は、冒頭が元防衛大臣の発言だから支持できないだけであって、言説そのものとしては否定できないどころか、いいこと言ってるくらいに考えるのではないでしょうか。つまり、自己意識としてはリベラルかもしれないけど、実際のところは右翼だってことです。そして実は、この手の人たちこそが、もっともらしい理由さえ見つけることができれば、いとも簡単に日の丸を振り、君が代を歌ってしまうのですよ。



4月2日(月)職質になんて答えてやるか、ボケ

 あらゆる点において意見が一致するとは思わないけれども、イデオロギーの方向性が基本的には近いと考えられる方のツイートを、自分はアカウントももたずに、こそこそ読んでいるのですが、そうした方のうちのおひとりが、「少し疲れました。」とツイートしたまま、もう何日もつぶやかれません。その方がときどき記事にされるうらめしい目をした拾い猫のことも含め、ちょっと心配です。また最近、「プロレタリアート独裁が唯一の答え」と断言されていた方が、亡くなってしまいました。福祉国家が基本的に外国人に対して差別的にならざるをえないことの指摘は、まったくその通りだと思います。この方たちのツイートを読めなくなっている代わりに目にするのは、職質という名の暴力を行使して正義面している制服着たうんこヤロー(全員、「男性」に見えるから)たちの暴挙の数々で、あんなものを見続けていると、自己の内なる暴力性と向き合わずにはいられなくなり、ますます気分が滅入ってしまう。



4月3日(火)臣民ポスター



 「相変わらず」のポスターで、まあ、そういう意味では首尾一貫していますが、首尾一貫していればよいというわけではないことも、自明です。製作者は遂行的矛盾とかご存知でしょうか。まあ、ご存知ないでしょうけど、「恥」かどうかなんてどうでもいいので、この際、遂行的矛盾については許してあげます。この言い回しのおもねり方が、何とも下品ですが、品があるかどうかも「恥」とつながることなので、やはりどうでもいいです。問題は、21世紀にもなっていまだに恥の文化万歳ですか、ということです。要するに、念頭におかれているのは近代的主体じゃないということですね。重要なのは、正しいかどうかではなく、恥ずかしいかどうかだってことなんですよね。下の方で、わざわざ元号に言及されているのは、たんなる偶然ではありません。製作者は、頼まれもしないのに自ら進んで元号を使用する者であり、天皇主義者なんです。臣民だから、主体性なんてあるわけがありません。



4月4日(水)うんこゲーニン、もしくは「有識者」

 「野党がやったのは現代の魔女裁判。はじめから火あぶりが決定していた」とかほざいた「有識者」の吉本ゲーニンさまがいるそうですが、「有識者」でも吉本ゲーニンでもない私は、どこかに火あぶりになった人がいたのかどうか寡聞にして存じ上げておりません。その聡明な知性を働かせて、どこのだれが火あぶりにあったのか、ご教示いただきたいものです。ほかにも、っ残念ながら「有識者」には分類されていないたんなる吉本ゲーニンで、森友問題で白黒つけてもだれも得をしないとかなんとかほざいたのもいるそうです。黒だってことが判明すれば、国会議員を辞めると言ったやつがいることを、この「有識者」じゃないたんなるゲーニンはご存知ないのですかね。ひょっとすると、正義の問題を損得に回収してしまえば、吉本枠があると言われてきた大阪の有権者たちの声を代弁していることになると思いついたのでしょうか。芸風ともども、つまらなすぎて、うんこですね。



4月5日(木)差別主義者たち

 救命のために土俵に上がった女性に対して、再三土俵から下りるように場内アナウンスした差別主義者みたいなのがいたそうで、まあ、大相撲だし別に何の不思議もないのですが、しかしだからと言って批判しなくてもよいというわけではありません。差別主義者には、お前は差別主義者だ、と言ってやらなければなりません。そして理事長とやらが、人命にかかわる状況には不適切な対応でしたとかなんとか言ったそうですが、やっぱわかってないのですよね。たんに人命がかかわる状況で、「不浄な女性」を排除した対応が不適切だったというだけで、女性が不浄であることは否定していないわけですよ。驚くべきことに、「パニック状態だったから」とかで弁護できてるつもりの「桜満開」もいるようですが、要するに、パニックに陥るとそいつは女性が不浄だと考えるという、それだけのことですよ。なんの弁護もできていないし、こうした弁護を行う「桜満開」自身、立派な差別主義者だってだけのことです。



4月6日(金)あれはブルース・ウィリスか

 もうとっくに死んでいるにもかかわらず、自分が死んでいることに気がつかないあれが(と書いて、ふと気がつきましたが、あれはひょっとして、ブルース・ウィリスなんでしょうか)、「左翼は人権侵害が平気だから」と周囲に漏らしたそうです。あらら、こんなことを言っちゃってよいのでしょうか。だってこれって、あれが自らを「左翼」だって言っちゃてることになるかもしれないからです。そうだったのか。あれの自己意識では自分は左翼だと。その認識はまったく間違ってますけどね。あるいはやはり、そうとるべきではなく、左翼は人権侵害が平気だけど、しかし人権侵害が平気なのは左翼にかぎらない、という意味なんでしょうかね。それならよくわかります。しかしその場合、自らについて人権侵害が平気だとゲロっちゃってることになります。そんなわけで、珍しく深い言葉ですね。なわけねーよ。



4月7日(土)ここにも「桜満開」

 元歴史学者だかなんだか存じ上げませんが、「極端なナショナリズムに陥らないため(安倍晋三の「日本を取り戻す」を批判するため)には、批判する側こそ、しっかりした物語を語ることです」とか言う人は、どっちみち歴史学者じゃなく、たんなるプロパガンダです。こんなのは、「極端じゃない」ナショナリズムが存在すると考えている時点で「桜満開」認定ですから。ナショナリズムは、「健全な」だろうと「リベラル」だろうと、いかなる形容詞をくっつけても、ナショナリズムに変わりはありません。かたいうんこも、やわらかいうんこも、鼻が曲がるほどの異臭を放つうんこも、芳香を放つうんこも、みんなうんこです。ご存じ?



4月8日(日)「仕方ない」ことではない

 ベネッセと朝日の共同の調査によれば、所得による教育格差を仕方のないことだと考える割合いが過去最高に上ったそうです。しかも、経済的にゆとりのある層ほど、この格差を許容する傾向があるとのこと。つまりこういうことなんでしょうか、自分たちは教育にカネをかけることができて、その結果、格差ができるけど、それは仕方のないことじゃん、なんつったって、自分たちはカネをかけてるわけだしさ、格差が嫌ならカネかけりゃいいじゃんと、そういうことですか。「パンがなければ、…」ってことですか。「パンがなければ、…」は死んでもらえたけれども、しかし現代はそうはいきません。結局、お仲間なら土地を割引してもらえるのは「仕方ない」とか、新たなお仲間グループを作り出して黒字だった市営交通を民営化するのは「仕方ない」とか、そういうことですか。しかしこうしたことはすべて、まったく正義に反したことです。



4月9日(月)『優しい嘘』

 もうなんでこんなのレンタルしちゃったんだろうという映画です。つらすぎます。「優しい」嘘なんて、ふざけんなって思います。誕生日パーティーでジャージャー麺を食べるシーンとか、フィクションであってほしいけれど、きっと現実にあることなのでしょう。唯一の友人も、クズ男のせいで失ってしまい、結局はそれが大きかったのでしょう。ところで、新作案内で『殺されたミンジュ』というのが紹介されていましたが、監督がキム・ギドクだったので、ウディ・アレンと同じく、今後けっして観ることはないでしょう。



4月10日(火)件のポスター

 件のクソポスターですが、下の方の文言が見えにくいというお叱りの言葉をいただきましたので、文字起こしします。「もう××終わるで…」です。「××」には元号が入りますが、言うまでもなく、そんなものは使いたくないので「××」です。うんこ絵文字が使えれば、使いたいくらいです。さてこのフレーズでは、元号が時代を画するものであるというクソのような思考様式が、見事に表現されています。ポイ捨てがあった時代となくなった時代、それらは元号によって表象できるというわけです。こんな思考様式の持ち主だからこそ、天皇主義者と断定されるのです。きっと、そう言われたところで、否定しないどころか、狂喜乱舞するかもしれませんね、ちゃんとアイデンティファイしてもらえたって。なんつっても臣民ですから。うんこだけどね。



4月11日(水)どっちのくずだ???

 そのシンガーたちがどんな風貌をしてどんな歌を歌ってきた人たちなのか、実はほとんど知りません。2人組くらいは知ってますが、たとえば2人組の写真を5つくらい並べられて、そいつらはどれかって尋ねられても、5つの内4つが「てんやわんや」とか「リンリン・ランラン」とかその辺の人たちじゃないかぎり、言い当てる自信がありません。しかしこいつらが「右でも左でもない」を自称しそうなウルトラ右翼だってことはよくわかります。こいつら、ヌッポソのこと、知らないことばかりじゃないのか、と自問していますが、ひょっとして、周辺諸国を侵略し殺戮しまくったこととか、それを否認していることとか、知らないのでしょうか。知らずにこんなウルトラ右翼丸出しの歌を歌っているのなら、ある種の事柄についての無知は犯罪という公理に従って、こいつらは不正を犯していることになります。知ってるけどカネになるってことに気がついちゃったからやってるのなら、カネになるならなんでもやらかしてよいと考えている時点で、やはり不正を犯していることになります。さあ、どっちだよ、くず。



4月12日(木)たんなる筋金入りの「桜満開」

 というような批判に対して、ファンとされる方が、こうしたウルトラ右翼の主張はずっと前からやってるよと言って、「弁護」なさっているそうです。なるほど、わが愛しのシンガーは、ずっと昔っからウルトラ右翼なわけであって、タイガースが優勝しそうになると突如として湧いて出てくるトラキチなんかとは違うぞ、ちゃんと筋金入りのウルトラ右翼だぞって、そういうことですね。それで、だったら何なんでしょうか。「くず」はずっと前から「くず」です、ってことですか。そしてずっと前からそのファンだってことは、自分も筋金入りですよ、ってことですか。えっ、歌と政治は違うって?「靖国の桜」をほめたたえたって、政治的にはニュートラルですよ、って?「靖国の桜」どころか、「桜満開」なんすね。



4月13日(金)研究科長だったやつ

 財務省の事務次官は、誤解などまったく招きようのないセクシュアル・ハラスメント発言を行っても、「十分に反省している」と難民殺せ大臣が認めれば、なんの処分も受けなくてすむそうです。難民殺せ大臣自身がなんの処分も受けてないんだから、部下を処分したりはできないですよね。まあ、職場のかつて研究科長だったやつは、研究科長時代に、公衆の面前で「胸触っていい?」と訊くまでもなくそれを実行に移し、なかったことにしてもらったのですから、大きなことは言えませんね。「現場」には、当時のセクシュアル・ハラスメント問題委員会委員長もいたそうですが、「被害者が訴えないから」という理由で、しっぽをふったわけです。そいつが定年退職してから、この話を聞かされましたが、聞かされてからなんのアクシションも起こさなかった私も同罪であり、もちろん自分だけが正義の味方だなんて主張するつもりはありません。



4月14日(土)互いに殺し合って滅んでしまえ

 クソアメリカがクソフランスとクソイギリスとともに、シリアを空爆しました。どうしてこんなことが許されるのでしょうか。やつらは国連軍でもなんでもありません。これはたんなる戦闘行為です。自分たちが気に入らない国家を正義の名の下に爆撃するのですから、そんなやつらに対抗して武装しようとすることは正当化されるでしょう。何されるかわかんないから、自衛のために武装するのだと。それでよいということですね。そりゃそうだ、武器は売らなきゃいけないのですから。要するに、やつらは平和とか正義とかのために爆撃しているわけではありません。むしろ平和とか正義が実現されると困るから、爆撃しているのです。クソアメリカもクソフランスもクソイギリスも、たんなる殺人国家です。三国で相互に殺し合って三つとも滅んでしまえ。



4月15日(日)たしかに正義は語れないよな

 かつて研究科長だったやつのついでに言おうっと。まあ、もう何度も書いたような気がするので、ご存知の方は、またあいつの話かと思うかもしれませんが、アルコールが入るとたががはずれて、というか入らなくても学生の腰に手を回していたという目撃証言を聞いたことはありましたが、とりわけアルコールが入るとたががはずれて、ハラスメントをやらかし、そしてしらふに戻って「記憶にございません」を繰り返していた同僚もいました。反省文を書いたって、繰り返すわけですから、いったい何のための反省文なんだよ、って思います。もともとこの人のリベラルを気取った保守主義はまったく気に入りませんでしたが、論文以外の側面でもこの体たらくなので、この人の言うことにはことごとく逆らうことにしていました。案の定、こういうのにかぎって、文学部不要論を唱えるわけで、私の「偏見」も捨てたもんじゃありません。



4月16日(月)何の関係があるのか明確にせよ



 職場が、豊中市長選挙などのための期日前投票の会場になるわけですが、その会場付近に、今朝からこんなわけのわからないポスターが掲示されています。これはいったいどういう意味なんでしょうか。投票するための権利と偏差値は無関係だと思ってきましたが、どうやらこのポスターの制作者は、投票する権利と偏差値を結びつけて考えているようです。まどろっこしい言い方はやめましょう。きっと、偏差値の高い君たちは投票する権利を行使しなさいよ、というアピールなんでしょう。しかしこういうクソのようなアピールが、差別主義的だって考えたことはないのでしょうか。こういう指摘をすると、指摘するやつこそ差別主義者だと居直るか、誤解を与える表現でしたと常套句を使用するか、いずれかだと思いますが、いずれにしても、そいつの差別主義をなかったことにはできません。どこのだれがどの財源を使用して作ったのか知りませんが、どこに問題があるのかを明確にし、謝罪文を掲示すべきです。自腹で。だれかこの暴挙をツイッターで拡散してほしい。



4月17日(火)張り込んでたやつらはのぞきの罪だな

 早朝全裸で自宅マンションからゴミ出し場へゴミを出しに行くと、公然わいせつの疑いで現行犯逮捕されてしまうそうです。「午前6時ごろによく全裸で歩いている人がいる」とかいう目撃情報をたれこむのって、「善良な市民」の鑑なんでしょうね。まあ、隣組的メンタリティと言ってもよいのですけどね。そしてその情報をもとに、やつらが張り込んでいて現行犯逮捕というわけです。あんなのが早朝に張り込んでいたりする方が、全裸のおっさんがゴミ捨て場にゴミを捨てに現れるより、よほど恐ろしい社会だと思いますが、きっと「善良な市民」や隣組的メンタリティの持ち主には、そんなことはわからないでしょう。しかも不幸にもあんなやつらに逮捕されてしまった方は、「市職員」と報道されています。なぜ公務員だと職業が暴露されるのでしょう。ひょっとして、「公務」として全裸によるゴミ出しをなさったのでしょうか。なわけねーだろ、ぼけが。



4月18日(水)悩む必要などミジンコもないわ

 「星野君の二塁打」という教材が、教員たちの悩みの種だそうですが、どこが悩みの種なのか、まったくわかりません。バントのサインを無視して二塁打を打った星野君に対して、「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」と言い、星野君に出場停止を告げるというバカが出てくる話から学ぶべきことは、ただひとつ、こんなバカの言うことを聞いてはいけません、それに尽きるでしょう。これを題材に意見の多様性やら物事の多面性やらを学ぶこともできるなんて言うのは、もう両論併記の世界ですよ。世の中にはこんなバカもいるんですってことを、わざわざ授業で習う必要などありません。こんなのは日常生活でそこらじゅうに吐いて捨てるほど蠢いているからです。そんなわけで、現場の教員は、「バカは困りますね」で次の話題へいけばいいです。



4月19日(木)消えていい

 この件でテレ朝の対応を批判しているみなさんは、もちろん言うまでもなく、最も不正を犯しているのはセクハラ発言を延々と繰り返し続けたあの次官だってことがおわかりだし、セクハラ発言を延々と繰り返し続けたあの次官のことも批判していますよね。えっ、してないんですか? まさか、「これから録音します」って言わずに録音したのはフェアじゃないとか、言ってないですよね? えっ、言ってるんですか? まさかとは思いますが、ひょっとして権力者の靴をぺろぺろ舐めたい人たちなんですか? えっ、図星ですか? な〜んだ松本とか三浦とか、あれとかこれとかと同じか。消えていい。



4月20日(金)ちょっと大きめのうんこ

 ずっと前に、女性が一人で他はすべて男性の哲学研究者の宴席で、下ネタを披露するバカがいたので、「セクハラなので止めましょう」と言ったことがあります。すると、資料室にいる女性職員の方のことを普段から「女の子」と呼んで平気でいられる方が、「女性本人が「セクハラだ」と言ってないのに、話を止めるのはおかしい」と言いました。こういうことをおっしゃる方が、「セクハラ発言をされた者は名乗り出ろ」とかおっしゃるのでしょうね。その方も権力が大好きな方で、実際偉くなったそうです。(と言っても、哲学の世界で偉くなったって、社会的にはちょっと大きめのうんこですけどね。)いいですか、セクハラがあっても「セクハラだ」とは言えないところに、まさしくハラスメントの力学は働いているのですよ。まあ、何より自己の内面が大切なその人には、きっとまったく理解できないことでしょうけどね。なんせちょっと大きめのうんこにすぎないから。



4月21日(土)あんたのことだよ!

 件のセクハラ発言次官は、辞任が認められると退職金が支払われるのでしょう。ひところ大学におけるセクハラうんこヤローの処分の仕方として、よくあったやり方を思い出します。(実は、いまだにこういう手が使われることもあるようです。)西宮市上ヶ原にある私立大学で、調査の結果セクハラの事実が認められたと記者会見まで開き、構内の掲示板にもその旨周知する掲示物が貼られたにもかかわらず、複数の女性の学生にセクハラを働いたその男は依願退職して、履歴書には賞罰が残らないということがありました。そいつとつながりのあるうんこ教員たちがいたため、私が着任したときには文学研究科で授業ももっていました。そんなやつが現在東海地区にある大学の法科大学院で、いったい何を教えているのでしょう。ひょっとして、訴えられないで済む、あるいは訴えられてもうまいことごまかす交渉術ですか。



4月22日(日)バカだけどわかんねーよ

 「いきなりオフレコ音源を週刊誌に持ち込めば業界全体の取材文化自体が壊れることはバカでもわかりますから。」とかツイートされている、きっと頭のいい方がいらっしゃるのですが、私はバカだけど、「いきなりオフレコ音源を週刊誌に持ち込めば業界全体の取材文化自体が壊れる」かどうか、わかりません。まあ、セクハラ発言をいきなり週刊誌に持ち込んで壊れてしまう「業界全体の取材文化自体」なんてものが存在するなら、そんなものは一刻も早く跡形もなく壊れてしまった方がいいに決まっているということは、よくわかります。バカだけど。



4月23日(月)心配するな、忘れてない

 加計学園から闇の献金200万円をもらったという疑惑が報道され、何の説明もなくしらばっくれてる間に、もっと大物がいろいろやらかしてくれるもんだからすっかり忘れ去られた人になっていたのに、セクハラ発言の被害者である記者のことを「ある意味 犯罪者だと思う」などというデマを飛ばして、わざわざ自己アピールするのは、やっぱ忘れられたくないってことなんでしょうか。そういえば、こいつって文科省の大臣時代に、人文系学部不要論を唱えたんじゃなかったでしたっけ。どうしてこう、セクハラ発言を擁護するやつって、揃いも揃って人文系学部不要論を唱えるんでしょうか。偶然なんでしょうか。ところでこいつ、「表現が不適切」という理由で発言を撤回したのですが、そうじゃない、お前はその発言で不正を働いたんだよ、「私は不正を犯しました」って言って撤回しろ。



4月24日(火)人それぞれじゃねーし

 そしてこいつが所属する政党の幹事長は、「人それぞれ問題のとらえ方がある。そんなに目くじらを立てて張り切らなくても、聞き置いたらどうですか」と言い、党として問題視しない考えを示したそうです。つまりこの幹事長のお考えでは(「考えを示した」と報道されている以上、たぶん考えているのでしょう)、デマを飛ばしたって、正義に反する発言を行ったって、「人それぞれです」ってことなんですね。ヘイトスピーチが行われたって、「聞き置いたらどうですか」って言うわけだ。ほほう。ふざけんなよ、正義に反する発言が行われたんだ、たまには目くじら立てて張り切ってみろよ。まあ、張り切って模擬ライフル銃を振り回すようなやつは、今後の人生においていっさい張り切らない方がましではあるけどな。



4月25日(水)道徳にも「正解」がある

 「道徳」の教科化については、「星野君の二塁打」に示されているように、言うまでもなく問題しかないわけで、いくら批判しても足りないくらいだとは思います。ただ、ちょっと気になるのは、批判する人たちの中には、「道徳には正解がない」とか「道徳についても多様性を認めないと」とか言ってるように見える人たちもいることです。私は道徳にはなんの期待もしていませんが、しかしそれでも道徳を語るのであれば、それは普遍主義的なものであると言わなければならないと考えています。人を殺してはいけないし、ヘイトスピーチをしてはいけないし、ひょっとしたら、嘘をついてもいけないでしょう。道徳における「正解」を批判する人たちは、場合によっては人を殺してもよいし、ヘイトスピーチをしてもよいと考えているのでしょうか。それを認めるのが多様性だと考えているのでしょうか。これはもう、私に言わせれば両論併記の思想と同じです。教条主義と言われようと、道徳には「正解」があると思います。



4月26日(木)心の底から念じる

 あいつらのひとりがホームレス風の方を小突き回している映像がアップされていると、そうやってアクセス数を稼ごうとしているだけだろう、とか、警察頑張れ、とか、治安が大事、とか、要するにゴミばっかがぶら下がってて、暗澹たる気持ちになります。ああいう映像を見るのは、自己の内なる暴力性を見せつけられ、お前だって一皮むけばあいつらと同じじゃん、と思わされるので、非常に苦痛です。つまり、ああいう映像を見ると、そいつから拳銃奪って撃ち殺してやれ、と思ってしまうわけです。ところでそいつは、撮影者の方へ来て、撮るのをやめるように言うわけです。正義の実現に活躍するおまわりを撮影してもらっているという自負はないんですかねー。あるわけねーよな、たんなる弱い者いじめだからな。とりあえず、うんこまみれで死んでいくことを念じよう。



4月27日(金)邪魔だけはするな

 共和国の労働党委員長と大韓民国の大統領が握手をしている画像を見ると涙が出てくるのですが、しかしそもそも朝鮮半島を侵略し植民地化したことを清算していない国家の成員として、きっと涙を流す資格などないでしょう。まだまだこの先、いくつもの困難があるに違いないと思いますが、なんだったら妻が私人であることを閣議決定した愚かさは忘れてやってもいいから、だからせめて邪魔だけはしないでくれと願います。



4月28日(土)黙ってろ

 当然ですが、ドイツのニュースでは、かつて侵略した国家が各国へ国交を断絶するよう呼びかけたりしたおかげで、昨日の会談と宣言が実現した、なんてことは言っていません。ヌッポソが出てきたのは、1910年に朝鮮半島を侵略した、というところだけです。よかったね、襟裳岬沖2500キロに着弾するようなミサイルを恐れてなんちゃらアラートとやらを鳴らして避難訓練してた、なんて報道されなくて。ところで、大統領のことを公共の電波を使って「反日」と呼んでいた池上は、まだ息してるんだろうか。



4月29日(日)「ベルリンの壁」より…

 今回のことを「ベルリンの壁」と比較する方が結構いらっしゃいますが、私は正直言って、「ベルリンの壁」のときはこれほどうれしく思いませんでした。それは、あのときはもっと若く、愚かにもひょっとすると少し冷笑的だったからかもしれません。そんなに資本主義化することが喜ばしいのかなぁ、とも思いました。あと、ベルリンの壁を壊す姿が非常に暴力的に見えて、それも嫌だったのかもしれません。ところで、科学者がいるかぎり核開発は可能だとおっしゃる難民殺せの方、お望みは科学者をみな殺しですか? つーか、あなた(お前?)いつまで大臣やってるんですか?



4月30日(月)まだ息してたんだー

 大韓民国の大統領のことを公共の電波を使って「反日」と罵っていたニュース・キャスターは、きっと息をひそめて暮らしているところだと思っていましたが(思ってねーよ)、ヌッポソは朝鮮戦争と関係していないとかいうデマを、これまた公共の電波を使って垂れ流しているそうですね。こういう輩が「物知り」でいられるのは、子どもニュースにおいてだけだと思っていましたが、どうやらそうでもないようですね。いくら歴史修正主義者だって、「戦争特需」って言葉くらい知っていると思っていたのですが、そういう言葉は、やっぱコミンテルンの陰謀なんでしょうかね。この「物知り」さんは、ではヌッポソが朝鮮半島を侵略し植民地支配していたことについてはどう考えているんでしょうか。



5月1日(火)ふざけんな

 「見た目が怪しいにも関わらず近所を散歩 周辺住民を不安にさせた疑い」というテロップつきで、ある人が都の迷惑防止条例違反の容疑で逮捕されたという報道がなされていたのを、ツイートにアップしている方がいて、「またクソのような冗談を」と思いましたが、どうやら現実だそうです。「関わらず」問題など、もはやどうでもいいくらいの恐ろしさです。これってあいつらの発表をそのまま垂れ流したのか、それとも報道する側がこうまとめたのか。いずれにしても、あいつらも報道するやつらも、こんな容疑で逮捕することをなんとも思っていないのでしょう。言うまでもなく、不安になった周辺住民たちも含め、罰を与えられるべきはどっちか、って話です。これだから、難民殺せ大臣は、いつまでも大臣してられるんですよ。ふざけんな。



5月2日(水)ひそかにお祝いに



 やっぱ食べに行かないといけないというわけで、この前行ってきました。外で順番待ちの人たちがたむろっていて、一瞬、諦めようかとも思いましたが、他にすることもなかったので、待ちました。卵と酢でできた黄色いやつとかは嫌いですが、基本的に舌がバカなので、激辛とかそういうものじゃないと味がわからないのですが、これは噂通り、たしかにやみつきになる味でした。「この平壌冷麺を食べずに、あるいは、この平壌冷麺の真髄がわからずに、一体何人の人が死んでいくのだろう。なんと不幸な・・・可愛そうな人たち・・・」などと書いてしまう方がいらっしゃるのも、わからないではありません。しかしこの方がついでに、一回や二回食べたくらいで真髄がわかったつもりになってる人は、「京都に旅行に行って、清水寺と金閣寺を見て京都の全てを知ったといっているくらい愚かなこと」とお書きになっているのには同意できません。その二つを見れば、あそこがいかに悪質かは十分にわかりますからね。もっとも、行かなくてもわかっていますが。



5月3日(木)イデオロギー的にも遠くなかろう

 まだ息してるらしい件のニュースキャスターが、大統領の出自をもち出して、会談やら宣言やらを説明しやがっているそうですが、こういう芸風ってむかしから「実話」系として知られているもので、何がしかを言ったつもりになるクソ言説なんですよねー。言うまでもありませんが、出自と主張の妥当性には何の関係もありません。そういえば、哲学研究者にもこういう芸風のやつがいて、ハーバーマスがコミュニケーション論を展開したのはその「構音障害」によるというようなことを自信たっぷりに断言し、なぜみんなはそのことを言わないのかとか書いちゃっています。みんながそんなくだらないことを言わないのは、両者には何の関係もなく、そんなことを言ったところで、何の意味もないからです。研究者なら少しは考えてみろよと思いますが、まあ、無理ですかね。



5月4日(金)しかも自覚のない差別主義者

 ついでに言うと、ハーバーマスとヘルムート・コールを比較するところもひどい。コールは、言わずと知れたCDUの政治家であり、ドイツ統一時の首相であって、まあ、政治信条から言うとろくでもないことはたしかです。しかしこの「実話」系の研究者は、ハーバーマスとコールが対照的である点として、「理知的に見えるかどうか」を挙げているのです。こういうルッキズムは差別以外のなにものでもないわけですが、こんな飲み屋の会話みたいな下品な話を入門書にさらっと書いて平気でいられるのです。指摘されても、きっと、「でもコールは理知的には見えないでしょ?」と言うに違いありません。どあほ。研究者である前に、私的領域と公的領域の区別をちゃんとつけられるようになってください。まあ、無理ですかね。



5月5日(土)臣民たち

 『永続敗戦論』のやつがそれを「凌ぐ名著」を出したそうで、それを臣民内田とか臣民池澤とかが絶賛しているらしく、まあ、何の不思議もありません。すでに何度も書いたような気がしますが、こいつが「<9.11>を多角的に考える哲学フォーラム」にやってきて、核武装している国家があるんだから、核武装しなきゃ話にならないと言ったことは、けっして忘れませんよ。核武装して天皇制を維持したいんですよね、はいはい。こんなやつのことを褒めたたえてしまう臣民たちはおいておくとして、こんなやつをリベラルとか左翼とか言っちゃった人、ちゃんと己の不明を反省してください。



5月6日(日)セカンドレイプ野郎

 教師役をしたからと言って、別に教師であるわけでもないのに、教師面してごみを垂れ流すやつがいるそうです。そいつによれば、ヌッポソ社会は「清潔なもの求めすぎている」そうです。どうやら、強制わいせつを告発すると、「清潔なもの」を「求めすぎる」ことになるそうですが、あんたみたいなセカンドレイプ野郎を公共の電波を使って垂れ流す程度には、十分に汚れまくってるわけですが、そんなこともご理解いただけないでしょうかね。じゃああれはどうですか、「セクハラ罪という罪はない」と言う御仁がいまだに大臣をやり続けてるっていうのは。



5月7日(月)『12モンキーズ』

 諸般の事情により、観てしまいました。やはり面白い。ブラピの半ケツとか。ブルース・ウィリスのヅラとか。いやいや、そんなところ(だけ)じゃなくて、話がしっかりしていて面白いです。作られたのが1995年で、こっちで上映されたのが1996年とあるのですが、もっと後になってから観たような気がします。しかも映画館で。うー、これってひょっとして、映画同様に間違えて送られてきたときに観た記憶なのでしょうか。そういえば同僚はストウさんだ。マデリーンじゃないのが残念。



5月8日(火)クズ競争

 もうずーーーっと、どっちがクズかというクズ競争をしている人たちがいます。そのうち、どっちがクズかを閣議決定するかもしれないくらいの勢いです。クズ発言をしても、議事録から削除させてなかったことにするクズとか、異次元のクズをやると言ってるうちにすっかり蚊帳の外におかれ、仲間に入れてよ〜と泣きを入れつつ、同時に中東へ行ってわけのわからん国王と仲良くして見せるクズとか。あるいは、難民殺せと言うクズとか、「自分がクズであることに罪はない、なぜなら自分がクズであることが罪になるのは自分がクズであることを認めた場合であって親告罪だからだが、私はクズではないからだ」と言うクズ(=創作)とか。でも、あなたたちは負けず劣らず、甲乙つけがたく、どっちもクズですよ。



5月9日(水)名は体を表す

 なんなんでしょうか、国民民主党って。まあきっと、差別主義丸出しの人たちが集まっているのでしょうから、ちゃんと名は体を表しているでしょう。ちょうど、外国人に無償貸与することにしていた土地を「都民ファースト」と言って取り上げたナショナリストたちの集まりの名が体を表しているのと同様にです。だから、「なんなんでしょうか」というのは、こんな右翼はもういらないでしょう、ってことです。しかしこういうのって、ひょっとしてウケるんでしょうか。「国民なめるな」とか「政治を国民に取り戻す」とか、何のためらいもなく「国民」をスローガンにできる人たちがいるんですから。ソフトだろうとハードだろうと(つーか、ほんとはすべてハードなんですけど)、ナショナリズムはナショナリズムなんですけどねー。



5月10日(木)だれが何をどう「誤解」したんだ???

 飲み屋で酔っぱらってバカをさらしているバカじじいではなく、ある国会議員が「披露宴では若い女性に対し、『結婚しなければ子どもが生まれないから、人さまの子どもの税金で(運営される)老人ホームに行くことになる』と説いている」ことを切々と語ったそうで、例によって「誤解を招いた」から発言を撤回して謝罪したそうです。これから、このフレーズを使ったときは、どの発言がどのような誤解を招いたのか、「発言の意図」を持ち出すことなく説明しなければならない、ということを閣議決定したらどうでしょうか。「結婚しなければ子どもが生まれないから、人さまの子どもの税金で(運営される)老人ホームに行くことになる」という発言は、<結婚しなければ子どもが生まれないから、人さまの子どもの税金で(運営される)老人ホームに行くことになる>を意味すると思うのですが、どこをどう誤解するんでしょうか。



5月11日(金)ふーーーん

 「結婚しなければ子どもが生まれない」ってマジっすか???だからあれですか、学校で避妊方法を教えたりする必要はないとお考えなんですか。なんせ避妊しなくったって、結婚さえしなければ子どもは生まれませんからねー。あれ、じゃあフランスで「子ども」と呼ばれている者たちのなかには、実は子どもじゃない何者かが含まれているってことなんですか。それとも、あれは、国家にセックスのパートナーを登録するなんて笑われるだけだから表向きには結婚してないことになってるけど、しかし実は国家主義者のカップルがこっそり結婚した結果できちゃった者たちのことなんでしょうか。あっ、もうひとつ可能性があった。結婚しないうちは××××はしないってことですか。ふーーーん。



5月12日(土)で、理由は???

 「なぜ直接自分に言ってこないのか」は、もちろん<なぜ直接自分に言ってこないのか>を意味するとして、しかし「なぜ直接自分に言ってこないのか」と言われて、「総理、いかがですか」と尋ねられたら、答えるべきは、なぜ直接言わなかったのかについての理由でしょうけど、妻が私人であることを閣議決定してしまうこの方、北京ルートがどうこうとか、直接言わなかったことを実証してしまうばかりで、全然理由を言わないのですよ。これがもう、ホントに質問の意味がわかっておらず、けっしてすっとぼけているわけではないように見えてしまうところは、ひょっとしたらものすっごい芸風なのかもしれませんが、それが「本気」なのか「芸風」なのか、実はどうでもいいので、ちゃんと理由を言ってほしいです。



5月13日(日)外交官なんてろくでもない

 ドイツ駐在の日本の外交官がボンの女性博物館へ「平和の少女像」を設置することを阻止するため、妨害工作をしていたことが判明したと報道されています。そこでデュッセルドルフ総領事館のホムペへ行き、総領事の挨拶とかを読んでしまいました。疲れたから仕事を辞めたいと言って、みずからはもちろん、そこらじゅうに憲法違反を引き起こしたやつの誕生日を祝ったりして、総領事って、そういう仕事をする人なんですねー。妨害工作は、ドイツの文脈で言えばホロコーストを反省する記念碑の設置を妨害することに対応すると思いますが、そんなことでドイツの駐在員が務まりますか。これはドイツ政府の何十年にもわたる基本方針をあざ笑う行為に他なりません。



5月14日(月)ちゃんと言え

 あれが難民殺せ大臣について、「誤解を招く発言はすでに撤回した」と例によって例のごとく、言ってるわけですが、「はめられた可能性がある」とか「セクハラ罪という罪はない」はどんなふうに誤解を招く可能性があり、どんなふうに理解すればじゃないのか、ちゃんと説明してほしいものだと思いましたが、しかしそんなことを求めても、また何を言われているのかわからないか、わからないふりをするだけで不毛だから…、と言ってはいけなくて、やっぱり説明してほしいものですよ。それから、難民殺せ大臣は、あんなふてくされた中学生みたいな口調で「おわび申し上げる」とか言ってんじゃなくって、「「はめられた可能背がある」とか「セクハラ罪という罪はない」などという放言をして、女性の人権を蹂躙し、不正を犯しました」とちゃんと言えよ。



5月15日(火)まあ、ずっと怪しかったが

 右翼の政治家と人文系科研費が反日的かどうかを言い争っている学者が、「明治初期には、無人の北海道に農学校をまず作った」とか言ってます。この人、いまは東京の私大にいますが、まさにそのやり玉に挙げられている科研費研究を行ったときは北海道にいたのですよ。だったら、北海道が開拓という名の下に行われた明治政府最初の植民地主義の地だということくらいは知ってるはずでしょう。むろん、北海道にいたことがなくたって、知っているべきですが、北海道にいたのなら、その大学で教鞭を執っていたのなら、そして政府の批判者たらんとするのであれば、植民地主義の歴史を忘れてよいわけがありません。これじゃあ、あなたの批判するあれやこれやとなんら変わるところのない帝国主義者ですよ。



5月16日(水)うんこボックス

 もちろんとっくのむかしに立て看は禁止され、「大阪府警」と書かれた箱のようななんか知らんどーせろくでもないものが入っているに違いないものを荷台にくっつけたバイクが徘徊するような「西の筑波」は、ろくでもありません。そりゃこんなところと比べれば、あの大学で立て看が禁止されるのは、由々しきことかもしれません。とはいえ、権威主義的な人たちの数では、「西の筑波」よりはるかに多いでしょうし、侵略戦争のプロパガンダだったことに対する反省の言葉をその筋の人たちから聞いたことは、寡聞にしてありません。そんなわけで、その大学のことよりも、毎日盗み読んでいるツイートによれば、その諸悪の根源の地にある有名私立大学2つの構内には、なんといい歳こいて制服とか拳銃とか柔道とかが大好きなやつらの集う「うんこボックス」が設置されているそうじゃないですか。えええー。大学の自治とか、どーなっちゃったんですか。みんな「西の筑波」になるのなら、ここは先駆的だったってことですか。もう滅びるしかない。



5月17日(木)獣医学部新設の申請じゃあるまいし

 科研費研究の審査についていちゃもんをつけている方がいらっしゃって、「文科省から書類の書き方が正しくないと説明があり」だそうです。えぇー、文科省がそんなことをわざわざ説明してくれるんですか、ひょっとして大物だけは特別なんでしょうか。こんな差別をするなら、文科省を訴えなきゃいけませんよ。「書き方が正しくない」って言い草も、よくわからないですね。文字通り書き方が正しくないのなら、審査に通るわけがありません。書き方が正しくないものを通したりしたら、そりゃ不正です。「別の大学教授」によれば、「研究者の名前だけ書類に書いて、研究の実体がないこともある。」って、そんな書類で審査が通るなら、みんな「科研が書けん」なんてくだんないことは口にしませんよ。もしそんな申請書があって採択されたのなら、それは不正です。ぜひ、その申請書を公開してほしいところです。



5月18日(金)まだ行われていたとは…

 最高責任者が部下のせいにしてのうのうと生き続けるというのは、この共同体の伝統芸であり、どっかの大学のアメフトの監督もこそこそせずに、「私を批判する者は反日だ」とか「反天皇主義者だ」とか、言えばいいんですよ。そしたらあれよあれよと味方がわいてきますから。ところで、『コンカッション』以後、アメフトってまだ行われているんですか。それって、「アウシュビッツ以後、詩を書くこと」とか「『黒ノート』以後、あれで研究論文を書くこと(実は、『黒ノート』以前も)」とかと同じじゃないんですかね。人間の脳への衝撃は通常60Gが限界とされているのに、頭部タックルでは100Gに及ぶことが判明しているのですよ。もうとっととやめるべきでしょう。



5月19日(土)なんだって一番はあんたたちだよ

 大使館をどこにおくかは主権の行使だと居直り、抗議活動に対して殺戮で応える国家の後ろ盾をするような唯一の超大国にして大量破壊兵器をもっとも多く備えているようなのが、相変わらず近隣で軍事演習をやらかすとなれば、そんなやつをどうしたら信用できると言うのでしょうか。人を5人殺すか1人殺すかで白熱して議論し、答えを出せてしまうようなやつは、自国がもっとも多くの核兵器を所持していることについて、白熱することなんて期待しませんから、ミジンコくらいは考えてみたらどうでしょう。まあ、無理だと思うけど。



5月20日(日)輸入業者

 「ポピュリズム現象とは何か?」をわざわざあんなのに訊きに行くことそのことがポピュリズム現象だって、たぶんわかってないでしょうね。あの手の形而上学者がアクチュアルな問題を語ればろくでもないことしか言わないのは、『黒ノート』の人という先例があるのに、いまだになにか意味のあることを聞くことができると思ってるんでしょうか。「言論の自由」には「真理」が優先するとか言うのですが、そんなことを言えばホロコースト否定論者を黙らすことができると考えている時点で、やっぱり形而上学者なんですよ。その「真理」とやらにはだれもが到達できるわけではなく、(たとえば自分のように)優れた者によってのみアクセス可能だという話にしかならない議論です。こうしたエリート主義こそが、実はポピュリズムを導くわけです。もちろん、輸入して喜んでるアホに向けて言ってるんですよ。



5月21日(月)王子とか女王とか消えてくれ

 21世紀にもなって王子なんぞが存在するなんて、それじゃあまるで極東の小島じゃないですか。世界に先駆けて諸悪のかぎりを尽くしてきたところからすると、ひょっとして今後、世界中で女王だの王子だの、法の下の平等に反するやつらがうようよし始めるんでしょうか。こんなうんこたちが結婚しようがなにしようがどうでもいいが、おまえらがありもしない大量破壊兵器の存在を口実にしてイラクを爆撃・殺戮・侵略したことは忘れないからな。ブルジョワ革命でもプロレタリア革命でも人民裁判でもなんでもいいから、一刻も早く女王やら王子やらは地上から消滅してほしい。



5月22日(火)『三度目の殺人』

 橋爪功、やっぱり嫌いだわ。まあ、個人的に知り合いなわけじゃないから、厳密には演じてるやつがことごとく嫌いなわけですけどね。今回は、元判事。息子の弁護士事務所で見事にセクハラですよ。ちなみにこのクソのようなセクハラには、受け手に「おもろいわ」と関西弁を使わせてセクハラじゃないよムードが演出されます。要するに、監督はぼんくらだということです。そしてこのクソ判事、自分が死刑判決を出さなかったことを自ら「温情判決」と言うのです。バカ。人は更生なんかしない、という言い方は傲慢だと言われると、人は更生するという言い方だって傲慢だと、オレいいこと言ってるみたいな顔をして言いやがるのです。いいですか、死刑制度をなくさないといけないのは、人から更生のチャンスを奪うからじゃないですよ。死刑制度が国家による殺人制度以外の何ものでもないからです。そうやって、更生する/しない問題に落とし込むのは、死刑制度擁護者となんら変わらないのですよ。つまり、脚本兼監督は隠しきれない保守主義者。



5月23日(水)共同体文化の崩壊って

 しかしこの監督、歴史修正主義を批判して、「反日」と言われているのです。もちろん、歴史修正主義を批判するのは正しいことだし、この共同体においては体制べったしの映画人ばっかりが目につくのを考えるとき、稀有な存在だと言えるのかもしれません。しかし、歴史修正主義の根っこにあるのは、共同体文化の崩壊であり、家族の崩壊だとか言われると、やっぱりあなたはそういう人ですよね、と思ってしまうわけです。かつてはあったはずの共同体文化が崩壊している、だから歴史を修正することになる、って話だったら、かつての共同体文化を取り戻せ、ってことにしかならないでしょう。それっていったい何でしょうか。この方の他の言説を参照するところ、どうやら「血」は否定するようです。しかしそれは、「血」の物語による共同体の正当化を否定しているだけであって、共同体を正当化する他の物語なら喜んで飛びつくことになるでしょう。ところが問題は、共同体を正当化すること、そのことなのですよ。これじゃあ、「ヌッポソを取り戻せ」と、変わらないじゃないですか。



5月24日(木)たんなるパフォーマンスでしょ

 この方が崩壊してしまったと嘆く共同体文化って、具体的にはどんなものなんでしょうか。『そして父になる』に出てきたような、貧しいけれども家族がひとつの風呂に入れる、そういう文化でしょうか。それって、三丁目の夕日的な世界じゃないんでしょうか。まあ、予告編にもとづく偏見ですけどね。言うまでもありませんが、三丁目の夕日的な世界では、同時に、日米安保条約が締結されていたし、沖縄はとっくに米軍に差し出されていたのです。アジア侵略の最高責任者だったけど戦後まんまと「神」の時代の罪状をすべてちゃらにされた「人間」が、大手を振って生き、その息子の婚姻がめでたいこととして臣民総出で祝われていたわけです。歴史修正主義を批判するのであれば、そんなクソのような共同体を取り戻せとか言うんじゃなくて、ちゃんと天皇制を批判してください。そうじゃなきゃ、「ちょっと左翼っぽいことを言ってみました」くらいのパフォーマンスにしか見えません。



5月25日(金)異次元の圧力???

 会談が中止になるとうれしい人たちが集うこの共同体では、中止は共和国の約束違反のせいとか言うアメリカ政府高官の物言いを垂れ流しています。ためしにドイツの報道を確認してみると、「トランプ自身に責任がある」という見出しがつけられ、「専門家の警告をトランプが無視した」「圧力が強すぎる」「そんなんじゃ外交は進まない」と、あれあれこの極東の共同体とはまったく異なる論調です。「トランプがとりやめたにもかかわらず、共和国は首脳会談の望みを捨てるつもりはない」と、フツーに書かれています。さすが煽るためにはバカ騒ぎミサイル避難訓練も辞さない共同体はやることが違うわ。これが異次元の圧力か。



5月26日(土)どうやって見せたのか

 スーパーの駐車場にとめた乗用車の中で下半身を露出していると、公然わいせつ容疑で逮捕されてしまうそうです。まあ、記事だけではどういうことなのかはわかりません。乗用車の中で外へ見せる感じで露出していたのか、それともひとりでごそごそするために露出していたのか。しかしまさか後者じゃないですよね。後者だと、どこが「公然」なんだか、わかりませんからね。むしろひとりでごそごそしようとしていたのに、覗いたことになるんじゃないですかね。前者の場合、よくよく考えてみると、いったいどんなかっこうをしていたのだろうと思います。わざと外から見えるように態勢をとろうとすると、シートに立ってブリッジでもしてたとか、あるいは、サンルーフから上半身出してたとか。そこまでして見せたのか…。



5月27日(日)エクストリーム擁護

 不動産王の大統領が会談中止を言いやがったとき、あれらは「たった1カ国、支持した」のに、こんなに簡単に不動産王は方針を変更してしまいました。フツー、そんなことはありえないでしょう。不動産王が突然態度を変えたのは、ずばり、「異次元の圧力」によります。不動産王、たった1カ国に支持されてしまったと知って、こりゃやべー、世界中から非難されてしまうぜ、と考え、態度を改めたわけです。なんと、あれらは、会談中止の支持を表明することによって、会談実現への「異次元の圧力」をかけていたというわけです。すっげー。恐るべし、蚊帳の外からの異次元の圧力。



5月28日(月)差別主義者のぼくも忘れないでね、てか

 八王子出身の国会議員が「赤ちゃんはママがいいに決まってる」とか、例によってクソ反動的なことを堂々と言ってのけてます。「お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、『男女平等参画社会だ』『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」だと。ご存知でしょうか、子どもをだしにしたって、女性差別は正当化できないってことを。まあ、これってあれですよね、「いつまで森友やってんだ」で、ようやく「加計」まで話がやってきたというのに、あれと理事長と3人でバーベキューした写真をアップしたことのあるこの自分が忘れられていませんか、ってアピールですよね。この反動的であれとか理事長とかとまぶだちの私を忘れないでくださいよ〜ってわけですよね。はいはい。どっかの官僚とは違って、こっちは簡単に記憶をなくしたりしないので、ちゃんと覚えてますよ。



5月29日(火)つまり、磨くなと

 お金がなにより大事です会とかいう、変わった名前の団体の方が、「国立大学よ、時代感覚を磨け」とかおっしゃっているそうで、これって国立大学法人のことだろうか、そうかそうか、お金がなにより大事でも、独法化には反対されているのかと思いつつ、ちょっと読んでみました。冒頭で、ご自分の学生時代には、「キャンパスに警官が入るだけでも学内はヒステリックに反応した」とかおっしゃっていて、ああ、ヒステリックとか、いまだに使っちゃう人がいらっしゃるんだ、さすが時代感覚を磨けと命令できる方は違うなぁと感心させられます。文脈から言って、この方はキャンパスに警官が入っても平気みたいなんですが、それもまた、時代感覚をお磨きになられたからですね。「イノベーション」とか「ガバナンス」とか「デュアルユース」とか、こういう語彙がお好みのようですが、「西の筑波」にもいらっしゃいますよ、こういう語彙がお好きでお金がなによりの人たちが。



5月30日(水)やっぱり、磨くなと

 例によって、「僕自身」はできたって話をからめるところも、やっぱ磨かれた時代感覚ゆえですかね。トップダウンをご推奨で、ああ、これまたどっかにいたなぁ、って感じです。あることに介入しようとして、まともな方から「うちはボトムアップですから」と断られたら、「そんなことを言ってるからダメなんだ」とか逆ギレしたりするんですよね。だいたい、インタヴュー直前まであれとイスラエルへ行ってたなんてだけで、もうおなかいっぱいですよ。パレスチナ住民のデモに対して大量虐殺で応える国家じゃないですか。そんなところへいったい何しに行ってたんでしょうか。磨かれた時代感覚をお持ちであれば、さぞや、大量虐殺は犯罪だくらい、言ってきたんでしょうね。聞き手も「産官学軍の連携」とか、フツーに書いてんじゃねーよ、ぼんくらが。



5月31日(木)クズだから

 別にそいつが物理学者だから政治的に反動的なことしか言えないわけではないですし、別にそいつが「西の筑波」に勤めているから与党万歳しか言えないわけでもありません。たしかに理系には反動的な方がいらっしゃるかもしれませんが、文系にだって掃いて捨ててもまだまだ湧いて出てくるほどいるわけで、専門分野が○○だから、だからそいつは反動的だと言える場合は、まあ皆無ではないと思いますが(たとえば「あれ」とか)、そんなに多くはないと思います。そいつがクズのようなことしか言えないのは、そいつがクズだから、です。



6月1日(金)この上なく屈辱

 市長が歴史修正主義者であり差別主義者である地方都市で、市営住宅で猫を30匹くらい飼ってる女性に市が退去を求め、地裁が退去を認めたため、猫が殺処分される可能性があるそうです。それを受けて、歴史修正主義者であり差別主義者であるどっかの知事が、助命嘆願したとかいうことが報道されています。殺処分が間違っていることは間違いないので、そんなことは助命嘆願の有無とは無関係に行われるべきではありません。この助命嘆願を理由として、殺処分が回避されたりしたら、処分を免れた猫たちが無念すぎます。これは恩赦と同じ発想であり、屈辱以外のなにものでもないからです。



6月2日(土)第7予備条項にしよう

クウェートが、ガザ地区におけるパレスチナ市民の保護を国連安保理に求めましたが、クソアメリカが拒否権を行使し、クソイギリスは棄権しやがって、否決されました。こういうことを堂々とやってのけるから、「国連なんて所詮は…」って話になるわけです。もちろん、核兵器をもつアングロ=サクソンには逆らえない、だったら核兵器をもたなきゃ、なんて「男らしい」ことを考えるつもりはありませんが、しかしそんなふうに考える「勇敢な」やつが出てきても、少なくともクソアメリカやクソイギリスは批判できないはずです。世界で最も多くの大量破壊兵器を保持する国家と、世界に先駆けて囲い込みをやり帝国主義をやりイスラエルの問題のそもそも発端となった、いまだに女王や国王がいるアナクロ犯罪国家は、とっとと消えてなくなってほしい。



6月3日(日)こっちも負けず劣らずクソ

 すでに多くの方が批判されていますが、けっしていい話じゃないことがあります。(あるいは「いい話」とか言われているものは、こんなものかもしれません。)フランス国家において不法滞在者である外国人が外壁をよじ登って宙づりの子どもを救助した結果、大統領さまから滞在許可を与えていただくとともに、消防士の仕事を約束していただけた、というお話のことです。要するに、何かあるとすぐに三色旗をペイントしたがる臣民たちのいる国家においては、共同体に貢献する者には権利を認めてやってもいいし、何なら仕事だって分けてやるぞ、そうじゃねーやつはとっとと出てけ、ってことですよね。それを大統領自らが実践なさる。いや〜、素晴らしい国家ですね。相変わらず。



6月4日(月)モーガン・フリーマンも

 あのモーガン・フリーマンもセクシュアル・ハラスメントで訴えられていて、そして驚くべきことに、「そんな意図はなかった」という言い訳をしているそうで、ああ、これでもう『セブン』を観ることもないのかと思いました。しかしよく考えたら、『セブン』にはDVのブラピと、そしてセクシュアル・ハラスメントの訴えに対してこれまた醜悪かつ悪質な言い訳をしたケビン・スペイシーが出ていたのでした。もう観るのはやめよう。



6月5日(火)なわけねーし

 あれがあその続投を表明って、なんだかミュンヒハウゼンのほらふきを想起させます。ちょっと違うか。もうすでにとっくに死んでる者が、同じくもうすでにとっくに死んでる者について、お前はまだ死んでないから、って言ってるわけですよね。でもどっちみち、もう何しても死なない。お〜ばけは死な〜ないー、ってやつです。おぉ、実はあの人たちは左翼だったのか。なわけねーし。



6月6日(水)自分探しガー

 そんなわけで、昨日からエッセンです。なんと1時間も早く、着陸しました。昨年は、1時間近くかかった入国審査も、まったく待たず、何も訊かれず、パスポートはほられました。機嫌がいいんだか悪いんだかわかりません。まあ、仕事はしたくないのでしょう。予約していた列車よりも1本早いのに乗れ、宿舎の鍵を預かっていてくれた学生ともうまく会えて、なんだかすべて使い果たしたみたいで、先行きがめっちゃ不安です。それにしても、部屋にはテーブルが2つあり、無駄にソファーまであって、広すぎます。仕方がないので、自分探ししよっと。



6月7日(木)数値化はより一層悪質な差別

 本郷では、女性の顔の魅力度を数値化するという、科学の意匠をこらしたセクシュアル・ハラスメントが堂々と行われているそうです。はいはい、科学はニュートラルなんですよね。右でも左でもないんですよね。客観的なんですよね。こういうのが、大学祭におけるミスコンとどれだけ異なっているのか、ちゃんと説明してください。あるいは、骨相学による差別よりどの程度「まし」なのか、ちゃんと説明してください。まさか数値化しているんだから、ミスコンや骨相学なんかとは違うよ、真理だよ、とか言わないですよね。ああ、クソだ。いや、研究不正だ。



6月8日(金)北の大学も負けてない

 もちろん、北の大学も負けていません。「リーダーシップを考える」とかなんとかいう、まあこの手のタイトルの授業ではほとんど何も考えないということがデフォルトとしてあるわけですが、その講義中に倒れた人がいて、救急車を呼びましょうかと駆け寄ると、講演者の仕込みだったそうで、この大先生は「これがリーダーに必要な精神だ」とかほざいたそうです。倒れたやつは、劇団の宣伝をして消えたそうで、ははー、劇作家関係ですか、と思わずにはいられませんよね。大先生は、リーダーに必要な精神をご存じなのかもしれませんが、そんなクソ知識より、ほかに知っておくべきことが山ほどあることはご存じないことでしょう。大学当局には、こんなのが二度と出てこないようにする「リーダーシップ」を期待したいものです。



6月9日(土)消え失せてくれ

 一等臣民の内田なんちゃらが、天皇の威を借りて私利私欲を満たそうとする者のことを、天皇主義者と呼ぶことに同意しない、とかなんとかほざいているそうです。まあ、あんたが同意するとかしないとか、別にどうでもいいことだけど、要するに、自分のような者こそが正真正銘の天皇主義者だとほざきたいわけですよね。はいはい、ほざいてください。しかしなんだかどっかで聞きましたよね、こういうの。あれはそれとまぶだちだから、利用したりされたりの関係にはないとかいうやつです。自分は臣民だから、唯一の主権者とは利用したりされたりの関係にはないってことでしょ。わかったから、もう言論空間からは消え失せてくれ。



6月10日(日)ライブなんてもちろん中止でしょ

 そのなんとかっていうグループのことはまったく知らないのですが、歌詞をちら見したら、「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」とかあって、まあ全編こんな感じで、普通なら、またしてもシニシズムのクソヤローによる、こんなバカなこと言ってる自分カッコいいという態度だと受け取るべきところなんでしょうけど、実はご本人はシニシズムとは無関係で「まっすぐ」だそうです。いわく「歴史的、政治的背景もあるのかもしれません。色んな人がいて色んな考え方があります。誰の意思や考え方も排除したくありません。」いーや、こんなあまりにも無知すぎて「純粋に」極右のやつは、排除しなきゃダメです。こういうのが、ヘイトスピーチする自由、差別する自由、歴史を修正する自由を認めろ、と寝ぼけたことをほざきやがるのです。



6月11日(月)いかなる「愛国」もクソ

 自国の犯罪をなかったことにするのではなく、すべて引き受けた上でこその「愛国」だとか言ってる人もいますが、たしかに両者には差異はあると思いますが、しかしその差は質的なものではないと思います。ナショナリズムはダメだけど、パトリオティズムは「自然」だと言ってのける人たちと変わりません。そしてときとして、後者の方がより悪質な場合があるだろうと思っています。なんせ、このまったく人工的な創作物を「自然」と呼んで、不可侵の対象とするからです。パトリオティズムなんて、ナショナリズムの隠された形にすぎませんよ。バカも休み休み言ってください。



6月12日(火)別に不快じゃないけど?

 日曜の夜にみてしまった方が、「日曜の夜にふさわしい絶望が味わえる」とお書きでしたが、正直言えば、「こんなもんでしょ」としか思いませんでした。お金かけて学会あげてのセクシュアル・ハラスメント。しかしこの典型的な性差別をまき散らすオリジナルムービーは、もうみられないのですよね。不快にさせてしまって申し訳ないと、これまた典型的な謝罪文が公開されています。でもきっと、なにが問題なのかはわかってないでしょう。無知は犯罪なんですけどね。クソムービーのなかに、「ユナにとって化学はそんなもんだったの?」というセリフが出てきましたが、少なくとも、化学会にとって女性はそんなもんだったんです。



6月13日(水)すごいねー

 委員長と大統領の会談をあっせんしたのはあれだとか垂れ流している放送局があるそうです。ソースは示されているのでしょうか。まあ、「ソース」とか無意味でしょうけど、ひょっとして、得意の閣議決定でもしましたか。あれの尽力だよ、とか。しかしアラブの首脳と酒を飲むために専用機がほしいと言ってた閣僚は、共和国との国交を断絶するように世界に説いてまわり無視されていたのではなかったでしたっけ。えっ、それはあの閣僚が勝手にしたことですか。そうですか。でも、あれもヨルダンとか行って「異次元の圧力」関係のお仕事をなさっていませんでしたっけ。まさか従順な臣民たちを欺いていたんですか。ひどいなぁ。



6月14日(木)郷土愛もクソですよ

 愛国心とナショナリズムは異なり、さらに郷土愛と愛国心は違うなどと言ってる人がいるのですが、同じでしょ。普段から、自覚的に愛国に燃えるやつとか、自覚的にナショナリストであるやつとか、まあいないわけではないですが、それはやはり少数派でしょう。しかし普段から、郷土愛をもつ人たちは、もう死ぬほどいるわけです。もう、死んでもいいくらいです。そしてそうした郷土愛が、いざとなると愛国心となりナショナリズムへと接続される/するわけです。なぜ郷土愛なんてものがあるのか、考えてくださいよ、まったく。郷土だから愛着をもつのが「自然」なんですか?郷土だから憎しみの対象にしかならないってことは、ありえないんですか?引越しを繰り返してきた人にとって、そもそも郷土なんて存在しませんよ。どーしてくれるんですか。



6月15日(金)文化もクソですよ

 どーせゴミのようなパフォーマンスなんでしょうけど、舞台セットが女性の商品化だと批判されると、文化の差異に落とし込もうとするのって、美的な人たちのメルクマールなんでしょうか。その言い訳を受け入れるとすると、自分たちの文化は女性を商品化する文化だよ、文句あっか、ってことになりますよね。これって、自分の生まれた国を好きだと言って何が悪い、って居直ったやつと同じですよ。問われているのは、正か不正かってことです。美的な人が何を好きだろうとどんな高尚な趣味をお持ちだろうと、どーでもいいですが、ただしそれが正義に反していたら、話は別です。その場合は、「不正だ」と言われ、糾弾されるということです。言うまでもありませんが、「頑張って」企画したかどうかなんて、正義とは何の関係もありません。知りませんでしたか。無知は犯罪ですよ。



6月16日(土)美的な言葉は理解不能

 ライターであり歌手である右翼で、右翼の歌を書いた何人かを列挙して、「政治的左右から自由な愛国歌」の希求という契機が確実にあるとかなんとかのたまわっている研究者がいるそうです。「政治的左右から自由な愛国歌」の意味がさっぱりわからないので、そこから説明してほしいところですが、まあどうせ美的なボキャブラリーをお使いになるのでしょうから、私には理解不能です。ところで、そのわけのわからないものへの希求という契機が確実にある、って、だからそれをまともな人たちは叩いているわけですが、わかってますか。まあ、わかってないでしょうね。しかし無知は犯罪ですよ。



6月17日(日)よくいる先生

 そしてその美的な先生によれば、「ナショナリズムは危険」と潰すばかりでは、排外主義に回収されるだけだそうですが、いったい何をおっしゃっているんでしょうか。ナショナリズムは排除すべきですよ。当たり前じゃないですか。ところが美的な先生は、文化の政治とやらを語ってしまうのです。いわく、「「ポップな愛国意識の発露」を穏当に着地させる文脈化や解釈」ですって。こういうのは、いまに始まったことじゃないですね。有能な自分なら、ナショナリズムをうまいこと誘導することができる、という根拠のない自信は、むかしっから先生たちの得意とするところでしたよ。着地や文脈化はどーでもいいので、あの旗の下でアジアを侵略してきたことについてどうお考えなのか、言ってみてください。あっ、ポップな愛国意識が吐露されてしまうか。



6月18日(月)ちゃんと言ってみろ

 件の国際政治学者さまは、ちゃんと「スーパーフリーセルに気をつけろ」と言ってますか???ダメですよ、デマ拡散を子分の差別主義者たちに丸投げしては。本人が堂々と言いなさい。それともあれですか、大阪の人たちが「被害」に遭ったって知らねーよ、ですか???なわけないですよね。そんなわけで、ご本人が何をほざいているか知りたくはあるのですが、しかしツイートをのぞくと目が腐りそうなので、のぞけない。



6月19日(火)まさか批判のつもりじゃないよね


 クソ朝日の「素粒子」って、むかしから豆腐好きのアホとかが書いていたと思うのですが、「マレー語で「平和」を意味する島を舞台に、「老いぼれヤクザ」と「ちびのロケットマン」が政治ショーを披露。」とか書いているそうです。相変わらずクソですね。日本語で書いてりゃ日本語ができる者にしか伝わらず、そして日本語ができる者はみんな自分と同じ意見だと信じて疑わないバカさ加減が丸見えです。「老いぼれヤクザ」って、ちゃんと英語で発信してみてください。それから、「ちびのロケットマン」が飛ばした飛翔体について、なんちゃらアラートならして訓練してた「ちび」は、なんて形容するのか、教えてください。ああ、それか、消えてください。



6月20日(水)どっこいしょ学者

 「ポップな愛国意識」とかわけのわからない美的表現を行う美的な学者がいるかと思えば、社会学を専門としているとおぼしきどっこいしょ学者は、侵略戦争賛美のライブに反対するデモや抗議を「頭悪すぎる」とおっしゃっているそうで、きっと頭の良し悪しがわかる方なんでしょう。「愛国的な発言はしてはいけません」って言論統制する法律ができたら幸せなわけ?、とか突っ込みを入れたくなるそうですが、ええ、言うまでもなく幸せですよ。「言論統制する」とかいう文言を差しはさんで、そのどっこいしょを隠ぺいする程度には「頭良すぎる」のしょうけど、言論の自由は何を言ってもよい自由ではないのですよ。あったりまえでしょ。



6月21日(木)譲る必要などないが

 120兆歩譲って、愛国心の発露を愚行権の行使として認めるとしても、あの歌のタイトルは、その旗の下に侵略戦争をやらかした、当の旗の名称なわけです。そんなことを一切無視して、言論統制がどうこうって言うのが、「頭良すぎる」どっこいしょ学者の生き方だってことですよね。ひょっとして、一切無視なんかしてなくて、そんな旗だって問題ないじゃんっておっしゃるのでしょうか。だったら、鉤十字を禁止している国家に喧嘩を売ってるわけですね。おまえたちは言論統制をしている、と。ほほう。侵略戦争をやらかしたことに対する反省がミジンコほどでもあれば、その旗をめでることは不正であると、「頭悪すぎる」私にだってわかりますよ。



6月22日(金)スゲー

 エッセンのゼミは、カント、柄谷、ハーバーマスが世界共和国についてどう考えているかをテーマにしているのですが、ハーバーマスの回のときに、1990年か91年に『シュピーゲル』誌で行われたアンケートをネタにしました。アンケートは、ヨーロッパ各国の住民が自身のアイデンティティをどう考えているか、ヨーロッパ人と考えているか、それとも○○人(「○○」は国名)と考えているかを問うものだったのですが、それに関連して、学生たちに自身のアイデンティティを尋ねました。驚くべきことに、「ヨーロッパ人というのも気に入らない、世界市民だ」とフツーに言う学生がいて、それに対してだれかが大笑いすることもなく、スゲーと思いました。



6月23日(土)続・スゲー

 柄谷の回は3回あって、2回目は、たんなるポストモダニストとして近代批判をするだけだと、それは冷笑主義にしかならず、消費社会としての資本主義をシニカルに肯定することに終始するが(そういうコピライターみたいのがいるじゃないですか)、柄谷にはそうじゃない可能性を見出すことができる、という話をしました。すると、国民国家を批判してアナーキズムを選択しても資本主義を否定しないのであればシニシズムにしかならない、つまりアナーキズム的コミュニズムを選択しなければいけないということだな、理念としてはすばらしい、というコメントをする学生がいて、スゲーと思いました。コミュニズムは、大学へ来るまでにDDRの問題とセットでしか教えられないにもかかわらず、こんな秀逸なコメントが出てくるとは、まったく予想もしていませんでした。



6月24日(日)残念・・・

 とはいえ、憲法で戦争放棄を謳っている国家が自国の軍備の全廃を宣言することについては、ネガティヴなコメントが続き、残念でした。この手の議論をすると必ず出てくる「自衛権」が論拠です。しかしいまどき、自衛のための戦争以外の戦争があると思うのか、自分たちのやらかす戦争のことを侵略戦争だと言う者がいるのか、とこれまたこの手の議論をするときには必須の反問をしたら、まあ、そのとおりだが…、というところに落ち着いてしまい、それ以上の議論にはなりませんでした。ちなみに、こういう議論は、スーパー私人を妻としている行政府の長がいる共同体では「お花畑」と言われるんだが、と言ったら、「素晴らしいネーミングだ」と言われました。褒められたのか?



6月25日(月)クズ

 東京の有名私立大学の有名教授によるセクシュアル・ハラスメントについて、擁護している弟子みたいのがいて、こういうのを洗練されたセカンドレイプというのだと、ちゃんと教えてあげないといけないのではないかと思います。そいつは、その有名教授が大阪の私立大学に勤めていたときの学生だったのですが、わざわざクソ文の冒頭で、容疑者に近い人間だったから「冷静かつ中立に語れる立場にない」と断ってだらだらとセカンドレイプを繰り広げるわけです。「冷静かつ中立に語れる立場にない」と自覚しているのなら、せいぜい黙っておけばよいものを、こういう言い回しを冒頭にもってくれば、その後で何を垂れ流そうと許されると考えているところが、非常に狡猾であり、一言で言えばクズですね。



6月26日(火)なにが「愛すべきおっちゃん」だ

 悪質なのは、セクシュアル・ハラスメントであることは疑いなく断罪されるべきだと言いながら、「愛すべきおっちゃん」やら「人一倍情熱的な教師」やらと容疑者のことを語ってみせているところです。この手のやり方は、『プライド』に代表されるような(別に代表するほどの代物でもないか)、「人間を描く」という手法ですよ。わざわざ「追記」をつけて弁解しても、セカンドレイプに変わりはありません。「擁護する意図は全くない」。ふーん。こんな言説がとおるなら、差別主義者たちの常套句、「差別するつもりはありませんでした」も認めてやんなきゃいけないな。文芸評論て、ひょっとして、いまだに意図の理解とか人間を描けているかどうかとかを問題にしてるんですかね。あほらしい。



6月27日(水)講習受けてレポート出すレヴェル

 わざと知らないふりをしているのか、それともいまだにこの程度のリテラシーしかないのか、よくわかりませんが、この方は、教員が学生と行った飲み会で垂れ流す「下品なギャグ」は、「それ自体で罪ではない」とおっしゃっているのです。こんなノー天気なことをネット上で開陳できるのは、これまでセクシュアル・ハラスメント防止の講習会になんて一度も出たことがないからなのか、それとも啓発活動を言論警察とかなんとか立派なことをおっしゃるタイプの方だからなのか、どっちなんでしょう。いいですか、学生のいる飲み会で「下品なギャグ」が繰り返されている現場にいて、何も言わずにへこへこしていたのであれば、立派な共同正犯です。この方がすべきだったことは、洗練されたセカンドレイプではなく、謝罪です。



6月28日(木)戻りたくない・・・

 こっちに来ることが決まってから、いろいろと計画を立てたものの、実際に授業準備を始めたのはようやく1月からで、それ以降、ずっと憂鬱な日々でした。余命1ヶ月を宣告される夢を見たときには、「これでゼミをもたなくてすむ」と、真っ先に思ったほどです。ゼミにおいて、学生は非常に活発で、ちゃんと話に乗ってくれるので大助かりではありましたが(「シーン」ってなったらどうしようと思ってました)、とはいえやはり仕事の前は非常に苦痛で、息を一生懸命吸ってる夢を見たりしました。終わってからは、日々ひしひしと解放感をあじわっています。できることなら、このまましばらくこっちにいたいくらいです。なんつっても、戻ったら本が散乱しているのでしょうから。あああ。



6月29日(金)まずまずか



 これが噂の「なだれてる。」正直言って、もっと悲惨な状況を想像していたので、この程度で勘弁してくれてありがたかったです。コーヒーメーカーやらマグカップやらが、まったく割れていませんでした。もちろん、入口からデスクへ行くのに靴は脱ぎました。せっかくなので、これを機に、いろんなものを捨ててしまおうと思います。自宅も大した被害はありませんでしたが、書棚の上においてあった引き出物の類が落下していて、それはそれで、笑えました。ハーバーマスの著作集がごそっと落下していたことは、笑えません。



6月30日(土)指示に従った罪だってあるからな

 空港であっちのやつらにへいこらするのは気に入らないどころか、イデオロギー的には正しくないので、ぺこぺこしておいた方が面倒な目に遭わなくてすむのはたしかでしょうけど、それだからいっそう、極力あんたたちはあっちの人だという態度で接しています。共和国へ修学旅行に行った生徒たちは、すでに10年以上も前から土産を「合法的に」没収されているなんて話を聞かされると、ますますやつらはあっちだって思います。「上からの指示」で強奪をやらかしているそうですが、その「上からの指示」って、まぶだちのつもりのアメリカ大統領からさえ、なにも教えてもらえない「異次元の圧力」関係の人からの指示ですよね。人民革命が実現したときに、指示に従っただけですとか、言い逃れすんなよな。



7月1日(日)いい加減、やめたら

 どうやら「合法的」強奪をやらかしているのは、関空の関係者だけみたいで、少なくとも、愛知や神奈川の修学旅行生は被害に遭っていないそうです。そうそう、「合法的」と言っても、強奪する根拠法がないため、「任意」という名の強制で合意書みたいのを書かせてるわけです。歴史修正主義者ならきっと大喜びでしょう、強制なんかしてないじゃん、て。するとあれですか、修学旅行生はわざわざ自分たちが購入してきた土産を、どうぞ強奪してくださいとお願いしてる、ってことですか。関空のあいつらは、そっちがお願いするなら応えてあげましょう、ってことですか。いい加減、くだらないことはやめたらどうですか。



7月2日(月)散乱中

 6月の重荷さえなくなれば、どんなことだってできると思っていましたが、それは大きな間違いでした。7月中に締切が集中している事柄が山ほどあって、どーすんだ、って感じです。片づけないといけないことを列挙していって、優先順位をつけていくわけですが、よく考えたら、みんな「1」なんですよ。わはは。もう笑うしかありません。そんなわけで、職場は入口から机まで道をつけて終わり、自宅はとりあえず放置。『生徒会役員共』が散乱していて、ここで踏み込まれると、あらぬことを言われまくる状況です。 



7月3日(火)修行は続く

 6月の重荷は、面白かったとはいえ修行であったことに変わりはありませんでした。ところが、戻ってきて、昨日初めての授業をして、こっちでも修行が続いていることを確認してしまいました。もう、最大限のサーヴィスでつまらないことを言っているにもかかわらず、だれも相手にしてくれないわけです。うー、これはかなりきつい。しかしよく考えたら、私は、授業においてサーヴィスをしようなんて考える最後の人、でした。やっぱ「アイデンチチ」とか「本質」とかを見失ってはいけませんでした。てね。



7月4日(水)落胆しましたよ

 どっかの差別主義者(ひょっとして、まだ副総理なんですか?)の妄想的気遣いなどとは無関係に、委員長が搭乗した飛行機は墜ちることなく、アメリカ大統領との会談が成立したわけですが、その際のドイツでの報道には、ちょっと落胆しました。「独裁者許すまじ」はいいですけど、いかに粛清が行われてきたかとか、あるいはいまなお行われているかとか、そんなことばかりを垂れ流すのではなく、なぜ半島の分断が行われたのか、そして分断の前には半島を植民地としていた国家があったことを明確に報道しないと、こちらの状況なんて、ヨーロッパの人にはわかりませんよ。進歩主義的な学者が、共和国に対する不信感ばかりを口にして、かなりがっかりということもありました。平壌冷麺を食べたくなってきました。



7月5日(木)王道

 いまどき役人が便宜を図った見返りとして子どもの入試の得点を加算するなんてありえないでしょー、と思ったこちらがバカでした。縁故主義は、この極東の共同体においては王道じゃないですかね。なんせ公務員が3人も5人も取り巻いてくれるスーパー私人を妻にもつスーパー私人の夫がいて、そのスーパー私人の夫は妻がスーパー私人であることを閣議決定しちゃうわけですから。逮捕されちゃったのは、文科省の役人だったからですかね。でも、文科省の大臣だったやからは、献金疑惑について「選挙後に話す」と言ったまま、ずーーーっとばっくれてますよ。つーことは、重要なのはどの省庁か、ではなく、一緒にバーベキューとかやってるかどうか、ってところですかね。



7月6日(金)国家による大量殺人

 国家による大量殺人が行われることは予想されていましたが、本日、国家は大量殺人を行いました。来年、「仕事きついから辞めたいっす」ってことで、ある一家の代替わりがあって、その際にきわめて屈辱的なことに恩赦などという法治国家の理念とはまったく相容れないことが行われるため、その前に国家による大量殺人をやらかしておこう、ということでしょう。まさかとは思いますが、こんな大量殺人によって、支持率が回復したりはしないですよね。だって極刑を望む人たちが、友達は優遇したっていいじゃん、なんて思うはずはないですからね。ところで大量殺人を命令した大臣は、前夜、スーパー私人の夫たちと宴席があって、嬉しそうなご尊顔をさらしていますね。人を殺すことを決めると、そんなに嬉しんすか。



7月7日(土)鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて

 国家による大量殺人の命令を下し、国家が大量殺人を行う前日に「自席発言」の長にしてスーパー私人の夫であるあれらと宴会やって嬉しそうなご尊顔をさらされた方は、鏡を磨いて磨いて磨いて磨くと国家による大量殺人の命令を下すことができるようになるびっくり人間大集合に出られそうなお人だそうです。なぜ鏡を磨くと人を殺せるようになるのか、そのメカニズムが私にはまったく理解できませんが、どうやらこの方にとってはこのことが人を殺す正当な理由になるようです。しかし、いいですか、人を殺す正当な理由なんてものはないんですよ。宴会に忙しいかもしれないけど、ちゃんと鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて考えてください。



7月8日(日)高等教育的切断

 「ナチスを体験する」授業なんてことをわざわざやらなくたって、そのナチスと同盟関係にあって、戦後も最高責任者がまんまと生き続けるどころか内田や高橋なんかが泣いてひれ伏す存在と化すことを「国体」として維持している共同体に生きてるじゃないですか。それを言わずに「ナチスを体験する」だけじゃ、私たちはナチスとは無関係ですよというたんなる「切断を体験する」授業にしかならないですね。ひょっとしてそれが狙いなんですかね。「人はいとも簡単にナチズムになびく」そうですが、こんな体験授業はクソであるとして、教師になびかない学生が授業をボイコットした場合、単位は認定されるんでしょうか。しかしこんなことをやらかす教師に単位を認定されてもな…。



7月23日(月)申し訳ありません

 たしかに、この差別主義の国家が発行するパスポートを所持し、誕生以来法的に、この差別主義の国家においては断然有利な男性であり、社会的にそれなりに信用される大学教授であり、単位認定権があるようなやつは、信頼できるわけがありません。こんなやつが偉そうに人権だの語ってみせても、そりゃもちろん、自分がそれを失うはずなどない安全地帯からの発言にすぎません。何をどう弁明しても、見苦しいばかりです。せめてハラスメントを起こさないように注意します。



7月24日(火)承前

 ところで、何をどう言おうと、おまえは権力者であって人の足を踏んでいるんだよ、という指摘に対する反応としては、それがどーした、あったりまえだろ、足なんかどけねーよ、もっと踏んでやる、というわかりやすいものがあると思います。セクシュアル・ハラスメントを指摘されたら、居直るタイプです。訴えることができるなら、訴えてみろよ、と恫喝するあの人とかです。あるいは、どうしたって自分は権力者なんだから、せめて偉そうなことは言いません、という一見謙虚に見せかけるたんなる現状肯定のシニシズムというのがあります。80年代のポストモダンのやつらがこれです。



7月25日(水)『火宅の人』

 内容がろくでもないことはわかっていたのですが、なかなか借りられない状況になってるので、とりあえず予約だけしておいたのでした。やっぱりろくでもない話でした。とりわけ、冒頭の弁解がましいシーンがどうしようもなくクソです。母親が大学生の男と一緒に、暴力を振るう父親のもとを逃げて行くのを、幼い私は追いかけたが追いつけなかった、というシーンです。要するに、後年私のやってきたことは、私を捨てた母親に対する復讐だということなんでしょう。つまらなすぎます。アホですか。まあ、無頼派とか言われる輩なんて、所詮はこの程度のメンタリティだというのであれば、その通りであって、それをこうして告白しているからって、別に偉くも何ともありません。原田美枝子が美しいという、ただそれだけの映画です。



7月26日(木)上川の一つ覚え

 国家による大量殺人を実行する前日にあれ達とうれしそうな顔して宴会やらかしてた「鏡を磨いて磨いて磨く」人が、またしても国家による大量殺人を命令して、国家が大量殺人を実行しました。昨晩は、やっぱりあれ達とうれしそうな顔して宴会やらかしていたんでしょうか。少なくとも、「鏡を磨いて磨いて磨いた」そうではあります。しかし、鏡を磨いて磨いて磨くと、なぜ国家による大量殺人を肯定し命令することができるようになるのか、何の説明もありません。もちろん、説明したからって、そいつが国家による大量殺人を肯定し命令したことが免罪されるわけではありません。「二度にわたる無差別テロに及んだ」ってあんたのことじゃないのかよ、って思いましたが、こいつは二度どころじゃなかった。



7月27日(金)口止めした教員も処罰ですよね

 そのハラスメント行為について見て見ぬふりをしていた近大時代の子分が「愛すべきおっちゃん」とか一生懸命擁護に務めていたハラッサーは、解雇されました。当たり前のことだと言えば当たり前のことなんですが、しかし大学におけるセクシュアル・ハラスメントということで言えば、やはり特筆すべき処分です。何と言っても、ハラッサーの退職願を認めず、解雇したのですから。上ヶ原の大学じゃあ、セクシュアル・ハラスメントがあったと記者会見まで開いたのに、当時法学部教授だったやつは依願退職が認められ、その後豊中キャンパスで開かれた研究会でクソのような発表をしたり、リレー講義でしゃべって単位認定権者にまでなりやがり、いまでも中部地方の大学で教鞭をとってるわけですからね。ずっと言い続けてやるからな。



7月28日(土)クソ『AERA』
 
 まあ、『AERA』がクソなのは今に始まったことではないのですが、だからって、「お前はクソだ」という批判を免れる理由にはなりません。「慰安婦」問題否定論者にして生産性至上主義者である国会議員(!)は、観相学的観点から「幸せに縁がない」というクソ記事を、クソ『AERA』は掲載したのです。ひょっとして、飲み屋のバカオヤジくらいしか言いそうにないこんなクソネタで、批判したつもりになってんじゃないでしょうね。いや、そのつもりでしょう。いずれ記事を撤回して謝罪するわけですが、いいですか、「誤解」なんかなにひとつ招いていませんからね。あなたたちが差別主義者だってことはちゃんと伝わってますからね。謝罪するなら、「私たちは差別主義者でした、すみません」の一択ですよ。



7月29日(日)それが何か?

 「慰安婦」問題否定論者の国会議員(!)がLGBTに関して「生産性がない」と言い、やはり歴史修正主義者であるどっかのクソが差別語丸出しで「税金を払っている(から生産性がある)」と反論したつもりになっているという、クズグランプリ決定戦を繰り広げているわけですが、言うまでもなく、生産性があるかどうかと権利主体であるかどうかは何の関係もないことですから、差別語を使うことなく一生懸命生産性があることを言い募る「擁護者」みたいな人も、その実、差別主義者に他なりません。そしてそれは、「文学部は役に立つ」と主張して文学部の存在を擁護しようとする人と、なんら変わらないでしょう。「役に立たないけど、それが何か?」が、ほとんど唯一まともな応答の仕方です。



7月30日(月)断る

 まあゴミメイルはすぐ捨てるので、ひょっとすると今回が初めてではないのかもしれませんが、8月15日の政府主催の式典にかんして、通知がまわってきました。侵略したことを反省せよ、などというメッセージなんかではまったくありません。なんせ「半旗掲揚」が要請されているのですよ。その旗の下で殺戮をやらかした、まさにその旗を掲げろと言ってるわけです。もはや自分の国を好きだと言って何が悪いのクズミュージシャンのことは笑えません。そして「正午に1分間の黙祷実施」ですって。そんなことをしたって、侵略者としての責任をまっとうしたことにはなりません。



7月31日(火)文学者だしね

 文学者はいいですねー。死刑制度には反対だけど、今回の執行に対して反対だと公言することはできない、などとわけのわからないことを言って、平気でいられるんですからね。そう言えば、以前も、私はたまごになりたいみたいなことを言ってましたっけね。まったく文学者はお気楽でよろしい。でたらめ言っても、バカな取り巻き連中が、勝手に意味をこしらえてくれますからね。その点、哲学史家はそうはいきません。ナチス党の党員で大学総長としてナチス政権を賛美した哲学史家は、いつまで経っても、ナチス党の党員で総長としてナチス政権を賛美した哲学史家としてのみ、知られ続けてしまいますからねー。でもこの哲学史家なんて、それ以外には知られるべきことなんて、皆無ですよ。



8月1日(水)ありえない
 
 そんなわけで、そんな哲学史家のことを研究対象にするなんてことはありえないわけですが、とりわけ反・ユダヤ主義をわざわざしたためた文献が出版されて以降は、もはやそんな哲学史家のことを研究対象にする研究者なんて存在するわけがありません。柄谷は、ときどき間違ったことを言いますが、その哲学史家はナチスだったから研究対象にしてはいけないと言われるが、そうじゃなくて、ナチスだったからこそ研究対象にしなければならないと言ったことがあります。これも、「ときどき」の一例です。かつてアルフレート・シュミットは、自分のゼミ生がゼミで発表したときに、注でその哲学史家に言及しているのを見つけ、批判したそうです。シュミット、至極まっとうです。



8月3日(金)「ごめんなさい」って言ったら死ぬ病

 火曜日から今日まで、このクソ暑い中、集中講義を行っていただき、学生のみなさんにも積極的に授業に参加していただき、心より感謝申し上げます。アーレントのまともな授業を集中して聴く機会はそうそうないわけで、非常によい経験ができました。水を差したのは、どっかの大先生ですね。集中講義期間は学期初めから定められていて、その間、通常授業は行われないわけですが、大先生の場合は違うらしく、しかも教室もわが物顔でお使いになります。一言も、「ごめんなさい」のひとっことも聞かされることなく、集中講義受講者が別の教室へと移動させられました。きっと大先生すぎて、「ごめんなさい」って言ったら死ぬ病なんでしょうね。あんなもの、クズすぎて反面教師にもならない。



8月4日(土)あれの仲間

 「万年最下位でいいと思うなよ」って、市長が使う言葉じゃないわけですが、しかしその市長があれの仲間でサンフランシスコ市にいちゃもんつけて一喝されてるやつだって言われれば、さもありなん、って思いますね。なんせ、既得権益を強奪することと下品さにかけては、「維新的」ですからね。わはは。「万年下品でいいと思うなよ。」それから、おい、田中康夫、ちゃんと責任とれよ。全部おまえのせいだからな。



8月5日(日)豆腐の角へ

 女性の受験者はあらかじめ減点すると公表しておけば女性差別じゃないとかほざいているのが結構いて、こういうやつらには公表性さえもが差別を正当化するツールなんだと改めて感心しました。もう四の五の言わずに、豆腐の角へ一直線していただいて構いません。なんなら、豆腐代くらい出してもいいです。「差別するぞ」と言って差別するやつも、「差別するぞ」と言わずに差別するやつも、どっちも差別するやつだって、知ってますか。拡声器持ってヘイトスピーチするやつも、抗議に来た人たちに対して「性差別ばんざい」とこそこそ言ってのけるバカ学生も、どっちも差別するクソであってクズです。



8月6日(月)赤本に書いてるんすか???

 医学部受験生のための赤本なんて、目が腐るから開いたこともありませんが、合格点に関して女性が差別されることは「赤本にも書いてある有名な事実」だそうです。へー。「予備校のバイトだってみんな知っている」んですと。もしこれが本当だとしたら、赤本の執筆者も予備校のバイトも、共同正犯ですね。言うまでもなく、こんなふうに書いてる方自身も。そしてこの方によれば、こういう差別を乗り越えるような「したたかでしなやかな女性」じゃないと、医者なんてやれないそうです。ほほう。これって医者を dis ってるんですよね。まさか自分は差別を乗り越えた「したたかでしなやかな女性」だとか、言ってんじゃないですよね。もう差別主義者に加担するのはやめたらどうですか。



8月7日(火)反証失敗

 8月6日に広島で抗議行動をしたらあいつらに不当逮捕された人がいるのですが、それに対して、写真をアップして「心静かに手を合わせ犠牲者を偲び、恒久平和を祈念する小学生。これが日本人の日本人たる姿だろう」とか言い、「政治思想以前の話だと思うんですよ。この日は右だろうが左だろうが関係なく犠牲者と静寂の中で心で向き合う日」なんだと。まあ、<「右でも左でもなく」語法の使用者は「右」>の反証がまたしても失敗した例ですが、政治思想以前の日本人て、いったい何なんですか。日本はある政治的共同体の名称であって、日本人はその共同体の成員以上でも以下でもないのですが、これに先立つ日本人がいるんですか。あっ、あれか、アジアを侵略して大虐殺をやらかしてきたのに、そんなことはなかったことにして、世界の片隅で被害者意識だけをもち続ける人々の総称か。こんなたわごとが、右とか左とか関係しないわけねーじゃん。



8月8日(水)『恋人たち』

 冒頭近くのシーンで、旗振る人たちがたくさん出てきて、もう観るのをやめようかと思ったのですが、なんとか我慢して最後まで観ました。ひょっとすると、イデオロギー装置としてのあの一家のことが批判されていたのかもしれませんが、しかし他方、いろいろあって最終的に大切なものとして描かれる「日常」は、あの一家がロケット弾にやられることなく隠然と機能する「日常」なのですから、結局のところ現状肯定にしかならないのではないか、と思いました。もちろん、妻の位牌を前にして、妻を失って自分は何もできなくなってしまったと主人公が告白するシーンには、非常に重いものがありました。



8月9日(木)極右俳優、もしくはスーパー公人

 あれが、たんなる極右の俳優が死んだからって、わざわざ記者会見を開いたそうです。もう笑うしかありませんが、あれですかね、この記者会見を正当化するために、あのたんなる極右の俳優は「公人」だったって閣議決定でもやらかしますかね。スーパー「私人」の逆ヴァージョンってわけですか。ところで、沖縄県知事の逝去については、記者会見は開かないのか、といったような批判もあるようですが、勘弁してください。かりにあんなのに哀悼されたりしたら、それこそ屈辱中の屈辱、死者に対するこれ以上にない侮辱ですからね。「けっして哀悼しません」を閣議決定してもらわないといけません。



8月10日(金)『ハッシュ!』

 兄が死んだことにどういう意味があるのか、きっと何か含意があるのだと思うのですが、よくわかりませんでした。兄の妻役の俳優は、デヴューした頃からずーーーっと嫌いでしたが、今回もやはり、改めて嫌いであることを再確認しました。しかし引っ叩いてそのシーンが終わるというのは、まったく受け入れられません。『恋人たち』でも、DV野郎とよりを戻すわけですが、そういうのはもうやめにして欲しいです。ところで、この「つぐみ」って、あの「つぐみ」なんですよね。もうこれだけは、めっちゃ驚きました。



8月11日(土)それじゃ内田と変わらない

 あの侵略のシンボルを掲げるときにわざわざ起立しておいて、生徒に「平等性、公平性をもって判断しなさい」とエラソーなことを言ってみせる高校野球の監督っていうのは、やっぱり脳みそが筋肉製なんでしょうか。天皇制の何をどう「判断」したら平等性と矛盾しなくなるのか、私にはさっぱりわかりません。しかもその旗の下で集団自決を強いられた歴史がすぐ近くにあるというのに、そういうことはすっぱり忘れてしまうわけですか。



8月12日(日)ご存命だった



 軽井沢の別荘へ行き昼はサイクリングして夜はキャンプファイヤーするか、湘南の別宅へ行き昼は海水浴して夜はキャンプファイヤーするか迷ったので、石橋と蛍池を散歩することにしました。そうしたら、これに出くわしたのです。石橋南小のかどにありました。電話ボックスが町中から姿を消してすでに久しくなりますが、なんとまだご存命でした。そしてこの電話ボックス、実は30年以上前に使ったことがあります。もうこんな懐かしすぎるブツと再会できて、つくづく軽井沢やら湘南やらに行かなくてよかったと思いました。



8月13日(月)ナショナリストたち

 ある哲学会が世界大会を招致しようとしていて(まあ、すでにそれだけでもお笑いネタですが)、招致に向けてばらまくパンフがネットで公開されているので、見てしまいました。高層ビルの背後に富士をもってくるなんて、見事なナショナリズムの「自然化」に他ならないわけですが、きっと「哲学的に深く」考えないから、こんな邪悪な見方をしてしまうのでしょうね。じゃあついでにもうちょっと邪悪なことを書いておきましょう。漱石の肖像も使われていますが、もちろん大喪の礼に際して黒い腕章を巻いた有名なやつで、しかも悪質なことに、その腕章が見えるか見えないかくらいに編集されています。なにをどう深く考えるとこんなことができるようになるのか、浅薄な私にはさっぱりわかりませ〜ん。



8月14日(火)滅びてくれ

 読まなきゃいいのに、パンフを読んでしまいました。Located nearby the historic Tokyo Station, the Imperial Palace is another must-see site during your time in Tokyo. だってよ。やっぱあれですか、侵略戦争やらかしておいて戦争責任なんて文学方面のことはわからんとほざいたやつの一族が住むところは、「必見」だってことですか。それにしちゃあ、侵略戦争の「し」の字も出てこないぞ。じゃあ、どういうわけで「必見」なんだろう。やっぱ「哲学的に深く」考えないとわかんないのか。よくまあ、こんなクソのようなパンフを作るもんだ。まさかあれじゃないよな、数年前に戦争責任をシンポでテーマ化したから(ほとんどろくな議論はなかったが)、もう禊はすんだとかじゃないよな。滅びてくれ。



8月15日(水)哲学研究者ですよね?

 なんというか、哲学研究者って、もう少しまともだろうと思っていました。もちろん、最近はようやくほんの数人になってきたものの、ナチスを賛美した哲学史家を研究する(?)ような人がかつてはたくさん哲学研究者を名乗っていたし、ヘイトスピーチを問題にしておきながら言語分析してそれで終わりとかいうびっくり哲学研究者もいたりしました。しかしいくらなんでも、宮下公園から人を追い出すようなオリンピック推進派なんかとは、違う人たちなんだろうと思っていました。戦争責任を文学と呼んで知らん顔をした者に連なる一族のすみかを「必見」とした理由を尋ねられたら、招致委員会の面々はなんて答えてくれるんでしょうか。人間の尊厳を語れる人なら、こんな質問くらい、簡単に答えられるでしょう。さあ、答えてください。



8月16日(木)あなたたちのやってることは不正です

 私の知り合いには、大学の非常勤講師というさまざまな意味においてきわめて不安定な地位にありながら、「慰安婦」問題に取り組み、南京大虐殺を否定する議論を論駁し、侵略戦争の責任を問い続ける人がいます。世界哲学会を招致しようと躍起になっている人たちは、大学の専任職にあり、それなりに安定した地位にある人たちばかりでしょう。不安定な地位にある人が明らかにしようとしている不正を、安定した地位にある人たちがなかったことにしようと努めるなんて、悪い冗談以外の何ものでもありません。恥ずかしくないのかなんて、問うつもりはありません。そこにはただ不正がある、このことをしつこく言い続けているだけです。



8月17日(金)現場主義だの実感主義だの

 またしてもある私立大学で受講生たちをグラウンドに集めて「ハイル××」と言って「従う快楽」の「怖さ」を教える大先生の授業がニュースになってました。なるほど、こんなナチスのまねごとをやらかしても、だれからも、どうしてあなたは天皇制を批判しないんですかって文句を言われない教育ってわけですね。お見事です。さすがです。それでこそ独裁者です。もうみんな見事にあなたの言いなりですよ。いいですか、こういうのを天皇主義って言うんです。別に「ハイル××」なんて言わせなくたっていいんです。いうまでもなく、こういう現場主義だの実感主義だのは、学問とは一切かかわりがありません。



8月18日(土)どーせ飲んでも効かないしな



 講演会へ行ってきました。「ヘイトスピーチ」と「『慰安婦』モニュメントへの右派による攻撃」と「歴史修正主義とレイシズム」と「改憲運動と歴史修正主義」という濃密な内容でした。私など、産経新聞や『正論』や月刊『Hanada』なんて、絶対に読めませんが、きっとだれよりも熱心な読者として、講演者はこれらを丹念に読みこみ、分析されていました。いつもながら、まったく頭の下がる思いです。侵略戦争の最高責任者の一族の館をアジアからの人々を含む外国人研究者の「必見」対象と考える者たちには、爪の垢さえもったいないところです。



8月19日(日)『シュリ』

 とんでもなく久しぶりに観ました。『オールドボーイ』とかは何年かおきに観ているような気がするのですが、これは初めて観たとき以来、2度目でした。ハン・ソッキュのどこがいいのかわからなかったという記憶がありましたが、今回は、それに加えてムカつきました。大義も何もなく、ただただ国家の命令に従うだけの従順な特殊要員じゃないですか、こんなもの。言ってることからして、肩入れしたくなるチェ・ミンシクは、たしかこの役でなんとか賞を受賞したと思います。ブラピの映画に似たようなのがありますが、ブラピは彼女の正体がわかっても一緒に逃げようとするのですよ。なのにハン・ソッキュときたら撃ち殺すわけです。もう、サイテーだ。



8月20日(月)高校野球ってまだやってんだ

 高校野球ってまだやってんですね。びっくりです。女性差別の大相撲が廃止され、相撲協会も解散したので、女性差別の高校野球もてっきり廃止され、高野連とかも解散したものかと思ってましたよ。レジェンド始球式とかで、チームメイトを裏切り、親会社が原発を推進しているクソチームと密約を結び、推薦入学が決まっていたW大学を袖にしたやつが、のこのこ出てきたそうです。体罰に反対してるからって、良識のある人だと思われがちですが、そんなものは当たり前の話であって、それよりもどれほど善人ぶっても密約結んで人を騙した過去は消えませんよ。文化人みたいな顔して営業しちゃいけません。まあ、詐欺師であるということを考えれば、当然のふるまいかもしれませんが、しかしもう詐欺師だって知られちゃってるんだから、詐欺師失格です。そんなわけで、人に説教垂れたりせず、もっとこそこそ生きてください。



8月23日(木)たんなる右翼

 「ゆりかもめ」に、駅の名前が中国語表記とハングル表記されているのを写メって「表記おかしくね?」とかツイートしてるのがいるのですが、使用アイコンは、その旗の下でアジアにおいて侵略戦争をやらかしてきた、当の旗で、プロフィールには、「右でも左でもありません」。これって、笑かそうとしてるんでしょうか?全力で笑かそうとしてるんでしょうか?でも、つまんない。全然面白くない。人が不正を犯すのを見て、笑えるほど、悪質ではありません。そして「<右でも左でもない>は<右>」の反証が、またしても失敗しました。ちなみに、あれについて「カキ氷くらい自由に食べさせてやれよ」だって。あれが自由にやってないことなんてあるんすか。



8月24日(金)寝ぼけてんのか

 高齢になっても戦争責任を問われてつらいとか言った、侵略戦争の最高責任者がいるそうです。またそれを、「苦悩」なんて表現で描写してみせるほとんど大本営発表と変わらない新聞社があるそうです。完全犯罪は、通常露見してしまうと完全じゃなくなるので、「存在」しえないのですが、この苦悩する方のやらかしたことは、露見しているのに責任が問われないというまさしく目に見える完全犯罪なわけです。むかし神だったこの方の所業は完全に犯罪だったわけですが、にもかかわらずそれは完全犯罪と化しています。私の知る限り、この元神をきちんと裁いたのは、女性国際戦犯法廷のみです。にもかかわらず、この民間法廷のことを、人民裁判だと言ってのけた哲学研究者は、きっと内田や高橋と同じく第一臣民なんでしょうね。



8月25日(土)ナチスのまねごとやらせてるやつとか

 講義室に入って、暗いのに学生たちがだれひとり明かりをつけようとしていなかったのを経験して、こういう学生たちの同調意識がどうのこうのとか、こういう学生たちは偏差値がどうのこうのとか、こういう学生たちには恐怖すら感じるとか、なんだかんだ嘆いておいでの方たちがいらっしゃるそうですが、普段の授業で、自分自身が同調を強いるような態度をとってこなかったかどうかとか、反省はしないんですかね。しないんですね。くだんないツイートして嘆いてみせるんじゃなくて、そういう無反省な態度こそが、同調圧力を生んでいるんだとか、少しは考えてみたらどうですかね。はいはい、お前もそうだろって思ったあなた、別にエラくないですよ。



8月26日(日)イデオロギー装置

 なるべく働きたくない人がどうしたこうしたという本があって、東京で週休5日、年収100万円以下で6年間暮らし、案外快適だったとかなんとかいう体験談が書かれているそうです。こういう本を書いて出版してこがねを稼ぐ人はさておき、わざわざこういう本を取りあげて「勇気付けられる」などと書評して見せるエッセイストみたいのが許せないです。要するに、年収100万円以下だって快適に暮らせるんだよ、生保が切り詰められようが、そんなことは関係ない、自分たちのやり方次第だよ、って話にしかなってないじゃないですか。この手の本をもち上げることのイデオロギー性を少しは考えたらどうなんでしょうか。エッセイストだから…、なんて言い訳をしちゃいけません。物書きとして、しっかりネオリベを支えていることを考えてください。



8月27日(月)ニュートラルなつも

 そういえば、エッセイ風の文を書く哲学研究者は(いや、実はお書きになったものは行政文書以外はまったく読んだことがないので、エッセイ風だかどうだかは知らないのですが)、ねじれがどうとかこうとかぐずぐず言って、しかし結論としてはアジアの2000万人の被害者よりも自国の300万人を先に弔えというナショナリストの馬脚を見せてやまない『敗戦後論』とかいうゴミを、かつて「今年の3冊」のうちの1冊として選んでいました。あれですか、エッセイ書く人は、政治的にニュートラルなつもの言説がお得意なんですかね。少なくとも言えるのは、それは政治的にニュートラルなつもに過ぎないのであって、しっかり体制派に寄り添った言説だってことです。そのことに無知ならたんなるぼんくらで、知っててやってるなら悪党です。どっち?



8月28日(火)毎日参詣

 すでに毎日新聞が社説においてその臣民ぶりをいかんなく発揮していることが暴露されていますが、もうここまでくると、上品な産経新聞ですね。そういえば、色合いも似てましたよね。いっそのこと、統合して「毎日参詣」とかどうですか。「昭和天皇が戦争の多大な犠牲に道義的責任を感じていたことは、長年の研究で明らかになっている」そうですが、じゃあ、道義的責任を感じつつも、じじいになっても戦争責任を追及されて「つらい」って言ったわけですか。へー。まあ、どっちみち、道義的責任なんて「心」の問題はどうでもいいです。ところが、毎日臣民新聞は、「法的責任を政治的に乗り越えた戦後日本再出発」とか書いてます。「法的責任を政治的に乗り越え」るって意味がさっぱりわかりませんが、ひょっとして、法的責任なんてとらねーよ、って政治的に宣言することを、難しげに表現するとこうなるわけですか。もう、とっととつぶれていい。



8月29日(水)簡単なことなのに

 核武装している国家がある以上、核武装しなきゃダメだと言ってのけたやつが、『国体論』なんてゴミを出しても、何の不思議もありませんが、それがなぜ「左」寄りの読者から支持されているかなんてことをもっともらしく分析してみせている批評家がいることには、ちょっとだけ、驚きます。批評の中で批評者は、このゴミ投棄者の以前の著作が『敗戦後論』の焼き直しですらないと正しく書き(もっとも、あんなものを焼き直したってゴミはゴミですが)、ある論争においてこのゴミ投棄者が単なるナショナリズムにおちいっていることはあきらかだと、これまた正しく書いています。だからこそ、件の分析によって数秒間、驚かされるわけです。簡単なことです。「左」寄りと、「 」がつけられているのがみそですが、それを踏まえたとしても、ゴミを支持するやつは「左」じゃないって書けば十分です。



8月30日(木)「京大文学部出なので・・・」←さすが!

 あるアニメーション作家が次のように書いていて、もうジュースとか飲んでなくてよかったですよ。「僕は京大文学部出なので、「言葉」を大切にする。」これって、大爆笑を誘ってますよね。吉本新喜劇なら、大ゴケするところですよね。普段はコケたりしないオクレだってコケるところでしょう。そしてこの、京大文学部出なので「言葉」を大切にする方は、あのくだらない物書きですべての文字を忘れたのに著書を出版できる差別主義者の知事だったやつが、中華人民共和国のことを差別語で呼び続けることに、小説家としての矜持を見てとられるのです。もうコケてやりませんよ。まったく、アホですか。小説家の矜持は、差別語を使い続けることにあるんですか。やっぱあれですか、京大文学部出なので、「言葉」を大切にしてるんですね。すっげー。



8月31日(金)買春は不正です

 <そんなに悪いことか「ジャカルタ買春」!>とかいう見出しをつける週刊誌が堂々と売られ、その文言が電車の中吊り広告として人々の目に広くさらされている共同体って、いったい何なんでしょうか。内容は知りませんが、買うことによって貧しい人々が豊かになることに貢献しているのだと、大昔から垂れ流されてきたクソ以外の何ものでもない「正当化」がいまなお行われているのでしょうか。あの記者会見の報道でも、問題とされたのは「恥」とか「恥ずかしい」ということであって、買春することの不正ではありませんでした。問われるべきは道義的責任であり、「心」の問題だといい気になってる人ばっかですが、いいですか、買春は正義に反しているから「そんなに悪いこと」なんですよ。クズの「心」など、どーでもいい。



9月1日(土)私は脅しに屈しなかったwww
 
 総裁選の対抗馬が公開討論会を開こうと提案したのはずるい、なぜなら相手が不得意とするところで差を見せつけようとしているからだ、だったら現総裁がゴルフ対決を求めてもよいのか、と、フツーなら現総裁を貶めようとしているんじゃないかと考えたくなるような言い方でスーパー擁護している人がいるそうで、ひょっとすると最強かもしれません。さすが、何度もう死んでるよと言われても、何事もなかったように行政府の長を続け、自分のことを立法府の長と間違えた発言を議事録から削除させたスーパー私人を妻にもつ夫のスーパー応援団だけのことはあります。ケチって火炎瓶案件について、私は脅しに屈しなかったと誇らしげなのと、通じるものがあります。



9月2日(日)『JSA』

 『シュリ』を観て「おぉ」と思い、ハン・ソッキュつながりで『八月のクリスマス』を観て、これはもう観るしかないと思い始めて3番目に観たのがこれでした。なんだか辛い話だった記憶しかなくて、ついつい2回目を避けてきたのですが、今回15年以上ぶりに観てみて、やはり辛くなりました。話そのものは完全にフィクションだということですが、しかしああした状況を生み出したのは間違いなく植民地支配していた国家があったからで、そのことを考えると、言うまでもなく「辛い」などとわかったようなことを言う資格はないでしょう。猛省。



9月3日(月)『嘘を愛する女』

 そんなわけで、10時5分出発なんて予定していると、どうせ11時になるに決まっていると思っていた通りになり、ところが6月同様に、10時間半でぶっ飛ばしました。機内で観たんですが、まあ、どうせ女性差別満載のクソ映画だと思っていましたが、これまた予想通り、クソでした。主役は相変わらず声がキンキンで、学芸会並みの演技です。話はというと、家庭を顧みなかった有能なお医者さまの妻が、育児ノイローゼで子どもを殺し自殺するわけですが、それから半年もしないうちにこのお医者さまはキンキン声と知り合いになり、同棲を始めるのですよ。まったくいい気なもんです。なぜ私なんかと一緒に暮らしたのかって、決まってんじゃないですか、いい金づるだからですよ。唯一面白かったのは、99.999%父親、ってところですね。わかる人にはわかる、むっちゃ面白い話です。



9月4日(火)道理でクソゴミクズ

 有能か何か知らんけど端的に言うところのそのクソ野郎は、ゴミのような小説を書いているのですが、どこが「芥川」なんだ、笑わせんなって。芥川が、なにが悲しかろうと絶対に書くことはなかったような駄文がだらだらと読み上げられて、ほとんど侮辱と言っても過言ではありません。ついでに言うと、その前に観た『淵がどうたらこうたら』っつーのもひどかった。もう、妻と娘が食べる前からひとりだけ食事を始め、妻が何を言おうと返事ひとつしないそのバカ夫がすべて悪いという話です。それ以外には、何も見るべきところなどありませんでした。クレジットで、この映画に関与したクソ劇作家の名前を見つけてしまい、道理でゴミクソクズなわけだと納得しました。



9月5日(水)『勝手にふるえてろ』

 上のふたつのゴミクソに比べれば、比較することすら憚られるほど、面白かったです。もちろん、細かなことを言えば問題はあるし、そして政治は細かなことに宿るのですが、あるいは片桐はいりや古舘寛治はいらないとかいうことはありましたが、でも自意識過剰なところとか、かなり笑えました。「君の歳で何事かを成し遂げた人なんているのか?」と言われて、「ジャンヌ・ダルク」と即答したところとかも笑いのツボでした。原作は、芥川賞の選考で石原に選ばれなかった方の作品の作者によるものであって、もちろんもうひとりの作者が書くような作品よりもずーーーっと面白いのは自明です。そんなわけで、この主演の人、今後も期待でしょうか。



9月6日(木)何言ってんだかわかんない
 
 三冠王を何回かとったことのあるオレ流さまが、NHKでスポーツにおける暴力批判のご高説をお垂れあそばしたそうです。監督に就任したときに、コーチや選手たちを前にして、暴力を使用したら、一発でクビ、というようなことをおっしゃったそうです。聞き手が、それで暴力を根絶するのにどれくらいかかったか訊くと、5年と答えたそうですが、これっておかしくないですか。暴力を使用したら一発でクビで、しかし暴力沙汰でコーチや選手が辞めさせられたなんて話は聞いたことがなかったので、ということは、だれも暴力なんて振るわなかったってことになりますよね。なのに、5年かかったって、どういう意味なんでしょうか。



9月7日(金)オレさまは立派

 そもそも、この人自身が直接手を下すことはなかったとしても、ヘッドコーチに暴力男を使っていたじゃないですか。そしてそのコーチが暴力使ってたことを知ってたじゃないですか。自分は直接手を下さずに人に暴力を行使させておいて、あたかも自分はずっと暴力に反対してきたみたいな言い方をするところとか、相変わらず、オレは立派だ、オレを見ろ、ですね。でもあなたは、どれだけ立派なことを言おうと、どれだけアウトローを気取ろうと、父親の遺言だとかふざけたことを言ってジャイアンツへ移籍した過去は消せませんよ。要するに、あなたはそういう人です。



9月8日(土)無理っ

 クソ忙しいのに、いやそれほどじゃないとしても、どーでもいいことにかかわらないといけなくなって、もうすべて放り出したい心境です。体育会のメンタリティをもつ人たちとなんて、何事かをやっていけるわけがないのに、体育会のメンタリティをもつ人には、そういう人もいるんだということがまったく理解できないようで…。ある大会の開催が、民族の祭典と重なるので、ご相談したい、とか言われているのですが、民族の祭典なんてどーでもいいのでフツーにやりましょう的な返事をしたら、××大学はボランティアを要請されていて…、とかこれまたフツーに言うのですよ。そんなもん、どうして唯々諾々と従うんだよ、アホが、とついつい言いそうになって、やっぱこの作業には向いてないことがよくわかりました。あああ、だれか解任してください。



9月9日(日)ニュルンベルク

 昨日は、ニュルンベルクへ行きました。午前中は、ニュルンベルク裁判が開かれた場所で、現在「メモリアル」として、法廷そのものやさまざまな展示が行われている記念館へ、午後は、ナチスの党大会が行われたツェッペリン広場と勝利の後に党大会を開く予定だったと言われている未完成のコングレスハレへ。写真にくっついている説明書によれば、1950年の段階では、アンケートされた3人に1人が、ニュルンベルク裁判を勝者による裁きと受け取っていたそうですが、いまはそんなふうに考える人はほとんどいないそうで、裁きがなければ過去は克服できないと考えるのが通常のようです。東京裁判のコーナーもありましたが、こんなこと書いたら一発で「自虐史観」だと騒ぐ臣民たちが湧いて出てくるだろうという内容でした。言うまでもありませんが、最高責任者が尽力したおかげで平和な戦後を迎えることができた、なんて偽史はどこにも書かれてありませんでした。



9月10日(月)目クソ鼻クソナショナリスト

 スーパー私人を妻とする自分のことを立法府の長だと言ったことを議事録から削除させた(←何度でも繰り返し言おう)行政府の長がいる共同体の右翼が、台湾の少女像を足蹴にしたことに対して、「日本に泥を塗る」とか「日本の恥」とか言って批判しているつもりになっている人たちがいるそうですが、その批判はそいつのもってる「よきナショナリズム」基準に照らして行われているだけであって、結局のところ、目くそ鼻くそナショナリスト対決の域を出ません。「慰安婦」とされた方々の人権侵害なんて、実はどーでもいいんですよね。そんなことより、誇り高い日本人であることこそが、重要だってことです。言うまでもなく、どんなクソかなんて、それこそどーでもいいことですよ。どあほが。



9月11日(火)クソゴミクズ

 上のようなメンタリティを、もっと文学的に言うと、アジアの侵略の被害者2,000万人に向き合うためには自国の死者300万人を先に弔わなければならないという、クソゴミクズ表現になるのでしょう。自国の死者300万人を弔わないと、「日本人」はひとつにならず、「日本人」が立ち上がらないとかなんとか、言ってましたよね、クソゴミクズ本の中で。こんなくだらなすぎる放言を、支持者たちはソフィスティケイトされたナショナリズムだと考え、おのれのナショナリストとしてのメンタリティを安心して肯定できるわけですが、どんな形容詞がつけられようとナショナリズムはナショナリズムであってクソゴミクズだなんて、ケンミジンコほども思わないのですよ。どあほが。



9月12日(水)あんたには家事はないのかよ

 あいち国際女性映画祭で、受賞作品発表後に、運営側の偉いアホが「この受賞作品はまさか女性監督が撮ったとは思われないほど大変完成度が高く…」とかなんとか言ったそうです。きっとこのアホは、女性監督に対して最高の賛辞を送ってみせた自分の発言に、なぜ文句がつけられなきゃいけないんだくらいに思っていることでしょう。まあ、この手の話は哲学研究者の間でもフツーにありました。「女性なのによくやっている」とか言うわけです。そしてフォローするつもりで、「いや、女性には家事があるのに、って意味です」と、墓穴を掘り続けるわけです。どーせバカにしてるんなら、黙ってりゃいいものを、どうしておのれのセクシズムをあらわにしないといられないんですかね。



9月13日(木)へとへと

 地震のときはドイツにいて、今回の台風も、上陸前日にドイツへ飛んだので、猛威を直接経験することはなく、なんだか人生の運をすべて使い果たした気分でしたが、やはり帰りは大変でした。ルフトハンザがいきなり帰りの便をキャンセルしてきて、じゃあその代わりの便を自動的に用意してくれるかと言うと、そんなわけはなく、早いもの競争で交渉しなければなりません。今回は、たまたまドイツ人を連れて帰ることになっていたので、ばらばらになりたくないドイツ人が交渉してくれましたが、そうじゃなかったら、まだまだフランクフルトでうろうろしていたかもしれません。そんなわけで、フランクフルトからミュンヘンへ飛び、ミュンヘンから羽田へ飛び、羽田から伊丹へ飛んで、さらに伊丹から教授会へ直行しました。へとへと。



9月14日(金)そんなやつおれへんやろ

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)などというとんでもな妄言を、恣意的な引用を繰り返して「実証」したつもりになっている自称歴史学者が、3Kのやつにインタヴューされて、そのことを批判されると、インタヴューの聞き手とインタヴューされた人を同一視するような恥ずかしいことはするな的なツイートをしているようです。あれ、歴史修正主義者が歴史修正主義者と同一視されたら喜ばしいんじゃないんですかね、ちゃんと「真意」を理解してくれるお仲間じゃないですか。こんな自称歴史学者と共同で研究できちゃう人なんて、まさか存在しませんよね。



9月20日(木)細部に政治は宿る

 あんなことやこんなことがあって多忙を極める中、遠回りしたために間に合わなかった講習会「公的研究費の不正使用防止について」に、昨日出ました。「不正使用への関与は犯罪です!」が、3個目のスライドに出てきて、同じ文言でポイントを大きくしたのが10個目のスライドにも出てきて、話し手もそこは声量をあげるのでうっかり笑いそうになってしまいましたが、そんな不謹慎なことをするわけにはいきません。言うまでもありませんが、この手の講習会をバカにしているわけではありません。ただ、スライドに出てくる教員が男性に見える人物として描かれ、秘書がスカートをはいているのは、不正じゃないでしょうか。人に不正をするなと講習会をするのであれば、この共同体においては凡庸に過ぎるこんな不正を垂れ流してはいけないのではないでしょうか。最後の質問タイムのときに、糾弾しなかったことが悔やまれます。



9月21日(金)文芸評論家

 ある極右の議員によれば(えっ、極右でも議員になれるの???)、ヨーロッパのホテルでは少し前までテレビはソニーかパナソニックだったのが、今はサムスン、LGなど韓国製になっているとかで、それは、「中国や韓国が、組織だって慰安婦問題などの活動をして日本の評判を落としているから」だそうです。ほほう。それが事実かどうかはともかく、「慰安婦」問題を政府が「組織だって」全力で否認しているためにヨーロッパのホテルが不買運動を行っているのだとしたら、ごくごく当たり前のことだと言うほかありませんね。ところで、その極右議員のLGBTに関する発言を擁護する「壺太郎」とかいう文芸評論家とやらがいるのですが、あああ、またしても輩出してしまいましたか感を否めません。



9月22日(土)「さまざまな経緯」って

 先週は、エクスカーションの一環で広島へ行きました。もちろん「原爆資料館」とも呼ばれる広島平和記念資料館を訪れました。いろいろと気に入らないところがありましたが、敗戦後の状況についての記述の中に、「さまざまな経緯で広島にいた朝鮮人たち」というのがあって、「さまざまな経緯」って、まるで他人事のような書きっぷりだと思いました。朝鮮半島を侵略したやつらがいて、その結果侵略者の地に来ざるを得なかった人たちの経緯も、「さまざま」のうちのひとつにすぎないというわけですか。なぜ天皇の名の下に侵略した加害者についての言及がないのか、責任の所在を明らかにせずに、平和を「祈念」したって、そんなものは宗教にすぎませんよ。



9月23日(日)始めたんでしょ

 「1931年…の満州事変を経て1937年…には米英などとの太平洋戦争に突入しました」(「…」の部分は、クソ元号表記なので、割愛)とありました。見事なまでの「日本語」です。主語がありません。英訳がついていますが、もちろん「Japan started...」と書かれています。「天皇の名の下にアジア諸国を侵略していた皇国は、米英およびその同盟国に対して太平洋戦争を始めました」と、ちゃんと書いたらどうでしょうか。そもそもパネルの冒頭にも、「…太平洋戦争が始まりました」ってあるのですが、戦争って「始まる」ものなんですか。だれかの責任の下、「始める」ものじゃないんですか。責任の所在を明らかにせずに、平和を「祈念」したって、そんなものは宗教にすぎませんよ。



9月24日(月)国体論者とか永続敗戦論者とか

 言うまでもなく、加害者であったことについて知らないふりをしつつ被害者意識ばかりを強調するなどということがなければ、原爆による被害の訴えは普遍的なものになるだろうと思います。それは必然的に、核兵器廃絶の訴えへとつながるに違いありません。展示を見た上で、なおかつどこかのリアリスト国体論者のように核兵器をもつ国家があるんだからこっちだって核武装しなきゃいけないなどと、寝ぼけたことを抜かせるとしたら、それはもうとても理解の及ぶところではありません。あんな目に遭わされたんだから、今度は同じ目に遭わせてやろうなんて、なにがどうなると考えられるようになるのでしょうか。まあ、ああいう永続敗戦論者なんて、どーでもいいのですが、あんなのを間違って左翼だとか言う人がいるもんだから…。



9月25日(火)ましなわけがない

 そしてこの週末は、江戸東京博物館とか科学博物館とかへ行きました。前者には同行しなかったのですが、広島より批判的だ、というコメントのついた「戦争への道」の説明書きが画像で送られてきました。残念ながら英語でどう表現されているのかはわかりませんでしたが、相変わらず、「勃発した満州事変」とか「発生した盧溝橋事件」、さらには「日中戦争へ突入する」ですよ。これのどこが「広島より批判的」なのか、さっぱりわからないので、侵略の最高責任者に関する記述がまったくないではないかと文句を言っておきました。おそらく、そこらじゅう、こんな有様なんでしょう。滅びるしかない。



9月26日(水)自発的に害悪を垂れ流すじいさん

 科学博物館は科学博物館で、これまた日本スゴイ言説にあふれていて、どうしてもうちょっとフツーにできないのかと、ほとんど憐れみの世界です。おまけに、ヴォランティアでガイドを引き受けているじいさんが、同じくヴォランティアを引き受けている人に対して、原発と核兵器は違うんだから、さっさと泊原発を再稼働しろと「科学的に」息巻いて、「自発的に」害悪を垂れ流していました。そんなに賢いのなら、きっと放射性廃棄物の処理の仕方もご存知だろうに、お尋ねしなかったことが悔やまれました。ヴォランティアなんかせずに、とっとと消え失せてくださって結構です。



9月27日(木)『ブラックパンサー』

 この前、ミュンヘンから羽田へ飛ぶときに、他にすることがなくてどうしようもなかったので、この手のコミック→映画は、ことごとく(といっても、『X-MEN』と『スパイダーマン』しか知りませんが、まあ、そのふたつで十分でしょう)ムカついてきたのではあったのですが、見てしまい、やっぱりムカつきました。結局あれですか、哲人王がいいってことですか。道徳的な王様に支配されたいってことですか。こんなもん、「リベラルな天皇」(天皇である限り、リベラルであるわけがない)を持ち上げる臣民内田や高橋が涙を流して喜びそうなクソ映画じゃないですか。法で定められた手続きを道徳的に堂々と破っちゃうんですからねー、もうどうしようもないですよ。こんなクソ映画を見たら、どうしたって『勝手にふるえてろ』をもう1回、観ちゃいますよ。



9月28日(金)好きなわけがない

 先週の金曜日、ドイツ人に遅れて東京へ行くことになりましたが、ホテルに着くとすぐにメイルがあって、おまえは相撲が大好きだろう、明日のために桝席を買っといたから一緒に行こう、と書かれてあります。ひょっとして喜ばそうとしてるのかとも思ったのですが、ここは正直に、日本に関係するものはすべて嫌悪の対象だって、よく知ってるよね?と返事したら…、しばらく返信がありません。えええー。やっと届いたメイルには「そうなんだ…残念だ…」みたいなことが書かれてあって、あらら…と思いきや、数行あけて、「おまえを怒らそうとしただけだ」と。なんと、こんなに善良な人を騙すなんて…。翌日なんて、どんな顔してるか見たかったとか、言われましたからね。ったく、他人を疑うことを知らない人を騙すなんて、サイテーですよ。



9月29日(土)臣民ツール

 大阪に戻る日、東京駅の向こう側へ行きたいとか言うので、勝手に行ってもらいました。まあ、あんなところへ行くつもりがないことは十分に理解していて、待ち合わせは東京駅正面だったのですが、向こうは見ないようにして来てくれと言われました。あったりまえだ。なんか知らないけど、その下で虐殺が行われた旗が堂々と駅正面に掲揚されてあったので、あの旗の下で侵略が行われたのだ、あなたたちのところで言えばハーケンクロイツだよと、説明しておきました。ついでなので、入学式や卒業式では歌を歌わなきゃいけないんだよと、どこまでも臣民教育が行き届いていることを紹介しておきました。グーテ・アルバイト。



9月30日(日)47人の大先生たち

 九州のある市議会で、子どもを議場に連れてきたことをかつて問題視された議員が、今度は質疑の際にのど飴を口に含んでいたからという理由で謝罪を求められ、謝罪を拒否したところ、出席停止処分とやらになり、議会は「正常化」されたそうです。それで「正常化」される議会が「異常」だってわかる議員は、当該議員以外にはいないようです。なにしろ、当該議員以外の大先生たち47人全員が、懲罰動議に賛成したのですから。自民や公明や保守政党のじじいたちが賛成するのは首尾一貫しているのですが(もちろん、首尾一貫してクソ)、共産党の議員はいったい何を考えているのでしょうか。いや、どーせ市議会議員なんて歯車にすぎないから、責任は党本部がとるんですかね。この差別を、党はどう釈明してくれるんでしょうか。



10月1日(月)もっとも許せないやつら

 基地移設反対というか、厳密には基地新設反対の候補者が、大阪の差別主義者たちに応援された候補者に圧勝し、沖縄の新しい知事になることが決まったようです。当選が確実になると、どっかの宗教団体の旗が選挙事務所ではためいていたそうで、心の広い方たちは、「造反」と呼んで好意的に受け入れているようですが、冗談じゃありません。この人たちはいつもこうなんですよ。「世界平和」を口にしながら、イラク派兵に賛成したんですよ。安保関連法案のときだって、その宗教団体の大学の一部の教員は反対してみせたのです。でもそれだけです。要するに、どっちに転んでも、後出しジャンケンできるように備えているだけです。大阪の差別主義者たちも許せませんが、こういう宗教まみれの不誠実な者たちが、私は一番許せません。言うまでもなく、この大学に所属しておいて、その宗教団体とは一切関係がありませんとか言う「不信心」なやつも。



10月2日(火)おっとろしぃ

 9月は恒例のコロキウムがあり、とんでもない経路で伊丹に戻り、そのままゼミナールやら講演会やらエクスカーションやらに時間を奪われ、なんと気がついたら昨日から新学期が始まってしまいました。1回目の授業なんて顔合わせ程度どころか、学生の頃は、1回目なんて絶対に休講でしたが、いまどきそんなことをしているとあんなことやこんなことがあるので、まあ、フツーに授業をするわけです。昨日は授業後会議があり、会議後、ソッコーでエクスカーション。なんと、初甲子園でした。それがもう、観るも無残、10対0ですよ。ヒット1本ですよ。後ろの席に座っていたガキんちょは、クロスプレーでもなんでもないプレーの判定に対して、「負けたらお前のせーやかんなー」と、審判に対して声を張り上げるのです。おっとろしぃ。同行者たちがその言語を知らなくて、ほんとよかったです。



10月3日(水)そもそも「サ市」とか書くなよ

 大阪市がいちゃもんつけて相手にしてもらえなかったため姉妹都市を解消したのですが、市の行政府の長は、「捏造された事実に基づく慰安婦像と碑文」とか、平気でツイートしちゃってるのですよ。この人、まともな歴史学者の見解を知らないんでしょうか。まさか「朝日の捏造」とかいう寝言を、信じちゃってるんじゃないでしょうね。いやしくも弁護士なのに、朝日が訴訟すべてで勝訴していることとか、ご存じないのでしょうか。もし知らずに言ってるのなら、「無知は犯罪」の一例だし、知ってて言ってるのなら、悪質極まりない。



10月17日(水)ただただ我慢

 もっとも美しい月がいつの間にやら過ぎ去ってしまい、次の月も半分以上過ぎてしまいました。いろいろと、片づけないといけないことがあって、片づけても片づけても、相変わらず後から後からわいてきて、結局まだ片づいていないことが残っています。まあ、そういうのはある意味では力仕事なので、何も考えずひたすら片づけマシーンになれば時とともに片づくはずです。それよりも、あんなことやこんなことは解決のしようもなく、ただただ嫌な思いを我慢するしかなく、ちょっとあれです。大昔なら、暴走してくったくたになって眠りこけてごまかす、という逃げ方があったのですが、じじいになったいまでは、そんなことをしようものならヘルニーが黙っていません。つーことは、この状況はヘルニーよりかはましだってことなのか。



10月18日(木)ジュリーの爪の垢さえもったいない

 「いじめ」を「芸」と勘違いしている天才とやらが、ある自殺者について「死んだら負け」と言い、「死んだらみんながかばってくれる」と言い、まあ、天才にはそのふたつの発言は矛盾しないわけです。「死んだらみんながかばってくれる」からええよな、と言いながら、いじめ、「死んだら負け」と言いながら、いじめるわけですから、どっちみちいじめることができるわけで、そりゃ矛盾しないでしょう。おまけに、「死んだら負け」は、自殺者を減らすために言うのだと、正義の味方までやらかすのですが、これって、シニシズムのおれ、やっぱ天才、って感じなんでしょうか。いいや、あんたはたんに強者の論理にあぐらをかいた扇動者にすぎないよ。面白くもなんともない。



10月19日(金)特任何ちゃら

 そもそも人の生死について勝ち負けを判定するなんて、いったいなにさまなんだって思いますが、まあ、吉本のげーにんさまなんでしょう。「死んだら負け」と言いながら、いじめ続けるっていうのは、要するに、いじめはいじめられる側に問題がある、って発想と同じですよ。そう言えば、いじめられた経験くらいなけりゃ社会で使い物にならないとかのたまわった歴史修正主義者で差別主義者の国会議員がいましたね。イデオロギー的にはほとんど重なる両者ですから、何の不思議もありません。あっ、本学のフロントスタッフ・ミーティングでも、いじめを克服できなきゃ社会でやっていけないとか言った特任何ちゃらがいました。あんなのを雇うような大学は、そりゃ壺太郎を生み出すか。



10月20日(土)本人が言ってんだからいいと言う他人

 「障がいは言い訳にすぎない」というパラスポーツのポスターが、例によって「誤解・曲解」を助長するという理由で撤去されました。批判する人々からつねに言われていることですが、「誤解・曲解」を理由とするのであれば、どのような「誤解・曲解」を助長するのか、明確にすべきです。そうじゃないと、問題があるのはあたかも「誤解・曲解」する方であり、そこにはそもそもなんらの差別もなかったかのようだからです。障がいのある人が自分自身に向けた言葉だということがはっきりしていればよい、というような声もありますが、それも間違っています。そういう声は、自殺者を減らすために「死んだら負け」を言い続けるぞと決意表明する差別主義者となんら変わりません。あっ、本学のフロントスタッフ・ミーティングでも、障がいをもつ特任何ちゃら(先述とは別人)が、アファーマティブアクションは合理的配慮ではないと決然と言い放っていました。



10月21日(日)いい物を見ました

 昨日は知り合いの教え子たちが文化祭を催しているということで、おされな街の中学へ見に行きました。中1までは八王子にいましたが、中2からは消してしまいたい過去ゾーンに入るので、展示物を見ても、なんだかまったく経験したことのない別世界のようで、羨ましかったです。きっとみんな嫌な思いも抱えつつ、絵を描いたり文を書いたり写真を撮ったりしているのだろうと思うと、悲しくなったりもしましたが、おそらくそんなものはじじいのパターナリズムにすぎないのでしょう。



10月22日(月)喫煙も公務なんですよね

 公用車に乗ってたばこを吸う知事さまは、「公務」としてたばこをお吸いになられているのでしょう。すげー。ひょっとして、ルソーなら一般意志によってたばこをお吸いになっているのであり、カントなら普遍的意志によって喫煙されていることになるのでしょうか。すごすぎる。ところがこの方、「人間だから」という理由で、定められた喫煙所ではなく、公用車をお使いになられたそうです。ということはあれですか、この方は「公務」として人間をなさっているんですか。すげー。もはや、公用車で靖国に出かけ、「私人として」内閣総理大臣と記帳した感動男と変わりませんね。



10月23日(火)片づけマシーン

 今日も怒涛のようにばりばりと書類を作り続けた。9時くらいから始めたのだが、あれよあれよという間に時は過ぎさり、とりあえず出来上がった文書を送信したら、もう12時前になっていた。わき目もふらず、あんなことやこんなこともせずに、集中したのに、元来とろいので、時間がかかってしまう。もともとこの作業は、さっさと済ませ、次の作業にとりかかる、というのが本日の予定だったが…。次の作業もひたすらマシーンと化し、片づける。予想よりも早くに片づいたので、さらに次の作業にもとりかかれた。そしてこれもクリア。ところがまったく気は晴れない。なぜなら、昨日、またしても片づけ案件が降ってきたからだ。それにしても、研究推進のために取り組んでいることは何かって、それ、ツッコミ待ちかよ、って言いたくなる。



10月24日(水)それ自体最後にしたらいい

 11月になるとなんちゃら祭とかいうのが行われるそうですが、これって、いまさらですが「公認」だったんですよね。つまり当局が、「ミスコン」というセクシュアル・ハラスメントを「公認」してきたわけです。そういえば、言論の自由だとかいって擁護する学者もいましたが、それって、差別する自由がある、自由に差別させろ、って主張ですからね。たんてきに不正ですよ。そして今年のこのなんちゃら祭には、「××最後の」(××は、言わずと知れたアレです。書きたくないので書きません)とかって語句がくっつけられています。くっつけた方たちは、善良な臣民のみなさんなんでしょうけど、法の下の平等に反したやつの存在によって時代を画するなんて、間違ってますからね。「なんちゃら150年」とかいって式典やらかすやつらとなんら変わりません。



10月25日(木)向こうの方

 向こうの方でやってるやつは、大学公認ではないようですが、学生と教員が企画運営しているそうです。公認ではないけれど、食堂では大画面で宣伝されています。そうじゃなきゃ知らずにすんだのに、そんな余計なことをするから、知ってしまいました。その祭の一環で「落語会」なるものが開かれるのですが、だれを呼んでいるのかと言うと…。夭折した熱烈な阪神ファンを父親とする極右差別主義者のあの落語家ですよ。これって明らかに政治的な意味がありますよね。きっと確信犯でしょう。なんつっても「西の筑波」ですからね。えっ? 政治的信条で差別するのかって? 差別主義者がこそこそ生息するのは知るところではありませんが、公認ではないとはいえ、食堂で宣伝が行われるような催し物にのこのこ出てくるのが許されるわけないでしょ。



10月26日(金)反原発なら何でもいいってわけじゃない

 自分のことを立法府の長だと言ったけれどもその発言を議事録から消した行政府の長の祖父のひとりは、反社会的勢力を雇って一般市民のデモ隊に暴行を加えさせました。その60年安保のとき、労働者や学生によって国会議事堂が取り囲まれた際に、その祖父と一緒に議事堂にいたのがその内閣の法務大臣でした。その法務大臣は戦犯で巣鴨にも収監されていたのですが、なぜか金持ちで新宿にビルを建てました。そのビルに入っている店のオーナーが、行政府の長の祖父と一緒に議事堂にいた戦犯の法務大臣の孫で、「アホフェミ」ってツイートをした人です。ええ、祖父が戦犯だったことは関係ないですね。でも、あなたがそこに店をもってることはあなたがその戦犯の孫であることと無関係なんですかね。



10月27日(土)「変わり者」語法

 その差別的なツイートやふるまいを批判されると、「変わり者と言われている」という言い訳をする「変わり者」語法は、たんに差別者であることをまわりくどく認めているだけで、ちっとも差別を正当化しないし、そもそも「変わり者」のはずなのに、きわめて凡庸な差別者のクリシェだったりします。まあ、自分のことを「変わり者」と言う者が、どストライクのザ・凡庸ってのは、それこそ凡庸な事実であり、あえて言えば、凡庸さが凡庸じゃないかもしれない程度です。100万歩譲って自己申告通り「変わり者」であることを認めてあげたとしても、「変わり者」だからって、差別が正当化されるわけではありませんよ。



10月28日(日)『ザ・メイヤー』

 うーむ、チェ・ミンシク、実に悪いやつです。参謀役のクァク・ドウォンは、最近よく見る人ですが、いっつも有能なナンバー2で、しかし欲を出してトップになろうとするとたちまちコケてしまうという役柄が多いような気がします。対抗馬の女性候補が「市民ファースト」って言ってたんですが、あれって、「翻訳」のせいなんでしょうか。シム・ウンギョンが、悪者チェ・ミンシクに対置される正義の人なのですが、しかしこの人って元々広告代理店に勤務しちゃってた人なんですよ。そんなところに勤務しちゃう人が、正義の人なわけないっしょ。政治家の欺瞞はもちろん許されないと思いますが、広告代理店なんて、存在が許せません。



10月29日(月)提灯記事

 私人であることを閣議決定されたやつが税金使って中国へ行き、遊んできたことを、「「ファーストレディー外交」を展開した」だの「驚いたり、歌ったり、慌ただしく北京の街を駆け抜けた」だのと、朝日新聞デジタル版で書いてる記者がいるんですが、「私人」が税金でそんなことをしてもなんとも思わないんですかね。なんとも思わないどころか、提灯記事をしたためて、ひょっとして悦に入ってますか。どぶに金を捨てるほど金持ちじゃないのでこの先が読めないんですが、ひょっとして有料ゾーンで、ふざけんなスーパー私人、とか糾弾してくれてるんでしょうかね。いや、きっとそうに違いありません。だってこのままじゃ、ただで読める3Kと変わりませんからね。さすがだ、宮嶋加菜子と平井良和。



10月30日(火)哲学史家の研究者

 「もし日本国民が天皇制を廃止するなら憲法改正が必要になります」とかいうツイートを見かけたのですが、「だから? 改正すりゃいいじゃん」としか思わないわけです。(「教育勅語を悪く言うなら、帝国憲法を否定しなきゃいけなくなりますよ?」というような、もうまったく理解不能なツイートもどこかで見たような気がするのですが、探しても見つかりませんでした。)この手のツイートを見ると思い出すのが、ナチス党党員だった哲学史家の研究者が、死者の戦争責任を問えることになってしまったら、天皇の戦争責任を問えることになってしまうじゃないですか、と哲学の学会誌に書き散らかしていたことです。正解は、死者の戦争責任を問えないとしたら、天皇の戦争責任を問えなくなってしまうじゃないですか、です。あったりまえですが。



10月31日(水)わかりやすい

 ヌッポソの外務大臣さまはちょーエラいので、よその国家の司法府による判決についてその国家の行政府に対していちゃもんを垂れることができるそうです。さすが、自分のことを立法府の長だと2度も言ったことのある行政府の長に任命されて外務大臣さまをお務めになってるだけのことはあるけど、ひょっとして三権分立ってご存知ないのかな。まあ、テレビは国家的陰謀のせいで映らないし、どぶに金を捨てるほど金持ちじゃないので新聞も購読しておらず、したがって直接知ってるわけではないのですが、キャスターやら記者やらも、三権分立をご存知ない方たちであふれているそうですね。そういえば、以前授業で、この共同体において司法が高度な政治的判断などといって判決を下さないのは問題だと言ったら、司法が行政の邪魔をしないのは当たり前だとほざいた学生さまがいて、「このクソバカ」と思いました。そいつはしっかり殺人集団に就職しましたよ。実にわかりやすい。



11月1日(木)違うけど、大差ない。むしろ悪賢い

 その外務大臣さまのことを、父親とは大きな違いだ、とか言う方もいらっしゃいます。もちろん違うことは違うのですが、しかし私はあの父親に代表されるようなあの政党内の「リベラル」とか「ハト派」とかが、やっぱり許せませんね。だって結局は、あの政党にずっとい続けるわけですからね。そんなに立派な人なら、あんな政党にいられるはずがありません。あんな政党にいられるということは、要するにしょせんはそういうやつらだということなんですよ。いい大人が何かをやらかすと、親が出てきて謝るのがこの共同体の「倫理」ですが、その「倫理」に従うなら、あんな外務大臣さまを作り出してしまったことの責任を公式に謝罪してほしいところですよ。ヌッポソ大好きなんでしょうから、ヌッポソの「倫理」には逆らえないでしょう。



11月2日(金)デマは訂正すべきだろ

 いわゆる韓日協定において個人賠償は放棄されたなんてデマを流通させて、「ゴールを壊した」とか見出しをつける極右メディアは平常運転として、もはや朝日やら毎日やらも、アラブ首脳と飯食いたいから専用機が欲しい外務大臣さまとかと変わらないのですね。賠償や和解に応じないよう企業に要請する政府って、いったいなんなんでしょうか。かつて予算委員会において、政府委員としてのあの柳井俊二が「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」って答えてるのに、それは無視ですか。恫喝されようがなにされようが、せめて朝日や毎日は、デマを訂正してまわる必要があるんじゃないでしょうか。「あり得ない」とか言ってるやつが「あり得ない」んだって、教えてやんなきゃ。



11月3日(土)ああ、辞めたい

 3月に突然、ある体育会の部長をやるように言われ、だれかがやらないと活動ができなくなるので、署名・捺印係なら、まあ仕方ないかと引き受けたのです。それが、「部員が部長の顔を知らないのはおかしい」とか「部長が試合に来ないと士気にかかわる」とか、非合理主義丸出しのことを言われ、部長の顔なんて知らなくてもちゃんと競技できなきゃダメでしょ、と当たり前のことを言ったのですが、どうも通じていないようなので、辞めることにしました。そしたら機嫌を損ねたと思ったのか、とりなそうとしてくるのですが、そうじゃないから。イデオロギー的に相容れないのですよ、体育会は。オリンピックなんて、とっととやめるべきだと思ってるんですよ、この部長は。わかんないでしょ? だから、もう辞めさせてください。



11月4日(日)大会会長(秘)

 そんなわけで、昨日はなんとある対抗戦の大会会長として、挨拶なんぞをする羽目になってしまいました。まあ、11月3日なんて、元をたどれば祝うことなどできないので、どーせ出勤はするのですが、その前に「礼儀正しい」人々を前に挨拶って…。笑かそうとしても、まったく笑わないしね。目の前で選手宣誓とかされちゃいました。言うまでもありませんが、最後に元号をお使いになっていました。そしていつからあんなことをすることになったのでしょう。開会式が終わるや否や、各大学が前に進んできて、「〇〇大学、よろしくお願いします!」と声を揃えて言うのですよ。あああ。死にたい。そんなわけで、ひとつも競技を見ず、ソッコーで職場へ向かってしまいました。大会会長なのに。



11月5日(月)まったく興味ないっす

 悪いけど、現役の人たちがどんなに活躍しても、なんの興味もないのですよ。ナッシングです。正直言えば、自分が現役のころだって、自分以外のやつのことなんてどーでもいいと思ってたんです。そもそもあのみんなで円陣組んで全寮歌うたうとか、アホだと思わないのでしょうか。古き良き時代って、なんですか。その時代、主権者はだれだったか知ってんのかよ。すでに朝鮮半島を侵略していた時代だぞ。何が良き時代なんだ? そんなに侵略者であることがすばらしいのか? 試合前の全体練習で集合すると、必ず、「勝ってうまい酒飲もう」とか、なんとかのひとつ覚えみたいに言ってたふたつ学年が上の主将とかいましたが、アルコールがうまいのかよ、ボケが、って思ってました。こんなクソ共同体からは、きっぱりおさらばしたい。



11月6日(火)『女神の見えざる手』

 邦題はサイテーですが、なかなか面白い映画でした。自分がかかわっている仕事については細部までちゃんと知っておけ、ということのたとえ話として、「ルカ伝第14章第10節」を知らなかったために「栄光」にたどり着けなかった神父の話が披露されたり、テキサスではなんと、ディルドは違法だけど、ショットガンは買える、という驚くべき事実が明らかにされたり。その事実に対して、「だからディルドによる殺人事件は少ない」って返答もすばらしすぎます。いかんいかん、これではエロネタ満載だから面白かったみたいな感想になってしまいますが、けっしてそうではありません。それにしても、テキサスではどうしてディルドは違法なんでしょうか。やっぱあれでしょうか、ディルドには勝てっこないからでしょうか。



11月7日(水)最上の叡知による差別

 「ミスコン」批判をすると、きまって「「ミスターコン」もすればいい」と、差別の上塗りをするやつが出てきますが、なんと四谷の大学では品評会のすえ、「ミスなんちゃら」と「ミスターなんちゃら」を選んでいるのですね。「なんちゃら祭」の運営はひとつのサークルが行っているようですが、そのサークルは、当然ですが、当局公認でしょう。ということは、大学公認の差別大会が行われているということですね。大学案内によれば、「なんちゃら」の意味は、「人を望ましい人間へと高める最上の叡智」だそうです。へー。いったいどのような「最上の叡智」をもってすれば差別を肯定できるのか、まったく理解できませんが、それはきっと私が「最上の叡智」をもっていないからでしょう。でも、それって論点先取ですよ。論点先取的差別。



11月8日(木)新教も負けてない

 そして旧教が最上の叡智によって差別を行うとすれば、新教も負けてはいられません。上ヶ原にある大学は、かつて、現在も東海地区にある大学で教鞭をとる法学部の教授がセクシュアル・ハラスメントを行ったと記者会見をしたのにお約束のように依願退職を認めた、寛大にして畏れ多き大学ですが、ここはいち早く「ミスコン」をソフィスティケイトしました。品評会においては、もっともそこの大学生らしい人物を選ぶのだそうです。先日その「ミスキャン」候補らが、わんわんたちに協力して、痴漢の被害に遭わないように、街頭で注意を呼びかけたという新聞記事がありました。きっと最上の叡智があれば突っ込んだりしないのでしょうが、品性下劣だと、おまえら差別主義者だろ、とか、わんわんたちに協力って、とか、ほほう、痴漢は被害に遭わないように気をつけなきゃいけないものなのかよ、とか、どこから突っ込めばいいかわからないくらいです。最上の叡知はなくても、「ミスキャン」も痴漢も、ロジックは同じだってことくらいはわかります。



11月25日(日)広告屋とか政治家とか

 自分が望んでいることとはことごとく反対のことが現実となっていきます。かつて公募は、出しても出しても「貴意にそえません」という文書しか戻ってこず、いっそのこと「貴意」の方を変えてやろうかと思ったものでした。ひょっとして、オリンピックとか万博とかについて、広告屋とか広告屋とかいった利権に結びついたやつらと同じ「望み」をもつことができるようになれば、うれしくって仕方なくなれるのでしょうか。ひょっとして、不正がそんなにうれしいのかよとしか思えないような喜び方をしている政治家たちと同じように歴史修正主義者になって、強姦強盗虐殺を否認できるようになれば、うれしくって仕方なくなれるのでしょうか。言うまでもなく、正は善に優先するので、そんな広告屋とか政治家とかと結びついた喜びは、消えてなくなれと思います。



11月26日(月)痴漢が「活動」かよ

 立命館大学哲学会大会に招待されて講演した哲学研究者が、定言命法の例として、「女性がまた痴漢してほしいと思われるように痴漢すべし」と言い、それに対して抗議を行った人に、はっきりと「撤回しない」と言ったそうです。これって、学問とは一切関係のない、学問にかこつけたたんなる不正です。抗議に対して、「あなただけにしゃべってるんじゃないんだよ」とも言ったそうですが、つまりこの場には痴漢を好むやつもいるんだから講演者としてはそいつらにもしゃべらないとね、ってことですか。哲学研究者だからまともだなんてわけはありませんが、しかしいくらなんでもこのハラッサーは許し難い。(立命館大学哲学会大会で検索をかければ、この度し難い研究者の氏名も所属も判明します。)



11月27日(火)道徳的な痴漢などあるわけがない

 この哲学研究者の議論に従えば、痴漢には「よい痴漢」と「悪い痴漢」があって、「よい痴漢」の場合は行うよう定言的に命令され、その命令に従うことは道徳的だということですよね。「痴漢せよ」が定言的に道徳として命令される社会なんてものを、どのような哲学的思考を経れば思いつくのか、私にはさっぱりわかりません。こんな議論が展開され、笑いまで起きるような会場にいて、恐怖を覚える人がいるのは当然でしょう。その場にいて不快に感じたというようなことを口にした人もいるようですが、問題は、言うまでもなく不快に感じる人がいるかどうかではなく、その発言が正義に反しているということにあります。謝罪するなら、ちゃんと「私は不正を犯しました」と言って謝罪すべきです。まあ、しないでしょうけど。



11月28日(水)だから道徳じゃダメなんですよ

 入管の虐待を批判する落書きがあると、突如として現れる道徳家がいて、つくづく道徳じゃダメだと思います。落書きを消すために税金が使われるなどというあたかも納税者の立場に立っているかのように物を言う道徳家には、その同じ口で、税金で虐待を続ける者たちに対する批判もちゃんと言ってみろと言いたいですが、まあ、道徳家なのでそんなことをしないことはわかっています。こんな道徳家がやらかすことと言えば、入管の職員も個人的につき合うとめっちゃいいやつだよ的な、クソのようなコメントの垂れ流しです。わかった。わかった。道徳家なんだから「正直に」そのくだらない臣民メンタリティを口にしたらどうですか。入管に収容される側が「悪」であり、わが官吏は「善」だと。



11月29日(木)「外国人を都合よく使い捨てする法」

 「外国人を都合よく使い捨てする法」がいつものとおり、強行採決によって衆院を通過しました。行政府の長によれば、これは「喫緊の課題」だそうですから、結局のところ、外国人を都合よく使い捨てすることを合法化することが喫緊の課題だということになります。「自民党にもリベラルと呼ばれる人たちがいて…」なんて言い分に耳を貸してはいけません。自民党は強行採決「のなかにおいて」賛成したのです。線香屋など言うに及びません。そして、衛星党であるヌッポソなんちゃらの会も「外国人を都合よく使い捨てする法」に賛成しました。そういえば、かつて参院選において東京選挙区で大阪なんちゃらの会から立候補した田中康夫っていうのがいました。まだ息してるんでしょうか。ひょっとして、万博ソングかなにか作ってますかね。絶対に忘れてやんない。



11月30日(金)へたれ

 ある中学の文化祭で美術部員が描いた絵を見て、小学生の頃、ちらっと読んだことのある『灰になる少年』の絵を思い出し、断片的にしか読んだことがなかったので、全部読んでみようと古本を手に入れました。しかし覚えているのは、何度か「事故」を繰り返すうちにある大人が自分を殺そうとしていることに気づき始める子どもの話だってことだけで、当時もかなり怖い思いをしましたが、いまになっても怖くてちょっと読めません。このところいろいろと嫌なことが重なっていて、「そんなこと、へでもねーよ」という余裕がないので、読むのはもうちょっと先にするか、ひょっとしたらもう読まずに捨ててしまうかもしれません。



12月1日(土)どーする、臣民???

 じいさんが疲れたから辞めたいと言ったら、その「おことば」に従って国会が決議するなんていうのは憲法違反も甚だしいのですが、第一臣民の内田や高橋は、そんなことは何とも思わないのでしょう。そして代替わりするからなんちゃら祭なんてものをすることにも、まったく反対しないでしょう。じゃあ、そのなんちゃら祭に国費を支出するのはどうたらこうたらとか言い出したやつについては、やっぱ「さすがリベラル」とか言うんでしょうか。そんなことを言ったら、しかし長男のやろうとしていることを批判することになっちゃうわけで、臣民としては許されないことじゃないんですかね。さあ、どっちですか。



12月2日(日)自称リベラルのプロ臣民

 正解は、「どっちも素晴らしい。」もうあの一族のすることであれば、なんだって素晴らしいんですからね、第一臣民の内田や高橋にとっては。それらが相互に矛盾していたとしても、なんつっても「絶対矛盾の自己同一」ですから、何の問題もない、というか、むしろそういうあり方こそが天皇制なのでしょう。しかし考えてみれば、別に矛盾はしてないかもしれません。やつが言ってるのは、あっちの国費じゃなくてこっちの国費を使ってくれ、ってことですから。なんちゃら祭そのものを禁止するとか、天皇制を廃止するとか、そういうことじゃないですから。なのに、「さすが××様」とか言ってるやつは、自称リベラルのプロ臣民に他なりません。



12月3日(月)切断って便利

 買うか買わないかは別の議論だが、その別の議論の前提として性能の話をしなきゃダメだと言い、戦闘機の性能をほめちぎっている学者(?)が同じキャンパスにいるのですが、まあ、まったく驚きもありません。戦闘機の性能をほめちぎるって、要するに、殺人能力の高さをほめちぎってるわけですよね。買うか買わないかを別の議論として切り離したように、殺人能力の高さをほめちぎるかどうかと、その言語行為が正か不正かも、きっと切り離して考えられるんですよね。いやもう、立派です。そうそう、原発事故があったことと被曝するかどうかだってもちろん切り離して考えることができるし、そのうち被曝したって発病するかどうかは別だとか言うでしょうね。切断って便利。 



12月4日(火)石がない

 たしかに暴動なんてない方がいいかもしれないですが、しかしそれは、暴動がない共同体の方が、暴動のある共同体より優れているとか立派だとかいうわけではけっしてないことはたしかです。その「暴動がない共同体」には、差別語を吐く、合法的な暴力組織としての機動隊なんてものが存在し、そいつらの労をねぎらう差別主義者の知事がおり、いかなる意味においても暴力以外の何ものでもない万博なんてものを招致して大喜びしているわけです。そっちの税金じゃなくてこっちの税金を使えと憲法違反の「おことば」を吐くやつがいて、それを絶賛するリベラルプロ臣民がいるのです。昨日も構内を赤色灯をつけたわんわんが侵入していました。残念なことに、このきれいな構内には石が見当たりません。まあ、石があっても投げたりしませんよ。やつらがどんだけ怖いかは知ってますからね。


12月5日(水)たんなる茶番にとどまらない

 デモ隊への連帯を示すしぐさとしてヘルメットをとってみせるわんわん隊の隊員たちがいて、そういう茶番を素晴らしいことのように報道している人たちがいるようですが、この手の人たちはまず間違いなく、「疲れたからやめたい」とか「そっちの税金じゃなくてこっちの税金を」とかいう「おことば」を絶賛してやまないリベラルのつもりの体制べったし派です。わんわん隊の隊員は、わんわん隊の隊員を辞めない限りなにをしようとわんわん隊の隊員であり、あいつらはあいつらであることを辞めない限り何をしようとあいつらなわけです。「わんわん隊の隊員だって大変なんだよ!」→「やめれば?」 「あの方たちだって大変なんだよ!」→「やめれば?」 そして問題は、このような茶番がたんなる茶番として終わるものではなく、暴力的支配を正当化し強化し続けるよう機能する点にあると思います。



12月6日(木)「更生」しているだろうか

 10年くらい前に、近隣の専門分野で集中講義があり、呼ばれた方が知り合いだったため、慰労会に参加させられました。諸般の事情により、会の最後まで残ることになってしまいましたが、お開きになって帰ろうとしていたら、先に帰ったはずのひとりの学生が飲みすぎて路上に横たわっているなんて話を聞かされてしまいました。別に学生のことが心配になったわけではありませんが、後々責任を問われると面倒なので、現場まで行ったら、路上前の「善良な」マンション住民がわんわんに通報し、わんわんが2匹来ていました。そんなやつらは関係ないので、完全に無視して救急車の手配をしていたら、帰って行きましたが、そのときあろうことか、「ありがとうございました」と頭を下げているアホがいて、愕然としました。その後、ちゃんと「更生」しているだろうか。



12月7日(金)とっとと説明したらどうなんだ

 文科省の大臣時代に人文社会学系の学部は不要だと言い(そんなことは言っていないと、一生懸命擁護する提灯持ちもいますが)、加計学園の秘書室長からパーティ券代を受け取っておきながら、「説明は選挙後に行う」と言ったまま、「選挙後」になってもしらばっくれたままのやつがいます。まあ、説明を選挙前や選挙中にはしなかったのですから、今後説明が行われるとしたら、それはたしかに「選挙後」に違いありません。しかしこんな言い方を認めるのなら、もはや、説明は説明を行うときに行うと言ってるだけのことになります。そしてそいつが、「日本だけが、戦後一度も憲法改正も修正もしてこなかった。本当に国民主権、民主主義、立憲主義の国なのかが問われている」と、一文目と二文目のつながりがまったくない、わけのわからんことをほざいています。ちゃんと人文社会学系の学部で学んでください。



12月8日(土)これぞ共同体の倫理

 外国人技能実習生が3年間で69人も亡くなっているということを聞かされて、普段から自分のことを最高責任者呼ばわりしている方が、そんなこと知らねぇ―って言うのって、いつものあれなんでしょうか、下の者から責任を順に上へ送り(「上から言われたことをしただけです」)、そして一番上のやつが「責任なんかない」とすっとぼけることによって、結局だれも責任を負わなくてよいという、侵略戦争の際にも使用された伝統芸ですかね。こんな不正確なことを書くと、どっこいしょたちが「そんなこと知らねぇ―」なんて言ってない、っておっしゃるでしょう。でも、「私は答えようがない」って発言は、「そんなこと知らねぇ―」の言い換えじゃないんですか。もしそうじゃないんだったら、いったいどういう意味なんでしょうか。やっぱあれですか、時差ぼけが激しく残っている「中において」、「ややこしい質問」をすんじゃねーよ、って意味ですか。



12月9日(日)要するに、クソ

 まあ、内田樹のような第一臣民が元号の必要性を訴えても、なんの驚きもないどころか、首尾一貫した考え方をする臣民がいるんだくらいの感想しかない。もっとも、そんなものが「考え」に含まれるとしてだけど。例によって、自分のくだらない父親が「明治」という元号に縛られた生き方をしたという、ちょーどーでもいい私的な事柄から、「人間というのは「そういうもの」だ」と人間一般を論じる。自分のちんけな父親がいつから人間を代表するようになったのか、まず教えてほしい。「元号を廃して、西暦に統一しようと」言うような者は「極端なことを言」ってることになるらしいが、だったら、共和主義者は極端なことを言ってる者たちであり、法の下の平等を主張する者たちも極端なことを言ってる者たちだということになるだろう。そういえばこの臣民、『ためらいの倫理学』の「中において」、自分の国を愛することは「自然」なことだとかほざいておったのではなかったか。極端じゃないことって、要するに、クソだってことか。



12月10日(月)びっくり人間大集合

 「私は西暦と元号の併用という「不便」に耐えるくらいのことはしても罰は当たるまいという立場」だそうで、罰が当たるとか当たらないとか、およそ学者とは思えない言い回しだが、まあ、フランス現代思想系の学者だから仕方ないかもしれない。笑止千万なのは、元号を使うことが「不便」かどうかなんて、どーでもいいことにしか問題を見ておらず、それがいかに正義に反しているかなんて、まったく意に介していない点だ。なんつっても、天皇と霊的につながる特殊イタコ的能力をおもちだそうだが、まあ、そんなびっくり人間大集合はどうでもいい。身分制は正義に反している。こんなことは、小学生でもわかる基本だ。



12月11日(火)とっとと説明せよ

 改憲本部長が、「護憲は思考停止」とかおっしゃったそうです。ええ、加計関係者にパーティー券を買ってもらったことについて選挙後に説明すると言ったことを忘れず、ひたすらその説明を待ち続けているのは、たしかにそこで思考が停止しているかもしれません。思考が停止したままなのは、選挙が終わってもまったく説明せずにすっとぼけて改憲本部長をやらかしている方のせいですよ。さあ、とっとと説明してください。



12月12日(水)なんちゃら和弘

 その映画監督とやらがいかに選択的夫婦別姓に賛成していようと、スーパー私人を妻に持つ夫の写真を見て「何だこの将軍様感」と言ってのける時点で、たんなる差別主義者だということがわかります。共著だって、天皇と霊的につながってるびっくり人間や核武装しなきゃね国体論者と出せちゃう人なんですから、差別主義者じゃない方が、むしろ不思議なくらいです。おまけに、「フランスは良くも悪くも革命のDNAが社会に刻まれている」そうです。ヌッポソには、「封建制のDNAが社会に刻まれている」そうです。デオキシリボ核酸て、どうやったら刻んだりできるのか、ぜひ教えていただきたいものです。ふたつのことは、しかしまったく無関係ってわけじゃありません。差別主義者は、いずれその「科学的」根拠をまことしやかに垂れ流し始めます。共和国を蔑む根拠はこれこれだとか、植民地支配された理由はこれこれだとか。御託を並べる前に、侵略者であったしいまなお差別し続けている側のことを少しは考えてください。



12月13日(木)協議的モデル

 ハーバーマスは、共和主義的な規範モデルについて、社会が国家の中心を占めることになり、その結果リベラルなモデルとは異なって社会と国家が分離されなくなる点にその特徴を見出しています。共和主義者ルソーは、まさしく、個別意志が一般意志から遠くなればなるほど、強力な国家が必要だと論じています。それに対してハーバーマスの主張する協議的モデルでは、国家機構に回収されない公共圏が確保され、社会と国家の一体化が回避されます。コミュニケーションのもつ力(「力」として論じることが、ひょっとするとハーバーマスの限界ではあるかもしれませんが)を、国家機構だけではなく、それらから独立した公共圏にも、認めることになります。こういうことが当たり前のように現実となるヨーロッパにおいてではなく、むしろ、何をしようと政府与党のすることが正しさのすべてであり、デモだって警察に感謝しながら行うもののみに意味が見出されるような共同体においてこそ、ハーバーマスの議論のまともさは一層際立つのではないでしょうか。どーせフランス現代思想系のやつらは冷笑するだけでしょうけどね。



12月14日(金)便利ワード

 天皇と霊的につながる特殊イタコ的能力をもつびっくり人間であり、身分制が正義に反していることを理解できない第一臣民は、皇居なんぞへわざわざ掃除しに行ってるやつが「ご苦労さまです」と声をかけられ、「首相のために死ぬ気にはなれないけれど、陛下のためなら死ねる」と思ったのは、「自然な感情」だとのたまわっています。「自然」なんですか。そうですか。それで、あんなところへわざわざ掃除しに行くのも「自然」なんですよね。特殊能力を発揮して霊的につながっちゃうのも、ひょっとして「自然」ですか。「自然」だったら、逆らえないですね。そうか、臣民なんだから逆らうわけないか。おのれの臣民ぷりを正当化する便利ワード「自然」。



12月15日(土)右に出る者はいない

 忍者姿の何考えてんだあほかの連中に、スーパー私人を妻にもつ夫が「今日はみなさん、忍者でこの官邸の厳しいセキュリティーをかいくぐって。かいくぐって来るにはみんな派手だよ、ちょっと、どう考えたって」とおっしゃったそうで、おもしろいですねー。さすが最高責任者は私だだけのことはあります。もう、思想に関してと同様、人を笑わせることに関しても、右に出る者はいませんねー。ところでそんなに厳しいセキュリティーなのに、加計関係者と秘書官が会った記録は残ってないんですよねー。「かいくぐって来るにはみんな派手だよ、ちょっと、どう考えたって」 笑わしよる。



12月16日(日)説得力あるつもり話法

 先日、偉い方のご高説を拝聴する機会に恵まれてしまいました。ご高説では、聞き手の専門分野にご配慮くださったのか、はやぶさ(実は何物なのか、私はほとんど知りません)のやってることなんてこれこれこの程度のことじゃないですかとdisってみせ、しかしそこに多額の税金を投入することに国民は文句を言わない、だから人文系の学問も夢を売るなら…、というお決まりの説得力あるつもり話法が展開されました。税金と国民を直結する点において、この方にはまったく見えていないものがすでに露呈しているわけですが、それに加えて、はやぶさなんてものに多額の税金を投入することに文句がないなんて、それ、聞こえてない(聞いていない、聞こうともしていない)だけの話じゃないんですか。まあ、人の意見に耳を貸さないとしても、そんなものより社会保障費を充実させる方がはるかに重要であることは、ほんの少しでも考えてみればわかることですけどね。



12月17日(月)クソクソ映画を思い出してしまった

 仕事人間で家庭を顧みず、妻は育児ノイローゼになって幼児を殺害の上、目の前でダンプに飛び込んで死ぬ、という経験をしたお医者様が失踪し、なのに半年もすると東京で同棲生活を始めるというクソクソ映画があったよなぁと、なぜか突然思い出してしまいました。その俳優は、ずっと不仲だった母と死ぬ1週間前に和解し死を看取ったとかで、実生活でもつまんないやつなんだなぁと思うほかありません。ずっと不仲だったんだから、死ぬまで貫けよ、って思います。あるいは、死ぬ前に会いに行くんだったら、せめて「おまえのせいで人生、台無しにされたよ」くらい言ってほしいものです。



12月18日(火)素朴にも程がある

 開発独裁を「アジア的価値」として批判するハーバーマスを、もう150万回くらい聞かされた「ヨーロッパ中心主義」という常套句を使って批判する人は、まあ素朴にも程があるわけですが、それはさておき、結局のところ開発独裁にも見るべきところがあるとお考えなのでしょうか。それって、少し前にネットで話題になった、ブラジルを例にして軍事政権にだっていいところがあると考えてしまう学生たちと変わらないですね。暴力を背景にしてたって豊かになればいいなんて、120パーセント間違ってます。いかなる意味においてであれ、開発独裁をポジティヴに評価できてしまうような人は、半島が戦場になって死者がどれだけ出ようと、「戦争特需」に狂喜乱舞できてしまう人です。「ヌッポソで、まあよかった」とか言うかもしれませんが、要するに、不正な人です。これにはヨーロッパ中心主義かどうかなんて、何の関係もありません。



12月19日(水)「和やか」だの「歓談」だの

 天皇が行政府の長と閣僚たちを昼食会に招き、「皆さんが国民のために日夜国務に精励されてきたことを深く感謝しております。どうかくれぐれも体に気をつけ、来年が皆さんにとってそれぞれ良い年となるよう願っております」とか言ったそうですが、もう堂々と専制君主制ですか。いや、やめたいとか言って、国会が全会一致の決議をした時点ですでにそうでした。ったく、こんな暴挙を「和やかに歓談した」などと報道するやつらはどうなってんだ。専制君主がそこにいるのを目撃して「和やか」だの「歓談」だのと言えてしまうメンタリティは、開発独裁万歳と変わらんぞ。



12月20日(木)難しいことなど何もない

 裁判員裁判で国家による殺人を選ぶ人が、「難しい判断だった」と振り返ったとしたら、それはどういう意味なんでしょうか。考えに考えた末、国家による殺人を選んだということなんでしょうか。それって、安易に国家による殺人を選ぶことより、はるかに不正ではないでしょうか。もちろん、不正に度合をつけることに意味があるかどうかは問題ですが、安易に国家による殺人を選んだのだとしたら、よく考えた場合は、他の選択をする可能性が残されていることにならないでしょうか。「難しい判断だった」と振り返る人には、もはやその可能性はないでしょう。結局、そういう人はたんに国家による殺人を肯定するだけの人だってことになります。国家による殺人は不正です。これはまったく難しい判断でもなんでもありません。



12月21日(金)すわしんじ

 南青山には児童相談所よりもご自分の資産価値がなにより気になるおうち思いの人たちがお住まいだそうです。いやいや、そんな言い方は一方的にすぎます。この人たちは、ご自分たちの暮らしぶりを目の当たりにしてしまう子どもたちが「かわいそう」と、ちゃんと子ども思いであることもゲロッていますからねー。ところで、この話を聞くにつけ、すわしんじによるツイストの替え歌を思い出すのは私だけでしょうか。えぇー、まさかすわしんじをご存じないとかないですよねー。なるほど、すわしんじじゃなくて志村けんが選ばれたわけがわかります。



12月22日(土)政治的発言

 辺野古の埋め立てに反対を表明し署名を訴えることが、政治的発言であることは言うまでもないでしょう。だからどうしたんでしょうか。芸能人は政治的発言をしちゃいけないってことなんでしょうか。そうおっしゃる方にはぜひ、どのような発言なら政治的発言ではないのかをご教示願いたいものです。そういう「公正中立つも派」は、暴力装置を背景にして辺野古で埋め立てが強行されているときに、どこそこの店にはこんなにうまいものがある(→どーせウンコになるわけだが)としゃべることは、政治的じゃないとでもおっしゃるのでしょうか。もっとちゃんと、政権に盾突くんじゃねーよ、って、明確に政治的発言をしてください。



12月23日(日)根こぎ

 東京にいるからなんでしょうか。それともどこへ行ってもこのような状況なんでしょうか。今日は朝からあちこちで、疲れたからやめたいと言って国会を動かした元現人神の息子のことを称賛する声を聞いてしまいました。妻を思いやる発言を聞いて涙が出た、などと言ってるどう見ても20代の若者がいて、「あほか」と、つい声に出してしまいました。「普段、自分の感情を見せない方だから」とか言うのですが、へー、あんたは「普段」を知ってるのかよと、ここはなんとか心の声だけにしておきました。こんなふうに、それは「根づいて」いるかもしれませんが、だったら「根こぎ」にするまでです。



12月24日(月)骨の髄まで臣民

 父親とは異なり、自分には負うべき戦争責任がないことをにおわせるためなのか、しれっと「戦争のない時代」と言ってのけ、毎日新聞は「陛下 平和に万感」と見出しをつけて提灯持ちぶりを発揮しています。もう、新聞各社はどこがもっとも優れた提灯持ちであるのかを競い合っているようにしか見えません。イラク派兵って、イラクへ兵隊を送ったってことを意味すると思うのですが、新聞社のみなさんにはひょっとして別様の解釈案でもおありなんでしょうか。そうそう、毎日新聞(ホテルでただで入手できたのがこれだけだったのですよ)は1面に、堂々と、「陛下は誕生日や海外訪問前などに会見を行い、自らの考えを述べてきた」と書くのですが、こんなことを書いて何ひとつ疑問に思わないくらいに、骨の髄まで臣民なんですね。ほめてねーよ。



12月25日(火)絶望的数字

 思ってたより多いって言う方もいらっしゃるのですが、やはり絶望的な気分です。「反天皇制」を支持する人は、たったの8パーセントだそうです。自分以外のまともな人に出会おうとしたら、24人と会わなきゃいけないわけですよ。それでもたった2人です。多くの人は積極的に支持しているわけではなく、どうでもいいと思ってるんですよ、と言う人は、右でも左でもなく語法を使用する人と同様、天皇制の支持者に他なりません。戦争犯罪、身分制、各種差別の糊塗。何をとっても「どうでもいい」わけがありません。なのに、たったの8パーセントですよ。この絶望感に比べたら、たいていのことは希望にあふれ、ウンコ踏んだって笑っていられるくらいですよ。



12月26日(水)まるでヌッポソだよ

 あれが私邸付近を散歩したからって、提灯持ちたちがどっこいしょ記事を垂れ流しています。はいはい。それにしても、それを批判するのに、なぜ「将軍様」とか「〇〇〇みたい」とか、差別主義のメンタリティを全開しないと気が済まないのでしょうか。そのメンタリティじゃあ、私邸付近を散歩しただけで記事になる自席発言ヤローのメンタリティと大差ないってことがわかんないのでしょうか。長い間植民地支配を行い、戦後補償もしないどころか、「戦争特需」でがっぽり儲けたことを、ミジンコほども反省しないのですか。



12月27日(木)国家による殺人は即刻やめるべきだ

 恩赦(そもそも恩赦なんてものはおかしいのですが)の対象にしたくないオウムの関係者を7月に2回に分けて13名殺したわけですが、本日またしても、国家による殺人囚2名を殺しました。やっぱあれですか、今度の法務大臣も、無意味に鏡を磨いて磨いて前日は宴会して殺人の命令を下しましたか。第2次あれ内閣では、これで刑罰の名のもとに36名殺しました。もちろん、人の命を奪っているわけですから、数の多寡なんて関係ありません。しかし、第1次あれ内閣のときにも他の追随を許さない数の命を奪っておきながら、すでにそのときをはるかに上回っています。国家による殺人はいかなる意味においても正義に反しているので、即刻やめるべきです。



12月28日(金)ハラスメントを上回るって?

 セクシュアル・ハラスメントで懲戒処分を受けた元厚労省局長が、茨城県で健康福祉部の顧問として採用されたそうです。採用側の知事によれば、処分は認識していたが、「それを上回るメリット」があるとのこと。「それを上回る」って何なんでしょうか。「そんなことくらいで」という言い回しのひとつのヴァージョンなんでしょうか。ああ、そういえば、もう何度も書いたことがありますが、上ヶ原の大学でセクシュアル・ハラスメントを理由に懲戒処分を受けたやつが、「あの人の人脈は重要だから」という理由で、倫理学者たちの間で「そんなことくらいで」扱いをされていました。「当人も大変反省している」とか聞かされたこともありましたが、いまだに教卓で息をしているそうですから「それで?」としか思わなったですよ。



12月29日(土)『ペンタゴン・ペーパーズ』

 ドリームワークスだしスピルバーグだから、そりゃもう不満ばっかですが、しかし他紙が政府によって圧力をかけられたなら、各新聞社が連帯して政府批判を行うのが当然であるという主張には、もっともだと思いました。それがこの共同体においては、すべてをある新聞社の「デマ」のせいだというデマを飛ばし、3つの裁判すべてにおいてその新聞社が「デマ」を流したとする訴えが斥けられたにもかかわらず、他の新聞社は政治家たちによる圧力に抗して連帯しようなんてことを考えることもなく、むしろせっせと政府を支え続けているのです。なにかと言えば「建国の父たち」を持ち出すあのメンタリティには度し難いものがありますが、報道というものについての考え方には、雲泥どころではない差異が存在します。



12月30日(日)そしてハーバーマス

 報道の自由は報道することによってこそ守られる、というトム・ハンクス(間違っても、スパイすることと闘うのが大好きでマッチョなトム・クルーズではない)の主張も、デモは無意味なわけじゃない、デモが行われることによって社会はデモが行われる社会へと変貌する、というときどき素晴らしいことを言う方の主張とストレートにつながっています。そしてこの方向性で、個々の規範的言明はある事柄の規範的正当性の承認を要求すると同時に、その正当性を支える規範そのものの正当性の承認をも要求しているというふうに、ハーバーマスの議論を解釈することができるだろうと考えています。



12月31日(月)忘れちゃいけない

 この時期になるとやたらオレ流がしゃしゃり出てきてオレはすべてがわかってる的な態度でどーでもいいことをべらべらとしゃべり、聞いてる方はどーでもいいと思ってても(問題なのは、たいていどーでもいいとは思ってなくて心底信じていることなんですけど)、「さすが!」みたいな顔をして見せるという茶番大会が繰り広げられているようですが、みなさんお忘れですか。そいつは、「父の遺言」とかほざいてジャイアンツへ移籍したやつですよ。エラソーな顔してごちゃごちゃ言ってみせても、「父の遺言」を理由にして金満球団へ移れるやつなんですよ。そこは重要なところですからね、イデオロギー的に。絶対忘れちゃいけません。何かあるたびに、言ってやんなきゃ。



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