春よ、こい



小一時間が過ぎて、僅かばかり太陽の位置がずれ、ちょうど陰になっていた銀次の顔の上にも木漏れ日が差し込む。
眩しそうに眉を寄せるのを見て、蛮が横たわったまま、片手に持っていた雑誌でそれを遮ってやる。
再び出来た日陰にほっとしたように、銀次の顔の緊張が解け、またすぐに規則正しい寝息がこぼれた。


まったく。
寝てても手のかかる野郎だぜ、と蛮が思わず笑みを漏らす。


雑誌の方はこの位置では大層読み難いが、まあ、そんなに熱心に活字を追っていたわけでもないし気にはならない。
それより、いつのまにか腹の上に乗り上げてきた銀次の頭が、まあ何というか…。
くすぐったいような、照れくさいような、何ともいえない心地よい重さで。



結局、犬をつれた少年が走り去った後も、そんなわけで、蛮は一睡も出来ていない。
睡魔は、この気候でこのシチュエーションだから、当然のように襲ってきたが、この贅沢な時間に眠りに落ちてしまうのは、何か少々勿体無い気もして。
つい先ほどまでは、上体を蛮の足元に向けて丸めて眠っていたため、その表情は蛮からは見ることは出来なかったのだが。
それでも雑誌を片手に、金色の後頭部をぼんやりと(たぶんほくそ笑みながら)眺めて過ごした。


まったくなあ。
何やってんだか、オレはよ。


思いつつ、その伸びきった金の猫毛に指を潜り込ませ、起こさない程度にくしゃくしゃと掻き混ぜる。
やさしい風に時折揺らされる金の髪の上で光が弾け、身じろぐ銀次の肩が1つ、ふう…っと大きく呼吸した。


「う……ん」


同時に声が漏れて、全身が猫のようなしなやかさでうーんと伸びるのと同時に、頭が蛮の腹からずり落ちる。

「お…っと」

それを左の手の平で受け止めて、芝生の上にそっと下ろした。
ダイレクトに日の光が、銀次の顔に差し込んでくる。
瞼がぴくっと動いた。
それを自身の身体を傾け、覆い被さるようにして再び遮る。


甘えぞ、美堂蛮。
もう、そろそろ起こしたっていいだろうが。


心中で思いきり苦笑し自分に言い聞かせ、少し先ほどよりも冷たくなってきた風を理由に、眠りの浅くなってきた銀次の頬を指先で軽く叩いた。


「こら、そろそろ起きやがれ。風邪ひくぜー。ぎーんじ」


甘く呼んで、喉元をくすぐるように撫でる。

「ん…」

肩がぴくっと窄んで、目が閉じたままぎゅっとさらに瞑られる。
顎に指を添えた状態で、親指の腹で唇をなぞると、一瞬にしてその口元が綻んで小さな笑みが浮かんだ。
起きている時も、あの大きな瞳と甘えを含んだ話し方のせいで、大概年齢より下に見られる銀次だが、無防備な寝顔はさらにベビーフェイスだ。

そして、こんな顔を見られるのは、まさしく蛮の特権と言っていい。

片手の平に頬を包んで、もう一度指先で唇をなぞると、強請るように銀次の唇が薄く開く。
蛮が、低く笑いを漏らした。
銀次の顎に手を添え、少し上げさせて、ゆっくりと、静かに、唇を寄せる。
微かに、確かめるように、やわらかな感触で唇が触れ…。
それから、しっとりと合わされた。


「ば…んちゃ…ん」


条件反射のように蛮の首に銀次の両の腕が絡みつき、うっとりと琥珀が睫の下から覗いて、笑みを浮かべたまま蛮を見上げた。

「起きたかよ? 寝ボスケ」


笑みを含んだ低音が、寝起きの耳にひどく心地よかった。




心地よい眠りからゆったりと覚醒すると、目の前にはまだ夢のつづきのように、やさしい瞳があって。
それが嬉しくて、無意識に銀次が微笑む。
蛮の身体が心持ち離されると、その首に絡みついていた銀次の両の手が、ゆるやかにその肩の辺りから緑の上へと、ぱさりと滑り落ちた。
上体を覆い被せるようにしている蛮の肩口から、銀次の頬に陽の光が差し込む。
思わず眩しそうに目を細めて手で遮ると、それを助けるように、再び口づけがその唇に降りてきて、銀次の上に陰をつくった。
視界が蛮で覆われ、薄く開いた唇にしっとりと口づけられると、再び銀次の意識は、夢の中に戻っていきそうになる。
渇いた口中が蛮の舌で湿らされ、まろやかに銀次の舌と合わされると、それはもう銀次にとっては夢見心地に甘い感覚で。


「こーら」
「……ん」
「また寝てどーすんだよ」
「…んぅ」
「ぎーんじ」
「……う……ん」


耳元で低く名を呼ぶ声が、殊更に銀次を安心させて、呼吸がさらにゆるやかになる。
蛮がそれを見てとると、困ったように笑んだ。