長湖部内において潘璋、呂範、賀斉といえば、その派手さと見得の張り合いで長湖部の問題児として知られている。
その三人がもてる総てを引き出したヒゲダンスは、それこそ前代未聞の出し物となった。


最初はそれこそ、ヒゲダンスとしては定番のダンスから、投げられたリンゴを剣に突き刺してキャッチするなどオーソドックスなネタだった。
受け役は潘璋であるが、潘璋が片手立ちやバック宙など派手なパフォーマンスでキャッチを成功させると、負けじとばかりに呂範も後ろ向きで投げたり、時折投げようとしたリンゴやミカンを増やしてみせたりの手品を交えながら観客の心をがっちりとつかみ始めていた。

しかし時間が経つにつれ、持ち出す剣は細身のサーベルから日本刀へ変わり、投げるのもリンゴやミカンからメロン、そしてこの時期にどこから調達したのか大玉スイカとどんどんエスカレートし初め、しかも刺すどころか真剣でスイカ割りを始める始末だ。
そのうちバズーカから鳩を出してみたり、目隠しして人体切断マジックをやり始めたりとやりたい放題の様相を呈し始めていた。

その予測不明の展開に、口を半開きにしてぽかんとその光景を見つめることと歓声を上げてはやし立てるのを繰り返す曹操と劉協。
この会場のほかの観客達も、恐らくは彼女らと同じ反応をしていることだろう。


「奴等らしいと言えばらしいんだが」
「…もう少し自重しろ、くらいはいいたいわね」

相槌を打つ周瑜は元より、流石の孫策すらも呆れ顔。

「まぁ連中ほどその言葉に無縁な奴等もいない気もするけどねー」

苦笑する魯粛。
やはりというかほかに比べれば免疫のある彼女らでも、こんな感じである。
一般生徒や平部員でも、連中が派手好きなのを知っていてもここまでとは想像していなかっただろう。長湖部最強の目立ちたがり三人が寄って集ってやることである、ただのヒゲダンスであるはずがなかった。


潘璋がファイアブレスを成功させると、会場からわっと歓声が上がった。
舞台袖で様子を窺っていた歩隲たちも、その役目を忘れて夢中になっている風だ。



-長湖式歓送迎会-
そのろく「覚悟と異変」



「うひゃー…流石は派手好きの先輩たちだ、やることが違うなぁ…」
「確かに凄いけど…あんなんやらせて大丈夫なの?」

はしゃぐ少女たちの中、ひとり心配顔の潘濬。

「一応幕や壇上の品物には耐火設備を施してあるから問題はないよ。
それにあの先輩たちなら、舞台のこともちゃんと考えてるし、あくまで朝飯前の出し物やってるはずだから」
「そうだね~、打ち上げの余興は文珪さんたち抜きだと面白味ないしね~」
「そうなんですか…?」

吾粲だけでなく、孫権にまでそういわれてしまい、潘濬も納得したのかしないのか釈然としない顔つきだった。

「でも、流石に子布さんが居ると…ねぇ」

孫権が傍らに居る歩隲、朱拠、吾粲に目をやった。

「まったくだ。
あのアネさんが居ると即座に“馬鹿やってんじゃないわよー!”のひと声で全部台無しだな」
「ホントホント、今日はここに居ないことを神に感謝するしかないわね」
「そんな話したらどっかから出てきたりしてな。
噂をすれば影、とかいって」

しかし、その吾粲の言葉が拙かった。

「……………………ここにいるわよ」
「え?」

孫権含む裏方数名が振り向いた先には、まるで鬼の如き形相の張昭の姿があった。
一触即発になるかと思ったその矢先、彼女はふっと表情を緩め、窘めるように告げた。

「まったく…余り羽目を外すなとか今更言う気はないし、呼んでくれてもいいでしょうに。
おかげでステージから全然遠い一般席しかとれなかったわ。
けど、ほどほどにさせときなさい。
演目の時間管理くらいはしっかりしとかないと、収拾がつかなくなるんじゃないかしら?」

一瞬困惑したように顔を見合わせる面々は、頷き合ってその代表者である歩隲が右親指を立て、自信満々といった風な笑顔で返す。

「大丈夫、いざとなったらハプニングにかこつけてまた緞帳落としますんで」
「あんたそればっかじゃん!
二番煎じは飽きられるよ!?」

即座に突っ込む朱拠に、少女達は皆笑いを隠せない。
相変わらずの変わらないその空気を嘉するかのように頷くと、かつての「長湖の御意見番」は踵を返す。

「私も今日は一観客として、楽しませてもらうわ。
ただ…ひとつだけ言っておくわ。
観客席に、とんでもない大物がいる…彼女の乱入があった場合のこと、想定しておいた方がいいわよ」

その意味深な言葉を、少女達は訝る。
彼女たちがその意味を理解するのは、もう少し後の時間である。





一方、ステージ裏の廊下。
そこに居たのは陸遜、そして朱然の二人。


「冗談、でしょ…?」


陸遜の反応も当然といえた。
このあと、何の説明もなく突然自分がメインボーカル…つまりは、舞台の主役として立てと言われればこの反応はごくごく自然なことである。


「演目のことは心配しなくていい。
みんな、あんたが知ってる曲だよ…幼節達が、選んでくれてる」
「ふざけないでよ!」

防音・音響設備が整っているとはいえ、まるでその舞台へ響きそうなほど、怒りに満ちた凜とした怒号だった。
朱然の服の襟首をつかみ、通路の壁に押し付けたその表情を赫怒で朱に染め、彼女はなおも怒りの言葉を叩きつける。

「確かにリハーサルの敬文の態度には問題あったわよ!
だからってこんなやり方は酷すぎるわ!
しかもそのあと理由もなしに私にその代わりをやれなんて言われて納得なんていかないわよ!」

このように感情を露わにして怒ることは滅多にないが、そうなった時の陸遜の迫力は歴戦の勇将さえもたじろがせるほどだ。
かつて、夷陵回廊で韓当、周泰らの名だたる猛将を前に、この剣幕一発で黙らせた前科がある。

そのうえ、華奢そうに見えても陸遜は剣術を嗜んでいる。朱然の首元にも相当な圧力がかけられているように見えるのも至極当然の話であった。


しかし、朱然は真剣な表情を崩さず、その怒りを真っ直ぐに見据え返している。
いつはじけるとも知れぬその一触即発の空気の中、彼女は…寂しそうな、そして真剣なまなざしで答えた。


「…あんたの歌を…あんたの歌う姿を、どうしても見て欲しいひとが居るんだ。
それが誰かなんて、悪いけど今は教えられない。
でも、そのひともきっと、あんたの歌を聴きたがってる…それだけだ!」


その言葉に、陸遜は怪訝な表情で手の力を緩める。
朱然は襟首にかけられた手を外し、壁から身体を起こした。
そして、息を整えるように、咳払いをひとつする。

「だから」

座り込んだ彼女は、戸惑う少女の目の前に叩頭する。

「理不尽は承知の上!
でもそこを曲げて頼む、伯言っ!」

あまりの出来事に戸惑いの隠せない陸遜は、しばしの沈黙をはさみ、

「………少し、考えさせて」

それだけ呟き、あてがわれた控え室へと戻っていった。





「これから先輩たちには色々とご迷惑をかけるかも知れません。
でも、これからの長湖部の更なる発展のため…全力を尽して頑張りますっ!」

トークの終わり、少女がそう言って深々とお辞儀し、観客席から盛大な拍手で歓待される。
出番を間近に控えた卒業生の面々は、これから自分たちと入れ替わりに入部し、未来の長湖部を担うべき少女たちの姿を感慨深げに眺めていた。


「いよいよだわね」
「…ええ」

その先頭に立つのは、虞翻と諸葛瑾のふたり。

「昨日言ったこと、ちゃんと覚えてるわよね?」
「うん…私は、大丈夫」
「じゃあ大丈夫。
しっかり、前だけを…ね?」

肩を叩く親友の言葉に、いつもより弱々しくも、笑顔で頷いた。


「新一年生の皆からは、またあとで登場してもらうよっ!
それじゃあ、今度は卒業生の先輩たちの出番だよっ!
まずは知るひとぞ知る交州の歌姫と名奏者、どうぞっ!」


そして少女は、支えてくれる親友と共に、静かに舞台へと歩みだした。





(♪少女歌唱中 「☆shining☆(unplugged ver.)」/小坂 りゆ♪)


控え室のモニターから、穏かなピアノの音色と、精一杯の感情を込めた歌声が聞こえてくる。
会場の静けさが、白けてしまったのとは違うことは、その画面を通しても伝わってくる。


陸遜にも、解ってはいたのだ。
いまだ病院から出ることすら出来ない…彼女にとって「最も大切な存在」への餞をしなければならないと言うことを。
その声が司隷の病院に届くことはなくとも、会場のどこかに居るだろう孫策達を通して、その思いを伝えることが出来るはずだ。


(…でも…私にそれが出来るの…?)

これまではその不器用さで、誤解を受けながら過ごしてきた先輩の、恐らくは初めて部員たちに明かす素直な感情…その歌声を聞きながら、彼女は最初の一歩を踏み出すことが出来ずに居た。
大切な人を送る歌を歌いたいという気持ちと、それが出来ない自分…彼女の心は、その葛藤に揺れていた。





モニター、そしてスピーカーからも響き渡る割れんばかりの歓声と拍手。
陸遜自身、半ば無意識に手を合わせようとしたその瞬間…不意にドアがノックされる。

「…入るよ」

ドアをあけて入ってきたのは、朱然だった。

一瞬だけそちらを窺い見て、陸遜はすぐに視線をモニターへ戻した。
その瞳には先程までの怒りの感情は何処にもない。
朱然が隣に座ってきても、陸遜が咎めることはなかった。

「仲翔さん…歌、巧いんだな。
あたしは学祭、交州は行ってないんだけどさ」
「私も行ってない」

気まずい空気が流れる。
さしもの朱然も、この空気にこれ以上取り繕いの言葉が出てこなかったらしかった。

「黙っていたのは謝る。
総て、あたしがいらぬお節介を焼いて、それが裏目に出たしまったための失態だ。
もしあんたがこれ以上ステージに上がる気がないのなら…後はあたしが代わりをするよ」
「え…?」

思ってもみなかったその言葉に、彼女はいつの間にか立ち上がっていた親友の後ろ姿をみやる。

「伝えたいものを持っているのは、あんただけじゃない。
あたしだってそうなんだ。
今日来ているかどうかわかんないし…見てくれてるかどうかもわかんない。
あたしはこの舞台を成功させることで、その人に自分のやってきたことを、今まで積み重ねたものを見せてあげたいと思ってるけど…もちろん、あわよくば、っていうのはさ」

その表情は解らないが、それでも、寂しそうなその声の中に力強い意思を感じ取れる。

「だから…これだけは伝えておくよ。
今、あんたの晴れ姿を、心から見たがっているひとが会場に居る…もし、自分に出来るかどうかなんてつまらないこと考えているなら」

立ち上がった朱然と見上げる陸遜。
再び振り返った朱然は、不安そうな瞳のまま見上げる陸遜の肩を掴んで、その顔をじっと見て、告げた。


「余計なこと何も考えずにステージに上がってみてよ。
そのほうが、きっとあんたのためだと思うから」





朱然が去ったあとの控え室。


モニターには、先ほどとは打って変わって、明るく歌う少女の姿がある。
この曲を選んだのが彼女であれど、あるいは他のメンバーの誰かであったにしても、この曲へ乗せた思いはきっと皆同じだろう。
その歌詞にいざなわれるかのように、陸遜の頭の中で、最後に残した親友の台詞が頭に木霊する。


「…余計なこと、考えずに…か」

まだ少し不安はあった。

三年生のプログラムもまだまだ始まったばかり。
一年生軍団の演奏も控えているから、次の幹部の出番までまだ一時間近い時間はある。

考える時間は、十分にあったが…陸遜は、自分の中に生じる甘い考えを総て捨て去った。


鏡に映るその姿は、心を読むという妖怪の衣装。
とある二次創作作品では、その彼女が既存の「幻想世界」を革命すべく、心血を注ぎ戦い抜いたというものがあった。
その理由も…ただ些細な幸せをつかむためのものだったことを、彼女は思い出す。


その彼女が…まるで今の自分の姿に重なるかのように、微笑んで頷いた気がした。
それは都合のいい幻であったのかも知れないが、陸遜はその同じ表情で、鏡の中の己自身に頷く。


(行こう。
 私が、今の私がどんな道を歩んで来たのか…その答えはとうの昔に自分の中にあるんだから…!!)


決意を新たに立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけた彼女は…次の瞬間、戦慄と共に硬直する。


張り詰めた殺気が、手前の廊下を走り…そして、悲鳴のような怒号。
そのドアの向こうに、何か恐ろしい事態が展開されている…彼女は、それを理解した。





絢爛を極めたヒゲダンス、ステージを魅了する歌声。
そのどれもが会場を沸かせるも、だんだんダレてきたのか曹操はヒマを持て余している。


「そだ、あたしたちが乱入するまで時間あるんでしょ?
ちょっと控え室とか見に行くのって面白いと思わない?」
「んあ?」

曹操の唐突な提案に、目を丸くするもの三人、目を輝かせるものふたり。

「ちょ…ちょっといくらなんでもそれは…」
「それ、いいね」
「丁度見てるのにも飽きてきたしな」

悪戯小僧の表情を満面に現す孫策と魯粛。

「よし決まり。
子敬、伯符、建物の中身わかる? 案内してくんない?」
「合点!」
「ちょっと!」

このわずかな間にお互いを字で呼び合うまでに打ち解けた悪ガキ三人が、周瑜の制止より早く非常口のほうへと駆け出していく。
思わず大声で叫びそうになった周瑜を圧しとめて、夏侯惇は苦笑した。

「最早あの連中を止めるのもヤボな気がしてきたしな。
基本ヤンチャ坊主がそのまま体だけでっかくなったような連中だ、好きにさせておいてもいいだろう」
「でも…」
「孟徳のアホはいうに及ばず、あとの二人がクセモノだってコトぐらいは、相手に回してやり合った私たちだって知ってるさ。
…君とて、そんな奴らの魅力にうたれてついていったクチじゃないか?」

夏侯惇の言葉に、その真意を測りかね眉を顰める周瑜。

「なにが、言いたいの…?」
「他意はない。
だが、君が彼女たちにされるがまま、病院から連れ出されたのは何故だ?
ナースコールを打つなり、抵抗する術はあったはずだ。
彼女らが何かしでかしたら止めても無駄…そう割り切っていることとは、何処か違う気がする。そう思って、な」

眼帯に隠れた、存在しないとされる左の眼が、その姿を見据える。
周瑜はうつむき、答えずにいる…が、気づくと劉協が何処か不安そうな表情で、三人の出て行った先を見やる。

誰何の言葉を投げるかのように視線を移す夏侯惇に、彼女は答えた。


「なんだか…嫌な予感がしたんです。
もしかしたら、御三方はそれを感じて…?」





朱桓のチョークを極められて落ちていた薛綜はと言うと、控え室の空き部屋に放り込まれていた。
トリップ状態の彼女が予想外の暴れっぷりを示したことから、念のために部屋を隔離し、もし起きてもトリップ状態が続いていた時のために手足の動きを止めた上で、である。
その部屋の外には、来期の新一年生と裏方が交代で監視に当たっていた。この時間は、朱異と呂拠、張休の三人である。


「しっかしアレだなぁ、こんなに歌うまい人がいるとはなぁ」

スピーカーから流れてくるその歌声に耳を傾けながら、しみじみと聞き入る朱異。

「あたしは世洪に連れられて交州いったから知ってたけどな。
まぁアレじゃないか、歌いたがらないけど世洪だって歌うまいじゃないか。結局血筋なんだろ」

ひらひらと手を揺らしながら、こちらも聞き入ってる様子の呂拠。


「あ、あのうそれより…こっちは大丈夫なのでしょうか…?」

張休はというと、それよりも部屋の中のほうが気になる様子だった。
普段余り絡まない武断派のふたりに対してもおろおろとした態度をとり続ける彼女であるが、それ故なのか危機感知能力はかなり高い。

窘めついでに小突いてやろうかと朱異が思った直後、彼女もその異変に気がついた。


部屋の中から微かにもの音が響き…。


「流石にもう、大人しくなったはずだろうが」
「大人しくも何も、姉貴のチョーク喰らって落ちてんだろ?
むしろ生きてんのかなぁ?」

冗談を言って笑いに紛らわす呂拠と朱異。
茶化してはいるが、その異様な雰囲気を察知したふたりの表情は硬い。


微かに、唸り声のようなものが部屋から聞こえてきて、張休は短く悲鳴を上げて後ずさる。


「…叔嗣!!
姉貴達呼んでこい、なんか…ヤバイッ!!」
「いや、伏せろ!!」

朱異の言葉を割って呂拠は張休をかばうように飛ぶ。


一拍後に、目の前の扉が…弾ける。


濛々と上がる土煙の中。


「…………GRRRRRR…………」


そこから、のっそりとした動きで…その行為の主がゆっくりと姿を現す。
その表情に、既に普段の大人しい少女の面影はない。
血に飢えた肉食動物の殺気をばら撒きながら現れたそれは…まさに、理性なき獣。


「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRA!!!」


後に張休は語った。
それは姿こそ薛綜であったが、中身は伝説のバケモノか何かと入れ替わってしまっていたのではないか、と。





軽快なラテンのリズムに乗せ、ボーカルの男役を任されてしまった周泰と、虞翻の絶妙なハーモニーを楽しんでいた少女達の下に、その凶報が届けられたのは間もなくのことであった。

「大変だ! 敬文が…敬文が暴走して暴れてやがる!」
「はぁ!?」

控え室にいた少女たちは、息も絶え絶えに入ってきた敢沢の言葉に一瞬、耳を疑った。

「おいおい…それなら季文たちに任せときゃいいだろ…あいつらが総がかりなら止められないなんて…」
「そんな程度じゃねぇ!
さっき引き上げてきた文珪先輩とうちらでギリギリ食い止めてるんだ!」
「何だって!?」

意外な戦況に色めきたつ少女たち。

「最悪でも新一年生と伯言の身は守らなきゃならねぇ。
理不尽な理由かもしれないが…」
「あ~あ…予定変更で出番終わったと思ってたんだけどなぁ~」
「まったく、仕方のねぇ野郎だな」
「ステージ上にはまだ、仲翔先輩が居るんでしょう?
邪魔されるわけにはいかないですね」

全琮、朱桓、呂岱もおもむろに立ち上がる。
裏方交代要員の少女たちもエモノを手にしだした。

「すまん、恩に着る!」

少女たちは部屋を慌しく飛び出していき、そこには顧雍だけが取り残された格好になった。


彼女はその手に一枚の紙を有していた。
そこには意味ありげな「祝詞」が書かれている。

(この術式は未完成。
 完全に制動できるものではない…だけど…ここで使うしかないのかも知れない)

彼女は、戸口のところの中空に指を這わせる。
その指先は…淡く鈍い緋の光となって、やがて複雑な魔法陣を描き出す。

(…これで…ステージは巻き添えにしないで済む。
 元の術の正体がわからないのなら、手段はただ一つ。
 …「認識の鳥」の力で…術式を喰らい尽くすまで…!!)

それは…彼女を知るものでも見たことがないような、険しい表情。


彼女は、その術の行使がいかに危険なものであることかを知っている。
下手を打てば、対象となった者は勿論、己自身の「精神」まで、「それ」に持って行かれるだろう。


-紅時化、夜薙げ、緋色の鳥よ。
草食み、根食み……気を延ばせ-


はっきりとその「祝詞」を唱えるその背には…緋色の翼。
禍々しく燃え上がる、魔性の翼がその背に広がり、彼女もまた、その場をあとにする。





「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!」

舞台裏の狭い廊下を戦場に、果敢に飛びついて動きを止めようとする少女たちを、暴走したそいつは力任せに振りほどき、壁に叩きつける。

「ちぃ…!」
「通すな! 此処を抜かれたら、ステージまで一直線だ!
なんとしても此処で止めろ!」

名将・呂範の指揮の元、暴走した薛綜を紙一重のところで食い止める少女たち。

しかし、頼みの綱である呂拠も朱異も気を失っており、次に備えて無理の出来ない新入生達は後方にさげている。
残ったのは丁固や鐘離牧、あるいは賀斉の妹賀邵と言った、どちらかと言えば文系の少女たちばかりである。なお、顧譚ら「次期部長側近三人衆」も既に気絶させられて三人仲良く楽屋で寝ている。

そんなこんなで戦いなれない彼女たちは潘璋、賀斉のサポートにも満足に回ることが出来ず、苦戦を強いられていた。

「くそ…今演舞の出番がある興覇達とは言わないが、せめて承淵たちが居れば、もうちょっとマシな戦いが出来るんだがな」
「いねえもんを当てにしても仕方ないだろうが。
よもや、私たちの学園最後の相手があいつになるとはな…」

着慣れたジャージに着替えて控えていた陳武が、拳を鳴らしながら一歩前へ出る。
その視線の先には、必死で組み付こうとするも振り払われる朱桓や全琮といった猛者の姿もある。

そこへ、敢沢たちが駆けつけてきた。

「すんません先輩! 遅れました!」
「あんたたち!」

思わぬ援軍に目を丸くする呂範。

「説明がまだでしたけど、あたいらももう出番ないんでね」
「しっかしあいつ、本当にあの敬文なのかよ?
信じらんねぇな…」

陳表も呆れて呟く。
とにかく、それだけ薛綜の暴れ振りがものすごいということだ。

「…済まん…此処がステージへの最後の砦だ、なんとしても止めるぞ!
徳潤と定公、文奥は此処を、あとはあたしに続けッ!」
「了解!」

そして即席のバリケードを乗り越え、呂範率いる少女たちもその戦場へと突っ込んでいった。





スピーカーから流れる、荘厳な演舞のテーマが別の意味ではまるような、怒号と奇声。
思っても見なかったものを耳にして、三人の闖入者は顔を見合わせた。

「ね、ねぇ…一体何が起こってるの?」
「いやあたしにもよくわかんないんだけど」

不安一割、興味九割の表情で曹操が孫策の袖を引っ張る。
魯粛は二人の視線を受けて頷く。

「…あのバカ…キレて暴走してる。
十中八九、間違いないね」
「どゆこと?」
「さっきも言ったとーり…なんだけど、正直余り信じたくないってのが本音なんですよねこの事態。
惇姉の台詞もぶっちゃけ余り信じたくはないけど、大真面目になんかわけのわからんものに取憑かれてんじゃないのかあいつ…?」

苦笑する魯粛。
しかし、笑っているのは口元だけで、表情は硬かった。

「あの薛綜ってヤツ、実はあたしよく知らんのだが…なんか聞けば、あんた達がカラオケ行くときは通常二部屋は最低借りて、力の強いヤツを最低五人は連れて行くなんて話きくんだけどさあ」

まだよく事情を飲み込めていない孫策に、何かに合点がいった様子で曹操は相槌を打った。

「あー…そういえば、文遠(張遼)たちがプライベートで長湖部の子達とカラオケにいってたっていうの、もしかしてそのため?」
「ご明察です。
興覇が入院してしまってから、文遠さんや文謙(楽進)さんたちにゃ五、六回くらいお世話になりました。
先輩の卒業後もちょくちょくご一緒させていただいてますがね…ってかあの先輩達、意外と歌上手くてびっくりしたんだけど」
「ふーん…いろいろあるんだねぇ。
っていうか、そーかあいつら歌えるのかあ。今度誘ってみるかなあ」

うんうんと納得したように頷く曹操。

「でも、残りの連中じゃ心ともなくないか?
まだ承淵たちは出番残ってるし、うちらの同期はほとんどがステージの上だし…つーか今丁度興覇がステージに殴り込んだとこだろ」
「大いに拙いな。あたしたちも行こう!」
「あ、あたしも行く~!」

駆け出したふたりから一歩遅れて、曹操もそのあとにつづいていった。





数分前のこと。

「…というわけだ。アイツはあたしたちでどうにかする。
だからまかり間違ってもあたしたちの助太刀はしようと思うな」

手にモップや箒を掴んで部屋を出て行く少女たち。それに続こうとする虞汜を留め、吾粲はそう告げた。

「で、でも、それでも頭数はあって足りないことは…」
「ばか! あたしたちに代わりがいても、これからステージに上がるお前らの代わりはいないんだ!」

肩を掴み、なおも行動をともにしようとする少女に、吾粲は強く言い聞かせようとする。

「 …だから、お前たちは時間になったらあたしたちのことは構わず、ステージに行け…いいな」

すがりつくような眼差しの虞汜を含む、次のステージの出番を待つ少女たちを残し、朱桓も部屋を飛び出していった。
反射的に飛び出そうとする虞汜の腕を掴み、その行動を制する陸凱。
その視線が合うと、陸凱は軽く頭を振る。

だが、その心根はそれとは正反対であることは…自分の腕を掴む彼女の手にかかる力が、証明しているかのようだった。



そして、あれからどのくらい経ったろうか。
「銀幡」「湖南海王」選りすぐりの猛者達による力の入った「演武」に甘寧が乱入し、そして「海王」特隊の中に潜んでいた凌統が、羽衣と両節棍を手に迎え撃つ一方では、二人の銀髪姫が、洗練された技の応酬を繰り広げている。

その意外な人物の姿に、最初困惑していたギャラリーは戸惑うも、その見事さに大歓声を上げるが…モニターから流れる舞台の様子は、ほとんど少女たちの関心が向いていない。


いや。
かえって強く関心を引かれるからこそ…今、暴走状態の薛綜に対抗する少女たちがどうなったのか余計に気になっていた。


「だめだ…やっぱりあたしは行く!
姉さんの舞台を邪魔されるわけに行かない!」
「待て、世洪っ!」

立ち上がった虞汜の腕を、再び陸凱が掴み取る。

「お願い、離して敬風!」
「ここは世議たちに任せるんだ。
裏方でこんなくだらない事件がおきて、挙句にあんたまで怪我したら、そのほうが余計…」
「そんなこと関係ないっ!
姉さんは、姉さんはずっと今日を楽しみにしていたんだ…それこそこんなくだらないことでぶち壊しにされたくないんだよっ!」

いつもは澄ました顔をして、醒めたような態度をとる虞汜だが、事が姉のこととなれば見境が飛んでしまうらしい。
必死に振りほどこうともがく彼女を、横から丁奉とともに抱きとめるようにして引き止める陸凱。

「お前まで見境なくしてどうすんだ!」
「落ち着いて、世洪!
あんたも自分の演奏で仲翔先輩を送り出すんだって、自分で言ってたじゃない!
こんなトコで怪我でもしたら、それを自分で否定することになるんだよっ!?」
「でも…でもっ…!」

感情の高ぶりで、そのまま虞汜はふたりに組み付かれたままの状態で泣き崩れた。
無言ではあったが、陸凱や丁奉、一歩はなれたところで成り行きを見守っていた陸抗と陸胤も、悲痛な面持ちだ。

「…ねぇ、もしかしたら…あたしはしーちゃん(虞汜)の言うとおり、様子を見に行ったほうがいいような気がする」
「幼節!?」

陸抗の意外とも言える言葉に、陸凱も驚愕を隠せない。


普段のほほんとした天然そのものの少女ながら、流石に「長湖にその人あり」といわれた陸遜の妹だけあって、ここ一番では冷徹なまでに計算し尽くされた応えを導き出す陸抗が、この局面で感情に動かされているのだろうか。


「だってせっちゃん(朱績)もまだ戻ってきてないんだよ…?
さっきの見張りにはせっちゃんも居たんだよ…あたしたちの演奏は、せっちゃん抜きじゃ成り立たないよ…」

確かにその言葉にも一理ある。


朱績はこの騒ぎの少し前、トイレに行く、といって部屋を出たまま戻っていない。
騒ぎが起きたのはそれからすぐであり、最悪そこに居合わせて居ることも十分考えられた。

実際に、現在攻防戦が行われているのは、一番近い位置にあるトイレと控え室の間であり…その区画からステージへ向かうのはほぼ不可能。


「どのみち、せっちゃんとも合流しなきゃいけないんだ…だから、あたしたちも行くべきだと思う」
「解ったよ」

一度目を閉じ、陸凱は絞り出すように言葉を紡いだ。

「じゃあ…」
「勘違いするなよ…あたしたちの目的は敬文先輩を叩きのめすことじゃない。
あくまで公緒と同流することだからな…!」
「うん!」

そして少女たちも頷き合うと、少女たちも控え室を飛び出していった。





胸騒ぎを感じた陸遜が、現場近くへ姿を見せたとき、展開されていたのは予想だにしない光景だった。


「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRA!!!」

見慣れた少女からは想像もつかない…否、最早人間とは思えない魔獣の咆哮を上げる薛綜は、満身創痍になりながらなおも組み付く朱桓、全琮、陳武の三人を苦もなく振り払う。
壁に叩きつけられた三人もまた、力を使い果たしたのかその場に崩れ落ちる。

「姉さん! 休穆!子黄!
くそ、一体どうなってやがるんだよこいつはよ!」

悲愴な響きすら含んだ陳表の怒声に反応し、彼女は手薄になった舞台側のバリケードを破ろうと突進していく。


最早この場にいる大半が戦える状態ではない。
呂範すらもが、バリケードの内側で気を失っている。

演武の終了、休憩時間に突入したことでこの異常事態を知らせに走った歩隲の姿はなく、この場で立っているのは吾粲と陳表の二人だけだった。

「GRRR…」

しかも悪いことに、唸りを上げる怪物、その背後には…この異常事態に色を失いながら、柱の陰から様子を伺う朱績の姿が見える。
おそらく、用を足しにいって巻き込まれたことは想像するまでもないだろう。


幸いなことに、怪物めいた唸り声を上げるその少女が、背後の朱績に気づいている様子はない。
あくまでそいつの目的は「ステージで歌うこと」なのだろう。
その障害となる自分たちを敵視していることは間違いなかった。


「来るぞ」

唾をのむ陳表。


再び、咆哮を上げてバリケードへ突っ込んでくる少女に、真っ向から組み伏せようとする陳表だったが、その勢いを止めきれずに、足を掴んだまま引きずられる。
それだけではない。

怪物は…足にまとわりつく彼女をバリケードの一部に叩き付け…その中にあった消火栓を破壊し、辺り一面白い爆風に包まれた。


「うわあああああああああああっ!?」

視界を奪われ、思わず吾粲はその爆風から身を守る。
その脇に、うなりを上げる怪物が彼女を一瞥し…そして、苦もなくその脇を通り抜ける。

咳き込み、制止の声を上げようとするも叶わぬ吾粲は、次の瞬間予想だにしたいものを見た。


-鳴音(なのと)緋翳(ひかさ)す緋色の鳥よ、()掻き山掻き猶屠れ。
煌たる名取る緋色の鳥よ、緋喰いよ身喰い…(せき)と織れ!-


鬼気迫るトーンの、鋭い声で紡がれる「祝詞」。
その言葉の主が姿を現すと、降り立った足下から緋が広がる。


「今こそ来たらん我が檻の赫灼ヘ!
「緋色の鳥」よ、今こそ発てッ!!」


白い爆風の世界が、何よりも紅い、灼けるような黄昏時の空間へと変貌する。
振り返った先にいたのは…。


「元歎…なのか?」


その「魔」を纏い少女は…その黒髪も瞳も、広がる夕暮れの空よりも猶紅く、そこに居た。