2015年
1月1日(木)うっせぇー

  何があったのか知りませんが、昨日の夜あたりから花火が打ち上げられ、「うっせぇーな」と思いつつ、10時には寝てしまいましたが、日づけが変わるころにとんでもない大音量のため、起こされました。ったく、何が嬉しいんですかね。こんなことでいちいち花火を打ち上げて大騒ぎするんだったら、物が上から下へ落ちるたびに大騒ぎしなきゃいけなくなりますよ。そして今日は、花火の残骸や酒瓶などが路上に放置されていることなど一切なく、片づけられていました。なんてわけがありません。



1月2日(金)やるなぁ、ぶーちゃん

 ブランデンブルク門あたりで年越しを祝うためにそこらじゅうから人が集まっているというニュースをしていて、何人かが新年の目標を訊かれていました。あるぶーちゃんは、「減量」と答え、「毎年言ってるけどね」と自分で自分に突っ込んでいました。やるなぁ、これぞ何重にも身を削るギャグ。その割に削れていないのも含めて。



1月3日(土)試練を与えすぎ

 使っていたタオルの類を洗濯して乾燥機にかけて置いて行こうと思ったら、まんまとやられました。お金を入れても乾燥機が働かないのです。そんなことはよくあることだと思いつつも、最後の最後にこういう目に遭うわけです。フランクフルト行きのバス乗り場まで、30分間、みぞれの中を歩きました。バスに乗ると、後ろのおばさんがものすごく臭い酒を飲み始め、しかも途中から泣き出すのです。こんなに試練を与えてくれたって、私はもうこれ以上立派な人間にはなりませんよ、と思いました。



1月4日(日)ベック逝去

 発つ前に、テレビで「ベック逝去」のニュースが流れました。世界的に有名な著書の紹介があり、そこでは政治の無力さが訴えられているが、しかし政治は政治家だけが行うものではなく、市民が行うものでもあるということで、市民運動に積極的に取り組んでいたということが言われていました。フクシマ以後に大騒ぎしている者は、「よほどのバカか、偽善者」とおっしゃるような方とは、まったく異なるメンタリティだったのでしょう。



1月5日(月)『東京物語』

 こういうのが機内で上映されるのは、きっとありがちなへんてこ欧米人がいるからだろうというのも、これまたひとつの偏見でしょう。しかし、むかしから指摘されているかもしれませんが、海辺で、夫が前を歩き、少し離れて妻が歩くというシーンを、ありがちなへんてこ欧米人がどう見るか、訊いてみたいところです。



1月6日(火)生活臭

 久しぶりに部屋へ戻ってくると、自宅も大学も、思っていたよりもはるかに散らかっていて嫌になります。ハイデルベルクでは、ほとんど物を出さないし物を置かないようにしていたから、いっそうそう思うのかもしれません。あまりにも整頓し過ぎているのは、性癖が見えそうで恥ずかしいかぎりですが、しかし生活臭がほとんどしない部屋を理想とする者としては、もっといろんな物を処分しないとと思いました。



1月7日(水)人間のクズ

 向こうにいる間に3度も、女王のためにスパイ活動をやらかす輩の独善的バカ映画がテレビで流れていました。ひょっとして、女王に憧れていて、女王のためなら人間のクズがするスパイ活動だってやりたい、って思う人たちがたくさんいるということなんでしょうか。それとも、あいつらはこんな野蛮なことをやってる映画を平気で作り、言論の自由とか言っちゃってるぜ、とバカにしているのでしょうか。後者であることを強く望みますが、なんだか前者も当たってそうで、ありゃりゃです。



1月8日(木)自由を謳歌する人たち

 言論の自由が大切なのはその通りでしょう。だからテロの犠牲者のためにデモをするのも結構です。しかし、テロに訴えるしかない状況が、ひょっとしたらあるかもしれないとか、考えなくてもよいのでしょうか。風刺が気に入らなければ、対抗して風刺を書けばよいだろうと自由を謳歌する人たちは言うのかもしれませんが、しかし自由を謳歌するためにはひょっとしたら経済的な基盤が必要かもしれないとか、考えなくてもよいのでしょうか。



1月9日(金)「われわれの自由」

 ノー天気に自由を謳歌するのもよいでしょうが、今回の事件を受けて、反イスラム運動を行うペギーダや、EUからの脱退を主張する右の政党AfDが、「自分たちは正しいってことがわかった」とコメントしていることを、少しは考えた方がよいのではないでしょうか。テロに反対してデモを行う善良な人々に、自覚できない仕方で反イスラム主義がしみ込んでいる可能性はないでしょうか。NATOの事務総長は、テロリストが「われわれの自由」を攻撃していると言っています。そのとおり、自由なのは、まさにあなたたちだけなんですよ。



1月10日(土)殺人に違いがあるのか

 むかしは、人命は地球より重かったはずですが、いまや自由と民主主義に対する敵を倒すためであれば、多少の犠牲は仕方ないということでしょうか。そもそも、一定のイデオロギーを盲信して殺人を肯定するという点では、それが警察暴力であろうと大差ないじゃないですか。にもかかわらず、制圧できてよかったよかったじゃ、結局勝たないと意味がないって話になり、勝った者が正義だって話にしかならないでしょう。



1月11日(日)カッコいい

 集団で追悼とか、つくづくその場にいなくてよかったと思います。世界中で追悼が行われているという報道の「世界」には、バグダッドとかダマスカスとかは含まれていないでしょう。要するに、「われわれの世界」というやつです。JE SUIS CHARLIE って、そろって改名したんすか。そんなにたくさんが CHARLIE を名乗ったら、お好きな多様性がなくなっちゃいますよ。それはそうと、すでにシリアへ逃亡していると伝えられる女性のテロリスト、カッコいいです。こんなことばっか書いてても、言論は自由なんですよね。



1月12日(月)エゲレスやおフランス

 そもそもシリアやイラクの国境線が直線であることをエゲレスやおフランスは反省したことがあるんでしょうか。まあ、ないでしょう。なんつっても、勝手に国境を定めちゃう自由がありますからねー。そんなことをしておきながら、イスラム国を否定できますか。



1月13日(火)やっぱ反省はない

 ある仏文学者のコメント。「フランス人は、第2次大戦時、ドイツ占領下にあっても地下新聞を発行し、対独抵抗を続けたことに絶対的な誇りを抱く」と。ふーん。ナチスに協力したのはフランス人じゃなかったんですか。地下どころか、とっととエゲレスに逃げたやつはフランス人じゃなかったんですか。パリが解放されたとき、ナチスの女になっていたフランス人女性を坊主にして引き回しにしたのは、フランス人じゃなかったんですか。まったく、都合のいいことばっか言って、風刺という名の暴力を正当化しちゃダメですよ。



1月14日(水)そして足りなすぎる

 しかも心配なさっているのは、左翼ポピュリズムと右翼ポピュリズムが反イスラムで合体することなんですが、どこにおいてかって言うと、もちろんおフランスにおいてであって、そんなことはどーでもいい、って思いますね。そんなことはお宅の事情に過ぎないのに、これこそ世界の問題だと思ってしまうんですよね。足りなすぎる。



1月15日(木)拷問

 昨日、人権問題に関する講演会がありました。講演者は、すでに何度か講演を聞いたことのある人ですが、講演しながら泣くような人であって、およそアカデミズムとは無関係なんですが、○○大学の教授だそうです。委員を務めてなきゃ、いくら積まれたって出ないところです。例によって情感あふれる話しぶりで、眠るか、相手に30を言わせる方法を考えるかで、気を紛らわせるしかありませんでした。イスラエル軍による爆撃は想像を絶すると言いながら、映像を見せちゃダメでしょう。想像を絶してないことになるじゃないですか。



1月16日(金)上には上

 しかし上には上がいて、質問がさらにひどかった。まあ、非常によくわかる反応ではあったのですが。講演者がイスラエルと日本を同じように扱ったことに対して、日本は戦後平和主義を貫いてきた、それに比べて中国やロシアはどうだ、同じように扱うべきなのは、日本じゃなくて中国やロシアだろうとおっしゃるわけです。この手の方はたいてい、自分が政治的にニュートラルな一般市民を代弁しているかのように語りたがるものですが、それがまったく勘違いなわけです。ちゃんと、私は右です、中国やロシアは許せませんて、言えっつーの。あるいは、ベトナム戦争時に米軍の爆撃機がどこから飛んで行ったか、知らないアホですと、言えっつーの。ご尊顔を仰ごうかと思ったのですが、目が腐ると困るのでやめました。



1月17日(土)不快なこと

 ある死んだ人が歌っているつべを視聴しながら作業をしていましたが、その曲絡みで『愛と誠』のPVに行き着き、なんとも不快な気分になりました。これはおそらくシニシズムなのでしょう。別に原作がすばらしいとは思いませんが、そのこととシニシズムが不快であることとは別です。多くの人は、このシニシズムが不快じゃないんでしょうか。



1月18日(日)『オールド・ボーイ』

 あのパク・チャヌクの名作のリメイクです。そりゃ比較すれば、どうしたって劣るに決まっています。でも、リメイクじゃないと考えれば、それほどひどいとも思いませんでした。ちゃんと観客を欺くトリックもありましたし。とはいえ、印象に残るのが縞のパンティーというのはやっぱり問題でしょうか。思わず、何回か見ちゃいましたけどね。問題はお前だろっ。



1月19日(月)『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

まあ、絶体に見ることはないです。相変わらず、戦うのがお好きなんですね。私は嫌いです。そしてあらゆる「キル」は不正です。



1月20日(火)理念とは理性概念のことですよ?

 食堂へ行ったら、この大学の建学の理念は実学にあるのだが、「サイエンティフィックなエンジニアリング」(まったく意味不明)を旨とするある学部はその理念に反しているし、いまどき要らない、とおっしゃる方がいました。ほほう、建学の理念をご存じなんてさぞ大物なのだろうなぁと感心しつつ、もっと大きな声で「○○○学部はいまどき要らない」って言ってみろよ、と思いました。帰り際に目が腐るかもしれないのを覚悟の上でチラ見したら、吉田栄作のバッタもんみたいなご尊顔で、大笑いしそうになりました。



1月21日(水)『グランド・ブダペスト・ホテル』

 きっと映画好きの人とか、センスのある人とかは、絶賛するのだろうと思いました。センスのない人としては、むかしはよかったと言われても、そんなによかったのにどうしてファシズムが出てこなきゃいけなかったのだと言いたくなってしまいました。



1月22日(木)『鑑定士と顔のない依頼人』

 英語のタイトルが The Best Offer って。私が悪うございました、という感じです。広場恐怖症の人が、エッフェル塔が怖かったと言うシーンがありましたが、エッフェル塔、たしかに怖かったです。言うまでもなく、下にいるだけで怖かったのですが、やはり無意識のレヴェルで倒壊するかもしれないという不安をもっていたのでしょうか。



1月23日(金)小学生のような言い訳をする低能

 馬乗りになったんだから、ちゃんと馬乗りになったことを正当化すべきであって、いくら低能だからって小学生のような言い訳をしちゃいけません。国家のやることに盾つくようなやつには、国家権力というものがいかに暴力的なものであるかを思い知らせる必要があるから、馬乗りになってやったんです、とか言ってみろ。地元が反対してたって、知事が反対してたって、あのプロゴルファーは国家が大好きな国民から絶大な支持を勝ち得ているのであって、われわれこそが正義なんだから、おまえのようなやつは馬乗りされて当然だ、とか言ってみろ。海保のボケ。



1月24日(土)『サード・パーソン』

 なんでこんなのをレンタルしたのか、まったく記憶にございません。そもそも善人面というか、独善面というか、リーアム・ニーソンが嫌いだし…。ドア開けたまま、いくら wet と言ったからって、すぐそれかい、だし。ガキんちょがそんなに大切かよ、というのもあるし。白バラを大量に送りつけたりしたら、たんにキモいオヤジだろ、としか思わないしね。



1月25日(日)ちゃんとナショナリストをやってくれ

 ナショナリストほど、自己責任論を唱えるのが不思議です。ナショナリストなら、邦人を守るために自衛隊を派遣せよ、くらい言ってほしいものです。こんなんじゃ、ミサイルを発射されて被害に遭っても、防御しなかったお前が悪い、自己責任だって話になっちゃうじゃないですか。憲法を変えたくって仕方のない人たちには、渡りに船なんですから、自己責任なんて言わないで、どんな手段を使おうとも国家は国民の生命を守るんじゃ、と言ってほしい。



1月26日(月)連帯ごっこ

 JE SUIS CHARLIE に続けて、ということなんでしょう、I AM KENJI というプラカードをもった人たちがいます。こういう発想が、私にはまったく理解できません。ある人を支持するとか、ある人に味方するとかいうことは、その人になることじゃないでしょう。重要なのは、その人ではないにもかかわらず、その人に対する支持を表明するということであって、その人になって主張をしたら、それはたんなるエゴイズムと区別がつかないじゃないですか。それとも、世の中にはエゴイズムしかないと言いたいのでしょうか。だったら、もはや他者との合意なんてものは存在しないし、もっとも強いエゴイズムこそが正義だってことになってしまいます。それでよいのでしょうか。



1月27日(火)ぶーでーナショナリストの論理

 われわれはナショナリストであって、国技がガイジンなんかに席巻されるのは我慢ならない、だから日本国籍をもつ者を贔屓するのは当たり前だろう、横綱ならそのくらいの見識はもちたまえ、と。なんとまあ、わかりやすいではないですか。



1月28日(水)『溶ける糸』

 初めて見たときは、幼すぎて、最後のシーンが全然わからなかったことを覚えています。その後、リクエストが多く、この作品は再放送されましたが、しかしこれがなぜ再放送されるのか、再放送を見てもやっぱりわけがわかりませんでした。そして十分すぎるほど年をとると、やっぱり傑作だと思うようになります。コロンボが瞬間湯沸かし的に怒ったりするところも、ちょっとだけ面白いし。



1月29日(木)『サマー・ウォーズ』

 かつて核兵器が貧者の武器と言われたこともありましたが、いまやハッキングこそが貧者の武器だろうと思っています。そんな関係でこのアニメを教えてもらったのですが…。わざわざアニメを使ってまで「家族を守る」と「反米」という日テレ的イデオロギーを垂れ流すのですねぇ。世界で通用するのはアニメ文化ぐらいだと言われているのに、中身がこれじゃあ、まんまとオリエンタリズムの自演です。



1月30日(金)『ブルー・ジャスミン』

 1度観たことがありましたが、やっぱり面白い。前もそう思いましたが、昼間っからボクシング見て盛り上がれちゃう人たちとは、そりゃ暮らせないでしょう。今回はさらに、ピザの最後の一切れを争ってじゃれ合うなんて、やっぱ無理でしょ、と思いました。とはいえ、ウィーンの外交官とかも、消えてなくなっちゃえばいいと思いますけどね。



1月31日(土)ほどがある

 研究会のため、新幹線に乗りました。その時刻前後は、非常にたくさん東京行きが出ているのですが、まず、「お乗り間違いのないよう」注意を喚起してくれます。私の乗った新幹線には喫煙ができる自由席車両がないそうで、「喫煙されるお客様は」喫煙ができる自由席車両をもつ向かいのホームに停車中の新幹線を「併せてご利用ください」と続けられます。「併せてご利用」ってどうやって利用するのかわかりませんでしたが、まあ、ともかく親切この上ありません。そして、貴重品の管理には注意をし、席を離れるときには財布などは「身につけていただきますよう」お願いされちゃったときには、もはや苦笑を禁じえませんでした。



2月1日(日)そうくるか

 昨日は、朝方雪が舞っていたりして、関ケ原付近は徐行運転するかもしれず、その場合はそれ以降の停車駅への到着が遅れるかもしれないというアナウンスもありました。どれだけ遅れるのかと思ったら、「1分遅れます」と。そして例によって謝り倒しています。その後天候が回復し、徐行運転する必要がなくなり、ダイヤ通りに到着できることになりました。さて、今度は何と言って謝るのだろうと期待していたら、「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」



2月2日(月)首尾一貫して間違っている

 「遺族らの処罰感情も峻烈」なんて、難しい言葉を使っていますが、「死んでほしい」なんて気持ちを根拠に死刑判決を支持してもよいのでしょうか。1審も2審も、「人間性の感じられない残虐行為」と、「感じ」を根拠にしていて、裁判官て感情に基づいて判断を下す人たちなんですね。そういう意味じゃ、首尾一貫しています。首尾一貫して間違ってますが。



2月3日(火)ダメな歌

 遠い世界にどうこうしたいという歌があります。1番は、雲の上を歩くだのなんだのと、たんなる野蛮な話ですが、2番になると、力を合わせられなくて悲しいという話になります。68年とかそのころの歌なので、力を合わせられないというのは、あの運動のことを意味しているのでしょう。政治的な挫折によって「悲しい」主体の内面が「発見」される、というわけです。現実には自由民権運動が失敗したがゆえに、外のことには左右されない気高き内面が「発見」されたという、あの議論を裏づけていると言えます。



2月4日(水)やっぱりダメな歌

 そして3番では、「これが日本だ 私の国だ」という、驚くべき、しかしある意味では必然的なフレーズが出てきます。国家に対抗するはずの個人の内面なんてものは、所詮は国家がもつ制度のひとつにすぎないということが、見事に表現されているのです。こんな物わかりのよいプチ・ブルが出てくると、どうしたって爆弾闘争したくなる人たちも出てくるでしょう。しかしその結果、徹底したシニシズムか善良な実感主義ばかりが蔓延するのなら、せめて大学くらいはバカにされつつも啓蒙主義を唱える必要があるのではないでしょうか。



2月5日(木)市民感覚というクソ

 一般市民からなる裁判員が選択した死刑判決を最高裁が破棄したことを受けて、「何のための市民裁判か」などと言ってる人がいるらしく、ここには市民感覚と公平性のバランス問題があるそうです。このふたつが比べられる時点で、感覚なんかじゃ公平性は確保できないということが前提とされており、だとすれば感覚なんかで刑罰を定めちゃいけないことは自明でしょう。もし法とは何の関係もない感覚やら感情やらを判決に持ち込めるようにするのが市民裁判という制度なのだとしたら、そんなものはすぐになくならなきゃいけません。それが嫌なら、法治主義をやめることです。



2月6日(金)本気度が足りない

 携帯のアド変したの言い忘れてた、届いたら一応連絡下さい、ってメイルが届きました。「朝からごめん、忘れてたの」ってタイトルどおり、朝7時40分に送られてきた点は、芸が細かいです。しかし「また昼の休憩に連絡するね」って書かれてるのに、連絡がこないのはいただけません。せっかく朝っぱらから頑張ってるんだから、もうひと押ししてほしいところです。そしたら、すけべ心が発動されていたかもしれません。



2月7日(土)家族がいない場合はどーすんだよ

 「御家族の御心痛を思えば言葉もなく、深い同情の念を表明する」なんて放言が含まれている最高の意思決定機関の決議に、反対しなかったことを批判されるのならまだしも、加わらなかったその見識が批判されてしまうとは、まあ驚きはありませんが、なんとも情念共同体乙ってところです。そもそも、蛮勇だと言ってのける人たちもいるんですから、蛮勇を誘発するテロを許さないと表明してほしいものです。



2月8日(日)喜ばしい

 ある新聞社のアンケートによれば、人質になって殺されたのは自己責任だと考える人が80%以上に上るそうです。驚きました。かくも多くの人たちが、この共同体において近代的主体が確立されており、しかもそのことをよいことだと考えているんですね。かつて柄谷行人は、世間がオウム信者の親たちに謝罪を要求する風潮を見て、過激派の親たちに謝罪を要求していた70年代と何も変わっていないことを嘆いたものでした。しかしもはやそういう状況ではないということですね。これは喜ばしい。実に喜ばしい。今後は、くれぐれも、ある容疑者の親が大学教授だとかなんだとか、騒がないでほしいものです。



2月9日(月)公開審査会

 提出された学位申請論文について、公開の試問がありました。審査員は4人で、だれもフォローすることなくひたすら弱点を突き続けるという、良心の塊のような私など、途中から申請者のことを気の毒に思い始める状況でした。もっとも、申請者はたぶんドМなので、4人で寄ってたかって喜ばせていたのかもしれないと思うと、ちょっぴり残念です。



2月10日(火)『アメリカン・ハッスル』

 どうしてこんな薄っぺらそうなタイトルのものを選んだのかわかりませんが、借りてしまいました。いかにもアメリカンという題材や人物が、いかにもアメリカンな仕方で描かれている点に好感がもてました。そうなんです、実はとんでもなく面白い映画でした。めんどくさい妻とか、うっとうしいFBIとかも、しっかりめんどくさく、うっとうしく描かれていましたし。クリスチャン・ベール、なかなかやると思いました。



2月11日(水)祝うわけがない

 こんなところでぽっかり休日があってもどこへも行くところがなく、なんてことはなくて、あんなところやこんなところという選択肢がたくさんあったのですが、しかし仕事を休んで祝おうなんて考えはイデオロギー的に持ってはならないので、休日出勤しました。ポリティカル・コレクトネスを生きることには、しばしばこうした苦労はつきものですが、まあ、来るべき革命のことを思えばなんてことはありません。ぐはは。



2月12日(木)わかりやすいバカコメント

 ギリシアはEUから緊縮財政を実施するよう要求されており、それは現実的には主としてドイツから要求されていることになるわけですが、それに対してギリシアの外相が会談で第二次大戦中の損害賠償をドイツに求めたと、こちらでは報道されています。その報道に続けて、戦後補償に関してドイツを見習えとか言われているけれど、その実態はこんなもんだ(だからわれわれだって、何もしなくてよいのですよ)というわかりやすいコメントがなされたりしています。興味深いことに、ドイツではこの件についての報道がほとんどなされていません。こちらではわかりやすいコメントをしたいがためにその報道がなされ、あちらはあちらで都合の悪いことはあまり報道したくないということなのでしょう。とはいえ、ドイツのジャーナリズムの方が比較にならないほど政府に批判的で信用できますけどね。



2月13日(金)『サスペクト』

 ネットによれば、主演男優はものすごく人気があるそうです。しかしどう見ても、メジャーリーガーになりそこねたあの人にクリソツなんですが…。そして残念ながら、メジャーリーガーになりそこねたあの人が、そんなに人気者だという話は聞いたことがありません。まあ、ともかく面白かったです。今月は、これまでのところ2本とも満足しています。残りの2本はどうでしょうか。



2月14日(土)ほっときゃいい

 今日も朝からせっせと出勤してしまいました。休日出勤した分を、授業日分としてカウントしてもらえるような制度ができたらよいのにと思います。そしたら日曜日もほいほい行っちゃいますよ。それでもなお授業日が残ってしまったら、それは学生さまの自習時間にあてるということでどうでしょう。なにしろ授業の予習や復習にかける時間が少なすぎると言われているのですから。予習しようがしまいが、復習しようがしまいが、そんなことはほっときゃよいことだと思いますけどね。



2月15日(日)『ニック・オブ・タイム』

 たぶん15年くらい前に深夜放送で流れていて、途中から観始めて面白かったのですが、たしか翌日早起きしないといけなかったので最後まで観ずに眠ってしまい、残りの30分くらいを知らないままでした。そしてようやく全部観たというわけです。まあ、いつものように文句を言えば、ひ弱な白人を黒人が支え、そのひ弱な白人も強くなるという民主党的イデオロギーが充満しているのですが、それを知らないことにすれば、面白いことに変わりはありませんでした。90分弱という短さもよかったと思います。大ヒットはしませんでしたが、主演男優の代表作にしてもよいのではないかと思うほどです。



2月16日(月)あまりにも古典的



 いまや古典的と言ってもよいくらいのセクハラポスターがそこらじゅうに貼られています。就活サポートセミナーだそうですが、なるほど、この程度のことでいちいち目くじらを立てていては就職なんてできませんよ、というメッセージなのでしょうか。あるいは、この共同体はセクハラ共同体なんだから、就職するということはセクハラを受け入れることを意味するんだよという、批評的なポスターなんでしょうか。しかしそうだとしたら、○○会のヘイト・スピーチも批評的だってことになっちゃうかもしれません。ともかく、ちょっと驚きのポスターです。



2月17日(火)はいはい

 だけどおまえだってこのポスターがきょーじゅ会で披露されたときに、隣の同僚に「セクハラだ」と言っただけでマイクをもって糾弾したりはしなかったじゃないか、だからおまえだって同罪だ。いや、こんなところでうだうだ自己の正当化をしている分、いっそう悪質だ。そのとおりです。むかしから、寄らば大樹の陰、年長者からの覚えがめでたく、長い物には巻かれる私としては、返す言葉もございません。うるせぇーバーカ。



2月18日(水)『トランセンデンス』

 人工知能が感情をもつようになるとなぜ「超越」なのか、全然理解できませんでした。こんなことなら、被害者家族の「感情」が正義を決定するこの共同体においては、「超越」が支配していることになります。おっとろしい。ともかく、ちゃんと死のうよ、と思いました。



2月19日(木)たぶんミソジニーだし

 ケーニヒスベルクのじいさんは、国家による殺人を肯定し、かつ世界共和国に否定的でなんちゃらとかいう「消極的代替物」で満足しています。それに対してフィヒテは、国家による殺人はいかなる場合にも許されないと明言し、かつなんちゃらとかいうものは世界共和国へ至るための通過点に過ぎないと主張しています。にもかかわらず、フィヒテはナショナリストとしてたいていバカにされ、ケーニヒスベルクのじいさんはあろうことか人格者としてやたら持ち上げられます。国家による殺人を肯定するような人物が人格者って、どう考えてもおかしいんじゃないでしょうか。



2月20日(金)大笑いなこと

 そのケーニヒスベルクのじいさんの名前を冠した学会で初めて発表したときのシンポジウムは、そのじいさんの歴史哲学が主題化されていました。質疑応答の際に、あるヘーゲル研究者が、歴史哲学に関してはカントよりもヘーゲルの方が優れているのではないかという至極まっとうな質問をしたのですが、それに対してパネリストのひとりだったじいさんの研究者のじいさんは、現在の国連中心主義を見ればカントの勝利は疑う余地がない、と答えました。平和がテーマになっていたのに、勝利とか言っちゃうんだと思いましたが、もっと驚いたのは、そのじいさんの発言で会場が拍手喝さいに包まれたことです。当時はまだ大学院生でしたが、傲岸不遜にも、ここはカスの集まりかと思いました。今はどうでしょう。ケーニヒスベルクのじいさんの言葉がすべて、という人が少なからず存在することは確実でしょう。大笑いです。



2月21日(土)ご尊顔

 ある政党のことを「テロ政党」とヤジった方のご尊顔を見てしまいましたよ。(お察しください。)その政党はそもそも体制派だからかつて多くの支持者を失ったのですけどね。もともと、お金を貸して利益をあげるという世界中で忌み嫌われてきた職業にお就きの方だったようですから、まあ、そんな経緯は知る由もないでしょう。



2月22日(日)あれとかのんびり屋さんとか

 テロ対策という名目で、そこらじゅうにあれがいて、中にはジョガーたちに混じって走ってるあれもいたそうで、なんとも恐ろしい世の中です。それはそうと、3時間以上も走り続けられる人たちがたくさんいるそうで、いやもう、よくそんなに気長に走れるものだと感心します。きっとのんびり屋さんたちなんでしょうね。



2月23日(月)受像機の抵抗

 国家的陰謀により、数年前よりデジタル放送以外は見られないようになってしまいましたが、実は、集合住宅の場合は例外でした。その例外的措置も、明日の正午で終了だそうです。20年以上前に購入した受像機は、昨夏に巨大なラジオと化し、自ら砂嵐を選ぶという抵抗を見せました。えらいぞ。浴室に備え付けられている受像機は、どのような抵抗を見せてくれるのか、ちょっぴり楽しみです。



2月24日(火)善良なパンピー

 自分が物乞いをしている様子をネット配信して、逮捕されちゃった方がいるそうです。その動画をご覧になった善良極まりないパンピーが、あれに通報したのだそうです。まあなんと立派なパンピーなんでしょう。国家的に顕彰して差し上げたらどうなんでしょうか。軽犯罪法によれば、物乞いは処罰の対象だそうですが、だったら広告屋とかをどうして捕まえないのか、まったく不思議です。



2月25日(水)前期日程

 前期日程の入試がありました。受験者に対する注意事項はマニュアル化されていて、それを読み上げるわけですが、ついに PHS に関する注意がなくなりました。(しかし監督者が持ち込んじゃいけないものとしては、まだ存命中です。)受験者が持ち込んじゃいけないものとして、今年も笑いを禁じ得なかったのが、キッチンタイマー。これを3回も言わないといけないなんて、ほとんどよしもとです。



2月26日(木)泣きっ面にくまんばち

 昨年同様、一日中立ちっぱなしの翌日は、12時間、ほぼ座りっぱなしでした。例によって朝から雨が降っていて、空港行きのリムジンは事故のために20分以上遅れました。フランクフルトから国際会議のあるマインツまで電車で行こうとしたら、16分も待たないといけなくて、どうせ16分待ったって来ないだろうと思ったのでタクに乗ったら、これが事故による渋滞に巻き込まれ、高速道路を超低速走行。とりあえず最後の発表だけでも聞こうかと会場へ行ったら、あはは、鍵がかかっていてもはや中には入れませんでした。他人の話だったら笑い転げるようなことの連続でしたが、どういうわけかこういうことはわが身にばかり降りかかってきて、それはそれでまあ笑えてしまいます。



2月27日(金)頭悪いのか???

 噂によると、1ヶ月以上まとまった雨は降っていなかったそうですが、当然のように朝から冷たい雨が降っていました。まあ、槍が降ってなかっただけよかったでしょうか。そんな中、朝の9時から夕方18時半まで、6人の発表を聞いてしまいました。時間がないから手短に質問するように言われているのに、どうして自説をとくとくと展開してからとってつけたように質問をするのでしょうか。ひょっとしたら、頭が悪いのでしょうか。そんなわけで、かなり疲れました。



2月28日(土)品性は治らない

 11月にグライフスヴァルトで見た感じの悪いオランダ人が発表しました。昨日から態度は悪かったのですが、今日も同じく下品なふるまいをしていました。まあ、下劣なのは品性でしょうから、11月にひどかったのがよくなってるわけがないですね。そういう意味では人格の同一性を実証していました。ニーダーベルガー氏の発表はきわめて挑発的なものでしたが、質疑応答の際に集中砲火が浴びせられたので、そういう意味では発表は成功だったと思います。それにしても、カント屋にはなんと善良な道徳家が多いことか。



3月1日(日)ノーランだったけど・・・

 行きはほとんど仕事もせずに映画をみ倒したので、帰りこそは仕事をしようと思っていたのですが…。「ほとんど」どころか、まったくしませんでした。『インターステラ―』みたいな、我慢に我慢を重ねても30分くらいしか時間をつぶせなかったものもあったのですが、『ゴッドファーザー』だと、パートIIIでも、コッポラの娘がぶっさいくでも、そしてジェームズ・カーンの息子がアンディ・ガルシアじゃおかしいだろうと思いつつも、長い時間をつぶすことができるのでした。まあ、何も得るものはないのですが。



3月2日(月)『ゴーン・ガール』

 面白かったです。もう公開済みだったとは知りませんでした…。それにしても、いくらいい女を演じる妻のことがつらいからって、非常勤先の足らなそうな学生に手を出しちゃいかんでしょう。いや、あんなのに手を出さざるを得ないほどつらいということなんでしょうか。妊婦は同情を得やすいなんて、言っちゃいけないことを堂々と言ってしまうフィンチャーは、やっぱ面白いです。



3月3日(火)『キル・ザ・メッセンジャー』

 ネットで酷評されているように、たしかに緊張感がいまいちだったかもしれません。そんなことをしたらもっとえげつない目に遭うんじゃないの、ってことをついつい思ってしまいます。そしてモデルとなった実在のジャーナリスト自身は、自分の頭を2度続けて撃つという神業によって「自殺」したそうです。そんな神様のことなら、もうちょっと恐ろしく描けたのではないかと思いました。



3月4日(水)『バード・マン』

 ハリウッドの商業主義をニューヨークの芸術派舞台俳優が痛烈に批判するという映画ですが、こういう映画に対してアカデミーが作品賞を授賞するというのは、どういう意味をもつのでしょうか。やっぱ商業主義じゃいかん、反省しないと、ということなんでしょうか。それとも、舞台俳優がなんだかんだ言ったって、やっぱ売れなきゃダメなんで、こんな批判的な作品さえ商業ベースにのせてしまう映画はすげぇだろ、ということなんでしょうか。



3月5日(木)ファラ・フォーセット

 かつてバード・マンとして一世を風靡したけれども落ち目になった俳優が、ジョージ・クルーニーと同じ飛行機に乗り合わせ、それが墜落した時に、新聞の一面にジョージ・クルーニーのことが掲載されるのがつらい、と言うシーンがありました。そのつらさを説明するために、マイケル・ジャクソンが死んだ同じ日に、ファラ・フォーセットも死んだんだよ、と言うのですが、しかしかつて、マイケル・ジャクソンなんかより、ファラ・フォーセットが死んだことの方がショックだ、って知人の倫理学者と話したことがあります。だってファラ・フォーセットですよ? セックス・シンボルですよ? 悪いけど、マイケル・ジャクソンじゃ、ぴくっともしません。



3月6日(金)本当ならすごい

 舞台俳優役のエドワード・ノートンは、日常生活ではイ○ポなのに、舞台でのナオミ・ワッツとのベッド・シーンでおもっきりぼっ○して、観客から大笑いされるのですが、「オレは舞台なら何でもできるんだ」と言います。それが本当なら、本当にすごい。



3月7日(土)ノートン理論

 だとすると、ノートン理論にのっかるなら、教育熱心な大学教員は、「オレは教壇なら何でもできるんだ」ってことになって、「きゃ〜」ってことになってしまいます。つくづく教育熱心じゃなくてよかったです。ええ、論理的には、教育熱心じゃないからって、やらかさないってことには、なりませんね。そのとーり。するどい。やらかす前に自宅警備した方がよろしいでしょうか。



3月8日(日)やったぜ

 昨日は臨時教授会と定例の教授会があったので、休日出勤でした。みんな来てるので、なんだか土曜日に出勤しても悪いことをしている気分にはなりませんでした。そんなわけで、今日も出かけて行きました。今日は、昨日に続いて研究会があったのでした。4時くらいに終わりましたが、その後も残ってあんなことやこんなことをして、ちょっぴり悪いことをしている気分に浸れました。やったぜ。



3月9日(月)だーかーらー???

 ある容疑者についての近隣に住む善良な市民のコメント:「(容疑者は)インターネット上で人の批判を繰り返していた。」ふ〜ん。



3月10日(火)インターンシップ

 グーグルの宣伝映画なのでしょうけど、これで「個性」とか「多様性」とかを重んじる(と自称する)グーグルの宣伝になっているのでしょうか。だって、ダメなやつらが一致団結して栄冠を勝ち取るという、凡庸ど真ん中アメリカ的映画なんですよ。ひょっとして、「個性」とか「多様性」とか言うやつにかぎって凡庸極まりないという、ここやあそこでよく目にする光景を描いて見せて、いわば自己批判しているのでしょうか。だったら立派なんですけど、まあ、そうじゃないでしょう。「個性」とか「多様性」なんて、誤差だって考えたことはないんでしょうかねぇ。



3月11日(水)『愛より強く』

 原題を直訳すると『壁に向かって』なのですが、なぜ「壁に向かって」なのかと言うと、主人公の男がブレーキ痕を残さずに壁に向かったからです。主人公の女は、食事中にビール瓶を叩き割って、自分の手首に突き刺す人でした。3回に分けて観てよかったです。こんなのを1回で続けて観ていたら、きっと憂鬱になっていたと思います。邦題はまったくダメです。 



3月12日(木)食堂さま

 どうも職場は春休みとやらに入っているらしく、食堂が閉まっていたり、突然、下宿案内所に変っていたりします。そして今日は、「入試のために」いつもよりはるかに早く、営業を終えていました。なぜ入試があると食堂を早く閉めないといけないのか、理由がわかりません。受験を終えた若者たちが食堂に殺到し、天津麻婆を注文しまくるからでしょうか。それとも、食堂にたむろっているバカな在学生を見て、浪人することに決めてしまうからでしょうか。ともかく、ちょっと遅くまで雑務に耽っていたせいで、3日連続で同じパンを食べることになってしまいました。シャイセ。 



3月13日(金)『記憶探偵と鍵のかかった少女』

 まあ、そりゃしょうがないよね、と思いました。ハゲだしね。むかしだと、テレ東の木曜洋画劇場でやりそうな映画です。『冷たい月を抱く女』とかみたいに、期待せずに見てたら、ちょっと得したってタイプ。



3月14日(土)ついうっかり

 今日も休日出勤するかと思っていましたが、9時になっても起きることができなかったので、出勤は諦めて部屋の掃除をして、あんなものやこんなものを捨てました。午後から昼寝をしたら、もう起きられないくらいに疲労が襲ってきて、あらら、と思いました。こうやっていつか、うっかり目が覚めないってことになるのでしょう。わはは。



3月15日(日)『監視者たち』

 あっちの世界の人たちのドラマなので、イデオロギー的にはナイン・ダンケでした。歩行者が信号無視したからって、罰金とるとか、住民番号を訊かせろとか、とんでもないことです。首切られて腹刺されても、仕方ないって。監視カメラが当然のように使用されて、「ほら、役に立つよね」的なところをもっとこっそりと宣伝するには、「子豚」の拷問シーンとかを入れないとダメなんじゃないですかねぇ。「子豚」が拷問の主体でも客体でも、そこは問いませんけどね。放尿くらいじゃ、ごまかされません…。



3月16日(月)早くも疲れたかも・・・

 今日から、国際共同研究支援プログラムという立派な資金で、ニーダーベルガー氏を招いています。9歳のクリストフを連れてきました。晩御飯を食べに寿司屋へ行きましたが、怖い物知らずの外国人だからなのか、あるいは無邪気なこどもだからなのか、ひょっとしたら悪意に満ちたパーソナリティゆえにか、寿司は「変な味だ」と言って、「普通の白い飯」を望みました。首切られて腹刺されても、仕方ないぞ。



3月21日(土)おつかれちん

 昨日まで、セミナー第1弾でした。火曜日は午前中だけでしたが、水曜日以降は、午前と午後、レクチャーと討論がありました。1日が終わると、さすがにぐったりですが、なかなかためになる時間を過ごすことができました。講演会とかだと、儀礼的な質疑応答があるだけで、実はそれぞれが言いたいことだけ言ってそれで終わり、というパターンが多いと思いますが、少人数の研究会で時間がたっぷりあると、相互に弱点を突き合うことになって、それはそれで心地よい痛みを感じることができます。まあ、しばしば痛すぎる場合もあるのですが…。



3月22日(日)まんまと帰る

 金曜日は、今年度最後の教授会でしたが、セミナーを優先して欠席し、教授会後の歓送会には出席しました。今年度で退職する方々を歓送するという名目による、要するに飲み散らかし食い散らかしの会です。送られる方ひとりひとりについて、同じ研究室の方が送る言葉を話されるのですが、これがまあ、見事なまでに「私語」によってかき消されるのです。ちょうど、集団でカラオケへ行くと、歌っている当人以外はだれもその歌を聴かずに、熱心におしゃべりに興じるという状況と同じです。あれってちょっとなんとかならないのかなぁといつも思いますが、まあ、アルコールがあってごちそうがあって、自分とは関係のない話が長々と続いていると、みなさん我慢できないんでしょう。お前だってそのひとりだろって言いますか? でも私は、この人の話はどうでもいいやって思ったときは、ちゃんと退室し、そのまま帰りますよ。



3月23日(月)やったぜ

 昨日は、午前中から奈良へ行きました。大仏を見ただけでしたが、けっこう時間がかかりました。その後、なんとク○京都へ。これが見事にク○でした。二条城へ行ったら、すでに受付は閉まっており、まともに口のきけないガードマンが横柄な態度で京都らしくふるまっていました。奈良は晴れていたのに、冷たい雨が降り始め、タクで清水へ向かいましたが、当然のように道はこみこみ。タクの運ちゃんはものすごく親切で、この人はきっと京都出身じゃないんだろうと思いました。ええ、偏見です。清水へ行ったのは何年ぶりだかわかりませんが、相変わらず京都で、6時に閉門するからと、とっとと追い出されました。まあ、見るべきものなんてなにもないわけですがね。当初は、いきなり金閣を見せてノイ・シュヴァンシュタインと同じメンタリティであることを知らせればもう行きたがらないだろうと計画していましたが、昨日のひどさでその負の魅力が十分伝わったものと思います。やったぜ。



3月24日(火)訳はぱーぺき

 今日は講演会がありました。講演会の前に、ドイツ語の原稿のほかに日本語の原稿も配られるのかどうか尋ねられたので、私の訳したもの配布すると伝えました。すると、なんと、「ドイツ語の原稿は完全にクリアだ。もし不明な点があったら、それは日本語の原稿のせいだ」とヤツは言ってのけました。そんなことを言ってたら、首切られて腹刺されても仕方ないぞと思いつつ、「日本語の原稿もクリアだ。もし不明な点があったら、それは読み手の能力のせいだ」と言っておきました。ったく、どんだけ読みにくいドイツ語を書いてるか、自覚がないぞ。



3月25日(水)なんと

 なんと、「パーペキ」の語源は教科書書き換え派だった方の漫画でしたか。この方は、かつてはメイン・カルチャーとサブ・カルチャーに質的な違いを認めなかったけれど、その後、それを認めるようになったとか。なるほど。



3月26日(木)それは単純すぎないか

 今日は早稲田で講演会でした。ニーダーベルガー氏の発表はすでに3度目でしたが、もうひとりの方のはマインツでは聞けなかったので初めてでした。カントが抵抗権を否定したことに関係させて、じゃあナチスに対しても抵抗しちゃいけなかったのか、というよくある話について、そういう言い方が流行っているのか、ナチスの時代はそもそも法的状態になかった(だから、カントの抵抗権の禁止は適用されない)、とおっしゃるのです。はいはい、カントがお好きなんですね、と思いましたが、問題は、カントに対する愛の告白の背後に、ナチスを野蛮とすることによって自分たちとは質的に異なる存在とみなす(そして安心する)イデオロギーが働いていることです。あの人たちは野蛮だったんだから仕方ないよ、って言えば済むんですからお手軽です。しかしそれでよいのでしょうか。



3月27日(金)実在してないし

 しかも、偶然なのか必然なのか、そうした発言をする方にかぎって、倫理もしくは道徳に対して絶大の信頼を寄せていて、法そのものの妥当性を倫理もしくは道徳によって測れると考えているのです。手続き主義とかは破廉恥なわけで、実在する道徳的価値を認識せよ、という話になるわけです。おぞましい。



3月28日(土)「あの男がプレモダンであること」

 今日は大阪へ戻る前に、原宿のキディー・ランドへ行き、ハリポタ関係のおもちゃを購入していました。なにもこんなところでわざわざ買わなくても…、と思うのですが、ひょっとして製品が違うのでしょうか。どーせ、made in China であることに変わりはないでしょうに。ところでジブリコーナーを通りがかったときに、「お前はジブリの何が気に入らないんだ?」と訊かれてしまいました。「ジブリは気に入らない」なんて言ったことはないのに、どうしてわかってしまったのでしょうか。



3月29日(日)トラキチの共和主義者

 今日はなんとトラキチでした。2月末に、「まだチケットはあるみたいだ」とメイルで言われ(「調べたんかい!」)、バックネット裏の下段という選手が間近に見える席をゲットしました。2連勝してしまったので、今日はとても勝てそうにないよなぁと思っていたら、1回表にいきなり守備妨害まがいのプレイが絡んで3点を奪われました。阪ちんのピッチャーは150キロの球を投げるのに、ぼこぼこ打たれ、ドラゴンズのピッチャーは130キロくらいなのに、押さえていて、なんだか重いムードでした。なのに、普通はメガホンを打ち鳴らすところ、それを持ち合わせていないニーダーベルガー氏は熱心に手拍子をするのですよ。まわりには手拍子をする人なんか皆無だったので、そのひとりの手拍子の音が響いて、まったく変なガイジン状態でした。その応援のせいか、逆転し、大差で勝つかと思いきや、最後の最後までびびらせてくれて、実に楽しいひとときでした。



3月30日(月)びびった

 朝、もし渋滞に巻き込まれたらかなりギリギリになるようなバスを選択し、見事、事故による大渋滞に見舞われ、高速を降りて一般道を走るなんてことまでして、なんとか空港にたどり着きました。なんと、ルフトハンザのチェックインカウンター前にはひとりの客もいません。あんな光景は初めて目にしました。かなりびびりましたが、向こうに着いてからもらったメイルには、「おいしいチョコを買う時間があった」と。そうでつか。



3月31日(火)だってあんなのが3人も・・・
 
 昨日は、空港から新大阪に出て、東京で開かれていた講演会へ。もう、どんだけ研究熱心なのか、って感じです。そして今日、ようやく終わった感じで、帰ってきました。のぞみの前の座席には、暴れるガキんちょ2人とこどもを身体に巻きつけた母親らしき人物が座っていました。新大阪のひとつ手前の醜悪なところで降りて行きましたが、ふととんづらしたくなったりしないのかと思いました。はいはい、思ったりしませんよね。そんなことを思うのは、性根のゆがんだお前のようなヤツだけだよと。ふ〜ん。



4月1日(水)次のセメスターはちゃんとやろう

 嵐のような日々が過ぎ、気がつくともう新学期だそうです。今日は出張報告書を用意するのに2時間くらいかかり、出版社へ提出する他人の原稿をプリントアウトして用意するのに3時間くらいかかり、新学期とはなんの接点もない時間を過ごしました。これはかなり危機的状況かもしれません。またしても、「次のセメスターはちゃんとやろう」的な、秘伝のたれの使用か…。もはや「秘伝」ではないという話もありますがね。



4月2日(木)安心がすべてか、ボケが

 またしても、「ケータイのメアドを変えたこと、メールしてなかったっけ」的なメイルが届きました。新しいメアドが記されていて(じゃあ、このメイルはだれのメアドからなんだよ)、「届いたら連絡くれると安心できるからよろしくね」と。バカが、なんで人を安心させてやんなきゃいけないんだよ。そうやって安易に安心したがるアホがたくさんいるから、そこらじゅうに監視カメラが設置され、カウンセラーもどきやら線香屋やら現場へレッツゴー派やらがうようようじゃうじゃ湧いて出てくるんじゃないか。こんなのが世の中から一切消え去ったときにはずっとびくびくしてなきゃいけないとしても(まったくそうは思わないけど)、だったらびくびくしている方がはるかにましだ。ボケ。



4月3日(金)きょっと〜ん

 経産省の発表によれば、全国でもっとも住みやすいと言われているその地に、私は別に住みたいとは思いません。まあ、向こうも住んでくれなくて結構でしょうけど、「○島の日」なんて設けてなにやらやらかしてるそんなところには、住むどころか、行きたくもないです。そういえば、そこに住んでる知人の女性が飲み会の席で男性に「ビールを注がなきゃ」と使命感にあふれているので、「それはセクハラだよ」と教示して差し上げたのですが、ご本人はきょっと〜んとされていることがありました。もちろんこれは、その人個人の問題であり、「○島の日」を設定しちゃうこととは別のレヴェルですけどね。



4月4日(土)ぼんやり

 どーせ今日も出勤しちゃうんだろうと思っていたのですが、一日中、ぼんやりしていました。2度寝しても、昼寝しても、倦怠感がぬぐえず、見かけたDVDも退屈極まりなく、阪ちんも実力を発揮してしまうので、10時には眠ることでしょう。



4月5日(日)『ニューヨーク、アイラブユー』

 これがニューヨークの日常を描いているのだとしたら、ニューヨークはなんと退屈な街なのかと、きっと見た人は思うに違いありません。小市民がやらかしてしまうどーでもいいことを延々歌にして「ああ、そういうことってあるよね」的な笑いを誘う、宴会芸みたいなのがありますが(驚くべきことに、それで金儲けしている人もいるそうです)、そんな感じのドラマがオムニバス形式で次から次へと、「まだ終わんないのか」と思わされるほど、続けられます。卒業プロムとか、真にクソです。



4月6日(月)スマホの方がまし

 入学式の挨拶で、「スマホやめるか、大学やめるか」と迫った学長がいるそうです。でも、プラグマティックには、私語されるより大人しくスマホされてる方がましなんですけどね。いびきかいて眠る幸せ者とかもいることを考えると、居眠りするヤツより、調べ物しているようにも見えるスマホ中毒の方が、きっとましです。しかも、卒論の試問の間、スマホをいじり続けていたことを報告されてしまう教員様までいるんですよ、とても新入生に偉そうなことなど言えませんて。



4月7日(火)質的差異

 あ〜あ、またしても木曜日の1時間目に200人登録してる。もう、勘弁してほしいです。人生いかに生きるべきか、なんて立派な話はしませんよ。そもそも人生論やら人間学やらを語る者は、保守派のGGIと決まっているのです。自分のつまらん人生をふり返り、それを肯定するためになんやかや内容のない話をつらつら垂れ流すのが人生論やら人間学であり、最近なら「老い」について語ったりしちゃうわけです。私もでたらめですけど、この手のでたらめとは質が違うのですよ。



4月8日(水)やっぱ我慢するか

 とんでもなく寒い日でした。わが心のふるさと八王子では、雪が降ったそうです。だったらもう、1月に逆戻りしてはどうでしょうか。ええ、もちろん入試業務とかしますよ。その代わり、授業は当分なしということで。授業を受ける方だって、授業を聴くまでは楽しみにしているけれど、聴いたら幻滅しかしないのだから、聴かない方がよいでしょう。これぞ最大多数の最大幸福じゃないですか。まあ、功利主義で動く世の中は、滅びた方がよいのですけどね。



4月9日(木)不幸な人たち

共通教育は今日から授業が始まりました。ということは、多くの新入生にとっては1時間目の授業が、大学における初めての授業だということになります。ということは、哲学基礎Aを受講する大半の学生にとっては、その授業が大学における初めての授業だということになるわけです。そんなわけで、初めての授業なので何をどうすればよいのかもわからないため、「大学における初めての授業がこれだなんて、不幸ですね」と言っても、まったく笑ってくれません。普通なら、椅子から転げ落ちて身もだえしつつ笑いまくるところであるにもかかわらずです。あっ、ひょっとして、「その通り」だと思って笑うに笑えなかったのかぁ。



4月10日(金)理解が及ばない

 「国を愛する」を実現するために、国旗を掲揚して国歌を歌えと国会で答弁した方がいるそうです。その方は、国を愛している割には、原発を存続させ、米軍のために埋め立てをやらかすんですよ。まあ、「粛々と」愛しているのかもしれません。まったく理解が及ばない領域です。



4月11日(土)べらんめえ

 論文でラディカルなことを主張している人の話を聴きに東京まで来ました。論文ではあれほどラディカルなのに、柔軟な人なのか、できた人なのか、へたれなのか、絶対に合意なんてできないはずなのに、「禿同」(意訳)と言ってました。残念です。そのかわり、久しぶりに聴いたある方の吠えっぷりは相変わらず面白く、たまには学会で吠えてよ、と思いました。ただ、飲み屋でメンソール系のたばこを吸う旧知の店員に、それはたばこじゃねぇーから、お前はハッカを吸ってりゃいいんだ、とか言ってるのを聴いて、ちょっと身につまされました。



4月12日(日)クソガキさま

 帰りの新幹線でクソガキさまが騒いでいました。顔にクソと書いてあるクソ親は知らんぷりでした。クソガキの親がクソ親とは、なんという偶然でしょう。あるいはそれは必然なんでしょうか。どっちみちクソなんですから、ちゃんとトイレで流されてしまえよと、ずっと念力を送り続けていたのにまったく通じませんでした。能力の衰えが悲しいかぎりです。



4月13日(月)世界のエージェント

 そんなわけで、待兼山会館から生協へ通じる石の階段を傘を差しながら歩いていました。前をちんたら歩いている学生さまがいます。ちんたらのわけは、スマホです。ああ見えて、きっと世界を動かすエージェントなのでしょう。しかしなんと、この世界のエージェントが、足を滑らせました。この程度の能力は、まだ残っていたようです。ただ、滑った勢いでスマホを手から落とす、ということを実現するところまでの力はありませんでした。まあ、相手はしょぼい阪大生に化けた世界のエージェントですから、仕方ありませんか。



4月14日(火)豊中は終わっている

 この統一地方選では、職場で期日前投票ができるようになり、選挙権を行使することができました。まさかと思っていましたが、期日前投票へわざわざ行っても、死票に変わりはありませんでした。当選した顔ぶれを見て、豊中は終わっていることがわかりました。豊中は終わっている。



4月15日(水)キリ番は近づいている

0111110が近づいています。当分、キリ番はないので、踏んだ方には何かするかもです。10万のときは理性の他者による妨害があったみたいですが、さすがに今回はそんなことはないでしょう。ご連絡、お待ちしております。



4月16日(木)『そして、私たちは愛に帰る』

 ファティ・アキンの3部作の2作目です。1作目同様途中まではつらい話で、観た者を憂鬱にさせますが、1作目とは異なり、途中から「そっちへ行くなよ」と思う方向に話が動き、「あ〜あ」という結末を迎えます。父親なんて、どうなろうと知ったことじゃないのになぁ。それにしても、1作目も2作目も邦題がくさすぎます。こんなタイトルで観ようって気になる人がいるんでしょうか。



4月17日(金)小遣い稼ぎ

 なんかちょくちょくバースとやらがやって来るのですが、この人は息子さまが手術をするとかで、ペナントレースの最中にお帰りになった方なんですよ。もうずっと帰ってなさいよ。どうしてこうやって小遣い稼ぎのようにやって来れるのか、さっぱりわかりません。家族が重要なんだから、ずーーーっと家族といなさいって。



4月18日(土)『愛の棘』

 全編、理解不能でした。まあ、身重の妻がいるモテる体育教師がJKに翻弄されるなんて世界が、理解できるわけがありません。もともと乏しい(ひょっとするとないかもしれない)想像力を駆使しても、これほど自分の生活と共通性がないと、ほとんど蟻の世界とか、わんわんの世界とかと同じで、理解が及びません。体育教師、アホですね〜。身重の妻、うっとうしいですね〜。JK、アホかつうっとうしいですね〜。



4月19日(日)「氏ね」とは言わなかったはず

 散歩をしていたら、選挙カーが近づいてきました。「バーカ」と言ってやったら、声援を受けたと勘違いしたのか、候補者と思しきバーカがわざわざ窓から顔を覗かせてきました。もう一度「バーカ」と言ってあげたことは、言うまでもありません。



4月20日(月)ソ連も知らないなんて・・・

 受講者のほとんどは、ソ連崩壊後に生まれた人たちで、ソ連崩壊なんてありえないことを経験できなかった残念な人たちでした。アメリカが消えてなくなるくらいの出来事だと言われても、左翼が一生懸命言う割には、まだまだアメリカは終わりそうになく、したがってまったく想像が及ばないことでしょう。それにしても、まるでレーガンやサッチャーが正しかったかのような描き方は、どうかと思います。あそこらへんから新自由主義は始まったわけですから。



4月21日(火)100とか3000とか

 デジタル放送をアナログ化するという集合住宅に対する措置も2月下旬に終了したので、晴れてNHKを解約できることになりました。原発推進グループや教科書書き換えグループの放送局に比べれば、はるかにまともなところがあるので、たとえ見なくても支える方がよいのではないかとも思ったのですが、しかし経営委員に100田やら3000子やらが含まれているのに、受信料を払い続けるのは、やはりイデオロギー的に問題だろうと考えました。電話に出たふれあいセンターの方はアホでしたが、必要書類は送ってくれそうです。あったりまえですが。



4月22日(水)西洋人特権



 今日から国際会議が始まりました。夕方、エクスカーションのため四天王寺へ同行しました。年に一度、今日しか行われないという催し物を見ました。外見が西洋人ぽいと、写真のようなとんでもも許されます。帰り際には、会員様のみに配布されるパンフももらっていました。まあ、もらってうれしいかどうかは知りませんが。



4月23日(木)例によって例のごとく

 今日は教授会メンバーなどによる歓迎会がありました。新任の方が挨拶されるのですが、最初の方が挨拶されたときは異様に静かで、「おぉ」と思いましたが、みなさんが我慢できたのは3分だけで、お二人目からは、例によって例のごとく、カラオケ状態でした。私は司会をしなければいけなかったのですが、「静粛に」って言えばよかったのに、とお開きになってからご助言をいただきました。でもねぇ、その道で優秀な大人のみなさんに、「静粛に」なんて言えますか???



4月24日(金)はいはい

 ハーバーマスの発表をして、「討議できない者が排除される」なんて、いまだに言われるとは思ってもみませんでした。「討議できない者」とは、たとえば子どもだそうですが、子どもなんかと討議ができますかって。もし子どもなんかと討議ができちゃってるんだとしたら、その子どもはもはや大人並みなんですよ。あるいは、子ども並みの大人が子どもと一緒に討議という言葉を勘違いしているだけのことでしょう。わらかす。まらかす。ますから。



4月25日(土)やりたい放題

 昨日で会議は終わり、今日はバスで○○観光でした。ニーダーベルガー氏とは異なり、みなさん善良な方たちばかりなので、その地やその地の人たちがいかに悪質か、なんてことは一言も伝えませんでした。もっとも、全員が善良だったかどうかは、実はよくわかりません。たっかい晩御飯を食べる前の自由時間に、3人ほど「ビールが飲みたい」とか言い出して、しかしとても店に入って飲んでいる時間はなく、冗談半分で「缶ビールでもよければ?」と言ったところ、コンビニで買って飲むことに。いざ飲むとなると、「こんなものを路上で飲んでいてもよいのか?」と体裁を気にするようなことを言うので、「gaijin は何をしても許されるんだよ」と教えたら、人ごみの中、八坂の前のコンビニの店先で、大喜びして飲んでいました。gaijin め。



4月26日(日)黒田さま 1

 投手に対して内角球を2球続けて投げてはいけないとかいうルールがあったんでしょうか。それとも投げたのが若造で、投げられたのが美談とともに大リーグから戻っていらっしゃった大投手の場合は、そういう特別ルールが適用されるのでしょうか。でも美談と言ったって、若いときに現在の所属チームを見捨ててアメリカへ行き、たんまり儲けてから戻っていらっしゃっただけのことなんですよ。どーせもう年食ってるし、このあたりでカネ以外のことも考えています的なところを見せておいた方が、のちのちNHKに拾ってもらえたりするかもしれないし、って計算ができただけじゃないですか。あまりにも見え見えで、実は腹黒くもなんともないですね。



4月27日(月)黒田さま 2

 こういうケースで内角球を投げると怒鳴られたりするんだと、それは敗退行為を暴力的に強要されていることになるんじゃないでしょうか。これは一般的には恐喝と言われている行為です。ったく、大リーグから戻ってきただけでどうしてこんなにエラソーにふるまえるのか、そしてルールに明記されていないこうしたふざけたことがどうしてまかり通るのか、さっぱり理解できません。だから「人倫」とか「道徳」とか「倫理」とかはいかがわしいのです。



4月28日(火)黒田さま 3

 この大投手、「なれあいNO」とか言って、自己の行為を正当化しているそうですが、なれあいの意味をご存知なんでしょうか。大リーグへ行って一儲けしてきたじいさん投手が怒ったら、若造は帽子をとって謝らなきゃいけないなんていうのが、なれあいの最たるものでしょ。アホが。なれあいを強要しているのは、ほかならぬあんたじゃないか。もうこれからは、このえらい方がバッターボックスに立ったら、ホームランを打てるようなボールしか投げちゃいけないことにしてはどうでしょう。あるいは、もうバッターボックスに立つだけで、ホームランにしちゃうとか。徹底的に内角球を投げ続けるか、認定ホームランにしてしまうか、どっちかでいいんじゃないでしょうか。



4月29日(水)意味わかんねぇーし

 諸般の事情により、人の書いた文章を読んでいちゃもんをつけています。いやもう、文章にすらなっていないものもあります。段々腹が立ってきて、「イミフ」とかついつい書きそうになりますが、そこは大人の対応で「意味がわかりません」でとどまっています。朝から晩まで、まったく無意味だと薄々感じつつ、しかし無意味だということを言葉にしてしまうとやってられなくなるので、なんとか気を紛らわして読み続けるわけです。うー、だけど2本残ってしまいました。でも寝よっと。



4月30日(木)はいはい

 朝8時半にガラ空きの職場へ来て、雑務に勤しみ、18時半にすべての提出物を提出し終わりました。大学院生の業績調査もあって、問い合わせたけどご教示いただけない大先生たちの分は調べさせていただいて。自分で調べられるんだったら初めからそうしろよ、はいはい、そうですね。大先生たちはご多忙ですからねー。ともかく終わった。ざまぁみろ。



5月1日(金)『最強のふたり』

 諸般の事情により、人権問題啓発のための映画上映会に出席しました。自ら進んで観たりすることは、きっとなかったと思われる類の映画でした。やっぱこの手の上映会に来るのは善良な人たちばっかだからなのか、笑わせポイントでは声を出して笑うのに、下ネタ系では一切笑ったりせず、それが面白いと言えば面白かったかもしれません。お年を召した方たちには、ひょっとして3Pとか、何のことかわからなかったのでしょうか。邦題は、弱者のはずのふたりが合わさると最強になるということなんでしょうけど、強い弱いで人を測っている時点でスカですね。



5月2日(土)さっさと消えた方がいい

 上のような映画を観て、ほらやっぱ障がいを笑うことだって日常的にはやってるじゃん、笑いにはタブーはないんだよ的なことを考えるバカはきっといるでしょう。公共の電波を使って障がいを笑うことの不正を問題にしたときに、障がい者と触れ合った折に障がい者がごはんをうまく食べられなくてぼろぼろこぼすのがおかしくてみんなで笑ったとかいう自己のちんけな私生活を披露して反論しているつもりになっていたアホがいました。そういうどうでもいい私生活は日記にでも書いてろって。公的領域と私的領域の区別もつけられずに、くだらない私生活をぼろぼろ垂れ流すのを学問だと勘違いしている輩は、さっさと消えた方がいい。



5月3日(日)明日もか・・・

 そんなわけで、昨日も今日も休日出勤してしまいました。昨日は、大学祭の喧騒が遠くの方で聞こえていて、そんななか研究に勤しむのはなかなか味なものでしたが、今日はまったく静かで、そんななか研究に勤しむのはなかなか寂しげなものがあります。出勤日は出勤したくないのに、休日には出勤しちゃうって、わかりやすいと言えばわかりやすいのですが、やはりいろんなところに問題があるのでしょう。



5月4日(月)あと2日も

 せっかくだから映画でも行こうか、そういえばウディ・アレンが上映されていたんじゃなかったかと思って調べてみたら、なんと場所はステーション・シネマです。へー、シネコンでやってもらえるのかと思いきや、連日8時10分からの回しかありません。だれがそんな早い時刻に観に行けるんだ? ウディ・アレンなんて観るのはどうせ朝が早い年長者だけだろう、ってなめてんじゃないか? 100歩譲って年長者だけだとしても、ウディ・アレンを観るような者は善良さからはかけ離れてるんだ、こんな仕打ちをしたら映画館で何をやらかすかわからんぞ、と言っておこう。(←言うまでもありませんが、冗談ですからね。こんなことをわざわざ書かなきゃいけないほど、世の中には善良な監視がはびこっている。)



5月5日(火)ふざけんな

 なんちゃら妃だのなんちゃら王子だのがセックスしてガキんちょができたからって大騒ぎしているのが不思議でなりません。人は法の下に平等であるはずなのに、なんちゃら妃とかなんちゃら王子とか、おかしいと思わないのでしょうか。こんなのをめでたいと言ってるやつらは、身分制万歳のたんなる差別主義者じゃないですか。そもそもこいつらが正義の名の下に核を保有し、テロリストを殺戮しているのですよ。絶滅収容所のことだって知ってたのに、線路を爆撃せずに大量虐殺を許容しておきながら、すべてをちょび髭のせいにしたのです。ロベスピエールは恐怖政治と言われますが、そもそもこんなのがいまだに存在していること自体、明確な暴力じゃないですか。



5月6日(水)休みたい

 皆勤賞。スタンプラリー全制覇。特典として、5月の残りの授業はすべて休講にしてもよろしい、ってことでどうでしょう。6月は、仕方ないからやりますけど。でも、雨が降ったらなしとかでもよいのではないでしょうか。



5月7日(木)びてぇびてぇ

 小学生のころ、「尾てい骨打って、びてぇびてぇ」とくだらないだじゃれを言ってたやつがいました。GWに家族連れで出かけあんなレジャーやこんなレジャーを楽しみすぎたせいなのか、突如、腰が尾てい骨状態になってしまいました。昨年も同じようなことがありましたが、やっぱデブなんでしょうか。もっと痩せるとともに、そろそろ二足歩行をなんとかした方がよいのかもしれません。しかし四つん這いは×ロすぎる。



5月8日(金)ばっかじゃねーーー

 差別主義者たちの末裔の名前にちなんで命名したがる方もしたがる方だし、そんなことをしたら差別主義者たちに失礼だとひれ伏す方もひれ伏す方だし、別に自由にやってくれてよいよと上から許可を出す差別主義者たちも差別主義者たちなんで、もう、みなさん頭の中は桜満開ですね。でもあんなのが存在すること自体、人類に対して失礼なんですよ。



5月9日(土)腰痛が痛い

 国際的なNGO組織であるセーブ・ザ・ガキんちょとかいう団体が、5月の第2日曜にちなんで、各国家がどれほど母にやさしいか、順位づけをしていました。指標の一つに、女性議員がどれだけいるかということが挙げられているのですが、なぜかと言えば、女性議員の存在は、「女性や子どもが暮らしやすい社会づくりにつながる」からだそうです。へぇー、そうなんだ。じゃあ、80年代に差別王国で新自由主義を始めた「鉄の女」とか、八紘一宇がどうこうと国会で質問なさった女性はどうなるんでしょうか。女性議員だから女性や子どものことを考えるなどというのは、もしそういうことがあったとしても、たんなるアイデンティティ・ポリティクスじゃないですか。まったく、バカにもほどがある。



5月10日(日)憂鬱な日曜

 ただでさえ日曜は憂鬱なのに、朝から腰が尾てい骨だったので、大学へ行き、連休中の出勤の振休申請をしました。湯に浸かっていると、まるで何事もないかのような錯覚を覚えますが、湯から上がると途端に現実が襲ってきます。あああ。



5月11日(月)ちょっとだけ下げる

 そんなわけで、朝から目の前にある病院へ行きました。予想通り、レントゲンを撮ることになりましたが、レントゲン室でのことは予想外でした。「じゃあ、ズボンだけ、ちょっと下げてもらいましょうか」と言われ、もたもたしていたら、下げてくれました。ちょっとだけ。いっそのこと、完全に脱いでしまえばよいものを、中途半場に脱がされているその格好は、どう見てもいやらしいんじゃないの、って思いました。しかも、いろいろと向きを変え、そのたびに手を頭の上に置いたりとか、ポーズをとらなきゃいけませんでした。これってひょっとしてなんちゃらプレイじゃねーのって思うのは、私だけなんでしょうか。



5月12日(火)君たちは5つか

 「人には腰椎が5つあって…」とかいう記事を予習していたのですが、レントゲン写真から、それが6つあることがわかりました。そうか、やっぱ人じゃなかったのか。だから人の痛みもわからないし、傍若無人だと言われ続けてきたのでしょう。腰椎はもともと不安定だけど、それが6つあると、一層不安定になるから、だから腰痛を引き起こすのだろう、と言われましたが、ネットで見たら、そういうことを言う医者は、原因がわからないために言い訳してるんだと書かれてありました。学校ではそう教わるそうですが、根拠はないのだと。医者の言い方が、ネットで批判されているものとあまりにも同じなので、笑えるほどでした。ともかく、人じゃないので、きっとネ申なんだと思います。



5月13日(水)どーせ5つか

 レントゲン写真を撮ったら骨にひびが入っていることがわかったばあさんは、家の近所にある開業医へ通院することを勧められましたが、そこでここへ来るまでの経緯が語られることになります。転んだときに身体を打って、いつまでも痛むので近所の開業医へ行き、レントゲン写真を撮ったのだけれど「何ともなってない」と言われ、でも痛みは残ったままなので、北大阪病院だか南大阪病院だかに行ったところ、「市立豊中病院へ行け」と言われたそうです。結論としては、だから近所の開業医へは行きたくない、ということなのですが、勧めた側は、「写真の写り具合ではひびがわからないこともある」などと、まあそりゃそうかもしれないけど、でもなぁ、ってことを言うわけです。自分たちにとっては数多くの患者のうちのひとりかもしれないけど、そのばあさんにとってはそれが1回きりの経験なんだとか、絶対考えたことないんでしょうねぇ。どーせ腰椎5つだろうし。



5月14日(木)差別主義的バカ

 「日本にいるんだから、日本のルールに従え」と、おっしゃったプロ野球の監督がいるそうです。これって、日本にいるんだからひのきみに敬意を払えという発想と同じであり、ひのきみに敬意を払えない者は日本から出ていけ、という差別主義なんですよ。いくら元筋バだからって、許されることじゃないです。ルールなんだったら、ルールだと言うべきであって、ナショナリズム丸出しの修飾語なんかつけんな、バカ。



5月15日(金)まるで逆

 「命と平和を守る」ために必要なのは、軍事同盟じゃなくて、武装解除、軍備撤廃でしょう。海外のメディアでは「軍隊」と呼ばれている組織を即時に解散し、米軍にもお帰りいただく。丸腰なんかになったらすぐに侵略されちゃうとか言う人は、じゃあいま侵略されないのは「軍隊」がいるからだとお考えなんでしょうか。丸腰の相手を侵略したりしたら、国際世論がだまっていないでしょう。いや、ひょっとしたら複数で分割ってことになるかもしれませんが、その場合、豊中市はEUの飛び地ってことにして欲しい。



5月16日(土)集団的自衛権の容認は憲法違反

 集団的自衛権を認めるためには、まず憲法を改正しないといけないわけで、憲法改正を行わずに集団的自衛権を限定的だろうとなんだろうと容認するような閣議決定は憲法違反であって、この内閣は憲法違反内閣です。そして原発推進派のその新聞社は、ここには日米同盟をより強固にする「理」があるが、国民のあいだには漠然とした不安という「情」があると言います。まったくでたらめです。憲法を遵守しないことに「理」があるわけがないでしょう。むしろ憲法なんてものがあったって、腹芸で融通を利かせるというのがこの共同体の伝統的な「情」でしょう。もはや法治国家ですらない野蛮な共同体なのですから、同盟を結ぶ前に、まずは米軍に爆撃してもらうところから始めないといけないのではないでしょうか。



5月17日(日)鼻血出るまで

 ただでさえ憂鬱な日曜の昼下がりに、仕方がないので2時間ちょっと散歩しました。2時間ちょっと散歩するって、ホント、バカだと思います。この手のことをすると、「アホに鼻かめ言うたら、鼻血出るまでかむ」と、むかし成長過程においてよく罵られましたが、見事にずっと鼻血垂らしたままです。



5月18日(月)声に押されて復帰とかやめてね

 てっきり大阪市はなくなるものだと思っていましたが、さすがに公務員やインテリ叩きだけでは不十分だったようです。しかしこれで、原発再稼働とかいう話にならなければよいのだけれど、と思います。改憲への影響を云々するメディアもあるのですが、そもそも閣議決定の前に改憲しないと不正です。言うんだったら、そこから言ってもらわないと。



5月19日(火)あたまからさー

 その俳優、どう見ても知性のかけらもなさそうなのに、自信満々な様子がイタくて大嫌いなのですが、ある記者会見で、「日本人としてではなく別の国の人と間違われて差別された」とヨーロッパで差別された体験を披露したそうです。「日本人」と見なされていたら、差別されなかったのに…、ということなんでしょうか。やっぱ外見通り、ストレートにバ○なんですね。そんなに日本人に見られたいのなら、パスポートを顔にはっときゃいいじゃん。



5月20日(水)実に不愉快

 朝から大量のヘリコプターが上空を飛んでいてやかましかったのですが、この頃職場からの帰りに使っている道で事故があったようでした。今日もその道を帰ると、タクシーで乗りつけたゴミ関係者らしいのがカメラをもってうろうろしており、実に不愉快でした。まさかとは思いますが、こんなところで報道の使命を果たしているなんて考えちゃいないでしょうね。憲法違反の閣議決定を行った内閣を批判してくださいよ、ちゃんと。



5月21日(木)応えてやるよ

 1時間目に、他にもいっぱい座るところがあるだろうに、わざわざ1番前の席に座り、つっぷしたままお休みになる方は、たんに計算能力のなさを披露しているだけなのか、クソ教師に対する示威行為を展開なさっているのか、あるいは無垢な純粋性をアピールしているのか、どれなんでしょうか。眠いのなら、ずーーーっと眠り続ければよいものを、不思議なことに授業が終わるとちゃんと目が覚めて帰って行くのですよ。計算能力がないアホとか、無垢で純粋なんて気持ち悪いやつは相手にしません。どっか行ってください。挑発しているやつには、ちゃんとそれに応えて、権威主義的教師がいかなる存在かを思い知らせてくれようぞ。



5月22日(金)『ジゴロ・イン・ニューヨーク』

 ウディ・アレンがかかりつけの皮膚科の医者から「3Pしたいので男をひとり紹介してくれ」と相談されるのですが、このレズビアンの医者がシャロン・ストーンなのです。さすがアメリカです。そのアメリカと憲法を無視して軍事同盟を結ぶこのクソ共同体では、シャロン・ストーンみたいな皮膚科の医者がいるなんて、まったく想像できません。もしそんな医者がいたら、もうむりくり肌荒れさせて診察をうけますよ。そして相談をもちかけられる、と。わはは。



5月23日(土)何様だ

 またしても朝から「朝からごめん、忘れてたの」ってタイトルのメイルが届きました。「携帯のアド変したの言い忘れてた」そうです。にもかかわらず、「届いたら一応連絡下さい」って、あんた何様のつもりだって感じです。でも、連絡がきてるかどうかを「昼の休憩に確認する」って、土曜なのにお仕事されてるみたいで、さすが「民間」は違いますねー。ところが、こっちだって朝から出勤してるもんねー。どうだ、まいったか。



5月24日(日)『二つの顔』

 ガキんちょの頃は、しょぼいと思ったけれど、年を取ってから観ると、なかなか面白いと思いました。すでに凶器が示唆的だし、原題も Double Shock で、伏線がいろいろと張り巡らされています。きっとガキんちょには、そういうことがわからなかったのでしょう。ただたんにコロンボが歩きまわって時間を測り、それが決め手になるなんて面白くない、と思ったのだと思います。だからガキんちょはダメです、と一般化すると文句を言われそうですが、今のところ、反証例を見たことがありません。



5月25日(月)寛大な朝

 朝、シグマホール前の横断歩道を渡ろうとしたら、正門方向からデブ臭をまき散らしながら歩いてきたデブっちょくんに行く手を阻まれましたが、そのあまりの自信満々ぶりにかわいそうになって許してあげました。そして池のほとりを歩いていると、今度はばあさんがケータイで「信じる者は救われる」とおっしゃっていたので、「信じる者は騙されるだよ」と教えたくなりましたが、あまりにも自信満々に言うたったオーラをまき散らしていたので、かわいそうになって許してあげました。今日は朝からふたつもよいことをしてしまいました。



5月26日(火)『毒のある花』

 観ている側をミスリードするセリフがさりげなく挟まれていたりする点は面白かったのですが、やっぱりこれはジェンダー・バイアスのかかった話なのではないかと思いました。化粧品会社の社長をするような女性は、美しさを重視するけれど、衝動的に殺人を犯してしまう、といったような。コロンボに出てくる犯人はたいてい計算づくめで、そういう意味では理知的なのに、美のことしか考えない女性ときたら…、というイデオロギーが働いているように思いました。



5月27日(水)『フレンチ・コネクション』

 いまさらながらに観ましたが、まあ、物議をかもす監督の作品だけあって、全編、差別に満ち溢れていました。もう、これほど差別的だと、むしろアメリカの正義をシニカルに描いているのかと思うほどですが、しかし同じ監督の他の作品のことを考えると、やっぱりたんに差別主義なんでしょう。こういうのがアカデミー作品賞やら監督賞やらを受章しちゃうから、ヨーロッパ人からは笑われるのでしょう。



5月28日(木)反対派はおかしなお前らなのか

 この前の住民投票の結果について、「老い先短い人たち」のせいで「これからの世代の子はかわいそう」と、思いやりのあるご発言を公共の電波を使ってなさったニュース・キャスターとやらがいるそうです。最後に、その主張の下品さを象徴するように、「必ずおかしな反対派からクレームの電話来るんだけど。いい加減にしろ、お前ら本当に!」と、おっしゃったそうです。「おかしな」ってどういう意味なんでしょうかね。そりゃ、辛坊さまほどの頭脳は持ち合わせていないかもしれないけど、そのことと「おかしな」と形容することとは、別の話ですよ。そして辛坊さまほど理知的ではない人たちに向かって「お前ら」って。まあ、こんなのはニュース番組を装ったバラエティ番組に過ぎないのだからなんでもオッケーってことなんでしょうか。いくら頭がよくたって、ダメだと思いますけどね。まして○○なんだから。



5月29日(金)上には上なのか、下には下なのか

 視聴者に向かって「おかしな」「お前ら」と言うような報道関係者がいても、まあ仕方がないかもしれません。立法府である議会において、答弁ができなかったりやじを飛ばしたりして、短期間のうちに2度も「ごめんなさい」と言う人がいるくらいなんですから。しかもそれは、飛び入りで国会に参加した小学生とかじゃなく、行政府の長なんですよー。こんなのが、憲法を無視して閣議決定を行う内閣の長なんですすから、まあ取るに足りない元アナウンサーもどきが何を言おうと、この共同体においては仕方のないことなんでしょう。



5月30日(土)そもそも存在が矛盾だが

 しかし、まともに答弁できないのに、「早く質問しろよ」って矛盾してますよね。むしろ、質問してくれない方がいいじゃないですかね。いや、質問されようとされまいと、どうせ答えられないんだから、せめて質問された方が、アリバイ作りにはなるということなんでしょうか。



5月31日(日)犯人に告ぐ

 帰りの新幹線には、例によって、超法規的存在にして最強軍団の一員たるガキんちょさまがご乗車されており、静岡地獄を泣きわめいてお過ごしになっていました。作っちゃった犯人のひとりは、東京駅のホームでお別れしていました。どうやら単身赴任中のその犯人を、もうひとりの犯人がガキんちょさまを連れて訪問した、その帰りのようです。東京駅まで来ただけで、あとはガキんちょさまの面倒を見ないで済んでる犯人に比べ、泣きわめくのを間近で経験しなきゃいけないもうひとりの犯人はたしかにかわいそうではあります。でも犯人ですから。大人げないやつの舌打ちくらいが聞こえたとしても、そこは我慢しないと。



6月1日(月)土日め

 6月が始まりましたが、国家的陰謀のせいで月曜が5回もあります。土曜とか日曜とかが、サボってるせいです。そのくせ8月にどっちも5回ずつやってくるって、ちょっとなめすぎてませんか。少しは月曜のことも思いやれよと思うのですが、なんか自分たちのことしか考えないっぽいですよね、土日って。



6月2日(火)こわやこわや

 今回もそうでしたが、最近東京の宿が非常にとりにくくなっているような気がします。そんなに旅行者がたくさん来ているのでしょうか。しかしこんなに地震が多いのに怖くないのでしょうか。かつて大地震があった折に、デマをふりまいて外国人を虐殺した伝統があるのですよ、東京には。しかも東京には行政府があり、行政府の長はあのお方なんですよ。こわやこわや。



6月3日(水)仕方ないか・・・

 授業で、自由より大切なものがあるかを尋ねたときに、「平等」という答えがたくさん出ると思っていたのですが、そう答えたのはなんとひとりだけでした。福祉国家的発想だと、重要なのは自由なんかより平等だろうと考えるものだと思うのですが、よく考えたら、80年代以降、ここにあるのは基本的に新自由主義だけなのかもしれません。おまけに、自由は苦しいのである程度束縛してもらった方がいいと答える人も結構いて、これってちょっとヤバいんじゃないの、と思いました。



6月4日(木)ハンバーガーとコーラ

 沖縄県知事が訪米して基地移設反対を訴えたところ、冷遇されたので「逆切れ」と報道する報道関係者は、それでもナショナリストなんでしょうか。ナショナリストなら、なぜアメリカの言いなりになることこそを批判しないのでしょうか。どうせナショナリストなのに、なぜアメリカに抵抗する者を「逆切れ」する者として扱うのでしょうか。それにしても、「早く質問しろよ」男とは異なり、理を尽くせばまだアメリカ人は理解を示すだろうと思っていましたが、ドイツ人たちが言うとおり、やっぱハンバーガーとコーラで頭やられちゃってるんでしょうか。



6月5日(金)消えてください

 自転車は、事故件数が減少しているのに、検挙件数がとんでもなく増大しています。にもかかわらず、というか、だからこそ、「罰金制度」なのでしょう。ただでさえ小遣い稼ぎのわんがうろうろしてうっとうしいのに、これでますます、大手を振って尻尾を振り振りそこらじゅうに出没するわけです。いちいち「バーカ」とか「ボケ」とか「氏ね」とか言わなきゃいけないので、大変な人がいるそうです。わんどもよ、そんなことで社会正義を果たしていると勘違いしてくれるなよ。



6月6日(土)ある意味では正しいが・・・

 「教授は横領、准教授はセクハラ、助教はパワハラ」だと思います。教授にもなってセクハラするのは恥ずかしすぎるし、准教授の分際で横領するなんて傲慢すぎます。発表によるかぎり、古典的な横領のようですが、どうして露見してしまったのか、ちょっと学術的に興味があります。相互に利益計算をして秘密が守られてきたけれど、不正であるという法律に関する知が告発を導いたのか、不正を行ってはいけないという倫理なんかが働いてしまったのか、あるいは最後も利益計算をして、清算した方が得だと考えられたのか。できれば最初の選択肢であって欲しく、そうじゃなきゃ最後の選択肢がよく、真ん中のだけはやめてほしいところです。



6月7日(日)自覚なんてあるわけがない

 職場の同窓会幹事会というのがあり、昨日も出勤しました。まあ、どっちみち出勤するつもりだったので、行くこと自体に変わりはありませんでした。致命的なのは、同窓会とかってどうでもいいやって思ってることです。もちろん、引き受けた以上、ちゃんと仕事はしますが、しかしその仕事に「魂」はありません。なぜなら、そもそもその種の「魂」なんてないと思っているからです。でも、同窓会を支えているみなさんは、きっとその手の「魂」をおもちなのです。だから、幹事なのに幹事会に出席しない人には幹事の自覚がないとか言い出してしまうわけです。私にも自覚なんてミジンコほどもないですよ〜っておもっきり思いましたが、そこは大人の対応で黙ってました。だから、定刻を過ぎても会議は終わりませんでした。ぐは〜。



6月8日(月)事の真相

 幹事なのに幹事会にこない人がいる原因は、ひょっとしたら自分たちがどーでもいいことをだらだらだらだらいつまでもだべり続けているからだとか、思ったことはきっとないでしょうね。人には要求する自覚が欠けてるなんて、おもしろすぎますね、ネタとしては。しかしそこは大人の対応で、黙ってます。どーせ長い物には巻かれる人ですから。うるさいわ、ボケ。



6月9日(火)倫理観とかやめてほしい

 不正事案の発生要因について、報告がありました。不正にあたる問題が、アルバイト給与関係と刊行物の販売関係とに分類され、それぞれ分析がなされているのですが、一方は不正との認識があったにもかかわらず「倫理観の欠如」が指摘され、もう一方は認識の一部誤りとやはり「倫理観の欠如」が指摘されています。うー、予想されていたこととは言え、これじゃあ法を守るためには倫理が必要だという話になってしまいます。倫理観なんて欠如してるけど、でも法だと知ってるから守ります、で十分じゃないですか。倫理観を教育するなんてことになったら、いったい何をやらかすんでしょう。まったく恐ろしい限りです。



6月10日(水)『別れのワイン』

 これもガキんちょには、たんなるスノッブの感傷主義だけが印象に残る、面白さがわからない作品でした。ところが、特別な能力をもつ犯人こそがコロンボの推理を確証してしまうという仕掛けになっていて、やはりシリーズ特有のクオリティを保持していたのでした。犯行に気づいた秘書に結婚を迫られたため、捕まることになってホッとした、結婚なんかより監獄の方がよっぽど自由だ、などとお茶の間をしーんとさせてしまうようなセリフのことも、プチブル家庭で育っていたガキんちょの頭にはまったく残っていませんでした。なるほど、存在は意識を規定する。



6月11日(木)ニュー八

 この結婚を迫る役者ですが、冒頭で名前が表示されたときからひょっとして、と思い、顔もその面影があると思っていたら、やっぱり『エデンの東』でジェームス・ディーンの相手役をした俳優でした。そして『エデンの東』と言えば、生まれて初めて映画館で観た映画です。映画館とは、いまはなきニュー八で(と思ってネットで調べたら、なんと、まだ健在でした)、『クリスマス・ツリー』と二本立てでした。



6月12日(金)『境遇』

 全編、わけがわかりませんでした。なんで泣いてるのかもなんで怒ってるのかもなんで恨んでいるのかも、さっぱりです。原作がどうなってるのかわからないのですが、ひょっとしてこの作者ってたんなる善良な人なんじゃないかって思えてきます。創立60周年記念スペシャルドラマだそうですが、こんなの作ってたら、8とか10とかと変らないじゃん。



6月13日(土)知ってるっつ―の

 1年生対象の講義で、「イギリス経験論と大陸合理論のおいしいところをとったのがカントで…」というようなことをしゃべると、カントが立派なのはわかった、でも金にはならない、というようなことを書くのが出て、最初、「金(=きん)にはならない」ってどういう意味だろうと思ったのですが、よくよく読むと、「金(=かね)にはならない」と言いたかったことがわかりました。へ〜、そうなんだ、金にはならないんだー、って知ってますよ、そんなことをわざわざ教えていただかなくても。ったく、こういう発想が、大学は職業訓練校にすればいいとかおっしゃる方たちのメンタリティと同じだってことがわからんのかなぁ。社会に出たらどーせ保守化するんだから、せめて大学生の間だけでも批判的であってくださいよってお願いしているのに、まったく届いていないのですねぇ。フツーに言っときましょう、世の中それがすべてじゃないんですよ。



6月14日(日)間に合ってます

 先週の半ばくらいから、さかんに、「ここに写真があるよ」と「ファッ○」どうこうというタイトルのついたイタメ―がとんでもない量で送られてきます。タイトルが漢字ばっかのあのあたりからのイタメ―を凌ぐ勢いです。写真も見る気はないし、知らない人から誘われてファッ○なんて、どう考えても冒険が過ぎるので、たぶんありえないと思います。だからもう送るのやめてよ、って返信したいくらいですが、そんなことをしたらこれまで以上に送られてくることになるでしょうから、ただただ削除を繰り返しています。



6月15日(月)『野望の果て』

 本筋より、イタリア系だと「マフィアだ」と差別される状況をコロンボに嘆くイタリア系の歯医者が興味深かったです。70年代とは、そういう時代だったのでしょうか。コロンボはもちろんイタリア系なのですが、驚くべきことに、ピーター・フォークはイタリア系でもなんでもありませんでした。ずっとイタリア系だと思ってきましたが、なんと両親ともユダヤ人でした。



6月16日(火)反対署名について

 デモは、「いい汗かいた」的なところが嫌なので、参加せず、署名活動も、踏み絵を強要されている感じがするので、極力避けています。しかし今回、「安全保障関連法案に反対する学者の会」がアピール賛同の署名活動を行っていて、迷うことなく署名しました。署名者リストを見ていると、普段ならこの手の署名なんて絶対にしなさそうな人が何人も含まれていて、事の重大さが再認識されます。私は、集団的自衛権そのものにも反対ですが、これは認めてもよいと考える方もいるでしょう。しかしそのためには、まず、憲法を変えなきゃいけないのです。その順序が無視されようとしているから、反対の声が大きいのです。



6月17日(水)それは別の話でしょ

 さっそく、「アピール」に反対だというメイルをいただきました。9条に反対だからという理由なんですが、それが理由になる理由がわかりません。問題は、審議されている法案が憲法に違反しているということにあるのですから、わざわざ反対を表明するのなら、憲法には違反していないと言うか、もしくは憲法なんてクソ食らえと言うしかありません。「9条に反対」という言い方は、今のままじゃこの法案は通せないってことを認めちゃってるわけで、表明とは裏腹に、実はアピールに賛成しちゃってることになるのですよ。と思いましたが、めんどくさいので返信してません。



6月18日(木)不買運動

 「そういう態度が問題なんだよ」と言われれば、ごもっともと思わなくもありませんが、でもやっぱ、問題だと思う方が相手をしてあげてください。私は他にも、あんなことやこんなことをしなければなりません。そもそも、「売られたけんかは買わないわけにはいかない」なんて、勇ましいことは考えていません。けんかはいけません。絶対平和主義に反しています。



6月19日(金)論理的必然性

 文系はいらないと主張する大臣が、ひのきみを押しつけるのは、これは論理的な必然性なのか、それともふたつのことはまったく異なった別のことであって、たまたま同じ人がふたつのことを行っているだけなのか、非常に興味深いところです。ところで、ひのきみはいらないと考える文系教員が、この大臣をいらないと考えることは論理的に必然的です。



6月20日(土)『重罪と軽罪』

 メガネをかけたミア・ファローが、ウディ・アレンの嫌うバカ男に口説かれても相手にしないときは美しく見えるのですが、最終的にバカ男と婚約する頃には、メガネもはずし、おもっくそぶっさいくに見えるのは、ウディ・アレンの腕なんでしょうか、それとも観てる側のたんなる偏見なんでしょうか。劇中、ウディ・アレンの妹がとんでもない性体験を告白しますが、それでも、ユダヤ教の敬虔な信者の主張よりもレーニン主義者の議論の方が、はるかにまっとうに聞こえます。



6月21日(日)ある意味では天才的

 まさか「映画のようなラスト」になったりはしないよね、と思っていたら、さすがはウディ・アレンなので、その反対が選ばれ、「よかった」と思いました。ところが、ウィキによれば、他人の作品をまねてことごとく元の作品よりとんでもなくつまらないものにするある意味では天才的な脚本家が、やはりこの作品をまねて、しかし「映画のようなラスト」をこしらえたそうです。なんとも、大笑いです。やっぱりあの人はクソなんですね。



6月22日(月)相変わらず…

 「人が何を信じているか、何を愛しているかは力によっては変えられない。力ずくで真理は与えられない」とか言って反対している人もいるそうですが、だからダメなんですよ。そのとおりだったら、別にわざわざ反対のアピールをする必要なんてないのです。あの人たちが憲法違反しようと、あなたの信仰や愛やら、おまけに真理とやらは揺るがないんでしょ、だったらいいじゃんてことになるのがわからないんでしょうか。とりわけあなたの語る信仰や愛や真理がひどいものであることをカッコに入れるとしても、信仰やら愛やら真理をもち出したら、神々の争いにしかならないんですよ。



6月23日(火)絶対ない

 渋谷で長いエスカレータに乗っていたら、ちょっと前にいたJKが手袋を落とし、そのまま気がつかないので、拾い、追いかけて渡しました。大事なものだったらしく、お礼としてお茶に誘ってくれましたが、同僚と新幹線に乗る時間が迫っていたので、断りました。しかし、しばらくして考え直し、同僚には先に帰ってもらうことにして、まだ近くにいた彼女とお茶を飲むことにしました。だめだ、こんなことだからスケスケ詐欺に引っかかるし、コロコロ転がされるんだ、そもそもJKなんて何の興味もないはずなのに…。しかし否定すればするほど、「精神分析的には…」という話になるに違いなくて、われながらうんざりです。念のためにダメ押ししますが、夢に責任はもてませんし、こんなことが「夢」だなんてことはけっしてありません。断固否定します。



6月24日(水)『プリズナーズ』

 ヒュー・ジャックマン、もともと好きじゃないですが、こういう「正しいお父さん」役がぴったりで、やっぱり好きじゃないことを再確認しました。だらだらだらだら150分以上もありましたが、謎解きが面白いわけでもなく、ただただ性犯罪者は差別してもよい、というメッセージと、黒人は善良そうに見えるけどずる賢いぞ、というメッセージしか伝わってきませんでした。ダメだこりゃあ。



6月25日(木)国家による殺人

 巨悪が進行しつつあるから、軽微な悪は見逃してもらえるだろうと思っているのか、国家による殺人が行われました。伝えられているかぎりだと、殺された人はたしかに極悪非道だったかもしれません。しかしそのことが、国家による殺人を正当化することはできないでしょう。当たり前ですが、国家による殺人も殺人に変わりはないからです。正義の名のもとに肯定される殺人があるなんて、戦争と同じじゃないですか。もっとも、立憲主義はかなり危うい状況にあり、そういう意味では戦争状態なのかもしれませんが。



6月26日(金)情念のようなもの

 国家による殺人を肯定する議論においてもしばしば登場しますが、ある書物の出版をめぐって、やはり情念のようなものが法や権利に優先されようとしていて、恐ろしいものがないわけではありません。ひょっとすると、立憲主義を否定して戦いたい人たちにも、こういった情念が共通しているかもしれません。もしこれらの人たちを突き動かすものが情念だとしたら、コミュニケーション合理性の働く余地はありませんが、しかし情念という名のイデオロギーに過ぎないのであれば、コミュニケーション合理性によって批判的に語ることには意味があると思います。



6月27日(土)お金持ちたち

 今日は東京出張でしたが、新横浜で、というか、新横浜から、というか、「えぇ〜」ってことがありました。大家族を含む中国語を話す一行が、新横浜からのぞみに乗車してきたのです。東京まで。これぞチャイニーズ・マネーなのか、それともたんに知らないだけなのでしょうか。所要時間は18分です。まあ、ひとり1300円ちょっとなので、大したことはないのかもしれませんが…。



6月28日(日)長すぎる末期症状

 まるで出来の悪い中学生とか、飲み屋で酔っぱらいつつ愚痴るダメなおっさんの発言みたいですが、しかし一応、政治家の発言なのですよ。政権与党の身にある自分の発言が、言論統制の意味をもつことさえ考えつかないでしゃべってしまうなんて、ある意味では純粋無垢なんでしょうか。もちろん、純粋無垢なら許されるというものではありませんけど。なんかもう、長すぎる末期症状です。



6月29日(月)最低ライン

 100田は、本当につぶれてほしいのは、朝日と毎日と東京だと言ったそうですが、とりあえずよかったですね、朝日と毎日と東京は。100田にネガティヴ評価されたからといって、優れていることにはならないのですが、しかし100田がつぶれてほしいとは思わない新聞社もあるわけで、マスメディアであろうとするのなら、とりあえずそっち側に入らないことは満たしとかなきゃいけないでしょう。いやいや、「冗談」じゃなくてね。



6月30日(火)いつものように

 まあ絶対出るだろうとは思っていましたが、案の定、「自殺するなら人に迷惑かけるな」とわざわざ書いてみせる立派な方がいらっしゃるわけです。どうしてわざわざ書いてみせるのでしょうか。こう言ってみせるのが社会正義だとお考えなんでしょうか。それはまるで間違っています。まったくの憶測ですが、きっとこの手の方は、自殺するヤツなんてのはたんに弱いだけなんで、弱い自分が悪いんだから、人には迷惑かけんなよ、とかお考えなんじゃないでしょうか。じゃあ、強きゃあ迷惑かけてもいいんすか。強いあなたのような方がぶいぶい人に迷惑かけるから、死にたくなる人だって出てきちゃうのかもしんないのに。



7月1日(水)見る目あるんですね

 そういえば、私はめったにテレビ番組はほめないけど、『探偵ナイトスクープ』は面白いと、ぼくって見る目あるんだよ的な発言をしていた知り合いが、かつていました。あんなごろつきみたいなのが放送作家を務めている番組が面白いんですねー。知りませんでした。まあ、テレビは映らないので関係ないですが。



7月2日(木)採決って・・・

 15日ごろに採決とかいう記事を読みました。こんなに反対の声が上がっているのに、しかもそれは、憲法に違反している法律を認めたらもはやなんでもありになってしまうだろうという声なのに、常套句となっている「選挙で選ばれた」人たちによる採決が行われてしまうとは。これでなんでもありに道がひらかれるわけです。大丈夫なんでしょうか。ワイマール憲法を破棄しないまま、全権委任法によって「合法的に」好き勝手できた人たちと同じことができちゃうんですよ。でも、なんかだんだん、こんなふうに文句を言ってるごく一部の頭のかたい連中も、憲法だって自在に解釈できる柔軟な頭をもたなきゃだめだよ、って諭されてる気分になってきます。



7月3日(土)おもっくそ屈辱的では

 それにしても、自由で民主的な人たちの中には、この無茶苦茶を無茶苦茶と判断できる人たちが含まれているのではないのでしょうか。世界平和とかなんとか言ってる拝み屋たちには何の期待もありませんが、自由で民主的な人たちのうちには、少しはまともな方たちが混じっていると思っているのですが…。そういう人たちは、このまま採決なんてしちゃったらおよそ立憲政治なんてものが成り立たなくなってしまうことを十分に理解できるはずでしょう。なのに造反はできないのでしょうか。それとも、こんなのは根拠のない期待に過ぎず、メンタリティは拝み屋と同じなんでしょうか。そう言われちゃったら、あまりにも屈辱的だと思うのですが…。



7月4日(土)スト

 こうなったら、授業とテストのストライキという闘争でしょうか。授業がなくなったところでだれも騒がないでしょうけど、テストがなくなれば、単位が認定されないわけで、学生さまにも響いてくるのではないでしょうか。学生さまが単位をとれないとなると、卒業できなくなって、それがそのまま親の負担につながるので、親も採決に反対するようになる、と。このシナリオ、ちょっとどうでしょう。



7月5日(日)ひそやかな喜び

 反対する会のアピールに賛成の署名をしたせいで収監されるとしたら(はいはい、こういうのは大物ぶる小物の権威主義的妄想だって知ってますよ、バーカ)、所属する専門分野は全滅するのですが、このことは、もちろん自己満足に過ぎないわけですが、ひそやかな喜びではあります。 



7月6日(月)『ミッドナイト・エクスプレス』

 話そのものは、どうでもいいっす、という感じです。まあ、30分くらいならよかったかもしれません。終わりの方で、ハーヴァードで勉強し、オックスフォードで学位をとり、ウィーンにも留学したとかいう男が出てきます。少女の強姦容疑で服役しています。そいつの専攻が、哲学。なんでそーなるの。



7月7日(火)わるぅごぜぇーました

 編集すれば種々好き勝手され、翻訳すれば公の媒体でボロカスにこきおろされ。1年生のための研究室訪問に出れば、完全に冷やかしにきたバ○の相手をさせられて。もうなんだかすべてどうでもいいやって感じですかね。



7月27日(月)そんな気分

 そんなわけで、久しぶりに出勤しました。猛暑があまりにも無関係だったので、くらくらくる太陽光線がいとおしいくらいでした。かりに、授業に半分も出ないで試験も受けない学生が特別に課題を出して欲しいと言ってきたら、「柄谷行人における戦争放棄の贈与とカントにおける「衡平」について、4,000字〜5,000字で木曜日までに論ぜよ」と応えたくなるくらいの気分でした。



8月3日(月)細もも

 先週はまだまだ出勤できるような状態ではなかったようです。悪くなったというより、悪くなるのが怖くて、動けなくなってしまいました。そうです、私はへたれです。今日は、1週間ぶりに出勤しました。私よりはるかに年長の方に抜かされつつ、とぼとぼと歩きました。事務の方から、お見かけするたびにやつれていくので心配です、というお言葉をいただきました。けけけ。でも、実際太ももがげっそりして細ももになってて、われながらびっくりします。



8月4日(火)マキシマム

 久しぶりに歩くと、膝が笑ってなかなか面白いものがあります。膝が笑うので、上げた脚を下ろすのが、思っている通りにはいかなかったりして、よたっとするわけです。そんなことを何度か繰り返し、今のところマキシマムは20分。これがちょうど自宅と職場の片道分にあたるので、なんぼほど仕事好きなんだろうと思います。診断書では、今週も病休をとれるのですが、ちゃんと出勤しちゃいました。



8月5日(水)バカな話 1

 ゴールデンウィーク中に出勤して、突然腰を痛め、1ヶ月まったく走らず、でもそろそろ我慢できなくなって走り始め、その気持ちのよさを味わいました。歩く場合もそうですが、久しぶりに走ると、やはり膝が笑うのです。それがとてもうれしいのです。膝も笑えば、ご主人さまも笑うという感じです。歩いているだけでは経験できないような、のどの渇きとかもあって、何物にも代えがたいとか思ってしまうのでした。だから、少々腰が痛くても、そのうち腰痛の方が諦めるだろうと思っていました。



8月6日(木)バカな話 2

 腰痛をなめていました。7月11日に、走るどころか、歩くどころか、立っているのさえ、いやいや、もう座っていようが横になっていようが、腰から下の左側がしびれるとともに、激痛が走るようになりました。私が走る代わりに、激痛が走るのです。いやいや、笑いごとではありません。神戸市西区に高校の同級生が店を出しているのを知っていたので、激痛を堪えながらタクシーで乗りつけました。な、なんと、椎間板ヘルニアですと。やってしまったという感じです。



8月7日(金)バカな話 3

 ゴールデンウィークの頃は、こんな痛みは初めてだと、腰痛のことを恐ろしく思いました。しかし、椎間板ヘルニアによる神経痛に比べれば、もうあんなものはひよっこみたいなもんです。「こんなの初めて〜」がいつもまったく信用できないというのは、こんなところでも実証されてしまいました。なるほど。



8月8日(土)バカな話 4

 なんというか、いなかの高校で「だれそれちゃん、かわいい」とか思ってたのに、教育実習にやってきて「私、処女じゃないよ」とカミングアウトするおねえさんを目にして、比べ物にならないなーと思ったみたいな感じでしょうか。たんなる腰痛と椎間板ヘルニアによる神経痛は、ともかくそのくらいに違います。



8月9日(日)バカな話 5

 発症して1週間、ほとんどよくなっているとは思えないので、神戸市西区へ行こうとしました。それは、台風が西日本を縦断した翌日のことです。ネットによれば、阪神高速は通行止と大渋滞です。仕方がないので中国道から山陽道へ出て、三木から南下すればよいかと考えました。さて、中国道に乗るには、宝塚まで出る必要があります。しかし宝塚にさえ出ることができず、川西で引き返し、断念しました。帰宅したものの、まだ山陽新幹線で西明石まで出て戻るという選択肢があることに気がつき、ほとんど痛みを感じるためにだけついていると思える左脚を引きずりながら目の前にある病院のタクシー乗り場へ急ぎました。おお、だれも待っていない、と近づくうちに、やってきた老人たちに先を越され、客待ちタクシーを全部もっていかれてしまいました。激痛を堪えながらしばらく待ちましたが、もうタクシーは来ません。そんなわけで、クソ台風にクソ渋滞に、クソタクシー。みんな嫌いになりました。



8月10日(月)バカな話 6

 この間、委員会と衆議院で強行採決がありました。憲法違反かどうかを決めるのは国民に選ばれた私だと言ってのける(三権分立って知ってますかぁ???)独裁者の所属する政党には、もはやリベラルとか何とか言われる人はいないのですね。あるいは、前々からそうだと思ってきましたが、その手の人たちは要するにその政党のアリバイ作りのためにのみ存在しているのであって、そこに何らかの政治的信念があるわけではないのでしょう。賛成票を投じておきながら、党のあり方を批判して見せるコソ泥みたいなヤツがいますが、豆腐のかどで頭をぶつけりゃいいと思います。



8月11日(火)バカな話 7

 歩けないので、しばらく休んでいましたが、その間、HPの更新はしませんでした。「仕事を休んでいるくせに、こんなもんを更新している」と、またどっかのバカになにか言われると気分が悪いので、やめておきました。あの人たちのことを反知性主義と呼ぶ人たちがいて、そりゃたしかにあの人たちに知性があるとは思えませんが、しかし知性主義に対するルサンチマンが広く行き渡っている状況において、知性を振りかざすことは戦略的によいのだろうかと思わなくもありません。ともかく、どっかのバカになにか言われないようにしました。



8月12日(水)『時をかける少女』(アニメ版)

 動けないときに、無料動画で見ました。この手の概念としての青春物は、自分の過去とあまりにもかけ離れすぎていて、なかなかにつらいものがあります。ところで、芳山和子がつまんない人なのは、オリジナルのときから変わっていませんでした。ああいう人は、ほんとダメだと思います。藤谷果穂、ぶっちぎりじゃないですか???



8月13日(木)そしてまたやらかすか

 なんだか信じられないくらいに、動けるようになってしまいました。「少しくらい痺れがあっても、むしろ歩いた方がよい」と言われ、「あの人は暗示にかかりやすい」と言われたのをまた聞きして以来暗示にかかりやすいので、この通りです。今日は、強制的に休まされる特別休暇日なので、出勤するわけにいかず、仕方がないので朝夕、それぞれ70分くらい散歩しました。こんなことをしていると「アホに鼻かめ言うたら、鼻血出るまでかむ」と言われるか、「のど元過ぎたら、熱さ忘れる」と言われるかです。でもすることないんすよ。



8月14日(金)ほんとはマイナスでもいい

 文学部共通概説は、ふたりの教員にそれぞれレポートを出し、50点×2で採点されることになっています。ということは、ということは? ひとりが10点未満の点数をつけると、もうひとりがかりに50点をつけたとしても、その学生はどぼんということになります。課題とはまったく関係のないことを書いたヤツとか、「いついかなるときも嘘をついてはいけないと言ったカントを擁護せよ」と言ってるのに、「カントは間違ってます」とありふれたクソのような自説を論じるヤツとか、フツーに採点すれば0点です。でも、いろいろと、子どもじみている私にも大人の事情があって…。あ〜、0点つけたい。



8月15日(土)もっとも許せないヤツら

 あの大学のヤツらが安保関連法案に反対しているそうですが、やっぱり許せませんね。××先生の思想がどうこうとか、今頃何言ってんだ、ふざけんな、としか思えません。なんだか、うちはずっと平和主義でしたよと、アリバイを主張しているようにしか見えません。そもそもヤツらのせいで、イラク派兵は実現したんですよ。そういう過去はどうしてくれるんですかね。あれは平和のためだったからよかったんすか。自由で民主的な土建業者よりも、こういうヤツらが一番許せない。



8月16日(日)ほんとに左翼とかリベラルなのか???

 「過去において謝罪をしてきました」という過去についての記述と、「世界秩序に対して挑戦しただけで侵略したわけではない」という解説とに要約される行政府の長によるとんでも談話がありました。これに対して、元神さまの息子による発言を持ち上げるなどということが、左翼とかリベラルとかを自称する人によって行われています。少なくとも現行の憲法では、あの方は政治的行為をしてはいけないはずですよ???そんなに持ち上げたいのなら、ちゃんと明確に立憲君主制を謳うよう、憲法を改悪しなきゃダメです。その手続きを無視するなら、行政府の長と変わらんじゃないですか。



8月17日(月)これぞ正論

 「選挙において選ばれた」私が、侵略もなかったし、反省すべきこともないと言っているのに、政治的行為を禁止されている方がとやかく言うのはいかがなものでしょうと、いまこそ「選挙において選ばれた」行政府の長は声を大にして言うべきではないでしょうか。あなたの政治的発言は憲法違反ですよー、ポツダム宣言は読んだことないけど、憲法の解釈にかけては「選挙において選ばれた」私をおいて右に出る者はいませんよー、憲法を無視したことをやらかすなんて、テロリズムじゃないですかー、って。



8月18日(火)『アイランド』

 なんというか、規制法を作っても、既成事実によって骨抜きにしてしまうというところが、ダメですね。実際にクローンがいるんだから、もう殺すわけにはいかないだろってことになるんですよね。もう集団的自衛権を行使しちゃったんだから、憲法の方を変えなきゃね、って感じです。ところで、この作品のヨハンソンに寄せられたのは酷評ばっかだったそうです。しかし同じ年に『マッチポイント』にも出てて、それは絶賛されたとのこと。エロさに関して言えば、それはそうかもしれません。



8月19日(水)『パーマネント野ばら』

 またしても観てしまいました。たしかにああいうところにいると、一刻も早く出て行きたいと思うでしょう。母親は男をひっかえとっかえし、友人の父親は町の電信柱を切り倒して薪木と銅線でカネを工面し、母親の店にやって来るばあさんたちは下ネタしか言わない。でもそこには暖かな愛があるとか、冗談じゃないです。だからこそ、まともな人は狂っちゃうわけです。



8月20日(木)『KEY(キー)/死体の中の遺留品』

 わけがわかりません。それが「鍵」なんて、クソおもしろくもないダジャレじゃないですよね。緊迫したシーンは「夢だった」というのがやたら使われるので、うざいことうざいこと。このわけのわからなさを説明することができるのは、デウス・マキナでしょうか。つーことは、夢の話なんでしょうか。しかし、最後に目を覚ます登場人物はいません。ということは、視聴者こそが夢を見る人だったというつまらん話なのでしょうか。それならわかりますが、それ以外にはまったく理解不能です。ほんと、クソ映画。



8月21日(金)『人のセックスを笑うな』

 しっかしあれ、ジェンダーが逆だったら、いっぱつでセクハラですよ。もう、パンツ脱がすどころか、セーター脱がすどころか、絵のモデルに誘うだけでも、アウトじゃないでしょうか。まあ、それはおいておいて、19歳の男、それを口にしたら逃げられるよ、ということをまんまと言ってしまうのですねー。あがた森魚がいい味出してたとか、ネットでは書いている人もいましたが、そうですかねぇ。「赤色エレジー」の人なんですよ。家庭なんかもっちゃダメじゃないですか。



8月22日(土)飲み屋のバカ話

 死体遺棄容疑で逮捕された人について、あの人ならやりかねない、なぜならロリコンだから、と言うパンピーがいるのは、まあどうでもいいでしょう。しかしそれを放送する原発推進派で憲法より周辺危機を重んじる放送局は、明らかに問題でしょう。なんですか、ロリコンだと、死体遺棄をしちゃうわけですか???こんな飲み屋のバカ話を公共の電波で流すのではなく、なぜ遺体を発見することができたのか、その手法を問うてくださいよ。その局のイデオロギーじゃあ、到底無理でしょうけど。



8月23日(日)『人のセックスを笑うな』 2

 芸術家の芸術的センスはまったくわかりませんでしたが、「やってみなきゃいいか悪いかわかんない」っていうのは、そのとおりだと思いました。永作博美がモデルの男子学生に命じてコート、セーター、…と脱がしていくのですが、「あれ、靴下は履いたままだよな、もしかして」と思っていたら、やはり後で、「趣味」と告白していました。うー、これもわからなくはないかもしれない。



8月24日(月)ばっかじゃね

 「私が子供の頃は夜6時を過ぎて帰ったら、こっぴどく叱られたもので」と。はいはい。こういうむかしの親は偉かった的な話をするのなら、原発に反対することもなくせっせと55年体制を支え続けたその功績も忘れてもらっては困りますね。あるいは、沖縄に米軍がいることとか、知らないほど偉い親だったんですかね。こういうのは、今の言葉では「バカ」って言いますが、むかしは違ったんですかね。



8月25日(火)球界の田舎者

 球界の盟主のメンバーが、塁上で挑発的なポーズをとったとかでニュースになってました。もともと筋バなんだから、別に紳士である必要はないし、プロなんだから何したって構わないと思います。すんばらしいのは、それをやらかしたのが、やっぱカネのある強いチームに行きたいっすと移籍してきた田舎者ふたりだってことです。そのメンタリティにもかかわらず、人を挑発できるほどに、きっと立派な方たちなんでしょう。どこが立派なのか、まったく外からは見えないところもすんばらしい。



8月26日(水)論理的に無理だべ

 その容疑者は、少年時代、自分より弱い者ばかりいじめていたとか報道する方は、自分より強い者をいじめることができるとお考えなんでしょうか。そんなことができたら、論理的に矛盾しているということもわかんないほど、あれなんですかね。こういう方のおつむって、強いんでしょうか、弱いんでしょうか。まあ、本人的には最強なんでしょうが…。



8月27日(木)そこだめぇ〜

 そんなわけでちょっと前からミュンヘンに来ていますが、今日、発表しました。昨年、ハイデルベルクで真面目にお仕事していた時に、発表に誘われ、「日本語でいいから」に乗せられたわけですが、日本学の学会だけど日本語でいいはずはなく、寝たきり状態のときにパワポやらなんやらを作ったりしました。「柄谷行人と近代批判のポテンシャリティ」というタイトルで、コミュニズムという名の形而上学の復興の試みそれ自体はともかく、批判主義的であることそのことに批判の可能性がある、という発表をしたのですが、聴衆は「コミュニズム」という言葉に過剰に反応していました。なるほど、バカの連邦大統領が左翼党を公的に批判しても問題にならないわけです。



8月28日(金)ドロボーの始まり

 あれ、政治家やめるとか言ってたんじゃなかったんでしたっけ。これまでのは政治家じゃなかったとか、そういうくだんない話じゃないでしょうね。そんなことを言い出したら、あんたなんて、いつまでたっても政治家じゃないんですから。もうさっさとやめてくださいよ。



8月29日(土)ちびりそうに怖い

 ただの偶然かもしれませんし、そもそもそんな感じがしただけで、まったく事実に反している可能性もありますが、ミュンヘンの人の方がフランクフルトの人よりも、親切だったような気がします。フランクフルトで物を売っている人たちは、「仕事したくねー」オーラを存分にまき散らし、買わせていただきますのでご機嫌直してくださいよ的な対応を余儀なくされるような雰囲気が、ここにはあります。まあ、0円のスマイルよりも、この殺伐とした感じの方が好きではありますが。



8月30日(日)究極の選択、ではない

 これほど堂々と嘘ついて平気でいられるのは、ある意味で立派だ、なんて褒める気はまったくないです。ひょっとしたら、そうやってちやほやするヤツがいるかもしれませんが、そんなヤツはただのアホです。アホがドロボーの初期状態にあるバカを褒めるという、ただそれだけのことです。これって、あれなんでしょうか、「自席発言」を繰り返すおつむの弱いヤツと嘘つきと、どっちがましでしょう、という選択を迫られてるんでしょうか。いえいえ、そんな選択はないですよ、どっちも消えていなくなればいいんですから。



8月31日(月)とりあえず、東京と京都を

 これだけ反対があっても「粛々と」採決が行われてしまうのだと思うと、やはりその共同体にはまだ民主制が定着していないことになるので、イラクの民主化のために爆撃をやらかしたアングロ=サクソン先生たちは、その共同体にも爆撃を加えるべきではないでしょうか。もちろんそのときには、憲法違反の後方支援をしましょう。



9月1日(火)対案出せ、とウ○コの関係

 かつてニワトリが泣くまでにある人が自分のことを3度裏切ることを予言した人がいましたが、法案が採択された後、対案を出せない野党が悪いとしたり顔で言うヤツが絶対に出てきます。そしてそいつは、水が上から下へ流れるがごとく、頭の先から爪の先まで全身アホです。憲法に違反しているヤツに対して、「憲法に違反している」と指摘すれば十分であることは、ガキんちょでさえわかるでしょう。ウンコして拭かないガキんちょに、「ウンコして拭いてない」と指摘する以外に、どんな対案を出さなきゃいけないのか、全身アホに教えてほしいです。いや、ほんとは関わり合いたくないから教えてくれなくていいです。消えてください。



9月2日(水)「アホ」は何と言い換えればよいのか

 ドイツでは難民が大問題になっていますが、国境を超えてドイツへ入ってくるのはかなり簡単で、パッサウが例として取り上げられていました。そのパッサウが、2013年に大洪水に見舞われた時、メルケルはただちに乗り出し、復興のために80億ユーロを拠出したが、しかしいま、難民対策のために拠出しているのは、たったの10億ユーロに過ぎない、と報道は続きます。メルケルは「国民的課題だ」と言ったけど、具体的に何をするのかは言わなかった、ということも報道されています。言うまでもありませんが、だからと言ってメルケルは放送局にクレームをつけたりはしません。そんなことをすれば、メディアの機能や民主主義を理解できていないアホだと思われることがわかっているからです。ヤジを「自席発言」と言い換える方も、「自席発言」と言い換えないと機嫌を損ねる方も、まずは爆撃してもらわないといけません。



9月3日(木)インフラよりはるかに重要なこと

 フランクフルト中央駅の地下につながるエスカレーターは、かなりの確率で動いていないことがあります。人がいないときはもちろん動いていませんが、人が来ても、センサーが働いて動き始める、なんてことがない確率が高いのです。梅田のエスカレーターが、とまでは言わないとしても、モノレールから北大阪急行の千里中央駅へつながるエスカレーターが、止まってるなんてことは、これまで経験した記憶がありません。まあ、いいか、市長が嘘つきじゃなければ。そして憲法に違反した法案が採決されたりしなければ。



9月4日(金)嵐の前の・・・

 たまけりの何かの大会で、今日はポーランドとドイツが対決するとかで、ドイツのユニフォームを着たキチと、どこにそんなにいたんだという感じで、ポーランドのユニフォームを着たキチが大量にわいていて、さらにそれらに対抗するわんわん部隊が大量にわいています。ニュースで見たら、舞台はフランクフルトのスタジアムだそうで、そりゃ駅とかの空気が不穏なわけです。いまは嵐の前の静けさのようにびっくりするほどシーンとしていますが、試合が終わると、駅横のこのホテル界隈は、とんでもないことになるのでしょう。梅田の聖地なみに。



9月5日(土)嘘つきとか提灯番組とか暴走とか

 今週の頭まで、フランクフルトは30℃くらいあって、これじゃあ嘘つきの市長がいないこと以外は大阪と変わらないかと思っていましたが、また違うことが出てきました。こちらには、憲法違反の法案を通したがっている行政府の長が、提灯番組に出演するためにわざわざ訪れたりすることもありません。ところで、暴走してどこへ行くかがわかっているのなら、それは暴走じゃないでしょうね。



9月6日(日)世界中で驚嘆???

 自分の提出した法案が憲法に反しているかどうかを判断するのは選挙で選ばれた自分自身だと言う人が行政府の長を務める国家は、もはや独裁制なので、独裁制を支持しない人は弾圧される可能性がある、ということを理由として、難民申請することは可能でしょうか。「難民受入れに関する寛大さを世界中が驚嘆している」という報道をたんなる自画自賛に終わらせないために、このへんで極東からの難民申請者をどどーんと受け入れてはいかがでしょうか。



9月9日(水)コロキウム

 もはや恒例の倫理学コロキウムがありました。おそらく、史上最多の参加者を数えたと思います。終わると解放感に満たされるのですが、今回は2回に分けて行われ、まだ発表の済んでいない人は、解放感には浸れないということになっています。言うまでもありませんが、私はまだ発表が済んでいない人で、発表が済んだ人たちのはじけっぷりを冷ややかに見つめています。



9月10日(木)つまり、そういうことか

 このタイミングで憲法学者のスキャンダルが報道されるというのは、つまり、そういうことなんでしょう。こういうことを言うと、「陰謀史観は権威主義的パーソナリティの証左だ」とか、突然正義に目覚めて「不正は不正だ」とか言う人が出てくるでしょうけど、はいはい。そういう人は、あっちの不正は気にならないんですかね。あの手の運動からは距離をとっているステキなボク、ってところでしょうか。



9月11日(金)なんと!

 コロキウム2日目は、昨秋毎週ゼミに通ったエッセンであったのですが、そのときは駅と大学を往復するだけでしたが、今回はちょっと街を散策してみました。といっても、街好きとかじゃなくて、歩くことそれ自体が目的なのですが。そして大学の近くのパン屋の並びに、「3つのでっかいスクリーン」をウリにしているポルノ映画館があるのを発見しました。なんといまだにそんなものが存在しているのです。もはやDVDさえ古く、通常はネット上でダウンロードしたりするものでしょうに、「3つのでっかいスクリーン」とは。もちろん、人のセクシュアリティを笑ったりはしません。ただただ驚いてしまいます。



9月12日(土)それはよい

 毎年この発表が終わると、夏も終わった感じがしますが、今年は夏の間に寝たきりだったので、そもそも夏は始まった気がしません。にもかかわらず、セメスターに突入するのはよくないと思います。そんなわけで、11月くらいまで休みにしてはいかがでしょうか。



9月13日(日)それは野蛮

 昨日は、エクスカージョンとしてヴュルツブルクに連れて行っていただき、もう食べられません状態に陥りました。バイエルンの民族衣装を身につけたじいさんもときどき目にしましたが、元副学長によれば、その衣装は「人を笑わせるためだけに」あるそうです。ヴュルツブルクは、岡の上に要塞がありますが、そんなところに上って街を見下ろすなどという野蛮なことはしませんでした。



9月14日(月)ふかしぎでつ

 3週間ほど前にこっちへ来るときは、戻るまでにあれが退陣し、憲法違反の法案が廃案になり、阪ちんにマジックが点灯すると思っていたのですが、どうやらすべてが逆方向に向かっているようです。おかしいですねぇ、あれほど確信していたのに。「残念ながら貴意に沿えない」という文書をかつてもらい続けていた頃、「貴意」の方を変えればよいのかと思ったものですが、あんなのを支持するわけにも、立憲主義を放棄するわけにも、あんなに狭いホームグランドで何が三冠王だ的な球団を贔屓にするわけにもいきません。ありゃりゃ。



9月15日(火)『カリフォルニア・ダウン』

 全編クソ映画でした。公務員なのに家族を助けることしか考えていないバカファミリーの愛の物語です。あんなものを見て何とも思わないのは、きっとハンバーガーとコークで脳みそをやられちゃってるからです。最後にクソ星条旗がアップになるのも、必然的でしょう。あんなやつらの後方支援をなさるんですね。ばんばってね。



9月16日(水)やったぜ

 「家族の絆の希薄化を防ぐ」施策として、「夫婦控除」導入を憲法守れない人たちの関係者が提言だそうです。つーことは、「夫婦控除」が適用されないような結婚できない人格に問題のある人は、「家族の絆の希薄化」に貢献していることになるのですね。やったぜ。ざまぁみろ。



9月17日(木)『ターミネーター:新起動/ジェニシス』

 話として面白かったのは、やっぱり2くらいまででしょうか。ここまでくると、もはやほとんど『水戸黄門』です。笑かしポイントも、同じのを何度も使われると、わざわざ失笑を誘っているのかと思うほどです。



9月18日(金)あまりに非常識ですか

 牛歩戦術を含むパフォーマンスを「あまりに非常識」と書く記者の目には、日テレの世論調査でさえ、今国会における法案成立に対する支持率が25パーセントに届かず、反対が65パーセントにのぼるにもかかわらず、採決をやらかしてしまうことが「常識」に映るんですね。憲法に違反してるんだから、そんなに戦争したきゃ、まずは憲法を改めることが「常識」だと思ってました。



9月19日(土)クソゲー

 基本的にいじめが笑いの基調にあるそのゲーニンが、法案反対派を批判することは、別に不思議でもなんでもないです。そうやっていれば、大衆に対して斜に構えているように見えて、カッコいいと思っているのでしょう。革新勢力が強かったころ、自民党から立候補した落語家とか、こんなのはむかしからいるたんなるナルシストのバカです。



9月20日(日)なんと寛大な

 立憲主義なんてくそくらえ法案の採決に関して、「強行採決」という表現を用いることのない(と言われている)新聞社の世論調査においてさえ、採決を適正ではなかったと考える人が、60パーセントもいるそうです。それもすでに興味深いところですが、国民への説明は十分じゃなかったと考える人は、80パーセント以上もいます。驚嘆すべきことに、単純に言えば、国民への説明は十分じゃなかったけど、採決が適正じゃないとは言えないって考える人が、20パーセント以上もいるわけです。これはいったいどういうことなんでしょう。わけのわからん法律だって、決めちゃってくれていいですよ、ってことなんでしょうか。なんと寛大な。



9月21日(月)やっと本業できますね

 強行採決の後、とっととゴルフへ行かれた方のことが取りざたされていますが、みなさんお忘れなんでしょうか。あの方はプロゴルファーをしながら、あまりにも人気があるので仕方なく行政府の長も務めてくださっているのですよ。「とっととゴルフへ行かせろよ」って「自席発言」をなさったこともありませんでしたっけ。ないか。



9月22日(火)第3予備条項

 常備軍は時とともに全廃されなければならないと言った人がいて、いろんな意味で称賛されたりするのですが、「時とともに」を「ただちに」と言わなかったので、59点で不可にしたいと思います。いや、同じ個所で、国民が武器使用を練習して外からの攻撃に備えることをよしとしている点で、59点はつけ過ぎでした。武器は道端の雑草とは異なり、作らなきゃ存在しないのです。この人は、武器の製造を認めちゃってるんでしょうか。そんなわけで、29点にするか、あるいは嫌がらせとして95点をつけることにしましょう。ひょっとしたら嫌味が通じず喜んじゃったりするかもしれませんが。



9月23日(水)『マージン・コール』

 すぐに年収の話をする若造がバカっぽく見える演出は、どうなんだろうかと思いました。連中は、どっちみちお金大好きなみなさんでしょう。ケビン・スペイシーが良識派かと言えば、リストラしても何とも思わないけど、飼い犬が死ぬと涙を流すヤツなわけです。ジェレミー・アイアンズの顔を見ていたら、一刻も早くISに殺られてしまえと思いました。じょーだんですよ。



9月24日(木)『自縛の紐』

 コロンボが突然怒り始め、きっと何かの伏線だろうと思っていたら、たんに怒っていただけという、つまんないところがあります。ネットでの感想によれば、女性をひどい目に遭わせた犯人に対する怒りなのだそうです。あ〜あ。たしかにそういうダメなところはあるんですよねー。にもかかわらず、コロンボのそういうところがステキだと書いてしまう人がいて、それってセクハラですよと言いたいです。 



9月25日(金)1億総ざんげの準備ですか

 「1億総活躍社会」だと。気持ちわりぃ。いやいや、気持ちの問題に解消してはいけませんね。憲法違反の法案を通しておいて平気でいられるような人たちがけっして活躍しないような社会になって欲しいものです。そういう人たちはことごとくどぶにはまって命を落とすとかしてね。じょーだんですよ。



9月26日(土)断固サボタージュ

 どーせどっかのそれ系のやつが考え出した言葉なんでしょうけど、あの内容空虚な全体主義的メンタリティを考えると、いかにも言いそうなうまくできた標語ではあると思います。しかし、仕事とはいえ、こんなものを思いついてしまったことについての自己嫌悪はないのでしょうか。あんなのと同期できちゃったわけですよ。まあ、こんなことでいちいち自己嫌悪しているようじゃ、どっかのそれ系には勤められませんか。



9月27日(日)な、なんと

 岩波書店というアカウントによるツイートによれば、あの「ドイツの大学の自己主張」というナチスについていきます的総長就任演説をなさった吾人が、カント以後最大の哲学者だそうです。知らなかったのですが、ひょっとして2メートル30センチくらいあったんでしょうか。だったらアンドレと同じくらいだし、最大かもしれません。でも、『ハンナ・アーレント』で、いきなりアーレントの股間に顔をうずめたやつは、そんなにでかくなかったような気がします。もしかして、局部的に最大なんでしょうか。



9月28日(月)ばんばりません、いつまでも

 そりゃ喪服で国会に出ることは不謹慎でしょう。ご愁傷さまを言ったお相手は、質問にはまともに答えられないのにヤジだけは飛ばすことができ、憲法違反の法案をごり押ししてしまうような超法規的存在なのですよ。しかも今度は、1億人を活躍させてくれるそうですよ。じゃあ不謹慎部門でばんばろっと。



9月29日(火)『悪魔は誰だ』

 ちゃんと伏線もはられていて、本格ミステリとしてはなかなか面白かったです。しかし、あたかも時効という制度が理不尽であるかのような描写には、賛同しかねます。そして「感動的」とされる決着のつけ方も、ああ、またしても私刑ですか、と思いました。本格ミステリには、主張なんて不要でしょう。しかもたいていは、つまんない共同体主義的な主張です。



9月30日(水)任意なのに逃げるも何もない

 わんが任意聴取中に逃げられたことを「お粗末」とか言ってんじゃなくて、「任意聴取」なんてものがあることを問題にしろって。ったく、アホなのか、マスゴミは。いまさら憤ってるお前の方がアホだろがと言われるかもしれませんが、そういうすべてわかってます的なシニシズムがアホをますますアホにするのですよ。



10月1日(木)ある筋バ

 筋バは、基本的にまともにしゃべることができないので、ちょっとでも主語と述語が一致するような文を2つ3つ口にできる筋バはエラいと思われてしまい、本人も勘違いしちゃうのです。そして、やっぱり筋バなので、すべてをスポーツに置き換えてしゃべってしまう。それで何か立派なことを言ったつもりになってしまう。筋バなんだから黙ってりゃいいのに、筋バだからしゃべってしまうという絶対矛盾の自己撞着ですね。いいですか、デモが行われたにもかかわらず、憲法違反の法案が成立してしまったのは、強行採決が行われたからです。戦略がどうこう言うのは、たんに戦略に長けているつもりになっているアホだけです。筋バはハードルでもとんでりゃいいんです、永久に。



10月2日(金)ある奇特な人

 世の中、奇特な人がいるもので、12月には政治活動をやめるというのに、この時期に新党をお作りになりました。残り3ヶ月もないのに、その短い間ですら、スッチーのコスプレにうつつを抜かすこともなく政治に身を捧げるとは…。まさかこれほど有徳な方が嘘ついたりしないですよね。疑っただけでも、冒涜です。ところで、都構想は住民にダメ出しされたばかりだと言うのに、その新党とやらはいったい何をやらかすおつもりなんでしょうね。



10月3日(土)問題の所在

 「シリアの難民を受け入れる前に、自分自身の問題を解決しなければならない」と。知ってますよ。何が秘密か秘密だ法や憲法違反の戦える法を成立させてしまったこととか必要ないのに原発を使い続けることとかでしょう。たんてきに言えば、「はっぴでハッピー」が行政府の長だってことですよ。だから解決も簡単。「はっぴでハッピー」が辞めればいい。



10月4日(日)そこたらじゅうにくまもん

 ある学会に参加するため、熊本に来ています。前に熊本に来たときは、すでに退会してしまった学会のシンポジウムでパネラーをやり、質疑応答の途中から「もういいや」と思ったところ、それが態度に出てしまい、「すぐすねる」という的確なご指摘をいただいたのでした。今回も、どーでもいい質問が出るたびに、カーソルをあててデリートするか、早送りボタンを押してしまい、相変わらず子どもじみていると思いました。深く反省。



10月5日(月)サドルになりたいヤツなどかわいいもんだ

 『ハロー・グッバイ』なんて、「紅茶の美味しい喫茶店」以外、歌詞を聞いたこともありませんでしたが、諸般の事情により聴いてしまいました。もう、とんでもない倒錯の歌でした。「生まれ変われるなら、こんなかわいいカップになりたい」とか言っちゃうんですよ。「あなたは銀のスプーンで私の心をくるくる回す」から、カップになりたいのだと。わけがわかりません。設定上、カップは喫茶店のカップであり、「あなた」が手にとるとは限らないし、便所で手を洗わないヤツに触られちゃうかもしれないのです。なのにカップになりたいとは…。恐るべし、80年代アイドルの歌。



10月6日(火)ひょっとして人気者か

 昨日は、収容人数41名の教室に、50名弱の学生さまが集まり、だれかが内緒で放屁でもしようものなら死者が出るんじゃないかくらいの勢いでした。ひょっとして、私の授業は単位が取りやすいとかいう、誤った情報が流布しているのでしょうか。59点だって落とされるというのをご存じないのでしょうか。あるいは、保守主義者はねちねちと嫌味を言われるとかいうことも、知られていないのでしょうか。あれだけいれば、きっと立憲主義なんてクソ食らえと思ってる人も含まれているでしょうが、そういう人はピンポイントでいじめられますよ。



10月7日(水)ク○領域

 生き残るためには新たな領域を開拓しなきゃいけないと考え、そして実際、その領域を開拓したことによって生き残れたとしましょう。しかしその領域は、学問とは何の関係もないク○だったとしましょう。この場合、学問は生き残れたことになるのでしょうか、それとも死んだのでしょうか。「学問とは何の関係もない」と言ってるのですから、後者でしょう。すると問題は、死んだ方がましってことを認めるかどうか、ということになるでしょう。



10月8日(木)預言者か

 あの試合で誤審がなければカープが勝っていたのだからCSにだって出ることができていたのに…、とか平気で書いてしまうスポーツ新聞の記者というのは、そういう言い方が預言者のものだってわかんないんでしょうか。まあ、わかんないんでしょう。あそこで誤審がなく、カープに得点が入っていたら、阪ちんはその裏に100点とってたんですよ。誤審のおかげで、みじめな負け方をせずに引き分けですんだのです。とまあ、こういう物言いをバカげていると思うのなら、最初のような発想はやめないとねー。



10月9日(金)大臣のためなら原発に賛成するク○

 じいさんがA級戦犯被疑者であるような「切れ目のない」ナショナリストよりも、リベラルを装い反原発を主張していたにもかかわらず「大臣にしてやるよ」と言われたら過去のクソブログを閉鎖して喜んで入閣してしまうようなヤツの方が、ひょっとしたらより悪質かもしれません。まあ、下痢と便秘の違い程度でしょうけど。どっちのうんこも、憲法違反の法案に賛成ですしね。あ〜あ、天誅下らないかなぁ。



10月10日(土)『クローサー』

 きっとこういうのを観て絶賛すると、センスがよいと思われるのでしょう。いずれもヘテロの白人の女と男が「傷ついた」「傷つけた」などとどうでもいいことを言い合ってぐじゅぐじゅした関係を繰り返すという、対応が子どもじみていると言われている者にはまったく理解の及ばない世界の話なんですけどねー。面白かったのは下ネタの部分だけ、なんて言ったりしたら、品性を疑われてしまうかもしれないので、言わないことにしておきます。すっばらしい作品でした。



10月11日(日)『アメリカン・ビューティー』

 豊胸手術を受けようと思っていたガキんちょが「本当は」巨乳で、男の視線を釘付けにするモデル志望のやりまんが「本当は」処女で、退屈だと思っていた人生が死ぬ瞬間に「本当は」素晴らしかったとわかるという、「本当は」が満載の話で、そういう語り方そのものが凡庸であることをひょっとしたら自己批評的に描いているのかと思いましたが、ドリームワークスにかぎってそんな反省はしないでしょう。ケビン・スペイシーの変態ぶりが唯一面白いところでしたが、そんなことを言ったりしたら、品性を疑われてしまうかもしれないので、言わないことにしておきます。すっばらしい作品でした。



10月12日(月)無駄な連休

 無駄に三連休でした。そんなわけで土曜と今日は休日出勤しました。専門を異にする人が書いた申請書を読んだりしましたが、まったくその研究に興味をもつことはありませんでした。そもそもそれって研究なんですか、って思う始末です。まあ、専門外だからそう思うのかもしれません。あるいは、実際にどうでもよい代物なのかもしれません。ひょっとしたら、こんなに社会的に意味があります的な媚びを売らない分、ましだったかもしれません。



10月13日(火)東京に米軍を!

 むかし「東京に原発を」という主張がありましたが、それにならって、辺野古は諦め、東京に米軍基地を増設すればよいのではないでしょうか。溜池山王あたりにオスプレイを配備すれば言うことはないでしょう。知事の選び方からいって、都民のみなさんは寛大だし、これぞはっぴでハッピー。切れ目のない防衛。



10月14日(水)どーでもいいが参加はしない

 「男はそれを我慢できない」と自己のスケベ心を一般化したことのある中年大リーガーが、「ピッチャーやりたい」とか言ってピッチャーやったからって、どーでもいいじゃんって思いますよ。「哲学やりたい」とか言って、パンピーが与太飛ばすのと変わらんでしょ。こういうのを認めて差し上げるのが、社会貢献じゃないですか。言うまでもありませんが、参加はしません。



10月15日(木)たむろったりはしないでしょうけど

 朝6時前に目が覚めて、仕方がないので散歩していたら、マックの前にたむろっていたご老人たちが、「朝はよう起きてもすることないんや」とボヤき合っていました。「ヤバい、明日はわが身」と思いましたが、よく考えたら、「すでにわが身」でした。



10月16日(金)挨拶もしないでしょうけど

 柴原駅周辺では、朝早くからラジオ体操が行われておりますが、面識もないのにやたら挨拶をしてくださる方たちがいて、無視するのも感じが悪いので(でも無視するわけですが)、できるだけ遠回りをして挨拶しにくい状況を演出しなければなりません。あっ、朝早くに起きてすることがありました。



10月17日(土)朗報でしょ

 マスゴミさまにとっては、朗報ですね。憲法違反の法案成立に反対していた学生たちのグループに暴言を吐いた人がいたこととか、ベトナム戦争時代に韓国兵にレイプされたベトナムの女性が訴えを起こしたこととか。待ってました、って感じでしょうか。言うまでもありませんが、だからって、あの法案が憲法違反じゃなくなるわけでもなければ、日本軍が強制連行していなかったことになるわけでもありません。



10月18日(日)バカコン

 あるカップルが性交渉のパートナーを国家に登録したことに関して、「粛々と」子作りに励むように求めた大臣さまが批判されました。この批判は、なされてしかるべきだと思います。では、こういう批判をする人は、いつの間にやら復活しているミスコンについてはどのようにお考えなのか、ぜひ知りたいところです。勤務先ですら、堂々と行われているのですが、あんなものは差別以外の何物でもありません。



10月19日(月)『テロ、ライブ』

 わんわん長官が「テロには屈しない」的なことを言って頭をふっ飛ばされるというシーンがあって、きゃっほーって感じでした。残念だったのは、同じように「テロには屈しない」と言う大統領が、無傷だったことでしょうか。いやいや、言うまでもありませんが、テロを賛美しているわけじゃないので、通報しないでくださいよー。



10月20日(火)そりゃそうなんだが

 「高所“平気症”の子供たちが急増中」とかいう見出しの記事がありました。高所がなんともないなんて、たんなるア○であることは自明ですが、しかし平気であることをネガティヴに書くのが3K新聞(あれは政府広報誌ではなくて新聞なんですね、びっつらです)となると、なかなか複雑なものがあります。



10月21日(水)『逆転の構図』

 これはシリーズの中でも3本の指に入るのではないかと思うほどの作品です。解決の仕方が二重になっていて、子どもの頃に観たときは、一つ目で「なるほど、それを使うのか」と思ったものですが、「でも、フェアじゃないかも」と思っていたら、ちゃんと二つ目が用意されていた、という具合です。それにしても、秘書があんな人だったことについてはまったく記憶がなく、やっぱりガキんちょだったのだなぁと思いました。もっとも、いまも子どもじみているとは言われていますけどねー。



10月22日(木)困った教員

 相談に来ても、自分が将来何をしたいかわからず、就職を希望する先もわからない、そもそも就職したいかどうかもわからない学生がいる、という話をうかがいました。うー、実はそういう学生のことはよくわかります。将来何がしたいかとか、どこに就職したいかとか、そもそも就職したいかとか、そんなことがわかるものなのでしょうか。「広告代理店に勤めたいぜ、ぶいぶい」とか言っちゃう人の方が、私には「おかしいんじゃね?」と思えます。とくに、文学部に来るような学生なら、私と同じように考える学生が大半じゃないかと思っていたのですが、どうやらそれは間違いだったようです。私のようなのは、どうやら「困った学生さん」だそうです。



10月23日(金)バッカじゃね

 外れたくじを引いているのに当たったと勘違いして大騒ぎしたアホがいたから、くじの作り手が対策を考えないといけないというのは、どう考えてもおかしな話なんですが、しかし似たようなことが実はたくさんあります。イマジネーションなんかで卒業論文を書かれたら、読まされる方はたまったもんじゃない、と言ったら、大学院に進学する学生は全体の1/3に過ぎないのに、全員に卒業論文を課すのはおかしい、とか平気で言っちゃうエライ人がいたのも、問題としては同じです。当たりくじがどのように表記されているかということも、文学部の学生には卒業論文が課されるということも、あらかじめ知らされているのに、その知をほったらかしにして間違えたりろくに課題をこなせない人がいるから、だから制度を変更しましょうというわけです。ねっ、バカでしょ。



10月24日(土)その2

 設問に「それぞれ答えよ」と書いてあり、「これは<すべて答えよ>という意味ですか?」と尋ねるようなのが出てきたときには、そんなことを尋ねてしまった者の名誉のために、質問は聞こえなかったことにしてあげるのがベストの対応で、せいぜい「てめぇで考えろ」と応えるのが教育的配慮から推奨される対応でしょうけど、実際には、「その通りです」と間抜けな対応が行われます。いや、それどころか、今後は「それぞれ(すべて)答えよ」と書くよう、上から命じられたりするかもしれません。まったくバカげてませんか。「お客様は神様」ですが、「神様」は全知全能なんだから、己の愚かさ(神様なのに愚かなのか)を人のせいにしたりはしませんよ。



10月25日(日)民兵神話

 カントの政治哲学を扱った文献はほとんどなく、唯一研究に値するのはザーナーの著作だと、アーレントは70年のカント講義で言ってるようです。しかしそのザーナーが平和論に関して論じていることは素朴過ぎて、ほとんど人を笑わすために書いてるんじゃないかと思うほどです。第3予備条項の常備軍の撤廃に関連して、民兵組織(Miliz)なら周辺に脅威を与えることもなく、軍備縮小につながる、と言うのです。ISは、報道なんかでは Miliz と呼ばれてるんですけどね。



10月26日(月)拒否します

 市民が外敵に備えて武器を手にして練習するのはよいと、カントは言うわけですが、武器は自然に生えてるわけじゃなく、手にして練習するためには調達しなきゃいけないわけです。武器なんてものが存在するから殺戮が可能になるわけで、武器がこの世から消えてなくなれば、なんぼほど永遠平和に近づくことかと思うのですが、市民が武器を手にして練習するのはよいと言う以上、武器を製造することも肯定しないとおかしいですよね。



10月27日(火)封鎖キボンヌ

 ある大学で、憲法違反の法案を強行採決によって成立させたもらった現政権に抗議するために建物をバリケードで封鎖したら、わんわん軍団の出動が要請されてしまったそうです。まあ、いまどきそれは驚くに値しないかもしれません。驚くべきなのは、フツーの学生が「迷惑だ」と言って、バリケードを撤去したってことでしょうか。こういうフツーの学生は、憲法違反の法案が強行採決によって成立することも「迷惑だ」って思ってくれるんでしょうね。ところでうちの職場でも、講義棟を封鎖してくれないものでしょうか。だれも封鎖してくれないから授業をしなきゃいけなくなるわけです。ったく、迷惑な話です。



10月28日(水)そんなやつおれへんやろ

 ある研究会で論文集を出すとしましょう。研究会名で出版するわけですから、民主制を支持するなら、論文集のテーマやら編者やらに関しては会において合意形成をする必要があるでしょう。合意形成をする前に、どこかへ研究費を申請するにあたり、研究会名で出版されるその論文集を研究の成果とするというようなことを申請書に書き込むことは、虚偽の申請ということになるでしょう。しかしそれよりも問題なのは、研究会における民主制が蔑ろにされているということです。こういう重大な問題があることを、わかっていながらやらかしたのなら、そいつはかなり悪質です。こういうことをまったく考えもしなかったのなら、そいつはたんなるアホです。悪質なアホとたんなるアホは、どちらがより不正でしょうか。



10月29日(木)ちょっとすごい

 棋士にはまったく何の興味もありませんが、肝硬変でかなり危ない状況にあると言われている元棋士の方が、「私のハートはムッシュムラムラ」とかブログに書いてるそうで、ちょっとすごいな、って思いました。まあ、趣味は悪いですけどね。



10月30日(金)啓発物はあやしい



 左下に、「読みながら、女性をイメージした人、気をつけて。」とかなんとか書かれてあります。ある県の「人権文化をすすめる運動」の一環で作られたポスターなんですが、人がもつイメージに対して注意を喚起するって、いったいどういうことなんでしょうか。それって心を問題にしているのではないでしょうか。作り手は、痛いとこ突いてやった的に有頂天になってるかもしれませんが、発想としては、愛国心をもちましょうと変りませんよ。



10月31日(土)ジェンダー以外に女性は存在しません

 そもそも、「女性」なんて、ジェンダー規範によって作られたものにすぎず、それ以外には存在しません。ポスターの作り手は、ひょっとしてジェンダー規範によって構築されない「女性」が存在するとでも考えているのでしょうか。もしそうだとしたら、そういう考え方こそ本質主義であって、ジェンダー論のジェの字もわかってないおっさんと変りません。



11月1日(日)『六の宮の姫君』

 知り合いが北村薫を読み直していると言ってたので、久しぶりに読み直すことにしました。哲学の本だと、すぐに読むのが嫌になり、なんとか切りのよさそうなところまで、必死にならないと読み続けられないのですが、北村薫は逆に、切るのに苦労します。とはいえ、以前はそう思わなかったのですが、こんな会話をするのは辛いな、という会話がよくあって、ほんとはあんまり読みたくないんじゃないかって気がしたりします。



11月2日(月)アホコン

 よその団体が実施した「ミス理系コンテスト」とかいうのに応募した本学の差別主義者のアホがいて、優勝したらしいのですが、そのニュースを本学の公式フェイスブックに流したこれまた差別主義者のアホがいたらしく、抗議を受けて記事を削除したという顛末が、ある委員会で報告されました。いっそ削除せずに、差別主義者なのに得意になってるアホをさらし続ければよかったのではないでしょうか。



11月3日(火)「話し合い」って言やぁいいのか

 大学祭におけるミスコンに対しても、ハラスメントだいう訴えがあったそうで、まともな学生もいるのだと思いました。対応として、「学生同士の話し合いの場をもつべく調整」しているとか報告されているのですが、いったい何を話し合うのか、私にはよくわかりません。泥棒しているやつのことを、「泥棒してるよ」と言ったら、泥棒しているやつと話し合うよう調整されちゃうんですか。まったく、なんでも「話し合い」と言えば、民主的にやってるつもりになる錯誤をなんとかしてほしいものです。



11月4日(水)うやむやかな

 さらに、訴えた人は、こういう催し物を認めた大学当局の見解が明らかにされることを求めているのですが、それについてはどのような対応がなされているのか、報告にはありません。実はなにもしていないのです。いまのままでは、問題はあたかもわいわい楽しくやりたい学生さまとそれに水を差すへそまがりとの間のいさかいに過ぎないかのように見えます。対応する必要があるのではないかと意見を言ったら、「協議する」とのことでした。協議しますか。



11月5日(木)すんばらしい


                

 いったい何を特別に巡回して警備しちゃってるんでしょうか。門を入るところにいきなりこんな看板が立てられている大学が、「地域に生き」ることをモットーとしているとは、もう笑かそうとしているとしか思えません。しかし、この手の笑いは知性を必要とするので、まったく「地域に生き」てないですけどね。ミスコンには許可を与え、許可を与えたことを問題にしようとすれば協議し、そして特別に巡回して警備しちゃう、すんばらしい大学です。



11月6日(金)どっちもうんこ

 さすが、人類なのにサメの脳みそを持つと言われた丸刈りに「たんつぼ」とかつて評されただけのことはあります。いやもう、たんつぼどころではなく、こいだめでしょう。なんといっても、あれは「安物のヒトラー」なわけですが、しかし安物のヒトラーを「安物のヒトラー」と呼ぶ側の所属政党の総裁もけっして高価ではないA級戦犯被疑者の孫なのです。言ってみれば、「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」の対決ではなく、「うんこA」と「うんこB」の対決なんですから。もっとも、うんこAは、民主党や共産党から、まだうんこBの方がましか、と思われてしまうほどのうんこではあるのですが…。



11月7日(土)名称変更キボンヌ

 あああ、下品なことを書いてしまいましたが、しかしこれもすべて、うんこAとうんこBが悪いのですよ。本来争点とすべきなのは、都にするかどうかじゃなくて(そもそもこの話はもう終わりましたからね)、「大阪」から「大便」に名称変更すべきかどうかですね。



11月8日(日)JKとGGI

 数日前の朝、散歩していたら、自転車に乗った二人組のJKの話が聞こえてきました。「○○先輩と××ちゃんがちゅーしてるとこを見てしもた。」「わきゃきゃー。」仕方がないので公園まで行って、ぐるぐる走り始めたら、何周目かに話に夢中になる二人組のGGIに走路をふさがれました。邪魔なので、通り過ぎるたびに舌打ちを繰り返したのですが、びくともしません。仕方がないので、「爆発して消えろ」と言ったら、次にそこへ来たときには見事に消えていました。爆死したようです。



11月9日(月)側溝男について

 次に生まれ変わるとしたら道になりたいと切実な願いを訴えていた側溝男が、また捕まってしまいました。記憶装置を使用することなく、ただただ自分の肉眼で見て、それを大脳に保存する点が、監視カメラなんかよりもよほど犯罪性が少ないではないかと前回は思ったものですが、今回はスマホに保存しちゃったりしているそうです。それじゃあ監視カメラと変らないではないですか。いや、正義を謳わない分、やっぱり辛うじて監視カメラよりかはましでしょうか。



11月10日(火)写真は撮りそうになった

 近くのインド料理屋の入口には、「お持ち帰りできますよ」という看板が立てかけられています。この前その横で、クソ寒いのに半ズボン半袖Tシャツのガキんちょが、しゃがんで熱心にプレステをいじっていました。持ち帰らねーし。



11月11日(水)SWとか言われてもわかんねーし

 それは宇宙でも戦争しようというクソ映画であり、かつて赤狩りに積極的に関与したハリウッド上がりのバカ大統領の政策のプロパガンダ映画です。そんなものを熱烈に観たいというような人は、たとえ末期がんの患者であろうと、恥ずかしいわけで、死ぬ前に観ることができてよかったね的なニュースが駆け巡っている状況は、なんともクソです。



11月12日(木)クソによるクソ批判

 「なんともクソ」と言えば、世界的なミスコン(=アホコン=クソコン)のカナダ代表に選ばれた中国出身のクソ女優とやらが、中国政府に嫌がらせをされていて、ビザが発給されないとかいうことになってるそうです。なんでもこのクソ、中国の人権状況を批判してきたそうです。笑かしますね〜。クソコンに出ちゃうやつが人権を語るんですね〜。もちろん、クソの言ってることだから無視してもいいなんて言ってるんじゃないですよ。ただ、クソがクソを批判してらぁと言ってるだけです。



11月13日(金)『リピーテッド』

 はじめは本格ミステリーっぽく、しかも、というか、なんといっても冒頭付近にニコール・キッドマンの全裸のバックショットがあり、もうわくわくドキドキだったのですが…。ガキんちょが絡むとろくなことはなく、途中から変な方向へ…。なんだこりゃ、くだんない親子愛の話なんかい、しっかも元夫ときたら誠実さだけがウリみたいなじゃがいも顔でやんの。そんなわけで、結局ニコールさまの美しさだけが際立つ映画でした。言うまでもないですが、公的な機関が絡んでミスコンやるのと、個人がバカな趣味判断を披露するのは、まったく次元の違う話です。お前だって差別主義者じゃないか、とか言って批判したつもりになるのはバカをさらすだけです。



11月14日(土)普遍的なテロリズム
 
 過食の典がありました。その帰りに宝塚線に乗っていたら、複数のテロリストによる551テロに遭いました。なんとか我慢して、いったん帰宅し、そして新幹線で東京へ。なんと、京都から乗ってきたどっかの学会帰りのクソ野郎たちが、後ろの席で551テロを敢行。わかった。食うのは許してやる。ちゃんと臭いも回収し、バカ話をやめろ。



11月15日(日)そうじゃないでしょ

 さっそくイタリア首相かなにかが、ヨーロッパが攻撃されているとか言って連帯を呼びかけるわけですが、少なくとも今のところ、相手はちゃんと狙いを定めているのですよ。けっしてヨーロッパではなく、直線の国境線を強いた者であり、爆撃に参加する者たちを狙っているのです。ヨーロッパ対あいつらみたいな形にしてどうするつもりなんでしょうか。



11月16日(月)自爆しなきゃ

 「いかなる理由があろうと、テロは許されない」そうです。憲法に違反する法律を提案し、作り出してしまうことは、立派なテロ行為です。いかなる理由があろうと許されないのですよね。自爆してくれるのでしょうか。



11月17日(火)『ブラックハット』

 たしかにこれからはハッカーの時代だと思うし、ハッカーはきっと頭いいだろうと思います。でも、この主人公、頭がいいだけじゃなくて、めっちゃマッチョなわけです。いくらなんでもそれはないでしょ、って感じです。だってあんなに強いってことは、筋バですよ。筋バとハッカーって、もっとも関係が遠いじゃないですか。ハッカーって、ずっとPCに向かってて寝食も忘れるからガリガリか、PCの前に座って運動もせずひたすら食うから汗っかきのでぶっちょか、どっちかのはずですよ。そんなわけで、ひところ流行ったバカ批評をまねて言えば、「人物が描けていない。」



11月18日(水)薄くてもいいじゃん

 テロ主犯格の男の残忍な素顔とかいう記事を書きたがり流したがるメンタリティとか、その手のものを好んで読みたがるメンタリティとかがあるんですね。こんなに正義に燃える人たちが、しかし大量破壊兵器の存在という大ぼらでイラクを爆撃した犯罪者やそれに従った犯罪者とかの残忍さには、興味を示さないのが不思議極まりありません。対話を求めるような言説は薄っぺらい理想論だとおっしゃる方々の重厚な現実主義とやらは、まったく理解不能だということです。



11月19日(木)教員さまは神さまです

 来年度は、シラバス公開が始まった翌日に科目等履修生の決定が行われることに変更だそうです。これが意味することは何かというと、シラバスを読んで、この科目を履修してみようって考える社会人は排除する、ということです。なぜこんな変更が行われるのかというと、教員さまが、ゆっくりとシラバスを書けるようにするためだそうです。今だと、年明けくらいまでにはシラバスを書かないといけないけれども、科目等履修生のことなんて考えなければ、締切をもっと遅くしてもよいのだと。そもそもこんなサーヴィス精神を発揮しているのは文学研究科だけだと。だったら、他の研究科に対して珍しく誇れることをしているわけですが、みずから教員さまの都合を優先してしまうんですよね。まったくバカげています。



11月20日(金)キモいし不正

 あれ以降、「私はチャーリー」同様、いろんなものを三色旗にして連帯の意思表示をするのが流行っているようですが、こういうことをやらかす人って、国旗・国歌法にも賛成なんでしょうね。いやもうなんとも立派なナショナリストです。もちろんこういうのは気持ち悪いし不快ですが、それは情念のレヴェルなので、どうでもいいです。問題なのは、こういうのが不正だということです。



11月21日(土)江川と並べちゃかわいそすぎる

 なんと、「江川ピーマン北の湖」なんて言葉があったのは知りませんでした。あの大横綱が人から星を買ったのに対して、この大横綱はむしろ人に売ってあげたりしたので、前者とは異なり非常に人望があるという話を読んだことがあります。横綱の品格とか、バカなことを言わなきゃもっとよかったですが、まあ、相撲自体、どうでもいいという話もあります。



11月22日(日)『歌声の消えた海』

 これが第29話で、第30話が『ビデオテープの証言』。このあたりから、そろそろつまらなくなり始めた感じがするのですが、ネットだといずれも絶賛している人たちがいて、謙虚な私のことなので、じゃあこっちが間違っているのかと思いました。第29話の見どころなんて、「ロバート・ボーン」ってこんな綴りなんだ、ってことくらいしかなかったのですが…。



11月23日(月)きっといい人



 勤労に感謝しつつ出勤したら、こんなものを発見してしまい、暗澹たる気分です。防犯カメラという名の監視カメラの犯罪性を微塵たりとも考えたことのない方が、「地域住民及び大学の方々」を代表して、犯罪を糾弾する看板を立ててしまうというこの善良さ。防犯カメラが見ているのに、犯罪が防げなかったわけですから、そのカメラにはもはや監視以外のいかなる役割も与えられていないことをみずから実証しちゃってるじゃないですか。



11月24日(火)『建築学概論』

 なんでこんなものを借りてしまったか、よくわかりません。大ヒットしたそうですが、きっと男優がどっちもじゃがいもだったからではないでしょうか。女優も、なぜ「国民の初恋」になるんだか、さっぱりです。ともかく、「哲学概論」じゃあこういう美しい話はできないでしょう。



11月25日(水)生ける教材

 「おおさかたざんのいしんのかい」が圧勝したそうで、なによりです。潔い大阪「府」民は、ちゃんと大阪「府」民じゃないみなさんの「たざんのいし」となる決意表明をしました。したがって、大阪「府」民じゃないみなさんは、ちゃんと学んでくださいね。ダメですねぇ、潔くない私なんて、職場に設けられた期日前投票所へわざわざ行き、生まれて初めてあの政党が推薦する候補なんかに投票しちゃいましたからねー。



11月26日(木)ディスカッサント

 「スーパーグローバル化の時代における日本研究なんとかなんとか」という講演会があり、諸般の事情によりディスカツサンド(←同僚によるオヤジギャグ。)を務めました。初めて留学したころ、日本学で思想系の研究をする人は、判で押したように××学派を対象にしていましたが、ハイデルベルクの日本学もそうだったし、夏にミュンヘンであった国際会議でもそうでしたが、いまや××学派の研究なんて行われていません。いや、それはたんに見たくないものが見えなくなっているだけかもしれませんが、視野から消えたことはまことに喜ばしい。わはは。 



11月27日(金)緑の党

 ドイツでは、ISに対する爆撃に連邦軍が参加するかどうかが問題になっています。いや、問題になっていると言えるかどうかわかりませんが、ともかく緑の党が反対を表明しています。問題になっていると言えるかどうかわからないというのは、現在、大連立政権なので、緑の党のようなごくごく少数派が決定に反対したところで、問題にすらならないということがあるからです。まったくもって困ったことです。緑の党の草の根心情左翼みたいなところとか、主たる主張がエコロジーにあるところとかは、まったく受け入れられませんが、爆撃に参加しちゃいけないという主張はまっとうなものだと思います。



11月28日(土)どっこいしょの会

 「放送法遵守を求める視聴者の会」とかいうどっこいしょの会があるそうです。憲法違反の法案に反対するメディアは「政治的に公平」を定める放送法に反するという意見広告を出しちゃう、まあ、あれな人たちなわけです。その意見広告は、3Kとずーーーっと原発を推進しているあの新聞に載ったそうですが、なぜその2つかというと、会の事務局長によれば、それらが「保守系」だからだそうです。あれ、保守系って言っちゃうんですか。「政治的に公平」なはずなのに…。



11月29日(日)私的言語は存在しないはずだが

 「自分の言葉でオウム語って」とか言ってる人がいるそうですが、「自分の言葉」とは何かをまずは言ってもらわないと、わけがわからないですよ。ひょっとして、「*○+×〜|;ピー」とかでしょうか。類似した表現として、「生の言葉」とかいうのもあるようですが、やっぱわけがわかりません。一度サンプルを聞いてみたいものです、そんなものが存在するのなら。



11月30日(月)法の下に平等じゃないのかよ

 「なんちゃら王女すくすく」とかいう文言とともにどっかの王女とやらの写真をネット上にばらまいて記事にしている人たちは、間違いなく差別主義者です。。そしてそんなものをめでる人たちも、負けず劣らず差別主義者です。こういう人たちが、大量破壊兵器があるといちゃもんをつけて爆撃して殺戮してもなんとも思わないのに、テロは断じて許さないと言って正義の味方になるのです。笑かしよる。 



12月1日(火)『飲めば都』

 初めの方は、まあ、わざとらしいとはいえ、面白かったのです。それが版画家が出てきたあたりから怪しくなり始め、ああ、そっちへ行くんですか、という感じになって。基本線が保守主義なので、そのあたりが目に触り始めると、もう読むのが苦痛で苦痛で。ありていに言えば、セクシュアル・ハラスメント満載です。 



12月2日(水)桜満開ですなぁ〜

 そこらじゅうで、と言っても、あれなところばっかですが、いまだに「同性愛は異常」とかツイッターしちゃう頭の中は桜満開的な人がいるんですね。いやもう、驚き桃の木Walkyです。21世紀にもなって、いまだに異性愛主義であることを恥じるのならいざ知らず。その人が私的領域でどれだけ下劣かつ低能でもよいのですが、公共圏においてそういうものをさらしてはいけません。なんちゃら王女をめでるヤツらとか、ミスコンという名のバカコンを大学公認でやらかしちゃう方々とかと同様、自己の差別主義を公にしてはいけないのですよ。



12月3日(木)まあ、そんなもんか

 パリのためだけではなく、世界のために祈りを的な詩に共感を寄せる知り合いの倫理学者がいますが、祈りなんかでいいんすか、と思います。詩人やら宗教者やらなら祈りでよいのかもしれませんが、倫理学者がそれでよいのでしょうか。まあ、ひょっとすると倫理学は、そんなものなのかもしれません。3.11の後、自分の知り合いかなにかが死んだことを、どこかの学会のシンポかなにかで哀切たっぷりにしゃべったのもどこかの倫理学者だったような記憶がありますし。



12月4日(金)雑務

 かたづけど、かたづけど、なおわがくらし楽にならざり、じっと手なんて見てる暇もない。



12月5日(土)うまどろ

 とーぜんのごとく、休日出勤してしまいました。まあ、することないのでよいのですが、しかしこれでいずれ退職したらどうすんだろうと思います。職場あたりを徘徊して、またいるよ的な視線を浴びるのでしょうか。それはかなり避けたいところです。うまいことどろんできればよいのですが、なんかだらだらしてそうで、あ〜あって感じですよ。



12月6日(日)『ファイ』

 なんか久しぶりに、人を憂鬱にする映画でした。そんなものを日曜の朝なんかに観たりすると、もう昼寝くらいしかできません。『オールド・ボーイ』といい、やっぱチェ・ミンシクは人を憂鬱にする罠と思いきや、キム・ユンソクでした。憂鬱になるのは、西洋合理主義とはまったく異なる規範に従う共同体のことを、もちろん受容はしないけれども理解できてしまうからなのか、それとも内面化されたプチ・ブル的な規範を暴露されてしまうからなのか、よくわかりませんが、ともかく出勤を拒否したくなりました。



12月7日(月)ネズミさまの死

 以前は、今とは比べ物にならないほど頻繁にフリーズしたものです。そしてそのたびに、「ザン」という、さもお前が悪いんだと言いたげな音を立て、「不正な処理をしました」とかいう表示が出てきたのです。通常なら、「何が不正な処理じゃ」と怒るところでしょう。PCに蹴りを入れてもおかしくありません。しかしそんなことをすると高くつくので、身代わりにネズミを机や壁に叩きつけるわけです。みんな同じようなことをしているんだろうと思っていたのですが、あるとき学生から「なにやってんですか???」(アンビリーヴァボ)と言われてしまいました。はっとして、それ以来ネズミさまも丁重に扱ってきたのですが…。でも、死んじゃいました。



12月8日(火)自分らだけでやるがよい

 極右政党が歴史的勝利を収めてしまうと、結局、哀悼だか連帯だかのつもりで三色旗をそこらじゅうにまき散らしていたけど、それはたんなるナショナリズムだったってことがいっそう明白になって、それはそれでイデオロギー暴露としてはよいことかもしれません。しかし有色人種を排斥して、生活が成り立つと思ってるんでしょうかね。全員がバカンスとって、いったいだれが支えるんですかね。



12月9日(水)なんとか、ってじいさんの話

 21世紀にもなって「男気」がどうのこうのとか言って、根性が通用しなくなってきた大リーグはやめて、将来NHKあたりの解説者を狙って恩着せがましく古巣に戻っていたじいさんが、またしてもやめるやめないとか言ってたそうで、もう、というか、そもそもどうでもいいんすけど。ただ、この立派な方には内角球は投げちゃいけないとか、特別ルールがあるそうなので、大変ですね。



12月10日(木)さすが西洋さま

 「西洋文化は、神の名の下に殺人を正当化するイスラム文化に勝る」とか言っちゃうようなのが、首相を務めることができたなんてところを考えると、まさしく西洋文化はイスラム文化に勝ると言えるかもしれません。なんつっても西洋文化においてはこんなバカ発言が許され、こんなバカが首相だったのですから。神の名の下に殺人が正当化されるのは納得いかないけど、女王とかの名の下でなら納得いくんすかね。さすが西洋さまですね。バカが。



12月11日(金)そのくらいで目くじら立てないで!

 勝っているのなら、劣ったやつらがちょっとばっかテロったからって、そう目くじら立てる必要もないでしょう。だって、勝ってるんですからねー。爆撃なんて野蛮なことはせずに、勝ってるところを実証してくださいよ、殺戮以外の方法で。



12月12日(土)もっとちゃんとやれ

 「(2015年12月10日更新)「セブン銀行」のシステムが安全性の更新がされたため、お客様はアカウントが凍結?休眠されないように、直ちにアカウントをご認証ください。」というようなクソメイルが届きましたが、騙すなら、ちゃんとした文くらい書けよ、って言いたいですね。もっと誠実に騙しなさい。いくら「こんにちは!」から始めて親しみの情を示しても、「システムが安全性の更新がされたため」なんて言い回しを使ったり、「凍結?休眠」とかわけのわからん言葉遣いじゃあ、まったく本気度が伝わってこないぞ。猛省せよ。



12月14日(月)第2回大阪哲学ゼミナール

 土曜日から今日まで、「第2回大阪哲学ゼミナール」でした。午前中は「新たな社会哲学の可能性」として、あらかじめ指定されたテクストを読んできて議論、午後は「カント倫理学/法論/政治哲学の射程」として、若手のカント研究者に発表してもらって議論、という充実した内容でした。お呼びしたある大学の名誉教授は、相変わらず慣れるまでは非常に怖いのですが、慣れると頭をはたきそうで、それはそれで怖い方でした。



12月15日(火)あったしまえ

 まあ、まともな人ならそう考えるに違いないわけですが、その怖い方は、イスラムは何するかわからん存在者なのではなく、実際には難しいことではあるけれども、それでもしなければならないのは対話なのだということをおっしゃって、やはりお呼びした甲斐がありました。



12月16日(水)なにがドリームじゃ

 年末になるとバカ宝くじの宣伝が増えるわけですが、こんなもん、だれひとり購入しなければ、作ってるやつらが大損するってことがわかんないんでしょうか。反社会的勢力による賭博は目の敵にするくせに、宝くじのバカ騒ぎには乗っかっちゃうメンタリティがまったく理解できません。胴元が違うからよいのだと言うのかもしれませんが、しかし一攫千金を狙っていることに変わりはないばかりか、国家にお墨付きを与えてもらえれば安心して博打を打てるなんて考えている点で、より悪質でしょう。それはちょうど、反社会的勢力による殺人を忌み嫌うくせに、国家による殺人の不当性を疑いさえしないのと同様です。



12月17日(水)宝くじは霊感商法じゃないのか

 「幸せになるよ」と言って、ひとつ30万円の壺を買わせると霊感商法とか言われて犯罪者扱いされるのに、功利計算以外には脳みそを使ったことがないようにしか見えないなんとかジョージが宝くじを売りつけても問題にならないのは、いったいどういうわけなんでしょうか。「金額が違うよ」とか言う人は、量が質に転化するというヘーゲル主義者なのでしょう。しかしちまちま宝くじなんか買ってるより、30万円の壺を買った途端、突如として大金持ちになったりしないといったいだれが言えるのでしょう。



12月18日(木)夢の話
 
 昨日は職場の忘年会でした。アルコールが入って油断されているのか、あるいはどーせだれも聞いちゃいないとお考えなのか、具体的な名前を挙げてその方のハラサーぶりを問題にされている方たちがいて、あららって感じでした。知っているのに何もしないと共同正犯を問われるので、きっと私は夢を見ていたのだろうと思います。それにしちゃあ、リアルな夢でしたけど…。



12月19日(土)八王子にて

 わが心のふるさと八王子で小学校の同級生+担任との忘年会がありました。定番の不健康ネタとか当時の暴力教師ネタとかで盛り上がりました。スカートまくりして体育教師にひっぱたかれたときに、「この程度の痛みで見れるんならいいか」と思った、という告白を聞いて、「なるほど」と思いました。やっぱ体育教師は何もわかっちゃいなかったんですね。 



12月20日(日)暴言吐きたい

 五輪の運営費が当初見込みの6倍に膨れ上がっているそうで、通常なら、負担者は詐欺だと訴えるとか、あるいは暴れるかしてもおかしくないし、運営側も開催を断念しないといけないところなのに、辺野古の埋め立てと同様に、「粛々と」ことが運ぶんですですね。「感動が得られるんだからよい」とか言う、心が地の果てほど広い(そのくせ頭は空っぽな)人もいるようで、あるコラムニストはその手の人のことを「感動乞食」と一言で切っていました。そんな暴言を吐けるのがうらやましい。



12月21日(月)ひとり3部ほどいかが

 研究室で発行している雑誌の残部があまりありすぎると問題だそうで、なぜならそれを売って金儲けしちゃう人が出てくるからだそうで、目安として100部残ってたらいけないとか言われました。そんなわけで、今年度は院生に150部配布することになりました。そんなに院生いましたっけ。でも、ご丁寧に本部から監査がやってきます。とほほ。



12月22日(火)国語教師は陰湿

 先述の暴力体育教師はいかにも体育教師という感じですが、国語教師の「体罰」もいかにも国語教師という感じのものでした。悪さをした生徒にどういう罰を与えるかというと、「壁にはりついて、セミをやれ」と言うそうです。なんとも陰湿で、暴力には反対ですが、しかしいっそのことひっぱたかれた方がさっぱりするって感じです。ちなみに私は優等生だったので、どっちの体罰とも無縁で、そんなことが行われていたことをこの前初めて知りました。いやマジで。



12月23日(水)ポリティカル・コレクトネス

 今日はもちろん言うまでもなく、イデオロギー的に休んで祝ったりするわけにはいかないので出勤しました。ポリティカル・コレクトネスを生きることには、しばしば苦汁が伴うものです。絶命館とかだと、私がお世話になっていたころは授業日でしたが、それは文科省の指示に従って1セメスターに15回の授業日を確保するという大義名分の下、こんな日は祝いたくないぜという抵抗の現れなんだと、勝手によい方向へ解釈したものでした。



12月24日(木)不正の王道

 ある週刊誌の中吊り広告で深きょんのグラビアについて「エッチなカラダ」と謳われていたので当該週刊誌を購入したのですが、まんまと「釣り広告」でした。これってジャロに訴えるべきところなのに、そんなことをしたら恥ずかしいからだれひとり訴えず、まんまと詐欺が成功するという、不正の王道ですね。ぎゃふん。



12月25日(金)ペドかつ靴下フェチ

 なるほど、あやつはペドで靴下フェチでしたか。ペドはまったく理解できませんが、靴下フェチはなんとなくわかるかもしれない私は、ひょっとしたらヨンタさまかもしれないと、ふと気がつきました。



12月26日(土)くそアイデンティティ・ポリティクス

 赤鼻のトナカイの話がダメなのは、動物虐待とかだからじゃありません。いつもバカにされていた理由そのものが、ポジティヴなものに転じ、アイデンティティの所在となるという物語だからです。要するに、だれにだって善いところはあるとか、だれだって社会の役にたつんだとかいう発想が問題なのです。何のとりえもないし、社会の役にたつわけじゃないけど、生きていてもよいに決まっているという話がなぜできないのか、かくもアイデンティティ・ポリティクスは強力だという証左の物語です。



12月27日(日)反・好意の原理

 しばしばイタコ大会と化すある研究会に出てしまいましたが、イタコ大会を支える原理は、「反・好意の原理」だということに、今日気がついてしまいました。発表者の発表の筋道などほとんど(あるいは、一切)聞くことなどなく、ともかくもっとも優秀なイタコとしての自分に聞こえてきた原著者の声と違うことが書かれていると、もうそのことしか言おうとしないわけです。あるいは、自分が「反・好意の原理」を採用したために読めなかっただけの文章をアドヴァイスの名の下に書き換えさせようとしたり。そろそろとんづらしないといけないのでしょうかねぇ。



12月28日(月)クソボケが

 大学教育にプレゼン能力が必要だなんて、だれか本気で考えているのでしょうか。ひょっとすると考えている人もいるかもしれません。そういう人はあれでしょうか、うんこの話を延々面白おかしく話して聞かせる大学教員の方が、ときどきドキッとするような学術上の発言をするけれど、しかしそれを耳にするには聞き取りにくい話し方に耐え続けなければいけない大学教員よりも優れているとお考えなんでしょうか。プレゼン能力があってもうんこの話ですよ? ちょっとは考えてほしいものです。



12月29日(火)ほほう

 市の広報誌で市長と草の根日共監督とが対談していて、昭和初期はよかっただの、昭和30年代はよかっただのとほざいています。ほほう、すでに朝鮮半島をわがものとし、中国侵略を始めたころがよかったんですか。あるいは、朝鮮戦争で儲けた後、無反省に安保条約を容認してきたころがよかったんですか。だから『男はつらいよ』なんて撮り続けることができちゃったんですかね。



12月30日(水)たんなる窃盗

 そのゲーニンがどんな芸風の人なのか、もはやテレビが映らないので知らないのですが、やらかしたのはたかだか窃盗じゃないですか。どうも窃盗以上にそのセクシュアリティを罰しようとしている風潮があるように思うのですが、たんなる思い違いでしょうか。20年という月日が問題なんだったら、独立と引き替えに沖縄を盗ってもらっていったいどれだけ経ってると思います? そしていまなお、他人の居場所に勝手に基地を作ろうとしているわけです。これに比べれば、ちょっとくらい窃盗したからって何を大騒ぎする必要があるのか、さっぱりわかりません。



12月31日(木)たかだか窃盗

 そしてなぜ相方が謝罪しなきゃいけないのか、さっぱりです。ゲーニンたるもの窃盗なんてことはしないという信頼を寄せていたのに、それを裏切ったからでしょうか。ゲーニンのくせにどこで笑えばいいのか困惑させ続けてくれた南原とかが謝るのならわかるのですけどね。まだテレビ出てるんでしょうか。ともかく、平和主義とかなんとか言ってるくせに立憲主義さえ守ろうとしなかった線香屋たちの方が比べ物にならないくらいに阿漕じゃないですか。まあ、あんな線香臭いやつらに謝ってもらったって仕方ないですけどね。たんに消えてほしいです。



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