キミがいる世界 |
「おーい、久保ちゃん。燃えるゴミって、これだけだったかぁ?」 玄関でゴミの袋を纏めている時任が、キッチンにいる久保田に呼びかけた。 「んー。そうじゃなかったかな」 曖昧な返事に、それでも、おっしゃそうかと気合いの入った声が玄関から返ってくる。 台所を片した後の手を拭き、ソファに腰を下ろして煙草に火をつける久保田の目が、ふと開け放ったリビングの扉から、玄関でゴミ袋と格闘している時任を見ると、思わずといった風に細められた。 どうしてそうなのかは知らないが、これは俺の仕事とばかりに、ゴミの回収日になるとやたら張り切る時任が、久保田には実に微笑ましい。 そういえば、いつの頃からか、これは彼の仕事になっている。 いつからだったろう? よくは思い出せないが。 他の家事一切は、全て久保田まかせなのだというのに。 というより、「代わりばんこね」と一応取り決めしても、ゲームの勝負で決めようぜだの何だの言った挙げ句、勝負の結果に不貞腐れて、結局久保田がやってる。とそういうパターンが定着してきた気がしないでもない。 まあ、別にいいんだけど。 別に、こちらとて家事が好きなわけではないが。 ゲームに負けてむくれる時任を見るのは、ちょっと好きかもしれない。 久保田が指先で眼鏡を持ち上げ、さらに目を細める。 甘いね、俺も…。 それでも、そんな時任が、ゴミ出しだけは自分から進んでやる。 なぜだろう。 そもそも自分が一人で生活していた頃は、はっきり言ってそんなものはどうでもよくて。 このゴミは何曜日に回収されるとか分別がどうだとか、そんな決め事があることさえよく知らなかったし、気にとめたことすらなかった。 ――どうでもよかったのだ。あの頃は。 たぶん、そのことだけじゃなく、もっと何もかもが。 「あ゛〜っ、久保ちゃん! お前、またビールの空き缶まで、生ゴミに一緒に入れちまってるじゃねえかよお!」 「あらら、そうだった?」 「そうだった?じゃねえって! ったく、しょーがねえなあ、くぼちゃんはよー」 「はいはい、すまないね」 「気ぃつけろよな!」 「以後、気をつけまーす」 「とかなんとか言って、いっつも俺様が…」 「――ん? なんだよ」 玄関に来た久保田にしげしげと見下ろされて、時任が少しけげんそうな顔でそれを見上げる。 「いや、いつもご苦労さま」 「はぁ?」 にこりとされて、さらにはいきなり労われ、時任が困惑したように眉を上げる。 「んだよ、別に! いつものことじゃんかよー」 乱暴な口調とは裏腹の、照れたような表情に久保田がついほくそ笑む。 「さーってと! ゴミ出してくっか」 「お手伝いしましょ」 「お、珍しいじゃん。くぼちゃんがゴミ出しなんてよ」 「下まで行くついでに、セブンにちょっとね」 「なーんだよ、俺の手伝いは"ついで"かよ」 「そうでなくて」 「んー?」 「ついでなのは、コンビ二だってば」 「は?」 「お前のことがねぇ。俺にとって、"ついで"なワケないっしょ?」 「…えっ」 久保田はあっさりそういうと、思わずその場でぽかん…と口を開いたまま固まる時任を、「行くよ、時任ー」と肩を促して玄関の扉を開く。 「ほら、1つ貸しなさいって」 「え? ああ」 ゴミ袋を時任の手から1つ取り、久保田が外に出て時任を待ち、鍵を閉めてそれをズボンのポケットに入れる。 久保田がおもむろに先に立って歩き出し、まだぽけっとしていた時任が慌ててそれを小走りに追いかけた。 隣に並ぶなり、呟くように小声で言う。 「あ、あのよ」 「んー?」 「なんか、久保ちゃん」 「なーに?」 「さっきの…」 「さっきのって?」 「さっきの、俺、なんか、スゲー嬉しかったっていうか…」 久保田の腕に額をぶつけるようにして、時任がぼそぼそと俯いて言う。 久保田の眼鏡の奥が、細められ和らぐ。 「…そう?」 「…ん」 それを見下ろして、何か久保田が言おうとする前に、照れ臭い雰囲気に耐えられなくなったのか、時任が突然大股の早足になり、久保田を抜かして数歩前に出る。 歩きながら、まだ赤らめた顔を上げて振り返った時任の声は、やたらと無駄に大きかった。 そして、話題はすっかりすり代えられていた。 「そっれにしてもさぁ!」 「うん?」 「一緒に住み出した頃の久保ちゃんの部屋ってさー。すっげえ汚かったよな」 「…そうだっけ?」 「そうだって! ゴミ、部屋のあちこちに散乱しててよー。生ゴミも燃えねぇゴミも全部いっしょくたでよー」 「ふぅん」 「"ったく、しょうがねえなー。俺様が何とかしてやらねぇと!"って、そう思ったもんだぜ」 時任の物言いに、久保田がふと立ち止まる。 そして、ゴミ袋を見下ろすと、さも納得したというような顔をした。 「あー、なるほど」 「は? 何がなるほどなんだよ」 急に立ち止まった久保田に、時任がなんだという顔で振り返る。 それに笑みを返し、久保田が再び歩き出した。 そして、時任の横に並ぶなり、ぽんとその頭に手を置く。 「いや、何でもないけど」 「あー? んじゃ、なんで急に頭さわるんだよ」 「いやぁ、頼りになるなあと思って。お前」 「はあ!?」 隣で"ワケわかんねぇ"とブツブツ言う時任を後目に、「ほら、早くしないと、ゴミの収集車行っちゃうよ?」と、久保田がその肩を促す。 なるほどねー。 つまり、 その名残ってワケ、ですか――。 思い、やっと知った理由について、心でこっそり笑みを漏らした。 時任が、ゴミ出しだけはとこだわる理由。 彼はたぶん、最初に”そこ”に自分の居る理由を見つけたのだろう。 自分が此処に、この傍らにいていい理由。 別にそんなものは、久保田にとっては何一つ必要なかったのだが。 "理由"なんてものは。 ただ、そこに居てくれればいいんだと、それだけで――。 だけど。 自分にとってもまた。 ”これ”はいつのまにか、"どうでもよくない"ことになっている。 時任がそのことに、此処に居る理由を見い出したその時から。 「何、にやついてんだよ! 気色ワリィぞ、久保ちゃん!」 「別になんでも」 「ったくー! おら、早く行こうぜ」 「はいはい」 そして、たぶん。 ――たぶん、そのことだけじゃなく、何もかもが。 どうでもよくないことに変わったのだ。あの時から。 彼のいる、この世界で。 END ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時任って意外にもマメ…というのを知って、そういや「ゴミの収集日はカンペキ」って書いてあったなあと思い立ち、こういうお話になりました。 自分で書いておいて言うのも何ですが…。なんだか思いきり惚気られたような気分です…(笑) |