サンタのくる夜に (WILD ADAPTER/久保田×時任)




『サンタクロースがいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目に見えるもの、手でさわるもの、感じるものだけになってしまうでしょう』




「―だってさ」

「へえ」
「サンタって、そういうものなのか?」
「さぁねー」
「つーかさ、だいたいいねーだろ、サンタなんてよ」
いかにも小難しい本を読んでいたかのように、眉間に縦皺を寄せて時任が言う。
「なあ? 久保ちゃん」
本を傍らに置くと、ソファの背凭れでぐっと猫のように背を反らし、久保田を呼んだ。
セッタをふかしながら、テーブルの上のコーヒーカップをキッチンに運んでいた久保田が答える。
「だったら、何で急にそんな本買おうって気になった?」
その答えに、時任が器用に片眉を上げた。
「俺が買おうって言ったんじゃねえよ! 表紙見てたら、久保ちゃんが勝手にレジに持ってっちまったんだろ?」
「だって、ずっと見てたじゃない? 手にとるわけでもなく、ぼーっとね。だから、欲しいのかなあって」
「別に、欲しかったわけじゃねえって」
「そお?」
「そりゃまあ…。どんなことが書いてあんのか、ちょっと興味はあったけどよ」
「漫画とかしか読まないお前が、こういうのの前でじっと佇んでたら、そりゃ何かトクベツな意味があるのかなって思うっしょ?」
「そうか? 別に意味なんてねーけど。…でも、なんかさ、ただその…」
「ん?」


「あ、いや。いーわ、別に」
「んー?」


何かを言いかけ、途中で止めてしまった時任に、久保田がキッチンに運んだカップを流しに置き、不思議そうにそれを振り返る。
ややあって。少々声のトーンを落として時任が呼んだ。
「なー、久保ちゃん」
「ん?」
「久保ちゃんはさー。サンタって信じてた? ガキの頃」
何とはなしに聞き難そうにそう言ってくる時任に、短くなったセッタの吸い殻をテーブルの上の灰皿にぎゅっと押しつけ、久保田が答える。
「さあ? 信じるも何も―。ウチに、果たしてサンタなんてぇのが来てたのかどうかも、俺知らないし?」
「え?」
「俺、見えないって設定だったからね、家の中じゃ」
「見えない、って…」
「他の子供のとこには来てたかもしれないけど、俺のとこには来るはずもないし。なんせほら、"見えない"んだから」
淡々とそう答える久保田に、時任の方が痛そうにやや顔を顰めた。

「…久保ちゃん」

「お前は?」
「ん?」
「お前は、どうなの」
「どうって…。どうも何も覚えてねーもん、そんなガキの頃のことなんてよ。だいたい、自分が誰なのかも今だにわかんねえんだし」
「…そ、っか」
"そうだった"と心中で付け加え、久保田が時任の居るソファの背に近づき、背凭れに腰掛けるようにしてその顔を見下ろした。
その眼鏡の奥の双眸が、時任を見る時だけは独特のやさしげな表情になる。

「けど、ちょっとさ。こう…。なんつったらいいのか、うまく言えねぇけど」
「んー?」

黒い真っ直ぐな瞳が上目使いで久保田を見上げ、少々照れくさそうに笑んで言った。
「嘘くせぇとか胡散臭せーとか言うの、簡単だけどさ。信じてみるのも、そういうのも悪かねぇかなって…。そんなこと考えながら、本屋であの本見てたんだ。変だけどさ。なんかそういう風に、ちょっと――思えた」



「つか、思えるようになった」



「これって。久保ちゃんと、いるようになったから…だよな、って――」




「…うん」
やっとそれだけ答えた久保田に、急にはっと我に返ってカッ!と赤くなると、時任がやおらソファから立ち上がる。
そして、くるりと踵を返すと、どかどかと大股で寝室に向かって歩き出した。

「あ〜〜っ!! 何、こっ恥ずかしいこと言ってんだぁ、俺様はっ! さ、寝るぞ、久保ちゃんっ!」
「…時任」
「今日はさ、一緒に寝てやっから! お前もコッチで寝ろっ」
「――って。まるで、いつも一緒に寝てないみた…」
「クリスマスだかんなっ、トクベツな!」
「…はいはい」
確かにいつもは、わざわざベッドで寝るというよりは、お互い気が向いた時に気が向いた場所で寝るのだが。
その位置が、互いが見えないくらい離れていたことなんて、ごく稀だ。
大概先に寝た方に寄り添うようにして、後から寝る方がその隣で毛布にくるまって眠る。それが常だから。
「――けどま。二人でベッド使うのは久しぶりかな? じゃあ、お前寝相悪くてすぐ落っこちるから、奥に入んなさい」
「そんな悪くねぇぞ、寝相」
「よくはないっしょ? だいたい、ソファで寝ててもすぐ床に落ちて、ごろごろ転がってくし」
「けど、毛布はちゃんと被ってるぜ?」
「かけてやってるの、俺なんだけどね」
「あ、そうなの?」
「そうなの」
「ふーん」
「…明かり、消すよ?」
「ん」



明かりの消えた薄暗い部屋の中、久保田がベッドの時任の隣に滑り込む。
身を寄せるようにして一つ布団に包まると、互いの心臓の音が、ひどく近くで聞える気がした。




「な、時任ー」


「ん?」
「俺もさー」
「えっ?」
「いつか、信じられるかもなー。お前といたら。…俺も」
「――サンタがか?」
「さぁね、それがサンタなのか、トナカイなのか」
「…はあ?」
「ま、ドッチでもいいんだけどね。今は目に見えるものだけで、手一杯だし」


「……いいんじゃねえの? "目に見えるもの、手でさわるもの、感じるもの" 大事じゃん、そういうのも。てか、そういうのが先だろ? 久保ちゃんが今見てる世界が、一番大事だし」


照れくさそうに言う時任の手を、久保田の大きな手がそっと自分の手の中に包む。
「俺の、今見てる世界、ね―」
「ん…」
薄暗い部屋の中、至近距離で見つめ合う。
そして、いつものように指を絡めて、ぎゅっと握り締め、久保田が囁くように時任の耳元で低く告げた。



「…て。お前しか、いないんだけど?」



「それだけで、もう手一杯」







さらりと言われたその口説き文句のような台詞に、時任が、思わず耳まで真っ赤になって天井に向かって怒鳴りたてた。


「人が真面目にしゃべってるっつーのに、エロい声でこっぱずかしい事囁いてんじゃねえ〜〜っ!」




それでも内心。

時任にとってその言葉は、どんな高価なものにも勝る、最高のプレゼントだったんだけれども――。