□ 第二夜 □


手が冷たい。凍えるように。
暮れていく西の空に、夕焼けの朱色がだんだんに消えていく。
消えかけの朱色と灰色っぽい青が混じる空を、タケルは砂場にしゃがみこんだまま、じっと見つめていた。
もう何時間、こうしてここにいるだろう。
どこにも行けず、どこにも帰れず、たった一人で。
暮れかけていく空が淋しくて、巣に帰っていく小鳥すら羨ましい。
公園から、一人二人とコドモたちの姿がなくなり、とうとうタケルは一人になってしまった。
母に手を引かれて帰る子をちらっと見ると、タケルはぎゅっと自分の膝を握りしめた。

どうして、ここに来ちゃったんだろう。
お台場にいくつもりで駅に行ったはずだった。なのに。
気がついたら、光が丘にいて・・・。
学校から一人でおうちに帰るのがつらくなって、さびしくて、悲しくて、とてもお兄ちゃんに会いたくなった。
そう思って電車にのったのに。
大好きなお兄ちゃん。
でも、会わなくなって、もう随分になる。
電話とか手紙とかで、少しだけ話したりはしていたけれど。
会ったりはしてなかったから。
もしかすると。ボクの顔なんか、もう忘れちゃってるんじゃない?
いきなり会いに行って、ボクだってわからなかったらどうしよう・・。
もしも、知らないって言われたら・・・?
ボク、弟のタケルだよ。もう忘れちゃった? お兄ちゃんに会いにきたんだよ。って。
そう言っても、もしも知らないよ・・って。
おまえなんか知らないよって、もし、そう言われたら。
どうしよう。
そう考えたらこわくて、とてもおそろしくて、会いに行く勇気なんか出そうもなくて。
途中で電車を降りたんだ。
大人のヒトの足下で、あっちこっちに突き飛ばされて、ちがう電車にのって気がついたら・・。
ここにきていた。
でもここも・・・。ボクが来ちゃいけないところだったんだ。
ボクは、見てしまった。
確かに僕たちがまだ4人家族で住んでいた、光が丘団地のあの部屋のベランダから、姉妹らしい女の子が二人とそのお母さんが並んで、帰ってきたお父さんに向かって「おかえりなさいー」と手を振るのを。
お父さんは嬉しそうに顔をほころばせて、「ただいま!」と大きな声で返事をした。
幸せそうな笑顔。幸せそうな家族。
・・・・あそこで、僕たちがついに作れなかったモノ。
ボクたちが、こなごなに壊れた場所。
せめて、今、幸せな家族が住んでくれていることを「ありがとう」と少し思った。
お兄ちゃん・・。
ここには、もう、ボクたちのおうちはないんだね?
ここに帰ってきちゃ、いけなかったんだね?
もう、ボクたちのいたあのお部屋は、ボクたちが住んでいた頃より、ずっとしあわせなんだもの。
ずっと、あたたかくて、満たされているんだものね・・。
「・・・サヨナラ・・」
誰に言うでもなく小さく呟くと、膝を抱えていた小さな手の甲に、ぽつんと小さな涙の粒が落ちる。
やわらかな頬をぽろぽろと伝い落ちる涙は、砂場の砂の上にも小さな染みをつくった。
今夜はここで一人ぽっちで眠るのだろうか。
まだそんなに寒くはないから、お山のすべり台の下のトンネルの中だったら眠れるかもしれない。
さっき覗いたらネコがいたから、抱いていっしょに寝てもらったら、きっとあったかいだろう。
でも、もしも、もしも凍えて死んでしまったらどうしよう。
ママは悲しがるかな。
でもきっと怒っているだろうから、あんまり悲しくならないかもしれない。
「あの子たち」の意地悪に、我慢できなくなって噛みついて怪我させちゃって、ママは今日、学校に呼び出された。
先生と「あの子」のママから、片親だからとか、働いてばかりいてコドモに構ってやらないからだとかって、叱られて。
ママは、「ご迷惑をおかけして」と、先生たちに頭を下げた。
え・・・。でも。悪いのは、ボク?
『ほら、タケルもあやまって・・・』
だって、「あの子たち」、ボクのパパはガイジンで、おまえとママのことがいやになって捨ててアメリカに帰ったんだろうってそう言ったんだ・・!
ボクの大切なメダルも、上靴で踏んづけたんだよ・・!
なのに、ボクがどうしてあやまるの?
『タケル・・!』
『ママのバカ!』
ボクは、学校を飛び出した。
ママになんか、わからない。
ボクは、我慢したんだ。
いつだって「知らないよ」って、そんなヤツら相手にしなかったよ。
でも今日は、どうしても、どうしても我慢出来なかったんだ。
ボク、まちがってる? ボクが悪い?
パパならどうかな。
パパなら、もしかして、ボクが正しいと思ってくれるかも。
それとも、もうボクのことなんか、忘れちゃったかな?
思い出したりもしないのかも・・。
だったら・・・。
だったら、おにいちゃん・・・。おにいちゃんだったら・・・。
考えるなり、ぽたぽたぽた・・とつづけざまに涙がこぼれた。
(おにいちゃん・・・・・ 会いたいよぉ・・・・・・ボクのこと、おぼえてなくてもいいから・・・・・・ちょっと、遠くから見るだけでいいから・・・・・おにいちゃんに会いたい・・・・)
ずっとずっと会いたかった。
でも、会っちゃいけないのだという気がして、ずっと我慢してきた。
でも、もう。
いっぱいいっぱい我慢したんだ。
いろんなこと。
ひとりでいっぱい我慢してきたんだから・・・。

もう。
会いたくて、会いたくて、会いたくて、会いたくてどうしようもないのだと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった頬をぐいぐいと手の甲で拭いながら思う。
手の中に握りしめていた小さなメダルを見ると、またぽろぽろと涙はこぼれた。
別れる時に、兄がくれた小さな手作りのメダル。
紙粘土でつくって色を塗って、ペガサスの絵を描いてくれた。
穴を開けて、リボンを通して、首にかけてくれたそれ。
『どうしたの、これ?』
別れていくことを知らないで、無邪気に笑顔できいた。
兄は、おまえにやるよ。一等賞のメダルだよ。と言って笑った。
『いっとうしょう? ボク、何でいっとうしょうになったの?』
『なんでもいいんだ。タケルが、オレの一等賞なんだから』
『ふうん・・・?』
よくはわからなかったけれど、とても嬉しくて、でも兄が笑いながらもかなしそうな顔をしたので、不思議に思った。
それが、サヨナラのしるしだなんて思わなかったから。

サヨナラするなら、そんなものいらなかった。
おにいちゃんがいたら、よかった。
おにいちゃんだけで、よかったのに。
ボクは、パパやママが忙しくてそばにいなくても、お兄ちゃんがいてくれたから、淋しくなかったのに。
ママがいても、パパがいても、おにいちゃんがいなかったら、淋しいのに。
淋しいのに、淋しくて、かなしくて、いっぱい泣くのに・・・!
『泣くなよ・・・』
いやだ、無理だよ、泣くななんて無理だよ・・!
『泣き虫だなあ・・』
泣き虫でいいもん! 
お兄ちゃんがいないなんて、いやなんだもん!
パパもママもいらない・・!
おにいちゃんだけで、いい!
ずっとずっと、ママにそう言いたかった。
でも言えなくて・・!
でも本当は、ずっとずっとずっと、ずっと、そう言いたかったんだ!
おにいちゃんと別れて暮らすなんて、いやだ!!って、本当はずっとそう言いたかったんだ・・!

涙がとまらなくなった瞳から、大粒の涙がぽろぽろとメダルに落ちる。
夜の帳が降りてくる。
あたりはもう、すっかり暗くなった。
空には、星が瞬きはじめた。
それでも、もう帰れない。
もう、いやだ。さびしいのはいやだ。
また一人でさびしくなるのなら、ここで、冷たくなったっていい。
ネコを抱いても、それでもあたたかくならないくらい、ずっとずっと寒いのだもの。
ただ、ただ、寒いだけなのだもの。
涙に、星が曇って見える。
その瞳に、すっと流れていくちいさな流れ星が映った。
おほしさま、最後にボクの願いをきいて。
一度だけでいいから。
せめて、そっとだけでもいいから、あのヒトに会わせて。
ほんの、瞬き一つの時間でいいから。
―どうか、お願い・・!
タケルが強く、そう心に願った刹那。
突然に。
涙がおちたメダルが光った。
とても不思議な色に。
それが、その光がまっすぐに空に伸びて、星が1つきらりと輝く。
それと同時に、タケルの手にあったメダルに描かれたペガサスが、ゆっくりと翼を広げて、頭をもたげた。
・・・え・・?
タケルが、まんまるに目を見開く前で、それはゆっくりとメダルを出ていき、次の瞬間、目にもとまらない早さで星空に飛び立った。
それは驚くばかりのスピードで、大きく瞳を見開いたタケルの頭上に、ほんの数秒で戻ってき・・・。
タケル――――!!
「え・・・・っ」
何が起こったかわからず、ぽかんと口をあけているタケルの耳に、なつかしい声が頭上から降ってくる。
天馬が羽ばたきながら地上すれすれを飛び、その背にいた人影がぴょんとそこから身軽にタケルの前に飛び降りた。
星が瞬く。
月が光を放って、やさしい輪郭を映し出す。
浮かび上がったその人影に、タケルは無我夢中で両手をのばした。
おにいちゃん・・・・!!
「タケル! 会いたかった・・・!! タケル、タケル・・・!!」
兄は駆け寄って、あたたかい腕で、力一杯、ふるえる小さな身体を抱きしめてくれた。
「おにいちゃん! おにいちゃん・・・・!!」
ずっとずっと会いたかったんだよ、と言いたかったけれどとても言葉にはならなくて、でも兄も「ずっと会いたかった」と言葉にしなかったけれど、気持ちは痛いほどわかったから、きっと自分の想いも言葉にしなくても、苦しいほど兄につたわっているんだろうとタケルは思った。
帰るうちがなくても、ここに帰れるなら、それでいい。
ここがボクの帰る場所なんだ・・・!
ボクは、ずっと、ここに帰りたかった。
おにいちゃんの腕の中に。
タケルは、ペガサスがつれてきてくれたそのヒトの、あたたかで力強い腕の中に抱きしめられて、心からそう思った。


仮に、これが夢だとしても、それでいいと。









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「わ・・・・・」
椅子から滑り落ちそうになって、机に掴まるようにして慌てて体勢を立て直した。
「・・・・いつのまにか、うたたねしてたんだ・・・・。びっくりしたぁ・・・」
頭を軽く振りながら、手元の時計を見る。午前三時・・・。
ふと見ると、机の上に置かれたノートパソコンには、なにやらわけのわからぬ言語がならんでいる。
「てもえちえあ、えおびあおrぢbfdxmfsっght−−・・・・・? 寝ながら、何打ってたんだ? 僕は」
自分でこそっと言うと、なんだか妙におかしくなって、小さく声をたててタケルは笑った。
そういえば、子供の頃の夢を見ていたような。
淋しくて、公園で泣いていたら、メダルが光ってペガサスが・・・・。
なんとも、ファンタジックな話だ。
けど、実際、そんなことがあったような記憶がある。
いや、もちろん、ペガサスの登場はなかったけれど。
そう、確か。
まだ一年生の時だったかな。
学校でいじめられて、けど、大人しくいじめられているような性格でもなかったから、喧嘩になった。
喧嘩は、小さい時から両親のを見て育ったから好きではなかったけれど、それでも許せないことだってある。
すぐに母が仕事先から呼び出されて、怪我をさせたとかなんとか校長室で責め立てられて。
母は相手の親にも丁重に詫びを入れたが、自分はもちろん納得いかなかったのだ。
喧嘩両成敗といいながら、こっちにだけ詫びをいれさせるなんて、そんな不平等を許す担任も許せなかった。
それで腹をたてて、家出をした。今でいうプチ家出。
兄に会うつもりで、まっすぐにお台場に向かって、そこまではよかったが、一人で行ったことなんかなかったから、しっかりと迷子になって。
それで暗くなってきて、公園の滑り台の下で心細くなって泣いていたら。
兄が迎えにきてくれた。
『おまえ、いったいどうしたんだよ・・?』って、屈みこんでやさしく笑って、子犬にするように頭を撫でてくれた。
たまたま通りがかったって確か言ったけど、母から連絡が行っていたのかもしれない。
あのときは・・・・・。すごく嬉しかったな・・。
思い出すだけで、口元がほころぶ。
夢では、えらくロマンチックな脚色がされていたけど、まあ、そこは夢だから。
兄が夢でくれたペガサスの描かれたメダルは、現実では怪獣の描かれたプラバンだったしね。
もしも、そのまま夢になっていたら、兄は怪獣に乗って、泣いている僕に会いにきてくれたのだろうか。
それはそれで・・・・すごいインパクトだけれど。
「フフ・・・・」
思わず想像して、声に出してくすくす笑った。
それに答えるようにして、背後で突然電話が鳴り、タケルはそれにぴく!と反応すると「驚いた・・・」とつぶやきながらも電話を取った。
「もしもし……。あ……うん。元気。……どうしたの? こんな時間に……。え? あ、そうか。時差があるんだった。……いい加減おぼえろって言われても……。で、なに? ……うん……。なんだ、そんなこと………。や、だって……やだなあ、そういう意味じゃありませんって……。はいはい。うん……… わかってる、もうすぐ寝るよ。ちょっとうたたねしてて……。ああ、そうだ。ねえ、兄さん。僕がまだ河田小にいた頃ね、殴りこみにきたことあったよねー。弟をいじめたヤツはおまえか!とか言って。……おぼえてない? 都合悪いことは、すぐ忘れるんだ…。あったよ? うん、大騒ぎになったもん。お母さん、また学校に呼び出されて。……さすがに開き直って、笑ってたけど。そのあと、何回も呼び出されることになって、「もういい加減、慣れたわ」って。…え? 何の話って? いや、ちょっと思い出して……。え……! ああ、そうなんだ。いつ帰ってくるの……? ん……わかった。じゃあ、その頃また電話してね。………はい、じゃあ…… え? 仕事? してるよ。ちゃんとしてますってば。大学だって、出来るだけ休まないように行ってるんだから。…え? ムリなんかしてないよ、心配症だなあ。…あ、今度ね、雑誌にのせてもらえるかもしれないんだ…。え? そんな、まだまだだよ。うん……。あ、そうそう。ファンタジーとかどうかなって…。え? そう、ペガサスとか出てくるヤツ。うん……。ハイ、がんばる。……わかってるよ……うん、そっちこそ。……じゃあね…………おやすみ。兄さん」
電話をそっと置いた途端、胸の奥にほんわりと、あたたかい波が広がった。
タケルは微笑むと、パソコンを終了し、それから、本当にペガサスと少年の話でも今度書いてみようかなと、ベッドに入りながらそう思った。

窓の向こう、夜空の高くに、想いを紡ぐ銀のペガサスが翼を広げて飛び立ったような・・・そんな気がした。




END




これは、谷山浩子さんの曲で「さよならのペガサス」というのをもとに書いてみました。
はじめて聴いた時、おっ、これは無印ヤマタケだーvと思ってしまいましたもので。
どちらかというと、ヤマトサイドの歌詞なので、またヤマト視点からも書けたらいいなあと思ってみたりしています。
弟に会いたくて、わすれてないよ、今も一番大好きだよ・・!と言いたくて、でも会えなくて。
兄の想いは銀のペガサスに姿を変えて、空を駆けて弟に思いを伝えに行くのです。
・・・・・ファンタジイですな・・・。
夢から目覚めたタケルは、きっとこんな話を書いてみる気なのでしょう。
下にちょこっと、浩子さんの曲の歌詞をのこしておきます。とてもきれいな曲で、せつない詞なのですよ。



「さよならのペガサス」/谷山浩子

まばたきひとつの速度で きえてく流れ星
願いは口には出せずに こころにのこっている

僕はキミを忘れないよ
はるかに星をへだてても

空をかけていく キミの名を呼ぶために
空をかけていく ぼくはキミのペガサス

凍えてふるえる指先 手のなか あたためて
確かなぬくもりの記憶を 今 胸にきざんでる

キミとながめた風景の 
すべてがとてもいとしくて


ぼくはキミをわすれないよ
よりそい すごした季節を

空をかけていく 夢でキミを抱きしめる
ぼくはさびしさを 星にかえたペガサス


一部まちがってるかも。すみませぬ・・・。