タケルは不安げな顔で、自分の部屋の窓から外を見ていた。
夕方あたりから厚く黒い雲が広がり、空は星もなく今にも泣き出しそうだ。
冷たい窓ガラスに指を突き立て、自分を落ち着かせようとするかのようにガラスにコツンと額をぶつける。そんなタケルの机の上で、Dターミナルが着信を告げる音をたてた。
ヤマトからのメール。
『今夜は雷雨になりそうだけど、おまえ大丈夫か?』
そのメールにすぐさま『大丈夫じゃない』と返事を返す。
遠くの空が、雲の中で暴れ狂うように光を放っている。タケルはそれをひどく恐ろしいものを見るような瞳で見つめ、サッと身を隠すようにカーテンを引いた。

数十分の後、玄関のチャイムが鳴り、タケルは廊下を駆け抜けると、誰かを確かめることもせず扉を開いて、雨に濡れたヤマトを見つけるや、その首に縋り付いた。
「おい・・俺じゃなかったらどうするんだよ。せめて確かめてからドア開けろよ」
困ったように微笑んで、タケルを一度腕の中にぎゅっと抱きしめて、部屋に入るように肩を促す。
「雨・・・いつのまに、そんなに?」
言いかけたところで、カッと窓から稲光が差し込み、タケルは怯えたようにヤマトの胸にしがみついた。たぶん、この雨の中、心配して走ってきてくれたのだろう。金の髪と、黒いシャツの肩が濡れている。タオルを取りに行こうとして雷鳴を聞いて、タケルは仕方なくそれを断念した。“自分でするから構うなよ”とその気持ちを察してヤマトが言い、部屋中のカーテンを閉めて回る。いつもの強がりも、意地っ張りも見せる余裕なく腕にしがみ付いている弟を、やれやれ・・という顔で見下ろす。
「メシ、食ったのか?」
「うん、母さん一度帰ってきて、ごはんの支度して、また出かけたから」
「そっか・・じゃ、あんまりひどい嵐になる前に、おまえ風呂入ってこいよ」
「う・・ん」
「一緒に入って欲しいか?」
「ううん!」
ヤマトのからかいに否定だけはきっちりとして、慌てて着替えを取りにいきバスルームに飛び込むタケルを見て、あれはきっとシャワーだけして5分くらいで出てくるなと心の中でヤマトが苦笑する。
まだ食器がそのままのキッチンを片付けようとした時、ふいに電話の音が鳴り響いた。
「はい、高石です」
母方の姓を名乗ることに、なんとも言えない違和感と照れを覚えながら受話器を取ると、電話の相手が驚いたように声を潜める。
『ヤマト?』
「母さん・・」
『よかった、来てくれてたんだ・・・このまま取材で遅くなりそうなんだけど、もう少しいてもらって大丈夫?』
「そのつもり、だけど」
『ヤマト知ってた? タケル、雷が・・・』
「わかってる、だから来たんだよ」
『そっか・・じゃあ、お願いね』
「あ、母さん」
『なあに?』
「今度オヤジが4人で焼肉でも食いにいこうって」
『焼肉ぅ? お父さんらしいわね。わかった、またメールしとく。じゃあね』
途切れた電話を静かに戻して、肩で軽く溜息をつく。
最近、父と母は、わりと頻繁に連絡を取り合っているらしい。夫婦でいた頃は、互いに憎みあっているのかとさえ思ったこともあったけれど、それも愛情の裏返しだったんだと今になって気づく。今の父と母は、お互いよき理解者で、仕事を持つ者同士、戦友のようにも見える。今更夫婦に戻れよと言う気もないけれど、タケルはどう思っているのだろう。

案の上、バタバタと浴室からバスタオルだけを撒きつけて出てきたタケルに、笑いかけながら濡れた髪を拭いてやり、母からの電話を伝える。
「どーせ、みんなして僕のこと、怖がりだとか弱虫だとかいつまでも子供みたいに、とか思ってるんだよね」
ふてくされたように言いいながらも、カーテン越しにピカッと光の走った気配に、窓の方をチラリと見る。そしてドオォ・・ンと地響きのような音がすると、ビクッと半裸のままヤマトの胸にしがみついた。
「おいおい・・挑発してんのかよ」
ヤマトの言葉に赤くなり、上目使いに兄を見上げると、ヤマトの胸を指差して言う。
「だって、ここ。僕の避難場所なんだもの。しようがないじゃない」
























テレビを見終わって寝る時間になってもベッドに入らず、タケルは窓際の床に坐って、叩きつけるように降る雨を見ていた。
カーテンを閉めてしまうと余計不安がつのるらしい。
敵に真っ向から挑んでるって顔だなとヤマトがからかうけれど、笑うに笑えず膝をぎゅっと抱え込む。
その隣に布団を抱えてヤマトが坐り、身を寄せて背中から2人一緒に布団にくるまる。
稲妻が走り、雷鳴が轟く度に身を縮め、片方の手でヤマトのパジャマを掴む。それでもまだ不安げなタケルを見下ろすと、ヤマトはその身体を自分の伸ばした足の上へと横座りに抱き上げた。
「お兄ちゃん・・」
何か言おうとしてまた光を放った空に、ヤマトの胸に顔を押し当ててぎゅっと目をつぶる。
ドオォォ・・・ン!!と一際大きな音がして部屋の明かりが消え、あたりは闇に包まれた。

小5にもなって、雷が怖いなんて自分でも情けない――
けれど、この怖さはトラウマからくるものなので、たぶんきっと、自分ではどうしよもないものだ。と思う。
6年前のあの夜。
あの夜も嵐で、雷鳴が轟き、白い光が空を引き裂いていた。
落雷の恐ろしい地響きと、鋭い光の差し込む部屋と、テーブルの食器が母の叫びとともに払いのけられ割れ落ちる音・・・
その瞬間カッ!と尚一層の光が部屋を横切り、暗い空が裂かれた。
タケルの家族が、家庭が、引き裂かれた瞬間でもあった。
この日を境にして、父と母は急速に冷たくなり、離婚話もすすんでいったのだと思う。

――あの日も、リビングの片隅に蹲って、こんな風に兄の胸でぎゅっと目をつぶっていた。
停電した室内は真っ暗で、たぶん両親は子供たちが声を聞きつけ起きてきて、リビングにいることなど気づきもしなかっただろう。
母のかん高い声とともに、頬を打つ音が響き、タケルは声も出せずにただ泣いていた。
ヤマトは震える弟を力いっぱい抱きしめることで、どうにか自分を保っていたけれど、“やめて”と声を出すことも出来ず、唇を噛み締めた。
多分、自分も泣いていただろうと思う。
タケルは小さかった分、全てを覚えていない分、漠然とした不安と恐怖の記憶だけが、落雷のイメージとともにその心に刻まれてしまったのだろう。
「あの時も・・・こうやって、抱きしめてくれたよね」
少し遠い瞳をして、タケルが言う。それに答えるようにヤマトの手が、タケルの頭を自分の肩口へと抱き寄せる。
「いつもいつも、僕はお兄ちゃんに守ってもらってる」
少しつらそうに言う。
「守ってもらってばっかり・・」
「不満か?」
ヤマトが笑う。
「僕は、いつになったらお兄ちゃんを守れるようになるんだろう・・」
自分の無力さを嘆くように言うタケルに、事もなげにヤマトが答えた。
「もう、守ってもらってるけど?」
「え・・・っ」
「おまえ、気づいてないだろ」
わからないという顔で兄を見る。
「おまえが気づいてないだけだよ。俺はずっと、おまえに守ってもらってきたんだぞ・・」
「僕が・・?」
「あの嵐の夜も・・自分も泣きながら、小さな手で俺の涙を拭ってくれた」
タケルの瞳が見開かれる。
「汗で冷たくなった俺の手を、両手でぎゅっと握って温めてくれた」
「お兄ちゃん・・・」
「俺はそうやって、おまえに癒されて、だからあんなことがあっても、傷を忘れることができたんだ」
兄の言葉を噛み締めるようして、じっと見つめ、それから少し考えて続ける。
「じゃあ、今も僕は・・お兄ちゃんを守れてる・・?」
「ああ、充分な」
ヤマトのやさしい微笑みに、タケルはまだ信じられないような顔をしてコトリとまたその胸に甘えてもたれかかる。
「だったら・・だったら、すごく嬉しいんだけど」
言って、安心したら少し眠くなったのか、そこでゆっくりと目を閉じる。そして、またすぐ何かを思い出したように、ヤマトの顔を見上げた。
「でも、どうしてあの時、お父さんは母さんを殴ったりしたんだろう。あまり家にいなかったけど、僕らにはとってもやさしいパパだったでしょ?」
タケルの言葉に、ヤマトがふと考え込むような顔をして、それからいぶかしむようにタケルに聞いた。
「それが、ショックだったのか?」
「うん・・・」
タケルの答えに、ヤマトはその顔をじっと見下ろして、それから急にプッと吹き出し、肩を震わせて笑い出した。
「な、何?」
いきなり笑われて、憮然とした表情になってタケルがヤマトを睨みつける。
「どうして笑うの!人の深刻なトラウマを・・!」
タケルが立ち上がろうとした瞬間、パッと部屋に明かりがつき、いきなりの眩しさに目を擦りつつ、なおも兄をにらみつける。
「おまえのトラウマもいい加減なもんだな」
ククッと笑って、タケルの前髪を撫で上げる。




























「タケル・・おまえ、目つぶってただろ」
「うん・・」
「殴ったのは、オヤジじゃない」
「え・・・?」
「母さんだ」
「へ・・・っ?」
「母さんが、オヤジを殴ったんだ」
「そう・・なの?」
「ま、それはそれで、すっげえおっかなかったけど」
なおも笑いを噛み締めるヤマトに、タケルもどういう顔をしていいかわからず、とりあえず笑ってみる。
母さんにいきなり殴られて、父さんはどんな顔をしていたんだろう。
きっと驚きの余り、フリーズ状態だったにちがいない。
今の両親でそれを想像してみると、確かにこれはギャグかもしれない。そう考えると、さすがに可笑しくなってきた。
朝になったら母さんに聞いてみよう。そう言って2人で小さく声を出して笑い合い、やがてヤマトは“さて、嵐も過ぎ去ったようだし”とタケルをひょいと抱き上げた。
そしてベッドに降ろすと、額にやさしくキスをして言う。
「もう大丈夫だから、あとは、朝までゆっくり眠れよ」
タケルは眠りに落ちていきながら、これからはもう、少しは雷も怖くなくなるかもしれない。そうしたら、お兄ちゃんにこんな風に駆けつけてもらわなくてももう大丈夫だよね・・と呟いた。
ヤマトは笑うと、それは困ると、胸にタケルを抱き寄せて囁いた。
――俺は、いつまでも、おまえの避難所でいたいんだけどな・・・。

 嵐の夜

私にはめずらしく、結構気に入っているお話です。
(ええ、他のは何なんだ?)
これの島根版(?)を冬出す本に書こうかなと思っ
てるんですが、そうするとまた季節感のない話に
なるんだな。夏の本は、まだ冬の話だったし。
でも、山の中で一人でいる時に、嵐になって、雷
がなって・・・「お兄ちゃん・・・!助けて・・!」って
いいんじゃない?うふふvとか思ったりして?
サドかい、私は・・・でもタケルのトラウマについて
の話はまだ書きたいです。ちょっと痛いけどね、
タケルが痛いと書いてる私も痛い。(風太)


           モドル