□ 第七夜 □



「あ・・・。雨、ふってきた」
「ん・・?」
「真っ暗になっちゃったから、もう海も見えないね」
「・・・・・」
「そろそろ、送ってこうか?」
「・・・・・・」
「・・聞いてる? 兄さん」
「ああ・・」
「あんまり飲み過ぎない方がいいよ」
「わかってる」
「じゃあ、そろそろ・・」
「どこに帰れって?」
「あ・・」
苦笑した兄のさりげない答えに、タケルは思わず「しまった」という顔で隣のシートにいる兄を見た。
「おまえがそんな顔すんなよ」
「・・ごめん」
「いや、いいって。悪かったな。タクシー代わりに使っちまって。しかもいい大人が、海が見たいからつれてけなんて、あんな時間から無理言ってさ」
「え? いいよ。そんなの。兄さんこそ、免許取り立てのヤツの車になんか誰が乗るかって、いつも行ってたくせに、よく僕の車に乗ってくれたなあって思ってるよ」
「お人好しめ。命が惜しくなくなっただけだよ」
「ひどいなあ」
兄の言いように、タケルが少し肩をすくめて苦笑いをする。
雨は、先ほどより、また激しくなってきた。
砂浜に車ごと乗り上げたはいいが、果たして無事湾岸道路まで戻れるだろうか。
いきなり訪ねてきた兄に、食事に誘われ、映画を見て、それからカラオケにまでつき合わされて、その挙げ句兄弟でデュエット・・。
それで終わりかと思ったら、傷心の兄は今度は海が見たいと言い出したから、しようがなく東京から車を走らせてきたけれど。
お台場でもよかったのかな?と、後になって思った。
でも、なんだか、こんな兄は初めてで、こんなに弱みを見せてくれるのは初めてで。
こんな状況なのに、それを少なからず嬉しいと思っている自分は、なんと薄情なのだろう。
その道中で酒屋によって、兄はワインを買ってきた。
ご丁寧にグラスつきで。
2こはいらないよ、僕、運転手だから飲めないでしょと言うのにきかず、とにかくワインボトル二本とグラス二個を買ってきてしまった。
ボトル二本ということは一本は自分のノルマなのか?と、そんなにアルコールに強い方じゃないので思わず怯えてしまったが、結局そんな心配は無用だったようで、既に一本は兄が開けてしまっている。
そんなに淋しいなら、しなけりゃいいのに、離婚なんて。
心の中で、少し皮肉を込めて言う。
そんなにお義姉さんと別れたくないんなら。
・・・・ちがう。
わかっている。
兄は、義姉との別離だけを苦しんでるわけじゃない。
「淋しい? マナちゃんやトモに会えなくなるのが」
あたりまえのことを聞いてみた。
兄が、それに答えるように低く笑った。
結婚をして、家族が増えて、兄は幸せそうに見えたのに。
時々、2つの家族でいっしょに食事をしたりした時も、兄はかいがいしく家族のために動いていた。
ただ、自分とはにこやかに会話しつつも、視線を合わせることはほとんどなかったから、その瞳の中にどんな真実があったかなんてことまでは知る由もないけれど。
それでも、女遊びの派手だった兄に、義姉が三行半をつきつけるならまだしも、まさか兄の方からそんなことになるなんて。
そういえば、離婚の理由はなんだろう。
別に聞くことでもないと思って、聞かなかったけれど。
「淋しい、つーか。自分の手で、ちゃんと幸せにしてやれねえってのが、情けなくて・・。まあ、そばにいても同じようなもんだけどな。俺なんかじゃ」
「・・・・兄さん、酔ってるよ」
「そうか? あ、おまえも飲めよ、そのためにグラス二個買ってきたんだから」
「僕は運転して帰るんだから、飲めないったら。飲酒運転、罰金今すごく高いんだよ?」
「俺が、払ってやるって」
「そういう問題じゃないの。点数にもひびくし」
「だったら、俺の免許ととっかえてやるよ」
「そっちの方が、なんだかヤバそうだけど」
「バレたか。既に駐禁2回」
「兄さん。この前帰ったばかりでしょ。それでもう2回?」
「コッチは細かい事にうるせえんだよ」
「よっく言う」
「おまえみたいにバカ正直じゃねえしな、俺」
「バカ、は余計だよ」
「睨むなよ」
「せっかく同情してあげてるのに」
「だったら、ほら」
「相変わらずワガママだなあ、もう。じゃあ、カタチだけ付き合ってあげるね」
「やさしい弟をもって嬉しいぜ、ほら、乾杯!」
カチンとグラスが鳴って、兄はそれを一気に飲み干した。
それを横目で見ながら、手にしたグラスの中の透明に赤い液体をゆっくりと揺らす。
フロントガラスが、二人の吐く息に、だんだんに真っ白に曇っていく。
車内はエアコンを入れなくてもまだそう寒くはないが、一歩外に出れば強い海風が吹いているのだろう。
波の音がガラス越しに聞こえ、遠くに灯台らしい灯りが小さく見える。
まるで、こうしていると、外界から遮断された二人だけの世界にいるようだ。
真っ暗な海に、二人して波間を漂っているような。
「おまえは、淋しくねえのかよ?」
いきなりの問いに、え・・?と驚いたような顔をした。
「淋しいよ?」
さらっと言うと、苦笑された。
「そうは見えねえけどなあ」
「でしょう? オクサンにもそう言われた」
「ん?」
「一人でもちっとも淋しくないでしょって。けっこうこれでも、一人は堪えるし、淋しいんだけれどね」
いつもの自分だったら、こんな風には言わないだろうけれど、兄は酔っているし、自分に弱みも見せてくれたから。
だから、少しだけ、いつもよりも正直になってみた。
でもまだきっと、感情の半分も、その表情や言葉には出ていないのだろう。
その程度の自覚はある。
・・・淋しい、か。
家族がバラバラになるという喪失感は、幼い時に嫌というほど味わった。
自分が結婚することがもしあったら(正直、ないような気もしていたんだけれど)、どんなことがあってもそれだけは避けようと思っていた。
けれど。
結婚後、一年たらずで彼女は出ていき、それを自分はどこか淡々と受け止めて、そんな自分に躊躇しつつも、今度こそはとそれから僅かしかたたないうちに、二回目の結婚をした。
今度は家族も増えたし、自分なりに順風満帆なセイカツだと思っていた。
なのに。
やっぱり、2年と持たずにオクサンはいなくなった。
これ以上、一緒にいることが耐えられないくらい淋しいとそう言って。
「彼女にね。空気みたいな存在だったって言われた。そこにあるはずなのに存在感がなくて、呼吸することであることは実感できるのに、透明で、見えなくてふれることも出来ないって。どこにいるのかもわからないって」
だったらカノジョは、『一緒にいることが耐えられないくらい淋しい』とそう言われた男に淋しいという感情はないと、本気でそう思っていたのだろうか。
「・・・・・タケル」
「ん?」
「俺はな、宇宙空間に出るための訓練の後、いつも思うぜ。空気ってうまいし、ふわっとやさしくてあったかいし、ありがたいなあって。ほっとする」
「兄さん・・」
「おまえに似てるよ、な」
「兄さん・・」
「おまえのこと、ちゃんと見てるヤツは見てるし、ふれられなくても、そこにいてくれるだけでいいって、そう思う奴だっているぜ?」
「そう・・・・かな」
「そ・・。淋しいのに、それをちっとも見せないもんだから、誰からも傷ついてないように見られて。けど、本当は飯も食えないくらいつらくて、ろくに寝ずに仕事ばっかりして気ぃ紛らわすことしか出来ねえくらい淋しいくせに。まるっきり平気なような顔して・・。それが傍で見てっと悔しくてほっとけなくて・・・」
「に、兄さん・・!」
驚いたような瞳で自分を見上げる弟に、ヤマトが、グラスで飲むだけでは足りなくなったのか、ボトルごとワインを煽りだす。
それをぎょっとしたように見て、あわててタケルがその手を押さえた。
「兄さん! 駄目だってば、そんな無茶な飲み方しちゃ・・。いくら兄さんがお酒が強いからって・・・」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないったら」
「じゃあ、言えよ」
「え? な、何を・・」
「淋しいって言えよ。俺に、淋しくて淋しくてたまんねえって、そう言えよ」
「そ、それって、そんな交換条件・・」
「交換条件じゃねえ。時には、それくらい言って甘えろって、そう言ってるんだ!」
「兄さん・・・・」
兄の言いように思わず絶句して、タケルがじっと兄を見つめる。
何もかも、お見通し・・か。
いつから、兄に、そんな自分を知られていたんだろう。
昔なら、ここで泣いてその胸にしがみついていたところだろうが・・・。
そんなことが出来るほどもう子供ではないし、けれども、それを余裕で肯定できるほど大人でもなく、上手に否定できるほど成長もしていない。
中途半端な、大人、だ・・。
少し困った顔をしていると、さすがに自分の怒鳴り声に我に返ったのか、ヤマトがちょっとバツが悪そうな顔をした。
「あ、悪い・・。どうかしてんな、俺。自分が今淋しいからって、おまえにまでそれを要求するこたあねえよな。怒鳴って悪かった・・」
言うだけ言って、フイと自分の助手席側の窓を見る。
何も写らない窓に白くぼやける兄の横顔は、こういう時は少し子供っぽく見える。
いたずらを見つかった少年のような。
変わってないね、そういうとこ。
いつも、幼い頃から一番に、自分のことよりも先に僕のことを気にかけてくれたよね・・。
照れ隠しに、ちょっと怒ったような顔をして。
窓を睨んでいたヤマトの顔が、ちょっと「えっ」という顔になる。
肩にかかってきた心地よい重みに、驚いたように隣を見た。
寄りかかるように凭れている弟に、心臓が一瞬踊りそうになってしまった。
「ど、どうした・・」
「いや・・・。運転に疲れちゃって、眠くなってきたんだ」
「そ、そうか。悪かったな、遠出させて・・。締め切り近かったんだよな」
「ん・・。でも、いいよ。帰ってから不眠不休でがんばるから」
「・・・・・・・・」
微笑んで言うタケルに、ヤマトがそれを聞きながら、やさしい目で弟を見下ろす。
過剰労働をさせるはずではなかったのに、とちょっと自分を悔やみながら。
「なあ、タケル・・」
「ねえ、兄さん・・・」
「え?」
「あ・・・何?」
「いや、おまえから」
「えっ、何。兄さんから言って」
「いや、俺は。・・・・なんだよ」
「だから・・・。その。帰るとこないんだったら、うちに来るかな・・・って。アメリカ帰るまで。・・・あ!でも誰か先約あるんだったらいいよ・・! にいさん、女の人のトモダチ多いし」
「嫌味かよ、それ」
「あ、そういう意味じゃなくて・・・。嫌なら、いいんだ」
「嫌なわけねえだろ。ありがたく、弟の好意に甘えて・・・いいのか?」
「もちろん。迷惑じゃなければ」
「迷惑するんなら、そっちだろ?」
「僕が迷惑がることがある?」
兄の答えに、少し嬉しそうに微笑んでタケルが上目使いにヤマトを見上げる。
ヤマトが、照れたように笑った。
「あ、それより兄さんの話は何?」
「え・・・・。あ、ああ・・・。一緒にさ。家でも買うか?って」
「家?」
「もともと4人家族だった俺たちが、今、親父も母さんも、俺もおまえも、みーんな一人になっちまって・・・。今は親父たちもまだまだ元気だし、思い切り仕事できるからいいけどな。いつか、そうじゃなくなる日がくるかもしれねーだろ。そういう日のための。保険みたいなもんに」
「保険・・・?」
「言い方が悪いか。ま、でもそういうとこでさ。で、それまでは、俺とおまえが好きに使えばいいし」
「いつか、4人家族に戻れる日が、来るかもしれない・・か」
「保証はないぞ。俺のはたとえ話で・・」
「わかってるよ、兄さん。いつまでも、過去に見た夢に囚われてるほどもう子供じゃないよ、僕も。でも・・・。お互い、結婚運もあんまりなさそうだし、そういうのも、いいかもね・・・」
「だろ?」
「じゃあ」
「じゃあ?」
「誓約書代わりに」
「代わりに?」
「誓いのキスでも!」
「・・・・・・・・・・・・・・・え。ちょちょちょちょっとやめて、兄さん! 冗談やめてってば!」
「いいじゃん、一回くらい」
「いいい一回って! 何言ってんの! 酔ってるんだから、ねえ、ほんとに酔ってるよ!」
「ああ、酔ってるとも! だから、キスさせろ!」
ガタンと運転席の横のレバーを引かれ、がくんとシートがタケルの身体をのせたまま傾いて倒れていく。
「兄さんってば、もう―――!!」
「た〜け〜る〜」
「やめってってば! 兄さん、兄さ・・・・・・・! ・・・・・・・・・あれ?」
倒された自分の上にのしかかってきたヤマトが、ふいにぐた〜と動きをとめてしまったことに、タケルがふと不思議そうな顔をする。
いぶかしむように、ゆっくりと少しだけ上体を起こしてみると、兄は自分の身体の上で、すーすーと気持ちよく眠ってしまっていた。
「あの・・」
タケルが脱力したように、車の天井を見上げた。
なんだか、思い出してみれば、いつもこんな感じで、兄の言動に振り回されてきた気がする。
幼い頃から。
まあ、それでも憎めないというか、そういうとこがまたヤマトらしいのだけれど。
そんなところもまた、ずっと、好き、だったのだけれども。
「それにしても、苦しい体勢だなあ・・・。ねえ兄さん、お願い・・。目を覚ましてったら、もう・・・・。ねえ、兄さんてば・・!!」




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「あれっ?」
もぞもぞと身を丸めるようにして眠りからさめて、あたりを見渡した。
見覚えのある森の中。
「ここ、どこだっけ?」
小さく呟いて、小さな身体をゆっくり起こすと、頭の上に何かがポンと乗っかった。
「やっと起きたの、タケリュ〜 キミって本当にお寝坊さんだネ!」
「あ・・。パタモン」
頭の上からそれが膝の上にぱたぱたと降りてくるのと入れかわりに、あたたかい手が頭の上に置かれた。
「よく寝てたな・・」
「おにいちゃん」
「疲れ、ちょっとはとれたか?」
「え? うん」
ボクって、疲れてたんだっけ?と思いつつ立ち上がると、別の声がみんなに言った。
「おーし、タケルも起きたことだし、そろそろ出発するか! どうだ? 行けそうか?ヤマト」
「大丈夫だな? タケル?」
やさしく聞かれて、うんと答えた。
「よし! じゃあ、出発だー! とっとと、残りのタグと紋章を見つけねえとな!」
その声に引かれるようにして、みんな元気に歩き出す。
先頭は太一さん。アグモン。それから光子郎さんに、テントモンに・・。ミミさん、丈さん、空さんでしょ。パルモン、ゴマモン、ピヨモン・・。
それからボクとおにいちゃんとガブモンとパタモン・・。
あれ? 誰かたりないような気がするのはどうしてだろう?
気のせいかなあ?
なんだか、まだ頭の中がぼんやりしてる。
「どうした?タケル?」
「え?っと・・・。なんだかね」
「ん?」
「なんだか、長ーいユメを見ていたの」
「ふうん。どんな?」
「どんなだったか・・。よく、おぼえてないや。どうしてだろう・・。さっきまで覚えてたみたいなのに」
「そっか。まあ、ユメなんて忘れちまうもんだから」
「そうなの? そうなのかなあ」
目をごしごしこすったまま歩いていると、おにいちゃんが笑ってボクの前に背中を見せて屈んでくれた。
「まだ眠かったのかよ、ほら」
「ん・・・大丈夫」
言いながらも、向けられた背中が嬉しくて、甘えてそこにおぶさった。
おにいちゃんの背中はいつも、あったかくて、安心する。
一番安心な、基地みたいに。
「ねえ、おにいちゃん?」
「ん?」
「ボクが大きくなってもね、ボクのそばにいてくれる?」
「ん。あったりまえじゃん。おまえのおにいちゃんなんだから」
「うん。ボクもね、ずっとおにいちゃんのそばにいてあげる。おにいちゃんが淋しくないように、ずっとずっとそばにいてあげるね・・・」
「タケル・・・。あれ? タケル・・? 寝ちまったか・・?」
おにいちゃんの声が遠くなる。
お日様が背中にあたる。
胸は、おにいちゃんの体温であたたかい。
ボクは、そんなあたたかさの中で満たされながら、またいつのまにか、シアワセなまどろみの中にいた。





END




おおお、終わりました! 奮闘すること2ケ月! しかも7夜後半の無印タケル部分は4回も書き直しをする羽目に陥りつつ(パソコンがフリーズして)よくぞ終わったと・・! 
結局、これで7つのお話のユメの前後が全部繋がったハズなのですが。どうでしょう?
つじつまあってないトコもあるかと思いマスが。
最終的に、全部無印タケルの見た1つのユメだったのか(ユメから目覚めた部分も)、それとも何人かのタケル(?)が見た何コかのユメだったのか、どこからどこまでがユメだったのか?と、色んな読み方をしていただければ幸いです。
一応、最初からそれを目指して書いてたのですが。わけわかんなくなっちゃったような・・。
7夜ではヤマトにもタケルにも子供がいるような書き方をしてみましたが(コドモの名前は紋章からとってみました。ヤマトのとこは愛(マナ)と友、タケルは、ノゾミかノゾムか・・。希でも望でもあんまり変わんないなー)、個人的な希望としては、不摂生極まりない生活をしている小説家の弟が今にも倒れそうなのを心配して、ヤマトが自分のとこに呼び寄せるというのが一番いいかなーと。心の底に特別な感情があるのをお互いそこに留めたまま、仲のよすぎる兄弟として仲睦まじく穏やかに暮らしていくというのが、もしかするとヤマタケの未来図としては一番しあわせなカタチなんじゃないかあと思うのですが、どうでしょうか・・?