■The Sweetest Song
「あ、カーテン閉め忘れてる・・・・」
ふと、ベッドからカーテンの開いたままの窓を見て、今までどうして気がつかなかったんだろうとタケル
は小首を傾げた。
窓の向こうの夜空に、オレンジ色のきれいな月がぽっかり浮かんでいる。
まぁるくて、やさしい光を放っているそれを先ほどからずっと見つめていたのに。
そっと横になったまま手を伸ばして、片目をつぶってお月さまを指でつまんでみたりする。
クッキーみたい? 食べちゃえ、パク。
子供じみた遊びだけれど、そんなことでもしていないと間が持たない。
いや、間が持たないというのはおかしい。眠ってしまえばいいことなのだから。
けれどタケルは、お月さま相手のそんな小さなふざけっこを、もうこれで一時間は繰り返している。
眠れない夜・・・・。
けれど、一人の部屋でそうしていたなら、それは孤独で憂鬱な時間にちがいないだろうけど、今は隣で
眠る人がいるから。
やさしい体温に触れながら、微かな寝息に耳を傾けながら、タケルは満ち足りた気持ちのまま、そんな
時間を過ごしている。
眠れないよ、と甘えてみようとも思うけれど、せっかくの眠りを邪魔することはやはりどうしても忍びなく
て、キッチンに水でも飲みにいくこともせず、タケルはじっとそうしているのだ。
けれど、さすがにそれも少し退屈してきた。
眠る努力もしてみなきゃ。と、タケルはわざと欠伸を1つしてみてから、隣で眠るヤマトの背中に身を寄
せた。壁際の方を向いているため、顔を見ることは出来ないけれど、背中に甘えることはとても好きだ
から、タケルは兄が向こうを向いていることに感謝する。
パジャマ越しの温もりが、とてもやさしくて暖かい。タケルは目を閉じるとヤマトの肩口に頬を寄せた。
途端に、予想だにしなかった小さなくしゃみが「くしゃん!」と出て、タケルが慌てて口を押さえる。
そしてそっと兄の様子を窺うと、それを聞きつけたのか、ヤマトがごろんとタケルの方に体の向きを
変え、やおら手を回すとポンポンとタケルの背を叩いた。
「お兄ちゃん・・・?」
何?という顔のタケルに、ヤマトが小声で何か呟く。
「・・・・かあさん・・・」
「・・・・え?・・・」
いきなりどうしたのかと耳をすませるタケルに、尚もヤマトが口の中で呟くように言った。
「かあさん・・・・タケル・・・泣いてる・・・・・・・ミルク・・」
「お兄ちゃん?」
「・・・あー・・・よしよし、待ってろ・・・・今・・・」
きょとんと兄の顔を見つめるタケルに、ヤマトがその髪を撫で付けながら、うすく瞳を開いた。
ぼんやりする目で、自分を不思議そうに見るタケルの大きな瞳を見つめかえして、何度か瞬きする。
「寝言なの・・・?」
枕に頭を置いたまま、少し首を傾ける。
「夢見たの? ね、お兄ちゃん・・?」
「あ・・? ああ・・」
しばし弟を見つめていた瞳が、ようやく目が覚めたというように笑んで、それから思い出したように
くくっと笑うと枕に顔を突っ伏させた。
「何笑ってるの?」
「いや、おまえにミルクやんなきゃと思って」
「ミルク?」
タケルの問いに、ヤマトが顔を上げて、さも可笑しそうに言う。
「ああ、おまえ、泣いてたから。ベビーベッドで」
「ベ、ベビーベッド?」
「おまえさ、まだ赤ん坊で。夜中に腹減らして泣くんだけど、母さん、起きてくれなくてさ。おまえはいつ
までもビービー泣くし、仕方がないからミルク作ってやろうと思って台所行って、そしたら缶ごと床に落
としちまって・・・ そこいら中ミルクの粉だらけになって、こっちが泣きたくなってたら、おまえがベッドか
ら降りてきて“僕がやってあげるよ”って」
「赤ちゃんなのに?」
「赤ちゃんなのにな」
「変なの」
「ま、夢だから」
言って、顔を見合わせて、布団の中で一緒にふふっと笑いを漏らす。
「おっかしな夢」
言ってまた想像したらしく、くすくすとタケルが笑う。そんなタケルの顔を愛おしそうに見つめて、ヤマト
が“こら・・そんなに笑うな”と指先で頬をくすぐるようにすると、タケルは片目をつぶって肩をすくめた。
「それより・・・」
「うん?」
「どうしたんだ? 眠れないのか?」
言われて、そういえば、と気づく。
「なんか、眠れなくて・・」
「明日、遊園地行きたいんだろ? さっさと寝ないと起きられないぜ?」
「わかってるけど」
困ったような顔をするタケルに、ヤマトがその頭にポンと手を置いて、ゆっくりとベッドを降りる。
「どこ行くの?」
「ミルクでも持ってきてやるから」
「え、僕、赤ちゃんじゃないよ」
「わかってるさ。ホットミルクだよ。粉ミルクじゃなくて」
笑いながら言うヤマトに、そうかと納得して、タケルがふと思い出したように言った。
「だったら、ミルクじゃなくて、アイスクリームがいいな」
「アイスクリーム?」
ヤマトの驚いたような顔に、タケルが「あるの知ってるもん」とにっこり笑う。
夕食の支度を手伝っている時に、ちゃっかり冷凍庫の中にあるのを見つけてしまった。ヤマトが食べる
わけはないから、あれはまちがいなく自分のために兄が用意してくれたもの。
ぬかりのない弟に、ヤマトが敵わないといったように肩をすくめる。それでも“少しだけだぞ”とキッチン
へいき、本当に少しだけをガラスのアイスクリーム皿に入れて持ってきてくれた。ベッドに腰掛け、同じ
ように腰掛けている弟の口元へ、それをスプーンで掬って運んでやる。タケルが嬉しそうに頬を染めて
唇を開く。ひんやりと冷たくて、なめらかで、溶けていく甘さが口中に広がる。その唇の端に、スプーン
を引く時に少しだけ溢れてきた分を、ヤマトの指先がそっと拭った。
わずかな時間であっというまになくなった皿の中身に、それでも満足そうな笑みを浮かべてタケルが兄
を見上げる。
「美味かったか?」
「うん!」
「よかったな」
「あ、でも、お兄ちゃんのは?」
「俺はいいよ」
「おいしいのに」
「じゃあ、少しな」
「うん?」
「味見・・・」
言って、細い肩を抱き寄せるようにして、唇を寄せる。タケルの口中はひんやりと冷たくて、やわらかで
心地よかった。甘いキスをいくつかして、ヤマトが笑いながら唇を離す。
「甘ぇ・・・・」
眉を寄せるヤマトに、タケルがくすくすっと笑った。そんな弟を見下ろして、もう一度やさしく触れるだけ
のキスをする。
「さ・・・もういいだろ。そろそろ寝ろよ」
言って、すっと抱き上げて、ベッドの壁際の方へとタケルを下ろす。ふと、ヤマトが不思議そうな顔をし
た。
「あれ? おまえ壁際に寝てたよな?」
「寝た時はね」
「いつのまに、こっちに来たんだ?」
「よっく言う。お兄ちゃんが寝返りうって僕の方に転がってきて“タケル〜”とか言って乗り上げてきたん
だよ。重くって・・・ だから、そっちに避難したの」
「そうなのか?」
「そうです!」
きっぱりと言われて“そいつは悪かった”と一応は謝るけれど、あんまり悪びれた様子もない兄に、タケ
ルが“もう”と笑いを漏らす。そんな弟に笑みを返しながら、ヤマトもその横に寝そべると“ほら、こいよ”
と両手を広げた。タケルが少し頬を染め、それでも嬉しそうにその腕の中に身を寄せると、あたたかい
腕が身体をそっと包み込んでくれる。
どこよりも安らげるその場所で、タケルは胎児のように身を丸めた。
「あ、おまえ、歯磨きは? アイス、食べたろ?」
「いいよ、また目が覚めちゃう」
「トイレは?」
「いいってばもう… いつまでも子供扱いして!」
せっかくの甘い雰囲気を壊されて、怒ったようにタケルが返す。
「子供だろーが」
「子供じゃないよ! いくつだと思ってるの」
「11。立派なガキじゃん」
「・・・・・・怒るよ」
「・・・・・・怒るな。・・・つーか、もう怒ってるけどな」
笑いを含んで言いながらも、降参するようにヤマトが小さく両手を上げる。
そんなヤマトを睨みつけるようにして“僕はもう子供じゃない・・・・子供じゃないんだから・・・”と小さく
呟き、兄の胸に顔を突っ伏す。
時折、子供扱いされることは心地いい時もあるけれど、小さい時のように無邪気にじゃれついてみたい
時だってあるけれど、こういう時の子供扱いはちょっと癪だ。
まだ自分は恋の相手としては未熟だ、役不足だと言われているような気がしてしまう。
兄弟だけど、抱き合ってキスもするのだから、誰よりも兄の特別な存在でいたいのに。
切なげに瞳を伏せて、ヤマトの胸に頬を寄せる。その肩をそっと、ヤマトの手が抱き寄せる。
「タケル・・・?」
呼びかけても答えない弟に、泣いているとでも思ったのか、もう片方の手が壊れ物にするように気を
つけて、タケルの顎を掬い上げた。顔を上げると、心配げな兄の顔が目に入り、タケルは、少しだけ
切なげな大人びた表情で微笑んだ。
・・・・わかっているくせに。
この人がどれだけ自分を大切にしてくれているか、愛してくれているか、痛いほど知っているくせに。
だけども、それでも、どこまでこの人の想いが自分と同じなのか、知りたくてたまらない時もある。
それがたとえば、一言でいいから、言葉で伝えてもらえたなら。
言葉なんて、気持ちのごく一部で、それがすべてだなんて少しも思っていなくても。
「タケル・・・・?」
何も言わずに見つめてくるだけのタケルに、その頬に手の平をよせてヤマトが呼ぶ。
「ね。お兄ちゃん・・・」
「ん・・・・?」
「アイシテル・・・って言ってみて」
唐突な弟の言葉に、照れやの兄は心底驚いたような顔をした。よほど驚いたのか、平静を取り繕い
ながらも、続ける言葉が少し裏返る。
「な、なに言い出すんだ、急に」
「いいじゃない。ね、言ってみて」
「・・・・・いつも言ってるじゃねーか・・・」
「うっそー、聞いた事ない」
「言ってるって。心の中で」
「それじゃあ、わかんないでしょ」
「・・・・そりゃ、ま・・・」
「ね、言って」
「・・・・・もう、寝ろって・・・・」
「言ってくれるまで、寝ない」
「おまえなあ・・・・」
真剣な顔つきのタケルに、それがまた、なんとも可愛いくて。しかし、いざ、そう言われて待ち構えて
いられても、そうそう言えるはずもない。だいたい思ってはいても、それを言葉に出すのは元々苦手
な性分なのだ。
いざ、と構える弟に、ヤマトが視線を逸らせて、肩を落として深々と溜息をつく。
それを見て、これは持久戦に持ち込んでも駄目だと判断したのか、タケルも脱力したように長い溜息
をついた。
「もういい・・・ お兄ちゃんの照れ屋・・・」
「催促されて言うことじゃねえだろ?」
「わかってるよ。そんなの。・・・でも、ただ、ちょっと聞いてみたかったのに」
ちょっと悲しそうに言われて、なんだか悪いことをした気分になって、ヤマトがそんなタケルの唇に、
そっとやさしいキスを落とす。
「もう・・・すぐ、そうやって誤魔化すんだから・・」
「苦手なんだから、しょうがねえよ・・・」
「キスで、手間を省いてるんだ」
ちょっとむくれたような言い方に、ヤマトが小さく笑った。
「こっちは得意だからな・・・」
言って、今度は深く口付ける。意識を溶かすような、深くて甘くて切ないキス。
長い口付けの後、唇が離されると熱い吐息をついて、でもそれに陶酔していたことは知られたくなく
て、それで機嫌を直していることはもっと隠しておきたくて。タケルは、ヤマトから少し身を引くように
して体を離すと、枕を抱いて寝転がった。そして、わざとふざけるように言う。
「でも、お兄ちゃんって、ほんと照れ屋さんだよね。僕だったら、好きなコができたら1日に何回でも
言ってあげるのに。“キミが好きだよ、アイシテルよ”って」
「・・・・・ヒカリちゃんか?」
間髪を入れずに問い返すヤマトに、きょとんとした顔になって、タケルが兄の顔を凝視する。
「どうして、ヒカリちゃん?」
「どうしてって・・・ いや、なんとなく」
視線を反らせて、ちょっと心持ち頬を赤らめたようなヤマトに、満足そうに笑んでタケルが尋ねる。
「それって、ヤキモチ?」
「ま・・・そうともいうかもな・・・」
ヤマトの答えに、タケルはふふっと笑って枕に頬を埋めた。
「だったら、いいや・・・・今日のところは、それで許してあげる」
タケルの言葉に、ヤマトが“こいつ”とコツンと拳で額を小突く。それにくすぐったそうに笑いながら、
さすがに眠くなってきたのか、タケルが小さく欠伸を漏らした。
「笑ってねえで・・・もう、寝な・・・・」
「うん・・・・」
「おやすみ」
「おやすみ、お兄ちゃん・・・」
優しく笑んで、ヤマトがタケルの頭を自分の胸の上へと抱き寄せる。そして、目を閉じてまどろみか
けるタケルの髪を、長い指で梳かすように撫でていく。
ふと、ゆっくりと眠りに落ちていくタケルの耳に、ヤマトの甘く低い声が響いた。
初めて聞く曲だ・・・ 歌詞はなくて、メロディだけの。
「・・・・・・なんて曲・・?」
「・・・子守唄」
「・・・初めて聞いた」
「・・・即興だからな・・・」
「・・・いい曲だね」
「・・・もう、しゃべるなって・・・」
「・・・・・・・うん・・・」
ヤマトの手が促すようにタケルの髪に触れ、また低い声で唄い出す。
それは何だか、子守唄というよりはラブソングのようで、タケルの心に甘く響く。
もっと長く聞いていたいのに、瞼が重くてどうしようもない。
また、明日聞かせてとねだっても、朝になればきっと忘れてしまったと誤魔化されてしまうに違いな
いから。だから、もっと聞きたいのに、今、聞いておかなきゃ・・・・睡魔に抵抗するタケルの耳に、押
し当てたヤマトの胸から、“いいから眠れ”というように心臓の音が聞こえてくる。
あたたかい音、あたたかい声・・・・・。
それが次第に遠のいて、眠りがタケルを夢の中へ誘っていこうとした時。
まどろんでいく心地よい意識の底で、唄を止めたヤマトの甘い囁きが聞こえた。
それが夢だったのか、本当のことだったのか、眠りに落ちていくタケルには、もう確かめる術はなか
ったけれども。
その耳に。確かに聞こえた。
『タケル、アイシテルよ・・・・』 と。
100HITリクエストをくださったゆたか様にv お一人様限定でお持ち帰り自由ということで。
煮るなり、焼くなり? でも煮ても焼いても甘いかも・・・
すみません。これでリクエストにお答えできているか心配なのですが、どうでしょうか?
甘いよ〜と最初は思っていたんですが書いてるうちに、はて?これって甘いか?と疑問に・・・・
感覚が麻痺してきているのでしょうか???
とにもかくにも書いている私はとても楽しかったですv
リクエストくださって本当にありがとうございました!(風太)
モドル