□ 第六夜 □



タケルは、待合い室の椅子に、ひとり腰掛けてぼんやりと、自分の膝の上の手を見つめていた。
深夜の待合い室は、しんと静まり返っていて人の気配はなく、ただ、がらんとしていて薄暗い。
時折、緊急の患者を搬送してくる救急車のサイレンが鳴り響き、それがなお一層の不安を駆り立てた。
母の手術がはじまって、もう3時間をゆうに過ぎている。
『大変、危険な状態です』
医師が、手術前にタケルに告げた。
一瞬、頭の中が真っ白になって、返す言葉を失った。
危険って、母が?
まさか。
だって、いつもあんなに元気で、毎日生き生きと楽しそうに仕事をしていたのに。
その仕事中に、突然編集部で倒れたのだと連絡を受けて、タケルは心臓が凍りつくような思いがした。
救急車の到着までは、まだ受け答えもしていたというのに、その後、意識がなくなったのだという。
脳内での出血があると、言葉を選びながら、医師はタケルに告げた。
母一人子一人の家庭と知って、少し同情するような眼差しをして。
それだけ事態は逼迫してるということなのだろうか?

なにか頭が痛いとか、前兆のようなものがありませんでしたか?
・・・いいえ。気がつきませんでした・・・・。
沈痛な面持ちのタケルに、医師はポンとその肩をたたいた。
大丈夫、しっかりしろとでも言うように。
その気遣いが少しあたたかく、同時に、自分は一人なのだと身につまされた。

胃が、きりきりと痛む。
心臓の辺りも、刃物で差し貫かれているように鋭角な痛みがある。
こんな時に、どうして自分は一人なんだろう。
すぐに父に連絡を取ろうとしたが、父はあいにく海外出張で不在だった。
コイビトは、2日ほど前から帰郷している。
近いとは到底言い難い距離にいる彼女に、こちらの事情で早く帰ってきてくれとはどうしても言えなかった。
いずれ結婚をという話にもなっていて、両家の間で公認の間柄というのに、そこで遠慮してしまう自分は、もしかすると相手にとっては「水くさい」と映るかもしれないが。
それは、友人を例にとっても同じだ。
こういう時に、遠慮を飛び越えて、そばにいてくれと無理を言えるトモダチはいない。
元来、自分はいつもそんな風で、友人は多いにも関わらず、そのうち誰とも本音で語り合ったり、ぶつかり合って喧嘩したりなどと深く関わってこなかった気がする。
もちろん、意識的にそうしてきたわけではないのだが。
それでもどうしても、一線を踏み越えて相手の中に飛び込むということが出来ず、また踏み込んで来られることが怖い気がしていた。
そんな人つきあいをしてきたから、こういう時に一人になってしまうのだろうか。
誰でも良いから、とにかくそばにいてくれるだけでいい。そんな時に。

膝の上で手が震えている。
・・・怖いよ。
そばにいてほしい、誰か。
この手の震えを、誰かとめて。
一人になるのは、怖い。
今まで考えたこともなかったけれど。
母がもし、このまま死んでしまえば、僕は一人なる。
本当に一人になってしまうんだ。
母子家庭に育ったとはいえ、父も兄もそばに暮らしていたからそんなことを思ったことはなかったけれど、父も兄も、もう自分とは別の人生の中にいる。
もっと幼ければまだしも、もう大学生にもなった自分を、一人になったからといって誰が構いなどするだろう。
過去に一つの家族であったことなどは、すでに忘却の彼方だ。
父はともかく、特に兄にとって自分は・・・・。
もう「弟」でさえ、ないのだろう。
ある日突然に、自分の前から姿を消してしまった兄。
どんなにどんなに慕って、どれほど心を寄せていたかなんて、当の兄は知る由もないが。
心が砕けるほど、ショックだった・・・。
何もかもが、どうでもよくなった。
呼吸も、食事も、眠りも、生きることに関わるすべてを拒絶してしまいたいくらい、衝撃だった。
だのに。
渡米した後、何度か日本に帰ってきたことがあったにも関わらず、兄は、父や母には連絡を入れたのに自分には何1つ連絡すらくれなかった。
もう、弟がいたことすら、忘れてしまったのだろうか?
そして。
渡米してから3年目に、やっと自分宛に届いた一枚の葉書き。
結婚したから― という、短い報告だけの。
その準備のために何度も帰国していたのかとやっとわかったけれど、それならそれで、一言会って話すくらいのことは出来たじゃないか。
会えなくても、仮に電話の一つでも。
葉書を見た瞬間、兄に憎しみさえ感じたのを今でもはっきり覚えている。
もういい。
だったら、僕も、兄がいたことなんか忘れよう。
最初から、僕は、母と二人家族だった。
兄も、父も、いなかった。
そう思えば、それでいい。
そう思えれば、もう何も。
何も・・・・・・・。
そこまで考えて気がついた。
兄のことを考えるのは、本当に長くしていなかったんだということを。
それは、意図的に。
だって、考えただけで、つらいだけで、苦しいだけで、どうしたって痛みを思い出さずにはいられないから。
でも。
だったら何で思い出すんだ、こんな時に。
ただでさえも、淋しくて、怖くて、震えが止まらない、どうしようもなくひとりぽっちなこんな時に。
「情けないな・・・」
声に出して、呟いた。
目頭が熱くなるのを、ぐっと堪えて、顔を上げて窓の外を睨むように見た。
赤い色が、窓ガラスに映っている。
サイレンに気づかなかったけれど、また一台救急車がついたのか・・・。
やめよう。
母が命がけで闘っているときに、兄を恨むことなんて。
そう考えて、背筋を伸ばした。
「ごめんね、お母さん・・・。」
ぽつり、と小さく言う。
そういえば、母にはいつも心配のかけ通しだった気がする。
大学にはいってから、趣味で始めた文章書きをひょんなことからバイトでするようになって、それから少しずつ仕事が来るようになって。
母はそれに別段口を挟むことも、かと言って協力してくれることもなかったが、「甘くないわよ」と言いつつも、どことなくその顔は嬉しそうだった。
息子が自分と同じ分野の仕事に就くということは、なんとなく今までの自分を認められた、そんな気になるものなのかもしれない。
自分の生き甲斐というだけでなく、息子と自分が食べていくために仕方なくとった不本意な仕事もあっただろうし。
もともと、あまりべたべたする母子関係ではなかったけれど、仲が悪いと言うわけでなく、むしろ仲はいい方で、それが同じ仕事をするようになってから、同志という感じでよりいい関係になれたような気がしていた。
母を喜ばせるためにもいい仕事がしたくて、でもせっかく行かせてもらった大学もやめたくはなくて、体力も大してないくせに、オーバーワークを自分に過してはフラフラになっている息子を、母はいつも心配してくれていた。
そんな母は、自分とは正反対に、年齢を感じさせないほどいつもパワフルで、疲れた顔なんか見せたことがなかったから・・・・・。
余計、気づかなかった。
体調が悪かったなんて・・・。
本当に、僕は。
僕は、どうしてこうも馬鹿なんだ。
どうして、こうも。
人の気持ちに気づけない、冷血人間なのだろう。
いつも、自分のことなんかそんなに興味がないくせに、
それでも、結果的には自分のことだけで手いっぱいだ。
人を思いやる余裕もない。
そんな風に育てた覚えなんか、ないよね? 母さん。
ごめんね。
もっと母想いの、やさしくて気がつく、いい息子だったらよかったよね。
疲れている時も、愚痴を言いたい時も、僕は知らんぷりだったものね。
気がつかなかったといえば、それまでだけど。
もっと話をすればよかった。
聞いてあげたらよかったのに。
買い物もつき合って、いっしょにお茶を飲んだり食事をしたり、もっともっとしてあげればよかった。
たった二人の家族なのに、家族らしいことなんてしたことがなかった。
どうして、もっとやさしくしてあげられなかったんだろう。
あんなに僕のために頑張ってくれていたのに。
項垂れているうちに、頭が重くなってきて、身体が前に傾いていく。
眉間のあたりが、重く痛い。
お母さん、お願いだよ・・。
きっと、もっと良い息子になれるよう頑張るから。
どうか、どうか死なないで。
お願いだから、僕を一人にしないでよ・・!
ぽと・・と、頬を涙が伝って膝に落ち、ジーンズの生地の上に染みをつくった。
身体のあちこちが、軋む音をたてているような気がした。

そんなタケルの前を、ナースセンターから飛び出してきた看護婦が数人、早足で廊下を歩いていく。
切迫したような声。
はっとタケルが、顔を上げる。
背中を冷たいものが走った。
当直に医師が呼ばれ、白衣を直しながら示された病室に急ぐ。
・・・嫌な予感。
その数十分後。
病室から、悲鳴のように誰かの名を呼ぶ声が暗い廊下にこだました。
どうして、とか、そんなに急にとか、なぜ逝ってしまうのかとその声は泣き叫んで、タケルはいたたまれなくなって思わず椅子から立ち上がった。
嫌だ。
やめて。
そんなこと、聞かせないで。
一人で死んでいくのは嫌だ。
だけど、生きて一人になるのは嫌だ。
もっと嫌だ。
一人で生きていくぐらいなら、一人で死んでいく方がずっといい。
立ち上がって、すすり泣く声から逃げるように階段を駆け下りて、ロビーへと降りていく。
逃げたい、ここから。
生きるとか、死ぬとか、命とか、そんな重さにぺしゃんこに押し潰されそうだ。
頭を抱えるようにして耳を塞いで、追いすがるものからただ逃れたくて。
ああ、小さい頃、よくこんな夢を見た。
階段を駆け下りる、その背後からもののけのような気配が追いかけてきて、怖くて怖くて振り返ることも出来ずに、とにかく階段を駆け下りる。
早く降りなくちゃ、明るいところに行かなくちゃ。
追いかけてくる気配が、今にも髪を掴みそうで、腕を取りそうで。
怖い! 早く逃げなくちゃ、早く早く・・!
焦るけれども足はもつれて、声も出ない。
階段の下は真っ暗闇で、それこそ奈落の底に降りていくようなのに、逃げ場はそこしかない。
助けて、怖いよ!
誰か、助けて!
助けて・・!
おにいちゃん・・!!
ベッドから転がり落ちるようにして、泣き喚いて兄を呼んだ。
それでも夢だと気づかず泣いていると、やさしい手がおりて来て「もう大丈夫だよ」と頭を撫でてくれた。
思わず、その身体に抱きついて、しがみついてやっと安心した小さい頃。
そんな兄も、もういない。
もう、嫌だ。
何もかも。
耳を塞いで何も聞こえなくして、誰の声もどんな音ももう聞きたくはなくて。
そうして階段を下りたとき。
だけども、その音はなぜかタケルの耳にはっきりと聞こえた。
耳を塞いでいるのにも関わらず。
癖のある歩き方の、独特の靴音。
思わず立ち止まり、自分を疑うように、その代わりに目をこらした。
まさか・・。
まさか、そんなはずはない。
夜間出入り口の自動ドアが開き、月明かりを背景に、背の高い男が足早に入ってくる。
それを見た瞬間。
高圧電流にふれたように、タケルの全身にびりっと衝撃が走った。
逆光なので、表情までは見えないが、向こうもタケルを見るなり驚いたように早足だった歩を止めた。
瞳を見開いて、その男の顔を凝視する。
そんなこと、あるはずがない、そんなことあるはずがない、そんなこと・・・・・・・・・・。
ぴたりと動きを止めたまま、思考回路も完全に止まってしまった。
見つめ合ったまま、互いから目を反らせない。
心臓も、とまってしまった。
そんな感じだった。
・・・・・・・・・・。
それがだんだんと緩慢な流れで動きだし、それについで時間も少しずつ動き出す。
「・・・・・・・・っ」
いったい、どれほど、どれほど憎んで恨んだか、あなたに想像がつくだろうか・・!とタケルは最初に言いたかった。
苦しくて、喘ぐように息をして、それでも生きていくためには、あなたを憎むしかなかった。
今、たとえば仮に母を失って一人になるのだとしても、よく思い出してみればそのずっと以前に、僕は既にひとりぽっちにされていたんだ。
あなたに捨てるように置き去りにされた、あの日に。
それでも。
・・・くやしい。
3年ぶりの、こんな再会なのに、気持ちがもう勝手に兄に向かっていく。
会いたかったんだ。
会いたかった。
会いたかったのに。
会ってくれなくて。
だから、殊更、会いたくて。
会いたくて、会いたくてしようがなかった。
それにつられるように足が勝手に動いて、それと同時に兄が静かに腕を広げる。
引き寄せられる磁石のようだ。
抵抗できない。
そのまま、抗うことも考えることも出来ない内に、身体は真っ直ぐにその腕の中に吸い込まれていった。
「タケル・・・!」
「・・・・にい・・・さん・・!」
「タケル・・・! タケル!」
「どうして・・・・」
すがる白の薄地のセーターは、包み込むようにあたたかかった。
まるで死人のように冷たかった手が、兄の背中にしがみつくうちに体温を取り戻し、肩口に甘えるように頬を寄せると、昔と同じあたたかい大きな手がそっと頭を包んでくれた。
「タケル・・・。一人で心細かったろ・・・」
大学生の弟に、まるで小さい子に言うように兄がやさしく言う。
細いとはいえ、もう立派に大人の体格に育った弟を、それでも壊れ物にするように、強く抱きしめることはせずにそっと腕の中に抱いた。
どんな身を切る想いで離れたかなんて、弟は知るはずもないが、それでも広げた腕の中に昔と変わらず飛び込んできてくれた。
何て愛おしい、と兄が思う。
あれからずっと毎日、弟のことを考えない日はなかったのだから。
だから、よかった。
こんな時に、ひとりきりにさせずにすんで。
高校生だった頃よりも少しだけ伸ばした髪をやさしく撫でて、言葉を無くしたまま腕の中にいる弟のそのぬくもりにほっとする。
ずっと永遠に、このまま時がとまってしまえばいい。
ヤマトも、タケルも、それぞれの胸で本気でそう願った。

「兄さん、どうして・・・。いつ、帰ったの?」
やっとして、タケルがどうにか口を開いた。
「ちょっといろいろヤボ用があって。けど、突然帰ったもんだから、オヤジ海外出張でいねえし、鍵がなくてマンション入れなくて。それで、母さんに合鍵貸してもらおうと思って編集部の方に電話入れたら、救急車で運ばれたって聞いて・・・・」
「そう・・・」
「どうなんだ・・・? 母さん」
「・・・・・危険な状態だって・・」
「・・・・・危険、って・・・」
「今、手術中なんだ・・・」
震える声が、一人で不安で仕方がなかったと言っている。
ヤマトは狼狽しつつも、それを隠して、タケルの肩をそっと抱くと、包み込むようにやさしく笑んだ。
「大丈夫だ。母さんは強いからな・・。おまえもいるし、それに俺もついてるから・・。絶対、大丈夫だ。心配するな」
「・・・・・・・・うん」
不思議だ。
兄が言えば、本当にそうなるような気がする。
いつもこんな風に、兄の言葉は自分の何かを決定する、絶対的な力がある。
そう思いつつ見上げ、肩を促されて歩き出し、ふいにその肩にある手を見てタケルははっとなった。
薬指にある細い銀の指輪。
・・・そうだった・・・・。
この手も、この腕も、胸も、声も、もう、自分のものじゃない。
こんなにやさしくあたたかいのに、こんなに自分に力も勇気もくれるのに、もう、これは全部他の誰かのもので、僕のものじゃあない。
「タケル・・・?」
突然に、両手で顔を覆うようにして泣き出した弟に、ヤマトが驚いたように上体を傾ける。
「どうした・・・?」
「何でもない。・・・・・何でもないんだ・・・・・」
言いながらも溢れてくる涙を止められず、唇を噛みしめるタケルに、ヤマトが残酷なまでのやさしさで、もう一度その身を胸に抱き寄せる。
今でも、昔と変わりなく、大切に想ってくれていることが、タケルには痛いほどわかった。
会わなかった理由もわかった。
あの日、どうして突然に別れたのか、それも、わかった。
やっと・・・。
やっと、わかったのに。
でも・・。
ここはもう、僕の場所ではないけれど、それでももう構わない。
今だけ、少しだけ。
ただ、今だけでいいから。
ずっと泣けずに、行き先を失ったまま持ち続けていた想いが、やっと解放された。
どんな切ない形であれ。
・・・・これでよかったんだ。
なんとなく、そう思った。
これでよかったんだと。

兄さんに、会わせてくれて、ありがとう。
お母さん。



「高石さん・・! お母さんの手術が終わりましたよ!」
タケルを探していたらしい看護婦が、階段の下にその姿を見つけ、急いで駆け寄ったきて微笑んで言った。
よかったですね、手術は無事終わりましたよ―と。
タケルは一瞬驚いた顔をした後、兄を見上げ、それから涙に濡れた顔をくしゃくしゃにして、子供のように嬉しげに笑った。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「うわあぁ・・・・・・・・・ん」
タケルの泣く声がする。
アイツ、また夜泣きかなあ。
思いつつ、ベッドを降りてリビングに行くと、泣きやまないタケルをソファに腰掛けて母がしきりにあやしていた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「ううん」
「どうしたのかな・・・。ミルクあっためて飲ましても泣きやまないの。具合でも悪いのかしら」
ちょっと困ったように言う母の、その隣へちょこんと坐る。
「ヤマトは寝てなさい。大丈夫よ、何かきっと怖い夢でも見たのよね」
ヤマトを心配させないように言う母に、ヤマトはじっと真っ赤になって泣いている弟を見ると、ちょんとその頬をつついた。
ぴく・・として、まだ泣きながらもタケルが母の隣にいる小さな兄を見る。
「泣くなよー。おかあさん、寝られないじゃん」
言って、頭をなでなでして、にっこりと笑う。
「にーちゃ・・・」
やっと片言を話すようになった弟が、「まんま」の次に言った言葉が「にーちゃ」。
偶然だけども、自分のことを呼ばれたんだと知って、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、何度も何度も呼ばせてはしっかりと定着させてしまった。
「おにいちゃんとこ、来るか?」
小さな両手を広げると、もっと小さな手が、母の腕の中からヤマトに向かって差し出された。
「あらあら」
するりとそこを抜けて、どっしりと重みを幼い兄の上にかけて、タケルはやっと泣きやむと、ぎゅううっとヤマトの首にしがみついた。
「うわーくるしいよー。わわ、タケル、おまえ、鼻水びちょびちょだあ〜 おにいちゃんのほっぺにくっつけんなよお。ひゃー、おかあさん何とかしてえ」
「はいはい」
母は笑うと、持っていたガーゼでヤマトの頬を拭って、それからタケルの顔を拭った。
「だー」
それでもめげずに、兄の頬にすりすりする弟に、まんざらでもないヤマトがふふふっと笑う。
「タケルは、本当におにいちゃんが大好きなのねー」
ちょっと呆れたように、それでもほほえましげに笑う母に、ヤマトが本当に嬉しそうに笑う。
「オレも、タケル、大好きだもーん。なー?」
「にーちゃー」
「ねえ、おかあさん。タケルといっしょに寝てもいい?」
「いいわよ。でも、けとばさないでよね」
「うん! やったあ」
小さな身体で、よいしょとタケルを両手に抱くと、大事に大事に自分のベッドに運んでいくヤマトに母は思わず顔をほころばせた。
タケルも、うれしそうに兄にしがみついている。
きっと寝相の悪いヤマトに蹴飛ばされてしまうんだろうが、それでも兄と寝ている時にタケルが泣いて起きることはない。
そんなにお兄ちゃんがいいのかしら。
母は思いながらも、兄弟を子供部屋のベッドに寝かしつけ、布団を掛けてぽんぽんとその上をたたきながら、二人の子供たちのために子守歌を歌った。
どうか、この幸せが続きますように。
この子たちが、ずっと仲良しの兄弟でいられますようにと、心の中で願いながら。

まだ帰らない夫に、
少しはこういう姿も見てくれればいいのにと、心の中でこぼしながら。





END






長くなってしまいました。
ああ、でもこのお話、もっとちゃんとした長さで書きたいです!
書き足りないよお。
もっとこう、兄は兄でもっと苦しんで弟から離れたんだとか、タケルはタケルなりにもっともっとつらかったんだということがなんだかこう、うま
く書ききれなくて。
本か何かで再チャレンジしたいです!
でも、文章がつたないのでうまく表現できてませんが、大学生くらいのタケルと、もっと大人なヤマトというのは、ものすごくツボでした。予想以上に。
でもって、これじゃあまるで不倫のようだよ。母も、死にかけてなんかいられませんて。
書いていてツライ部分もあったけど、こういうカタチもまたいいなあ。
ヤマタケは奥が深いです、ほんと。