◆ムーンライトダンス◆


気がつけば。
粉雪の舞う、真っ白な野原を歩いていた。
遠くの山並みの影は紫。
落ちてくるような、星空。
わずかな月明かりだけが、その一面の白い風景をぼんやりと映し出している。
遠く、行く先には黒い鉄橋が見えた。
ーそれは、まるで、夢の中のようで。
遠い少年の日の、幻影のような。
そうだ。
かつて、ここは一面の麦畑で・・。
ああ、そう、あれは数年前の夏。
まだ14歳だった自分と、それから2つ年上の金の髪の少年と―
まばゆい光の中だった。
太陽を一身に浴びて、ころげまわって、はしゃいで。
おなかが痛くなるほど笑い合った。
じゃれあって、子犬みたいに、草の上に寝転がって。
それからまた駆け出して、背の高い草の中に逃げ込んで、隠れて、ふざけて追いかけっこをした。
「ほらぁ、氷河! ここだよ!ここ! あははは・・・・・ こっちだよ、こっちだってば!」
「こいつ! 瞬、待てよ! こら、待てっ!」
「待たないよーだ」
「よーし」
「うわ」
「ほら、捕まえたぞ!」
「わわ・・。あ! 氷河、あれ見て! 雲が白鳥の形みたい!」
「え?」
「なんちゃって。嘘だよーだ」
「このぉ・・!」
「えへへ、ここまでおいで!」
「瞬! こいつ、よくも騙したな・・!」
「あはは、ごめん。でも騙される氷河も、間抜けなんだから!」
「瞬!」

何の疑いももたなかった。
あまりにもまばゆくて、眩しいその光景は、その後思い出すたび、胸の奥が絞られるように切なく痛んだ。
ーあれは、いったいどういう感情だったのだろう。
たとえば。もしかして、恋、と呼べるものだったのか。
それとも、まったく別の何か、だったのか。
ただ、思い出すだけで、切なくて。
心地よいほど、胸が痛くて。
なぜ、ここにいたのか、どうしてここにきたのか、
それすらももう、思いだせはしないのに・・。

一日中、声が枯れるまで笑い合って、足が痛くなるまで駆け回って、それから夕方になって。
泥だらけになった靴を脱いで裸足になって、鉄橋の所まで歩いた。
川辺に足を浸して、洗って。
そのあと、鉄橋の下・・・・。
上を走る電車の音に、君の声はかき消されてしまったけれど。
はるか雲の遠くで雷鳴が轟き、一瞬、その空を細い稲妻が走った。
それは、なんだか、ひどく美しく見えて。

―もしかすると、あれが、たぶん、僕の初めての・・・・・・。

その後、自分は、切なく美しいその想いと引き換えに、つらく苦しい恋を知った。
それは、切なさよりも、息も絶え絶えの苦しさで、心はやさしい春風のかわりに、いつも嵐のようだった。

―それでも・・・

金髪の少年は、戦いのその後、故郷の国へと帰郷した。
今頃、遠く北の大地でどんな生活をしているのだろう。
何度か手紙も届いていたが、最近はそれすらももう滅多にない。
・・・・元気でいるのかな。
想う瞬の髪を、ビュッ!と強い風がさらっていく。
思わず、ぎゅっと目を閉じた瞬は、その背後でサク・・と雪を踏みしめるもう1つの足音を聞いた。
驚き振り返って、また殊更に驚く。
雪が、彼の周りだけ、なじむように絡みつくように強く舞っていた。
「氷河・・?」
”どうして、ここへ・・・・?”と聞こうとして、何とはなしに口をつぐんだ。
なんだか、そんなことを尋ねるのは、この美しい雪の情景の中では、とても無粋なことのように想われたから。
数年ぶりに見るその金の髪は、見覚えのある”ざんばら”の長い髪ではなく、裾がやっと襟足に届くぐらいの短さに揃えられ、顔立ちも体格も、もうすっかり青年のものだった。
大人びた静かな笑みをして瞬の前に歩み寄り、そっとその頬へと冷たい手を差し伸べる。
「・・・女の子みたいだったのにな・・・」
随分と長い間合わなかった青年の、第一声はそれだった。
瞬が、その不躾な言葉に、思わず肩をすくめる。
「ひどいなぁ・・・。いきなり、それ?」
むくれたような瞬の顔に、氷河が笑みを浮かべた。
「すまん」
そういえば瞬の方も、青年と言うにはまだ早いけれど、背も伸び、肩幅も成長し、一時は背中の真ん中まであった髪も、今は肩までできちんと切り揃えられている。
だけど、面立ちは、相変わらずやさしい。
女の子みたいに、という表現は、さすがにあてはまらなくなってしまったけれど。
それでも、まだやはり、どこかあどけなくて、微笑みもやわらかくて。
「たくましくなったね、氷河は。見違えちゃった」
「そうだろう?」
「もう。相変わらずだね、そういうところは」
「おまえこそな。その口癖」
「もう・・!と、と・・・」
「ははは・・・」
「笑わないでよ。氷河ったら。でも、帰ってるなんて知らなかった。いつのまに?」
「ああ、ちょっと沙織さんから呼び立てがあって」
「何? 何かあった?」
「いや、まだ。先にここに寄ったからな」
「この近くに何か用でも?」
「・・・・・・・いいや」
「・・・そう・・・?」
「ぼんやりと一人で歩いてみたくなって」
「ああ。僕も、実は。一人でぼんやりしたくなって、電車に乗って・・・。気がついたら、ここに来てた」
「奇遇だな」
「うん、奇遇だね」
でも、どうしてだかわからないけれど、ここに来れば、氷河に会えるような、そんな気がしてたんだよ。変だね?
瞬の心がつぶやくけれど、それは言葉にはならなかった。
粉雪の降りしきる中、遠く鉄橋から、列車の走る音が聞こえてくる。
それが、山並みに響いて、響いて・・・。
立ちつくしたまま話し込んでいたことに気づくと、氷河が”少し歩くか”と、瞬に言った。
そして、”うん”と答える瞬の肩を軽く抱くと、ゆっくりと鉄橋に向かって歩き出す。
なぜだか急に、話す言葉を失って、二人はそのまま無言になって歩いた。
歩きながら、考える。
あの時の、あの気持ち。
あの透き通るような想いは・・・。
だけども、思い出すには遠すぎて、いろいろなことがありすぎて。
言葉にして綴るには、あまりにもはかなく透明すぎて。
そう、ちょうど、手をふれるとその中で、消えてなくなる淡い粉雪のよう。
「わ・・・あ」
鉄橋を越えると、そこはまったく人の足を踏み入れていない聖域で、まるで羽毛でできた真っ白い絨毯のようだった。
瞬が思わず、感嘆のため息を漏らす。
「きれいだねえ・・・」
「ああ・・・」
瞳を輝かせる瞬に、そんなものはめずらしくもない氷河は、それをろくに見ずに、瞬の顔を見ながらそう答えた。
「・・・・・・・・・だな」
「え、何?」
「え・・?」
「何です?」
「ん? いや、いい・・」
「もう、変な氷河・・・。ふふっ・・」
瞬が、その純白の絨毯に、キュ! キュッ・・!と、一番の足跡をつけながら、嬉しそうに笑む。
「ねえ、まるで、真珠の床のダンスホールみたいだねえ・・。踏んじゃうのが、もったいないくらい」
瞬の言葉に、氷河はくすっと笑うと、恭しく身を屈め、瞬の前にサッと片手を差し出した。
「よろしければワルツなど一曲・・。お相手願いませんか? お嬢さん」
「お嬢さん、というのは不本意だけど」
笑いながら、氷河の冷たい手に、そっと自分の手を重ねた。
氷河がそれをとり、少し雪に足を取られそうになる瞬をリードしながら、音のない雪のワルツに身をまかせる。
粉雪が囁くように瞬の髪に絡みついて、それが月の光にはじけるように、きらきらと輝いている。
瞬が、氷河の手を支えに、舞うようにターンしながら、かつての少女のような微笑みを浮かべて氷河を見た。
―あの日・・。
あの夏の日、光の中で微笑んだ、瞬のまぶしいくらいの笑顔を氷河は思い出していた。
そう、あれは―
あれは、何年前だったろう。
まだ16歳だった自分と、それから2つ年下の翠の髪の、女の子のようによく笑う少年と。
かつて、ここにあったはずの一面の麦畑で。
まばゆい光の中だった。
とけいるように、ころげまわって、はしゃいで。
おなかが痛くなるほど笑い合った。
じゃれあって、子犬のように草の上に寝転がって。
それからまた駆け出して、背の高い草の中に逃げ込んで、隠れるのを探し出して追いかけて、ふざけて。
「あのころは信じていたな」
ふいに氷河が呟いた。
瞬が問うように、少し首を傾け、氷河の顔を覗き込む。
「ずっと、おまえのそばにいるつもりだった。いられると信じていた」
言いながら、雪の中の瞬の顔を見つめた。
ずっと焦がれ続けたやさしい顔。
自分だけのものにしておきたかった。
大切な、たからもののような、きれいでまぶしい微笑み。
思い出にあるのは、いつもいつも、限りなくやさしい、日溜まりのような瞬の笑顔だった。
だけど。
知っている。
いくら焦がれても、もう決して手に入らないもの。
いや、最初からそうだったのだ。
この笑みは、誰のものにもなりはしない。
今までも、これからも。
だからこそ、なお焦がれるのか・・?
瞬が言った。
”もしも、あの日に終わりがなくて、ずーっと夏の日のままだったら・・・・ 僕は・・”
その言葉を制するように、氷河の冷たい指先が、そっと瞬の唇を押さえた。
やさしく、包み込むように静かに微笑む。
「まだ・・」
「え・・っ?」
「まだ、奴を追っているのか?」
この言葉に、瞬の肩がぴくりと震えた。
そして、氷河を見上げ、初めて見せるひどくおだやかな静かな微笑みで、だけども情熱的な瞳の色をして、ゆっくちと頷いた。
少し、苦しげに言う。
「うん。たぶん、一生」
今の今まで見せていた、どの表情ともまったく別の、氷河の知らない瞳をして瞬が言った。
それから、また微笑みなおして、今度は少し淋しそうに言う。
「おかしいね・・ あの頃は、自分の夢がすべて、かなえられるような気がしていた。大人になれば、今あるもののすべてがもっと素敵に輝くのだろうと。そんな気がしていた・・」
”どうしてだろう・・?”と呟いて、瞬が唇を噛んで、微かに涙ぐむ。
今が互いに、まったく幸福じゃないわけではないけれど、失った日の、遠い日の記憶があまりにも美しくて、切ないほどに眩しくて。
ただもう、胸がしめつけられて・・。
氷河は、俯き涙ぐむ瞬の肩を、そっと両手に抱きしめた。
そっと、本当に、そっと。
まるで、手にふれればたちまちとけてしまう淡い粉雪を手のひらで受け止めるように、戻らぬ日の、陽だまりを胸に抱くように・・・・・・。

たぶん。
あの一日だけが、2人にとっての奇跡だった。
誰よりも近くに、心を通わせていた。
あの日だけは、お互いにとって、お互いが、
絶対無比の存在だった。
・・・遠い少年の日のこと。
身をきるような切なさと、甘い疼きは、
2度と帰らない、戻せない時の流れへの、
そして、疑うことを知らなかった少年の日への憧憬・・。


「おまえが好きだった・・・。あの日のおまえを、誰よりも好きだった」

「うん、僕も。あの日の氷河を、世界中で一番好きだったよ・・・」



END






なんだか、久しぶりに書いてみたらば、氷河v瞬もいいなー!としみじみ。でも、基本がどうにも一輝v瞬なもので、「一輝のことを想っている瞬のことが好きな氷河」というパターンからはなかなか抜け出せそうにないですが・・。でもまた書いてみたいなあ。氷河はなんとなく、ずっと一輝を見ている瞬を、少し離れたところから静かに見守ってくれてそうな・・。そんな気がします。
このお話は、実は回想シーンが17くらいで、それから5年後に再会して、しかも氷河はケッコンしてるという設定だったのですが、久しぶりに書くのに20代の氷v瞬てのはちょっともったいないなーと思い、結局お互いまだ10代に無理矢理しました(笑) 渡辺美里の「ムーンライトダンス」という歌をもとに書いたのですけど、なんか今だに冬に渡辺美里を聞くと氷河v瞬を思い出します。しかしなあ、夏のさなかに麦畑を駆け回る氷河・・・。
溶けそうですね・・。