「DeepBlack 3」
      







お前を失ってから、はじめての夏が近づいた頃。
俺は、一人で再び『奪還屋』の看板を掲げた。

それが、お前に繋がる、
最後に残された、唯一の手掛かりだと。
そう信じて。




引き受けた仕事は、
内容の割にやたらとギャラが良くて。
俺は、それを持て余した。


一人で旨いモンを食ったところで、
腹も気持ちも満たされず。
それどころか、その頃にはもう、
食うことさえ億劫になっていた。


酒を飲んだところで、泥水のようで。
煙草やコーヒーさえ、もはや何の味も感じなくなった。


生きるためのすべてが面倒で。
だが、皮肉なことに金は溜まる一方で。
それももう、どうでもよく。


根こそぎギャンブルに注ぎ込めば。
なんと、信じられねぇほどのボロ儲け。
それを、今度はパチンコに注ぎ込めば、
この台イカれてんじゃねえの、というほど当たりが来る。








テメエなあ。



もしかして。
マジで、テメエが貧乏神だったんじゃねえの?





胸の中で呟けば、
『そ、そんなことないよっ! 俺のせいじゃないもんっ!』
などと。
ムキになって言い返してくる、
必死の顔が目に浮かんで。


常時痛んだままの心臓の辺りが、
殊更きりきりと強く痛んだ。







山のように出た玉の箱を幾つも積み上げ、
金に代えるでもなく。
景品交換のネェちゃんが唖然とするほどの
大量のチョコに代えてスバルに戻る。


そこで待っている筈のお前に。
チョコで一杯のでかい袋を手渡し。
はしゃいで喜ぶお前の顔に、笑みを返す。


一度に食うなよ。
腹、壊すぞ。
だから、がっつくなって。
あぁ、口の回り、チョコだらけじゃねえか。
髭オヤジみてえだぞ。


そんな俺の声に、
お前が声をたてて楽しげに笑う。







だが。
その声も。
今は、闇に溶けて。






気付けば。
真っ黒に沈むサイドシートに、お前の姿はなく。
からっぽで。


探しても、どこを探しても。
お前の姿はどこにもなく。


俺は、大量のチョコの甘い匂いに胸やけしながら、
煙草を咥え、雲にけぶる月を見上げた。



胸の中は、ただ、からっぽで。
吹きさらしの胸の空洞を、
突き抜けるように風が逝く。





銀次…。














なあ、銀次…。

今、お前は何処にいる…?







帰って来い。
俺は、此処だ。
此処に居る。
隣を空けて、ずっと待ってる。



銀次。
声を聞かせろ。
もう一度。
俺を呼べよ。





それが無理なら、せめて。
お前が横たわる深淵の底に、俺を導け。






そして。
せめて、その傍らに、
俺の屍を埋めて眠れ――。




























.............................DeepBlack3




「…まあ、でもよかった」
「あん?」
枕を腹の上に置き、にっこりと言う銀次に、蛮が煙草に火を点けながらそれを振り返る。
「よかった。蛮ちゃんが無事で」
しみじみと重ねられた言葉に瞠目する。紫煙が上がった。
「銀次…」
「無事に帰ってきてくれて、本当に良かった…」
"帰って"…?
温かな響きに、蛮が煙を吐き出しながら、目を細める。
ベッドの端に腰掛ける蛮の肩に、銀次が静かに頭をもたげてくる。
微笑む横顔は、また少し涙ぐんでいる。

喪失の恐怖を、もしや再び味合わせたのだろうか?
あの無限城の頂で。
血まみれの自分の身体を膝の上に抱き締め、失う恐ろしさにがたがた震えていた銀次を思い出す。
瞬きも忘れて、大きく見開いたままの琥珀。
あとからあとから、そこを溢れてくる大粒の涙。
思い出すたび、胸の奥が張り裂けそうに痛んだ。
2度と、あんな目には遭わせるまいと思っていたが。

砂を噛むような苦い想いに、蛮の青灰と紫紺が同時に陰る。
それを知ってか知らずか、銀次が甘えるように身を擦り寄せ、蛮を呼んだ。
「蛮ちゃん…」
「ん…?」
「蛮ちゃんの匂いがする」
呟いて、鼻先を蛮のシャツにこすり付けてくる。
子犬のようなしぐさが可愛い。
「銀次…」
やさしく呼び返して髪を撫で、頬に、額に唇を寄せる。
背中から回した腕で肩を抱き寄せ、啄むように口付ければ、くすぐったかったのか、くすくすと小さな声をたてて笑みがこぼれた。…愛おしい。
肩を掌で包んで、尚も唇を塞ごうと顔を近づけた途端。
タイミング悪く、蛮のポケットの中で携帯が震動した。
「蛮ちゃん、電話…」
「知るか」
「え、でも」
いいからというように、唇が塞がれる。
「ん……。あ、でも」
「どうでもいいっての」
「でも…ん……」
「テメエからの電話じゃねえからな。ほっときゃいい」
「…蛮ちゃんてば……ん、ん。あ…でも」
「うるせえ」
「…まだ鳴ってるけど」
「…ったく」
さらにしつこく震動し続ける携帯に、銀次が困ったように身を離す。
「急ぎの用かも、しれないし」
「あぁ、しつけえな」
銀次の言葉に仕方なく携帯を開き、さらにその顔が不機嫌になる。
「お前、出ろ!」
「へ?」
「テメエが出ろ」
突然差し出されたそれに、銀次が驚いてそれを押し返す。
「ええ、なんで俺? っていうか、俺が出てもワカんないし!」
「いいって。どうせ、大した用じゃねえ」
「いや、そんなのわかんないじゃない!」
「だったら、それもお前が聞け。―ほれ」
「って! もうっ、蛮ちゃん!」
だけど、そんな抗議の間も、一度切れては鳴り続けるそれに、銀次が肩で息を落とし、渋々ながら携帯を受け取る。
電話の向こうで何やら激高している声に、"あの、すみません"とためらいがちに応じた。
「え、えと、俺…。えっ!? あ、はい、そうです、うん、銀次、です」
答えて、ちらりと蛮を見上げる。
目が"どうすんのっ?"と訊くが、蛮は構わず、ぷかりと煙草をふかしている。
どちらにせよ。電話の相手が聞きたい事も、銀次が無事かどうなのかということだけなのだろうし。
ならば、この方が手っ取り早い。
「蛮ちゃんは…。あの、ちょっと今、喫煙中で…。うん、電話、代わりに出ろって。ご、ごめんね。今、代わるから――。あ、でも…! うん、そう。うん、蛮ちゃんなら、元気だよ。怪我も……。うん、全然。そんなことないよ…! 俺? 俺も元気だけど? なんで、俺?  あ、そっか…。うん、そう。それならいいんだけど。……あ、えーっと。ふーちょーいんさん?」
"風鳥院さん"だぁ?
驚き、蛮が、ちらりと銀次を見る。
一瞬誰のことかと思いながら、蛮が肩を竦めて低く嗤う。
まあ、いい。
せいぜいたまげろ。絃巻きのヤツ。
俺もはじめは、"奪還屋さん"だの"美堂さん"、だったんだからよ。
長い息で煙を吐いて思い出しながら、しかし、「蛮ちゃん」と呼ばれるようになって、ほっとしている自分もどうだと可笑しくなる。
「え、あぁ、花月さんって言うんだっけ? 花月さんは平気? 怪我とかしてない? うん、うん、そっかぁ、よかった!」
すっかり馴染んでいる様子に面白くなさそうにしながらも、蛮がベッドを立ち上がり、窓際に立つ。
そこから見える風景をぼんやり眺め、煙をくゆらせる。
「え? "花月さん"じゃおかしい? うーん、でも…。え! そんな。会ったこともないのに呼び捨てなんて! あ、じゃあ、"カヅっちゃん"とかどう? あぁ、けど、ちゃん付けもやっぱり慣れ慣れしいかな。…え? そんなことない?」
話の流れを耳で捉え、蛮の顔が恐ろしいほどの顰めっ面になる。

慣れ慣れしいのは、テメエの方だ。絃巻きのヤロウ。
だいたい、"さん"から"ちゃん"付けまでのランクアップが、えれぇ早いじゃねえか。
俺にゃ、さんざん時間がかかりやがったくせに。銀次め。

スパスパと早いペースで煙を出して、蛮が睨むように銀次を見る。
まったく、柄にもなく仏心なんぞ出すもんじゃねえ。
そんなものは、あのオカマにゃ不要だったんだと、今更ながらに胸で思いきり悪態をつく。
「うん、わかった。じゃ、ぜひ今度会おうねー。蛮ちゃんに紹介してもらわなくちゃ。うん! あ、待って。今、蛮ちゃんに代わるね」
はいとにこやかに電話を手渡され、蛮が憮然としてそれを受け取る。
「いよぅ、絃巻き」
声は、完全に殺気立っていた。
「紹介料は高くつくぜ。覚えとけ」
ドスを効かせた声でそれだけ告げて切ろうとするが、電話の向こうもまた、"何を冗談言ってるんですかっ!"と再び激高している。
どうして連絡を寄越さないのかだの、卑弥呼さんが心配していただの、ぎゃんぎゃんと耳に喚かれ、蛮が顔を顰めて電話を顔から遠ざける。
「卑弥呼にゃ、ゆうべ連絡したぜ。あぁ、それと! ギャラの件はヘヴンにも言ったがよ。波児に渡しておいてくれ。…あぁ!? ツケの払いじゃねえ! ちっと手続きに金が要ってよ。立て替えさせちまったからよ。…あぁ? いや、テメエにゃ関係ねえ。こっちの話だ」
蛮の言い様に、銀次が"どうしてツケは払わないんだろう?"と、ちょっと不思議そうな顔になる。
と、扉の向こうで、コンコン!とノックの音がした。