『花弁』
「それは厳寒が通り過ぎてより二月、雪が止んでより一月、私達の家にも遅い春が訪れた日のこと
それを知らせる小鳥の囀りに目を覚まし、今日も貧しいながらも幸せな一日を過ごす筈でした」
――――軍馬の蹄が、戸口を叩き壊すまでは……
神に祈り 世界に生き 時を食み 幸福(しあわせ)紡ぎましょう
指を潰し 腕を曲げ それでも 幸福ならば
微笑み鍬(くわ)を 微笑み剣を ……下ろしましょう
敬虔なる者よ 神の使徒よ
神は微笑んでいます
貴方も微笑むでしょう?
笑みを零し 愛(キス)を交わし 子を産み育て 幸福紡ぎましょう
飢え苦しみ 疲れ貧しく それでも 幸福ならば 誰も私達から 何も奪えない
敬虔なる者よ 愛する者よ
神は微笑んでいます
貴方も微笑むでしょう?
「妻の作るスープより幸せものはない、娘の微笑みより美しい宝石はない
それ以外に私が何を求めただろう?
神よ、この仕打ちが我が行いに対する罰だと言うのならば
私は決して、貴方を赦しはしない」
――――幸せは長く続いた、娘は愛した者と共にこの家を去る頃だろう
寂しくはあれ、悲しくはない
私はこの生涯に、そして娘に、誰よりも深く誇りを持っていた。
敬虔なる者よ 神の使徒よ
祈りを捧げ 天に還れ
愛する者よ
――――幸福に忠実に生きよと教え、娘もまたそれに従った
私はある日徴兵され戦争に出かけた、それは長く続くものではなく、瞬く間の殺戮だった
一つの国が滅び、我が国は勝利した。当然にして我が家のある領地が脅かされる事はなかった。
ああ、だとしたら何故だろうか。
何故、何故―――私の家は燃えている?
赤く紅く終には黒く、何故、私の幸福(いえ)は燃えている?
何故……
敬虔なる者よ 愛する者よ
灯火を消し 闇に融けよ
悲しみの色に
「娘の恋人の本当の名は…Christian de Dior(クリスティアン ド ディオール)
我等が滅ぼした皇国の名はディオール、…そう、亡命した皇子こそ娘の恋人だったのです
焼け跡から出てきたのは、十字架を握り締めた妻の焼死体、…それだけ、でした」
神に問い 己を裁き 過去に祈る 幸福(しあわせ)齎したものはなに
妻のスープ 娘の笑顔 私の幸福(たから) 私の幸福(いきがい) 私の…
「私は誰を 私は何を 私は誰を、何を恨めばいい 何を…」
敬虔なる者よ 哀れな死人よ
何も分からない 誰も知らない
そう神ですら
夢は覚め 嘘は真(まこと) 祈り虚しく 過ぎし日々(しあわせ)は絵本のように閉じられた
炭の中に 嘘(ゆめ)探し 現実(いたみ)の外に 墓を立て 紅く痛む 鍬持つ指
敬虔なる者に 風よ花を運べ
慰めの花を 涙を拭く風を
――――風に流れた花びらが舞うようにして手中に落ちる
妻と娘の大好きな……大好きだった、白い花
花言葉は 『家族愛』
「花言葉を思い出し一息に握り潰そうとしましたが、どうしても、力が込められませんでした
この花を見ると思い出すのです、父の日の花束(プレゼント)を
私は溢れ出る涙と共にその花弁(おもいで)を……胸に、抱きしめました」