「雛の宴の様子」 HOME
記述:佐藤 紀子
ひいな うたげ
「雛の宴」
〜桃の節供・上巳の節供〜
女児の成長を祝う雛祭りは平安時代に貴族の子女たちが興じていた雛遊びと中国から伝わった上巳の日の祓(はら)いのための人形(ひとかた)を流す行事。
さらに奈良時代・平安時代の貴族が3月3日に催していた「曲(きょく)水(すい)の宴(うたげ)」を背景に成立したと考えられる。
「雛(ひいな)」とは「小さくてかわいらしいもの」という意味である。
雛祭りは、別名を桃の節供と呼ぶように春の到来を告げる行事であり、室内には雛人形とともに桃や菜の花などの春の花を飾る。
節供には春の香りを感じさせる料理や菓子が並ぶ。
<節供>
「節句」という言葉が使われたのは、室町・江戸時代になってからである。それ以前は「節供」と表現されていた。
「節」は季節の節、「供」はお供えで、神様に捧げる食事のことをいう。
節という特定の日に神様にお供えをし、神様と人が一緒に食事をする日が節供である。
<五節供>
宮廷儀式と、日本の気候風土にそくした儀礼を合わせ五節供は今日まで伝承されてきた。
日本の五節供は右表の通りであるが陽数(奇数)が重なるのはめでた過ぎて、かえって陰に転じると考え陰に転じないように祈念した。
現在、民間に取り入れられている五節供は江戸幕府によって定められたものである。
1月7日 人日(じんじつ)
3月3日 上巳(じょうし)
5月5日 端午(たんご)
7月7日 七夕(たなばた)
9月9日 重陽(ちょうよう)
<陰陽五行説>
中国古代の農耕生活から生まれた世界観。
もとは陰陽説と五行説は別々にあったと考えられ、紀元前1世紀頃一体化した。
陰陽説は天と地、太陽と月、奇数と偶数といった二元論。
五行説は、宇宙を支配するのは木火土金水の五つであるとする説。
この五つの盛衰により人間の人生も影響を受けるといい、人間生活全般の説明に用いられた。日本には6世紀頃に伝来し、国家思想だけでなく貴族や武家の作法儀礼にも浸透した。
五行 木  火  金  水 
五季 土用
五色
五味
五味:人間の味覚
五色:料理の素材の色
五法:代表的な調理法
(煮る、焼く、生、揚げる、蒸す)
五味、五色、五法とは食材の味、色、調理法には5種類あるということでこれらを取り混ぜて献立を作り料理することは味の調和だけでなく栄養学的にもバランスのとれたものになるという先人たちの知恵が生かされている。
<荊楚(けいそ)歳時記(さいじき)>
6世紀に記された長江中流域の湖南・湖北地方の年中行事とその由来を記した民族資料。
 禊祓と曲水の飲
三月三日四民並びに江渚池沼の間に出で、清流に臨んで流杯曲水の飲を為す(三月三日に、人々は清らかな水辺に出て禊祓し、清流に臨んで曲水に杯を流し、詩を賦してこれを飲む)
 上巳の節供
桃の節供,雛祭り,重三(ちょうさん),元巳(げんし)とも呼ばれる。
人形を飾って女児の成長と幸せを願う行事が一般的になったのは江戸時代からである。     
もともとは、陰暦3月始めの巳の日に水辺でお祓いをした中国の上巳の節供に由来する。
これが宮中に伝えられ、無病息災を願って人の穢れや罪を移し取った人形(ひとがた)(形代(かたしろ))を流したり、曲水の宴(庭園の流水に盃を流して詩歌を詠む宴)などの行事となり武家や町人にも広まった。
人の凶事を負わせて水に流していた紙の人形が次第に立派な人形に変わり、毎年飾られるようになった。
鳥取県などの流し雛の風習は、上巳の節供のお祓いの原型といえる。
江戸期の泰平を迎えてきらびやかな雛人形を飾り、祝いのご馳走を楽しむ事ができたのは上流階級や豪商に限られていた。
庶民、とりわけ農民は、3月3日河原の磯に出て草餅や季節のご馳走を食べて一日を「河原遊び」「磯遊び」で楽しんだ。
日本人の生活には3月3日は、酒食を携えて海辺に行き海水に浸ってくるという風習が広く分布している。
田仕事に入る前の禊祓の日だったのであろう。
3月3日の潮干狩りは本来、禊だった。
上巳の節供と食の習わ し
〇 「上巳の節供」は「桃の節供」といわれるように桃がつきものである。
  桃の原産国・中国では、古くから桃には不老長寿や魔よけの力があると信じられ、「仙果」「仙桃」の別名
  を持つ。
<中国の神話>
  崑崙(こんろん)山(ざん)に女仙の最高位にある「西王母(せいおうぼ)」の桃の木があった。それは三千年に  一度だけ花が咲き、実を結ぶという「仙桃」の木だった。
  ある時、西王母を崇拝する漢の武帝(紀元前1世紀頃の人)のもとに西王母が現れ、その桃を5個武帝に   与えて、さまざまな仙術を授けた。
  その西王母の誕生日が3月3日だといわれている。
<桃源郷伝説>
  晋の時代(3〜4世紀)猟師が船で川をさかのぼり、桃の花の咲き匂う場所に迷い込んだところ、戦乱を
  避けた別天地を営む平和な人々に出会ったという伝説。
〇  漢方では、桃の種の中にあるアーモンド状の胚乳を「桃(とう)仁(にん)」といい、婦人病の特効薬と
    している。
   生理痛、生理不順、産前産後の体調不良、便秘などの女性特有の症状のほかあせも、湿疹に効果が
   あるとされ、打撲、捻挫、内出血、疼痛の治療にも使われる。桃は種だけでなく、花、葉、根、樹皮
   それぞれに薬効があり特に花びらは調整作用やにきび、癌の予防に効果があるとされている。
〇  「日本歳時記」… 元禄元年/1688年
   「芟(よもぎ)餅(もちい)を食べ、桃花酒をのみ芟餅を親戚におくる。」の記述がみられる。
   菱餅以前には芟餅(草餅)が用いられていたようだ。よもぎの前には母子草(ごぎょう)が用いられていた
   との記録もある。よもぎも母子草も邪気を祓う薬草と考えられていたことから草餅に使われていたと
   考えられる。
   菱餅が雛壇を飾るようになったのは江戸初期と思われる。「日本歳時記」には菱餅の文言は出て
   こないが、挿絵をみると雛の前に菱形の餅が供えられている。
   「東京風俗志」明治34年/1901年には菱餅に関する記述があり、現在の形と同じである。現在では
   桃色・白・草色の三色おこしを菱形に重ねたものも見受けられるが、元々は菱の実やよもぎ、くちなし
   などで、着色した餅だった。
   菱餅の色の桃色(赤)は魔除け、白は清らかな乙女を象徴、草色(緑)は健康を祈る意味を持つと
   いわれている。
〇  桃花酒とは3月3日に摘んだ桃の花びらをひたした酒。
   中国の古事に、水に流れている桃の花を汲んで飲んだところ気力が充実し三百歳まで長生きした
   とあり、桃花酒は諸病を取り払い顔色を麗しくするといわれている。
〇  白酒とは味醂、もしくは焼酎に蒸したもち米、米麹を仕込み、1ヶ月くらい熟成させたもろみを軽く
   すりつぶして造る酒。
   甘味と特有の香気があり、アルコール分9%の酒。白酒自体は江戸初期から造られていたが節供の
   定番となったのは江戸後期と考えられる。
   文化年間にまとめられた「諸国風俗問伏答」によると、上巳の節供には白酒と答える藩が多かった
   ことがわかる。
   その頃江戸では節供が近づくと白酒売りが赤い布をかけ、「山川白酒」と書かれた桶を天秤棒で担いで
   売り歩く姿がみられたという。
   山川の名は、山あいの白濁した川の水が白酒に似ているから付けられたという。
〇  ちらし寿司は彩りが華やかで具材で待ちに待った春の自然の色を表現できる料理である。
   ご飯に具を混ぜたものを「かやくご飯」という。「かやく」とは「加薬」のこと。
   酢やさまざまな具を混ぜた「かやくご飯」は栄養価の高い一品といえる。
絹さや 萌黄
錦糸卵 菜の花
れんこん 紋白蝶
でんぶ 桃の花
干し椎茸
干瓢
大地の色

〇  蛤の潮汁は一組の殻に二つの身を入れるのが習わしとなっている。二枚貝の蛤は殻を離してしまうと
   他の蛤とは決して合わないところから、貞節を守り一夫一婦を象徴するものとして使われている。
   蛤は肝機能を高めるタウリンの宝庫である。
※ 上巳の節供の料理には貝類が使われることが多かった。
   かつて磯遊びで供された海の幸の流れをくむものだろう。「東京風俗志」には、菱餅・はぜ・さざえ・蛤を
   雛壇に供え、赤飯や白酒、膾、つみれ汁で客をもてなしたといった事が書かれている。
   また「東京年中行事」明治44年/1911年には、赤豆飯、しじみ、赤味噌仕立かれいの焼物、赤貝、大
   根の膾、白酒、味醂酒、小巻卵焼き、赤白鹿子蒲鉾、小巻寿司、赤貝汁が記されている。
○ 参考文献
  ・日本の「行事」と「食」のしきたり/新谷尚紀著
  ・節の味/大野敦子著
  ・節供の古典/桜井満著
  ・年中行事儀礼事典/川口謙二,池田孝,池田政弘著
  ・TEXTBOOK テーブルコーディネート/丸山洋子著

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