□■ はんぶんの月 □■

僕は苛立ってる。
たぶん。

それは『闇』の力とか、そういうワケのわからない、実態の無いもの相手じゃなく。

もちろん、『闇』の力なんてものは、まがまがしい悪しきものを産み出すだけの力なのだから、許すことはできないし、あってはならないものだ。
アイツも存在しちゃならない。
ブラックウォーグレイモン・・。
倒さなければ。何としても。
これ以上、闇の力を増大させちゃいけない。
最後のホ―リーストーンはなんとしても守らなければ。
・・・・・・・・。

思考が止まる。

何か、ちがう?
何か、気持ちをすり替えている。
苛立ってる相手は、本当にアイツ・・か?
うそつき。
わかってるだろう。
もう、わかってる。
あんな風に、不自然に帰ってきてしまったんだから。
みんなから背を向けて、「僕は行かない」と理由も告げずに言い捨てて。
みんなは何と思っただろう。
誤魔化しきれるだろうか?
明日から。
こんな風に、誰かに対して苛立って、感情を波立たせている自分自身を、みんなに。
そして。
特に・・・彼に。

自分がどうしたいのか、よくわからない。
誰にどうしてほしいのかも、よくわからない。
僕の本当の気持ちは、いったいどこにあるんだろう。

真っ暗な部屋の中、ソファの上で膝を抱えた。
こわいな。
自分の気持ちがわからない時ほど、こわいものはない。
誰かを憎んでるかもしれない。
傷つけたいのかもしれない。
でも、それはよくないことで、本当はそうしたいわけじゃないはずだ。
混沌としてる。
考えがまとまらない。
僕は、自分の膝を両手で、ぎゅっと引き寄せる。
胃のあたりが痛い。
僕は自分で思うより、結構神経質らしい。
大輔くん曰く、「タケルは鋼鉄の神経」らしいけど、案外そうじゃないみたいだ。
ここんとこ、そのことを考えようとすると、こんな風に胃が痛む。
膝を抱いて、身体を丸めて痛みを逃すのは、もうずっと以前から自分で身につけてしまったこと。
ひとりっぽっちで痛みに堪えなきゃならない時は、こうしていると少し楽になるから。
薬には弱いし、飲むと吐いちゃうからね。かならずと言っていいほど。
あーあ・・。
声に出して、溜息をついた。
なんだかもう、こんな自分自身が嫌だ。消えてしまいたい。
苦しいよ。
いっそ、いっそ涙でも流せたら、こんな気持ちも少しはすっきりするかもしれな・・・・

思ったところで電話が鳴った。
ぴくりと肩で反応して、ソファから下りて電話を取る。
「はい、高石です」
語尾にかぶるように相手が言った。
「タケル」
驚いて、受話器を取り落としそうになってしまった。
慌てて、別に見られてるわけでもないのに、部屋の明かりをつける。
真っ暗なまま何してんだよ。と言われてしまいそうな気がして。
「お兄ちゃん! どうしたの?」
つとめて明るい声で聞く。
「元気か?」
「あ。うん、元気。お兄ちゃんこそ、バンドの練習中じゃなかったの? 今くらいの時間って」
「ああ。ちょっと抜けてきた」
「何? 急ぐ事?」
兄は、少しだけ間を置いて、続けた。
伊織くんが来たぞと言われて、へ?と間の抜けた声が出てしまった。
どうして、お兄ちゃんとこに? 何のため?
僕が行くと思ったのかな。
もしかして、皆のミーティングを断ったのは、そのためと思われたのか。
少しドキリとする。
実際、少し、いやかなり、そうしたかったのは本当だけど、結局それも出来なかったのだ。
バンドの練習があるのも知っていたし、それをおしてまで会いにきたとなると、心配性な兄のこと、どうしたのだろうと思うだろうし。
でも、どうしたという理由は自分でもよくわからないのだから、説明できるはずなんてない。
わけをいわない僕を、兄はもっと過剰に心配するだろう。
正直、こんなよくわからない気持ちで、兄を心配させたくはなかった。
心配、させられない。
いつからこんな風になったんだろう。
昔は、もっと上手に、兄にだけは甘えられたのに。
伊織くんから聞かれたことと、エンジェモンの話をしたよと兄は言った。
なんだ。
そんな事が聞きたかったの? 
そんなことなら、いくらでも話してあげたのに。
『闇』の力をなぜ許せないかなんて、そんな簡単明瞭なこと。饒舌に話せるよ。
直接聞いてくれてもよかったのに。
一通りの話を終えて、兄が少しためらうように聞いた。
「おまえ・・・・・大丈夫なのか?」
「え? 何が?」
「なんか、あんまり話さねえだろ。俺に、そういうこと」
「あ・・うん。でも心配ないよ。ジョグレスだって、きっとそのうち伊織くんと出来るだろうし、そうしたらジョグレス体が3体になるんだから、きっとアイツだって倒せると思うし」
「ああ・・」
「きっとうまくいくよ、大丈夫」
「ああ、そうだな・・」
「だから、心配しないで」
「タケル?」
「じゃあ・・」
「・・・なあ、おまえ一乗寺・・・」
「教えてくれてありがとう、お兄ちゃん」
言いかけた兄の言葉を遮るように、僕は話を終わらせようとした。
「それじゃあね」
明るく言う僕に、少し戸惑って兄があきらめたように言う。
「・・じゃ、またな」
言って、そっと電話は切れた。
怒ったかな。
少し強引すぎたかもしれない。
その上、わかりやすい反応をしてしまった。
兄なら、気づいたかもしれない。
もっと取り繕うべきだったか・・・。
あんな話の切り方じゃ、かえって心配させるだろうか?

ツーツーと音のする受話器を戻せないまま、じっと耳に押し当てた。
まだ耳の奥に、やさしい声が残っている。
もっと甘えればよかった。
ちがう話でもして、もっと上手に甘えればよかった。
でも。
何も相談もしてこない、こんな弟を、兄はもう昔のように可愛いとは思ってくれていないだろう。
可愛いげないよね、僕。
けど。
本当はまだ。
不安だし、そばにいて欲しいんだよ、お兄ちゃん。
だって、僕は。
今、ひとりぽっちなんだ。
淋しいんだ、お兄ちゃん。
いつのかにか、気がついたら、ココロが半分欠けてたんだ・・・。


心の中で、哀しい石ころが、ころんと音をたてて転がる。
でも涙は出ない。
かわりにまた、石ころが転がる。ころん・・・。
このまま、いくつまで増えるだろう。


苦しいな。
少しだけ、本当の事、言っちゃえ・・・。
いいよね。
どうせ、誰も聞いてないし。
今だけ、一回だけ。

一乗寺、賢。
うらやましい。
恨めしい。
ねたましい。
闇の力に翻弄されながら、それでも己の好きにデジモンたちを従わせ、彼らに酷い仕打ちをした。
僕の憎むべき、あのデジモンを甦らせてしまった、キミはその罪深さをどの程度知っていただろうか。
欲望の限りを尽くした挙句、一度はパートナーをも失ったキミを、もちろん同情はしたんだ。
兄の死が起因と知った時も、もし自分もそうなれば、きっと狂うだろうと思ったし。
〈キミとはまたちがう意味で)
そして、所詮キミは操られていただけなのだから。
だから許せるとも思った。これも本当。
だけど。
キミは、ただの「人」に戻ってまでも、欲しいものを手に入れすぎる。
そんなに貪欲でもないのに、ただそうしているだけで、何もかもを手に入れて行く。
ワ―ムモン、やさしい両親、あたたかな家庭。仲間。そして・・・。
本宮大輔。
あんな一生懸命な、彼をはじめて見た。
キミを仲間にしようと、皆の中で奔走してたんだよ。
君、大輔くん。
それくらいの気持ちでヒカリちゃんにもアタックしたら、きっと振り向いてもらえるのに。
うん、まちがいなくね。
僕だって、うらやましいと思うくらいだから。
じゃあ。
たとえば、もし、たとえば、僕がデジモンカイザーだったとしたら?
改心した僕を、彼はそんな風に一生懸命、仲間にしようとしてくれただろうか?
「あんなヤツ、仲間になんかしたくねー」
きっとそんな風にいうのだろうなあ・・。
かなしいけど、たぶん、当たってる。この予想は。
別に悲観的展望というわけじゃなく。
そんなもんだろう、きっと。
駄目なんだ、僕じゃ。
キミと大輔くんがジョグレスした時、僕は取り残されたと感じた。
本当は彼と、大輔くんと、かつて一緒に冒険をした頃の太一さんと兄のようになれるかもしれないと、少しそんな淡い期待もあったから。
喧嘩して、言い争って、それでも少しずつ分かりあって認め合えたらいい。
そしたら、いつか本当の友達というのに、近づけるかもしれない。
僕はどこかで、そんな友人を欲しがっていた。
いつも微笑んで、やさしいとか感じのいいヤツだとか、そんなことを言われるのにもう嫌気がさしていた。
みんなの「いい人」じゃなく、誰か一人の『悪友』がよかったのに。
君の隣に行きたかったよ。大輔くん・・・。

でも、その時はまだヒカリちゃんがいたから。
彼女とは、運命共同体みたいなところがあって、通じるものも多かったし、コイビトとかそういうのにはたぶんなれないだろうけど、他の人とはちがうものを感じていた。
でも。
彼女は京さんを選んだ。
選んだというのはそぐわない表現かもしれないけど、結果的にはそうなった。
「お兄ちゃん」でもなく「僕」でもない、新しく心を通わせる人ができたんだね。
よかったね・・・。


からっぽの心の中に、ころりとかなしい石ころがまた音をたてた。
 
とりとめもない、言葉ではあらわせない、切なさでもなく、哀しみでもない。
ただ、なんというか・・・・・・空虚な・・・・・
孤独感?

だれかに取り縋って『淋しい』と泣けたなら、欠けてしまった心のはんぶんは見つかるのだろうか。
どこで泣けばいいだろう。
僕のいける場所は・・・・この仲間たちの輪の中には・・・・・・ない。


伊織くん、ごめんね。
君が悪いわけじゃないんだ。
君が僕をわかろうと、僕に向かおうとしてくれたように、僕もせいいっぱい君に近づけるよう頑張るよ。
年上なのに、頼りにならないね、ごめんね。
少し、待って。
もう少しだけ。
欠けた部分を修復して、(そう、骨組みを作って、粘土で形をつくり、飾りをつくって色を塗る。そんなふうに。それで完成。張りボテの心、完成)そうしたら、また微笑んで君に向かうよ。
ジョグレスしようよ、絶対にね。






ホ―リーストーンの最後の1個は、とにかく翌日の戦いでは守りきれた。
というより、現れたのがマミーモンたちだけで、アイツはついに現れなかったから。
ブラックウォーグレイモンの出現がなければ、ジョグレス体が2体もいれば充分だもの。
僕たちの出番もなし。

そういうことで、昨日の夕方とはうってかえって、そこそこ足取りも軽く、僕らは学校を後にした。
みんなの最後尾を歩いていた僕は、先頭にいた大輔くんと一乗寺が裏門を出たところで少し驚いたように、そこにいた誰かに挨拶をするのを「誰だろう?」と思って見ていた。
「今日はもう、バンドの練習終わったんすかぁ?」
「ああ、ちょっと早めにな」
バンドと聞いてどきっとし、その返事の声にぎくりとなった。
戦況はどうだ?なんて話になってるところで、ようやく僕は裏門をくぐった。
目が合った。
途端に、なんていうか、その場にへたりこんでしまいそうな、そんな気分になってしまった。
肩から力が抜けて、全身を倦怠感がおそってきた。
「よう」
兄が僕を見て、少し笑んだ。
なんか・・・・嫌だ。
顔がまともに見られない。
鼻の奥が、つんと痛んだ。
伊織くんが、前に一歩出て、「昨日はお忙しいところ、どうもありがとうございました」と、小学校3年生らしからぬ丁寧さで兄にぺこりと頭を下げる。
兄は「いや、こっちこそ」と、少し困ったように笑った。
「なんだあ?」という大輔くんに、伊織くんが「大した事じゃありません」と即座に答えた。
どっちが年上なんだか・・と思うけど、僕だって、こんなだから、そんなに大輔くんと変わらないかも。
ぼーっとそう思いながらつっ立ってたら、みんなの視線が僕に注がれていて、はっとなる。
何?と聞きかけて、すぐにわかった。
いつもなら、お兄ちゃん!とすぐに顔をほころばすはずの僕が、何も言わず兄の顔を〈結果的に)じっと見ているだけなのだから、傍目には異様に見えるのだろう。
喧嘩でもしたか?めずらしい。とそういう発想になっても不思議じゃない。
「あ、じゃあ、あたしたち先に帰ってるから!」
どうもそういう雰囲気が一番苦手そうな京さんが、じゃあタケルくんと僕に手を上げ、同じマンションの伊織くんの肩を促す。
それにつられる形で、皆はじゃあとその場を離れた。
ヒカリちゃんと一乗寺だけが、ちらっと心配そうに僕を振り返る。
ちがうってば。
喧嘩とかじゃないから。第一、喧嘩する理由もないし。
第一・・・・。
喧嘩なんか、したことないもん。お兄ちゃんと・・・。
皆がぞろぞろと帰っていくのを見送って、兄は「俺たちも行くか」とくるりと僕に背を向けた。
行くって・・・。
帰るんなら、僕は伊織くんや京さんと同じ方向に行かなきゃ。
お兄ちゃんちにいく約束なんかもしていないし。
背中を向けて歩き出した兄に、それも聞けず、仕方なしに少し遅れて後ろをついていく。
土台、どうして来たんだろう。
本当に用事があったのは、僕にだったんだろうか?
もしかして、別に僕に会いにきたわけじゃなかったのを、皆が早トチリしただけじゃあ・・・。
何も言わない兄に、ついていくのがふいに不安になった。
どうして何も言ってくれないんだろう。
すっかり日の暮れた歩道を歩いていると、車のライトが目にささるようだ。
光が僕の上を走り抜けて、それが妙に不安を掻き立てる。
手をかざして、それを遮りながら、とぼとぼと歩く。
空には、ぽっかりと月が浮かんでいた。
半分に欠けた月。
今の自分のココロの形に似ている。
でも、月は、時はたてばまたその形を丸く取り戻していけるけれど、ココロの形というのは、時はたてば・・・というものでもないだろう。
ずっと、半分のままなのかな。僕のココロは。
半分は、張りボテで。
本物は半分で。
それも、淋しい。とても哀しい。
そんなの、いやだよ。
胸の中に、なんとも言えない感情が溢れてきた。
立ち止まりたい。
立ち止まって、ここで。
ここでもう泣きたい。
崩れ落ちて、へたりこんで、おいおい泣き出したら、さぞかし兄は慌てるだろう。
そう出来たら、楽になるかもしれない。
でも・・・。
そんなこと、出来たら、最初っから苦労はないよね。
泣きたい。
泣けない。
でも泣きたい。
でも、我慢しなくちゃ。
泣いたりしちゃいけない。
きっと、困らせる。
僕は、
泣けないんじゃなく。
泣いたりしちゃいけないと思ってるから。
だから、泣けないのか・・。
兄は、歩道橋を上がり、その橋のちょうど真中あたりで足をとめた。
僕も遅れて追いつき、そして少し間をあけて立ち止まる。
歩道橋の下を何台もの車の光が、走り抜けていく。
もう暗くなってしまった空の下で、ライトが放つまばゆい光がさざめき駆け抜けていく様は、まるで、足の下に、銀河が流れるかのようだ。
立ち止まって、ぼんやりとそれを見る僕の目にも、その光が少しぼやけて走って行く。
兄がこちらを振り返った。
何を言っていいかわからないから、僕は兄の言葉を待つ。
昨日の電話。
話の途中で遮ったみたいになっちゃったから、その事を怒っているの?
せっかく電話してやったのに、あの態度はないだろう?って、そういうことが言いたいのかな・・。
だったら、ごめんなさい。
そんなつもりじゃなかったのだけど。
昨日はまだ、その話を聞ける余裕はなかったんだ。
今なら、もうきっと大丈夫。
ちゃんと聞くから、どうか話して。
黙らないで。
そんな風に黙ったまま、じっと見つめられると、つらくて。
どうしたらいいのか、わからなくなる。
お兄ちゃん。
呼ぼうとするより一瞬早く、兄の両手が突然のびてきて、僕の両側の頬をそっと包み込んだ。
びっくりして、瞳を見開いて兄を見る。
何・・・・?と、なおのこと、どうしていいかわからなくなって戸惑う僕の右頬の上で、いきなり、ピシ!と手のひらで叩かれる音がした。
お兄ちゃんに叩かれたのだとわかるまで、数秒かかった。
叩かれたのと反対の頬に添えらえたままになっている兄の手に、瞳を見開いたまま、震えながら顔を寄せる。
ぼろっと、両の瞳から同時に大粒の涙がこぼれ落ちた。
驚いた。
こんなに簡単に、涙って出るんだ・・。
だって、初めてだったから。
お兄ちゃんに、
たたかれたのなんて、
初めてだったから。
でも。
どうして?と問うことも出来ないほど、涙があとからあとから溢れてきた。
堰をきったように。
涙腺がきっと、今の衝撃で壊されてしまったんだと思えるほど。
どうしていいかわからなくて、何を言ったらいいかわからなくて、ただぼろぼろ泣きながら、兄を見上げる僕の髪をそっと撫でて、「馬鹿だなあ・・・」とやさしげに微笑んだ。
「なんて顔、してんだよ」
「だって・・・」
「泣きたい時には、泣きゃいいんだ。堪えてることなんか、ねえんだよ?」
「だって・・・どうしていいかわか・・・・」
言葉が途切れる。
自分でだって、今、どうして泣いてるのかわからないのに。
自分が泣きたかったことだって、ついさっきまで知らなかった。
「なんで、我慢なんかすんだよ」
なんでってそれは。
あの1つめの冒険の後。
お母さんは相変わらず忙しくて、お父さんももちろん忙しくて、お兄ちゃんも中学に入ってから忙しくて会えなくて。
パタモンにも会えなくなって。
さびしかった、すごく・・。
たくさん友達はいたけれど、僕のココロはいつも一人ぼっちだったから。
一人でいるときに泣くと哀しくなって、どんどんつらくなって、ココロの中で哀しい石ころがどんどんふえて、それがしこりになって、胸が痛くて苦しくてたまらなくなって。
そうなることがこわくて、その痛さを一人で味わうことがこわくなって、泣くことさえもこわくなった。
とりあえずは微笑んでいれば、皆は喜んでくれたし、安心もしてくれた。
涙を我慢していれば、そしてそれに慣れてしまえば、気持ちはいくらでもごまかせたから。
ただ、しこりは少しずつ増えて、僕の胸はかたくなってしまったけれど。
「ほら、だから。そんな風に、声殺して泣くなって・・」
自分がそんな風に泣いてるなんて知らなかった。
そういえば、無意識に、漏れそうになる嗚咽を堪えて奥歯を噛みしめている。
兄の手が、頬から肩に滑り落ちて、震えているその肩に手をかけて、静かに自分の方に引き寄せた。
バランスをくずして、その腕の中に倒れ込むようにして抱きとめられる。
視界が涙でぼやけたのと驚いたので、目の前は光の洪水のようになった。
「おまえ・・・いろいろ一人で我慢して、つらかったんだろ?」
・・・えっ?
伊織くん、何かそんなこと?
いや、彼がそんなこと気づくはずもないか・・。
だったら、気づいてくれてたの? お兄ちゃん?
「ごめんなさい・・」
小さく言うと、「俺に何も言わねえこと、怒ってるんじゃねえよ?」と少し困って言う。
「俺も、その・・・。どうしてやったらいいか、わかんなくて。おまえのこと、心配で気になってしようがねーけど、おまえ何も言わないから。過
保護に心配しすぎるのもよくねえかなって・・。太一にも、「おまえは心配しすぎだ。アイツらのことは、ちょっとアイツらを信用してまかせとけよ」とかって言われるしなあ。けど・・」
甘えるように肩口に額を寄せると、小さい頃にしてくれたように、そっとポンポンとなだめるように背中をたたいてくれる。
「いくつになっても、おまえは俺の一番大事な弟だから」
心配しねえわけにいかねえじゃん・・と言って笑う。
「一番」という言葉に、ココロが即座に反応する。
誰かの「一番」になれるなんて、もうないと思ってた。
兄にはもうきっと僕なんかじゃなく、太一さんとかバンドの仲間とか、たとえば(いたとしたら)コイビトとかそういうのが一番大事なんだと思ってた。
「ぼく・・・・・ぼ・・・くは・・・・・」
「ん・・?」
「自分が・・・・・・何を・・・・か、わからなかっ・・・・・・だか・・・ら・・・・気持ちとかそういうの・・・・・がまんし・・・・」
「だから、しなくていいんだって」
「だって・・・・・・どこで・・・・泣いたら・・・・いいかもわか・・・なくて・・・・・気持ち・・・・もう、ぐちゃぐちゃで・・・・・みんなのとこでじゃ・・・・泣く・・・・・てできな・・・どこに行ったら・・・・・・・もう・・・・・っ・・」
いつのまにか、泣きじゃくっていた僕の背中に両手を回して、兄が、しっかりと抱きしめてくれる。
こんなこと、すごく久し振りで、なんだか、もう、わけもわからず、僕も兄の背に腕を回して、とにかく強くしがみ付く。
「どこにも行かなくて、いい」
「え・・・・」
「おまえはここにいろよ・・・」
「お兄ちゃ・・・・」
「まだ、ここにいていいんだ。俺のそばにいたらいい。おまえが、嫌になるまで、俺のそばにいていいんだ。どこにも、無理に行かなくていい・・」
おまえが成長して離れてくの、俺、相当キツかったんだぜ?と、少し照れたように言う。
「いいの・・・? まだ、甘えてて・・・いいの?」
「あたりまえじゃん・・」
「僕、可愛いげないよ・・?」
「かわいーけど? 充分」
「自分にも、いっぱい、嘘もついてるし」
「そりゃあ、俺もそうだけど。けど、つく必要のねえ嘘はつくな。自分が、つらいだけだろ?」
「うん・・・」
「一人で何もかもどうにかしようなんて、思うなよ。せっかくこうして兄貴がいるんだし、おまえは一人じゃないんだから、頼りたい時にはちゃんと頼れよなー」
「ん・・」
「いつだって、俺はおまえの味方だから」
「お兄ちゃん・・」
「あんまり頼りになんねーかもしれねえけどさ」
ここはもう、僕の場所じゃないと思っていた。
もう、ここにいてはいけないんだと、無意識にそう思っていた。
もう、誰か他の人のものになっているのかもしれないと思っていたし。
だから、一人でがんばらなくちゃ・・・って。
本当にいいの?
甘えてて、いいの?
だったら、そうなら、
ずっと、ずっと、永遠にだってこうしていたいよ。
「ごめんな」
「・・・なに・・?」
「痛かったろ?」
「・・・・・あ」
言われて初めて、兄に打たれた頬がじ・・んと熱を持っているのがわかった。
「ううん」
首を振る僕を見下ろして、兄は苦笑した。
「こうでもしねーと、泣かねえもん。おまえ・・」
言われて頭を撫でられる。
また瞳から、ぼろっと涙がこぼれた。
あったかい言葉。
そうでもしないと泣けなくなってる僕を、気づいてくれてたというだけで嬉しいよ。とても。
涙を見られないように、その胸につっぷして、兄の制服の背にぎゅっとしがみつく。
そこから少しだけ顔を上げて見上げた月は、確か半月だったはずなのに、涙にくもって、なぜかまんまるい月に見えた。

はんぶんだった僕のココロも、今は、もしかすると、丸い形であるのだろうか。



歩道橋の上で、流れるライトを見送りながら、その夜は遅くまで話をした。
「お兄ちゃん、僕。一乗寺くんと友達になれないかもしれない」
というと、兄は、
「だったら、なんなかったらいいじゃん」
と、あっさりと言った。
「でも、できたら、友達にはなりたいんだ」
と答えると、
「だったら、なれよ。なっちゃえよ」
と、笑って言った。

そっか、案外こんなことは、短純で明解なことなのかもしれないな。と兄の笑顔につられて思う。
「そんなに簡単にできれば苦労はないんだけどね」
お兄ちゃんみたいに。と笑むと、「おまえ生意気」と笑ってコツンと頭をこづかれた。
満面の笑みで、それを受ける。
キモチなんて、案外、簡単なんだなあと思う。
線路のポイントを切り返るように、案外、自分の気持ち1つで、何もかも、どうにでもなることなのかもしれない。




兄が、あたたかい手を、僕の心臓の上にそっと置く。
とたんに、しこりがじわ・・と溶けて小さくなった。
そんなイメージがした。



明日は、ジョグレスできるかな。
歩道橋の手すりに凭れて兄を見上げると、兄は、出来んじゃねえ?
「ちょっと、妬けるけどな」と、
ぼそっと言って、空を仰いだ。




END





ええっと何気に暗い話でゴメンなさい。
このお話は、実はもう一年くらい前に書いてたものをずっとほったらかしにしてあったもので、ヤマタケbbsで02のこの「すべてを語り出すヤマト!」(なんてオーバーな予告だったことよ。まったく02・・・期待したのにさ、ぶつぶつ・・)の回のお話が出て、そういや・・と思い出し、ひっぱりだしてきたわけなのです。
当時書いたものは、同じようにヤマトが会いに来てタケルをぴっぱたいて、なのですが。
「おまえ、伊織くんのことを少し考えてやれよ」という感じの、ちょっとお叱りムードの・・・。
いや、タケルの方が年上なんだし、伊織があそこまでタケルに歩み寄ろうとしているわりには、タケルの方で全然そういうとこが見られなかったから・・・。
でも今読み返したら、ヤマトはかわいい弟のことで手いっぱいで、伊織がどーのなんて思わないだろうし、純粋に心配して、「なんか切羽詰まってるみたいだし、でもアイツ意地っぱりだから、こりゃひっぱたきでもしねーと泣かねーぞ・・」みたいな感じのがソレらしいかなあと思いまして。
02では、兄との電話の後、特にタケルの心境の変化みたいなフォローもないまま(大輔らに気にもとめられないまま・・・・恨)だったけど、そのあとはもうふっきれたみたいな感じで、ジョグレスに対しても前向きで。しかも、賢ちゃんに対しても、「光があるとこには影ができるものなんだ」みたいなことのフォローもしてたし、あの肉まん(最初、憎まんって変換されちゃったさ。こわ・・)を手渡しての笑顔(かわいかったなあv)もあったし、きっとこりゃあ、兄は電話しただけじゃないのでは?なんて思ったのだ。
長い説明・・・・。
いろいろ、不満があるものでね、02。なんとなく、描かれてない部分のフォローをつい自分でしちゃうと、こんなことになるのでした。
そういう意味じゃ、SSのネタには困らないよね。02・・。(風太)
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