Deep amber 




                      
「1つ聞いていいか?」


蛮が、瞳のきつさをやわらげて、声のトーンを落として訊いた。深い紫紺を銀次に向ける。
「記憶を失う前のオレを、テメーは知ってると、そう言ったよな」
「…うん」
「どうして言わなかった? 今まで」
その問いに、銀次の琥珀が一瞬見開かれ、それから震えた。
視線を、つらそうに下げる。
西の空から、最後の赤が、溶けるように群青に飲み込まれていく。
身体の横で、銀次の両の拳がぎゅっと強く握りしめられた。一旦、唇を噛みしめてから、絞り出すように言った。

「――オレは…。蛮ちゃんから、その地図を奪還するため、蛮ちゃんに近づいて…。記憶が無いことを、利用しようとしたんだ…。それを言ったら、怪しまれると思った。だから言わなかった。その方が、警戒されなく近づけるし― オレは蛮ちゃんの記憶のことなんかは、どうでもよくて。とにかくその地図が奪還できたら、それでよかったんだ。蛮ちゃんに近づいた目的も、本当は最初からそれだけで… 仕事のため、だったんだ」

言葉の最後は、声がブレるように震えていた。
それに呼応するように、蛮の右手がぴくりと動く。怒気を孕んで。
その気配に、銀次が全身をびく!と震わせた。
そして、項垂れ、唇を噛みしめて、ひどく、ひどく苦しそうに、それでも感情を押し殺した瞳で言った。


「―殴っていいよ。オレ、蛮ちゃんの相棒だったのに。それを汚く利用しようとしたんだから」


顔を見ずに言う。その言葉が蛮よりも、どれだけ自身を傷つけているか知りもしないで。
蛮が、それを痛々しげに見下ろして、ぎりっと奥歯を噛みしめた。


ここまでやるのか。
コイツは。
オレのためなら、
ここまでやるのか。


愛おしさと同時に、息苦しささえ感じる。
こんなに深く、これほど強く、人に想われたことはかつてなかったから。
そして、たぶん。
それと同程度の、いや、もっと底のない深い感情が、蛮の中にもまた根ざしている。

唇を噛みしめて、蛮の拳を受ける覚悟で震えている肩を、その手の中に包み込んだ。
はっと銀次の琥珀が、蛮を見上げる。


「似合わねぇよ」


声色は、ひどくやさしかった。
両手の平が、青褪めている銀次の頬を包み込む。涙を滲ませる眦に、労るようにやさしく唇を寄せる。こめかみと、額と、瞼と、鼻筋のあたりと。銀次の瞳を、自然と涙が溢れた。

「そういうの、似合わねぇだろ、テメーにゃ――。昔、オメー、オレにそう言ったな。"似合わない"って。その言葉、まんま返してやるぜ」

昔…?

琥珀に合わされた紫紺の瞳が、包むように銀次の想いを抱きとっていく。
どうしてだか、ぼんやりしていく意識の中で銀次が記憶を辿った。


"そういうの、似合わないよ。蛮ちゃん…"
ああ、そういえば、コンビ組んで間がない頃。夏実ちゃんのラッキーを奪還する時に…確か……・。


「なあ?」
声は、心地よかった。ひどく。
「相棒だったって言ったよな。今―。オレのことよ」
眠るように、身体中から力が抜けていく。
「それだけか?」
「…え?」
「それだけだったのか。オレはお前にとって」
目を閉じていきながら、その問いに、耳を傾ける。
「相棒ってだけか?」

銀次が目を閉じたまま、やわらかく微笑んで小さく首を横に振った。


「違う――。蛮ちゃんは…。オレにとって、たった一人の家族みたいに――。大切な人だよ… 誰よりも、大好きで、誰よりも、大切な人、だよ…」


ふわっと蛮の腕に倒れ込んで、銀次が昏倒する。膝が折れて、顎が上がった。蛮の腕の中で、背をのけぞらせるようにして気を失うその眦から、涙が一筋、こめかみへと流れ落ちた。
それを蛮が自分の胸に抱き、頭を引き寄せ、大事そうに抱きしめる。
包むように抱かれて、銀次が蛮の肩に頬を寄せて、ふいに己の言葉に心から安堵したようにふわっと笑った。



「もういい、アホが…。 もう楽になれ、銀次―― 後はオレの役目だ」