蜜 柑 





「時任ー、オレ」

玄関のチャイムが鳴らされるとすぐさま、扉の向こうからバタバタと駆け寄ってくる足音が聞こえた。
鍵があけられ、扉が開かれる。
「ただいま」
にっこりと扉を開けてくれた人物に微笑むと、だが、彼はいたって不機嫌そうに返した。
「おう、おかえり。ってか、久保ちゃん。鍵持ってんだろうが! 自分で開けりゃいーじゃん」
「持ってるけどー。時任にあけてもらう方が、嬉しいじゃない? お前、せっかく家にいるんだし」

ほぼ半日バイトだった久保田が帰宅したのは、既に暗くなってからだった。
一人留守番をさせられていた時任は、日暮れになり、なんとなく一人だと落ち着かないリビングで、実は久保田の帰りをかなり切実に待ちわびていたのだが。
意地っぱりな彼は、そんなことは当然ながら口にはしなかった。
どうせ久保田には、わかってるんだろうけれど。

「そ、そりゃそうだけどよ。俺様だっていろいろ…。あ? なんだ、それ?」
靴を脱いでいる久保田の手から、玄関の廊下の端に置かれた大きな紙袋に気がついて、時任がそれを思わず覗き込む。
中には、袋いっぱいの蜜柑があった。時任が眉を顰める。
「何だ、こりゃ」
「何って、蜜柑だけど」
「そりゃ見ればわかるって! じゃなくて、どうしたんだよコレ。まさか、久保ちゃんが買ってきたんじゃねえだろ?」
「俺が買っちゃ、おかしい?」
言いながら、久保田が目で"運んで?"と告げ、時任が"おう"とその紙袋を持ち上げる。なかなかに重い。
「いや、おかしかねぇけど…。つーか。なんで、わざわざミカンだけ、しかもこんなにバカみてーに買ってきたんだよ」
寝室の扉を開けつつ、マフラーを外しながら久保田が答える。
「んー? ほら、やっぱ冬はコタツで蜜柑っしょ?」
「って、ウチ、コタツねぇじゃん」
「そうなんだよねー、今年の冬はコタツ買うかなぁ」
「お、いいねえ! 買おうぜコタツ! なんかこう、ぬくぬくするカンジがいいよなぁ」
「お前、潜ったきり出てこなくなりそうだけどね」
「いーじゃん別に。冬なんだしよ」
「理由になってるような、なってないような?」
「いいの! 俺様、寒ぃの苦手なんだよ」
「暑いのも苦手だけどね」
久保田が答えながら、コートは一応ハンガーに掛けたものの、そのままばさりとベッドの上に放り投げる。
ハンガーに掛けたんなら、ついでにどっかその辺に引っかけとけっ!と時任が怒鳴るが、そーだねぇと言いながらも実行に移す気配のない久保田に、時任がやれやれと溜息をついた。
そして、どうせやんのはいつも俺だけどさ、と内心で愚痴る。
繊細なようで大雑把でもある久保田と暮らすようになって、どうでもいいところで結構マメになったと、時任は最近自分で思う。


リビングに移動すると、暖かい空気が開いた扉から流れ出てきた。
「あー、あったかいね」
「外、寒そうだったもんなー。あ、ミカン。どこ置く?」
「ま、とりあえず台所かな」
「おう。んじゃ、ここ置いとくぞ」
「はい、ご苦労さま」
「しっかしまぁ、えっれぇたくさんあるよなあ。こんなに食えんのか?」
「一度に食べることないっしょ? ゆっくり食べればいいじゃない」
「そうだけど。部屋あったけえから、すぐ腐っちまいそー」
「ま、腐りかけの蜜柑も甘くていいんだけどね」
「それ、バナナだろ?」
「蜜柑っしょ?」
「俺は、腐りかけだったらバナナだぞ!」
「ふーん…」
威張って言う時任に、そんなに熱く論議するような話でもないかと思ったらしい久保田が、あっさりと話の腰を折る。
「ま、腐る前に完食するよう、心がけようね」
「お、そうだな」
それにあっさりと返して、時任が、とっととソファに腰掛け、やりかけで放置されていたゲーム画面に向かった。
久保田が、その背中を見、目を細める。
先ほど、リビングに入ってくるなり目についたゲームのコントローラーは、まるで放り投げられたように無造作に床の上に落ちていた。
どうやら玄関のチャイムが鳴るなり、大急ぎで迎えに出てくれたようだ。
久保田が思い、さらに細い目を細める。
意地っぱりの時任の背中が、どうにも愛しかった。








「時任ー。みかん、食べるか?」

食後、適当に片づけを終えて、テーブルにミカンを2つ並べると、椅子に腰掛けた久保田が再びゲームに熱中している時任を呼んだ。
「うーん。久保ちゃん、食う?」
背を向けたままの返事は、逆に問いかけ。久保田が苦笑する。
「そうねぇ、ちょっとお味見してみよっかな。せっかくもらったんだしねー」
「ふーん。んじゃあ、俺様も! 味見v」
言って、コントローラーを置き、ばたばたとテーブルの傍にきて椅子に腰掛ける。
なんだ、実はお前食べたかったんじゃないーと、久保田がそれに笑いかけた。
「あれ?」
「ん?」
「今、お前。貰ったって言わなかった? ミカン」
蜜柑を1つ自分の前に置かれて、時任がそれを見、首を捻るようにして訊く。
久保田が自分の分を剥こうと手に取りながら、ごく当然の事のようにそれに答えた。
「んー。これ実は、雀荘でよく一緒になるおじさんがね。くれたの、お前と食べなって」
なんだ買ったわけじゃなかったのかよと思いつつ、別のことの方が気になって時任がさらに訊く。
「へえ、そうなんだ。…って、何で俺のこと知ってるんだ? そのおっさん」
「さあ? 俺、よく麻雀しながら話してるらしくて」
さらりと言われ、時任の顔がけげんそうなそれになる。
「…俺のこと?」
「うん」
「…な、なんて?」

「―さあ?」

期待に満ちた目で時任に見られていたにも関わらず、それもさらりと流して久保田がにっこりする。
反して、時任はムッとしたような顔になった。
「さあってよ! 久保ちゃんが自分で言ってんだろ!」
「だって、無意識だもん」
「無意識に俺のこと、他人にくっちゃべってるってのかよ?」
「そうみたい。俺、好きなコのこと話す時だけ、よく口が回ってるらしくて」
「へーえ、そう…」
言いかけて、ふいに時任の言葉が途切れた。
頭の中で久保田の言葉を反芻して考えて、思わずテーブルの前から身を乗り出す。
「えっ? ええっ? 今、なんつった??」
「いやぁ、よく冷やかされちゃうんだよねー。そのコの話ばっかりだなぁとか。あ、いくつ食べる? もっと持ってこようか、蜜柑」
「もういらねえ。って、だからなあ! 蜜柑じゃなくて」
「ん?」


「……ってか。今、お前。どさくさに紛れて、何かスゲー事言わなかった?」


「言ったかな?」
「言ったっての!」
「うーん。やっぱり無意識?」
「む、無意識って、テメ…!」
「やー、意識せずに口からぽろっと出た言葉っていうのは、日頃思ってることとか、その本音みたいのまで出ちゃうから怖いよねぇ。…で」
「で?」
「何て言ったんだっけ、俺。今さっき無意識に」
「え?」
「ねえ、時任?」
「はあ!? え!…っと。 だ、だからよ…! つかお前、ボケ老人じゃねえんだからよぉ、今しがたの事ぐれえ…!」
言いかけて、かあぁっと赤くなる時任に、久保田が片手で蜜柑を弄びつつ、片手でテーブルに頬杖をついて、さらに楽しそうに微笑む。
「けど忘れちゃったし? お前言ってくれなくちゃー、わっかんないなー」
「〜〜あーのなあ!」
「うん?」
テーブルから身を乗り出したその顔の真ん前で、にんまりと含みのある笑みを返され、時任ががくりと脱力したようにテーブルに突っ伏す。

「あ゛――! もういい! またテメエが自分で思い出した時に、俺に言え!」

「…うーん。そうなっちゃうワケね…」
少々残念そうに言う久保田に、は〜っと溜息を漏らして顔を上げると、そっぽを向いて口を尖らせ、時任が返す。
「そうなっちゃうも何もなぁ…! ったく! 狡いんだよ、久保ちゃんは! そうやって、いっつもはぐらかすの上手いしよー」
「それはどーも」
「褒めてんじゃねえっ!」
「はいはい」
それでもまだ楽しげな久保田に、時任が半ばヤケクソ気味に言った。
「もーいいから、早くソレ!」
「ん?」
「ミカン!」
そっぽを向いたまま、自分の手にある蜜柑を指さされ、久保田が不思議そうな顔になる。
指さされたのは自分の分で、時任の分はその前に転がっている。
いや、別にどっちがどっちのというわけではないにしろ。
「そこにあるっしょ? お前の分」
「だーから。オレも食うから!」
「うん?」

「オレにも剥いてv」

やっとこっちを向いたと思うなり、そう照れくさそうな笑みを浮かべて言われて、久保田がやれやれ…という顔になる。
時任の我が儘についつい日々付き合う羽目になるのは、どうもこういう顔に弱いからで。
まあもっとも、好んで甘やかし放題にしているのだから、別に理由はそれだけではないのだが。
「お前ねー。自分で剥けるじゃない? その手、意外にも器用だし」
「そうでもねぇぞ。つか、オレ苦手なんだよ。ミカンの皮剥くのってさ」
「苦手なんじゃなくて、面倒くさいだけっしょ。お前の場合」
「うっるせえ」
図星だねーと内心で思いつつも、それでもいくらそこそこ器用といえど、確かに手袋をした手で蜜柑を皮を剥くのは少々難儀だろうと久保田が考える。
「な、剥いてv」
しかも、今度は少々可愛いめに強請られた。
駄目押しだなあと思いつつ、仕方なしに頷く。
「ま、いいけど」
「あ! 久保ちゃん。その白いスジみてーなヤツもきれいに剥けよな!」
「はいはい。ヒトに剥かせておいて大威張りだねぇ、時任はー」
「いーじゃん、俺様のミカン、剥かせてやってんだからよ」
「そうだねぇ、一応ありがたい…のかな?」
「ありがたく思えっての!」
「はいはい」
言っているうちに、さっさときれいに剥き上げていく久保田に、時任がさすがに感心したように言う。
「へー、久保ちゃん。マジで器用」
「心をこめて、剥かせてもらってるからね」
「大袈裟だってぇの。たかがミカンの皮剥きで」
「お前がありがたがれって言うからじゃない。――ほら、剥けたよ。時任」
「お、サンキュ!」
きれいに剥けたミカンに大満足げに、それを久保田の手から受け取るなり一個まるまるほおばる気でいた時任は、次の久保田の言葉に固まった。



「じゃあ、あーんしてv」



言って、剥いたミカンを割って、1つを指先に取って摘む。
そのまま、時任の口の前へと差し出した。
「……はぁあ?」
「ほら、口あけて。時任」
「………む。剥いてくれるだけでいいんだぜ?」
「ついでv」
「いや、そうじゃなくて!」
「素直に口あけないと、あげないよ?」
「あ、なんだよ、ソレ! 狡いだろっ」
「狡くないよー。剥いてあげたんだから、ソレくらいいいっしょ?」
「なんで野郎二人で、そんなこっぱずかしいことしなきゃなんねーんだよっ!」
「いいじゃない。誰が見てるわけでもないんだし」
「そりゃそうだけどなあ!」
「ほら。口開けな」
「い、いやだって! 自分で食うー」
思わず真っ赤になって、頑として口を開けようとしない時任に、久保田がわざとらしく、はあ〜と大きな溜息をついた。
いかにも気落ちしてますというような、その落胆の溜息と表情に、時任が毎度のことなのにも関わらず、単純に引っかかって困惑気味に返す。
「…な、なんだよ」
「別にー」
「別にってなんだよ、言いたいことがあったら、はっきり言えよっ」
強気そうに見えていても、久保田にこうやって"引き"に入られると、時任はどうしても焦ってしまうのだ。
実際そんなことくらいで、久保田が例えば、自分に対して怒ったり嫌ったりすることなど、絶対無いという事をよく認知してはいても。

溜息混じりに久保田が言う。
こういう時の言いぐさは、かなり本当っぽい。
それで、単純な時任はすぐに騙されてしまう。

「…これさ。この蜜柑。結構重かったんだよねぇ。たくさんあるし? で、電車夕方だから混んでてさ。けど、お前にへしゃげた蜜柑食べさせるの可哀想だから、押しつぶされたりしないように死守してきたんだよねぇ、これでも。さらにこうして、皮まで剥いてあげてるっていうのに、時任はオレの剥いた蜜柑食べないっていうしさ」
「だ、誰も食べないって言ってねえじゃん! 食うってば!」
「で、なくてー。食べさせてあげるくらい、いいと思うんだけど?」




「………う゛」


「んー?」


にっこりする久保田の顔を、さも恨めしげにちらりと見た後。
しばし、ふてくされたような顔で唸っていた時任が、やおら逆ギレ気味に怒鳴った。
顔は、さっきよりもさらに真っ赤になっていた。

「〜〜〜あ〜あ゛、わあったわあった! わーかったっつーの!! 口開けりゃいいんだろ! いっくらでも開けてやるよ! おら、おらっ! あーんっ!」

投げやりに、それでも大口を開ける時任の意地っぱりの子供のようなしぐさに、久保田が満足げに小さくくすりと笑いを漏らす。
けれども、恥ずかしさにイッパイイッパイな時任の耳には、幸いなことに聞こえなかったようで。
いつもこうやって、まんまと言いなりになってくれる彼が本当に可愛い…などと、しみじみ思いつつ。
久保田が、さらに一人笑いを噛み殺す。
「はい、どーぞv」
久保田が楽しげに、指に摘んだ蜜柑を1つ時任の口に放り込んだ。
その拍子に、指先にやわらかな時任の唇の感触が当たって、それがなかなかに心地よい。
「ん!」
「お前ねー、ちゃんと噛まなきゃ」
ほとんど咀嚼してないように一瞬で飲み込む時任に、久保田が呆れたように言う。
ごくりと飲み込むなり、ぱちっと目を開き、時任が喚いた。
「お! 甘い〜〜! すげえ、甘え! 旨いぜ、このミカン!」
「そう、そりゃよかった。貰って来た甲斐があったねぇ」
「久保ちゃん、もっと食いてえ! ほら、次っ! あーんv」
「んー?」
「なあっ、早くって!」
「…はいはい」
ミカン同様、どうやら食べさせてもらうのも実際のところ、気には入ったらしい。
尚も、餌をもらう雛鳥のように素直に口を開けてくる時任に、久保田が、なんだかお母さんになったみたいだねぇと心中でこぼし、またその口に蜜柑を運ぶ。
それでも、時任曰く"こっぱずかしい"のはどうにもこうにも相当らしく、耳の裏まで真っ赤にして(小顔にしては耳が大きいので、よく目立つのだ)、声を張り上げるようにして言う。

「あーん! うぉ、うめえ! 久保ちゃんも食え!」

頬は、当然のように真っ赤だ。
テーブルの上に頬杖をついて、自分が食べるのも忘れて、久保田が幸せそうにそれに見入る。




やっぱり。
コタツ、買うかなー。

蜜柑をほおばる時任の顔を眺めながら、
コタツ布団の下で、ぬくぬくあったまった足を絡めたりして。

そういうのも、なかなか。
というか。
かなり―― いいんでない?




――などと、ぼんやりと考えながら。





「あれ? なんだよ、食わねえの? 久保ちゃん」
自分に食べさせるばっかりで、一向に食べようとしない久保田に、時任がちょっと不思議そうな顔で訊く。
それに、細目をさらに細くして、幸せそうに久保田が答えた。





「お前見てるだけで、お腹いっぱい」





「…な、なんだ、そりゃ」


「うーん。じゃあさ、今度は、時任が俺に食べさせてくれる?」
「はあ?! …テ、テメー! 調子に乗ってんじゃねえ――っ!」







END







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時任くんのわがままに、甘やかし放題に振り回されているようでいて、
実は目立たず、それ以上に時任を翻弄している久保ちゃんが大好きです。
久保時のこういうやりとり書いてると、すごくしあわせ気分v
しかし、ミカン食べるだけになんでこんなに長いお話に…。(涙)






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