「ねえ日曜あいてる? ちょっと買い物つきあってほしいんだけど」
夕食後、キッチンに食べ終わった食器を運ぼうと、テーブルを離れた息子に母が言った。
「え? あ、ごめん・・」
「また“お兄ちゃん”?」
母の指摘に思わず食器を落としてしまいそうになりながら、頬を染めて慌てて弁明する。
「ち、ちがうよ!友達と! 大輔くんと映画見に行こうって」
「ふーん・・・そう。じゃ仕方ないわね」
タケルの返事に、母はちょっと淋しそうな顔をした。
そういえば、ここのところ、日曜日といえば出かけていたし、土曜も母が仕事の時は大抵兄のマンションに泊まっていた。
母と日曜にゆっくり過ごしたことなど、考えてみればほとんどない。
もっとも小5の男の子なのだから、それもごく当たり前目といえばそうなのかもしれないが、母と二人暮しである自分を考えると、そうも言っていらない気がした。
笑顔をつくって、努めて明るく母に言う。
「いいよ!お母さん。映画の方はキャンセルするから。たまのことだもんね。母さんに付き合うよ!」


『タケル?』
短いコールの後、受話器の向こうで、タケルの大好きな声が名を呼んだ。
「あ、あのさ。ごめんね。明日・・・駄目になっちゃった。お母さんが買い物付き合ってほしいって・・・たまのことだし、なんか断れなくって・・」
『そっか・・』
「映画、来週だったら、もう終わっちゃってるよね」
『いや、俺はいいけどな。おまえが見たがってたやつだから』
「ごめんね・・・怒ってる?」
『怒るわけねーだろ? おまえのそういう親想いのやさしいトコ好きだしな』
「お兄ちゃん・・」
『あ・・・、待てよ。明日そういえば親父も休みなんだよな・・』
「うん? それがどうしたの?」
不思議そうに首を傾けるタケルの耳に、何かを思いついたらしいヤマトの楽しそうな含み笑いが聞こえた。


「いいのかなー。知らないよ怒られても」
「後で俺から謝ってやるから」
午前中に急な用事が出来たとか何とか誤魔化して、母とはショッピングモールの前で待ち合わせることにした。
時計を気にしながらタケルを待つ母に、良心が咎めないわけではなかったが、これから起きることを探偵のように建物の陰から見つめていると、子供っぽい悪戯心が顔を出し、胸がドキドキしてくる。
「父さんには何って言ったの?」
「単刀直入に、母さんがオヤジに買い物付き合えって言ってるぜ?って」
「う〜ん・・いいのかなあ、ほんとに。・・あ、来た!」
息を詰めて覗き込むと、父が母を見つけて、手を上げて近づいてきたところだった。
母が驚いたような顔して父を見上げ、そして何かブツブツ言いながら辺りを睨むように見渡している。
両親は困惑気味にしばらく何か話し合っていたが、やがて、促すようする父とまだ何か言ってる母は、肩を並べて店の中に入っていった。
ヤマトとタケルは、とりあえずはホッとしたように溜息をついて、顔を見合わせた。
「でも、気になるなぁ」
「尾けるか?」
「よそうよ。バレたら怖いじゃない」
「だよな。ホテルとか入られても困るし」
「変なこと言わないでよ、お兄ちゃん! お母さんはそんなことしないよ!」
「“そんなこと”したから、俺とおまえがいるんじゃん」
「もーぉ、知らない! 映画行こ、映画!」
ヤマトの冗談に思い切り赤面して、妙な所に潔癖なタケルは怒ったように兄の腕を取ると、ぐいぐいひっぱって大股に歩き出した。


「はー・・・・」
「今日は溜息ばっかりだな。つまんなかったか?映画」
「映画は面白かったけど。お母さんたちのこと、気になるし、それに・・」
「それに?」
「・・・お兄ちゃんは、映画の最中にキスするし・・」
「いいじゃん。暗くてわかんねーよ」
「わかるよ! 後ろの人、絶対見てたもん」
映画を見終わった後、軽い昼食を食べるために入った喫茶店で、またひとつ溜息をつくと、タケルはストローでオレンジジュースの中の氷をつっついた。
頬杖をついて、店の外を行き交う人を見つめる。
「なんか・・お母さんがお見合いしてるみたいな気分・・」
「相手、親父だぜ?」
「だけど・・」
またひとつ溜息をつくタケルに、ヤマトが呆れたように小さく笑いを漏らす。
「・・マザコン」
「マ・・! どーして、お兄ちゃんが言うかなあ、そーゆーこと!!」
真っ赤になって思わず席を立つ弟に、ヤマトが笑いながら冗談だからムキになるなよと宥めて坐らせる。もう!と怒った頬をして、そっぽを向くタケルを可愛いと思いつつ、なんだか同じようにソワソワと落ち着かない自分に気づいた。
黙ってしまったタケルと一緒に、何を見るということもなく店の外をぼんやり眺める。
今日は、この後どこへ行っても、きっとこんな落ち着かない感じで、遊ぶという気にもなれないだろう。
“出ようか”とタケルに声をかけると、タケルも“うん”と小さく頷いた。
家路につくにはまだ早くて、まだ離れたくもなくて。
二人は寄り添うように、波打ち際を歩いていた。
陽が大分傾いてきた海は、それでも眩しく輝いていて、初夏の休日にはぴったりの風景だったけれど、それがなお一層二人を不安にさせた。
寄せては返す波を見つめ、タケルがそっとヤマトの腕にもたれるように身を寄せる。
「ねえ・・・」
「ん・・?」
「・・・喧嘩、してないよね・・? 母さんたち」
タケルの小さな呟きに、ヤマトの胸がチクリと痛んだ。
同じことを考えていたのかと思うと、可哀相で思わず細い肩を抱き寄せる。
「喧嘩なんか、しねえさ」
笑って答えるヤマトの胸中にも、一抹の不安はある。まさかそんなことはないと思うけれど、もしかして自分のつまらない悪戯心で、せっかくここの所親密ともいえる関係に戻りつつある両親が、また悪い方向へと向かっていってしまうようなことになったら・・・
砂の上にタケルを坐らせ、その隣に腰掛けて、心細げに震える肩をもう一度そっと抱き寄せる。
波をじっと見つめていると、不安は尚一層掻き立てられた。

―― 幼い頃の記憶にある、日曜の午後。タケルを連れて公園に行った。
   夕暮れが近いのに家には帰れない。帰りたくても帰れない。
   きっと、父さんと母さんはまだ喧嘩しているだろう。
   そんな二人を見るのがつらかった。
   砂場に並んで夕陽を見つめていたら、不安で不安でたまらなくて、
   小さいタケルを腕にぎゅっと抱き締めた。 
   そうしたら、少しだけ不安が和らいで、痛みもあまり感じなくなった。
   ・・・結局、あの日はどうやって、家に帰ったんだろう・・・

「もう、あれから6年も経ってるんだし、大丈夫だよ。心配ねえよ」
自分にも言い聞かすようにそう言って、タケルの髪を撫でてやると、その手に自分の手を重ね、タケルは甘えるようにヤマトの肩に頭をのせた。
小さく鼻が鳴るのを聞いて覗き込むようにタケルを見ると、震える唇に涙が一粒伝い落ちた。


「俺がちゃんと話すから、大丈夫だって」
タケルのマンションまで送っていってドアの前までくると、とたんに泣きそうな瞳を向けてくる弟に、苦笑してヤマトが言う。
うん、と肩を落として頷くタケルの目の前で急にドアが内側から開けられ、タケルは驚いたように後退った。
玄関で、母が腕組みをして立っている。
「おかえり」
「た、ただいま・・」
「ちょっと来なさい。ヤマトも入って」
どう聞いても怒っているようにしか聞こえない口調に、兄弟は顔を見合わせ、母についてリビングに行き、顎で示されるままに並んでソファに腰掛けた。
「で、どういうこと?」
母の一言に、ヤマトが立ち上がって弁解する。
「いや、俺が、勝手に親父をハメようとしただけで、タケルは何も関係ないんだ。だから、母さん。タケルのことは・・・」
「じゃなくて」
「え・・?」
「息子たちに父の日のプレゼント選んでもらおうと思ってたのに、本人に来させるとはどういうこと?と聞いてるの」
「え・・っと・・?」
思わず言葉に詰まるヤマトと、びっくりした顔のまま固まっているタケルを見比べて、母は怒った顔をくずして、笑い顔になった。
「あの人ったら、もう、こんな高いの買ってもらっちゃ悪いとか、俺が払うからとかって、それじゃあプレゼントにも何にもならないっていうのよね!」
「・・はあ・・」
「・・・あ、それで、そのイヤリング・・」
めざとく、母の耳に光る見慣れないものを見つけて、タケルが指差す。
それを慌てて手で隠して、母はちょっと頬を染めて微笑んだ。
「ま、おかげで8年ぶりぐらいに、お父さんからプレゼントもらえたから、あんたたちにはお礼いうべきかもしれないけど」
なんだか妙に嬉しそうにはにかむ母に、ヤマトとタケルはあっけにとられつつも、とりあえずはホッとして、顔を見合わせて微笑んだ。


成り行きはどうであれ、とりあえずは父と母は平和に買い物を済ませ、昼の食事も一緒にして、こっちはこうだ、そっちはどうだ、なんて話をひとしきりして、結構楽しい時間を過ごしたらしい。
“なんだよ、馬鹿馬鹿しい。心配して損した”と毒づきつつも、安堵を隠せないヤマトは、よかったなとタケルの頭をポンと叩いて笑みを浮かべた。
「じゃあ、帰るな」
「うん」
「あ、晩ご飯食べてく?」
「いや、親父の分、どっちにしても作るから」
「そう・・」
「あ、下まで行くよ」
「いいよ、ここで。じゃあ、母さん」
「またおいでね・・ヤマト」
ヤマトを玄関まで見送って、母が少し寂しそうに微笑んだ。
それを見ないようにしてドアノブに手をかけ開きかけて、ヤマトは思い切ったように母を振り返った。
「母さん・・・あのさ」
「なあに?」
「俺たち、本当に面白半分でこんなことしたんじゃないんだ」
「うん・・わかってる」
母の答えにタケルを見て、それから、今まであまり視線を合わせて話をすることがなかった母に、真っ直ぐに向き直る。
「いや、俺は冗談半分の悪戯心で親父をけしかけたんだけど・・・こいつ・・タケルは・・今日一日ずっと、母さんたちのこと気にかけてたよ」
「お兄ちゃん・・」
兄の言葉に、タケルが大きな瞳を見開いてヤマトを見上げる。
ヤマトはその瞳に微笑みかけて、くしゃっとやわらかい髪を撫でた。
「もしも、2人が喧嘩してたらどうしようって・・・不安で・・不安でたまらなくて・・こいつ― 泣いてた・・」
「ヤマト・・」
驚いたようにヤマトを見つめ、母がはっとタケルを見る。
タケルは頬を染めて、困ったように俯いた。
「可哀相だよ・・こいつ、まだ11だし、親にもっと言いたいこと言って、えらそうにしててフツーな年頃だし・・・なのに、いつもちゃんと母さんのこと一生懸命考えて、守ろうとしてる。自分のことはそっちのけにして・・
そういう気持ち、大事にしてやってくれよ・・・」
そう言って俯くヤマトに、母は唇を噛み締めて強く頷くと、2人の息子の肩に手を回して抱き寄せた。
「そうね・・・ごめんね。ヤマトも・・タケルも・・・ありがとう。・・・本当に本当に感謝してる・・・・こんな母さんの息子に生まれてきてくれて、本当にありがとう・・・・・・・」
タケルはいきなりの母からの抱擁に驚いて、ヤマトはタケルのそれとは比べものにならない驚きでそれを受け止めて、暖かな腕の中、兄弟は互いの顔を見合わせて頬を染めて微笑んだ。



数時間後、タケルのDターミナルにヤマトからのメールが届いた。
『オヤジの方も、すこぶる上機嫌だったぜ。親孝行できて、よかったな。
 追伸:こっちのデートは、次の日曜やりなおそうぜ。今度はちゃんとあけとけよ』













ええっと、再録です!これは6月くらいに書かせてもらったやつですなんですが。
今ならちょっと書けないというか、書くならもっと長くなるはずの両親ネタ。
こんなに軽いはずはないだろう(特にヤマトが)と思うけれど、02では大分接近していた両親なので、
こういうのももしかしてアリかもvとそのまま載せました。アリかもいうよりは、期待したいなあと・・・。(風太)

                                       
モドル

Happy Holiday