夏の名残の永遠
   2001.08.31



 虫の音色を聞きながら、膝を抱える腕をぎゅっと握り締めた。
 聞こえるのは虫の音色と、流れる水のせせらぎ、そして側の人の鼓動だけ。
 小さく息を吐き出せば、それさえも辺りに響きまわるように感じられた。
 見上げれば青白い宇宙に幾つもの星が瞬いている。
「静かだね」
「ああ……」
 返ってくる声は深く、低く、心に響く。
 この場所にたった二人で取り残されたようで、都会の喧騒と掛け離れたこの場所が、まるで異次元のようでもあった。
 きっと宇宙の中心は、こんなところにあるんだ。
 タケルは空を見上げて、もう一度静かに息を吐き出した。
「寒いか?」
 ヤマトの問いかけに、タケルは思わず笑いかける。
「寒いって時期には、早いんじゃない?」
「そうか?でも、浴衣だしな」
「ん、大丈夫」
 笑いを含んだタケルの声はどこか暖かかった。

 
 夏休みには毎年のように島根に遊びに来ている2人だったが、今年は夏の初めに学校行事の予定が入ってしまい8月の中ほどまでなかなか休みの予定が合わなかった。それでも何とかして行こうと決めた2人は、宿題も学校の支度も終らせて、8月の末の強行軍で遊びに来ていた。
 今日はもう8月の30日。そして明日、東京へと帰る。
 本来ならこんな時期までのんびりと島根に滞在できないはずだが、9月1日が日曜日のために予定を延ばし伸ばしにして、いまだにここにいる。帰宅予定から2日ほど過ぎているが、信頼されているのか、それとも放任主義なのか、きちんと学校へ行けるのならかまわないと、両親の許しもあっさりとしたものだった。
 明日のこの時間には、いつものように自分の家で、いつものように霞んだ空を眺めているのか。
 最後の一日をそのまま布団に入って過ごすのは寂しくなって、祖父母が寝静まった今、川のほとりにいた。
 岸辺に揃って、2人で座り込んでいる。
 空にも星、川面にも星。
 夏の名残を残した空気には、競うように鳴く虫の声が満ちている。
「もう、秋だね」
 タケルの言葉に、ヤマトはふっと笑った。
「秋には早いな…まだ、夏の名残が残ってる」
「夏の名残か…」
 夏の気配が側にあり、やがてやってくる秋の気配は少し遠くにいる。欠けた月が山の端に落ち、ただ星だけが明るかった。
「すごい星だね…」
「ああ」
 既に帰宅の荷物は家に送ってしまい、後は家に帰るだけ。
 祖母が作ってくれたと言う浴衣を、2人は大事に着ていた。
 寝巻き代わりにというから、喜んだタケルがだったらもらってもいい?と聞けば、祖母は本当に嬉しそうに破顔した。いまどきの子供は、こんなものは要らないと言うのではないかと、心配していたらしい。そんなことないよと言えば、こんないい子は他にいないと喜ぶから、かえってはがゆい。これくらいでそこまで喜んでくれる祖父母のほうが、よほど人がいいと2人で顔を見合わせて苦笑した。
 大切に大切に作られたそれは、すべて手縫いのものだった。
 柔らかく、暖かい、木綿の浴衣。
 タケルはそれにそっと頬を摺り寄せて、もう一度息を吐き出す。
 ゆっくりと、溜息にならないように、そっと吐き出す。
「どうした?」
 それでも気づいてしまうヤマトの問いかけに、いつものように笑ってみせる。
「こんな景色が、あるんだね?」
 都会では決して見られない、空に近い場所。
「綺麗だな」
「綺麗だね」
 川に映る星は、ひょっとしたら川底から光を放つ、鉱石なのかもしれない。風に揺れる木立に宿る光は、ひょっとしたら気に実った玉石なのかもしれない。
 聞こえる虫の音は、大地の奏でる音楽で、川のせせらぎも、本当は巧みに弦を操って、誰かが奏でている曲なのかもしれない。
 こんな景色があるなんて、誰も教えてはくれなかった。
 ビルの谷間に生きる名もない草花も、とても美しいけれど、星の光に照らされたこの景色は、何にも変え難く感じる。
 もう一度、もう一度だけと、タケルはそっと息を吐き出す。
「帰りたくないか?」
 どうして分かったんだろう。
 タケルは驚いて顔を上げた。
 帰りたくない。帰ればいつもの日常が待っている。
「お兄ちゃん?」
「帰りたくないんだろう?俺も同じだよ」
 同じだと言う言葉が、残酷に響く。
 きっと同じじゃない。想いは同じじゃない。
 それでもタケルは、にっこりと笑った。
「同じだね」
 今度は僅かにヤマトの表情が歪んだ。しかし星明りに騙されて、タケルは気づかない。
 2人とも、同じ思いを抱いているのに。
「でもきっと、ずっとは居られない」
「居られないか?」
「居られない」
 きっぱりと告げるタケルの声は、大人じみて聞こえた。いつの間にか成長して、その精神は何者が阻んでも変わりなく育つ。
 ヤマトは小さく笑った。自嘲に似たその表情は、どうやっても伝わらない。
 伝わらないけれど、タケルの胸はツキンと痛んだ。
 きっと永遠なんてないと、自分に言い聞かせているから。この世界が、永遠に続くなんてことはないと、知ってしまったから。
「でも俺は、忘れないぜ?」
「忘れないって?」
「星が綺麗だったこと、川のせせらぎが聞こえたこと、風が穏やかだったこと、夏がゆっくりと去っていくこと、そしてタケルが側に居ること。
 きっと、ずっと忘れない」
「……忘れない…?」
 忘れなければ。
 この時この一瞬を、ずっと忘れなければ、死んでしまっても、この体が朽ちてしまっても、この星が終ってしまっても、それでも忘れなければ、その時は永遠と言えるのかもしれない。
 タケルは立ち上がると、ゆっくりと川面に向かって歩き出した。
 側の雑草をくすぐるように、川はゆっくりと流れていく。
 不意に手の甲にポツリと水が滴った。
 俯くタケルは、この晴天に雨でも降ってきたのかと、ぼんやりと考える。
 季節はずれの雨、でもなんだかおかしい。視界までぼやけている。
「タケル…?」
 呼ぶ声に振り向くことはできなかった。抑えきれない嗚咽が、噛みしめた唇の合間から漏れる。
 永遠なんて信じていないのに。
 ずっと一緒に居られないって分かっているのに。
 ただの兄弟として、愛するしかないと分かっているのに。
 一瞬でも永遠を信じさせてしまう相手を、苦しくなるほど想ってしまっているから。
 噛みしめた唇から漏れる嗚咽をもてあまして、ぎゅっと握りしめた拳が白くなっている。
「タケル…」
 泣くなと告げられないヤマトは、後ろからその体を抱きしめた。
 大切に、大切にそっと。
 いつか愛する人が現れて、その涙を拭ってくれるその時まででいいから、この存在を抱きしめていたいと、思いを告げる腕をもてあましながら、それでもそっと抱きしめた。
 その小さな頭を右の腕で抱え込み、左の腕でその体を支える。
 まだ、幼いその体。
 きっと、恋も愛も、まだ知らない心。
 幼い幼い、俺の弟。



 永遠なんてないけれど、きっとこの瞬間だけは忘れない。
 あなたを愛したことだけは忘れない。

 その夏の名残にだけは、きっと永遠が見えるから。



Fine

Matuyuki Sou
夏の名残の永遠







               は〜・・・・読み返して溜息・・・ 素敵すぎ・・・v
                    タケルの想いが伝わってきて、切なくて、ちょっと泣きたい気分になっちゃいます。
                    あ、このお話は残暑見舞い企画ということでお持ち帰りしてもいいよと言ってもらった
                    ので、あつかましくいただいちゃったのですが・・
                    なぜにこんな素敵なお話が書けるのでしょう?
                    いつまでも余韻にひたっていたい気分。
                    このサイト、小説はこのお話1本で充分ではないかい?と今本気で思ってますわ。
                    ほんとよ、オカアサンv(風太)



               『母でございます!(サザエさんのパクリ)
               そんなわけで、風太大先生のサイトに乗せていただいて、大変光栄でございますv
               本当に、毎回素晴らしいSSで「チクショコメ!やられたぜ!」とパソコンの前で、悶
               えさせていただいておりますv悶えすぎ!
               そんな風太さんですが、な、な、な、な、なんと!私の作品をお持ち帰りになるなどと、
               仰いやがって!(爆笑)
               とにかく、いつも遊んでくださって、ありがとうございますv以前から何度も遊んでいた
               だいて、メルでもお話してくださって、さらに、ご自分でサイトもお開きになって。
               嬉しいです!
               これからも、影ながら、おおっぴらに応援させていただきますので(どっち?)
               頑張ってください!
               ヤマタケ内ファン第1号は、わたしのはずです!会員番号、1番は渡しませんvえへv
               そんなわけで、松雪笙でした。お持ち帰り企画ご参加、ありがとうございましたv』


               松雪大大先生からコメントを頂きましたv 嬉しい〜v
               結婚式のスピーチのようなコメントありがとうございましたv(笑)




              
モドル