wake-woke-woke
ぽかりと、銀次は目が覚めた。 不意に睫が上がって視界を取り戻して、息を呑む。覚醒したのだと思うより先に、目前の光景に魅入られた。 ええと。 内心で呟いてみる。 こういう事態は、別に初めてではない。スバルでは何度もあるし、このリゾート気分に満たされる別宅でも稀にある。 でも、だからと言って、慣れるものでもない。 蛮のアップが、そこに。 何て、心臓に悪い。 銀次は、止まってしまっていた呼吸をそろそろと再開した。まずは、ゆっくりと吐いてみる。そうしたら不必要に入っていた肩の力が抜け、下になった左側の首筋が何かに触れた。銀次の呼気は、また途中で止まった。 自分は、蛮の右腕を敷き込んでいる。というより、要するに腕枕されている。 これも、驚くことではないのだけれど。 でも、昨夜はそうではなかったはずなので、意外だった。 ふと、銀次は眉をひそめる。そう言いきってしまって良いものかどうか、自信がなくなったのだ。何しろ、蛮を受け入れて縋った辺りから記憶が曖昧になっている。 ゆっくりとのしかかられて、紫紺に見詰められて、力強く引き寄せられて。 意味もなくリアルに記憶を追ってしまい、銀次の頬が僅かに朱に染まった。少しばかり恨めしげに、瞼を伏せている蛮を睨む。 確かに、もう一杯一杯だと告げたはずなのに。 それでも、蛮は銀次自身に絡めた指を外してはくれなくて。 実は、かなりものすごいことを口走った気がする。 ああもう。 銀次は、口元を掌で覆った。 性格上、快楽を素直に求めることを厭いはしないが、それにしても限度というものがあるのでは。 だが、銀次の拗ねた顔付きは、長くは続かなかった。蛮に焦点を合わせた濃いアンバーが、僅かに細められる。次いで、頬に柔らかな微笑が刷かれた。 目の前には、精悍さと繊細さをないまぜにした彼の一番お気に入りの面があるのだ。笑み綻ぶのも、当然である。 刹那、銀次は逡巡した。そして、できるだけそっと、ほんの少し蛮ににじり寄った。 カーテンを閉めた窓から差し込む陽光は、まだきつくない。だから寝室はそれほど明るくなかったが、蛮の様子を捉えるには十分だった。 整髪料を落とした髪が、半ば目元を隠している。それでも、長い睫が窺える。 細い鼻梁。外国の血が混ざっているせいか、それは人より高め。そのためだろうか、おそらく銀次と同い年だというのに、彼のほうが年長に取られることが多い。蛮が言うには、銀次の鼻は平均より低いそうだし。 唇は、薄めだ。とても、形が良い。思わず触れてみたくなるほどに。 思惟が巡った途端、知らず銀次は右の人差し指を伸ばしていた。 蛮が起きていたら、考えなしに行動するなと叱っていたところだろう。だが、現状では無理。おまけに、被害者だ。とは言え、そうなることは多々あるので、これもそのうちの一つにすぎない。 銀次の触りかたは、あるかなしかというささやかさだった。指の腹が、僅かにぬくもりを覚える。心地良い弾力も伝わってきた。 これがどれほどの悦楽を生み出すか、銀次は身を以って知っている。緩く肌を滑っていくだけで、簡単に体の芯に火を点けるのだ。 更に、彼は蛮に近付いた。一旦腕を引き、支えにして上体を起こす。 しばらく待ったが、蛮は身じろぎ一つしない。だから、銀次は頭を彼に下していった。指だけなんて、物足りなかった。 唇には、唇で。 羽毛みたいに、軽く合わせる。さらりとしてあたたかな感触に、満足げに嘆息した。鼓膜は、小さな息遣いをずっと捉えている。 やがて、銀次は心中でうーんと唸った。 これは、中途半端かも。 どうせなら、もっと蛮を感じたい。 というわけで、舌を忍ばせることにした。眠っている蛮の口内に侵入するのは、とても容易である。 「--ん…」 常より乾いた感じのする蛮の舌は、すぐに発見できた。道理で朝起きてすぐ水分を補給するわけだと思いつつ、絡めていく。当然応じられることはないが、とりあえず良しとした。 した瞬間、銀次は抱きすくめられていた。 「--んっ!」 驚愕して離れようとしたが、許されない。反対に、もっと拘束された。そして、キスの攻守も逆転する。後頭部を押さえられ、銀次は深い口付けを受けた。 解放されたのは、舌の付け根が痺れ始めた頃。 「蛮ちゃ…ひど…」 「何言ってやがる」 さんざん翻弄されて潤んでしまった琥珀で、蛮を見下ろす。蛮のほうは、派手に右目を眇めていた。 「朝っぱらから、まだ寝てる奴を襲ったのは、誰だ?」 「襲ってなんかないよ」 銀次は、口を尖らせる。そうしたら、蛮はおやおやと眉を撥ね上げた。ついでに、器用に銀次と彼の体勢を入れ替える。銀次は、仰向けに転がされ、蛮に覆い被さられた。 「じゃあ、今のは何だよ?」 端的に問われ、銀次は顎を引く。 「怒った? 蛮ちゃん」 「訊いてんだよ」 蛮のトーンは、とりあえず常通りだった。銀次は気付けなかったが、多少面白がる響きもあった。 銀次の視線は、僅かに泳いだ後、蛮に返る。表情は、どうしてこうなってしまったんだろうとこれ以上ないほど訴えていた。 そう。 最初は、蛮の寝顔に惹かれただけだったのに。 「あ、それが良くなかったのか」 「ぎーんじ」 いきなり、銀次は一人で納得した。さすがに、蛮から拳骨をもらった。再び涙目になりながら、改めて口を開く。 「起きたら、蛮ちゃんが寝てたわけ」 「おう」 「顔眺めたら触りたくなって、指出した」 「で? それで足りなくなったから、キスしたってか?」 「蛮ちゃん、どうして分かるの?」 正確に先刻の自分の心情を指摘され、銀次は目を丸くした。すぐ側に迫っている暁闇の一対を凝視する。 すぐ側? 気が付いたら、銀次は唇を塞がれていた。今度しかけたのは、蛮だった。 枕の横に投げ出していた腕を持ち上げようとして、叶わないことを知る。手首が、蛮に拘束されていた。 「--ふ…ん…」 前と同様激しくされ、銀次は眉間を寄せて息を継ぐ。蛮の舌は、熱かった。幾度も絡められ、吸われる。互いの唾液が混ざり、銀次の口端から伝い落ちた。 「蛮ちゃあん」 最後に、濡れた音をわざとたてて、蛮が離れる。銀次は、視界を閉ざしたまま彼を呼んだ。 「寝てる俺様に誘われたってわけだ。責任取ってやるよ」 誘惑は、耳元で。 銀次は、ぱちりと瞼を上げた。そろそろと横を流し見ると、蛮が人の悪い笑みを浮かべている。小声で、指摘してみた。 「蛮ちゃん、今、朝だよ」 ところが、蛮は動じない。 「そうだな」 銀次は、咄嗟に言葉を見付けられなかった。どうにも、事態は彼の思惑から外れている。彼は、蛮の端整な面差しを楽しみたかっただけなのに。 その時、開け放たれた寝室の扉から、新たな気配が現れた。低い吠え声が、大気を震わせる。 銀次には、それが救いの主に思えた。いささか頑張って、入り口のほうへ頭を巡らせる。 「あ、スミレちゃん。助けて」 朝の散歩に連れて行ってとねだりに来た雌のドーベルマンは、救助を求められて小首を傾げた。つぶらな黒瞳が、銀次を見遣る。それから、蛮に移った。 「あーん。スミレちゃーん」 「花子、散歩なら後で付きやってやる。今は、邪魔すんな」 返されたのは、良い子の返事。 彼女にとって、銀次は単なる遊び相手だが、蛮は絶対の主人だ。どちらの指示を聞くかなんて、初めから決まっている。 「行かないでよ、スミレちゃん!」 「畜生で女の花子に、それか。情けねえぞ、銀次」 「だって、こんなはずじゃなかったよ」 銀次を解放する気などさらさらなさそうな蛮の声調は、いささか呆れ加減だ。銀次は、むくれて頬を膨らませた。でも、口付けが落ちてすぐにしぼんだ。 「悪かねえだろ」 甘い囁き。 銀次は、こんな低音にとても弱い。 悔しくて、唇を噛んだ。蛮の親指が、触れてくる。 「阿呆。傷が付くじゃねえか」 「だって、何かもう。--もう!」 とうとう、銀次は喚いた。彼の癇癪に、蛮は楽しげに喉を鳴らす。そして、銀次の腕に対する戒めを解いた。銀次は、彼に背を抱くよう促される。 はっきり言って、気に入らないけれど。 でも、抗えない。 正面から見詰められて、せめてとばかりに歯を剥いてみる。 「俺にベタ惚れなんだろ」 「蛮ちゃん、自信過剰」 「さあて。どうだか。一番正直なところに訊いてみるかな」 断じて、右の五指が伸ばされたのは、勿論。 銀次は、再度もうと呻いた。そして、蛮の首に両腕を回した。一旦眼差しをきつくしてから、睫を下ろす。 待ってみた。 期待は 与えられたのは、吐息すら奪われるほどのキス。 おかしい。 今日は、早起きし、午前中に久し振りに訪れた家の大掃除をして、スミレちゃんも一緒に入れるレストランでパスタランチを摂って、少し昼寝をした後盛大な(はずの)夕食の買い物に出るはずだったのだ。 それがどうして。 でも、もはやどうでも良くなりそうだった。鼓膜を震わせる蛮の睦言に、銀次はふわりと微笑む。 二人がベッドから離れるのは、まだまだ先になりそうだった。 |
『MINERAL LOVE』 市花薫様vよりいただきました。
市花薫さまのサイトさまで、100000HIT感謝企画でフリーSSにされていたのをいただいてまいりました! うわー、市花さんの小説を自サイトに置かせていただけるなんて、なんて幸せなんでしょう! 私の憧れの小説書きさんでいらっしゃる市花さんのお話は、なんというかいつも拝見した後に感想を・・感想を・・!!!を思うのに、胸がもういっぱいで、「ほう・・v」とうっとり溜息が出るばかりなのです。もっともっとお話に浸っていたくて、ぼーっとしていることもしばしばです。このお話も、そんな感じで、いただいて帰ってからも何度も何度も読み返しては「ほう・・v」と浸りきっていましたv ああ、幸せv ところでこの犬付き別宅はどうされたのでしょうv (でも本宅はやはりスバルなのでしょうか・・!?) リッチな雰囲気の中の、それ以上にもっと贅沢な二人だけの時間がたまらなく素敵ですー。市花さんとこのベッドでのお二人は、なんだかしっとり情熱的で、もう骨抜きにされてしまいます。大好き・・! 市花さん、本当に本当にありがとうございましたー! |