1月1日(木)ミラーズはみれーず
ったく、15時30分の回のチケットを買おうと、14時50分くらいに窓口へ行ったら、もう△印がついていて、その心は「最前列しか空いていません」だと。<今日は映画の日で安いから>と考えたような不届き者たちが、初詣の帰りなんぞに大量に押し寄せてきたせいじゃないのだろうか。ついでに映画へ来るとは何事だ! こっちはそれだけのために来てるんだっつーの。結局そのような不道徳極まりない者たちのせいでミラーズはみれーずで、代わりに『地球が静止する日』。キーファーがキアヌに。これがまたもう、へー、ほぇー、あれぇー、ぐーすかぴーひょろ、と睡眠効果までもつ代物で、終了後、次回の上映を待ちわびる不謹慎者たちが哀れに見えました。もう、あんな別の面こそ、諸悪の根源なのに・・・。
1月2日(金)代役
宮アあおいは2月から5月まで休養するそうで、その代わりを務めなければならなくなってしまい、彼女はそれでも「2月半ばまでは働く」と言ったのですが、「無理する必要はありません」と言ってしまいました。実は、宮アあおいはほとんど見たこともなく、ファンでも何でもないのですが、そしてとても一介の哲学研究者が俳優の代わりなど務められるはずもないのですが、しかしそこは夢なので、まったく疑問に思ったりもしないわけです。夢と言っても、そっちの夢ではなくて、こっちの夢です。<宮アあおいのようになることが私の夢ですぅ>というときの<夢>ではなく、<宮アあおいの代役をおっさんが何のためらいもなく引き受けられちゃうのが私の夢でした>というときの<夢>です(これでもまだ、誤解の余地がありそうだ・・・)。
うー、これが初夢とは・・・。くどいようですが、これは私の夢であって、私の夢ではありません。
1月3日(土)ミラーズはみれーず 2
『ミラーズ』、この前と同じ時間にチケットを買いに行ったら、すでに15時30分の回は売り切れでした。またしても、ミラーズはみれーずになりそうだったので、18時00分の回のチケットを買いました。ったく、ジャック・バウアーしか知らない若者ばっかが『ミラーズ』を観たがっているのでしょう。『スタンド・バイ・ミー』なんて知らないだろうけど、せめてドナルド・サザーランドくらいは知っておいてもらいたい。逆か。実際、上映中に結構出入りはあるし、私語はあるし。きみらはちゃんと鷹の爪団総統のお話を聞いておったのか、って感じ。これからは、総統のお話を聞くようにという総統のお話が必要です。
さて『ミラーズ』。もう何も申しますまい。新年早々、連続でやっちまったぜ状態です。これがホントのミラーズはみれーずかも。
1月4日(日)ああ、あのずるい企業ね
いつ頃からか、正月には駅伝が脚光を浴びるようになっていますが、人が走る姿なんて見てても面白くないのでいつもほとんど目にしませんが、今年はどういうわけか1月1日に、実業団の大会を見ました。といっても、最終区だけですが。ゴール寸前まで、3チームが団子状態という接戦でした。最後は富士通が勝ったのですが、あれって宣伝的にはどうなんでしょうか。企業に属しているランナーは、その企業名が書かれたランニングを着て、走る広告塔となっているわけです。最終区は向かい風がきつかったのですが、3人のうち旭化成の選手と日清食品なんとかの選手は何度も前に出て風除けの役割を果たしていたのに、富士通の選手だけは途中でスパートした時以外はずっと人の後ろに隠れて走っていたのです。もちろん、そうした走り方が禁じられているわけではないですし、重要なのはトップでゴールすることでしょう。しかし企業イメージとしてはどうでしょうか。「富士通? ああ、人の影に隠れてこそこそしてる企業だろ?」「富士通? 勝ちゃ文句ないだろ、ってとこだろ?」
とはいえ、残るのは成績一覧であり、そのときつねに1位は富士通なわけですから、やっぱ勝っといてよかったんじゃないか、って考えられるかもしれません。甘い。将来、「2009年の1位は富士通だったんだね」という会話が始まるや否や、「そうそう、ずっと人を風除けに使って醜いレースをしたんだよね」と言われてしまうのです。少なくとも私は言い続けてやりますよ。ただし、会話の相手がいるかどうかは限りなく不透明ですが・・・。
1月5日(月)わんわん中井
豊中わんわん署桜井谷KOBANに勤務するわんわん中井が、<自宅付近をパトロールした>というパトロールカードなるものをカント研究者が住む高級マンションのメイルボックスに入れて立ち去りました(目撃していないけど、立ち去ったことはたしかでしょう。ひょっとしてどっかに潜んでいる?)。前にもこういうカードが入っていましたが、わんわん中井はメイルボックスにカードを投函する際、だれかの許可を得たのでしょうか。だってメイルボックスは、高級マンションの中にあるのです。わんわんが正義の味方だと思ってる善良な市民はたくさんいるから、きっと住人のだれかが「どうぞどうぞ」って言ったのでしょう。えっ、そんなわけない???正義の味方だから堂々と胸張って無許可で中に入ってきた???ちょっと確かめたいなぁ。わざわざ内線番号まで書いてあるし。最初は「パトロールごくろうさまです。お礼が言いたくて電話しました」とか何とか言ってやろうか。アホが。
1月7日(水)不敬
そうですか、今日はその日だったのですね。あの日は午前中に塾のバイトがあり、帰り道、近くの和菓子屋で赤飯を買ったのですが、さすが和菓子屋を開くだけあって、店の人間がたいそう沈んだ様子だったことを覚えています。別にめでたいと思ったわけではなく、いやむしろ、責任も取らずにまんまと逃げきったことが悔しかったり腹立たしかったりしたのですが、だれが喪になど服すものかというわけで赤飯を買ったのだと思います。あの日の夜、私のNHK教育以外はすべてへんてこな番組を放送していたんですよねー。NHK教育は、マーヴィン・ルロイの『心の旅路』でした。
1月8日(木)おぉ、それは
今日はいろいろあった1日でした。1時間目に授業があるので早起きしなければいけなかったのですが、いくら早起きしなければいけないからといって、4時過ぎに目を覚ます必要はないだろうと思います。仕方がないので、米を研ぎ、まだまだ真っ暗な中を走りました。木曜1時間目は、1時間目なのに出席者はみな真面目に予習をしていて、しかもよくできるのでなかなか楽しい時間です。部屋に戻ってさて雑務に勤しもうかとしたら、急展開で救急車に乗ることになりました。いえ、私のどこかが悪かったわけではありません。いや、悪いところがないわけではありませんが、しかし今回の急展開とそれとは一応無関係です。さて、着いた病院の目の前には、カント研究者の住む高級マンション。なんだか、変な遠まわりをしてきた感じでした。
一時顔面蒼白だった学生が気持ちよさそうにいびきをかいて眠っているので、一安心。大学にもどり、ずーーーっと会議でした。またしてもなんだか非常に気を遣わねばならない仕事が増えてしまいました。こちらは2年間。こうして教育および研究の空白期間はさらに1年延びそうです。
1月9日(金)スーパースター
職場から戻り、見るともなく画面を見ていたら、例によってCDを売りつける番組が流れていました。今日の出し物は、リチャードが自らセレクトしたカーペンターズのアンソロジーCD4本とDVD1本。曲はほとんどが70年代のものですが、ベトナム戦争がリアルタイムで行われていたことなどまったく感じさせないような、あのノー天気さにちょっと惹かれて嫌になります。もっとも、プロモーションフィルムは、共産主義者を排除した夢の国=ウォルトの帝国で撮影されており、さすがにそれにはむかっとしました。やっぱカレンの夭折が大きいのでしょうか。いえいえ、けっして50年生まれで存命中の人を非難しているわけではありません。
卒論を提出されたみなさん、お疲れ様でした。
1月10日(土)トラクリ
今日は、『トランス・クリティーク』の読書会がありました。よく読むと、よくわからないところが、よくあります。画期的なアイデアだと思っていた資本と国家とネーションの三位一体説というのも、実はよくわかりません。これら3つはひとつながりだと言われるのですが、なぜネーションが必要なのか、どうもよくわからないのです。事実として、ネーションという虚構が作られていることはたしかだと思いますが、しかしそこに論理的必然性があるとは思えないわけです。少なくとも、<イントロダクション>の部分では、うまく説明ができているとは思えませんでした。本文を読む中で、このあたりのことも明らかになることを期待しましょう。
1月11日(日)トラクリ→くりそつ
ピンク色のベストを着ているお笑いげーにんが、知り合いのカント研究者に似ているので(たぶん、パーソナリティはまったく似ていないと思います。たんに、風貌が似ているように思うだけです)、ようつべを見てたら、なんとかなんとかという有名な番組に出ていました。漫才に対して、複数の審査員がそれぞれ得点を出し、合計点を競うという番組です。驚いたのは、審査員に島田がいたことです。もちろん、現役の漫才師が漫才の審査をするのはおかしい、などと言いたいわけではありません。島田の漫才がいかに面白くないかということと、批評する能力とはとりあえずは別ですから。たとえ自分が不良だった頃にやらかしたことをネタにしていたようなつまらん漫才師であろうと、批評する能力はあるかもしれませんから。でも立派な理論をもっているのなら、それを実践に移してきっと面白い芸ができるはずだ、しかし実際には面白い芸ができていない、だから立派な理論ももっていない、という推論は、まま立てたくなりますが、まあこの推論も誤っているでしょう。立派な理論をもっている人が、必ずしもすぐれた実践家であるとは限らないからです。あるいは、パワハラ暴力事件を起こしても少しだけ休んでまたのうのうと何事もなかったかのように出てきてエラソーにしているからといって、そのことと批評する能力とはとりあえずは無関係なので、審査することを妨げる理由にはならないでしょう。私が言いたいのは、島田に批評する能力があるのか、ということです。
ええ、言いっぱなしです。論証はありません。たんに差別を笑いのネタにする島田が嫌いなだけなんでしょう。しかし周知のように、それは島田に限ったことではありませんが。けけけ。
1月12日(月)女王がいるんですか???
またしても007シリーズが上映されているようですが、あれはいったい何なんでしょうかねぇ。たしかにイギリスが世界の先陣を切って悪の限りをし尽くしてきたことはたしかでしょう。しかしいまどき、どうしてイギリスの諜報部員の活躍なんかが描かれなきゃいけないのでしょうか。イギリスって、いまだにそんなに重要なんでしょうか。だれがイギリスの諜報部員の命を狙ったりするんでしょう。被害妄想、時代錯誤もはなはだしいったらありません。そのうえあのぶっさいくな容姿。ほとんどギャグ映画じゃないですか。
そんなに立派なんだったら、お願いですからイスラエルを何とかしてください。なんなら、大きくもない大ブリテン島をそっくりあげちゃえばどうでしょう。パレスチナ問題は、元を質せばイギリスが諸悪の根源なんですから。
1月13日(火)野蛮なご仁について
松本サリン事件でマスコミによって犯人扱いされた河野さんは、サリン散布に関与し、実刑判決を受けて刑期を終えた後、自分のところに謝罪にきた(河野さんには、事件の際に被害を受け、昨年意識が戻ることなく亡くなった妻がいました)元信者を、「刑期を終えた後も差別するのはおかしい」という理由で迎え入れています。「死刑にならなきゃ自分が殺す」と言ってはばからないどっかのご仁とは大きな違いです。そのご仁のロジックだと、死刑以外の刑罰なんて受けたって一般市民として生きることは許されない、ということになるでしょうから。そんなことを堂々と言ってしまえるなんて、いったい何者なんでしょうか???超エリート被害者様???
1月14日(水)殺人は学外で!
こんなことがあると、わんわんが堂々とキャンパス内を闊歩するようになるわけです。大学も安全じゃなきゃいけないとかなんとかいう話になって、持ち物検査が行われるようになったり、パトロールが行われるようになったりしないことを切に望みます。あんなのが常駐しているくらいなら、ちょっとくらい盗難があったって構わないっすよ。殺人は、学外で行っていただきましょう。
なんてことを書くのは不謹慎でしょうか。なにかあったら、「ああ、あの人ならそういうことがあったって不思議じゃないですよ」とか「あの人はそういうことに最も近い感じでしたね」と言われそうですねー。
1月16日(金)新井失神
スポーツ新聞の見出しです。アニキ(というあだ名もどうかと思うけど)がそもそもそうなんですけど、新井もなんでそんなことをするんですかねぇ。護摩行と言うそうです。こんなことでは、竹槍で米軍機を落とそうとしていたメンタリティと変わらないと思うのですが、結局重要なのは<気持ち>なんですかねぇ。これって、水中クンバカとどう違うんでしょうか。火と水なんて、24時間くらいしか違わないじゃないですか(←おぉ、うまいこと言ってる。と思った方は遠慮せず、そう口に出してよいのですよ)。
真面目な修行なんてどうでもよいので、もっとでたらめにやって成績残してほしいものです。それがプロでしょう。
1月17日(土)今年初とアイポ
ここ数日に比べ、今日はちょっと暖かい感じがしました。そして研究会も何もない土曜日。となれば、今年初めての昼寝→暴走→銭湯を実行しないわけにはいきませんでした。銭湯には、いつも自分が使っているロッカーが使用中で使えず、その周囲もすべて使用中で使えず、ぶつくさ文句を言っているおっさんがいて、かなり面白かったのですが、しかし<明日はわが身>なので見て見ぬふりをしておきました。もうちょっと年をとると、そんな些細なことでも腹を立てるようになるのでしょうか。
銭湯の帰りに、スーパーで晩御飯を買ったら、どうも安いのでおかしいなぁと思ったのですが、家に帰ってきて見たら、主食にもおかずにも<半額>シールが貼られていました。あああ、やってしまった。なんだかこれでは<半額>狙いのおっさんのようではないか。憲法に誓って言いますが、私は<半額>を狙ったわけではありません。手にした商品がたまたま<半額>だったのです。なんだったら、正規の値段で買い直したいくらいです。はいはい、くだらない見栄張りです。その通りです。でも見栄を張らせてくださいー。
しかしここで見栄を張り続けるためにスーパーに<半額>なんかにしてくれるなと要求したりしたら、それはアイデンティティ・ポリティクスになっちゃうので、やめておきます。いや待てよ、つーことは、見栄張りが私のアイデンティティということになってしまうのか。とはいえ、たまたま<半額>を買ったことによって、そんなアイデンティティは不毛であることが明らかになったのであった。
1月18日(日)チーン
例によって参院の改革をしたいらしいです。なぜかと言えば、現在ねじれ現象が起きているからだと。ねじれが嫌なら、ハローワーク行ってわざわざバカを披露したりする前に、解散して総選挙すればよいのですよ。そうしたらすっきりねじれもなくなりますって。小学生だって知ってますよ、こんなことは。大学生が知ってるかどうかはわからないけど・・・。
そして、経済危機への対応策を示せるのは自分が属している政党のみだと言い放っていましたが、そんなことを言っちゃってよいのでしょうかねぇ。一緒になってなんだか念仏みたいのを唱えてた線香党は無能だって言ってるわけですから。数合わせのためには、線香屋さんにいてほしいけど、でも経済危機への対応策を示せるのはうちだけで、おたくは線香炊くしかないからねー、って言ってるわけですから。まあ、そんなふうに言われても、さすが悟りでも開いているのか、あるいはお得意の損得勘定の結果なのか、なんらの反発も示していませんでしたからねぇ、やりますねぇ、チーン。
1月19日(月)むづい
なんと、センター試験の「倫理」に、フーコーが出る、ギリガンなんぞが出る、と思っていたら、ぬぁんとハーバーマスまで出てました。しかも、表記はハーバマスでもなく、言うまでもなくハバーマスやハーバマースでもありませんでした。第4問ではカントやヘーゲルのことが問われていますから、みんな大学へ入学したらカントやハーバーマスが研究したくなるに違いありません。ハハハー。
それにしても、難しいですねぇ。問2なんて、「自我同一性を見失っている心理状態の例として最も適当なものを選べ」で、たとえば「子どもが大学へ入って家を出てゆき、心にぽっかり穴があいた感じがしていて、自分の人生はいったい何だったんだろう、自分の存在意義って何なのだろうと思い悩んでいます」とかいう選択肢が与えられるのですが、そもそも自我同一性を見失っているのに、こんな反省が可能なのかって思いますからねぇ。自我同一性を見失っているのに、どうして<自分の>人生を名指すことができるのか、さっぱりです。出題者は哲学研究者ではなさそうですね。テキトーな心理学者あたりでしょうか。
1月20日(火)大ショーーック!
来週の月曜日は、試験です。できる自信があろうとなかろうと、試験です。できる自信がないからといって、その代わりとなるような特別な課題など存在しません。そもそも、試験ができないのにそれに代わる課題ができたりしたらおかしなことになります。課題は試験の代替物なのですから、試験ができない人は、課題だってできないはずです。もし試験はできないのに課題ならできるなんてことがあったりしたら、それは課題の内容が不当だということでしょう。そしてそれを課した者も不当だということになります。みなさんご存じのとおり、私は何といっても、「正義はなされよ、たとえ世界が滅ぶとも」の人ですから、そんな不当なまねをするわけにはいきません。ひょっとして、私はそんな「いい先生」に見えちゃったのでしょうか。これは大ショックです。
1月21日(水)さぱーり
こんなことを書いても仕方のないことだと思ったのですが、しかしそんなことを言えば、仕方のないことしか書いていないような気もします。この前から、自宅と職場の行き帰りを迂回しないといけないことになっています。迂回路は、いまどき珍しいことに土の道ですが、今日の帰り道など雨が降っていたせいでおもっくそぬかるんでいました。あんなぬかるみはもうここ何年も経験していないのではないかという気がします。なぜ迂回路なのかと言えば、いつもの道が工事中だからです。別に今までのままでも不自由はなかったのですが、あれでしょうか、またきれいな道にして自転車がびゅんびゅん走れるようにしておいて、かつ、自転車は通行禁止とかわけのわからんことをしたいのでしょうか。あるいはルールを守るように見張り役を雇い、雇用に貢献しているつもりになりたいのでしょうか。ホントに、エライ人たちの考えることはさっぱりわかりません。
高度副なんとかという立派な制度を作り、そのための講演会みたいなのを開催したりするわけですが、実際に学生が登録しようとしても、そのプログラム用にシステムをカスタマイズする予算が削られているために、結局は事務を手作業でしなきゃいけないわけです。<こんな立派な講演会を開催しました>はニュースになるし、何かやってるようには映りますよね、たしかに。でも、<それ用の授業登録もできるようになりました>じゃあ、さっぱりニュースになりませんからね。一事が万事、そういうことなのでしょう。実にくだらない。
1月22日(木)いつだってやめてあげますよ
今日は、性差別問題委員会主催による教職員のための研修会がありました。委員以外の教員はだれひとり出席していないブロックもあったりしたのに、昨年同様、哲学の教員は委員以外に4人も参加してくださいました。言うまでもなく、けっして暇なわけではないのに、きちんと出てくださったわけです。ひょっとしたら、「そんなの当たり前ですよ」とおっしゃるかもしれません。ちなみに、ブロック別ではトップ賞です。
ところで、研修会の際のある方のある発言が不快でずっとむかむかしています。いっそのこと、「文学研究科にこんな委員会は不要だ」とはっきりおっしゃるのならまだ潔いのですが、さも立派なロジックを見つけたかのように、遠まわしに不要を主張されるのです。はっきりおっしゃっていただけば、喜んでやめますよ。だれが好き好んでこんな委員やってると思っているのですか。問題が起きたって、あなたのように頭の良い方ならすべて見事に解決してくださるのでしょうね、きっと。いや、そもそも問題なんて起きないのですかね、あなたがいらっしゃるかぎり。いや〜、立派だ。立派すぎる。すぎたるはおよばざるがごとしだ。
1月24日(土)野蛮
被害者が裁判に参加することによって、被告の罪が重くなるなんてことは、信じがたい暴挙以外の何物でもないでしょう。どうして法治国家においてそんなことが許されるのか、まったく理解ができません。リンチはやめるべきだ、ということが、法治の根幹にあるのではないのでしょうか。ここにある問題を提起する法学者はいないのでしょうか。こんなことで裁判が変わるのだとすれば、それは、被害者を目の前にしないと適切な裁判ができないヤツが無能だったということを意味するだけで、制度そのものが不備だったということを帰結するわけではありません。
ついでに言うと、ある被告が「自分には死刑しかない」と言ったとしても、そんな言葉はその被告をどう処罰するかということとはまったく無関係です。その発言が意味しているのは、せいぜい、その人物が野蛮だということにすぎません。そろそろ文明人になりましょうよ。
1月26日(月)検事様とかわんわんとか
そして検事様によれば、被告の行為は「鬼畜の所業」だそうですが、いったいいつから法曹関係者はこのような文学的な表現を使うようになったのでしょうかねぇ。鬼畜の所業なら、人の法で裁いたりしてはいけませんよ。鬼畜の所業を裁けるなんて、あなたは一体何者ですか、って訊きたいですね。そう言えば、「矯正の余地なし」と人の未来まで予言してみせたのですから、ひょっとすると検事様は神様なんでしょうか。
神様グループは、品川駅前でも大活躍でしたね。<経営者が労働者のクビを切って何が悪い?>とは、あなたは何時代に生きているのですかってくらいの発想だと思いますが、あそこまで露骨な暴力行使というのも、ホント、何時代ですかって感じです。あんなものを見せつけられて、まだわんわんと呼ばずにいられますか???
1月27日(火)たんつぼ
就任1年目を前に、支持率は82パーセントだそうです。100人中82人は○○だということです。驚きました。いくらサメの脳をもつと言われた男に、かつて「たんつぼ」と言われた土地だとしても、いや〜、いくらなんでもそこまでひどいとは思いませんでした。私の周りには、だれひとり支持している人なんていませんが、ひょっとしてその人たちはみんな有権者ではなかったのか、あるいは私の周りには、実はだれひとりいなかったのか。ひたすらひどすぎる。しかし、このコンテクストで、カントは民主制に反対していた、なんて言ってはいけませんね。言いたくなるけど・・・。
1月28日(水)無題
高校生のときに早稲田へ進学すると公言していたくせに、ジャイアンツにドラフトで1位指名されたらさっさと早稲田を袖にしてプロ入りしたやつが、今更、早稲田の大学院を受験したそうです。早稲田も落とせばよいものを、合格させちゃったそうです。知らないんですかね、早稲田の人たちは。やつは読売新聞の販売店へ就職するから、合格しても大学院へは行かないことを。へへへ。
他国が軍艦で対処しているから、海賊対策には海上自衛隊を派遣するって、それじゃあ自衛隊を軍隊と認めちゃったことになるじゃないですか。あれれぇ???
ある人物の家が景観をそこねると、立派なご尊顔をおもちの方たちがおっしゃっていました。ぷぷぷ。
1月29日(木)Danke !!!
木曜日1時間目の授業は、今日が2学期の15回目でした。1学期のときもそうでしたが、1時間目の授業であるにもかかわらず、しかも毎回ランダムに何度あてられるかわからないにもかかわらず、熱心に参加していただけて、心の底から感謝しています。まあ、心がどこにあるのかということは、ひとつの大きな問題ではありますが。来年もまた、同じ時間に同じテクストの違う論文を使って講読演習をすることになっていますが、同じように勉強のしやすい雰囲気ができればなぁと、密かに期待しています(と、公的に発信しています)。
今日はある会議で、個人的にはごくまともだと思えるけど、しかし認められることはないだろうと思っていた意見が一応は(まあ、一応なんですけど)認められて、ちょっとよかったです。もちろん、同時に冷やかな視線も浴びたのではありますが・・・。
1月31日(土)雨漏りって
大変なことになっています。金曜の夕方から、本館4Fでは雨漏りの兆候がありましたが、最初はごく一部の部屋のごく一部のところだけでした。それがゼミが終わって帰る頃には隣の部屋で音を立て始め、夜中にいただいた報告では私のところも漏れ始めました。今日、大学へ行くとこの通りです。バケツには、飲んだら身体に悪そうな色をした水滴がぽたぽたと落ちています。私のところはこの箇所だけなのですが、お隣は部屋中あちこちでぽたぽた落ちています。会計係長が夜を徹して奔走されたおかげで、書籍の被害はまったくありません。それにしても、雨漏りするなんて、民間じゃありえませーーーん。
2月1日(日)風除け
あることをめぐって嫌な思いをすることになったり、雨漏りしたり、ある学会の委員会に臨席したり、不毛なことばかりが続いたので、こうなればすることはひとつ、特急に乗ってレースでしょう。2年前にも出た大会へ行きました。強風が吹き荒れてさんざんでした。集団に加われず、ひとりで走るのは辛いので、白いバイクを風除けに使おうとしたのですが、日頃の言動が伝わっているのか、私の前にはきてくれず、ずっと後ろをついてくるのです。つばでもかけてやればよかったー。
レースは、これまで1度しか勝ったことのないヤツが出ていて、その1度というのも、そいつが図に乗ってオーヴァーペースになり、勝手に死んでくれたから勝てただけという実力差ありあり状態で、スタート直後から「つぶれろ」という念力をその背中に送り続けていたのですが、失敗して自分が光線を浴びてしまい、やっぱり勝てませんでした。まだまだ鍛え方が足りないようですが、そろそろやめたくなってきました。
2月3日(火)そんな販促は反則
昨日今日と修論卒論の試問がありました。試問を受けたみなさん、お疲れさまでした。雨漏り警報発令中に試問とは、記憶に残りますね。その雨のせいでぐちゃぐちゃになった帰り道を歩きながら、こんな工事を決めた人たちはきっとこんなぐちゃぐちゃを知らないのだろうなぁと一瞬思ったものの、まあどうでもいいやと思い直し、コンビニに入ったら・・・。なんと、店主が鬼の格好をして、「節分の巻きずしはいかがですか〜」と言ってます。あんなの反則ですよ。焼香にきたやつを笑わそうとしているのと同じです。笑ったらいけないと思い、笑いそうになるのを必死になってこらえなきゃいけないんですから。しかも弁当売場の真ん前でやってるわけで、こっちはそのあたりに用事があるのですから、逃れられないのです。こんなの、民間でもありえませんよ〜。
2月4日(水)ニュースより
「詐欺というのは犯罪者扱い」とおっしゃっていましたが、あんなのが行政府の長であることは人道に対する罪だと思います。
103歳の人の未払い年金請求に対して「1年待て」と答えたのは<お役所仕事だ>という批判がされていましたが、これって失礼な話ですよね。だって明らかに、60歳ならいざしらず、103歳なんて後1年もたないかもしんないじゃん、ってことが想定されていますからね。
2月6日(金)ポピュリスト
例によって死刑大好きポピュリストが口当たりのよさそうなことをくっちゃべり、別の差別主義的ポピュリストが讃辞を送り、元プロレスアナが臭そうな口でべらべらと絶賛する。よし、もうごちゃごちゃ言わせないように、私が7億円くらい払ってあげましょう。ちょろいちょろいそんなもの。500年くらいのローンで払いますよ。その代わり、ポピュリストは得意の子作りに励んでくだされ。
2月7日(土)よかったね
<ブサイクメタボな俺でも××できた>式のカキコがあって、さらしものにしておくのも一興かと思いましたが、品位が問われるので削除しました。それにしても、<××できた>かも知れないけど、<ブサイクメタボ>であることに変わりはないんですよね。ぷぷぷ。
2月8日(日)いまだに竹槍理論
NHKでは、萩本が振り込め詐欺防止キャンペーンに一役買って、若者に対して普段から自分の祖父母に電話をしろと呼びかけています。そうやって善人面する萩本自身が詐欺師じゃない根拠はどこにあるのでしょうか。
ある野球評論家は、打者が1塁まで何秒かかるか、わざわざストップウォッチで測り、一流の基準はこれこれでこいつはいつも基準を満たしているから優れており、あいつは能力があるのにときどき手抜きをするからダメだとか、書きます。内野ゴロでも全力疾走すれば、それがプレッシャーになって内野手がエラーするかもしれない、と言うのです。そんなせこくてつまんない野球をだれが観たいんですかねぇ。近代野球は確率の問題なんですから、セーフになりそうにないのに全力疾走するのはバカげていますよ。プレッシャーをかけられたくらいでエラーするようじゃ、プロじゃないです。そんなことを期待するなんて、相手をプロだと見ていないってことになります。こういうのは、明らかに精神論の残滓だと思いますけどねー。 結論:51はせこい。
2月9日(月)京阪電車にて
またしてもお通夜がありました。この頃連続していると思いましたが、よく考えると、「連続」の意味がわからなくなりました。複数回起こる事柄は、なんだって「連続」しているわけですから。「連続」をことさら口にすることは、ほとんど、「この前喪服着たときも××さんのお通夜だったなぁ」と言うことと同じくらい、馬鹿げているような気がします。
会場は京阪電車沿線にありました。めったに乗ることがないせいか、むかしから京阪電車には特別な雰囲気があるような気がします。女子高生たちが「リスカ癖」→「せっかん死」などとわけのわからんしりとりを大声でしていても、なぜか私には大人びて見えてしまうのです。実際には、決して大人びてなんかいないわけですが。席を空けたらお辞儀をされたりして、かなりどぎまぎしました。
もっとも、客にマナーを強要する阪急ではありえないことですが、京阪ではそこらじゅうでケータイを電話として使用しています。「○○、パパもうすぐ帰るからね」と電話口で自分の娘に大声で呼びかけていたパパは、しかし「もうすぐ帰る」ことはできないだろうと、私は思いました。なぜなら、念力を送ってしまったからです。お通夜の帰りなのに。また殺生してしまいました。
2月10日(火)ひどい話
「このままでは命がなくなる」という脅し文句で高額の印鑑を売りつけていた会社があったそうです。「このままでは命がなくならないよ」の方が、よっぽど恐ろしいと思うのですが…。こんな当たり前のことを言っただけで高額の印鑑を売りつけるとは、なんともひどい話です。黒字にさえすれば立派だと思ってるどっかの輩と同じくらいにひどい。
2月11日(水)びっつら
今日はその日なので梅田にはクルマが出ていました。しかし「おやっ」と思ったことに、大音量で軍歌を流すこともなく、演説をするわけでもなく、選挙カーのぴーちくぱーちくの方がはるかにうるさく思われる程の穏やかさで、主張が行われていました。その人たちだけが特別なのか、それとも聞いてもらわないと無意味だということであの人たち一般が路線を変更したのか、どちらなのかはわかりません。静かなのはよいことだと思いますが、しかし主張を行って同意を求めるなんてスタイルは、あの人たちの毛嫌いする戦後民主主義ではないでしょうか。茶髪の方が混じっているのを目撃したときも驚きましたが、この路線変更にもちょっと驚きがあります。
2月12日(木)うざい。
今日のきょーじゅかいは、終了後に性差別問題委員会の研修会が予定されていなかったせいか、長々と6時過ぎまで行われました。もうぐったりでした。なのに、最後に大阪大学21世紀懐徳堂から「熱いメッセージ」を送られて、とどめを刺されました。「いまを生きる女性たち」に、「私らしく生きるために、いま何を考え、何を行動するのか」なんて問いかけるような催し物の案内をされちゃったんですよ。いまだに「私らしく生きる」なんて、いったい何を考えているのでしょうか。「いまを生きる女性たち」は、こんな言葉にぐっとくるほどバカだと思われているのでしょうか。あまりにもなめすぎです。「私らしく生きる」なんてレトリックがいかに空虚であるかは、いまどきの高校生ならたいてい知ってるわけですよ。だからこそ、生きることが辛くなるというのに、さあ、私らしく生きましょう、ってたんにアホなのか、それとも考える能力が著しく欠けているのか。
挙句の果てに、「…自分が自分らしくキャリアを築いていくために大切にしなければならないものはなにか? その答えは、人によっても置かれた状況によっても、変わっていくものだと思います」だと。だったら、わざわざ集まって「自分らしく」生きている驚くべき天才から、「大切にしなければならないもの」を聞いたところで、それは無意味でしょう。だって、答えは人によって違うってはじめっから言われているわけですから。
なんかこう、中身のないところが<80年代よ、もう一度!>って感じです。うざい。
2月13日(金)ひどい。
今日の帰り道では、どうにも水溜りが避けられず、しかもそれが深くて、靴の中に水が入ってきました。なんだかもう、どうでもいいかって感じです。どーせ、あらぬ疑いというか、まったくのとばっちりというか、そうそう、雨だけに濡れ衣も頂戴しましたし。
2月28日(土)嫌ならやめれ
「怒ってばっかで怖い」とか「グチが多い」という親切なご忠告というか、大きなお世話というか、<「ぜひ読んでいただきたいです。心からお願いします」なんて言ったっけ>的な、<嫌なら読まなきゃいいじゃん>式の、つまりそれ系のあれをなにしたので、ちょっと更新をやめていました。こう見えて、意外にも打たれ弱いものですから。ひょっとすると、こんなダメダメなことばっか書いてるから哲学へくる学生は少ないのだろうかなどと、殊勝なことに反省をしたりしました(←ウソがつけるとすれば、ウソです)。じゃあどういうことを書けばよいのだろうと、ちょっと考えていました。「今日、散歩していたら梅が咲いていました。もう春もそこまで来ています☆」とか「今朝、お隣のおばあちゃんがお嫁さんと仲良く挨拶してくれました。こういう日は一日中、なんだかしあわせな気分になれます☆☆」とか「麻生さんだって頑張ってるんだから、いじめちゃかわいそうだと思いま〜す☆☆☆」とかでしょうか。こんなことを考えていたら、一層怒りやグチが募ってきちゃいました。
ところで、こんな梅や挨拶やガンバリズムの話を読んで面白いのでしょうか。まあ、たしかにそういうのが好きな心の豊かな方(あるいはたんなるアホ)もいらっしゃるでしょう。そういう方はそれ系のブログでもなんでも読めばよいのです。私にはそんなものは嫌みとして以外には書けません。どっちみち、こんなのを読んで、喜々として春の話をしちゃったり平気で「嫁」なんて口にしちゃったり差別主義者を擁護しちゃったりするような勘違い輩がきても困りますよねー。
というわけで、営業的配慮とかはできないことやそもそもそんなものは不要であることがわかりました。今後も、怒ってばっかだったりグチをだらだらって文が続くと思います。<あなたのことを思って言ってるんです>的ご批評は、あれがそれなので…です。
3月1日(日)まあ〜、ご立派!
何とかという劇作家が、これまで大学は頭を育てることはしてきたが心を豊かにすることは考えてこなかった、これからは大学で心を豊かにするのだ、というようなことを言った、という記事を不本意ながら読んでしまいました。大学がはたしてそんな立派なことに関与すべきかどうか、はなはだ疑問ですが、いずれにせよあんな劇作家がデザインするような心を豊かにする計画じゃあ、やっぱ頭を育てることに専念した方がはるかにましだってことを実証するだけですね。だって、政治的問題や社会的問題について、きわめて反動的なコメントしかできなかった輩ですよ。
まっ、そもそもこうすれば心を豊かにできるなんてデザインしてるところがごーまんというか、おめでたいというか、頭の中で桜満開というか。
3月2日(月)のろまきらい
じじいなので朝5時過ぎに目が覚めてしまい、うだうだしていたけれど寝つけないので起きて走り、8時半過ぎには職場にいました。今日は最低でも4つほどしなければならない業務がありましたが、実際にはもう少し増え、しかも片づけられずに残ってしまったものもあります。10時間以上従事していたというのに…。きっとやることがのろいのでしょう。つねづねのろまは嫌いですが、それはたんなる自己嫌悪なのでしょうか。
3月3日(火)じじいふたたび
今日もじいさんだったので6時過ぎに目が覚めてしまい、仕方がないので走り、帰ってきてから2度寝して、そして職場へ。今日は、引っ越し作業として本を梱包しました(ね)。午後からは最終講義を聴きに行き、その後部屋へ戻って梱包を続け、さらに教育の支援をしました。みなさん勤勉なので、予想以上に作業がはかどりました。哲学のウリとして、引っ越し作業が身につくというのを掲げてもよいかもしれません。明日も朝から作業です(ね)。
3月4日(水)じじいみたび
今日もまたじじいでした。6時半には目が覚めてしまい、走り、二度寝して職場へ。10時から作業を始め、12時前には終了しました。そのあたりでとんづらしようかと思ったのですが、人生はなかなかそんなに甘くなく、ずるずると。しかしまだ日が沈まないうちに、帰ってしまいましたとさ。
3月5日(木)ごきっ
昨日はちょっとしんどかったので、小学生が寝るくらいの時間に布団に入ったら、「こてっ」と眠りにおち、気がついたら朝でした。今日は午前中に送別会の打ち合わせなどがあり、午後からはきょーじゅかい。いろんな投票があったりしましたが、機嫌の悪い方もいたような気がします。その後も「がりがり」仕事をして、帰ってきたらテレ東で『バイオハザード』をやってました。ぐったりだったので、ジョヴォヴィッチの両脚に首を挟まれて「ごきっ」とやられたくなりました。それが何か???
3月6日(金)きょーじゅかいにて
きょーじゅかいでは、資料が回覧されてきます。左から来たものは右へ、右から来たものは左へ送ることになります。昨日、私の左のニーチェ研究者からまわってきた資料を私の右のスピノザ研究者へ送ると、しばらくしてこのスピノザ研究者が今送った資料を私にまわそうとします。それを目にしたニーチェ研究者は、すかさず「永遠の相の下に見れば、右も左もなくなるんだなぁ」と嫌味を言いました。負けじとスピノザ研究者は「これが永劫回帰だ」と言います。うー、まともなのはカント研究者だけか、とカント研究者は思いました。
こんな話をしていて咎められないかと思われる向きもあるかもしれませんが、周囲のみなさんはご自分の内職に忙しく、こんな戯言は耳に入りません。ニーチェ研究者もスピノザ研究者も、内職もせずに議事に集中しているからこそ、たまにはこんなことも言ったりしないとやってられないのだろうとカント研究者は思います。一説によると、内職しないからいろんな仕事が降ってくるのだとも言われていますが、真偽のほどは定かではありません。
3月8日(日)特急→レース
引っ越し作業の一環としての本の梱包が終わったと思ったら、シラバスの校正があり、それを戻したと思ったら、教室の配置を調整する必要があったり、恐るべきことにまだ2学期の成績を入力していない(きっとちょ〜たぼーに違いない)方がいらっしゃってお願いしなければいけなかったり、などなど、要素がそろったので、特急に乗ってレース。今回は、折り返した時点で安全運転に切り替えれば年齢別ではトップになれることがわかったのですが、しかし集団で走っている他の4人の鼻たれ小僧たちに負けるのは癪なのでついついスパートなんぞをしてしまうわけです。こいつら、人より20も30も若いくせに、向かい風ではあろうことか人を風よけに使うんですよ。もう許せんと思い、ちぎってやりました。
つーわけで、年齢別では優勝、総合でも3位でした。へへへー。
3月9日(月)もぬけの・・・
部屋の中にあった本を詰めた段ボール77箱が、土曜日曜の間に運び出され、今日は写真のようにもぬけの柄谷行人状態でした。そして今日も、たくさん作業をしました。あれが終わればこれ、これが終わればそれ、それが終わればあれあれ、あれあれが終わればこれこれ、これこれが終わればそれそれ、それそれが終わればあれれ〜。ある掲示板には、成績発表がされないのは教務係のせいだと思っているおめでたい若者による書き込みが相変わらずあるようですが、みなさん、まだ成績を出していない立派な方たちがいらっしゃることを忘れてはいけませんよー。そしてその方たちが成績を出さないことには、成績発表だってできないんですよ、当たり前ですが。そしてそれはひょっとしたら、書き込みをしている若者の指導教員だったりするかもです。わっはっはー。
3月10日(火)記憶にない、ということは憶えています
こんなことで支持率を上げちゃう人って、どうなんでしょうか。結局、これまで支持率を下げてきた人たちなんて、所詮はそういう人だってことなんでしょうか。記載されていることに問題があったのなら、なぜ年度ごとの監査はそれを見逃してきたのでしょう。見逃したことの責任は負わないのでしょうか。それにしても、あんなに物忘れが激しくても副官房長官は務まるのですね。いや、物忘れが激しいからこそ務まるのか。
3月12日(木)ポン
昨日、久しぶりに客にマナーを強要するあずき色に乗ったら、その天下のあずき色に刃向うがごとく、いまだに堂々と着メロを鳴らす若者がいてびっくりしましたが、その方はさらに電話に出て話し始めました。するとどこからともなく舌打ちと「バカ」と罵る声が聞こえ、私の隣に立っていた人はちょっとびびっていました。着メロギャルはさんざん話しまくり、「じゃ後で」と言って電話を切りましたが、幸か不幸か、そいつに「後」はないのでした。なぜなら、30分後に「ポン」と小さな音を立てて爆発するように念力を送ってしまったからです。よかったね。
3月13日(金)仲よさそう
今日は性差別問題委員会の送別会がありました。ジェンダー論やフェミニズム、言説、身体性などなどについてお話をうかがうことができて大変ためになりました。なお、ここでも「哲学の教員は仲がよさそうだ」と言われました。よくそのように言われるのですが、他の専修や専門分野、コースではそんなに教員同士仲が悪いのでしょうか。ともかく、たしかに少なくとも表面的には哲学の教員は仲がよさそうではあります。心の底では…、なんてことを考えるのは無意味であり、表面的に仲がよいのであればそれで十分でしょう。
3月15日(日)うーん、きつい
昨日はトラクリの研究会があったので、暴走は今日でした。やっぱ宝塚往復はきつい。なぜか白と黒と赤の車に乗ったわんわんがそこらじゅうにうようよ(やっぱ右翼?)してて、渋滞を引き起こしていました。あるいは、いつものように、猪名川を池田方面から川西方面へ渡った下り道の先に待ち構えていて、「ピッピ」「ピッピ」気持ちよさそうに笛を吹いて車を側道に停めさせていました。きっと権力を行使してうれしいのでしょうねぇ。馬鹿ですねー(←当り前か)。そんなわんころの近くを走り過ぎながら、「他にすることないのかよ???」といちいち言ってる人もいました。おつ。
3月16日(月)えふぇみ
卒業旅行でパリへ行ってきたお二人から、えふぇみとカップのお土産をいただきました。へへへー。
今日も朝から本の梱包作業をして、夕方からは<達成状況評価シート>の作成に勤しみました。ホントにそんなことしてもよいのでしょうか、というようなことをしていることになっています。まあ、そんなことはよくあることなのかもしれません。問題は、専修と専門分野の区別もついていないようなでたらめさにあります。フィクションなら、ちゃんとしたフィクションを作りたいよなぁ、と思うわけです。
3月17日(火)勘違いっつーか・・・
51は韓国チームのことを元カノにたとえたそうです。元カノって、「男はそれを我慢できない」とさすがの51が男一般の代表になって<名言>を吐いたそのお相手のことでしょうか。いや、あれはたんなる行きずりの学生でしたっけ。かつて、敗北を喫したときに「屈辱」と上から目線で言い放ったその相手のことを元カノって…。きっと51のことは、ちょっと遊んでやったらもうその気になって自分のことを彼氏だと思い込んでしまった赤の他人にたとえられることでしょう。
3月18日(水)びっつら
King Kong will be surprised by your size ってタイトルのスパムメイルがきて、思わず笑っちゃいましたが、しかしそんなのもってたら、もってる本人が一番びっくりだろうと思うのですが、違うでしょうか。大橋巨泉なら、「びっつら」って思うかな。
3月19日(木)くそ映画
テレ東で『トップガン』を放送していました。多くの人が賞賛するこの映画、実はほとんど見たことがありませんでしたが、予想通りくそのような内容で、10分くらいで見るのをやめました。要するに、アメリカ万歳とか暴力万歳とか軍隊万歳とか、そういう映画ですよね。そして男は男らしく、女は女らしくという映画ですよね。あんなものは、すべてオッカムの剃刀です。
グリーン先生の髪がふさふさで髭まで生えており、しかも吹き替えの声がカーター先生だったってことだけですね、救いは。
3月20日(金)疲れました
今日は祝日でしたが、今年度最後の教授会があり、その後送別会がありました。教授会では、ボランティア活動をどう評価するかということをめぐって、というか、ボランティア活動はあくまでボランティア活動なんだからそれを理由に長期履修制度を利用することはおかしいという私には至極まっとうだと思われる見解と、評価云々に立ち入らずにごまかそうとする見解と、評価してちょーだいという見解とが入り乱れ、それだけでかなり時間を食いました。なにしろ、ひと眠りしてもまだ話が続いていましたから。ボランティア活動に単位を出すとか、アホな趨勢があるわけですが、そんなものはおかしいと言うべきです。ボランティア活動の見返りは、感謝とか賞賛とかでよいわけです。ひょっとすると、そんなものはないかもしれなくてもよいのです。それで我慢できない人は、ボランティア活動なんてやめて、どっかでバイトすりゃいい話なんです。ったく、ふざけんなと言いたいです。
歓迎会、忘年会、そして今日の送別会で、そうした事柄一般の幹事の仕事が終わりました。残るは決算報告と引き継ぎのみです。幹事ブロックの一員だけど、多額の年会費を滞納して、今日もわれわれの目の前を堂々と帰って行った人とか、やはり多額の年会費を滞納しているにもかかわらず送別会へやってきて飲み食いする人など、やっぱ大学は犯罪的に驚嘆すべき人物の宝庫です。私など、凡庸この上ないと思います。
3月21日(土)消去したいけど・・・
昨日、<フォルダを空にする>をクリックしたら、例によって確認してきたので「うるさいなぁ」と思いながらクリックすると、再度確認してきました。「おかしいなぁ」と思いつつも、やっぱ「うるさいなぁ」とクリックして、「あれ、ひょっとしてこのフォルダって受信トレイ???」と思ったときは遅く、受信トレイは空になりました。「ヤッバー」とは思ったものの、消えてしまったものはどうしようもない、むしろ過去がきれいに消せた感じがして妙な解放感をもつことができました。
しかし実は、全部<削除済み>ってフォルダに残っていました。もちろん、完全に消えてしまっていたら、いろいろと困ることがあったわけで、そういう意味では「助かった」と思う部分もあるのですが、<過去をすべて消去>というのはなかなか魅力的ではあります。<削除済み>フォルダを今から空にすれば、<過去をすべて消去>を実現できるのですが、錯誤行為としてではなく、自己意識を伴ってそれをするには、少々気が小さすぎます。
3月22日(日)落書きしたいけど…
マラソン中継は、NHK以外の放送局が行うようになって以来、その質が落ちたことは言うまでもありませんが、わんわんを礼賛するようになったことも見逃せません。民間の放送局なのに、なぜ公務員に媚を売るのか、いまやとりあえず叩いておけば正義を名乗ることができる公務員なのに、なぜわんわんとそれに類するものだけが媚を売ってもらえるのか、非常に不思議です。
そしてさらに、くだらない物書きだった知事様も媚を売ってもらえます。そんなことなら今度は大阪でもやろうなどとあれが言い出しはしないか、ちょっと気がかりです。最寄りのモノレールの駅に、あれが子供たちとほほえむキモいポスターが貼ってあり、いたずら書きをしたくなるのですが、防犯カメラが見張っているので准教授としては我慢するしかありません。いつの間にか、防犯カメラはよいものだってことになってるこの共同体の恐ろしさ。
3月23日(月)とりあえず・・・
handai metaphysica 研究例会がありました。論文の合評会のような形式で発表をしましたが、なんだか非常にえらそうなタイトルをつけてしまったと猛省しました。猛省するくらいなら初めからやめておけ。はい、おっしゃるとおりです。議論は盛り上がったのでしょうか。スピノザ研究者は、例によってとてもそんな風には見えませんでしたが、懇親会の締めの挨拶で「興奮した」と感想をもらしていました。よいことは真に受けることにしておきます。それから、3月の例会にはほぼ毎年のように遠方よりいらっしゃるけれども、これまで一言も発言されたことのない方から質問を受けました。回答に満足されたのかどうかわかりませんでしたが、ともかくしゃべらせただけでもよしとしておくことにします。
いつになく前向きに考えていますが、それは、明日午前9時に待機で引越しが控えているからです。うー、理由になってません。
3月24日(火)おめでとうございます
今日は引越し作業がうれしいあまり、5時過ぎに目が覚めてしまって、もはや寝つけず、まあそうなるとすることはひとつで、ひーひーはーはーして、8時半には大学にいて引越しに備えました。作業はかなり遅れていて、実際に荷物がぞくぞくと運び込まれるようになったのは、もう4時くらいではなかったかと思います。一応、6時前には引越しが完了し、その後すぐに予餞会に直行しました。
卒業されたみなさま、どうもおめでとうございます。昨年の予餞会でも大いに困りましたが、今年も一言しゃべらないといけない羽目になってしまいました。これを、15回の授業のうちの1回に数えたいくらいです。例によってろくなことはしゃべれず、「おめぇ、アドリブきかねぇーなー」って感じでした。すみません。
3月25日(水)びっくり×2
びっくり1 死刑判決が出ないこと(出ることではなく!!!)に対して不安になる人がいるそうです。例によって、人の命を奪っておきながらそいつが生きているのはけしからんということだそうです。じゃあ、死刑を執行したやつも生きているのはけしからんということにはならないのでしょうか。
びっくり2 時効制度に関して、イギリスの法と異なっているのが理解できないとおっしゃる女王の臣民がいるそうです。正義には国境はないとも。これはその通りだと思うものの、しかし一つ目と二つ目を重ね合わせることで、<無限の正義>として爆撃することを正当化しちゃうんですよねー。
3月27日(金)痛いっ・・・
ようやくいろんなことが片づいたので調子に乗って朝遅くまで眠っていたら、髪がうはらってて(←業界用語)、しょうがないから昼寝したけど、全然元に戻らないどころか、疲れがどんどん噴き出てしまいました。そして暴走による筋肉痛を我慢して走ってたら、なんと、途中からあまりの痛さに走れなくなってしまいました。「え〜、こんなの初めて〜」。残りを1時間も歩く羽目になってしまいました。やっぱとしだ。
ルパンもコナンも王女が好きで王政ってどうなんだ???これじゃあ宮崎と変わらんではないか。
3月28日(土)エコ様
少し前まで、道路を作るか作らないかという問題と道路作りに関係する税金を維持するか下げるかという問題とが、排ガスを助長するようなエコロジーに反する政策ってどうよ、という視点から論じられていたように思います。しかし全国の高速道路料金が安くなって内需拡大に貢献しそうだってことになると、エコロジーの「エ」の字もすっかり忘れて、「今日はどこから来たんですか?」というバカインタヴューを流して大いに盛り上がってしまうわけです。私は別にエコロジストじゃないから構いませんが、ちょっと前までエコロジーがどうのこうのと言ってた人は、「料金が安くなったからって、乗り回すんじゃねーよ、このアホ」とかちゃんと言うべきじゃないんでしょうかねぇ。
3月30日(月)困った…
今日は振替の休暇をとりました。昨日の夜からだるかったので、いつもは定量の1/2しか飲まない風邪薬を3/4も飲んだら、12時間近くも眠ってしまいました。いろんなことが一応片づいた後で、疲れが噴き出るなんて、なんてわかりやすいんだと思いました。休みなのにあしのせいで暴走もできず、仕方がないので昼寝をしました。これから週末をどのようにして過ごせばよいのかわからなくなるなんて、これではまるで趣味がないみたいです。困ったことです。困った、困った、こまどり○○。
4月2日(木)当然だけど・・・
何と言うか、こんなので「はみ出した」とか「派手にドロップアウト」とか言ってるから、いつまでたっても自由で民主的な人たち(+線香屋)の政権に終わりが来ないんですよね。ネット情報によれば、この監督、NHKには嫌われているそうです。NHK、さすが。でも、当たり前ですけどねー。
4月3日(金)ぐは〜
試合後にあの楽天の監督にお追従する記者たちって、どうにかならないんでしょうか。面白くもない話に無理やり突っ込んだり、笑ったり。だれか、「つまんないよ、じいさん」って思ってる通りを口にしてくれないでしょうか。あっ、ひょっとして天に唾ですか。ぐは〜。
4月4日(土)やるなぁ〜、民間
ゴールデンタイムに「戦争と平和の150年」などという番組を放送していました。この頃、こぞって武器自慢、兵器自慢が繰り広げられ、ひょっとすると今日が最高潮になるかもしれないところだったのに、そんな日に<力による平和>ではなく<法による平和>に力点をおくような番組を編成するとは、なかなかです。もちろん、内容に関していろんな問題はありますが、しかし政府に対して批判的なこんな番組をこの時期に放送するなんて、きっとNHKのことを「国営放送」と揶揄する立派な民間の放送局のお仕事かと思いきや、その「国営放送」の仕業なんですよねー。民間のみなさんは、もっと優秀だから、バラエティと称して政府批判をしているのでしょうね。どの辺で批判しているのかはまったく読み取れないけど、しかしそんなに簡単に読み取られちゃったら検閲されるかもしれないから、用心に用心を重ねてまったく批判的だなんて思われないような番組作りをしてるんでしょうねー。まるで、ヅラであることがバレないようにほとんどつけてるようには見えないリアルヅラを装着って感じですね。
4月5日(日)できることはできない、って???
最初何と言ったか聞き取れなかったのですが、「断じて看過できることはできない」と言ってました。活字だと、たんに「断じて看過できない」と報道されていますが、こんなふうに変えちゃってもよいのでしょうか。それにしても、奇妙な発言ではあります。あまりにも「挑発的な行為」のため、動揺したのでしょうか。あるいは、カンペには「看過」という文字がふり仮名抜きで記されており、びびりながら読み切ったためでしょうか。だって、通常、<看過できること>であれば、それを<できない>と言う人にこそ非があることにならないでしょうか。できることなのに、「できない」と言っちゃってるわけですから。
これからこの発言を数多くの人が突っ込むのを期待しています。まあ、すでに書き変えちゃってる首相ラヴのみなさんには望み薄ですけど…。
4月6日(月)何さま? 知事さま!
なんと、小学校もまだ始まっていないというのに、授業しちゃいましたね。しかも、2時間目と6時間目ですよ。ご出席いただいたみなさま、どうもありがとうございました。大学もまだ新入生はオリエンテーションの段階で、いつものように、見ているとなんだかかわいそうになってきます。しかしこうした視線というのは、パターナリズムですから、知らんぷりをすることにしています。
それにしても、知事が大学生がまじめかどうかをチェックするっていうのは、行政府による教育への不当な介入ではないのでしょうか。「大阪府民を代表して」とか言ってましたが、たかだか8割弱の代表ですからねぇ。しかも大阪府民じゃないですかあ。やっぱあれですかねぇ、公務員叩きをやり、死刑制度に賛成しないとふまじめなんでしょうかねぇ。あなおそろし。
4月8日(水)ムダ
定額給付金の案内が昨日届きました。まだちゃんと読んでないのですが、めんどくさそうです。しかも5歳のがきんちょの方が、中年のおっさんより高額支給なんてちょっと許せません。まあ、実際には5歳のがきんちょが給付金を手にするわけじゃないでしょうから、同じ中年のおっさんなのに私より何倍も多く支給される人がいることになるのでしょう。えっ? 日々5歳のがきんちょの相手をしてるんだぞって? 別に頼んだわけじゃないですけどね…。
そして知事様は、昨日も、<政治が教育を変えるんだ。ぶいぶい>と恐ろしいことを言ってましたね。世の中をよくしたいのなら、まずあんたが消えてなくなれ、って友人が言ってました。
4月9日(木)長い一日
今日から木曜1限の購読演習が始まりました。10人を超える参加者がいて、しかもその中には出席しても単位にならない人たちが含まれていました。15回目まで、何人が生き延びるでしょうか。今回は、ハーバーマスのどの論文を読むかかなり迷いましたが、結局はローティ論に決めました。
午後からはきょーじゅかいがありました。毎回、今日くらい早くに終了してくれればよいのですが…。そして夜は歓迎会。いろいろ酔っぱらいたちが面白いことを言ってました。忘れましたが…。
疲れて帰ってきたら、竹下景子がテレ東に出てましたが、アナログでもはっきりと衰えがわかるほどで、まあ、それなりにショックでした。むかしは近くにいたらいいな的なお姉さんだったのですが・・・。もっとも、いまでも帰宅して家にいたら、正座してお話させていただきますけどね。
4月10日(金)はいはい
ある予備校から文学研究科・文学部に関するアンケート調査がきているのですが、それらはこの大学の文学研究科・文学部がいかに魅力的かということを受験生に知ってもらうための資料となります。こういうのは、広報活動の一環どころか、広報活動そのものと言えるでしょう。なのにどういうわけか、特色ある研究を紹介したり、アピールする点などを、広報する人たちではなく教育を支援する人たちが書くことになりました。いつから文学研究科・文学部の教育を支援する人たちが受験生の教育まで支援するようになったのか、まったく謎です。
などということを書いたところで、大半の方には何のことかさっぱりでしょう。どうもすみません。たんなるグチです。書けと言われれば、黙って書けばよいのですよね。こうなったら、教育を支援する人たちはなんでもやりますよってことをアピール点に挙げましょうか。
4月11日(土)うんざり
この手の賛美はいったい何なんだろう。こう言えば反体制だと思っているのだろうか。ある人の大阪論についての書評。そもそも著者は大阪南部の出身者でメルロを論じているらしい。まあ、そう言われれば「さもありなん」という感じがする。要するに田舎者なんだろう。評者にとって、大阪の街は居心地がよいのだそうだ。駅のホームで整列乗車なんかしてないけど、「大したトラブルもない」そうだ。それ自体がトラブルだって可能性を考えることはなく、そこには「人を人として見る関係が生きているのだ」そうだ。よかったねー。やっぱ、<生きてる>って実感が大事っす! いや、きっとこんな東京風の言い方ではダメだろう。土着のロマンチックな感情を表現できていないだろう。
はっきり言っておきましょう。「人と人とが生身で触れ合う心地よさ」なんて、気持ち悪いんですよ。げろー。
4月12日(日)違法だわん
なんかやたらうろついてると思ってたら、春の交通安全週間だそうですねー。こんなものがなぜあるのか、まったく理解できません。このキャンペーン中は事故らないように気をつけましょうってことなんでしょうか。だったら、それ以外は事故っても構わないっつーか、少なくともしょーがないくらいには考えられていることになるのでしょうか。事故は起きるものだからねー、とかなんとか言って。だったら、安全週間だって起きるはずですが…。
この前不覚にも、<自転車お断り>のあの坂をわんころがバイクで走っているのを目撃したのにそのまま見過ごしてしまいました。いや、あまりにもフツーに乗ってるんであっけにとられたって感じです。あそこは明確に大学構内なんですよねー。とても令状もってたとは思えないんですが、ひょっとしてもってたんでしょうか。土日は平気な顔をしてああやって侵入しているのでしょうか。
みなさん、目撃したら令状をもってるかどうか確認しましょう。もってなかったら、「ほほう、大学の自治権を踏みにじるとは、あんたそんなに失職したいのか」って忠告してあげましょう。
4月13日(月)原書に決まってんだろっ
演習の授業は、原書を読むのが当たり前だと思っていたのですが、今学期はすでに複数の人から「原語で読むんですかぁ???(びっつら)」って質問をいただきました。「シラバスには<原語で読む>なんて書かれていない」と言われ、「そりゃそうだよなぁ」とちょっと反省しました。まあ、改めるつもりはないですけどね。そんなこと、当たり前ですから。いや、なにがなんでも、こういうことは書くまでもない当たり前のことなんだという規範を押しつけてやる。ああ、こんなことを言うから、規範なんて所詮は主観的なものでしょ、という反応が出てしまうのかも。<定言命法が普遍的であることをカントは証明しているのか?>なんて、何を言ってんだかさっぱりわからん質問もそのせいか???
4月14日(火)あれって、食べるもんじゃないだろっ
食べる物を選ぶのがめんどくさかったので「週替わり丼」の食券を買い、A番に出しました。待ってる間、調理を見ていると、何やら薄黄色の気持ち悪いものをかけています。「よくあんなものが食べられるものだ」と思って見ていました。おばちゃんがその気持ちの悪いものがかかった丼をカウンターにもってきました。「はい、週替わり丼」。私の前には若人がひとり待っていて、てっきりその若人が受け取るものだと思いきや、私のために場所を空けてくれます。「えっ? 週替わり丼ってチキンカツカレー丼じゃないの?」と思いきや、今週の週替わり丼はチキンカツカレー丼とチキンカツ丼だそうで、おばちゃんは私の食券を見て後者の気持ち悪い薄黄色がかかったブツを作ってくれたのでした。そっちじゃなかったのに…、と思っていたら、おばちゃんが笑顔で「これでいいでしょ」と言うので、あんなに気持ち悪く見えたものを食べる羽目になってしまいました。
それにしてもくさい。なんでこんなくさいものをわざわざかけてるのかわからんくらいにくさい。もちろん味も気持ち悪い。げろー。
4月15日(水)気分が悪い
Yahoo! JAPAN のトップページへ行くと、「オリンピックを日本に!」などと書かれてあって、昨日の薄黄色いのを見たりその臭さをかいでしまったときと同じように気分が悪くなります。あれって都市が開催するんじゃなかったでしたっけ? 国家ではなく。なのに招致を目指す国会議員たちが徒党を組んでいたりして、まったくおかしいですよね。まあ、やれるかぎりのことをやり尽くして、挙句の果てにボツになればそれに越したことはないのですけど…。
言うまでもなく、かりに「オリンピックを東京に!」と書かれてあったって、気分は悪いですよ。もうあんなものはやめてしまえばよいのですから。「国家主権は相対化されつつある」と進歩主義者はさかんに言いますが、あのときの喧噪を経験し続けてもまだそう言えますかねぇ。げろー。
4月16日(木)キリストも迫害された
今日は新入生歓迎イヴェントとして討論会がありました。実は私は同じ時間に会議を梯子していたので、最後の20分くらいしか出ることができませんでした。その討論会では、その場にいなかった人の議論が俎上にのぼり、それをめぐって討論が行われ、結論的にはだれもその議論に賛同しなかったそうです。そうです。そうです。キリストもソクラテスも、だれにも賛同してもらえなかったのですよね。だれにも賛同してもらえなかったなどという経験的な事柄によって、議論の妥当性が揺らぐはずもなかろうぞ。ぞ。
4月17日(金)だめだこりゃ
セジウィックが亡くなったそうですが、関連するブログをちら見していたら、ある著作は「仏教思想や日本の俳句への接近などについて」書かれているそうです。こういう書き方をしている以上、おそらく肯定的な評価が下されているのでしょう。あ〜あ、って感じですね。西洋合理主義はたしかに男根中心主義的かもしれませんが、しかしそこには批判精神も含まれているわけです。セジウィックが接近したものに、そうした優れた側面を見出せるとは到底思えませんが、違うでしょうか。
4月18日(土)驚愕について
今日は研究会も何もない素晴らしい土曜日だったので、朝から掃除をして、しかし昼寝はせず、ところが暴走そして銭湯という、半ば正しい土曜日の過ごし方を実施しました。暑いのは我慢できるとして、日差しが強いと日焼けするので、それがちょっと辛いところです。日焼けすると、確実に、「ま、テニスなんかしちゃって」と思われたり、「日サロなんか行くんだ」って思われちゃいますからねー。えっ、だれにかって。そう思っちゃう人に、ですよ。
銭湯へ行ったら、驚愕すべきことに、ふたりの方が石鹸で髪を洗っていました。しかも同じ石鹸で。言うまでもなく顔も身体も。洗顔フォームなんて知らないかもしれないけど、シャンプーくらい知らないのでしょうか。おまけに、同じ石鹸で洗っているせいか、ご尊顔がふたりとも同じように・・・でした。
4月19日(日)飴玉について
車を買い替える人には補助金を出すとか、高速道路を一律1000円にするとか、ひょっとして、そんな泣いてる子供に飴玉を買ってやる(最近のがきんちょはそんなものではダメか)的なことで支持率が20%を超えちゃったりするんでしょうか。カントが民主制を批判したのもうなずける、なんてついつい言いたくなってしまいますねー。こんな飴玉政策、車もってない者には得にならないばかりか、補助金だって補てん分だって税金使うわけだから、まったく損にしかならないですよ。げろー。
4月20日(月)おめでたい
<人を殺してはいけない>という規範は、そういう教育を受けなくとも生まれつき妥当性を理解できるなんてもちろん考えていませんが、しかしひとたびそうした教育を受ければ、その妥当性は経験によって左右されるようなものではないとだれもが考えるものだと思っていたのですが、どうやらそんなふうに思ってしまうのは、私がたんにおめでたい人だからみたいです。ナチスがユダヤ人を人とみなさなかったとされるのは、ナチスも<人を殺してはいけない>と考えていたことの証左だと思うのですが…。
<人を殺してはいけない>と考える人も、死刑制度を支持し、<人を殺した人は殺しても構わない>と考えるではないか、という授業後に出された反証例には、「なるほど」と思わされました。しかし一応反論すると、そういう人たちは首尾一貫性に欠けているのであって、<人を殺してはいけない>と考えるのであれば、死刑制度を支持すべきではないのだ、と言いたいと思います。
4月21日(火)うれしいですか
死刑判決が確定して「うれしい」とは、いったいどういう人なんでしょうか。<人を殺してはいけない>と考えるのであれば、国家による殺人だっていけないと言うべきでしょう。なのに「うれしい」とは。そもそも、ああやって遺族を並べて記者会見してそれをだらだら放送するっていうのはどういうことなんでしょう。<遺族はこんなに無念な思いをしている>→<だからあいつが犯人だ>→<だからあいつは死刑だ>。こう書けば、いくらなんでもひどすぎることが行われていることは自明だと思うのですが、しかし実際には行われているんですよね。
被告がずっと言い続けていて、何人かの住民だって知っていた、あるあやしい人物の存在はどうなったんでしょう。なにも、そいつが真犯人だから冤罪だと言いたいのではなく、そういう他の可能性をつぶすという作業もせず、<疑わしきは罰せず>の原則を守らないのは、非常に問題ではないのかと思うわけです。
4月22日(水)ある弁証的推論
ある弁証的推論
【大前提】ある事件が与えられているなら、その犯人も与えられている。
【小前提】ある事件が与えられている。
【結 論】したがってその犯人も与えられている。
そして、その事件が世間を揺るがすほどのものであればあるほど、かならずその犯人は与えられていると考えたくなるところでしょう。なぜなら、これほど世間を揺るがしているのに犯人がいないなんて、怒りの矛先が見つからず、どうにも虫が納まらないし、治安を維持したがる人たちの面子も丸つぶれでしょうから。そんなところに、なんだかあやしげないかにもやってそうな人がいたとなれば、まさしく「犯人は与えられている」と結論を下したくなるでしょう。しかし、ある事件が与えられているとき、犯人は与えられているのではなく、課せられているのです。犯人は近くにいるあやしげな人として「与えられている」(gegeben)と考えてはいけないわけで、あくまで犯人がだれであるのか、突き止めるように「課せられている」(aufgegeben)に過ぎません。保険金詐欺を働いた人は保険金詐欺を働いた人であり、<保険金詐欺を働いた人が毒を盛った人である>は、まったく自明ですが、綜合命題です。
4月23日(木)神がかり
人の不幸を笑ってはいけませんが、女と一緒にいたためわんわんを振り切ろうとして捕まっちゃったメンバーなんかよりも、はるかにぶっ飛んだことをやってくれますねー、このメンバーは。これぞまさしく神がかりだなんて、笑えないから大笑いです。一見キモい人はしかし実は善い人でした、と思いきや、やっぱキモいことやっちゃいましたってとこですか。やつが<アナログは見られなくなります>って言うたびに、むかついていたのですが、これでむかつかなくてすむのですねー。わっはっはー。
4月24日(金)リベラルについて
ジャッキー・チェンの自由をめぐる発言が物議を醸しているそうですが、「自由が行き過ぎて変なことになっている」といった旨の批判をされたある島の人たちの<許さん>的狂乱ぶりがなかなか面白いですね。リベラルなんだったら、この程度のバカ発言くらい許容しないと矛盾してますからねー。まあ身近には、自由で民主的な人たちほど排他的であるという症例もありますが…。
4月26日(日)リベラルについて その2
どこで笑えばよいのかさっぱりわからない人が<不適切発言>によって消えてしまったことについて、ある小説家が危惧を表明しています。<不適切発言>が理由であるのに、どの発言が不適切であったのかが明らかにされることはなく、その人の存在そのものがなかったかのようにされてしまう状況を「もっとも恐るべき独裁国家で起こる出来事」と論じています。たとえその人に、自分で言ったとんでもなくつまらない話に大笑いする癖があり、その姿がこの世から消えてほしいと思わせるほどに不快であるとしても、この小説家の危惧はもっともだと思います。
ただ、(この小説家は明言していませんが)この手の話をする人は、つまらないものは市場原理によって淘汰されていくからほっておけばよいのだと言います。その割には、当の消えてしまった人は消えてしまうまで結構長い時間がかかったよなぁ、淘汰なんてあってないようなもんだよなぁ、と思いますが、それはさておき、今回のような形で人が消されてしまうことにも、他ならぬ市場原理が働いているんじゃないでしょうかねぇ。つまり、市場原理なんてまったく万能じゃないということです。ほとんど自明のことですが。
4月28日(火)やめんべー
ある教育プログラムが導入される際に、導入されたらどんな授業を提供できますかといったようなアンケートがあり、「何もできません」と答え、かつ自由記述欄には「こんなプログラムに意味があるとは思えません」と書きました。言うまでもなく、昨年からそのプログラムは導入されているのですが、実は受け入れ体制も何もまったくできていません。今年は導入後2年目で、そのプログラムを修了する人が出る可能性があるので、早急に体制を整えなければなりません。どうして、そんなプログラムは無意味だと答え、導入しても何もできませんと答えていた人が、今度はプログラムを支えないといけないのか、さっぱりわかりませんが、まあ人生わからないことばかりですから仕方ありません。今日もレクチャーという形の説教を受けましたが、「このプログラムは学生にとって有意義だと思うんですよ」と言われても、「べーつにぃー」と思ってしまいました。こんな私は解任してください。
4月29日(水)ぞろぞろぞろぞろ
職場の近くにはある宗教団体があり、今日はなにか特別な催しがあったのか、信者がぞろぞろぞろぞろ列をなして人のランニングコースをけがしていました。そこでふと、大学にはどういうわけか社会貢献が求められており、それは社会のニーズに応えることだと言われるわけですが、だったら宗教活動しないといけなくなるよなぁ、どうして宗教活動をしちゃいけないんだろう、って思いました。あれだけの数の人がなんの疑いもなくこんなに天気の良い休みの日にわざわざくそありがたくもない話を聴きにやってくるわけです。そういう人々のニーズに応えなくてよいのでしょうか。
まさか誤解される方はいないでしょうが、だから大学に社会貢献なんて求めちゃいけません、大学は社会のニーズに応えたりしないしそれでよいのですよと言いたいのです。せっせと講話に耳を傾けにやってくる人たちに、「そんなことしたってどうせ死んだら焼かれておしまいですよ」と冷や水をかけてさしあげるような役割こそが、大学の果たすべきことなんです。でもそんな正しい振舞いは、社会貢献とは呼ばれないんですよねー。よかった、よかった。
5月1日(金)あんなどんなそんな
Googleで絶版本をスキャンしてばらまく計画があって、すでに絶版本以外にもたくさんスキャン済みだったりして、問題になっているそうです。ある本の著者は、そんなものが出回ったら本が売れなくなるので困ると言ってました。即座に、「大丈夫、あんたの本なんて売れないから」と思ったものですが、実は売れているそうです。少なくとも言えることは、スキャンのせいであんな本が売れなくなることではなく、現在あんな本が売れていることこそが、困った状況だということです。差しさわりがあるので、あんな本がどんな本か言えなくて残念ですが、そんな本です。
5月2日(土)どーしたメガネっ娘
ある有名な英語の歌詞を翻訳して「はい、これはストーカーの歌ですね」(実際には、「いつだって君を見ている」的な愛の歌だそうですが)と断言し、ピアノを弾きながら「ストーカーになった気持ちで!」と歌い方をレッスンしていたメガネっ娘アンジェラはなかなかステキでしたが、なにやら<人生のすべてのことに意味がある>とかなんとか歌っちゃってるそうで、困り果てたものです。一緒に歌ってるガキんちょたちも喜びに満ち溢れているように見えます。ファシズムとは、かくも気持ちのよいものであるというサンプル動画のようです。
すべてのことに意味を見出すのは、それはもう、占いの世界ですよ。
5月3日(日)捨てた
ある学会のあるシンポジウムのある提題者の書いた物をある理由から読む必要があったので読みかけたのですが、いきなり、シンポの対論者としての役割を十分に果たすことはできないと高らかに宣言し、自分の発表を捨石と呼んでいるわけです。どうして捨てられるような石を読まなきゃいけないのでしょうか。たしかにGWといってもどこかへ行くわけではなく、暇でしょーがねぇーだろっ、というのは関係のない話、大きなお世話です。
なんかもう、いかにも善良そうなところが…。「熱い議論」とか「本懐」とか、果ては「生まれ故郷」。くさいなぁ〜。
5月4日(月)くさいよ
オクラ入り海藻サラダにどうして紫色のくさいやつが入っているのか、わかりません。あいつはオクラでもなければ海藻でもありません。どうしても入りたいと言うのなら、まあ仕方ないけど、せめてにおいを出すなと言いたいところです。さっきから、口の中にそいつのにおいが充満しています。これ以上、くさいのを我慢しなくて済むように、さっさと寝ることにしますが、明日の朝、目が覚めてしまったりしたら、きっとまたこいつのにおいをかがないといけないのでしょう。2日続けて、くさいくさいというお話でした。
5月5日(火)ねすぎたかお
昨日は紫色のにおいが口の中に充満していたのでガキんちょが寝るくらいの時間に就寝、じいさん並みの早さで目が覚めるかと思っていたのに、11時間くらいもだみんぐでした。そのうえ昼寝までしちゃって、大変申し訳ないです。しょうがないので、掟を破って銭湯へ行きました。いつもより1時間遅く行くと、家族団欒の時間だったのか、ガラス器。いや、がら空き。ほとんど貸し切り状態でしたー。そんなわけで、ゆっくり入りすぎてかなりぐったり。もう寝るか状態に移りつつあります。
5月6日(水)ガリガリ君
まったくなんだかんだ言って、結局あんなでたらめなやつに行政府の長を務めて欲しいそうですね。そもそもやつは、私的に内閣総理大臣と記帳し、私的な用事なのに公用車を使って、残した言葉は「感動したっ」だけですよ。やつの政策で利益を得た人なんて、ひどい目に遭わされている人よりもはるかに少ないはずなのに、どうしてみんな怒らないのでしょうかねぇ。ニーチェが貴族主義に走り、カントが民主制を批判するのも、わからなくはないことはないこともないかもしれない。2位のやつもパフォーマンスのみ、ちゃんと言葉通り「1円たりとも」年金を収めた額が不明なままなんて阻止してくださいね。その頭髪にかけて。3位については、何か言うと口が曲がるのでやめておきましょう。
そんなわけで、昨夏買ってそのままになっていたガリガリ君ソーダを食べました。
5月7日(木)亡命
今日は1時間目からハーバーマスの演習でした。きっと、ここ1週間の間にしゃべった量よりもこの90分の間にしゃべった量の方がはるかに多かったと思います。けっしてひっきーだったのではなく、精神的亡命を実行していただけです。大学へ行くと、面白いように雑務が次から次へと降ってきます。けっして面白くはありませんが、精神的亡命からの帰還を余儀なくされます。あれほど時間があったときにはまったくそんな気にはならなかったのですが、これほど時間がとれなくなると、突然、研究したくなります。まあ、したいと思ってもできないから、しなくてすむ、ってことがあるのかもしれませんが…。
5月8日(金)仕事人に制裁を与えてくれるのはだれか?
帰宅して、何が辛かったのか、あるいは疲れていただけなのか、「必殺仕事人」を見るともなく見てしまいました。このいかにも勧善懲悪風というか、独善的というか、法は役に立たないよ的というか、庶民の味方的というか、テレ朝全開の番組はむかしから嫌いなのですが…。今日はふと気がつきました。仕事人たちは、「悪者」をいきなり殺すんですよねぇ。お前たちはこんなに悪いことをしたから殺されるんだよ、なんて説明がなされることなく、ただただ殺されちゃうわけです。あれじゃあ、罰になってないですよねー。今日なんて、情交の後、眠ってたら起こされて、目を覚ましてすぐに殺されちゃった「悪者」がいましたが、あれってひょっとして気持ちよく死ねちゃったんじゃないかって思います。
スターリンはちゃんと自己批判させてから処刑していたのであって、やっぱ最後まで啓蒙主義だったわけです。それに比べて「仕事人」の発想なんて、死刑に反対している弁護士たちを罷免しようと公共の電波で呼びかけるあのご仁の発想と変わらないですよ。
5月9日(土)前向きな対処
警戒を怠らない一方で、冷静な対応を実行に移すため、今のうちに授業は全面休講ということにしてはどうでしょう。そうすれば、もちろん警戒は怠っていませんし、そのうえ冷静に休講にできますからねー。発症者が出てから休講にしたりしたら、とても冷静とは言えないですよ。それはそうと、ちょっと調べてみたら、近畿二府四県に感染の疑いのある人が出たら、すべての講義を休講とする場合もある、という総長名の告知がなされていますね。
珍しく前向きな対処案を提起してみましたお。
5月11日(月)たかだかそのまんま
野党の党首もみじめなものですね。何が悲しくて、そのまんまみたいなヤツにえらそーにコメントされなきゃいけないんでしょうかね。いったいいつから、あれも含めて知事が評論家みたいなことをするようになったのかと思います。ハエがコメントを求めてきたら、「マスゴミが検察の言い分を垂れ流し続けた功績ですね」とか何とか言ってみろ、と思いますが、そんなことを口にするくらいなら、ポピュリストであるはずがないですね。
辞めた理由が「理解を超えている」と歪んだ口で言ってる人がいますが、まあ、この人の理解の及ぶ範囲なんて、知れてますからねぇ。ボケてるのか、ホントにボケなのか、わからないくらいですよ。
5月13日(水)モノレール
最寄りのモノレールの駅には、笑顔がいやらしいどこかの知事がいやらしい笑顔で写っているポスターが貼ってありますが、なんと、幸福の○学のポスターまでもが貼られるようになっています。いったいどうなっているのでしょう。お金さえ出せばなんでも貼ってもらえるのでしょうか。そんなに資本主義なんでしょうか。いたずらしようにも、監視カメラが監視しているし…。
よく考えたら、ずっと前から、国のために戦っちゃう人たち募集のポスターも貼ってましたね…。
5月14日(木)改名するがよい
少しは骨のある人(たち)かと思っていたのですが、またしても大阪府に寄付して機嫌をとっちゃうなんて、やっぱり太鼓持ちなんでしょう。そう思うと、少しばかり変わったことを言っていても、もはやわざとらしいとしか思えないです。訳知り顔でエラソーなことを口にしてたって、所詮はお仲間なんですよねー。「光」はやめて「闇」にしれ。
それはそうと、かつてナンシー関がいちゃもんつけてたように、藤○直人って恐ろしく大根ですね。藤木大根って改名しれ。
5月17日(日)友愛なんて、政治家じゃあるまいし・・・
土曜日、日曜日と日本哲学会がありました。土曜日はシンポジウム「格差・平等・国家」に聴衆の一人として参加しました。捨てられる石を人に読ませる正義の人は相変わらずの調子で、<これだから正義を声高に論じる人は…>という嫌悪感を再確認しました。すでに公刊されている原稿もそうでしたが、発表においても最初の部分は、シンポジウムのテーマとは直接関係しない、シンポジウムのあり方に対する正義の味方的提言。なぜこの人はパネリストでありながら同時に解説者までやっちゃうのか、まあ一人で何役もできるほど能力がおありなのかもしれないけれど、自分にはそういった振舞いが許されているんだ的なところがどうにも鼻持ちなりません。そんなことをするよりも、コメンテーターからの批判にちゃんと反論するか(まあ、できないわけですが)、あるいは「私が間違っていました。ごめんなさい」と言ったらどうなんだろうと思いました。
シンポジウムの終わりにも、やはり解説者というか、あるいはなかば主催者のような顔をして、コメンテーターたちに原稿を書いてもらおうと提案し、会場から拍手をもらってご満悦。もう笑うしかないです。そんなことをするよりも、友愛税なんて気持ち悪いからちゃんと撤回してほしいところでした。私は納税していますが、それは言うまでもなく、友愛なんてわけのわからないものがあるからではなく、それが法的な義務だからです。あっ、声高に正義を論じてしまいましたかっ。
5月18日(月)休講なれど・・・
大学はものすごく静かでした。課外活動も禁止されているせいか、休日よりもさらに静かでした。休講だと授業はないわけですが、しかしやらねばねばねばってことがあるみたいです…。
5月19日(火)せこくね???
なんか、ロールズの格差原理までケチくさい話だなぁと思うようになってきました。所詮はお金持ちの贖罪意識というか、<ぼくちゃん、こんなにお金持ちになっちゃった。このままじゃ、死後何が待ってるかわからないから、恵まれない人たちに恵んであげよう。ぼくちゃんて立派。>って感じです。あくまで<恵んであげる>っていうのが重要。そして、<でも、格差があるのは当たり前だからね。そこんとこ、勘違いしないでね。>とつけ加えるのも忘れないわけです。こんなことなら、いっそリバータリアンの方が潔かったりするんじゃないでしょうか。もちろん、何があろうと政府による公的資金の注入には断固反対し続けるリバータリアンのことですけどね。なんちゃってリバータリアンじゃなくて。
5月20日(水)評議会結成か
かつて、東京で大地震が起きると関西はチャンスだというようなことを堂々と言った知事がいましたが、当人は今、兵庫で感染者が出て兵庫はピンチだって言ってるのでしょうか。わはは。それにしても、東京初が八王子とは…。こうなったら、豊中・八王子評議会を作って独立しましょうか。
5月21日(木)生え際対策
さすが大臣、ウイルスに感染してる関西のヤツが新幹線に乗って東京へくれば東京に蔓延するってね。とはいえ言い方が甘いかな。もっとはっきりと、関西のヤツは東京へくるなって言えばよいのですよ。もちろんその大臣にも、頭部不毛症候群が蔓延するからちょろちょろするなって言ってやりますけどね。それで、年金未払い問題はどうなりました???
5月23日(土)友愛www
『世界共和国へ』の中に、「…『友愛』を基盤にして、社会を変えようとする者は、ほぼまちがいなく国家に向かう」(187)とありました。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、先週のシンポがあっただけに、それ見たことかって感じがします。しかし問題は、友愛という思想のもつ国家主義的側面が批判されているにもかかわらず、「それがどうしていけないの???」とかって居直られる可能性があることです。格差原理だって一国主義ですからねぇ。故郷がどうのこうのと、臆面もなく言えてしまうわけですし…。
5月24日(日)ケアですか・・・
休校措置が解除されたことを受けて、どっかの校医か何かが、子どもたちは休みの間家にいてストレスを感じているから学校では精神的なケアが必要だとか何とか言ってました。そりゃあ、顧客がいなくなれば商売ができなくなるのはわかるけど、あんまりだ。精神的なケアが必要なくらいなら、いっそのこと、そんなところへは行かさない方がよろしいのでは???
しかしこんな校医様の発言を裏づけるかのように、ある動物園に子ども連れできていた善良そうなおとーさんは、子どもがストレス感じてたのできました、と言ってました。それはそれは、さすが善良そうなだけあって立派な心がけです。やっぱ自分のようなのと四六時中一緒にいたら子どもはストレス感じるだろうということがわかっているのでしょう。だけど、そのためのケアを学校がやらなきゃいけないなんて、なんかおかしいと思わないのか???善良なのに…。
5月26日(火)口歪みは頭が悪い
やっぱ悪いのは検察でしょうね。検察が図に乗るから考えのない無脳派層が口歪みを支持するようになり、錯覚した口歪みは先制攻撃が法に合致していると頭の悪さを丸出しにするわけです。こんな暴論をあの歪んだ口から吐き出しても、行政府の長をやめなくてすむ社会、こういうのってリベラルって言うのでしょうか。行政府の長が憲法違反を歪んだ口から垂れ流すこととリベラルとは、やっぱ無関係だと思うのですが…。線香屋さんは黙っててもよいのですか???
5月27日(水)それ言っちゃいますか・・・
今日、散歩していたら、ジンジャー臭たちの罵り合いに遭遇しました。「ハゲ、ハゲ、死ね」というものすごいフレーズに、それ、場所が場所だったら大変なことになるよ、と思いました。いやぁ、思うにやつらは最強かもしれません。
5月28日(木)パトロールされたいんですね
この前ある事件があって、その現場付近に住むじいさんが、「地域とわんわんがもっとコミュニケーションをとっていたら犠牲者は減らせたと思う」と言ってました。それはわんわん批判のつもりなのかもしれませんが、じゃあわんわんが日々パトロールしてくれると喜ばしいのか、あんたは。そもそもわんわんとコミュニケーションとれるのでつか???
5月29日(金)ご立派っ
「夢が、俺たちを強くした」そうです。やっぱ強くなきゃいけないんですねー。「夢のおかげで、平和条約を結びました」とか「夢があったので、逃げました」とかじゃいけなんですかねぇ。この人たちって、「いつも迷惑かけてるけど、感謝してます」とか何とか、母の日を前に言ってたんじゃなかったでしたっけ。あなたたちの敵はいったい何なんですか、と尋ねたいところです。かつて泉谷しげるは、ロックの大会で優勝したやつらが「お父さん、ありがとう」と言ったことをこきおろしていましたが、まあ、そんなものなんでしょう。こういう方たちがせっせと自由で民主的な人たちを支えちゃうか、あるいは線香を立てちゃったりするわけです。立派な社会人ですこと。
5月30日(土)承前
だいたい、「むかしワルやってました」をウリにする俳優には、「ずっとワルやっててください」と言いたいです。何とかというグループの長だった俳優が、今では私のNHKにまで出たりするわけですが、この人は以前、自分はかつあげなどしたことがないと言っていました。それはひょっとするとその通りなのかもしれません。なぜなら、長だから自ら手を汚す必要がないからです。しかし自分の手下が「飛んでみろよぉ」と言ってたことについてはどう考えているのでしょうか。俳優になって、「むかしワルやってました」と悪びれることもなく、むしろ誇らしげに口にしちゃうわけですが、元ワルはそれでよいかもしれないけれど、その子分たちからかつあげされていた人間はどうすればよいのでしょう。「むかしかつあげされてました」と朗らかに口にすればよいのでしょうか。
せめて、ワルをやっていたのならそのことを恥じ、永久に内緒にし続けるべきです。そんなものをウリにして人前に堂々と出てくるのを厚顔無恥と呼ぶのです。もっとも、バカを恥じないことさえウリにしてしまうようなバカもいるわけですが…。そういえばそいつも、「むかしワルやってました」のくちでしたね。
5月31日(日)戦うのがお好きなんですね
昨日ある番組で80年代のハリウッド映画ベスト10みたいなのを発表していて、画面下半分に映る出演者は見ず、声も聞かないようにして、ちょっとだけ流される映画を楽しもうと試みたのですが…。80年代のハリウッド映画にはろくなものがないということなのか、それとも選んだ人のセンスが悪いだけなのか、1位が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でそれは普通なら大いに驚くべきところですが、しかし2位や3位を先に知らされていたので、まあそれよりかはましだよね、と思えてしまうのでした。2位は『ロッキー3』、3位は『トップガン』。やっぱみなさん殴るとか爆撃するとか好きなんですよね。だれも特別なんかじゃないとか何とかくだらない歌を歌っている割には、特別暴力的なヒーローたちが特別にたまらないのでしょう。
××××が出てるせいで、イ・ビョンホンの最新作は観に行けない。
6月1日(月)自己責任じゃないんすか???
通常なら、<自分たちが失敗したんだから自分たちの責任だろ>って言うはずなのに、でかすぎて影響が大きすぎるからという理由で、国有化するそうですねぇ。それって、あの人たちが毛嫌いしていた社会主義とか共産主義とかに近づくことじゃないんですかねぇ。それとも、それこそが節操もくそもないプラグマティズムだよ、ということでしょうか。ということは、プラグマティズムは所詮国家単位だということなんですね。
6月2日(火)6月の陰謀
毎年思うのですが、6月はきっと40日くらいあるのに、地球規模の陰謀で30日しかないことになってるんですよね。だれもやったことがないだろうからばれてないのですが、試しに太陽が何回昇るか6月1日から数え始めたら、きっと6月30日には40回目ですよ。どこでどうやってごまかしているのかはまったく謎ですが…。
言うまでもありませんが、本気じゃないですよ。もっとも、だれだって最初は本気じゃないんですけどね。ちなみに、陰謀史観は権威主義的パーソナリティを特徴づけるもののひとつです。
6月3日(水)頭が悪い
いまだに一気飲みをしているとは、嘆かわしいかぎりです。あんなものは、共同体の成員であることのたんなる確認作業じゃないですかと言ったところで、<確認して何が悪いんですか?>という答えがしれーっと返ってきそうです。そんな風に答えちゃう人は、少なくとも「頭が悪い」とは言えそうです。以前あまりにもダメダメなことを言う人がいたので、「そんなものはイデオロギーじゃないですか」と言ったら、「イデオロギーで何が悪いんですか」と頭の悪さをおもっくそ露呈されたことがありますが、その人と同じくらいに頭が悪いですね。
別に教師を目指す人間は人格者じゃなきゃいけないなんて思いませんが、あれはそんなレヴェルの話ではないですよね。
6月4日(木)マスゴミについて
被告本人が「死刑になりたい」と言い、その父が「死刑が当然」と言えば、死刑判決を出して何が悪い、ということなんでしょうか。だったらもう、裁判なんていらないじゃないですか。蚊を殺すような感じで人を殺したと言い、自己の殺人をライオンがシマウマを襲うことになぞらえたりしたのなら、それはまさに、まだまだ教育が必要であることの証左になるじゃないですか。なのに、人を殺しておいてこんなことを言うヤツはけしからん、死刑じゃ、という風潮は明らかに間違っているでしょう。
17年半も冤罪のまま収監されていた人が釈放されたわけですが、わんわん一族が無能なのは言うまでもありません。もちろん無能だから許されるということはなく、わんころならわんころなりに、責任を取るべきでしょう。さて、当時わんわんの発表を垂れ流していたマスゴミはどのような責任を取ってくれるのでしょう。ちゃんと検証番組のようなものを作っていただけるのでしょうか。戦争前は戦争をあおり、戦争中は戦意をかきたて、戦後は平和主義者になったマスゴミのみなさんには、そんなものは作れないでしょうか。
6月5日(金)お嬢様について
今日、図書館下の生協で並んでいて、さあ自分の番が来たと思ったところで、周りがまったく見えていないお嬢様が目の前に現れました。いつも温厚この上ない私としては珍しく、舌打ちして殺人念力を送ってしまったのですが、それを生協のレジの方に見られてしまい、どういうわけか謝られてしまいました。いやいや、謝るのはあなたではなくそこのお嬢様ですよ、と思ったものの、こっちは殺人念力を目撃されているのでバツが悪く、逃げるようにレジを済ませました。
おい、青い服着たお嬢様、世の中はあなたを中心に回っているわけではないのですよ。少なくとも、貧乏人の集う大学生協はね。
6月6日(土)自由について
不健康自慢的には、総コレステロール量も悪玉コレステロール量も基準値を超えているので、こんなものを食べていてはいけないのですが、そこはそれ、超越論的自由は不可能ではないというか、やはりタナトスというか…。それにしても、イチゴとマンゴと白玉から選べっていうのは、ちょっといくらなんでもひどすぎないでしょうか。
6月7日(日)TXはよいとして・・・
『ターミネーター3』の最後で、人類は自分たちを守るはずの核によって自分たちを破滅に追いやった(?)というようなことが言われていたと思うのですが、核が守ってくれるわけがないし、そもそもそこで言われている人類って、核を保有しているヤツらのことじゃないですか。核を保有しているヤツら=人類とか、無反省に言っちゃうのなら、そこやあそこが核を開発したがっていたって、当然のこととして認めないといけないんじゃないでしょうか。それとも、色がついてる者は人類じゃないんでしょうか。
6月8日(月)乙
やっぱ「覚悟」ですよね〜。「覚悟」。「覚悟」。いつまでたっても、心の問題なんですよねー。健全なナショナリストのみなさん、健全なナショナリズム乙。
6月9日(火)敬虔な私としては・・・
ラブホを経営するある宗教法人が所得隠しを国税局から指摘されたそうです。休憩料などの一部を非課税のお布施として計上していたそうなのですが、お布施ということは、ここは仏教系の宗教なんでしょうかねぇ。しかし休憩中には解脱なんかする気もなければできるはずもなく、むしろうっかり/しっかり昇天しちゃったりするくらいなのに、こうしたキリスト教的行為の代価が仏教的な仕方で支払われたことにされてしまうなんて、国税局が追徴課税するのも無理はないと、敬虔な私などは思ってしまいます。
6月10日(水)念力も疲れる・・・
<なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか>という見出しの記事があって、東京大学大学院在学中の「あくまで目指すはお嫁さん。対等な関係はイヤなんです」というリカさんの言葉が紹介されています。こういう記事が、そのまま規範としても機能するということは大いにあるでしょうし、いやむしろ、そういう機能しかないと言ってもよいのかもしれません。でももうどうでもよいか、って気がしないこともありません。差別を笑いの種にすることが堂々と許されるくらいなら、「差別されたいです」と言うことくらい、大したことじゃないでしょう。
しかしもちろん、倫理を論じることをためらうとか言いながら、臆面もなく、自分の国を愛することは自然なことだと言ってのけるどっかのアホとは違います。ただ今はちょっと、いろんなことがあって疲れているのです。
6月13日(土)疲れました
今週はいろいろ不毛なことがあって実に疲れました。面と向かってのダメ出しというのもありましたが、まあダメ出ししてくれたその人の基準がダメなので、むしろありがとうございます的ではありましたが、気分のよいものではありません。バカにバカと言われてもありがとうございます的ではありますが、気分はよくないというのと同じかもしれません。
6月14日(日)戦いたくないんすけど・・・
死ぬためじゃなくて生きるためと言い換えたところで、戦うことに変わりはないわけです。ということは、人殺しのイデオロギーが映画にかかわるTV局によって変わるだけで、人を殺すことそのことは当たり前のこととされたままでしょう。ひょっとしてみんな、潜水艦とか軍人とか大好きなんじゃないかって思えてきますねー。
それにしても、映画を観ても勇気をもらい、スポーツを観ても勇気をもらっちゃうんですね。びっくりです。どうして自分とは無関係な人の無関係な生き方を見て、生きる勇気が湧いてくるんでしょうかねぇ。だれも潜水艦に乗ってるわけでもないし、51のようにせこいヒットばっか打つ生活を送っているわけじゃないでしょうに。そもそも勇気なんてねぇ。「自分の悟性を用いる勇気を持て」とか言っちゃった人もいましたが、もっとさかのぼれば、そもそも戦士の徳ですよ。そんなものは不要でしょう。
6月15日(月)恐ろしい・・・
このままではあなたは死んでしまうという脅し文句で印鑑を買っちゃう人がいるそうですが、このままあなたは死ねませんの方がよっぽど恐ろしいと思うのは私だけでしょうか。だってこのまま生き続けてしまうのですよ。恐ろしい。
だれかが事故で亡くなると、<残された私たちにはあなたの分も生きる義務がある>とか言う人がいたりするわけですが、へーそうですか、と言うしかないです。とりあえず、かりにそうだとしてもその義務を守る義務はないと言っておきましょうか。
6月17日(水)心ですか・・・
今日観た映画では、人と機械の違いは心が強いかどうかにあると言ってました。まあ、正確には、心があるかどうかだと言いたいのでしょう。心ということで、いったい何が意味されているのかにもよりますが、少なくともその映画で描かれているような心がない場合には機械だと判定されてしまうのなら、それはそれで仕方ないかなぁ、という気がしないこともないです。しかしその場合、同時に科学的実在論を信奉しなきゃいけないということになるのなら、ちょっと考えものではありますが…。
6月18日(木)少数者に真理は宿る、こともある。
死刑制度万歳のあの知事は、衆院選で自分の支持政党を明言するとおっしゃってるそうですが、それはどういうことなんでしょうか。ぼくちんが支持するんだから、みんな入れてね、ってことなんでしょうか。それとも、わしが支持してやったからきみらにはこんなに票が入ったんだよ、って言いたいってことなんでしょうか。そしてぼくちんが支持すると、これまたみんな入れちゃうんですよねー、なんつっても死刑制度万歳なのに支持率が80パーセント近いわけですから。人が国家によって殺される制度を支持しているのに、8割近くも支持率があるわけですから。国家による殺人なんて野蛮だからやめさせようとすると、公共の電波を使って罷免要求するようにけしかけちゃう人なのに、10人に8人くらいは支持しちゃうわけですから。
6月21日(日)疲れました
本来なら何の必要性もないようなものも含め、片づけないといけない仕事が大量にあり、そうなるとやはり<特急でレース>を実行するしかないわけです。金曜日に飲み会に出てしまったので「やっぱレースはムリだ」と思ったのですが、飲み会に出てしまったからこそ飲み会なんてへでもないぜ的に土曜日の朝に出ることに決め、行ってきました。
昨年までの大会結果を見る限り、優勝できそうだからエントリーしていたわけですが、プログラムを見ていたら連覇しているおっさんが出てて、ちょっとやばいかも、と思いつつ、わりと余裕をもって走っていたのですが…。折り返しの手前で別のおっさんに風よけにされたのでムカッとして前へ出るように促すと、そのおっさんは軽やかにスパートをするわけです。「えぇー、マジで???」と思ったのですが、とてもついてゆけず、そのままずるずると後退しましたとさ。家族連れできているおとーさんには絶対負けないことになっていて、その次になんちゃら走友会のみんな仲良し的なやつらにも負けないことになっているはずだったのですが、その軽やかスパートおっさんはなんちゃら走友会のメンバーだったので、何重にも苦しい思いをしました…。
というわけで、ちょっと上品になりつつあります。
6月22日(月)女へんに家
余命1ヵ月の花嫁に、婚姻制度はくだらないから嫁になることを願ったりしてはいけません、と言うべきでしょうか。もちろん言うべきです。そもそも嫁なんて、女へんに家じゃないですか。そしてどうせ夫の姓を名乗るのでしょう(→もちろん名乗らせる側にも問題はあります)。そんな差別的な制度にのっかってはいけないでしょう。と、こうした一連の批判点が当たっているとすれば、相手がだれであろうとそんなことは関係ないはずですから、ちゃんと言うべきでしょう。これだから普遍主義者はダメなんだ、という声が聞こえてきそうですが、だったら余命どれだけの人なら例外だと認められるのでしょうか。多かれ少なかれ、70やら80やらになればたいていは死んでしまうわけじゃないですか!
6月23日(火)いくらなんでも・・・
自分の師匠に関して気に入らない記事が載せられたからという理由で講談社を襲撃したことのあるような人物が政権与党の総裁候補ですか。いくらなんでも、そこまで行っちゃって大丈夫なんでしょうか。という言い方は、なんだか、今の方がまだましだということになりますか。今のも、つまらぬ元ゲーニンも、質的な差異はないと言うべきなんでしょうか、やっぱり。いずれにしても、ポピュリズム恐るべし、が普遍的であることは間違いないと言えそうです。
6月25日(木)痴呆分権www
こうなったら、すべての政党が足並み揃えて「地方分権なんてやるわけねーだろ、バカが」と言えば面白いと思うのですが…。
いつの間にやら政治家みたいな振舞いをするようになっているあのお方は、今日も<オレって偉いだろ>臭をまきちらしながらマイクに向かって何か言ってましたが、その後ろには<地方から国を変えよう>とかなんとか書いてあるわけです。あれれ、だったら総裁なんかになっちゃダメじゃん、って思うのは間違ってるでしょうか。
無所属で立候補しておきながら、<支持政党を言うぞ>とチンピラまがいのことを言っちゃってる人もいますが、まあ、どうせ投票したのはイケイケ大阪府民だから問題になるわけがないとお考えなんでしょうか。
そしてどっかの市長様。暑っ苦しい893みたいな風貌ですね。
6月26日(金)勇気がわからない
死んじゃったんですねー。びっくりです。もうそんなに高齢になっていたとは知りませんでした。当たり前ですが、歳をとるんですね。ファラ・フォーセット。よく考えたら、『キャノンボール』くらいしか見たことはないのですが…。
バカ殿と同じような顔の御仁から「勇気をもらった」と言って涙を流すおねえさんの映像が流れていましたが、その勇気って内実は何ですか、と心の底から尋ねたいです。いったい何がどうなったら勇気をもらったことになるのか、まったく理解不能なので、後学のためにぜひうかがいたいところです。
6月29日(月)苦悶・・・
研究熱心な私は、土曜日日曜日と東京の研究会に出て昨日遅くに帰ってきました。驚いたことに、ポーチを入ろうとするとクモの巣が顔にかかるではありませんか。ぎょえーーー。いったん部屋へ入り、確認するために改めて外に出て見て、さらにびっつら。なんとうちの前の部分の通路だけ、そこらじゅうにクモの巣が張られているのです。高級マンションなのに…。あれはひょっとして高級クモマンションなのでしょうか。というわけで、苦悶の表情を浮かべておきました。
6月30日(火)egal
仏像が流行っているそうですねぇ。それにしては悟りとは無縁な方ばっかですが・・・。まあ、どうぞお好きに。
7月1日(水)全取っ換え
トランプに51というゲームがあります。同じマークのカードを集め、得点を競うというやつです。通常は、自分の番が来たときに手持ちの5枚のカードの内1枚を、前に出ているカード1枚と交換するわけですが、手持ちのカードがあまりにもカスすぎる場合、前に出ている5枚と自分のカード5枚を全部取り換えるということをします。これが<全取っ換え>です。
トランプとは関係なく、日常生活において<全取っ換え>を想起することがあります。今日もありました。ある校舎のエレヴェーターに乗ったら、もう一人乗ってきた人がいるのですが、その人は降りるまでずっと扉に背を向けて立っているのです。これって、空いたエレヴェーターでは非常に珍しいことだと思うのですが、その人は一心不乱にあたかも私などいないかのように(ひょっとすると本気でそう思っていたのかもしれません)前を見つめています。前に何があるか、みなさんご存知でしょう。それがあるわけです。それを一心不乱です。その人がエレヴェーターを降りるときに、よせばよいものを、ちら見してしまいました。そして、全取っ換えだろ、って思ってしまいました。
7月2日(木)むりぽ
8割近くの支持率をもつあのお方に不利な(でもないと思いますが)判決が出て、言論活動の自由が云々とかのたまわっておりましたが、公共の電波を使用することが実質的にごくごく限られたカスみたいな人にしか認められていないことを、少しはその類稀なる脳細胞を使ってお考えになってはいかがでしょうか。むりぽ。
7月3日(金)わんわんのわんわんのわんわん
英警察犬車内高温で死亡って、わんわんのわんわんが死んだってことですかぁwww.しかもいまだにまだまだ女王がいたりするわんわん帝国じゃないですか。ぐはは。
7月4日(土)びっつら
定額給付金は、すでに8割以上の世帯に支給され、地デジ対応受信機の世帯普及率は6割を超えているそうです。これってかなりびっつらです。私はどっちも少数者の側に帰属するわけですが、それって何割くらいなんでしょうか。もしかして、積極的にあれを支持しない層だったりするのかも…。
7月7日(火)哲学は詐欺か?
今日は講演会がありました。発表は2つありましたが、どちらも使用言語は英語で、くったくたになりました。一つ目のミルに見るラディ・フェミという発表は、予想していたものとは違う内容だったので、苦痛ではありませんでした。二つ目の哲学的実践というやつは、なんだかよくわかりませんでした。その実践においては、哲学の用語を知らない人と話をしないといけないようでしたが、それでいったいどういう話ができるのか判然としません。少なくとも、言語論的転回がどうこうという話はできないでしょう。では生き方の話ができるのでしょうか。前にも書いたことがありますが、それがかりにちんけなものだとしてもそれは自分の人生なのに、他人に、しかもよりにもよって哲学研究者なんかに生き方をアドヴァイスされちゃってよいものでしょうか。そういう声を欲しがるのは、占い師という詐欺師に人生を占ってもらう心性とどこが違うというのでしょうか。そして哲学研究者も、いくら貧すれば鈍するとはいえ、詐欺師にだけはなっちゃいけないと思うわけです。占ってもらいたがる人に対して、「自分で考えろ」と言うのが哲学的実践ではないのかと思いました。
7月8日(水)合理性は悪か?
ネットだと、「嫌気がさした」「だれでもよかった」「死刑を覚悟している」とかいう本人の言葉とされているものが見出しになってひとつのニュースが流されるわけですが、これらの言葉が一気に出てくるのではなく、時間ごとに変化をもたせてこうやって小出しにされると、そのたびに「ああ、悪いやつだ」「ああ、悪いやつだ」「ああ、悪いやつだ」という思いを喚起し、いつの間にかその人のイメージができあがっているということはないでしょうか。容疑者にはガソリンについての知識があったから、自分には火がつかないように配慮していた、ということがとんでもないことのように報道されていますが、それって当り前じゃないんですかねぇ。それとも、こんなときは知識があるのに使わない方が偉いんでしょうか。計画的な犯行というのは、衝動的な犯行よりも罪が重くなる傾向にありますが、人の命を奪うのに計画性もないなんてどういうことでしょう。
7月9日(木)無駄話をやめればそれは1時間もかからない
きょーじゅかいでした。疲れました。普段はよく途中で抜け出すような人も、自分の利害が関係するとなるとがぜんしゃべりまくるので、まあわかりやすいと言えばわかりやすのですが、そんなに見え見えで恥ずかしくないのかよと思わないでもありません。どんな話題だろうと、必ずしゃべらないと気がすまない人。自分の言ってることがいつもいつもそんなに立派だと思っているのでしょうか。はっきり言ってうるさいだけですよ。そして延々大音量で愚痴を垂れ流す人。私はオークショットなんてダメで、会話のための会話なんてクソだと思っています。ちゃんと妥当要求を掲げ合って討議をしましょうよ。
7月10日(金)無意味
授業中にも言われていましたが、論理実証主義はすでにとっくに過去の思想かも知れないとしても、あの大哲学史家の書いた物を「無意味」と言ってのけた点は大いに評価されるべきだと思います。それはみんな薄々そう思っていてもなかなか言えることではなかったわけで、今でさえなおなかなか言えることではありません。正しいことなのに。
それにしても、無意味なものをありがたがっていまだにせっせと読み続け、理解できなければ書かれているものが悪いんじゃなくて理解できない方が悪いんだと思っちゃう謙虚な人たちのなんと多いことでしょう。「謙虚な」は嫌味ですよ、もちろん。
7月12日(日)またしても謙虚
ある市長選にはその市の元市長とかいうのが立候補していましたが、その人は「過去のことは関係ありません」と演説していました。えっ、どういうこと???ご自分がなさってきたご業績をすべてゼロで考えてもらってよいという気前のよろしいお話なんでしょうか。「私はこんなこともやってきました」「私はあんなこともやってきました」を一切言わないとは、なんと謙虚な方なんでしょう。あまりに謙虚すぎて、落選するのでしょうか。けけけ。
7月13日(月)なんと
とはいえ自公にも当選者はいるんですねー。まあ、これがリベラリズムの素晴らしさと言うべきか、愚行権の行使は認められていると言うべきか。例によって、国政のツケを払わされただの、総選挙の前相撲になってしまっただの言ってる差別主義者がいるようですが、それって、投票した都民は都政のことを考えていないと言ってるわけで、バカにしすぎじゃないですか、と思いましたが、この人はいつも大衆をバカにしてましたっけね。
7月14日(火)内容空虚について
地方分権がどうのこうのと言っている死刑制度万歳論者は、<問題とすべきはぼったくりバーのオーナーだ>というような、例によって口当たりの良さそうな、しかし内容空虚な発言をしているようです。まあ、オーナーが国だと言いたいのでしょうが、だとすると知事様はそのバーの客だと言いたいのでしょうか。ぼったくりバーだと承知しているのであれば、毎年毎年そこへ通い続けてぼったくられるのは、とても賢明とは言えないでしょう。ひょっとしたら、客の方が悪いと言われちゃうかもしれません。では知事様はぼったくりバーの従業員だと言いたいのでしょうか。せっかくぼったくった上前をオーナーがはねるのが問題だと言いたいのであれば、ぼったくった分は従業員のものだと言ってることになります。要するに、知事様はぼったくりたいわけですね。
7月15日(水)徳なんて・・・
不信任案に反対票を投じた人が、不信任かどうかを問われた人物について「徳がない」とか言っちゃうわけですが、そんなこと言っちゃうご当人に徳はあるのでしょうかねぇ。まあ、徳の倫理学なんてその程度のものだということでしょうか。ともかく、不信任に反対するってことが、すなわち信任するってことではないようで、これって排中律を認めないってことなんでしょうか。まあ、徳の倫理学なんてその程度のものだということでしょうか。
7月16日(木)なにがあれ・・・
もう十分暑くなってると思うのですが、実はまだ今年は、それをやると夏が来た徴という私的な決まり事が果たされていません。ひょっとするともうそんなことは卒業したのかも…。この頃、なにがあれだし、これがそれだし…。
7月17日(金)じゃあきもいってことで
「気持ちが入っているボールとそうでないボールはハッキリ違います」。すごいなぁ、まーくんは。こんな話を聞くと、やっぱ物理主義でいいじゃんって思いますねー。オッカム呼んでくるぞ、とかねー。しかしあの江川でさえ、公共の電波を使って「気持ちのヒット」とか何とか言ってました。むかしの江川なら、そんなことを言いながら舌を出してる姿が想像できたのですが、もはやじじいになってしまったのでしょうか。残念なことです。
7月20日(月)映画鑑賞
土日に東京で研究会などがあり、空いた時間があったので、おされに有楽町でウディ・アレンの映画を鑑賞しました。相変わらず、ヨハンソンはナニでしたが、ぺネロぺの狂いようが素晴らしかったです。それ演技じゃないんじゃないの、と思わせるところとか…。今回のは、監督自らの出演がなかったので、あの人をいらいらさせる屁理屈が聞けず、ちょっぴり残念ではありました。
予告編というのは、本編へと誘導するものだと思っていましたが…。『プール』とかいうやつは、まあ、あの手のものが好きな人がいることは知っていますが、ある場所で暮らすMMが「私もう死なないんじゃないかと思う」とかなんとか言っちゃってるわけです。なんて恐ろしい。死なないんですよ、どうしたって。しかもMMのままで。それって生き地獄じゃないですか。思わず死にたくなったりしないのかなぁ。それから、犬っころが出てくる映画。絶対セクハラしてるに違いないご主人様のRGが倒れてある日姿を見せなくなっても、待ち続けてしまうという犬畜生の話を、いったいだれが観るんだろう…。きっと心のきれいな方たちがご覧になるのでしょうねぇ。しかし、きれいかどうかを言う前に、心が存在するかどうかが問題なんですよ。
7月21日(火)どっちが民間だ?
定額給付金、「お支払いすることができていません」という封書がきてしまいました。ほとんど、頼むから受け取ってちょーだい状態です。どんどん額をあげていけば盛り上がるんですが…。別にイデオロギー的に受け取れないとかそういう話じゃなくて、たんに忘れてただけです。
この手厚い行政サーヴィスに比べ、PiTaPaの更新ときたら。今のカードは使えなくなるから、とっとと新規申し込みをしろと。そんなに私鉄様は偉いのか、と言いたいところですが、この辺はJRが走ってないのですよ…。
7月22日(水)ひゅーむ
皆既日食があったそうですが、「へぇ、そうですか」くらいの気分です。ただ、何月何日の何時頃にどのへんで皆既日食が見られるという計算が行われ、その通りの現実がやってきたことについて、ヒューム主義者はどう考えるのか、訊いてみたいところです。いや、実際には訊いてみたくはないです。ヒューム主義者はたいていすかしてますから。これは主観的な普遍性しかもちませんがwww。やっぱ、皆既日食は起こらないかもしれないと怯えていたりしたんでしょうか。あるいは、せめて怯えたふりでもしていたんでしょうか。
7月24日(金)やっぱ登山っしょっ
ついにと言うか、ようやくと言うか、夏の個人的兆候がありました。昨日まで暑くなかったわけがありませんが、しかしまだ夏ではなかったということなのでしょう。さあ、海に山にレジャーですねーーー。
7月27日(月)5963
今日はテストでした。受けたみなさん、ご苦労様でした。いつもより難しかったのでしょうか、30分が過ぎてもなかなか退出する人がいなかったような気がします。いや、たんにダミーの選択肢を味わっていてくださったのでしょうか。あれにひっかかる人はなかなか笑えますが、しかし即落としたい気もします。個人的には、「魂の不死」の隣に「魂のふしあわせ」を配置したことがケケケです。
7月28日(火)国家による殺人
憲法によれば、解散中でも、当該の内閣は存続しているそうですね。ということは、今回、解散中の内閣の法務大臣が死刑執行の許可を与えたということになるのですね。執行したところで被害者は戻ってこないということを嘆くのであれば、だから死刑執行なんて無意味だということにはならないのでしょうか。何はともあれ、とりあえず国家によって殺されてくれ、ってことなんでしょうか。
7月29日(水)借金地獄?
『9デイズ』は前に観たときもそう思いましたが、やはり当時アンソニー・ホプキンスは借金地獄だったのでしょうか。じゃなければ、かなり辛いことでもあったのでしょう。いくらなんでもあの役はひどすぎますよね。しかも共演はクリス・ロック。ウィル・スミス派とクリス・タッカー派に分けるとしたら、間違いなく後者に入りそうな顔つきです。というわけで、最後まで観ずにお仕事しました。
7月30日(木)公約通り格差を作りましたよ!
私人として公用車に乗り、私人として内閣総理大臣と記帳した感動男が行政府の長だったときの選挙公約が、自己評価によれば半数近く達成されているそうです。だとすれば、この4年間、世の中はどんどんましになっていたはずでしょう。あるいは、公約を半分近くも達成した以上、少なくとも悪くなってるはずがない。しかしこんなにひどい状況にあるわけで、それは感動男と同じ党に属している人たちも認めるでしょう。ということは、公約それ自体がクソだったことになります。何と言っても、半分近く達成したところで世の中はよくならなかったわけですから。
だから、半分近くも達成したと言うのであれば、この4年間で世の中はすばらしくなったと言うべきでしょう。ちゃんと格差ができたじゃないですか、これってわれわれの実績ですよ、ビンボーになったやつはたんに努力が足りなかっただけじゃないですか、それを人のせいにしちゃいけません、とはっきり言うべきです。
7月31日(金)それって自然ですか???
子どもを育てるには厳しい状況があるから、制度を整えて子どもを育てやすくしよう、そうすれば子どもを産む人も増えるという発想があると思います。もちろんこうした制度を整える必要はあるだろうと思います。そしてそのことによって子どもを産む人も増えるという可能性があることは認めます。だけどこうした発想においては、子どもを産むことは自然なことであって、それが行われないのは制度面に欠点があるからで、ちゃんとした制度を作れば人は自然に子どもを産むものだということが前提されていないでしょうか。
しかしそうなんでしょうか。子どもなんてうざいから要らないって人だっているんじゃないでしょうか。そういう人は、自然に反しているんでしょうか。こんなに制度を整えているのに子どもを産まないなんてけしからんなんて恐ろしい世の中にならないことを願います。
8月2日(日)何とまぁ!
諸般の事情から、「相手の立場に立って考える」ということを調べていたら、世の中何とまぁ、相手の立場に立って考えるのが得意な人ばっかでびっくりしました。しかもその中には、とても相手の立場に立って考えているとは思えないような人も含まれていたりして(実は全員じゃないかと思っていますが、そんなことを言ってはいけないので言いません。←おぉ、相手の立場に立って考えてんじゃん)、相手の立場に立って考えるというのは、そうしていても決して本人以外からはそう受け取ってもらえない、非常に奥ゆかしいことなんだということがわかりました。ほとんど、つけてるのがわからないリアルヅラみたいなものでしょうか。確実に言えるのは、実際に相手の立場に立って考えることができるのなら、コミュニケーションなんて不必要だということです。
8月3日(月)あなたは奴隷ですか?
裁判員制度っていうのは、結局、あんなのに裁かれたりしたらたまらんから犯罪を慎もう、って抑止力の制度なんでしょうかね。あるいは、絶対ばれないようにしよう、って方向性の制度なんでしょうかね。少なくとも候補者のひとりは、自分はあまり気が進まなかったけど、主人が面白そうだから行ってくればって言ったので来ました、とインタヴューで答える奴隷でしたからねー。奴隷なんかに市民が裁かれてよいものでしょうかねー。
量刑の判断基準に、「遺族の感情」とかあるんですよ。これって、遺族の悲しみを反映させるってことでしょうから(悲しみを反映させるってことは、喜びを反映させるって言い換えることも可能です)、量刑によって遺族の悲しみ度(喜び度)がわかるってことにもなるわけです。懲役10年の方が、懲役20年よりも遺族の悲しみは少なく、したがって遺族の喜びは多いってことですね。こんなことでよろしいんですかね。何が何でも死刑じゃなきゃダメだと人の死を願う悲劇のヒーローから見れば、死刑より軽い量刑が選ばれる事件の遺族の悲しみなんて、相対的に大したことがないってことになりますよね。
8月4日(火)世も末
経済発展のために自衛隊を誘致することになったところがあるそうです。世も末です。もっとも、ずーーーっと末が続いているわけですが。たとえば、兵器工場を誘致すれば人もわんさかくるわけですが、それだって法律さえ許せばやりたいってことなんでしょうか。世も末です。その土地で生活したこともない部外者がエラソーなことを言うな、という批判は死ぬほど繰り返されてきたわけですが、では関係者とはだれのことなのか、ちゃんと答えてもらったことがないわけです。当事者性とか立場性とか立ち位置とか、さぱーりわかりません。
8月5日(水)お坊様なのに・・・ iym
ある地方自治体で、留学生用の建物を作ろうとしたら、隣接する寺の壁にひびが入ったとかで、工事差し止めとか建設計画そのものの見直しとかを僧侶たちが要求していました。僧侶たちは文化遺産を守れ的なことを言ってましたが、僧侶の割には悟りが足りない感じがしました。人には怒るなと説教する癖に、自分は怒っちゃうんですかって感じです。まあ、そこで言われている文化遺産なんて、他者を排除してきた成果なわけで、その意味では留学生用の建物を建てないように要求することは首尾一貫しています。首尾一貫して排他的ってことで。でも、いやしくも僧侶なら、わが身を犠牲にしてみてはいかがでしょう。
8月7日(金)大学教育
ある大学の野球部の学生が「<金をもってこないと拉致するぞ>と言っても恐喝にならないと思った」と逮捕後に言ったそうで、まあ、これもわんわんが発表したことの垂れ流しだから真相なんてわかんないけど、もしそう思ったのだとしたら、これから大学ではちゃんと、<金をもってこないと拉致するぞ>と言ったら恐喝になりますよ、と教えてあげないといけないのだろうか。
8月8日(土)マンモス
80年代は受像機のない期間が長かったので、その人がアイドルとして活躍していたところをまったく見たことがなく、さほど感慨もないのですが、それにしても最初に夫のところへやってきたその人をわんころが帰らせてしまったことを非難するアホがいて、マンモスびっくりでした。じゃあ何ですか、令状も何もないのにわんころが「交番へ来いわん」と言ったら「はいはい」と二つ返事でついて行かなきゃいけないような社会がお望みなんでしょうか。「後から行く」と言ったって、行くかどうかはあくまで任意なんだから、気が変われば行く義務なんてないはずなんで、少なくともそのことを非難する輩は、恐ろしいわんわん国家を夢見ているわけです。
しかも、逮捕状を請求する根拠となった自宅の捜索だって、問題ないと言えるのでしょうか。夫とは別居してたわけですから。自称プロサーファーの夫に覚せい剤使用の反応が出たからって、どうして別居中の妻の自宅の捜索を行うことが正当化されるのでしょうか。マンモスわからない。
8月9日(日)まず隗より始めよ
まあ、核兵器はなくなった方がよいに決まっているし、もっと言えば世界中からあらゆる兵器の類が消えてなくなればよいと思っていて、そのことによって、たとえ世界の軍需産業が総崩れになって経済が大打撃をこうむろうと、そんなことは知ったことじゃありませんが、しかしもっとも多くの核兵器を保有している国家の大統領が<核は廃絶しなきゃいけない>と世界に呼びかけ、それに対して、みんなでそれを支持しましょうって、いったいどういうことなんだろうと思ってしまいます。フツーに考えれば、おまえんとこがまず全廃しろよって話になるはずなのに、このままじゃなんだか秀吉の刀狩りと同じじゃないですか。あるいは、暴力を取り締まってるわんころが、合法的な暴力機関であるのと同じじゃないですか。
近隣の国家がロケットを飛ばすと「ミサイル、ミサイル」と騒ぎ立てるナショナリストたちは、世界のわんころに楯突くこの国家をどうして評価しないのか、不思議で仕方ありません。核保有国が新たに核を保有しようとする国家を制裁するなんて、そこには何の正当性もないはずで、そうした欺瞞性をその国家は告発しているわけですから、ナショナリストだったら方向性は同じはずでしょう。なのになぜ世界のわんころに尻尾をふるのでしょうか。
8月10日(月)なんとぉ
豚インフルのときに1週間休講になったため、今週1週間が授業週間になりました。まあ素晴らしい。学生の要望に応えてテストはすでに済ませていたけど、今日も教室へ行きました。なんと、2人も授業を受けにきてくれました。発表の予行演習をさせていただき、手厳しいご指摘も頂戴しました。どうもありがとうございました。
8月14日(金)原理的にわからない
介護の現場で働く人たちの政治家に対する不満の声がありました。政治家は、当事者じゃないから何にもわかってないと。当事者じゃなきゃわかんないんだったら、そりゃ政治家にはわからんでしょう。だって政治家は政治の現場にいるわけですからねー。だから言うべきことは、当事者になろうがなるまいがそんなこととは関係なく、政治家は知るべきことを知らなきゃね、でしょう。当事者性やら現場性やらをやいやい言う人は、いったい何が言いたいのかさっぱりわかりません。
田中康夫に落下傘されてやばい状態にあるあの方は、支援者に囲まれて、よそ者に何がわかるのか、というようなことを言っていました。しかしその支援者って、あのサークルの人たちじゃないのだろうか。そしてあのサークル以外の人たちは、あの人たちに言わせれば、みんなよそ者なんじゃないのだろうか。いずれにせよ、よそ者に何がわかるのかって言い方は、当事者性やら現場性やらを叫ぶことと同じですよね。
8月15日(土)花火
久しぶりに昼寝+宝塚往復暴走+銭湯を満喫しました。今日は、猪名川の花火大会だったようで、昨年のこの日は銭湯ががら空きで毎土曜日に花火大会があったらよかろうにと思ったものでしたが、今年はみなさん花火に関心が向かなかったのか、それほど空いているという感じはしませんでした。高級マンションの近くに墓地が併設されている箕面市の火葬場がありますが、そこに人だかりができていたのでちょっとびっくりしました。少し高台になっているせいか、花火がよく見えるようでした。そんなに見たいか!
8月16日(日)大先生
防犯ヴィデオで撮影された人の姿を棒に変換することに成功した時計台のある大学の大先生が、自慢げかつ誇らしげにおっしゃってました。個人のプライヴァシーと社会の利益が折り合う点を考えて、研究しているんですよと。棒に変換すれば、犯罪とは関係のない人のプライヴァシーを守ることができ、かつ防犯ヴィデオによって犯罪を抑止したり犯人検挙に貢献するという社会の利益もえられるとお考えなのでしょうか。まあ、人権と社会の利益なんてものを同じレヴェルで考えちゃう人がいることは知っていますし、嘆かわしいことに、むしろそうした考え方がほとんど常識になっているでしょう。しかしそういった発想がすでにひとつのイデオロギーにすぎないということを、自慢げかつ誇らしげに語る大先生には知っておいてほしいものです。功利主義など××くらえ!
8月17日(月)では〜
今日は文学部説明会(オープンキャンパス)でした。かなりの数の方が研究室の訪問に見えました。ここから、どこがどうなって何がどうしてだれがあれして、志望者が激減していくのでしょうか。まあ、しょうがないことではありますが…。
というわけで、「正義はなされよ。たとえ世界が滅ぶとも。」
8月26日(水)ドイチュラント 1
ドイチュラントへ行ってきました。2007年から毎年行っている独日倫理学コロキウムに参加することが主たる目的で、残りは誤差みたいなもんです。行ってから3日間くらいは35℃の暑さで、しかもクーラーはないか、あるいは壊れていたりして、街全体がまるで巨大なサウナのようでした。ちなみにホテルの部屋のクーラーは5℃に設定されていて、最初は「殺す気かっ!」と思いましたが、死なずにすむ程度にしか冷えませんでした。やっぱあれでしょうか、こういう場合も地球にやさしく、28℃に設定し直すべきだったのでしょうか。
8月27日(木)ドイチュラント 2
飛行機を利用するときには、窓口までのあの遠い道のりがうっとうしいので、できるかぎりネットでチェックインします。今回もそうして、荷物だけ預けに行ったら、「もうちょっと出して座席をビジネスにしませんか?」と横からやってきたLH女に誘われました。「先着順」とか言われ、そのクラスの写真を見せられ、「じゃあそうします」ということになりました。なんと、座席とか動いちゃいますからねー。しかも完全にフラットにもなりますし。トイレへ行くのに、いちいち「すみません」と言う必要もありません。飛び立つまでに、もう飲み物が…。
行きはこんな具合で、帰りもネットカフェからチェックインしようとしたら、「何らかの理由で座席を確定できませんでした」と表示され、窓口で職員に尋ねろと。ぐはー。フランクフルトのLHカウンターでは、列に並ぶその前に、「あっち行け、こっち行け」といろいろ指図され、たらい回しにされた経験が複数回あります。それが嫌だからネットでチェックインしようとしたのに…。案の定、「そこの自動チェックイン機は試したか?」と言われ、「ぐちゃぐちゃぐちゃ」と言い返し、何とか列に並ばしてもらい、チェックインして券を見ると、予約のときと席が変わっています。「ったく、せっかく早くから予約してましな席を選んだのに…」とうんざり。
ところが、実は帰りもビジネスでした。うひょ〜。帰りも座席は完全にフラットになり、トイレへ行くのにいちいち「すみません」と言う必要はなく、飛び立つまでに飲み物がやってきました。このままずっと乗り続けてもいいかも、と半分くらい思いましたが、しかし時々自分が高いところにいることを思い出し、心臓がバクバクしました。
8月29日(土)ドイチュラント 3
ドイチュラントには、改札口がありません。だから、「君のこと、いつも待ったものでした」ということはありえません。それはともかく、なぜ改札口がないかと言えば、乗車する人はみんなちゃんと切符を購入しているということが想定されているからです。言うまでもなく、この想定がそのまま現実であるはずはなく、しかし改札口はないので、無賃乗車が可能だということになります。ただし、ときたま車内に検札がやってきて、そのとき切符をもっていなければ、何を言おうと認められず、ただちに罰金を支払わなければなりません。
これは、人を信頼することを大前提とした立派なシステムだと思ってきました。ところが、これまで検札にあったことなど、たぶん1回しかなかったのに、今回は半分以上、列車に乗るたびに検札がきました。こうなると、もはや<信頼>なんて美しいものじゃなくて、その背後にある<人を試す>という側面がむき出しです。要するに、列車に乗るたびに試されていたということです。ったく、あの人たちは神様のつもりなのでしょうか。その割には、平気で遅れる、遅れても理由も言わなければ謝りもしない、さらに何の断りもなくただただ停車させたままで放置する。
検札がきたあるとき、私の前の人たちには検札を終えると「ダンケ」と言ってたのに、私には言わなかったので、「<ありがとう>って言えよ」と言ってやりましたが、何の反応もしませんでした。だから「ば〜か」と続けたのですが、やはり何の反応もしません。やつらはやっぱ神様のように寛大だったのでしょうか。あるいは、ひょっとして神様なのに通じない言語があったのでしょうか。
8月30日(日)つまらんゲーニンについて
日テレの選挙報道なんてどうでもよいのかもしれないですが、しかしいくら何でも、自分がヤンキーだった頃にやらかしたことをネタにした実に下品かつつまらん漫才しかできなかったゲーニンごときを起用しなくてもよいのではないでしょうか。政治なんて不毛なのかもしれないですが、あんなのを使うようじゃ、不毛を通り超えて害悪ではないでしょうか。ああうざい。
8月31日(月)すごいなぁ・・・
すごいなぁ、あそことその隣県とは合わせて4区とも、大敗を喫した政党の議員が当選しています。あそことその隣県が、ファシズムの防波堤ということなのかなぁ。自分たち自身はファシズムだけど、もっと大きな視点に立って、ファシズムを防止しているのだということでしょうか。この自己犠牲の精神って、ファシズム的心性だと思うんですが…。
福岡政行が、昨日、田中康夫と話したときに、「今日の選挙で公務員にはこれこれの日当が出ているんですよ」と言ってました。たしかに信じられないほどの高額でした。しかしだからって、時給850円でバイトを雇って選挙を実施せよと言うのでしょうかねぇ。
9月3日(木)チョー多忙
片づけないといけない事柄がまとめて山のように降ってきて、ぐったりの毎日です。だから、「頭の整理できた?」と、そんなに口を歪めて言わなくてもよいのに、ああ、あれは元々か、なんて思ったことを書いたりできませんでした。
今の仮住まいから、来週、改修が終了した本館に移るわけですが、この引越しに関しては腹の立つことばかりでした。今の部屋がある建物など、連日ドリルを使った工事が行われています。こんなところでいったいどういう研究ができると言うのでしょうか。オープンキャンパスの際、高校生たちを招いたときにもドリルを使う工事の最中で、話し声が聞こえないわけです。われわれがこんな目に遭わされるのはたんなる偶然なのか、それともわれわれが眩しすぎるためなのか。まあ、われわれのことを羨むのはわかりますが、それはルサンチマンというものですよ。
9月4日(金)恥じ入ります
あるサイトのあるスレッドの書き込みに、大学で哲学を語ってカネを稼いで恥ずかしくないのか?、というようなものがありました。これは修辞疑問でしょうが、もちろんおっしゃるとおりです。ポスト・モダン的に日々過ごしたいものだと思っても、ついついドイツ観念論やらの影響で自己反省してしまう以上、とても<哲学語ってカネ稼いでどこが恥ずかしいんじゃ?>なんて修辞疑問に修辞疑問で答えることはできません。そもそもカネを稼ぐなんて行為が恥ずかしいかぎりです。できることなら、こんなそれ自体が商品となり差別を生むメディアなど使用しなくてすむ社会にいられたらと思います。
ところで、冒頭のような書き込みをなされる方は、さぞや優れた頭脳をおもちなのでしょうから、ぜひ、恥ずかしくない生き方とはどのようなものであるのか、ご教示いただけないかなぁと切に望みます。
9月5日(土)豪華3点セット
今年の夏はドイチュラントに負けるくらいであんまり大したことはなかったなぁ、などと思っていたら、今日は34℃になり、こうなると昼寝+暴走+銭湯の豪華3点セットを進呈しないわけにはいきません。そんなわけで、ぐったりというよりか、刺激が強すぎて眠れそうにない感じです。こんなときこそお勉強をすればよいのでしょうが、きっとまた、ようつべへようこそなんてことになりそうな予感…。
9月6日(日)電話は故障に気がつかない
電話は「現在使用しにくい状態」だったそうですし、 OS が Windows98 だった頃から使っていたプリンタがついに働かなくなってしまいましたし、おまけにシェーバーの洗浄液が empty と表示されるに至りました。一応、「未曾有」も「頻繁」も読めますし、口は歪んでませんが、まあ交代の時期なのでしょう。もっとも、電話は別になくても支障がないでしょうし、プリンタだって家になきゃならないわけでもないでしょうし、シェーバーだって手で掃除すればすむわけで、あちらとは違ってこちらはポイのままでもよいのですが…。
9月8日(火)役立たずです
世の中の役に立たない哲学教員はみんな穀潰しだそうです。ハハハー。それにしても、「穀潰し」って言い回しが古臭いなぁ。哲学教員がいなくなっても、哲学教員以外はだれも困らないそうです。へへへー。そりゃよかったです。だれかにあてにされるような重たい人生がお好きな方は、まあしっかり頑張ってねー。
9月9日(水)いくらなんでも・・・
今日はFD講習会がありました。学生は、板書の折に新調したばかりの服の袖が汚れるのを気にしている教師と、そんな汚れを気にもせずに黙々と板書を続ける教師の違いを見ており、後者を目撃すると「この教師をそれほどまでに駆り立てるものはいったい何なのか」と、当該の学問に関心を寄せるようになる、というような文字通り<ありがたい>お話を聞いてしまいました。こんな単純な学生がいるんでしょうか。いくらなんでも、ちょっとなめすぎじゃないでしょうかねぇ。少なくとも、こんなくだらないパフォーマンスに触発されて哲学に関心をもったりするような学生は、ダメですね。
9月10日(木)家族もカルトも「か/カ」で始まる
昨日の講習会では、学生がカルト集団へ入らないように気をつけましょうという話も出ました。言うまでもなく、カルト集団なんて入っちゃいけないわけです。しかし、カルトに入らないようにするためには家族との対話が重要だとかいうことになると、じゃあどうして家族との対話はオッケーで、カルト仲間との対話はいけないのか、って話になると思うのですが、これに対して血とか愛情とか変なものをもち出さずに説得力のある議論ができるとはとうてい思えません。カルトがダメなのだとしたら、家族主義だってダメだって言わなきゃいけないのではないかと思うわけです。
ひと頃、マインド・コントロールという言葉が流行りました。マインド・コントロールから抜け出すために何が行われたかと言うと、社会的な常識を身につけるというびっくりするようなコントロールでした。いわゆる教条主義的イデオロギーを脱するために、健全な資本主義を信奉しましょうって話も同じことだと思います。
9月11日(金)透け透けめ!
うそこメーカーによる私が気をつけなければいけない要注意詐欺は、ずばり「透け透け詐欺」だそうです。しかしこれって、どんな詐欺なんでしょうか。やっぱ、なにがあれで透け透けでそっちに気を取られている間にハンコとか押しちゃうって詐欺なんでしょうか。うー、恐るべし、うそこメーカー。脳内の診断も「なるほど」だしなぁ。というわけで、透け透けには気をつけることにします。
9月12日(土)なぁ〜んだ
うす汚い駅を出て、高架下の歩道を友人と歩いていると、いまどき珍しく道の中央に等間隔で灰皿が設置されています。へー、さすが○○だけあるなぁ、と思っていると、火のついた煙草を私の友人にこすりつけようと近づいてくるおっさんがいます。注意すると、今度は私の方に近づいてきます。最初は冗談だと思ったのですが、どうもおっさんは顔とか頭とかとは裏腹に、真剣にこちらに煙草をこすりつけようとするのです。そこで、「おいっ」と声を上げ、その自分の声の大きさに目が覚めました。まだ朝の5時半でしたが、妙な気分がして眠れなくなってしまいました。
夢の中でも、青い服を着たわんわんは、何もせず無能でした。まあ、わんわんが活躍するような社会を私は望みませんが…。
9月13日(日)まじめだったのに・・・
不慮の事故で人が死ぬと、どういうわけかその周囲にいた人たちは「まじめな人だったのに…」と言います。これがよくわかりません。まるでまじめな人は不慮の事故なんかで死んじゃいけないかのような言い回しです。もしその通りだとすると、しかし実際にその人は不慮の死で死んじゃったわけですから、当人は実はまじめな人じゃなかったということになってしまいます。したがって、周囲にいた人たちが言うべきことは、「まじめな人だったのに…、でもホントはまじめじゃなかったんですねー」ってことになります。
こんなことを言ってるから、哲学は何の役にも立たないとか言われちゃうのかもしれません。しかしその一般化は不当です。「こんなことを言ってるから役に立たない」があてはまると言えるのは、論理的には、こんなことを言ってる人に対してだけですから。
9月14日(月)もう告知してるじゃないですか
すでに告知されている事柄が記載されていないから、もう一度文書を作り直せって話なんですが、わかってるんでしょうかねぇ、確認の確認をやり始めると、原理的には無限に確認をし続けなきゃならなくなるってことが。まあ、わかってないでしょう。説明しても、きっと何を言われているのかわからないでしょう。めんどくさいから「へいへい」って作り直して、こんなところでぐだぐだ言ってるわけです。「こんなところで愚痴言うなよ」って思った方は、別にお読みいただかなくても結構です。
9月15日(火)ひとりごちた・・・
「タウンページ」のCF。例のうっとうしいやつが出てくるのでいつもは出てきた瞬間にチャンネルを変えるのですが、今日は手がふさがっていて変えられませんでした。だから「この幼稚園で何か困ったことはないですか?」とやつがしゃべったとき、「お前が来たことだよ!」って突っ込んでやりました。へへへ。
9月16日(水)ライオンを自称したバカもいた
ある新人議員が、以前風俗ライターだったとか、ホラー映画へヌード出演したとかで釈明しなきゃいけなくなっているようですが、いったい何が問題なのかさっぱりわかりません。その議員に負けそうになったバカでかい男なんて、サメの脳みそなのに行政府の長までやってたのですよ。問題とすべき過去があるとすれば、むしろそっちの方でしょう。あるいは、ついさっき、「道半ば」まで行政府の長をやってた未曾有男の罪が、なぜ問われないですむのか、まったく不可解です。なんだかんだ言って、マスゴミのみなさんはやっぱ自由で民主なのがお好きなんでしょうね。
9月17日(木)遂行的矛盾
せっかくなので、「マンモスごめんなさいぴー」とか言ってやればよかったのにって思いませんか? そんなことを言ったら、ふざけんなって糾弾されちゃうんでしょうか。しかし、どっかの党の総裁選への出馬を表明したやつなんて、じじいの代からの政治家で世襲制の象徴的存在なのに「○○党を新しく変える」なんて言ってて、こっちの方がよっぽどふざけんなじゃないですか。
9月18日(金)寛容の原理
もう9月も半ばを過ぎてしまい、明日からは連休だそうです。連休が明けると、9月にはもう1週間も残されていないわけです。まずい。このままでは、「ハーバーマスの思想 III」が、またしても「ハーバーマスの思想 I」と同じになってしまう。もっとも、「ハーバーマスの思想 II」が「ハーバーマスの思想 I」と同じだったのだから、つまり「I」と「II」が同じだったのだから、I+I=II=Iということになり、III=I+II=I+I=II=Iってことで、やっぱ「ハーバーマスの思想 III」が、またしても「ハーバーマスの思想 I」だとしても問題ないというか、むしろ違ったら問題じゃないかと思い始めています。まあ、しょうがないですよね。引越しもありましたしね。他にもいろんなことがありますし。寛容の精神というのは、リベラリズムの基本ですよ!
9月19日(土)ぎゃふん
連休一日目とのことですが、昼寝と銭湯だけ。暴走ができませんでした。痛みには、やばそげなものとつき合っていけます的なものがありますが、脚に前者の痛みがあって、暴走なんてとてもできません。せっかくの休みだというのに…。
9月20日(日)進化してんのか?
ミュータントたちは現在の人類よりも進化しているそうですが、しかしその総称が men とはどういうことなんでしょうねぇ。進化しているのなら、少なくともジェンダーなんてなくなっててほしいものですが、ひょっとしてなくなった結果 men って呼ばれるんでしょうか。人権宣言に対する批判とかって聞いたことないんでしょうかねぇ。ともかく、進化している割には毛むくじゃらすぎるし、怒るとあんなへんなものが手に生えてくるっていうのも、かなり退化しているように見えるのですが…。進化した結果、もう闘ったりしません、ってことにはならないのでしょうかねぇ。相手が銃器を取り出しても、言論に訴え、その言説があまりにも素晴らしく、相手が武器を捨て去ってしまうとか…。
9月21日(月)ダウト!
かつて10年以上非常勤としてお世話になった大学で、諸般の事情によりまたお世話になることになり、なんと、連休真っただ中の今日から秋学期が始まるので、さっそく授業に行ってきました。連休中だというのに、構内はちゃんとやってきた人たちでいっぱいでした。いったいいつからR大の学生のように真面目になってしまったのかとふと思いました。受講登録した学生の多くは、突如交代することとなった前任者の授業が受けたくて登録しており、「ごめんね、ごめんね〜」とは言いませんでしたが(なぜなら私の出身地は北関東ではなく、東京都だからです)、「ごめんなさい」は連発しておきました。その大学にはドラマに出てくるような明るさが充満していて、以前も、キャンパス内を歩きながら非常に申し訳ない気分がしたものですが、今日もいつ「ダウト!」と言われるか、びくびくしながら過ごしました。
9月22日(火)ダウト2
250万人の建設反対署名にもかかわらず作ってしまった空港の存続が、ある航空会社の再建案の一つとしてその空港を使用する路線の廃止が取り沙汰されるようになり、危ぶまれているそうです。ここで「ハハハー」などと書いても、読む人の量と質を考えれば炎上することはありえませんが、たんに下品なのでやめておきます。それにしても建設を推進した市長やらその取り巻きには何のお咎めもないのでしょうか。
9月23日(水)記念碑
あの建設中のダムは、ぜひ<こんな無駄遣いをしてました>的な記念碑として保存してはどうでしょう。保存のための工事をもう少ししなきゃいけないかもしれませんが、しかしダムそのものを作るよりかははるかに意味があるのではないでしょうか。ともかく、なぜあの大臣が平謝りなのか、わけがわかりません。あの大臣はイデオロギー的にまったく好きじゃないですが、しかし謝るべきなのは、ここまで無駄につき合わせてきた政治家たちじゃないのでしょうかねぇ(つき合ってきた人たちのことについては、まあ知りません)。
9月24日(木)ある伝統芸能について
驚くべきことに、さっき元力士が真顔で相撲の解説をしていました。真顔で取り口やら優勝予想やらをまことしやかに語っていました。元力士なんですから、相撲にはあれがあってそれがなにするってことくらい知ってるでしょうに、何を真顔で力説するのやら。優勝予想をするのなら、その背景としてこれこれこんななにがあるからねー、とか言ってくれないと、真に受けちゃう人もいるかもしれないじゃないですかねぇ。
そろそろやめちゃえばよろしいのではないでしょうか。
9月25日(金)あれが立派でしょうか
核兵器に限らず、世の中からすべての兵器がなくなればよいものを、と思っており、その結果軍需産業がぶっ倒れ、失業者がたくさん出たって知るものかと思いますが、しかしやはり、世界中でもっとも多くの核兵器を保有する国家の代表が「核不拡散という世界の原則を遵守せよ」と声高に正義を叫ぶと「ふざけんなよ」と思います。持ってない人たちに「持つな」と言うのであれば、それと同時に、あの人たちは数値目標がお好きなんですから、「われわれのはいついつまでに全廃します」とか言ってくれないと、まったく説得力をもたないと思うのですが…。今のままでは、秀吉と変わるところがないですよ。ということは、いずれあそこへ「征伐」へ行くことになる?
9月27日(日)本来的に思慮深い
今日は東京で研究会がふたつあり、研究熱心な私はどちらにも出席しました。ひとつの研究会では、カントの道徳論についての発表がありましたが、参加者はごく一部を除いて実存哲学の研究者たちで、まあご想像通り、質問もそれ系のものばかり。「カントは立派なことを言ってるけど、寝たきり老人とかはどうしてくれるんですか?」寝たきり老人には理性的な判断ができないと考えるところに、すでに実存哲学的差別意識が垣間見えたりもしましたが、まあそれは許してあげるとして、じゃあ実存哲学的には寝たきり老人についてどういうことが言えるのか、教えて欲しかったです(ホントはあの人たちが何を考えようとどうでもよいのですが)。
発表者が口を滑らせて、「病人は理性的存在者としては本来的な状態にはない」と言ったときに、「ほら、本来的とか言っちゃうでしょ」と突っ込みがありましたが、さすが、<本来性>の権威は領域を侵犯される限界状況には敏感なんだなぁと感心しました。嫌味ですけど。
9月28日(月)やっぱり世界のわんわん
やっぱりというか、核開発に関する情報を公開しないと軍事行動も辞さないとか言っちゃうんですよね。どうしてその軍事行動は正当だと言えるのか、考えたことがあるのでしょうか。おさるのジョージなら間違ってても、今のやつならそんなことはない、なんてはずがないでしょうに。要求がのめないなら爆撃するぞ、ってことを言うから、それならもっとかないと、って軍事力を備えるんじゃないのでしょうか。今までがさる並みにひどかったから、今度のはえらくまともに見えて、だからそいつの発言は支持できるんだなんて、絶対おかしいです。
9月29日(火)東京って何?
前々から思っていましたが、やはり東京都民はお金持ちかつ寛大ですよねぇ。あんなつまらない物書きがデンマークまで無駄に旅行する費用を賄っちゃうんですから。ところが、友愛の人まで行くとか行かないとか言っちゃってるんですよねぇ。そんなことに私の税金は使わないで欲しいのですが…。
そもそも、あの商業大会は都市が開催することになっているのに、どうして国政の長がのこのこ出向くのか、理解ができません。もちろん、国王やら大統領やらが行くところだって、わけがわかりません。いずれにしても、<東京>ってよくわからないですね。これって都道府県の名称じゃないですか。しかし他の3つは、シカゴもリオデジャネイロもマドリードも、全部「市」なわけで、一応、都市による開催という条件をクリアーできてるわけです。<東京>って何物なんでしょうか。
9月30日(水)あの頃はよかったのか???
この頃やたら70年代80年代のヒットソング特集とか、ドリフ名場面集とかばっか放送されてるような気がします。ひょっとして、これらをリアルタイムで観たり聴いたりした人たちがアイデンティティ・クライシスに陥っていて、そこを狙って放送されているのでしょうか。「あの頃はたしかによかった…」なんて思うのでしょうか。しかし「あの頃」って自民党政権なんですよねー。核だってこっそり持ち込まれていたんですよねー。セクハラ概念がなかったから、いまならそう断罪されるような露骨な言動だってまかり通っていたんですよねー。
10月1日(木)2学期開始
今日から2学期が始まり、1時間目から授業でした。ハーバーマスの演習は、1学期からの続きで、みなさんちゃんと予習をしてくれていて、大いに助かりました。1時間目に授業があると、早く寝ないといけないと思うのでなかなか眠れないのですが、昨日は夜中に目が覚めて、北村薫の短編を思い出したら、眠れなくなってしまいました。「微塵隠れのあっこちゃん」という話です。
授業の後、午後からは2つの会議を梯子しました。どちらでも、「言わなきゃよかった」と後悔するようなことを口にしてしまい、「言わなきゃよかった」と後悔しました。まあ、矛盾はしていませんが…。
10月2日(金)大量破壊兵器をもっとももっているのはだれだよ
イランが査察を受け入れることを聞いてほめてつかわすあの傲慢さはいったい何なのでしょうか。みなさんお忘れでしょうか、あの国家はありもしない大量破壊兵器の存在を口実に、他の国家を爆撃したんですよ。公然と人を殺したわけです。寡聞にして、その責任を取ったという話は聞いたことがありません。つまり、わんわんは決して自分の行為の責任は取らないということです。こんなに笑わせてくれる話はちょっとありません。匹敵するのは、偉い方たちがわざわざデンマークまで遊びに行くのに税金を使われちゃった人たちがいるって話くらいでしょうか。
10月3日(土)ぷち
今日は昼寝の寝入りばなに電話が鳴って起こされました。というわけで、ぷち昼寝になりました。脚がまだ痛いので暴走はできず、でもせっかくの土曜日なのでぷち暴走をしました。そして銭湯へ。スチーム・サウナに入っていると、いきなり運動を始めるじいさんがいて、しかも「ヒーヒー」「ハーハー」言ってます。何をそんなに追い込んでいるのやら…って感じでした。脱衣所では、「今年は3回も入院した」と話すじいさんが、「すーっと逝かせてほしい」と言ってました。「ごもっとも。でもそんなに甘くないんだよねー」と口に出したつもりはなかったのですが、ちょっと睨まれたような気がしました。ぷち声出てたのかなぁ。
10月4日(日)麗しき人倫について
<死者に鞭打たない>ことがこの共同体のどうしようもなくダメダメな人倫だということは知っていましたが、それにしても、なぜそんなに優秀な人だったのなら、あんな差別主義者を総裁にしておいたのか、ただただ不思議にしか思われないほどの絶賛のされようですね。テレ朝でオピニョン・リーダーを自負するあの人に至っては、「酒を飲むというのは(その人が)繊細だということなんです」と信じがたいことを言ってました。それじゃああれでしょうか、酒飲んで酔っぱらうと記憶がなくなると言いながらそのたびにセクハラを繰り返す教員は繊細なんでしょうか。酒飲んで道端でげろげろやってる方は繊細なんでしょうか。酒飲んでバカ騒ぎしているバカ学生は繊細なんでしょうか。
言うまでもありませんが、酒を飲むことと、その人が繊細であることとは、独立した二つの事象です。
10月5日(月)吉村について
この前、ksなんちゃらの吉村から、有料サイトをのぞいたのに入金してないぞ、金払わないと訴えるからな、という恐ろしげなメイルが届きました。連絡先として電話番号まで書いてあります。メアドはドコモ(これまでもそうでした)。電話番号とかメアドの取得って、いまどきそんなに簡単じゃないと思うのですが、これらの電話会社では、本人確認もそこそこに番号やらメアドやらをくれるのでしょうか。そうじゃないと、通報されたら一発で捕まっちゃうのではないかと思うのですが…。もちろん私はけちなので有料サイトをのぞいたりはしていませんし、金払わなくても訴えられる心配はありません。有料サイトをのぞいちゃってるみなさん、吉村には十分ご注意を!
10月6日(火)カウントダウン
ついに50000ヒットまで100を切りました。10000以外は、キリ番ゲットの方が名乗りをあげてくださらなかったので、すでに3つ分の記念品予算が積み立てられています。50000ゲットの方は、ぜひおっしゃってくださいね!
10月7日(水)台風クラブ(再)
大阪府下に「暴風警報」が発令されると、解除の時間によって、明日の1限目は休講になるのですが、最近の警報は大阪府大阪市に発令とか、細かいんですよねー。泉州だけに発令されても、大阪府下に発令されていることになるから、やっぱ休講になるんでしょうかねぇ。それはさておき、授業は休講になるとして、きょーじゅかいはどうなるんでしょうか。みなさん教育熱心だから、教員のMLでも授業のことにしか触れられていませんでしたが、つーことはふつーにきょーじゅかいはあるってことでしょうか。きっと、休講とは授業が休みになるということであって、出勤しなくてもよいということではない、休むなら休暇届けを出せ、とか言われるのでしょう。そりゃそうだけど、来れない人はどうするんでしょうかねぇ。まあ、知ったことじゃないですが・・・。
10月8日(木)へとへと
結局午前中だけ休講になったわけですが、午後はまず、暴風によって落下した浪高庭園の枯れ枝集めに勤しみました。会計係長がヴォランティアを募ったのですが、引越しのときに多大な迷惑をかけていたので、その罪滅ぼしというわけです。そしてきょーじゅかい。まさか1限目に休講になった分を取り戻されたわけじゃないでしょうが、なんと5時間以上も続きました。マイクをもって離さない人は、きっとご自分の発言はこの上もなく重要であるに違いないとお考えなんでしょう。そのお考えの90%以上は間違ってますが…。
そんな中、よそへ行かれる方が「もっと自由に研究がしたい」とおっしゃったのは、なかなか痛快でした。よくまあそんな言いにくいことをはっきりと、って意味で。きっと一部では顰蹙も買っているでしょうが…。
10月9日(金)どうぞこのまま
改修の間預けていた図書が戻ってきて、現在部屋のまん中に70箱以上の段ボールが積み上げられています。もうこのまま段ボールを開けることなく過ごそうかと思っています。扉を開けてもすぐにはその人が部屋にいるかどうかはわかりません。部屋の奥でこそこそしているわけです。なかなかいい感じです。もちろん、どっかのだれかとは違って、居室でセクハラするスペースもないので告発されるようなことはしなくてすみますし、その疑いをかけられることもありません。ソファにゆっくりとくつろぐこともできないので、いろんなたまり場になることもありません。やっぱ段ボールを開けるのはやめですよね!
10月10日(土)平和にしないと戦争するぞ!
自分の要求を受け入れないと軍事行動も辞さないと公言するようなやつのいったいどこが平和なのか、さっぱりわかりません。平和なんて所詮は力によるのだというギャグでしょうか。まあ、もともとダイナマイトなんか作ったやつの罪滅ぼしなんですから、大した期待は抱かない方がよいのでしょう。それにしても、あまりにももちあげすぎていると思うのは間違いでしょうか。
10月11日(日)被害者様だぞ!
性懲りもなく、またしてもオリンピック招致だそうですねー。今回のウリは、被ばくですよ。まさに「命がけの飛躍」ですか。平和の祭典なんだから平和をウリにして何が悪い、いや、唯一の被爆地こそ平和を語る資格があるのであって、この地で開かずして平和を問題にできますか、ってか。頭の悪そうな高校生くらいのやつが、オリンピックを開いて世界中の人がここへ来れば平和の重要さがわかるとかなんとか言ってましたが、もしそれが真実であるのなら、オリンピックなんてやらないで、国連か何かで加盟国の国民はすべてその地を訪問することを義務化すればよろしいではないですか。
長崎のひとりのばあさんが、オリンピックって競い合うことじゃないですか、でも平和って競い合わないってことですよね、とまっとうなことを言ってました。もう箱物一攫千金はやめましょうよ。
10月12日(月)半(反)休日
今日は全国的に体育の日だったようですが、非常勤先の大学は授業日だったので、1時間目からがんがんお仕事してしまいました。今日のような仕事ぶりを振り返ると、本務校の演習の授業は厳しすぎるかもしれません。まあ、それは高い評価の裏返しなんだとご理解ください。というわけで、今後も嫌味とか薄笑いとかが絶えないことだと思います。
せっかくの休日なので、がら空きの映画館でソン・ガンホの映画を観ました。カタカナで書かれているパンフでは、共演しているイ・ビョンホンの名前が出演者のトップに書かれていますが、フィルムそのものではソン・ガンホがトップでした。そりゃそうでしょう。うまさも存在感もケタ違いでしたから。同じ大根なら、やはり共演していた妙にすかしていないチョン・ウソンの方がよかったです。
10月13日(火)ぺらぺ〜ら
その地にほとんど住んでなかったことを非難されていた知事が、羽田ハブ化発言につけこんで、われこそはその地の代表者であるって感じで、例によってうすっぺらくしゃべっていました。あの空港を建設するにあたっては、話し合いを重ね、ひとつひとつ積み上げてきたのだそうです。知りませんでした。話し合いがあったんですねー。なのにどうして血が流れたんでしょうかねぇ。
10月14日(水)喜劇:女王による平和
ときどき「これはっ!」というようなものが放送される水曜洋画劇場ですが、今日はいまだに何やってんだよいい加減にしろ的な007でした。ずっと見ていると腹が立つので、途切れ途切れにしか見なかったのですが、なんとやつの目的は<平和>だそうです。驚きました。お前みたいなのがいない方がよっぽど平和だぞと思うのですが、これこそまさしく現実の描写たりえているのでしょう。それにしても、やつを殺そうとする面々の弱さってあまりにもひどすぎます。ターミネーター並みのやつを、だれか雇えばよいのになぁと思いますが、しかしイギリスの諜報部員ごときを抹殺するために、そんなにカネはかけられませんよねー。
カントは、戦争において、将来相互に信頼し合うことを不可能にするような事柄を禁じており、スパイがその例として挙げられています。007みたいなやつは、平和のために真っ先に抹殺されるべき存在なわけです。こんな映画を臆面もなく作ってしまうメンタリティは、アラブ人が核武装しようとしたら武力行使するぞと脅かすメンタリティや、そんなやつに平和賞(まあ、大した賞でもないですが)を授与するメンタリティと同じではないでしょうか。
10月15日(木)それは何といってもやはり翻訳だからである。
翻訳の仕事をしていると、自分の作った訳文がいかにも翻訳文で、うんざりすることがあります。自分で作文するのなら、少なくともこんなごつごつした文は書かないのに…、と思うわけです。しかし翻訳文の場合、それが翻訳であるということは読み手にもわかっているわけですから、少々ごつごつしていても構わないのではないか、むしろその方が翻訳らしくてよかったりするのではないか、と思わないこともないのではありますが。
それがこの前、北村薫によるクイーンの翻訳を読み、北村薫でさえこんな変な文になっちゃうのかと驚くとともに、ちょっと安心しました。できるだけ読みやすい翻訳文を作る努力はしても、それには限界があるってことなんでしょう。
10月16日(金)なんだかほとんど意味不明な事柄について
教育を支援する係になっている関係から、「高度教養教育」というなんだかほとんど意味不明な事柄だけれど、全学的にというか本部的にというか、あるいは諸般の事情によりというか、ともかく推進されているらしい事柄について文章を書かなければいけないことになって、「否定的なことでも構わないですから」と室長におっしゃっていただいたので、否定的なことだけを書きました。たぶん、ボツだと思います。
「一定の専門的知識を身につけ、(職業人あるいは研究者として)社会にまもなく出て行く学生」が、「専門教育以外に必要とされる知識や能力」を獲得することが、このなんだかほとんど意味不明な事柄の目的だそうですが、私は、大学において単位を取得するという形でこうしたものが獲得できるようになるとはまったく思っていません。それは、従来の一般教育科目が「パンキョー」と呼ばれるようなものと成り下がった歴史を踏まえれば明らかです。専門教育以外の知識や能力が必要だと考える学生は、自主的に(単位とは無関係に)授業に出るでしょうし、わざわざこんななんだかほとんど意味不明な制度を設ける必要性が理解できません。
ある種の研究者が生き残るためにではなく、学生のために、こんななんだかほとんど意味不明な制度が必要なんでしょうか。
10月20日(火)わくわく
先週の土曜日と日曜日に金沢で関西哲学会の大会があり、現在事務局を担当しているため(←ここ重要)、土曜日の朝から日曜日の夜まで出張でした。大会ではいろいろと面白いこともありましたが、いろいろ書くと、いろいろさし障りもあるので、いろいろ書くことは控えます。そして昨日は1時間目から他大学にて仕事があり、午後からは本務校にて仕事。今日は朝からわんわんと対決した後、吹田で会議。夕方に基礎セミナーがありました。まだ大会の事後処理のようなものに一切手をつけておらず、それで明日一日がつぶれるのかと思うと、わくわくしちゃいま〜す。
10月21日(水)ぐったり
事後処理は2時間で終わると思っていたのに、5時間かけても結局終わらずでした。どうしてこう、もっとてきぱきやれないのかと思います。おまけにこんなときに限って、インクがなくなったりするわけです。しかも生協が閉店間際の時刻に。ドイツなら、絶対に入店できないくらいの時刻に、余裕で入店できて、しかしこんなときに限って目当てのインクは品切れだったりするんじゃないかと思っていたら、そこまで世界は意地悪じゃなくて、よかったです。いや、よかったのでしょうか。インクを買えてしまったため、仕事を続けてしまったのですから。それにしても、大会開催のために補助金を申請する書類づくりほど虚しい作業はありません…。
10月22日(木)やつらについて
この前会ったわんわんに、「スピード違反の取り締まりをして事故が減ると思いますか?」と尋ねたら、「減る」と自信満々に答えるので、「でもその証明はできないでしょ?」とさらに尋ねたら、「証明できる」とさらに自信満々に答えます。「スピードの出し過ぎで事故が起きることはデータが示している」と。「???」。あのぉ、それってスピード違反の取り締まりをして事故が減ることの証明にはなっていないんすけど???だから懇切丁寧に、小学生でもわかるように、取り締まりをして事故が減ることを証明しようとするのなら、取り締まりをしたときとしなかったときの事故の発生率を比較しなきゃいけないじゃないですか、と教えて差し上げたのですが、「道交法で制限速度を守ることは決められている。免許証をもつかぎり、ルールは守ってもらわないと」と、勝手に突っ走るわけです。
やつらはホントにバカなのか、それともバカのふりをしているだけなのか、どっちなんでしょうか。
10月23日(金)おかしなことについて
ネット上で「暗殺する」と書いたり、「ブッ殺す」と書いたりすると、脅迫容疑で逮捕されたり、書類送検されたりするのに、「死刑じゃなきゃ自分が殺す」と公共の電波を使って宣言した人は、これほど殺意が明白なのに、逮捕されないどころか立派な人として本まで出されちゃうって、おかしくないでしょうか。あっ、ひょっとして殺人念力も処罰の対象なんでしょうか。やばす。死刑制度には反対してるのにぃ。やっぱおかしい。
10月25日(日)ちょっと上品
ずっと忙しかったので、しょうがない、いつものように特急に乗ってハーフのレースへ行ってきました。しかし、いつもの下品さとは程遠く、5位になるのがやっとでした。もともと根性がないので、しんどくなるとすぐにやめたくなるのですが、今日は腹痛に見舞われて、最後の5キロくらいはずっと惰性のまま両脚を動かしてるって感じでした。どうもおっさん特有の走り方というのができません。おっさんにはスピードがないので、前半はひーひー言いながらのろのろ走っています。しかし長年走りこんでいるため、異常なほどにスタミナがあり、後半はそのひーひーのまま、そしてのろのろのペースを落とすことなく、したがって相対的には「速く」走ることができるのです。パーソナリティの問題か、あるいはイデオロギーの問題か、私にはそういうちまちまこつこつができない…。ちょっと当分研究に専念しよっかな。
10月26日(月)自分、頭、大事ですから
なんか最近やたらうろうろしてますよねぇ、赤色灯つけたのが。そして昨日も、その赤色灯のついたやつが普通の車にバスのロータリーへ入って停車するように拡声器で命令し、中から運転中も大事な頭を守るためにヘルメットしたわんが出てきて、運転席のウィンドウごしに何か言ってました。運転者が突然ピストルを取り出したらびっくりするだろうなぁ、そしてわんを撃ち殺したりしたら面白いよなぁ、などとそのとき思った人がいたそうですが、たとえばそこで「撃ち殺せ」コールなんてしたら逮捕されちゃうかも知れないんだよなぁと思い、あることを思いついたそうです。これからは、「自然死しろ」って唱えればよいのだと。「自然死」なんだからどーしようもないですよ。
それにしても、だったらシュガーなんて、むかし「くたばっちまえ」って歌ってましたよ。
10月27日(火)暗澹たる思い
「心を休めたいという方には、不向き」だと著者である北村薫自らが目次の前にわざわざ断り書きをするミステリを読んで、別に心を休めたいわけではありませんでしたが、暗澹たる気持ちになりました。私は人間があまっちょろいのか、いくらなんでもそんなことまでするような者はいないだろうと思ってしまうのですが、しかし現実にはいるのかもしれません。あんな悪意の持ち主がいったいどうやって生きていけるものかと思ってしまうのですが、実際にはなんてこともなく生きていけたりするのでしょう。まあそんなものでしょう、などといったような悟りきった境地にはなれないので、ただただ苦しいですねぇ。
10月28日(水)あずき色も無料化したらどうよ
高速道路を無料化すると鉄道会社の収益がガタ減りすると言われていますが…、次のようなシナリオがあるので大丈夫ではないでしょうか。
高速道路無料化→利用者が増える→取り締まりによって事故が減ることを実証できると考えるアホが、小遣い稼ぎのため頻繁に出没する→あんなやつらに小遣いをくれてやるくらいなら、鉄道を利用する
心配している鉄道会社関係者(ただし、阪急電車は除く)にそっと教えてあげたいくらいです。
10月29日(木)フィクションですよ!
フィクションとしてですが、自分の望みが叶うというふうに騙されていたとして、騙されていた以上、騙されていることには気がついていなかったわけですから(「ホントはうすうす気づいていたかもしれない」とかいったふうな、よく言われるでたらめはなしです。もしそんなことがあったとすれば、それは「騙されていた」とは言えない状況ですから)、かりにそのまま突然、予告されることもなく、場合によってはいつの間にやら眠り込んでしまった末に死んでしまうことになったとしても、本人的には不幸じゃないんじゃないかと思いますが、違うでしょうか。少なくとも、騙されていたことを教えてもらっちゃったりするよりかは、はるかに幸福なんじゃないかと思うのですが…。
「本当の幸福っていうのはそういうもんじゃない」とかって幸福の専門家は言うかもしれませんが、幸か不幸か、私は幸福愛好家じゃないので、実のところよくわかりません。
10月30日(金)ベスト・アンサー
「沖縄ばかりに負担を押しつけない」ために、かっこうの代替地がありますよね。そこの住民はお金持ちだし非常に寛大。そしてそこの知事は戦うのが大好きなマッチョ。どうでしょう。<民族の祭典>を誘致しようとしてたくらいなんだから、オッケーなのでは???
11月1日(日)『空気人形』
是枝監督の標題作品を観ました。ネット上での評判もよかったし、何といっても是枝作品なので、上映開始時刻30分前にはチケット売り場へ行かないと最前列しか残っていないとかいうひどい目に遭うことが予想されたのですが、行列に並び始めのがすでに20分前くらいでした。座席の希望を訊かれ、もう空いてないだろなぁと思いつつ、出入口とは反対の通路側の席を希望したら、なんと「今なら全列空いています」と。驚くべきことに、あれほどの心配をよそに、観客は10名にも届きませんでした…。
いろいろポイントはあると思いましたが、ひとつだけ言うとすれば、まあ身につまされるというところでしょうか。うちにはああいった人形はいないし、今後もおそらくわざわざ人形の世話なんて面倒なことはしないだろうと思いますけどね…。
11月3日(火)特急+レース
先週の土曜日に東京で研究会があり、得るところがたくさんありました。明日は朝から本部でお仕事が待っています。そんなわけで、昨日は振替休暇をとり、寒波襲来にもかかわらず特急に乗り、性懲りもなく今日はハーフのレースに出ました。昨日ほどではなかったにせよ、かなりの北風が吹いており、気温も5℃で、コースの設定上、往路はほぼ向かい風なので、前半は無理せずに我慢してちんたら走り、後半爆発するというおっさんのような走り方を目指しました。そして、おっさんたるものやはりおっさんのように走るべきなのか、全体では5位、年代別では当然優勝しましたー。これからはおっさんらしくしようかと思いましたが、そんなアイデンティティ・ポリティクスはいけないので、これからはじいさんもしくはおねえさんのように走ろうかと思います。
11月4日(水)仕方がない
今日は文学部全体の専修ガイダンスの後、午後から哲学・思想文化学だけでガイダンスを行いました。予想に反して11名もの方がいらっしゃいました。率直と言うか、辛辣と言うか、怖いもの知らずと言うか、「自分の研究に胸をはれますか?」「情熱をもてますか?」と訊かれてしまいました。以前、FD研修で、新調した服がチョークで汚れるのも気にせずに板書をし続ける教師の姿に、学生は「本物」を見るものだ、とおっしゃる方がいらっしゃって、学生をなめすぎじゃないのかと書いたことがありますが、そのときはそんなことを言ってしまう人のことも頭が悪いと思ったわけです。しかしどうやら、時代はいまだに、上のようなレトリックが有効な実感主義が支配的なんですね。
ほかのスタッフのことはわかりませんが、少なくとも私は、自分の研究に対して胸をはったりはできませんし、情熱的になんてならず、できるかぎり冷静でありたいと考えています。そもそも、そんなことができたりしても、×××××の研究者だったりしたら、よくても無意味、たいていは有害ですよね。言うまでもなく、重要なのは何を語り何を書くかであって、作者の心構えなんかじゃないです。
11月5日(木)見えないはずが・・・
昨日、テレ東がまたしても『インビジブル』を放送していたので、またしても見えないはずなのに観てしまいました。それにしても、透明になってヤツがしたことと言えば、基本的にはエロに関係することばっかだったと思うのですが、それはひょっとしてこちらがそこしか観てなかったからかもしれません。事の真相はインビジブル。ともかく、ヤツもたしかに悪いかもしれませんが、そのほかの自然科学者もさすが自然科学者って感じですよね。
11月7日(土)ただの風邪ではない
30年以上使ってきた冷蔵庫が壊れてしまいました。ひょっとするとずっと前から壊れていたのかもしれませんが、ともかく最近気がつきました。そしてこういうのはどういうわけか立て続けに起こるので、次は洗濯機か、それともPCかと思いきや、なんとそれらの持ち主にやってきました。そんなわけで、昨日の朝から吐き気がして、熱も徐々に上がり始め、夕方、医者へ行く頃には38℃近くになってました。寝ていても身体がだる痛く、「これはただの風邪ではない」と思いました。ネット情報によれば、ヤツの場合、その場で即隔離だそうです。医者へ行く前にお泊まりセットを用意すべきでした…。
やはりただの風邪ではありませんでした。そこで最初の話に戻ります。やはり連鎖でした。どうやら胃腸炎、平たく言えば食あたりだそうです。きっと冷蔵されずにダメになっていたものを食べたのでしょう。そう言えば、昨日に限らず、ここ1週間か10日くらいの間に、何度か胃がむかむかすることがありました。それはたんにムカつくことがあったから、というだけのことではなかったようです。インフルに比べればはるかにましなのでしょうが、しかし食あたりもなかなかのものです。ただ寝てるのが辛くて仕方ありませんから。
なぜそんなものを食べても気がつかなかったのかって? はいはい、私はどうせコショウ大好きな味音痴ですよ。
11月9日(月)にせトラ基地め
こども店長って、いったい何者なんでしょうか。あんなのが出ると、あの商品の売り上げが増したりするんでしょうか。「こどもでもわかる理屈です」って言いたいんでしょうか。しかしそんな理屈に乗っかって(乗り物だけに)、買っちゃう人がいるだろう、とはずいぶんなめられたものです。そもそも、阪神ファンだとか言ってるそうですが、そういうところが、いかにもこどもらしい打算が働いていて、いやらしいことこのうえないですね。どうせ○○○のCMなんかに出てるんですから、堂々と、「ジャイアンツが好きです。悪いか、貧乏人どもよ」とかって言ったらどうなんでしょう。
11月10日(火)なにがなになので・・・
市民による110番通報があって、逮捕に至ったそうです。やるなぁ。立派だなぁ。善良な市民だなぁ。やっぱこうじゃなきゃいけませんよねー、市民たるもの。あんまり書くと、なにがなになのでやめておきます。それにしても、そんなに大きな事件なのでしょうかねぇ。やっぱ被害者がなにでなにだから、いろいろあって、なにするのでは…。あんまり書くと、なにがなになのでやめておきます。
北朝鮮と韓国の間で銃撃戦があったことの方が、はるかに重要な問題だと思います。
11月11日(水)ばかばかしいことについて
どうしてこうなんでしょうかねぇ。『倫理21』でも批判されていましたが、なぜいまだに親が出てきて記者会見しなきゃならないんでしょうか。だったらあれでしょうか、70歳のじいさんが訪問看護師にセクハラしたら、95歳のその親が「若気の至りとはいえ、どうもすみませんでしたじゃ。これからは人のみちをはずさぬ、立派な大人になるように、育て直しますじゃ」とか、記者会見で言わないといけないのでしょうか。まったくバカげたことです。
そしてあちらの親は「殺人者の親の気持ちはわかる」とか何とかおっしゃって、寛大なお気持ちをお示しの(つもりの)ようです。そりゃわかるでしょう、なにせアフガニスタンやイラクで正々堂々と人殺しをしてきたわけですからね。しかし間違っちゃいけません、容疑はまだ死体遺棄であって殺人じゃありませんから。
私の興味は、死体遺棄容疑で逮捕された人に対して、どのような形で殺人の捜査を始めることができるのか、という点にあります。きっと、死体遺棄容疑に関する取り調べの中で容疑者が「殺人」を口にしたから、というもっともらしい報道がなされると思いますが、だれが問われてもいないことをべらべらとしゃべるんでしょうかねぇ。しかしそれをわんから問うことは違法ですよ。
11月12日(木)つかれました
今日は午後から本部へ行って、偉い方々との懇談会というのがありました。教育の将来像とかいうことがテーマでしたが、ただでさえ教育について語るなんて傲慢なことはとてもできないと思っているのに、「新入生が居場所を見つけられるようにするにはどうすればよいか」なんて話になっちゃうと、「居場所が見つからないなんて、そんな自由を享受できるのは大学生の間くらいだよ」と考えてしまい、ますますしゃべることができませんでした。だったら、ずっとしゃべらなきゃよかったのですが、ついつい「デザイン力」について思うところを口にしてしまい、偉い方から「そういうことを言うのはおよしなさい」と窘められてしまいました。そうですよね、コミュニケーション状況においては対等だなんていうのは、ドイツののーてんきなじいさんが言ってるだけのことで、現実には窘める側と窘められる側という、わきまえるべき分というものがあるのですよね。
まともな反論はなされた気がしませんし、自分の言ったことはそれほどでたらめなわけではないと思っていますが、しかし主張するとひたすら虚しく、ただただやめときゃよかったとしか思えません。もう主張なんかしない人になりたいです。
11月13日(金)人間を語りますか
取り調べの全面可視化に反対する元検事とかいうのが、「人間というのはみんなの前ではなかなか本当のことは言えないものだ。だから、撮影なんかしたら、真相究明が行われにくくなる」と、言ってました。さすが元検事ともなると、人間を語っちゃうのかと思いますが、みんなの前だとなかなか本当のことが言えないのなら、なぜわんころの前だと本当のことを言えちゃうのか、不思議じゃないんでしょうかねぇ。
真相究明なんて、冤罪が生み出されることを考えれば、どうでもよいことです。冤罪ができるかぎり防止されることの方が、重要に決まっています。
11月14日(土)あやしいわんわんこそこそ
久しぶりに昼寝→暴走→銭湯と、土曜日の正しい過ごし方を終え、気持ちよく帰ろうと信号待ちをしていたら、半町の交差点のガソリンスタンドの裏というか物陰というか、要するにこそこそと暗がりに、大阪わんわんという文字の書かれたボックスを備えつけたバイクの横で、ヘルメットをかぶりマスクをかけて二本足で突っ立っているだれがどう見てもあやしいヤツがいました。「そこのヘルメットをかぶりマスクをしたヤツ、どう見てもあやしいぞ!」と言ってやったのですが、言語は通じなかったかもしれません。あんなところであんなかっこうでこそこそしているヤツはあやしいので、通報してやろうかとも思ったのですが、しかしわんわんボックスなんかにあやしいヤツをちくるほど、私は善良な市民ではないことにはたと気がついたので、やめておきました。
それにしても、最近明らかに、そこらじゅうに出没していませんか。ひょっとして、民主党政権になって危機意識が働いているのでしょうか。民主党があいつらを半減にでもしてくれるのなら、それだけで個人献金しちゃってもいいくらいです。
11月15日(日)邦題の意味が不明
そんなわけで昨日はかげでこそこそするいやなものを見たせいで、気分直しにレイトショーで『スペル』を観ました。しかし当然のように、気分直しだというのに、気分が直らないわけです。サム・ライミなんかに期待する方が間違っていました。だって平気で『スパイダーマン』撮っちゃうような人なんですからね。しかも3本も。ホラーのつもりなのか、ギャグのつもりなのか、しかしどっちも中途半端で、たんなる悪ふざけって感じです。ユングがオカルトだという主張は正しすぎるほど正しいと思いますが、しかしそんなことわざわざ言われなくたって、みんな知ってるんじゃないんですかねぇ。
11月16日(月)パラディース・ウニ
今日は1時間目から他大学にて授業でしたが、さすがキリスト教の大学だけあって、まるで天国にいるかのごとくでした。1時間目に、だれも来ないのですよ。元々5人のクラスですが、5人とも揃ったのは1回きりで、ここ数回は3人とか2人とかで、先週、「まさか来週は0だったりしないよね」とか言ってたら、予言の自己実現ってわけです。40分ほど待ってから、図書館へ行き、探していた本を見つけて借りましたが、図書館がまた天国です。探している本はたいてい貸し出されていませんし、本務校なら書庫とかに隠しておく貴重本なんかも開架図書として借りやすくなってるのです。そして学生は、嫌味を言われても「金持ち喧嘩せず」って感じで、教員に言いたい放題にさせていますしね〜。しかしまさか、テストができなかったら落とされるとか、思ってないかも…。
11月17日(火)同盟関係とは
いったいいつから、「日米同盟」なんて言葉が普通に用いられるようになってしまったのでしょうか。同盟関係というのは、集団的自衛権をもつ関係であり、しかしそれをもつためには憲法改正が必要であるから、それより前に集団的自衛権はもてず、したがって同盟関係にもない、ということが以前は言われていたはずです。この間、憲法が改正されたという話は聞きませんから、状況は以前と変わっていないはずなのですが、以前なら保守派の政治家なり政治評論家だけが使っていた言葉が、ニュースにおいてさえ使われるようになっているのです。いつか、日米は同盟関係にあるのだから、集団的自衛権ももたないと、という本末転倒が起きやしないか心配です。
11月18日(水)正常位は正常か???
ある容疑者のセクシュアリティが事細かに報じられているそうですが(実はそう聞いただけなんですが)、言うまでもなく、どのようなセクシュアリティをもっているかということと、犯罪が行われたかどうかということとは、2つの独立した事柄です。それにしても、なぜことさらセクシュアリティについては「正常さ」が求められるのでしょうか。ヘテロであることやモノであることが正常だと思い込んでいる様は、非凡なまでに凡庸ですよね。
11月20日(金)とほほ
昨日はユネスコが定めた世界哲学の日でした。となれば、何か催し物をしないわけにはいきません。そんなわけで、記念講演会を開催したところ、たくさんの方にご参加いただき、感謝感激雨あられでした。言い回しが古くて恐縮です。それにしても、ご参加いただいた方々のうち、哲学・思想文化学専修/哲学哲学史専門分野/現代思想文化学専門分野のいずれかに所属する学生が、なんとおひとりしかいなかったとは、まったくもってとほほでした。
11月24日(火)いろいろありました
先週の土曜日は、ボルゲーゼ美術館展などへ行き、翌朝が早いのでその地に泊まろうと思いきや、何が悲しいのかその時期、しかも連休中だというのにそこらじゅうからわんさか人が集まり、宿泊施設は「満」だったので、名古屋まで出て一泊しました。日曜は、フィヒテ協会の大会があり、朝からシンポジウムまで、ずっと参加してしまいました。相変わらず、「絶対者」とか「生」とか、くらくらするような単語がフツーに飛び交って辛いときもありましたが、そうじゃないまともな人用の単語が使われるときもあったので、非常に有意義でした。昨日は休みだったので、祝日なのに授業日だという人たちをしり目に、玉ねぎが名産品というびっくりするようなところへ温泉旅行に行きました。お年を召した方たちが9割がたでしたが、朝のバイキング会場で、咳が止まらないじいさまがそれでも皿に盛りつけをしている様は、まるで「死んでも死にきれん」と言わんばかりで、ただただ笑いを堪えるのに必死でした。そして今日は、エルベルさんの英語によるレクチャー。エリート文化とポピュラー文化のギャップがなぜ生まれたのか、というようなお話を聴きました。経済学的視点には触れられませんでしたが、やっぱご法度なんでしょうか。
11月25日(水)むかつきポイント
2学期から、共通教育で「基礎セミナー」というのを開講しています。最初の締切りで2名しか登録がなかったので、「不開講」を通知しようとしたところ、「多様な教育の可能性云々」というような立派なことを言われてしまい、とりあえず追加募集をかけつつ1回目だけでも授業をするように命じられました。結局2回目に2名、そして3回目にさらに1名がやってきて、合計5名になり、しかもみんな熱心に発言をするので、それはそれで充実した時間を過ごすことができています。
ところが昨日、この基礎セミナーを受けさせてくださいという学生がやってきました。てっきり、楽しい議論の時間を過ごせるという噂を耳にしてやってきたのかと思いきや、要するに、4年生で卒業のための単位が必要だという他学部のとんでも学生だったのです。当該学部の授業は受講を拒否され、こちらへやってきたのです。ひょっとすると、「多様な教育の可能性云々」という立派なことをおっしゃった人が、この基礎セミナーなら人数的に余裕もあるし、いけるんじゃないか、とかアドヴァイスしたんじゃないだろうかと思うと、腹が立つやらむかつくやら。
ご本人は、やたら「頑張ります」を連発していましたが、頑張ったってダメ、できなきゃ落ちるのが大学ですよ、とちゃんと教えてあげるべきでした。そもそもこんな11月の末になってから授業に参加して、それで単位を取得したりしたら、申し訳ないと思わないのでしょうかねぇ。どうせその程度のことしかやってないだろ、ってことなんでしょうか。私は結構でたらめな生き方をしていますが、しかしこの手のでたらめさには我慢がならないんですよ。
少なくとも来年度のシラバスには、卒業に必要な単位を取得したいだけのバカ学生は受講お断りって書いてやります。きっと、また削除されるんでしょうけど…。
11月26日(木)むかつきポイント 2
今日は箕面キャンパスで外国語学部の学生に対する文系大学院説明会なるものがあり、元大阪外(そと)大へ行ってきました。2週間前の本部でのくだんない懇談会と同様に、今回も開催は午後からだったので、2回連続で親愛なるきょーじゅ会に出席できませんでした。残念この上ない。
時間が限られているので、各研究科は10分程度で自己アピールをし、その後は研究科ごとに個別の質問を受けつけるという話になっていたのに、マイクをもったら離さない系の方が半数を占め、ひと眠りしてもまだぐだぐだしゃべっているという状況が1時間以上も続きました。普段もあんなまとまりのないだらだらしたしゃべり方をしているのであれば、きっとあの方たちの研究科の院生は忍耐力を養ってもらえていることでしょう。まあそれしか身につかないわけですが…。えっ、お前もそうだろっ、ですか。すみません。ただし、私はカント屋なので時間は守りますから。
11月27日(金)突っ込みポイント 1
昨日はさらに、セクシュアル・ハラスメント防止のための教員研修会がありました。きょーじゅ会には間に合いませんでしたが、性差別問題委員会委員の私は見事に、こっちの会には間に合ってしまいました。昨年もそうでしたが、哲学・思想文化学専修の専任スタッフは全員出席でした。
講演は、きわめて基本的なお話に尽きていたように思います。いまどき、机の上にヌード写真をこれ見よがしにおいておいたりするものなのかと思わなくもありませんでしたが、そういうのはセクハラですよ、と教えてくださったわけです。まあ、啓発運動としてはよしとしても、理論のレヴェルではとても維持できない話じゃないかと思うところもありました。
たとえば、セクシュアル・ハラスメントは権力関係によって引き起こされるが、では権力関係とは具体的にはどこに成立しているかと言うと、まっ先にあげられたのが男性と女性の間とのことでした。他方、権力関係の成立しているところにおいては、恋愛関係は成立しない、ということも言われていました。このふたつのことから論理的に帰結するのは、恋愛関係というものは、ホモ・セクシュアルとしてしかありえない、ということだと思います。
ある種の運動家たちがそうした見解をもっていることは知っていますが、昨日の講演者もそうした見解をおもちだったのでしょうか。もしそうだとすると、講演会に出席していた婚姻関係を結んでいる人たちに、あなたたちが夜な夜な(に限らず)なさっていることはレイプなんですよ、って言って欲しかったです。
11月28日(土)突っ込みポイント 2
言わなきゃいけないのは、男性と女性、教員と学生の間にはそれぞれ権力関係があるので、弱い者は声もあげられなければ自己決定権も行使できない、ということなんでしょうか。そういう状況がまったくないとは言えないだろうとは思います。しかしそういう状況しかないとも言えないでしょうし、女性はつねに弱くて声もあげられず自己決定もできないなんて言い方そのものが、場合によってはセクシュアル・ハラスメントじゃないかと思います。
最近多発している例として、教員が学生と恋愛関係にあると妄想した結果ハラスメントを起こす、というものが強調されていました。講演を聞いた印象では、そうした関係は絶対にあり得ないのであってすべて妄想なんだ、って感じでしたが、それが事の真相なんでしょうか。どうして、初めは恋愛関係にあることもあるけど、うまくいかなくなったときに、訴えられる可能性があって、その場合には、初めに恋愛関係にあったなんてことはまったく考慮されることなく処罰されるかもしれませんよ、って注意の仕方じゃいけないんでしょうか。それだと無垢なはずの学生が無垢じゃなくなり、打算なんてしないはずの学生が打算するってことになって都合が悪いからでしょうか。無垢で打算しない人なんて、ある意味では恐ろしいし、そういうことを要求する発想って、そもそも純潔思想じゃないでしょうか。
11月29日(日)善良な人たちを笑いものにするとは・・・
やるなぁ、豊中市は。普通、市の発行する広報誌なんてつまらないに決まっているのに、12月のは表紙にも裏表紙にもある団体を載せて笑わせようとしているのです。裏表紙の見出しには、「犬の散歩途中に、わがまちパトロール」とあります。その下に「犬の散歩をしながら、不審者や不審な車がいないか気を配る。…」と説明文が続きます。もう笑わせようとしているとしか思えません。こんな善良な人たちをネタにして笑いをとるなんて…。きわめつけは、このボランティア・グループの名称です。「わんわんパトロール隊」。いったい何の陰謀なんでしょうか。ひょっとして、呼吸ができなくなるほど笑わせて殺すとか、腹をよじれさせて腸捻転で殺すとか、狙っているのでしょうか。とにかく面白すぎます。
11月30日(月)言えないことについては沈黙しますか
ある事柄について、とてもまともとは思えないことを言う人がいるのですが、それがなぜおかしいのかを伝えても、とても理解されそうになく、逆にこちらが反動的に見えるのだろうなぁと思うと、もう何がどうなろうと構わないかって気になってきます。そんなことじゃいけないとは思うものの、めんどーですからねー。
12月1日(火)もの忘れ
この頃どうも物忘れがひどすぎます。ひどすぐると言ってもよいくらいです。大切な書類だからなくさないように取り分けておこうと思ったところまでは覚えているのですが、どこに取り分けたか覚えていないわけです。そして取り分けておいたとは思えないようなところから、突如としてそいつは姿を現すというシナリオ。そんなことがここのところ連続しています。あるいは、単純にどこかに物を置き忘れるという症状。固有名や一般名や動詞を忘れたりするのはもうずっと前からですが、いまの感じだとちょっと日常生活に支障をきたすのではないかと危惧されます。まあ、そんなことも忘れてしまえばなんてことはないのですが、どういうわけか、こうした失策行為については覚えているのです。ひどすぐる。
12月2日(水)実は今日も、忘れたことが・・・
死刑判決が出ました。<被告の発言は変遷しており信用できない>と裁判長殿は言うのですが、だったら、<自殺しようとした>という最初の言葉をどうして信用できるのか、わからないです。例によって<何の落ち度もない人の命を奪った>と、レトリックたっぷりな言葉づかいをするわけですが、じゃあ、何らかの落ち度がある人なら命を奪ってもよいと言うつもりなのでしょうか。もしそんなことを言うつもりはないとすれば(あるとすれば、それはそれで面白いけど、裁判長殿は裁判長殿ではいられなくなるでしょう)、<何の落ち度もない人>云々という発言は不必要でしょう。
<夢のある人の命を奪ったのだから、死刑は当然だ>とおっしゃっていた人もいましたが、なぜ夢のある人の命を奪うと死刑が当然であるのか、私にはわかりません。しかしこの手の発言に対してその理由を問うと、<だってそれだけのことをしたんだから>というわけのわからない返答が、まま返ってきます。<それだけのこと>って、死刑に値することって意味だと思うのですが、だったら元の発言は<死刑に値するから、死刑は当然だ>と言ってるだけのことになります。相変わらず、なぜ死刑に値するのか、説明してくれていないわけです。
12月3日(木)ううう
夜中にトイレに起きて、寝床に戻った時に「あと3時間くらい眠れる」と思い、ふと気がつきました。アラームのセットを忘れていました。ちょっと落ち込みつつも、セットして眠りました。そしたら今度は、授業前に教卓へ行って、学生に指摘されて気がつきました。授業の準備を忘れていました。「どうしよう」とパニックに陥りそうになったところで、目が覚めました。まったくどうなっているのでしょうか。忘れようがあまりにもひどすぎます。ひどすぎしんさくと言ってもよいほどです。
私の周囲の研究者として優秀な人たちはもの忘れが常態なので、私もそれにちょっとは近づいているのだと思えば気は楽なのですが、しかし私の場合はデフォルトではなくカスタマイズなので、たんにもの忘れがひどくなっていくだけって可能性を排除できません。ううう。
12月4日(金)本日の失策行為
あんまり大したことではありませんでした。風呂の蛇口というか、あの丸いヤツを、向こう側に回すとシャワーが出て、手前側に回すと下に水が出ます。この季節、温度を40℃に設定していても、最初は冷水が出るわけです。だからまずはあれを手前側に回して、温水が出るようになったらシャワーに切り替えて使用するというのが、ルーティンの使用方法です。もうおわかりですね。ひゃっけー(八王子弁)のを浴びました。なんでそんな間違いをしたのか、さっぱりわかりません。「ひゃっけー」なんて、懐かしい言葉は憶えているというのに…。(そして今、「憶えているといるというのに…」と、書いていました)。
12月5日(土)つまんない話
今日は午前中にプチ暴走して、午後からは研究会に出て、千里中央での懇親会も終わり、モノレールに乗って帰ってきて、「今日は何もやらかさなかった〜」と自宅に入ろうとして、取り出したのは何と、モノレールに乗るためのカードでした。「ピッ」って、一体どこにかざすんだよ、と思い直し、次に取り出したのがケータイだったときには、ちょっと愕然としました。これって、ミニコントとしても全然面白くないんですが、まあ現実なのでしょうがないです。
12月6日(日)お金持ちの話
お金持ちの話。使いもしない空港を造り、ホームレスには住民票を与えないけど鉄の塊には住民票を出し(しかも、いついつまではダウンロードもできますよ、ってだれか辱しめ以外の目的でダウンロードなんてするんだろうか)、資金難だと言われつつ、せいぜい主観的な普遍性しかもたない美しさのためにイルミネーションを披露する。さーすが。
12月8日(火)さっぱりわからない
この前のセクシュアル・ハラスメントの研修会では、「そんなつもりじゃありませんでした」って言い訳は通用しません、ってことを説明するために、熊が人間を襲ったときに熊が「そんなつもりじゃありませんでした」って言っても聞き入れてもらえず銃殺されますよね、って例が挙げられました。これって、見事な例示だと思います。もちろん、発表者を肯定する意味で「見事」なわけじゃありません。訴えられると、加害者とされる人は熊と同じ扱いを受け、問答無用で罰せられるという状況を示しているという意味においてです。問答無用というのは、本人による弁明も他の人による弁護も一切認められないということです。
これってあたりまえなんでしょうか。こんなやり方はおかしいと言うことは、加害者を擁護することを意味し、反動的なんでしょうか。しかし負のサンクションを与えるにもかかわらず、その人についての弁護活動を認めないなんて、これって人民裁判よりなおひどくないでしょうか。時代劇でよく見る光景が事実だったとすれば、これって江戸時代と同じですよ。検察官と裁判官を兼ねる正義の味方が、一方的にサンクションを課すというわけです。こんな恐ろしいことが行われているのに、それが正義の実現だと思われているわけです。
あの熊の話は結局、訴えられると人民裁判以下の状況が待ってますよ、だからセクハラはしない方が賢明ですよ、というメッセージが非常によく伝わる例示だったことになります。それはわかりましたが、しかしどうしてこんなでたらめなことが許されるのか、正義の味方ではない私にはさっぱりわかりません。どなたかご教示いただけないでしょうか。
12月10日(木)うそも方便(うそは原理的につけませんが・・・)
最近気がついたのですが、図書館下の食堂で、天津マーボー丼とか天津飯とかマーボー丼とか、それぞれカロリーが明示されるようになってますよね。しかも、他の生協食堂で以前表示されていた熱量よりもはるかに高い値になってますよね。前はたしか、天津マーボー丼で900k台だったと思います。だから、注文するときはなかなか勇気が必要でした。それがいまや、何と1200k台じゃないですか。天津飯さえ、1000k台です。もうこの二つは頼めません。なんとかマーボー丼を頼める程度です。
別に正確じゃなくて構わないので、もっと低い値を表示してもらえないものでしょうか。一食で1200kもするものを食べられないですよ。
12月11日(金)笑わせる
まったく、どうしてアフガニスタンへの爆撃を正戦だと言ってのけるような、どあつかましいやつが平和賞なんでしょうか。いや、要するに平和なんて力によるものしかないんだって言いたいのでしょうか。平和が実現されるために、正義の味方が爆撃してあげますってことなんでしょうか。国内向けの発言なのかもしれませんが、そんなものを世界へ向けて発信するなんて、恥ずかしさのかけらもないんでしょうね。ともかく、なんだか似てますよねー、問答無用で正義を実力行使してくる人たちに。
ほとんどの侵略戦争は、平和を口実に行われてきたんじゃないんでしょうかねぇ。欧米列強からアジアを解放するとかいうことを、哲学的に基礎づけた学派とかもありましたよね。自明ですが、正戦なんてものはありません。すべてはたんなる人殺しです。
12月14日(月)海の上のあそことかどうでしょう
そもそも少し前までは、集団的自衛権を前提する同盟関係という言い方そのものについて異議申し立てがあったはずなのに、いまではフツーに「日米同盟」とか言ってます。言うまでもありませんが、集団的自衛権をもつためには憲法改正が必要なので、いまはまだ同盟関係にはありません。
もちろん、米軍なんて消えてなくなればそれに越したことはありません。しかしもし現状においてそれが存在するのであれば、せめて沖縄以外のところに移設すべきでしょう。この点までは、あの人たちの主張はわかります。しかし海外移設を求めるっていうのはどうなんでしょうか。あなたたちはひょっとしてナショナリストなんですか、って訊きたくなりますね。
12月15日(火)偉い
この幹事長は偉いなぁ、と思います。これまでのヤツらだったら、絶対に言えっこなかったでしょう、あそこの長官に対してあんな風には。「法律にあるのか?」と問い返されたバカはどこの記者なんでしょうか。なんて答えたかも知りたいところですが、どんなマヌケ面しているのか、別に知りたくはないけど、さらされて欲しいところです。いや、さらし者にしたいというのではなく、あの記者連中は絶対に被写体にならないという安全地帯にいるからこそ、口当たりのよさそうなことをだらだらと垂れ流すのではないかと思うのです。
ついでに言うと、アメリカなんて待たせりゃいいんです。
12月16日(水)ボクチンについて
昨日はある会議で、成績登録の締切りをまったく守れない教員がいる、という話になり、「毎回締切り日になってから採点を始めるような人もいる」という発言の後、大笑いになったのですが、私はいったい何がおかしいのかさっぱりわかりませんでした。笑いごとかよ、って思ったのですが、みなさん笑ってすませられるなんて、なんて寛大なんでしょうか。だからますます、ぼんくらはマイ・ペースを気取り、「管理されないぞ、ボクチンは!」って胸張っちゃうんですよ。
12月17日(木)屈してまつ
今日は、「1月は4日から授業をします」と授業後に言ったら、「文科省に屈してもよいのですか?」と学生から言われてしまいました。文科省の言いなりで、なんとか15回分の授業日を確保しようとするから1月4日から授業を開始するようにスケジュールを組んでしまうのだし、そのスケジュールに則って授業をするなんて、まさに文科省に屈していることになる、ということなんでしょう。なるほど。しかし幸いにも、文学研究科にはこういう意味では文科省に屈したりしない方がたくさんいらっしゃいます。私のような体制順応派はごくごく少数です。というわけで、すみませんが1月は4日から授業です。
12月18日(金)笑えるけど・・・
ある会議で訓示がありました。学生もいる酒の席で、記憶を失くすほど飲んではいけません、と。個人的には爆笑でしたが、苦笑いの方や、自嘲気味に半笑いの方もいらっしゃって、それを見てまた爆笑と、一粒で何度もおいしかったです。それにしても、そんなことを言わないと、何かあったときに監督責任を問われるなんて、実にばかばかしいかぎりです。「ああ、そうですか。その方の自己責任ですよ。私には関係ありません」と言ってのければよいものを…。
12月21日(月)トローチ
例によって2時間ドラマは勧善懲悪の刑事もので、刑事のくせに人に説教垂れるという立派なお話でした。しかし、いくら刑事だからって、「完全な計画でも必ず綻びがあるものだ」なんて言ってはいけません。「それって完全じゃないじゃん」ってことくらい、ひょっとしたらトヨタのガキんちょにだってわかるかもしれませんから。それはないか。
この週末は東京で2つの研究会がありました。研究会に出ると、みんな勉強していることがわかり、焦りますねぇ。私はと言えば、つまらん刑事ものの刑事の言葉に突っ込みを入れる程度ですからねぇ。来年こそは、人の教育活動を支援する係から解放され、研究活動に勤しみましょう。と日記には書いておこう(←きっと、ほとんどの人はこの言い回しを知らないことでしょう)。
12月23日(水)ぐわむばってね
今日は何かの日で祝日だったそうですが、非常勤先の大学は月曜日の授業を行う日だったので、通常の月曜日と同様に1時間目から仕事がありました。とは言っても、最終講義試験ではありますが…。宝塚から今津線に乗り換えると、大学生っぽいのに混じって、ガキんちょが群をなしています。きっと、西宮北口にある塾の生徒たちなのでしょう。いついつの模試でだれそれがどこそこの志望者の中で1番だったとか、そんな話を朝っぱらからしているわけです。ったく、立派なものです。にもかかわらず、結局、祝日に月曜日の授業をする大学へ行くことになったりしたら、大笑いですねー。
12月24日(木)笑えない
昨日、テスト中に教室に貼られてあった掲示物を見るともなく見ていると、そこにはびっくりするようなことが書かれてありました。なんと、私語が多いので慎むように、と学生に呼びかけているのです。こんなことをわざわざ言わなければならないとは、「忸怩たるものがある」とも書かれてありましたが、そりゃそうでしょう。こんなことをわざわざ言わなければならない大学生が増えていることは確実だとしても、それがまさか西宮の山の上まできてしまったとは…、という思いがあるに違いありません。
こうした掲示物を貼らなければならない事態は、いつか待兼山にもやってくるのでしょうか。
12月25日(金)頭の中のリスク
最近キャリーバッグによる事故が多発しているというニュースをしていて、リスクなんちゃらという、人のリスクを飯のタネにしているおっさんが、わけ知り顔で「事故が起きる最大の原因」をとくとくと話していました。「人は後ろに目がついていませんからね」だと。そうか〜、それは知らなかった〜、さすが専門家だけのことはある〜、ってアホか。そんなことくらい、トヨタのガキんちょにだってわかるぞ。いや、それだけはないか。
ともかく、自分の頭の中のリスクを考えてほしいところです。
12月27日(日)××××××
【大前提】その集団は政治的に利用するために税金が投入される
【小前提】その集団は政治的に利用しない
となると、【結論】はぬぁんと…(自粛)。政治的に利用しないのに、いったいどんな××××××。よい政治的利用と悪い政治的利用なんて区別がなく、政治的利用一般がダメで、かつ政治的利用以外に存在する意味がないとしたら、××××××。
語れないことは沈黙しなければならない。
12月28日(月)なんて勤勉
大学は閑散としていました。もぬけの柄谷行人状態と言っても過言ではありません。しかしそれはお客さんたちがいないだけで、店の人間はちゃんと営業しているのです。よろしかったでしょうか(←言うまでもなく、「ムカッ」とする言い回し)、民間のみなさま。公務員はちゃんと仕事してます。そして何と、年明けは4日から営業日です。ということは、1週間も休めないんですよね。「民間じゃありえな〜い」。
12月29日(火)ホントでつか
帰省ラッシュが始まり、「田舎へ帰ったら何をして遊びますか?」と尋ねられたガキんちょは、どういうわけか、「こま回し」とか「たこあげ」とかびっくりするようなことを言います。まあ、そんな風に答えた分だけ放送しているのか、あるいはもともとセリフなのかもしれませんね。だって、どーせDSとかするに決まってるんじゃないんですかねぇ。
なんてことを思っていたら、疲れが噴き出て3時間くらい昼寝をしてしまいました。仕事が休みになった途端に寝込むとは、なんともわかりやすいと、われながら情けなくなりました。
12月30日(水)ハートがあるそうです
綜合警備なんちゃらとかいう、悪いやつらからお宅を守ります的な、それ自体下品極まりない企業があるそうで、その宣伝も何というか、見事に名は体を表しているわけで、見ていて吐き気がします。そこがさらに、「ハートがある」ことをウリにしていて、何とも笑えます。なるほど、ハートがあるから侵入者は許さはないと。身内の安全は確保しますと。よーくわかりました。
12月31日(木)心を入れ替えるぞ
今年は嫌なことがたくさんありましたが、その分、めんどくさいこともたくさん片づきました。来年からは、毒を吐いたり、嫌味を書いたり、悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりすることはやめ、どこそこのスイーツはどうだの、だれそれとだれそれが交際しているらしいだの、道端に花が咲いていて心が洗われただの、みんな一生懸命頑張りましょうだのといった、ステキな文章で埋めつくしてゆきたいと思いま〜す。
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