■ あなたの存在。
「ったくさー。おまえって本当に鈍くせぇんだよな!」
力いっぱい言われて、タケルが小さく肩をすくめる。
大輔は保健室の隅っこにあったパイプ椅子を持ってくると、背凭れを前に跨いで坐った。
それをベッドの上から、坐ったまま見つめて、タケルが苦笑いを浮かべる。
投げ出されるように伸ばされた足の片方には、痛々しく白い包帯が巻かれていて、疼くような痛みがずっと続いていた。
夕暮れの保健室。
タケルはバスケ部の練習中、ジャンプしてシュートを決めたまではよかったが、着地した瞬間足を滑らせて転倒し、そのまま立ち上がれなくなってしまった。
どうも捻挫したらしいが、念のためレントゲンを取りにこれから病院へ向かうことになっている。
保健医がその連絡に部屋を離れているため、なぜか大輔がサッカー部の練習をサボってここにいるのだ。
けれども悪態をつきつつも、体育館での騒ぎを聞きつけてグランドから飛んできてくれ、顧問の先生とともにここに運んできてくれた大輔に、タケルは感謝していた。
一人でいたら、きっと暗く落ち込んでいたに違いないから。
ただまあ、ほんとに、その口の悪さったらないけど。
「まあまあ、そんなに怒らなくても」
「何、人ごとみたいに言ってんだよ、おまえは! どうすんだよ、明日の試合!」
「うん。これじゃあ、出られそうにもないね」
「出られそうにもないって、おまえ、クヤシくねえのかよ! レギュラーに選ばれたって張り切ってたじゃんかよ!」
「悔しいけど、仕方ないじゃない」
「仕方ねえって、そんな簡単にだなあ・・!」
「ま、試合は明日だけじゃないから、またチャンスはあるし」
「あ〜!もう!そういうとこ、なんつーか、苛々すんだよなあ! クールっつーか、淡白っつーか」
「へえ、大輔くんでも、淡白なんてコトバ知ってるんだ」
「あのなあ・・!」
言いかけて大口を開いた所で、短くノックの音がして、大輔が口を開いたままドアを振り返る。
「タケル・・!」
「あ、ヤマトさん」
「遅くなって悪かった。・・・大丈夫か?」
どうやら心配で走ってきたらしいヤマトが、息を整えながらそう言うと、大輔はからかうつもりで笑いながらタケルを振り返った。
「おーい、ブラコン! 大好きなお兄様が来てくれた・・・ぜ・・」
振り返ってタケルの顔を見て、ぎょっとして思わず言葉につまる。
タケルの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちて、その頬を伝っていた。
ヤマトが静かにベッドの傍に行くと、顔を歪めて唇を噛み締めて、上体を捻るようにして制服の胸にしがみつく。
涙がぽろぽろと零れ落ちた。
ヤマトが何も言わず、そっとその頭を抱き寄せて、宥めるように金色の髪を撫でる。
「痛むか・・?」
やさしく聞かれて、小さく頷く。
「試合・・・出らんなくなっちゃったぁ・・」
搾り出すような声に、大輔の胸がズキンと痛んだ。
ヤマトは仕方ないとも、また次があるさとも言わず、“そうだな”とだけ言うとベッドに腰掛け、タケルの肩をそっと抱いた。
「あ、じゃあオレ・・・」
「ああ、大輔。電話ありがとうな」
ヤマトの言葉に小さく会釈して、なんだかいたたまれない気分になって保健室を出ると、大輔は肩を落として大きく溜息をついた。
(あいつ・・・ずっと平気な顔して笑ってたけど・・・・本当は試合出られなくなってショック受けてて・・・オレの前じゃ飄々としてたけど、本当はずっと泣きたかったんだ・・・)
ずっとそばに付いていてやったのに、そんなタケルの悲しい気持ちに気づいてさえやれなかった自分の無神経さに腹が立った。
ずっとアイツは泣きたいのを我慢してヤマトさんが来るのを待っていたのか・・・
そう思うと、大輔は、なんだか訳もなく、むしょうに腹がたってしようがなかった。
結局、間もなくして母が車で迎えに来、タケルはバスケ部の顧問に付き添われ、兄の腕に抱かれて車に乗せられると病院へと向かった。
レントゲンの結果、骨には異常はなく、ただの足首の捻挫だということだったが、靭帯が切れているので、とにかく安静をと言い渡され、タケルは深い溜息をついて肩を落とした。
「じゃあ、悪いけど、お願いね。ヤマト・・・」
玄関を開けて、そこに立つ息子を見上げる形で、母が本当に申し訳なさそうに言う。
ヤマトは頷くと“どうせ、タケルの試合見にいくつもりで、今日は一日開けてたから”と少し笑った。
母の気遣いは有りがたいが、タケルは自分にとっても大事な弟なのだし面倒みてやるのは当然のことと思っていたので、母の遠慮が少し居心地を悪くさせる。
けれど、頼ってきてくれたことはやはり喜ぶべきことなのだろう。
母は、空けておいた土、日に、来週分の仕事を出来るだけ回し、タケルの足がよくなるまでは家で看てやりたいと考えて、ヤマトに休日の看病を頼んだのだ。
「あ、そうだ。あのコ、ゆうべからちょっと熱があって・・・食欲もあまりないのよ」
「そうか・・・わかった。気をつけるよ」
「うん、お願いね。じゃあ」
「ああ」
“行ってらっしゃい”とは気恥ずかしくて言えなかった。
玄関のドアが閉じられるとヤマトは小さく溜息を漏らした。
まだ、なんとなく、タケルを交えていないと、母と話すのはどうも緊張する。
親子なのに。
まあ、だいたいがこれくらいの年齢の男の子はあまり母親と話をしないものらしいから、こんなもんでもいいだろう。
ヤマトは無理やりその考えを終わらせて、タケルの眠る部屋のドアを開いた。
クッションを下に置いて高く持ち上げ、冷湿布をされ包帯を巻かれている左の足は、いつもの細さを忘れるくらい大きく腫れあがっている。
痛み止めが効いているのか、よく眠っている頬をそっと手のひらで撫でて、口付ける。
レギュラーに選ばれたんだ!5年では僕だけなんだよ!と頬を染めて、わざわざヤマトの通う中学校まで報告に来たタケルは、はちきれんばかりの笑顔を浮かべ、本当に嬉しそうだった。
その次の日から、毎日夜遅くまで練習が続き、「シゴかれちゃったー、キツイー」とか言いながらも頑張るその顔は、いつもにもましてキラキラしていた。
(かわいそうにな・・・)
保健室で、自分を見るなりポロポロと涙をこぼした弟を思い出し、かわいそうで、胸がつまった。
もう一度、軽くその頬に口付けて、起こさないように部屋を出て行く。
ほどなくして、タケルがゆっくりと瞳を開いた。
病院から帰った後、鎮痛剤を飲んだらもう眠くて眠くて朦朧として、ウトウトしているうちに気がついたら土曜の朝になっていた。
まだぼんやりとしている意識の片隅に、兄がいる気配を感じ、瞳を開いたまではよかったが、熱のためか身体がだるく、声も掠れて出なかった。
咽喉が痛い。どうやら、風邪までひいたらしい。
片足は鉛のように重くて、疼くような痛みが続いていて、もう本当に踏んだり蹴ったりな自分が嫌になる。
・・・試合はもう始まっているのだろうか・・・
首を巡らせるけど、時計の文字盤がぼやけてよく見えない。
・・・なんだか、惨めだ。
こんなはずじゃなかったのに。
昨日は病院から帰宅した後、クラスメイトやらバスケ部の友達や先輩から、ひっきりなしに電話が入って、なんだか嬉しくてくすぐったかったけど、一夜明けるとそれさえも、少しタケルを哀しくさせた。
・・・世界中から、取り残された気分。
なんだか、とりとめのない言い様のない寂しさ。
兄の気配はあるのに、一人で部屋にいるのはなんだかひどく心細く思えた。
「お兄ちゃん・・・」
声に出して呼んでみるけど、掠れて小さな声がやっとだ。
「お兄ちゃん・・・!」
身体を揺らすようにして、思いきりもう一度呼ぶ。しかし反応はない。
「お、にい、ちゃん!!」
もう一度声にすると、ズキン!と足がひどく痛んだ。
身体を折り曲げるようにしてそれに耐えて、けれども一人でいることにはもう堪えられなくなって、タケルは力を振り絞って上体を起こすと、なんとかベッドを降りてヤマトの傍にいこうと、必死で動かない足を引き摺った。
こんな気持ちで一人でいるのは嫌だった。
こんな時、こんな気持ちで、一人でなんかいたくなかった。
どうにかベッドの端まで身体を移動させて、大丈夫な右足を突き、ベッドを支えになんとか片足で立ってみようと試みる。
・・・が、痛んだ左の足はもう自分の足ではないみたいに重くて、シーツの上を僅かしか移動せず、片足をベッドに掬われるような形でタケルはバランスを崩すと、あっと小さく声を上げて、どさっとベッドから床に落ちてしまった。
その音にやっと、慌てたようにヤマトが入ってくる。
「タケル!?」
「・・・お兄ちゃん・・!」
「どうしたんだ? 大丈夫か! 何やってんだよ、寝てなきゃ駄目だろうが!」
叱りつけるように言われ、それでもヤマトの顔を見て一瞬ほっとしたような表情を浮かべる。
けど、すぐに兄を睨みつけるような瞳になって、抱き起こそうとした兄の手をタケルの手がパシ!と払いのけた。
「タケル?」
「どうして来てくれないの!何度も呼んだのに!」
「あ、ああ・・・・風呂、洗ってて・・・悪い。聞こえなかった」
「僕、動けないんだから! 呼んだらすぐに来てよ!」
いつものタケルとは思えない口調に、ヤマトが少し驚いたような顔になる。
「ベッドから降りることさえ出来ないんだから! 一人で放っておかないでよ・・!」
自由に身体を動かせない苛立ちと、試合に出られなかった惨めさと、それから呼んでも来てくれない兄への腹立たしさと、最後にちょっぴり心細かったのと。
色々な感情がごちゃまぜになって涙目になるタケルに、ヤマトがやれやれと肩を竦める。
「いいよ、もう!」
自分の子供っぽさに嫌気がさしたのか、吐き捨てるようにそう言うと、フイと顔をヤマトから背けた。
めずらしい。こんな風にわがままも言えるようになったんだな。
と、そう考えて、それから腹が立つほど心細かったのかとも考える。
ヤマトは“わかったよ”と言うと、不自然な形で倒れているタケルを抱き起こそうと手を伸ばした。
「いいからもう、あっち行ってて」
強情にそっぽを向いてその手を払うタケルに、ヤマトが腰に両手をあてて、困ったように溜息をつく。
「じゃあ、どうするんだ。自分でベッドに上がれるのか?」
「・・・・・!」
言われて、キッと兄を睨みつける。
「自分で上がれるんだったら、俺は行くけど?」
その言葉に、自分の足とベッドをチラリと見て、またヤマトを睨みつける。
ベッドから降りることさえできなかったのに、この不自然な体勢から起き上がることなど到底無理のことのように思われた。
それでも、何とかベッドに掴まって身体を起こそうとするタケルの強情さに、ヤマトが心底呆れたように溜息をつく。
それに気づいて、タケルは赤らめた目元をして、ヤマトを見上げた。
「起こしてよ・・・」
「起こすだけでいいのか?」
からかうように言われて、きゅっと唇を噛む。
その今にも泣き出しそうな顔に、ヤマトはこれ以上怪我人を苛めるのは忍びなくなり、そっと両手を差し伸べた。
「ほら・・・」
ヤマトの顔を見ずにその手に掴まって、消え入るような声で言う。
「抱っこしてよ・・・」
「ああ、いいぜ」
やさしく言われて腕の中に抱き上げられると、自然にぽろっと涙がこぼれた。
そして、兄の首に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。
「ゴメンな・・・。すぐ来てやれなくて。心細かったんだろ?」
言われて小さく頷いて、ヤマトの頬に甘えるように自分の頬を摺り寄せる。
「ゴメン。お兄ちゃん・・・」
「いいさ・・・ それより、おまえ、熱あるだろ? ちゃんと寝てねえと・・・」
そう言って、ベッドに弟の身体を下ろそうとして、ふと、ヤマトは困ったような顔で笑った。
タケルの腕が、絡みついたままヤマトを離さない。
「嫌だ・・」
「オイオイ・・」
「ヤダ」
「タケル・・・ こら」
「僕・・・今、もうすっごく悔しくて惨めで、転んでも自分で起き上がることもできないし、情けなくて、お兄ちゃん、呼んでも来てくれなくて寂しくて・・・」
「うん・・」
「すっごく凹んでるんだから・・」
「それは、見ればわかる」
「だから! だからもう、今日は、お兄ちゃんに無茶苦茶わがまま言って、無茶苦茶甘えてやるんだから!覚悟しててよね!」
公然と甘えん坊宣言をされて、ヤマトがなんだか妙に嬉しそうな顔になる。
「へえ。そりゃ楽しみだな」
言って微笑むと、タケルがその腕の中で、自分の宣言に少し頬を赤らめて、それを兄に見られないようにと、またぎゅうっと今度は胸にしがみついた。
さて、どれだけ甘えてくれるか、楽しみだ。
そう思ったものの、やはり、ひっついて離れないというのは動きづらい。
これが自分の家ならば、家事など一切放り出して、タケルに構ってやるのだが、昨日の夜の電話で、母に家事を一通り引き受けると自分から宣言してしまったものだから、今更引っ込みがつかない。
母にいいところを見せたいという、子供っぽい所が自分にもまだ残っているのかと思うと嫌になるが、引き受けた以上はやはり放ったらかしには出来ない性格なのだ。
これで、も少し、おまえが小さければおんぶでもするのにな。と、呟いた言葉をちゃっかり聞きつけて、タケルがニッコリして言う。
「おんぶしてv」
「〜〜〜〜〜〜おまえ・・・いくつだよ」
「落ちないでーす」
「しっかり掴まってろよ」
「うん。離さないもん」
背中に小5のタケルをおんぶして、片手でその尻を支えながら、もう片方の手で掃除機をかけるのは、幾らタケルが細いとはいえ、さすがに重い。
「足、痛くないか?」
「うん。平気」
答えて、嬉しそうにくすくす笑って首にしがみついてくるタケルは、それでもやはり可愛いけれど。
首もとに甘えてくる弟からは、なんだか小さい頃のタケルと同じ、懐かしい匂いがした。
“お兄ちゃん”と甘えてこられると嬉しくて、頬がゆるみっぱなしだった幼い自分を思い出し、ついつい笑みがこぼれてしまう。
「何、笑ってるの?」
「いや、おまえ、変わってないなあと思って」
「小さい頃と? それって成長がないってこと?」
「そうともいうかな。ま、俺もいっしょだけどな」
「お兄ちゃん、昔からずっと、僕にはすごく甘かったもんね?」
「おまえが言うなよ」
「あ、そうか」
頷いて、声をたてて笑う。
結局、台所を片付ける時は、毛布を纏って床に坐りこんで兄の足に凭れかかり、洗濯を干す時は外が見たいとまた抱っこをねだって、さすがに自分で宣言しただけあって、タケルは本当にヤマトを自分から離さなかった。
よく考えたら、今まで、幼い頃から数えても、これほど甘えてもらったことがあるだろうか。
そう思わずにはいられないほどの、甘えん坊ぶりだ。
「おまえさ・・・熱あるんだから、少し寝れば?」
一通りの仕事が終わって、ソファに坐って一息つくヤマトは、さすがに少し疲れた様子だ。
その膝の上に横抱きに坐らせてもらって、タケルがにっこり答える。
「やだ」
ヤマトがその肩を抱きながら、は〜っと深い溜息をついた。
.その顔に、少し不安になったのか、タケルが心配げに上から覗き込む。
「ごめん・・・ 迷惑・・?」
急に遠慮がちになる瞳を見上げて、ヤマトが笑った。
「バーカ★」
言って、その額をこつんと軽く拳でこづく。
「だって・・・」
「ただなー 10年分くらいをまとめて甘えられてる感じだからな」
「疲れる?」
「そうじゃなくて。一回で10年分使いきっちまうような甘え方しないで、もうちょっと満遍なく甘えて欲しいと思っただけだよ」
「・・・僕って、いつも、そんなに甘えてないかな?」
思い起こしながら、首を傾げるタケルに、ヤマトがやさしく言う。
「おまえ、意地っぱりだから、肝心な時ほど何でも一人で解決しようとするだろ? こっちも過保護にして嫌われたくないからな。一歩ひいちまうけど。そういう時ほど本当は、頼って甘えてくれる方が嬉しいんだぜ?」
「そうなの? どうして?」
「どうして・・って」
“おまえのコト”言いかけて口ごもる。そして、あさっての方向を向いて、ちょっと照れたように言った。
「おまえのこと、可愛いくてたまんねえから」
言われて、タケルがぽっと赤くなる。
「それって、愛のコクハクより、なんか恥ずかしいね・・・」
「だったら、言わせるなよ」
「あ、そか・・・ そうだよね、うん・・」
俯いて、なんだかとても嬉そうに、照れくさそうに笑う。
そして、ヤマトの瞳と合うと、見つめあって、ふふっと笑った。
・・・いつも、そばにいてくれる。
いつも大好きで、時々大嫌いになって、その分、またもっと大好きになる。
そんな、かけがえのない暖かな存在。
どうして、あなたは、こんな僕のそばにいて、いつもそんなに大事にしてくれるのだろう。
足の痛みも、心の痛みさえ、その愛情で忘れさせてくれる。
その無償の愛に、僕はいったい何を返せるのだろう。
考えて、少し切なくなった。
「ん?」
「え? あ、ううん、なんでもない。おなかすいたな、って思って」
「ああ、そうか。もう昼だな。何か食いたいものあるか?」
「ん・・・とね。あ、じゃあオムライス! お兄ちゃんの美味しいもん」
「俺が作ったもんで、美味くなかったもんがあるかよ」
「え〜、すっごい自信!」
ヤマトが料理をしている間も、キッチンの床に坐り込んでその足にもたれかかるようにして甘え、出来上がったオムライスに満面の笑みを浮かべると、ソファに移動してもらい、またヤマトに膝に抱き上げて欲しいとせがむ。
仕方ないなと言いつつも、こちらも嬉しくてしようがないのだから、お互いさまだ。
足上げてないと腫れが引かないぞとか、暖かくしてないと熱があるんだからとか言いつつも、結局は言うままにさせ、ひな鳥のように口を開けて待っているタケルに、スプーンで掬った料理をその口に運ぶ。
「おまえなー 手は怪我してないんじゃないのか?」
「お兄ちゃんにずっとしがみついてたから、痺れちゃった」
「しょーがねえなあ・・ ほら、口開けろ」
「ん!おいしい!」
「あったりまえだろ」
「お母さんのより、ずっと美味しいよ」
「母さんと比べるなよ」
「あ、いいの? そんなこといって。告げ口しちゃおうっと」
「お、おい、こら」
「嘘だよ。あ、お兄ちゃんも食べさせてあげる」
「いいよ、俺は・・・」
「いいじゃない。はい、あーん・・・」
「照れるだろ・・・」
「新婚さんみたい?」
そのタケルの一言で、口に入れたばかりのオムライスに思わずむせるヤマトに、タケルがさも可笑しげに笑う。
ひとしきり笑い転げる弟に、眉を寄せて抗議の目を向けるが、そんなことはお構いなしだ。
しかし、その笑顔が一瞬だけ、自分から逸れて曇るのを見逃さなかったヤマトは、タケルが見たものは何かと肩越しに振り返ってはっとなった。
・・・時計。
そういえば、朝から何回となく見ては、溜息をついている。
試合開始の時間から、そろそろ1試合目が終わる頃。
それとも2試合目も、もう始まっているだろうか・・・というように。
そして、今は、そろそろ午後の試合が始まる時間だ。
気にするまいと思っても、どうしても気になってしまうのだろう。
急に元気がなくなって、ヤマトの首に腕を絡ませてくる弟に、ヤマトは宥めるようにその背中をポンポンと叩いた。
「腹が膨れて眠くなったか?」
「うん・・・少しね・・・」
「あ、おまえ、薬飲まないと」
言って、タケルの身体をホットカーペットの上に移動させ、薬を取りにキッチンに向かう。
ヤマトの手から薬を受け取るとそれを口に入れて水で飲み込んで、それから、はあ・・・と哀しそうに溜息をついた。
その隣に坐り込んで、膝にタケルの頭をのせさせ、包帯の足の下にクッションを入れる。
髪をそっと撫でると、タケルが静かに目を伏せた。
少し、熱が上がってきたのか、さっきより額が熱い。
「少し、眠れよ。あ、ベッドに運んでやろうか?」
「ううん。ここがいい・・」
言って、兄が掛けてくれた毛布を、そっと引き寄せる。
「どうして、僕ってこうなのかな・・・ 何かある時に限って、熱が出たり、怪我したりしちゃうんだよね・・・ なにか日頃の行いが悪いのかな」
「そんなことねえよ」
「だって・・・ 前の小学校にいた時だって、遠足の前の日には熱が出ていたし、運動会の朝とかには吐いちゃうし、すっごく楽しみにしてた事に限って、そんな風に直前にお預け状態になっちゃうんだよ。それでお休みして一日中ベッドの上で、今頃みんな何してるのかな。お弁当食べたのかなって・・・考えてると哀しくなっちゃって・・・でも、お母さんには言えなくて」
「こんな風に?」
「ウン・・・ だって、僕のせいで仕事も休まなくちゃならなくなって。お母さん、まだ一人で仕事始めたばかりだったからキャンセルする度、“またか、いい加減にしてくれ!”って、しょっちゅう仕事先のヒトに怒鳴られてたから。子供をとにかくどこかに預けろって」
「・・・・タケル」
「けど、お母さん、一生懸命頭下げて、僕のそばにいてくれたんだ。だから・・・」
「だから、言えなかったのか?」
「ん・・・」
小さく頷く弟が、ひどく可哀想で、自分の知らないところでそんな想いをしてきたのかと思うと胸が痛んだ。
そっと、ヤマトの指先が、梳かすようにタケルの髪を撫でていく。
「今は・・・俺がいるだろ?」
静かに、そっと兄が言う。
「哀しい想いなんか、もうさせねえから、もっと甘えろよ。我慢なんかすることないんだ・・・」
ヤマトの言葉に、思わず泣きそうになって、タケルがぐっとそれを堪える。
「タケル・・・」
促すように、やさしく名前を呼ばれた途端、呼応するように一筋涙が零れ落ちた。
「そんな・・・やさしくしないでよ。こんな我儘な弟に・・」
「・・・泣いていいぜ・・・?」
「・・・今日は、泣くかわりに、いっぱいお兄ちゃんにワガママ言って困らせるんだって・・・・思って・・・」
「我儘言うのも、困らせるのも、泣くのも、全部してみりゃいいじゃん・・・ おまえ、もっと欲張りになれよ」
「・・・・いいの?」
「いいよ・・」
“そういうの、俺はきっと喜ぶんだろうし”と心の中で呟く。
「学校、行けるようになったら、毎日、自転車で送り迎えしてやるよ」
「ほんと? でも、それじゃあ、お兄ちゃんが遅刻しちゃうよ」
「だから、おまえが朝、早起きするんだよ」
「そっか・・・うん、わかった」
「帰りも迎えに行くから、待ってるんだぞ」
「うん・・」
「痛くなくなるまで、ずっとそうしてやるから」
それを聞いて、タケルが嬉しそうに目を細める。
「だったら・・・だったら、ずっと痛いままでいいな。足・・・。バスケできなくても、お兄ちゃんが毎日来てくれるんなら、ずっと治んなくてもいいや・・・」
「バーカ・・」
ヤマトの笑いを含んだ言葉に小さく笑って、それからさっき飲んだ薬が効いてきたのか、眠そうに目をこするタケルにヤマトが言う。
「眠いか?」
「うん・・・」
「ちょっと、眠れよ」
「うん、でも」
「なんだ?」
「ベッドに、運ばないでね・・ ここがいいんだ」
「・・・わかったよ」
「ここが一番、安心できるから・・・」
小さく言って、ゆっくり目を閉じ、それから僅かな時間で、すー・・・と微かな寝息に変わる。
眠ってしまった弟に、ヤマトがそれを愛おしげに見下ろして、その金のやわらかな髪を撫でながら、自分も後ろにあるソファに背を凭れかけさせ、目を閉じた。
ゆうべは心配で、よく眠れなかった。
早く朝になって、早くそばに行ってやりたい・・・・
そればかり思って、おかげで睡眠不足になってしまった。
――静かな、天気の良い昼下がり。
あたたかなカーペットの上で、あたたかな身体を重ねるようにして、あたたかな眠りにつく。
今は、もうそれだけで、充分で、それだけで、もう、何もかもがどうでもよくなっていた。
互いの存在がそばにあるだけで・・・・。
そして、夕方になり、バスケ部の部員がドヤドヤと戦況報告に現れ、賑やかになり、そこに大輔やヒカリたち選ばれし子供らが加わって、そして思いがけず、父までもが見舞いに現れて、タケルを大いに喜ばせた。
ヤマトは、そんな嬉しそうなタケルを嬉しげに見つめながら、とりあえずは人数分の食事を作るのに悪戦苦闘したのだけれども。
うみさんっ、うみさんvv本当に遅くなってごめんなさいでした〜っ!777HITリクエストありがとうございました!
「甘えん坊02タケルとそれを喜ぶお兄ちゃん」ということでしたけど、果たしてこんなもんでよかったでしょうか〜;;
なんだかひたすら不安。けど個人的には、甘えん坊さんなタケルは、書いてて本当に楽しかったです!
そしてヤマトはやっぱり甘えてもらうのが好きなんですよねー(タケル限定)
ええ、今回も甘々ぶりがひどくて(ひどくて?)恥ずかしいもんがありますが;;
あ、捻挫したヒトは早めに病院へ行って、足を心臓より上にして冷やして、とにかく安静にしてた方がいいみたい
です。ええ、寝ててください、タケルさん! 靭帯切ったら、小学生とかの場合は手術することもあるみたいですけど、
ま、今回は軽めだったということで。ハイ。というわけで、リクありがとうございました!
うみさん限定お持ち帰りオッケーですので、どうぞお好きにしてやってくださいませ〜v(風太)