2017年
1月1日(日)無駄な1日

 日曜なので、朝から暴走していたら、ときどきぞろぞろと歩く集団に出くわしてしまいました。向こうにしたらこっちは異様かもしれませんが、こっちだってぞろぞろと集団で神社仏閣へ行ったりしてるのを見るとかなりキモいんすけどね。いやいや、 キモいだけじゃなくって不正ですからね。そんなわけで、仕方ないから夕方は空港までお散歩しました。なんと空港ビルにある551に行列ができていました。購入してリムジンバスに乗るにせよ、そのまま搭乗しちゃうにせよ、テロリスト大量発生ですよ。



1月2日(月)無駄な1日 その2

 夏休みに家族で海水浴とかキャンプファイアーとかをしなかったので、冬休みはスキー旅行かとも思ったのですが、それにはいろんなものが足りなすぎるのでやめにして、あんなことやこんなことをしました。昼食後、コロンボを半分くらい眠りながら観た後、死んだように眠りました。それでも一日は終わってくれそうにないので、仕方なく散歩に出ました。サンタピカさまが隠れていたので、おこうを焚いて2匹ゲットしました。反社会的かどうかはわかりませんが、少なくとも反共同体主義的には過ごせたでしょうか。



1月3日(火)ふん

 小説家の高橋が「バカになれ」とかおっしゃっているのですが、しかし「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83ページ)とかクソファンタジー以外の何物でもないことを垂れ流し、根拠がなんら示されていないことを指摘されても「真意」の理解を求めるような自称学者のことを支持したりはできませんよ。たしかに元慰安婦の方たちから名誉棄損で訴えられ在宅起訴されるもととなったこんな噴飯ものの著作を好意的に評価するには、バカにでもならないと不可能ですけどね。いや、もうひとつ可能性がありました。元からバカっていう。高橋はどっちですか。



1月4日(水)ファンタジーは学問じゃない

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」という主張が、まったく実証的に示されることはなく、まったく実証的に示されていないことを実証的に指摘されても、なお応えることをせず、「学問の自由」に対する侵害だと主張するこの著者は、いったいどの学問の自由を主張しているのでしょうか。言うまでもありませんが、ファンタジーを語ることは歴史学ではありません。本として出版されちゃっているので、卒業論文としては「良」くらいの評価が与えられるかもしれませんが、なんの実証もされていないのですから、修士論文だと不合格でしょう。大阪大学の場合、修士論文が不合格だと修士課程を終えることはできませんから、「重要な概念の定義についてWikiを典拠にするなんて、あまりにも怠惰ですよ」とお叱りを受けたうえで、退学ですね。



1月5日(木)名誉を毀損する自由なんてないんですよ?

 しかし驚くべきことに、漱石フリークの東京大学教授とかおひとりさまの東京大学名誉教授とかたんなるまっちょの立命館大学教授とか小説家とかが、学問の自由が公権力によって侵害されてはならないなどとともっともらしいことを言って、在宅起訴に対する抗議声明をあげているのです。学問の自由が公権力によって侵害されてはならないことは、言うまでもありません。問題は、人の名誉を棄損するだけのファンタジーは学問でもなんでもなく、たんなる権利侵害の犯罪だってことです。いやしくも学問の自由を口にするのなら、主張がまったく実証的に裏づけられていないという批判に応えてみせるべきでしょう。それができない以上、人の名誉を棄損する自由を認めろよ、と言ってるだけにすぎません。このメンタリティって、ネトウヨと同じじゃないですか。



1月6日(金)猛省

 ただし、あまりエラソーなことは言えません。なぜならこの著者は、昨年度の一時期、文学研究科の特任教授だったからです。そして文学研究科の特任教授になるには、教授会での承認が必要なのです。私は出張中だったので、その教授会には出席できませんでしたが、しかしかりに出席できていたとしても、反対はしづらかったでしょう。いずれにせよ、あんなものを堂々と出版する人物を教授会において学者だと認めてしまったことになるわけで、それは不正に加担すること以外のなにごとでもありません。猛省します。



1月7日(土)たんなる地区予選

 大学駅伝三冠とか大騒ぎしていましたが、ご存じないかもしれない方のために言っておけば、箱根駅伝なんて、全国大会のたんなる関東地区予選ですよ。地区予選での優勝が三冠のひとつになるなんて、おかしいでしょ? 当たり前ですが、以前は地区予選の後に全国大会がありました。ところがその全国大会で関東地区代表が優勝できなくなったりしたことがあったんです。地区大会の疲労がどうこうだそうで。さあ大変です。関東地区代表が全国大会で優勝できないなんて…。だからどうしたか。地区大会をもっと前の時期に移すのが当たり前ですが、あろうことか全国大会を翌年度の秋にまわしたんです。クソでしょ、箱根駅伝て。これでもう、これまで間違って感動とかしちゃってたみなさんも、できなくなりますよね。ざまぁ。



1月9日(月)あ〜、よかった、よかった

 「この世界の片隅に」おいて侵略者として生きていることをすっかり忘却したままひどい目に遭わされた的なアニメの上映館数が増えているそうで、あれでしょうね、自分たちが侵略者であることをすっかり忘却して被害者面しかしないのって、ネトウヨと変わらないよねー、って感想をもつ人たちが増えている、ってことですよね。ああ、よかった、よかった。まあ、何度読んでも加害者の「か」の字も出てこない脚本のコメントをまた読んでしまいましたが、最後に「見えている以外にあるものを想像力で感じられるようになると思っています」とありました。「エスパーか?」というツッコミはやめて、そうですよね、見えている日常生活では加害者責任を忘却しているけれども、ちゃんとそれを思い出そう、ってことですね。もっとも、責任は「感じる」ものではありませんけどね。



1月10日(火)首尾一貫してアホ

 世界最大の軍事力をもつ国家の次期大統領が障がいのある記者のまねをしたことについて、メリル・ストリープが批判したと伝えられています。それで思い出しました。かつて障がい者のまねをして笑いをとろうとするクソゲーニンがいて、そのクソゲーニンの行為を批判したことがありましたが、笑いにタブーはないだの笑いはすべてを超越するだのほざかれました。まあ、その程度ならたんなる凡庸な差別です。もっとも性質が悪かったのは、「あれは彼女の芸でしょう」と差別を芸術の名の下に隠ぺいして見せた倫理学の先生です。もっともその先生は、身障者でも何でもないドイツ人のなんちゃらいう学者ががら空きだった身障者用の駐車スペースに車を停めて、足を引きずりながら身障者のふりをした、という逸話を聴いて大笑いしていましたから、そういう意味では首尾一貫しています。首尾一貫してアホなんですけどね。、



1月11日(水)ちゃんと言ってください

 「ハラスメント相談室だより」とかいう重いファイルが届き、コラムを読みました。「やはりセクハラや性暴力と「ランク付け」の関係は強い」と言い、ミスコンを「「ランク付け」の一つである」としています。だったら、「大阪大学では、「ランク付け」の一つであるミスコンに対し、「環境型セクハラに当たる可能性が高い」という見解が出された。立ち止まって考えるいい機会にしたい。」とか言ってんじゃなくて、「可能性が高い」なんて官僚的な表現しかしない点を批判してくださいよ。どうして「環境型セクハラだ」と断定しないのか、と批判してくださいよ。「立ち止まって考える」までもありません。あなた自身がそう言ってんですから。



1月12日(木)別に冷静でもニュートラルでもねーし

 どうしてこうやって「立ち止まって」みせるんですかね。あたかも「立ち止まって考える」私はニュートラルであって、ミスコンはセクハラだと断言するような立ち止まらない者より優れているし、冷静に判断できるんだと言わんばかりです。この物言いって、「左とか右とかじゃなくて…」というのと同一ですね。冷静で頭のいい私は、ニュートラルな立場からものを考えていますというたんなる自己申告です。ご存じのとおり、この手の方はたいてい(すべて、と言ってもいいのですが、「立ち止まって」考えてみましたよ)、ニュートラルでもなんでもなく、まさしく右であり、体制派なんですよね。「可能性が高い」という言い方に追随している点からも明らかです。そもそも「ランク付け」を批判している割には、平気で元号使ってるんですよ。差別主義者以外のなにものでもないです。



1月13日(金)『シークレット・アイズ』

 勝手に正義だと思い込んで暴れ回ったやつがバカを見るという映画です。手続きを超えた正義を確信されている向きにはよいかもしれませんが、私にはハードルが高すぎました。13年前と「今」とが交互に映し出されながら話は進んでいくのですが、ジュリア・イチロー・ロバーツだけが13年前も「今」も見分けがつかない外見で、ちょっと意味不明でした。それにしても、ニコール・キッドマンと共演しちゃうなんて、よく周りが止めなかったものですね。そして検事役のニコール・キッドマンはチンピラ相手に下品な下ネタを口にしていました。もう、ウリはそこだけかもしれません。



1月14日(土)承前

 あるレイプ犯がテロに関する重要な情報屋だから、レイプの件は別の犯人を仕立て上げる、っていうのがストーリーの端緒になっています。あるレイプ犯が反原発運動にかかわり運動にとっては重要な役割を担っていたからレイプのことは内々に、というのと同じです。もっとも、フィクションかノン・フィクションかという違いはありますけどね。そう言えば、ある大学で記者会見が開かれるほどのセクハラ事件を起こして(懲戒免職じゃなく、得意技の)依願退職し、その後、ある種のテーマに関する専門家として他の大学に復帰し研究・教育活動をしているのがいますが、「あの人がもっている××の方面での人脈は学問上貴重だからなぁ」と複数の方が声を揃えて言うのです。これも前記と同じことですが、やはりノン・フィクションです。しかも、もはや悪の巣窟と化しつつある私の所属する文学研究科においても、共同研究をやり、教えていたことがありました。



1月15日(日)ぐす



 飼いならすことがきわめて難しい痛みが再発しそうなので、理性的判断によって先週から暴走はおろか走ることもやめています。ぐす。そんなわけで、歩いてこんなところへ行ってしまいました。もう、危うく八甲田山です。そんな中、ジョガーの方たちがゆっくりジョギングしていました。へぇー、滝道ってぶっ飛ばす場所じゃないんですね、と心の中で毒づいておきました。帰り道、沿道の店で人前式をしているのに出くわしてしまいました。こんな雪の日にそんなことしちゃうと、将来雪が降るたびに若い日の過ちを思い出すことになってしまうのに、と心の中でお悔やみを言っておきました。



1月16日(月)終わってますな

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/education-campus/events_news/department/
kankyougaku/news/2016/161221_1.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter


 「西の筑波」はうちのものだと思っていたのですが、ここの人たちが本気出したら、そうですよね、とってもかないません。みなさん「すばらしい講義だった」と満足されたご尊顔で、申し分ありませんね。「会場は一体感に包まれた」そうで、うらやましいかぎりです。反日教員が少なくともひとりは存在する大阪の大学だと、「一体感」は不可能です。そもそも「一体感」なんてキモいだけですけどね。もちろん、キモいかどうかだけが問題なのではなく、首相夫人として紹介される人物に講義してもらって喜ぶなんていうのは、アカデミズムの敗北であり、不正の極みです。



1月18日(水)あらら

 共謀罪がないと東京で民族の祭典を開くことができない、というようなことを言った人がいるそうです。これは、字義通りとれば、だから東京で民族の祭典を開くことはやめましょう、って主張ですよね、とーぜん。東京で民族の祭典を開くためには、共謀罪みたいなとんでもない法を作り出さないといけないことになっちゃうんだよ、ってわけで。なのに、あの男は言うに事欠いて、東京で民族の祭典を開くために共謀罪を作ろうと言っているのです。あの感動した純一郎でさえ、成立を見送ったんですよ。共謀罪も民族の祭典も世の中から消えてくださって結構です。ついでにその主張者も。あらら、この発言は十分、共謀罪を立件する証拠になるでしょうね。



1月19日(木)恒真式

 共謀罪は一般の人には関係ない、だから安心しなさい、っていったい何を言ってるんでしょうか。一般の人って、共謀罪が適用されない人のことですよね? だったら、共謀罪は共謀罪が適用される人にだけ適用される、って言ってるだけじゃないですか。アホですか。こんな言い回しで騙される人がいるとでも思ってるんですか。こんな与太に騙されたら、与太に共謀したことになりますよ。ったく、豆腐の角に頭ぶつけてください。



1月20日(金)一企業との契約を優先しましょう

 共同研究を続けているフランクフルトのルッツ=バッハマン教授は大のサッカー狂で、プレー中に同僚のガキんちょを突き飛ばしても平然としているそうですが、ブンデス・リーグにおいては、言うまでもなくフランクフルター・アイントラハトの熱狂的なファンであることを自認されています。もちろん、ドイツ・ナショナルチームには何の興味もないそうで、ワールドカップやらオリンピックやらにも批判的です。21世紀にもなって「男気」がどうのこうのというヤツの顔面付近に投球して、真ん中へ投げて来いと恫喝・脅迫された投手が、阪ちんから唯一なんとかという腐った名前のついたチームに招集されちゃうかもしれませんが、選出されない方がいいのになぁ、と思います。ネーションのためになんか投げんじゃなくて、一企業との契約のために投げましょうよ。(最初、「投げようぜ」で終わっていたのですが、『ぼくらの民主主義なんだぜ』のクソを思い出して変更しました。ぐっじょ。)



1月21日(土)高橋とか内田とか

 「法被でハッピー」男があまりにもあれなので、それに対して「リベラルな」天皇(言葉のいかなる意味においてもけっしてリベラルなんかじゃありませんが)を担ぎ出す自称リベラルとか自称左翼とかの高橋とか内田とかがいますが、この人たちはいったい何を考えているんでしょうか。たしか安保法案にも反対していたはずですが、それは法案が憲法違反であり、立憲主義の否定だから、ってわけじゃなかったんですかね。もし立憲主義を肯定するのであれば、ちゃんと天皇中心の国体を明文化した憲法に変更すべきだと主張しなきゃダメですよ。つまりこの人たちは、自己意識に反して、つまらん物書きで差別発言を繰り返した元知事とそんなに遠いところにいるわけではないのです。ただ少しだけ上品だから、より悪質だってだけで。



1月22日(日)日本哲学会のことです

 昨年末に、職場で「男女協働なんちゃら」とかいう取組に関するアンケートがありました。アンケート冒頭に回答者の性別を選択させる問いがありましたが、「男女協働なんちゃら」と名づけている時点で予想がつくように、従来通り-平常運転-天皇主義的並びになっていました。まあ、スーパー日本人を he で受けて世界中に配信しちゃう職場ですから、この手のことは何をしたってなんちゃって差別解消でしょう。実は、哲学研究者の多くが入会している国内最大規模のある学会でも、「男女共同なんちゃら」関係でアンケートがありました。「男女共同なんちゃら」と名づけている時点で[略]。アンケートを作るときに何も考えなかったんでしょうか。哲学研究者って、ひょっとしてものを考える人たちじゃなかったんでしょうか。こんなものを作っておきながら、まさか、自分たちは差別解消に向けて取り組んでいますとか、自負してないですよね。あっ、「そんな意図はありませんでした」でしょうか。それって、自分たちが差別主義者であることをゲロってるだけですよ。



1月23日(月)『蛇にピアス』

 諸般の事情により、文庫で購入して読みました。主人公の抵抗している相手が何なのか、よくわかりませんでした。スプリットタンとか死姦(←さすが、一発変換なんかするわけがない)とか、家族連れがたくさん歩いている商店街に代表されるような「こんな世界にいたくない」とか、ああそういうことですか、と思うわけです。ところが唐突に、「結婚」が出てくるのですよ。なんですか、これは。婚姻制度なんて、体制ど真ん中じゃないんですか。これじゃあ、「むかしワルやってました」と照れ笑いする体制順応派となんにも変わらないじゃないですか。結局、ただのお金持ちのお道楽のお話にしか見えません。ビンボー人がひがむな、ってとこでしょうか。



1月24日(火)『蹴りたい背中』

 公平を期して、同時受賞だったこっちも読みました。差別主義者の元知事はあっちの方がいいと言ったそうですが、まあ、そりゃそう言うでしょう。こっちは、「書き方教室」かなにかで習ったような修辞がいつまでも繰り返されてうんざりしますが、しかしまあ、いまどきまだこんな人がいるんだろうかと思うほどの過剰な自意識と承認願望とにあふれかえっていて、ほほえましくなるほどです。そんなわけで、あっちよりこっちの方が、ひょっとしたら主人公は踏み外してしまうかもしれなくて、その点がよかったです。にな川が主人公の背後にまわるシーンがありますが(そこの描写だけがよかったかもしれない)、「へぇー、そんなふうに思うもんなんだ」と思いました。



1月25日(水)あんたはなにさまだ???

 毎日新聞の人生相談のコーナーで、人口妊娠中絶した方が、自分の経験と倫理的にどう向き合えばよいか、ということを相談されています(1月23日、朝刊)。これに対して、天皇主義者にして第一臣民の小説家高橋が答えています。それによれば、人工妊娠中絶によって、その方には「善(よ)く生きる」という責任が生じたそうです。しかもすでにこの方は「他の人が苦しまないようなことを前にしても苦し」むそうです。しかし私には、権利を行使しただけなのに、なぜそんな責任が生じるのか、さっぱりわかりません。むしろこういう言説そのものこそが、人工妊娠中絶した者はそれなりの責任を負うべきであり、他の人が苦しまないようなことでも苦しめ、っていう根拠のない道徳を創り出しているのです。臣民のくせに、立法するなんて、頭が高いぞ。



1月26日(木)どあほ

 挙句の果てに、「苦しみを忘れない限り、あなたの生涯は他の誰よりも豊かになるでしょう。そして、いつかきっと気づくはずです。それが、生まれなかった子供から、あなたへの贈り物であったと」と、「オレ、やっぱ小説家だけあって文才あるよな」的にうぬぼれてることだけが伝わってくるゴミの文章で締めくくられています。臣民が天皇にでもなった気分で「あなたの生涯」なんか語っちゃってますが、つきつめれば「おまえは苦しまないといけない」と言ってるだけです。こんな反動的な文をわざわざ掲載するなんて、そもそも相談そのものが臣民高橋の創作じゃないのかって疑ってしまいますね。いずれにしても、みんながみんな、「生まれなかった子供」の「贈り物」に「気づく」ほど、エスパー臣民じゃないですよ。どあほ。



1月27日(金)まさか現実じゃないでしょう

 ミスなんちゃらコンテストで優勝してしまった学生を大阪大学としてこんなふうに広報してもよいかどうかという問い合わせが、ある全学の委員会に寄せられ、その委員会の委員長から、委員会案について審議するよう依頼があったとしましょう。その案が、これは「学内の人権問題ではないので、ミスなんちゃらの中味について広報を差し控える必要があるかどうかという判断はできない」という前提のもと、広報案の一部を削除する提案だったとしましょう。もしこんなことが現実だとしたら、びっくりしますよね。だって、言うまでもありませんが、広報するかどうかって、学内の人権問題ですからね。にもかかわらず、学内の問題だと認めたらミスコンについての判断をしなきゃならなくなるから、まず第三者的な構えを見せて、正不正の判断はしませんと宣言しちゃってるわけです。まさか現実の話じゃないですよね。



1月28日(土)よかったよかった

 かりにミスなんちゃら性差別コンテストで優勝しちゃった学生がいたとして、その動機が「私も社会のために行動する女性になりたい」とかだったりしたら、きっと、ああそうですか、あなたも性差別に加担しこれを助長し存続させるために行動したいと、そういうことですか、とか批判するでしょうね。しかしその学生がもし文学部の学生だったりしたら、こういう批判は場合によってはアカハラだとか、いわれのない嫌疑を生むことになるかもしれません。でも、文学部の学生なら人権に関する意識は高いし、こんな差別主義的コンテストに出ちゃうような差別主義的メンタリティももっていないし、日頃から行われている啓発活動をあざ笑うような真似もしないでしょうから、安心です。なんらの危惧も抱くことなく、差別主義者を差別主義者と呼ぶことができそうです。



1月29日(日)「共通の苦しみ」とか

 今学期の講義は、ハーバーマスのEU論をメインにするはずでしたが、その議論がどういう意味をもちうるか、ということを示すために、「統合から分裂へ」という方向が何を招くか、ということを示していたら、それだけでタイムアップでした。まあ言い訳です。「共通の出自」とか「共通の文化的遺産」とか「共通の苦しみ」とか、ありもしないものが実体化されて…、という話で、右のシュミットも左(のつもり)のホネットも同じですとか言ったのですが、これはたんに理論的な話にとどまらず、現実もこの方向で動きつつあって、ハーバーマスを肯定的に評したりしたら、大笑いされそうな状況です。もっとも、受講生のすべてではないにしても多くのみなさんが、共同体主義に対して非常に批判的だったので、それほど悲観はしていません。まあ、こいつにはこう書いときゃいいだろ的な計算があるかもしれませんが…。



1月30日(月)「1は我慢しろって話になる」わけねーだろ

 「沖縄基地問題にしても、じつは沖縄人が日本人の(あえてこういう言い方してますが)100分の1だという事実が決定的に大きい。99対1ですからね。そりゃ1は我慢しろって話になる。民主主義は原理的にそういうものなんですよ。」と、ツイートしている方がいます。私には現実がちゃんと見えています的なご発言なんでしょうか。あなたは世の中にひとりしかいないわけですが、「あなた対あなた以外ですからね、そりゃ1は我慢しろって話になる」んですか。そうですか。こういう間違いだらけの民主主義理解が、自席発言の方の理解と同一だってご存じなんでしょうか。まあ、ご存じだろうとご存じじゃなかろうとどうでもいいです。あなたはひたすらあなた以外の人のために万事我慢してください。そりゃ1は我慢しろって話になるんですから。



1月31日(火)あれは学問じゃない

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての<同志的関係>だった」という根拠のまったくないデマを学問の名の下にまき散らした人に、名誉棄損に関して無罪判決が出てしまいました。「学問的表現は間違ったものも保護しなければならない」そうですが、学的営みに国家権力が介入・弾圧してはいけないということは言うまでもありません。しかしあれは学問ですか。好き放題間違ったことをばらまいてるだけじゃないですか。この司法判断にのっかるなら、朴的学問の手法で、Wikiと小説を駆使して「アウシュヴィッツはなかった」って学的に主張して本を出版しても許されちゃうんじゃないですかね。ったく、冗談じゃない。人の名誉を毀損することが許されるような学問の自由なんてものはありません。こんなプロパガンダを罰しても、別に弾圧でもなんでもありませんよ。



2月1日(水)死者は息をしない

 「とりわけ、「戦争を知らない」世代が、紙の「資料」をもとにして、なんでも知っているかのように論じる姿に、ぼくは強い違和を感じてきました。実際に「戦争を知っている」世代は、そんな風な語り方は決してしなかったからです。」とか言って、『帝国の慰安婦』を持ち上げてきた天皇主義者にして第一臣民の小説家高橋は、紙の「資料」を証拠として実証研究する歴史学というものを、要するに否定しているんですね。必要なのは、「死者の息吹を感じること」なんでしょうね。しかし、死者の息吹なんて感じることはできません。なぜなら、死者は息をしないからです。もし息をしているのだとしたら、それは死者ではありません。知ってましたか?



2月2日(木)そんな権限はない

 法務大臣が、国会答弁で「ご指摘の点は直接の判例はありませんが、その点は訂正をさせて頂きます。ただ、判例的な考え方を申し上げているんです」と言ったと報道されていました。「判例的」ってなんでしょうか。判例はないけど、大臣さまの考え方は判例の代わりをするんだよ、このボケが、ってことでしょうか。こんなことを言って、どうして罷免されないのか、不思議でなりません。いやもう、こんな発言は日常茶飯事だから、ってことかもしれませんが、だったら日常茶飯事のように罷免しましょうよ。だって憲法違反ですから。



2月3日(金)こっちも罷免

 そして防衛大臣は、質問に対して答えることなく、官僚の作文をだらだらだらだらと読み続けます。委員長に注意されても、ひるむことなく、だらだらだらだらと読み続けます。そして委員長によって答弁をやめさせられる…。しかしこれって、問題じゃないんでしょうか。結局質問には答えなかったわけです。にもかかわらず、委員長がブチ切れしたとか、そういうことだけが強調され、質問に答えなかったことそれ自体は問われないのです。委員長が防衛族であることを考えると、これって出来レースじゃないのかって疑いたくもなります。質問に答えようとして、墓穴を掘るようなことを言ってしまわずにすむよう、小芝居をしたということです。質問に答えられないような大臣は、罷免だ。



2月4日(土)きっとネ申

 食堂で食事をしていたら、もう1000年くらい聞き続けているような話を聞かされてしまいました。いわく、あなたの言ってることは理想論にすぎない、ちゃんと現実を見てみなさい、と。救われるべき人たちは、見えないの、とも。救われるべき人たちは見えないのに、現実を見てもどうしようもないし、見えないのにどうして救われるべき人たちと呼ぶことができるんでしょうね。ああ、あなたのような特別な存在者にのみ、見えるんですね。だったらそう言ってくれないと、わたしは特別だからって。でも、さすが全知全能だけあって、自分が全知全能であることを隠すのが非常にうまい。話してることなんて、驚くほど凡庸ですから。まあ、凡庸なアホですけどね。 



2月5日(日)それはないでしょう

 かつては文芸評論家と呼ばれ、最近ではもっぱら哲学者と紹介されているその人が、昨年カトリックの洗礼を受けていたという情報には、かなりの衝撃を受けました。人が転向しようがなんだろうが、まあ、そういうこともあるだろうと思ってきましたが、さすがにこれには驚いてしまいました。「よほどのバカか偽善者」発言の方が、例によって人を小ばかにした笑い方であざ笑うのが目に見えるようです。まあ、どうせ入信するなら、私もプロテスタントなんかじゃなくてカトリックを選ぶと思います。なんといっても、免罪符で罪を許してくれるなんて、なんともゆるいじゃないですか。心の底から悔悛することを要求され、しかし救われる者ははじめっから決定されているなんて、そんな本気の宗教なんてまっぴらご免ですからねー。でも、入信なんてしませんけど。 



2月6日(月)あんたにはヘーゲルが似合ってるよ

 アメリカ大統領のことを「真の姿は柔軟なビジネスマン」とか言っちゃってもちあげた学者がいるそうです。その学者は、みなさまのNHKでカントの『永遠平和のために』を論じて本まで出しちゃってるとのこと。岡田直子だったら、「いやはや」って言うところです。もちろん、『永遠平和のために』なんてダメな本だと思いますよ。なんつっても、世界共和国じゃなくて国家連合を選んじゃってるわけですから。常備軍の撤廃だって、「時とともに」であって、「いますぐ」じゃないですから。国防のために国民が「自発的に」武器を手にして訓練することはよいことだって言っちゃってますから。こんなダメダメな本ですけど、いくらなんでも萱野なんちゃらに扱われてよいわけはないでしょう。猫に大判どころの騒ぎじゃないです。どーせあれなんですから、素直にヘーゲルでも論じときゃよかったんですよ。



2月7日(火)消えていい

 その吉本のゲーニンは、有力者じゃないと判断した人に対しては声とか態度がデカい+有力者だと判断した人にはこびへつらうという天性の下劣さゆえに新喜劇の座長をしているのでしょう。けっして役者として優れているからではありません。なぜなら、まったく面白くありませんから。いや、ただたんに面白くないというだけでなく、芝居をぶっつぶすほど破壊的に面白くありません。それだけで消えるための十分すぎるほどの理由があるというのに、このクソ共同体に「ジャパンファーストじゃないヤツおる」とかほざいているそうです。ねっ、ボケのセンスまったくないでしょ。あっ、ひょっとして、年金を外国のインフラに投資しようとしている「法被でハッピー」にツッコミを入れてるのか? しかし原発をクリーン・エネルギーだと宣伝してきた過去に一切触れない健忘症のこいつが、そんな気の利いたことを言えるはずがない。



2月8日(水)違反になるから違反とは言わないぞ←バカ

 「戦闘」と言ったら憲法に違反するから「武力衝突」という言葉を使いますと、国会で堂々と言ってのける大臣は、自分で言ってることがわかってんですかね。どっちみち欺瞞だとしても、何が何でも「戦闘」はなかった、と言わなきゃいけないのに、これじゃあ、棚の上に陳列されてたちんけな商品を「盗んだろ」と言われたガキんちょが、盗んだら処罰の対象になるから、「棚の上に落ちてた」と言い訳するのと変わらんでしょう。こういうバ○のことを何と呼べばバ○にしたことにならないですむのでしょう。もはや天才と呼んだって、バ○にしていることは丸わかりです。こんなことを考えないで済むように、とっとと消えてください。言うまでもありませんが、すでにドイツだったら当然収監されるような歴史修正主義者なんですから、消えてくれても何の問題もありません。(ここで「死んでください」とか言うと、憲法に違反するから、「消えてください」にしておきました。ぐっじょ。)



2月9日(木)むかしの人が偉かったわけがない

 どこかのお年を召した方が給付型の奨学金が導入されることに反応して、「学費ぐらいバイトで賄え」「自分はそうだった」「いまはいい時代だ」とかお書きになったそうです。授業料やら物価やらを比較すると、そのお年を召した方の時代など比べものにならないくらいにいまは過酷な状況にあることが具体的に数値を挙げて実証されているのですが、どうしてお年を召すとそうやって「私らの時代は…」という草魂的な発言をしてしまうんでしょうかね。お年を召しても相変わらず承認願望が強いんでしょうか。じゃあ誉めてあげますよ。あなたのおかげで、安保体制は維持され、自民党は盤石で、セクハラもやりたい放題でしたよね、ずーーーっと。うん、あんたが大将だ。責任とって消えてください。



2月10日(金)ひょっとするとかもしれない

 「ひょっとすると男女差別はまだあるかもしれない」と気取った学者風の物言いをし、それを批判されると「アホ左翼乙」と気取った学者風の物言いをしてしまう人は、ひょっとすると憲法学者であるかもしれない。大学祭におけるミスコンを批判すると、大学祭におけるミスコンは言論の自由だと気取った学者風の物言いをしてしまう人は、ひょっとすると憲法学者であるかもしれない。どうしてこうなんでしょうかねぇ、なんて思ってしまうのは、ひょっとすると私がアホ左翼で反日だからかもしれない。



2月11日(土)そしてねちねちしつこいのも…

 休日出勤したのは、ひょっとすると私がアホ左翼で反日だからかもしれない。けっして土曜日だってのに行くところもなければすることもない、なんてわけではなく、あんなことやこんなことを排して、何が何でも出勤せねばと考えたのは、私が、建国なんて祝うわけがないひょっとするとアホ左翼で反日だからかもしれない。それにしても、フィクションの科白でもなんでもなく、フツーに「どこの馬の骨かも分からない」なんて言い回しをツイートで使う人がいるんですねー。こんなことに感心してしまうのは、ひょっとすると私がアホ左翼で反日だからかもしれない。そして職場からの帰り道に吹雪に見舞われてしまったのは、ひょっとすると私がアホ左翼で反日だからかもしれない。



2月12日(日)神童ですか、そうですか

 自分のことを「神童」とか書いて平気でいられるのは、ひょっとするとその人が神童だったからかもしれない。まあ、かりに神童だったからって、それがどうしたって思うのは、ひょっとすると私がバカ左翼で反日だからかもしれない。それよりそんなどーでもいいことを堂々と書いてしまい、「どこの馬の骨かも分からない」という言い回しを使ってしまい、挙句の果てに「なんだこいつ」とか「バカ左翼乙」とかとても神童だったとは思えない言葉遣いをしてしまう人を指導教員とすることなんて、私にはとても考えられませんが、それはひょっとすると(略。)やっぱあれなんですかね、優秀な学生のみなさんは、かつて神童だった人の下で学びたいものなんですかね。ひょっとするとバカ左翼で反日かもしれない私のような者を指導教員とせざるを得ないみなさんには、なんだか非常に申し訳なく思えてきます。そんなことまったく思ってませんけどね。



2月13日(月)偏見でした

 ある県の公立高校のラグビー部顧問のことが3Kで取り沙汰されていました。正直言って偏見をもっていました。だってこの県選出のある国会議員は、野生動物の狩猟を普及させようってキャンペーンに加わって報道陣の前で報道陣に向けて模擬銃を構えちゃった恥ずかしくも野蛮な人なんですよ。この県はそういう意味じゃ人材豊富で、あの大阪府警のわんによる差別発言を「差別とは断定できない」と言った差別主義者の国会議員も輩出(最初の選択肢は「排出」でした!)しちゃってるのですよ。こんな中で、教育者として当然そうであるべき姿を示し、活動を行える方がまだいらっしゃったのです。てっきり全滅かと思っていたのでした。3Kに批判的に報道されたということは、それはもう、なにより正しさの証明です。すばらしい。



2月14日(火)消えてください

 あるナショナリストの社会学者が、ある提灯持ちの素直にヘーゲルでも論じときゃよかった人と対談していて、「近代国家は、資本主義・主権国家・民主政治のトリアーデ(三項構造)」とか、さらーっと言ってるんですが、こういう理解って、ひょっとして社会学では広く知られた見解なんでしょうか。それとも、柄谷の「ネーション-ステート-キャピタル」っていうアイデアをパクってアレンジし、さも自明であるかのように使ってみせているんでしょうか。まあ、柄谷をパクるセンスは認めてもいいですが、差別主義者のアメリカ大統領をある提灯持ちの素直にヘーゲルでも論じときゃよかった人と一緒になって持ち上げるセンスは、最低ですよ。まあ、いまに始まったことではありませんけどね。



2月15日(水)行政府の長が朝日に勝ったと言ったことについて

 行政府の長、わざわざアメリカまで行って、「朝日に勝った」って言ったそうですね。行政府の長が新聞社に勝つって、いったいどういう意味なんでしょうか。自分に批判的なことを書く反日メディアを恫喝して委縮させ、その結果私はもはや批判されなくなった、だから私は勝ったのだ、という意味なんでしょうか。これから朝日は、「行政府の長に負けた」と言い続ければよいのではないでしょうか。あの第一面の「朝日新聞」って文字の横に、「行政府の長に負けた」って序詞をつけたらどうでしょう。テレ朝系は、「行政府の長に負けた朝日の関連会社です」と、番組ごとに言い続けるとか。だからって、慰安婦問題が捏造になるわけじゃないですし、日テレで慰安婦問題を捏造と言った加藤が訂正して謝罪し消えていかなけれならないことにかわりはないですから。



2月16日(木)『復讐するは我にあり』

 79年の作品。キネ旬やアカデミーをはじめ、作品賞や監督賞、助演女優賞、助演男優賞、主演女優賞も受賞しているのですが、主演男優賞だけは、どの映画賞においてもとれていません。言うまでもなく、緒方拳、めっちゃうまいです。京都大学の先生役なんて、もう笑いを禁じ得ません。しかし賞をとれなかったのは、前年、各種映画賞において主演男優賞を独占していたからでしょうか。そのおかげで、キネ旬の最優秀主演男優賞をとったのは、『衝動殺人 息子よ』の人です。別に2年連続でもいいのに、って思いますよ、さすがに。だってこの人、とんでもなく下手くそじゃないですか。『ブラックレイン』でだって、松田優作とどっちが若造でどっちがドンなんだよ、ってくらいに、貫録も何もなかったわけですから。そんなわけで『鬼畜』も観ることにしましょう。



2月17日(金)一般の市民じゃない人ってだれよ???

 共謀罪、「一般の市民は対象にならない」が、バカな左翼で反日の私にはそもそも理解できません。罪を適用する前から、一般の市民か一般の市民じゃないかが決定されているってことなんでしょうか。世の中には、一般の市民って人たちがいて、この人たちは共謀罪に値しない人たちのことだけど、一般の市民じゃない人ってのもいて、この人たちは共謀罪に値する人たちのことだって? しかし共謀罪に値する人には共謀罪が適用され、共謀罪に値しない人には共謀罪が適用されないなんて、分析命題じゃないですか。こんなの、ある人を死刑にしてもよいのはその人が死刑に値するからだというあるヘーゲル学者の言い草と同じで、小学生だって騙されませんよ。



2月18日(土)もう消えていい

 もともと運動系の人たちを冷ややかに見ながら学術的なことを言ってる私は賢くて好き的な人だったと思いますが、どうも地金が出てきたというか、しゃべればしゃべるほどにその体制べったしのメンタリティが姿を見せるというか、移民を入れると治安が悪化するとか、ほとんどなにも知らないまま飲み屋でぐだぐだ自説を展開する部長さん並みの見解を披露しちゃってるそうですね、おひとりさま。主観的には…、客観的には…、という言い方をすることによって、私は自分の見方が主観的なものにすぎないか、客観的なものでもあるのか、わかるんですよということを言外に滲ませているわけですが、あなたの言う「客観的には…」だって、あなたの主観的な見解にすぎませんよ。ひょっとして、社会学って、そういうレトリックを使用すれば何でも「客観的に」主張できちゃうんですか。 



2月19日(日)代案を出せ

 「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」という表現が、「民族差別的表現の疑い」をもたれるにすぎないと報道するみなさまのNHKは、じゃあ、どのように語ると「民族差別的表現」へと格上げしてもらえるのか、代案を示してほしいものです。そして当の幼稚園は、HPにおいて「誤解を招く表現」と言ってるそうですが、これではまるで誤解する方にも問題があるかのようですが――なにしろ「誤ってる」わけですから――じゃあ、どんなふうに理解すれば「正解」なのか、ちゃんと「誤解」以外の代案を示してほしいものです。でも、「代案」を出せって要求は、ひょっとして右派の登録商標でしたか。だったら諦めますけどね。それにしても、豊中市…。こんなことではEUの直轄地にしてもらえない…。



2月20日(月)脱出計画

 大阪を出るとしたらどこへ行くのがよいのでしょうか。左隣は、250万人の反対署名にもかかわらず空港を造ってしまった市を県庁所在地としている県だからアウト。南の方は、「おまえのところは××家庭だからどーせろくなものにはならない」という親切な忠告をくださった差別主義者のいる県だからアウト。その右隣は、奥野やら高市やらを輩出しているのでアウト。やっぱ滋賀だろうか。しかしちょっと遠い。入試の振休で来る必要がなくてもふらふらと来てしまうには、ちょっと遠い。噂によれば、本学にはいまだに名古屋あたりに住んで通っている人もいるそうですが、しかしあそこの市長は歴史修正主義者ですから、言うまでもなくアウト。



2月21日(火)「女の国の住人」ってなんですか?

 上野千鶴子がダメなのは自明ですが、そうじゃないと考えている人たちも少なからずいるわけで、だから批判することは重要だし、批判者の足を引っ張るようなことは逆に上野をもちあげることにつながりかねないので慎んだ方がよいのでしょう。しかし批判者を批判することは、必ずしも批判者の足を引っ張ることになるわけではないし、ダメな上野をもちあげることにもならないでしょう。「この上野さんの「移民」の捉え方は、あまりに国家中心的すぎる。移民を、「受け入れ国家」が選択できる問題としてのみ、考えているからです」と批判している方がいて、この批判そのものは妥当性をもつと思うのですが、しかしこの批判者からはかつて、私はフェミニンであり、女の国の住人であって、その国にあなたは入れてあげないと、目の前で明確に言われたことがあります。あらあら「国」ですか、と思ったものですが、この言説は上野批判とどのように整合性をもつのか、ぜひ教えてほしいものです。「女の国の住人」以外の人にもわかるように。



2月22日(水)差別主義者も差別しちゃいけないでしょ

 国民と国民じゃない人を差別する上野を批判するのであれば、「女の国の住人」と「女の国の住人」じゃない人も差別しちゃいけないと思いますが、違うでしょうか。「女の国の住人」からすると、「女の国」に入れてもらえないような人は、女性差別主義者に見えるのかもしれません。そして実際に、「女の国」に入れてもらえないような人は女性差別主義者なのかもしれません。しかしかりにそうだとしても、だからって差別してもよいってことにはならないでしょう。相手が差別主義者だからこっちだって差別してもよいのだってことにはならないだろうってことです。それとも、それはオッケーなんでしょうか。



2月23日(木)ジェンダー論について

 「私はフェミニンであり…」という発言は、「女性」は言説によって構築されたものではないのか、というこちらの発言に対する反論としてなされたものでした。言説に回収されないものとしてのフェミニンということをおっしゃったのです。そういうものを認めてしまうのであれば、○○人を実体化する単一民族神話とどこが異なると言うのでしょうか。国民という実体は認めないが、フェミニンという実体はあるとおっしゃるのでしょうか。もしそうなら、ヴェーバーの言うような神々の争いにしかなりません。フェミニンという神を信仰する人もいれば、○○人という神を信仰する人もいるということです。それでよいのでしょうか。ジェンダー論というのは、こうした神々の争いを脱構築する理論ではないのでしょうか。



2月24日(金)「野放しにしてはいけません」て・・・

 いつ頃から、被害者とされる人が裁判に証人として出廷して、加害者とされる人について「絶対に野放しにしてはいけません」なんて、自分が希望する量刑を求めてもよいことになってるんでしょうか。それともその発言は、なにかの証言なんでしょうか。証言でもないことを証人が言っても「不規則発言」とは批判されないんですね。まさか、被害者の望みを酌量するのが裁判だなんてことになってないですよね? 虚偽だとわかっていても意見表明なら名誉棄損にあたらないとかいう決定を下してしまう司法ですから、もうダメなんですかね。まあ、むかしっから、「高度な政治的判断」という言い逃れで、独立した判断を避けてきましたし、遺族感情を鑑みたりしてきましたっけ。つーことは、これが司法の平常運転ですか。



2月25日(土)ポストモダン風アホ

 見解が分かれるからという理由で、慰安婦も南京大虐殺も教科書の副読本から姿を消すのであれば、進化論だって姿を消さなきゃいけないことになります。見解が分かれるとしたって、選択しないといけない方はあるわけで、そう考えない人はたんに判断を停止しているだけでしょう。まあ、以前、ポストモダンを気取ったアホ学生に、進化論も神による創造説も等価ですよと教えてもらったことはありますけどね。同時に、そいつが見かけ通りやっぱアホだってことも教わりましたよ。ハイデガーがナチの党員だったことは知られていますし、反ユダヤ主義の思想をもっていたことも知られています。それを否定するやつがいたからと言って、じゃあハイデガーがナチの党員だったことや反ユダヤ主義の思想をもっていたことを伝えるのはやめましょう、なんて馬鹿げたことをしてはいけないのは自明でしょう。アホが。



2月26日(日)司法も手中に収めた「偉人」

 朝日に勝った人は、その内容が虚偽であることを認識しつつ意見表明したものの名誉棄損にはあたらない、という決定を、「高度な政治的判断」という言い訳は使うけれど遺族感情は考慮に入れて死刑判決は下すことのできる司法からもらいました。訴えていた菅直人の行為について、「私を貶めることを目的とした売名行為」と言うのですが、よく意味がわかりません。目的はなんですか。貶めることなんでしょうか、それとも売名でしょうか。ああ、ふたつが目的ですか、そうですか。ところで元名誉校長の夫を貶めると名前が売れますか? 売れないと思います。むしろ元名誉校長の夫である「偉人」を褒めそやした方が、名前は売れますよ。なぜなら、右は喝采するし、左は「誹謗・中傷」しますから。こんな人を貶めたって、なんの意味もないですから、名前は売れません。そんなわけで、件の発言は誤りに満ちていますが、しかしそれでも意見表明にすぎないから名誉棄損にはあたらないんですよね、すばらしい司法判断によれば…。立法府に続き、司法府も手中に収めましたね。



2月27日(月)「仮置き」最強説

 元名誉校長の夫に対して、天皇をリベラルだとか持ち上げていた人たちって、虚偽であることを認識しつつ意見表明して名誉棄損にはあたらないと言ってもらった人に対して、元名誉校長の夫の妻をリベラルだとか持ち上げていた人たちと重なるんじゃないかと思うのですが、そういう人たちって、いまどうしているんでしょうか。元名誉校長が褒めたたえた教育方針の推進は、こんなちんけな言いがかりで頓挫しちゃいけないはずですから、ちゃんと主張してほしいものです。それにしても、「仮置き」って便利ですね。あれですかね、放射性廃棄物も「仮置き」だし、水素爆発で飛んでったセシウムも「仮置き」状態ですよね。除染なんて不要じゃないですかね、仮に置いてるだけなんですから。「仮置き」だったから、朝日に勝った人はただちに尻尾を切ることもできる、と。いやもう、「仮置き」最強っす。



2月28日(火)はいはい、そうでしょう

 元名誉校長の夫が、国会の答弁で、菅直人に対して「私が完全に勝利をおさめました」とホントに言ってて、質問には関係ない発言だとヤジを飛ばされると、「少し静かにしていただけますか」と静かにしてもらって、完全に勝利したと連呼していました。大丈夫なんでしょうかね、元名誉校長の夫。自分が「行政府の長」であることも何度か繰り返していましたが、こちらについてはようやく覚えたんでしょうか。だとしたら、一歩前進なんでしょうかね。その朝日に勝った人の妻が、「狂韓国」という特集を組む『歴史通』って雑誌で対談してたりしますが、同じ号に、「私、自衛隊の味方です」ってタイトルで書いてるヤツがいて…。有川浩です。やっぱりね。何の不思議もなさ過ぎて、失笑しかないですよ。



3月1日(水)消えてください

 元名誉校長の夫が、元名誉校長の夫の妻のことを「私の妻は一応私人だ」と言ってましたが、しかしその元名誉校長のことは「××××首相夫人」って記されていましたよ。ひょっとして、この「法被でハッピー」男も、私人として首相をなさっているんでしょうか。そういうのが、むかしいましたよね。公用車でなんちゃらとかいう神社に乗りつけて、私人として「内閣総理大臣」って記したやつが。そうそう、そいつによれば、自衛隊のいるところは戦闘地域じゃないんでしたっけね。これって、戦闘を武力衝突って言うのと同じですね。この、自民党をぶっこわすとか言って、こわしたのは郵便局と立憲主義だけってくそのせがれがまたなんかエラソーに言ってるそうで、もう全部消えていいですよ。



3月2日(木)高橋や内田と大差ない

 実際どうだったのかはいまのところ判明していませんが、もし認可に際して金銭授受など一切なく、ただただイデオロギーを共有できたから便宜を図ったのだとしたら、それはある意味では非常に恐ろしい話です。まあしかし、「こんにゃく」とかいった、目に見える仕方での金銭授受がなかったとしても、そのイデオロギーの背後には資本のロジックが働いているのだとすれば、別に恐ろしい話でもないですかね。いずれにしても、あの理事長のメンタリティも、皇室大好きな高橋や内田のメンタリティも、バカ左翼で反日の私からすれば大差ないです。後者の方が、明示的にイッちゃってるわけではなく、朝日新聞などからは一定程度評価されていたりする点で、より悪質ではありますけどね。



3月3日(金)国家的損失

 朝日に勝った人が公務(その中身がいったい何なのかはわかりませんが)のため海外へ行くときには、政府専用機を使用するでしょう。そのとき同伴している元名誉校長が私人であるとは、ほとんどの人たちが納得できないのではないかと思いますが、ひょっとすると天才的な人は私人だと考えるのでしょうか。私人を政府専用機に乗せ、私人に公費を使用しているんでしょうか。元名誉校長は、ひょっとして朝日に勝った人の愛人とかなんでしょうか。だったらまあ、私人だと言われてもわからなくはありません。ところで、あれほど教育方針に心酔していたというのに、どうして名誉校長辞めちゃったんでしょうかね。これは大きな国家的損失ですよ。



3月4日(土)私人の責任を負う公人

 あれ、たしか法被でハッピーは、妻が関与していたら首相を辞めるとか言ってませんでしたっけ? 妻は私人なのに? 私人のやらかしたことの責任を、得意のフレーズである「選挙で選ばれた私」がどうして取らなきゃいけないんでしょうか。そういうのを公私混同と呼ぶのであって、私人がやらかしたことの責任をいちいち行政府の長が負ったりしてはいけません。ああそうそう、私人である妻が犯罪者扱いされたのが不愉快だと国会で言うのもおかしいですね。そういうのは私的な空間でやってくださいよ。3K新聞とか、私的媒体があるじゃないですか。わはは。



3月5日(日)聞き飽きた能書き

 「右とか左とかじゃなくて…」という能書きを垂れる人が右の人であるということは、アプリオリな真理ではないかもしれませんが、しかしなかなか反証には出くわすことがなく、つい先日も実証される場面に立ち会ってしまいました。とほほ。(言うまでもなく、実証されてしまったことについて「とほほ」なのではなく、そんな発言が出てしまうところに立ち会ってしまったことについて「とほほ」です。)そしてまた、100田が「私は、男は右とか左とか言う前に、まず「男らしさ」やと思う。」とツイートしているのを本日目にしてしまい、またしても実証されてしまいました。「男らしさ」とかほざくことは、少なくとも文学研究科のハラスメントの規定に従えば、セクシュアル・ハラスメントです。それを堂々とやってのける人は、ハラッサーであり、差別主義者であり、現状を肯定したい右です。



3月6日(月)え、ぼけー???

 「右とか左とかじゃなくて…」の人たちは、おしなべて、事実を客観的に語ることができるということ、少なくともある種の人には事実を客観的に語ることができ、かつ自分自身がそのある種の人であるということをを前提にしているわけですが、もう、そんなふうに自分が特権的な位置につけると考えている点でその発想が間違いだってわかりませんかね。その特権的な位置についているのは、だれあろう、ちんけな自分なんですよ???それとも、そんな位置につくために、超越論的還元とか、方法的懐疑とか、やらかしんたんですか。もしそういうことをしたと言うのであれば、ちょっとは認めてあげよう…、なんて言うわけないです。ずっとエポケーしたまま帰ってくるな。



3月7日(火)ツイッターについて

 ツイッターをのぞいていると、登録しないと読めないツイートにぶち当たります。しかし、だったら登録すればいいじゃん、という簡単な話ではすみません。アカウントだけ作って、いままでどおりのぞいていればよいわけですが、アカウントを作ってしゃべらずにいられるかというと、きっとそんなわけにいかないでしょう。そして瞬間湯沸かし器がしゃべり出すといったい何をやらかすか。間違いなく、バ○だのア○だの言いまくるに決まっています。その手の言葉を使用することは、それがたとえ真理だとしても、いや真理であればそれだけ一層、立場的にまずいでしょう。ですから、やはりアカウントを取ることは控えなければなりません。ううう。



3月8日(水)京都在住の宗教者だもの

 朝日でのバカ発言というか、平常運転が話題になっている京都在住の宗教者がいます。どうして「国際女性デー」にからめて、こんなくずのような宗教者(これはもう、ほとんど冗長句ですけどね)に話を聞きに行くのか、聞きに行く方が悪いに決まってますが、まあだからって、ごみの宗教者が免罪されるということはありません。バカな発言をすれば、「バカ」と言ってあげなきゃいけませんし、くずなら「くず」、どあほなら「どあほ」と教えてあげなければいけません。間違えたままずーーーっと生き続けているけれども、ひょっとしたらおのれのバカさ加減とか、くず加減とか、どあほ加減とかに、気がつくかもしれないわけですから。まあ、気がつくわけはありませんけどね、なんせ90年も経験則が正しかったわけですから。



3月9日(木)その宗教者の発言はセクハラだ

 「男がいないなんてのはね、貧相だから、つくんなさい。」→はい、文学研究科では、セクシュアル・ハラスメント認定です。「男にはできない、女のよさがあると思いますよ。そこにお茶があって、人がいたら、入れてあげたらいいと私は思うんですよ。」→はい、文学研究科では、セクシュアル・ハラスメント認定です。ところで、「男」ってお茶入れらんないんですね。茶坊主とか、実は「女」だったんですか。それは知りませんでした。「私は割合、女とか区別しなかったから。かえって男にもてましたよ。」要するに、あんたは「男」に媚びたからもてたんですよね。それだけのことじゃないですか。そしてそれをセクシュアル・ハラスメントと言うのですよ。まだまだだらだら生きそうだから、ちゃんと学びなさいよ。あっ、宗教者には無理か。



3月10日(金)無償の愛を発揮して消えてください

 そして締めは、「本当の愛は無償の愛です。見返りを求めない愛ね。それが本当の愛です。」だと。そこにお茶があったら、つべこべ言わずに、無償の愛を発揮して男のために入れてあげなさいよ、ってことですね。そのとき「女だから」とか意識しなけりゃいいんですよね、そうしたら男にももてますよ、ってね。こんなくそ話を聞かせていただいた聞き手は、「「そうか、自分の心に素直に生きればいいのか」とすとんと胸に落ちました。」とか書いているんですが、これって嫌味ですよね。「お前はアホか」って意味ですよね。もしそうじゃないとしたら、こんな記者に森友は嗤えません。ちゃんと、教育勅語でいいじゃないですか、と言ってください。そして豆腐の角で…。



3月11日(土)反日だから黙とうしません

 神式の祭壇を設けて「御霊」への「おことば」が発せられ、全国的に同時に黙とうすることが強いられるとともに、挙行される追悼式。これで天皇制国家じゃないなんて、だれも言わないですよね。元理事長どころか、小説家の高橋とか、哲学研究者らしい内田とか、黙とうしつつ心の中では狂喜乱舞でしょうか。やったぜ、天皇の子どもでよかったって。そう言えば、ある学会でも何年か前から総会で黙とうしますね。ある大学での総会のおりに、その場に居合わせてしまい、言うまでもなく大急ぎで会場から退散しましたが、その際、バイトの院生に睨まれてしまいました。人を睨む前に、あんたも仲間入りして黙とうして来いよ、って思いましたよ。



3月12日(日)どっちみちいらんが

 稲田朋美によれば、皇室は2500年以上、「国民の幸福と平和、それだけじゃなくて、世界人類の幸福と平和を祈っておられた」そうです。なのにどうして、韓国併合(植民地化の言い換え)があり、アジアを侵略し、鬼畜英米と戦ったのでしょうか。ひょっとして、祈りが通じなかったんでしょうか。あるいは神に言うことを聞いてもらえなかったのでしょうか。2500年以上も祈り続けているのに???いやいや、そんなバカなことはないですよね。だからもう、完全に武装解除しましょうよ。皇室が祈ってくれてるんだったら、兵器なんていらないでしょ。言うまでもなく、殺人集団自衛隊も不要です。



3月13日(月)『鬼畜』

 『復讐するは我にあり』の方が面白かったです。子どもと父親の関係で言えば、『砂の器』とは逆でした。向こうは、父親が子どもを否認し、こちらは子どもが父親を否認するというわけです。なんというか、そこがきっと泣かせどころなんでしょうけど、なんとも思わなかった私は鬼畜なんだろうかと思いました。それにしても78年て、街とかまだあんな感じだったのですね。もうちょっと今に近いと思っていたのですが…。大竹しのぶが口にしたセクハラ発言は、今も十分、流通していますけどね。



3月14日(火)関西弁だからって許されるわけじゃない

 経済産業省の優秀な官僚のみなさまによれば、大阪万博の役割は「人類共通のゴチャゴチャを解決すること」にあるそうで、じゃあそのゴチャゴチャってなにかと言えば、「例えばやな、精神疾患」だそうです。ご丁寧に関西弁ヴァージョンとやらをお作りになって人権蹂躙をやってのけるとは、さぞや立派な精神の持ち主なんでしょうね。それで、「解決する」って何をすることなんでしょうか。万博のどさくさに紛れて「解決する」ってことなんでしょうか。「ユダヤ人問題の最終的解決」という言葉の「解決」と同じ用法なんでしょうね。まったく、野蛮極まりない。



3月15日(水)臆面もなく

 港区にある大学の関係者による「○○プレス」というアカウント。紹介文には「○○で青春を謳歌するために必要な知識やオススメをお届け。素敵な○○キャンパスライフを。」とあります。そんでもって、次のような情報が何の臆面もなく垂れ流されています。「【ミスコンテスト】 ○○では毎年、11月の××祭にミスコンテストを実施する。選りすぐりの美女5人がミス○○を目指すイベント。しかし、毎年だれが1番可愛いかをめぐり仲の良い友人の間でケンカが勃発する。君たちの顔では付き合えるわけでもないので、くれぐれも熱くならないようにしよう。」○○で青春を謳歌するためには、差別主義者である必要があり、素敵なキャンパスライフを送るためには、女性の品評会にコミットしないといけないようです。消えた方がいい。



3月16日(木)『神様メール』

 神が人間からコケにされ、小突き回され、「オレは神だぞ」と言うところとか、神父だかなんだかが、自分に試練を与えた張本人に笑いながら「やったのはオレだ」と言われて掴みかかるとか、そういうところは面白かったです。ただ、使徒が12人から18人に増えることによって、神に代わって女神が力をもつようになり、人々はしあわせになりました、ちゃんちゃん、というのはどうでしょう。家庭内野党万歳とか、皇室万歳とかの高橋とか内田とかと変わらない軽薄さ・浅薄さじゃないでしょうか。あと、ドヌーブの役もドヌーブ自身も不要かな。



3月17日(金)最終講義

 同僚の最終講義がありました。遠方からもたくさんの方が駆けつけ、非常に盛況でした。100人近くも狭い大会議室(「狭い」大会議室って)に押し込めることとなってしまい、大変申し訳なく思いましたが、ちょうど全国規模の学会が開催されていて、大きな部屋は何年も前から押さえられており、そこしか残っていなかったのでした。大会議室は、いつもはとんでもなく寒いので、暖房をがんがんかけたのですが、これもまた大失敗でした。次は気をつけよう…、と思いましたが、よく考えたら、最終講義は1回きりでした。そう言えば、講義の冒頭で同僚も「最終講義をするのは初めてで…」とおっしゃっていました。わはは。



3月18日(土)クソ花屋

 最終講義後の花束贈呈っていうのは、一応クライマックスだと思うのですけど、注文した花屋ときたら…。一昨日、わざわざ確認の電話を入れさせられ、「16時ちょうどは難しいから16時前でもよいか」と尋ねるので「16時前よりかは16時以降の方がよい」と答え、「着いたら電話を入れる」と言ってたのに、講義の終了時刻である16時30分になっても電話がならないのですよ。仕方ないからこっちから電話を入れたら、「16時以降という話だったので、まだ店にありますよ」だと。このクソボケが。思わず、もういいです、と言いかけましたが、なんせ花束贈呈はクライマックスですから。我慢してやったのですが、もってきたときにも一言も詫びず、むしろ強風の中、めんどくせーみたいな態度でしたよ。公人じゃなかったら、ブチ切れるところです。次の最終講義では、おまえんとこは使わねーぞ。



3月19日(日)クソ語法

 さんざん言いたい放題言っておいて、あるいは書き散らしておいて、「今のは独り言です」という言葉で締める語法というのが、ひょっとして流行っているのでしょうか。昨日はある会議に出て、2時間くらいの間に異なるふたりがこの語法を用いていました。これってしかし、「妻は私人です」という言い方に通じるものがないでしょうかね。さんざんやらかしておいて、「私人なんだから責任はとらせるなよ」というのと、さんざん言いたい放題、書きたい放題しておいて、「独り言なんだから反論はするなよ」というのと、どこが違うんでしょう。まあ、違いはないわけではありません。昨日のふたりの場合、それらが独り言であることを閣議決定するなどというお笑いネタまで提供することには至りませんでした。



3月20日(月)人材豊富な大学だー

 仲がよいだけで政治的責任を問うのはおかしい、とか言っちゃってる人がいるそうですが、仲がよいだけで政治的責任が問われているのだと考えてるんですかね。もう頭の中は桜満開ですね。実におめでたい。こういう政治オンチな人は、せめて黙っていればよいものを、ついつい私はわかっています的な言説を垂れ流してしまうのですよねー。こんなのとか、元名誉校長の夫の提灯持ちの法学者とか、人材が豊富すぎて、さすが「スーパー日本人(性別は男)」を育てようとしている大学だけのことはあります。研究室のドアの取っ手にガムでもくっつけてやりたいくらいですよ、まったく。



3月21日(火)クソはクソ

 共謀罪が閣議決定って、こんなものを決定してしまう内閣なんて、それだけでただちに正義に反しているわけですが、もはやなんでもありってことなんでしょうか。そりゃ憲法違反の法案を強行採決した実績を考えれば、こんなことは取るに足らないことかもしれませんが、いちいち文句言いますからね。こんなものを決定した内閣はクソである。こんなものに賛成した閣僚全員に共謀罪を適用し、その後、こんな法律は廃止することにしましょう。だんだんどうでもよくなってくる、なんてことはねーし。クソはクソだと言い続けなければいけない。



3月22日(水)『徹底検証 日本の右傾化』

 編者は宗教社会学を専門とされている方ですが、執筆者の中にも宗教社会学や宗教学を専門とされている方がいらっしゃいます。こうした方たちがこの共同体の右傾化について論じるということは、この共同体が第一に宗教共同体であるということを意味しているのでしょうか。哲学研究者は、私の知り合いのおひとりしか含まれていませんが、つまりこういう意味でやはり哲学は役に立たない、ということを意味しているのでしょうか。私は常日頃哲学は役に立たないと考えていますが、その理由は、哲学が「社会的なニーズ」(虫唾の走る言葉です)に応えることなく社会批判を行うから、ということにあります。しかし現実的には、役に立とうとするなんちゃら哲学とか、あるいは社会批判とは無縁の哲学研究ばかりだということなんでしょうか。猛省。



3月23日(木)ちゃんと信仰告白しなさいよ

 アジアに対する侵略戦争の最高責任者だった者のひ孫が、15歳にして見事にあの一族独特の欺瞞に満ちたメンタリティを露呈する作文を書いたそうです。まあ、あんなものをありがたがる人がいることは知っています。しかし、反ファシズムとか反差別とかを標榜するようなアカウントが、その作文をもちあげていて、この人たちはものを考えたことがあるんだろうかと思いました。要するにこの人たちは、小説家高橋や自称哲学研究者内田と同じなんでしょう。「差別はいけません」とか言っておきながら、こんなに明確に差別を表象しているものも珍しいくらいの皇族にひれ伏すわけですから。そういう意味では、一部の人たちが熱狂的に褒めまくる中上健次も同罪です。



3月24日(金)そういう言い方じゃなんの批評にもならない

 元名誉校長の夫のことやつまらない小説家だった元都知事のことをサイコパスと評する人がいるそうですが、だからなんなんでしょうかね。そういう言い方はまず差別的ですし、ある人たちのことを病だと言ってみせることによってなにかわかったような気になってるだけじゃないですか。さらには、自分はサイコパスじゃない「正常な」人間ですっていう宣言も含まれていることでしょう。そんなことをしてみせたって、元名誉校長の夫やつまらない小説家だった元都知事の不正を立証したことにはなりませんよ。たんに発言者が差別主義者であることをみずから語って見せているだけです。だからやめたらどうですかね。いや、人間を。



3月25日(土)そのとーりじゃん

 「私、自衛隊の味方です」ってコピーで発言をまとめられた、そうまとめられたところでまったく何の不思議もない人が必死になって弁明しているそうで、手元に残っている原稿とやらを披露しているのですが、それを読んだって、このコピーのどこがはずれているのか、さっぱりわかりません。ここに引用してみなさんにもぜひ検証していただきたいくらいなのですが、悪意がある転載は固くお断りになられていて、悪意があるかどうかはご本人がご判断されるそうなので、やめておきます。もっとも、発言の理解を話し手の意図に還元するなんていうのは、とっくのむかしに否定された議論なんですけどね。



3月26日(日)よかったね

 なぜこの方がご自分の発言をこんな正鵠を射たコピーにまとめられることを不満に思われるのか、さっぱりわかりません。その発言も、他の著作も、このまんまじゃないですか。ひょっとして、あまりにもうまくまとめられちゃったから、でしょうか。なんか、レッテルを貼られていることにも不満を漏らされているようですが(できることなら、その言い得て妙のレッテルも披露したいところですが、なにしろ悪意問題が…)、官房長官によれば、レッテルを貼られる人に悪い人はいないそうですよ。きっと官房長官の言うことなら、全面的に受入れちゃう人でしょ、この方は。よかったね。



3月27日(月)手続き主義的正義

 「犯罪者だけが証人喚問を受ける」という物言いは、「悪者だけに共謀罪が適用される」という物言いと同じではないでしょうか。ひょっとすると元名誉校長の夫ともなると、「法被でハッピー」なだけに、証人喚問などするまでもなくある人物が犯罪者かどうかがわかり、共謀罪を適用する前にある人物が悪者かどうかがわかるということなんでしょうか。かりに「朝日に勝った」あの方が、そんな慧眼をお持ちであったとしても、そんなことをしてはいけません。それは手続き主義的正義に反しています。



3月28日(火)私的に官邸のファックスを使用した、ってか
 公費で賄われている秘書に私的に勝手なことをされてしまったされている、公費で海外旅行もされるけれども閣議で私人であると認定されたある人の行為を、なぜ内閣総理大臣が国会の答弁で説明なさっているのか、さっぱりわかりません。ひょっとしてあれでしょうか、かりにだれかが私人として白と黒で塗られ赤色灯のついた車を破壊した場合、やっぱりそのだれかに代わってそのだれかの行為を説明してくれるんでしょうか。どう考えたってご本人が証言されないとおかしいでしょう。なんか祈るのがお好きな方のようですから、証人喚問なんて恐れるに足りませんよ。ところで公開されたメイルにある「神様」って、国家神道の神様じゃないっぽいんですが、そんなことで教育勅語を評価するのは背信行為じゃないですか。



3月29日(水)斎藤茂は責任をとるべきだ

 この月曜は東京にいたのですが、都心はときおりみぞれが降り強風が吹き荒れていました。そんななか、渋谷区の宮下公園で、自閉症者のエンパワーメントや花壇設置という名目のもと、野宿者が暴力的に排除されました。これに抗議された方が書いていましたが、対応した渋谷区の斎藤茂とかいうのが、公園設置は区の総意であり責任者はいない、と言ったそうです。総意だと責任者はいない、ってなんなんでしょうか。「私たち」が立ちあがると責任の主体は消える、ってことでしょうか。こういうのを、ファシズムって言うんだと思いますが、渋谷区は区をあげてファシズムなんですか。いや、きっとイタリアの体制なんかよりはるかに由緒正しい天皇主義なんですね。少なくとも、斎藤茂はこんな愚かな発言の責任をとるべきです。



3月30日(木)やっべぇー、証明できねー

 私は塚本幼稚園に侵入したことはありませんが、しかし塚本幼稚園に侵入したことがないことを証明せよと言われても、かなり難しいものがあります。私には公費で賄われている職員を5人従えた私人としての妻はおりませんが、その証明もこれまた非常に難しいものがあります。たんなる妻がいないことは、ひょっとしたら役所へ行ってそれなりの書類を発行してもらえば証明できるかもしれませんが(しかしその証明書に「妻はいない」とは明記されていないので、ひょっとすると「法被でハッピー」には認めてもらえないかも)、公費で賄われている職員を5人従えた私人としての妻となると、一角獣の扶養家族がいないことを証明するのと同じくらいに困難です。こういうでたらめを3Kと一緒になってやらかしているのが、小学生ではなく行政府の長であるなんて、国家機密じゃないでしょうか。



3月31日(金)いくらあほうちでも

 相撲なんて別にどうなってもいいというか、むしろ消えてなくなってくれていいと思っていますが、しかしどーせ差別主義者の集まりだからといって、外国人差別をしても許される、ということにはなりません。いくら親会社が原発推進派だからって、いくらスポーツ紙だからって、いくらあんなものを読むのは差別主義者以外にはいないからって、「モンゴルへ帰れ」というヘイトスピーチをしてもよいということにはなりません。なんだったら、この発言の責任をとらせて会社をつぶしてもよいくらいです。だから「あほうち」って呼ばれるわけですが、しかしあほだからって、何言ってもいいわけじゃありません。



4月1日(土)大間違い

 国政調査権という立法府の権利を行使して、証人喚問を要求すると、国会の答弁において「私は完全勝利した」を連呼した行政府の長が、「必要ない」と判定を下すのですが、そんなことしてよいと考えているのは、自分のことを立法府の長と呼んだ経験があるからなのか(しかし小学生でも知ってることを間違えたからか、議事録からは削除されています)、それともあの意味で公私混同しているからなのか、いったいなぜなんでしょう。それはそうと、逮捕する前から「悪者」がわかったり、「犯罪者」がわかったりしちゃう人ですから、ひょっとするとご自分のことを司法府の長でもあるとお考えなのかもしれませんが、これも小学生でも知っている間違いです。まあ、この方が行政府の長であることそのことが、ある意味では大間違いなんですけどね。



4月2日(日)『ウディ・アレンの影と霧』

 面白いと思って観ていたのですが、ミア・ファローとマルコヴィッチが赤ん坊を拾うことによって何かに目覚め、よりを戻すというところが非常にうっとうしかったです。『悪霊』のシャートフを思い出し、ますます不快になりました。ウディ・アレン、こんなシーンを撮って、まさか善人アピールなんかしてないですよね。キャシー・ベイツがびっくりするほどきれいで、おぉ、ってなりました。



4月3日(月)日共顔とか言われたこともありますが

 勤め先の性格のせいなのか、提出する文書にははじめから元号が用いられていたりします。エクセルで作成する文書だと、計算式が埋め込まれていたりして、西暦を入力しても強制的に皇道へ導かれる仕掛けになっています。あらかじめ元号が書かれていなければ西暦を使用し、元号が書かれてあっても何回かに1回は抵抗の姿勢を見せて二重線を引き(最近は、さらに訂正印まで押しています)、西暦を記入していました。「しんぶん赤旗」が、西暦に元号を併記することにしたそうですが、これで元号を消して訂正印を押し西暦を書いたりしても、日共だと思われずにすみそうです。よかった、よかった。



4月4日(火)つまり臣民

 ところで上のような方針転換はよいことなんでしょうか。イデオロギー的な話をするのなら、明らかに間違っているでしょう。少なくとも、マルクス主義と天皇主義は相容れないはずです。では戦術的にはどうなんでしょうか。こうすることによって、保守層も取り込めるようになるんでしょうか。かりに保守層を取り込めるようになるとして、しかしこうすることによって見切りをつける人たちもいるのではないでしょうか。いまさら天皇主義を露わにしたからって、大したことはないのでしょうか。それより明確に信仰告白することによってなびいてくれる人たちがたくさんいるのでしょうか。しかしそうやって支持してくれるようになった人たちは天皇主義者なんですよ、知ってましたか???



4月5日(水)勅語なんてあらゆる意味において差別でしょ

 憲法に反しないような形で教育勅語を教材として用いるって、あれですよね、勅語なんてものがそもそも差別主義以外の何ものでもないんだから、こんなものを肯定する者はだれであろうと全員差別主義者だって教えるための材料に用いる、って意味ですよね。「法被でハッピー」とかくだんないことばっか言ってる人だけど、妻は公費でいろんなところへ行ける私人だけど、その際公費で賄われている付き添いが5人もつくような元名誉校長だけど、こんなすばらしいことも考えられるんですね。すごいすごい。それにしても、首相の妻が私人であることや差別主義的勅語を教材で用いることを認める答弁書を政府のものとすることを決定してしまう閣議って、間違いなく歴史に残りますね。いや、修正主義者たちが歴史から消し去るか。



4月6日(木)閣議決定最強説

 そう言えば、私人であることが閣議決定された元名誉校長にお付きの公費で賄われている秘書が官邸から送ったファックスは、行政文書ではないことも閣議決定されたそうですね。これはもう、閣議決定最強説が出てもおかしくありません。そのファックスが行政文書でないとすると、秘書は職務専念義務違反を犯したことになってしまうという指摘がすでになされていますが、こんな指摘だって簡単にかわせます。そのファックスが行政文書ではないとした閣議決定は間違っていたことを閣議決定した、と言えばよいのです。そして、だったらやっぱり行政文書だったってことになるじゃないか、と言われたら、そのファックスが行政文書ではないとした閣議決定は間違っていたという閣議決定は間違っていたことを閣議決定した、と言えばよいのです。無敵だ。



4月7日(金)もしくはどれがもっともクソか

 「閣議決定」の最高のライバルは、「議事録からの削除」でしょうか。行政府の長が自分のことを「立法府の長」と言ったことについては、行政府の長を立法府の長と認める閣議決定はせず、その文言を議事録から削除したのです。かなり驚きましたが、自分や妻が関与していたら国会議員をやめるという発言も、自分や妻は関与していないことを閣議決定するのではなく、議事録から削除したそうですから。しかしわざわざ削除しないといけないということは、財務省で採用されている、パソコン上のデータを短期間で自動的に消去し復元できないシステムの方がはるかに強いかも。しかしそのシステムを導入するには閣議決定が必要で、そんなやばいシステムを導入したことを追及されたら閣議決定したことを議事録から削除し、しかしその議事録は件のシステムを使って作成していればわざわざ削除する手間もはぶけるので…、みっつのクソのうちどれがもっともクソか。



4月8日(土)なんらの正統性もない爆撃

 アメリカがシリアを爆撃しましたが、なぜ国連安保理は何も言わないのでしょうか。周囲で大々的な軍事演習をされた国家がちょっとばかり飛しょう体を飛ばしたくらいでぎゃーぎゃー大騒ぎするくせに、アメリカは現に爆撃しているのですよ。こうやって正義の名の下になされる単独行動を許すから、テロとの闘いとか言ってもまったく説得力をもたないのです。こんなことを黙認しておいて、なぜISを批判できるのか、まったくわかりません。「法被でハッピー」が支持するのは言わずもがなですが、メルケルさえもアメリカの爆撃を支持しました。まったくダメです。軍備はときどき使わないと経済的に潤わないからときどき使っているの一環にすぎないのに。



4月9日(日)ずっと断筆してろ

 えらそーに断筆宣言したんだからずっと断筆してりゃいいのにろくでもないことを書き連ね、批判されると「あんなものは昔から書いています」とか言うのですが、知ってますよ、それはたんにそいつが「昔から」体制べったしの差別主義者だったってことしか意味しないわけです。「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています」とか言ってるようですが、だから何なんでしょうか。過去を知っているから不正を働いてもよいと言いたいのでしょうか。アホですか。さらに、「韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」そうです。出ましたね、不正を働く「つもり」はなかった発言。あんたのちんけな「つもり」なんてどーでもいい。書いたことの責任をとって消えてください。



4月10日(月)いろいろつらい・・・

 あああ、またしても講義が始まってしまいました。そして今年もニュー・カマーたちが多く、まったく笑ってもらえません。まあ、面白くもないことをしゃべっているからなんでしょうけど…。講義の最後に、ある大学が育成を目指しているス―パー××人の話をしましたが、「<ス―パー××人>なんて、どうしてそんなバカそうな名前をつけてるんですか?」と尋ねられてしまいました。スーパー凡庸人の私には、そんなことはわかりません。そんな私みたいな者のためにでしょうか、授業帰りにメイルボックスを見たら、News Letter が投函されており、なんと pick up として「ス―パー××人育成を目指す」という記事が…。あらら、「バカそうな名前」とか言われてるんすけど(私は言ってませんよ〜 ←保身)。



4月11日(火)不正を続けることは不正を続けることを意味する

 これまでだってずっと差別してきたんだから、いまさら差別したからって騒ぐなよ、って言い方は、これまでだってずっと天皇制だったんだから(なにしろ、長く続いていることだけがウリらしい)、いまさら天皇制を支持したからって騒ぐなよ、とか、これまでだってずっと臣民だったんだから、いまさら臣民であることを騒ぐなよ、とか、これまでだってミスコンやってセクハラしてきたんだから、いまさらミスコンはセクハラだとか騒ぐなよ、とか、これまでだってずっと監視カメラがあったんだから、いまさら監視カメラで監視するなとか騒ぐなよ、とかって言い方と同じですよね。つまり、不正を続けてきたことは、不正を続けてきたことを意味するだけであって、けっして不正を正当化したりはしないわけです。知ってますか。



4月12日(水)『夏物語』

 以前観たことがあったのですが、イ・ビョンホンが警官による取り調べでバシバシ引っ叩かれていたところ以外、ほとんど内容を覚えていませんでした。きっと以前もそうだったと思うのですが、鑑賞後、非常に憂鬱な気分になりました。夜中に目がさめて、あんなことが現実だったら辛すぎる、と思いました。まあ、たぶん単純なんだと思います。「ほらほら、辛いだろ?」というのに、簡単に引っかかるわけですから。ところでほとんど内容を覚えていないくらいなのに、自宅にはDVDさえあり、メイキング版まで購入していました。ひょっとしてスエのファンだったんでしょうか。それすら覚えていません。



4月13日(木)うんこすぎる

 シリア調査の安保理決議案に対してロシアが拒否権を発動したというニュースがありました。ほほう、シリアをアメリカが爆撃したことについて調査しようという議案を米英仏で提出するなんて、なんてアメリカも自己反省的なのかと思うとともに、その決議案に拒否権を発動するとは、なんてロシアはアメリカに対する思いやりがあるんだ、と感心しました。ところが、記事を読んだらびっくり。なんと、シリア調査というのは、シリアで化学兵器が使用されたかどうかについての調査だそうです。えっ、ええっ、その調査もしてなかったのに、爆撃したんですか。そして爆撃しておいて、おまえら怪しい、調査させろ、って言ってるんですか。ものには順番があるってことをご存じないんでしょうか。ったく、うんこすぎる。



4月14日(金)えぇ〜???

 何があろうと国民を守るとか宣言しちゃってる人がいるそうですが、そんなこと言っちゃっていいんでしょうか。それって、不敬罪にあたりませんかね。国民たるもの陛下のために命を捧げなくていいんですか。その宣言は、陛下のために命を捧げることを否定してるんですよ。あらら、大変なことを言っちゃいましたよ。じゃあ、国民を守るということは、陛下のために命を差し出すことを意味すると、もう何言ってんだかわけわかりませんが、ともかく閣議決定しちゃいましょうか。



4月15日(土)ここにもうんこが

 自称哲学者が書いています、「今の日本を一言で言えば「バカが威張っている社会」です」と。こういうのって、結局あれでしょう、ルサンチマンを抱えた者たちが価値の転倒を図っているんだ、というポストモダンが好きそうな議論に過ぎないでしょう。だからこんな人の出す代替案は、そもそもバカたちとは家柄や血統が質的に異なる天皇こそが統治者にふさわしい、ってところでしょう。そして実際この内田は、小説家高橋とともに、どっちが優れた臣民でしょう競争をしているのです。いいですか、問題は、不正がまかり通っているということなのであって、だれかがバカだとかってことじゃないんです。まあ、内田や高橋はバカですけどね。



4月16日(日)つまらん言い訳

 「桜を見る会」とやらに呼ばれて嬉しそうに記念写真に収まっちゃってるゲーニンは、ひょっとして光栄に思ってたりするんでしょうかね。もしそうだったら、カスですね。呼ばれた以上、仕事だから仕方なく行ったんだとしたら、まあ、許してやろう、なんて言うはずはなく、やっぱりカスですね。いったいどんなゲーニンが呼ばれているんだろうと、ネットで調べてみたのですが、それで過去に呼ばれて喜んではせ参じた太田とかの名前を見つけ、まあ、そりゃそうだろう、別になんの不思議もない、と納得しました。大橋巨泉に一生懸命弁明しているのまで読んでしまいましたが、ごちゃごちゃ言わずに、自分が強い者の味方であることをちゃんと認めたらどうなんだよ、って思いました。消えてください。



4月17日(月)『バンジージャンプする』

 これまた、あれ、こんな話だったっけ、とほとんど内容を覚えていませんでした。これは、ホモセクシュアルであることを肯定しているのか、それともホモセクシュアルであることの根底では、ヘテロセクシュアルであることが前提されているという主張なのか、わかりかねました。一見、前者であるように見せかけて、実は後者というのが、もっとも悪質だと思いますが、ひょっとすると、性別などどうでもよい、という主張だったのかもしれません。ところで、イ・ビョンホンの恋人の生徒は、つき合っている彼女の裸身を想像してデッサンしたりするのですが、高校生の若人は、そんなことをするもんなんですか。へー。



4月18日(火)エラソーな断筆宣言まだかなぁ

 ずっと断筆してりゃいいやつが、抹消された自分のクソツイートを読んで、「なるほどこれはひどい。こんなひどいことを書く作家の作品など読んではいけない」とかほざいているそうです。こんなふうにほざいているにもかかわらず、その作品を読む者がいるとしたら、それはそいつが悪い、なんつっても作者の自分が読んではいけないと言ってるんだから、という小学生が思いつきそうな言い逃れです。しかしやつがすべきことは、こんな責任転嫁のクソ文を垂れ流すことではなく、一切のクソ文を書かなくなることです。いまだに言論の自由やら表現の自由やらでこのクソ作家のことを擁護する輩が後を絶たないようですが、そうやって自由の名のもとに強い者の味方をすることを不正と呼ぶのです。



4月19日(水)コンサルさま

 大学のコンサルとかいうのがいるそうで、自説を教師に反論されると、「そう考える先生は、そうした授業を続けてくださって構いません」とかおっしゃっています。なんで「続けてくださって構いません」などと許可をもらわなきゃいけないんでしょうか。コンサルさまだからですか。冗談じゃない。「これは嫌みではありません。多様な選択肢があるべきです」とか続けるんですが、嫌みじゃないことくらい、わざわざ言うまでもなくわかってますよ。むしろ「嫌みではありません」というわざわざなされる発話が語用論的にどのように解されるか、そういうことを少しは考えたらどうでしょうか。コンサルさまなんですから。「多様な選択肢」ですか? 少なくともコンサルさまになるような選択肢は世の中から消えてくれていいす。



4月20日(木)まあ、消えてください

 アメリカ副大統領が、原子力空母(空母の名前が「ロナルド・レーガン」て、いろんな意味で笑えます)の上で演説したそうです。「アメリカのもてる全戦力で日本を防衛する」と。ということはですよ、そのときアメリカを攻撃したら、何も反撃できないですよね。だって全戦力をこの天皇制国家を防衛するために投入しているわけですから、自国を防衛する戦力なんて残っていません。それとも、こっそり残しておくんでしょうか。許せんなぁ、それは。陛下の国家に嘘ついてるじゃないですか。全戦力を使ってないじゃないですか。さあ、どっちなんでしょう、神国を騙しているのか、それとも神国のために身を捧げてくれるのか。



4月21日(金)「当面」禁止じゃダメでしょ!

 どーせたまけりのファンたちだし、とか、 どーせファシズムの街大阪のチームのファンだし、とかって、冷ややかに言ってみせるオレかっこいい的言説は、ナチスをまねたデザインの旗を作って応援していた人たちの行為とは異なるけれども、やっぱり悪質であって不正でしょう。ところで、「強いイメージを出すために」って、その「強いイメージ」って、絶滅収容所を作って600万人を虐殺したから出来上がったイメージじゃないんですか。ひょっとしてデザイン的には素晴らしいとか、だれか言ってないでしょうね。そのだれかって、自称美的センスに優れていて、美がわかったりするような人じゃないでしょうね。言うまでもありませんが、イデオロギーを伴わない美なんて、ないですよ。自称美的センスに優れている人は、失念に優れているだけです。



4月22日(土)「いかがなものか」とか、使うんじゃねぇー

 常識とは、ままマジョリティの意見であり、差別はマジョリティからマイノリティに対して行われるものであるから、常識には差別が含まれている可能性があり、自分がマジョリティに属している場合、その差別性に気がつくことはしばしば難しいものがあるから、せめて学生の間くらい、常識を疑ってみることが重要だ、しかし「常識を疑え」をキャッチコピーにしている新聞社のような疑い方は論外だ、というようなことを1年生相手の授業で言ったとしましょう。そうしたら、マジョリティの意見には差別が含まれている可能性があるのはその通りかもしれないけれど、だからと言って、マジョリティの意見を疑え、というのは一方的すぎていかがなものか(この「いかがなものか」は、私にとってチョムカツキー語である)、という学生のうちから進んで飼いならされているような者の意見が寄せられたとしましょう。こんなとき、つくづくツイッターをしていなくてよかったな、していたらただちに差別語をまき散らし、謝罪に追い込まれるだろうな、と思うことでしょう。



4月23日(日)いまだにいまどき教条主義

 「「男女共用トイレ」にひそむ盗撮の危険性」なんてことをさも立派なことを言ってるかのように、あるいは啓蒙的に書き連ねるところが、相変わらず男権主義的なんですよ。まったくなにもわかっていない。かれこれ10年以上前に、女性が中心メンバーの学会にやってきて、私が教えてあげますと本当にそう言って、べらべらしゃべり始めたときからずっと、バカなみなさんを私が教えてあげますって態度で、その実、考えが足りないのはどっちだ、って話なんです。なんの反省もなく相変わらず男権主義的なまま。男権主義的と形容するのは、その人がわざわざそういう言葉を著書のタイトルに使っているからです。そんなわけで、この手の人と、いまだに飲み会で女性の学生に酌をさせる輩とどっちがひどいかと言うと、それはもう、うんことうんこの争いにすぎないのです。



4月24日(月)さぞ原子炉とか美しいのでしょうね

 福井県が、県庁前で反原発のアピール活動をしている市民団体に対して、活動を自粛するように文章で要請したそうです。「横断幕やのぼりは美観上好ましくない」とかいう苦情があったというのが、その理由のひとつです。ほほう、どちらさまの苦情か存じ上げませんが、さぞ立派な美的センスをおもちの方なんでしょうね。そんな美的センスはうんこなんですけどね。そしてその苦情に応える行政は、この共同体が理念的には法治国家だってことをご存じないのでしょうか。ひょっとして、現実的には人治国家であることの嫌味として、市民団体の政治活動を弾圧しているのでしょうか。そんなことはしなくてもよいので、ちゃんと理念に即して働いてください。



4月25日(火)呆けた話

 「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」をモチーフとした作品が、群馬県立近代美術館において展示予定でしたが、展覧会前に撤去されました。もともと「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」が県立公園内に建立されたのですが、2014年に碑の前で行われた追悼式の発言が「政治的」(あったりまえだろ、アホが)だから設置許可条件に反しているとされ、許可更新が不許可とされ、市民団体が処分取り消しを求める行政訴訟を起こし、現在係争中という背景があります。係争中だから片方に肩入れすることを意味する展示は認められない、というのが撤去の理由のようですが、実際のところは、「政治的な」芸術作品はお断りってところでしょう。またしても、無色透明でニュートラルな美的センスとか芸術作品とかいう、呆けた話です。



4月26日(水)ほげにょ〜

 なんとこの美術館のコレクションには、「ゲルニカ・タピスリー」があります。あの「ゲルニカ」を「もとにしたタピスリーの3番目のヴァージョンである」とホムペで紹介されています。するとこの美術館は、あの「ゲルニカ」もこのタピスリーも、いずれも政治的ではないと判断しているのでしょうか。それとも、所蔵はしているけれどもこんな政治的な芸術作品を展示したりはしないと考えているのでしょうか。ところが、コレクションについて、「これらの作品は、当館の常設展示室に展示される」とやはりホムペに書いてあります。あらら。したがって、群馬県立近代美術館は、あの「ゲルニカ」もそれを「もとにしたタピスリーの3番目のヴァージョン」も、いずれも政治的ではないと判断していることになります。ほげにょ〜。



4月27日(木)幹事長も辞めろ

 大震災のあったのが「東北でよかった」が意味するのは、大震災のあったのが東北でよかったということ以外ではなく、もちろんこう発言したからといって、だれかの頭から血が出たりするわけではないですが(そんなことがあったらオカルトですよ、幹事長!)、だからと言って許されるわけがない発言であることに変わりはありません。幹事長は、ひょっとして頭を叩いて血が出なきゃ何を言ってもいいと考えているのでしょうか。ああ、だから川崎や鶴橋や沖縄で繰り返されるヘイトスピーチにもお優しいのですね。大阪府警のやつらが沖縄で差別語を吐いても、だれも頭から血を流しませんでしたからね。しかしもしそうお考えなのなら、辞任を認めちゃダメですよ。不当に辞任を求められたって、訴えないと。訴えたって、頭から血が流れるわけじゃないんですから。



4月28日(金)軽薄も犯罪だが

 不正には不正が重なり、「東北でよかった」を逆手にとって…とかいうことが、すばらしいこととして報じられています。逆手にとってなんやかんや言ってる人たちも、それをすばらしいこととして報道している人たちも、完全にアウトです。逆手にとる前に、この発言を生み出す差別構造というものを考え、それを言説化しないといけないでしょう。そんなめんどくさい「政治的なこと」はやらず、わいわい楽しいことをしよう、そしてそれを称揚しようというのは、あまりにも軽薄すぎます。きっと、軽薄で何が悪い、とうそぶく人たちもいるでしょう。まるで遅れてきたポスト・モダンみたいな人たちですが、たしかにそういう人たちが軽薄であることは、どうでもいいことかもしれません。しかしそうしたふるまいが差別する側を利するだけであって、正真正銘の不正であるということ、このことは問われなければいけないと思います。



4月29日(土)もちろん出勤しましたが・・・

 けっして他にすることがないわけではなく、「国民」の祝日など休むわけにはいかないからこそ、万難を排して出勤するわけですが、とりわけ今日は、2月11日と並び、イデオロギー上、何が何でも出勤しないわけにはいきませんでした。ところが、素敵なツイートをみかけました。「裕仁の誕生日がわざわざ休み設定されてるのは皆が裕仁の悪行を一つひとつ思い出し列挙し街頭で声高に叫びに行くためですよ。」なるほど、これなら休んでもいいですね。アジアへの侵略戦争の最高責任者にして一切の責任をとらなかった、人間宣言するまでだって十分人間だったのに人間宣言しちゃったその方についてなら、たくさん言うことがありますからね。



4月30日(日)そんな仕事はありませんよ

 あの頭を叩いて血が出なきゃ差別語をまき散らしたって構わないと考えている人、「失言は毎日。仕事だから」とおっしゃったそうですね。つまりこの方は、失言することによって議員報酬を得ているということですね。あっ、念のため、議員でしたよね? 国会議員でしたよね? えっ、政権与党の幹事長さんですか。へーーー。ああそうか、だから千葉市長もセクシュアル・マイノリティに対するヘイト・スピーチを垂れ流し、「朝鮮学校への補助根絶」というありえない差別的主張を堂々とやってのけるわけですね。せっせとお仕事にお励みになられているということですか。いいですか、政治家の仕事は失言することじゃないですよ。とっとと消えてください。



5月1日(月)共謀罪に反対する男根中心主義者たち

 言うまでもなく、共謀罪なんてものが法制化されてはいけません。あの小泉でさえ成立を断念した法案なのに、なんでこんなものが閣議を通り、国会で審議されているのか。もう、提案された段階で提案した者を収監してもいいくらいです。それはそれとして、共謀罪に反対するジャーナリストたち。いいですよ、反対することには反対しません。でも記者会見に現れたのが全員男だって点を微塵も問題だと思っていないのでしょうか、あの人たちは。ひょっとして、そんなことには気がついていないんでしょうか。それとも、気はついているけれども、「所詮女は…」くらいに思っているのでしょうか。あんたたち、共謀して女性を排除してるんじゃないのか!



5月2日(火)東京地裁の岡崎克彦について

  東京地裁の岡崎克彦裁判長、ちゃんと名前を覚えておかないといけません。内閣総理大臣が靖国参拝しても、政教分離に反していると判断しなかった裁判長です。かりに内閣総理大臣の妻が公務員を従えて公費を使っていろんなことができるプロの私人であったとしても、内閣総理大臣は内閣総理大臣なんだから私人じゃないでしょう。それともこのプロの私人の夫もプロの私人なんでしょうか。さらに米軍と軍事演習しつつ(威嚇以外のなにものでもなく、明確に憲法違反です)、飛しょう体が打ち上げられると、ただただパフォーマンスのためにのみメトロや新幹線を止めてみせた(ように見える)御仁の言葉が、「恒久平和への誓いを立てたものと理解され」るとね。裁判官なのに、「素直に読めば」なんて、心の問題におとしこんでいいんすかね。あっ、遺族感情に鑑みて、死刑判決出しちゃう口か。



5月3日(水)「哲学は自分との問い」って意味わかんねー

 ある落語家は、「僕は「幸せの基準」を核ミサイルが落ちる事で測ろうとしたのです。 哲学的なことを言ってるんですよ。」と、もうかなり意味不明なことを言い、「核ミサイルが落ちることを基準に測ったら、大抵のことは大したことではない、というのなら、むしろそれは哲学的ではないですね。」と、当たり前のことを言われると(もう、瞬間湯沸かし器の私からすれば、よくまあまともに突っ込みましたね、と感嘆してしまいますが)、「哲学は自分との問い。 この議論は平行線でございます。」と、もうまったく理解不能な返答。別に落語家だから哲学がわかるわけないなんて、言ってんじゃないですよ。このやり取り、理解できますか???私にはほとんどわかりません。わかるのは、この方は、核ミサイルが落ちてこなけりゃ幸せなんだろう、ということくらいです。だれかが差別されていようと、核ミサイルが落ちてこなければ、私は幸せ、哲学とは自分との問い、なんですね。はいはい。



5月4日(木)「有事」の発想そのもの

 しかも悪質なのは、「有事」を煽るラジオ局を批判するのではなく、煽りに乗っかって恐ろしがっているところです。この恐怖に比べたら、森友問題なんてどうでもいいそうです。これぞまさしく「有事」の発想です。こういう人が、自分は平和主義者だとか言いながら、平気で共謀罪に賛成しちゃうんです。なんつっても、「有事」を前にすれば、政治家の職権乱用だろうと、プロの私人が登場しようと、そんなことはどうでもいいんですからね。平和を脅かすような「一般人じゃない」やつらには、人権なんて不要だってきっと言うことでしょう。そんなものを「哲学」とか言っちゃいけません。潜在的にはネトウヨと変らないのであって、「僕は「幸せの基準」を核ミサイルが落ちる事で測ろうとしたのです。 ネトウヨ的なことを言ってるんですよ。」と言うべきでしたね。(この落語家の父親は、あのトラキチだった人ですが、言うまでもなく、そんなことで免罪されるわけではありません。)



5月5日(金)差別主義者が不敬をはたらく

 第一臣民が、天皇主義者になった理由をゲロってるそうです。まあ、ゲロってるわけじゃなく、正々堂々胸張って言っちゃってるんでしょうけどね。あの「お言葉」で、アジアへの侵略戦争の最高責任者の息子は、「象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた」そうです。それが証拠に、ただの国事行為であったなら、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になった、なんて言い方はしないと言うのです。「「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味」なんだから、そこで言われている「象徴的行為」とは、「鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません」と。ほほう。じゃあ、「自分の命を削っても」「鎮魂と慰藉の旅」は続けなきゃいけないじゃないですか。どうして「疲れたからやーめた」なんて言っていいんでしょうか。ちゃんと命を削らないと。あっ、ひょっとして、いくらなんでもマジで自分の命を削ったりしないでしょ、って考えてるんでしょうか。臣民のくせに、なんと不敬な。



5月6日(土)なんちゃら祭

 まあ、いまだにミスコンのある大学祭を容認している職場の者に言われたくない、と言われるかもしれませんが、なんとか祭という公式の催し物に100田を呼んじゃう大学があるそうですね。相変わらず、擁護する人たちは、「言論の自由」ですよ。かつてあの「三国人」発言の差別主義者だって呼んだんだからって、それはたんにかつてあんたたちが差別主義者に発言の機会を与えたってことでしょ。つまり、かつて差別主義者に加担したんだから、今回だって加担しますよ、って言ってるだけで、なんの正当化にもなってないことがわからないのですかね。まだ八王子市民だったころ、中央線から木々の中に校舎が見えるその大学のことを「かっこいい」と思ったこともありましたが、しかし学生の7割が自民党支持者だと聞かされて、げんなりした記憶があります。いまもやっぱりそんなところなんでしょうかね。



5月7日(日)『帰ってきたヒトラー』

 やはりこれはダメだと言うべきでしょう。総統が滑稽なのは言うまでもありませんが、例によって、笑い飛ばせる自分エライにしかなってないんですよ。旧東独地域の住民たちに、選挙なんて操作されてるとか、外国人がうっとうしいなどと言わせてみせるところは、ずっと繰り返されてきた古典的な相対化に他ならないでしょう。総統のモノマネコメディアンだと思われていた人間が叩かれるのは、なんと犬を銃殺したからなんですよ。けっして、絶滅収容所の最高責任者だったやつのモノマネコメディアンだから、ではないのです。TV局なんて、しょせんはこんなもんさ、という批評のつもりなのかもしれませんが、そういう映画を撮っている以上、これはシニシズム的批評に過ぎないのであって、結局、笑い飛ばせる自分エライなんですよ。エンディングのわざとらしい音楽もアリバイ作りですね。はい、バカをさらしているだけで、全然エラクないです。



5月8日(月)人間を描く、はいはい

 原作者は「リアルなヒトラー像を表現するためにあえてその優れた面も描き出した」らしいのですが、どこに「その優れた面」が描かれていたのか、さっぱりわかりませんでした。ひょっとして、映画においてはそういう側面はすべてカットされたんでしょうか。それとも、極右のメンタリティとか差別主義者のメンタリティとかを持ち合わせないと「その優れた面」は見えないのでしょうか。まさか、TVでは料理番組ばっかりやってるとかいう批判が、「その優れた面」のひとつだったりしないでしょうね。そんな批判、別に優れていないばかりか、「総統」がそういうことを言えば、言論統制ですよ。言論統制が「優れた面」だと言いたいのでしょうか。そう言えば、かつて東條をひとりの人間として描いたとかいったクソ邦画もありましたっけね。



5月9日(火)そのとーり、違憲なんですよ!

 もうなんかすべてすごすぎるので、すごすぎるひとつにしかならないのですが、「法被でハッピー」「私は完全勝利した」自称「立法府の長」(ただし、議事録からは削除)の行政府の長が、改憲について、「まずやらねばならないのは自衛隊についてだ。憲法学者の7、8割が違憲としている。そういう状況を変えていくのは私たちの世代の責任だ」と言ったそうです。えっ?えぇっ??えぇーーーっ???自衛隊は違憲だから、憲法変えましょうって言ってるんですよね?それ以外の理解はないですよね?「真意」が伝わっていないなんてことはないですよね?例によって、野党に対案を出すように要求しているそうなんですが、まともな対案は、「自衛隊は違憲です」で終わりですよ?つまり、あなたがすでに言ってます。これ以上、何を言えば対案になるのか、示してほしいものです。あっ、ひょっとして議事録から削除が対案か。あるいは、私は総理大臣だが、私人である、とか言っちゃう?



5月10日(水)学者による古典的差別

 「東大の大学院出身の優秀な若手大学教員で、しかも魅力的な女性が、岩波書店と文藝春秋がどう違うか分からないと言っていた。」とか平気で書いてしまう学者は、きっとどこが女性差別的な発言であるのか、まったく気がついていないでしょう。指摘されても、「褒めてるじゃないですか」と、きっと差別に差別を重ねることでしょう。この方の直前のツイートは、内閣総理大臣批判なのですが、このことから帰結することはなんでしょうか。女性差別するような人にも、内閣総理大臣の問題は指摘できる(あの方はそれほどひどい)、ということなのか、女性差別はかくも根が深く広く行き渡っている、ということなのか、あるいは内閣総理大臣に対する批判だって、ちょっと風向きが変わればただちに反転するようなものにすぎない、ということなのか。いずれにしても、たぶんこの手の人は、自分のことを女性の理解者だとか思ってたりするので、ひょっとするともっとも悪質かもしれません。



5月11日(木)客観的分析ですか

 「自民党の右傾化の原因は、世論や支持基盤の変化ではなく、政策的に左に位置する民主党の台頭であり、副次的には派閥の衰退という政党組織の変化である。」(106)と言う方がいて、アンケート結果なんかを示しながらこんなふうに結論されているので、きっと客観的にこう言えるんだということなんでしょう。しかし自民党が右傾化した原因が、台頭した民主党が自民党より左に位置していたことにあるのだとすると、自民党の右傾化を防ぐためには、それよりさらに右の政党が台頭すればよいってことになると思うのですが、違うのでしょうか。きっと、客観的事実を分析した結果を論じているだけであって、だからどうこうなんてことは主張していませんとおっしゃるのだと思いますが、そんな客観的事実っていったいなんですか、と問いたくなりますね。これって結局、価値自由な客観的分析というものがあるって話で、それは公正中立な報道があるって考えることとどれほど異なっているのでしょうか。



5月12日(金)承前

 上記論考では、あの韓日合意について現政権が「予想に反する柔軟性をみせた」(106)とも言われるのです。物事を客観的でニュートラルにみると、あんな合意についてもそうみえるということなんでしょうか。柔軟性も何も、あの「合意」では従来通り法的責任がまったく認められておらず、したがって行われるのも賠償ではないというもっとも肝心な部分がまったく変わっていないのですが、にもかかわらず「最終的かつ不可逆的な解決」だと宣言されたのですよ。どこに柔軟性があったのか、どんな客観的な視点をもてばそうみえるようになるのか、私にはさっぱりわかりません。むしろ客観性やニュートラルであることを装う論考は、その実まったく客観的でもニュートラルでもないということを如実に示していないでしょうか。



5月13日(土)いい仕事したと思ってるんだろうか

 その本に収められた他の論考で、やはりアンケート結果を分析して客観性を標榜しているように見えるものがあり、「現時点では有権者の意識が「右傾化」していると断定できる証拠はないといわざるをえない。」(124)という結論を導いているものがあります。だったら別に問題ないじゃん、とついつい思ってしまうのですよねー、こういうのを読まされると。もしかすると、もっと冷静になりなさいよ、と言われているのでしょうか。しかし強行採決が連発されているにもかかわらず、支持率が下がらないどころか上がったりするのを見聞きして、にもかかわらず「有権者の意識が「右傾化」していると断定できる証拠はない」なんて結論を導かざるを得ないのだとしたら、その客観的分析そのものが間違ってるかもしれないとか、考えたりしないんでしょうか。微塵も考えない???



5月14日(日)哲学的に考えること

 ところが、むしろこういった分析を評価される方がいて、少なくとも自己意識としては、脱イデオロギーなんでしょうね。右派によるWGIP論を分析し、それがもちうる影響を論じる論考に対しては、影響を実証できなければ説得力がないとかいうコメントがつけられるのを見かけるにつけ、つくづく哲学的思考というものは嫌われているのだなぁと思うとともに、やはり哲学的思考はまだまだ重要だなとも思います。言うまでもなく、実証主義を全面的に否定するつもりはありません。なんの実証性もなく、<朝鮮人慰安婦と日本人兵士は同志的関係にあった>なんて言われても、アホかいな、と思いますからね。しかし実証主義がすべてだとも思わないし、実証主義に対する批判が実証主義から出てこないことは確実でしょう。まあ、実証主義者たちが相変わらず、「それは哲学だ」という悪口を言うのは知っていますけど。



5月15日(月)クソ本の帯

 「<正義の争い>から「冷静な対話へ」」 まあ、ゴミ本の帯としては、言い得て妙です。要するに、自分たちのクソ本には「正義」はない、ということですね。「正義」の対義語は「不正」です。この書き手たちは「不正」であることをみずから「冷静」に認めているということです。実はこの文言の前には、「不毛な<訴え>を終わりにしたい。」とも書かれています。ほほう、不毛な訴えなんですね。人権侵害の訴えは「不毛」であると。そりゃあんたたちみたいな声のでかいのがのさばってるうちはたしかに「不毛」かもしれません。だから「不毛」であることを終わらせたいのなら、あんたたちが消えていけばいい。クソ本出すより、ずっと簡単ですよ。



5月16日(火)『ニュースの真相』

 ブッシュがベトナム戦争へ行きたくなくて空軍に入れてもらい、しかもその空軍でも訓練に参加していなかった、というスクープを放送した主人公(ケイト・ウィンスレット)が、体制派(こっちの共同体にも大学関係者やら芸人やら、たーくさんいるじゃないですか)から「証拠出せ」というバカの一つ覚えにさらされるという話です。残念なのは、虐待してきたバカ父親が主人公叩きに一役買って、「あいつはこどもの頃からリベラルでラディカル・フェミニストで…」とインタビューで垂れ流すと、主人公がたまらず、もうやめてくれと懇願するシーンです。これ以上悪口を言うなら「腕を折るぞ」とか勇ましいことを言っちゃう、いざとなればマッチョという夫は論外として、主人公には、クソの父親に対して「おまえはクソだ。死ね」と言ってほしかったところです。



5月17日(水)存在がすでに政治的

 それ系のことは話題になどしたくなく、もっと言えば知っていることさえ否認したいのですが、第一臣民の小説家高橋とか同じく第一臣民の自称哲学者内田とかは、婚約会見とやらと共謀罪成立、高浜原発再稼働、「総理のご意向」暴露の同時性をどのようにお考えなんでしょうか。婚約会見に比べれば、ほかの3つのことなど取るに足らぬことであり、むしろぶつけてくるなくらいのお気持ちなんでしょうか。こういうのを皇室の政治利用と言うのであって、まさしくこうした用途のためにやつらは税金で暮らしているのですが、臣民としてはお幸せなことでしょう。私はムカついています。もちろん、ムカついているかどうかはどうでもいいです。ここには明らかに不正があります。不正を喜んでいられるのは臣民だけです。 



5月18日(木)はんちん

 どうしてこう、最下位のチームが邪魔をするんでしょうかねぇ。邪魔をするんだったら、原発推進チームとかの邪魔もちゃんとしてくださいって。連勝がとまって1敗すると、そのままズルズルと負け続けるのではないかと気が気でなりません。と同時に、「どーせ負け続けるんだろう」と前もって知ってた的心情を案出して、心の均衡を保ったりもするわけです。これが、もう八王子市民のころから培ってきた典型的なあのチームびいきのメンタリティーではないかと思います。勝つためなら何をしたっていいと考えているような原発推進チームびいきがけっしてもちえないメンタリティーです。ざまあみろ。



5月19日(金)強行採決

 あの「感動したっ」でさえ諦めた法案を強行採決してみせた「法被でハッピー」は、きっと後世に名を残すことになるのでしょう。オーストリア出身の芸術家崩れでミュンヘンで暴動を起こした突撃隊が国政へやってきたときは、きっと大半が大したことないと思っていたのでしょうが、周知のようにやがてとんでもないことをやらかしました。この方もきっとただの○○だと思われていたでしょうに、恐るべき法律を次々と可決成立させた際の行政府の長ということになるのでしょうね。総統と異なるのは、伝統に即して、一切の責任を免除されることです。



5月20日(土)勤勉がすぎた

 所属学会の大会のため、昨日から東京でしたが、嫌な思いをするに違いないことがわかっていても、やはり国会前に行っておけばよかったです。さらに今日は、当該学会の総会があったのですが、物故者に対して出席者全員で黙とうするという気持ち悪い儀式を避けるあまり、出席しませんでした。しかし、強行採決についてどう考えるのか、あるいは今後予想されている改憲について学会としてどのように考え、何か抗議声明のようなものを出すことを視野に入れているのかどうか(まあ、入れてないと思いますけど)、会長に質問すればよかったと、これまた後悔しています。あんな暴挙が行われているにもかかわらず、そんなこととはまったく無関係に、「ニュートラルに」「冷静に」哲学研究に勤しむとは、なんとも勤勉がすぎました。



5月21日(日)加害者だったってご存知ですか?

 昨年の大会で、死者に責任を問うことはできないと言ってのけた、ナチス党党員の学長として総統をもちあげる有名な演説をやらかした哲学史家についての研究者が、アジアの被害者2,000万人を弔う前にまず自国の死者300万人を弔わないと「われわれ」という責任の主体が立ちあがらないというわけのわからん主張をやらかしたのと一緒になって、本日の公募ワークショップとやらで、アメリカの原爆投下を問題にするという、これまた「右でも左でもなく」「ニュートラルで」「冷静な」哲学研究を開陳することになっていたのですが、純粋実践理性が定言的に命じる「殺れ」という声に抗する自信がなかったので、参加しませんでした。原爆被害を論じるのなら、同時に侵略者としての加害者責任を語ってください。それを語らないのであれば、被害者面しているだけなので、消えた方がいいです。というか、消えてください。



5月22日(月)「知性」を問題にするのではなく…

 あれが「フェイスブック上で「朝日新聞の姿勢は言論テロ」だとする意見にいいねしている」と、ある方のツイートにありました。「新聞報道をテロ認定する知性の人物が内閣総理大臣をやっている」と続けられていますが、「知性」のことを問題にするのはやめて、これっていずれ朝日新聞を共謀罪で訴えるということですよね。もし訴えないのなら、訴えないことを理由に「法被でハッピー」を共謀罪で訴えないといけなくなりますね。ところで、神道とは異なる宗派の線香屋のみなさんは、こんな法案を通してしまって、身の危険を感じないんでしょうか。それから、「守るべき人を間違えない」と自信たっぷりに言ってのけて参院選・東京都選挙区においておおさか維新の会から立候補したヤツに、ちゃんと強行採決についてご説明願いたい。



5月23日(火)そして別件逮捕は違法だぞ

 ある容疑者が逮捕されたのですが、それを受けて国家のために命を捧げます隊の元隊員が次のようにコメントしたそうです。「(大坂容疑者は)逃げ回っていたわけですから、中村さんにしたら悔しくてしょうがなかった。今回ようやく陽の目を見た。成仏できるのではないか。私としたら中村さんは今、そういう気持ちで天国にいるのでは」 ほほう、さすが、国家のために命を捧げます隊の隊員だと、「成仏」するまで「天国」にいるのですね。しかしこんなことでよいのでしょうか。なぜブディスチャンであって国家神道の信者じゃないのでしょうか。ひょっとしてこの元隊員は死者を侮辱しているのでしょうか。いずれにしても、容疑者が「本人」かどうかをDNA鑑定するとか平気で書いてますが、容疑者のDNAを採取する正当性はどこにあるんでしょうか。



5月24日(水)人材豊富すぎる

 穴だらけの法案に賛成するやつらが悪いのではなく、穴だらけの法案を穴だらけの法案だと指摘した側が悪いのだと主張する国際政治学者がいらっしゃるそうで、こんな立派なご見識をお持ちだから、「法被でハッピー」と会食もなさるようです。その立派なご見識を「ごもっとも」とするツイートをリツイートするやつも、その立派なご見識のちょうちん持ちが「私は朝日に勝った」に呼ばれる会食に一緒に参加するこれまたちょうちん持ちも、同じ大学に所属されているそうです。いやもう、なんとも人材豊富な大学ですな〜。さすがスーパー日本人(人称代名詞は he を用いる)を排出しようとしているだけのことはある。



5月25日(木)クロネコたん



 授業後に気がついたのですが、授業前からいらっしゃっていたようです。もう、それならそうとおっしゃっていただけば、マイクを使って余計なことをだらだらうるさく話したりせず、休講にしたというのに…。あるいは、ネコ語を駆使するか…。しかしよく考えたら、ネコ語できませんでした。したがって、選択肢は休講だけ、ということでした。ところで、強行採決に抗議するためにできることと言えば、授業のストライキくらいしか思いつきません。みんなでストライキすれば、学生は単位を修得できなくなりますから、学生も抗議することになり、授業料を収めている保護者達も抗議に加わるでしょう。しかしみんなでやらなければ、ひとりだけたんにサボってるやつとみなされるか、あるいは「こんな反日教師は…」とか「こんな北のスパイは…」とか叩かれるのでしょう。ばっかじゃにゃーす。



5月26日(金)理性の公的使用

 官房長官が、「正直な」元事務次官の発言について「責任者の立場にあるときに言うべきだった」とかおっしゃったそうですが、あれれ、文書はなかったんじゃありませんでしたっけ。文書がないのなら、責任者の立場にあるときだって、「文書はある」なんて言っちゃいけないはずですよ。にもかかわらず、「言うべきだった」って、じゃあ、まさか、ひょっとして、文書はあったんでしょうか。あらら。もちろん人の責任を問うことも重要ですが、「ある」ものを「ない」とした責任者の立場にある官房長官さまの責任は問うたりしないのでしょうか。あっ、ひょっとして、議員を辞めて、責任者の立場を離れてからゲロったりしないでしょうね。この人に限って、そんな心配は無用ですかね。「その心配は当たらない。」



5月27日(土)お気に召さないポイント

 これから京都産業大学は、「首相に気に入られなかった大学」をウリにしてはどうでしょうか。しかしなぜ気に入られなかったのでしょう。それはもう、みなさんご承知でしょう。京都産業大学の略称に問題があるからです。いっそのこと漢字も変えちゃったらどうでしょうか。ひょっとしたら、私人として内閣総理大臣を務めていると言い出すかもしれない人、そしてそれを閣議決定しちゃうかもしれない人、妻がスーパー私人と呼ばれるその夫は、きっと同じ理由から中京大学もお気に召さないと思います。



5月28日(日)クソだから消えていいです

 内部告発した人に対して、「今になって正義感を振りかざし」だのって文句言ってる人とか、それを「その通り」だとか言ってなにほどかを言ったつもりになってる人は、つまり、告発の内容が正義に合致していることを認めているわけですよね。そうじゃなきゃ、「正義感を振りかざし」ていることにはなりませんからね。つーことは、どういうことなんでしょう。こういった方々は、不正を知っていても、「そのとき」以外はそれを告発しちゃダメだって言ってるわけですか。ひょっとして、現行犯以外は認めないのですかね。しかし現行犯だって、厳密に言えば時間的にズレがありますよ、当たり前ですが。つまりあれですか、不正なんて一切告発できないし、だからだれも過去の不正の責任なんて負わなくていいって、ナチスだったやつの研究者と同じことを言うわけですか。クソだから消えていいですよ。



5月29日(月)まさか悪質じゃないですよね

 その内部告発者がかりに問題のある店に出入りしていたとして、そして問題のある行為を行っていたとしましょう。しかしそのことと、その人の告発の内容の妥当性がなぜつながるのでしょうか。それはふたつの独立したことじゃないですか。そんなことは自明だと思うのですが、違うのでしょうか。ひょっとして、問題のある行為を起こした人の発言は、つねにすでに偽なんでしょうか。こんな無関係のことを記者会見においてつらつらと言い続ける官房長官は、もしふたつのことが論理的につながっていると考えているのであれば、それを証明する必要があるでしょう。もしつながっていないことを知りながら、だらだら言い続けているのなら、悪質です。官房長官が悪質なんてことはありえないでしょうから、ちゃんとふたつのつながりを証明してみせてほしいです。えっ、証明できない???つーことは、「お察しください。」



5月30日(火)そんなことはまったく問題ではない

 「法被」の改憲メッセージに反対する憲法学者とか政治学者の集まりが見解を公表し、ついでに記者会見も開いたのですが、メッセージに反対するのは当たり前のこととして、「自衛隊は合憲」とか言っちゃってる人がいて、なんだかなぁと思います。その人は、「法被」の提案について国民投票が行われ、もし否決されてしまったら、「自衛隊員の方々の尊厳や誇り、自信」はどうなる、というような心配をなさっているわけです。まったくわけがわかりません。この方は、要するに、「自衛隊員の方々の尊厳や誇り、自信」を損なわないために、ぜひとも国民投票では「法被」の提案に賛成しましょう、って言ってるだけじゃないですか。まあ、何が秘密か秘密だ法に賛成した方なので、何の信頼も寄せていませんが、しかしこういう方が前面に出てきちゃうあの会は、大丈夫なんだろうかと思います。



5月31日(水)妥協はしない

 この方にかぎらず、自衛隊の隊員に対する侮辱を気にする憲法学者とか、天皇にひれ伏す憲法学者とか、何が秘密か秘密だ法に賛成する憲法学者とか(全員同一人物だとか、勘繰ったりするのは止められません)、この会は人材豊富なわけです。「早く質問しろよ!」のメッセージに反対しながら、なぜ天皇制を擁護できてしまうのか、私にはさっぱりわからないのですが、きっと反対する理由が異なるのでしょう。だとすると、この反対における一致は、ハーバーマス的には「合意」ではなく「妥協」です。議論をつめれば、この憲法学者の言い分には反対することになるでしょう。まあ、私のごときが反対したところで、別に何も変わりはしませんが、孫には「あの一見リベラル、その実体制派」に、じいちゃんは反対したんだよ、と言いたいものです。あっ、孫いなかった。



6月1日(木)まったく自由人ではない

>> 「ジロジロ見るな。セクハラだ」
>> 「見てほしくないのなら着飾って出歩くな」
>> 「あんたに見られるために着飾っているのではない。見るな」
>> 未完

こういうツイートをするところに、このコラムニストの限界が明確に現れています。「未完」というのも、いやらしい終わり方です。このタイプは、きっと自分のことを自由人であると考えているでしょうけど、容易に暴力を行使する側に加担するのです。



6月2日(金)体制べったしメンタリティ

 なんちゃらとかいう方が、「共謀罪に反対している組織や個人は、念入りにリストアップしておくと、後で何かの役に立つかも知れない」とか言って、その密告者メンタリティを批判されても、例によって、何を批判されているのか理解できないのか、あるいは理解できるけど「それが何か?」状態で、こういう自己意識としては「善良な市民」に密告させるのが密告社会なのだから、共謀罪を導入する前からすでにこの共同体には密告規範を内面化している方がいらっしゃるというわけです。リストをこっそり当局に渡したりするわけじゃなくて、それを公開するのだから「密告」ではない、というのはひょっとしたらその通りなのかもしれませんが、そうした行為がまさしく体制批判を困難にし、密告社会の狙いを実現しちゃってるわけですよ。そうか、密告者メンタリティというネーミングじゃ物足りない、体制べったしメンタリティと言ってくれ、ということなんでしょうか。やっぱ正確を期してほしいと。はいはい。



6月3日(土)○大出身者の語法

 「申し訳無いけど今50歳くらいの新聞テレビに就職した同級生とか全然本とか読んでなかったもんね。京大でも。就職した後であの決定的な教養の欠如を埋め合わせる勉強したとは思えないし。」 あの大学出身者特有の語法です、「○大でも。」っていう言い方。こんなこと言ったり書いたりして、なんとも思ってないところが、まあ、○大出身だってことなんでしょう。きっとなにを言われているのか、わからないでしょうね。20年くらい前に、「最近は哲学じゃあ(大学への)就職は難しくなってきましたね。京大でも。」と目の前で言ってのけた○大出身の教員がいました。わざと、「京大でもですかぁ?」と驚いてみせてやったら、嫌味を言われているなんてことを微塵も疑わずに、「京大でもですよ」と真顔で答えてましたよ、そのバカは。いまも生きてます。



6月4日(日)反対派が悪いみたいな言い方だな

 ある大学のなんちゃら祭で極右の講演会が中止になったそうです。そもそもそんなものを企画した時点で間違っているのですが、中止の理由は安全性を確保できないということで、やっぱりこの企画者たちはなにもわかっていないことがよくわかります。わかっているのなら、極右に発言の機会を与えようとしたことが誤りでした、そしてその誤りに遅まきながら気がつきました、それゆえ講演会は中止いたします、でしょう。はい、いまだにミスコンをやらかしてるような、エラソーなことは言えない機関に所属しています。そのとおりです。どうもすみません。



6月5日(月)所有権の侵害ではない

 「被害者があなたの娘や恋人や妻であったとしても同じことを言えるのか」といったタイプの批判がありますが、これって要するに、性犯罪を所有権の侵害として考えてみればわかるだろ、ってことですよね。だけど、娘や恋人や妻は、けっして「あなたの」所有物なんかじゃないですよ? ひょっとして、こんなことを言う方はカントかぶれなんでしょうか。「だってこんな風に言わないとわかってくれないから…」なんて言い訳はやめましょう。そんな風に言ってわかってくれる人は、なんにもわかっていないのですから。そこにあるのは人権侵害です。「あなたは人権侵害を認めるのか」って言わなきゃいけません。



6月6日(火)びっくり人間大集合

 零戦をほめそやすことと戦争を賛美することとを切り離して考えられる人は、きっと、あきたこまちに由来するうんこをひとめぼれに由来するうんこから区別して、前者だけを食べることのできる人でしょうね。すごい。稀有な才能と言ってもよいくらいです。しかしこういう才能をおもちの方によると、過度の反戦意識とかいうものもあるそうで、こんな意識をもつ人は、すべての武器は悪って考えてしまうそうです。え〜、え〜、え〜、すべての武器って悪じゃないんですか???度が過ぎない反戦意識をもつと、あきたこまち由来のうんことひとめぼれ由来のうんこを識別できるように、善い武器と悪い武器を区別できちゃうんですかね。もう、びっくり人間大集合に出るしかないと思いますが、ちなみにその善い武器では戦っちゃうんでしょうか。反戦なのに。



6月7日(水)ひょっとしてもう閣議決定した???

 なにやっても勝ちゃいいんだろという伝統をもつある球団の親会社は、いまや「法被」の広報紙を発行し続けているそうですが、そろそろあれですかね、「交流戦なんてくだらねぇ」とか代表取締役主筆が言い出すんでしょうかね。そしてこの方がそう言うと、だらしない他の球団オーナーたちも賛同してしまうのですかね。ひょっとすると、「官邸の最高レヴェル」が口出してくるかもしれません。しかしそんな面倒なことをしなくても、その球団は12連敗なんてしていないってことを、閣議決定でもしたらどうですかね。追及されたって、切り札があるじゃないですか。「その批判はまったく当たらない。」



6月8日(木)最強の語法

 「零戦が好きなのに勝手に戦争の話しないで下さい」という「切断」は、「兵器の機械としての美しさ」と戦争の話はまた別という「切断」や「ナチスの軍服かっこいい」と絶滅収容所の話は別という「切断」、「ミサイルのフォルムが美しい」とミサイルによる殺戮の話は別という「切断」とかと同じでしょう。しかしこれらのたとえ話をはるかに凌駕するのは、官房長官語法による「切断」です。いくら批判されても、批判に対して一言も反論することなく、ただただ「その批判はまったく当たらない。」と言ってのける官房長官語法に従えば、「戦争の話をしているだけなのに戦争の話をしないで下さい」という「切断」が可能です。ほら、最強じゃないですか。



6月9日(金)何だったら阪ちんでコーチでも

 まあ、たまに聞くぶんには面白いけど、ずっと聞いてると「野球はキャッチャーだけでやってるわけじゃねーよ」と言いたくなってくる「ぼやき解説」とやらがあって、そこで、原発推進派で3Kを出し抜いてまんまと「法被」のプロパガンダ紙となった親会社をもつあのチームの監督のことが、「慶應のおぼっちゃん」と揶揄されていました。しかし親の借金のために行きたかった球団にも行けず、現役を続けたかったのに無理矢理若大将の負の遺産を相続させられて、そんな目に遭わされても平気だよみたいな顔をしているところはおぼっちゃんかもしれませんが、けっしてお金持ちではないでしょう。少なくとも、おいたを脅されると1億円払っちゃう前任者なんかとは比べ物にならないと思います。



6月10日(土)全会一致で憲法違反

 あるじいさんが「疲れたから仕事辞めたい」と言って、そんな年になるまで働かせるなんてかわいそーって、言うまでもなくそういう話じゃないわけです。そのじいさんは、フツーのじいさんじゃありません。そもそもそのじいさんの父親は、宣言をするまで神でした。そんでもって、そのじいさんが「○○したい」とか言って、法律を作ったりすることは憲法違反なのです。なのに、驚くべきことに、まあ、その父親が宣言するまで神だったってこととか、終わらせることができたのに責任はないとかも驚くべきことではありますが、国会(参院)においてだれひとり反対することなく(「全会一致」ってそういうことですよね)法案が成立しちゃったのです。さすがに憲法学者なら反対意見を言うだろうと思いきや(ホントは思ってません)、そのじいさんがみずから発言せざるを得なくなるほどに追い詰めた臣民が悪いと、いつもの信仰告白しています。○村って、いつ消えてくれるんでしょうか。



6月11日(日)高レベルってわかる自分すごい

 諸般の事情により、3年以上も前の『at プラス』(2014年2月号)を読んでいたら、冒頭に対談が掲載されていて、その中で、ナショナリスティックだった歴史家が後年主著の中で反省しているのを「高レベルだなぁって思います。」とか言っちゃってる人を発見しました。どのへんが高レベルなのか、私にはさっぱりわかりませんが、その方が、高レベルだって思ってる自分すごいって思っていることは、よく伝わってきました。もちろん、その方はすごくもなんにもないのですけどね。ひょっとしたら、その対談相手と対談している自分すごいまで思っていたかもしれませんが、それは完全に裏目に出ています。



6月12日(月)武器が必要なんですね

 『日本の右傾化』という書物について、すべての論考に賛成できるわけではないことを書いたことがありますが、まあ、それは当たり前のことであって、だからといってこの論文集の有意味性を全否定するわけではないことも当たり前のことです。ただ、またしてもネガティヴなことを言えば、筑摩書房のポップとして「この書は、時代の嫌な空気と闘う人々のための武器だ。」とかってあるのはどうでしょうか。やっぱり武器が必要なんでしょうか。ひょっとすると、そんなものはレトリックに過ぎず、ごちゃごちゃ言うのは些末拘泥の愚であると片づけることができる人もいるかもしれません。しかしその言葉の主は、かつて開いていた平和のための研究集会において、核武装している国家があるのだから、われわれも核武装しなければ意味がないということを、堂々とおっしゃったのです。ご本人はお忘れかもしれませんが、私はけっして忘れません。その方がいくら反米を唱えようと、それは私にはナショナリスティックな主張にしか聞こえません。



6月13日(火)なにが「世界平和」だ

 宗教者たちの団体が共謀罪の成立に対する反対声明を出したそうです。宗教なんてなくなってもいい、というか、むしろなくなれ、と思っていますが、まあ、共謀罪の成立に反対しているというただその一点に関しては、なにも言わないことにしたいと思うのですが、しかしあの団体も一部がその声明に加わっているそうで、それについてはやはりふざけるなと思います。あそこが関係するやつらは明確に共謀罪の成立に賛成していますし、くだらない閣議決定を連発する閣僚にも関係するやつはいます。そもそもイラク派兵が可能になったのだって、あいつらが賛成したからだし、安保法案の成立だって言うまでもありません。あのときも、その団体に関係する大学教員の一部がわざとらしく反対したのですが、今回の反対も含めて、すべて茶番にしか見えません。あるいは、どっちに転んでも生きて行けるようにふるまっているとしか、思えません。そんなことで宗教者が務まっていいのかよ、って思いますが、そんなことだから務まるんですよね。消えてほしい。



6月14日(水)伝家の宝刀

 防衛大臣はたんなる歴史修正主義者でナショナリストであるだけでなく、「美しさ」をウリになさるミソジニストでもあるそうですが、まあ、そんなことはほとんど自明と言えば自明だったかもしれません。そんなわけで、ひょっとすると前にも引いたことがあるかもしれないのですが、ケーニヒスベルクのじいさんのミソジニストっぷりをご紹介します。「…自然の目的は、性的傾向性によって男性を一層高貴にし、同じ傾向性によって女性を一層美しくすることを目指す。女性は、自分がある種の高度の洞察をもっていないこと、臆病で重要な仕事を課せられていないことなどのために困惑することはほとんどない。女性は美しく、好感をもたれるのであり、それで十分である。」(II, 240)しかしこんな言葉を突きつけられてもカント屋は、伝家の宝刀「歴史的制約」の一言で片づけてしまいます。もうちょっと流布している言葉に翻訳すれば、「その批判はまったく当たらない。」



6月15日(木)まだ抵抗できるのか

 朝から憂鬱この上なかった。この手のでたらめは、いまに始まったことではないけれども、共謀罪が強行採決の末、可決成立してしまった。何が憂鬱かって、こんなことがあったのに、フツーに授業をしてしまったのだ。最初の10分くらいは、何が共謀罪にあたるかも明確にされていないような法案であり、そしてそのことを大臣が堂々と答弁した法案であるのに、成立してしまったことなどについてしゃべったが、きっと大半の学生は、勝手に政治的な話をしていやがると思っていただろう。それもまた憂鬱の種だった。治安維持法の例にならえば、共謀罪がなくなる前には、やはり「それ」があるということか。この先どうやって抵抗していけばよいのか。



6月16日(金)あんな党から立候補したやつもいた

 共謀罪に賛成した党(名称変更はあるが)から参院選に立候補した田中康夫は今回の暴挙について何か言ってるんだろうか。別に暴挙ともなんとも思っていないのか、それともあんな党から立候補してしまったことを深く恥じ入っているのか。まあ、恥じ入るかどうかはどうでもいい。ちゃんと過ちを認めろ。だったら許してやってもいい。認めないなら、おまえが共謀罪に賛成したことはずっと忘れない。それから、線香屋どもについても同じだ。絶対に忘れない。選挙母体のやつらも、関係する大学のやつらも、絶対に許さない。個人として平和を信奉しているとか、どーでもいい。もし個人でありたいのなら、とっとと大学をやめろ。



6月17日(土)ふーん

 「法被」は、クソ法によって「監視社会になることはない」と答弁したそうですが、えぇー、そんなことでいいんすか、って感じです。となりのやつがなにを企んでるかわかんねぇーから注意しなきゃいけないし、もし政府を批判するようなことを企んでるように見えたら、それはもうおおごとなんだから通報しなきゃいけないぞ、って法律でしょ、あれって。だったら監視社会にならないでどーすんですか。あっ、あれか、ひょっとしてこんな法律ができる前からすでに監視社会ができあがってるんだから、今後監視社会に「なる」ことはない、ってことですか。なるほど。そりゃそうだ。かつて柄谷が、この共同体はファシズムに陥る危険性はないと言っていたのと同じロジックですね。なんと、「法被」が柄谷と同じとは…。



6月18日(日)『グランド・イリュージョン』

 マイケル・ケインとかモーガン・フリーマンとか、お金に困っていたんでしょうか。きっとこんなのに出ちゃったことを後悔しているはずです。しかしこれって続編があるそうで、ひょっとしたらあれでしょうか、前回のはつまんなかったけど、今回のは面白いぞ〜ってひきつけておいて、まんまと騙してやるぜ的な話なんでしょうか。だったら全然騙されないんですけど…。それにしても、何がこれほど面白くないのでしょうか。あのデウス・マキナの催眠術でしょうか。しゃべりすぎる主役がウザいことでしょうか。もう、こんなに面白くないなんて、こんなに面白くないように騙されてんじゃないかって思うほどです。そんな騙しは不要ですよ。



6月19日(月)脳みそ沸いてんのか

 有象無象が委員会採決をすっ飛ばして共謀罪を作り上げたことについて、いまの野党が政権をとって共謀罪をなくすときに、やっぱり委員会採決をすっ飛ばしたら抵抗できないじゃないか、というわけのわからん心配をしている憲法学者がいて、もう頼むからあんたは消えてくれ、と思いました。何が秘密か秘密だ法にも賛成していた御仁ですから、まだ消えてなかったのか、いったいいつになったら消えるつもりなんだ、の方が適切でしょうか。「身内かばい合い」とかいうタイトルがついた対談ですが、それってあなたたちのことですか、って感じです。



6月20日(火)フランス現代思想の研究者たちについて

 「リベラル」と称せられているある「思想家」が、「天皇主義者になった」とか言ってるそうですが、「なった」ってどういうことなんでしょう。「ためらいの倫理学」とかくだんないことを垂れ流していた頃からすでに天皇主義者じゃないですか。なにをいまさら「なった」ですかって。「リベラル」の使い方も、おかしいですね。なんでもありがリベラルだと思ってるんでしょうか。大きな間違いです。ついでに言えば「思想家」なんていう言い方もおかしい。臣民は思想家にはなれません。どうしてこう、フランス現代思想の研究者たちはそのまんま臣民なんでしょうか。もちろん反証例もあるんでしょうけど。



6月21日(水)差別主義者宣言

 言うまでもなく、自分が天皇主義者であることを堂々と宣言するということは、自分が差別主義者であることを堂々と宣言することを意味するわけです。つまりそれは、自分がミソジニストであることを堂々と宣言することや嫌韓主義者であることを堂々と宣言することとなんら変らないわけです。なのにどうして、あんなふうににっこりしながら「わたし、すごいでしょ」みたいな顔していられるんでしょうか。きみぃ、世の中にはよい差別と悪い差別というのがあってだね、そんなこともわからずに平等とか自由とか言っててもダメなんだよ、ってところでしょうか。いやいや、差別は差別であって、すべての差別は悪ですよ。したがって、ダメなのは内田の方です。



6月22日(木)滅んでください

 イラク派兵を可能にし、何が秘密か秘密だ法の成立に貢献し、憲法違反の安全保障関連法案に賛成し、バカげた各種の閣議決定に関与し、そしていよいよ共謀罪の強行採決にもちろんいそいそと賛同してみせた宗教政党が、広報誌で共産党を一生懸命ディスってるそうで、抗議されても「間違ってない」と言ってるそうで、さすがにこのままじゃヤバいって危機意識をもち始めたんでしょうか。もはやその宗教政党の広報誌を読むようなのが、共産党に宗旨替えするわけないでしょうに、そんな熱心な信者たちでさえ信用できなくなってるんでしょうかね。まあ、どうでもいいです、滅んでくれれば。



6月23日(金)ちゃんと処罰されただろうか

 埼玉の私立高校でサッカー部のコーチがさんざん暴力行為を働いているのを隠し撮りしてツイッターで流したら、そんなことをしてサッカー部がなくなりサッカーをしたい子がサッカーをできなくなったらどうしてくれるんだ、って本気で言っちゃってる人たちがわんさか湧いて出てきて、まるで極東の臣民国家のようだと思ったら、埼玉はその一部でした。あれですよね、うんこ食わすやつがいるからと、それを告発したりしたら、うんこ食いたい子がうんこ食えなくなるじゃないか、ですよね。はいはい。でもね、知ってますか、うんこは食べちゃダメです。うんこを食わすやつがいたら、それは暴力なんだから、告発されて処罰を受けなきゃダメです。



6月24日(土)クソげーじゅつについて

 クソげーじゅつ(クソげーじゅつは、たぶん冗長句)の「ブラックボックス展」に関連させて「リズム0」に言及されていたりするのですが、そこから「だから、人間というのは…」とかいったふうに話をもっていく人がいるとしたら、それはもはや「人」ではなく、神ですね。人間一般を語れてしまうんですから。まあその場合、神がだれに向かって語っているのかは謎ですが。ともかく、人間一般の話なんてせずに、クソげーじゅつをやらかしたやつらを裁き、芸術の名の下に、そして本人が何したっていいって言ったから、ということを根拠に「リズム0」において人権蹂躙をやらかしたやつらを裁けばよいのです。芸術だけは規範を免れることができるんだとしたら、みんな芸術の名の下に好き放題ですよ。わかります?



6月25日(日)たしかに「たちが悪い」

 ジョニデが、あるコンサートにおいて、「俳優が大統領を最後に暗殺したのはいつだっけ?」と問い、今の大統領について俳優による暗殺がありうると思わせるような「たちの悪い冗談だった」と謝罪しました。最後に俳優によって暗殺された大統領とは、たしかに種々問題はあったかもしれませんが、奴隷解放を唱えたこともたしかであるあの大統領です。その大統領と、ヘイトスピーチとデマを繰り返すこの大統領を比較するなんて、たしかに「たちの悪い冗談」であることに間違いありません。謝罪したのは、そういうことですよね。



6月26日(月)頭に来ても「法被でハッピー」なはず

 支持者のみなさんは、批判されて「頭に来たから」って理由で、「特区だから」って正当化してきたことをいとも簡単にひっくり返し、全部オッケーって話になっちゃうのをどう見てるんでしょうか。そりゃいくら温厚な××さん(あんなのをちゃんと<固有名+さん>で書きたくないからです)だって、あんなにいじめられたら頭に来ちゃうよねーとかって、やっぱ弁護しちゃうんでしょうか。温厚なわりには、「自席発言」とNHKに命名してもらったいくつものヤジを飛ばした実績がありますが、まあ、それも「反対ばっかしている」野党が悪いのですね。いずれにしても、私の周囲には支持者がだれひとりいないので(なんてことを言うと、おまえの周囲にいるのは反日ばっかだもんな、って言われそう)、この件についてどう考えているのか直接うかがうことができず、残念なこと、このうえありません。



6月27日(火)神業が示されているのだろうか

 国内の歴史学界を代表する4つの団体を含む16の歴史学関連団体が、「慰安婦」の「強制性」を歴史学的見地から(改めて)認める声明を出しました。記者会見では、「声明は日本の歴史学者の一般的な意見と見ていい」と言われています。さて、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83頁)と主張する「歴史学者」やその「歴史学者」を支援したりする人、さらにその「歴史学者」と共同で研究できたりする人は、まだ学者なんでしょうか。こんなクソ本、何回も読みたくないですから、ひょっとすると「強制性」と<同志的関係>が両立するような神業が呈示されているのかもしれませんが、そんなものを探すより、クソ本と斬って捨てるのが、学者としては正しい態度ではないかと思っています。



6月28日(水)いろいろゲロってますね

 ノンフィクション作家とやらが、「××は独裁者」(××は固有名。ちゃんと書きたくないだけ)と騒いでいる人たちがいたけど、<本当の独裁国ではそんなこと言えませんよ>と思ったそうです。その作家によれば、ここにあるのは、「安倍政権に自由を担保されている人たちが、安倍政権を独裁呼ばわりする喜劇」らしいのです。あらら。政権が国民の自由を「担保」してるんですか。それって、国民が自由でいられるかどうかは政権次第ってことですよね。こういうのを、まさしく「独裁」って呼ぶんじゃないんですか。ホテルのロビーにいた「おばちゃんたち」(間違いなく、ミソジニーの吐露でしょう)のことを「喜劇」という人こそが独裁支持をゲロってしまうのは、別に喜劇でもなんでもありません。ただたんに、ふざけんな、と思います。



6月29日(木)差別主義者以外のなにものでもない

 前知事が韓国人学校に貸与することにしていた都有地をとり上げるときに口にした「都民ファースト」という差別語を臆面もなく党名に使用する人が、差別主義者じゃなくていったい何なんでしょうか。そしてその政党の候補を応援するために大阪から駆けつけたのは、沖縄で差別語を吐いた機動隊員の労をねぎらった方。世の中、こんなにわかりやすくってよいものでしょうか、というくらいにわかりやすい類友状況です。これはもちろん、ちかごろ流行の「おともだち」という関係性の一例です。いや、間違えました。こんな関係性、別にちかごろ流行でもなんでもない、むかしからある伝統芸です。そしてそれは、突き詰めれば天皇制と呼べるあり方に他ならないと思います。



6月30日(金)差別が合理的なわけがない

 障がい者差別をする航空会社に対して、心優しいフツーのみなさんが「そんなにいじめてやるなよ」的な、「正義を声高に主張するのはいかがなものか」的な、差別の上塗りツイートを繰り返していて、暗澹たる気分になりますが、それにひるむことなく、やっぱ正義を声高に主張しなければいけないと思いました。さらに、いつものように「いい悪いはさておき」という前置きとともに、障がい者を排除した方が合理的であり、コスト削減になるとか、ほざくのまで出てきます。「いい悪い」をさておくなよ。差別によって成立する何かにいかなる「合理性」があると言うのか、ちゃんと説明してみろ。以下、差別語を書き連ねそうになったので、ここでやめます。



7月1日(土)どぼん

 「法被」が秋葉原で応援演説を行ったところ、辞めろコールが沸き起こったということが記事になっています。しかしほんの1週間ほど前に、沖縄へごたくを並べに行ったときに沸き起った帰れコールについては、報道されていません。これはいったいどういうことなんでしょうか。沖縄は知ったことじゃない、ということで、報道する側は見解が統一されているのでしょうか。あっ、ひょっとしてあれですか、秋葉原で辞めろコールした者たちのうちには、白地に赤いやつを振ってたのがいたから、それは「正統な」批判だって受け止めることができるってことなんでしょうか。沖縄で「法被」に逆らう人たちは反日だけど、秋葉原の者たちは親日だと、そういう理解ですか。ばっかじゃねーの。



7月2日(日)目くそと目くそ

 白地に赤いやつを振って「法被」の批判をするっていうのは、要するに「リベラルな天皇」(カッコに入れてるのは、言うまでもなく、あんなのリベラルでもなんでもないからです)をもってきて、政権批判する内田とかと変わらないですよ。シニシズムでカッコいいと思ってるのかもしれませんが、そんなものがカッコいいのなら、差別がカッコいいってことになります。まったくバカげたふるまいです。もちろん、都民ファ(最近見かけるこの略語って、都民ファッショのことなんでしょうか)も田中康夫が立候補した維新も、カッコいいわけありません。なぜなら、差別をウリにしているからです。



7月3日(月)何言ってんだか、劇作家

 知見が狭いせいか、劇作家と名乗る人にまともな人を見たことがないのですが、あの白地に赤いのをふって「法被」を批判した様子を見て、「国をだめにしそうな政権から、日の丸を取り戻す抗議のようだ」とかなんとかほざいている自覚のない極右がやはり自称劇作家で、またしても劇作家=××は反証されませんでした(××は、なんでも結構です)。こういう方は、きっと芸術はニュートラルだと思ってるんでしょうね。いや、ひょっとしたら自分のことをラディカルだと思ってるかもしれませんが、まったく凡庸な右でも左でもないフツーの人ですよ。健全なナショナリズムなんてものは存在しません。ナショナリズムはナショナリズムであって、健全をいくら重ねようと、それはクソを重ねているのと変わりません。つまり、クソまみれのナショナリズムです。もちろん、これは冗長句です。



7月4日(火)クソ国民ファースト(冗長句)

 そして出ましたか、「国民ファースト」。しかし新しく代表になる人は、たしか国民が主権をもつなんておこがましい、の人じゃなかったですか?そーすんと、正確には「国民ファースト」じゃなくって、「臣民ファースト」ですよね。臣民なのにファーストとはこれいかにと思いましたが、しかし内田とか高橋とか、第一臣民みたいなのはいますから、まあおかしくないのですかね。そうそう、防衛大臣の選挙中の発言について、ある憲法学者が違法性を主張していましたが、ダメですよ、あんたはいまさら何を言おうと。あんたもまた天皇制万歳の第一臣民憲法学者であることは知ってますから。もう消えるしかないんですよ、木村は。



7月5日(水)ツイ消しという不誠実さ

 論文を書いていると、議論が思わぬ方向へ展開して、自覚できていなかった差別意識やイデオロギー性が露わになり、傲慢にも愕然とすることがあります。そういうときは、もちろん差別的主張に繋がらないように考えを改め、議論を修正し、論文を書き直すわけです。ツイートだと、ツイ消しという方法をとる人がいるようですが、これって、発言をなかったことにする以外に、どういう意味があるのでしょうか。その発言に差別的言辞が含まれているとき、それをネット上に残しておくことは、差別を助長するという可能性がもちろんあるかもしれません。しかしもし一連のツイートが差別的であることを他者からの指摘によって理解したのなら、そのツイートを残したまま、自分はこれこれこういうふうに誤っていたと認めることこそが、知的誠実性というものではないでしょうか。これをやらないなら、「答えなんてないさ」とうそぶく者たちとまったく変わるところがなくなってしまいます。



7月6日(木)人類の邪魔

 梅田HEP前で、共謀罪に反対するための座り込みが行われています。すると、おまわりさまが「通行人の邪魔になっている」などと言いがかりをつけてくるそうです。ふざけんな、通行人の邪魔なんて大したことじゃない、おまえらなんて人類の邪魔じゃないか、消え失せろ、と思います。そしてわざわざ頼まれもしないのに、おまわりがきて当たり前のことをやってるじゃないか的なことをツイートする善良な市民さまが登場したりします。おまわりがきて当たり前だと考えている時点で、あんたはアウトです。抗議運動を理解できないのなら、せめて黙っていなさい。わざわざおのれの臣民ぶりを披露する必要はありません。まあ、披露したいのでしょうけど。



7月7日(金)おせぇーよ、ボケ

 イギリスのメディアがブッシュのポチのイラク戦争に対する責任追及を始めることは、もちろん評価されることだとは思います。しかしなぜ爆撃前に爆撃に加担する政権を叩けなかったんだよ、と思います。周辺諸国が束になって軍事演習を繰り返す近くの国は、「飛しょう体」を飛ばしただけで袋叩きにされ、国連から制裁を受けます。なのに、主権国家を爆撃して、市民を殺戮し、大統領をとっ捕まえ、形だけの裁判にかけ、処刑したにもかかわらず、今の今までその悪行三昧の責任追及をされていないなんて、おかしくないですか。言うまでもなく、いつまで経っても国家による犯罪を認めず、それを後押しするメディアにあふれる極東の共同体なんかよりかははるかにましですが、しかし今から責任追及してでかい顔なんてしないでほしいですね。そもそもいまだに女王なんてもんがいるわけですしね。



7月8日(土)サントリーの伝統芸

 サントリーのCMがクソなのはむかしからで、いわば伝統でしょう。むかしは優れたCMを作っていたとか言う人がいますが、山口瞳が「日本人って不思議だなあ〜」とかほざくCMのどこが優れているのか、教えてほしいものです。中国語でキャンディーズを歌わせてみたり、小泉のバカ息子を起用してみたり、伊右衛門のCMなんて、全編どうしてうんこのCMをしてるんだって思うじゃないですか。もちろん、伝統的にクソだからって、今回のが免罪されるわけじゃありません。言うまでもなく、もうずっとサントリーの商品を積極的には購入しないようにしています。ところが関西は、ここの商品の自販がやたら多いのです。やむなく購入する羽目に陥るときもあるのですが、そんなときは心底、差別主義に加担してしまった自分のことを呪います。そんなわけで、不買運動は重要です。くだらない国家総出の経済制裁などととはまったく違う抵抗運動として、です。



7月9日(日)どあほ

 全学のなんちゃらミーティングで、「アファーマティヴ・アクションは合理的配慮じゃない」と断言したやつがいたので、アンケートの自由記述欄に「アファーマティヴ・アクションが合理的ではないなんて考え方を受け入れるわけにはいかない。もっと勉強してください」と書いてからもうすぐ1年になりますが、その後うんともすんとも、反省の弁が聞こえてきません。当初は、呼び出されて事情聴取されるに違いない、めんどくせーと思っていたのですが、そもそも下々の意見など聞いちゃいないってことなんでしょうか。それとも、その後猛勉したけど恥ずかしくって「間違ってました」と言えないだけなんでしょうか。「間違ってました」と言えないプライドの高い人は、ツイ消ししてすっとぼける人とか、たくさんいるのでもういいです。下々の意見など聞いちゃいらんないのなら、夏休みになんちゃらミーティング開いて呼び出すのはやめてほしいです。どあほ。



7月10日(月)電2ってまだあんだ?!

 件のサントリーのクソCMは、電2グループとやらの製作らしいのですが、あれ、電2って、まだ存在してるんですか。セクシュアル・ハラスメントおよびパワー・ハラスメントの末に自殺者を出したのだから、とっくに廃業しているのかと思ったのですが、まだ廃業してなかったんですね。びっくりしました。いったいいつ廃業してくれるんでしょうか。別に廃業してくれたってなにも困りません。むしろあんなのが廃業して困るやつらが存在するかぎり、廃業しなきゃいけません。とっとと廃業してください。ああ、ちゃんと廃業前に、これまで無数のゴミを垂れ流し続けてきて、申し訳ありませんでした、って広告流しなさいよ。その広告も、きっとゴミに違いないけどね。ばーか。



7月11日(火)前例を作ってはいけないのに

 人から「お前の戸籍を見せろ」と言われたら、見せなきゃいけないんでしょうか。「見せろ」とほざくアホが悪いのではなく、見せない者が悪いんでしょうか。後ろめたいことがないのなら見せてもいいでしょ、っていつものアレですが、こういう人たちが、後ろめたいことがないのなら監視カメラがあったっていいでしょ、ってほざき、後ろめたいことがないのなら共謀罪があったっていいでしょ、ってほざくわけです。プライヴァシーの「プ」の字も理解してない人たち。こんな悪質な「世論」なんかに従っちゃダメなんですよ。前例を作ると、「お前の戸籍を見せろ」という悪質極まりないプライヴァシーの侵害が、さも正当な要求であるかのごとく、大手を振ってまかり通ってしまうからです。



7月12日(水)ゴルフより大切なんだ!

 「法被」が作業服を着て被災地へ赴いたそうですが、あれ、この方って、被災なんかより、ゴルフの方が大切な方じゃなかったでしたっけ。たしかプロ・ゴルファーだったような気がするのですが、気がするだけでしょうか。まさかこんな見え透いたパフォーマンスで支持率が上がったりしないでしょうね。むしろ、見え透いたことをやらかすやつだってことで、支持率が一層下がってくれることを祈念します。いやしかし、いまだに支持しちゃってる3割の方には、すんばらしいふるまいに見えるかもしれません。そうだ、いっそのこと、作業服を着て加計問題について国会で受け答えしたらどうでしょう。つーか、だれかがそそのかしたら、ホントにやりそうだ。



7月13日(木)国家による殺人は不正だ

 国家による殺人が行われました。よりにもよって、あんなでたらめな法務大臣の許可によってです。あの法務大臣さえ許可を出さなければ、刑は執行されないわけです。あんなふうに、もういじめてやるなよなんて憐れみをもたれるようなやつが、実はしっかりと「職務」を果たしているのです。「有能」なんです。再審請求中であるにもかかわらず、執行を免れるための再審請求は認めないとか、どうしてそんな判断を勝手に下してもよいのでしょうか。執行を免れるためであるという根拠は、示せているのでしょうか。疑わしきは罰せずが原則であれば、執行を免れるためではないことを証明する必要があるんじゃないでしょうか。まさかこんなことで支持率上がったりしないですよね。



7月14日(金)補遺

 言うまでもありませんが、よりにもよって、あんなでたらめな法務大臣によって許可が出され国家による殺人が行われたから、国家によるこの殺人は不正だと言ってるわけではありません。再審請求中なのに国家による殺人が行われたから、国家によるこの殺人は不正だと言ってるわけでもありません。谷垣だったら11人殺したっていい、とか言ってるんじゃないです。鳩山なのに13人殺したとか、言ってるんじゃないです。同じ意味で、「冤罪の可能性があるから…」という理由もとりたくありません。冤罪の可能性があろうとなかろうと、死刑は国家による殺人だから不正だと考えています。死刑制度のおかげで人心が「荒廃」するのを免れることができるとか言ってる人心の荒廃している人を見かけましたが、もしそれが真実だとしたら、たぶん言葉の使い方が私とは違っているでしょうから、むしろ「荒廃」した方がいいくらいです。



7月15日(土)告発したい

 「「男はみんな5歳児である」と思って生きれば、多くの問題は解決する」とお書きになっている方のモットーは、「内面も外見も美しい女性があふれる社会作り」だそうです。この方が女性差別主義者であることは明白ですが、どうやらご本人にはその自覚はないようです。まあ、自覚をもつかどうかなんて、意識哲学の残滓なので、どうでもいいです。要するにこの方が目指す社会は、美しさなんてものをうんこ以外のなにものでもないと考え、うんこ基準の評価を否定する女性は存在できない社会ですよね。このセクシュアル・ハラスメント発言に対して、普段授業で言ってることを女性が言ってくれたとツイートする男性大学教員は、みずから大学においてハラッサーを生きていることをゲロってるわけで、いますぐ告発してやりたいです。価値観はいろいろ、じゃないですよ。どあほ。



7月16日(日)何重にもうんこ

 「「加害性の無いエロ」って要するに、男女が緻密なコミュニケーションで愛を積み上げて、結婚して、じっくり時間をかけて同意を育んだ上で、家庭的に実行するセックスシーンのことですよね。」 何重にもうんこすぎる。うんこ。どあほ。



7月17日(月)ざまぁみろ

 無駄に連休。略して「無駄連」。仕方がないので連日出勤。略して「連出」。ざまぁみろ。昨日は昼をコンビニに買いに行ったら、もう途中で遭難するんじゃないかくらいに暑かったのですが、そういうくらくらするほど暑いときは、宝塚往復暴走をしたくなりますよね。それってしかし、なんなんでしょうか。サディズムとかマゾヒズムとかなんでしょうか。あるいはタナトスとかでしょうか。ひょっとして、日常生活では希薄な生の実感を確たるものとしたいとかなんでしょうか。生の哲学とかクソだと思っていますが、35℃の中、宝塚往復暴走することにこそ生の実感はある、という主張をするのなら、認めてやってもいいです。ヘルニーのため、残念ながら生の実感を得ることはできない…。



7月18日(火)あのクソ

 ヒトラーの顔をプリントしたTシャツを着てみなさまのNHKに出たやつってだれだろ、と思って調べてみたら、なんだあのクソでしたか。ひょっとして、おれって悪いだろ?みたいな感じなんでしょうか。ええ、悪いですよ。不正を犯しています。いますぐ収監されてもいいです。こいつがクソなのは、こいつと同じくらいに差別主義的な親会社から球団をかっぱらおうとしたときに、監督はだれにするか尋ねられて、あろうことか、永遠の若大将の名前を挙げたことから自明です。「猛牛」の「も」の字も知らないこんなやつ、クソと呼ばずしてなんと呼べばよいのでしょう。私は別にその藤井寺の球団に思い入れなど1ミリもないし、「草魂」とか、むしろ嫌悪の対象でしかありませんが、カネのことしか考えてない差別主義者は、やっぱクソと呼ぶしかありません。



7月19日(木)よくねーよ

 やっぱ「シゲゾー」が座長の新喜劇はつまらない。ひょっとしたら面白くなってるかもしれないと思いましたが、相変わらず、面白くありませんでした。つーか、腹立たしい。なにがダメって、出演者にアドリブを強要して、その良し悪しを判定するというネタ。なんであんたが良し悪しを判定できるんだよ、ということもさることながら、やらせておいて「寒いなぁ〜」って、それを客に見せてなんとも思わないのかって話ですよ。ついでに言うと、一緒に出てくる「いーよー」っていうのも、嫌いですね。「謝ったんだからいーよー」って、あれでしょ、これだけ謝ってるんだからもうごちゃごちゃ言うなよ、いったいいつまで謝り続けなきゃいけないんだよ、って話につなげたいんですよね。ああ、胸糞が悪くなる。



7月20日(木)終身正会員

 靖国の終身正会員になってるようなたんなる右翼の座長とかも、やっぱ胸糞が悪くなるだけで全然面白くないですね。3.11があるまでは、「クリーン・エネルギー」とか言って原発万歳していたその過去は、桃太郎侍とともに、まったくなかったことなんでしょうか。それから、「ぶっさいくやなぁ」ネタとか「結婚して」ネタとか、そろそろやめたらどうでしょうかね。どーせなら、「あんた原発のコマーシャル出てましたな」と突っ込んだり、「あんたあの知事を舞台に呼んでましたな」と突っ込んで、ぼっこぼこにするとかしたら面白いんですけど、まあ、そんなことはできないでしょう。



7月21日(金)あんたの許可はいらない

 「不健康に暮らす人が一定数いてもいいが、その人の保険料は健康な人も負担している」って、いったいいつから不健康に暮らす人はあんたの許可が必要になったんだ???やっぱアスリートさまにしてモノ言う方の許可が必要なんでしょうか。そして、不健康に暮らす人の保険料は健康な人も負担して、いったい何が悪いんでしょうか???私は、こんな優生思想の持ち主が一定数いてもいいとはまったく思わないし、こんな発言を行う言論の自由もあるとは思いません。



7月22日(土)同罪です

 白鵬について、国籍による差別があるにもかかわらず、あれは取り口が悪かったんだと解説して見せる輩がいた、というツイートを読んで、そういえば、精神障がいを患う人のマネをして笑いをとろうとする芸人のパフォーマンスを見て、「これは芸でしょう」と言ってのけた倫理学者がいたことを思い出しました。まあ、その発言がなくてもその倫理学者が何も考えていないたんなる差別主義者であることは知っていましたが、こうやって真剣なふりをして差別を隠ぺいするのだなと思ったものでした。その「何を言ってもよい自由な空間」で、その発言について異議申し立てをする人はだれひとりいませんでしたが、きっと、ああ、これは芸なんだ、だから笑ってもいいんだって、きっと安心できたんでしょうね。言うまでもなく、そこで文句を言わなかった私は同罪です。



7月23日(日)「あなたの経験を話してください」ってね

 もう何回も書いたことがあるような気もするけど、重要なことだからまた書こっと。その「自由な空間」では、自分が障がいのある人たちとハイキングへ行ったときに、障がいのある人たちが昼ご飯をボロボロこぼしながら食べるものだからそれを大いに笑い合った、と個人的体験を披露する方がいらっしゃいました。それがどうしたのか、そのくだらない体験談の後に何の主張もなされなかったので、さっぱりわかりませんでしたが、ひょっとして、だから公共の電波を使用して障がいのある人のマネをして笑いをとるのは正当だと言いたかったのでしょうか。別に障がいのある人を笑うことは悪いことじゃないよ、だってぼくは一緒にハイキングに行って障がいのある人のことを笑ったもん、ってことですか。ひょっとして、社会的正義をこういう下らない私生活に落とし込むのが流行っているのでしょうか。



7月24日(月)「正義正義」(声高に!)

 これってあれですよね、そうやって声高に「正義正義」と言わずに、もっと足元を見つめ直してみましょうよ、とか、右とか左とかじゃなくって、冷静になって立ち止まってみましょうよ、とかに繋がるんですよね。すぐに暴力だ暴力だと言うけど、愛情がこもっている暴力まで否定する気ですか、とかね。愛情がこもっていようといまいと、暴力は暴力ですよ、知ってますか? おまけにその愛情もクソだしね。あんたは障がいのある方と障がいのある方の失敗を笑い合えるすんばらしい人なのかもしれないけど(勘違いしちゃいけない、たんなる嫌みです)、そんなことは障がいのある方のマネをして笑いをとることをみじんこ程も正当化しないからね。それのどこが倫理学なんすか。



7月25日(火)LINEの使用は不正への加担では

 LINE株式会社上級執行役員とやらが、「私が言おうが口を塞ごうが、「弱者は死ぬ」のは変わらない事実なわけで。ガリレオが「それでも地球は回る」と言ったのと同じです。こうしている間にも、アフリカでは1分間に60秒が流れている!んです。」と、お書きになっているそうです。だったら、せめてその優生思想=差別主義丸出しの口を塞いでおけよ、と思いますが、まあその優生思想=差別主義丸出しの口をいまさら塞いだところで、その方が優生思想のもち主で差別主義者であることは、「変らない事実なわけで。」この手の、ニュートラルに事実を語ることができるという素朴な信念は、いったいどこから来るんでしょうか。ひょっとして、上級執行役員さまとかだからなんでしょうか。みなさん、まだLINEをお続けになりますか




7月26日(水)『ザ・フロント』

 マッカーシズムを題材にした作品です。「リストに載る」とどうなるか、ということが描かれています。なぜこんなバカげたことを行っていたのか、なんて余裕をかまして観ていることはできません。ほんの少し前、1950年代のことですし、現状を考えると、いつこうなったっておかしくないでしょう。この手のものでいつも気に入らないのは、「本来関係のない人」が巻き込まれていく恐ろしさばかりが示される点で、じゃあ、関係のある人なら、排除されてもよいのか、と思うわけです。それって、やましいから監視カメラにも共謀罪にも反対するんだろう、って理屈と同じでしょう。そして、よくある最後のシーンもダメです。委員会に盾ついたウディ・アレンが逮捕され連れて行かれるのですが、支持者たちがプラカードを掲げ、この人こそ「アメリカ人だ」と訴えるわけです。お得意のよきナショナリズムというやつです。別名、うんこ。



7月27日(木)『スクリーム』

 犯人もわかってるからあんまり面白くないか、でも月に4本借りなきゃいけないから、ということで借りたのですが…。これほどの作品だというのに、犯人をすっかり忘れていました。記憶に残っていたのは、あのデカプリオの二番煎じみたいなやつに見せるところくらいで、なんとも自分のメンタリティを疑いました。たしか「2」とか「3」とか「4」とかも観たはずなのですが、もうさっぱり覚えていません。まあ、覚えてないので何度でも楽しめたりしてラッキーかもしれませんが、しかしそれでいいのか、ということがないわけではありません。来月は『ワイルドシングス』を予約していますが、これも途中からどうなったか、さっぱり思い出せません…。



7月28日(金)バレたんだから隠しちゃいない???

 最終的に公表したんだから隠蔽はしていない、という言い分が正当であるのなら、じゃあそもそも隠蔽とはどのようして成立するのかを明らかにしてほしいところです。隠蔽は、指摘なり暴露なりされた段階で、公表せざるをえなくなるのですから、公表したんだから隠避はしていない、ということになると、そもそも隠蔽なんてありえないことになります。そして指摘なり暴露なりされないと、そもそもそこに隠蔽があることはわかりません。さて、隠蔽ってどのようにして成立するんでしょうか。



7月29日(土)その批判は不当だ

 言うまでもなく、辞任した防衛大臣はさまざまな意味においてとんでもない人でしたが、しかしこれまた言うまでもなく、「勝手にコスプレやってろババア」といったタイプの批判はまったく不当です。正直なことに、女性の政治家を列挙して口汚く罵るツイートがあって、要するに「女は女らしくしていろ」とおっしゃりたいのでしょう。防衛大臣自身もミソジニストなので、同じ穴の狢によって罵られていることになるわけですが、だからと言って、その罵りが正当化されるわけではなく、罵る者が差別主義者であることにはなんらの変わりもありません。この差別主義者たちが、こぞって任命責任について言及を行わないのも、よくわかるところです。



7月30日(日)その前にやることがあるべ???

 なんか、内閣改造とか、憲法改正についてたんに反対するだけじゃなくて対案を出せとか、「法被」が言ってるそうですが、その前に、あなたにはやることがあるんじゃなかったでしたっけと思っているのは私だけなんでしょうか。総理大臣はおろか、議員もやめるんでしたよね? 総理大臣はおろか、議員もやめるのに、内閣改造とか、憲法改正についてたんに反対するだけじゃなくて対案を出せとか、あんたに関係ねーし、って話じゃないんでしょうか。「真の友」は利用したりされたりという関係ではないから、かりにその友と、その友の経営する大学の客員教授になってた腹心(なんと、2中だったか…)とともにバーベキューして写真に収まっても、そいつの経営する大学が「その」大学だとは、知らなかったんですか。へー。でも、もう総理大臣はおろか、議員もやめてね。



7月31日(月)嘆かわしい

 それにしても、2中の同級生だったとは…。10小から2中ということは、あの、自転車通学が認められていた人たちのうちの1人だったってことですか。1年6組では、荒川さんと海老原さんと横山さんが10小出身者でしたが、彼女たちもいまごろは「法被」の支持者だったりするんでしょうか。もしそうだったら、嘆かわしいかぎりです。ところで、その「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうかね。



8月1日(火)こん棒こわい

  出張中に三宅坂にある施設の前を通りました。入口という入口には、こん棒をもった方が立ってます。あれって、なにかあればそのこん棒でぶっ叩くぞってことなんですよね。いつだってその用意はできているぞ、ってことなんですよね。それを考えると、やっぱあの人たちにはなれそうにないなぁと思います。いやいや、おまえだっていざとなれば、そのくらいのことはするに違いない、と言われてしまえばそれまでですが、しかし少なくともいまのところ、その「自信」はまったくないですし、かりに失業したとしても、あの職業に就こうとはまったく思わないです。ああした形で暴力装置に加担するくらいなら、消えた方がましです。ところで、「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうか。



8月2日(水)漢字ドリル



 そのこん棒をもった方たちが威圧する施設を通りすぎてしばらく行くと、こんな看板が立てられています。漢字テストでこんなふりがなつけたら、たぶん間違いじゃないでしょうか。「たぶん」としか言えないのが悲しいところで、ひょっとしたらはなまる大正解かもしれません。おっとろしい。以前はこんなことを主張するのは街宣車に乗ってる人たちと松山千春くらいでしたが、いまや総理府が堂々と看板出してるんですね。ところで、「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうか。



8月3日(木)寿司の食いすぎ

 「中学生が読んで自衛隊違憲となる憲法はおかしい」という意味のことを対談でおっしゃっている国際政治学者とやらがいるそうです。私が大学院生の頃は、国際政治学者なんて、アメリカが世界中でやらかす悪事の数々を「正当化」するための研究に勤しむ学者のことだと言われていましたが、いまや「法被」と寿司を食らう会の会員さまでもあるそうです。中学生が読んで「違憲となる」のであれば、そんなものは存在しちゃいけないでしょ。憲法の方がおかしいと言ってしまうその思考回路の方がおかしいってわからないのでしょうか。わからないのなら、まさしく「国際政治学者」だろうし、わかってて言ってるのなら、やっぱり「国際政治学者」であって、その首尾一貫性たるや、見事なもんです。ところで、「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうか。



8月4日(金)「セクハラくらいで」語法

 性犯罪加害者だけど政権批判にとっては有用だから、その犯罪には目をつぶろうというクソのような擁護論を見るにつけ、セクハラなんてことくらいで優れた研究業績を台無しにするなんて学問的に失うところが大きすぎるだの、セクハラで大学が記者会見を開き掲示板においてもその旨告知されたけれど、そんなことくらいであの人のもっている豊富な人脈を失うわけにはいかないだのと、かつてさんざん聞かされたクソ擁護論を想起せざるをえず、まったくムカつきしか覚えません。ちゃんと反省してくださいよ、倫理学者のみなさん。ところで、「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうか。



8月5日(土)なんかすっとぼけてない???

 どうして辞めると断言したやつが辞めずに内閣改造とかふざけた真似をすると支持率が9ポイントも上昇しちゃうんでしょうか。いったいどんな調査をしているのでしょう。普通なら、第1問目は、「辞めると言ってたやつが辞めませんが、それで正義は果たされていると思いますか?」であり、第2問目は、「そんなやつが<内閣改造>とか、ふざけるにもほどがあると思いませんか?」で、第3問目は、「そんなやつの内閣なんてまさか支持しませんよね?」でしょう。驚くべきことに、外務大臣になったやつに期待してる声があったりするのですが、あの手の表向きリベラルみたいなのが一番悪質だって、いったいいつになったらわかるんでしょうか。閣僚になると、都合の悪い過去のツイートを消して知らんふりするリベラルなんですよ、こいつは。ところで、「法被」はいつ辞めてくれるんでしょうか。



8月6日(日)いじめにしか見えない

 国連安保理がある国家に対して新たな制裁決議を採択したそうです。たんなる飛しょう体を飛ばしただけで、こんなに迅速に対応ができるのに、大量破壊兵器があるといういちゃもんをつけて主権国家を爆撃し、大統領をとっつかまえて形だけの裁判を行い、処刑してみせたアメリカさまやイギリスさまに対して制裁決議が採択されたという話は聞いたことがありません。たんに、私が無知なだけなんでしょうか。エラソーに制裁決議なんてするんだったら、ちゃんと公平に行うべきです。もうやってることがいじめにしか見えません。



8月7日(月)『永い言い訳』

 妻が死んだときに泣かなかったからって、いったいだれに対して言い訳をしないといけないのか、さっぱりわからなかったので、しばらく種々考察して、ようやくわかりました。妻の友人で一緒にバス・ツアーへ行って死んだ女の夫は、「○○さんは××くんの子どもがほしかったと思うよ」とかジョーシキ的なことをほざくのですが、きっとこういうやつに代表される共同体に対して、主人公は言い訳をしないといけなかったのでしょう。男にとって子どもは免罪符であり、しょーもないサイテーな男でも、子どもをもつことで許されるのだとか男一般を論じて見せる若造も、やはり同じ共同体を代表するひとりであることに間違いありません。こいつらからなる共同体に対して、子どもも作らず妻が死んでも泣かなかったような(おまけに、妻が死んだ頃、自宅ベッドでセックスに勤しんでいた)主人公は、言い訳をしないといけない、というわけです。



8月8日(火)クソな上に暴力的

 ところでそのクソのような、妻の友人の女の夫は、自分の子どもを殴るのですが、その暴力はこの共同体の掟に従って、愛のある暴力だから許してやれ、という話になるのです。殴られたその親よりはるかにしっかりした子どもは、その愛を受け入れないとだれも愛せなくなるぞ、とか諭されたりするのです。そんなクソ共同体に逆らおうとするなら、ずっと言い訳をし続けないといけない。だから「永い」言い訳なのでしょう。きっと、映画から読み取るべきことは、この共同体のこうした同調圧力に対する告発ですよね。(と言いながら、まったくそうじゃないだろうと思っています。たぶん、むしろこれは共同体は素晴らしいという話であって、入れないやつは言い訳しろよ、ってことでしょう。)言い訳なんてしねーし。ばーか。



8月9日(水)能力主義は差別主義である

 しかしこの種の同調圧力というものは非常に強力で、社会哲学の研究者を標榜している人をして、「私は2人作ったから責任を果たした」とか何のためらいもなく言わしめるほどなのです。あるいは、能力問題をもち出す人も結構いますね。子どもを作ることができるかどうかも、婚姻関係をもつことができるかどうかも、「能力」の問題であると断定なさり、私のようなものは無能の極みと判定なされるわけです。こんな差別的な「能力」などもっていなくてよかったと思いますが、この手の方は、まあたいそう立派な「能力」をおもちだこと、と言っても、嫌味だとはまったく気がつかないほど、自らの「能力」にほれぼれとされていらっしゃいます。言うまでもなく、能力主義は、差別主義です。以上。



8月10日(木)片隅にいたって侵略者に変わりはない

 これほどぼろくそ言われているのに、フツーの人が戦争に巻き込まれてしまいました的なあのクソアニメを評価する人って、どういう人なんでしょう。たんなる右の人だというなら、まあ、わかります。どっかの哲学史家の研究者のように、先の戦争と言えば、アメリカに原爆を「落とされた」ということしか想起できない人たちなんでしょう。こんな人たちには、加害者性がまったく描かれていないというようなことを言っても、きっと何を批判されているのかわからないでしょう。もちろん、わからないということも犯罪なんですけどね。理解できないのは、普段は左の言動を行っている人が、このクソアニメを持ち上げていることです。いったいどうなってるんでしょうか。やっぱそれって、「日本人の血」がなせるわざなんでしょうか。クソですね。



8月11日(金)クソクソポスター



 このポスター、非常にやらしいと思いませんか。だれの「過ち」かは自明ですが、だれの「一生」なのかは、必ずしも自明でないように解釈できます。だれの「一生」なのか書いてないのだから、そのまま読めば、「過ち」を犯したやつの「一生」を心配してやっているポスターに見え、加害者に対して非常にやさしい心配りをした代物だと判断できます。当然、「ふざけんなよ」という批判がありうるわけで、そうした至極まっとうな批判を見越した上で、いえいえ、ここで問題にしているのは被害者の「一生」ですよ、と言い逃れできるような作りになっているわけです。ついでに言うと、モノレールの駅には、信じがたいことに、殺人集団への勧誘ポスターが貼られていることなどもあって、そのたびにはがしてやりたくなるのですが、諸般の事情により、我慢しています。



8月12日(土)無駄連のクソ映画

 またしても「無駄連」が始まってしまいました。しかも節電のため、出勤はまかりならんということになっております。いや、出勤しても、電気を使ってはいけないことになっています。そんなわけで、ヘルニーの影に怯えつつちょっとだけ暴走し、することがないので今月の1本である『ビタースイート』を見ました。人から勧められたのですが、どうもおかしいのです。こんな、体液の味がどうこうとかいうクソみたいなのを勧める人じゃないはずなのに…、きっと大逆転があるんだろうと思っていたのですが、結局クソのまま終わってしまいました。いったいどういうことかと検索かけて、正解は『ビタースウィート』だとわかりました。ううう。ただでさえ「無駄連」なのに…。



8月13日(日)『コクソン』

 そんなわけで、2時間半も見てしまったのですが、まったくなんなんでしょうか。2時間半もあるんだから、ちゃんと謎解きとかしてくれるんだろうなと思いきや、そのまま神と悪魔の闘いだったって、いい加減にしてほしいです。しかも最後は神ではなく悪魔を信じてしまい、惨劇が起きるって。神なんだから、人間が悪魔に騙されることくらいお見通しでしょう。それがわからないくらいなら、神は務まりませんよ。なのに人間を試すようなことをして、人間のバカ、やっぱり騙されてやんの、ってなんなんですか。あんたは全知全能じゃないんですかって。いくら「無駄連」だからって、私の無駄な時間を返せと言いたいです。なに?騙されたお前が悪い?ふざけんな、圧倒的に悪いのは騙すやつですよ。いくら騙されるやつが愚かだとしても、そのことは騙すやつの免罪にはケンミジンコほども貢献しません。



8月14日(月)学問を感じる へーーー

 「日本は滅びに美学を感じる民族」とか言う人がいるそうです。「美学を感じる」とは、いったいどういうことなんでしょうか。私はこれまでの人生において、学問を感じたことなど一度たりともありませんが、これは私の感性に問題があるからでしょうか。もちろん私の感性には問題がありますが、しかしこれまで一度も学問を感じたことがなくて「よかった、よかった」と思っています。そう言えば、これまで大学では「知」「情」「意」のうち「知」と「意」しか教えてこなかった、だから私は「情」を教えるんだとか、わけのわからないことを言っていた劇作家がいました。きっと学問を感じることのできる人なんでしょうねー。




8月15日(火)民族 へーーー
 「民族」とか使う人は、国家に相対的な「国民」では満足できず、国家に先立つ人々の集合のことをしゃべりたいのかな、と愚考しますが、そんなものは存在しませんよ。しかし右の人はもちろん、左の人でも、「日本民族」とかキモい語は使わないまでも、「大和民族」とか言っちゃったりして、公の場では洋服を身につけないなんてことがあって、「この人大丈夫だろうか」と思わなくもありません。こういう人とは、多くの部分に関して意見が合致するかもしれませんが、しかしきっと決定的なところで合意できないだろうと思います。それは、「私は女の国の住民」とか言ってしまう人と決定的なところで合意できないのと同じです。



8月16日(水)何も反省してない

 朝日新聞が、「法被」の言葉には加害責任についての言及が今年もなかったと書く一方で、「おことば」にはまたしても「深い反省」という語句が使用されていた、と報道していました。こんな風に対照的に書くと、「法被」とは異なり、先の侵略戦争の最高責任者だった男の息子はあたかも加害責任のことを考えているかのように誘導されてしまいますが、全文を読めば一目瞭然、「加害責任」の「か」の字も出てきません。いったい何について「深い反省」をしているのでしょう。侵略したことについて「深い反省」をしているのでしょうか。まったくしていません。「法被」に対してこっちをもち上げる第一臣民内田とか高橋とかがいるわけですが、冗談じゃありません。加害に対して無反省という点において、両者はまったく変わりません。この朝日新聞のいったいどこが反日なんだか。



8月17日(木)たんなる反動

 あるアンケートによれば、驚くべきことに、30代の人たちがもっともリベラルだと思っている政党は、ぬぁんと、基地建設反対運動をわざわざ沖縄まで抑圧しに行って差別語を吐いてきたやつらの労をねぎらったあれが所属する党だそうです。そうです、(その後、名称変更があったものの)田中康夫が参院選に立候補して落選した(ざまぁみろ)政党です。言うまでもなく、機関紙が4月から元号を併記するようになった日共なんて、言葉の厳密な意味においてリベラルじゃないことは明白でしょう。しかしだからと言って、よりにもよってあんなミソジニストの集う右翼政党がもっともリベラルって、どうなってるんでしょうか。「既得権益」と称するものを自分たちのものとすることを「改革」と呼んでいるだけじゃないですか。そもそも、「維新」なんて言葉を使っている時点で、反動以外の何物でもありませんよ。



8月18日(金)男気=恫喝・脅迫

 阪ちんの悩めるノーコンピッチャーが相手ピッチャーに死球を与えてしまいましたが、当てられたそのピッチャーは、「大丈夫、大丈夫」と笑顔を見せていたそうです。立派な態度だと思いますが、しかしそのチームにはかつて、大リーグで通用しなくなったからって戻ってきて21世紀にもなって男気がどうのこうのと言い、バントの構えをしたときに阪ちんの悩めるエースに頭部付近に投げられただけで真ん中へ投げてくるように恫喝・脅迫した、なんとかって名前のピッチャーもいましたよね。こんな立派な態度をとっていたら、恫喝・脅迫されちゃわないか、心配になりますよ。



8月19日(土)東京がすべてか???はぁ???

 この前たまたま町のテレビを見ていたら、涼しい夏で困っています的なことを放送していました。観光地へ赴いたレポーターが、「涼しい、涼しい」と連呼しているのです。へー、このクソ暑さを「涼しい、涼しい」とは、やっぱ「心頭滅却すれば火もまた涼し」の世界なのか、この程度の暑さを「クソ暑い」なんて言うなんて、まだまだ修行が足りないのかぁと反省しました。まさか、東京や東京周辺が「涼しい」からって、それを全国放送して普遍化しちゃってるわけじゃないですよね? まさか東京や東京周辺のみなさんが、そんな自己中心主義なんかじゃないですよね? 明日もこちらは36℃が予想されていますが、きっとあのレポーターにとっては「涼しい、涼しい」でしょう。一度こっちへ来て、その言葉を吐いてみろや。



8月20日(日)消えていい

 「国体としての天皇リベラリズム」って、「絶対矛盾の自己同一」みたいなもんでしょうか。イデオロギー的にはすっかり重なりますしね。それにしても、「国体としての天皇リベラリズム」なんてでたらめ言って、なんとも思わないんでしょうか。きっといいフレーズ思いついたくらいにしか考えてないでしょうね。「絶対矛盾の自己同一」の人や、それを擁護する人たちだって、おかしなことを言ってるなんて考えず、きっといいフレーズ思いついたくらいにしか「感じて」いなかったし「感じて」いないでしょうから。要するに、万世一系とか八紘一宇とかですよね。消えていいですよ。



8月21日(月)家族主義がクソ

 叩かれている牛乳石鹸のCM、会社主義とかホモ・ソーシャリティ優先を批判するのは当然のことだと思います。私が気に入らないのは、こうしたまっとうな批判にとどまることなく、家族主義を積極的に主張しているように見える批評です。こうした批評は、子どもや妻をもたない者に対して「永い言い訳」を強要してくるイデオロギーとなんら変わるところがありません。そもそも件の会社主義を標榜する連中だって、たいてい「家族のために」とか言うに違いないので、結局のところ会社主義というのは、家族主義の「誤った」表現の仕方に過ぎないということになるでしょう。ひょっとしたら、私の気に入らない批評は、表現の仕方がこのように「誤っている」ことだけを問題にしたいのかもしれませんが、冗談じゃありません。家族主義がクソなんです。ちゃんと洗い流してください。



8月22日(火)窒息してください

 ポリコレ棒で社会が窒息するとか言ってる人がいるそうですが、それって、正しさを指摘されると窒息する人がいて、それが社会の大半を占めているという意味なんでしょうか。もしそうだとしたら、どうぞ心置きなく窒息してくださいな、と言う他ありませんねぇ。こうした人は、行き過ぎたポリコレがどうちゃらこうちゃらとかとも言うのでしょうが、「行き過ぎた」コレクトネスって、しかしそれがコレクトであることは認めてるんですね。要するに、コレクトであることが蔓延するのは困る、もっと自由に差別させろ、と言ってるわけです。言うまでもありませんが、差別する自由なんてありません。それが苦しいとか言われても、はぁ、苦しんでください、と言う他ありません。現代フランス思想の研究者だろうとなんだろうと、窒息するなら窒息してください。



8月23日(水)正義のかけらがミジンコほどもない

 「正義は暴走する」とかなんとか立派なことを言ってるつもりの人がいるようですが、だからってご自分が不正のまま生き続けることが正当化されるわけがないのは論理学の常識です。そもそも正義が暴走する例として、「関東大震災の時の朝鮮人虐殺」を挙げているのですが、この残虐きわまりない犯罪のどこに正義があるのか、ちゃんと説明してくださいな。そう言えばむかし、声高には倫理を語れないとかなんとかほざいて、『ためらいのなんちゃら』とかいうクソ本を出した臣民がいましたっけ。そういうやつはずっとためらっとけ。そして天皇と霊的交信でもしとけ。



8月24日(木)目クソ耳クソ「ファ」クソ

 ここの知事は、沖縄へ差別語を吐きに行ってきた機動隊員の労をねぎらうあのような方で、さぞ都民のみなさんは府民を馬鹿にしていたことと存じます。しかし、都民のみなさんもなかなかどうして、負けてないですよ。なんせ韓国人学校から土地をとりあげた「ファ」の人は、あの差別の塊でさえ続けていた、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った」そうですからね。「ファ」のことを、反自民の受け皿として意味があるとかなんとかおっしゃる識者のみなさんは、あれですよね、自民じゃ足りない差別をもっと明確にやってくれる受け皿ができた、っておっしゃってるんですよね。都民のみなさんもようやく府民に並びましたね。うんこ。



8月25日(金)「右でも左でもなく」語法

 徴兵制再導入を唱えたフレデリック・ジェイムソンの言い分に説得力をもたせるような議論として、「志願制はファシズムへの誘惑であり、徴兵制があれば民主主義的に戦争を拒否できる」(『社会運動』no. 419, 151頁)などと言った人がいるそうですが、こういうのって、いくらか上質そうに見えると思ってしまう人がいたりするとしても(まあ、そう見えると思ってしまう人は間違ってますが)、しかし結局のところ、「右でも左でもなく」語法のひとつに過ぎないと思います。別に徴兵制がなくったって、民主主義的に戦争を拒否すればよいのですから。逆に徴兵制を認めておきながら、戦争を拒否するなんて、たんてきに矛盾してませんか。殺人集団に入っておいて、殺人はしません、とか言ってるようなものですよ。そんなわけで、志願制も徴兵制も、いずれもクソです。



8月26日(土)唯一って・・・

 東京23区内に唯一の米軍基地というのが都立青山公園に隣接して存在しているそうですが、米軍基地が23区内にそこしかなかったとは、ちょーびっくりです。都は、敷地の全面返還を求めているそうですが、あれあれ、どーして得意の「都民ファースト」差別を使わないのかも、これまたちょーびっくりです。そこに米軍基地があるからということで、ミサイルの標的にされるのではないかと不安に思う人が記事になっていたりしますが、こんな不安を堂々と言ってのけるフツーの人がいて、それこそ十分に不安ですが、やっぱ東京在住者は違いますな。



8月27日(日)「ああいう左翼」

 ツイッターで天皇制の是非を表明しないことを突っ込まれた学者が、またしてもいつものように研究の政治的中立性のようなことを言って自己正当化を図るのですが、なぜこの手の人は自分が中立であることを信じて疑わないのでしょうか。「ああいう左翼」という言い方をしちゃってるのにですよ?あるいは、「長きにわたって日本人の精神をとらえて離さなかった天皇制」とか言っちゃうのにですよ?だれですか、この「日本人」って?この言い方が政治的に中立なわけがないでしょう。指摘されているように、「非」と言えないのなら、せめて沈黙すべきでしょう。



8月28日(月)「まっとうな学者」

 研究の政治的中立性によって、天皇制に対して「非」と言わないことの自己正当化を図ったことに対しては、象牙の塔への逃亡として批判がなされています。それに対して「もしまっとうな学者なら、「象牙の塔」が「居心地の良い」場所だと思わないはずだ」と言われ、したがって象牙の塔は逃亡できる場所ではないと答えられるのですが、これまたまったく中立的な発言ではないですね。なぜなら、「まっとうな学者」というものが想定されているからです。だれですか、この「まっとうな学者」というのは?象牙の塔を逃亡先とは考えない人のことですか?しかしそれは論点先取というものです。批判をまったく論駁できていません。



8月29日(火)理性党

 ドイツでは秋に総選挙が予定されており、候補者を立てると見られるあまり大きくない政党の主張などが記事にされていました。バイエルンの独立を訴えるバイエルン党とか、マルクス主義‐レーニン主義党とか、山党とか…。共産党を違法とする基本法体制の打破を謳う党とか。なんと、理性党もあります。この「理性」はなにを謳うかと言えば、ズバリ、ネオリベです。最小国家論を主張するのですが、しかしなぜ国家が必要なのか、その理由がいまひとつよくわかりません。まさか、国家を設立することは定言命法だとか、言い出さないでしょうね。



8月30日(水)安保理は公正さを欠いている

 飛翔体を飛ばしたくらいで、またしても安保理は非難声明を採択と。あれ、4月に米軍がシリアを爆撃したことに対する非難声明はどうなったんでしょうか。私が無知だから採択を存じ上げていないだけですか。ああ、そうですか。じゃあ米軍たちがこの辺でやらかしている大々的な軍事演習に対する非難声明はどうなってるんでしょう。ところで例によって「法被」は「国民」の生命を守るとかなんとか言ったそうですが、ドイツのニュースでは「国民」が「住民」と訳されています。ドイツ語に訳した人は、ダメですね、まったくわかっていない。「法被」ともなると、守る人を選別できるんですよ。それがまったく「翻訳」されていない。もう、「やるっきゃない」並みの誤訳です。



8月31日(木)さすが「お口アングリ」www

 「維新」の候補として参院選に出て落ちた田中ざまぁみろ康夫は、ファシズムの会の代表が、かつて国民主権を否定し大日本帝国憲法万歳を唱えたことについて「そうした考えは封印した」と記者に答えたことをとりあげて、「そうした思想は簡単には消し去れない」と立派なことをおっしゃっています。つまり、進んで「維新」の候補になるような思想も、簡単には消し去れませんよね。まるで他人事のようにファシズムの会を批判していますが、あなたの「維新」だって似たり寄ったりじゃないですか。センチメンタルな世論の「洞察力のなさにお口アングリ」だそうですが、やっぱ「維新」から立候補したことには、センチメンタルな世論には計り知れない「洞察力」が発揮されているのですよね。「洞察力」に欠けたばっかの選挙民で、残念でしたね。どあほ。



9月1日(金)笛を吹く暴力ヤロ―

 体育会系は暴力的だが芸術系は反暴力的なんてのは言うまでもなく幻想であり神話であって、現実的には芸術系だって暴力的な人はいるわけです。体育会系に反暴力的な人がいるかどうかは知りませんが…。どっかの笛を吹く人が中学生に「体罰」を加えたそうですが、そんなものは教育でもなんでもなくたんなる暴力だって言わなきゃおかしいのであって、この暴力を擁護するやつらはみんな、共同正犯ですよ。ご当人は、自分が批判されていることを受けて、こんなことだから日本の文化はダメになるんだ的なことを言ったそうですが、なるほど日本の文化は「教育」の名の下に暴力を正当化するものですよね。それは正しい認識ですが、だからそんな文化はクソだと言わなきゃな。



9月2日(土)冷静で科学的で社会学者で・・・

 アンケート結果を分析して有権者が現時点において「右傾化」していると断定できる証拠はないと<冷静な科学的ご意見>をのたまわったのは、社会学者でした。アメリカの白人至上主義者が主張する文化帝国主義論はもともと左派の主張だったと<しらふで寝>言をぬかしたのも、社会学者でした。そして、100田のクソ本を毎日新聞で肯定的に書評したのも、<いつものようにクールなつもりの反動主義者>である社会学者です。「だから社会学者なんてものは…」なんてことを言っては、アブダクションが過ぎるでしょう。こんなふうに冷静で科学的で、ニュートラルで、左でも右でもなくて、要するに右の主張をする人たちの専門分野が、たまたま社会学だということです。



9月3日(日)哲学者だって負けてない

 もちろん、「慰安婦」問題について「韓国(政府・国民)」が「日本(政府・国民)」に対して「反省がまだ足りない、まだ足りない、まだ足りない」と迫ってくると言って文句をたれるのは、政治になんか関心ありません、したがって私はニュートラルです、というポーズをとる哲学者です。言うまでもなく、他人の書いた物はほとんど評価しないけど、曽野綾子だけは評価できると言ってのけるご仁が、政治的にニュートラルなわけがありません。こんな人が悪について語り、悪について語っているんだから私のことを許してね、なんて言おうものなら、まあ嗤えますが、しかし許しませんよ。



9月4日(月)シャカシャカ

 諸般の事情により、朝空港行きのバスに乗っていたのですが、後ろの二人組が7時前から元気にお話し続けるのですよ。私は寛大なので、ああ、嬉しいんだよね、としか思いませんでしたが、隣に座ってたリーマン風のお兄さんが半ばキレ気味に「うるせぇ」「うるせぇ」を連呼していました。それでもお話は止まらず、キレ男はイヤフォンつけてシャカシャカやり始めました。そっちの方が「うるせぇ」と思いましたが、精神統一して聞こえないことにしました。ってムリに決まってるべ。



9月5日(火)『3月のライオン』

 なんとなく(予告編しか見たことのない)『三丁目の夕日』的なところがあったので30分くらいで見るのを断念しようかと思ったのですが、とても棋士には見えない(別に、棋士が賢く見える必要はまったくないし、実際そうじゃないですけど)なんちゃらとかいうのがあまりにもいきってて笑えるため、見続けることにしました。ところで、このゲームを描く漫画や映画がここのところ複数作られているのは、やっぱあれですかね、相撲やらなんやらではもはやナショナリズムは喚起できないからなんでしょうかね。そんなわけで、消えてくれてもいいゲームだということを再確認させてくれる映画でした。



9月6日(水)『ライフ』

 結局最後は宇宙服に星条旗をつけたやつとユニオンジャックをやつが残るんですよね。アホかって感じです。映画の中で、その宇宙ステーションは中国がカネを出してくれたおかげだと言われているにもかかわらず、船員に中国人と思しき者はいないのです。そして事態を悪化させるのは、お約束のようにソユーズなんですよね。もう相変わらず、わかりやすすぎます。こういう発想が、飛翔体を飛ばしたくらいで安保理決議をやり、経済制裁をやらかして、「世界」の総意として追いつめていくのでしょう。火星から「凶悪な」生命体を持ち込むのは星条旗をつけたやつですが、そこにもやっぱり、星条旗をつける者こそがつねに主人公なのだ、という主張を読み取ることができます。うんこ映画と言ってよいでしょう。



9月7日(木)阪ちんに関する哲学的考察

 世界中のトラキチなら、きっと先週連勝していた頃から、次の週はあのせまっくるしい球場で3タテ食らわされるに違いないだろうと予想していたでしょう。そしてこうした予想をことごとく的中させてしまうのが阪ちんの阪ちんたる所以です。実はここには哲学的に非常に深い示唆を読み取ることができます。というのも、出来事が起きることによって予想は的中したり的中しなかったりするという日常的な臆見は、まさしく臆見にすぎないことが、ここであらわとなっているからです。現実は、トラキチの予想に合わせて形作られているのであって、つまりここにおいて観念論の正しさが実証されているのです。それはそうと、「そつのない野球」とか、いかにも小市民的でクソだと思います。



9月8日(金)くだらない

 内閣総理大臣だと、まぶだち同士は利用し合ったりしないもんだと言えば、それ以上法的責任を追及されることもありません。そして内閣総理大臣の臨時代理への就任順位第1位にいる副総理だと、いくらナチス賛美を繰り返そうと、いくら障がい者差別の発言を繰り返そうと、ああ、また言ってらぁと、何の政治的責任も追及されることなく、相変わらず大臣のまま右翼発言、差別発言を繰り返すことができます。しかし、野党の女性だと、「不倫」した程度で、離党しないといけません。「不倫」すると、突然政治的手腕が失われるんでしょうか。法的責任や政治的任を負わねばならないことをやらかしたなら、大臣なりなんなりを辞めてもらわないといけませんが、「不倫」と政治家であることがどう関係しているのか、私にはさっぱりわかりません。「村」の政治はいい加減やめるべきです。



9月9日(土)『海よりもまだ深く』

 不快になることはわかりきっていたのですが、しかし『君と100回目の恋』とかいうのを、「さすがに無理」とわかるまで、何を勘違いしたのか5分も見てしまったので、一刻も早くその5分の辛さを忘れるために選んでしまったのでした。やだなぁ、こういう人、ってタイプの人ばっか出てくるのです。しかしよく考えたら、そういうお前が一番ダメなんだけどな、と言われていたのかもしれません。まあ、あの手の共同体には入れそうにないです。



9月10日(日)『恋人までの距離』

 以前観たことがあったのですが、『ツーリスト』とかヒュー・ジャックマンの闘う系しかなかったので、仕方なく選択しました。ヨーロッパを走る列車内で、ドイツ人の妻と夫が激しく口論していて、それを避けるためにフランス人の女が席を移った先にアメリカ人の男がいて…、という設定で話が始まります。なんつーか、まあそうなんですね、ドイツ人と言えば口論で、フランス女とアメリカ男は恋におちると。イーサン・ホークが、いかにも軽薄なアメリカ男で、何が軽薄かって、自分のことを軽薄なアメリカ人だって思ってるだろ、と相手に訊くところが最高に軽薄でした。そんなわけで、たしか続編の方が面白かったような気がします。



9月11日(月)そらそうよ

 ドイツでは24日にいわゆる総選挙がありますが、複数の学生から、投票する選択肢がなくて困っているという話を聞きました。左翼党は、EUの労働者のことではなく、国内の労働者のことしか考えておらず、そういう意味でナショナリストだと批判されていました。だから、極東の共同体の共産党だって、天皇を支持していると伝えたら、驚愕していました。そらそうよ。ところで、メルケルはハイデルベルクの集会でトマトを投げつけられました。あたりまえのことですが、だからといって、治安維持法を成立させようなんてことにはなりません。そんなことを言った瞬間に、政治家としての生命は断たれることでしょう。しかしここでは、ナチスを賛美しても、いや賛美するからか、副総理ですよ。



9月12日(火)真剣に考えてあれ???
 
 侵略の犠牲になったアジアの2000万人の死者に向き合うためには、まず自国の300万人の死者を弔い、責任の主体を立ち上げなければならないなどという寝言を公刊したやつは、何があろうと批判されなければいけないのであって、ナショナリズムを真剣に考えている人だなどと持ち上げるべきではないでしょう。このくさった発想が、英霊を祀れという発想と大差のないものであることを指摘すると、「イデオロギーに凝り固まった考え方だ」ときっと言われるに違いないでしょうけど、だったら「イデオロギーに凝り固まった考え方」がいかに正しいかがこんなに見事に見えますね。



9月13日(水)恐ろしい共同体

 ある署長は、供述があいまいだったから、客観的証拠は不十分だけど逮捕した、と誤認逮捕について「釈明」したそうです。実に恐ろしいことです。客観的証拠が不十分だとわかっていたにもかかわらず逮捕したことを、みずから認めているのです。こんなことが許されるのなら、もういつだってどこでだってだれだって逮捕できてしまいます。もちろん、「いつだってどこでだってだれだって」というのは、恣意性を表現しているのであって、文字通り「いつだってどこでだってだれだって」ってわけではありません。ある種のジャーナリストなら、強姦しても逮捕されませんからね。こんなやつらが「正当に」こん棒と拳銃をもっている共同体は、やはり一度滅んだ方がいいかもしれません。



9月14日(木)あほですね

 宿泊税とやらを導入する条例案をとりまとめた地方都市があるそうです。そもそも何が悲しくて、そんなこの世のあらゆる差別が凝縮されているような地方都市へ行って宿泊しないといけないのか、私にはさっぱりわからないのですが、どうやらそんなこの世のあらゆる差別が凝縮されているような地方都市へ行きたがる人たちが驚くべきことにたくさんいらっしゃるそうで、まあ、そういう人たちはきっと献身的に納税なさることでしょう。そういえば、ある研究会の年寄り連中は、春にそんなこの世のあらゆる差別が凝縮されているような地方都市へ来たいもんだから、普段は東京で開催している研究例会を春だけその地方都市で開いたりしていましたよ。あほですね。



9月15日(金)ド、ド、ドリスの・・・

 せまっくるしい球場をホームとし、ちまちまとそつのない小市民的な野球を旨とするあのチームが優勝するには、結局のところ、マエケンもいらなかったし、男気恫喝脅迫ヤローなんてますますいらなかったってことですね。ひょっとしたら、親会社が原発を推進しプロ私人の夫を全力でサポートするあのチームの監督が、へなちょこかどうかが決め手なのかもしれません。「ド、ド、ドリスの大爆笑〜♪」とか、重要な場面で出てきた代打の打率が1割台とか、もう笑わそうとしているとしか思えない阪ちんなんて、なんの関係もありません。ぐは〜。



9月16日(土)あんなことやこんなこと

 時差ボケを解消しようと連日無理して生活していたら、「三連休だ、わ〜い。あんなことも、こんなこともしよっと」ってわけで気が緩んだせいか、今日は目が覚めたら11時半だった…。あああ、やってしまった、という感じ。道理で、ささいなことを間違えて何度も同じことを繰り返さなければならないという、もっとも嫌な夢を見続け、いやに長い夢だなぁと思ったものでした。すでに1日が半分も終わりかけているというのに、寝過ぎで頭が痛いため、午後からまたしても惰眠を貪ってしまいました。あらら、あんなことやこんなことはどこへ行った?



9月17日(日)ぼんくら

 イラクのように、アメリカに敵視され、「国際社会」とやらの圧力によって核武装の道が断たれ、大量破壊兵器があるといちゃんもんをつけられ、主権国家であるのに堂々と主権を侵害され、大統領が処刑されるという正義の名の下になされた侵略戦争を目の当たりにしているがゆえに、いろんな実験に手を染めざるを得ないし、少なくともいろんな実験に手を染めているという姿勢を見せなければならない状況があるというのに、イラク戦争を「解決策」だと考えるようなぼんくらがいて、とっとと豆腐の角にでも頭をぶつけてくれと思うのですが、しかしひょっとして、まったく公正さを欠く国連安保理の連中って、こういうぼんくらと同じメンタリティなんでしょうか。



9月18日(月)告んなよ

 昨日、数少ない友人と話していて、どうしてあの人はあんなに浅薄なんだろう(本当は、バ〇だのア〇だの差別語を使っていたかもしれません)ということで話題に上った方が、さっそく「北朝鮮の脅威を煽るな、Jアラートなんか必要ない、と言っていた人が一転、北朝鮮巡る危機の中、解散総選挙は無責任だ、と言っていたりして、人間て本当に自由で良いな、と実感している。」とおっしゃっていて、早くも話の裏が取れてしまったと「実感している。」言うまでもないですが、「政府与党は危機を煽るな」という言説と、「危機があると言ってるやつらが政治的な空白期間を作ろうとすることは矛盾している」という言説は、なにも矛盾していません。ほんのちょっぴり首の上の部分を使えばわかることなのに、これじゃあたんに政権与党へのラヴを告ってるだけじゃん。



9月19日(火)針1000本のむのか???

 「法被」が、まぶだちだから利用したりされたりなんてするわけがないと心情倫理を披露して、政治的・法的問題を心の問題にすりかえる得意技を発揮したまま、解散なさるそうですね。消費税増税は教育や社会保障のためにとか、おっしゃっているそうですが、そんなことでよいのでしょうか。何があろうと絶対に墜落したりしない不死身のオスプレイをはじめ、アメリカさまからたくさん殺人兵器を購入して軍備増強をこれまで以上に図り、殺人集団を充実させますと、言ってくださいよ。教育や社会保障なんて、自己責任だろ、ってちゃんと言ってくださいよ。もちろん、「こんな人たちに負けるわけにはいきません」って言ってね。



9月20日(水)あほかいな

 東京新聞が「懲りずに出馬?」って見出しをつけて、「頻発した」議員の「不祥事」を「不倫、カネ、暴言・失言…。」と列挙しているのですが、「不倫」がトップなんですか、と思わざるを得ないです。「不倫、カネ、暴言・失言」のうち、仲間はずれはどれでしょうゲームで、まともな人なら「不倫」って言うに違いないのに、記者はまったく何を考えているんでしょうか。不倫なんて、まったく私的領域のことなのに、それを「カネ」や「暴言・失言」という公的責任の問われることと同列で並べ、しかもトップに置くなんて、もはや昼のワイドショー的な発想しかないんですね。これでいけば、スーパープロ私人を作り出した「法被」やら、ナチス賛美と障がい者差別をやめられないやつの方が、民進党の議員だった人よりもましだってことになりますよ。あほですか。



9月21日(木)アメリカ国民の責任

 「完全に破壊するしかない」とか、ほとんど飲み屋で騒いでる保守主義者のバカオヤジ並みの発言を、飲み屋ではなく国連の場でやらかすようなのが、唯一の超大国を代表するやつだなんて、アメリカ国民はこの責任をどうとってくれるんだ、と思ったのですが…。すみませんでした。「対話より圧力を」と言う、「自席発言」が得意で一緒にバーベキューやらかしてもまぶだちなんだから癒着なんてするわけがないスーパープロ私人の夫がいたのでした。メルケルやガブリエルなんて、本来何の利害もないはずなのに、対話の仲介をしようと言ってる状況があるのに、ですよ。もっとも、ガブリエルが提案している会談に、「法被」なんて含まれていませんけどね。国際的に見れば、ここにはクソのような扇動があるだけで、別に「危機」なんてないですからね。



9月22日(金)新クジラの公式

 閣僚にしてもらった途端、反原発のツイートを削除した「実績」をもつそいつのことだから、アメリカとともに挑発し続けるその国家との断行を160以上の国々に対して要求するとかいう仕方でバカをさらけ出しても、別に何の不思議もありませんが、しかしだからと言って「またかよ」と見逃しちゃいけないのは、ナチス賛美を繰り返しやらかすやつを「またかよ」と見逃しちゃいけなかったり、差別政策を顧みることなく押し進める都民ファシズムのやつを「またかよ」と見逃しちゃいけなかったり、もちろん「自席発言」のあのお方を「またかよ」と見逃しちゃいけなかったりするのと同じです。これはもう、新クジラの公式です。



9月23日(土)一刻も早く辞めるべきだ

 言うまでもなく、「またかよ」で済ますわけにはいきません。難民に対して「警察か防衛出動か射殺か」と国会議員が言ったのです。そしてそいつは副総理だったりします。「法被」に何かがあれば、行政府の長となるやつです。そいつが、「射殺」と言ったのです。いますぐ、国会議員を辞職すべきだし、「法被」は罷免すべきでしょう。関東大震災時にデマを飛ばして殺すよう扇動したのと、まったく同じことをやらかしているのです。明確に、ヘイトスピーチです。したがって、収監しなければいけません。収監するまでは、不法状態が続いていることになります。けっして許してはいけません。



9月24日(日)ふざけんな

 なんの問題もなかった小沢一郎を追い落とすのに十分な威力を発揮した検察審査会なんて、まったく信用していませんでしたが、「法被」のよいしょジャーナリストのやらかしたことについても「不起訴相当」と判断したそうで、さもありなんとしか思わないですね。ひょっとして、そもそもよいしょジャーナリストであることそのこと自体が恥ずべきことだからって、大目に見てやったんでしょうか。たしかにそれは大いに恥ずべきことですが、そんなことと正義の問題は無関係ですから、いくら恥ずかしいやつだからって、起訴されるべきことは起訴されるべきことです。ふざけんな。



9月25日(月)きっと私が知らないだけだ

 受信者との間で何らの合意を達成することもなく、国家的陰謀によって一方的に、使えていたテレビを使えなくさせられて以来、自宅のテレビを見ることができないのですが、もうきっと副総理は罷免され、国会議員も辞めてるんでしょうね。きっと、テレビを使えなくさせられた私が知らないだけで、難民を殺すよう扇動した国会議員にして副総理なんですから、罷免され辞任しているに違いありません。いや、すでに現行犯逮捕されていますか。それにしては、ネット上でまったくニュースにならないですね。あれだけ差別発言を繰り返し、ナチスを賛美してきたんだから、いまさら逮捕されたってニュースにならないってことでしょうか。それなら納得です。



9月26日(火)どっちも極右だろ

 まさか、(「武装難民」+「国難突破解散」)対(都庁の会見で自分の党の話をやらかす「自分ファースト」)って対立があるって思ってる人なんていないですよね。難民を殺すことを扇動するやつと、デマで虐殺された人たちの存在を否認するやつとの区別なんて、とてもつけられないですよ。この区別をつけられる人は、間違いなく、クソの中からクソをえり分けることができます。そんなことができますか。この人たちは、いずれも歴史修正主義者であり差別主義者である点に、なんら変わるところはないのです。菅直人は「自分ファースト」を評価しているそうですが、とっととうんこして寝てください。



9月27日(水)「ドッキリ」に違いない

 なんかものすごい状況に立ち会っているという気がするのですが、きっとそれは気のせいではないでしょう。ナチスの台頭については、ワイマール憲法体制があまりにも民主的で…、とかいう理由づけを行う人もいるでしょうし、先日のドイツの総選挙でAfDが第3党になってしまったのも、他の政党があまりにも民主的だから、とか言いうるかもしれません。しかしですよ、この極東の共同体においては、すでに極右の政党が政権を担っているにもかかわらず、同じく極右の政党が湧いて出てきて、しかも野党第1党がその極右の政党に合流するのが「最終調整」なんですと。こんな状況、人類史上初めてのことではないでしょうか。フツーの政党に対して極右の政党が台頭するんじゃなくって、極右の政党に極右の政党が対抗(?)して、二大政党制の実現が予想されるなんて…。あまりの戦慄に、ちびってしまうかもしれない。



9月28日(木)ヘーゲルよりハイデゲル

 韓国人学校から土地を奪うときに「都民ファースト」と言った差別主義者は、文字を一切忘れてしまったけれども新刊本を出せるあの石原でさえ否認できなかった、関東大震災時のデマによる虐殺を堂々と否認する差別主義者でもありますが、どこでだれから教わったか、「アウフヘーベン」なる言葉を使用するそうです。まあ、概念が運動するとか言っちゃった人のことを擁護する必要はないかもしれませんが、一応、ヘーゲルには左派もいたわけです。だったらせっかくなので、当人が右で、その研究者たちも押しなべて右派である、存在の声が聞こえてしまう空耳アワーズの人の口真似で、「本来性を取り戻す」とか「決断せよ」とか、言ったらどうですかね。死者の戦争責任は問えないとか平気で言える人たちのことですから、わぁ、「本来性」とか「決断」とか言ってくれたよ〜、って拍手喝采してくれるに違いありません。



9月29日(金)ちゃんと撤回しなよ

 噂には聞いていましたが、本当に、「法被」への対抗として「自分ファ」に期待を寄せる人がいるんですね。いや、沖縄まで行って差別語を撒いてきた機動隊員の労をねぎらい、「慰安婦の問題は朝日新聞のフェイクニュースで世界に間違った情報が流れたものだ」ってほらをふくやつがいて、田中康夫が喜んで公認してもらった、あのなんとかっていう集団の支持者なら、別に何の不思議もないですよ。どーせ差別主義者かつ歴史修正主義者の極右ですからね。問題なのは、24条の改正に反対していると思われる論集を編集したような人が、「法被」に打撃を与えるには、「法被」と「同等にグロテスクな何かが必要」とか、戦略家の私にはすべてわかっています的なことを言い、その甘さを指摘されると、「単なるヤケクソ」なのに、それがわからないのか、って居直ってしまうのです。「単なるヤケクソ」なら、寝る前に日記にでも書けばよいのであって、公言しちゃいけません。



9月30日(土)「××をぶっ壊す」語法

 だれかの既得権をわがものとしたい、ってことを意味する「××をぶっ壊す」語法があります。そういえば、何年か前に個人的な理由で定年前に文学部をさっさと辞めていった方が、「文学部は必要か?」という文学部の存在理由を否定的に考えるシンポジウムをかつて企画したことがあったと、辞めるときの挨拶で言ってました。私はそれまで、またそれ以後も、別に文学部に愛着なんてもったことはないしもってもいませんが、しかしその方のその挨拶を聞いてから、文学部は存続しないといけないと思うようになりました。理由は簡単です。その方の考えなんてなにひとつ評価に値しないと思っているからで、その方が「白」と言えば、たとえ「白」かもしれないと思っていても、「黒」と反論しなきゃいけないと思っているからです。その方が蒙昧主義をまき散らしたのは、ひょっとすると文学部の内部崩壊を意図してのことかもしれませんが、そんな意図通りに世界が動いてたまるかと思っています。



10月1日(日)たとえば

 たとえば、精神障がいを患う人をまねて笑いを取ろうとする芸人のパフォーマンスを見て笑ってはいけない、と私が主張したときに、問題になっていたのは、なぜ笑いは社会的規範を犯してもよいのかということなのに、そのパフォーマンスは障がい者のまねではなく、その芸人の「芸」だと言って問いをはぐらかし、そのことによって障がい者のまねを笑うことを正当化し、その場の差別主義者たちを安心させたことがありました。あたかも自由な討論の場における発言であるかのように装っていましたが、その実、教員である自分の発言がその場において大きな意味をもつことを十分にわきまえた上で、まじめな顔をして差別を正当化したのです。ほらほら、こんな発言をする人の考えなんて、まったく評価に値しないじゃないですか。



10月2日(月)厚顔無恥にも程がある

 <細野豪志「安保法制に反対の民進党員は(入党は)厳しい。」  はあ?君自身が国会前の安保法制反対集会に来て演説してるんだけど?一応政治家なら、自分の言動に責任持てよ!!>という当たり前の突っ込みツイートをリツイートする、かつて大阪維新の会に公認してもらった田中康夫は、どういうつもりなんでしょうか。@おれのようにちゃんと「自分の言動に責任持てよ!!」Aおれは政治家じゃねーしB文字を一切忘れてしまいました どれもありそうで、選択に困りますね。そして挙句の果てに言いますよ、「あとは自分で考えなさい」って。大阪維新の会に公認してもらったおれを支持したのは、自分で考えたきみらじゃないか、悪いのはきみらだよ、批判するな、ってとこでしょうか。



10月3日(火)う○こはう○こ

 「自分ファ」党の若狭とかいうのが、民進議員の「選別基準」として「憲法改正に反対しない」「安保法制を容認する」とテレビで表明したときに、同席していた自民党の議員が「基準に一番合うのは自民じゃないか」と発言し、大爆笑になったそうです。たしかにある意味では大爆笑ですが、しかし別の意味ではまったく笑えません。どっちのう○こも「憲法改正に反対しない」し「安保法制を容認する」と公言し、にもかかわらず、このふたつのう○この間には決定的な差異があると考えている人がいたりするわけですから。う○こはう○こなのに。



10月4日(水)核武装論者にして反原発派???

 核武装論者が同時に反原発論者であるということはいったいどういうことを意味するのでしょうか。核武装するためにはプルトニウムが必要で、プルトニウムを手に入れるためには原子炉が必要で、原子炉を作る口実には電力供給のための原発が必要だ、ってロジックで、球界の盟主だけど4位になっちゃったチームの親会社なんかは戦後一貫して動いてきたわけで、核武装論者は原発推進派のはずなのですが、あの方は、少なくとも嘘つきじゃないとすれば、このロジックには乗らないというわけです。だとするとどういうことになるでしょうか。もう、原子炉を作る口実としての原発なんて要らないよ、ってことになるでしょう。もっと言えば、核武装するために原子炉作るよ、以上、ですね。



10月5日(木)だもの。

 例によってあの国際政治学者が、「この解散・総選挙に「大義がない」という批判があります。でも、時の政権がアジェンダ(課題)を設定し、国民に信を問うのは当たり前」とかのたまわっているそうです。この方、「「大義がない」という批判」がどういうものだかわかっているのでしょうか。100歩譲って、「時の政権がアジェンダ(課題)を設定し、国民に信を問うのは当たり前」だとしても、この「アジェンダ」がでたらめだろ、っていうのが「「大義がない」という批判」の中身なんですよ。だから、「でも」の使用法がまったく意味不明なわけです。こんな意味不明なことは言わずに、たんに「政権ラヴ」って言っときゃいいんじゃないですかね。「国際政治学者」だもの。



10月6日(金)『ビタースウィート』

 子ども扱いされると反抗するわりには、父親が浮気しているのを知ると、父親に向かうのではなくその相手に嫌がらせをし、その相手の娘を騙して変態オヤジのポルノ撮影へ行くように仕向け、撮影を拒んだ騙された娘は変態オヤジに殴り飛ばされる。その変態オヤジによって他のクラスメイトが殺されたことを知ると、自殺を図り、助けられて、最後は笑顔で何ごともなかったように生きていく。はあ???ふざけんなよ感が半端ない映画です。お金持ちの「こんなこともありました」的なお話ですか。ひょっとして見た者をムカつかせようとしているのなら、大成功ですが、こんなもんで「大人はわかってくれない」とか主張しているんだったら、まったくお先真っ暗です。(ネットで見たら、「17歳の純粋さに感動できる」とかキャッチがついてました。ぎょえ〜。)



10月7日(土)『アシュラ』

 なんかもう、いろいろとわけがわからない映画でしたが、例によって最後は壮絶な殺し合いで、どっぷりと疲れました。それにしても、市長、悪ですね〜。『コクソン』のときのペテン師役もなかなかでしたが、今回は、もう途中から貴花田とか貴乃花光司とかにしか見えなくなってましたよ(横綱の頃には似ていない)。そう言えば、ガラスのコップをバリバリ食べ始めてしまうバカ刑事(まあ、冗長句かもしれません)を演じるのは、二枚目俳優のはずですが、これまた途中から峰竜太にしか見えなくなってました。そんなわけで、ノワールというより、笑かし映画だと思います。そんなわけで、ロシア革命100周年。



10月8日(日)令状とってね



 これ、コンビニの扉に貼ってあるんですが、このコンビニがどこにあるかって言うと、大学構内なんですよ。今年6月から、コンビニが営業することになったのですが、許可を与えた当局は、こんなもんが付いてくることを知ってたんでしょうか。1億万歩譲って、コンビニ内に「立寄」るだけなら、許してやろう。それから、サービスして、上空も許してやるよ。しかし、どの門を使うか知らんけど、門からコンビニまで、地上を利用するのは許さん。大学にはちゃんと自治権というものがあるのだから、入りたいのなら、ちゃんと令状をとってもらわんとね。(もっとちゃんと撮ればよかったのですが、あんまりこんなの撮ってると「怪しい」人だと思われそうで、急いでしまいました。はいはい、どーせ「怪しい」「反日」ですよ。)



10月9日(月)勝ちゃいいのか

 阪ちんの二軍監督と一軍監督との「対立」に絡めて伝えられている、一軍監督の「人間扱いしてもらわなかった」というカープ時代を語る言葉があります。そしてそのカープは、今年8月に同じチームに3試合連続でサヨナラ負けをしたのですが、その3試合目の翌日、打撃練習の順番が書かれたボードには、ボクシングに見立て「(相手が)あきらめるまで殴る。最後まで殴る」と書かれてあった、と報道されています。何なんですかね、美談のように語られるこの暴力主義は。こんなことして、勝利すれば、それでいいんすか。こんなことしなきゃ勝てないなら、勝てない方が立派でしょ。「プロなんだから勝たなきゃダメ」は、暴力さえ肯定できるんですか。まったく、バカげてますね。負け惜しみでもなんでもなく、こんなことまでして勝ってはいけません。



10月10日(火)デリダが泣くぞ

 そのデリダの研究者は、以前はまだまともだったと思うのですが、それはひょっとして、論争相手があまりにもひどかったから相対的にそう思っただけなんでしょうか。たとえば、アジアの2000万人の戦争被害者と向き合うためには、自国のために死んだ300万人の死者を先に弔わなきゃダメだと言った、たんなる極右の文芸評論家を批判したときとか、まともでしたよ。また、「忘却の穴」をめぐって、なんであんたがアーレント研究者を代表するんだよ、アーレントはもうちょっとだけましだろ、って思わせるアーレント研究者を批判したときとか、やっぱりまともでしたよ。なのに、安保条約は「現実」だと、数多くのポストモダニストたちとなんら変わるところなく、「現実」が見えるようになっちゃったようです。合掌。



10月11日(水)やっぱデリダが泣く

 「投票所入場整理券」がポストに入っていましたが、ぬぁんと、封筒には入れられておらず、そのままむき出しになってました。「むき出し」ってことは、毎日アホほど入っている「マンション買いまへんか」チラシに紛れていたということで、下手したら丸めてポイするところでした。どーせお前の1票なんて死票だろって、そのとーりなんですが、だからって「マンション買うたれや」と同じ扱いですか。今回も、職場に期日前投票所が設置されることになっているので、みなさんよりひと足早く、死票を投じることができます。まいったか。ところで、積極的無投票を呼びかけている人がいるそうですが、相変わらず、ちょっとだけひねったつもりの体制ラヴぶりです。



10月12日(木)騙されたんだ、お気の毒に(嘘)

 解散前は、選挙中に詳しく説明すると言い、選挙中には、国会で詳しく説明すると言う。なんか、言い逃れしようとする小学生並みのお言葉ですが、残念なことに、その言葉の主は小学生じゃないのですよ。「スーパー私人は騙されたんだ」とかおっしゃっているそうですが、騙されて名誉校長にまで登りつめたのですから、大したものです。しかも私人なのにね。スーパーだけど。公務員が付き添ってくれるけど。それはそうと、与党が300議席も獲得するって、本当なんでしょうか。これってひょっとして、人はどれだけ我慢できるかって実験じゃないんですかね。しかしもう、なんど左の頬を差し出したか、数えきれません。



10月13日(金)ポストモダンだろうと差別は差別だ

 投票を棄権して体制を支えよう運動は、ごたく並べて結局は現状を肯定するだけのポストモダンのあり方そのものだし、その自己正当化のために使われる「微妙な差異」とか、これまた言ってるだけのポストモダン語法そのものだし、これを擁護するやつが、この問題提起(どこに問題提起があるんだ?)を理解できないのは偏差値が低いとか言ってるらしいのも(そいつのツイッターを見るくらいなら、うんこ食った方がましだから見てない)、差別主義丸出しでやっぱり見事にポストモダン・メンタリティです。しかし、いくらポストモダンだからって、こんな差別主義者を私立大学が雇っていてもよいものだろうかと思います。



10月14日(土)わかりやすいにも程がある

 政府が主導しているアリバイ作りのためのような取り組みには何のためらいもなくさっさと賛成してしまうのに、会の運営の根幹にかかわる事柄については沈黙を決め込む哲学研究者って、いったい何なんでしょうか。まあ、わかりやすいと言えばわかりやすいのですが、少しは哲学研究者に期待もしていたので、ああそうなんですね、って感じです。そう言えばちょうど昨年の今ごろも、明らかにおかしなことを無理矢理押し通そうとする人たちとか、それを傍観している人たち、最後になって当たり前のことを自分にはすべてがわかっていますという体で言う人たちがいて、うんざりしたのでした。だから、むしろ期待する方がおかしいのですよね、きっと。



10月15日(日)阪神ファンをなめるな

 ヤジを恐れるが「自席発言」(by NHK)は得意技とする「法被」が、兵庫に現れたそうで、あろうことか、「私もここにいる間は阪神ファンです」と言ったそうです。阪神ファンをなめてるんでしょうか。そんなことを言えば、安保法案を強行採決によって可決成立させ、共謀罪を強行採決によって可決成立させ、スーパー私人を作り出し、沖縄で米軍ヘリが「不時着後、炎上」してストロンチウムをまき散らしても知らんふりで、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と暴言を吐いても、支持してもらえると思ったんでしょうか。あんたが好きなのは、歴史修正主義とつながりが強い、あの球団じゃないか。阪神ファンとか言ってんじゃねーよ。



10月16日(月)うんこ記事

 「北朝鮮が、なにをしでかすかわからない、この非常時に、これの着ぐるみにお目にかかれたら、きっといいことありそうだ。」こんな書き出しで殺人集団のゆるキャラを記事にしている新聞があります。驚くべきことに、それは原発推進派のあの人たちでもなく、3Kでもありません。「なにをしでかすかわからない」のは、あんたたちじゃないのか。いや、そうでもないのか。あんなろくでもない国際政治学者(これはほとんど「白い白馬」)の戯言をだらだらと垂れ流すんだから、こんな差別的かつ扇動的なことを書いたって、別に「なにをしでかすかわからない」なんてことはないでしょう、って、そういうことですか。いい加減にしろよ、朝日新聞デジタル版。



10月17日(火)知ってましたけどね

 左右の「ねじれ」を解消するためには、侵略戦争の犠牲者であるアジアの2000万人の人たちと向き合う前に、まず自国のために死んだ300万人を弔わなければならないなどとほざいていた右翼文芸評論家が、『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』とかいうごみ本を出したそうで、相変わらず懲りない毎日新聞が「幕末の尊皇攘夷思想を手がかりに、現在の日本の状況にいかに対応するかを根底から考える意欲的な論考」とか言っちゃってます。こんなのと一緒に、哲学の学会でナショナリズムを論じてしまった哲学研究者のみなさんは、どのように責任をおとりになるおつもりでしょうか。えっ、「いいこと言ってるじゃん」ですか? ああ、やっぱ右なんですね。



10月18日(水)あれは全部×

 期日前投票へ行ってきました。みなさんより早く、死票を投じるためです。わはは。それにしても、なぜ「期日前投票宣誓書」なんてものがついているんでしょうか。投票日当日に、投票についてだれか宣誓してるんですか。「私は嘘つきには投票しません」とか。こんな宣誓させられたら、投票できない人が続出じゃないですかね。つまりそういう宣誓は不要なのに、期日前投票だけ「事由」を宣誓させられるなんて、差別じゃないですかね。せっかくだから、「E天災」に〇つけてやればよかったか。まじめだから「A仕事」に〇をつけてしまったわな。



10月19日(木)節操がない

 昨日、期日前投票して帰宅したら、ポストに今更ながらの選挙公報が投函されていて、いきなりなんとかって名前の代表の顔写真が目に入ってしまいました。ですから、ほとんど自然法則に従うがごとく、ペンを取り出して、エレベーターの監視カメラに映るように、その顔に×を書こうとしたら、なんと力が強すぎて、ビリビリと顔が裂けてしまいました。ぐっじょ。ところでその公報を見ていたら、豊中市長は、どっかをとり戻しちゃう党の立候補者の推薦人となっていました。まあ、これは驚くに値しないのですが、なんとこの市長、「自分ファ」に合流せずに新たに作られた党の立候補者の推薦人でもありました。えええ〜? 市長って、ひょっとしてひとりで2票もってるんですか。これは初耳です。こんな節操のないことをやらかすやつが市長をする市に住むやつの顔が見たいわ。



10月20日(金)おまえらが発生するな



 またこんなクソが自宅のポストに入っていました。ポストにはどのようにして入れたのでしょうか。マジックハンドでもお使いになったのでしょうか。まさか、断りもなく、人の住居に侵入したんじゃないでしょうね。そういうのを、不法侵入というのですよ。あんたたちは、原則として、令状もなく一般市民の住居に立ち入ることなどできないのです。いくらぼんくらでもそんなことくらい知ってるだろ? 電話したいのだが、ご覧の通り、書いてないのですよ。印鑑も、ご覧の通り、読み取れない。なにが「付近に異常は認められませんでした。」だよ。おまえみたいなのがうろうろしていること以上の「異常」を言ってみろ。「最近この付近で(クソポリ)が発生しています。被害にあわないように気を付けてください。」じゃなくてさ、おまえらが「発生」しなきゃいいんだよ。ぼけ。



10月21日(土)有線???

 台風情報によると、大きさは「超大型」だそうで、強さは「非常に強い」とのこと。なんとお名前は、「LAN」です。知り合いに、「無線だろうか?」と尋ねたら、「有線だろう」という答えが帰ってきました。だから「非常に強い」のだと。なるほど。しかしだったら、ケーブルを引っこ抜けばよいのではないかと思うのですが、どうしてだれもそれを指摘しないのでしょうか。ところで月曜日の授業はどうなるのでしょう。午前9時までに暴風警報が解除されなければ、全日休講なのですが、なんともきわどい感じです。ここは「有線」を「無線」に切り替えて、速度を落とすとか、いかがでしょうか。



10月22日(日)「本音」とかクソだし

 歴史修正主義的デマが得意な新聞社の報道を丁寧に検証し、それらがいかに「事実」に反しているかを実証して見せる書物があります。実証されているのは私の知人ですが、もうだれよりその人がもっとも熱心なその新聞の読者じゃないかと思うほどのお仕事ぶりです。この書物には、最後にその新聞社の「OB」記者たちによる覆面座談会が掲載されているのですが、それによれば、記者たちは別に右でもなんでもなく、ただ売り上げのために右の記事を書いているのだそうです。ツイートを見ていると、この書物についてはこの最後の部分に言及するものが多く、なぁんだ、本気じゃなかったんだ、と記者たちの「本音」を知って安心しているようなのがありますが、冗談じゃないありません。自分が信じてもいないことを垂れ流すその態度こそを批判すべきでしょう。「本音」を知って安心するなんていうのは、たんなるロマン主義以外のなにものでもありませんよ、まったく。



10月23日(月)忘れてないよ

 「人工透析患者を殺せ」と言ったやつが落選するのは当然のことだけれども、しかし1票でも投票されたことが、むしろ問題ではないでしょうか。ええもちろん、こんなやつを公認候補とし、比例区でも名簿順位を1位にしていたような政党も、即刻消えてなくなるべきですね。大阪では、というか、隣の市では、選挙区で落選したら比例枠は返上だとかほざいていたやつが、その即刻消えてなくなるべき政党の得意技である嘘をついて、どの面下げてるのか知りませんが、まんまと議員になるそうです。名称変更はあったものの実体としてはほとんど変わるところのないこんなありえない政党から、かつて公認してもらって参院選に出た田中康夫、なんか言ってみろ。



10月24日(火)すべてうんこ

  「法被」が選挙後に増税を言い出して、「おまえらが投票するからだ」と攻撃された自民党支持者が、「別にすべてについて賛成したわけではない」とか言い逃れをするわけですが、じゃあいったい何に賛成したのですか、って訊きたいですね。やっぱあれでしょうか、真の友人同士だと、利用したりされたりなんてしないという、「美しい」友情でしょうか。あるいは、選挙前は選挙中に説明すると言い、選挙中は国会において説明すると言い、選挙が終わるともう十分説明したと、子どものような嘘をつく無邪気さでしょうか。いやいや、忘れちゃいけません、「難民射殺」と堂々と言ってのけてもなーーーんも問題にならない副総理すげー、でしょうかね。でもね、こんなものはすべてうんこですよ。



10月25日(水)おだべり大会

 あれほど理屈にもならない体制べったしの投票棄権を声高に主張しておきながら、旗色が悪いと察知するや、「棄権なんかしない」だの「それはフェイク・ニュース」だのぬかしたやつがいるそうで、その嘘のつき方が、これまた体制べったしですね。こういうポスト・モダン的言説は、「結論なんかなくてもいい」をルール化するようななんちゃらとかいうおだべり大会に通底していると思っています。ついでに言うと、こういうおだべり大会の信奉者は、人文学を「答えのない学問」だとか特徴づけ、だからそこでは何を言っても自由なんだとか、呆けたことを垂れ流します。いいですか、「南京大虐殺はあった」が「答え」であって、「なかった」なんてほざく自由はないんですよ。おのれの言説が何に加担していることになるのか、少しは考えたらどうだ。



10月26日(木)ほほう

 「阪神高山決勝2ラン、阪神3番右翼で出場した高山が決勝の左越え2ランを放った。という見出しがありました。ほほう、「右翼の防護ネットに突き刺した」と。阪ちんの高山は、たしか明大の出身じゃなかったでしょうか。ということは、あのセクトでしょうか。ところが、本文を読むと、「阪神3番右翼で出場した高山が決勝の左越え2ランを放った」と。ん?「右翼」なのか?「左越え」で「右翼の防護ネットに突き刺」すってことは、めっさ極左のはずだけれども、「右翼」って。あっ、ひょっとして、この共同体ではよくある、右翼と右翼の覇権争いなんでしょうか。頼みますよ〜、ちゃんと「左翼」やってくださいな。



10月27日(金)バカ丸出し

 「今日まで党の立ち上げ業務に追われました。明日は、地元大宮氷川神社の明治天皇御親祭150年大祭に参列します。当確の後「バンザイ」の直後に党の開票センター入りし、地元では、ほとんどご挨拶できていません。党務に全力投球できるのも、地元の皆さんの温かいご理解のおかげさまと感謝しています。」あの党首は、なんでこんなバカなことを書いてしまうのでしょうか。天皇が大好きなのはわかったけど、隠しなさいよ。これじゃあ、あんたの敵と変わんないでしょうが。まったくバカとしか言いようがない。



10月28日(土)他に異なる点はどこだ?

 「自分ファ」の人が女性だったせいで選挙に負けた的なことをぬかし、海外ではほとんどまともに受け取ってもらえていないわけですが、しかしそりゃそう言いたくもなるでしょう。何と言っても、核武装を肯定し、隣国の人々を差別し、沖縄で米軍ヘリが大学の敷地内に落ちて抗議を受けても「聞こえな〜い」と言い、憲法を改正しようとしているところは、すべて自民党の面々と同じであるにもかかわらず、つまりこんなに極右なのに、どうして私は負けたのか、ああ、女性だからか、ってことになりますよ。実際、極右のつまらん小説書きで文字をすべて忘れたのに著書を出せてしまう前の知事は、イデオロギー的には大差ないにもかかわらず、女性である点で、この人を差別していますからね。この点に関しては、山本太郎だって同罪です。



10月29日(日)早く滅んでほしい

 ある「聡」明な学者さまによれば、普通選挙じゃダメで、投票のための資格審査制度を導入しないと、ってことになるそうです。ほらほらだから言ってんじゃないですか、この人は、ある研究会にやってきて、核武装している国家があるんだから、平和を語るには核武装しなきゃダメだって断言したんですよ。それがどういうわけか、左翼だとかもてはやす人たちがいたわけですが、とんでもありません。たんなる差別主義者です。書いてるものだって、たんなるナショナリズムにもとづくアメリカ批判じゃないですか。こんなもん、『アメリカの影』とか書いたアホとメンタリティは大差ないですよ。早く滅んでほしい。



10月30日(月)植民地主義者漱石

 その「国民的作家」と呼ばれる人は、昨年が没後100年で、今年が生誕150年なので、2年かけていろんな催し物が行われているようです。この人については、熱狂的なファンがたくさんついていて、非常に残念なことに、柄谷がこの人のことを語りつつ涙を流しているのを見てしまったことがあります。偏見かもしれませんが、この人のファンであると口にすることは、その口にしている当人を鼻高々にする効果をもっているように見受けられ、この人の素晴らしさがわからない者は、ほとんどアホ扱いされる感じがします。ところで、そんなに素晴らしい人だと考えているのなら、『韓満所感』での差別主義的−植民地主義的言説についてどのようにお考えなのか、ぜひお聞かせて願いたいところです。やめてくださいよ、「歴史的制約」の一言で片づけるのは。当時だって、侵略に批判的だった声は十分あったんですから。なんか言ってみろ。



10月31日(火)立命の人とか阪大の人とか

 「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった」(『帝国の慰安婦』83頁)と、何の実証もできずにただ書いただけの人が、名誉棄損で逆転有罪になりました。当然です。そもそも一審でも、書かれたことは真であるから無罪だ、という言い方がなされたのではなく、国家は学問の自由に介入してはいけない、という理由によって無罪だったのです。しかし、その学問の自由の行使が人権を蹂躙するものであるのなら、言うまでもなく、そんな自由は否定されなければなりません。そして今回の高裁の判断では、このことが正しく認識されたというわけです。この自称歴史家は、判決が「先入観に基づく」と言ってるそうですが、じゃあ、どんなふうに先入観をもたなければ、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった」という記述が<朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての<同志的関係>だった>ということを意味しなくなるのか、教えてほしいものです。なんなら、彼女の肩をもつ立命の人とか阪大の人とかが教えてくれてもいいですよ。つーか、教えてください。



11月1日(水)その人たちはもちろん不正だ

 上のような至極まっとうな判断を「韓国の民主主義にとって不幸」と社説を書く朝日新聞のような存在こそが、民主主義にとって不幸以外の何物でもありません。いや、より厳密にいえば、幸福か不幸かなんて善構想の問題ではなく、こんな社説を書く新聞社の存在は不正以外の何物でもありません。「学問の自由が守られるべき研究の領域に踏み込んで刑事罰を決める司法を前に、学者や市民が萎縮しないはずがない」と。ほほう。だったら、アウシュビッツの嘘を学問の名のもとに「自由に」主張するやつらが処罰されるドイツのあり方を、朝日新聞は批判するのですね。ドイツでは、こんな<恐怖政治>のもと、「学者や市民が委縮しないはずがない」のですね。だから、ドイツでは学者が「アウシュビッツなんてなかった」と「自由に」主張できないということですか。まったくバカげた話です。そしてこんな話に乗っかってる学者のみなさん、あなたたちも同罪です。立命の人とか阪大の人とかのことです。



11月2日(木)どあほ

 「東大生に『なぜ自民党支持なのか?』と聞いたら、国が好きっていう事に右も左もないのに好きと言った瞬間、右翼だ!と言われる風潮がバカらしいと。安全保障はリアリズムに基づいてやらなきゃいけないのに、非現実的な議論が国会で多すぎると」←やっぱり若者はよくわかってるわ、と言ってる「現実」がよくお見えになる方がいらっしゃるようで、たしかにたんなる飛翔体で「国難突破解散」とか、真の友人同士は利用したりされたりの関係にはないとか、公務員がお伴しても「私の妻は私人」とか、「非現実的」ですねよー。こんなふうに「現実」のよくお見えになる方たちのことですから、沖縄で機動隊員が差別三昧、暴力三昧を働くなんて、非現実的なんでしょうねー。どあほ。



11月3日(金)どあほVSどあほ

 しかしこのどあほに対して、「東大生のくせに、「国を愛する」みたいな雑すぎる物言いに疑問抱かない時点で東大失格だろ。赤門剥奪だ」とか言ってる人がいて、相変わらずの東大・京大語法になんのためらいもないのですね、と思います。やっぱあれですよね、「「国を愛する」みたいな雑すぎる物言いに疑問抱かない」のは、偏差値の低いやつであって、東大生は偏差値が高いのに、そんなことを言っちゃダメだよってことですよね。ったく、どうしてこういう物言いをやめらんないんでしょうか。かりにこういう人が体制批判してたって、いざ体制に顕彰されるとなると、喜んでどこかへ出かけて行ったりしそうで、まったく信用できませんね。



11月4日(土)人を差別するとそんなに楽しいのかよ

 「いま、毎日放送「メッセンジャーの○○は大丈夫なのか?」なるバラエティで、道行く人の財布の中身を調べるレポート。最後、新世界にて所持金ゼロの高齢男性が移動式看板で暖を取るのを見てスタジオの人間が爆笑。日本政府何とかしてあげてwとナレーション。クソすぎて声も出ない。」というツイートがありました。おっしゃるとおり、実に「クソすぎ」る。しかしあれですよね、障がいのある方のまねをして笑いをとっても「笑いはすべてを超える」と豪語なさった研究者のみなさんは、こんなクソ番組も絶賛されますよね。なんせ、「笑いはすべてを超える」んですからね。それともあれでしょうか、教員に「あれは芸でしょう」と言ってもらって安心して笑うんですかね。あるいは、「所持金ゼロ」の人と大笑いしたことがあるよとかいう、クソのような体験を臆面もなく披露して、何事かを言ったつもりになるんですかね。どあほ。



11月5日(日)「詐欺詐欺」詐欺

 冗談としか思えませんが、「大学在学中は授業料無償化」案をとりまとめた自由民主党とかいう政権与党が実在します。ご存知ですよね、もちろん卒業してから授業料は返済するんですよ。こういうのを「無償」と呼ぶそうです。通常、借金するときに、その額を借りると同時に返済できる人はいないでしょう。100万円借りると同時に100万円返済できる人は、100万円借りませんよね。ということは、借金は、返済を始めるまでにいくらか時間が経過するわけです。あれ、だけど自由民主党の「授業料無償化」案によれば、返済を始めるまでは、それは「借金」とは呼ばないのですよね。なんせ授業料は無償なんですから。だとすると、借金もしていないのに、いったい何を返済するんでしょうか。「大学在学中は授業料無償化」案っていうのは、結局のところ、「卒業後カネよこせ」案ってことですか。まさかこんな「詐欺詐欺」詐欺に引っかかる人はいませんよね。



11月6日(月)誇りとか、やめましょうよ

 普段の晩御飯のひょっとすると20倍くらいの大枚をはたいて参加しなければならない会合なんて、ほんとに場違い以外の何物でもありません。まったく何の罰ゲームなんだかって感じです。本来なら、ずーーーっと、相手に30を言わせる方法をひたすら考え続けるしかないのですが、ときどき発言を求められるので、これまでの人生の中で一度たりとも資本主義を疑ったことのないような人たちの「しあわせな話」を聞かないわけにはいきません。同窓会への学生の入会は、ひとえに現役教員のアピールにかかっているので、現役教員には同窓会がいかに魅力的かをしっかり宣伝してほしい、とか言われても、自分が思ってもいないことをべらべらとしゃべるほど、バカじゃないんですよ、悪いけど。「社長就任人事を新聞記事で読み、出身大学が大阪大学だと誇りに思う。」まったく思わねぇーし。


11月7日(火)マジでわかってねぇ
  
 「国公立であっても学費が高すぎて低所得世帯の子供は獣医学部に進学出来ないではないか」という問いに対して、「獣医学部に行かれている方はほとんどシングルマザーで育てられた人なのか」って答えたのは、ひょっとして、「低所得世帯の子供は獣医学部に進学出来ない」とか言ってるけど、獣医学部に進学したがっているのはシングルマザーの家庭ばっかじゃないでしょ、って言いたかったからなんでしょうか。ちゃんとそう言わないと何言ってんだかさっぱりわからないままですが、こんなふうに理解してあげたからって、「低所得世帯の子供は獣医学部に進学出来ない」って問いに答えたことにはならないですよ、当たり前ですけどね。もうねえ、わざわざ沖縄まで行って差別語を吐いてきた機動隊員の労をねぎらったりするよりも、ちゃんと問いを理解しなさいよ。こんなのが知事を務めるところに住むやつの顔が見たいわ。



11月8日(水)【緊急速報】いずれも「百年前新聞社」より

 午前6時ごろ、ペトログラード労兵ソヴィエトの軍事革命委員会が、政権を掌握。ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の成立を宣言。 =百年前新聞社 (1917/11/08)
 午前9時、レーニンにより「平和に関する布告」「土地に関する布告」が発布される。それぞれ、即時休戦と地主の土地所有廃止を述べる。 =百年前新聞社 (1917/11/08)



11月9日(木)「やったった感」だろ?

 京都地裁の裁判員裁判で初の死刑判決が下され、「私たちが考えた上での判決でやりきった感がある。控訴審ではプロの判断を仰ぎたい」とかおっしゃっている裁判員がいるそうですが、同時に、証人尋問等で専門用語が飛び交い、「理解が追いつかず質問も浮かばなかった。素人にも分かりやすい言葉で説明してほしかった」とかおっしゃっていたりもするわけです。えっ、理解が追いつかなかったんですか? 「素人にもわかりやすい言葉で説明してほしかった」のに説明してもらえなかったんですか? にもかかわらず、「やりきった感」があるんですか? その「やりきった感」て、推定無罪を「ふりきった感」とか、よくわからんかったけど死刑判決を「出したった感」のことじゃないですか。いつの日か、突然夜中に目が覚めて、理解もできていないのに国家による殺人を堂々と肯定して「やりきった」と感じてしまったことを、思い悩み苦しんでください。



11月12日(日)ありえない

 所属学会の大会が2日続けてありました。カントが死刑制度を認めていることを、カントの法論に内在的に正当化するような議論を聞きましたが、そうした営為が成功すればするほど、カントの法論はダメな代物だという証明がますます成功してしまっていることになるなんて、発表者はけっして考えたりしないのだろうなぁと思いました。なんといっても、国家による殺人を正当化できるような法論なんですよ、みなさん、って主張しちゃってるんですからね。裁判員制度が導入されたときに、法の素人でも死刑を宣告できるんだぜ、と喜んでみせた梅沢を、上品にアカデミズムの作法にのっとると、こんなふうに表現できるというところでしょうか。



11月13日(月)家でやってよ
 
 ある規範の妥当性について合意を達成したとしても、その妥当性を私が確信できなければ、その合意には意味がないとかいう、言ってることがほとんどイミフな吐露もありました。あれはなんだったんでしょう。「討議に参加できない者もいて…」的な言説は、もう大昔から繰り返されてきた討議理論に対する批判ですが、どうやらそういうタイプのものでもないようで、文字通り、ほとんどイミフなのですよ。あれでしょうか、対他関係を抜きにした自己確信を吐露すると、対他関係を抜きに成立しているのだから他者には理解できないんだよ、ということをパフォーマティヴに示してみせた、ってことなんでしょうか。もしそうなら、もはや取り合うことはできないわけですが、しかしオ○ニーなら家でやってよ、と言いたいですね。



11月14日(火)逮捕してもいいレヴェル

  「朝日新聞、死ね」とツイートするような国会議員がまさか存在するわけはないだろうとお考えの向きもいらっしゃると思いますが、存在するんですよ。しかしこんなことを言うような国会議員は、普通なら選挙区で落ちるでしょ、と思いますよね? その通り。選挙区では落ちたんです。ところが、選挙区で落ちたら比例枠は返上とかおっしゃっていたこのご当人、驚愕すべきことに比例で復活してるんですよ。さすが自分の言葉に責任を持てる人は違いますよね、と思っていたら、「死ね」も自分は許容していないが社会が許容しているから使用したんですと。ほほう。社会は、この手のことを繰り返す人に対して、「舌を抜くぞ」と言うもんですが、ちゃんと許容しましょうね。



11月15日(水)500%あるまい

 ヘリポート建設反対派の人権を蹂躙するためにわざわざ沖縄まで行ってきた機動隊員の労をねぎらう知事がいて、立場の弱い者に暴力をふるってその反応を楽しむという芸風のコンビのうちのひとりがその知事のボケにいつもの暴力的ツッコミを入れるということがあって、それを見たよいしょ芸人であるコンビのもうひとりが「みんな楽しそうでした」とか言って、「大阪って良いな」だそうです。これって、言うまでもなくボケてるんですよね。知らぬ間に、ちゃんと自己反省的な芸を身につけていたんですね。いやぁ、立派立派。ずーーーっと、権力にすり寄るたんなるおべっか暴力芸人かと思っていましたよ。



11月16日(木)クソボケ

 「社会に出るのは花嫁修業だ。」というハラスメント・コピーのついた企業の広告が、多くの学生が利用すると思われる東西線のあの駅に貼られているそうです。そのハラスメント・コピーの下に、「冗談じゃないんです。」と書いてあるのですが、まったく冗談じゃねーよ。こんな差別以外の何物でもないクソポスターの掲示も、カネさえ払えば許されるのは、資本主義がすべてに超越するからですか? しかしこれは差別という不正ですよ。不正をカネで買い取ってよいわけがありません。こんなクソ企業やらクソコピーライターやら、クソポスターの掲示を認めたクソメトロのクソ関係部署は、法の下で裁かれてください。



11月17日(金)はいはい

 子どもがいない者は増税ですか、そうですか。やっぱ罰金ですよね。侵略戦争は忘れて被害者意識だけを持ち続けましょうというプロパガンダを機能させ、唯一の超大国と一緒になって大々的に軍事演習をやらかし世界中が公認するいじめの対象を挑発し続け、沖縄では軍事施設建設反対派の人権をせっせと蹂躙しながら自然破壊に精を出し、政府与党が高等教育「無償化」という「詐欺詐欺」詐欺をぶち上げ、国会の開会を議長席の背後の一段高いところから宣言するような選挙で選ばれたわけでもないのが存在する国家のために、子どもを作ることができないんですからねー。はいはい。



11月18日(土)やっぱ討議しないとね

 今日は「世界哲学の日」記念講演会がありました。2年前はテーマもやり方も最悪バビロンチョだったので、出勤はしていましたが、部屋でせっせと仕事に励んでいました。今日は、もちろん質疑応答に関してまったく首肯しかねるところもありましたが、しかし、それぞれが言いたいことを垂れ流し合って最後に「いろいろな意見があることがわかってよかったです」などとゴミのようなまとめが行われるクソの会にはならず、ちゃんと哲学研究者たちの集まりらしく討議が行われて、それはそれはよかったです。悪貨が良貨を駆逐したりしないことを願います。



11月19日(土)超越しねーし

 今年度の文学研究科でのハラスメントに関するFDは、LGBTをテーマとすることとなり、その概要が先日の教授会でアナウンスされました。そこでふと思ったのですが、「笑いはすべてを超越する」系の人たちは、LGBTを笑いものにすることも肯定するのでしょうか。肯定するでしょうねぇ、なにしろ「笑いはすべてを超越する」とお考えであり、精神障がいのある人の真似をする芸人のパフォーマンスを笑ってもよいと主張なさるんですから。だとすると、この手の人たちにかかると、FDによってLGBTのことを正しく理解し、そして笑いものにしてもいいよ、ってことになるんですか。きっとあれですよね、自分の知り合いにはLGBTに該当する人がいるけど、その人とLGBTを笑いものにしたことがあるよ〜、といういつものクソのようなくだらない個人的体験を語り合ったりするんですよね。そんなクソ体験は差別を正当化しないんだよ、ボケ。



11月20日(月)またしてもクソ経験の一般化

 田原なんとかというのが、「国連の日本の報道の自由に対する懸念はやや過剰すぎると思う。 僕が経験している限り、報道の自由に対する政府からの圧力は殆どない。 むしろ、それぞれの企業の上層部が、いわば自主規制をしているのである。」とかツイートしてますが、「だっておまえは「圧力をかける価値すらない」だろ。」と突っ込まれていて、大笑いです。おまえみたいなテキトーに政府批判してみせてその実、体制べったしのやつは、あっちにとって好都合なんだよ、そんなこともわからずに、「僕が経験している限り、報道の自由に対する政府からの圧力は殆どない」とか言ってんじゃねーよ。そもそも、おまえのちんけな「経験」を一般化するな、ボケ。



11月21日(火)歴史修正主義者のせいです

 田中康夫が参院選東京選挙区から立候補したときに公認してもらった政党に所属するどっかの市長が、沖縄まで差別語を吐きに行った機動隊員の労をねぎらったどっかの知事と同じように、なんとかの一つ覚えみたいに「朝日新聞のねつ造」というねつ造にのっかって、姉妹都市をやめると言ってるわけですが、当の朝日新聞では、姉妹都市であったことによってこんなによい交流ができていたと、姉妹都市解消を惜しむ声を特集していました。しかしその記事のどこを探しても、姉妹都市解消の責任が歴史修正主義者にあることにふれられていないのですよ。惜しむ声を発する人たちがまったくそのことに言及しなかったのか、言及したけどそれがカットされたのか、どっちだか知りませんが、その記事のままでは解消があたかも天災によるかのごときです。田中康夫、なんとか言ってみろ。



11月22日(水)ふざけんな、エスパー

 みなさ〜ん、神戸に世界一のクリスマスツリーを設置すると復興と再生のシンボルになるそうですよ〜。へ〜。まさかその木って、プラントハンターとやらに「人知れずひっそりと自生していた落ちこぼれの木」とか言われちゃった樹齢150年の木じゃないですよね? そのプラントハンターとやらって「植物は旅をしたがってる」とか言っちゃうエスパーじゃないですよね? まさか「落ちこぼれの木」という文言を削除したりもしないですよね? 「日本の植物界の革命児」って、「革命児」と言われるからには、最低でも、天皇制の打倒をお考えですよね? 「イルミネーションは最小限のエネルギー」を利用するそうですけど、そんなもん作らなきゃ、最小限のエネルギーさえ使わなくてもいいんすよ?



11月23日(木)ふざけんな、クソ・コピー屋

 そしてこういうのをもち上げるのが、メンタリティが80年代で止まったままのコピー屋で(公平さのために言っておくと、メンタリティが80年代のままなのはコピー屋だけではなく、ちょっとだけ難し気な、しかし内容は皆無の、あるいは反動的なエッセイを書く哲学研究者にもそういうのはいます)、「冷笑的な人たちは、たのしそうな人や、元気な人、希望を持っている人を見ると、じぶんの低さのところまで引きずり降ろそうとする」とか言うんですが、「おいしい生活」なんてもんが消費社会にあぐらをかいただけの冷笑主義以外のなんだったんだって言うんですかね。不公平をぎゃあぎゃあ騒いだってなんにもできない、正義の味方をするのはやめて消費社会を楽しめばいいじゃんていうのが、あんたのゴミ・コピーだったわけでしょ。他人を犠牲にしていることを知らないふりして「たのしそうな人、元気な人、希望を持っている」ようなのを批判してなにがおかしいんだ? おまえの言説こそが、シニシズムなんだよ、ボケ。



11月24日(金)なにが神聖だっ

 九州のどっかの市議会に7ヵ月の子どもと一緒に議場に入った女性議員の行為に反対するやつが、「議会は神聖な場」とかなんとか言ってるそうです。やっぱそうですよねー、エッチした結果できたものをもちこんだりしたら、そりゃ神聖じゃなくなりますよねー。つーことはあれでしょうか、やっぱそういうことをおっしゃる方を産み出したのは、マリアさまかなにかなんでしょうかね。しっかし、マリアさまから産み出されたわりには、偏狭ですねー。そんなことでは、人類の罪を背負っていけないですよー。いや、問題はそいつが偏狭かどうかじゃない。そいつがミソジニー丸出しなのに、それを神聖性の問題としてごまかそうとしている点だ。たんなる差別主義者なんだよ、あんたは。



11月25日(土)田中康夫は謝罪した?

 これまでの言動からいって、あの知事が、歴史修正主義者の歴史認識がいかに間違っているかを地道に実証して見せている研究のどれかひとつさえまともに読んだこともないのは、まあ自明です。きっと、前任者が垂れ流すデマをせっせと信じてきたのでしょうし、これからもそうやって生きていくのでしょう。では、あの市長はどうなのか。相変わらず、「吉田証言」が切り札になると考えている時点で、これまた前任者の垂れ流すデマをせっせと信じているのでしょう。言うまでもなく、だからといってあの知事やこの市長が免罪されるわけではなく、また不正を犯しているのはこれらの面々だけではありません。田中康夫は、ちゃんと謝罪文でも書いていますか? 書いたって許さないけどね。



11月26日(日)しつこいよ

 ベルリンにある国際平和団体「国際平和ビューロー」(IPB)が、辺野古移設反対派に国際平和賞を授与することになりました。ということはですよ、この反対派を暴力的に弾圧し排除することに血道を上げる日本政府は国際平和に反しているということになりますね。まあ、そんなことは、武装したやつらが無防備の反対派を力づくでどかす様を目にすれば一目瞭然なんですが、皇軍は国際標準で平和に反しているということが改めて確認されたことになります。ところで、この反平和活動に差別語とともに勤しんだ機動隊員の労をねぎらったやつが所属する政党に公認してもらった田中康夫は、息してるんでしょうか。



11月27日(月)差別主義者たちによるお掃除

 週末に研究会のため、東京へ行きました。定宿とは異なるところに宿泊しました。そんなわけで、大手町の駅から悪の巣窟の方向へ歩くと、これまた経団連会館とか日経ビルとかの邪悪な建物を通り過ぎることになり、そしてほんの数分で、なんと竹橋の駅に至ります。これって、もはや大手町と竹橋の間はカネとっちゃいけないってことじゃないでしょうか。あるいは、歩いたんだからカネよこせ的な。悪が集中するこの界隈で、今朝は宿泊先で、モラロジーがどうとかこうとか、悪の巣窟「勤労奉仕会」がどうしたこうしたと書かれた揃いのウインドブレーカーを着た差別主義者の一団と出くわしてしまいました。こっそり撮影してアップしてやるかと一瞬思ったのですが、あんなやつらの画像が自分のスマホに残るのが嫌で、断念しました。わざわざ千葉から泊りがけでお掃除って、どんだけ差別がお好きなんでしょうか。



11月28日(火)あああ

 憲法9条を「日本人」は無意識のレヴェルで維持するとか言い始め、『憲法の無意識』なんて新書を書いて岩波の商業主義に加担した段階で、問題はあったわけです。それはけっして、池田信夫みたいな差別主義者が言うように、「平和ボケ」だからではありません。『日本近代文学の起源』をはじめとして、あれほどネーションなんてものの虚構性を問題にしてきた人なのに、まるで実体があるかのように「日本人」の無意識みたいなものを何の躊躇もなく語ってしまった点が大いに問題だと思うわけです。無意識のレヴェル云々という言説そのものによって人々を憲法擁護へ導こうというのは、いかにも岩波文化人のようなしぐさであって、ある意味ではよくわかるのですが、しかしこれだと「日本人」から外れる人たちのことはもはや念頭にないってことになりませんか。



11月29日(水)寝言ですか?
 
 この手の素朴なネーション実体化は、「9条のための1条」などという寝言に一直線です。「9条のための1条」などという世迷言が言えるのは、あの悪の巣窟の住人が「9条の庇護者」になっているからだそうです。さらに、「おことば」をしゃべる悪の巣窟の住人が「日本国家の『戦争責任』を自ら引き受け」ているなどと、呆けた話は続いていきます。やつらが日本国家の戦争責任を自ら引き受けたことが、これまで一度でもあったんですか。やつらの肉親である宣言をするまでは神だったやつが戦争を始めたのに、その責任をとらないどころかまんまと国民総意の象徴になったまんま死に、その体制は一度もひっくり返ることなくずっと続いているのですよ。カントやらマルクスやらを読まなくたって、そんなことくらい知ってるでしょ。いくらなんでも、話が雑すぎる。



11月30日(木)まさかあんたもそうとは・・・

 どうしてこう、一皮むけば天皇主義者であることを臆面もなくゲロってしまう知識人ばっかなんでしょうか。歴史修正主義者の知事や歴史修正主義者の市長が所属する政党に公認してもらって立候補した田中康夫とつるんでいる、3.11後に反原発運動する者を「よほどのバカか、偽善者」と、私はすべてお見通しでしたよ的に冷ややかに言ってのけたあれなんかより、はるかにまともな人だと思っていたのですが、この天皇についての発言には、さすがにあきれ果ててものが言えません。これじゃあ、アジアの侵略戦争の被害者2,000万人に向き合うためには、まず自国の300万人の死者を弔わなければならないという大声の寝言を言ったバカとか、天皇と霊的につながるアホとか、臣民高橋とかと、まったく変わらないじゃないですか。Dの研究をする前に、発言を撤回したら?



12月1日(金)読む気も失せた

 もう知識人面してしゃべるのはやめた方がいいこの人の『日本近代文学の起源』を使ってハイデルベルクでゼミをしたとき、最後に、通常ならニッポソの哲学と言えば〇〇学派を取り上げるものかもしれないけど、やつらはプロパガンダとして侵略戦争に積極的に加担したくせに戦後になってなんの責任もとらなかったんだよってことくらいは言っておこう、と真相を伝えておいたのですが…。来年はエッセンでこの人の世界共和国論を使ってゼミを開くことになってしまったのですが、いったい何をしゃべればよいのやら。そもそも、これから必死になって講義ノートを作らないといけないのに、もはやまったく読む気が失せてしまった…。何をどう立派に語ろうと、結局は天皇主義と無関係じゃないわけで、要するにクソじゃないですか。



12月2日(土)「死んでも出来ない」ことができる大先生

 歴史修正主義者の知事と歴史修正主義者の市長が所属し、ぺろぐりが立候補して落選した(ざまぁみろ)際に公認してもらった党に所属するありえないほど臆面のない大政治家さまが、「義務を果たさず、権利だけ享受する。 私には死んでも出来ないな。」とかツイートされています。あれ、この大先生、選挙区で落ちたら比例区で復活なんてしないとおっしゃったのに、選挙区で落ちて比例区で復活なさったんじゃなかったでしたっけ。自分の言葉を守るという義務は果たさないけれども、選挙区で落ちて比例区で復活する権利は享受するわけですよね。つーことはこの大先生、「死んでも出来ない」ことを、生きながらにしてなさっていることになりますねー。ぺろぐり、ちゃんと責任とれよ。



12月3日(日)矮小化すんな

 神戸に世界一のツリーとかいう愚行をやらかして批判された方は、てっきり改心して引っこ抜いたその大木を元に戻したのだと思っていましたが(嘘)、「ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」とかほざいているそうですね。ほほう。つーことは、「ヘイトスピーチを聞くのが嫌な人は聞かなきゃいい」ってことになりますかね。そしてツリーを見る人はツリーを見るのが嫌じゃない人だし、ヘイトスピーチを聞く人はヘイトスピーチを聞くのが嫌じゃない人なんですねー。いいですか、そもそもあんたは不正を犯していると批判されているのですよ。正/不正の問題を、好き/嫌いの問題に矮小化すんじゃねーよ。



12月4日(月)たんなる不正

 そしてその不正をやらかしているのに「見なければいい」と居直るやつは、「子どもたちに緑が元気な本物の木を見せたかった」とかほざいているらしいですね。ほほう。「子どもたちに緑が元気な本物の木を見せたかった」のなら、子どもたちを募って大木が生えていた富山県のその場所へ、案内すればよかったではないですか。そうすれば、そのさぞや高潔な志が、コマーシャリズムじゃねーのかよ、などという下司な勘ぐりにさらされることもなかったのですよ。いまからでもけっして遅くないので、元に戻すべきです。げーじゅつはやったもん勝ちなんて、思っちゃダメです。それはたんなる不正です。



12月5日(火)エスパーなら呪われる

 その不正をやらかしてるやつに引っこ抜かれ、暴力団事務所がたくさんあるのにそんなものは一切ありません的なおしゃれイメージをばらまく街に運ばれてきた大木は、その後、あろうことか神社の鳥居なんかにならなきゃいけないそうです。木に魂がなくてよっかたね案件ですよ、まったくね。そんなものがあったら、呪い殺されちゃいますよ。あれ、でもこの不正男、「木は旅をしたがってる」ことがわかってしまうエスパーじゃなかったでしたっけ。つーことは、木の呪いも通じるかもしれませんね。これから毎日毎日、夢に引っこ抜かれた大木が出てくるというわけですか。その前に、元に戻したらどうでしょう。



12月6日(水)○○○○○の考え方

驚くべきことに、というか、ほんとはもはやちっとも驚かないけれども、次のように告ったうえで、しかもあの人たち特有の言い回し、つまり、「というのが私の考え方です」とは口が裂けても言わず、「というのが〇〇〇〇〇の考え方です」と党名で締めくくるツイートをしている人がいます。「戦前のように立法、司法、行政など一切の権限を握っていた絶対主義的天皇制とは異なり、現行憲法下の天皇の制度は「国政に関する権能を有 」しません。だから日本の民主主義的変革や社会主義的変革の障害にはなりません。天皇の制度も含めて現行憲法を厳格に守る」そうです。なるほど、「おことば」によって国会議員を動かしたのは、あれは「国政に関する権能」の発揮ではなかったんですね。つまりあれですか、一介のじいさんが疲れたから仕事を辞めたいと言ったら、国会議員が勝手に動いたということなんですね。まさにこれこそが問題なのに、党としては問題ないとお考えなんですね。で、あんた個人はどう考えるのさ、と思いましたが、個人なんて存在しないのでしたね。


12月7日(木)「ありえへん」

 少し前に、おばちゃん党の代表代行とかいう人が、米軍ヘリが墜落(あれ、ひょっとして不時着?いや、ヘリはちゃんと墜落するのか)し炎上した東村高江の事故現場を訪ねたということが記事になっていました。燃える機体と消防士、被害住民を置いて現場を離脱した米兵の行動に「ありえへん」と怒った、とのことです。しかしこんなことをしっかりできる人が、なぜ「苦しい立場の国民に寄り添ってこられた陛下。首相より本気だ」とか言ってしまうのか、まったく理解できません。沖縄に基地を押しつけていることと、天皇制とは、この方にとっては別のことなんでしょうか。それともあれでしょうか、沖縄に米軍がいることを批判しつつ、天皇制を擁護するってことは、要するに自前の皇軍をもとうってことですか。「ありえへん」



12月8日(金)朽ち果ててくれ

 強制わいせつの疑いでバレエダンサーが逮捕されたというニュースにぶらさがっているコメントが、まあ、予想通りクソです。「そんなことしなくても、いくらでもやらせてくれる女性はいただろうになぁ?」と。「よほど被害者の女性が魅力的だったのか?不思議だ…」か。間違えました。たんなるクソではありません。これはもう、差別以外のなにものでもなく、差別主義者であることをみずから証言する発話にほかなりません。レイプなんかしないで買えと言った米軍のアホと同じです。痴漢に遭ったのはあなたが魅力的だからですよとほざいたバカポリと同じです。束になって人知れず朽ち果ててくれ。



12月9日(土)何の不思議もない

 「吉田証言」を根拠に強制労働させられた「慰安婦」の存在を主張している学者なんて存在しないのに、こうした藁人形をこしらえて、政治哲学を専門領域とすると自称するやつが、歴史修正主義にのっかって発言を垂れ流す。そんなやつが専門にする「政治哲学」ってなんだろうと調べたら、ハハハ―、レオ・シュトラウスですか。そこに因果関係があるかどうかは知りません、と言っておきましょう。でも、レオ・シュトラウスなんですね、専門は。そして、ろくに勉強もせずに歴史修正主義に加担するんですね。ふーん。少なくとも、アブダクション的には結びつくでしょうね。



12月10日(日)『デッドマン・ウォーキング』

 死刑廃止論者であるひとりの神に仕える人が書いた本を元に、その人自身が主人公として描かれる映画で、一応、死刑制度の廃止を訴える内容ということになっているのですが…。しかし死刑執行が確定的になって、聖書を読み、真実を話すことによって魂が救済されることになるなんて話だと、魂が救済されることになるのならやっぱ死刑制度があって実際に死刑が執行される方がよいではないか、ってことにならないでしょうか。魂の救済なんてどうでもいいから、ともかく国家による殺人は認められないってことで十分でしょう。映画は95年のものでしたが、いまでも死刑廃止論者は共産党員だという「噂」は流布しているのでしょうか。そもそも「党」が実在しているとしたら、なかなか驚きです。



12月11日(月)承前

 最後の処刑のシーンでショーン・ペンは、両腕をそれぞれ横に伸ばした形で固定されたまま立たされ、「真実」を口にするのですが、形象的にはもちろん、ある歴史上の人物になぞらえているのでしょう。死刑廃止論者としては、真実を口にでき心から悔い改めることのできた人がこうして死刑に処せられることによって、もはや人類は死刑を必要としないのだ、ということになるのでしょうか。しかし人類の罪はすでに、ある人が背負ってくれたのではなかったのでしょうか。それをなぜもう一度、ここで繰り返さないといけないのか。こんなことを繰り返すことなく、国家による殺人は不正であるという理由だけで死刑制度を廃止すればいいじゃないですか。心の問題と制度の問題をごっちゃにしないでほしい。



12月12日(火)「悪意」とか「真意」とか

 そういえば、恣意的な引用によって人の名誉を棄損する主張を学問の名のもとに行い、その主張がことごとく学問的根拠を欠くものであることを指摘されて、まったく反論できない人が、批判者には「悪意」があると言い、自分の「真意」の理解を求めていますね。この方は、問題を国家による学問の自由の侵害という一般的にはあってはならないことへとずらしてごまかそうとし、それに賛同しちゃう知識人もいるそうですが、もし学問の自由の侵害だと言うのであれば、反論の一つにも答えて見せるべきであり、それが学問というものです。人の「真意」やら「悪意」やらを探るのは、たんなるカード占いのレヴェルであって、学問とはなんの関係もないですね。そしてカード占いを根拠に、人の名誉を棄損しちゃいけないことは、自明でしょう。



12月13日(水)忍耐ゲーム

 朝からPCの動きがいつにも増してにぶいので、昼過ぎに仕方なく更新を始めたら、なんと100分かかってやっと再起動しました。しかしこんなところで喜んではいけません。<更新するプログラムがあります>だの言われ、「はぁ〜?」と思っていたら、<これはオンライン時のユーザーを保護するためのもの>的な、恩着せがましい文字が表示されます。ここでようやくわかりました。これは忍耐ゲームだったのです。このゲームに負けてPCをぶったたき、ぶっこわしたら、また1台買わないといけなくなるという仕掛けです。じゃあ、ゲームに勝つとどうなるか。次の忍耐ゲームに参加できるようになります。わっはっはー、すげーぜマイクロソフト。これだから、マック・ユーザーになんて絶対になるものか。



12月14日(木)優秀な記者ってか

 南京大虐殺から80年の昨日、南京で行われた追悼行事に大韓民国の大統領が出席したのですが、それを伝える朝日新聞デジタル版の記事がクソすぎます。「南京陥落の日事件の犠牲者らに寄り添う姿勢を示し、南京の追悼行事に参加した習氏との距離感を縮める狙いがあるとみられる」だと。自分には政治というものがどういうものかわかっている、こういう「裏の意図」を暴くのが記者の務めであり、それができる自分は優秀な記者だ、ってところでしょうか。ア○丸出しですね。なぜ、大虐殺の被害者たちに哀悼を捧げるため行事に参加した、と書けないのですかね。ああ、そうか、あの大統領は「反日」だから、ネガキャンするのも記者の務めなのか。だったらお務めごくろうさま。どっかの知事が差別語を吐いて帰ってきた機動隊員にかけたねぎらいの言葉をやるよ。



12月15日(金)平常運転じゃん

 今年の漢字とやらが決まったそうで、その手の催し物はすべてクソだと思ってきたのでこのこと自体についてはやっぱクソだと思う以外に何の興味もありません。しかしこれについて、「坊〇まで忖度し始めたか?」とか「清〇寺、お前もか」とか、寝言を言ってるぶらさがりがあって、ああ、こういう信心深い人たちがあの悪の巣食う街を支えているのだろうなぁと思いました。時の権力者にすり寄らない宗教者が有史以来どれほどいたと思っているんでしょうかね。お追従は、ほとんど、宗教者の定義に含まれてるんじゃないかと思うほどですけどね。ああ、そういえば、イラク戦争に皇軍が参加することに賛成した宗教者の一群もいたじゃないですか。姉妹都市解消の議決にも賛成した宗教者の一群とか。憲法違反の安保法にも何が秘密か秘密だ法にも共謀罪にも…(以下略)。



12月16日(土)「心のふるさと」なんだけど



 いろいろと提出しないといけない書類が山のように降ってきて、しなくてもよいことまでわざわざやってしまい、やらないと半年後にとても生きていけなさそうなことがあるのにそれはまったく手つかず状態で、あまりにも辛すぎるのに、こんなところへ来てしまいました。ここへ来るまで、差別主義者にして歴史修正主義者であり、首相とか獣医学部命の方とまぶだちで一緒にバーベキューしてHPにうぷしてしまう方のポスターがそこらじゅうに張りめぐらされていて、もう脱力するしかなかったのですが、ひょっとしてやつの地盤は16号を越えてこっちにも及んでいるのでしょうか。いずれにしても、まあ、八王子は元々保守的な街でした。そして呉服屋の娘が自称「立法府の長」およびスーパー私人と会食しても、何の不思議もありません。クソみたいな話ですけどね。



12月17日(日)どのへんが?

 そのコラムニストによれば、ひとりの映画関係者が、大物プロデューサーによるセクシュアル・ハラスメントを告発した後で、「me, too」と続々と被害者たちが名乗りをあげることは、「尻馬に乗る」ことになるそうです。コラムニストなんだから、少なくとも言葉遣いくらいには脳みそを使っているでしょう。ということは、この方は、もちろん考えた末に「尻馬に乗る」という、通常ネガティヴに使用される言い回し(「尻馬に乗るな」とかね)を使っているわけです。このコラムニスト小田嶋について、「ほかのことについてはまともなことを言うのに…」とか言ってる人もいますが、ほかのことについてもまともですか?



12月18日(月)何の不思議もない

 自称哲学者が、櫻井よしこに対する批判は、その思想ではなく、まず「大年増の厚化粧」批判から始めるべきだとか言ってるそうです。まあ、その女性差別丸出しの発想では、櫻井よしこの思想は批判できないでしょう。櫻井よしこの思想を批判できないその差別主義者によれば、「大年増の厚化粧」は、もはや一文字も書けなくなったけど新書は出せるあの差別主義者が言い始めた「政治用語」だと。ほほう。「細部に政治は宿る」という意味では、「政治用語」かもしれませんが、この差別主義者がそんな立派なことを言うとは、なんとも感心しましたよ。感心したので著書をチラ見してみたら、小林秀雄とかベルクソンとかね…。もちろん、演繹的推論はしません。しかし、アブダクション的には、そらそうよ。



12月19日(火)国家による殺人

 国家による殺人がありました。自民党が政権に復帰した2012年12月以来、これで21人を殺したことになるそうです。執行した法務大臣は(こういう言い方をすると、「<執行した>のは法務大臣じゃない」とか言い出すアホが必ずいるけどね)、就任時に、死刑執行について「鏡を磨いて磨いて磨いていく、そういう心構えで厳正に対応したい」と述べた、と報道されています。国家による殺人がなぜ許されるのか、私にはまったく理解できませんが、「鏡を磨いて磨いて磨いていく、そういう心構え」がいったいどういう心構えなのかも、私にはまったく理解できません。あれなんでしょうか、「鏡を磨いて磨いて磨いていく、そういう心構え」をもつと、殺人をなんとも思わなくなるということなんでしょうか。もしそうなのだとしたら、確実に言えるのは、「鏡を磨いて磨いて磨いてい」ったりしてはいけないということです。



12月20日(水)弾圧するな

 科研費研究の内容に対して3Kがイデオロギー的にケチをつけ、これももちろん、報道の自由にも言論の自由にもまったくあてはまらない、たんなる権利侵害にすぎないわけですが、これに乗っかってプレッシャーをかける政府与党って、毎度おなじみの権力乱用なのですが、もはやおなじみすぎて、「さもありなん」で済ませてしまいそうです。ちょうど、行政府の長が自分のことを「立法府の長」だと発言し、さらにそれを議事録から削除させても、副総理が難民殺せとかナチスを見習おうとか言っても、ああ、また言ってるよとか、ああ、またやってるよとか、思ってしまうようにです。しかし、言うまでもなく、バカな発言は「バカな発言だ」と言い続けなければなりませんし、科研費研究の内容に介入するのは、学問の自由に対する侵害だと言い続けなければなりません。パージの対象を設けるのは、恐怖政治以外の何物でもありません。弾圧するな。



12月21日(木)消えてください

 「国家安泰を目指す角界でなくてはならず“角道の精華”陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります」とか寝ぼけたことを言ってるやつがいるそうです。そんな差別主義者の権化の言葉を胸にして国体を担うような団体なんて何重にも存在しなくてもよいから、というか、存在してはいけないので、役割があるとしたら、自爆することですね。とっとと消えてなくなってください。あってもいいし、なくてもいい、じゃないですよ。不正はあってはならないんです。←左翼のこういうところが怖い。←右翼のこういうところが不正だ。



12月22日(金)何でもする所存

 てっきりボツになったと思っていたある公募、たんに採択の通知が遅くなっていただけだとわかり、この1週間、何をしても、ふと「でも、ボツなんだよなぁ」と気分が沈んでいたのに、瞬間湯沸かし器的単細胞のため、ぱぁーっと視界が開けた感じです。「だろ、落ちるわけねーじゃんな」などと強気になれるのも、やはり単純なせいでしょう。もう、いまなら右の頬を打たれても左の頬を差し出しそうですよ。



12月23日(土)権利は要らんだろ

 諸般の事情により、日比谷のシャンテで映画を観ることになり、開演前に近くの店でコーヒーを飲んでいたら、すごいのが入ってきて撮影したくなりましたが、種々勘案のうえ、断念しました。そいつは、堂々と小旗を手にしていたのです。きっと、振ってきた帰りなのでしょう。もう選挙権とか要らないタイプの方です。もちろん、内田や高橋だって要らないはずですけどね。「リベラル」のつもりになってるんじゃなくて、「私のような臣民には主権は不要です」とちゃんと言うべきです。なんちゃらとかいう、タイトルを読むだけでもさぶいぼが立ちまくるクソ本を出したばかりだそうですが、きっとそういうことが書いてあるんでしょうね。しかしお前には言論の自由も不要だろ。



12月24日(日)『否定と肯定』

 これを観たのですが、ダイアナの離婚にかかわったという凄腕の弁護士が出てきて、ダイアナって離婚したんだっけと、つくづくあれ系の話は記憶から抹消してしまう自分に酔いしれました。ヒトラーの命令がなかったことを主張する修正主義者が、その主張の「根拠」を作り出すために、元の文をどのように恣意的に改ざんするかが示されましたが、そういえばコンテクストから切り離した文を恣意的に引用してみずからのファンタジーを「根拠」づけ、およそ学問とはみなしえないその所業をことごとく指摘されると、真意の理解を求めるというふざけたやつがいますが、そいつやその支援者たちは、たとえばこの映画を観たとしたら、後ろめたく思うのでしょうか。それとも、自分とは関係のないことだと思うのでしょうか。きっと後者でしょうけど、そこにもまた「否認」があります。



12月25日(月)ご存知ない???

 「民主主義は憲法の普遍的価値を踏みにじることもある。だからこそ憲法は民主主義の正統性とは別のラインに天皇制を置き、【民意によっても乗り越えられない普遍的価値】を体現させようとしたと考えることもできる」とかって「考えることができる」ありえない学者さまがいるそうです。その天皇制とやらが、そもそも普遍主義に反する制度じゃないんですか。民意によっても乗り越えられない普遍的価値っていったいなんですか。まさか天皇制とかって答えるんじゃないでしょうね。それはまごうことなき論点先取ですよ。ご存知ですよね、たった80年ほど前に、天皇の名のもとに侵略戦争をやらかしたことを。それが民意によっても乗り越えられない普遍的価値なんすか。バカも休み休みじゃなくて、ずーーーっと休んでいてください。



12月26日(火)政治以外の何ものでもない

 「もはや巨大エンタテインメント!宮下公園再開発に伴い、渋谷明治通りケヤキ並木沿いに設置された、高さ3m全長200mの仮囲いが、巨大なアートのキャンバスに。制作期間は約2ヶ月、ストリートアートの新しい可能性に挑戦する世界最大級のチャレンジ。この歴史に残る大作を一緒に完成させましょう!」などという「アート系」のお誘いがネット上に掲載されています。「宮下公園再開発」って、民族の祭典の名のもとにホームレスの人たちをその生活の場から強制的に立ち退かせ公園を「再開発」する営みのことですよ? こんなことに、「アート系」のみなさんはほいほいと参加しちゃっていいんですか。アートは政治じゃないですからねー、とかって言いますかね。いいですか、こんなものに参加することは、間違いなく「歴史に残る」暴挙への加担ですよ。都合よくアートと政治を切断してはいけません。



12月27日(水)差別をまき散らすなよ

 ある大学は広報に財力を注いでいるそうで、専門のなんとかレーターとかなんちゃらザイナーとかも雇っているのですが、責任者でしょうか、一番偉い人でしょうかが、インタヴューに答えていました。その大学には「女の子」が多いのだと。そのことが大学にもたらすメリットを尋ねるぼんくらインタヴュアーの質問には、「優秀な男子学生が集まる」という答えが返ってきて、ぼんくらインタヴュアーが納得するという地獄絵図のようなやりとりがWeb上に展開されていました。これはあれですかね、大阪差別大学の広報なんですかね。そういう意味じゃ、パフォーマティヴにばっちり伝わっています。さすが、学祭においていまだにミスコンをやめられないことはあります。ほめてないからね。調子に乗らないでくださいね。



12月28日(木)「気持ちの乗った130キロ」

 新聞社の論説委員というのは、新聞に論説を書く委員のことでしょう。論説とは、論説文によって構成されるものでしょう。したがって、新聞社の論説委員は論説文を書くことがお仕事だと思うのですが、そのお仕事に関して、「読者に読んでもらうには身体性のある表現が必要だと思っています。」とおっしゃる新聞社の論説委員の方がいらっしゃるそうです。私にはすでに、「身体性のある表現」が、まったく理解不能です。こんなバカな読者のためにでしょうか、「身体性のある表現」が用いられた文章は「筆者の感情を込めた文章」であると説明してくださるのです。あああ、依然としてまったくわかりません。文章に感情を込めるって…。ひょっとして、「気持ちの乗った130キロ(の直球)」みたいなもんでしょうか。


12月29日(金)体温が感じられる文章

 やっぱいくらなんでも、「気持ちの乗った130キロ(の直球)」じゃないですよね。なんといっても、感情のこもった文章には「筆者の体温が感じられる」そうですから。へー。へー。へー。文章を読むと、ああ、筆者は35度8分だな、とか、38度5分だな、とか、わかるんですから。すっごい。「今日は熱があるみたい」って思ったら、必要なのは体温計じゃなくって、文章を書くことですよ。そうすると、体温がわかるんですから…。いや、「体温がわかる」とは書いていないなぁ。体温を感じるのか。もはや何重にもエスパーだな。文章を読むと、そこに筆者の体温を感じるわけですから。すごすぎる。まったく理解できない。



12月30日(土)ムキになりますよ

 これ、あれですよね、「読者に読んでもらうには」ってことを考えると、南京大虐殺はなかったとか、「慰安婦」は業者が勝手にやったことだとか言って、ヌッポソおよびヌッポソ人の誇りを持ちたい持ちたい人々には、たまらない「論説」文を書くことのできる「論説」委員だったりするかもしれませんよね。問題は、論説なら反論が可能ですけど、この方の「論説」は、筆者の感情が込められた文章ですから、反論を許さない点にあります。<だってそう感じたんだから>、に対して反論をするのは無意味です。なぜなら、そもそもそこではなにも妥当要求が行われていないからです。この件については、なぜそんなにムキになって批判するのか、とかおっしゃる方もいるのですが、もちろん朝日たたきなどというくだらない作業とはまったく無関係に、この「論説」論は批判すべきだと思います。



12月31日(日)「街場」だか「現場」だか知らんが

 この論説委員の「論説」は、声高に正義なんて語らないとか、手垢にまみれていない「生の言葉」をしゃべるとか、「実感」できる言説にこそ真実があるという一部で大流行のイデオロギーに与するものに他ならないのです。こんなものを学問の言葉と勘違いする人たちが、学問を騙って人の名誉を棄損しても平気でいられるし、反論される恐れのない無主張のエッセイをだらだらと垂れ流し続けるのですよ。「街場」だか「現場」だが存じ上げませんが、そろそろものを考えることにするか、もしそれができないのなら退場した方がいいんじゃないですかね。



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