■ STAIRWAY 0.5



地に突きささるコンクリートの塊の上に腰掛け、ビルの谷間に沈みゆく夕陽を見つめる。
眼の前に転がる瓦礫の山に、夕陽の赤が、血の痕のように映り込んでいた。
それに無感情に視線を投げ、また夕陽を見る。
その薄茶の瞳は、どこか虚ろげだった。


この胸の奥に、まだ、あの「命」を掴み取られたような、そんな感触が残っているのに。
胸の奥の綻びに、無遠慮に手を突っ込まれて、
ボロ布のように、縫い目ごと、その手に引き裂かれでもしたような。


きりりとした鋭い痛みと、疼くような深さのある痛みと。


だが――
痛みだけを残して、あの男はいなくなった。



「あれ」は、本当にあった事ではなかったのか?
幻でも見ていたのか。
現実味のない、この浮遊感は何なのか。
胸の奥に疼くような痛みは確かにあるのに、あの闘いの痕跡さえ見当たらないのはどうしてだ。
それでも、近くに隣立するビルの腹には、自分が放ったであろうプラズマによる、えぐられたような痕がある。
だが。
どういうわけだろう。
こんなものではなかったはずだ。
エネルギーの大放出をしたはずなのだ。
たぶん、かつてないくらいの。
無限城も消し飛んでしまえ、と、あの時確かに自分はそう思った。


あの男ともども。


すべて消し去れと。


もう、心さえなくしていい。
心あるものに、もう戻れなくてもいい。
この化け物の姿をしたまま、戦闘本能のカタマリとなったまま、すべて消してしまえれば。
この城も、この世界も、何もかも。


そうすれば、もう、闘わなくていい。



もう、雨も降らない。
心の中に、冷たく降り続けることもない。






消えてしまえ。
何もかも。







意識が真っ白になり、その瞬間、
カッと、すさまじい閃光が空を裂いて、大爆発が起きた。



目の前にあった、世界の全てが。
白一色になった。








終わった。




終わったんだ。全部。






真っ白な世界の中で、糸が切れた人形のようにガクリと膝を折る。
終わった。
本当に、これで、何もかも。
もう、オレは、誰も守らなくていい。
何も守ることもない。
ただ、1人のオレとして、
ただ、1人の、人間として、
死んでいける。
やっと。


やっと、解放されるんだ・・・・。





龍華・・・。

やっと、君のもとに、いけるよ・・・。






















「いいのかよ?」






「テメエは、それでいいのかよ・・?」



「それが、テメエの、本当に望んだことなのか・・?」



顔を上げると、少し離れた場所に、あの男が立っていた。
白い世界の中で、ズボンに両手を突っ込んだまま、
見下ろすように、オレの前にいた。


さっきまで、真の意味での死闘を繰り広げていた相手だというのに、
ひどく懐かしいのは、どうしてだろう。
見たものを凍えさせるような蒼く冷たい瞳が、今は、静かにオレを映していた。


「あんた・・・は」


なぜ、ここにいる?
世界がふきとんだというのに、なぜ、ここにいる・・?


問いかけると、可笑しそうに、男は口の端を持ち上げた。


「テメーだって、ここにいるじゃねえか?」


ここに。
オレも?
けど、オレは死んだはずだ。
そう、望んだ。
全部、消し去れと。
全部、消えてしまえ・・と。
いや、
ちがう。
消えてほしかったのは、世界じゃなく、
オレだけでよかった。
オレは、オレを消したかったんだ。


自分の存在を「無」にしてしまいたかった。


「無」にして、それから。


それから・・・・?


それから、どうしようと言うのだろう。
終わってしまえと思ったはずなのに、
それから、というのは、
いったい、何を意味するのか・・・?


望み・・?
それから、オレはどうしたかった・・?
オレは、ただ1人のオレとして・・・・。




     「生きたかった」、のか・・?





まるで、その「答」を知っていたかのように、男は微かに笑んだ。



何かがふいに、
自分の中で、小さくはじけた。


男は、指先でサングラスをひょいと直すと、オレから背を向けて、ゆっくりと歩き出した。
吸い込まれていくように、白い靄の中に姿がかき消されていく。


「あ、あんた・・・!」

男が、振り返る。

「あんたは、誰、だ・・・!」

美堂、蛮。


唇は確かに動かさなかったのに、心の中に直接、どん・・・と拳で打つように、その名が響いてきた。


みどう、ばん・・・?


「お、オレは・・・ オレは」


オレは、『雷帝』
このロウアータウンを、支配する・・・・・



「銀次」



「え・・っ?」
「銀次、ってんだろ、テメエの名前」
「え・・・ ああ」
「さっき、テメエの仲間がそう呼んでた」
「あ、ああ」

名前を知られていたことに心底驚いて、思わず立ち上がると、男が少し目を細めて言った。



「トッポイ名前だぜ・・」


目の錯覚かと思った。
しかし、確かに、それはオレの錯覚なんかじゃなく。


その冷たい目が、確かに、笑ったんだ。
オレを見て。
笑ったんだ・・。
















「銀次」
背後から声をかけられ、はっとなる。
「士度、か」
振り返って、長身の男の顔を見上げ、また視線を前に戻す。
「あの男なら、もう無限城から出たみてえだぜ。こいつらに探らせたが、な」
肩に上ってきた鼠を手に取り、耳元に寄せて士度が言う。
「そうか・・」
「もう、これで心配はねえな」
「・・・ああ、そうだね」
「念のため、無限城の周辺も調べておくが」
「いや、いい。手を煩わせたね、士度」
「俺は構わねえが・・」
「休んでくれ。ありがとう」
「銀次・・」
話がすんだと同時に向けられた銀次の背中に、士度が言い様のない「何か」を感じ、立ち去らずにそれを見つめる。
「・・・・士度?」
「あ、いや」
「まだ、何か?」
「いや、傷は、大丈夫なのかと思ってよ」
「ああ・・」
あの男との闘いで肉をえぐりとるように掴まれた肩も、わき腹も、傷痕一つ残ってはいない。
それをひどく淋しそうな顔で見つめ、銀次はフッと静かに微笑んだ。
「ああ、大丈夫だ。無限城の外ならば、今頃生きてはいないだろうけどね」
ただの肉塊にされていただろう。
あの毒蛇の牙に。
血と肉と骨と、全部ばらばらにされて。
無限城の中では、傷はよほど深いものでもなければ、身体にそう幾日も残ることはない。
ここにいる間は、よほどの致命傷でもない限り、死はあまりに遠い。
回復能力に優れている『雷帝』である自分ならば、尚のこと。

「士度・・」
「・・? どうした?」
「オレは、あの男と闘っている間の記憶が、ほとんどないんだ」
「え・・?」
「確かに、あの男と拳を交えて、文字通り、死闘を繰り広げたと・・。その記憶はある。何がなんでも倒さなければとそう思い、すべてのエネルギーを使って雷撃を放った。それと、あの右腕に肩の肉を喰われたことも覚えている」
「ああ・・」
壮絶な闘いだった。
士度が、険しい顔になる。
あんな銀次、いやあれはもう『雷帝』だったのか。
初めて見た。
すべての力を出し切って、自分の持てるだけのエネルギーのすべてを、あの男にたたきつけようとしていた。
何をあんなに、必死になるのか。
と、そう思った。
そこまでの相手だったのか、それほど強いと見切ったのか。
最初から、力の加減もせずに、全力で闘おうとしていた。
確かに、凄腕が集結しているといわれるVOLTSのコアメンバーの中でも、あの男に立ち向かえる輩など、そうはいないだろうと思ったが。
いや、それどころかベルトラインの連中でさえ、力でこそ勝ったとしても、あの殺気と闘争本能を上まるとはとても思えない。
それほどの相手だったことは、確かだ。
だが。
それも、迎え撃つのが、ただの『人』であればこそだ。
ここでは『雷帝』は文字通り、無敵なのだ。
どんな輩であろうと、この無限城の中で、『雷帝』に適うものはいない。
そして、闘いは予想通り『雷帝』に優位に運んでいた。
誰もが、その勝利を信じて疑わなかった。
よそ者のネズミめ、『雷帝』の力を思い知るがいい。
そして、この無限城に足を踏み入れたことを後悔するがいい。
そう思っていた。
だが。
そんな状況にも関わらず、銀次は、必死だった。
誰をも寄せ付けないほど、あの男の他は何も見えていないほどに。
渇いた地に、ビルの壁に、銀次の身体から飛び散ったおびただしい血飛沫が色をつけ、銀次の放ったプラズマが男の身体を灼きながら、ロウアータウンの至る所をえぐりとった。
その動きは速すぎて、闘い慣れた者でなければ、何が起こっているかわからなかったろう。
俺のケモノの眼でさえも、動きに追いつくのがやっとだった。

ぞっとするような寒さを思い出して、士度が僅かに眼を伏せる。
少しでも近づけば、その熱と見えない刃に溶かされ刻まれる。
それほど、壮絶な闘いだった。
「俺たちは・・・ お前らが闘っている間、近づくことも出来ねえで、ただ身を隠しながら、それを見守るだけで精一杯だった。どのくらい経ったか、やっとそれが鎮まった時には、この瓦礫の中にお前が1人膝をついて蹲っていただけで、あの男の姿は、もうなかった」
「・・・・そうか」
誰の目にも、記憶にも残らない、あの闘いの果てに見た、「あれ」はいったい何だったのだろう。
「銀次・・」
呼ぶ声すら聞こえていないような、その遠い瞳に士度がもう一度声をかける。
「銀次」
ゆっくりと薄茶の瞳が動き、それでも士度をとらえる寸前で、それは反らされるようにまた前に戻された。
「いろいろ、すまなかった」
「何だ、いきなり」
「迷惑をかけた」
「・・・どうしたんだよ」
「いや、何でもない」
「VOLTSのリーダーが、そんなシケたツラしてちゃ、下のヤツらに示しがつかないぜ?」
士度の言葉に同意するように、3つの影が、夕陽に紅く染まる瓦礫の中を歩み寄ってくる。
「どうかしたんですか? 銀次さん」
「・・・いや」
「心配なんかいらないよ。僕たちがついてる。そして、銀次さんは、この無限城の皇帝。無敵の存在なんだから」
「僕たちは、いつでもあなたと一緒ですよ・・」


無敵・・・か。


銀次は、ゆっくりと、また夕陽に視線を送った。
少し淋しげな、何か決意を秘めたような、そんな眼差しで――










心の奥が痛い。
灼けるように、痛んでいる。
ちりちりと灼けて、苦しくて、引きちぎれそうに痛いんだ。
あれから、ずっと。



想いが溢れ出そうとしているのに、
そこには出口がなく、
八方ふさがりで行き場がない。
だから、溢れて楽になることも出来ず、
無惨に膨れ上がっていくばかりだ。


この胸の中で。


こういう時。
人は、涙を流して楽になるのだろうか・・?
それができれば、少しは楽になれるのだろうか・・・。


だけど。


凍てついたこんな瞳では、
涙すらも、凍りついて、
流すことなどできはしない。


第一、
『悪魔』と呼ばれたオレに、
そんなものは必要ないから。


『無敵』の
『雷帝』
『悪魔』の
化身。



それが、オレの本当の姿だから ――











それで、いいのか?


それが、テメエの望んだことか・・・?




あの男の声が、頭の中に響く。




だったら。


だったら、
教えてくれ・・!


オレは、どうすればいい?
オレは、どこに行けばいい?


オレは、
オレは・・・・。







あんたに会いたい。





もう一度だけで、いいから。

あんたに、会いたい・・・よ。







会いたい、
会いたい、
会いたいよ・・・。


















『なら・・・ 来りゃあいい。 
もしも、オレのこの声が、お前に聞こえるのなら――』








END