邂逅の旅 津東山海心寺 北海道の夕日: 制作 SENSET MEMORY

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本尊 毘沙門天
開基 海範和尚
建立 大正年間


  福岡県宗像郡津屋崎町宮地

交通機関
  JR鹿児島本線福間駅下車、車で五分。
  西鉄宮地嶽線宮地嶽駅下車、徒歩二分。
付近名所
  宮地嶽神社、東郷神社、暖家、
  厚生年金会館、北の峰、彫刻の岬、
  津屋崎海水浴場、


ありがたや 幾とせへぬらん 災いを
          ここにおさめて 海心の寺


縁起

海心寺は津屋崎町東町に本置があり(通称奥の院)宮地にある二番札所は飛地境内となっている。宮地嶽神社の参道に面して、信貴山より勧請した毘沙門天堂がある。奥に弘法大師、その脇時に金剛歌菩薩、舞菩薩をおまつりした詠舞道場の金剛閣がある。
海心寺開祖は海範和尚である。海範師は、津屋崎の廻船問屋「唐津屋」の四男として生まれた。俗名を重蔵という。幼少より病弱であった。ある時病院の付添婦に信仰の尊さを説かれ決心して信仰の道にはいった。
両親と共に四国霊場を巡拝に旅立ったが、最御崎寺において発作が起こり、親への不幸やその苦しみのあまり死を求めた。その時山道を登ってくる行者に出会った。重蔵の様子に不審をもった行者は重蔵に声をかけて死を思いとどまらせた。重蔵は、その行者を弘法大師と思い出家得度した。両親は息子のために草堂を建立し、高野山本覚院より弘法大師を勧請する。
重蔵は海範とあらため行を積むに従い、不思議な力を得て、多くの人々を助けた。

         九州三十三観音霊場会編「九州三十三観音めぐり」より
           09.28.2003

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