Distance―再会― 踏み出した足が空を切る。 視界を埋め尽くすのは、羽を広げた無数の蝶の群れ。 ―――しまっ…た! そう思った時は、既に遅かった。 支えを失った身体がバランスを崩し、重力に引かれて落ちる。 咄嗟に伸ばした手は、何も掴む事が出来なくて、そんなオレの手を、誰も掴んではくれなくて。 遥か下に広がる闇に吸い込まれる様に、オレの身体は落ちていく。 それは本当に、一瞬の出来事だったんだと思う。 だけどオレには、まるで時間が止まったかのようなスローモーションの様に見えて、驚いてる美麗さんとか、必死にオレの名を叫んでる士度とか、とにかく色々なものが、ゆっくりと視界を流れていって……。 ―――あぁ、死ぬのってこういう事なのかな? なんて、こんな絶体絶命のピンチって時に、暢気に考えてた。 『信じる人のために、オレは行きたいんだ』 『大丈夫』 笑っちゃうね……。 あんなに自信たっぷりに、偉そうに言っといてさ。 本当にダメだね、オレって……。 いつだって失敗ばかりで、皆に迷惑掛けて。 『もしもの時は、オレを呼べよ……』 頭の中で声がする。 ずっと聞きたかった、オレの大好きな優しい声。 蛮ちゃん……。 蛮ちゃん、蛮ちゃんっ、蛮ちゃん。 オレの声が聞こえてる? ごめんね、ありがとう。 最後に、もう一度だけ逢いたかったな……。 「……蛮ちゃん」 小さく呟いて、瞳を閉じた。 頭の中に思い浮かべるのは、蛮ちゃんの姿。 笑った顔、怒った顔、困った顔、優しくオレを見つめる綺麗な顔、そして最後に見た遠い背中……。 このまま、蛮ちゃんの思い出に包まれて、オレの心の中を、大好きな蛮ちゃんで一杯にしたままで、眠りに就きたいから。 ねぇ、蛮ちゃん? オレが死んだら、少しは哀しんでくれますか? 『勝手に諦めてんじゃねっ、このバカッ!』 もう、酷いなぁ。 最後くらい優しくしてよ……。 最後くらい……って、えっ、あれ? 『ゴチャゴチャ言ってねぇで、腕伸ばしやがれ!』 思い切り怒鳴られた気がして、オレは反射的に腕を伸ばした。 その瞬間、ガクンて肩が外れちゃうんじゃないかって思うほど物凄い衝撃と共に、オレの身体は空中で止まる。 まるで故障したエレベーターが、途中で止まっちゃうみたいな感じ? 「……痛っ」 掴まれた腕も、骨ごと握り潰されちゃうんじゃないかって不安になるほどの強さで、でもしっかりとオレの腕を掴んでくれていて。 しかもオレは、この手の温もりを知っている。 不器用で意地悪で、でも凄く優しくて絶対にオレを傷付けたりしない。 とても大切で大好きな温もり。 目を開ければ呆れたような、少しホッとしてるような蛮ちゃんの顔。 「なーにやってんだ、このドアホウが!」 「蛮ちゃん……」 ……あれ、何で蛮ちゃんがいるの? もしかして、オレってばもう死んじゃったの? そんな事無いよね。だってオレ、まだ下まで落ちてないもん。 それじゃぁ、夢? でも掴まれた腕も、外れそうになってる肩も、凄く泣きたいくらい痛いよ。 「ったく、オメーは女に甘ェ上にお人好しだから、すぐに騙されんだよ!声がしたと思ったら、急に落ちてきやがって!」 何が何だか分からないまま、凄い勢いで引き上げられて、思い切り放り投げられる。 「んが!」 やっぱり痛いよ……。 じゃぁ、コレは夢じゃないの? 今ココに、オレの目の前に蛮ちゃんが居るのは、本当の本当に現実なの? 「蛮ちゃん……?」 「おう」 何だか信じられなくて、躊躇いがちに名前を呼んだら、蛮ちゃんが短く応えた。 ぶっきらぼうで、どこか不機嫌そうで。 でも凄く優しくて綺麗な声。 すっとずっと聞きたかった、蛮ちゃんの声。 「蛮ちゃん……」 どうしたんだろ……。 蛮ちゃんに逢えたら、言いたい事が沢山あったはずなのに。上手く声が出ないよ……。 蛮ちゃん、ねぇ蛮ちゃん。 オレね、ココに来るまで本当に色々な事があったんだよ。 途中で『もうダメだ』って思うことも、何度もあったんだよ。 でも蛮ちゃんの事思い出して、別れた時の遠い背中とか思い出して、今までの楽しかった事も沢山思い出して、忘れてた大切な言葉も思い出したんだ。 蛮ちゃんと離れてから、凄く寂しくて哀しかったけど、離れてる間もずっと蛮ちゃんから勇気を貰ってたんだ。 蛮ちゃんの優しさに支えられてたんだよ。 「……っ…蛮ちゃん……蛮ちゃん」 伝えたい事は沢山あるのに、どうして言葉になんないんだよ。 「ふぇっ…蛮ちゃっ……」 泣いちゃダメなのに、伝えなきゃダメなのに……。 どんどん涙が溢れてきちゃって、蛮ちゃんの顔さえまともに見えないよ。 「……………」 蛮ちゃんは黙ったままで、ゆっくりとオレに手を差し伸べてくれた。 まるで全部分かってるとでも言ってるみたいに、ただ手を差し伸べてくれた。 だからオレは………。 「蛮ちゃぁぁぁぁん!」 震える足で頑張って立ち上がって、蛮ちゃんの胸の中に飛び込んだ。 「蛮ちゃん、蛮ちゃん、蛮ちゃんっ」 やっと辿り着いた、やっと奪り還す事が出来た、オレの居るべき場所。 「蛮ちゃん、蛮ちゃん、蛮ちゃん、蛮ちゃん」 オレは今まで呼べなかった分って感じに、バカみたいに蛮ちゃんの名前を繰り返し呼んで、蛮ちゃんの胸に額を擦りつけた。 えへへへ、蛮ちゃんの匂いだぁ。 「こら!よせって」 少し困った様な蛮ちゃんの声。 でも離れてなんかやんないよ〜だ。 だって、ずっとずっと寂しかったんだから。寂しくて哀しくて、沢山泣かされたんだから。 もう少しだけ、このままでいさせてよ……。 「蛮ちゃんと一緒!蛮ちゃんと一緒!蛮ちゃんと一緒〜〜!」 「おい………」 「蛮ちゃん、蛮ちゃん、蛮ちゃん、蛮ちゃん……」 「うるせえ!」 「ブフッ」 ……ちょっと調子に乗りすぎちゃったのです。 怒鳴り声と共に振り下ろされた蛮ちゃんの足に、オレは見事に潰されちゃった。 でも痛くないもん。 こんなの全然痛くなんかない……。 蛮ちゃんと離れている間の痛みに比べたら、こんなの全然平気なんだから……。 「……オメーに言ったよな。足手まといだから、来んなって!」 「あい……」 「なんで来た?」 「………」 やっぱり訊かれると思った。 でもね、蛮ちゃん。 もうオレの答えは決まってるんだよ。 大切な事、ちゃんと思い出せたから……。 「だって蛮ちゃん言ったじゃんか。オレには『本当の力』があるって……」 あの時、蛮ちゃんがくれた言葉。 凄く、凄くね、嬉しかったんだよ。 オレは、あの時の蛮ちゃんの言葉を信じてる。 だから…… 「それを見つけるために、オレはここに来たんだ!」 それじゃダメ……かな? 理由になんない? 「…………」 オレの頭の上にあった蛮ちゃんの足が、ゆっくりと退けられた。 「……蛮ちゃん?」 顔を上げると、とても優しい紫紺の輝きがオレを包み込むように見つめていて。 良かった、オレ間違えてなかったんだって、凄く安心した。 「……奪られたら、奪り還せ!」 今まで黙ってたオレの話を聞いててくれた蛮ちゃんが、ボソリと呟いた。 だからオレも、ゆっくり身体を起こしながら呟く。 「奪還成功率は、ほぼ100%!」 互いの視線が絡み合って……。 えへへ、今まで離れてたのに息はバッチリだね! 「GETBACKERSのSは―――」 「一人じゃないってコト!」 そして二人で同時に、息を吸い込んだ。 「「オレらは無敵の奪還屋だぜ!」」 凄い、バッチリ決まったよ! う〜〜〜気合入る。 何だか蛮ちゃんも凄く楽しそうだし、やっぱりオレ達は一緒じゃないとダメなんだよね。 オレ達は二人でGETBACKERSなんだから! さて、大事なコトも再確認したし。後は…… 「ねぇ蛮ちゃん、せっかく気合入ったトコで悪いんだけどさ……」 「……何だよ?」 「再会のちゅ〜は?」 「………は?」 「やっと再会できて、仲直りもできたんだからさ」 「ちょっと待て、銀次っ」 「ちゅ〜くらいしてよぉ」 「バカッ、時と場所を考えろっ。猿回しとゆかいな仲間達が見てんだろ〜が」 「そんなの関係ないじゃんっ!」 「ほら、何だ……早いとこ嬢ちゃんも奪還してやらなきゃなんねーしだな……」 「ちゅーしてからでも遅くないよっ」 「銀次ぃ〜〜〜っ」 困り果ててる蛮ちゃんも見ながら、オレは心の中でベーって舌を出した。 今まで離れて寂しかった分、これからは思い切り甘えさせてもらうんだから。 覚悟しててよね、蛮ちゃん。
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