「もう夕方になっちゃったね・・・」

ベランダから夕日を見ながら淋しそうに呟いて、タケルが洗濯物を取り入れて丁寧にたたみ、夕食

の支度のためにキッチンへと向かう。その背中がなんだか消え入りそうに儚げで、ヤマトは思わずその

細い肩に、引き止めるように手をおいた。


「タケル・・?」

何?と笑顔が振り返り“いや・・”と何を言うこともなく、手をひっこめる。

「ねえ、明日、お兄ちゃん予定ないの?」

「ん? ああ、どこか行きたいか?」

「じゃあね、水族館とか」

「おまえの行きたいとこでいいぜ」

「あ、でもプラネタリウムとかもいいな」

「いいけど」

「じゃあ、水族館行って、プラネタリウム行って、遊園地行って、あ、海へも行きたいな・・」

「そんなの1日でまわれきれねえよ」

笑いながら言うヤマトに、タケルが淋しそうな顔で微笑んで“そうだよね、1日じゃ無理だよね”と頷いた。

「あ、じゃあ、朝早く起きて出かけようよ! それで・・」

「タケル・・・?」

「それで、お弁当とかも作って。あ、でもお弁当っていうならピクニックとかもいいかな!」

「タケル・・・おい」

「でも、まだ今は寒いからやっぱり・・」

「タケル!」

「あ・・・」

ヤマトの声に我に返ったように、びくりと話すのをやめ、ゆっくりと兄を振り返る。

怒っているのかと疑うような怯えた瞳に、静かに微笑みかけながら言う。

「まるで、明日で世界の終わりがくるみたいだぞ・・」

「だって・・・」

本当にそうなんだよ、僕にとっては、と心の中で哀しく呟いて、けれどもちろんそれは言葉に出来ず、

震える唇で“そうだね、ごめん”とだけ言った。

もうあと1日だけで、それだけでいいから。

もうお兄ちゃんに無理を言ったりしない。

困らせたりもしない。

あと一日だけで、きっとあきらめられるから。

この想い全部、なかったことにしてみせるから。

「タケル・・・?」

すがりつくような瞳がヤマトを見上げてくる。

その大きな瞳に見つめられて、自分の中にある想いが、兄としての自分と葛藤しているのがわかる。

(そんな顔すんなよ・・・・抱き締めたくなるだろ・・・?)

そう思いながらも、ヤマトの左腕がごく自然に、そっとタケルの背中を抱き寄せる。

驚いたような顔をしつつも、何も言わず、タケルはそっと兄の肩口に額を寄せた。

互いに凭れかかっているだけのような静かな抱擁。

タケルはその背に腕を回して縋り付きたい気持ちを必死で押さえ、ヤマトも、両の腕で強く抱き締めて

やりたい気持ちを、気が狂うほどの想いで懸命に押し殺していた。

一度抱き締めたら、もう離せなくなる。

離したくなくなり、誰の手にも渡したくなくなる。

自由を奪ってしまう。

それは、できない。

愛おしすぎて、束縛することすら怖い。                     

  第一、

 この愛は、もとからかなわない性質のものだから。

 片想いのまま、終わるしかないはずのものなのだから。

 誰にも告げずに、ずっとこのまま。

「お兄ちゃん・・・」

沈黙と、苦しさに耐え切れなくなって、そっとタケルが身体を離す。

泣きそうな瞳で見上げると、兄の手が静かにタケルの頬に触れた。

本当は、言葉なんてなくても、わかる。瞳がすべて打ち明けている。

だけども、ヤマトにはわかるタケルのそれが、タケルにはまだ全て幼すぎ、自分の気持ちに翻弄されて、

兄の眼差しを読むことなど到底できない。

そんなタケルに答えてやることが、今、この弟の幸福となるのか?

そんな迷いが、ヤマトに言葉を繋ぐ術を失わせる。

何も言わずにただ見つめてくる兄の瞳を見つめ返して、頬にある手に自分の手をそっと重ねる。

暖かい・・・・・。

泣いてしまいそうになる暖かい手。

いっそ、このまま、静かに時がとまっているこの隙をついて、この想いを打ち明けてしまおうか。

この苦しさから逃れるために。

けれど、そんなことをしたら、僕はこの片想いと同時に、兄すら失ってしまうのだ。

“お兄ちゃん”を失う。

嫌だ・・・・!

それだけは、どうしてもいやだ。

そう思い、何か代わりの言葉を、と小さく動く唇が次の瞬間、

びくっと震えた。

電話の音が、沈黙を破るように、夕暮れの部屋に鳴り響く。

見つめ合っていた視線を外して、2人同時に電話を振り返った。

固まっている兄に、小さく“電話・・・”というと、ヤマトが“ああ・・”と答えて受話器を取る。

「はい、石田ですが」

ヤマトの身体が離れたことに幾ばくかホッとしつつ、兄の背を見守り、しかし、その声が呼んだ名前にタケル

はビクッと大きく肩を震わせた。

「・・・・・空・・・」

途端に、感情が一気に外へと向かって流れ出し、タケルはそれを慌てて押さえようと、兄から思わず背を

向けた。が、溢れ出してきたものは、押さえ込んでいた力の強さの反動で止められず、涙がこぼれてしまい

そうになり、タケルは弾かれたように駆け出していた。

こんな顔見られたくない。逃げ出さなきゃ。

「タケル!」

受話器を放り出すように置いて、玄関を飛び出していくタケルを追いかけ、靴も履かずに廊下に出たヤマト

は、しかしそれ以上は追えず、その場に凍りついたように立ち尽くした。

少し行った所で立ち止まったタケルが、ヤマトを振り返る。

それは、その場にあまりにそぐわない明るい笑みで、明るい声で。

「今日は、やっぱり帰るね。じゃあね、お兄ちゃん」

「タケル・・・ッ!」

「お願いだから、追いかけてこないで・・・!」



えと
えと、このお話は長くて、本文だけで40Pくらいはあったと思います。なんか取り憑かれたように書いてたので・・・。
    でもすごく楽しく書いてました。よかったら、読んでみてやってくださいね。この後、タケルはいなくなちゃうのだ・・。