− 命令してみる5のお題 −
5. 俺だけを見てろ





「…あれ?」



めずらしく昼前に出かけた、日曜の街角。
ふと、道路を挟んだ向かいの舗道に視線をやり、久保田の歩く速度がスローになる。

「久保ちゃん?」

そのまま、誰かを探すように人の波を見る久保田を、いぶかしむように時任が見上げた。
「どうしたんだ?」
「うーん、ちょっと」
「ちょっと、って?」
「うん」
「なんだよ、知り合いか?」
「うん、昔、ちょっとね」
「…ふーん」
久保田の答えに少々面白くなさそうに、時任が上着のポケットに両手を突っ込む。
「…似てたんだけどなぁ」
それを知ってか知らずか、久保田がゆっくりと立ち止まる。

視線は、まだ道路の向こう。
肩越しに、先程一瞬だけ視界をよぎった人影を探している。

「んー。やっぱ、見間違いかな」
「どんなやつだよ。男か?」
"ったくよー"とこぼしつつも、同じく立ち止まり、久保田の視線を追って時任が訊ねる。
聞いたところで、自分に見つけられる筈もないのだが。まあ一応。
「んにゃ。女」
「お、女って」
「昔さ。んー、3年くらい前かな。よくお世話になった、デリヘルのお姉さん」


「デ…!!」


さらりと言われて、時任の顔がみるみるカッ!と真っ赤になる。


(デ、デリヘルって、アレだよな?!
デリは、デリバリーのデリで、ヘルは、ヘルスのヘル…。
って!
お、お世話になったって、しかも"よく"って…!!
な、なんだよ、ソレ!!!)


一人色々想像してしまい、パニくりそうになる頭をどうにか落ちつかせ、時任が、さも"全然気になんかしてねぇからな!"といった平然とした口調で久保田に言う。
「つーかさ。もう行っちまったんじゃねえ? んな所にいつまでもぼーっと立ってたって、しょうがねえじゃん」
「うーん、それもそうだね」
"ま、いいか"と呟いて、先にたって歩き出す時任の後を追うように、久保田もまたゆっくりと歩き出す。
それを振り返りながら、時任が訊ねた。
「あ、久保ちゃん! 昼メシどうする?」
「…あぁ。そういや、まだだったね」
「俺様、腹減った」
ストレートな台詞に、久保田が目を細めて笑む。
はいはい、わかったよと保護者のように答えると、コートのポケットから煙草を取り出した。

セッタにライターで火を点けながらも、ふと久保田の視線が時任から移動し、斜め後方をちらりと振り返る。
立ち止まりまではしないものの、どうもまだ気になっているらしい。

「なぁ。冷蔵庫ん中って、すぐに食えそうなモン無かったよな」
「うん、たぶん」
「カップラーメンもゆうべ食っちまったし」
「そうねー」
「近くのコンビニで、何か買うか?」
「それでもいいね」
「あ、けど! やっぱマックでもいいぜ、俺」
「んー、俺はどっちでも」
「新しいエビバーガー、食い損ねてるし」
「ぁあ、そういや出てたっけ」
「それにさ」
「んー?」
答えながら、まるで煙の行き先を追うように、また久保田の視線が後方に流れる。
その態度に、とうとう時任がムッとした顔で怒り出した。



「〜〜〜っつうかよ、久保ちゃん!!!」



その声に。うわの空で何かを考え込むようにしていた久保田が、少々驚いたような顔で時任を見る。
「ん?」
「ちゃんと聞けよッ!」
「…聞いてるけど」
「嘘つけ! ぜっんぜんマジメに聞いてねぇし!」
「…そうだっけ?」
「そうだろーが! だいたい何だ!!」
「…何だ、って。何が?」
「む、昔、ちょっと、って何だよ!! 気になるっつうの!!!」
「うん? だから、ちょっとお世話にね」
「〜〜! 別に、お前が昔、誰に世話になったとか! そんなの、俺にはどーだっていいけどな!!」



「俺は"今"、てめぇに喋ってるんだっつうの!」


「よそ見してんな!!」





「ちゃんと、俺だけを見てろ!!」





あまりな時任の剣幕に、道行く人が一瞬何事かと、ぎょっと二人の方を見る。
それでも立ち止まることのない人の波の中で、久保田は一人足を止めると、立ちはだかるように目前に立つ時任を見下ろして、悠然と煙を吐き出し、くすりと笑んでそれに返した。




「見てるじゃない?」




「え…?」
険しかった時任の瞳が、ふと訊ねるようなそれになる。
久保田の瞳が、眼鏡の向こうでフッ…と細められた。
「て、いうかさ」




「お前しか、見てないけど。俺」




その言葉に、時任の顔が一瞬にして、"かぁああっ!"と耳と首元まで真っ赤に染まった。
「なななな、何言って…!」
「だって、お前がさ」
「こっ、こっ恥ずかしい事、マジな顔で言うなっ!! しかも公衆の面前でっ!!!」
「いやぁ、お前の台詞の方が、俺はずっと恥ずかしいと思うけど」
「なっ何、馬鹿言って…!」
「だってさー」
「うるせえ黙れっ! もういいっ!!」
まだ何か言おうとする久保田からくるりと背を向け、まるで逃げるように、ズンズンと早足で時任が歩き出す。
そんな時任に笑みを漏らすと、久保田もまたゆっくりとその背を追って歩き出した。
もう振り返ることもなく。




いや、最初から。
本当は、
それほど、どうでもよかったのだけど。




前を行く時任の赤く染まった項を見ながら、久保田が愉しそうに笑みを漏らし、追いついて隣に並ぶ。
「ていうか、時任さー」
「なんだよッ」
「もしかして。何か、誤解してない?」
「な、何が」
ちょっとぎくりとした顔で見上げてくる時任に、短くなったセッタを携帯灰皿に揉み消しながら久保田が言う。
「確かに、昔お世話になったけどね。そのお姉さん」
「……あぁ」
「小金借りただけだから」
「……は?」
意味わかんね。と言いたげな顔を見下ろして、パチンと灰皿を閉じると、久保田がそれをポケットに戻す。
「借りて、返そうと思った矢先に、客の男に追い掛けられて失踪しちゃってさ。返すに返せなくて困ってたんだよねー。まぁ、借りたのも3000円くらいだったから、向こうももう覚えてもないかもしれないけどさ。やっぱ、そのままってのも気持ち悪いじゃない」
「……はぁ」
「あ。一応、断っておくけど。お金以外では、お世話になったりしてないから」
「金…以外って」


「下半身関係」


「〜〜〜〜っ!!」
意味不明・解読不可能な怒号を発して、頭から湯気が出そうな真っ赤っかの憤怒した顔で、時任が再びさらにさらに大股で歩き出す。
今度はもう追いついてくるな!と、そんな勢いで。

無論そんなことでは、久保田はちっとも懲りなかったけれど。


「ところでさー、時任」
「なんだよっ!」
「家帰ったら、もう一回聞きたいんだけど」
「何がッ」
「さっきの、さ」
「さっきのって」
「お前、言ってくれたじゃない。"俺だけ見てろ"って、アレ」
「ぁあ!?」
「いやぁ、感動したなぁ、俺ー」
「はぁぁあ!?」
「だからさ、今度はぜひベッドで…」


「だ〜〜れ〜〜が言うか〜〜っ!!! もぉ一生、絶対、言わねえかんな――!!!」



街角で声も高らかに大宣言され。
久保田が、”あれ?何か俺、失敗しちゃった?”と、すっとぼけて肩を竦める。
それでもなぜか満足げに、ひどく満足げに、目を細めてほくそ笑んだ。
日曜の昼の街。



「それは、残念」








END

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
は、恥ずかしい…(照) いや、時任くんより久保ちゃんが(笑)
でも、書いてて、すごくすごく楽しかったです!!! …恥ずかしかったケド。


←novel