□ 第四夜 □



最近になって、兄にとって、自分はいったいどういう存在なのかと考えることが多くなってきたがする。


「なー、いいだろ」
「しつこいなぁ・・」
「いいじゃん」
「だから、僕、オカルトとかは苦手なんだってば」
「目、つぶってりゃいいじゃん」
「それじゃあ、見に行った意味がないでしょ」
「じゃあ、こわくなったら、俺が抱きしめてやるからさ」
「・・言う相手、間違えてるよ。そういうセリフ」
「弟以外に、言ったことはない」
「・・・・・・それって、異常です」
「オイ」
「カノジョと見ればいいでしょう」
「・・・アイツは見ねえよ、そんなの」
「じゃあ、僕だって見ない」
「タケルー」
「うわ、もう甘えないでよ! こんなとこで!」

こんなやりとり、普通、兄弟でしないでしょうに。とタケルが呆れて、心の中で溜め息を落とす。
ライブハウスに行く兄に、近くのコンビニまで行った帰りにばったり出くわしたのが運のつきだった。
こんなことなら、京さんちのコンビニにあるお弁当にしておけばよかった。
さすがに最近出た新メニューも全種類を食べ尽くして、飽きもきたので遠出したのに。
まさか、そんなところで兄に出会うとは思ってもみなかった。
こころところ、少し敬遠しぎみな自分に兄は気がついているだろうか?
いや、そんなわけはないか。
もし気づいていたら、こんな風に、「おまえもライブ見に来いよ!」なんて、強引に誘うわけがない。
ちょっと用事が・・とか、こんな格好だし、とか、いろいろ理由をつけても聞いちゃいないし。
結局、なんのかんので連れられるようにして、でもそれを「いい加減にしてよ!」と振り払うことも出来ず、自分は今いっしょにライブハウスまでの道のりを、こうして兄と歩いている。
仕方がないなとか思いつつ。
いや本当は振り払う理由もないし、振り払いたくもないし、ましてや怒るなんてことはない。
誘われて嬉しいし、絡まれてるのも心地よい。
ただ、つい、いろいろ考えてしまうだけだ。

自分たちはいったいどういう関係なのだろう?と。
見たい映画があると、なんとなく一番最初に一緒に見たいと思ってしまう。
行ってみたい場所があれば、とりあえずは一番に互いをさそってしまう。
美味しい店を見つければ、一緒に食べたいとも思ってしまう。
―・・・お互い、つきあっている「カノジョ」がいるにも関わらず。
これって、なんとなく問題なんじゃないかと思うわけだ。
そう、兄には中学の時からつきあってるヒトがいるし、自分にだって「コイビト」とはいえないけど、「カノジョ」はいる。
もうすぐ中3になるんだから、一人や二人、いたって当然だ。
いや、一度に二人はいらないけど。
兄のように、オンナの子に器用じゃないし。(皮肉も込めて)
普通なら、そっち優先となるもんだろう。
兄は、「他の女の子から言い寄られて、いちいち断る時に面倒だから」、カモフラージュのために付き合ってるんだなどというけれど。
そしてそれは、彼女も当然知っていると言うのだが。
そんな風に軽いように言ってのけても、根は真面目な兄なのだから、それなりに考えた付き合いなのだろう。
第一、そんな身勝手を認めてくれるというだけでも、心を許した信頼している相手といえるんじゃないのか。
「好きだ」と言われて、それこそ断る理由がなくて、でも理由を考えているうちに断り損なったまま「カノジョ」が出来てしまった自分とは、そのへんはまるで違うのだ。
少し遅れて歩きながら、兄の肩を見る。
長身の兄の肩は、いつも自分の目線よりも少しだけ上にある。
いくら身長が伸びても差はそんなには縮まらず、小学校の3年くらいから劇的に背が伸びたタケルは、そろそろ身長の伸びがゆるやかになってきた。
こんな風に、差はずっと縮まらないままなのだろう。
自分と兄との関係も、ずっとこんな感じで。
思いながら、少し重い足取りで引き擦るように歩いていると、ふと兄が少し歩く速度を遅めて、タケルに合わすようにしてくれているのに気がついた。
気がつくと、いつもこんな風だ。
歩道のない道も、いつのまにか、道路側を歩いてくれているのはいつも兄だ。
それがタケルにだけだなんて思いもしないで、そんな風に気がつくから兄は女の人にモテるんだろうなと、タケルは何となくそう思っていた。
「ちょっと、急ぐぞ」
「あ、ごめん。時間なかったの? いいよ、先に行ってくれて」
「いいよ、置いてくと、おまえ、そのまま家にターンしちまいそうだから」
スルドイ。
「あ、でも」
「いいから、一緒に急げって!」
言うなり肩に回されてきた手に、タケルが「どきっ!」というよりは「ぎくっ!」として一瞬、ほんの微かに身を強張らせる。
トモダチにだってこんな風に気軽に、肩に手を置いたり、兄だったらするだろう。
別にどうってことじゃない、どうってことじゃないんだけど。
ヤマトがタケルの肩に手を回しただけじゃなく、抱き寄せるようにしたから、タケルは人知れずかなりパニックになっていた。
「ちょっ・・・! 兄さん、人が見るよ」
「いいじゃん別に。兄弟なんだし」
「きょ、兄弟だから・・って」
普通しないってば・・!
呼吸が速くなる。
心臓が早鐘を打つようだ。
胸が痛い。
胸が痛い・・よ。
掴まれた肩が、灼けるように熱い。
そんな状況だったから、ようやくライブハウスに到着した時には、タケルはかなり気分的にぐったりしていた。
それを悟られないように、ライブハウスの関係者出入り口に兄を見送り、そこをさっさと立ち去ろうとする。
「ちゃんと最後まで聞いて行けよ」と念押しされて、それに「うん・・」と生返事を返して、店の入り口の方へと向かう。
その背後で、そこで待っていたらしい女の人の声がして、ちらっと肩越しに振り返ったタケルは、ここにきたことを心底後悔した。
「遅かったね?」
笑顔で言うそのヒトに、兄が他の女の子には決して向けない和んだ瞳で答える。
「よう。・・・ああ、ちょっとな、何かと」
ふうん?と首を傾げつつも、特に気にしていない様子で彼女が笑いかける。
「あ、ねえ新しい曲、出来たんでしょ。この前言ってた。今日、聞ける?」
「ん、まあな」
「楽しみにしてる」
「よせよ、キンチョーするじゃん」
「嘘、そんなヤマトくんじゃないくせに」
彼女が少し頬を染めて言い、ヤマトがそれにちょっと肩をすくめる。
そんな風に言われるのも、まんざらじゃないってことか。
そのまま続けられる二人の会話が、なんだかもの凄く遠く、まるで耳を塞いでいるように遠く聞こえた。
このまま帰りたいと、本気でそう思った。
ライブが始まるまで店の中に入る気もせず、ぼんやりと外の壁に凭れ、行き交う人を、まるで人待ちをしているかのように見ながら時間を潰した。
何人かの女の子に声をかけられ誘われて、よっぽど、自分は待ちぼうけをくわされた可哀想な男に見えるんだなと、ちょっと困惑したりしつつ。(実際はもちろんそんな意味ではナイのだが、タケルはいたって鈍感だ)
そして、ようやくライブ開始の時間になった。

9割方女の子で占められたライブハウスの中は熱気に溢れ、兄のバンドの登場にキャ―ッという歓声が上がり、タケルは頭が割れるかと思った。
基本的に人混みは苦手だから、本当ならそんな中でひしめき合いながら、音楽を聞く気になんかとてもなれない。
兄の歌やギターはもちろん好きだったけれど、こんな中では聞きたくなんかはなかった。
たまに兄の家に遊びにいった時に、しっとりと聞かせてくれる、ギターの音色や低い歌声はとても好きだったけれども。
ここじゃ、雑音が多すぎて、耳も心も乱されるばかりだ。
一刻も早く帰りたい気分になって、深く重いため息をつく。
バンドの演奏に合わせて、身体を揺すって熱狂する女の子たちとはまったく違う世界に立っているようで、ひたすら居心地が悪かった。
一番後ろの隅の方に、壁にもたれかかるようにして、舞台にいる兄を見る。
それから、前の方の、自分と同じく隅の方にいるあの人を見つけると少し見つめた。
目立たないようにしている所は、どこか自分と似通ったところがあるかもしれない。
だけど、あそこはステージに近く、兄のいる光の場所に一番近い。
自分は、そこからずっと遠く、光の当たらない陰の隅の方。
似ているようで、全然違うな。
思って、少し哀しくなった。
かなしいな・・・。
なんでこんなに叶わない人を、好きになったりしてるんだか。
考えないようにしているのに、あのヒトを見ると、考えたくなくても考えてしまう。
彼女は、ずっと以前から知っていて、昔はもっとボーイッシュで快活そうな感じだったけど、兄と付き合いだした頃から、めっきり女らしくなった気がする。
さっぱりとした性格で、それでいて情が深くてやさしくて、まろやかな女性という印象があった。
自分も少し憧れた時期があったから、兄が惹かれる気持ちもわからないではない。
ふいに、タケルが見ているのに気づくと、彼女はやわらかく微笑んでくれた。
それに、目で会釈して、微笑みを返す。
兄が歌い出し、やっとだ、と少しほっとした瞬間、タケルは「きゃー!!」と飛び交う歓声をその後ろで冷めた思いで聞きつつ、「?」と思った。
全身でリズムを取る女の子たちの中に、ふと、一人だけちがうものの発している子がいたような気がして。
ざっと見回すけれど特に変わったことはなく、タケルは気のせいかと思い、声援を送られている兄をちらっと見た。
歌いながら、兄の視線があのヒトを探してるのがわかる。
そして、前の隅のほうに目立たないように立って舞台に微笑んでいるあのヒトと、アイコンタクトをとって微かに笑った。
彼女が、幸福そうにやわらかく微笑む。
胸の奥が、ちくりと痛む。
ズキンと大きく痛むより、この小さくて鋭い痛みは、余計に深く心に突き刺さる。
そういうのを見るのが嫌でライブを断っていたなんて、まさか兄さんは想像もしないよね?
見てはいけないものを盗み見たような、そんな気分になる。
苦い想いが、薬のように胸に広がる。
帰ろう、この曲が終わったら。
そう思い、泣きたい気持ちをごくりと呑み込む。
そんなタケルの胸中なんてもちろん知りもせず、兄は歌いながら、まるで他にも誰かを捜すように客席に視線を這わせていたが、ふいに「やっと見つけた」という悪戯っぽい瞳をタケルに合わせると、やおら、小さくウィンクを送ってよこした。
きゃー!と悲鳴のように声が上がり、「誰に・・!?」と犯人探しでもするような目で振り返ってくる女の子たちに、タケルが慌てて「僕は何も見ていませんでした」というように視線をそらし、さっとあさっての方向を見る。
何、考えてるんだか、もう。
弟にウィンクなんか、するな!
嬉しいような困ったような恥ずかしいだけのような、どれも中途半端な気持ちで、とにかく、さっさと他人のフリだけはした。
兄はそれになぜか満足そうに笑うと、それから視線をすーっと前にやって、何事もなかったように歌い続ける。
タケルは思わず、兄を睨みつけた。
まったく、もう。
やめてってば、そういうの。
ちょっと赤らめた頬を隠すようにして、もう出ようと扉を探す。
ちょっとでも曲は聞いたし、これでいいわけもたつ。
あんな恥ずかしいことする兄さんが悪いんだよと、ちょうどいい理由もできた。
さて帰ろう。と、思ったところであのヒトと視線があった。
どうしたのかというように、やわらかく問いかけるように微笑みかけてくれる。
ごめんね、ちょっと・・と軽く頭を下げて挨拶をして、行こうとした瞬間。
さっきと同じ、感覚が走った。
この中にいる子たちから1つだけ、ちがった感情が滲み出しているような。
そう思った瞬間、タケルはハッとなり、いきなり女の子たちを掻き分け、彼女に向かって素早く動き出していた。
これは、悪意だ。
憎悪の固まり。
憎しみをたたきつけるようにして、あのヒトを見ている視線があった。
誰にもわからないけど、自分にはわかった。
それはたぶん、自分も心の中に隠し持っているはずのものだから・・!
「危ない・・!」
叫んで、彼女をかばって前に飛び出す。
そのすぐ直前まで迫ってきていた少女が、それでも決心と勢いを止められず、手にしたナイフを振りかざした。
「きゃああああああ!!!」
近くにいた子たちが、その状況に気づき、かん高い悲鳴を上げる。
「やめろ!」
「オマエなんか、死んじゃえ・・!」
それは、あのヒトに発せられた台詞だったのだろうか。
それでも、目の前にまっすぐに憎しみの感情を突きつけられて、瞬間的にタケルは混乱した。
死ねばいい・・・死ねば・・・・・。僕なんか・・・・・。
混乱している頭と、ずっと考えていたことが交錯して、身体が金縛りにあったように動かない。
「タケルくん・・・・!」
彼女の掠れた声が自分の名を呼び、それと同時に、兄の叫びが頭に響いた。
「タケル―!!」
少女がナイフを高々と掲げ、自分の前に振り下ろすのと、兄がギターを投げ捨てるようにして舞台を飛び降りて自分の元に駆け寄ってくるのが、スローモーションのように見えた。
何がどうなったのか、一瞬、目の前が真っ暗になってタケルは、ぐらっと意識がゆがむのを感じた。
あたりがしん・・と水をうったように静寂に包まれ、事態を飲み込めないタケルはただ、身を固くしていた。
兄に抱かれた腕の中で。
「いやああああああ」
あのヒトの叫びが、静寂を引き裂くようにしてあたりにこだました。
ライブハウスの関係者たちの駆け寄る足音と、「大丈夫か、ヤマト!!」と緊迫した声が叫ぶのを聞いた。
兄が・・・・? 何?
「救急車だ、早く―!!」
と言う声を聞いて、ようやく誰かが怪我をしたのだと麻痺した頭で思った。
「無事か・・・?」
兄の声に問われて、まだはっきりしない頭でこくんと頷く。
「怪我、ねえか?」
「・・・・・うん」
「そうか、よかった。おまえが・・・無事・・・・・・で・・・」
そして、やっと視界が開けた。
その瞬間、どうして、目の前が真っ暗だったのか、タケルはやっと理解した。
少女の振りかざしたナイフの前に、兄が割り込んだのだ。
そちらに背を向ける形で、腕の中に弟を庇い、守って。
恋人ではなく、弟を。
ずるずると自分の目の前で崩れていく兄の身体をぼんやりと、タケルは見つめていた。
手に、ぬるりとした感触がある。
血の匂いだ。
怖いような、懐かしいような、奇妙な感覚。
目前に、瞳を見開いてがくがく震え、店の男たちに捕らえられる少女の姿が見えた。
タケルの全身に、冷たい凍り付くような寒さが走った。
兄の背中に、深々と刺さるナイフがあった。
足下の床には、おびただしい血溜まりが出来ている。
それが兄の流した血だと、やっと気づいて、タケルは恐慌状態に陥った。
息が出来ず、胸がよじれるように痛み、眼球が飛び出そうに見開かれる。
色をなくしていく兄の顔を見つめ、がくりと血の中にへたり込むと、やっと、やっとの思いでありったけの声を振り絞った。
「に、兄さん! 兄さん・・・!!」
タケルの手が、ヤマトの鮮血で真っ赤に染まっていた。
その手で、兄の身体を強く強く、腕に抱きしめる。
僕を庇って、僕を庇って、僕を庇って・・・!?
どうして、僕なんかのために・・・!?
涙がとめどなく溢れた。
血が流れていく。
命が、その身体から流れ出していくように。
 『タケルは俺が守ってやるから、ずっとお兄ちゃんがおまえを守ってやるからな・・!』
幼い時に、いつも自分を庇ってそう言ってくれた、兄の言葉が脳裏に甦る。
タケルは、ぽろぽろと涙を落としながら、狂ったように首を打ち振った。
「兄さん・・! 兄さん、兄さん! 嫌だ、嫌だよ、兄さん! こんなのは嫌だ―――!!!!」







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自分の叫んだ声に驚いて、がばっとベッドの上に身を起こした。
はぁはぁと息がはずんで、全身が汗ばんでいるのがわかる。
タケルはベッドに坐って身を丸めるようにし、はあ・・・・と片手で頭を抱えるようにして額の汗を拭った。
まいった。
何だよ、今の。
痴情のもつれ? 怨恨? 
何て夢見るんだよ。
ああ、あのテレビ番組が悪かったんだ。
こんな時期はずれに、オカルト映画なんて。
見なけりゃよかった。畜生。
しかし。
怖い夢だったなあ。
これだから、女のヒトは・・・。
いや、だけど。
とりあえず、兄のコイビトを刺そうとしたのが、自分じゃないことだけは、よかった。かもしれない。
そんなことに安堵している自分も、なんだか情けない気もするが。
所詮は夢だし。
だけど、夢って願望が形になるっていうよね。
ってことは、僕は兄さんに、あんな風に身体をはって守られたりしたいと思ってるのか?
冗談じゃない。
いや、別に、嫌だってわけじゃないけど。
なんかもう、守られたいっていう歳でもないだろうに。
自分に呆れつつ、何げに窓から見える風景に自然と目をやる。
今夜は、月がきれいだ。
月明かりが、薄暗い部屋の中までその光を投げてくれている。
お台場のマンションから見えたのとは全然別の、田舎の風景。
もっとも。
同じ田舎でも、島根とは大分違うけど。
そういえば、いつのまにやら、ここに住むようになって、早半年近くが過ぎたんだなと、ぼんやりとタケルが思う。
一緒に共同出資でこの家を買ったはずのもう一人の持ち主は、ほとんどここに帰れる日はなくて、まとまった休暇に本当に唐突に帰ってきてタケルを驚かせたりもしていたが、実質的にはほぼ一人暮らしな生活だ。
それでも、日常生活に困らない程度に英語はできたし、ホームパーティに招かれたりするくらいのトモダチなら近くにたくさん出来たし、空気もよくて静かで、執筆には打ってつけだし、言うことなしで、タケルは毎日を結構楽しく過ごしていた。
そうそう、同じようにコッチに住んで、突然ラーメン屋なんかを始めた友人も、しばしば訪ねてくれたりすることもあったし。
生活習慣の違いにも慣れてしまえば、こちらの方がなんとなく「個人主義」(よくはわからないが、そう言われたことがある)なタケルには合っているようだった。
日本ではなんとなく、毎日が息苦しかった気がするから。
それも、今にして思えば、だが。
それでも、こういう夢を見て夜中に目が覚めた時は、こんな大きい家に一人で、しかも異国の地にいるんだという事実が、タケルに孤独感を思い出させた。
誰といても、どんなに楽しくても、一緒にいたいヒトはいつも少しだけ遠くにいる。
昔に比べたら、それでも距離は縮まったのだろうが。
「なんか喉かわいたな・・」
淋しさを意識してしまわないように関係のないことを呟いて、ベッドを降り、水でも飲もうとキッチンに向かう。
そういや、ゆうべは兄からの電話はなかったな。
ここのとこ、わりと近辺で物騒な事件が続いているからと言って、毎晩のように戸締まりの確認だとかの電話が入っていたのだが。
いったい、自分のことを何歳だと思っているのか、まったくもって疑わしい。
まだ、小学生くらいだとでも思っているのだろうか。
心配症にもほどがある。
いったいぜんたい、いくつになったら兄の庇護下から出られるのかと心の中で憂鬱に思いつつ、キッチンのドアを開けた瞬間。
そんな憂鬱は、どこかに飛んでいってしまった。
「・・・・・・・・」
「なんだ? まだ起きてたのか?」
広いキッチンのテーブルで、ウィスキーのグラスを傾けているその人に、まだ夢の続きが?と目をこする。
「寝呆けてんのか? おい」
笑われて、はっとした。
「に、兄さん・・!」
「よう、ただいま」
「おかえり・・・・って、帰ってくるなら連絡ぐらい・・!」
「ああ、悪い。急に休みとれたんだ」
さらっと言ってのける兄に、タケルが戸惑いながら答える。
「・・いつも本当に急なんだから。それも、どうせまた二晩くらいで・・」
言いかけたのを遮るように、ちょっと威張って兄が言う。
「一週間の特別休暇」
「え・・?」
「これでもちょっと無理して取ったんだぞー。おまえをこっちに呼んだものの、にわかに忙しくなっちまってほったらかしだったもんな。どこか行きたいとこでもあるか? どこでも連れて行・・・・・! どうした?」
椅子に腰掛けるヤマトの後ろに回ったタケルが、その背中から腕を回し、肩口に甘えるように顔を埋めてきたので、兄は少し焦ったような声になった。
「どうしたんだ?」
「どうもしないよ」
「俺がいなくて、淋しかったか?」
「何言ってるの。快適だったよ、毎日」
「そうか?」
「そうだよ」
「じゃあ、なんで抱きつくんだ?」
「兄さんが淋しかったんじゃないかと思って」
「よく言うぜ」
「淋しくなかった?」
「いやまあ・・・。俺は淋しかったけど。久しぶりに家に帰ったつーのに
、早々とおまえは寝てて、一人で酒飲んでたんだから」
「・・・・ふふっ・・・」
「何、笑ってる」
「つきあうよ、お酒」
「怖いなあ」
「どうして?」
「おまえ、酒乱だから」
「嘘、そんなことないよ。僕も飲みたい」
グラスを自分の分も取りに行く弟に、ヤマトがこっそり肩をすくめる。
酒乱だよ、おまえ知らないだけだって。
ジミーんちのパーティでおまえ酔っぱらって、相当恥ずかしいことをやらかしたんだぞーとヤマトが思うけれど、それはまあ今じゃなくてもいいか。
また、もっといいタイミングでバラしてやろうと考える。
そんなことを企みつつ、ヤマトはタケルから受け取ったグラスにタケルの分の水割りを作ってやると、カンパイ・・とカチンとグラスを合わせた。

同じように酒を交わせるくらい大人になった弟を、適度に酔わせて、たまには自分からとことん甘えさせてみるのもいいか・・などと思いながら。
弟は弟で、ちょっと酔ったふりでもして、めずらしく兄に甘えてみるのもいいかな、などと思いながら。






END






やっとこ第4夜です。だんだん一話分が長くなってきた気が・・。
ちょっとね、弟を庇って刺される兄というのが書いてみたかったんですよ。
兄はきっとこれで死んでも幸せのような気がするけど、タケルにしてみたら大迷惑ですよねー
一生、狂いにそうになりながら、それを背負って生きてかなきゃなんないですから。
やっぱ、死んでもらっては困ります、お兄ちゃん。夢でよかった・・。
それはともかく、一番多感な年頃に、絶対に口に出せない恋をしてて、懸命にそれを互いに気づかれないようにしているそのキモチの揺れを、少しでも感じてもらえたら良いなあなんて思います。
ヤマトは彼女のことをたぶんそれなりに真剣に好きなのだろうと思うけど、「一番安心できる女の子」という感じなんじゃないかなあと。
恋と呼ぶにはまだ発展途上で。
しかし恋に発展するためには、それ以前から持っている片思いの恋が終わらないことには、まだまだキモチはそっちに向かっていけない。そんな風かな? つか、そういうの希望。
曖昧な、いろんな気持ちが日替わりで交錯する、そんな年齢ではないでしょうか?
何もまだ確かなものが見つからない。じれったい感じがいいのよね。