2008年
1月1日(火)花火

 昨日から今日にかけて、火薬のにおいが立ち込めるほどの花火があがりました。遠くの方で花火があがると、空が赤くなったり青くなったり黄色くなったりするだけなので、なんだかアメリカ軍とイギリス軍がイラク市民の住む街を正義の名の下に爆撃したときの映像を見ているような気がしました。

 一夜明けて、今日はそこらじゅうに花火の残骸が放置されていました。あれはいったいだれが掃除するのでしょうか。徴兵制があってもこのザマなのですから、徴兵制を導入することによって道徳心を涵養しようなんてゲーニンの発想がいかに浅はかか、推して知るべしですね。



1月2日(水)×

 

 写真はさそりです。真っ暗にして、紫色のライトを当て、やつが光るように設定されていました。それだけでも十分に恐ろしい感じがします。他に、にょろにょろした爬虫類もいたようですが、目にすると夢に見そうなので素通りしました。自然との和解なんて、とんでもありません。



1月3日(木)

 今日は、レンブラントを観て、クレーの「金魚」を観て、どこが「セーヌの橋」なのかさっぱりわからないシャガールを観て、小学生の夏休みの宿題並みのパブロ君の「ふくろう」という石膏細工を観て、江戸川デガス(Edgar Degas)を観ました。さらに、「マックス・クリンガーと後継者たち」という特別展示でキリコやダリを観ました。外はマイナスの世界で冷たい風が吹き荒れていたこともあり、室内で非常に有意義な時間を過ごすことができました。



1月6日(日)さすが

 

 ある古本屋さんに、本がこんな風に並べられていました。念のために言っておきますと、私が作為的にこれらを並べたわけではありません。卓見の古本屋さんがこんな風に並べていたのです。Adorf の下に Martin とは、なかなか気の利いた仕事をされるものです。

 HPをめぐって、いろいろ面白いこともあったのですが、またいつかご披露したいと思います。



1月7日(月)テラヤバ

 明日、討議倫理学者の Marcel Niquet 氏を琉球大学の久高さんと一緒に訪問して、インタヴューします。久高さんが討議倫理学の研究で科研費をおとりになって、ドイツへいらっしゃることになり、誘ってくださったのでした。19日には、ルッツ氏と独日カントコロキウムを主催して、発表することになっています。ここまでは予定していたことだったのですが、今日、月曜のゼミ兼コロキウムを取り仕切っている助教の方からメイルがきて、「ボンでの発表をここでもしてくれたらうれしい」と言われてしまいました。ルッツ氏が推薦してくれたそうですが、ひょっとして「せっかくの客人に何も発表させないのは悪い」とか、気を遣ってくれたのでしょうか。そんな気遣いは心の底から不要なんですが・・・。この月曜の時間には、何人もの人が発表しては叩かれるのを目にしてきました。何も帰る直前に痛い目に遭わせなくてよいのに、と思うのですが、やっぱ楽ばっかしてちゃいけないということでしょうか。



1月10日(木)ちかれました

 ブラウンシュヴァイクにホテルを取り、ニケ氏がクルマで迎えに来てくれて、ニケ氏の自宅のある Wolfenbuettel まで行き、そこでインタヴューをしました。おかげさまで、討議倫理学のかなり細かな議論に接することができました。当初の予定では、火曜日の午後だけ時間をとってもらうはずだったのですが、水曜日も時間を空けてくださり、しかも途中から元気な母もときおり参加して、歓待していただきました。どちらの街もかなりの田舎でしたが、ニケ氏は田舎がお好きなようで、「フランクフルトなんてアーペルとハーバーマスがいなければ住むことはなかった」とおっしゃっていました。

 水曜日のお昼に、その元気な母も交えて、中華料理屋で食事をしましたが、隣の席のじいさんが母の話に割って入り、「おらが街の自慢話」を何度もしてきました。こういうのは、きっと典型的な田舎の風景であり、ニケ氏も母も楽しんでいただろうと思います。もちろん私は、田舎のこういうところが苦手です。

 帰ってきたら、ルッツ氏の秘書の方から、来週の土曜日のカント・コロキウムのプログラムが来ていました。ぬぁんと、私がトップに発表することになっていました。ぐは〜。

  ←ニケ氏と元気な母



1月11日(金)四条の詐欺師

 ブラウンシュヴァイクで、ニケ氏は訪問者に見せたいものがあって、「あまり好きじゃない」と言うデパートにわざわざ案内してくれました。「マダムなんちゃら」という手相見です。未来を占ってくれるそうです。あろうことか、お年を召した方までが、順番待ちをしていました。まだ未来があるつもりなのでしょうか。いや、しかし若い人が順番待ちをしているのも、それはそれで問題ありでしょう。手の皺と人の未来とに相関関係があるわけないからです。PCやらケータイやらを使いつつ、こうしたものを当てにするのはいったいどういうことなのか、さっぱりわからない、というようなことをニケ氏はおっしゃっていましたが、ということは、極東の島国において支配的であるメンタリティもやはり理解不能でしょう。啓蒙の途上どころか、いまだに啓蒙以前の状態にあるそこでは、この手の詐欺師の横行が堂々とまかり通っているからです(おぉ、「この手の詐欺師」って駄洒落になってる!)。



1月12日(土)さすが☆

 さすが元世界のマラソンランナーは、「国旗国歌に涙しないことは考えられない」というようなことをおっしゃったそうです。ある一家の繁栄を願う歌やその下で侵略戦争が行われた旗を強制されれば、「涙しないことは考えられない」のでしょう。だてにマラソン走ってきたわけじゃないんですね。どう見ても何も考えてないような顔をして、しかしこんなに怖いことを考えていたなんて。こんな危険思想の持ち主を、教育委員にしちゃうとは、さすが元物書きも度量が広い。

 それにしても、あの人が「考えられない」ことなんて、簡単な計算に始まって山ほどあるでしょう。つまり、あの人が考えられないからって、そのことが正しくないなんてはずはなく、むしろあの人が考えられないからこそ、そのことが正しいって可能性が大じゃないでしょうか。



1月13日(日)で、黄色いのはどうするの?

  

 州議会の選挙が近づいていて、街中にはいろんな選挙ポスターが貼られています。そして極右政党NPDのポスターを見つけました。「われわれは一掃する」というキャッチ・フレーズが書かれ、白い羊が黒い羊を蹴散らしています。「黒い羊」は、黒人ではなく、おそらくトルコ系住民を指しているのでしょう。こんなあからさまなポスターを目にして、かなりぎょっとしました。州によっては、NPDが議席を確保しているところもあったと思います。NPDのHPへ行ってみましたが、現在の状況がどうなっているのかはよくわかりませんでした。既成の政党からは「頭がない」と言われているけれども、「そんなことはない」と反論しています。

 通常選挙ポスターは人目につきやすい位置に掲示されていますが、ここのポスターだけは梯子やら脚立といった何らかの道具を使わないと手の届かないような高いところに貼られています。低い位置では、きっとはがされてしまうからでしょう。ということは、一般に極右は受け入れられていないということになります。やれやれ、です。

 ベルリンでは、1919年1月15日に兵隊たちの組織によって殺害された社会主義者ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトを追悼する催しがあり、何万もの人たちが参加したそうです。ローザ・ルクセンブルクのことを「ローザ」と呼ぶ、一部の熱狂的な「信者」たちには嘲笑を浴びせる以外にありませんが、その思想にはひょっとすると重要なものが含まれているかもしれないと思っています。



1月14日(月)Montagskolloquium

  

 こんなにたくさん来ちゃいました。こんなにたくさん来ちゃったって報告しなきゃいけないから写真を撮らせてと言ったら、みなさん帰り支度をやめてにこやかに協力してくれました。肝心の発表ですが、みなさん弱者にはやさしい善良な人たちです。発表前に、「発表はするけど、議論するのは<私たち>ではなくて<あなたたち>ですよ」と言ったら、予想外に爆笑されて、「えっ、笑うとこじゃないよ」と思いつつ、まあ調子に乗りました。ルッツ氏は、やはり会議で発表を始めたときにはおらず、「梯子をはずされた」と思いましたが、途中で姿を現してくれて、ホント、助かりました。原稿を読み上げた後、ルッツ氏が「質問あるいはコメントのある人は?」と言うので、「質問されるんですか?」と言ったら、また笑われてしまいました。

 まあ、「お前の発表はひどかった」と面と向かって言う人は通常いないでしょうが、発表後はみなさんねぎらってくれて大満足です。こちらの主張も、ルッツ氏の通訳でかなり伝わったようでした。ルッツ氏には、考えていることが近いせいか、非常によく理解してもらっています。

 後は土曜日のカント・コロキウム。



1月15日(火)動機は何ですか?

 昨日は発表の後、お食事会へ行きました。ルッツ氏に、「哲学へ来る学生は、どんな動機をもっているんだ?」と訊かれました。「行為において、動機なんてどうだってよいではないですか。それは意識哲学の残滓ですよ」なんてことを言えるはずもなく、「それはこちらも知りたいところです(ニコ)」と意味不明のアジア的微笑を交えて答えました。学生が二人いたので、「あなたたちの動機は何ですか?」と訊いてみました。秘かに「知的なジュリア・ロバーツ」と名づけているカント屋のおねえさんは、「もともと論争好きだから」というようなことを言っていました(厳密には、「好戦的だから」と言ってましたが、別に戦争が好きなわけではないようです)。もう一人の、6歳になる娘のいる禿げたおにいさん(しかし確実に私よりも15歳くらいは若いでしょう)は、「考えるのが好きだった」と言ってました。そこでルッツ氏が、「哲学は問題を解決するための解答を提出するはずなのに、考えているうちに逆に新たな問題を提出してしまう」とコメントしました。なるほど。そう言われてみればその通りだ、と納得してしまった私は素直なんですね。

 ジュリア・ロバーツとはゲステハウスの近くまで一緒に帰りましたが、「あなたはカント派なのか、それともハーバーマス派なのか?」と問われ、「カントにも不十分なところがあると思うし、もちろんハーバーマスにも不十分なところがあると思う」と、何ともつまらないことを言ってしまいました。もちろん、アジア的微笑つきです。「なぜカントなんですか?」と問うたら、「カントの共和制についての考え方が・・・マキャベリが・・・」と難しい話をしてくれました。あとは、博士の学位をとっても研究職に就くのは非常に難しいとか、今日はみんなやさしかったとか、帰るのが楽しみですねとか、そんな話をしました。あっ、別にジュリア・ロバーツと一緒だったから動悸がした、とか言って、前半部分の駄洒落にしようなんて魂胆はまったくありませんよ!



1月16日(水)学費

 州議会選挙の争点のひとつは、学費の導入についてです。フランクフルトのあるヘッセン州では、大学生に1ゼメスターにつき500オイロの学費が(今ゼメスターから?)課されることになっています。1年で1000オイロ、1オイロ=160円として、年間16万円ですから、できの悪いガキんちょの塾通いよりもはるかに安いわけです。しかし、これまではただだったわけですから、それを思えば抵抗感があるのは当然でしょう。一度導入されてしまえば、今後値上げされていくことは目に見えているからです。SPDの候補者などは、SPDを選べば学費はゼロに戻る、というようなことを言っています。ホントかどうかあやしいと思いますが、いずれにしても世論調査では、導入を決定した与党CDUの優勢が予想されています。ということは、大学関係者がどう考えるかはさておき、世間的には学費導入に反対ではない、ということになるのでしょう。

 何歳になっても学生でいられて、その恩恵を手にすることができる、というのは素晴らしいことだと思うのですが、そしてこうした生き方を選ぶ人が許容される社会というのは、フリーライダーが許容される社会と同様に、たんに物質的な意味においてだけでなくいろんな意味で非常に豊かな社会だと思うのですが、どうやらその余裕はなくなってきたようです。カネになる職業に直結した学問が好まれる傾向にあることも、こうした余裕のなさと無関係ではないでしょう。

 そんなわけで、金曜日に大学で「人文科学の未来」というテーマのパネル・ディスカッションが開かれることになり、ルッツ氏に招待されてしまいました。コロキウムの前日なので、夜に参加者が集まって会食をすることになっていたのですが、その会食前に暗い話をしましょう、ということのようです。まあ、出席するだけならよいのですが、どうせ絶対に「そちらの状況はどうなんだ?」って話になるに決まってるんですよねぇ。こうなったら、われわれのところは人文科学以外は学問だと見なされていないよ、と大法螺でも吹いてやりましょうか。



1月17日(木)あああ

 サイテーだ。これまで騙し騙しやってきたんだけど、ついに寝込んでしまったー。熱がある。もうダメだ。明日ディスカッションと会食があり、明後日は発表があるのだけれど、フツーに生きるだけでもしんどい。ぐはー。最後の最後でこんなことになるとは・・・。くだんない駄洒落を言う余裕もないちんげーる。



1月19日(土)カント・コロキウム

 いったん熱が出ると、もういつまでもそのまま熱が下がらないのではないかと絶望的な気分になります。しかし、もしそうなら、それはそれですごい身体ではないのか、などと冷静に(?)考えてみたりもします。熱が出て嫌なのは、たいてい同じ夢を見てうなされることです。その夢を見ている限り、熱は引いていないということがわかります。今回も、17日の夜はずっとそうでした。そして昨日の朝、ようやく熱が引いて、午後からは予定通りディスカッションへ行き、会食へ行きました。

 会食は、店のサーヴィスである前菜の前菜でトマトなどがのったパンとピザ2切れが出て、それだけで病み上がりの身には十分だったのですが・・・。前菜は、サラダなんか頼むとどうせ大量だろうと思い、トマトスープを頼んだのに、出てきたのはトマトが5,6個入ったトマト・サラダ。おまけにツナまで入っています。マヨネーズと混ぜられていないということだけが救いで、ただひたすらもくもくと食べる、という感じ。メインがサケのグリルだったのでまだよかったのかもしれませんが、しかしそのサケの切り身も巨大で、途中で食べるのを断念しようかと思ったほどでした。えっ、デザート? 甘い物は別だろ? んなわけがありません。あのルッツ氏でさえ、ステーキを残していました。

 そんなわけで、昨日は今後のコロキウムの日程などを話し合いつつ飽食を極め、部屋に戻っても胃が苦しくてなかなか寝つけないほどでした。そして今朝は、2日ぶりに60分走り、それからカント・コロキウムで一緒に発表する早稲田の御子柴さん、明治学院の寺田さんが宿泊するホテルへ行き、そこからルッツ氏のクルマで大学へ。私の前に、ルッツ氏のところでドクター論文を書こうとしている日本人学生の発表がありましたが、結局、9時から14時まで、20分程度の休憩をはさんだだけでコロキウムが行われました。部屋がちょっと寒いのが気にはなりましたが、しかし5時間の長さをまったく感じさせない、少なくとも私は満足できるコロキウムでした。ルッツ氏は、どんな発表でもかならずポジティヴな評価をしてくれるので、発表後にほめてもらっても大した意味はないかもしれませんが、それでも発表中に私の原稿にいろいろ書き込んでいるのをちらちら見たりして、悪い気はしませんでした。

 夜は、ルッツ氏の妻およびルッツ氏とで日本料理の店へ行きましたが、ここは昨日とは打って変わってすべてがつつましやかで、大食い選手権をやるとしたらTV局の経費がもたないだろう、という感じでした。2人はほとんどすべて「おいしい」と言ってましたが、少なくとも味噌汁は私の作る味噌汁の方がましだと言っておきました。別れ際に、「またいつか、第2回、第3回、第4回・・・独日カント・コロキウムをやろう」と言ってもらいました。たとえ社交辞令ではあっても、非常にうれしい言葉でした。

 今回のコロキウムは、ルッツ氏と私が主催したものだと、繰り返し言ってもらいました。実際には、私は御子柴さん、寺田さんへの連絡係にすぎませんでしたが。しかしもちろん、帰ってから提出する報告書には、「コロキウムを主催」と書きますよ。へへへ。



1月20日(日)バレエ

  

 こちらへ来て、オペラにもクラシック・コンサートにも行かずに、ただただひたすら研究に邁進する日々でしたが、ロシア国立バレエ団がフランクフルトにやってくるという看板を見かけて、姪と甥がバレエを習っていることもあって、試しにネットで確認してみたら、たまたま最前列にひとつ席が空いていました。こんな神の導きを無視したら、今後、細○数×や和□アキ×が100年くらい生き続けてしまうかもしれないと思い、人類を代表してチケットを購入しました。

 今日が公演日でした。出し物は、『白鳥の湖』。一番前だと足下が見えないのが難点ですが、しかし細かな顔の表情までしっかりわかります。一応の主人公である王子やその女よりも、道化や王子を誘惑する女の方が踊りが見事だったり美しかったり見えるのは、やはりイデオロギーのせいでしょうか。王子はデカくて力はありましたが、何度もふらついていました。ひょっとして、王子なんてぼんくらだというメッセージがあったのでしょうか。

 幕が下りてから、何度か挨拶が行われましたが、そこらじゅうでフラッシュが光っています。「えっ、撮影禁止じゃないの?」と思いましたが、構わずフラッシュが光ります。ロシア人たちもサーヴィス精神旺盛に応えます(きっと、「田舎者のドイツ人めが」と思っているに違いありません)。私もデジカメをポケットに入れてましたが、なんとなく、撮影するのはやめました。

 というわけで、人類を代表してチケットを買ってよかったです。かなり楽しめました。



1月21日(月)哲学は・・・

 どうして人気がないのでしょうか。まあ、哲学が異様に人気のある学問領域だったりする社会は、それはそれで問題を抱えていると思われますが、しかしこれほどまでに人気のない社会も、問題を抱えていると思わなくもありません。えっ、人気がないのはお前のところだけだろっ、ですか???問題があるのは社会ではなく、教える側が魅力的じゃないってことだろっ、ですか???うーむ。なるほど。論拠に説得力があるので、ハーバーマスにしたがって同意します。同意しますから、魅力的に見える方法をご教示ください。そうやってすぐに方法をさぐろうとするのがダメなんだろっ、ですか???しかし哲学において議論を展開する以上、なぜそのようなことが言えるのか、ということの探求は必要不可欠であり、これが哲学的営為の過半を占めると言っても言い過ぎではないように思うのですが・・・。そうじゃないと、口当たりのよさそうなことならなんでもありの垂れ流しじゃないでしょうか。なんてことを言ってると、やっぱり哲学はまったく魅力的じゃなくなってしまうわけですね。

 今日は、コロキウムの終わりにルッツ氏が、「舟場氏がコロキウムに来るのは今日が最後で・・・」とわざわざアナウンスしてくださり、なかなか照れるものがありました。「できたら1度あっちへ来てほしいなぁ〜」と言ったら、どういうわけか爆笑が起こりましたが、「なんでもしますよ、お金の援助以外は」と言っても、だれも笑いませんでした。つらい。哲学はつらい。えっ、そんなオチ???



1月22日(火)家賃

 今月分の家賃の補助金をもらいました。契約書によれば、敷金などを含めて5ヶ月で2,550オイロ支払うことになっており、1ヶ月に均せば510オイロということになります。ところが補助金の総額が結局750オイロになったので、1ヶ月の家賃は実質360オイロだったことに。ゲステハウスに部屋が見つからなければ月々1,000オイロかかるところへ移ることも考えていたので、なんだか実に申し訳ないです。

 しかし隣と前の部屋には、人がいる気配がありません。どうもほとんど使っていない様子です。これよりも価格に見合った部屋を確保しているのでしょうか。世の中にはまだまだ不思議がいっぱいです。<不思議ちゃん>タイプは嫌いですけどね。

 プロゼミの後、ルッツ氏と話をすることになっていましたが、多忙のためプロゼミにさえ姿を見せなかったので、部屋を訪問するのはやめました。



1月23日(水)除籍など

 朝、住民登録から除籍してもらう手続きをしに行きました。書類の書き方をひとつひとつ教えてくれ、驚くほど短時間で完了しました。こんなに簡単なら、毎日だって除籍しに行きたいくらいです。その後、2箇所で買い物をしようとしましたが、一つ目は客が大量にいたので断念し、もう一つのところでは客のばあさんと店のおばさんのだべりんぐが終わらないので、これ見よがしに手に取っていた商品を棚に戻し、店を出ました。まあ、ああして世間話をするのが(いくらちんけでも)人生の楽しみの一つなのでしょう。それが嫌なやつは、スーパーへ行けばよいのです。というわけで、スーパーへ行きました。

 スーパーは、この17年の間に、営業時間が飛躍的に長くなりました。昼休みはなくなっているし、土曜日も8時まで開いています。しかし相変わらずレジは多くても2つで、列がないことなどほとんどありません。客は、値段を聞いてから財布を取り出し、支払い作業に取り掛かります。自分の番が来るまで死ぬほど時間があるのだから、だいたいのところを手元に用意しておこうとかって考えればよいのに、と思うのですが、そんなことはどういうわけだか考えないようです。およそ何かを考えることができるのだとすれば、きっと他に考えることがたくさんあるのでしょう。

 ここにはマックもケンタもあり、マックは大阪よりはるかにおいしいのですが、さてこの地にコンビニが登場することはあるのでしょうか。24時間も営業するなんてことを聞いたら、きっと「うちだって3日で24時間も営業してるぜ」って言いそうです。少なくとも、この先10年たってもコンビニはできないでしょう。場合によっては20年たってもないかもしれません。もっとも、ドイツ料理のコンビニ弁当なんて絶対に食べたくないですけどね。腐ってるから酸っぱいのか、もともとそんな味なのか、区別がつかないですから。

 ルッツ氏の秘書のところへ、挨拶に行きました。最初に「お仕事中、邪魔してすみませんが・・・」と言ったのですが、「うん、その通りだ」って顔をされて、相変わらずびびらせる人でした。「お礼を言いに来た」と、一通りのことを言ったら、立ち上がって握手してくれました。「一度あちらにも来てください」と言ったら、ようやく一瞬だけ微笑んでくれましたが、「子供に手がかからなくなったら・・・」と答え方はあくまでそっけなかったです。言うまでもありませんが、だらだら世間話をする人ではなくてよかったです。



1月24日(木)検札

 最後の最後に、U−Bahn の検札に遭いました。17年前も含めて、Uで検札にあったのは初めてです。なんと、私の周りにいた人は全員がシロ。だれも不正乗車していませんでした。びっくりです。どんな言い訳するんだろうと、わくわくしていたのですが・・・。

 毎週木曜日は大学の前に市が立ちます。といってもそれは、哲学部のあるキャンパスではなく、本部のあるキャンパス前の話です。この本部のあるキャンパスは、近々哲学部のあるキャンパスへ移転することが決定されています。その跡地には、ホテルが建つとか銀行が建つとか言われています。いずれにしても、ホテルや銀行の前であのような市が存続するかどうか、きわめて疑問です。ひょっとすると、もうあの場所に市が立つことはないのかもしれません。別に、感傷も感慨もありませんが・・・。

 ひょっとしてキリ番は、空の上にいる頃、達成でしょうか。

 ←閑散としているのは、たんに早朝だからです。



1月25日(金)Tschues!

 ひょっとするとこれが最後になるかも知れません。みなさん、お幸せに。正義はなされよ、たとえ世界が滅ぶとも。あるいは、トラブルをうまく起こしましょう。



1月26日(土)さぶい

 揺れたけれど、堕ちませんでした。今回もまた、映画を4本観ました。『ボーン・アルティメイト』(ときどき出るドイツ語の字幕のはやいこと)、サンドラ・ブロックとヒュー・グラントのラヴ・コメディ(相変わらず、サンドラ・ブロックは美しくないと思う)、広末涼子と阿部寛のバブル時代へタイム・マシンで戻るというやつ、そして『ダイ・ハード4.0』。3つ目のやつは、2007年から1990年に戻るという設定で、どうも90年はまだバブル時代だったそうですが、そしてそれは私が前回ドイツにいた時期にもあたるのですが、当時の自分の周囲のことを思い出しても、あんなバカ騒ぎとはまったく無関係で、ある意味ではあの頃も今もそんなに大した違いはありません。要するに、当時まったく時代の潮流の中にいなかったということです。別に「だから立派でしょ」なんて言いたいわけではなく、たんに私は現在同様に貧乏だったということです。

 いきなりですが、道路工事がいたるところで行われていますね。



1月27日(日)時差ボケ?

 昼食後、英気を養うべく睡眠学習を行っていたら、チャイムの音で中断を余儀なくされました。「ちは〜、配水管の清掃に来ました」。(ん?配水管の清掃業者が午後来てくれることは知っていたが、しかし<わざわざ>選んで回してくれたのか?)。「まずトイレ、それから台所、洗面所、浴室の順に掃除しますね」。黙っているのも愛想がないので、<わざわざ>選んでくれたのなら<わざわざ>選んでくれたんですね、くらいのことは言おうかと思い、口元まで言葉が出かかった時に突如として<そのこと>に気がつきました。<わざわざ>でも何でもなかったのです、清掃に来てくれた方が日本語を話せる人だったということは。

 昨日も空港で、(おぉ、大阪弁をしゃべってるガキんちょたちがいる)とびっくりしました。そのときも、それが別に驚くことでも何でもないことに気がつくのに、少し時間がかかりました。これらも一種の時差ボケなのか、それとも一種のたんなるボケなのか、見分けるのが難しいところです。



1月28日(月)あああ

 「大阪を変える」のであれば、まずなすべきなのは、政治的手腕の有無や主張される政策の妥当性などとはまったく無関係に、たんなる浪花節のゲーニンたちを国会議員や府知事に選んでしまうこの風土の変革であるはずなのに、まさしくそれに乗っかって選ばれてしまったわけだから、大阪は何も変わらないということになるのでしょう。そもそも、「子育て支援」なんてされたって、何のメリットもないし。いや、むしろデメリットだ。それより「年収が50万円アップする」方がよほど魅力的なのに、いつから大阪のビンボー人たちは「武士は食わねど高楊枝」的な東京的見栄っ張りを生きるようになったのでしょう。

 大学は耐震工事中のため埃だらけで、1時間で目が痒く咽喉が痛くなりました。みなさんどうして大丈夫なのか、不思議です。これもやっぱり、「武士は食わねど高楊枝」的な東京的見栄っ張りの一環でしょうか。



1月30日(水)健康診断

 今日は定期健康診断がありました。ドイツにいた5ヶ月近くの間、納豆も食べられなければ野菜ジュースも飲めず、そして気をつけていてもやはり肉類や乳製品を多く摂ってしまうので、きっとそこらじゅう悪くなっているに違いないと覚悟していました。最初に視力を測りましたが、これがものすごく悪くて・・・。昨年から導入されたメタボ検査。内臓脂肪の面積をはじき出してくれる検査で、100(平方センチ)を超えるとヤバイとされていて、昨年は22。今年はもっと多いに違いないと思いきや、たった14。検査結果を見た方お二人に驚嘆していただきましたが、「なのに高脂血症なんですよ〜」と言ったら、なお一層驚かれてしまいました。血液検査の結果はまだわからないのですが、頸部エコーの感じからいって、今年もコレステロール量は多そうです。まだまだ運動が足りないのでしょうか。

 ←ご主人様を出迎えるダチョ之



1月31日(木)ブラック・レイン

 テレビ大阪でやってました。番宣のナレーションでは「バイオレンス・シティ、大阪」と謳われていました。まあ、実際恐ろしいですからねぇ。しかも合理的な怖さではなく、非合理主義の怖さです。対処のしようもありません。なにしろ、政権与党の後押しで立候補した輩に投票しているのに「反権力」だと思えてしまうわけですから。

 いやいや、そんなゴミのような話はどうでもよくて、やっぱ松田優作はすごかったですねぇ。実にワルい。役の上では若山富三郎の方が大親分のはずなのに、この人の演技力のせいか、松田優作の方がはるかにワルそうなのです。そしてマイケル・ダグラス。湾岸戦争に反対表明した俳優です。もうそれだけでエラい。カリフォルニアの知事なんかとは大きな違いです。知事なんてものは、頭が悪くないとなれないのでしょうか。



2月1日(金)ありえな〜い

 先週の今頃は、アムスから飛び立って1時間、というところでした。過ぎた時間は実に短く感じますねぇ。そしてもう、2月に突入してしまいました。2月は論文の試問やら何やらで(入試業務ははずしてもらえるものと確信しているので、入試業務は「何やら」には含めていません)、やはり終わってしまうと「あっ」と言う間だった、ということになるのでしょう。そうだ、おまけに、書評までさせてくださるありがたい人々もいたのでした。

 この5ヶ月近く、たっぷり静養してきたと誤解されている向きもあり、「元気そうだ」とか「顔つきがすっきりしている」とかいうお言葉を頂戴しておりますが、元気そうかどうかはともかく(「元気そう」って「頭悪そう」と同義ですよね)、私は5ヶ月前も「すっきりさわやか系」だったはずですが・・・。少なくとも自己意識としては・・・。



2月2日(土)初暴走

 明日は昨年優勝したレースのある日で、今年もエントリーはしていたのですが、なんだか強烈に寒くなるそうだし、また優勝しちゃったらここに書かないわけにはいかず、しかしそうしたら「いったいドイツで何してたんだ???」と言われかねないので、行くのをやめました。

 その代わりに、今日はちょっと暴走しました。夏以来の景色でしたが、牧落の交差点の『Big Boy』が『MAZDA』に変わってました。そこに限らず、『HONDA』(元はラーメン屋だったような気がします)とか『NISSAN』(元はマック)とかが、街中に増えているような気がします。ファミリーでランチないしディナーから、ファミリーでキャンプへ、ということでしょうか。やっぱお金持ちが増えているのでしょうか。

 梅田は、少なくとも紀伊国屋周辺はほとんど変わっていないような気がしました。ひょっとしてホワイティはすっかり変わっていたりするのでしょうか。まあ、俵屋が残っていればよしとします、私ごときが。



2月3日(日)プチ暴走

 そんなわけで今日はプチ暴走。信号待ちしながらふと横を見ると、「世界一信号を守る町 池田市」とか書かれているのを発見してしまったので、「信号待ちなんかしてられっか」と思い、赤を無視して走りました。まったく知性あふれるキャッチフレーズです。以前はたしか、「国際空港のある町 池田市」だったのではないかと思いますが、もう国際空港ではないですからねぇ。とはいえ、まだ名称は大阪国際空港だったような気がします。



2月4日(月)さすがっ!

 弁護士の先生は違いますね。国家の防衛政策に対して地域住民が住民投票という形で意見を表明したりするのは、憲法を勉強していない証拠だとおっしゃる。言論の自由というものが憲法では保障されていたはずだなんて考えてしまうのは、憲法について無知だからなんですね。しかしポピュリストのこの方が、かりに府民の声なんて聞かないとしたら、それは自己矛盾ではないのでしょうか。あっ、ひょっとして府民の声って、つまらんゲーニンたちのお追従のことなんだろうか。



2月5日(火)試問

 今日は卒業論文および修士論文の試問の日でした。試問を受けたみなさん、お疲れ様でした。試問を来年に控えているみなさん、1年なんてすぐです。試問の後、「お帰りなさい会」を催していただき、どうもありがとうございました。身に余る光栄です。そして長く食べていられるほっけをごちそうさまでした。

 それでは3月3日の性差別問題委員会主催の研修会へのご参加をよろしくお願いいたします。



2月7日(木)発熱

 やはり身に余る光栄だったようで、代償として発熱しています。3週間ほど前よりきつい感じです。「あのときは、ちょうど腹立たしいことがあって・・・」と思い出していたら、昨晩はずっとそのことでうなされました。医者へは行きたくないのですが、しかしそれはもちろん、自然の治癒力信仰のせいではまったくなく、たんに医者一般が嫌いなだけですが、医者の処方する薬の効き目はとりあえず信用しているので、ちょっと薬を買いに行ってこようかと思っています。



2月8日(金)本当に・・・

 熱が引かないのでインフルエンザだろうと思い、再度医者へ。だるいかどうか尋ねられ、「だるいです」と答えると、「本当にだるいですか?」と問われる。「本当に」はいくつ重ねても無意味だろうと思いつつ、「本当にだるいです」。「本当に何もする気になりませんか?」「本当にしんどいですか?」といったようなことを重ねて問われる。どうやら、インフルエンザではないと言いたいのか、あるいは少なくともインフルエンザの検査はしたくない模様。「そりゃ、ここまで来てるわけですから、まったく動けないというわけではありません」などと、意味不明のことを言ってしまいました。こんなことを言い出したら、インフルエンザの患者は医者まで来れないことになってしまうからです。

 そんなわけで、インフルエンザの検査もせずに、解熱剤だけ出してもらいました。実は、ダチョ之の鳥インフルエンザが人間に感染したんだと思っているのですが・・・。なにしろ、インフルエンザに感染すると、異常な行動や言動があるそうですから。



2月9日(土)異常な行動

 というわけで、熱は引きました。言うまでもありませんが、そうなるとしないわけにはいきません。もう3日間もしてないのです。まだ夕方は雪が降り続いていて、ちょっと恥ずかしいものがなかったわけではないのですが、やっちゃいました。当初は50分くらいと思っていたのですが、始めると「50分も60分も変わらないだろう」と考えるようになり、結局は60分続けてしまうわけです。そして60分後は、決して爽快だったりせず、ぐったり。でもまあ、この手のぐったり感を味わえることに喜びを見出したりしちゃいます。これはやっぱ、異常な行動ではないでしょうか。

 なんか、どっかの知事が休日返上で仕事をしているという提灯報道ばかりがなされていて気持ち悪くなりますが、そんな中、ちゃんと嫌味の言えるNHKだけが、やはり救いです。

 →(追記)もうNHKには出ないというようなことをおっしゃっているそうです。それは賢明なことです。なにしろ唯一、よいしょしてくれない局ですから。これで私のNHKもプロパガンダにならずにすみます。よかった。よかった。



2月10日(日)『9デイズ』

 アンソニー・ホプキンス、お金に困っていたのでしょうか。前に『9デイズ』を観たときもそう思い、そのことをHPに書いたのですが、まあ、年とったら同じことを2度3度言ったって許されるわけですから、というより、年とったらもはや新しいことなんて言えるわけなくてどうせ同じことばっか言っちゃうわけですから、また書いちゃえ、ってことです。それにしても、レクターが拳銃を乱射しちゃったりしてよいものでしょうか。殺した相手を食べようともせずに・・・。その上、国家のために命がけ。

 映画では、最後に、まっとうなアメリカ批判をしたワルが成敗されてしまいますが、「おっしゃるとおり」と思ったのは私だけでしょうか。



2月11日(月)民間じゃないすぃー

 「民間の企業ではああいう態度はとれない」。なるほど、よくわかってらっしゃる。民間の放送局だと、それがどんな輩だろうと、たとえば買春はODAだと言ってのける法曹関係者だろうと、死刑制度万歳の弁護士先生だろうと、よいしょしてくれるわけです。ところが、スポンサーのつかない局だと、180万人の知性が溢れてしまう方々に支持された大先生も、特別扱いしてもらえません。

 マスコミの存在に積極的な意味があるとすれば、それはせいぜい権力者を批評することくらいでしょうが、ポピュリストのメンタリティにはこうした見解は理解不可能でしょう。



2月12日(火)呪い

 フランクフルトを発つときに、「2月になったら大寒波だね!」と明るく呪いをかけたにもかかわらず、一向に寒くならないばかりか、連日10℃前後で春めいているそうです。それにひきかえ、こちらのこの寒さは何のつもりなんでしょうか。明日など、この冬一番の寒さだと予想されてしまっています。

 そうか、やっぱ呪いはドイツ語じゃなきゃいけなかったのか。いや、呪いだけに実現するのがのろいだけか。



2月13日(水)伊藤ちゃん

 「図書館以外は不要」という発言の支持が、ネットでは70パーセント以上。
 NHKがごーまん、という抗議の電話およびメイルが、NHK擁護派を圧倒。
 久しぶりに見たけど、伊藤ちゃんはほとんど映らない。
 
 つまり「真・善・美」は少数派にあるということでしょうか。キリストも迫害されましたからねぇ。悪貨は良貨を駆逐するそうですし。まあ、あと500年くらいすれば好転しているかもしれませんね。



2月14日(木)きょーじゅ会

 久しぶりにきょーじゅ会がありました。いや、久しぶりに出席しました。開会冒頭の、「今日は早い目に終わることができるでしょう」との宣言もむなしく、たっぷり3時間。どうしてこうなるのでしょうか。お一人の方が、ある事柄について、ここ何回かずーっと出席していなかった私でも十分理解できるような非常にわかりやすい説明をされたのですが、それに対して「どうしてそういうことを尋ねるの?」という質問が出るわけです。人の話をまったく聞いてなかったのでしょうか。聞いてはいたけれど、理解できなかったのでしょうか。たんにマイク・パフォーマンスをしたかったのでしょうか。いずれも、まったくはた迷惑この上ないことですが、たいていはこれらの複合体がきょーじゅ会を長くするのではないかと思います。反面きょーじゅ。

 そんなわけで、帰ってきてまたしても『レオン』(テレビ大阪)を観ました。雪の積もるマインツで観たばかりでしたが・・・。ナタリー・ポートマンに何らかの心的外傷があるとすれば、その原因はゲイリー・オールドマンにあると考えて、まず間違いないでしょう。



2月15日(金)私のNHK

 私のNHKはやっぱすごい。いまどき、山本潤子が『翼をください』を歌い、尾崎亜美(伊藤ちゃんとクリソツだった!)が『オリビア』を歌う番組が、NHK以外でありうるだろうか。他の局で加藤和彦があれほど露出することが考えられるだろうか。ついでに、泉谷しげるが「機動隊に排除された」と吠える自由がNHK以外で保証されているだろうか。

 そんなわけで、仕事もせずにNHKにかじりついてしまいました。



2月16日(土)銭湯

 夢にまで見た(ホントは見てません。レトリックです)銭湯へ、久々に行きました。やはり掃除+昼寝+暴走+銭湯が正しい土曜日の過ごし方だと思います。ただちょっと、水風呂は強烈過ぎて、1分も浸かっていられませんでした。

 そんなわけで、10時にしてねむねむの神様が降臨しつつあります。



2月17日(日)忍耐は苦手

 今日は4連覇のかかったレースの日でしたが、先週寝込んだこともあり、とてもあのハードなコースを忍耐し続ける自信がなく、出場しませんでした。ダムの周囲は例年でも雪がちらついたりしますが、今年は特に「冷える」という予報でしたから、きっと大雪だったことでしょう。そういえば、昨年は3連覇のためにある査読の報告会をすっぽかし、とてもきちんと読んでるとは思えないテキトーな点数をつけた方のおかげでひどい目に遭ったのでした。

 そんなわけで、昼寝+プチ暴走+銭湯という正しい日曜日の過ごし方を実践しました。しかし今日も水風呂は強烈過ぎて、1分も浸かっていられませんでした。



2月19日(火)深謀遠慮

 事故の記者会見で知りましたが、あの軍事おたくが大臣なんですねぇ。法曹関係の人といい、厚生関係の人といい、この内閣は人材豊富ですねぇ。首相の狙いは、自分だけ頭よく見せようってところにあるのでしょうか。

 そもそも迎撃ミサイルなんて必要ないのですから、これを機に、憲法に反した存在には一切消えてもらってはいかがでしょう。



2月21日(木)そこ???

 上の事件に関して、「テロだったらどうするんだ?」という<抗議>が、軍事おたくが大臣を務める役所に殺到しているそうです。びっくりくりくりくりまんじゅうです。大橋巨泉風にいえば、びっつら。みなさん、そんなに国を憂えていらっしゃるのですねー。あるいは、自衛のことを真剣にお考えになっていらっしゃるのですねー。でもそんなご心配は不要だと思いますよ。ちゃんと漁船だってわかってたでしょうから。むしろ問題はここにこそあるのだと思うのですが、それはそれで買いかぶりでしょうか。



2月22日(金)すみません

 今日はいろんなところで人に迷惑をかけ、大変申し訳ないことをしました。それをこうしてここで書くことは、「こんなに申し訳なく思ってるんだから許してね」と言っているようで、たんなる甘えだと言われればそれまでです。

 来年度のシラバスが公開されるようになって、同じ専修内で授業がバッティングしていることがわかり、今更ながら授業時間を変更してもらったのです。実はすでに一度、バッティングを回避するために時間変更をした授業です。そのときも、年末の仕事納めの日くらいに作業していただき、かなり迷惑をかけました。今回は、すでにシラバスが公開されてからの作業で、迷惑のかけ方としては前回以上のものがあります。教務の方々は入試を控えただでさえ大忙しだというのに、本来ならまったくする必要のない作業をしなければならなくなったのです。同僚たちは、私の代わりに変更の依頼を伝えるため教務係に赴いてくれ、さらに必要な書類を作ってくれました。

 人に迷惑をかけるのは何より嫌なことですが、とりわけ時間を守らないことによる迷惑はもっとも避けたいと思っていることのひとつです。それをこんな形でやらかした上、後始末さえ人にしてもらうなんて・・・。本当に申し訳ありませんでした。



2月23日(土)どうせ誤差

 昨日は上のような状況で『耳をすませば』の後半部分を観ました。ますます気分が沈むだろうと思ったのですが、後半部分は、原石がどうのこうのとかどうでもよい話が続くので、まあむしろ少し腹が立った程度でした。あの話のポイントは、主人公の女の友達を好きな男がいて、しかしその女の友達が好きなのはその男の友達で、ところがその男の友達が好きなのは主人公の女で、といった切ない関係にあると思うのです。だれにでも光る原石があって、それを見つけて磨くことが重要なのだという、アイデンティティごっこはどうでもよいのです。そう信じ込める幸せな人はよいけれど、凡庸な人はどうすればよいのでしょう。凡庸なことがわかっているにもかかわらず、幻の原石を見つけようとするから苦しくなるわけで、「凡庸でよいのだ」というメッセージがあまりにも少なすぎると思います。

 そしてあの最後のくだらないセリフ。ウィキによれば、あれは原作にあった言葉ではなく、王女と自然が大好きな巨匠が「中途半端はいけない」とか何とか言って考えたシーンだそうです。巨匠によれば、自分のセックスするパートナーを一人に定め国家に登録することが、中途半端をやめることなのです。驚くべき国家主義者ですね。ついでに言うと、前々からあの父親がうっとうしくて仕方ありませんでした。しゃべり方も下手くそだし、ああいったしゃべり方によって理解あるやさしい父親像を演出しているのだとすれば、ますますうっとうしいのですが、なんと声は立花隆でした。うっとうしいわけです。



2月24日(日)ハハハー

 朝起きたら、雪が積もり、しかもまだ降り続いています。ネットによれば、東海道新幹線は止まっていないものの30分の遅れが出ているそうで、予定より早くに新大阪へ行き、すでに購入していた切符をより早いものに交換してもらいました。予想される遅れを考えると、乗り換えることにした便ですれすれ、1時半から東京で行われる研究会に間に合いそうで、「よかった」と思いました。途中で、研究会に出ると思われる友人とメイルのやり取りをして、衝撃の真実を知らされたときは、ちょうど名古屋駅を出るためにドアが閉められたときでした。「今月の研究会は、入試とかの関係で1週早く、先週あったよ」。がびーん。「MLチェックしなきゃ!」。はい、ごもっともです。おっしゃるとおりです。もちろん昨日も今朝もチェックしました。13時30分から4階402号室でってことは。先月の研究会の様子を伝えるどうでもよい文もちゃんと読んだのに、開催日だけはお約束事のように見ていませんでした。

 しかも絶妙のタイミングで真実を知ってしまうわけです。「次の駅で降りりゃいーじゃん」。またしてもごもっともです。おっしゃるとおりです。名古屋の次の駅は、三河安城だろって? バカ言っちゃいけません。新横浜です。というわけで、今日は豪華デラックス地球に優しい新幹線の旅でした。ただ新幹線に乗ることそのことが目的の旅。レッド・パージに加担どころかそれを先導していたヤツの遊園地へ行くために新幹線に乗ろうというようなCFを作るのではなく、私のような定言命法的乗客をCFに起用すべきではないでしょうか。依頼されれば考えないこともないですよ。よ。よー。



2月25日(月)事情通

 30年近くも前の事件について、今更のように逮捕が行われ、アメリカの裁判に詳しいとされる事情通みたいなのが「アメリカには殺人に関しては時効はありませんから・・・」と言ってました。へぇー、そうなんですね。ということは、イラクやアフガニスタンでの現在進行形の殺人は言うまでもなく、もっと遡って罪を裁いてくれるということなんですねー。期待してまっする。



2月26日(火)スカッ

 「死ね!このヤロー!」は「品格」の問題だそうですが、女性差別(と集団リンチ)を公然と遵守し続ける共同体を問題とも何とも思わずに、ハエ(by番長、それにしてもいい歳して「番長」って・・・)に向かって言った言葉を「品格」の問題だとおっしゃる人たちの「品格」はどうなっているのでしょうか。「品格」なんて、所詮その程度のものだというユーモアであれば素晴らしいのではありますが・・・。

 それにしてもスカッとしたでしょうねぇ。私も最低3人くらいにはそう言いたいです。だけど問題になりそうなので、念力を送るだけにしておきます。



2月27日(水)ラフォンテーヌはかっこいい

 フランクフルトのあるヘッセン州では、1月末に州議会の選挙があり、州の首相を出しているCDU(黒)が得票率では辛うじてトップだったものの、割り当てられる議員の数では野党のSPD(赤)と同じでした。残りの議員は、FDP(黄)と<緑の党>と<左翼党>(赤)で得票率に応じて分けられます。政権を担うには、単独では不可能で、連立を組まないといけないのですが、これがうまく行かないわけです。選択肢のひとつに、ジャマイカというのがありますが、これはジャマイカの国旗の色(黒、緑、黄)からきています。黒と黄とは仲が良いのですが、緑が黒と組むなんていうのは、ちょっと考えられませんし、空港の拡張計画に対して黄は賛成していましたが、環境政党の緑は反対していましたから、やっぱりジャマイカの実現は難しそうです。アンペル(信号機)連合という選択肢は、赤と緑と黄で、SPDはこれを望んでいるのですが、黄が難色を示しています。黄の政党名は邦訳すると「自由民主党」。もちろん、どっかのそれほど節操がないわけではありませんが、基本的にリバータリアンなわけですから、お金持ちの味方です。だからこれもうまく行きません。大連立という選択肢は、CDUとSPDによる連立ですが、これは国政レヴェルでは実現しているものの、ヘッセンではさすがに実現しそうにありません。

 私などは、赤・赤・緑でいいじゃんと思うのですが、最後の<左翼党>というのは、もともとSPD左派だったラフォンテーヌたちと旧東ドイツの社会主義統一党の流れを汲む人たちとで結成された党なので、ある種の人たちはほとんどアレルギー反応をおこしてしまうようです。コンテクストはかなり異なりますが、「アカとは組めない」というところでしょうか。選挙期間中も、CDUのポスターには堂々と「左をブロックする」と書かれてありましたし、SPDの候補者は再三、<左翼党>とは組まない、と公言していました。

 ところが、3つの選択肢がうまく行かず、この最後の選択肢が現実味を帯びてきて、ヘッセンの放送局はSPDの代表が<左翼党>の助けを借りて首班指名されることに賛成するかどうか、ネット上でアンケートを実施しました。私は賛成票を入れましたが、なんと、賛成が72パーセント。こっちのこの手のアンケートだと、たいてい私はごくごく少数派なのですが、ドイツだとフツーの意見のもち主になれるようです。へへへ。



2月28日(木)私のNHK 2

 今日の私のNHKには、なんとあの石川ひとみが出て『まちぶせ』を歌ってました。そして当時流行った歌として『想い出がいっぱい』を、「いい子だよ、歌以外は」と評されたことのある若様が、たしかに下手くそに歌っていました。『Lui-Lui』はまあ、どうでもよいとしても、私の世代は見事にNHKに狙われているのかと、気がつきました。

 YouTubeを観ちゃいそうです。あ〜あ、仕事ができない・・・。



3月1日(土)逃げた2月

 「2月は逃げる」と言われるとおり、もう3月になってしまいました。昨日は4年に1度しかない日なのに、更新できませんでした。しかしまあ、2008年3月1日だって、2008年に1度しかなかったわけです。ちょっと話が違うような気もしますが、「気」なんてどうでもよいでしょう。今年から大リーグでプレイすることになったあるピッチャーは、私のNHKの取材で色紙に一字書くように依頼されて、「気」と書き、なんてユーモアのセンスがあるんだろうと思わせてくれました。「気持ちだけでは負けないようにしたい」そうです。プロなら、気持ちなんてものに左右されず、「技術だけでは負けないように」すべきだと思うのですが、いまだに竹槍で戦闘機を落とそうという発想なんですね。がむばってくださいねー。



3月3日(月)お疲れ様でした!

 「今日は女の子にとって特別な日」などという伝統的文化的差別丸出しの見出しが躍る日でしたが、さすが、文学研究科では「教職員と学生のための性差別問題研修会」が行われました。教授会終了後、部屋を変えての開催だったせいか、教授会構成員からの参加者は18名。そのうちなんと、哲学ブロックからは7名。哲学の教員の差別問題に対する意識は高いということなのでしょうか(言うまでもありませんが、他の分野の方々はこの件に関する問題意識が低い、などと言いたいわけではありません。もっとも、言語の意味は発話の意図ととは無関係ではありますが・・・)。一説によると、哲学出身の性差別問題委員が怒るから、しぶしぶ出席した哲学の教員もいたとか。行為において重要なことは動機なんかじゃないので、この説は却下です! へへへ。



3月4日(火)FD

 そして今日はFDのための講演会でした。FDとは、言うまでもなく Floppy Disk の略ではなく(FDということが言われ始めた頃、この手のオヤジ語がもっとも流行りました)、「ふざけんな、で○」の略でもなく、「ふなちょ、大好きっ!」は論外です。正解は、Faculty Development 、主として教育する能力の開発のことです。

 さすが、文学研究科の教員のみなさんは教育に関して熱心で、昨日の講演会なんかよりもはるかに多くの方々が参加されていました。始まるまでに、聞かなきゃよかった雑談が聞こえてきました。「昨日のは行きました?」「呼ばれてない感じがしたので行きませんでした。」「6時から始めたって、行かないですよね。」「もっと日程や時間を考えたらどうなんでしょうか。」

 すみませんでした。次回からは、最優先でお二人のご都合をうかがわせていただきま〜す。教授会のない日に開催した方が、いらしていただけるとは思ってもみませんでした。まだまだ思慮が足りないですね。もちろん、特別に招待状もお作りいたしますよー。



3月5日(水)ぎゃふん

 もう水曜日が終わってしまいました。明日は朝からきょーじゅ会なので、また1日が瞬く間に終わってしまうことでしょう。そうしたらあれよあれよと金曜日じゃないですか。もう1週間が終わる・・・。いろんなことを片づけないといけないのに、いつも寝る前になって「明日は絶対にあれこれしよう。でも今は寝よう」と思うばかりで、結局いろんなことが片づかない。あ〜あ。



3月7日(金)殺す可能性について

 『最終兵器彼女』に読み取るべき思想があるとすれば、戦争は、殺されるかもしれないからではなく、殺すかもしれないからこそ問題なのだ、という点ではないでしょうか。その他のことについては、まあどうでもよかったです。ところで、被爆国を「桜の国」と美的に表象する物語にも、こうした視点はあったのでしょうか。絶賛する複数の人の話を聞いて、読む気も映画を観る気も失せたので、わかりませんが・・・。

 カントの平和論には、正戦論を読み取ることができるので素晴らしい、とするような論文を読んで、かなり愕然としました。みずから起こす戦争を「侵略」と称するようなことは、よほどのアホでないかぎりないわけで、たいていの戦争は正義のために行われるはずです。だとすれば、たいていの戦争は正戦だということになってしまうわけです。机上の空論と言われようと、叡知界の住人と呼ばれようと、「いかなる戦争もあるべからず」と言うべきではないのでしょうか。



3月8日(土)ヘッセンの結末

 ヘッセンでは、赤・赤・緑の連合が成立しそうだったのに、SPDの州議会議員がひとり、「<左翼党>と組むのなら首班指名の投票をボイコットする」と言い出したため、結局SPDの代表は立候補を諦めてしまいました。件の議員は元々西ベルリンの出身で、<左翼党>の源流のひとつである旧東ドイツの社会主義統一党のせいで壁ができて家族が分断されたという、ある意味で(ひょっとすると、あらゆる意味で)どうでもよいことを理由にボイコットを宣言したのでした。

 そのせいで、いかにも狡猾そうな保守じじいという顔をした(←言うまでもなく偏見であり、普遍妥当性は要求しません)現在の首相が再選されるそうです。サイテー。



3月9日(日)レース

 そんなわけでレースへ。もちろん、昨年の大会結果からいって出れば勝てそうなヤツに。コースは、平坦なところがほとんどなく、急激な上りと急激な下りが繰り返される「もう勘弁してください」的な15キロ。なのにスタート直後からびゅんびゅんぶっ飛ばす人たちがいて、てっきり34歳以下の部の若人たちだと思いきや、35歳〜49歳の部のおっさん達だとわかり、「とりあえず折り返しまではゆっくり行こう」路線を変更せざるを得ませんでした。ですが、おっさん達はなかなか手ごわく、結局2位まで上がるのが精一杯。1位の人は、「こんなところへ荒らしに来るなよ!」と言いたいくらいの、全国レヴェルのランナーでした。私のタイムは大会記録でしたが、この地方大会荒らしには2分以上、ぶっちぎられました。
 ええ、行きも帰りも特急の指定席です。ホテルにも泊まりました。駅と会場との往復にはタクシーを使いました。はいはい、なのにこのザマです。もっともっと修行しま〜す。



3月10日(月)イタイ

 激しく筋肉痛。禿板。年とると筋肉痛なんてこないと言われていたのに、この痛さは半端じゃないです。どのくらい半端じゃないかと言うと、研究室から1Fへ降りるのに、エレヴェータを使い、3Fのトイレじゃなく4Fのトイレを使うくらいです。「きみぃ、それは生きてる証拠だよ」とか、年中ジャージ姿の体育教師なら言いそうなところですが、別にこんな痛みをもつまでもなく、生きてることは嫌と言うほど知ってます。

 ついに29000を超えちゃいましたネ☆



3月12日(水)実証中

 やっと暖かくなってきました。うれP。しかし、両目が強烈にかゆく、いったんかきはじめるとなかなかやめることができません。くしゃみや鼻水も例年より多いような気がします。やっぱり自然とは共生できそうにありません。「そもそもスギやヒノキの植林が自然に反しているのだ」とエコロジストは言うのでしょうが、では自然に反していない植林とは何なのか、教えてもらいたいところです。

 自然が大好きな人は、きっと大量の花粉も大好きでしょう。いや、是非そうあって欲しいところですね。そして大量の花粉がダメな人は、自然が大嫌いなわけです。目がかゆかったり、田舎者でもないのに鼻水がひんぱんに出てしまうということは、つまり反エコロジストを実証しているのですね。やったぜ!



3月13日(木)『夏物語』

 この前、知り合いのイ・ビョンホン・フリークに薦められた『夏物語』を観ました。私は、ふたりで町に出かけて店の窓越しにプレーヤーを見ているときに彼女の顔をカメラがイ・ビョンホンの視点でとらえ、そこでちょうど主題歌が流れるときの、その彼女の顔がよかったのですが、こんな短なシーンを気に入るなんてマニアックだけど見る目があるよね、と思いきや、フリークによればそれは有名なシーンだそうです。ぎゃふん。すみません、私ごときが図に乗ってました。

 やはり観終わってから、いろんなことが面倒になりました。『八月のクリスマス』ほどではないにしても・・・。



3月14日(金)自白しま〜す

 公務中に私語したら、その間の給料を差し引くって???相変わらず、木に登ってますねぇ。だったら、あの下品なしゃべり方や下品な話の内容はとても「公務中」のものとは思えないので、その分の給料を返上していただかないと。ついでに言うと、人を笑わそうとしているとしか思えないあのご尊顔をさらしている時間も、まさか「公務中」じゃないでしょう。あっ、私は今日、公務時間中にもかかわらず、おねえさんたちのことを考え、『夏物語』のシーンを思い出し、天津マーボーなんか食べて満腹になってしまい、コーヒーも飲み、ポッキー(いちご味)を口の中でとかして味わいました。この間の給料をもらっちゃってもよいのでしょうか。

 もう40000分以上も在職しちゃってるそうですから、そろそろやめたらどうでしょうかねぇ。



3月15日(土)土曜日は憂鬱

 土曜日はどういうわけか早くに目が覚めてしまい、仕方がないのでいろんなところを掃除して、昼寝して、暴走して、銭湯へ行ってしまうのです。今日は銭湯へ行く前にスーパーで1週間分の買物もしましたが、レジで前に並んでいた人は、何とかごを3つも隠し持っていて、その人が支払いを終えるまで自分が買った物をさらしながらボケーッと突っ立っていました。なぜかそれ以降、風呂に浸かりながらもずっと憂鬱な気分になっていました。そういえば、暴走の後、銭湯へ行くと憂鬱になることが多いようです。それはきっと、血糖値が下がったままだからだと踏んでいるのですが、それではあまりかっこがよくないので、たんに「土曜日は憂鬱だよね」と深遠そうなことを言っておくことにします。



3月17日(月)忘れました

 昨日、『ペイチェック』という映画を放送していました。ベン・アフレックは、デ・ニーロとともに前回の大統領選で民主党の支持を行っていましたが、将来的には政治家でしょうか。少なくともデ・ニーロほど悪そうには見えません、と、これでは情報量ほとんどゼロですね。カリフォルニア州知事よりかは、はるかに賢そうです、と、これも情報量ほとんどゼロでしょうか。

 映画では、いろいろ事情があってベン・アフレックは記憶を消されるのですが、羨ましいことです。ちゃんと消してもらえるのなら、わざわざ抑圧したりしなくてすむわけですし、検閲をかいくぐって嫌な記憶が舞い戻ってきたりもしないわけです。別にちょっとくらいなら多めに消しちゃってくれても構いません。消えちゃえば、あったってこともわからないからです。

 しかし映画の最後は、「絶対に忘れない」とか何とかいうセリフです。そういえば、ノルウェーの何とかという小説でも、「絶対に忘れないでね」というお願いがありました。そして「記憶」に重きをおく思想家もいたそうですねぇ。だれだか忘れましたが・・・。



3月18日(火)研究会

 今日は、第7回 handai metaphysica 研究例会がありました。ご発表されたみなさん、そしてご参加いただいたみなさん、お疲れ様でした。もう少し、学生の方に足をお運びいただけたらなぁ、と思いました。ディスカッションの場にいることは、しばしば苦痛以外の何ものでもありませんが、しかしそれなりに学ぶところも多いと思うのですが・・・。と、たまには真面目なことも書いてみました。



3月19日(水)冗談???

 カントの平和論には「民族自決」を読み取ることができて素晴らしいそうです。こういう評価ができるには、カントの平和論にこの議論を読み取ることができるとともに、「民族自決」は素晴らしいということが前提されていなければならなくて、さらに、「民族」の存在も前提されていなければならないはずです。私が読んだ論文では、民族の多様性と国家の多様性が並列に論じられていたので、どうやら「民族自決」の内実とは、一民族一国家のことのようです。私は、政治的共同体の成員としての日本人というのは存在すると思うのですが、日本民族なんて恐ろしくって口にするのも憚られます。「日本国」と書かれたパスポートをもつこと以上に、いったい何が加わると民族の一員となるのか、ご存知の方にはぜひ教えていただきたいものです。そんなものはないと断言できますが・・・。



3月20日(木)ブッシュとカント

 カントは、『判断力批判』のなかで、「戦争でさえ、それが秩序を伴い市民的諸権利の神聖視を伴ってなされるのであれば、それ自体何か崇高なものをもっている」(V, 263)と口を滑らせています。こんなことは言うべきじゃなかったと思います。なぜなら、自己の侵略戦争を「これは侵略戦争である」と宣言することはまずないわけで、たいていは「秩序を伴い市民的諸権利を神聖視」するがゆえに戦争は行われるからです。要するに、カントの議論に従えば、侵略を告白する戦争以外はすべて崇高だということになるのです。

 5年前にイラクへの侵略を開始した今日、侵略の最高責任者は「この戦いは高貴である」と言いました。英語で何と言ったかは知らないのですが、少なくとも独訳されたニュースでは、厳密には「崇高」にあたる語が使われているわけではありません。しかしまあ、哲学の論文じゃないので、「高貴」だって「崇高」と大差ないと言ってもよいでしょう。あの戦争犯罪人は、アメリカの兵士がいなければイラクに秩序はなかったと、この戦いが高貴である理由を述べています。「待ってました!」 なるほど、この戦いは秩序を伴うわけです。そして、イラク市民を独裁者から解放することは、言うまでもなくイラク市民の諸権利を神聖視するがゆえになされるべきことなのでしょう。

 条件をつけようと、何をしようと、<戦争は崇高だ>などと言うべきではない、と言いたいのです。



3月21日(金)ばばりまつ

 まあ、そうですよね。ドイツで思う存分お勉強させていただいたんですから、はい、働きますよ。いや、働きマッスル! 4月からの2年間は、教育支援に全力を注ぎます。だから、教育にも研究にも力を注げましぇ〜ん。

 今日は、教職員による送別会がありました。私は、光栄にもさわやかジャック様への花束贈呈をお願いされちゃいました。手渡すときに、「抱き合います?」って訊かれましたが、そんなことをしたらますますいろんなところで不興を買うので、断念しました。きょーじゅかいでは、いつ終わるとも知れないなが〜いお話があったかと思うと、ジャック様のご挨拶の機会はなく、非常に不思議な思いがしました。また、いろんな意味でこんなにステキなジャック様を手放すとは、なんて太っ腹な方々なのでしょう、と思います。



3月24日(月)おめでとうございます

 今日は学部の卒業式でした。卒業されたみなさん、おめでとうございます。きっと単位が足りているかどうか不安だったことと思います。えっ、足りない場合は教えてほしいって? だから、今日わかったじゃないですか。えっ、その前に知りたいって? そんなことを言い出したら、原理的には「その前に」をいくつも重ねることになってしまいますよ。たとえば、
 <卒業できるかどうかを卒業式の1週間前に知りたい>
 ⇒<卒業式の1週間前の、そのまた1週間前に知りたい>
 ⇒<卒業式の1週間前の、そのまた1週間前の、そのまた1週間前に知りたい>

つまり、こんなことを要求するのは不当ではないでしょうか。

 そんなつまらないことより、『どうぞこのまま』を聴いてますます憂鬱に。



3月25日(火)予餞会

 今日は予餞会がありました。「予餞会」という名称はよいと思います。この催しが「謝恩会」だったりしたら、のこのこ参加するわけにはいかなくなりますから。要するに、「私の恩に感謝しろ」ってことですからねぇ、謝恩会に参加するってことは・・・。それとも、ひょっとして、学生たちの恩に教員が感謝しろ、って会でしょうか。それならまだましだと思いますが、しかし恩がどうだこうだというイデオロギーは気に入らないので、やっぱダメですね。

 さて、予餞会ではろくな挨拶ができませんでした。申し訳ありませんでした。地上22階の会場が、ただただ恐ろしかったからです。いや、正直に言えば、たとえ会場が1階でもろくな挨拶はできません。もうちょっと鍛えないといけませんねぇ。



3月26日(水)仮象

 突然ですが、国内における刑法犯の発生件数は5年連続で減少しており、そのうち「殺人」も4年連続で減少していて、2007年の「殺人」の件数は戦後最も少ない値だったそうです。その前は、1991年が最も少なかったそうです。ん? 2007年も1991年も、私がそれぞれ4ヶ月間、7ヶ月間、国内にいなかった年です。ひょっとして、私が殺人者だったのでしょうか???

 いやいや、読み取るべきことはこんなくだらない思いつきではなく、「治安の悪化」はメディアのイメージ操作によるたんなる仮象にすぎない、ということです。



3月27日(木)さ〜すが校長センセ

 卒業式で変な歌が流れたときに起立しないよう事前に指導していたのなら、それは、立派な校長センセによれば「生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」だそうです。もしそうだとしたら、起立するように指導することも「生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」だし、起立しなかった教員を処罰することも、言うまでもなく教員の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎでしょう。件の発言にはこんな含意のあることは小学生にだってわかりますが、それを堂々と言ってのけるとは、さ〜すが校長センセ、あなどれませんね。

 校長センセなんて、とんでもなく体制派であって「ひのきみ」万歳派だと思ってきましたが、実はキケンな人だったんですねー。体制派の教育委員会は、こんな校長センセを野放しにしておいてもよいのでしょうか。教員たちに抗議を言ってきた方たちは、校長センセにこそ言わないといけないのではないでしょうか。知性があるのなら。



3月29日(土)猛省

 昨日はさわやかジャック様の哲学ブロックでの送別会でした。「えぇー、そんなことまでしてたんですか???」というような雑務の数々を文字通りさわやかにやってのけてきたようでした。信じられな〜い。それに引き換え、私など文句が多すぎました。反省してます。まあ、反省したからって文句が減るわけじゃありませんが・・・。

 ある方は、ジャック様と私が同じ年齢であると勘違いされていたので、「ジャック様の方が私よりひとつ上です」と言ってみたら、納得顔だったのであえて訂正はしませんでした。ケケケ。私が若く見えた方か、自分がオッサンに見えた方か、ジャック様はどちらを選ぶのでしょうか。

 ジャック様、2次会ではジャケットや靴下にもビールをふるまってましたが、イメージを損なうようでしたらこの文は読まなかったということで。



3月30日(日)荒んでまつ

 今週は、連日送別会などがあってたくさんの人たちと会食をしましたが、昨日今日はだれとも会うことなく、おまけに大学のサーヴァーがダウンしているのか、丸2日メイルを受け取ることもなく、なんだか孤独な気分に浸っていました(と書いた途端に、サーヴァーが復活したのか、2通のゴミメイルが着信しました。ひょっとしてだれかに見られているのかも・・・。といったような過剰な自意識をもつなんて「若い!」と、この前ある人から言っていただきましたが、私に言わせれば、その人が酔ったときにやらかすことなど「若い!」としか言いようがありません)。

 銭湯へ行くと、じいさんたちが「ホームで一番前に立つのは怖い。何をされるかわからない。最近の若いヤツの考えていることはわからん」といったことを大阪弁で話していました。どうやら、車両がホームに入ってくるのに合わせて線路へと突き飛ばされ、殺されるのが怖いそうです。怖いのは、中途半端に突き飛ばされることだと思っていたのですが、どうも「死にたくない」と言いたいようでした。「命を落とすよりも、面倒だけど防弾チョッキを着る方がましだ」と話を銃の乱射まで飛ばして語るじいさんもいましたから。傍目には「もう十分生きたんじゃないの?」というふうに見えても、ご本人たちにはまだまだやるべきことが山のように残っているようです。そりゃそうかもしれません。まだ、○○制は打破されていませんし、資本主義は生き延びそうですし、世界平和は訪れそうにありませんから。がむばってくださいね。



3月31日(月)うつくしいー

 

 私にはとりわけ桜が美しいと感じるような美的センスはありませんが、花見の場所を確保するために張り巡らされたビニール・テープはまったく美しくないと感じられます。そうであれば、桜をめでるほどの美的センスをおもちのみなさんは、きっとこの白いやつを美しくないと感じるに違いありません。

 諸悪の根源は土地の私有にありますが、それは何の根拠もなく「ここはオレ様の土地」と宣言することから始まるのでしょう。そうした人たちが美を独占するのだとすれば、それは、やはりニュートラルな美なんてものはないことを明確に示していて、ステキではあります。どんどんやらかしてください。



4月1日(火)4月(も)バカ

 イギリス・アメリカは、正義のためにアフガニスタンとイラクを爆撃したそうだ!



4月2日(水)めんどーなこて←つきがない

 この頃、更新したつもりだったのに更新できてないということが続き、なんだかめんどーです。論文の提出期限を守ってくださらない方たちもいるのですが、取り立てるのもなんだかめんどーです。そして時間割も間違ってたりしますが、言い出すのがなんだかめんどーです。「まんどくせー」は、今は亡き人がよく使っていた言葉ですが、まさしくそんな感じです。

 今日はガイダンスを終えた新入生と思しき人たちがたくさんいましたが、これからひどい目に遭うのかと思うと、例年同様、かわいそうになりました。しかしこういうのってパターナリズムだよなぁ、とも思い、なんだかめんどーです。



4月3日(木)猫に大判

 今年も『講義情報』に書いていただきました。「人間不信ですか?」 一応疑問文なので、お答えしましょう。私はたしかに、毎回の小レポートで愚にもつかない文を書き連ねている学生の方たちや言語が通じているとはとうてい思えない学生の方たちの知性は疑っています。しかし言うまでもなく、そうした学生の方たちは人間一般ではなく、学生一般ですらありません(どこかの学部とかどこかの専修の学生一般だったりはするかもしれませんが・・・)。ですから、人間一般に対して不信の念を抱いたりはしません。目の前のあなたのことを信用していないだけです。

 授業内容の紹介に、毎回の小レポートで「その日の授業の感想を書きますが」とありますが、受講者の取るに足りない感想なんて求めたことはありません。そんなものには何の興味もないからです。「かなりひねくれています」と言っていただき、よかったです。どうせ「楽しけりゃ、それでいいじゃん」的な従順な方たちからの評価でしょうから。そんな方たちから「サイコー」とか言われたら首くくらなきゃならなくなります。残念なのは、好感度も試験も講義もC評価、レポートはD評価なのに、ノートがA評価ってことです。これからはレジュメも配布せず、オールD評価を目指します。

 昨年も書きましたが、すでに「教官」は存在しないのでこの語を使うのは不適当です。いくら書き手が国家大好き症候群でも。



4月5日(土)御礼

 キリ番ありがとうございました。絢爛豪華空前絶後のプレゼントがあなたをお待ちしております。ご一報くださいネ!



4月6日(日)桃源郷にて

 新学期から確実に忙しくなることがわかっており、となれば、忙しいときにすべきことを先取りしておかなければならず、特急に乗ってハーフのレースへ行きました。下品なことに、またしても年齢別で優勝してしまいましたが、20歳代、30歳代のそれぞれ若造ひとりずつに負け、総合3位でした。1位のヤツはぶっちぎりだったのですが、2位争いはラスト3キロまで4人で行っていて、そこでスパートしたのですが、振り切れず、2位になったヤツに逆スパートをされてしまいました。さらに、30歳代のごま塩頭がしつこく食らいついてきて、いかにもシロウトがこつこつ練習してきましたって感じのヤツだったので、そんなのに負けるわけにはいかないとムキになって走った結果、ゴールしてから胃が痙攣を起こして吐きそうになりました。そこまでやるか、フツー???

 大会は桃の産地で行われたので、大会名に「桃源郷」という語が含まれていました。桃の季節に、優勝のご褒美として桃が贈られるそうです。



4月7日(月)やめちゃえー

 まあ、そもそも聖火リレーなんてものがくだらないからやめちゃえばよいのだし、もっと言えばそんなものをわざわざ運んできて催すような祭りごとそれ自体をやめちゃえばよいのにと思います。そうすれば、1001もそのとんでもナショナリズムを公けに晒してしまうことなく、ダメチームを強くしたたんなる野球バ○でいられたのです。

 それにしても人権団体って立派ですねー。アフガニスタンやイラクが爆撃されても、その地の市民の人権を守れとは言わなかったのに、仏教徒の人権は守れと暴力沙汰を起こすわけですから。やっぱ、序列的にはイルカ>仏教徒>イスラム教徒なんでしょうかねぇ。いや、仏教徒とイスラム教徒の間に、ええいホントのことを言っちゃえば、イルカと仏教徒の間にバーミヤンの大仏が入るかも・・・。



4月8日(火)ぬか喜び

 昨日の午後からダウンしていた大学のサーヴァーが今日のお昼くらいから復活しましたが、なんとサーヴァーに保存していた過去の受信メイルが見事に消えていました。もともとどういうわけか、研究室でもメーラーでは受信できないので、大学のメアド宛てに届くメイルはすべてWEBメイルで見ていたのですが、ということは受信したメイルは読んだ後取捨選択してサーヴァーに残していたわけです。それがすべて消えてなくなってしまったので、「困ったな」と一瞬思いました。しかし次の瞬間からはすっきりさわやかって感じでしょうか。なかなか捨てられないあんなメイルやこんなメイルも、きれいさっぱりなくなってくれたわけです。ひょっとすると重要なメイルもあったかもしれませんが、消えちゃったものは仕方ありません。こういうすべてを断ち切ってくれる災いが突然やってきてくれるなんて、なんて幸運なんだろうと思います。ぴったりの比喩もあるのですが、あまりにも不謹慎なので公開は控えます。

 不幸なことに、夜、消えたはずの過去のメイルが新着メイルとして届いてしまいました。あんなメイルやこんなメイルも・・・。{せっかくうまいこと寝ついたのに、また目が覚めてしまった感じ}×100くらいです。



4月10日(木)おはぷ〜

 この前、忙しくするのも忘れるくらいに多忙だったので、大学の食堂で『××ウォーカー』をぱらぱらとめくってしまいました。キャンパスの紹介だったか何だったか忘れましたが、どういうわけか学内にいるわんわんのお仲間にインタヴューしていて、このお仲間が「挨拶しないヤツがいる」と言い、「いくら頭がよくても人に挨拶ができないようじゃダメだ」と半ばお説教を垂れていました。頭がよいからこそわんわんの仲間になんか挨拶できない、という可能性はどのようにして排除したのでしょうか。「だれにでも」ではなく、取捨選択するからこそ、挨拶さえ意味をもつようになる、という可能性はないのでしょうか。

 記事ではまとめとして、「だれにでも気持ちよく挨拶できるようになろう」というようなことが書かれてあったように思います。ああ気持ち悪い



4月12日(土)我慢

 HPを開くと音楽が流れるようにしていた時期がありましたが、どうも「うざい」そうです。ひょっとするとギザウザスかもしれません。だったらますます流れるようにしてやろうかと思わなくもありませんが、読んでもらえなくなるのはさみちいので、我慢します。



4月14日(月)いつものように猛省

 まだ新学期も始まったばかりですが、すでにすんごく疲れた感じがしてなりません。そろそろ夏休みにしてもよいのではないか、と思わなくもありません。月曜日は、3限目と6限目なんかに授業をして、大変申し訳なく思っています。しかも、言わなければよいことをぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言ってしまいます・・・。何なら、責任とって休養しましょう。



4月15日(火)とほほ

 今日は留学生に対する英語の授業があり、「柄谷行人ってだれ?」というタイトルでしゃべりました。いやいや、情報が正確ではありませんでした。〜というタイトルで原稿を読み上げました。内容は、『トランスクリティーク』の紹介で、この本ではカントとマルクスがメインに扱われているということを説明したのですが、そしてその際に、柄谷はけっしていわゆるマルキストではない、ということを力説したのですが、提出してもらったプリントには、思いっきり Karatani Kojin = marxist と書かれてあるものがあって、こっちの英語力が悪いのかそいつの理解力が悪いのか、悩ましいところでした。

 出席していたドイツ人に、「外国で勉強しようとしているのに英語しかできない人のことをどう思う?」と尋ねたら、「何を勉強しようとしているかによる」と答えたので、「じゃあ、日本学だったら?」と訊くと、「英語ができれば十分」だと。「英語の文献がたくさんあるから」がその理由でした。「じゃあ、あなたはドイツ語、英語、日本語ができるわけだけど、英語しかできない人のことをどう思う?」と、何とかネガティヴな答えを引き出そうと質問したら、「英語ができれば不便はしないからそれで十分」。うーーー、そうかもしれないけど、そこには何の問題もないのか???英語を話す者たちが世界に先駆けて悪いことを行ってきたから、英語ができれば不便はしないって状況ができたんじゃないのか???と、思わないではないのですが、しかしあまりこんなことを言ってると、ナショナリストの化けの皮が剥がれたりしちゃうかもしれないので、これにて一件落着。



4月16日(水)もういらない 前からいらない

 なんかこの頃、私的に公用車乗って「内閣総理大臣」と記帳していた輩がやたらでしゃばってるみたいでうっとうしいですね。それだけです。



4月17日(木)

 モノレール柴原駅の前にはちょっとした広場があり、朝、ラジオ体操が流れます。それはいくら大雨が降っていて、体操する人がだれひとりいなくても流されています。今日は、そんな朝でした。その状況の中を走るのはかなり恥ずかしいものがあります。まあ、ここで書いちゃえば同じことですが・・・。

 今日はハードな一日でした。朝一で演習があり、午後一で会議、休む間もなく「哲学的お題」の集まり、ある委員会、ある委員会の歓迎会、研究室の歓迎会ですでにできあがっている若人たちのいるカラオケルーム。残業として、スカした歌を歌っちゃいましたー。



4月18日(金)ぴーーー

 宗教家なんて、弾圧されればされるほど、おいしいんじゃないんですかねぇ〜
 自分の思うようにならないからって、人前で泣いちゃうような知事様って、おっぱい欲しいんじゃないですかねぇ〜
 センスが悪いとおっしゃるお大臣は、自動的に死刑執行して欲しいと願う優れたセンスをお持ちでしたねぇ〜



4月20日(日)ぴーーー 2

 落書きされたくらいで憤りを感じちゃうなんて、宗教家のわりには度量が狭すぎるんじゃないですかねぇ〜
 「極刑になるべきだが、それが正しいかどうかわからない」のなら、「極刑になるべきだ」と言うべきではないのでは???
 いまだに一気飲みをやらかしているやからには殺人念力を送っておこう



4月22日(火)フィクション大魔王

 以下の会話は、言うまでもなくフィクションです。
 「お望みどおり、人が殺されることになってよかったですねぇ。祝杯ですね!!!」
 「人聞きが悪いなぁ。<人が殺される>と言ったって、刑罰じゃないですか。」
 「ええ、しかし<刑罰>と言ったって、正義の名の下に人が殺されることに変わりはないじゃないですか。そしてそれをお望みだったわけだから、人が殺されることをお望みだったんですよね。」
 「しかしその刑罰に値することをしたのですから、当然ですよ。」
 「なるほど、正義の名の下に殺されるのは、正義の名の下に殺されるに値することをしたからなんですね。」
 「そうですよ、死刑に値するから死刑なんです。」
 「なるほど、死刑に値するから死刑に値するんですね。」
 「そうです、死刑に値するから死刑に値するんです。」
 「ほほう、死刑に値するから死刑に値するわけだ。」
 「何が言いたいのでしょう、死刑に値するから死刑に値するんじゃないですか。」
 「そうですね、死刑に値するから死刑に値する。これはトートロジーですから永遠に真理なんですね。情報量はゼロですけどね。つまり、ある行為に対する処罰として死刑を選択するとき、その理由が<当該の行為は死刑に値する>ということに求められても、それは理由にはなっていないということです。」

 法学部の学生に是非を尋ねたら、6人中5人が死刑判決を支持するというような放送をちょっと見てしまい、暗澹たる気持ちになりましたが、よく考えたら、ある倫理学会のシンポジウムでも、遺族の気持ちを代弁しちゃう人に批判されたことがありました。そいつの名前はけっして忘れることはないだろうと思っていましたが、そういう頭の出来が立派過ぎる方にはまったく興味がないので、すっかり忘れてしまいました。

 死刑制度は野蛮です。人の死を公共の電波を使って声高に望むことは野蛮です。そんなところに正義はありません。



4月23日(水)まずは四足で歩けば???

 昨日、若い頃に絶望を感じたのでそれを何とかするために悪名高き哲学史家の本を読んだという、古来稀なる経験をなさった何とかという人が、自称頭のよい漫才師とNHKに出ていました。その何とかさんが、自然を支配しようとする理性主義と科学技術の密接な連関を批判し、失われた本物の自然を取り戻さないといけないと、公共の電波で寝言を垂れ流していたまさにそのときに、走行中の車両から飛び降りた人がいたために運転を見合わせていた新幹線が運転を再開したというテロップが流れ、大笑いしました。私のNHKは、ひょっとするとわざとやったのかもしれません。さすがです。何とかさんや哲学史家が何を言おうと、新幹線ってステキっす☆

 ネタにするためだけに見たり聞いたりするのは、実に苦痛です。



4月24日(木)予定は確定

 毎年GWはどういうわけか熱を出して寝込むことになっていて、それだとなんだか仕事人間みたいで嫌ですが、かといって怠け者であるように思われるのもちょっと嫌で、われながらなかなか複雑な心境です。今年もまた寝込むことになっているのか、実は数日前から咳が出て喉も痛んでいます。あんなことやこんなことをして楽しく過ごすはずでしたのに、病気では仕方ありませんねー。



4月25日(金)『タッチ』

 実写版を途中から途中まで観ました。ああいうめんどくさい話は、自分の身にふりかからないものなら結構楽しめるし、性的なものが抑圧されているところも好きだし、やっぱフィクションとしての体育会は単純でグ〜です。しかし、<達也が肩を痛めた>というのをラジオで聴いた南が、和也の遺品のボールをもって駆け出すシーンに至り、突然耐えられなくなりました。いくらなんでも、そこまで我慢を強いてはいけません、という感じです。

 原作が連載されていた頃はちょうど大学生で、部室ではこの漫画をネタにした話題でよく盛り上がっていましたが、その度に「アホどもが」と思っていました。観るのを途中でやめたときに、なぜかそのことを思い出しました。自分でもわからない、ダメポイントがあるみたいです。

 まあ、演技を売り物にしているわけではないのでしょうが、南ちゃん、聞きしに勝るうまさでした。



4月26日(土)ナカジマちゃんのこと

 わんわんが、総長の許可なく大学構内で職務を遂行するのは、大学の自治権を侵害しており違法である。
 大学構内で職務を遂行していた箕○署のナカジマ(どこのだれだか尋ねたら、そう答えました)ちゃんは、「総長の許可はない」と言いました。
 わんわんのナカジマちゃんの行為は違法である。

 これは言葉の意味さえ説明すれば小学生でもわかる簡単な三段論法でしょう。しかしナカジマちゃんは、わんわんの一つ覚えのように、「違法ではありません」と繰り返しました。「ここへ入った者がおったので」と差別意識丸出しの物言いをしていましたが、<それはおまえたちだろっ>と思いつつ、どうも予想通り理屈が通じないようなので、「訴えますから」とさらっと言ってやりました。すると、「あなたはここの人なのか」(ここの者じゃなかったら、お前だって違法だろう、と言いたいのでしょうか)とか「ここは遊歩道だろう」(だから違法じゃない、と言いたいのでしょうか)とか言うので、「そうだ」とか「ここは大学構内です(遊歩道だって大学構内なんだけど、と思いつつ)」と答えてあげました。そして「じゃあ、訴えますから」と言ったら、「あなたの名前を教えて欲しい」と言います。「市民が告発するのに名前を名乗る必要はないでしょう」と言ったら、わんちゃん、チャンス到来だと思ったのか、「私は名乗ったじゃないですか」(だから???)「さっきここの人だって言ったじゃないですか」(なのに名乗れないということは、お前、嘘をついたな、ってところでしょうか)と畳み掛けてきました。残念でした、幸か不幸か、ここの人だったりしちゃうんですよね。

 今日のところは、おそらくあの後退散してくれたと思いますが、どうも、恒常的に侵入している感じです。私はもちろんわんわんが嫌いだし、わんわんをバカにしていますが、言うまでもなくそんなこととは無関係に、わんわんが大学構内へ侵入することは違法であるし、そうした違反が日常的に行われてしまうことは大変危険なことです。



4月28日(月)きくぅ〜〜〜

 夜、眠ろうとして横になると咳が止まらず(言うまでもなく、レトリック)、なかなか寝つけないので医者へ行き、薬を処方してもらいました。「咳止めの薬は眠くなることがあるので注意してください」と言われましたが、医者から戻って定められた物を定められただけ摂ると、「あっ」と言う間に睡魔に。授業前に何とか目が覚めましたが、なんだか朦朧とした感じでした。授業後、お昼を食べてまたしても薬を服用すると、これまた即座に睡魔に襲われ、授業前に何とか目が覚める始末。喉も痛いままだし、咳も治まっていませんが、睡魔の効能だけはあるようです。これから薬を摂るべきかどうか、悩むところです。摂れば確実に、明日の朝まで眠りこけることでしょう。そんなことでよいのでしょうか。まだ10時にもなっていないのです。



4月29日(火)GWでつ

 今日はお客さんが6人もやってきました。ここへ移ってもうすぐ丸3年になりますが、これまでお見えになったお客さんの総数が6人でしたから、今日は1日でこれまでの分と同じだけのお客さんがきたことになります。だから???いえ、ただそれだけのことです。とはいえ、なんだかGWみたいでしょ???



4月30日(水)それで???

 →薬を服用する→朦朧として仕事にならない→薬をやめる→咳が出て眠れない→薬を服用する→朦朧・・・ 悪循環
 ミュンヒハウゼン・トリレンマ:判断停止/論点先取/循環論証
 小さい頃に街中へ出かけ帰りに利用したバスは、<八日町経由中野循環>。
 他には、コンドラチェフ。



5月1日(木)ナカジマちゃんのこと 2

 といっても、わんわんのナカジマちゃんではありません。そのわんちゃんは、きっと今日も社会正義のために奔走していることでしょう。その真面目で本気で熱い心情を思えば、法律なんてくだらない、くだらない。

 今日のナカジマちゃんは、本を出せば必ず売れると言われているカント研究者です。新しいのをいただきました。なんと、子どもの頃に書いた日記やら世界地図やらを元にしたエッセイです。原文がそのまま活字にされているばかりか、現物が写真として載せられてたりもします。

 子どもの頃、孤独だったけれど、自分にはこういう自分だけの世界があったから生き延びることができた、ということを教えてくれる本でしょうか。こうした励ましが大きな力になることはありうるでしょうし、それはそれでよいことだろうと思います。しかし、まさか私に送ってきて「だからキミも頑張るんだ」って言いたいわけではないでしょう。ではどういうことでしょうか。

 どうせキミも孤独だっただろう、ということ? 残念でした。私はこそこそと進学塾へ通う小学生でしたが、しかし「こそこそと」通わなければならないほど、友達はたくさんいたわけです。東京から田舎の中学に転校したときは、たしかに同級生や教師をバカにしていましたが、しかしその過去は消してしまったので今の私とは無関係です。

 ナカジマちゃんからは、自著の合評会を開く際に特定質問者に指名していただき、「サイテーの合評会だった。質問者もサイテーだった」とお褒めの言葉をいただいたことがあります。にもかかわらず、同じようなサイテーの疑問を盛り込んだ書評まで書いちゃいました。お互いに、意見が正反対であって絶対に同意することなんてありえない、という点で意見が一致しています。



5月2日(金)『カリ城』観ますた

 あの監督の数少ない名作の一つだと思います。クラリスは、あの後アメリカへ行ってFBIの捜査官になり、レクターと会うわけですね。レクターは彼女に、「田舎者の臭いがする」というようなことを言ったと思いますが、それははずれだったことになります。それにしても、悪者の伯爵はラサールって名前なんですね。ドイツの社会主義者じゃないですか。



5月3日(土)410円

 ようやく体調も戻ってきた感じだし、暑かったし、憲法記念日だったので、久しぶりに暴走して生を実感し(←嫌味ですよ、嫌味)、銭湯へ。知らぬ間に値上がりしてました。しかしいつもよりかなり客が少なかったのは、そのせいではないでしょう。最初は「なぜだろう?」と思いましたが、はたと気がつきました。きっと、GWだからでしょう。みなさん、どこかへお出かけなんですね。いってらっさい。

 この頃、銭湯のおばあちゃんを見かけなくてちょっと気になっていたのですが、GWなのにどこへも行かない(≒行けない)常連客の2人が「最近、見かけない」と言ってました。やっぱ気にしている人はいるのだなぁ、と思いました。



5月4日(日)アリストテレス

 実は、明日も明後日も休みなんですよねー。もったいない。いやいや、休みたくないとかそんなことを言ってるわけではありません。もちろん喜んで休ませていただきますよ。ただ、こんなところで連続して休みを使ったために、次は7月の何とかの日まで休みがないのです。これってちょっと大変でしょ。そんなわけで、連休は自分の好きな週に1日ずつ振り替えることができるようにしてほしい、って毎年思います。これぞ配分的正義じゃないでしょうか。違うか。

 どーせこーむいんなんてすきなときにやすんでんだろっ、ですか? 何をおっしゃるうさぎどん。



5月5日(月)ぎゃふ

 

 昼に本を買いに出かけ、ついでに雑誌も買って家に帰ってから袋の中をのぞくと、「えーーー???」。何が悲しくて『ひよこクラブ』なんて買ったんだ???雑誌を買い間違えるにも程がある・・・。いやいや、なわけがありません。本屋さんの袋に宣伝用のパンフが入ってて、それが雑誌の表紙にぴったり重なっていただけでした。ったく、あやうく「ばぶばぶ」言うところでした。

 しかし話はこんなつまらないところでは終わりません。パンフをどけたら雑誌の表紙が目に入り「あれ、またハセキョー???」 なんと、同じ雑誌をまた買ってしまいましたとさ。

 まあ、子育てよりかはましでちゅかぁ。



5月6日(火)終わった・・・

 終わってしまいましたねー。明日からはまたせっせとお仕事ですねー。いやいや、言うまでもありませんが、連休中だっていろんなお仕事はしているわけです。たしかにひるねしたり、ようつべのはしごしてだらだらとすごしたりもしましたが・・・。



5月7日(水)始まった・・・

 始まってしまいましたねー。今日からはまたせっせとお仕事ですねー。いやいや、言うまでもありませんが、連休中だっていろんなお仕事をしていたわけです。たしかにひるねしたり、ようつべのはしごしてだらだらとすごしたりもしましたが・・・。



5月8日(木)なるへそ

 私は長い間、時間を守らない人は権力者なんだと思ってきました。ヒトラーの有名な映像があります。演説をする時間になったのですが、ヒトラーは演説を始めない。なぜなら、私語があってざわついているからです。ヒトラーは、場内が文字通り「しーん」と静まりかえるまで待ちます。そして私語が完全になくなってからようやく演説を始めるわけです。ここには、演説を始める時間を握っているのはこの自分だ、という主張を読み取ることができると思います。

 私はだから、時間を守る人でありたいと思ってきました。ところが昨日、時間を守る人こそ権威主義的なんじゃないか、という指摘を受けました。それを聞いて、「なるへそ」と思いました。定められた事柄について、それが定められた事柄であるがゆえに、ただそのことをもって従うというのが、まさしく権威主義だということなのでしょう。そう言われれば、データを収集する際に、反権威主義を標榜しているような方は、かならず期限を守ってくださらないということにも合点がいきます。

 でも、そんな偉い方を偉くない権威主義者は待ち続けるわけです。それはお前が権威主義者だから悪いんだ、と言われそうです。そんなことは認めたくありませんが、しかし私はよく権威主義者だと罵られます。まあ、そう見えるのであれば、それは残念ですが、仕方のないことです。ただ単純に、人を待たせるくらいなら、自分が待つ方がましだと思ってるだけなんですけどね・・・。

 うーーー、何のオチもありませんでした。



5月10日(土)冷たい雨

 今日は朝からひんやりとして静かな雨が降る一日でした。こういう日はわりと好きですが、しかしちょっと寝すぎました。年をとるとあまり眠らなくてすむと聞いていたのに、年をとってなかった頃と同じくらいに眠ってしまいます。なんだか損をした気分。まあ、起きていてもろくなことはしないわけで、だったら眠ってる方がましかも知れませんが・・・。

 そんなわけで、たっぷり昼寝してから暴走し、またしてもがら空きの銭湯へ。雨だからみなさんいらっしゃらなかったのでしょうか。もったいない。スチーム・サウナに入りながら、かつて『冷たい雨』を聴いたときに、<赤い靴を履くようなのと一緒に暮らすことにしたヤツのことなんてどうでもよかろうて>と思ったことを思い出しました。恐ろしい偏見ですね、われながら。<彼女の名前を知ってしまうと恨む人物が一人増える>というのは、固有名の指示対象はどの可能世界においても同一であるという、どっかで聞いたことのある議論を前提したうえで初めて成り立つんですよねー。

 当たり前のことかもしれませんが、この曲を作った人よりも、提供されて歌っている3人組の方が、はるかにうまいですね。



5月11日(日)憂鬱だー

 <「むかしはよかった」という発言は、まず間違いなく誤りだ>と、かつて私は同僚から聞いたことがあり、まず間違いなくその通りだろうと思ったし、今もまず間違いなくその通りだろうと思っています。『Always』の時代が今よりよかったはずがないことは、400勝投手の投げる球が今の投手の球より速かったはずがないことと同じくらい、まず間違いのないことだと思います。両者は同じくらい、神話化されていますが・・・。

 では個人史のレヴェルではどうなんでしょうか。この議論でいけば、なんだか年をとればとるほどみんなましになっていくように思えますが、しかしそれにしては反証例が多すぎないでしょうか。もちろん私自身もその一例です。いや、ひょっとするとずっと同じ程度にひどいというのが、まず間違いのないところなのでしょうか。

 少なくとも、日曜の夜が憂鬱なのは、変わることなくずっと続いています。



5月12日(月)立派でつ

 <自殺するようなヤツはアホだ>というような発言をした自称天才がいるそうです。きっと自分の生き方に自信満々で、生きることに何の疑いももったことなどないのでしょうねぇ。いやぁ、立派なことです。<レトリックだ>と擁護する向きもあるようですが、あの人の芸風に従えば、この手のレトリックを使う者はバカにされるでしょうから、その擁護の仕方は間違いでしょう。<本音を言って何が悪い>という擁護もあるようです。そうかぁ、ある種の人たちが本音を言うと、<自殺するようなヤツはアホだ>ということになるのですね。きっとみなさん、自分の生き方に自信満々で、人生を謳歌しているのでしょうね。いやぁ、立派なことです。

 あの人のいじめを基本にした笑いはまったく好きになれませんが、そんなものはルサンチマンだとどこかから言われそうですね。



5月13日(火)ついで

 笑いネタついでに言えば、鳥居なんちゃらという人のようなパフォーマンスは、やっぱ差別的だから絶対ダメなんだと言うべきだと思います。「本音を言えば笑いたいじゃん」と言う人はきっといるだろうと思います。そういう人に対しては、「本音やめますか、人間やめますか」と二者択一を迫り、前者を選ぶまで教育を受けさせたいくらいですが、しかし私はリベラルだしめんどくさいのも嫌なので、せいぜい「本音は隠すべきだ」ということくらいしか言えません。

 あれを見て大笑いしている人は、何の後ろめたさもないのでしょうか。というような言い方は、まだ何らかの期待をしているということになるのでしょうか。



5月14日(水)仏教に人権思想はあるのでつか???

 オリンピックの開会式に出席しないと宣言している人権第一の首長たちは、だったら自国の企業が協賛したりすることも禁じないとおかしくないでしょうか。正義の味方ヅラもしたいし、おなかも膨らませたいんだなんて、それじゃあまるで<アジアを欧米列強から解放する>という名目の下で侵略した人たちや、<独裁者からの解放>を謳って石油利権のために爆撃したアングロ・サクソンたちと変わらないではありませんか。

 別にオリンピックなんてどうでもよいのです、いや、むしろなくなってほしいです。とはいえ、普段は左翼的なつもりの人が突如としてナショナリストぶりを発揮してくれるので、面白くはあります。<健全なナショナリズム>とか言っちゃうわけです。じゃあ、不健全なナショナリズムって何でしょうか???



5月15日(木)自己嫌悪

 自己嫌悪するなんていうのは、自分はもっとましだったはずなのに(こんなことをやらかしてしまった)ということが前提されているので、そもそも傲慢なことだと言えるでしょう。そんなわけで、今日は傲慢でした。

 偉いセンセーが、何の理屈にもなっていないことを臆面もなくべらべらしゃべるので、申し入れが終わった後でついつい「バカが」と声に出して言ったら、まだ当人が思いがけず近くにいて、自己嫌悪。言うまでもなく、当人に侮辱する声が聞こえてしまったことそのことなどどうでもよいのですが、私がそうした言葉を吐くことをあんな立派な方に知られてしまったことで、自己嫌悪なのです。だいたい、何の期待もしていないつもりだったのに、「バカが」なんて言ってしまったということは、実は少しは期待してたんだじゃなかろうかとも思われ、そのことでもまた自己嫌悪が発動されてしまいました。

 何のことだか具体的に書けば半分くらいの方は味方してくれるはずですが、まあいろいろあるのでやめておきます。やっぱ偉い人は偉いんだとだけ言っておきましょう。

*間違いをご指摘いただきました。「おまえは自己嫌悪するほど立派じゃないぞ」とか、そういう身も蓋もない本質的なことではありません。「期待してたんだじゃなかろうか」→「期待してたんじゃなかろうか」です。この錯誤行為の意味するところは、やっぱ期待なんかしてなかったのだろうということでしょうか。それならうれPのですが・・・。



4月16日(金)ネコナデ

 というドラマを見かけて、危ないので見るのをやめました。ペットは自分より先に死ぬので(まあ、ペットの方が長生きしてくれれば問題はないのですが)、飼ったりしたらペットの死を経験しなければいけなくなるわけです。生きている間に楽しい思いができればできるほど、それは耐え難いものになるでしょう。そんなことが約束されているのに、とてもペットを飼ったりはできません。もちろん、<生き物を飼う>ということにも抵抗がありますが・・・。ただ、それは人間中心主義をとれば解消できる問題です。

 というわけで、とりあえずはダチョ之一筋ということに。明日は東京へ。



4月18日(日)ノスタルジジー

 

 昨日、八王子で小学校の同窓会があり、参加してきました。私の学年は例外的に3年から4年に上がるときに1回組換えがあっただけで、4年〜6年までほぼ同じメンバーで過ごし、担任も産休を除けば変わりませんでした。そんなわけだからか、あるいは小学校以外はとても辛い思いをしている人が多いからなのか、この元6年4組の同窓会はよく開かれます。同窓会と銘打つことなく、何人かが集まって飲み会やら温泉旅行やらをすることも頻繁にあるようです。1度私は、新幹線で偶然出会ったと証言する3人組と京都駅で偶然出会い、そのまま城崎と天橋立を旅行したことがあります。

 この手の集まりでは、「うちの主人が・・・」「うちの主人は・・・」「うちの主人の・・・」というフレーズは避けられませんが、そのたびに「あなたは奴隷ですか?」「あなたは奴隷ですか?」「あなたは奴隷ですか?」なんてことを言うこともなく、おとなしくしていたのですが、たまに口を開くと「それは嫌味だ」「それは嫌味だ」「それは嫌味だ」と言われてしまいました。私はどこへ行っても、人を小ばかにしているように見えてしまうようです。心の底から言いますが、そんな傲慢な気持ちはケンミジンコほどもありません。そもそも、みんなで談笑しているときに、斜に構えてすかしてる人が私は大嫌いなのです。いや、談笑じゃなくても、「因果法則を疑って見せたら奥深く見えるんじゃね?」って感じの気取り屋も大嫌いなのです。もっとも、嫌いだからって、自分がそれじゃないってことにはなりませんね。(←ありうる異論を先取りして機先を制してみました。)

 ところが、あろうことか、<その人が何者であるのかを規定するのは当人の意識ではなく他者だ>とナカジマちゃん(No.2)に聞かしてあげたいようなお言葉まで頂戴しちゃいました。うーむ、ひょっとすると独断のまどろみをむさぼっていたかもしれません・・・。

 なんだ、日頃お前がバカにしているノスタルジーじゃないか、というお叱りをいただきそうです。先に弁明しておきましょう、ノスタルジーじゃなくてノスタルジジーです。わはは。



5月19日(月)なぜか???

 なぜでしょう、金曜日と日曜日の日付が間違っていました。そんなに4月に戻りたいはずはないのですが、しかしやっぱりGWをもう一度やり直したいのでしょうか。これらの日付を修正してしまうと、今日のコメントは無意味になります。だからといって修正しないと、なんだか間抜けっぷりをさらし続けていることになります。こんなことをぐちゃぐちゃ言ってないでさっさと修正すればよさそうなものですが、まあこんなことをぐちゃぐちゃ言っちゃうわけです。うっとうしい。



5月20日(火)哲人政治

 わざわざ言うまでもなく、こんなものはダメです。理由を書きかけたのですが、めんどくさくなったので消去しました。どっちみち、こんなものがダメなことに変わりはありません。こんなものの妥当性を主張する自称哲学者もダメです。そもそも、自らを哲学者と呼ぶ人なんて・・・。



5月21日(水)インフォームド・コンセント

 20年近くかかりつけの歯科医は、歯の治療をしながら、「ここがああなってるんです」「ですからこうしますね」と、現状を説明してくれてその処置を教えてくれます。返事しないと悪いなぁと思いつつ、なんといっても治療中なので、バカのように口を開けたままで、当然返事はできません。ひょっとしてこのような状況下にあるにもかかわらず、ちゃんと返事をしている人がいるのでしょうか。そうじゃないと、返事もしてもらえないのに来る客みんなに同じことを繰り返しているのが、ちょっと信じられないからです。

 みなさんはどうされていますか???



5月22日(木)秘密結社

 今日は1時間目にハーバーマスを読む授業がありました。だんだん秘密結社の集まりのような趣に変貌しつつあり、それはそれでよい雰囲気だと思っています。参加者はランダムに何度も当たるので大きな迷惑かも知れませんが・・・。ともかく来年度以降も、1時間目は手放せないかな???譲ってくださいと懇願されたとしても・・・。

 午後からは会議の連続で、気づいたら6時になっていて、しっかりびっくりぐったりでした。今週こそ勉強しようと思っていたのですが、早くも明日は金曜日。ダミだこりゃー、次行ってみよう。



5月23日(金)ネコナデ 2

 またしてもふらふらと「ネコナデ」へ行ってしまい、「やっばー、チャンネル変えないと」と思いつつしばらく金縛り状態に陥っていたら「つづく」という文字が出てしまい、「なんだ、終わりかよ、だったらカルキンなんか見てるんじゃなかった・・・」と思いました。結局、観たいということなんでしょうか。

 その次が「魔王」という韓国ドラマで、もう第10話なのでコンテクストがわからないところもあったのですが、これまた毎週観たくなったりしたら困るので、面白そうだったのですが途中で観るのをやめました。

 このTV局、その地域色を出したご当地万歳番組はまったく見る気がしませんが、これら2つはちょっとあぶない。



5月25日(日)ちょっと上品

 ←越前大野駅

 しょうがないのでレースへ行ってきました。またしても下品なことをやらかしてしまうつもりで・・・。ところが、折り返した時点で、私よりも下品なヤツがふたりもいました。ひとりは40歳代なのにスポーツ刈りした一人称自分(←偏見による、しかしおそらく当たっている予想)、もうひとりはサッカー少年のようないでたち、つまりド・シロウトのようなかっこうをしたおっさん。なんつっても、上には厚手のTシャツをまとい、下には2枚ぐらいはいていて、さらに膝下までのハイソックスに私が練習用に愛用しているシューズ(←つまり、レース用ではない)。こんなド・シロウトはすぐに落ちてくると思っていたのに、視界から消えてしまいました。そのままちんたら走っても3位は堅そうだったのでちんたら行こうとも思ったのですが、それでは復路が退屈すぎるし、そもそもイデオロギー的に、一人称自分を倒さなくてもよいのか、という思いもありました。

 一人称自分には、ラストのスピード勝負になれば勝てそうだったので、ラスト3キロくらいで追いついてからも前には出ず、休ませてもらっていたら、なんとスポーツ刈りなのにスパートをしてくるではありませんか。どうやら私に勝とうとしているようでした。仕方がないので予定を早め、ラスト1キロから後塵を浴びせてあげました。

 そんなわけで、今回は私よりも下品なド・シロウトがいました。プログラムで確認したら、わざわざ神奈川からあらしに来ていたようです。ちょー下品ですね。



5月26日(月)なぞ

 逮捕の決め手のひとつは、被害者宅に容疑者の指紋が残っていたことだそうですが、しかし残っていた指紋がなぜ容疑者の指紋だとわかったのでしょうか。マスコミは、逮捕前の容疑者のインタヴューをさかんに流し、「この悪党め」とか「動揺してたじゃん」とかいう話題を提供してくれますが、なぜ残されていた指紋が容疑者のものだとわかったのか、明らかにしてくれません。わんわんたちはいったいいつ、そしてどのような名目の下で、照合先の容疑者の指紋を採取したのでしょうか。

 私の住む集合住宅でも、同じようなことがあった場合、わんわんたちが風呂やトイレをのぞきに来るのでしょうか。「後ろめたいことがないのなら構わないじゃん」とは、まったく思いません。後ろめたいことの有無とは関係なく、わんわんたちにプライヴァシーをのぞかれることが嫌なわけです。そして私のプライヴァシーが立派なものであるかどうかとは関係なく、それをわんわんたちにのぞかれることが嫌なのです。

 というわけで、私は捜査に協力しません。協力しないことによって「あいつは疑わしい」と言われるようになり、私を知る人たちのところに私についての情報を求めてハエがたかりにくるかも知れません。そんなときには、ぜひ、「ああ、あの人ならやりかねないわね」とか「いつかなにかやらかすと思ってたっす」とか言って、盛り上がりましょう。



5月27日(火)正しくない生き方

 そんなわけで、『追憶』を観てしまいました。声高に正義を主張する人がいると、どういうわけか「何もそんなに本気にならなくても・・・」と思ってしまう反面、そうした冷ややかな態度は非常に反動的なものともなりうるだろうと考えてしまいます。というわけで、やっぱりストライサンドの方が正しいと思います。でもきっと、よくそのような意味合いのご指摘を受けるように、私はレッドフォードのような生き方をしているのだと思います。

 それにしても、レッドフォードは今年71歳。悲しくなりますね。



5月28日(水)ぶぶー

 今週の『週刊現代』では「自民か民主か第3の道か」という特集があり、なんと浅田彰が寄稿しています。『週刊朝日』に書いたものが掲載されているのは知ってましたが、『週刊現代』でも構わないのですね。ついでに言うと、吉本隆明も書いています。まあ、どうでもよいことですが。そして言ってることもどうでもよいことでした。わけがわからないのは、どこでどう笑えばよいのか、失笑以外の笑いポイントを見つけるのがきわめて困難で視聴者を困惑に陥れるお笑いゲーニンの北野誠が、やはり寄稿していることです。一応政治の記事なので、笑いポイントを探さなくても済むというメリットはあるかもしれませんが、登場しなければそれに勝るメリットはないと思うのです。頼むから消えてください。



5月29日(木)ハーバーマス

 ドイツで、「うるさいから」という理由で子どもをオークションにかけたことが問題になりましたが、そりゃうるさい子どもなんかで金稼ぎしちゃいけませんよね。うるさいんだから。むしろお金つけるくらいじゃないと。うるさいんだから。なんてことを書いてたら、「こんなことを書いていた」と報道されちゃうんでしょうねぇ、ある場合には。

 今日は無茶な話が良心的な人たちのご発言によってあっさり撤回され、ほっとしました。実は切り札まで用意していたのですが、それを使うまでもなく、提案が取り下げられてしまいました。やっぱ言葉の力というものは、ハーバーマスの言うとおり、権力をコントロールしうるということなのでしょう。もちろん反証例は死ぬほどたくさんありますが。しかしとりあえずわはは。



5月30日(金)あぶない

 5月25日の私より下品だったド・シロウトは、神奈川からの参加ではなく、愛知でした。というわけで、ちょー下品ではなくぷち下品でつ。

 あの日の前日、特急に乗ったら、通路を挟んだとなりの座席に2歳に満たないうるさい子どもと親が陣取っていました。親は子どもを寝かしつけようと歌を歌ってくれます。なんでそんなことが許されるのだ、と思う人は、やっぱたんに子どもが嫌いな変人とか悪人とかの類なのでしょうか。おかげさまで、げんこつ山がどうしたこうしたとか、おっぱいのんだとかのまないとかをさんざん聞かせていただき、子どもはまったく眠る素振りを見せないのに、あろうことか私が眠りそうになってしまいました。あぶない、あぶない。



5月31日(土)とほほ

 例によって暴走→銭湯。スチームサウナに入ると頭髪が不自由になり始めているおっさんにじろじろ観察され、しかし丁寧に「失礼ですが・・・」と切り出され、体重、身長、年齢を立て続けに問われました。「あれ、こんなところでスカウト???しかし公務員は副業を禁止されているしなぁ〜」、なんてわけないです。「でも、高脂血症なんですよ」と笑わすつもりで自虐ネタに走ったのにあっさり無視されて、さらに質問が続けられました。「若い頃貧乏であんまり食べられなかったから痩せてるんですよ」と自虐ネタその2を繰り出したにもかかわらず、頭髪不自由男め、相変わらずマイペースで質問を出し、満足していました。やっぱ「疑われてんですかね、へへへ」とか言うべきだったのでしょうか。

 そんなわけで、無言の行がさらりと破られてしまいました。とほほ。



6月2日(月)カント的に

 帰宅途中にコンビニに寄り、935円の買い物をして、1,035円支払いました。すると、「お先に大きい方から、1枚、2枚、3枚、4枚」と店員がおつりの1,000円札を数え始めます。一瞬、「えっ、5,000円札出したっけ?」と思い、目の前を見るとレジのところに出したばかりの1,000円札が置いてあります。<これは、「金の斧ですか銀の斧ですか」状態か?>と思いつつ、誠実にして正直、オネストにしてヴァールハフティヒな私は、「そんなにもらえません」。ま、市民としては当然のことをしたまでですぅ。

 念のため言っておきますと、もちろん正直に答えたからと言って、4枚もらえたわけではありませんえん。

 今日は、経験界では自然法則が支配的なので、気持ちの乗った130キロのボールもそうじゃない130キロのボールも同じだということを言いました。すると、気持ちの乗った自主休講を宣言した人がいたそうです。わかってないなぁ、自主休講は行為なのでその動機が問われるわけで、気持ちの乗った自主休講はそうじゃない自主休講よりもはるかに罪深いのですよ。そしてカントは応報論をとるのでした。わはは。



6月3日(火)殺人光線

 今日は、トイレに入ったらスカートをはいた方が鏡に向かって立っていて、一瞬目が合いました。「えっ、もしかして間違えた?」「この便器って立ったまま用を足すやつじゃなかったっけ?」とマジで思いました。なんだか自信がなかったのですが、その方が「すみません、間違えました」とおっしゃったので、<やっぱ合ってたんだ>とほっとしました。あぶない、あぶない。性差別問題委員会の委員なのに、もしこんな失敗をやらかしていたらきっと大喜びする人がいるでしょう。

 久しぶりに阪急電車に乗りましたが、光線を送り続けないといけなくて疲れました。おそらく○阪○学の学生と思われる方は、石橋から電車に乗り込むや否や空いた席にすばやく腰を下ろし、バッグからチーズ味のリッツを取り出し貪る貪る。<だれにも迷惑かけてないじゃん>というリベラリズムなのでしょう。でもねぇ、臭いんだよ! 電車でモノをぼりぼり食べるな、なんて言い方が通じないのはしょうがないとしても、リベラリズムをとるのであれば、臭いも出すな、全部吸い込め、と言いたいのをぐっとこらえ、光線を送ることにしました(実際には、あまりにも臭いがすごくってちょっとクラクラきました)。よかったね、前期試験を受けなくてすむネwww。



6月4日(水)改名

 フィリピン人の母親と日本人の父親をもつ子どもが、いろいろあって日本国籍をもてず、今日ようやく日本人になれたと喜んでいました。「ふーん、そりゃーよかったねぇーーー」と思いますが(まさかとは思いますが、「日本人になれてよかったね」なんてミジンコほども思っていませんよ、念のため)、まあいろんなことを言うのは控えましょう。言うけどね。

 これまで日本国籍をもてなかったことの悲しみを紹介する映像の中で、「日本語しかしゃべれない」(→だから私は日本人なんだ)と言い、「<外国人>といじめられる」(→ホントは日本人なのに)と泣いていました。子どもは何にもわかってないのでどうでもよいですが、報道する人たちはどう考えているのでしょうか。言語と○○人は同じなんでしょうか。ホントは日本人なのに<外国人>といじめられるのが問題なんであって、差別一般が問題なんだとは考えないのでしょうか。

 こういう言い方をすれば、必ず、「お前は生まれてからずっと何の問題もなく日本人だったから、日本人になる苦労がわからないのだ」と批判する人がいます。もしその批判者の言うとおりだとすれば、日本人になる苦労を私がわからなくても、それは仕方のないことでしょう。何と言っても、批判者自身が、私のような生き方をしてきた者にはその苦労はわからないと断言してくれているわけですから。

 昨日は、殺人光線なんて下品な書き方をして、ちょっと反省しました。「キミのこと、瞳で殺しちゃうよ光線」と改名することにします。



6月5日(木)『ハンテッド』

 トミー・リー・ジョーンズは嫌いではなかったのですが、今日の役どころには光線を送りたくなりました。かつて殺人のノウハウを徹底的に教え込んだ教え子が、暴走してしまったので「罪を償え」と迫り、逃げる教え子を追い詰めて最後は自分が殺すというストーリーです。殺人を教えたお前は何の罪も償わないのか、と画面に向かって言っても、ヤツには馬耳東風でした。「娯楽映画なんだから・・・」と言うなかれ。トミー・リー・ジョーンズの姿はそのままUSAの現実じゃないですか。

 あっち側の人はマヌケに限りますね。手帳をプレしちゃったり。「もっとしっかりして欲しい」なんて言う人がいましたが、暴力装置がお好きなんでしょうか。



6月6日(金)へぇー

 今日の映画。へぇー。よかったねぇー。



6月7日(土)きひころ光線

 契約内容が契約するための前提と矛盾する場合、その契約は無効だそうです。たとえば、奴隷になる契約は、そもそも契約を結ぶ主体であるためには奴隷であってはならないため、無効だと言われています。もしそうなら、バカをウリにして公共の電波に乗っかるという契約も無効のはずですが、最近はそういう法を犯した人たちやプロデュースという犯罪教唆をやらかす人たちがたくさんいるそうですね。実は、見たことはないのですが・・・。見てる人は、私に代わってきひころ光線を送ってください。

 暴走後、銭湯へ行ったら、臨時休業。どうやらおばあさんが昨日亡くなったようでした。



6月8日(日)エライ

 今日の映画は、Yahoo!テレビの紹介によれば、「・・・主人公は家族愛と夫婦愛の深さを知る」ことになるものだそうです。へぇー。よかったねぇー。ところで、小林聡美はエライですね。だってあんなのと一緒に暮らせちゃうわけですから。しかも有頂天だって。ぜひ、奇人たちの晩餐会に招きたいところです。いや、招かれたところを隠し撮りして、数分だけ見ればもうおなかいっぱいです。



6月9日(月)まずはこっちの話

 昨日はある事件から7年目ということで追悼の式典があったと報道されていましたが、犯人とされた人間が正義の名の下に国家によってすでに処刑されていることは、私の知るかぎり、同時に伝えられてはいませんでした。処刑によって正義がなされたと考えているのであれば、堂々と報道すべきではないでしょうか。とんでもない反社会的な輩を、われわれはちゃんと処罰したんだぞ、と胸を張って言ってくださいよ。いや、嫌味が通じない人はホントに胸を張って言っちゃいそうではありますが・・・。



6月10日(火)

 もうやめればオリンピックのテーマソングが決まったと、昨日NHKで映像が流れていました。あれ、あの人って、若くなった山田○夫みたいでしたっけ。あるいは、やっぱりうっとうしい吉岡秀○みたいでしたっけ。それにしても、題名が Gift とは。北京なのに。それがドイツ語なら、完全にあてこすりですよねー。面白い。

 それにしても、相も変わらず親に社会的責任を問い質すアホがいるそうですね。そういうバカ丸出しの質問をしても、それはそのアホだけの問題であって、そのアホの親の責任だなんて言わないことを考えてみましょうよ。それともそのアホは、親がアホだから自然法則的にアホなのでしょうか。しかしアホの伝播が自然法則に従うのであれば、ますます親は責任なんてとれませんよ。ったく。



6月11日(水)道徳オヤジですまそ

 お誘いいただいたので哲学カフェをのぞかせていただきました。私はずっとそうなりたくないと思ってきたのですが、いつの間にやら凡庸な道徳オヤジになっているのだなぁと思いました。ただ、笑い(そしておそらくは芸術一般)だけが、なぜ社会的規範からの逸脱を許されるのか、ロマン主義者でない私にはまったく理解できず、また今後も理解できそうにないので、死ぬまで凡庸さを生きなければならないのだと思いました。

 それにしてもみなさんの寛大さには頭が下がります。思わずこっくりしちゃいます。ちんけな個人の経験を論拠に繰り出される主張ならざる主張に、耳を傾けていらっしゃるのですから。



6月12日(木)何だちょ???

 

 帰ったら、ポストに上のようなものが投函されていました。パトロールカードと書かれてあり、頭の悪そうな字で、警察署や交番の名前、電話番号、さらに名字まで記されています。そして今日の日付と時間の書き込みがあり、「お宅の付近をパトロールしました。」にチェックがつけられてあります。これはいったいなんでしょうか。

 パトロールしてやったぞ、えらいだろ、なのか、お前のことは見張ってるぞ、なのか。別にパトロールしたからってえらいとは思わないし、むしろ目につくところでうろうろしないでくれ、犬臭い、としか思わない。あるいは、見張ってもらうほど私は大物ではありません。わざわざ電話番号を書いているのはどういうことだろう。数字は書けますというアピールでしょうか。それとも、文句があるなら電話してこいってことでしょうか。うー、文句はあるからなぁ。うちの近くでうろうろしないでくれ、と電話すべきでしょうか。お前たち自身が一番怪しいと通報してやるべきでしょうか。

 ちょっとダチョ之と検討しようと思います。



6月13日(金)まさかお忘れじゃないですよね

 やっぱディズニーのケータイって、共産主義者には売らないんでしょうかねぇ。なんせ、創業者は共産主義者をパージして排除した上で、夢の国を創った人ですからね。みなさんまさかお忘れじゃないですよね。そうそう、25周年とか何とか言ってるところも、ちゃんと入園するときに思想調査するんでしょうね。それとも、金さえ持ってりゃどんな思想を持っていても入れてもらえるんでしょうか。だとしたら、ずいぶん寛大になったもんですね。むかしはハリウッドから追放してたんですからねぇ。スパイやら密告やらを推奨して。みなさんまさかお忘れじゃないですよね。妊娠中の妻のおなかに向かってミッキーのぬいぐるみを使って夫が話しかけるといううるわしきCFがありますが、生まれてきたらちゃんと言論統制の重要性を教えてやりましょうね。少なくとも、創業者は実践してたんですから。そうじゃないと、夢の国ができませんよ。

 通常なら必ずしも「妻」や「夫」と呼べるとは限りませんが(そしてうるわしいかどうかもわかりませんが)、なにしろディズニーですから、婚姻関係を結んでいないのにセックスするなんてありえないでしょう。



6月14日(土)あぁ

 
あぁ、そろそろ負け続ける頃だろうか。やっぱ、あまりにもよく勝つので、勝った日にニュースをはしごしたりせず、仕事に勤しんでいたりしたからバチが当たろうとしているのでしょうか。それにしてもオリオンズはトラにだけは強いみたいですね。何もあんなに大暴れしなくてもよさそうなものを。2点台の防御率を眺めるのが密やかな喜びなのですが、オリオンズと久保田のせいで喜びが奪われようとしています。ここはやはり、球団創設60周年記念Tシャツを着ないといけないのでしょうか。



6月15日(日)すいま

 人の書いた論文を読んでいたら、突然睡魔に襲われ、「今から寝て、明日早起きすればよいのでは?」という誘惑に魅せられたけれど、眠気が覚めるまで更新でもしようかと思い、PCに向かっています。それにしてもオリオンズめ。どうせ勝つなら 1-0 くらいで十分だろうに。

 ダメだ、やっぱ眠くて仕方ない。



6月16日(月)最高善

 先週の月曜日は、出かけるときにダチョ様を玄関まで連れてくるのを忘れて、帰ってきたときに鍵を開けてもダチョ様に出迎えてもらえませんでした。今日も、連れてくるのを忘れていたのですが、玄関を開けて出かけようとした瞬間にそのことに気がつき、あわてて部屋に戻ってダチョ様を連れてきました。そんなわけで、今日は鍵を開けたらダチョ様が出迎えてくれました。

 よかった、よかった。



6月17日(火)野蛮

 さすが法務大臣ともなると「自信と責任を持って」国家の名の下に人を殺せるらしい。しかし自信や責任を持って人を殺すってどういうことなんだろう。そもそもこの大臣は、はんこを押すのが嫌だから、もっと自動的に処刑できないものかって言ってたんじゃなかったか。突然、自信と責任に目覚めたのか。やっぱ友人の友人が大物たちだからなぁ。

 佐木○三は、処刑された人のことはすべてわかったそうで、犯行の動機をどう考えるか問われ、性的欲求だと自信たっぷりに答えていました。その論拠がふるっています。「私も男ですから性的欲求だとわかります」。えっ、そんなボケかますのありですかぁ。一応、ニュース番組なのに。ほとんど吉本新喜劇で、みんな一緒にコケるシーンじゃないですか。

 責任能力云々ばかりが問題にされていたけれど、死刑制度そのものに対する批判はどうなっちゃったんでしょうか。



6月18日(水)野蛮 2

 昨日は、ある宗教家(まあ、平たく言えばぼうず)が「遺族の心の傷は癒えていない」と言ってましたが、そんなことはわざわざ袈裟着た方に教えていただかなくてもわかってるわけで、なぜあんな報道をするのかがわかりません。ほら、えらい方もこうおっしゃってるじゃないか、この傷を少しでも癒すには処刑するしかないよ、ということなのでしょうか。でも、そんなことで傷が癒えるんでしょうか。いや、そもそも刑罰とだれかの傷が癒えるかどうかとは、独立した二つの別々の事柄でしょう。遺族の気持ちを考えてだれかを殺すなんてことは、まったく野蛮なことであってバカげてます。



6月19日(木)独断から会議へ

 今日は一日の半分以上を職場ですごしてしまいました。そこらじゅうから、「そんなのフツーじゃん」と言われそうですけどね。しかしそんなことがフツーじゃあいけないんですけど・・・。1時間目は3人で演習、1人4回もあたることになって申し訳ありませんでした。午後からは、会議会議会議会議会議会議会議って感じ。しかもいろんな仕事を引き受けてしまった。もう自棄かもしれない。



6月20日(金)野蛮 3

 「精神疾患があろうとなかろうと、人が死んでるんだから処罰を受けて当たり前だ」といった声があって、ちょっと驚きました。「精神疾患があろうとなかろうと」というのは、「責任能力があろうとなかろうと」という意味でしょう。だとすれば、こんな発言をしちゃう人は、宮城の土石流とかにも処罰を与えないといけないと考えなければならなくなります。やっぱ清流とかに変えちゃうんでしょうか。じゃあ、地震そのものに対する処罰って何をするんでしょう。

 人相のよろしくない大臣が、死に神に譬えられて激怒したそうです。まあ、<素粒子>もろくでもないわけですが・・・。しかし、神に譬えられたら怒るでしょう、そんな立派な者じゃありませんと。そもそも死に神はもっと知的な風貌しているでしょう。<仮面ライダー>の死に神博士は知的だったもんなぁ。



6月21日(土)山田今日子について

 一昨日あたりから、山田今日子が「半年ぶりだね♪」ってタイトルのメイルを断続的にくれるのですが、だれだったか思い出せないのです。半年前、私はドイツにいたので、そのときに会ったことになるのでしょう。もちろん私は、言語と国籍は別物だと考えていますし、見た感じと国籍だって別物だと思います。だから、あの人たちのうちのだれかが山田今日子だったのでしょう。くそー、だったらムリしてドイツ語なんか使わなくてもよかったんじゃん。まったく、人が悪いなぁ。



6月22日(日)やばす

 ネットで暗殺を呼びかけて逮捕だって。まあ、そりゃそうだろう、あんなのを暗殺しちゃうと、逆にそのことによってあんなのが立派な人物だと錯覚されることになる恐れがあるからなぁ。

 それにしても、暗殺がダメだとすると、念力だってダメかもしれない。とくに私の念力は効力をもっているわけだし。やばいなぁ。



6月23日(月)研修会

 今日はセクハラ相談員の研修会があり、授業を30分早く終わりました。どうもすみませんでした。相談の受け方など、ためになるお話ももちろんあったのですが、私が少し気になったのは、相談者が「どうふるまったらよいか」という質問を投げかけてきた場合、考えうるメリット/デメリットを呈示して、相談者自身に選択を委ねるのが重要だ、とされた点です。セクハラがそもそも問題化されるようになったのは、メリット/デメリットという見地からは独立した正義のレヴェルがなきゃいけない、という発想があったからではないのでしょうか。下手に騒がずそのまま泣き寝入りしていればメリットがある、というのが対価型のセクハラではないのでしょうか。それを正義の見地から問題にしてきたはずであるのに、対処の仕方をメリット/デメリットという規準で考えるのだとすると、騒がないで我慢した方がメリットがあると考えてしまったとき、セクハラを容認することになってしまうのではないかと思うわけです。

 もちろんメリット/デメリットという現実原則に従う必要がある場合もなくはないでしょうが、あまりにもこの原則ばかりが強調されることに対しては、異議を申し立てたくなります。研修会では発言しませんでしたが。だって、「相談員は1対9くらいの割合で聞き手にまわるべきです」と嫌味を言われているにもかかわらず、ある部局の相談員がぐだぐだどうでもよいことをしゃべり続けて終了予定時間を大幅に過ぎてしまったからです。



6月24日(火)防犯カメラ

 あんな画像じゃあ、容疑者の特定には結びつかないだろうと思いきや、知人からの通報があって逮捕だそうですね。びっくりです。きっと善良な市民を知人におもちだったのですね。

 それにしても、いつの間にやら防犯カメラが正義の味方になってますね。「悪いことしなきゃ関係ないじゃん」という大らかな方もいらっしゃるようですが、プライヴァシーは、覗かれることそれ自体が問題なんだと思います。たとえ、つまらない善良な生活を送っていたとしても・・・。しかもわんころに覗かれるなんて!



6月25日(水)えぇ〜

 さっきNHKで言ってましたが、ジュリーは今日還暦を迎えたそうです。げぇーーー。まあ、永遠に30代を続けられるわけではありませんが、しかしジュリーが還暦とは。あのトラキチが。一般に、トラキチであることと年齢は無関係ですけどね。



6月26日(木)ったく

 まあ、予想していたことではありますが、しかしいくらなんでもあそこまでひどいとは思っていなかったのか、会議終了後は敗北感でいっぱいでした。理由を尋ねられている人が自分の主張を繰り返すだけで、新たに出された反論に答えようともせずに議論を打ち切る。やっぱりハーバーマスのコミュニケーション論なんて所詮は机上の空論なんでしょう。しかし文学研究科が机上の空論を放棄して、いったいどうするおつもりなのでしょうか。下手な政治ごっこがお好きなのかもしれませんが・・・。

 
←出張で来阪した友人に会いに行きました。モノの待合室にて。
                       



6月28日(土)サイテー

 諸般の事情により東京へ行き、諸般の事情により3時間以上も空いた時間ができてしまい、仕方がないので映画を観に行きました。でかでかとポスターが貼ってあるのは、ナルニアがどうこうとか、ハリソン君とか、魚河岸とか、そして有頂天のマジックとかばかりで、「観るものがない」と思いきや、韓国映画とおぼしきタイトルのものが上映されていて、しかも後5分で始まってしまうではありませんか。大急ぎでチケットを買い、7Fへ急ぎ、扉を開こうとしてポスターをチラ見し、初めてそれが韓国映画じゃないことに気がつきました。

 ひどいなぁ。まったくひどい。金返せ状態。ちゃんと<マジック>は避けたにもかかわらず、こんなところにも落とし穴が・・・。ああもうサイテーでした。



6月30日(月)おわり

 これで2008年も半分終わってしまいました。毎年6月は40日くらいある感じがするのですが、今年は30日くらいしかない感じがしました。

 掲示板にゴミのような書き込みをされてしまいましたが、ゴミのようだと思っているのは私だけかもしれないし、議論の妥当性についての判定を公共性に委ねたいので残しておくことにしました。



7月3日(木)箱の上の青いの(≠マットの上の猫)

 駅の構内に、箱の上に立ってる青いのがいますが、あれは鉄道会社がお願いしているのか、それとも裁判所なり何なりが立ち入りを許可しているのか、あるいは鉄道会社などに対して立ち入りを認めるように命令しているのでしょうか。その場合、どんな根拠によって命令が正当化されているのか、非常に興味深いものがあります。その内容によっては、いろんな場合に適用可能だろうと思われるからです。まさか大学へ入ってくることはないだろうと思いきや、ボヤが続いた頃、文学研究科・文学部の本館への立ち入りが許可されましたからねぇ。まったくびっくりです。



7月4日(金)省エネ委員

 夏が来ると、毎年どういうわけか決まってあることをしてしまうのですが、今年は5月に2日ほど連続でそれをしてしまい、しかしそれ以後、ぴたっと止まっていました。ところが昨日、またしてもそれが行われてしまい、ついに夏がやって来たか、という感じです。

 バカバカしいかぎりですが、今年度の省エネ委員になりました。部屋のチェックをしますよー。28℃なんかに設定しているのは、かえって無駄遣いじゃないかって気がしないでもありませんが、チェック項目の1番目に記載されています。こうなったら、「25」を<にじゅうはち>と読むことにしましょうか。文句を言われたら、クワスの話をして誤魔化すってことで。



7月5日(土)生ってか

 今日は、生の概念が現代においても有効かどうかということをテーマにした共同討論を聴きに行きました。最初、私の前に座っている方の背中をクモが散歩していて、それがカラーのあたりまで行きかけては戻り、というのを繰り返すので、気になって仕方ありませんでした。提題者の発表が終わり、休憩が入り、そして席に戻ると、同じ人の背中を今度はアリが散歩していました。これぞ生の哲学、って感じですね。

 討論が終わりかけになると、一言言わずには帰れないということなのか、生の概念を積極的に評価したい人たちの発言が熱気を帯びました。カント研究者は、用心深く、「超越論的な意味で生の概念は不可欠だ」と言いましたが、多くの方は、形而上学的な意味での生の概念の重要性を論じていました。うー、私にはさっぱりわからない境地です。



7月7日(月)えーっ?

 大阪駅にも「箱の上の青いの」が登場し、市民がインタヴューに答えていました。「青いのがいると安心です」。えっ? 逆じゃないの? 青いのは独占された暴力装置なんですよ!

 今日は夜の8時に、全国いっせいに横並びで明かりを消す運動があったそうで、「ほら、通天閣もこのとおり」ってヘリコプター飛ばしてその様子を見せていました。えっ?



7月9日(水)ふーっ

 昨日、ルッツ=バッハマン教授が妻と一緒にやってきました。今日は、京都観光。まあ、しょうがないですよね。<ゲー○あたりでドイツ語を教えている教師の中には、異常に京都好きなのがいて・・・>という話をしたら、なんだかよく理解してくれて、かつ批判的だったので、よかったです。<金閣寺=ノイシュヴァンシュタイン>説にも、納得してもらえました。

 車内のマナーにうるさいあずき色の電車の座席が一気に向きを変えるのを見て、二人とも感激していましたが、それを見て私は感激しました。



7月10日(木)講演会

 明日はルッツ=バッハマン教授の講演会があります。2時から、待兼山会館2F会議室です。もう行くしかないでしょう。原稿もちゃんと用意してありますしね。「ドイツ語はわからない」とおっしゃった方がいたので、「訳もありますよ」と言ったら、「訳もわからん」と言われてしまいました。みなさん、愛でしょ、愛。



7月11日(金)御礼

 今日は数多くのみなさんにご参集いただき、まことにありがとうございました。やっぱ愛も捨てたものではないですね。細かな議論はさておき、ああした形での平和論を根本的に批判する貴重なご意見をうまく講演者に伝えられなかったのが、心残りです、心があるとしてですが・・・。哲学は理念だけを論じていればよいのだと思っていたのですが、どうやらそれではいけないみたいで、考え直さなければいけないのかもしれないとちょっとだけ思いました。まあ、一晩眠ればまた元通りでしょうが・・・。



7月12日(土)そこはダメ・・・

 夜、ルッツ氏たちと食事をしに出かけました。梅田に宿泊しているので、まさか「行きたい」なんて言ってくれるなよ、って思っていたのですが、なぜかこういう予想は見事に当たってしまい、「スカイビルなんてどう?」って言われてしまいました。ス、スカイビルですかぁ。「ここにつかまっていれば大丈夫だ」って、エレヴェータの中で言われてもなぁ。いや、そもそも大丈夫なのはわかっているのですよ。下が透けるエスカレータに乗ってるときに、やれ「タバコを吸ってはいけない」だの「降り口で立ち止まるな」だの注意が流れるたびに、ルッツ妻から「何て言ってんだ?」って訊かれるのですが、それどころじゃないだろが、っつーの。言うまでもなく、展望台では1周回ってくるなんて野蛮なことはせず、入口付近で他のことを考えながら2人を待っていました。エライ。



7月13日(日)それはダメ・・・

 今日は、寿司を食べに行きました。ホテルの中の寿司屋で食べるとは・・・。まあ、満足してたみたいだからオッケーということにしておきましょう。その後、デザートとしてケーキセットを食べました。寿司の後にケーキですか???まあ、満足してたみたいだからオッケーということにしておきましょう。



7月14日(月)くらくら

 ルッツ氏は今日、明日と広島へ行くので、朝、新大阪まで見送りに行きました。そんなわけで、石橋から大学まで歩きましたが、あまりの日差しにくらくらしました。カントの授業は今日がまとめで2週間後にテストですが、さすがに「カントには読むべきところはない」と言ってしまえる方はいらっしゃらず、むしろ好意的な意見が多く、ちょっとだけ安堵しました。まあ、ちょっとですが・・・。明日は広島から東京へ向かうルッツ氏と同じ列車に乗り込み、東京へ行きます。なんか、ビジネスパーソンみたいです。



7月16日(水)さっぱり

 ご存知でしょうか、大学でみんなが冷房を使い、電力消費が一定量を超えると「違約金が発生するから」という理由で、いっせいに冷房の電源をOFFにするようにメイルが届くのです。多くの人は電力を無駄遣いしたいから冷房を入れているわけではなく、暑くてやってられないから冷房を効かしているのだと思います。なのに電源を切るようにというのは、暑くてやってられなくても知ったことではないですよ、という意味なのか、夏は仕事をしなくてもよいですよ、という意味なのか、あるいは死んでくれてもかまわないですよ、という意味なのか。ちょっと判断がつきません。その割には、特定の宗教の祭にすぎないものにお金をかけて参加しちゃったり、参加しちゃったりしたことを自慢げに広報しちゃったりするわけです。私は権威主義者の割には、エライ人の考えていることがさっぱりわかりません。



7月17日(木)辞めれば?

 なるほど知事ともなると身体を鍛えることも公務らしい。激務に耐えられるだけの体力が必要だからだと。だったら、どのジムに行くかもちゃんと入札で決めたんだろうか。そうじゃないと、癒着を疑われてしまうよなぁ。そうだ、あの頭の××そうなご尊顔の整形も公金でなさった方がよいのではないだろうか。ここの住民がみんな頭××いと思われないですむように。話し方も、グ〜の人に習いに行ったらどうだろう、公金で。しかし話す内容はどうしようもないので、結局知事を辞めたらどうだろう。



7月18日(金)いざ鎌倉(の近く)へ

 明日、明後日とルッツ=バッハマン教授の講演会がそれぞれ早稲田と明治学院で開催されます。早稲田での講演は、大阪での講演の続編という感じで、中身が掘り下げられています。明治学院での講演では、カントにおける形而上学の問題が扱われます。では行ってきま〜す、ハーバーマス。



7月21日(月)MC2

 土曜日の早稲田の講演は大盛況でした。「世界平和のためにはEUがアメリカ並みの軍備を持たなきゃダメだ」というほとんど冗談としか思えない、しかしご本人はかわいそうなくらいに大真面目なとんでも発言に対しても、真摯な態度で返答がなされ、「えらいなぁ」と思いました。どーせ権威主義者で人の話を聞かない私だったら、とてもまともに相手などできないところです。日曜日の明治学院での講演は、参加者が非常に少なかったのですが、みなさんもったいないことをしましたね、と言っておきましょう。

 今日は名古屋で途中下車して名古屋在住のカント研究者と夕食をともにし、明日朝早くにドイツへお帰りになります。連日の暑さに、かなりぐったりされているご様子です。

 早稲田の学生さんから、「院生ですか?」と尋ねられ、「マスター? ドクター?」と訊き返したら「マスター2年くらいですか?」と言われちゃいました。うーむ、やっぱ早稲田の学生さんは見る目もあるし、正直なんですね。感心しちゃいました。私と同年輩だけどそんなふうに言われなかった人は、「そんなふうに見られて嬉しいのか?」と隠し切れないやっかみを吐露していましたが、嬉しいも嬉しくないも、そんなふうに見えちゃうのならしょうがないですからねぇ〜。私は他人の意見は尊重しますし・・・。というわけで、これから私のことは「MC2」と呼んでくださっても構いませんよ。



7月22日(火)お見送り

 午前の便でおふたりがお帰りになるのを空港まで見送りに行きました。9月に再会することになっているので、しばしのお別れというところです。今回は、予想以上に楽しい経験をすることができました。

 東京では、「××が終戦まで神だと信じられていたというのは本当か?」と尋ねられ、「××は戦後、自分が人間であると宣言したんだよ」と言ったら、どこかに触れてしまったのか、妻も夫も大笑いしていました。まあ、そうですよね。しかしこういう話になると、「歴史的状況というものがあるのだから、その場にいなかった者が後からそのときのことを笑うのはいけない」とか何とか言っちゃう人がいるものです。当たり前ですが、このスタンスだって、その場にいなかった人によってとられる後からのものなのです。当時の立場から歴史を語るなんていうのはまぼろしであって、つねに今どう語るかが問われているはずだと思うのですが・・・。



7月24日(木)サイテー

 昨日はクーラーの効かない部屋で朝から引越し作業がありました。無償でお手伝いいただいたみなさま、ありがとうございました。自分が使うわけでもない部屋の引越しのために力を尽くしていただいた方もいて、大変感謝しています。

 作業後の飲み会では、実存主義者などというもっとも恥ずべきサイテーのレッテルを貼られてしまいました。まあ、自己意識よりも他者からどう見られているかの方が重要なので、生き方を変更しなきゃいけません。権威主義者で他者とコミュニケーションができず、そして実存主義者。これより下ってあるんでしょうか。



7月26日(土)払拭

 ここ何週間か、正しくない土曜日を過ごしてきましたが、今日は久しぶりに正しく過ごしました。クーラーを効かして睡眠学習をし、炎天下に吹田キャンパス往復の暴走。なぜそんなことをするのか。生きてるって実感するためです。そして銭湯へ行ってキンキンに冷えた水風呂へ。なぜそんなことをするのか。生きてるって実感するためです。言うまでもありませんが、ギャグです。実感なんてクソ食らえです。そもそもこんなことをしなくても、朝眠たいのに起きなきゃいけないだけで、十分、生の重みを感じています。

 というわけで、実存主義者疑惑は払拭できました。



7月27日(日)×

 さる立派な方の似顔絵を添えた岩おこしだかなんだかを売るにあたって一悶着あったそうです。「ダメだ」って言われた段階で、似顔絵に×をつけて売ればよかったのに、と思うのですが・・・。どっちみち岩おこしなんて食べる気がしないので買いませんけどね。

 九州の方にも、その手のイラスト付きの商品をウリにしているところがあるようですが、あれがついてるばっかりにあの県の品物は買えないって思うのは、ひょっとして私だけでしょうか。



7月28日(月)バンク

 「北京に人生を賭ける」とか言ってる人がいました。まあ、人生なんて大したも んじゃないってことなんでしょうけど、しかしどうしたって今年の9月以降も生きていかなきゃならないわけで、どうするんでしょうかねぇ。残りは廃人バンクでしょうか(ほとんどの人はご存知ないでしょうけど、「愛人バンク」のパクリです)。

 ついでに。「全力で闘います」って、全力使っちゃって大丈夫ですかねぇ。



7月29日(火)ほら

 昨日の今日だけど、どっかの大臣がどっこいしょ元プロレスアナのプロパガンダ番組に出て、年金問題に関して「全力を尽くしている」と言ってました。だったら、もうすぐ死んじゃうのかな。

 どうせほらなら、「私の毛がふさふさするくらいに尽力しています」とか言えないものだろうか。つまらないけど。



7月30日(水)過去

 「過去の方がよかった」なんてことはないと思うのですが、しかし確実に言えるのは、経済原則の適用されない聖域がかつてはあったということです。授業料を払っているのだから授業を受ける権利があるとか、研究室に関係する作業でもバイト料が出ないのなら協力できないとか、そういった消費者や労働者の言い分が、少なくとも声に出して言われることはありませんでした。それが、ひとえに背後にある権力関係のせいだったのなら、聖域がなくなっていくことは非常に喜ばしいことだと思います。ただ疑問なのは、徒弟制度に取って代わりうるのは経済原則だけなのか、という点です。経済原則を口にしない場合というのは、つねにすでに徒弟制度を承認していることになってしまうのでしょうか。

 もしそうだとすると、授業時間でもオフィス・アワーでもないときに、読書会なんて開いたりしたら、それは徒弟制度のもとで行われていることになってしまいますから。それとも、ひょっとして、読書会は権力関係の賜物だったのでしょうか。



7月31日(木)決意

 早くも7月が終わってしまいました。授業が終わったので、ようやく雑務をまとめて片づけられると思っていたのですが、これが結構時間を食うのです。単純作業なのでようつべしながらやってると、間違いだらけではかどりません。そこではたと気がつきました。私はむかしから、<ながら>ができないんだったと。ラジオを聴きながら勉強してるとかいう人が信じられなかったのでした。しかしひとつのことしか集中してできないって、なんだかあったま悪そうで嫌ですねぇ。そんなわけで、意地でもようつべしながら雑務をこなすことを決意しました。



8月1日(金)人相も悪い

 死に神は「国民が関心を持つように」国家の名の下に行われる殺人を承認してきたそうだが、そんなことがあってよいのでしょうか。処刑は、たんに罰が与えられたということだけじゃなくて、<国民が関心を持つこと>という目的まで含意していたなんて。そんな目的をいったいいつの間に負わされることになってしまったのか。これは明らかに不当です。ある罪に対して課される罰以上のものを、法的な根拠を一切伴うことなく負わせるわけですから。カントは、死刑制度を容認したダメな人ですが、何かの目的のために人を罰することには当然ですが反対しました。

 わざわざ処刑してみせなくても、<法が裁かないのなら自分で殺す>と公然と言ってのける遺族様の言葉を垂れ流しする大手メディアのおかげで、野蛮な制度に対する関心は十分に高まっているんじゃないでしょうか。まだ足りないと思うのなら、野蛮な制度維持を訴えてどっかで焼身自殺でもしたらどうでしょう。でも、死に神だから死ねないか!



8月2日(土)人相も悪い2

 関心を呼ぶために殺人を行うというのは、少なくとも部分的にはテロリズムのロジックと重なっているのではないでしょうか。さすが、「友人の友人がアル○イダ」だけのことはあります。ただ、テロリズムよりひどいことに、死に神が承認する殺人は合法的に行われているのです。信じられないことですが、この地ではなお、いまだに、21世紀にもなって、死刑制度が存続しているわけですから。



8月3日(日)バルス

 なんかもう、民族の祭典と地方の祭典ばっかで暑っ苦しいことこのうえないですね。地方の祭典については、いまだにミスターって何ですかの娘と、私的に内閣総理大臣して公用車を乗り回してたヤツの息子がメイン・キャスターなんですよねー。あの局とかあの新聞社とかには節操というものがあるのでしょうか。頼むから、虎バンだけにしときましょうよ。

 民族の祭典に関して、向こうのタクシーの運ちゃんが英語を覚えるのに必死だという報道を見ました。英語しか話せないアホがタクシーに乗り込んできて英語で話しかけるのですが、運ちゃんは理解できず、「ソーリー」と言うばかり。「まだ時間はあるので頑張ってください」ってナレーションが入るのですが、頑張らなきゃいけないのは英語しか話せないアホの方じゃないのでしょうか。ヤツらの中には、世界中で英語が通じて当たり前だと勘違いしている者がいると思いますが、そもそも英語がこんなふうに世界中にばら撒かれている理由を考えたことがあるのでしょうか。先陣切って悪事を働いてきた結果だということを、少しでも考えてみたらどうなんでしょう。

 はいはい、ヤツらに通じる言語で言わないと意味ないですよね。しかしどうせ意味なんてないですから。



8月4日(月)イレイザー

 コンビニの深夜営業を規制しようという話があるそうです。直接的には省エネ目的ですが、青少年の健全な育成にもつながるそうです。深夜にたむろするところがなければ、悪さもできないだろうということだそうです。この手の話を聞くと、「最終解決」を連想せずにはいられません。ユダヤ人問題はいかにすればなくなるか。ユダヤ人がいなくなればユダヤ人問題もなくなるという話です。そんなばかな、と思うかもしれませんが、自然哲学を研究する人が、環境問題を解決するには人類が絶滅すればよいのだと、したり顔で言ったのを見たことがあります。じゃあまず手始めにあなたが、と思いましたが、世渡り小僧の私はバカだなぁとは思いつつも、聞こえなかったことにしました。

 もちろんその後、その人は消去しました。



8月5日(火)5963

 今日から集中講義。こんな暑いときなのに、ご苦労様です。さわやか(とかつて呼ばれていた)ジャック様は先週から集中講義にきていて、今日はニーチェおじさんおよびハイデガー娘ともども慰労会へ行きました。あんな話やこんな話をして大いに盛り上がっちゃいました。ジャックファンのみなさま、悔しかろう。けけけ。



8月6日(水)じしんかみなり

 今朝はびびりました。とんでもなく揺れました。どうなるんだろうって思いました。さっそく調べたら、せいぜい震度3でした。ひょっとしたら震度2かもしれません。しかし所詮震度は主観的なものですから、うちだけ震度6だったかもしれません。おそろしい。そして夕方。稲光と雷鳴。こいつらが大嫌いです。年齢が増えるにつれて、恐ろしさも増えるようになりました。高いところについての恐怖と同じです。なぜでしょうか。きっと病気なんでしょう。権威主義者だと地震と稲光と雷鳴と高いところが怖くなるのでしょうか。

 この頃毎朝かかってくる無言電話は別に怖くないのですが、ただ朝起こされるのがつらい。せっかくなので何かしゃべってください。どーせ私は対話ができない人ですが・・・。



8月7日(木)そして・・・

 じしんかみなりときても、さすがに火事はなかなか起こるまいと思っていたら、昨日寝る前に、集合住宅の非常ベルが高らかに鳴り響きました。これが1分や2分じゃないのでちょっと外へ出てみたら、隣人もつがいで外に出ていました。挨拶したものの、何を話せばよいものやら、「よく鳴りますねぇー」じゃあまりにもマヌケなので黙ったままでした。結局、ベルは鳴り続いているにもかかわらず、消防車も何もやってこないので、部屋へ戻り眠っちゃいました。これでも一応、「じしんかみなりかじ」を達成したことにしておきましょう。あとはオヤジギャグか。



8月8日(金)理解不能

 旧友がGoogleマップのストリートビューを教えてくれたので、自宅を見てみました。丸見えでした。まあ、玄関に名前が出ていないので、うちだとわかっていない人にはわからないのではありますが・・・。あれって、実際に撮影してるわけですよね。うちの近所ではばあさんが映っていました。ちょっと笑えましたが、ばあさんが肖像権を主張すればもっと笑えます。

 ところでGoogleは何がしたいんでしょうねぇ。まあ、私なんかには理解できないことが世の中にはたくさんありますけどねー。あれとかこれとか。



8月9日(土)ワーホリ

 今日は院生室の引越しに立ち合うために午前中から大学へ行きました。作業は結構時間がかかりましたが、2時半くらいには終了すると、どういうわけかそのままずるずると部屋に残ってしまい、帰ろうとしたら例によって雷と稲光と雨に邪魔されて、結局帰宅はいつもと同じくらいの時間になってしまいました。なんだか、ワーカホリックみたいです。大して仕事もしていないのですが・・・。



8月11日(月)ま→

 タイトルのようなことがあって、昨日は午前中からPCがダメになり、更新もままならず、なんだか150年ぶりくらいに更新している気分です。気分とは、かくもテキトーなものなのでしょう。気がついたら、8月ももう1/3が終わってしまいました。なのにいろんなことがはかどりません、勝つまでは。つーことは、ずっとはかどらないのですね。



8月12日(火)艱難辛苦

 昨日は大学のPCがアップルジュースを飲みたいと言うからキーボードになみなみと注いであげたら、やっぱりOSがWindowsだったせいか、今日になってキーがふにゃばくん状態になっていて、自宅のに続いてまたしてもPCが使えなくなってしまいました。しかし、うちにはもう使わなくなってしまったそて美がいるので、そのキーボードをとりはずし、ひゅーぱくんに装着。これで難問はすべて解決。QED。

 教訓:いくら暑くても、むちゃしてジュースを飲ませてはいけませんよ! ジューハラ。



8月14日(木)キサラギ

 見ました。なんちゃら・サンタマルタだかサンタモニカだかがうっとうしかったです。自殺じゃなくてよかったって感じのところも気に入らなかったです。



8月15日(金)おわった・・・

 「休暇を取れ」というお達しに従って、水曜日から休暇届けを出して休んでいたというのに、なんと今日は3度も職場へ行ってしまいました。まあ、すべて仕方のないことだったのですが・・・。ちょっと悔しいのは、届けも出さずにサボっていたと思われているのではないかってことです。職場にいなかったのは、休暇届けを出して休まなきゃいけなかったからですよ、と声を大にして言いたい。

 おまけになんのつもりだホエールズ。もう消えてなくなるんじゃなかったのか。まあ、吉村はもらってあげましょう。いえいえ、ちゃんとクボタとイマオカをつけますよ。

 えーれー祀れとか言ってる人たちがいるんですね。国のために死んだんだからって。でも負けたんすけど



8月16日(土)おわった・・・ 2

 なんか猛暑は終わってしまった感じですね。いえいえ、暑くないなんて言ってるわけじゃないです。もちろん。いまでもクーラーかけっぱですからね。でも暴走しても、あんまりふらふらにはならないのです。今日なんて、途中で雨まで降っちゃって、涼しくなったりしましたから。ホント、雷雨なんていらんわ。じゃま。



8月17日(日)筋肉脳

 冷静になって考えてみましょうよ、ハンマー投げですよ。あんな変なものを人より遠くへ投げられるからって、別に誇りにするようなことじゃないでしょう。だってハンマーなんだから。なのにカッコイイことのように語られてしまう。びっくり。そもそも筋肉もりもりマッチョなんて、恥ずべきだと思うのですが・・・。やっぱ頭蓋骨の内側も筋肉なんでしょうか。

 もちろん、人よりちょっとだけ速く走れるとか泳げるってことだって、ただそれだけのことなんですが、そうしたことの下らなさは、ハンマー投げに熱狂する姿を見ると一層はっきりするのではないかと思っただけです。

*記事を書いてからたまたま知りましたが、これでは読みようによっては「だから5位だっていいじゃん」って言ってるかのようです。私を知っている人ならおわかりだと思いますが、そんなことを言うわけがありません。言いたいのは、オリンピックなんてやめちまえ、ってことです。



8月18日(月)それはよかったねー

 ある絶対に観ることはない上映中の映画がなぜ素晴らしいかについて、信じがたいことにその映画の制作会社代表取締役が書いています。×××は疑いをもたず、見たまま、言ったまま、人を信じるので、そのことが子供に勇気を与えるのだそうです。へー、そうなんだ、って感じですね。疑わないやつがなぜ子供に勇気を与えることになるのか、さっぱりわかりませんが、かりにそうだとして、しかし勇気をもつことがなぜよいのか、全然わかりません。「勇気をもて」というプレッシャーが勇気をもたねばならない状況を生み出すなんて、考えたこともないのでしょうか。そうか、なんせ疑ったりしないわけか。

 カントによれば、懐疑主義の前段階は独断主義です。要するに、独断的なやつが子供に勇気を与えるってことになります。サイテーです。まあ、あそこの映画は独断的ですが・・・。



8月19日(火)どーせ

 文学部のオープン・キャンパスがありました。全体会の後、専修を訪問する時間がありますが、今年は昨年、一昨年よりもさらに多くの人たちがやってきました。この夏休みの時点から何がどうなって、哲学志望者は数を減らしていくのか、ぜひ知りたいところです。まあ、それがわかったところで何をどうすることもできないわけですが・・・。確実に言えることは、専任のスタッフが勢揃いしてお客さんたちを出迎えても、そんなことは専修の選択には何の影響ももたないということです。そりゃそーだ。



8月21日(木)ノンフィクション 1

 ある事情で、成績はAにしてもらわないと困るので、もし今のままではAがとれそうにないのなら特別な課題を与えてください、それが無理ならBとかCとかは困るので不可にしてください、というメイルを送りつけてくださった方がいました。かつて非常勤をしていたころは、答案用紙に「僕なりに頑張ったのでお願いします」だの「留年するわけにはいかないのでお願いします」だの、ごちゃごちゃ書かれていることがよくあって、「知るかっ」とかなり腹立たしく思いました。現在の職場で働くようになってからは、このようなメイルは初めてです。さて、私はどのような返答をしたでしょうか。

@ 事なかれ主義の私は、特別な課題を与えた。
A 権威主義的でごーまんな私は、嫌味を込めた説教メイルを送った。
B 「いい先生」である私は、たしなめつつ特別な課題を与えた。
C いじわるな私は、もともとAだった成績をCに書き換えた。
D どーせコミュニケーションのできない私は、無視した。



8月22日(金)こんなのはじめて〜 2

 「ノンフィクション」じゃあ、あまりにもつまらないので、「こんなのはじめて〜」ってタイトルに変えようかと思ったのですが、よく考えたら、「こんなのはじめて」ではありませんでした。昨年は、「Aをよこせ」ではありませんでしたが、「単位をよこせ」で、「特別な課題」をやる気満々の人がいたのでした。

 しかし、「こんなのはじめて〜」という言葉が発せられる状況において、たいてい、「こんなの」は「はじめて」ではないでしょう。ということは、やっぱりタイトルは「こんなのはじめて〜」が適切だということになります。なんなら、「うそ〜」というのをつけてもよいのですが、原理的にうそはつけないのでやめておきます。



8月23日(土)暴走

 突然冷え込んでしまい、なんだか残念です。そんなわけで、久しぶりに宝塚を往復しました。以前は、「暴走」と言えば宝塚往復のことで、吹田キャンパス往復は「プチ暴走」と呼んでいました。それが、今の住まいに移ってから、一度宝塚を往復したら寝込むことになってしまい、それ以来ちょっと怖くて敬遠していました。ほぼ3年ぶりくらいなのですが、さすが道路大国、以前に比べて走路が格段に整備されていました。そして宝塚では、以前は1つだったタワーマンションが3つになろうとしていました。大丈夫なんでしょうか。

 というわけで、明日から寝込むかもしれません・・・。



8月25日(月)こんなのはじめて〜 3

 もっともやってみたいのが、言うまでもなくCです。しかし、もしCを選んだのだとしたら、そのことをこのように公表することはしないでしょう。なぜなら、まかり間違って当人がこれを読んだ場合、「不当にCにされた」と訴えるでしょうし、いくらそいつが正義に反した恥知らずなやつでも(実際、そいつは正義に反した恥知らずなんですが)、私はこの件に関しては非を認めなければならないでしょう。ですから、このように公表している時点で、Cという選択肢を選ぶことはありえないわけです。

 こんなやつは、ずっとほったらかしにしておきたい、というのもあります。いくらしつこくメイルを書いてきても、一切無視する、というDの選択肢です。この選択肢を選んでおけば、たとえばどっかの天才たちから掲示板にぐだぐだと書き込みされたりなんてこともないわけです。いや、そうでもないか・・・。ともかく、返答はしちゃったんです。あさはかしょーこーでした。



8月26日(火)残るのが××って

 「××をとったら僕には何も残らない」とか言ってた人がいたんですが、とらなくても残ってるのは××かよ、って思ってはいけないのでしょうか。まあ、一般的にはまずいだろうと思うので、××にしてるわけですが・・・。まわりからはいくらしょぼく見えようと、それがアイデンティティなのであればそれでよいではないか、という金八的発想があると思います。しかしこういう発想は、ともかくアイデンティティがなきゃだめだってことは否定していないわけで、そんなものはなくってもよいのだ、って考えには至りえないでしょう。この考えと、前半部分の「しょぼっ」とはつながるのですが、私はもう眠たいので、無責任に眠ることにします。



8月27日(水)イスタンブール

 なんでこう、いろいろまわってきちゃうんでしょうか。毎回毎回、もうむりっす、いっぱいいっぱいっす、って思うのに、「すぐに痛みもぼやけて」(庄野真代)またまたいろいろすることになってしまうのです。同じようにいろいろまわってきちゃう人からは、「生き方を変えなきゃダメですねー」という自戒を込めたアドヴァイスをいただきましたが、もう8割以上も(願望)生きてきたのに、いまさら変えられますかねぇ。



8月29日(金)je..., desto...

 本日で、ドイツ語のお勉強会が終了しました。参加されたみなさま、5日間、ご苦労様でした。「いつもより生き生きしていた」と、同僚に言われてしまいましたが、これは、例文にあった「年をとればとるほど、その人はますます美しくなる」が、「その人は若い頃ぶっさいくだった」を意味するように、「ふだんは生気を欠いている」ということを意味するのでしょう。まあうれP。



8月30日(土)アンチ・フロム

 同僚は、<今日は何もしなくてよい>という日があるとうれしい、と言ってました。私は、自由から逃走しちゃうダメな人なので、何もしなくてもよいなんて、恐ろしい限りです。そんなわけで、2週連続の宝塚+銭湯でした。銭湯には、きれい好きのおっさんがいて、どっちかと言うと、そのおっさん自身がきれいではない方に分類されると思うのですが、ともかく、スチームサウナで自分がすわる場所を清めないと気がすまないようです。だから、水風呂の水を自分のすわる場所に撒くのですが、その場に居合わせると、こちらにもその水がかかるのです。「お前が一番きたないだろうが・・・」と声に出した覚えはないのですが、どうもそのおっさんに嫌われていて(←もちろん、望むところですが)、ときどき体当たりしてきたりします。私は武闘派ではないので、何もなかったかのようにしていますが・・・。恐ろしい。



8月31日(日)ぐれてやる

 東京まで研究会に行ってきました。部屋を間違えたかと思うほど、大盛況でした。私が数年前に世話人をしていた頃は、参加者が一桁だったりすることもざらで、発表者を募ってもいないので自分で発表までしたりしました。なんという違いでしょう。やっぱ世話人のパーソナリティでしょうねぇ。今のひとはかっちょいいしねー。ちなみに、明日、明後日と待兼山でまた別の研究会があります。ええ、世話人です。参加者が一桁だったらぐれます。



9月2日(火)えらい!

 一桁どころか、大盛況でした。ぐれなきゃいけないかと、びくびくしていましたが、そんなめんどくさいことをしなくてすみました。よかった。よかった。昨日、研究会の後で懇親会があり、2軒ほど立ち寄ってから帰ってきてPCを立ち上げたら、なんと辞任表明のニュースが流れていました。まあ、やめた方がよいことはたしかでしょう。もっと言えば、やらない方がよかったかもしれません。ただ、このタイミングで辞めたのは、何が何でもオリンピックやメダリストをおちょくりたくて、かつ、公用車で乗りつけて私人として内閣総理大臣と記帳し手を合わせるなんて、ほんのちょっとでも首から上の部分を使えば不当だとわかるようなことは断固としてやりたくなかった、ということを示しているのではないでしょうか。私は単純(≠単純一郎)なので、もうそれだけで十分立派な人ではないかと思っています。

*「あなたと(は)違うんです」をようつべで見ました。記者を小馬鹿にした半笑いの顔を期待していたのですが、ちょっと怒った感じだったので、残念でした。



9月3日(水)
広報ですか???

 
大学の広報誌があって、いきなり司馬遼に関する講演会を開催しましたという記事が掲載されています。それって、ウリなんでしょうか。だって司馬遼ですよ。そりゃファンは多いかもしれないけど、政治性は問わないんですかねぇ。一応大学なのに。そしてある研究プログラムの国際会議を開催しましたという記事。驚くなかれ、会議の出席者たちがみんなで手をつないで万歳をしている写真が掲載されているんですよ。なんなんでしょうか、これは。<み〜んな、ともだち☆>ってとこでしょうか。気持ち悪い。きもい。ばりきもい。ハハハー、裏表紙では、例によって特定宗教の祭に船を出しましたー、と。オリジナルの法被をお作りになったそうで、さすがファッショナブルなんですね。えっ、たんなるファッショですって? いずれにしても、政治性は問わないんですねー、だって美と政治は無関係ですからねーーー。

 くどいようですが、他人事のように内閣総理大臣をやっちゃう人の方が、私人として内閣総理大臣をやっちゃう人よりかははるかにましです。後者は、ファシズムです。

 次に更新するときは、ジャイアンツが逆転しているでしょうか。笑えるなぁ。ではみなさまお元気で。



9月14日(日)顛末

 9月4日に関空からアムステルダム経由でフランクフルトへ飛びました。到着したのが夜遅かったので、タクシーに乗りましたが、なんといきなり200キロを体験する羽目になりました。しかも片手運転。車線変更だって160キロ。まあ、これなら何かあれば即死できるよな、とは思いましたが、かなり汗をかき、いろんなところがむずむずしました。

 コロキウムは昨年に続いて第2回目。カント研究の大御所が都合で参加できなくなったので、ルッツ氏が一押ししたフランクフルトの若手研究者が加わりました。うー、はやい。原稿を見ているのに、単語が聞こえない。参加していたドイツ人が「はやい」と言うほどなので、まあ仕方ないでしょう。とりあえず、はやくても、いろんなところがむずむずすることはありませんでした。

 ワイン畑へ行きました。下の方にラインが見える素晴らしい見晴らし(だそう)で、そんなところへ行って恐ろしくないわけがありません。怖い。病的に怯えてしまいました。いろんなところがむずむずしました。散歩はただちに中止→ワイン試飲ということになりましたが、おこちゃまの私は、炭酸入りのリンゴジュースを堪能しました。

 フランクフルトの街中では、ちょうどワイン祭りの最中で、平日なのに屋台でやりたい放題をやってました。ルッツ氏に晩ご飯をご馳走していただき、「チュース」を言って別れたあとで、<飲まなければ完璧な人なのに…>と日ごろから敬愛している友人が「ここは1杯飲まずには帰れないでしょう」と言い、珍しい炭酸入りのぶどうジュースも置いてある屋台で飲むことになりました。そこで、フランクフルトで学ぶルーマニア出身の学生とその友人とで話がはずみ、「われわれはそう見えないけど教授なんだよ」と言ってるのにほとんど信用されず、なんとおごられてしまいました。

 昨日午前中に関空に戻りました。こっちは暑いので、球団創立70周年記念Tシャツを着ていました。すると、最後の難関税関で、「ステキなのを着てますね」と言われました。油断させておいて持ち物検査するんだろうかと一瞬ドキッとしましたが(『大脱走』を連想した方はエライかも)、たんなる寅吉だったようで、申請書とパスポートをちらっと見ただけで終わりました。
 
 午後から、創立60周年記念祝賀会へ駆けつけました。まる1日眠ってないのに、なんぼほど職場を愛しているんだって感じですね。別に愛していませんが。

9月15日(月)ウィル・スミス>デニス・クエイド

 KLMでは、座席一つずつに画面があって好きなときに好きなだけ映画を観ることができます。だから、トランジットが5時間あろうと、アムスへ飛ぶのに2時間以上待たされようと、KLMを選んでしまうのです。一説によると、最近はルフトハンザでもそういう機種が使われているそうですが・・・。

 ともかく映画をたくさん観ました。まず、『スピード・レーサー』。なんでこんなの観ちゃったんでしょうか。辛かったんでしょうか。2つ目に観た『バンテージ・ポイント』は面白かったです。まあ、家族万歳的なところはどうでもよかったですが。それから、大統領が立派だったりするところも。ウィリアム・ハートも、もともとエド・ハリスと同じくらいに嫌いだし。3つ目に『セックス・アンド・なんちゃら』というのを、我慢に我慢を重ねて見続け、「やっぱムリだ」と断念したら、まだ20分しか見てませんでした。いまだにあんなこと言ってて笑えなくもありませんでしたが、登場する人たちが気持ち悪かったのでやめました。4つ目は、『アイ・アム・レジェンド』。話はよくできていると思ったけど、どうして最後にみんなで隠れないのかがわからなかった。それじゃあ、レジェンドにはならないだろうけど。5つ目は、『ハプニング』のドイツ語版。映画館では観そびれた冒頭のシーンも、また観落としていた慣性の法則で車から人が飛び出すシーンも観ることができました。なるほど、シャマランはああいう風に出演しているのか。

 以上が、関空からアムスまでの間に観た/見たものです。



9月17日(水)ニコルソン>フリーマン

 アムステルダムから大阪までは、まず『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』というのを観ました。女たちと遊び、酒ばかり飲んでいるような「ダメな」下院議員が、ソ連に侵攻されて苦しむアフガニスタンの様子をニュースで見て発奮し、予算を大幅に分捕り、反抗勢力に武器を調達して、ソ連の撤退を実現する「立派な」人になりましたとさ、というそれこそ茶番以外の何物でもないような映画でした。これは、アルカイダを育てたのはアメリカだという批判に対するプロパガンダのつもりで撮られたのでしょうか。また、こんなので騙されたりするんでしょうねぇ。主演はトム・ハンクス。やっぱこの人は売れない頃の方が断然よかったと思います。そしてなんか、化け物のようなジュリア・ロバーツも出てました。

 その次に観たのは、『Fawless』というデミ・ムーアとマイケル・ケインの映画。つまんなかったけど、前に観た映画のせいで立った腹を鎮めるにはよかったです。

 3つ目は、『最高の人生の見つけ方』。モーガン・フリーマンよりもジャック・ニコルソンの方が魅力的に見えてしまうのは、ああいうパーソナリティが好きだということでしょうか。映画の中で、自分がいつ死ぬかを知りたいかどうか1000人に尋ねたら、96パーセントは知りたくないと答えた、というびっくりするような統計が紹介されていました。

 最後に、『タロットカード殺人事件』。ウディ・アレンが主演かつ監督の映画です。例によってウディ・アレンは細部にこだわって理屈っぽく、うるさくて仕方ないのですが、そこがまた面白いので困ります。きっと、近くにいたら絶対に口を利かないタイプだと思いますが・・・。スカーレット・ヨハンセンが出てましたが、ウディ・アレン、絶対に彼女のことが好きなんでしょう。前にも使ってましたから。しかも、めがねをかけさせています。そしてスカーレット・ヨハンセンはめがねをかけると格段にきれいになるのです。きっと、ウディ・アレンはめがね好きに違いない、ひょっとしたらネットでは周知の事柄なのかもしれないと調べてみましたが、そんなことはどこにも書かれてありませんでした。ひょっとして、それはお前の趣味だろ、ってか。



9月18日(木)ついてるぅ〜

 昨日は竹下景子の出身地へ日帰り出張があり、ちょっと疲れていたので生意気にも新大阪からタクシーに乗ったら、私のような分際でタクシーに乗ったのがそんなにいけなかったのか、江坂へ行くまでに隣を走る地下鉄に2度も抜かれてしまいました。要するに、渋滞していたのです。江坂駅の手前で事故があったようで、事故になると活躍する方たちがものものしくうじゃうじゃわいていました。事故現場を通り過ぎ、ようやく流れ始めると、今度は大粒の雨。私がタクシーに乗ったら、そんなにいけないのでしょうか。運転手さんに言われる前に、ちゃんとシートベルトだって締めましたよ。ふつーなら、なんで国家の命令に従わなきゃいけないんだ、とかなんとか駄々をこねるところなのに。

 いやいや、まだまだ謙虚さが足らないですね。着いただけでも喜ばしく思うことにしましょう。



9月20日(土)論理的なら・・・

 「どんなに論理的で細密に作られていても、国民が支持しないような制度は大胆に見直すべきだ」とかなんとか言ってる大臣がいるそうです。これって要するに、論理的で細密に作られているのに、バカな国民にはそれがわからないから、国民がわかるような非論理的で大雑把なものに作り変えるべきだって言ってるわけですよね。しかしそんなことはしちゃいけませんよね。もしそれが論理的で細密に作られているのなら、それを押し通すべきです。支持しないやつがバカなだけなんで、そいつらの言い分を気にする必要なんてないです。テキトーなことを言ってたら、残りも全部むしりとるぞ!



9月22日(月)がっくし・・・

 今日はいろんな勉強をしようといろんな材料をもって大学へ行ったのですが、うすうす気づいていたように、それらはまったく使うことなく、バッグの中に入ったままでしたとさ。今の仕事にかかわっていると、驚くことがたくさんあります。自分のところで呼んだ非常勤講師の方が、1学期に授業をするのか2学期に授業をするのか把握してなくて、「2学期の時間割に名前がありません」とおっしゃる人がいたりします。また、今のままでは非常勤講師の方の教室が確保できていないのに、何もおっしゃってこない人がいたりします。他にも、あんな人や、こんな人。しかしみなさん、確実に、私よりもはるかに立派な教育者であり研究者なんですよねぇー。帰り道、コンビニ横の石の階段を上りながら、ふとその厳然たる事実に思い至り、疲れが噴き出ました。



9月23日(火)しかとシカト

 なんか、こんなところに休日があっても無駄な気がするのですが、そんなことを言ったらそこらじゅうから「独立行政法人は全面廃止」とか言われそうなので、「今日は休みでよかったでつ」と言っておきましょう。寸暇を惜しんで昼寝をしていたら、セールスに「ピンポ〜ン」と鳴らされ、やる気のなさそうな顔をした人が画面に映っていたのでしかとシカト。やる気のありそうな人でも同じですけどね・・・。

 夜、買いっぱなしになっていた『DISTANCE』を観ました。まあ、いろいろと考えるべきこともあるのかも知れませんが、しかしああいうものを観て「いろいろと考えなければいけない」と真面目になってしまう態度こそが問われているのでしょうから、それにしてもやっぱけーさつ関係者はついつい説教したがってうっとーしいぜ、とだけ言っておくことにしましょう。



9月25日(木)unglaublich, aber wahr

 「そのしてきたことについては賛否両論あるけれど、もうK泉劇場が見られないのはさびしいですね。」→べーつにぃー(とっとと消えてくれて結構です。)

 「わたしは寅吉だけど、ОNは別格です。」→べーつにぃー(敵チームの監督に「きたないヤジを飛ばすな」と諭された過去は封印ですか???)

 昨日から、授業登録が始まっています。まさかこの状況で、「授業時間を変更するので教室を塩梅してね、よろしく☆」なんて感じの注文が出るわけはないですよね。だって登録しちゃってる人もいるわけですから。上のふたつの発言が信じがたいように、こんな注文ができちゃう人も信じがたいです。



10月2日(木)ぐたーり

 いつの間にやら10月に突入して、新学期が始まってしまいました。この間、あんなことやこんなことがあって大変でした。いや、きっと今も続いています。大学には、研究科とか学部とか、専門分野とか専修とか、専攻とか講座とか、教員の所属名称がいろいろありますが、最近気がついた分類の仕方として、教育部門/研究部門/運営部門というのがあります。「学生のために」を錦の御旗にして、締め切りが過ぎていようがなんだろうが、主張を通そうとする教育第一の方が教育部門に属しています。自分の研究のために、すでに受講登録が始まっていようがそんなことはお構いなしに授業時間を変えようとする研究熱心な方が、研究部門に属しています。そして、これらの立派な教員のみなさまのご要望にこたえられるようにするのが運営部門に属する教員です。私はどうやら運営部門に属しているようなので、教育に熱心になったりはできません。それは越権行為というものです。そんなわけで、すみませんが講義は前に行ったものとほとんど変わるところがありません。

 ところで、みんなあんなにやつのことが好きだったんでしょうか、ってくらいに引退がどうのこうのと騒いでいますねー。いつの間にか、惜しまれる人になっていますが、デッドボールを投げた投手に向かってバットを投げつけたことはお忘れなんでしょうか。ムッシュが「縦じまを横にしてもよいくらいに来てほしい」と言ったにもかかわらず、子供のころから大好きだった(ということは子供のころから権威主義者だったわけですが)球団へほいほい行ったこともお忘れなんでしょうか。大学生とホテルでいちゃついた折に「男はそれを我慢できない」と凡庸な一般化を口にしてそのことを暴露された51なんて、イラクを爆撃したかの国からわざわざ駆けつけちゃいました。だいたい、直球勝負が素晴らしいこととして称揚されるのってどうなんでしょうか。変化球を投げるやつは卑怯なんでしょうか。だったらいっそのこと、変化球を禁止すればよいのです。

 そんなこんなでぐったりです。



10月4日(土)ずっとためらってください

 ある週刊誌では、特定の書店員が毎週交代で自分のお薦めの本を3冊ずつ紹介するのですが、どういうわけか、倫理を語ることをためらっているわりには<日本人なら日本を愛するのは自然なことだ>とK泉やN曽根が泣いて喜びそうなことを言ってのけるご仁の何とかという新刊が、2週連続で話題に上っていました。今週薦めていた書店員は、犯罪被害者の遺族であるという当事者性の特権を武器に、人を死刑にすることを声高に要求するご仁に関する新刊も、以前絶賛していたので、まあちょっと社会を斜になって見ているつもりでいる(が、その実、保守まっしぐらな)人なんでしょう。

 わざわざ言うまでもありませんが、私は、当事者性もその特権も皆無だと思っています。議論においてこういうものを切り札のように持ち出す人がいまだにいることは知っていますが・・・。



10月5日(日)あまりに気の毒です

 教務係の方たちは実に気の毒です。教育熱心、研究熱心でわがままし放題のエライさんたちに「それが仕事でしょ」と翻弄され、大学がどんなふうに運営されているのか何ひとつわかっちゃいない勉学に励む人たちからは罵詈雑言を浴びせられるわけです。インターン・シップとやらがはやっているようですが、教務係で1週間働いてみてはどうでしょう。きっとだれがどの程度理不尽なのか、わかるようになりますよ。



10月7日(火)びっつら

 さっき、ジャック・バウアーの弟がロケット・ロマノでした。ロケット・ロマノは自分の妻と兄との関係を疑っていました。まあ、そりゃそうでしょうね。妻からは、いい年こいていつまでもコンプレックスもってるのは醜いよ、というようなきついお言葉を頂戴していました。ロケット・ロマノ、わりと好きなんですけどねぇ。少なくとも、ジョン・カーターよりかは。完全に話が混線してます。

 ケータイを大学に忘れてきたので、明日は目覚ましがない・・・。



10月8日(水)おわった・・・

 緒形拳は、やっぱなんとか貴一とかほにゃらら聰とかと一緒に仕事したのがつらかったのでしょう。なんつったって、鬼畜なんですから。しかも親友が、よりにもよってあんな反動的な輩だなんて、ホント、友人に恵まれなかったのですね。

 いろんなことがおわってしまいました・・・。



10月9日(木)ハラスメント

 今日は昼に食堂へ行ったら、バカふたりがバカ話(=下ネタ)をバカらしくバカでかい声で話していて、非常に不快になったのでどんなバカかと思って顔を見たら、ふたりとも顔に「バカ」って書いてありました。

 @というようなことは、立場上言うわけにはいかないので、ぐっと我慢しなければならず、ストレスがたまります。
 A学生のことをこんなにバカバカ言ってはいけないので、そのバカ面したバカふたりはきっと学生ではなかったのだと思います。

 性的に不快な言葉を垂れ流すおやじたちが「セクハラ」なら、やつらは「バカハラ」と呼べばよいのでしょうか。



10月10日(金)キリ番

 一昨日ホムパゲをのぞいたら39900で、昨日は39950。やばいよ、このペースでいくと自分で踏んじゃうよと思いながら、さっきのぞいたら40001でした。よりにもよってこんな、万年せーねんが自分たちの行為を臆面もなく「伝説」と呼んでしまった日にキリ番(≠虎バン)達成なんて・・・。たっぷりお礼しますから、ご連絡お待ちしております。



10月12日(日)AほCえむ

 「よりよい社会をめざす民間の広告ネットワーク」だそうです。ここが流すものにはろくなのがないと思っていたのですが、なんとよりよい社会をめざしていましたか。この頃、よく流されてそのたびにムカムカしていたのが、「人は、人から育てられる。」ってやつ。ネットによれば、「三丁目の夕日」というタイトルがついているようです。あのゴミのようなマンガが使われています。強い父が、「これくらい我慢しろ、男だろ」と言い、兄が、「泣くな、男だろ」と教えてくれるのが、どうしてよりよい社会なのか私にはさっぱりわかりません。むかしは堂々と性別役割分業を伝えることができてよかったなぁ、ってことが言いたいのでしょうか。だったら、もっと明確に、「これくらい我慢しろ、女々しいぞ」とか「泣くな、女の腐ったやつじゃあるまいし」とか、差別丸出しで伝えたらどうなんでしょう。

 「むかしは地域にコミュニケーションがあったからよかった」って感じのノスタルジジイの発言がよくあって、それがまたいわゆる倫理学者の発言だったりもするわけですが、そのコミュニケーションの内容たるや、「男は男らしく」(ってことは、女は女らしく、ってことも言いたいわけです。狡猾だから言わないけど・・・)なんですよね。こんなクソのようなコミュニケーションならない方がましですね。



10月13日(月)ま〜ゆ〜、ま〜ゆ〜

 二宮繭の父が逝ってしまいました。どういうわけか、あの方がHPをお持ちであることを知っていて、以前ものぞいたことがあったのですが、今朝訃報を聞いてまたのぞいてしまいました。そこでふと気がつきました。これって、ずっとアップされたままになってしまうのではないか、と。事務所が開いているものなら閉鎖できるでしょうが、ご本人だとひょっとすると閉鎖できないのでは、と思ったのです。プロバイダがつぶれれば自動的に閉鎖でしょうが、そうでないかぎり、残り続ける???言うまでもなく、繭の父のことだけを思ったのではありません。自分自身のこのまぬけなページも、それ以後残り続けてしまうのではないか。いつか死ぬことを覚悟したところで(死ぬことにかぎらず、覚悟なんて何事においてもしませんが)、このとんでもない事実はどうにも変えようがなさそうで、せめていつ死ぬか教えてもらえさえすれば、なんとかするだろうとは思うのですが・・・。

 「ま〜ゆ〜」「ま〜ゆ〜」がちょっと耳に残っています。



10月14日(火)ちょっとだけ、間に合わない

 昨日は祝日だったので昼寝して暴走しました。その後、銭湯へ行こうと思ったのですが、ひょっとして銭湯は休みかもしれないと思い、風呂に入る用意をして銭湯の前に立ち、休みであることがわかる、という状況は人から見られると非常に辛いものがあるので諦め、是枝作品を上映していた宝塚の映画館へ行きました。「人生はいつもちょっとだけ、間に合わない」というコピーが映画のポスターに書かれてあり、まさにそういう話なんですが、しかし軽いタッチで描かれているので後々効いてくるって感じでした。「いつも間に合わない」わけですから、「次のときには間に合うようにしよう」としても、結局は同じことを繰り返してしまうということなのでしょう。そんなことでよいとは思いませんが、しかしその通りなんですよねー。「次こそちゃんとしよう」と思っても、いつも同じところで引っかかってしまう・・・。きっと死ぬまでそうなんでしょう。



10月15日(水)おまわりさまが詐欺師じゃない根拠はない

 <振り込め詐欺>を防止するために、おまわりさまが全国のATM周辺に配備されたというニュースがありました。騙されそうな人に注意を促している映像が流れていました。しかし、おまわりさまが詐欺師じゃない根拠はどこにあるのでしょうか。いやいや、これはおまわりさまをバカにしたいとかこきおろしたいとかそういうことではなく、一般的な話として、「騙されちゃいけませんよ」と言う人が<騙す人>じゃない根拠はどこにあるのでしょうか、ということです。<騙す>おまわりさまは、<騙す人>じゃないと思われているから、<騙す>おまわりさまになりうるのでしょう。「札つき」のワルは札がついているから怖くないけど、札のついていない<善良な>一般市民は怖い、というのと同じでしょう。「市民として当然です」とかなんとか言って、ちくったりしますからねぇ。
 
 というわけで、やはり原理的に、嘘をつくことはできないと思います。



10月18日(土)魔が差すとは間が悪い。まっ!

 いろんな雑務が一段落したので(ホントはしてませんが、とりあえずしばらくは知らないふりをするとして)、昼寝して暴走して銭湯へ行きました。昼寝する前に、エクセル使って計算していたので、しっかり夢の中に計算が出てきました。なさけない。これが例によって、同じ計算ばっかりしているのですが、毎回毎回答えが違ってちっとも前に進まないわけです。ああ、実になさけない。

 それにしても山ほどあった雑務がこんなふうに一瞬だけなくなってしまうと、することがなくなってしまうとは、実に実になさけない。きっとこういうときに「魔が差しました」とその動機を言って、おもっきり上から目線で軽蔑されるようなことをやらかしてしまうのではないかとふと思い、注意深くふるまうのであった。



10月19日(日)うるわしい、うるわしい

 夫婦愛を描くとかいうある映画の予告編で、「過酷な運命も、変えていく」とかなんとか、文字とともにナレーションが入るのですよ。変えられるんだったら運命じゃないじゃんと思うのですが、間違ってますか???そもそも、主演の男優はまだしも、あの女優が嫌いなのかもしれません。80年代半ばに、わざとらしく、ジャイアンツじゃなくてライオンズのファンだとか公言し始めた頃から、いやらしいなぁと思うようになりました。「いやらしいなぁ」と思われたくなかったら、カープファンだとか、川崎球場を本拠地にしていたオリオンズファンだとか言ってみろ、と思ったものです。

 話題がマイナーすぎました。なにしろ日曜日は憂鬱なので。



10月21日(火)アンチノートン開発中

 朝から会議へ行きました。くるしいー。あんな感じで研究発表したら、「もっと明瞭かつ簡潔に」という突っ込みが絶対に入るような発言に、朝っぱらからこっくりしそうになります。しかしそれはまあ、仕方ないとしましょう。うんざりなのは、しゃべり屋さん。ひとつひとつ与太を飛ばさなくても、あなたがそこにいることはわかっていますから、という光線を送ったのですが、ノートンを使っているのか、びくともしませんでした。ううう、そこまでしてしゃべりたいのかぁぁぁ。



10月22日(水)ういみみ

 「時代祭」ってそういう祭りだったんですねぇ。今日、ニュースで初めて知りました。<祭りなんてものにロクなものはない>という経験則がまたしても実証されました。明治政府形成に加担した者から時代をさかのぼっていくそうです。だったら、もっと近いところから始めないと。ちゃんと皇国少年とか侵略者とかも行列に加えてあげないと。この人たちの方が、きっと忠誠心は篤かったに違いないですから。



10月24日(金)がむばってください

 妊婦がたらい回しにされた挙げ句に亡くなったという事件を受けて、あるパンピーの女が「女性だって産みたいんです」と自己のへっぽこ願望を女性一般の願望へとすりかえ、「環境さえ整えばみんな産みますよ」と、産むことがあたかも本性であるかのようにのたまわっていました。そういう発想が、くだらない小説を書いてかつて芥川賞を受賞したあの差別主義者の「ババア」発言と通底していることが、わからないのでしょうか。まあ、わからないのでしょう。やっぱ女は産んでなんぼってことなんでしょう。しかしそれは、立派なセクハラ発言になりうるってことが、まあやっぱわからないのでしょうねぇ。ひょっとすると、「女は子宮で考える」とかなんとか非科学的なことを言っちゃうのかもしれません。



10月25日(土)元○○人が1名受賞

 そもそもノーベル賞なんてどーでもよくて、ましてナショナリズムを喚起する「○○人が4名受賞」とかいう報道が大々的になされると、その見出しだけでチャンネルを変えたり記事を読まなかったりしていたので、ある知人のブログを読むまで知りませんでした。「4名」のうちのひとりは米国籍だそうじゃないですか。米国籍の人をなぜアメリカ人と呼ばないのか、さっぱりわかりません。××人の根拠なんて、国籍にしかないというのに、これはいったいどういうことなんでしょうか。「受賞対象の研究を行ったときには米国籍じゃなかったから」と、あくまで同胞人であると言いたい向きもあるようですが、だったら厳密に、元なんとか人と言うべきでしょう。

 あっ、やっぱどこそこの血が流れてるってことなのか。きっと血小板とかに××人とかって書いてあるんでしょうね。どうして血小板なのかって? 球より板の方が書き込みが簡単そうだし・・・。



10月27日(月)知事の称号

 「くそ教育委員会」と、あのくそ知事が言ったそうです、と、くそ准教授が書いています。しかしこれでは「くそ」のインフレで、ありがたみがなくなってしまうので、「くそ」をつけるのは知事だけにしておきましょう。なにしろ、気に入らない弁護をする弁護人たちをやめさせるようにと公共の電波を使ってけしかけるくそですから。



10月28日(火)アプリオリ

 またしても二人の死刑囚に刑が執行されました。ひとりについては、冤罪かもしれない可能性が指摘されています。言うまでもありませんが、私が死刑制度に反対しているのは、冤罪によって国家による殺人が行われてしまう可能性があるからではなく、この制度が野蛮だと思うからです。ですから、冤罪かどうかとは無関係に、まずあらゆる死刑はあってはならないと思っています。しかし世の中にはごくまれに死刑を望む人たちがいるそうですから、そうした人たちに対して、「冤罪だったらどうするよ?」といちゃもんをつけてもよいかな、と思うわけです。

 そういえば、くそはそのごくまれな人たちのうちのいちくそでした。そしてこのくそは、体罰も容認します。暴力大好きって意味じゃ首尾一貫していますが、首尾一貫していればなんでもよいなんてはずはありません。首尾一貫してくそなら、やっぱりくそ、普遍的にくそ、ひょっとするとアプリオリにくそ。



10月29日(水)関西弁イデオロギー

 驚くべきことに、あのくそは支持率が7割近くもあるそうです。まあ、さもありなんとは思っていたけれど、関西弁を話すおばはんのジャズシンガーは、絶賛していました。要するに、「本音」でしゃべってくれるところがうれしいそうです。形式なんてどうでもよくて、中身が重要なんだと。するとあのおばはんは、「本音」を言えば弱者だって切り捨てたいし、死刑だってばんばん実行したいってことになるのでしょうか。口で言ってもわからない場合は、手を出すしかない、ってことになるのでしょうか。だとすると、あんなくそには何を言っても通じないから、やっぱ手を出すしかないってことになるのでしょうか。

 いい加減、「本音」はすばらしいというイデオロギーを何とかしましょうよ。



10月31日(金)ぐったり

 大学祭の準備日だからか、もぬけの柄谷行人状態の大学で雑務に勤しんだ後、ぐったり気分で帰ってきて『オーシャンズ11』を見ながら、なぜこの作品が好きになれないのか考えたけれども、答えは見つからなかった。アンディ・ガルシアが好きなわけじゃないけど、なんだかかわいそうになってくる。それは『ブラック・レイン』のせいなのか。カネの亡者の鼻を明かすというストーリーが、鼻につくのだろうか。ブラッド・ピットの狂気が消えているからだろうか。イケてないバカ女がぴったりのジュリア・ロバーツが、イケてるつもりのバカ女だからだろうか。たまたまこれを見るときは、いつも疲れているからだろうか。

 おまけに予告編で「あの頃は堂々と差別できてよかったなぁ」という『続三丁目の夕日』なんて目にしてしまった。もう<ぐったり×10>だ。



11月1日(土)たまにはよいことが・・・

 「アナログ放送は、2011年には終わらない」と言われているそうです。正確には、「終われない」のでしょうけれど。真偽はともかく、こうした噂が広がれば広がるほど、ますます買い替えは控えられるでしょうから、結局先送りせざるをえなくなるでしょう。いくら、あの気持ちの悪いやつが線香のにおいを漂わせて宣伝しようと、先送り。よいことです。予言の自己実現。



11月3日(月)非文化的文化の日

 連休だというのに、土曜日も日曜日も、暴走もしなかったし銭湯へも行きませんでした。昼寝はしたかも・・・。ともかく忙しいので。そしてともかく忙しいときはどうするか。そうです、特急に乗ってレースです。行ってきました。泊まった部屋なんて、「デラックスツイン」ですよ。チェックインのときに、フロントが「お部屋は・・・、デラックスツインですよね?(お前、なんでひとりでデラックスツインに泊まるんだよ?)」と問い、「そうですよ!(お前らが、そこしか空いてないってネットで表示したんだろが)」と答えました。

 会場へ向かうタクシーの運ちゃんが、「うちの息子と孫がペアで出る」→「孫は足が速いんだ」→「お客さんの子どもさんも足は速いのか?」という流れを作ったのですが、ここまで相手の言ってることを聞きとるのに精いっぱいで、「認知した子どもはいません」と言うこともできませんでした。残念。

 レースは、同年輩のおっさんがびゅんびゅん飛ばし、「このままではつぶれる」と思ってちんたらペースにしたら、折り返してそのおっさんが完死(=完全死亡。陸上用語)。まんまと優勝しちゃいました。けけけ。



11月4日(火)びっくり人間

 詐欺で捕まった人は、沖縄サミットのおりに、脳梗塞で意識不明だったにもかかわらず首相臨時代理を指名したという、あんな巨体なのに空中浮遊ができちゃう人と同じくらいびっくり人間大集合に出られそうな方へ、歌を捧げたそうですね。演奏の様子をこばかにした顔つきで見ているプーチンて、サイコーですね。



11月6日(木)アリスのこと

 『野球の国のアリス』を読んでしまいました。これってひょっとして、ルイス・キャロル同様に姪とかのために書かれたものじゃないのか、って思ったのですが、調べてみたら、ルイス・キャロルが姪のために書いたというのはたんなる思い込みだったようです。ともかく、『野球の国のアリス』は、漢字に読み仮名がつけられているし、<あとがき>からも読者として子どもを想定していることがうかがわれます。子ども向けに書かれたものをおっさんが読んでしまったというわけです。しかもそのおっさんには、幸か不幸か(たぶん、幸だと思う)、ロリータの趣味がないのです。

 ただし、「世の中に本当に必要な笑いは、見下す笑いじゃない・・・」(167)とあります。「本当に」は余計だとしても、その通りだと思いました。そして、世の中には不必要な笑いがあふれているとも。まあ、私は笑いの権威じゃないのでえらそーなことは言えませんけどね。

 そうそう、『野球の国のアリス』の作者は、寅吉なんですよー。



11月7日(金)裏目かも・・・

 専修決定が行われる直前のこの時期に、初めての試みとして、1年生に対する専修ガイダンスを行いました。過去の哲学者が書いた物を、しかも原書で読むことの意味に対する疑問は、もっともなところかもしれません。たんに外国語を読むだけのことに過ぎないのではないか、そしてかりにそれができたとしても、だれそれがあれこれと言った、ということがわかるだけではないか。哲学にとって重要なことは自分で考えることであって、哲学的にものを考えるということと文献を読むこととはつながらないのではないか。こうした疑問をもつ人は、結構多いのかもしれません。私自身は、素直で謙虚だったので、自分だけの力で新しいことを思いつくとはまったく思っていませんでしたし、哲学の勉強というものはそういうものだと思っていました。そして今もそう思っていて、そういうところが丸見えだからか、いまだに権威主義者と言われてしまうわけですが、そんなレッテルを貼ってくださる立派な方には、オリジナリティにあふれてるんですねー、と言うしかありません。

 そんなわけで、大学で哲学を学ぼうとすれば、それはそれは苦痛であるかもしれません。しかし、過去の哲学者の思考は、われわれ凡庸な人間が思いつくことよりもはるかに上を行っています。それらを手掛かりにしてモノを考えることは、けっして悪いことではないと思います。まあ、実感が欲しい方には向いてないかもしれませんけど・・・。



11月8日(土)どんより

 今日は一日中どんよりとした薄暗がりの日で、まるでフランクフルトの11月みたいな感じがしました。それはなかなかいい感じだったので、昼寝して、暴走して、銭湯へ行きました。えっ、どーせどんな日だろうとそうするんだろ、って? 失敬な。来週もさ来週もそのまた次の週も、学会やら研究会やらでそうはいかないのですよ。

 銭湯では、湯に浸かりながら読書しているおっさんがいてびっくりしました。もう20年以上も通っていますが、あんなおっさんを見たのは初めてです。まさか『純粋理性批判』を読んでるんじゃないだろうなと思いながら、邪魔をしないようにこっそり浸かりました。そして今、何系の本だったのか、はたと気がつきました。やっぱ紐育系でしょう。ぐはは。



11月9日(日)<1408>に期待

 昨日、レイトショーで『イーグル・アイ』を観ました。あれほどの能力を持っているのだから、さっさとギロチン作戦を実行すりゃあよかったのに、と思うのは私だけでしょうか。今日もどんよりしてました。



11月11日(火)不適切なのは発言だけか???

 <いつも不適切なことを言ってる僕にも不適切に聞こえた>とかいうくその発言は、どういう意味なのでしょうか。いつも不適切なことを言ってる僕ちんは、不適切発言のエキスパートであり、何が不適切な発言であるのかわかります、って意味でしょうか。もしそういう意味だとしたら、しかしこれは誤謬ですよね。いくら僕ちんがいつも不適切なことを言ってるとしても、そのことから、僕ちんには何が不適切な発言であるかがわかる、ってことは帰結しないですからね。よくある立場性からの主張のひとつだと思いますが、よくある立場性からの主張と同じく、説得力はゼロです。

 それにしても、兵庫の知事も丸出しですねー。政治家は、計算能力だけに長けている点がしばしば批判されるわけですが、この人ときたら計算能力さえなさそうですから。東京に一極集中していることが危険だと思うのなら、「東京に一極集中していることが危険だと思う」と言えばよいのです。「これはチャンスです」の意味は、これはチャンスです、でしょう。



11月12日(水)目くそと目くそ

 軍の人は、もうちょっと賢いのかと思っていたのですが、「チャンス、チャンス」の文民と同じくらいに計算能力がないようですねぇ。いや、結局は武力の人なんだから大したことはないのでしょうけど、それでも観閲式とかで舞い上がっちゃう素人よりかはましなんだろうと思っていたのですが・・・。だいたいなんつーか顔つきが「土はまぶだち」って感じですからねぇ。あと、しゃべりすぎです。あんなにしゃべったら、でぶえもんとかくそとかと同レヴェルですよ。

 しゃべりすぎました。疲れているのでしょう。今日は久しぶりに、1時間ほど研究に関係する読書をしたのですが、「ひょっとして研究好きなんじゃないか???」って思っちゃったくらい、とんでも雑務に追われていましたから。


11月13日(木)カスリハタ

 さすが世界のト○タともなるとマス=メディアに勝てると思えるようですね。自分のところがスポンサーを降りたら番組も作れないだろっ、と思っているわけです。しかしマス=メディアが一致協力してネガティヴキャンペーンをはったらどうでしょう。事故を起こすのはことごとくそこのクルマであり、悪いやつらが乗るのはことごとくそこのクルマであり、といった情報を延々流し続けたとしたら、どうでしょう。資本主義の隆盛を支えているのは、やはりいまだに自動車産業だという側面はもちろん否定できないと思いますが、しかしマス=メディアを敵にまわしてやっていけるほど牧歌的な状況にはないだろうと思うのですが・・・。あのカスリハタみたいなご尊顔のご老人も、もう少し計算能力を身につけた方がよいのではないでしょうか。



11月14日(金)こっちの学会

 これから学会へ行きます。といっても、もちろん、<線香>関係の学会ではありません。カント協会の大会なので、<専攻>関係ではありますが・・・。ぐはは。会場は九州大学。24年も前に一度行ったことがあります。ということは、私は少なくとも24歳以上だということになるのでしょう。とほほ。



11月16日(日)もう疲れました・・・

 カント協会の大会は土曜日に開催されましたが、会場の九州大学は、ちょうどある大学校(「大学」ではないところがみそです)の入試会場にもなっていて、緑色の制服を着てやたらお辞儀する(幸いにも、私は一度もお辞儀してもらえませんでした)「礼節を重んじる」(だから侵略なんてするわけがない)方たちやら、受験に来ている皇国少女・少年たちやらであふれかえっていました。トイレで会った少年たちに、「あなたたちはやっぱ国を守りたいんですか?」と尋ねたかったのですが、緑の人たちに通報されても面倒なので、やめておきました。

 懇親会の後、2次会へ行きましたが、かなり後悔しました。ひとつには、まだ動いているイカが出てきたからです。ご存じのとおり、私はうわべの美しさとか正しさとかがお気に入りなので、生きたままのものを食べるなんてできません。実に身勝手な話であることはわかっておりますが、まあ、でもできないわけです。まわりは酔っ払いばっかなので、こっそり帰ろうかとも思いました。ここでもたもたしてしまったことが、後悔ポイントその2を招きました。これはホント、かなり応えました。

 <あなたはまさかそんなことを言わないでしょ>と思っていた人が、<そんなこと>を言ったのです。「人には期待しない」と言いつつ、それでも実はいくらかは期待しているのでしょう、だからまさか言わないだろうと思っていたことを言われると、がっくりくるのです。所詮おまえもそっちの世界の人間だ、という発言が応えたということもありますが、それよりも、その人がいまだにそっちの世界とかあっちの世界という区分を受け入れていることに幻滅しました。そうした区分そのものが文化的な構成物だという視点がジェンダー論のポイントだと思っていたのですが・・・。奥歯にモノが挟まっています。

 懇親会で、ネクタイしてない方から、ネクタイしているおまえは権威主義者だとおっしゃっていただきました。ああ、またしても。ネクタイはずすくらいで権威主義者をやめられるのなら、そんなに簡単なことはないですよ。いや、この言い方では、おまえはネクタイしてないけど権威主義者じゃん、という批判にはなりますが(ということは、批判しているわけです)、ネクタイしている私が権威主義者じゃないということの弁明にはつながりませんね。権威主義者かどうかは、ネクタイしているかどうかからではなく、その人の言説からのみわかることです。言うまでもなく。でもわかんないアホがいまだにいるんだなぁ、これが。



11月17日(月)もう終わる???

 授業は、参加人数がどんどん少なくなっていき、なんだかステキな感じです。秘密結社の集まりみたいですからね。もっとも、全然ワクワク感はないでしょうけど。しかしそもそもそんなものを求める方が間違ってます。来週は否応なく休みなので、次はもう12月。そのときは、さらに半減くらいしているのでしょうか。おまけに、生き残ってもテストがあるんですよねー。ぐはは。



11月18日(火)教訓

 雑務のひとつとして、あるファイルを大量に作らないといけないのですが、前に「こんな単純作業、ようつべなしにやってられっか」と思って<ながら>作業をしたせいで、今日仕上げをしようとしたら、まったくでたらめなファイルになり果てていましたとさ。どこかが間違っていることは確実なのですが、どこが間違っているのかわからない。どこが間違っているのわからないのなら、それは間違っていないのだという主張は、哲学的ではあるかもしれないけど、しかしファイルそのものはきわめて経験的な次元の事柄を内容としているので、やはり経験的に間違い探しをしなければなりませんでした。

 教訓。ようつべありでもちゃんと単純作業ができるようになること。



11月19日(水)阪大有名准教授

 「阪大有名准教授」が告発された、といったような記事がある週刊誌に掲載されていますが、私は有名じゃないのでどうやら私のことではありません。せっかく声をあげたというのに、残念ながらこのままじゃあ、何も動かないのではないかと思います。私は厳罰主義化一般にはもちろん反対ですが、しかし大学におけるこの手の問題に対する処分は非常に甘いと思っています。前にも書きましたが、ある私立大学では記者会見まで開いたというのに、その張本人は履歴に傷がつかない依願退職という形でその大学をやめ、今はまた別の大学で働いています。こうして繰り返し書くのは、にこやかに人当たりよく私に話しかけてきて以来、私はそいつのことを激しく嫌悪するようになったからです。他にも、いい年をして反省文まで書かされたのに、懲りずに同じことを繰り返しちゃう人とか、いるんですよねー。

 クビにならないかなぁ〜。



11月20日(木)「世界哲学の日」

 今日はユネスコが定めた「世界哲学の日」だそうで(しかしさっきネットで検索したけど、全然ヒットしなくて、「哲学の日」はソクラテスの死に因んだ4月27日だと書いてある記事ばっかでした)、なんと「哲学的お題」を川西市の生涯学習センターまで出かけて開催してしまいましたとさ。いきなり、「哲学をして気が変になった人がいるというのは事実ですか?」という大胆不敵な質問が選ばれ、「気が変になるとはどういうことか」などと話が展開されました。「気が変になってる人」というのは、「コミュニケーションができなくなってる人」というような結論が導かれましたが、そういえば私は以前、大天才から、「コミュニケーションのできない人」と書いてもらったっけ、と思い出して、おかしくなりました。おかしくなったというのは、笑えた、という意味ですけどね。さすが大天才は大天才だけあるなぁ〜、と。

 もちろん、学ぶべき点はありました。「心の拠り所のありか」とか「人生の目的」とかいったものが、哲学の答えるべき問いであると考えられている、ということなど。もし大学でこのようなことが問われていたら、そんなものはないし、そもそもそんなことは哲学の問題ではありません、と言って(ひょっとすると舌打ちしてから)話題を変えるところですが、今日そういうことをしなかったのは、やっぱ私が風見鶏だからでしょう。くどいようですが、どーせ、権威主義者ですからねーーー。



11月22日(土)こっちの学会 2

 今日は学会がありました。といっても、<線香>関係ではなく、<専攻>関係の学会です。くどいですね。書いたことを忘れているところまでは行ってませんが、つまらないだじゃれを繰り返すところまでは行ってます。無邪気さがない分、前者よりひどいかもしれませんが、確信犯的な分、後者の方がましかもしれません。処罰として死刑を選択する基準のひとつは、犯行の計画性にあるようですが、一般に、計画性を伴う犯罪は計画性を伴わない犯罪よりも、より悪質なものとみなされています。私にはこれがよくわかりません。計画さえ立てずに衝動的に何事かをやらかすなんて、ヴェーバーの基準に照らして言えば合理性が低いわけです。この合理性の低さこそが処罰に値すると思うのですが、違うでしょうか。

 学会の話でした。フィヒテ協会の大会です。会場は広島大学でしたが、広島大学はとんでもないところにありました。しかも、いきなり煙突に<広島大学>って書いてありました。ケータイ撮影しようかとも思ったのですが、誤解されそうなのでやめました。

 というわけで、学会の枝葉についてでした。



11月23日(日)こっちの光線

 出頭したら、私は、「普段から、あの人はおまわりさまのことを<わんわん>とか言ってましたからねぇー」とか「<人生に意味などあるわけがない。たわけが>とか言ってましたからねぇー」とか言われるのでしょうか。たしかに近所の建設現場がうるさかったら、文句は言うかもしれません。でも、その現場へ行ったり、社長の住まいや電話番号を調べ上げるなどという面倒なことはしないと思います。きっと、面倒なことはせずに、ネット上で「ぶーぶー」言ってるだけでしょう。今日も、なぜか満員の阪急に乗ったら、酒臭いおっさんが隣でぶつぶつ言ってて、酒の他になんだか生臭い匂いもしていて、もう少しで吐きそうになりましたが、殺人光線を送るだけで何も言いませんでしたから。

 結論:不快なことがあっても、刺すのではなく、光線にしときましょう。
 


11月24日(月)46歳は未成年か?!

 出頭してきた容疑者の父親を、さっそくハエたちがインタヴューしていて、「遺族に対して言うことは?」と訊いていました。形の上では疑問形ですが、<遺族に対して言うことがあるだろっ、ごらぁ>という恫喝と同義でしょう。父親は、ちゃんと文法に則り、謝るばかりか償いまで申し出ていました。なんでそーなるの?(これをやっていた頃のあのゲーニンはまだ面白かった)。どうして46歳のおっさんがやらかしたとされることに対して、親が責任を取らなきゃいけないのか。あほかまったく。ハエたちには言ってもムダかもしれないけど、『倫理21』でも読んで出直したらどうだろう。あるいは、もう二度と出てこないか、はたまたそんなバカな質問をしたことを親のせいにするか。最後の選択肢はシャレが効いていて面白いかもしれない。



11月25日(火)逃げるべし!

 さっき3分だけ、どっかの局でやってたアニメをちら見したら、「お前は逃げた」「おれは逃げてない」という口論をしていました。どちらもどうやら<試練からは逃げてはならない>という規範を内面化しているようです。この規範の妥当性は問うことなく、逃げた、逃げないという事実問題を争っているわけですが、なぜこの規範の妥当性は問わないのでしょうか。いまだにアニメの世界では、試練から逃げることはいけないことなんでしょうか。びっくりです。その世界ではすでに何かもっと画期的なことが描かれているのだろうと思っていたのですが、これじゃあ『巨人の星』なんかとちっとも変わっていないじゃないですか。

 いや、もちろんたまたまこの1本だけがそうなのかもしれません。試練なんてものからはできるだけ逃げましょう、って規範を謳ってくれるアニメが多数派であることを望んでいます。



11月26日(水)ケーハクさ

 久米宏の番組を10分で断念しました。なんとか嬢たちがたくさん出てて、見る気が失せたからです。なぜその職業を選んだかと言うと、「束縛されたくない」からだそうです。へー。その職業だと、資本主義からも男性原理からも自由なんですかーーー。すっばらしい。公務員になる気なんてさらさらなかったそうですが、知ってますかぁ、公務員になるにはたいてい試験があるんですよ。

 以前、あの人たちと同じカテゴリーの方たちが声高に主張するシンポジウムに出たことがありますが、いわゆるインテリは、差別せずに理解を示さないといけないと考えるようで、非常に腰の引けた対応をしていました。そして久米宏。ああいうケーハクさがむかしから好きになれません。



11月27日(木)熱いぜぇぜぇ

 今日は、ある方を教育上もっとも評価できる点として、<熱い心をもって学生と接していること>が挙げられました。えっ? そうなんですか??? いや、私の疑問点は、その方が実際に<熱い心をもって学生と接している>かどうかということにはありません。その方のことは知らないし、あんまり知りたくもありません。そうではなく、<熱い心をもって学生と接していること>がポジティヴに評価されるということを、知らなかったのです。いまでも、ちょっと疑っています。ひょっとしてその発言はギャグだったのではないかと。

 いや、そんなことでよければ、明日からでも熱い心をもって学生に接しちゃいますよ。そんな簡単なことでよかったのですかぁ。いやもう、まったく知りませんでしたよ。

 なーんて、ムリぽ。



11月28日(金)手続き的正義

 ある人物について、<窃盗では逮捕・起訴されているが、(問題となっている)事件への関与をうかがわせる話は一切していない>という報道がなされていますが、そんなことは当たり前であるのに、わざわざこんな風に言及されるということは、窃盗容疑であるにもかかわらず、それ以外の事件の話をやつらが仕掛けている(が、全然引っ掛からない)ということを意味するのではないでしょうか。もちろん、こんなことをしてはいけません。それは、シロかクロかということとはまったく関係ありません。そして家宅捜索。よくまあ、裁判所も認めたものです。

 手続き的正義さえ果たされないとなれば、後はもう、やつらのやりたい放題です。



11月29日(土)番長って。ぷ。

 どうやら、変な髪形をした人は虎にはやってこないらしく、よかったよかった。あんなの全然かっこよくないし、あの全力投球スポ根もどうなのさ、って感じです。ついでに言うと、なんであれがパ・リーグの功労者なんだろう。自由にチームを選べるようになったらとっととジャイアンツへ行ってしまい、厄介者になって捨てられたら、むしろパ・リーグが拾ってやったくらいじゃないですか。そしてやったことと言えば、借金王とのくっさい田舎芝居。お互いに自分たちだけを唯一のプロだと思っているのなら、初めっから2人だけでキャッチボールなりなんなりをやってりゃよかったのに、って話ですよね。



11月30日(日)タイミング

 今週は、週の始めと終わりに、おふたりの方のお通夜がありました。先月末にもおひとりの方のお通夜がありました。お通夜からひとりで帰ってくると、ちょっと身辺整理しないといけないなぁと思います。あんなものやこんなものは捨てておかないと、遺品を整理する人が大変だろうと思うわけです。でもしばらくは使ったりするだろうと思うし、捨てた直後に逝ければよいのですが、人生そんなに都合よくできてないですよねぇ。



12月1日(月)消えてしまえ

 身辺整理しているはずなのに、今日はコピーカードが見つからないし、演習で使うテクストが見つからない。コピーカードはなぜかお通夜へ行ったときに礼服のポケットの中に入っていて、「何やってんだ?」と思って取り出したのだったが、それをどこに置いたのか、記憶がない。テクストは、大学にあるはずだと思ったのに見つからないから、いったん帰って探してみたけどやっぱり見つからない。大学へ戻って机の上を見たらいらっしゃった。いったいどうなっているのだろうか。

 きっとコピーカードもテクストも、生きているのでしょう。頼むから、しゃべるのだけはやめてくれ、って感じ。うるさくて仕方なさそうだから。



12月2日(火)脱法行為

 伊丹から成田へ飛ぶことは脱法行為だと、例によってくそが吠えていました。まあ、厳密には飛ばすことが脱法だと言ってたのではありますが・・・。そして、こんな脱法行為が許されるのなら、なんだってできることになる、大阪府だって、どんな脱法行為だってやる、そうです。まず、もし飛ばすことが法に反していると考えているのなら、お得意の告訴でも何でもしなきゃいけないのではないでしょうか。違法であることを知っていながら何もしないでいることは、ひょっとしたら共同正犯とかになる可能性もあるんでしょ? さらに、かりにこれが脱法行為だとしても(そうじゃないと思いますけどね)、だからと言って大阪府が何をやってもよいということにはならないでしょう。大阪府の知事がくそだからって、他の知事がくそでよい、ってことにはならないのと同じように。ちょっと違うか。



12月4日(木)FD

 今日はFD(≠ふなちょ、大っ嫌い)の催し物がありました。専門家にご講演いただいた後、夏以降、試行錯誤を重ねて作ったデータの読み方を僭越ながら説明し、そして後は好き放題言ってもらうという企画でした。幸いにも(みなさん慎み深いせいか)「こんなデータ作ってアホかお前は」(=ふなちょ、ダメ=FD)などとおっしゃる方はいなくて安心しました。それどころか、これからもこの種のデータが必要だとアンケートにお書きになっている方もいて、それはそれなりにうれしいかもしれませんが、しかしこれからも作れ、ってことですよねぇ。

 はいはい、もう何でもやりますよ。なんつっても、この作業を通じて、私のエクセルに関するFDは確実に達成されましたから。もうちょっと高度なスキルを身につけて、来るべきリストラに備えることにしましょう。



12月7日(日)さぶい

 なんか突然寒くなりましたねー。今週はとくに途中まで暖かだったので、余計に応えました。4週続けて学会やら研究会やらがありましたが、来週は・・・、と考えて、来週も公務があることを忘れていました。もう、ぐはぐはーって感じです。

 最近、掲示板にゴミの書き込みがあってびっくりです。自動では書き込めないはずですから、わざわざペーストしたり、うさ公を選んだりしているわけです。ひょっとすると知ってる人に嫌がらせされているのかも、って思いましたが、しかしそれは自意識過剰でしょう。そもそも、私のような品行方正な人物が嫌がらせされるはずがないですしね。ぷぷぷ。



12月9日(火)外資系なのに・・・

 「ご主人様の免許証の色は何色でしょうか?」「金色?」「ゴールドですね」とかいうCFがあります。どうして訊かれてるおばはんが「金色?」と訊き返しているのか、訳がわかりませんが、その答えを受けて女が「ゴールド」と言い直すのも、これまた訳がわからないです。知ってるんだったら訊くなよ、と言うべきか、金色はゴールドなのか、と言うべきか、おばはんは金色と言ってるのにどういうことだよ、と言うべきか。

 いや、そもそも最初の質問に対するあるべき返答は、「私は奴隷じゃありません」でしたねー。



12月10日(水)アホか

 久米宏の番組に、作家兼僧侶とかいうばあさんが出ていましたが、何とか我慢して10分間見た限りでは、どうやら大人気だそうです。その講和と称されるバカ話をありがたがる人たちがたくさんいるとかで。まったく末期的症状です。ああいう人たちを見ていると、つくづく民主制というものは素晴らしいと思わざるをえません。何と言っても、あんなばあさんの言葉にすがるような輩に対しても、そうじゃない人と同様の権利が与えられているのですからねー。

 すがる人たちに対する言葉をもたないから哲学はダメなんだ、と言う人がいそうです。ひょっとすると、哲学の名のもとにそういう言葉を見つけようとしている人たちもいるかもしれません。ここだけの話ですが、そんなものは哲学とは無関係ですし、すがろうとする人がいたら、アホか、と言ってあげるのが哲学です。



12月11日(木)忘れすぎだ・・・

 忘年会がありました。びっくりしますよ。驚愕です。いい年した人たちが酔っ払って大声出して歌まで歌っちゃうんですよ。いつもより狭い部屋だったから余計に醜態が目や耳に入ったのかもしれませんが、あれにはかなり信じがたいものがあります。あんな会に出たくないからかどうかは判然としませんが、年会費を滞納し続ける利口な人がいるのもうなずけます。私はそういうフリーライダーみたいなことはできませんけどねー。ともかく、うさなんか晴れず、かえってストレスたまっただけかもしれません。ぐはー。



12月12日(金)いずれ0円の自分らしさwww

 自分らしさが見つかるケータイがあるそうです。これはひょっとして、強烈なアイデンティティ批判なのでしょうか。つまり、自分らしさなんて、どのケータイをもつかってくらいの問題でしかないっていう。まあ、あの機種はまだ高いのでしょうが、いずれ0円になる日がくるかもしれません。そうしたら、そのケータイを選んだ人のその人らしさは0円ってことになるのでしょうか。なかなか笑えますよねー。だいたいあのコマーシャルは、自分の生き方に悩んでいた若造たちが山崎努みたいなじじいの一言で一気に自信を回復するという、なんだかんだ言ったって自民党でいいじゃんみたいな感じが無性に腹立たしいです。言うまでもなく、しゃべるわんころが出てくる他の会社のケータイのコマーシャルもいらつきますけどね。



12月13日(土)久しぶりぶり

 今日は久しぶりに、学会も研究会もない土曜日でした。となると、昼寝と他県を往復する暴走と銭湯ですかねー。ちょっとだけ、辛いものがないわけではないかもしれなくもないです。実は銭湯をすばやく切り上げて、<1408号室>へ行きました。途中から、なんだかなぁ、って思ってたのですが、死者に対する悔いは死に至るって話(ひょっとしてフロイト?)だとわかったときには、なんだか暗い気持ちになりました。

 たいていの映画は、クレジットが流れる間に、全員が全員帰っちゃうわけじゃないと思うのですが、今日は部屋に明かりが戻ったとき、残ってた客は私だけでした。えぇ〜???部屋の扉を開けるときに、「これひょっとして開かなかったりするんじゃね?」と思いましたが、そこまで凝った仕掛けはなく、おかげでちびらずにすみましたとさ。



12月15日(月)nur ein bisschen

 諸般の事情により、昨日は神戸方面へ行って外国の方々の歌や踊りを見学させていただき、今日昼過ぎに何とか戻ってきて、大学へ行っていろんな雑務をやりました。そんなわけで授業は6時間目の演習だけだったのですが、なんとその演習のためだけに大学へ来た奇特な人たちが何人もいて、ちょっと感激しました。ちょっとですけどね。でも、みなさんちゃんと予習もしているし、日頃から人のことをほとんど信用していないのをちょっと反省しました。ちょっとですけどね。



12月16日(火)
FDだ!

 今日は1ヵ月に1度の会議がありました。ただ、先月はなかったので2ヵ月ぶりでした。だからでしょうか、いつもの倍の時間がかかりました。そんな単純な掛け算は不要なのですが・・・。例によって、議題ごとに貴重なご発言をなされる方がいらっしゃって、途中から念力を最高出力状態にしたのですが、びくともせず、こちらはその分ぐったりんぎんぐでした。やっぱり、こちらから働き掛けるような能力ではなく、こちら側だけで処理できるような、たとえばスキップモード能力を開発しようと思います。言うまでもありませんが、スキップするのであって、スキップするのではありません。



12月17日(水)学力が全くない、って・・・

 くそによれば、「文科省の事務方には学力が全くない」そうです。「学力が全くない」人なんて、そうそうお目にかかれるものではないので、ちょっと見てみたいですねー。そりゃあ、北野高校ご出身の弁護士様とお比べになったら、文科省の事務方なんて、バカでバカでしょうがないのかもしれませんが、それでも「学力が全くない」とは凄まじいですよ。よくまあ、「学力が全くない」のに、公務員試験に合格できたものだと思います。これってある意味じゃすごいことですよねー。

 逆に、頭がよくってよくって仕方ないのに知事なんかやってるくそってどーよ。



12月18日(木)ごもっとも・・・

 今日はせっかくいつもより早く帰宅したというのに、だらだらと木曜洋画劇場を観てしまいました。『目撃』は、大昔にレンタルで観ていたのですが、そのときと同じく、やはりエド・ハリスはうざかったです。ただでさえうざいのに、あろうことか、ローラ・リニーに言い寄るわけです。もう、お前んちには鏡はないのか状態です。ジーン・ファックマンは、文字通りファックマンでしたねー。いずれにしても、父親はいつでも娘を見守っており、また娘は娘で父親のことを許すものだなんて話はゴミです。

 じゃあ、観るなよ。はい、ごもっとも。



12月19日(金)もうやめれ

 口の歪んだ行政府の長がハローワークへ行って、相談に来てた若者に「自分のやりたいことをはっきり言わなきゃだめだ」と説教を垂れ、さらに「やりたいことは何だ?」と尋ねていました。せっかくだから、「バカでも務まる内閣総理大臣」とか「漢字が読めなくても厚顔無恥でいられる首相」とか「庶民感覚で料亭へ行けちゃう自由民主党総裁」とか答えればよかったのになぁ。でも、通常ならだれもそんなものにはなりたくないしなぁ。知性が溢れ切った上に、口歪んじゃうし。



12月23日(火)つかれた・・・

 理想は、何を言われてもへでもないぜ的な顔をして、かつ実際にへでもないと考えているところにありますが、不幸は、何を言われてもへでもないぜ的な顔をしているからこいつ実際に全然応えてないぜと思われて、もうはぁとグサグサ状態なのに同情してもらえないところにあります。そうそう、重要なのは同情ですよ、同情。愛ですよ、愛。いやいや、狼少年がそうだったように、だれも信用してくれないのですよねー。どうせまた嫌味を書いてやがるとしか受け取られないのですよねー。ぐす。 
 
 これからは、「生きるって素晴らしい」とか「いつも微笑みをたやさないようにしましょう」とか「本気でぶつかろうぜ」的なことを書くことにしよっと。そうすれば<ホントの私>を理解してもらえるようになるに違いない。



12月24日(水)あれま

 

 今年の Weihnachtsmarkt のカップはこんな感じでした。もちろん、グリューヴァインなどという脳細胞の破壊されるものが混じった飲み物ではなく、お子様向けのホット・ココアを飲みました。昨年は行かなかったのでわからないのですが、いつの間にやら、地下道から上がったところでベビー・カステラやらリンゴあめやらが売られていて、ちょっとびっくりしました。やっぱクリスマスと言えば、キリストの好物だったベビカスってことなんでしょうか。       



12月28日(日)死後1週間について

 まあ、死後1週間経って発見されても、本人は死んでるわけですからどうでもよいことでしょう。それが悲しいとかいうのは、あくまで生きてる側の言葉であって、死んじゃった人は別に死んだまま1週間放置されていても寂しいわけじゃないですよね、当たり前ですが。真相は不明ですが、ひょっとして思いがけず死んじゃったのだとしたら、36歳にもなればそういうこともありうるのだということで、いろいろと気をつけないとなぁと思います。もう、あんなものやこんなものは買わないようにしようとか。まあ、死んじゃえば生前どんなものをもっていたかが明かされようとへでもないわけですが、しかしそれでも、実はハイデガーを愛読していたなんて思われるようなことになると死んでも死にきれないです。こんなことだったら死ぬんじゃなかった、って思うかもしれません。何重もの意味で、そんなわけないですけど。



12月29日(月)高級マンションの一室にて

 

 ニーチェの研究者とフッサールの研究者とカントの研究者が、カントの研究者が住む高級マンションの一室で年の暮れに夜な夜な鍋パを挙行しました。写真は宴の後です。あんな話やこんな話をして大いに盛り上がり、楽しく過ごしました。ただ、白菜が大量に残っており、明日から青虫なり芋虫なりにならなければならないかと思うと、ちょっとゆーつ。



12月30日(火)買い物

 年末のスーパーは人がいっぱいで、買い物するとどっと疲れが噴き出ます。要領を得ないお年を召した人たちが右往左往しているのも、疲れの原因かもしれません。別に年末になって突然ひとりになったわけじゃなく(まあ、中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんが)、だったら普段から買い物には来ているはずなのに、どういうわけかもたもたうろうろしているわけです。本人たちの選んだ善構想なのですから、その姿がわびしく見えようとなんだろうと、そんなことは他人がとやかく言うことではないでしょう。ただ、明日はわが身と思うと、せいぜい買い物くらいはてきぱきとできるようにしておきたいものです。



12月31日(水)大暴走

 走り収めとして宝塚大暴走をしました。大晦日に。時折、雨が顔にかかる中。「走り収め」などと言っても、実は明日は「走り初め」とか言うんですよねー。なさけない。実になさけない。そして2008年は終わろうとしています。



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