「純愛ロジック」より抜粋



「どうした? 疲れたか?」

黙ってしまった銀次に、蛮が少々心配げに訊いた。
元々お喋りな方ではないが、ずっと黙りこくっている事も少ない。
最近では、ぽつりぽつりのスローテンポではあるけれど、これでもよく話してくれるようになったのだ。

だから口数が少ないと、つい体調面が気になり出す。
無限城の内と外での環境差は、未だ銀次に体調の万全を許してはいない。

「うん…。ちょっと」
「どこかで休むか? 坐りてえか」
「ううん、大丈夫。――あ」
「ん?」

蛮に心配をかけないようにと顔を上げて笑んだ琥珀が、雑貨屋の露天の店の前で、蛮の顔からちらりと右にずれた。
蛮がいぶかしむように、そちらを見る。
どうした?と問いかける前に、銀次が吸い寄せられるようにそちらに向かって歩き出す。
「おい?」
手を繋いだままだったため、蛮もまた引っ張られるようにして、必然的に銀次についていく羽目になる。
そして店の前まで行くと、テーブルの上に敷き詰められている布の上に、きれいに並べられているアクセサリー類を見つめ、銀次が目を輝かせた。
まさか、こういうのが好きなのか?と、蛮が内心で意外さに首を捻る。
銀次がその中に、歩きながらでも目に入ったその大きめの石の指輪をそっと手に取った。
深い紫色の石が、陽の光に妖艶に輝いて見えた。

「…きれいだ」

「よぉ、兄ちゃん! お目が高いねえ。そりゃあ、紫水晶だぜ」
雑貨屋の若い男が、軽い口調で言う。蛮が、銀次の後ろからそれを覗き込み、舌を打った。
「ケ! んないいモンかよ、これが。ただの紫のガラス玉じゃねぇか」
「あぁ!? ガラス玉たぁ、言い掛かりだぜアンチャン! こりゃあ、正真正面ホンモノのアメジスト…。って! うわああ! みみみみ美堂さん!?」
「よお。イカサマ宝石屋」
「ごごごご無事だったんで!」
「あ? また妙な噂か?」
「あ〜〜〜いや、何でも!」
「しらばっくれるな。言え」
「ははははいっ! い、いや何でも噂じゃあ、『邪眼の男・美堂蛮が! あの"無限城の雷帝"と、なんと手に手をとって国外逃亡、まさに愛の逃避行……なんちゃってv』―と…!」
「ぁあ!?」
「い、いえ、オレが言ってんじゃないですっ! う、噂が、噂がっ」
いきなり伸びてきた蛮の手に胸ぐらをぐいと掴まれて、雑貨屋の若い男は、ひいいぃぃ!と悲鳴を上げて必死で喚いた。


しかし、まあ。
これはさすがに、"当たらずといえども遠からず"―と
言えなくもねえ。
愛の逃避行は余計だが。
そういや、あの夜ボコボコにした情報屋。
ヤロウの仲間か、この妙なデマの出処は――。


蛮が忌々しげに舌打って、がたがた震えている雑貨屋の男を放り出す。
「ったく! どいつもこいつも…! オラ行くぞ、銀次」
言って、不機嫌に大股に店を離れかけ、ついてこない銀次に気づくと眉間に皺を刻んで振り返る。
同じく、店先に佇んだまま振り返っている琥珀の瞳と視線が合った。
「あ、あの…」
「何だよ」
「これ」
告げて、ちらりと先ほどの指輪を見る。
蛮の内心が、特大の派手な溜息を落とした。
まったく。いい加減にしろやと自分に言い聞かせつつも、それに抗うように足が勝手に銀次の隣に戻っていく。
「そいつが気に入ったのか?」
どうも銀次に話しかける時だけは、なぜか人が変わったようなやさしげな声音になっているような気がする…と、最近になって蛮が自身について思う。
いや、それはたぶん気のせいではなく、紛れもない事実なんだろう。
その証拠に、雑貨屋は目をまん丸くして呆然と、蛮と銀次を見比べている。
ある意味、畏怖をこめて。
一番気づいていない当の本人が、蛮を見つめて無邪気に答えた。
「―うん、これ。紫がとてもきれいで」
「欲しいか?」
「…駄目、かな」
「…お前にそういう風に強請られて、俺が駄目とか言えると思うか」
「え、と」
琥珀がきょとんとする。


本気で気づいてやがらねぇな、コイツ。
やれやれ、鈍いというか、スレてねえというか…。
やや拍子抜けしたように、蛮が思う。
もっとも、相手がそこで驕るような人間なら、自分はこんな声でこんな内容の台詞を吐く道理もないのだが。


「そいつがいいのか?」
「うん!」
「コッチのとか、もう少し細身の方がテメェの指には似合うと思うがな」
「うん、でも」
「石があるやつの方がいいのか?」
「うん、紫が良い」
「しかしまぁ、でけえ石だな。野郎がはめるにゃ、こっちの小さい石の方が、シンプルなデザインでいいんじゃねえか」
「でも…。これがいい」
「わかった」
最後の了承は笑いを含んだ。
そうだ。コイツは相当頑固者だった。
鍵の件で思い知った筈だぞ、と自身に言い聞かせる。
きっと、コレがいいとなったら、何が何でもそうなんだろう。
「おい、イカサマ。これを貰うぜ」


そして、そうでもなかったら。
彼処での名も仲間も全て捨てて、自分を追って、一人無限城など出てくるか。


「ほらよ」
指輪を銀次の手の上に落とし、財布からぞんざいに取り出した紙幣を数えもせずに、雑貨屋の前に放り投げる。
「ええええッ、こ、こ、こんなにいただけるんで!?」
「あぁ。コイツが気に入ったらしいからよ」
「うわあああ、あ、あ、ありがとうございますっ!!」
狂喜しているその店主に軽く会釈して、銀次が共に店を離れ、蛮を見る。
「ありがとう、蛮ちゃん」
その瞳は"もう嬉しくて嬉しくて"と、そんな風にとろけそうに笑んで。
散財にも関わらず、蛮を"良い買い物をした"という気にさせる。
「おうよ、落とすんじゃねえぞ」


この界隈でも、実は蛮の散財癖は有名だ。
だいたいが賭事に注ぎ込むが、こんな風に自分の気に入った品には惜しげもなく、売値の数倍。時には数十倍の金を払う。
(そんなわけで、金が貯まる暇がないのだ)
もちろんさっきの古着屋相手のように、踏み倒すこともザラだが。
その辺はどこかで、本人も気づかぬ所でバランスが取れているらしい。
そして結果として、蛮はこの市場では上客扱いされている。



「へえ。蛮が誰かに指輪買うとこなんて、初めて見た」



ふいに背中から掛けられた女の声に、先に振り返ったのは銀次の方だった。