その日の出来事  2012年9月15日(晴れ・暑い)


地図はクリックすると大きくなりマス。
2日目

何年ぶりだろう?
1泊ツーリングで福島へ行って参りました。
2011.3.11から1年と半年、岩手県、宮城県には行きましたが福島県には行っていない。
原子力発電所事故の影響を見に。
さらに戊辰戦争の地を見にGO!



さて、7:30出発です。
町中はまだ寝てますね。
今日は白虎隊ゆかりの地を訪れます。

ここは、若松城です。
地震で石垣が崩れた様で、修復中。

次回のNHK大河ドラマの主人公である新島八重を押してますな。

東北復興の一助になれば良い。



バイクをおりて中をウロウロ歩きます。


早朝のお客さんがいない時を見計らって、撮影しているな。
地方のCM撮影かな。


若松城です地元では鶴ヶ城と呼ばれてる、印象的には鶴のイメージは解る。



鉄門側からの一枚、戊辰戦争の会津戦争で落城しなかった、不落の城です。会津魂の象徴!!


こんな感じで、石垣が入り組んでいる感じがたまらんですよ、城好きにはね(^^)d

明治維新、私は倒幕派なのですが戊辰戦争の特に会津戦争の箇所は、かぜん佐幕派です。

会津藩主 松平容保は京都守護職を勤めて、京都の治安を守り時の天皇から賞揚を受けてます。
また、「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」を守りとおし戦い抜きました。
義を押しとおした最後の大名と言って良いでしょう。
だいたい会津戦争なんて、討幕派が戦争したくて吹っ掛けてきたようなモンです。(個人主観入りまくりです)

明治に入ってからは、日光東照宮の宮司となっているところも良いです、実際は東京にいたので実務は別の人でしょうが。



さて、白虎隊のゆかりの地飯盛山へ移動中にこんな看板を発見。
近藤勇の墓?たしか板橋区にあったと思ったけど。


お寺まで行ってみると、こんな看板が。後で調べたら三条河原にさらされた首が行方不明なので、幾つかのお墓があるらしい。
新撰組を慕う人がそれだけいた証拠かな


お寺から少し離れた場所に案内されます。


近藤勇の説明が一通り書いてある、池田屋事件がメインイベントだな。新撰組は「会津藩預かり」だから納得できるな。
しかし、副長の土方歳三が建墓とあるけど当時そんな余裕があったか疑問。


お墓はこちら、花やお線香が挙げられているので参拝する人が絶えないのだろう。


さらに移動
飯盛山入口に到着。
厳島神社の参道にもなっています。



神社はこぢんまりしている。両脇の杉が歴史を物語っています。


境内をウロウロしていると、こんな淵が。
白虎隊のドラマの一シーンで出てきますね。

説明看板あり。
人が掘った水路だから人は通れると思うけどかなり狭そうだ。
水も通っていただろうし、見つかれば逃げられないし、5月始めくらいだから寒いし、怖かっただろうな。


すぐ近くに有名な「さざえ堂」が有ります。

中が螺旋状になっていて、一度も同じ所を通らず下から上へ行きまた下に出てきます。
なんか不思議な作りなんですよ。
今回の旅はこの建物を見たかったことも有ります。

此処が一番高いところ、天上まで貼り札だらけ。


下りは滑りそうで怖いな。
いたずら書きだらけで腹が立つ。

 

この建物、宗教的な意義は今は無く、建物をみると説明を受けた。

では、今は誰が所有している建物なの?



さて、つらつらと歩いて移動。
こちらは、白虎隊士の墓です。

今の形になるまで、2回の拡張が行われたみたい。

白虎隊の他、同じく別の戦地で散った若者の墓も有りました。


会津戦争を語ると女性の犠牲も語られますね。


昭和になってやっと建ててもらったのか。
明治政府からすれば、賊軍だから仕方ないか。



場違いっぽいものがありますな。

ローマ市民が此処の事をどうして知っているか興味深いな。

看板の内容はこちら

白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は昭和3年ローマ市民の名をもって、この碑が贈られた。この碑の円柱は赤花崗で、ベスビアス火山の噴火で埋没した、ポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱である。基石表面にイタリアー語で「文明の母たるローマは白虎隊勇志の遺烈に、不朽の敬意を捧げんが為め、古代ローマの権威を表すファシスタ党章の飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが第2次世界大戦後占領軍の命により削り取られた。



ここが自刃の地です。


ここから見える風景。オイラにはお城が解りませんでした。
ここからお城の安否を確認したはずですか。

この旅の当初の目的は果たしたので、心残りを解消しに移動。


国道121号を喜多方方面に走ります。


道の片側に吹雪よけが有りますね、信号も立て方向だし。
雪国ですな、冬の時期に来てみたい。

 

米どころですな、大きな田ぼが広がっています。
気持ちいいな、日本風景はこれだな。
此処も盆地なので山に囲まれていて、心地いいな。

心残り、昨夜食べたラーメンも美味しかったが
やっぱり喜多方を冠するラーメンは喜多方で食べないとね。



さて、着きました喜多方ラーメン「坂内食堂
まだ10時なのにもうこんなに並んでいる。さすが有名店
ここ朝7時から営業している、朝ラー発祥の店らしい。

肉そば(チャーシュー麺)が有名ですが、今のオイラには重いかな。

ベーシックに支那そば600円をチョイス。
これ旨い。懐かしい味がする。麺はモチモチで美味しい、透きとおったスープが旨い。肉と塩の相性は最高です。


11時に店を出るとこんなに並んでいる。
都内に沢山支店が有るから今度行ってみよう。

満足したので帰宅しましょう。
今回はスマホが大活躍しました、科学の進歩ってすばらしい。

せっかくなので磐梯山をバックに一枚と思っていたら、この山違っていた。田園風景が美しいな。


磐越自動車道 会津若松から自宅を目指します。

こちらが会津磐梯山です、宝の山です。

 

後は、焦らず休憩をとりながら。
眠くなったら無理せず、寝てから走ることで、東北自動車道を南下します。



途中のSAで地域商品買うのも楽しみの1つ。
これは、テレビ番組「ケンミンショー」で有名になったレモン。
乳製品で無果汁なのになぜかレモンです。
しかし昔の飲み物って色だけでフルーツ名付いていて緑ならメロン、橙色はミカン、赤はイチゴでやっぱり無果汁だった。

最後にデザートのソフトクリームをゲット
抹茶味300円をチョイス。
甘い物食べると落ち着く。

結局、甲府昭和に着いたのは19時ちょうどでした。
420kmを7時間かけて帰ってきました。
都内の渋滞と結構休憩とったから時間掛かりました。


トリップメーターが999kmまでとは初めて気が付いた。
全走行距離1011km。
 

一日のツーリング距離は400kmくらいが限界と思っていましたが今回のツーリングは500km以上を走りましたが辛くなかったです。
楽しいツーリングだった。
これからも行きたい所へ見たい所へ食べたいものへ! オイラを止めている者は、オイラ自身だけだった。
もっと遠くへ行きたい。


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