■Heart beat
スバルは、夜の闇の中を疾走していた。
夜といっても、もう2時間もすれば夜明けがくる。
朝という方が、近いか。
思いながら蛮が、ハンドルを握る自分のその隣のシートで、高いびきをかいている相棒をじろりと睨む。
こんのヤロー。
ヒトにさんざん我が儘ほざきやがって、その挙げ句に高イビキたぁ、いい度胸だ。
目的地についたら、すっきりと目が覚めるように、とびきりキツーいスネークバイトでヤサシク起こしてやるかんな。
覚悟しとけよ、テメエ。
だいたい、なんでまたこんな夜中に、わざわざ海まで走らねーといけねんだ?
しかも冬の海だぜ、真冬!
何がしたいってんだ。まったく。
バカの考えることは、わからねえ。
それでも、唐突に、しかも夜も深まってから『今すぐ海を見に行こう!』と言い出した相棒の、我が儘を許している自分はいったいどーよ?と呆れずにはいられない。
ったく。
珍しくラジオなんか聞いてやがると思ったら、『コイビトと誕生日に夜明けの海に行って、抱き合って見た朝日のオレンジが、恋が終わった後もずっと脳裏に灼きついているのです・・』とかなんとか、曲のリクエストと一緒に送られてきたFAXが読まれるのを聞いた途端、『蛮ちゃん!オレも!』と言い出した。
あ゛あ゛!?
オメーの耳は、飾りでついてるだけなのかってんだ!
いいか、ちゃんと聞け。
こりゃあ、コイビト同士の話だろが!
オレも!じゃねえ。
何が嬉しくて、ヤローが二人して、夜明けの海を見なくちゃなんねーんだ?
それでも、いつもなら蛮が、『バカ野郎!何時だと思ってんだ! 寝言は寝てから言いやがれ!』と怒鳴りつけて終了のはずの銀次が、め
ずらしく『行きたい、行きたい、今からがいい、ねえ、これから行こうよー! 蛮ちゃん! ねえ、今日がいいんだってば! 今から行こうよ、ねえねえ!』と、ひたすら引かなかった。
こういう銀次は確かにめずらしいから、蛮も、まーいっか・・という気分になったのだ。
もともと頑固なところはあるが、そういう類の我が儘は今まで言ったことはなかったから、聞いてやるのも、ま、たまにはいっか・・などと。
思ったのが運のツキだった。
たまーにヒトが甘い顔してみせてやりゃ、調子に乗りやがってよ!
何が、『蛮ちゃんだけ運転して寝られないの悪いから、オレもちゃんと着くまで起きてるからさ』だ!
テメエ、走り出すなり寝てるじゃねーか、ええ?!
コッチだって、眠てぇんだよ、このボケが!
「・・・・・・むにゃ・・・・・・ 蛮ちゃ・・ん・・・・・・大好き・・・・・」
怒る蛮のその気配を感じたのか、銀次が他にも何ごとか寝言を言いつつ、口元に微笑みを浮かべる。
何の夢を見ているんだろう。
・・・けっ。
そんな寝言に惑わされるか、クソ。
思いつつ、なんとなく、つい口元がゆるんでしまうのが腹立たしい。
「・・・・チッ」
思わず照れ隠しに、左手でポカッと頭を殴ると、寝ながらも「いてー」などと言っている。
蛮は、フ・・と笑うと、子供のようなあどけない顔で眠る銀次をちらっと見、それから、まだ暗いままの空を見上げた。
海岸線の道を外れ、出来るだけ海の近くに車を停める。
日が昇るまでには、もう少し、まだ時間がある。
さて、どうすっか。
少しでも眠っておくかと目を閉じるが、このまま寝てしまうと、きっと次に目が覚めるのは、昼頃なんじゃないかという気がする。
銀次が日の出とともに、ちゃっちゃと目を覚ますなんてことは、まず絶対有り得ないことを考えると、しゃあねえ、1時間ちょいくらいのことなら起きててみるか・・と諦めることにした。
せっかく来たからには、夜明けの海を、銀次に見せてやりたいと思った。
オレもヤキが回ったもんだ・・。
まったくよー。
煙草に火を点け、窓を開けて紫煙を吐き出す。
波の音と風の音が、同時に車内に飛び込んでくる。
その風のあまりの冷たさに、隣に眠る銀次を気遣って、蛮は慌てて車の窓を閉めた。
それでも起きる気配のない銀次に、我知らずと笑みが漏れる。
ダッシュボードに足を上げて、真っ黒い風景を見ながら、蛮は静かに紫煙をくゆらせた。
窓を閉めていても、風の音と、波の音が聞こえてくる。
暗い空と、黒い海の境目はどこだ。
サングラスを掛け直し、その闇を見据える。
幼い頃は、こういった闇の光景がとても恐ろしかった。
その闇の中に、自身の未来の不吉を予兆させる何かを見たからだろうか。
忌まわしい血と、呪われたこの右手が見せる、邪眼などではない本物の悪夢。
それとも、我が子の呪われた宿命に怯える、自分を産み落としたあの女の暗い瞳を思い出すからなのか。
・・・もっとも。
こんなことになろうとは、誰が想像できただろう。
不吉の闇しか存在しないその未来に、あたたかくやさしい陽の光が差し込んでくるなどと。
オレの誕生日だからと、何か気をきかしたつもりなのだろうか。このヤローは。
思いつつ、そっと手の甲で、眠っている銀次の頬にふれる。
あたたかい温もり。
このぬくもりが、そのまま銀次の心のようだ。
誕生日など、そんなものがオレにもあったか、と忘れたふりをしてずっと生きてきた。
別に祝ってやろうというヤツもいなかったし、祝ってほしくもなかった。
だが。
本当は、忘れようもない。
忘れることなど出来るはずがない。
この日は。
一年でもっとも、自分で自分を嫌悪し拒絶する、忌まわしい日だからだ。
この日がなければ自分はきっと、一年中をもっと気楽に軽く生きこなせていくだろうに。
自分が生まれて、誰が喜んだというのだろう。
誰か幸福になっただろうか。
答えは、否だ。
不幸には、したけどな・・・?
蛮は自嘲の笑みを浮かべ、重い溜息を紫煙とともに吐き出すと、次第に白んできた空を見上げた。
まあ、何にせよ、どうやら今日も晴天らしい。
とりあえず、それだけはよかった。
ここまで来て、どしゃぶりの雨にでも降られてりゃ、それこそ目も当てられない。
よかったな。
無事に、お天道様が拝めるぜ?
「銀次・・! おい、銀次!」
「んあ・・・」
「起きろよ、日が昇るぜ?」
「ふあ〜ぁ・・・! うわ・・・!」
白んで来た空を目をこすりながら見て、銀次がはっと大きく目を見開いた。
次第に上ってくる陽の光が、東の空を朱に染めていく。
夕陽がこんな風にビルの谷間に落ちていく様を、蛮といっしょに何度か見たが、沈んでいくのと昇ってくるのでは、光のパワーが全然違う。
わずかな時間の間にどんどんのぼりつめていく太陽は、まだ生まれたてのヒヨコのようなオレンジで黄色で、光も正視できるくらいにはまだやさしい。
「すごい・・・! きれいだねー、蛮ちゃん!」
「ああ・・」
「ね、外出てみよ?」
「寒ぃぞ。おい・・!」
「ヘーキだって」
「おい、銀次・・!」
言うなり、車のドアを開いて外に出て、バン!と風に押されながらそれを閉じる。
「ふあぁあぁ〜 やっぱ寒いー!」
「だから、言っただろうが」
「わーっ、顔が凍りそーだよー」
「口も凍らせとけ、いっそ」
うるせぇと言わんばかりの蛮に、銀次がそれを見つめて「へへっ!」と笑う。
「んだよ?」
「ねー、蛮ちゃん」
「お?」
「寒いから、くっついていい?」
「あ゛あ゛!?」
「くっついてると、ちょっとはあったかいかも」
「別に構やしねえけど」
「やったぁ」
「おい、ちょっと待て! くっつくってのはオレの背中かよ! テメエ、よくも生意気にこのオレ様を風除けになんぞ・・!」
「い゛ででで〜!! うわ、ごべんなさーい゛! わーん、痛いってば、いたい〜! 蛮ちゃん!」
ふざけているうちに、気がつけば太陽は、あっと言う間に空の高い位置まで昇っていた。
さっきまでは、手を伸ばせば届きそうなとこにあったのにねーと銀次が残念そうに言い、蛮がそれを聞いて苦笑する。
光が次第に強くなって、熱も増して、その回りを取り巻く炎さえも見えるかのようだ。
「あったかいね・・・。生まれたてのおひさまって・・・」
「ああ・・」
言いながら、銀次がそっと蛮の腕を取る。
そして、コトンと肩の上に額をのせた。
「あ?」
コイビトごっこか?
だからよ、銀次。
ヤロー二人でそれは変だってよ。
指摘して、自分の腕にしがみつくようにしている銀次の腕を取り払おうとして、ふいにやめた。
変でもなんでも、別にいっか・・・。
こんな早朝に、誰が見ているわけでもなし。
それに。
陽の光に照らされる銀次の顔は、どんな女よりもきれいでやさしい。
誰よりも大切で好きだと思っているから、絡みつく腕も寄せられる頬にももちろん不快の欠片もなくて、全部愛おしいとそう思っているから、まあ、あながち当たらずとも遠からずというところかもしれない。
そんなことはつゆ知らずに、銀次がおだやかな声で言う。
「こんな中で、蛮ちゃんも生まれたんだね・・?」
「あ?」
「ほら、前に、確か生まれたのは日の出の頃だって言ってたじゃない。いつだっけ・・? ほら、えっと、公園で日なたぼっこしてた妊婦さんと話した時に」
「・・・・そんな話、してたか?」
「してたよ、オレ、ちゃんと聞いてたもん」
「まー。そんなこと言ったような気もすっけど・・。だいたい、オレが生まれた時のことなんぞ、誰も話したがらなかったからよ。自分でそう思い込んでいたのかもしんねぇな」
「蛮ちゃん・・・」
「・・なんだ?」
「お誕生日、ありがとう。蛮ちゃん」
目を閉じて、少し膝を折って、蛮の胸のあたりに顔を埋めて銀次が言う。
心に、言葉がそのまま響くように。
驚いた顔をして、蛮がそれを見、困ったように笑って言う。
「バーカ、それも言うなら『おめでとう』だろーが! 『おめでとう』ときて、『ありがとう』だろうがよ?」
「ううん、『ありがとう』でいいんだよ、蛮ちゃん」
銀次が、にこっと笑った。
空高くに昇って次第に光の強さを増していく太陽に、それに負けないとびきりの明るい笑顔で銀次が言う。
「蛮ちゃん、生まれてきてくれて、ありがとう」
「銀次・・・・・!」
「えへへ」
照れくさそうに笑って、また蛮の胸に顔を埋めるようにする。
不覚にも、涙をこぼしそうになってしまった。
そんなこと、言われるなんて思ってもみなかった。
そんな風に言ってくれる相手に、巡り会うことがあるなど考えてみたこともなかった。
「生まれてきて、オレと、出会ってくれて、ありがとう」
言って、蛮の背に手を回し、銀次がぎゅっとしがみつく。
あたたかな体温、あたたかな言葉、あたたかな・・・・・。
「銀次・・」
「うん・・?」
「・・・・・あんがとな・・・・」
「うん・・」
蛮の手がゆっくりと動いて、銀次の頭を震える手でそっと撫でて、愛おしげに胸に引き寄せる。
「蛮ちゃんの、心臓の音が聞こえる・・・。やさしくて、あったかい・・」
蛮ちゃんの、命の音だね・・?
ひどく嬉しそうに言う銀次に、蛮は堪えきれずに、銀次の身体を強く、強く両の腕に抱きしめた。
・・・やさしくて、あったかいのは、テメエだろ・・?
銀次と一緒にいる限り、蛮がこの日を、忌まわしい日だと思うことはもうないだろう。
銀次は、抱きしめられた蛮の胸で、一緒に見た朝日の色を思い出していた。
いのちの燃えるような、赤とオレンジの色。
きっと、ずっと忘れないと思う。
たぶん、一生。
蛮の胸の中にも、同じいのちの色が見えた気がしたから。
のぼりゆく朝日のように、大きくてあたたかで、包み込むようにやさしい、赤とオレンジのもえる色が。
end
おまけ:
「あ、そうそう!蛮ちゃんにプレゼントがあったんだ!」
「プレゼント?」
銀次の言葉に、蛮がいぶかしむような顔になる。
「うん! あのさ、お金なくて、大したもん買えなかったんだけど」
ハーフパンツのポケットをごそごそ探り、それを手にすると、「どうせ、ろくなもんじゃねーだろな」と思う蛮の前に差し出した。
「はい、蛮ちゃん。お誕生日おめでとう!」
嬉しそうな笑顔とともに差し出されたものに、蛮がリアクションに困って無言になる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「この前さー、近くの神社で買っちゃったんだ、コレ」
「ほー・・」
「ほら、蛮ちゃんさあ、しょっちゅう危ない目に合ってるし、てんとう虫くんも修理してばっかだし。なんか、最近あんまり運もよくないっていう
か・・。だから、これでちょっとはマシかなあって」
「・・・・・・はぁ・・・」
「あれ? 嬉しくない?」
「いや・・・。あのな、銀次」
「うん?」
「誕生日プレゼントに、お守りくれてやるヤツをオレは初めて見たぞ」
「そうなの?」
「しかもよー。車のことで、交通安全ってのならわかるけどよー。なんでまた『家内安全』なんだ?」
「あり?変なの? でも、オレたち、車に住んでるワケだし、まあ家みたいなもんだしさ!」
「・・・・・・はー。なるほどな・・」
「ねっ、これでオレたちも安泰だよね! きっとさ、ついでに金運も向いてきてさ、今にロフト付きのお家に住めるようになって、そしたら本当に家内安全・・・・。な、なに? 何だよー! なんで、そんなに笑ってんの? ねえ、蛮ちゃん! ねえったら!!」
身体を折り曲げて、けらけら笑っている蛮に、銀次が憤慨したようにちょっとむくれた顔になる。
「さて、日の出も拝んだことだし。東京帰んぜ、銀次!」
「あ、ちょっと待ってよ! ねえ、待ってったら、蛮ちゃんー!」
陽の光をたっぷり浴びて、追いかけてくる銀次の存在を背中で感じながら、蛮が微笑む。
手の中に握りしめた家内安全のお守りを、シャツの胸ポケットに大事にしまい込み、追いついてきて横から首にじゃれついてくる銀次の肩に、蛮がひっかけるようにして腕を回した。
ま、オメーが、オレのお守りみてえなもんだからよ。
大事にしとかねーとな。
バチがあたるかもしんねーし。
胸の奥で呟く蛮の隣で、銀次の笑顔が、波間にはじける光を受けて尚一層輝いて見えた。
END
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『蛮銀季節企画』さまに12月に参加させていただいた時の、「蛮ちゃんのお誕生日」ネタのSSです。
みなさん、とっても愛にあふれた力作揃いなので、どきどきしつつ、提出させていただきました。
でも、そういう場に参加させていただけるだけでも、とってもシアワセ〜v
有村さん、素敵な企画をありがとうございますv
これからも、押しかけSSをお送りするかと思いマスが、どうぞヨロシクお願いしますv
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