両手に抱えた数枚のちらしを嬉しそうに奥のボックス席のテーブルに広げてみせる。 「見て見て、蛮ちゃん、ほら、これなら、入口にソファーおけるよっ!」 事務所も兼用なら、銀次的にはソファは必須アイテム。 「アホ。そんなもん、そこに置いたら、俺らどこに寝るンだよ」 だが、確かにワンルームでそれは無謀以外のなにものでもなく、蛮の意見はいつも正当。 「ん〜〜〜っ」 そんなものをど〜んと入口においてしまったら、あとは天井からハンモックでも吊るすか、はたまた毛布被って雑魚寝か?せっかく「家」を確保したってのに、それはないだろう。 「ソファーの上とかに寝るのは?それなら、多分・・・」 「よし、わかった。おまえはソファーで寝ろ。俺はぜってーベットで寝る」 「うわーん、ずるっ!!」 慌てて、銀次は次の黄色ちらしをひっつかむ。 「じゃっこれっ。これなら、台所がさっきより大きいよ」 「ああ?・・・」 「だから、ソファー、台所において。ベットは奥の窓側に置くの」 銀次はうれしそうに微笑む。 東向きだから、朝日が見えるかもしれないね。 いや、新宿でいくらなんでもそりゃ無理だろう。 「冷蔵庫おいてもいい?」 「小さいのならな」 「えー、それじゃ蛮ちゃんのビールでいっぱいになっちゃうじゃんっ!」 蛮は、紫煙を吹き上げて笑った。 「狡いよーぉ、蛮ちゃーん」 その横で銀次は地団駄を踏む。 飽きもせず繰り返される、たわいない夢物語。 いつか。 いつか、借りる自宅兼事務所の構想。不動産屋に置いてあるちらしを貰ってきては、ああだ、こうだと意見を重ね、時間を過ごす。 これが目下のところ、『GETBACKERS』のふたりが凝っている、時間のつぶし方だった。 お家へ帰ろう 坂口 佐幸 「・・・どーせ、夢物語なんだから、もっと、どーーーんっと豪華な話にすればいいのに」 ヘヴンはHONKY TONKのカウンターで、アイスコーヒーのストローを口の端にくわえながら、ふたりを横目で見やる。 いや、それ以前に、どうしてお金の心配をしなくていい夢物語で、いい年した男ふたりが同居の線で話を詰めようとするかな?せめて、隣同士とかね、あるいは3DKぐらいで話もってきなさいよ。 「あんまり豪華な話にしちゃうと、現実感がなくておもしろくないんですって」 夏美ちゃんがおかしそうに肩をすくめて見せた。昔やった「お人形遊び」と同じですよね。 それにしたって、机に並べてあるちらしが、どれを取ってみてもみんなワンルーム、あっても1DKってどういうことよ。なんとなーく、聞くとはなしに聞いてると、ベットも二つ入れる気あるのかしら、君たち?と突っ込みいれたくなってくるし。 その辺のこと、銀ちゃんはともかく、蛮くんはどう考えているのか。 ぜひ、お話願いたいところじゃない? ははは。 新聞の向こうで波児が乾いた笑いを返した。 「ま、その辺、実は一番お話願いたいと思ってるのは、当の本人なんじゃないのか?」 ちげーだろ。 ちょっと待てよ。 おいっ・・・。 俺は。 だが、彼は眼を瞑ったのだ。 それらの矛盾や内包する違和感。持てあます感情。そして、なによりこの現状すべてに。 大人になったじゃないか。うん、うん。 「あははは・・・・」 蛮が何を言ったのか銀次が楽しそうに笑い声をたてた。 眼を向ければ、冷めかけたツケのコーヒーに蛮も笑いながら口をつけている。 ほらな。 あいつだけじゃない。おまえだってそんな顔できる。 波児は苦笑して、新聞の影に身を戻した。 あの時。 泣きそうな顔をしていたのは、お前だった。 そう、あの春が始まりを告げる頃。 雷の帝王はかの城を自ら後にして、一つ目の冬を邪眼の男の横で過ごしていた。 まだ、あまり笑わなかった。言葉数も今の1/3以下。 冬の間は眠り姫よろしく寝てることも多かった。 でも季節も緩み始め。奪還屋としての名前が裏の世界でも定着し始めて。 ほっとひと息つけそうになったあの時、彼は体調を崩した。そう、銀次は生まれて初めて、高熱を出して寝付くという経験をしたのだ ・・・確かに今までヤツがいた世界じゃ、そんな状態になった途端、あの世行きだったろうからな。 気が揺るんだといえば、緩んだのだろう。 で、銀次自身が未知の状況にほとんどGive up状態に陥るなり、蛮の方は、それこそ、ひとことで言えば。 取り乱した、のだろう。彼なりに。 表面上は顔色ひとつ変えず、冷静沈着に行動しながら。 ・・・と波児は今になって推測する。 「波児、上、借してくれ」 もう息をするのが精一杯のような銀次を、己の肩に担ぎ上げるようにして、蛮がHONKY TONKに姿を見せたのは夜半もかなり回った頃だった。 その頃、やつらは情け無いことにすでにスバルの車上生活に突入していて、そこはとてもじゃないが病人を養生させられる環境ではなかっただろう。 「どうした?」 その時間ともなると、店に客の姿はなく、波児は二人を中に引き入れると、手っ取り早く入口に「Close」の札を下げた。 「・・・・ちゃ・・ん」 微かに銀次のむずかるような声がする。 蛮は肩口まで引き上げていたその金色の頭に唇を寄せて、何かひとこと、ふたことあやすように囁いて見せた。 それを眇めた眼の端で捉えながら波児は口を開く。 「熱があるのか?」 「ああ、多分、風邪と疲れなんだと思うが、一昨日から下がらねえ」 「医者は?」 「・・・薬は飲ませた」 そのまま二階に上がって、奥のドアを開けると、日頃使っていない、空き部屋独特の匂いがする。 「何飲ませた?」 「アセトアミノフェン」 「飯喰ったのか?」 「喰わせたら吐いた」 ・・・で、うちに泣きついてきたわけか。 使ってなかったベットのカヴァーをはがして、波児は蛮に銀次を降ろすように目で示す。 「・・・銀次、銀次、分かるか?」 ぐったりと眼を閉じた銀次に屈み込んで、脅かさないように声をかける。 反応はなくて、そっと頬に手を添えたら、ぴりっと電流が流れ、突然、怯えたように眼を見開いた。 「・・・っ・・・。・・・波・・児・・・?」 そう呟いておいて、不安そうに視線を巡らす。 蛮が小さく舌打ちして、彼の視界にその姿が入るように移動した。 「・・・・・・」 途端に安心したようにくったり眼を閉じる。 やれやれ。 こんな不安定な状態じゃ、確かに病院には担ぎ込めないな。蛮と引き離された治療中に、はずみで電撃でも飛ばされた日にゃ、洒落にならない。 「水は?」 「吐いてから、飲みたがらない」 「・・・半分、脱水症状だな。とにかく今晩はここに寝かせて、水分補給させろ。それでも落ち着かなかったら、明日一番で知り合いの医者紹介してやる」 蛮は一瞬、波児の目を見上げて、それから下を向いた。 「・・・すまねえ・・」 ・・・思わず、頭をかいぐりかいぐりしてやりたくなったね。気の迷いかもしれないけど。 多分、こいつは今、不安なのだ。 外傷ならともかく、この手の騒ぎは、蛮の今までの人生を振り返ってもそうあることじゃなかったのだろう。 「ば・・・ん・・・」 震える声。 目をやると、銀次がもがくようにベットの上に身を起こそうとしていた。 波児は、ぽんと、蛮の背を押してやる。 「冷やしてないスポーツドリンクがあったから、今、持ってきてやるよ」 戸惑うような視線。 求められることには、うんざりするぐらい慣れている。 この世に生を受けたその時から、疎まれるのと同じ強さで、一方的に欲された。 でも、力でも、血でも、能力でもない。 ただ、純粋に自分に向けられる思い。 なにを求めるでもなく、それどころか、むしろ己の無力さを暴かれるような存在には慣れていなくて。 何も出来ない。応えてやれない。 ・・・だからこそ、せめて。 その呼ぶ声に応えたい。 何かあったら、呼んで欲しい。 この名前を。 冷やしたタオルを何本かと、生ぬるいスポーツドリンク。 ついでに体温計とアセトアミノフェンよりもう少し、胃の負担にならない解熱剤。 波児は二階のドアをノックしようとして、中から漏れてきた声に思わず動きを止めた。 「やだ・・・」 小さい子供が泣き言を言ってるような舌足らずの声。 そっとドアを開く。 眼の前に展開されていたのは・・・。 ベットサイドに腰掛けた蛮の首筋にすがりつくように、銀次がその肩口に額を擦りつけていた。 「銀次・・・」 蛮は、半分途方に暮れたようにその肩を支えて、波児の顔を見上げて、また視線を戻した。 「おまえ、自分が熱出してンのわかってんのかよ。このクソ寒いのにスバルにいても体、横にすることも出来ないんだぞ」 「・・・・や・・・・」 銀次は首を振る。 「ここは、やだ」 「銀次っ」 「・・・・帰りたい・・・」 「ああ?」 銀次は顔を上げることなく腕に力を込めた。 「帰りたい。・・・スバルに帰りたい。・・・蛮ちゃん、帰りたい」 「・・・・銀次」 「蛮ちゃん・・・・・・帰りたいよ・・」 ・・お家に帰りたい・・・。 一番、安心できる。くつろげる。 せまっ苦しいし、正直、でかい図体した男が二人で日常生活するところじゃない。 でも、そこがふたりの帰る場所だった。 初めてふたりで手に入れた、ふたりの戻る場所。 そこにいれば、いつも相手の気配を感じていられる。 いつも、ふたりでいられる。 「これからは、ここが俺らの家だぜ」 苦笑するようにボンネットを叩いて蛮が言った。 「・・・『家』?」 「そうだ。俺たちふたりで、ここで生活すンだよ、しばらくはな、諦めろ」 「・・・それが『家』?」 「ああ、家だ」 多分、彼は軽い意味でそう言った。 俺は『家』ってなんだかよく分からなくて。 でも、後からその言葉、思い出して、凄く嬉しくなった。 だから。 「・・・ここはいや・・・」 ここは知らないところだ。 『家』じゃない。 「・・・・・・」 手も足もゆっくり伸ばせる。 暖かな布団も空調さえある。 でも、違う。 ここじゃない。 「・・・・帰りたい・・・」 自分たちには、ちゃんと帰る場所がある。 「阿呆・・・」 「・・・家に帰る・・・」 最後は泣き声混じりだ。 波児は苦笑混じりに助け船を出した。 背後から、こんと金色の頭に拳骨を軽く落とす。 見上げた視線は案の定、うるうるで。 「早く帰りたかったら、熱を下げるんだな、銀次」 「波児・・・」 まったく、蛮が偉そうに人を呼び捨てにするもんだから、こっちまで、この呼称で固まってしまいそうだ。 「こんなに熱があるヤツを、黙ってあんな車上生活に戻すわけにはいかない」 銀次は、うるりと眼を潤ませて、下唇を噛んだ。 ああ、こいつ、熱で涙腺弱くなってるな。 天下の雷帝さまが、まったく、もう。 「そのかわり、おまえの熱が下がるまで蛮もここにいる。一緒だ。それならいいだろ?」 「・・・一緒?」 「そうだ」 金色の髪をくしゃっとかき混ぜる。 「おいっ!」 蛮が抗議の声を上げたが。 いかんせん、腕の中に銀次を抱いたその体勢では迫力もなにもない。 「いいか、ひとまず今は、おまえは蛮の横にいればいい」 場所なんてほんとは関係ないんだ。 おまえが生きていく所。 おまえが、今、居る場所。 そこが、おまえの『家』になる。 わかるな? 胃が受け付けない解熱剤の代わりに、シュガーコーティングの言葉を飲ます。 蛮にはまだ、ちょっとできない芸当だろうからな。 銀次は一瞬、ちょっと戸惑うような顔をして見せた。 それからゆっくり目を閉じる。 恐らく、これから今の言葉をゆっくり自分の速度で溶かすのだろう。 その甘い言葉の中に眠る真実の意味を理解するために。 そして、それと同じぐらいの時間をかけて。 この男もこの言葉を咀嚼し続ける。 なんども吐き出しそうになりながら、それでもきっと、やがてはそれを身のうちに根付かせる。 自分が誰かの居場所になる。 それがどういう意味を持つのか。 常に帰って行くべき場所を持つことは、どんなに人を弱くし、そして、強くするのか。 翌朝、二階を覗いてみると、蛮はまだ銀次を抱えていた。 銀次もそんな体勢じゃ、スバルにいるのと大して違わないだろうにと思ったが、蛮の肩に額をつけたまま眠っていた。 それでも、スポーツドリンクは空になっていて。 薬は用量を減らしてサンドイッチと朝一番。 まだ、微熱はあるようだったが、銀次は自分の足で立てると分かるなり、蛮の腕をひっぱって帰りたがった。 ・・・けっこう失礼だぞ、そこまで露骨だと。 笑ってからかうと苦虫をかみつぶしたように蛮が横を向く。 銀次はきょとんとして言った。 帰ろうよ、蛮ちゃん。一緒にだよ。 一緒が大切なんだよね?波児。 「あーーーーっ!面白かった」 銀次はテーブルの上に広げていたちらしを、とんとんとひとつに纏める。二つに折ってポケットにしまって、どうするのだろう、それ? 「あんたたち、そろそろお遊びじゃなくて、現実的に家借りる準備しなさいよ、今年の冬は寒いわよー」 ヘヴンが呆れたように言うのに、蛮は吐き捨てるように返す。 「へ、そう言うなら、もっと実入りの仕事持ってきやがれ」 「何言ってんのよ、実入りがいい話持っていっても、あんたたちがスカッちゃうんでしょ?」 「あンだとー?」 「・・・ヘヴンさんの言ってることは半分正しいのです。この前の奪還料も、蛮ちゃん、帰りによった競馬場で全部すっちゃったし・・・」 「ま、ひどーい、蛮くんっ」 「うるせーっ!」 ごちっ! 「うわ〜んっ!!」 波児は新聞の影に身をすくめた。 やれやれ。 確かに精神面も大切。大切だが。 「物理面も、そろそろ、すこーしは考えといた方がいいぞ」 こそりと呟く。 ちっと、舌を打つ音がした。 さあて。 「帰るぞ、銀次っ」 「あ、はーい」 ばたばたばた。 「じゃあ、お仕事あったらよろしくー、ヘヴンさんっ。まったねえ、夏美ちゃんっ」 入口のドアを鳴らして出ていく足音を、もう片割れが転がるように追いかけていく。 「あーあ…嬉しそうに、帰っちゃった」 夏美は笑いながら、その背を見送った。 「帰るって言ったって、その辺に止めてあるスバルにでしょ?」 「それでも、いつも楽しそうなんですよねー、ふたりとも」 苦笑するようにヘヴンはウインクする。 「そりゃ、一緒に帰れるのが嬉しいんだから。あのふたりは」 「ああ、やっぱり?」 明るい夏美の声に波児は、新聞を握りしめるように肩を落とした。 お家に帰ろう。 一緒に帰ろう。 貴方のいる場所が私のお家。 あなたの存在の元に私は還る。 ・・・だから、待っててね、蛮ちゃん。 必ず、俺、かえる。 蛮ちゃんのところに、何があっても。 そして、もう一度。きっと。 I find my place. I never lost here. Ende 2003.9. 100000ヒット御礼 なにか、ほんとにいつのまにやら、ここまで来ることができました。 すっごいこそばゆいのですが、日頃の感謝を込めてフリーにしてもいいでしょうか・・・・。 こんなことしかできませんが、ほんとに、ほんとにありがとうございますの気持ちは、いっぱいなのです。 では、これからもよろしくおつき合い頂けることを祈りつつ。 坂口 佐幸
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