1月10日(火)ある態度について

 夜、仕事するつもりだったのに、京都テレビで『八月のクリスマス』を放送するっていうから観てしまい、もう何もする気にならなくなってしまいました。[ここからネタバレの可能性がありますのでご注意ください]。<言えば迷惑かけるから何も言わない>という態度には、パターナリズムなどさまざまな問題が含まれているとは思うのですが、そしてその態度は、ハーバーマスたちが主張するコミュニケーション論とは(少なくとも一見)相容れないように見えるのですが、にもかかわらず少なからず魅力的にも見えてしまいます。こうした態度が普遍化されれば、<弱者は何も言うな>という話になりそうで、危険でさえあるとは思うのですが・・・。

 ともかく、今日はもう何もする気になりません。



1月17日(火)
ある態度2

 昨日の夜から悪寒がして、今朝はすでに熱っぽかったのだけれど、クールな私は37℃まで体温が上がらないので「何とかなるか」と思って大学へ行きました。そして夜帰ってきて、体温を測るとようやく37℃を超えており、しんどいので眠りました。ところが、1時間くらい眠ると目が覚めて、鼻水が出るのと頭痛がひどいのとで寝つけません。仕方がないので、やめておけばよいものを、先週に引き続き『オーバー・ザ・レインボー』という韓国映画を観てしまいました。またしても、ポイントは言わないことにありました。主演のイ・ジョンジュは、「しましまんず」の藤井君に似ているにもかかわらず、『ラスト・プレゼント』同様に、哀愁を帯びた相貌が悲しみを誘います。というわけで、高熱うなされながら、更新しているわけです。

 今日もやっぱりもう何もする気にならないのですが、しかし鼻水と頭痛のせいで眠れそうにありません。いったいどうすればよいのやら・・・。

 なお、昨日更新した時点では、曜日が(水)になっていました。「親切な」方がご教示くださいました。「親切な」は恐ろしいのですが・・・。言うまでもなく、これも韓国映画ネタです。ネタと言えば、今朝あまりにも熱っぽいのでついに医者へ行ってしまいました。そこで熱を測ると・・・、やり直しまでさせられてしまったのですが、36℃1′。ただで引き下がるのは悔しいので、大病の予兆まで指摘してもらっちゃいました。まだまだ運動が足りないようです。


1月24日(火)学習能力の欠如について

 今日は、チェ・ミンシク『ラブ・レター 〜パイランより〜』でした。今回のテーマは、<もう取り返しがつかない>ということでしょうか。この手のものは、「だからみなさんは気をつけて」というメッセージが含まれているはずで、少なくとも観客の方はそういうメッセージを読み取ってしまうはずですが、しかし、にもかかわらず、やっぱり取り返しがつかないことをしてしまうのですよねぇ。結局、学習能力なんてないってことでしょうか。そういえば、韓国映画を観ると、たいてい何をする気もおこらなくなるってことがわかっているにもかかわらず、観てしまいます。もちろんこれは、<私には学習能力がない>ということの例証にしかなっていませんが・・・。

 handai metaphysica の研究例会が3月18日(土)にあります。みなさん、よろしければご参加くださいね。


1月30日(月)権威主義でごめんなさい

 京大の元アメフト部員の顔がネット上はおろか公共の電波で晒されているけれど、これは問題ではないでしょうか。最近は、少しは容疑者の人権も保護されるようになってきて、傷害事件じゃあまず顔写真が画面上に現れることはなくなってきているというのに、これはどうしたことでしょう。

 ひとつには、おそらく、<性犯罪に関与することはたんなる傷害事件に関与することとは異なる>という規範が働いているのでしょう。しかしこれは、性的な事柄を特権化する規範ではないのでしょうか。そしてそれは、そのまま純潔思想とつながっているのではないでしょうか。

 もうひとつ、やはり京大生というのが大きいのでしょう。しかしそこには、逆に言えば、<京大生であることは特別である>というロジックが働いていないでしょうか。<社会の範となるべき存在である京大生がこんなことをやらかした>というわけです。

 ある種の人たちからは、お前は性犯罪の被害者にはなりにくい男で、かつ旧帝大の教員だからそんなことが言えるんだ、と言われてしまうかもしれません。そう言われてみれば、今日、「お前は目上には頭を下げるけど、どうでもいい人間には頭を下げない権威主義者だ」って言ってもらったばかりです。人にはそんな風に映っているのかと、今更ながら自分の鈍感さを痛感しました。もっとも、こんな親切な忠告をしてくれる人の話を聞いてしまう私は、まだまだ不完全な権威主義者ですが・・・。



2月7日(火)お疲れ様でした!

 昨日今日と修論卒論の試問がありました。試問を受けたみなさん、お疲れ様でした。満足のいく受け答えができたでしょうか。普段から出入りしている部屋で、普段から顔を合わせている人たちから質問されても、それほど緊張しないのではないかと思っていましたが、中には明らかに緊張しているように見える人もいて、それはそれでなかなか微笑ましかったです。しばらくは、ゆっくりおやすみください。

 (何の話かわからないでしょうが)日曜日にG・タイスが10年ぶりに優勝しました。実は10年前には私も出ていました。そして卒論の試問を受けた20年前にも出ていました。もはや出られそうにない現状を思うと、少しだけ○○○○なります。



2月14日(火)それは凡庸です

 この前ある会議で、ある制度上の不備が指摘された折に、「だから子どもを生まなくなるんだ」とおっしゃった方がいました。その制度に不備があることは確実だし、不備である以上その点は改善されるべきだと思います。しかし、<制度に不備があるから、子どもを生まない>という言い方には、全面的に賛成するわけにはいきません。もし制度の不備が子どもを生まないことの理由になるとしたら、制度を整えさえすれば子どもを生むのが当然である、ということになるのではないでしょうか。制度の不備が子どもを生まないことの理由になるということは、そういうことを含意するのではないでしょうか。しかし、子どもを生むことは当然なんでしょうか(ある種の人たちは、間違いなく、「自然だ」と言います。間違いなく、間違ってますが・・・)。子どもを生まなくなった理由としては、子どもを生むのが当然だという価値観が凡庸であると考えられるようになった、ということもあるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、制度上の不備は改善されるべきだと思います。しかし、制度に不備があるから子どもを生まないのだ、という言い方は、反動的なものになりうると思います。

 学生のチームと実業団のチームが対決すると、スタンドは8割が学生の応援にまわり、審判も(心なしか)学生には甘く実業団には厳しくなります。しかし、その学生たちがほとんど授業に出ることなどなく、1年中その競技に打ち込むことができ、ろくに単位も取らずに<名誉卒業>できるとしたら、それでもやっぱりその学生たちは純粋かつ真摯に競技に取り組む者として称賛に値するのでしょうか。そうやっておだてるから<鍋パーティー>を開いてしまうなんてことはないのでしょうか。



2月16日(木)えぇ〜???

 「阪大生なんだから頭はいいのにバカなことを・・・」だって。そうだったんですか。知りませんでした。だって×××じゃん。



2月19日(日)単純が一番?!

 昨年、年代別で勝った同じレースが今日ありました。年齢に応じてナンバーカードの3桁目の数字が違うのですが、胸の部分につける1枚しか配られないので、後ろからは他の人が同じ年代なのかどうかがわかりません。ただ、後頭部の地肌が見えている人は、同じ年代の可能性があると判断して、抜かなければなりません。昨年それで最後に置き去りにした人が、今年も出ていました。今年は余裕を持っているようで、折り返してから差をつけられたときには、「このままだらだら行こうかな」と思いました。しかしまあ、何となく追いつくと、こちらのナンバーをわざわざ覗き込んできました。「こいつ勝つつもりなのかよ」と一瞬思い、思考回路が単純なのでぶっちぎりたくなりました。正体がバレた以上、のこのこしてると目標にされるだけなので、いけるところまでいくしかありません。つぶれるか、つぶれず最後までいけるか。諦めさせることができるか、できないか。非常に単純な話です。こういう単純な世界は、すっきりして魅力的です。もちろん2連覇しました。

 考えてみれば、ハーバーマスも単純です。問題が起きたら話し合おうよ、そうすれば答えは出る、ですから。コミュニケーションする以上、誠実じゃなきゃ、ですから。あるいは、カントも単純です。感性的に与えられるものが存在する、ですから。「<ある>とは<ない>である」なんてわけのわからないことを言い、さらに概念に運動させたりしませんから。もちろん、存在の声が聞こえてきたりもしませんから。そんなわけで、文献の解釈に関して論争が始まったら、とりあえずレースしませんか???



2月27日(月)吠えるっ 1

 以前は、定期試験の採点をしているとほぼ必ず暗澹たる気持ちになったものでした。解答用紙の欄外に、「出来はよくないと思いますが、ぼくなりに頑張ったつもりです。単位をください」と、臆面もなく書かれているのを目にしなければならなかったからです。暗澹たる気持ちになるのは、こんなことを平気で書いてしまう知性のレヴェルも無関係ではありませんでしたが、それよりも、こんなことを書けば単位を認定するような「いい先生」だと思われていたのか、と思わなければならなかったからです。

 わざわざ言うまでもありませんが、頑張ったかどうかと単位認定とは、相互に独立したふたつの事柄です。近頃では、中学生だってそんなことは知っているでしょう。私はそういう意味では「いい先生」ではありませんが、私に言わせれば、こういう「いい先生」は正義に反しています。なのに、自分がそうした正義に反する人だと思われていた、ということで暗澹たる気持ちになっていたわけです。まあ、一日寝れば忘れますけど・・・。

 ある週刊誌の「リレー読書日記」という欄で、体内にサナダ虫を飼いつつ「キレイ社会」を批判する(たぶん、自己意識としては)<偉い>先生が、ある本を薦めて書いていました。その本を読んで、若い者はもっと落ち着いて勉強すべきだということを痛感した、と。そして、落ち着いて勉強すると、<市場原理よりもっと大切な日本人の美しい価値観があることに気づく>そうです。私には、日本国籍をもつこととある一定の(しかも「美しい」)価値観をもつこととがどのようにつながるのか、さっぱりわかりません。確実に言えるのは、サナダ虫が考えそうなことを言っちゃう前に、ちゃんと頭の中をキレイにした方がよいのでは・・・、ということです。



3月9日(木)普遍主義者?!

 「講義情報」によれば、私を一言で言い表すと<普遍主義者>だそうです。あのようなゴミを編集出版している輩の中に、あるいはその輩に協力する者の中に、私が<普遍主義者>であることを正確に理解できる者がいるとは、あっぱれ、ほめてつかわす。しかし、今日私は、自分なんかよりもよほど普遍主義的な者(正確には、わんわん)に出くわしました。

 その普遍主義的わんわんは、バカでかい白バイに乗るみたいでした。「みたい」と言うのは、乗っているところを目撃したわけではないからです。そのわんわんは、白バイを止めて、そのサドル部分を利用して反則切符を切っているところでした。切られているのは、そのわんわんのバカでかい白バイよりはるかに小さな原付の所有者とおぼしき、これまたバカでかいわんわんよりはるかに小柄な初老の女性。

 私はそのそばをいったん通り過ぎたのですが、突然「行け!」という実践理性の声が聞こえてきたので、引き返し、「あなたさぁ、こんなにバカでかいのに乗って、こんなおばさんを捕まえて何とも思わないの? 他にたくさんいるでしょ?」と言ってやりました。わんわんは、「違反に年齢は関係ない」と言う。むむ、なんだこの普遍主義わんわんは。正しいじゃないか。じゃあ、これでどうだ。「自分の親ほどの人をこんなバカでかいので捕まえて恥ずかしくないのか?」「だから安全に運転してもらおうと、捕まえたのですよ。」なるほど、普遍主義的に社会正義を果たし、しかもそれは、他人を思いやる気持ちからだと。

 この普遍主義的わんわんに比べれば、私なんか、まだまだダメですね。罰則金を稼ぐためにこの人はどれだけ働かなきゃいけないか、とか、バカでかい白バイに止められてバカでかいわんわんに説教たれられたらどれほど惨めだろう、とか、考えちゃうもんね。

 教訓:バカでかい白バイに乗ったバカでかいわんわんは、バ○だけど、普遍主義的ではある。



3月10日(金)耳をすませば・・・

 いいなぁ〜、こういう世界。いじめもなければセクハラもない。教師はだれも暴力を振るったりせず、淫行もしない。両親は2人もいて、DVも虐待もない。耳をすましても、こういう嫌なことは一切聞こえてくることはなく、凡庸に見えてもみんなそれぞれ原石をもって生きている。実は、半分くらいはこのようなプチブル的(死語)きれいごと世界が好きですが、しかしやはりラストは最低でしょう。



3月14日(火)野蛮

 なぜいつまで経っても遺族の発言は絶対なのか。遺族の発言であれば、公共の電波を使って「法が裁かないのなら私が殺す」と、ほとんど土曜ワイド劇場のようなセリフを口にしてもだれも笑ったりしないばかりか、沈痛な面持ちで受けとめる。少なくとも、そういう顔をしている。だれも、殺人を公言するその正当性を問うたりはしない。それは自明なのか???

 こういう報道が、元プロレスの実況アナを中心に行われている。ベスト・テンのアナの方がまだましだったのではないだろうか。少なくとも、あのような俗情に訴えるだけのエンターテインメントとして、死刑制度を支持したりはしなかったろう。

 死刑制度は野蛮であり、死刑判決を望むことは野蛮だ。



3月21日(火)偏見を猛省!

 またその季節がやってきました。文学研究科本館前の浪高庭園に、薄汚いテープが張り巡らされています。ご丁寧に、その薄汚いテープを張り巡らせた方たちのたぶん長にあたる人の名前が書かれた紙片も、その薄汚いテープにくっつけてあります。要するに、その薄汚いテープで囲まれた場所では、×月×日の△時に○○研究室が花見をするぞ、という宣言がなされているわけです。へぇ〜、実験好きのあの人たちに花を愛でる気持ちがあったとは知りませんでした。これは、大いに失礼しました。やっぱ偏見はいけませんね。

 一般企業なんかだと、朝から子分たちが場所取りをしなきゃいけないそうです。大学はアカデミズムの世界であり、一般企業とは異なるはずですが、これもまたたんなる偏見なのでしょう。「えらそうなことを言っちゃいけない、大学人だってたんなる□□なんだから、□□騒ぎだってしますよ」ということでしょうか。



3月30日(木)保護者とスカート

 先週の金曜日に卒業式がありました。無事卒業されたみなさん、おめでとうございます。こんなに祝福が遅れたのは、それ以降今日まで、研究会、シンポジウム、講演会、シンポジウム、シンポジウム、講演会という日々だったからです。4番目と5番目のシンポジウムは、大阪大学中之島センターという立派な建物で催されました。

 あれは、場所的に、社会との連携を謳う大学の象徴的な建物であると言えるでしょう。その建物の何が立派って、あのエレヴェーターほど素晴らしいものはありません。いまどき、実に珍しい代物です。ある意味では懐古趣味的、レトロスペクティヴ、アルト・モーディッシュ。

 パネルに、<保護者は幼児に十分気をつけるように>という意味合いのことが、幼児と保護者を図案化したものとともに書かれていました。その保護者が、スカートをはいているのです。<スカートをはいているからといって、それで性別が決定するわけではない>という言い分はあるかもしれません。しかし、<幼児の世話をする保護者はスカートをはく人物である>ということは確実であるようです。いや〜、これはすごい。大阪大学は、いったいどういう社会と連携していくつもりなのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。

 こういうことにいちいち文句をつけるのは、いかにも正義の味方のようでうざいかもしれません。ただ最近、性別役割分業をほとんど自明であるかのように演出するCFがたくさん、何の異議申し立てもなく流されているように見受けられないでしょうか。



4月5日(水)ガイダンス

 今日は大学院および学部のガイダンスがありました。20年前にガイダンスを受けた者からすると、講義や演習の説明のみならず、単位の取り方まで教えてもらえて、いまどきの院生や学生は恵まれているように見えます。かつては、あの難解な便覧を独力で解読しなければなりませんでしたから。昨年のガイダンスには、新しく専修に上がってくる学生7名のうち4名しか顔を見せませんでしたが、今年の学生は9名全員がそろって姿を見せ、遠慮のない質問に対してみんなはきはきと答えているように見受けられました。こういう書き方をすると、いかにも昨年と今年とを比較し、かつ価値評価を下していると深読みする人が出てきそうですが、むかしから言われているように、人の深読みは阻止できません。

 文学研究科による新入生のガイダンスの終了後、全学のセクハラ相談員の方のお話がありましたが、「お話がある」というアナウンスにもかかわらず、かなりの新入生たちは会場を後にしました。みなさんよほど自分の行為に自信がおありなのでしょう。私などは、どういう言動がセクハラとして告発される可能性があるか知っておいた方がよいだろうと考えてしまいますが、大学院に合格できるほどだからきっとそんなことはすべてご存知なのでしょう。少なくとも、ご存知だとお考えなのでしょう。いや〜、すばらしい。

 セクハラ云々を口にする人は、正義の味方面していて気に入らないかもしれません。しかし、深刻な悩みを抱える人がいることもたしかで、そうした人たちが少しでも悩まないですむように、性差別問題委員会のようなものが常設されていることは重要だと思います。



4月13日(木)ゴミのような本音

 今日から共通教育の授業が始まりました。木曜日の1限目には哲学基礎Aという科目があるのですが、ということは、150人を超える新入生の大学生活における初めての授業が哲学基礎Aだったということになります。まあ、こんな些細なことはすぐに忘れてしまうでしょうが、もしかしていつか「大学の最初の授業って何だったっけ?」と思ったとき、ひょっとすると今日の講義のことが思い出されるわけです。それにしては、ちょっとしょぼすぎました。おまけに、ひたすら感じの悪いことしか言いませんでした。それにしても、「私にとって哲学とは何か?」について書いてもらっているのに、「単位ください」とか書いちゃう人は、最低限の計算能力さえもち合わせていないのでしょうか。こういう人には、「あなたの計算は間違ってます」と身をもって教えてあげるしかないでしょう。

 さっき10で、「和○」とかいうたんなる飲み屋の成金が、「愛国心をもつのは当たり前。すべてのベース」と、おっしゃっていました。さすが、お金もちの言うことはさっぱりわかりません。それとも、飲み屋のオヤジだから酔っ払っていたのでしょうか。それならシャレが効いていますが・・・。そういえば、最近やたらと庶民の声を代弁しているつもりになっている10のある局アナは、日曜日に、ある犯罪被害者の遺族の言葉が「フツーに、ニュートラルに」考えれば「弱者の言葉だ」と叫び、いわゆる人権派弁護士を言い負かしたつもりになっていました。いくら10の局アナとはいえ、さすがに「フツーに」考えれば、という言い方では自己の主張がたんなる主観的な意見に過ぎないことがバレバレだと思ったのでしょう。だから「ニュートラルに」を付け加えたわけですが、しかしそんなことをすればやっぱり主観的な意見に過ぎないことがなお一層はっきりしてしまうわけで、その程度で納得するのは落語家とかゲーニンとかだけだということがわからないのでしょうか。

 さらに言うと、名古屋出身のたんなる野球選手の言葉によれば、韓国に敗れることは「屈辱的」だそうです。そして記者会見でこれほど差別的な暴言を吐いたにもかかわらず、まったく突っ込まれることもないばかりか(私の知る限り、この記者クラブの体質を批判したのは大橋巨泉のみです)、このたかだか野球が人よりうまいだけの、ただそれだけの人物がいつの間にか英雄にさえなっている。

 これらの言説に共通するのは、<本音を言おうよ>という態度でしょう。お金もちや局アナや51には、もはや何も期待できませんが、せめて学生のみなさんは陳腐かつ凡庸な本音を晒さないように希望します。



4月18日(火)死刑は野蛮です

 またまた<人が死なないと人生をリセットできない>などという野蛮な言説が垂れ流されていました。人が死ぬことによってリセットできちゃう人生なんて、とんでもないと思わないのでしょうか。

 どの時点で殺意が生じたかなんてどうでもよく、そもそもそんなことは神にさえわからないと言い(こんなことさえわからないのでは、通常神は務まらないはずですが、神は寛大なのでこの程度の冒涜は、まあ許してくれるでしょう)、2人が殺され1人が強姦された事実以上のものはない、と言う。これは一体どういう主張なのだろう。およそ弁護活動のようなものをすべてなくせということなのだろうか。事実とされる事柄を入力すれば、相応の罰が自動的に出力されてくるはずだということなのだろうか。ここには、どこかの局アナの場合と同じように<事実を握っているのは私だ>という主張が隠されている。しかし、事実の切り方など任意だ。<2人が殺され1人が強姦された>という事実を、なぜ<2人が死んで1人が死姦した>という事実として語ってはならないのか。なぜ被害者遺族の言葉だけに妥当性が承認されるのか。

 どの時点で殺意が生じたかは神にさえわからないのに、数日前に被告から届いた手紙には世間の同情を誘おうとするその「意図が感じられる」らしい。意図は神にさえわからないはずなのに、しかし意図が感じられてしまうとは、なんて感受性豊かなことだろう。少なくとも、神は超えている! なるほど、それで一連のドラマ仕立ての映像を見終って、プロレスの元実況アナは「言葉がありません」と言ったわけか。なにしろ神を超えた存在者を目の当たりにしたのだから、ジャーナリストとは思えないようなコメントを出すのも無理はないですね。

 かつて、<9.11>の後、基本的にアフガニスタンに対する爆撃に批判的なスタンスから、ある学会のワークショップで提題したことがありました。3人で発表してすぐに、フロアからコメントが出ました。「この問題を語る上で重要なことは、まず事実をはっきりさせることだ」という切り出しで始まり、「事実として、まず、飛行機を乗っ取った犯人がビルに突っ込んだ・・・」とおっしゃるので、「飛行機がビルに当たったのが事実なんじゃないの?」と小ばかにしたように言ったら、ばかじゃないその人の逆鱗に触れたようで、机をこぶしで「ドン」と叩き、「この事実を認めないんじゃあ話をしても無意味だ」と怒り狂い、自説を垂れ流し始めました。当時も私は謙虚だったので、<この人、悲惨なのは顔だけじゃなくて頭の中もだよ>なんてことも<あ〜あ、かわいそうな人だなぁ〜>なんてことも一切思わず、熱心に窓の外の風景を見ていました。

 くどいようですが、事実の切り方はとりあえずは任意であり、どの切り方が説得力をもつかは言論によるしかないのであって、ある人の語る事実に無条件で妥当性を保証するような立場性など決して存在しないのです。



4月23日(日)『Vフォー・なんちゃら』

 自己意識はどうあれ、社会的にはもっとも恵まれた状況にあるらしく、映画を観るのにほとんど何の割引サーヴィスも受けられない。唯一活用できるのがレイト・ショーの割引。そんなわけで、9時すぎてから映画館にこそこそと出かけることになる。

 先週は、しましまんず・藤井君が主演だった『タイフーン』を観て、『ペパーミント・キャンディ』が撮られていたころの韓国映画の輝きはどうなってしまったのだろう、と思い、昨日は『Vフォー・なんちゃら』というのを観て、「あ〜あ」と思った。

 (ネタバレ注意)
 いくら近未来物だからって、イギリスがアメリカと戦争して、しかも勝利するってなぁ。そして絵に描いたような独裁政治が行われ、独裁者の名前が「サトラー」って、相変わらず悪いヤツはドイツ的ですか、って感じ。独裁者に反抗するヤツがあろうことか「女王陛下万歳」だなんて、一体何考えてるんだろう。問題なのは、あんなミエミエの全体主義じゃなくて、自由と民主主義を標榜しておきながら、いまだに王室があり、アフガニスタンとイラクを爆撃できちゃう国家の方だろうに。

 <どんな状況にあろうと、真理を口にすることを恐れてはならない>というような、出来の悪い高校生が言いそうなメッセージが発信されるが、これは要するに、<ファシズムは恐れるヤツが悪いんだ>とか<みんな頑張ろうよ>とかいうことなんだろうか。問うべきなのは、真理を口にすることを恐れざるをえないような状況が作られてしまうことなのであって、そうした状況も個人の気の持ちようでどうにかなるなんて話じゃないと思うのだが・・・。そういうのって、「妄想」って呼ぶんじゃないのかなぁ。



4月30日(日)お子様車両

 女性専用車両を設けるのであれば、まず<女性>の定義をして欲しいのですが、そしてそれは非常に難しいのではないかと思うのですが、まあ、それはどうでもよいです。今日、新幹線に乗りましたが、この時期は絶対にお子様連れでいっぱいだろうと思っていたのですが、案の定、そうでした。あの方たちの乗車券は、どうしてあんなに安いのでしょう。閉じられた空間で、あれほど好き勝手やってるのに、場合によってはただの方もいらっしゃる。こっちなんて、おとなしく本を読もうとしているだけなのに・・・。そして、保護者と思しき方々は、もはや飼いならすことを放棄して放し飼いし、<お子様とはそういうものだ>という態度をとり続けている。

 というわけで、提案。ぜひ、お子様専用車両を作って欲しい。だったら、値段が安かろうと我慢してあげよう。もし専用車両を作らず、われわれ理性的存在者と同じ車両に乗せるというのであれば、倍の値段を払わせて欲しい。そうじゃないと、延々歌声を聞かされる者はたまったものではない。

 
 たしかに、あのサル顔に頼めば何でもしてくれそうだ。なんと言っても、正義の名のもとにあれやこれやしますから。もちろん、あれやこれやした場合、頼んだやつも無罪ではあるまい(直接書くのは怖いので、解釈次第でどうにでも読めるように書いてみました)。



5月9日(火)『アイガー・サンクション』

 GWの間、あれほどムダに晴天続きだったというのに、授業が始まると雨が降るなんて、一体どういうことでしょうか。あのコント55号の片割れほどに敵対的だと思います。

 今日は『アイガー・サンクション』を放送していました。登山の話です。噂によれば、「そこに山があるから」という理由で山に登っちゃう人がいるそうですが、これって妥当要求を認証する理由にはなってませんよね!!!



5月18日(木)『アポロ13』

 今日は、『アポロ13』でした。ケビン・ベーコンとかゲイリー・シニーズとか、もっと凶暴かつ凶悪なはずなのになぁ〜。あんな役ではもったいない。トム・ハンクスだって、『パンチライン』の頃の底意地の悪い人間を演じていたときの方が魅力的だったのに・・・。エド・ハリスは、何をやっても好きになれない。顔が嫌いなのだろうか。ともかく、ああいう感動の仕方はいかにも、という感じがする。ああした猿芝居は決して誇張でも何でもないだろう。きっと、アフガニスタンやイラクを爆撃したときもああやって感動し、侵略しに行って返り討ちにあい被害が出ると、やっぱりああやって大騒ぎしてみせるのだろう。すると、あそこではああした物語がイデオロギーでさえないということか。そこはもう、まさしく新世界=夢の国。



5月28日(日)反社会的???

 姑息なことに、最近は勝てそうなレースを選んでエントリーすることにしていますが、昨日プログラムを見たら、40歳代の大会記録を昨年作った当人が今年もまた出ていることがわかり、コースは標高差40メートルなのにそんなタイムで走られたのではとても勝てない、というわけで最初から2位狙いでスタートしました。

 いきなり飛び出したヤツら2人のうちの1人は39歳以下の部のヤツで、もう1人が、たぶんその大会記録保持者だろうと思い、そいつらはもう無視して、3人で集団を形成。1人はデカくてムダなフォームをしているので、こっちが飽きなければたぶん勝てるだろうと思う。もう1人はごま塩頭の方で、なんだかネチネチ走りそう。でもまあ、ごま塩だからラスト勝負になれば勝てるだろう、と思う。そんな感じで10キロまできたが、全然40メートルも上がってきた感じがしないし、ラップが大会記録並みではないか。

 もしや、と折り返してきてすれ違う1位のヤツのナンバーを見たら、39歳以下の部のヤツで、実はごま塩が大会記録保持者だったのだ。ということは、われわれ3人が40歳代の部のトップ集団ということになる。折り返し地点で、監察によってそれぞれのナンバーが読み上げられることによって、3人ともそのことに気がついてしまった。いや、「気がついてしまった」と私は思い、思うと同時になぜかスパートしてしまった。この頃、どうも行き当たりばったりで無謀なことをしてしまう。集団の2人は意表をつかれたようだが、1番意表をつかれたのは私自身だろう。しかし1度仕掛けた以上、もう引くわけにはいかない。というわけで、後半はずっとフルスロットル(のつもり)。

 もちろん勝ちました。大会記録保持者は地元の消防士でした。以前は、他の大会で自衛隊の隊員と2度も争い、今回は消防士。こんなことをしているから、文学部は反社会的だとか言われちゃうのでしょうか。



6月1日(木)わんわんもどき!

 6月になりましたが、実は6月は40日くらいあるのではないか、と毎年思います。こうした「実感」を、認識が妥当性をもつための根拠と考える向きもあるそうですが、私は実感主義者ではないので、こんな思いはたんなる錯誤だと思っています。当たり前ですが・・・。

 さて、なんだかわんわんの手下みたいなことをみずから進んで行うわんわんもどきがいるらしく、今日から活動を始めたそうです。やっぱ、社会正義のために燃えているのでしょうか。わざわざわんわんと同じようなことをしたがる、その神経がわかりません。「困ったことはありませんでしたか?」と質問を受けていましたが、「その首から上の部分が困った状態だろう」とテレヴィの前で答えてあげました。そのうち、自警団みたいなのも、なんの恥じらいもなく堂々と活動を始めたりするのでしょうか。すでにそういうところもありそうです。



6月5日(月)ハハハー

 先週の金曜日に、共謀罪が採決されないことになりましたが、そのときの報道の仕方で、面白いことがありました。元プロレスアナがキャスターを務めるエンターテインメント・ニュース番組では、協議に応じなかった民主党への非難を元検事にやらせ、阪神淡路大震災で有名な「湯けむり」発言をした自称<ザ・ニュースキャスター>のニュース番組では、いったん法案を可決しておいて後で都合のよい方向へ修正すればよいという<詐欺>を見抜いた民主党党首の力量を褒めていました。元プロレスアナがキャスターを務めるようになるまでは、まだあの局のニュースはまともだったと思うのですが、いまや、6と4の政治的スタンスの違いは明瞭ではないでしょうか。この報道に関して、8では何が言われるかも見ようとしたのですが、睡魔に勝てませんでした。やっぱ、修正することは自明だとしても、一時的にでも民主党案なんかを呑んだりした点が批判されるのでしょうか。

 同じ日、絶対に批判されてはいけない元野球人の試合観戦が大々的に報道されていました。啓蒙主義者としては、啓蒙以前の段階にあり、かつその段階にあることそのことをウリにするその元野球人は、正義に反していると思います。

 言うまでもありませんが、コント55号の片割れの言に反して、元野球人が青少年の育成に関わるなんてことはまったく思いません。元野球人が関わるのは、せいぜい野球選手の育成に過ぎないのであって、青少年の人格形成に関わるはずがないのです。フツーの青少年をなめてはいけません。それにしても、「天罰が下る」なんて「言うべきじゃない」ことを言ってしまう元野球人から、「天罰が下る」と言われてしまったお金持ちってどうよ???



6月9日(金)やっぱね

 3月30日(木)に書いた素晴らしいエレヴェータ、もちろん噂のシンドラー社製です。無関係なのに、こういうこと言われちゃうんだよねー。



6月12日(月)たまけり

 「きっと今日は空いてるだろう」と思い、『ダ・ヴィンチ・コード』のレイト・ショーに行きました。なんと、がら空きでした。やっぱ、トム・ハンクスは『パンチ・ライン』の頃が一番かな。

 なぜあんなに空いていたのか。映画のせいだろうか。いやいや、<健全な>ナショナ○ズムに勤しむ方がたくさんいたからでしょう。教科書を書き変える人たちも、<健全な>ナショナ○ズムを掲げているのであって、たまけりにおけるそれと教科書を書き変えるそれとはどのように異なるのか、説得力のある理由をぜひ拝聴したい。そもそも、<不健全な>ナショナ○ズムを謳う人たちなどいないわけで、ナショナ○ズムはいつだって健全なものとして描かれるわけだから、区別なんてできっこないと思うのだが・・・。

 これは、戦争がつねに正義の戦争として行われるのと同一だと思うのだけれど、これほど周りが大騒ぎしていると、<もしかして私は間違っているのだろうか>と・・・、やっぱり疑うわけがない。



6月15日(木)大発見!

 今日は1時間目に講義があるので早起きしないといけなくて、だから早く眠りにつかないといけなくて、しかし「早く眠りにつかないといけない」と思うとなかなか眠りにつけなくて、おまけに4時に目が覚めてしまい、「早く眠りにつかないといけない」と思うとまたまた眠りにつけなくて、結局4時間足らずしか眠れなかった。これがどういうわけか、「眠っちゃいけない」と思うと眠くなるから不思議だ。不思議大発見だ。とはいえ、ずっと前から発見されていることだろうけど・・・。

 朝から小雨模様。この程度の静かな雨は、太陽ギラギラよりもはるかに気持ちがよい。どうして太陽はあれほど下品なのだろう、と思えてくる。とはいえ、そのせいでだれかを殺そうなんて思いもしないが・・・。

 ノートンを更新してから、メイルサーヴァーに接続できなくなってしまった。厳密に言えば、接続を拒否されている。ひどい話だ。そっちがその気なら、というわけで Web-Mail へ行ってやった。まんまと受信できた。しかし送信ができない。<全面的な拒否>は回避できたが、しかし受信だけで送信はダメ、という一方通行。まるで人生と同じではないか。ちょっと言い過ぎたか。人生においては受信もないからなぁ〜。

 ノートンめ、お前がウイルスじゃないのか。とはいえ、受信も送信もできなきゃ、そりゃノートン以外に感染する心配はないわな。



6月20日(火)死刑はやっぱり野蛮です

 昨日更新しようと思ったのですが、今日、判決があることを知っていたのでやめました。そして今日こそ、我慢して話を聞こうと思っていたのですが、そして番組あげて死刑制度賛成キャンペーンを行っている茶坊主キャスターのところに「生出演する」と、ほとんどスターのような扱いで登場することを知っていたのですが、それ以前の俗情に訴えようとするエンターテインメント化したフィルムにうんざりして観るのを断念してしまいました。

 どうせ、「二人の人間を殺した者が反省しないのはおかしい」と主張するその人が、死刑判決を求めるのはおかしいでしょ、だって死んじゃったら反省できないじゃないですか、という小学生だってわかるような理屈でスターに突っ込みを入れるようなことはないでしょう。死刑判決の可能性が出てきたということで、「うれしく思う」なんてことを言うのは、野蛮じゃないでしょうか、なんてまともな疑問が呈示されることもないでしょう。なんと言っても、キャスターは茶坊主ですから。

 「被害者の声が聞き届けられない状況はおかしい」という発言を聞いて、「あれっ、被害者は死んだんじゃなかったっけ?」と思ったら、どうやらご本人が被害者だそうです。ここには明らかに「家族は特別だ」というイデオロギーが働いているわけですが、家族であろうとあるいは被害者自身であろうと、いずれにしてもその主張の規範的正当性を認証しうる特権的な位置(=当事者性)なんてものを占めることは不可能です。駄々っ子が駄々をこねるのではなく、いやしくも論議しようというのであれば、立場性なんてものを持ち出しても何の意味もありません。



6月26日(月)意味不明

 容疑者を語る知人A「怒ると怖かった。顔つきが変わった。」
 →比率から言えば、怒っても怖くないヤツの方がはるかに少数ではないだろうか。そして、怒っても顔つきが変わらないヤツの方が、はるかに恐ろしい。

 容疑者を語る知人B「キレると何をするかわからなかった。」
 →なにせキレてるんだからねぇ。

 あんな証言で、ハエは一体何がしたいのだろうか。



7月2日(日)「気」って!!!

 サッカーや野球に限らず、どうしてこう、あのジャンルの解説者とされる人たちは「最後は気持ちです」と、絶叫するのだろう。筋肉バカなら筋肉バカらしく、「肉体の問題です」と言ったらどうなんだ??? もしかして大脳も筋肉か??? 脚がつったヤツは、「勝ちたい」という気持ちが足りないのだろうか。もしそうなら、これは大変な生理学だ。R大出身の知性派プレイング・マネージャーまでもが、「気持ちの問題」と言ったのにはちょっとだけがっくりしたが、まあ、ちょっとだけだ。竹槍で米軍機を落とそうとしていた時代と何も変わっちゃいない。

 声明によれば、日米関係は共通の価値観に基づくそうだが、だったら少なくとも大統領制を採用しないと。

 もうすぐキリ番。踏んだ人はご一報くださいね。豪華記念品を用意しますよ!



7月8日(土)善処

 「では、これからは両親を敬うように教育いたします。そのために、<道徳講義>および<道徳演習>を必修単位といたします。もちろん、この措置は学部のみならず大学院においても適用いたします。幸い、ごく一部の例外を除いて、スタッフはこの種の敬意のエキスパートであります。はい、ゲームのやりすぎで、ヴァーチャル・リアリティとリアリティの区別がつかなくなっていて、人生を簡単にリセットできると考えがちですね。ですから、<ゲームは1日3時間まで、いや、2時間まで>という学則を設けたいと存じます。現在、<本学学生のゲーム時間に関する学則施行調整委員会>(仮称)を設置し、関係部署とも連携し、検討に着手しております。ええ、<大阪>の前か後に何かを、たとえば方角でしょうか、ともかく何かを加えた名称変更も視野にいれております。」

 ところで、「あんな理由で」とか「こんな理由で」という言い回しがあるけれど、じゃあ納得のいく理由があるのだろうか。娘が殺されたということを理由とする国家による殺人は肯定できるのだろうか。もちろん、できるわけがない。今回、「そんな理由で???」と言う人は、極刑を声高に要求するあっちの人やこっちの人にも、「そんな理由で???」と言うべきではないだろうか。



7月16日(日)暑苦しい(> <)

 民族系の学校に「生徒を5人殺す」といったような脅迫電話が数多くかけられているそうで、その内の1本を番組の中で流し、あの湯煙キャスターは、「われわれはこういう(卑劣なことをする)民族ではない」と(暑苦しく)憤っていたが、<われわれ>と呼べるような民族は完全にフィクションであり、実体として存在しないのである。にもかかわらず、こうした言い方をしてしまうとすれば、あの白髪のご老人は、民族を想定し、脅迫電話をかけてしまうたんなるうすら××と思考回路が同じではないか! 

 最近どういうわけか、わんわんをよく見かける。権力もてて嬉しいわんわんもどきが駐禁を取り締まるようになって、もしかして対抗意識でも燃やしているのだろうか。ついでに身体ごと燃えてくれても構わないのだけれど、暑苦しいので人気のないところで是非。道端にいると邪魔だから、「邪魔だからどけ」と言っても全然通じないのは、やっぱわんわん語じゃないからだろうか???

 「暑苦しいのはお前だろっ!」 「どーもすまみせん」



7月20日(木)ハエアナ

 昨日はプロレスの元実況アナの番組で、ある国家では広場で死刑宣告がなされているということを延々垂れ流していました。おそらく、「えっ、そんな罪状で???」というのもびっくりさせポイントだったのでしょう。それに比べて、われわれの国家は素晴らしいよ、ってことなんでしょうか。何と言っても、死刑判決が出なければ「負けた」とか「自分が殺す」とか堂々と言えるような<自由>がありますからねぇ。われわれはみんな、よい死刑と悪い死刑の区別をつけることができますからねぇ。しかも、抑止力を論拠にしておきながら、内緒で執行して事後報告する奥ゆかしさがありますからねぇ。

 その立派なアナ、ハエに手を上げた外国人力士はもっと長期間謹慎して日本のやり方を身につけるべきだとおっしゃっていました。日本のやり方って何なんでしょうか。外国人は差別するってやり方のことでしょうか。ニュース番組はエンターテインメントだというやり方のことでしょうか。きっと、下らない<本音>を言っちゃえば、日本のやり方に従えないガイジンは出て行け、ってことなんでしょうね。

 そして驚くべきことに、<××××を祀るのは不快だ>をあり難がるハエ。それは文字通り、あり難いではないか。ほとんど、吉本新喜劇のギャグだ。「ドタマかち割ってストローで脳みそチュウチュウ吸うたろかっ」と啖呵を切った未知やすえが、直後に「やすえ、こわ〜い」と怯えてみせるのと同じじゃん! (いずれ削除する予定)。

 キリ番をお踏みになった方に、お約束どおり豪華記念品を贈りました!!!
 


7月23日(日)それって・・・

 「やっぱ、あれですよね、夜中に芸人と一緒にいる方もいる方ですよね。あんなこと、男としちゃあ、フツーですよ。そんなことより、野球ができなくなっちゃうなんて、かわいそ〜。夢をどうしてくれるのよ、って思う」。

 などという、驚くべき発言がある。あたかも一緒にいた者が悪いかのような言い分。そして行為を男の「本性」に回収する。もしそんな「本性」があるのなら、法によって裁くのはおかしいどころか傲慢である。人間がもつ「本性」を裁くことができるのは神だけだろうから。あるいは、そもそも「本性」ならそこからはみ出る者をこそ裁くべきだ。

 そして60過ぎたゲーニンの茶番。この人の芸風は、当初は毒を含んだ人から憎たらしいと思われるようなものだった。それが、売れるようになってマイホーム主義のつまらない芸風に変わったのだが、今回も、お涙頂戴の田舎芝居である。だいたい、長いこと生きてきたのに、野球チームをもって何かを達成するなんてちんけなことが夢だなんて、それって悪夢じゃないのか。

 にもかかわらず、人権侵害よりも野球チームの存続が大きなニュースとなる素晴らしき共同体!!!



8月3日(木)あつい・・・

 先週末から今週の月曜日まで、研究会が4日連続であり、気づいたらもう週末近くになっている。おまけに連日、暑い暑い暑い暑い暑い。こう暑いと、「もうよいのでは・・・」とついつい思ってしまう。やっぱりきっと何かが欠けているのだろう。



8月9日(水)ご苦労サマンサ!

 きっとサマンサなんて知らないでしょうねぇ。タバサの母なんですけどね。ますますわからないですね。クララおばさんは、大嫌いでした。というわけで、調べてみたら、エリザベス・モンゴメリーって95年に亡くなってるんですね。びっつら。魔女なのに・・・。そういえば、『おジャ魔女どれみ』には1000年も生き続けてしまうことに悩む魔女が出てきました。たしかに、それは苦痛以外の何物でもないでしょう。ちなみにこの魔女の声は、なんと原田知世でした。おそるべし、おジャ魔女。

 いやいや、集中講義出席中のみなさん、ご苦労サマンサ! とりわけ、自己の表象に向かって話す方の講義を聴き続けるみなさんは、ご立派の一言に尽きます。私はさっき、眠りながら自己の表象(=夢)を見ましたが、そこである光景を目にして動揺し、目が覚めてから夢の中で動揺していたことに動揺し、ついに寝つけなくなってしまいました。おそるべし、自己の表象。

 監禁話に関して、わんわんがもっと積極的に私生活に介入することを望む言説が垂れ流されていました。それはそれは。「いじめられたらやりかえしてこい」というバカ語による<教育>を披露して、脚光を浴びるチ○ピラ親子もいます。なんとなんと。

 

8月10日(木)暴走一番星

 きっと暴走一番星なんて知らないでしょうねぇ。私も知りません。

 昨日は箕面の滝からの帰り道に暴走しました。箕面駅を通過するときに、ちょうど石橋から電車が到着し、呼び鈴がなって扉が開く場合、牧落と桜井の間にあるカーヴに先に到着した方が勝ちで、石橋から箕面に到着寸前の電車が箕面駅に一番近い踏み切りを通過しているときにそこですれ違った場合は、桜井駅の踏み切りに先に到着した方が勝ちというルールになっています。昨日は後者のケースでしたが、あまりの暑さにだらだら行くのがうっとうしくなり、ついつい暴走してしまいました。もちろん勝ちましたが、だからといって何かよいことがあるわけでもなく、これこそが人格をたんに手段として用いるだけでなく、同時に目的としても用いている例だよなぁ〜、と思いました。ちがう???

 私人としての(ちんけな)心の問題を公約にできるなんて、1週間に3回マスターベーションすることを公約にしてるようなもんだ。「公約は生きてますから」って言いながら・・・。



8月16日(水)半端じゃない

 「いつ行っても批判される」から帰結するのは、「だから行っちゃいけない」だろっ。こんなことは小学生でもわかるはずだが、バカさ加減が半端じゃないとわからないのかもしれない。私人にあれほどの警備がつくなんて、そんなに大物なのか??? まあ、バカさ加減は半端じゃないが・・・。あの警備は、もちろん私費で雇ったんだろうねぇ。それとも、バカさ加減が半端じゃないと、私人でも警備してもらえるのか。自分のことを「大臣」と呼び「人間」と呼ぶなんて、バカさ加減が半端じゃないことはたしかだが・・・。

 関西の番組では、関西が首都なら関西人は損得でモノを考えるから侵略戦争もしなかったかもしれない、などと寝言のようなことが言われていた。戦争が経済活動と無関係に行われると思っているのだろうか。それとも、所詮関西人は、大地震があるとトラックで乗りつけて人の物を盗む程度のちんけなことしかやらないから安心だよね、ってことだろうか。

 航空機をジャックしてテロしようと企てただけであれほど大騒ぎなのに、いちゃもんつけて実際に爆撃して侵略し、そのいちゃもんの理由さえ真実ではなかったことが判明しても、逮捕もされなければ訴追もされないサルやサルの友人、サルの子分のいることがまったくもって不思議だ。これぞ完全に犯罪であって、かつ罰せられないのだから完全犯罪の成立だお。

 次のキリ番は2000じゃなくて3000ネ!



8月24日(木)あ〜あ

 朝起きるとすでに10時前で、「これはいかん」と思うのですが、夜10時前になるとやっぱり今日もしんどくて、「明日早起きして勉強しよう」と固く誓いを立てつつ眠ってしまう。こんなことを繰り返して、もう8月は後1週間しかない。もうダメだあ〜。結局、いろんなことを引き受けてしまったのが間違いだったのだ。ぎゃふん。

 「阪神の監督は負けても解説者のようなことしか言わず、とてもチームとともに闘っているようには見えない。もっと高校野球の監督を見習え!」と、驚くべきことを書く人がいました。監督が勝つことに対して本気であるところを見せないと、選手はその気にならないそうです。まず言えるのは、ちょっといまどきの高校生をなめすぎか、あるいはそのうっとうしい自己のスポ根団体主義を高校生に投影しすぎだということです。さらに、それをプロにまで通用させようなんて、プロをバカにするにも程がある。

 授業評価でも、担当者のやる気がどうのこうのという欄があったりします。大学の教育においてさえ、重要なことは担当者のやる気なんでしょうか。こんな心情倫理が蔓延しているから、バカさ加減が半端じゃないヤツの心を支持する輩が7割もいたりするのでしょう。



8月28日(月)う〜む

 よくわからないんだけど、ある公務員がプライヴェートな時間に飲酒運転して事故を起こすと、なぜ他の公務員も飲酒運転しただけで失職しないといけないのだろう。飲酒運転が組織ぐるみで公務として行われているのなら、そういうこともありかな、とは思うのだけれど、たぶんそうじゃないだろう。逆に言えば、あんな発表をしちゃうと、組織ぐるみで公務として飲酒運転やってます、ってことにならないだろうか。ああいう責任の取り方が要求される社会は、実に不気味だ。共謀罪という罪を作り出す下地はすでに十分できていることになる。

 大阪の南の方ではひったくりが多発しているので、帰宅時間帯になるとある駅周辺にはわんわんやら重装備したわんわん隊やらがうようよ湧いているらしい。恐ろしい。ちんけなひったくりを捕まえるために、あるいは未然に防ぐために、あんなのが蠢いているのだ。なんと豊かな社会だろう。

 いまだに炎天下で連日野球の大会が開かれることも、それに対する批判が封殺されることも信じがたいですが、「なんちゃら王子、きゃ〜」って、そんなに封建制がお好きですか???



9月19日(火)これはすごい!

 9月にはいっていろんなことがあり、もちろんネタにすべきこともありましたが、変なことを書くと怖いことにもなりかねないので、セックスして子供が生まれたくらいで(いや、ただ生まれただけじゃなくて性別も重要なのでしょうが)何だこのファシズム的状況は・・・、なんて書くわけにはいきませんでした。

 ところで、二代目が映画化されたときの主題歌はなんと『楽園のDoor』なんですね。これはすごい。「青空がまぶしくて、私はこんなに小さくて」なんて『判断力批判』を思わせる歌詞が含まれてる歌をアイドルが歌うとは・・・。それに比べて三代目は、頭悪そうで、たんに下品なだけにしか見えない。



9月27日(水)あぁ〜

 早く失言してやめてくれればよいのですが、恐ろしいことに、失言がそれとして批判されることがなさそうなんですよね〜。



10月7日(土)あぁ〜 2

 ついに今週から後期が始まってしまいました。なんだか、7月からあっという間に10月です。まだいろんなものを片づけないといけないのですが、『レッド・ドラゴン』が放送されてたら観ちゃうでしょう。さすがテレビ東京って感じですね。それに比べて、『エアフォース・ワン』などというプロパガンダをよくまあぬけぬけと。ゲイリー・オールドマンも、あんな頭の悪い役をやらされるのは不本意ではないでしょうか。



10月9日(月)なんとぉ〜

 ちょ〜多忙激務のせいか、昨日梅田で立ちくらみがして、「しばらくしたら治まる」と思っていたら、何かわけのわからん夢を見て、気がついたら地べたにだらしなく座り込んでいました。「若造みたいにこんなところにだらしなく座って何してるんだ?」と思い、立ちくらみがしたことを思い出すのに、少し時間がかかりました。ぬぁんと、頭から倒れてものすごい音がしたそうです。そのまま車椅子に乗せられ、駅の救護室のようなところへ運ばれてしまいました。恥ずかしかった・・・。頭を打ったせいか、予知能力が身につき、昨日は久保田がめった打ちに遭うことがわかりました。もっとも、頭を打たなくても、そのくらいのことはわかるのですが・・・。

 『レディ・イン・ザ・ウォーター』って、コメディでしょうか。ナイト・シャマランはナント・ツマランに改名すべきだ(頭を打ったせいでオヤジギャグを言ってしまった〜)。そしてある映画の予告編。「このノートに名前を書かれた者は必ず、死ぬ」ってヤツ。「お前は必ず死ぬ」ってメイルがきて「キャーッ」ってなる『着信アリ』もそうだけど、これらはいったい何を確認しているのやら。人が必ず死ぬことは、哲学史的には三段論法の説明に使われることでも有名だし、そのことから目をそむけずに決断せよ、と説教垂れる哲学史家もいたじゃないdeathか。むしろ、「お前は絶対に死なない」とか「このノートに名前を書かれた者は絶対、死なない」とか言われちゃった方が、よっぽど恐怖じゃないのかねぇ。なんつっても、死ねないのだ。唯一面白そうなのは、存在の声が聞こえてこなくなっちゃうかもしれない人たちの動向ですかね。



10月22日(日)キリ番

 いつの間にかキリ番(3000)が近づき、「ゲットした方はおっしゃってくださいね」と書こうと思っていたのに、体調不良とか顔色悪いとか性格悪いとか、そして倫理学会があり、ワークショップの発表があり、授業があり、科研費申請のための、それ自身がひとつの立派な業績になりそうな書類書きがあり、さらにレースがあって、3000はとっくに過ぎ去ってしまいました。というわけで、ゲットした方はおっしゃってくださいね。

 みなさんに心配していただいたネタ、ワークショップ袋叩きネタ、科研費申請ワードでセルなんてネタ、などなどありますが、今日はレースに出ました。歴代の優勝タイムから言って楽勝できると思っていたのに、地方レース荒らしが数名紛れており、ぬぁんと5位までが大会記録でした。ぎゃふん。私ですか???2位です。へへへ。最後の最後に2位のヤツを抜いたのですが、ホントはもう2位でも3位でもよかったのです。なのに、どっかの知らないオヤジが「絶対に抜け」という定言的な命令を下してきたので、カント屋の私としてはその手の命令を無視するわけには行かず、ヒーヒー言う羽目に陥りました。もっとも、賞品が2位はバッグ、3位は折りたたみ式の椅子でしたから、定言命法バンザイでした。たしか、結果的に幸せになるのはカント様も許してくれましたよネ!



10月27日(金)批評の(不)可能性?!

 昨日、湯煙キャスターの番組で、<河野談話>にいちゃもんをつけた「あったまいー」センセーについて、これまた「あったまいー」しゃべり方で「あったまいー」内容を垂れ流す「あったまいー」行政府の長が、「一議員としての発言であって問題ない」というようなことを発言したことが報道されていました。その直後、このことについてのコメントも何もなく、いきなり筋肉バカたちによるビールかけの映像。あんなことで表現される喜びがいかにちんけなものか、ということもさることながら、それを公共の電波で撒き散らすとはどういうことなのでしょう。ひょっとして、現代における喜びなんてその程度のものだし、公共性なんてその程度のものだ、というシニシズムのパフォーマンスなのでしょうか。それならそれで、立派に批評たりえているとは思うのですが・・・。やるなぁ、湯煙。



11月7日(火)レースで決めよう!

 11月3日に、福井の武生でハーフの大会があり、頭を打って以来<しんどい中枢>が破壊されているので飛ばしても苦しくなく、当然、大会記録で優勝、総合でも3位でした。レース後、一旦大阪に帰り、夜熊本へ。関西倫理学会に出るためです。

 関西倫理学会では、2日目のシンポジウム「サンクションの可能性と限界」でパネリストをやりました。当初、「カントの立場からの発表を」という依頼を受けたのですが、「死刑制度に賛成しているカントの立場になんか立って発表できない」とごねました。結局は引き受け、「カントによる死刑制度擁護論の抜け道を求めて」というタイトルで発表しました。

 「それはカントではない」。これまで何度も言われてきたことですが、今回もまたそう言われました。質疑応答の中で、カント哲学の基本を懇切丁寧に教えてくださる方もいらっしゃいました。「しかしその基本を前提する限り死刑制度を容認することになるのであれば、むしろそんな基本はどうでもよいと思っています」と言ったら、失笑のような笑いが聞こえてきました。

 あの学会の中で社会派を自認しているだろうし他の人もそうみなしているだろうと思われるある方は、まずシンポジウムのタイトルが意味する事柄を自分はこれこれこういう風に考え、それならこれこれこういう発表があると思ったのだが・・・、と不満を述べました。まあ、思い込みの解釈がはずれることはあるでしょうし、はずれて不満だということもあるでしょう。もちろん、解釈がはずれているわけですから、発表が予想通りなものではないということもあるでしょうし、自分の思うようにならないことが不満だということもあるでしょう。たんにわがままな人は存在するでしょうから。許せないのは、まだ教員ではないパネリストのひとりの発表を名指しで「全然面白くなかった」と質疑応答の中で言ったことです。あなたは一体何様なんだ???

 学会の発表が面白くないなんてことはよくあることです。しかしそれは、プライヴェートな場所で言うべきことであり、シンポジウムの最中にマイクを使って言うべきことではないでしょう。そういえば、1日目にその立派な方が関わっていた<現場の声を聞きましょう講演会>なんて、その講演を批判するなんてとんでもないという雰囲気の中で行われた、面白くないどころか悪質極まりないものでした。

 というわけで、白黒決着つけるためにレースをしましょう。何なら、10人対1人でもよいですよ!



11月9日(木)きれいごと

 カントは、殺した側にも「人格の内に人間性があり、尊重されなければならない」と言い、「処刑の仕方を考慮に入れなければならない」と言います。処刑そのものが人間性に反しているとは考えなかった点にカントの問題がありますが、殺人者にも人間性を認めた点は評価されるべきだと思います。シンポジウムでは、そうした発想は「きれいごとだ」という、とても学者とは思えないきわめて素朴な反論がありました。もっとも、「きれいごとであること」はわかるようです。だったら、大半のジャーナリストたちのような物言いそのままに単細胞的な反論などせず、いやしくも倫理学あるいは哲学を研究する人であれば、「きれいごと」を語るべきではないでしょうか。倫理学あるいは哲学に携わる人が「きれいごと」を言わずして、いったいだれが「きれいごと」を言うでしょうか。「きれいごと」が言えないのなら、倫理学や哲学は即刻やめ、○○学なり×学なりをすればよいのです。それが学と呼べるかどうかははなはだ疑問ではありますが・・・。



11月15日(水)くどいっ

 カントは自殺を禁止しています。それは、現象人(homo phaenomenon)が本体人(homo noumenon)を殺すことになるからです。しかし、くどいようですが、死刑制度を支持しています。それは、本体人が現象人を罰することにすぎないからです。こんなでたらめな理由で納得しちゃう人は、カントオタかガキデカくらいなものでしょう。もちろん私は、一方を否定するのなら他方も否定すべきだと言いたいわけではありません。詳しく言うわけにはいきませんが・・・。ただカントの言い分が実にいい加減だと言いたいだけです。まあ、私の意図など発話を理解するうえでまったく重要ではありませんが・・・。



11月29日(水)自由

 それは(数少ない)自由の行使だと思ってきたし、今でもなおそう思っている。ただ、その代償は大きすぎる。しかしまた、だからといってその自由の行使を否定するのも納得いかない。

 関係する一連の振舞いを見ていてつくづく思い知らされたのは、自分が田舎芝居とか猿芝居とかを心底軽蔑しているのだということ。そしてちょっとした驚きなのは、友人も田舎芝居や猿芝居を軽蔑する側の人だろうとずっと思ってきたのに、ひょっとするとああいった類の芝居が好きだったのかも知れないということ。もちろん、芝居じゃなくて本物があるなんて言いたいわけではなく、だれだってパフォーマンスをしているわけで、その内容が猿のようだと思うわけだ。



12月3日(日)キリ番

 もう12月3日だ。約分すれば、4月1日だ。しかし明日になると、約分したら3月1日だ。だから何だ? それがどうした? 頭を打ってから、どうも調子が悪い。

 もうすぐ4000です。しかし当たり前ですが、次のキリ番は4444番です。踏んだ方にはプレゼントを用意しますので、おっしゃってくださいね。3000の方がおっしゃってこないので、2回分の豪華賞品を差し上げます!



12月6日(水)さ〜すが

 おぉ、約分すれば2月1日。

 都民はきっとお金持ちばっかだからゲージュツカにも寛大なんでしょうねぇ。そういえば、その父もかつてすっばらしい小説をお書きになっていたそうです。このことを扱ったニュースの後、あの元プロレスの実況アナは、「些細なことばかりを問題にしていると大きな問題を見逃してしまう」とのたまわった。さ〜すが、今のエンターテインメント番組をもつ前にそのすっばらしい小説家とだらだら対談した提灯もちぶりは、首尾一貫している。「些細な問題」なんだったら、いっそ日経新聞のようにまったくとりあげないか、もしくは<教科書書き変えたい新聞>のように問題化した議員団を批判したらどうなんだ? 「些細な問題」なのに隣でマジにコメントしていた解説委員に、「あんたはダメだ」って言うべきじゃないのか? そもそも元プロレスの実況アナごときが考える「大きな問題」って何なんだ???

 あんなのが報道に関係しているってことが一番の問題だ罠。



12月16日(土)線香臭い

 線香臭い人たちの罪は大きい。線香臭い人たちが何を信じようと、愚行権が認められている以上、どうでもよろしい。バカはバカなんだけどバカでもよい、ってことです。啓蒙主義的には、バカはバカのままじゃいけないんだけど、まあ、線香臭い人たちはひょっとすると理性的存在者じゃないかもしれないし・・・。なのに選挙権がありますか?! 

 ああ、線香臭い。線香臭い。



12月20日(水)だったら・・・

 青島が死んでしまった。だったら、あれもそうなってよいだろう。しかしあれがそうなってよいのなら、あれの知性溢れる(溢れすぎて空になったかも)むすこたちもそうなってよいだろう。なのになのに。世の中はうまくいかない。

 今度のキリ番は4444です。4649は、チンピラが嫌いなのでダメ番です。



12月30日(土)死刑は野蛮です

 だったら、どうしてありもしない兵器の存在を口実に(言うまでもなく、かりにあったとしても認められることではないけど)殺戮を命じたサルと21世紀にもなっていまだに女王がいるような島のサル友達は死刑にならないのか。

 元プロレス実況アナは、溝口敦が批判するような問題を抱える占い師=恫喝師と延々ゴミを垂れ流す。あんなのがジャーナリストのつもりなのか、という言い方は、ジャーナリストというものに期待し杉様(今年は頭打ったからなぁ)なのだろう。

 この頃、このHPを訪れてくださる人が異様に多いよう。みなさんそんなにヒマですか。


                     
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2006年のよしなしごと