――――誰かが楽しそうに笑う姿を見るのが、好きだった。
――――誰かが嬉しそうに喜ぶ姿を見るのが、好きだった。

 でも役者じゃないから。
 でも本物じゃないから。

――――半面、ウチは一度も鏡を見たことが無かった。


 心の、鏡を。
 本当の自分を、省みる事を知らない。









 自分には面白いほど趣味が無かった、白紙のような人間だといわれた。
 面白いと思うことも面白いとおもう物もない、似ているが人形ではない。
 人形ですら愛嬌を振りまく存在だというのに、自分は微笑むための目も口も耳も心もない、だから"白紙"なのだ。
 他の人たちはちゃんと"輪郭"があって、その中に自己という色を塗って自分になっていくのに。それがない自分はいつまで経っても白紙のままだった。
 白紙にはけれど心があった。
 だけどそれは人間という機能としての感覚であり、人としての感情は乏しいと言わざるを得ない。
 白紙には唯一つ、"白"のみが存在する。

無色
無色
無味
無味
無意味――――?

 だから、趣味など持っていない。

「……空。騙されたと思って遊んでみてよ?
 これ、世の中で一番面白いゲームだって評判なんだから! ネットゲームっていってインターネットを使って色んな人と遊ぶゲームみたいだけど、毎日違う冒険が待っていそうで面白いんだって。だからやってみようよ。……ね?」

 そう、だから最初は母親の持ってきた"ネットゲーム"というものにもまるで興味は湧かなかった。
 しないと苦しくなるから呼吸をするような人間に、己が楽しむための行動を覚えろなど炊飯ジャーにニュースを映せというようなものだ。
 だけど、断らなかった。

 「うん、じゃあちょっとやってみる。おおきに」

 そう答えた。
 自分を切に想ってくれる母親の気持ちは、白紙でさえ尊く想う。彼女の期待を裏切ることは、悲しいと思えたから。
 誰かが笑っているのを見るのが好きで、誰かが泣いているのを見ると尊いと感じる。
 でもやっぱり笑っていてくれる方がいいと思うから、せめて触ってみるぐらいはしようと母親の進めるゲームを受諾した。
 だから、かんにんなお母さん。


 笑って受け取れなくて――――


 かんにんな。




「終ったら感想聞かせてね? 面白そうだったらお母さんも参戦しちゃうんだから!」

 なんて満面の笑みだろう。
 なんて優しい心だろう。
 それは嘘を見抜くことだけは得意な自分が恨めしくなるほど。透明で、美しい気持ちだった。
 だから、
 自分を喜ばせようとしてくれているのに棒のような言葉でしか返せなくて。
 ゴメンなさい。


 ありがとう。















――――空が、綺麗だと思った。



 キャラメイクにはまったく時間は掛からなかった。
 初期状態のキャラは金髪翠眼の男の撃剣士だった、それを自分に合わせて女にして職業を呪療士にしただけ。
 呪療士にしたのは……誰かの笑顔が見れるかもしれないと思ったから。

 後はすべてデフォルト、名前はニュースでたまたま流れていた『NEAR』という地球近傍小惑星探査機の名前をもじった。
 姿かたちはデフォルトそのものである……とは、つまり白紙だということだ。
 そしてその白紙の女は、世界に来るなりまず空に恋をした。
 自分が『成川 空(なるかわそら)』という名前をしていたからかも知れない、カメラ移動の練習中に上を向いたらそのまま固まった。

 それがあまりにも綺麗な蒼色だったから。

 不純物の一切無い"真の空"ともいえる"偽物の空"に、魅せられたのだ。
 手を伸ばしたいけど、そのコマンドはまだ知らない。
 
「……綺麗な空、触ったら汚れてしまいそうや」

 だから代わりに溜息をつく、まるで精巧なガラス細工のようだ。
 本物のように精巧で、偽物のように美しい、人が心象で描く理想の空。
 その空っぽだけど何処までも透き通っていて美しい在り方が、自分の行き着きたい場所なのだと思えて。どうしようもなく憧れてしまったのだと思う。
 思い至り、土がむき出しになっている地面に転がった。
 もっとこの空を見ていたかったから。

 

 何でこんなに空に魅せられるのだろうか?
 少なくとも他人よりは興味が深いと思う、何しろそれ以外に興味を持つことが殆ど無いから。
 けど、好き嫌いに理由なんて無いのだろう。
 だからそれはそれでいい………そう思った途端、一つだけ思い至った。
 自分の名前は"空"だ。だからだろうか?
 けれど、それも違うとすぐに否定した。
 だって、そもそも"空として生きてきた時間"があまりにも短いから。
 自分はまだ、この名前に慣れていない。
 空を見上げて思い出す……私が生まれたときの記憶、始まりに見た病院の白い天上を。

――――記憶喪失。

 だと、言われた。
 実感は無いけど言われてみれば昔のことが思い出せなかったから、そうなんだなと受け入れた。
 覆水は盆に還らないから、記憶が戻るなんていう希望もない。
 学校にも行けないし、病院に通うことしか出来ない。
 だからこそ自分は憧れたのかもしれない。何も出来ない自分だからこそ、誰かのために役に立てたらどんなに素晴らしいだろうと。
 あの空のように、誰もが必要とする存在になりたいと――――


 そこで……きらりと、その空の端で何かが光った気がする。
 思考を中止してそちらを向く。

「流れ星?」

 そうとしかいえない物が晴天の霹靂の如くこの空の端に流れていった。
 呆と空でも見上げていなければ決して見えなかったであろうほんの一瞬の小さな光の煌き。それは、……どうやらエリアの隅に落ちて行ったようだ。
 よく分からないが、もし流れ星ならば願いを叶えてくれるのかもしれない。
 そんなかすかな興味とも希望とも取れるものを胸に抱いて、慣れないコントローラーを操作した。



 草木の萌ゆる草原を降り、段々と草の背が高くなっていく低地へと走っていくと……小さな人影が見えた。
 そこには天使がいた。
 ……そうとしか思えない。砂金のような輝かしい金髪に陶磁器のように澄んだ白い肌、彫刻のように整った顔立ちはあまりにも美しすぎて間違いなく人を超えている。
 絵画から抜け出してきたかのような美少女が一人、御伽噺に出てくる白雪姫のように眠っていた。

「……大丈夫?」

 何か触れてはいけないものを見つけてしまったような気がしたけど……、心配になって声をかけた。
 人が苦しんでいるところを見るのは嫌いだ。
 仮にこの人が神様だろうと天使様だろうと関係はない、怪我をしているならば助けるのが当たり前だし。
 それに。完璧すぎるこの少女は、あまりにも不整合に壊れていた。
 かすかに動いた腕は肘から先が存在しない、瞼を上げた目には眼球がない、下半身なんて最初から無かったし……その全てから無機質な"何か"が例えるなら血の様に流れ出ている。
 体はもう助からないかもしれない、けれど心だけでも助けられるかもしれない。何度も声をかけて肩をゆすった。

「―――――」

 何か伝えたいことがあったのだろう。
 微かに目を開けて、白紙の少女にむかって色彩鮮やかな少女はなにかを伝えようと口を開いている、けれど言葉が出ない。……当たり前だ、喉だってパックリと割れているんだから。
 跪いて目の前の少女の唇の動きを読み取ろうと顔を近づける。

「―――――」
「そう、ウチに受け取って欲しいんやね。わかった。ええよ」

 もはや言葉にすらなってなかったけれど、辛うじて彼女が何を言いたいのかは聞き取れた。
 同時に、そこに込められた切なる想いも理解した。
 彼女は伝えながら泣いていた。
 それが喜びの涙なのか、悲しみの涙なのか、人である自分には到底想像もできなかった。
 だからただ、頷いた。
 折角白紙なのだから全て受け止めてあげようと。

「その翼、ウチが代わりに受け取るから。……それでいいん? それで、貴女が生きた証を残すことになるん?」
「―――――」

 目の前で天使のような少女は僅かに頷くと……。嬉しそうな笑顔を浮かべ。ふわりと軽くなってしまった体を起こして、ニアの頬に祝福の口付けをした。
 神聖にして新生、甘く冷たく暖かく辛い。
 その行為を甘んじて受け止めながら、まるで届かないものへの懺悔のようだと感じた。


 ありがとう
 ゴメンなさい


 背中に走ったくすぐったいような痛いような感覚。天子から伝わってくる涙の想い。
 それを見届けてから全てが終っていくかのように、天子のような少女は空へ昇り消え逝き溶けた。
 まるで空に還って逝くかのように。


 見送る自分には、白紙の心と、透き通るような白銀の翼。
 短い生涯の中で初めて得た色は銀色、あの蒼に近付くための翼。
 今にして思えばそれはどんなに残酷な仕打ちだったことだろうと悔やみさえする。
 だけど、
 その時のニアは、確かに笑っていた――――






――――――――――――――――――――――――
        『聖なる翼』
――――――――――――――――――――――――





 率直に言おう、空は今死ぬほど焦っていた。
 それは土を失ったモグラの如く、空を失った鳥の如く、トイレに駆け込んでペーパーが無かったときの心境の如く。それぐらい焦っていた。

「ハッハッハ、ゆっくりでもいいのだぞ空? なに、お前が弱かったところで何も困ることはない。この俺様が身を挺して守って進ぜようではないか、ハッハッハ!」
「うるさいっ、いつの間にかレベル上げすぎだろ手前ぇ!?」
「ハッハッハ、この台詞がいいたいが為だけに2,3日徹夜したからな!」
「相変わらず無駄に努力することだけは大好きだなコイツ……っ。フンだ、すぐに追いついてやるからなっ」

 空をしてこの台詞を云わしめるぐらい、2人の間のレベル差は大きく開いていた。
 別に一緒にいつまでも同じペースでレベル上げようねー、なんて約束をした覚えはないがこれだけ徹底的にやられると、なんというか徹底的に敗北感を感じる空なのだった。
 なので、本日はこうしてマク・アヌの中央広場で露天を物色している。
 空はORZに追いつこうと必死でレベル上げをして、必死に溜めた金でこうして少しでも強くなろうといい武器を探しているのである。
 
「クソ……! なぁ兄ちゃんっ、このバカと対等に戦えるぐらい強い大剣はないかっ!? こう、がっつーんってぶっ飛ばせるようなのっ!」

 だからと言ってとりあえず適当に見かけた店でそんなことを言っても無茶な注文でしかないと思われるのだが。
 大衆の期待を裏切るかのような勢いで威勢のいい返事が返ってきた。

「ヘッヘッヘ、アンさんは運がいいねぇ。それなら丁度いい品をたった今入荷したところですよ! 『大剣・威腕坊』これなんか如何(いかが)ですっ? なんと制限レベル10でいて攻撃力+40! しかもしかもHP回復能力付きと来たもんだっ! ほらほら買いだよ、今ならこれがたったの1000GPときたもんだっ!」
「40っ!? すげぇなおい! ……よし、それなら」

 たまたま通りがかって話を振っただけなのだが、やはりいってみるものだ。店員の薄汚い笑みが気になるがきっと営業スマイルが下手なだけなのだろうと空は理解した(実に失礼である)
 そして、思わぬ掘り出し物を目の当たりにして人が手をつける前に買おうと……。

「やめとき。……その剣、破損率が設定されてるんや。大抵の場合1回振っただけで折れるから、空はまだ買わない方がええよ」

 ……したら、意外なところから静止がかかった。

「ニア?」

 振り向けばそこに見慣れた金髪の少女の姿があった、しかしなんと言うか……見慣れてはいるのだがこれだけ位置が近いと気恥ずかしい空だった。
 慌てて目線を外しつつ、とりあえず開いていたトレード画面は仕舞い込む。

「……あっ、ああ、とりあえず購入はキャンセルな」
「ちぇ、またのお越しを〜」
「助言サンキュ、ニア。……ってか、いつからそこにいた?」
「30秒ぐらい前から」

 気付かなくてすみませんでした。
 ……でも、声ぐらいかけようね? 振り返るとそこにガラス細工みたいに無表情でニアが立っている、というのは正直ちょっと肝が冷えるから。
 相変わらず存在感が薄いんだか濃いんだかわかんないなー、……と思いつつニアにパーティ申請メールを送った。
 登場方法には驚いたが、元々パーティの誘いはしていたのである。

 程なくして空・ORZ・ニアといういつものパーティが完成する。撃剣士・拳術士・呪療士というオーソドックスでバランスのいい構成だ。
 いつもの、である。
 ORZが奈々々にちょっかいを出してから1週間ほど経つが、彼らは夜になると定期的にマク・アヌで落ち合ってパーティを組むほどには親しくなっていた。
 今ではクエストやらイベントやらをこなしていたって普通に遊んでいるほどだ。
 ……が。

「んじゃ、今日は何処に行こうか? なんか希望あるか2人とも?」
「「ない」」

「……即答でハモんなよ、しかも自信ありげに」

 空のリーダーシップが見事に空転する。
 あまりにも普通に遊ぶ故に、この3人には常に目的と言うものが無かった。
 空とORZは初心者なのでクエストやイベント以外にはレベル上げぐらいしかまだ手が出せず、肝心の中級者であるニアは要望どころか機械のように自己主張がまるでないのである。
 結果、何をするでもなくこの3人はいつも目の前にあるものをこなすだけの無個性集団と化していたのだった。
 ハァ。と溜息を吐く空。
 どうしてこうこの2人は1人だといやって程個性的なくせに、集団になるととたんに自分より人を立てるのだろう?
 いつの間にかリーダー役をやることになってる此方の気苦労も考えて欲しいものである。と空は思う。
 こんなときはいつも空が妥協案を切り出すことになっているのだ、差し詰め今日も目ぼしいクエストも無いのでレベル上げにでも行くことになりそうなのだが――――

「……あ、そうや」
「ん? なに、どっか行きたいところでもあんのか?」

 珍しく、ニアが自分から声を出した途端、空が待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
 のだが、あえなく身を引いて躱される。

「うん、でもええわ。面白くないところだし1人で行けば事足りるか―――」
「――よし、では目的地は決まったな。ニア嬢オススメの場所とは楽しみなことよ」
「おう、そうと決まれば出発だ!」

 だがニアの否定以上に、男たちは飢えていた。
 冒険したい遊びたい盛りの少年、しかも体育会系である。ちょっとでも目的が見つかれば猪突猛進なのだ。一人が躱されてもまだ弐の太刀があるのだ。
 ただ、そんな熱気を目の前にしてもニアだけは火であぶられても溶けない氷の如く冷静だった。氷のような美少女はいつだって受動的で的確である。

「……まぁ、ええけど。ほんまに面白くないよ?」
「ニア嬢は物事を面白いと感じることが少ないであろう? 比して、我らは些細なことにでも興味津々だ、予想と結果は食い違うかも知れん。その希望にかけてみようではないか」
「おいORZ、それはちょっと失礼だぞ」
「かまへんよ、その通りやもん。……なるほど、それもそうやね。それじゃあ行ってみよか」

 眉をへの字にして肩をつつく空に、ニアは少しだけ寂しそうに微笑ってカオスゲートへと歩き出した。
 恐らく先を促したのだろう。
 けれど、……その笑みが初めて見る笑顔だと言うのは。空にはどこか納得の行かないことだった。


「……ん?」

 気が立っていたせいか、神経が鋭敏になっていたのだろう。
 他に待っている人間もいないのに空は歩きながら唐突に人ごみを振り返った。

「何かあったのか、空よ」
「いや、何も」
 
 暫く歩くとカオスゲートに到着し、何を言うでもなく3人は横に並ぶ。セーブは先ほど済ませてある。
 それを確認してニアがワードを……


「【Δ隠されし 禁断の 聖域】へ」


 ロストワールドへと続く言葉を、ニアは事も無げに呟いた。
 

 ……その時、誰が知り得ただろうか?
 砂金のような輝かしい金髪に陶磁器のように澄んだ白い肌、彫刻のように整った顔立ち。
 聖域へ行きたいと呟く少女が、遥かな昔に存在していたとされる女神に酷似していたなどと……。


 当然のように2人には、知る術も無かった。




 
「……女神の、再降臨……だと?」


 2人、には。











 そこは聖域、と言うよりも聖なる建造物と言った方が正しいかもしれない。
 何しろそのたった一つだけ立てられた礼拝堂以外には、半分しかない橋しか移動可能な部分が無いのだ。
 背後に広がる水の無い湖も目を細めたくなるような黄昏も広々としているのだが、……その実、この聖域と呼ばれるエリアは極端に狭かった。

「へー、こんなエリアもあるんだなー」

 だなー……という声が天上にまで響いていく。
 空虚な銀細工のようなこの礼拝堂はあまりにも静かで、ほんの僅かな声でさえ高く響かせてしまう。それを、空は楽しみながら見渡した。

「うむ、世界は真に広き物よな。もっとも空にはあまり縁の無さそうなエリアに見えるが」
「おう、お前もなっ」

 ハッハッハ、こいつぅー!
 ……と、お互いの頬を抓り足を踏み合う親友が二匹。確かにこの場には似合わないようであった。
 ピカソの絵と幼稚園児の絵を見分けられない人種であるのだから仕方ないところではあるが。
 因みに首謀者であるニアは先行して先ほどからずっと"礼拝堂の行き止まり"に跪いている。

「………」
「………」
「………」

 そして、いくばくもなくドツキ漫才も終わりを迎え、静かな空気がその場を支配する。
 もとよりこんな場所で騒げるはずも無い、祈ることの無い二人は静謐なステンドグラスを見上げ、祈り続ける少女はただ一心に指を組み続ける。
 
「……なぁ、何を祈ってるんだ?」

 祈りを中断させるのは気が引けたが、もとより静寂に耐えられない性格の空が我慢できずにそう声をかけた。
 
「天子の羽根を捨てる方法、それを探しとったんや」
「はね?」
「……神様に聞けば、何か分かるかと思うてな」

 よく分からないと言う顔をする空を傍らにして立ち上がるニア、その表情には僅かな失意が滲んでいた。
 「けど、ダメやったわ」そう呟いて、ステンドグラスを見上げる。
 アレがその天子なのだろうか、そこには人のような姿が描かれていた。
 ただ、それを見上げる横顔があまりにも寂しそうだったものだから。

「まぁ、なんだ。良くわかんないけどそう落ち込むなって。やな事があったんなら相談に乗るからさ、最初から神頼みなんてちょっと怠け気味だぞ?」

 肩を叩いて声をかけた。
 ニアが考えてることはいつも良く分からないが、何かを悩んでる事は空にも分かった。だから何もせずには居られない、こんな体育会系な励まししかできないとしても。
 初めて触れた肩は予想以上に小さかった。

「やな事?」
「あれ、なんか悩み事があったんじゃ無いのか?」
「……せやね、悩みと言えばそうや」

 うわ、また勘違いだったか!? と1人で焦って2秒後にORZに突っ込まれてる空を見て、ニアは笑った。
 2人はピタリと動きを止めた。

「おおきにな」

 それこそ、天子のように透き通った笑みで。
 それは何処か一歩引いているような笑みであったけど、初めて見るその表情に吸い込まれそうになる。
 まるで初めて異性を見たかのような、そんな何処か気恥ずかしくもくすぐったいような感覚。
 それほど、普段笑わないニアの笑顔は貴重でいて……花のように美しかった。

「ま、まぁパーティ組んでる仲間なんだから当然だろ? 難しいことは分かんないけど相談くらいなら……」
「あー、空。いい台詞のところ済まぬのだが、来客のようだぞ」
「なんだよ、……来客?」

 するりといつの間にか2人の前に立っていたORZが、目線だけで入り口の方を指す。
 空とニアも表情を引き締めてそちらの方を振り向く。
 光が逆光になって見づらいその場所に、視線を受けてか僅かに影が揺らめいた。
 ギィィ、と扉が開く。
 ……すると、黒いマントとシルクハットを被ったなんとも世界錯誤な姿の男がカツコツと革靴の足音を響かせながら此方へと歩いてきた。

「お気付きになられていましたか。できればそちらの用件がお済みになってからお話を願おうかと思っていたのですが」

 目の前で立ち止まり、恭しく礼をする。
 ……近くで見れば見るほど、この世界には似合わないデザインだ。
 それに何か不安なものを感じて、空は警戒心を強めた。それはORZも同じのようだ。

「まぁニアの用事は終ったみたいだからその点は気にすんなよ。で、俺達に何か用なのか? パーティなら生憎募集してないぜ」
「それは残念です。募集していたのならば喜び勇んで参じたものを。……ああ、ですが此度(こたび)の用件はそれではありません」
「じゃ、なんだよ?」

 男はシルクハットを目深に被って目を見せないデザインの顔で、口元だけで笑みを浮かべた。

「そこの女神様に助力を願いたく思いましてね、こうしてお迎えにあがった次第」
「ほう、ニアの知り合いとは初耳よ。……この紳士殿と先約が有ったのかな?」

 ジリ…と一歩前に出ながらORZがニアに問う。

「全然、知らんけど。けどウチに何か頼みたいことがあるん? ウチで良ければ聞くけど」
「それはそれは、ありがとう御座います。では、僭越ながら私の"工房"にお越し願えますでしょうか?」
「分かった」

 あっさり。
 ……としかいいようが無い、怪しむことも悩むことも無くニアはいきなりやってきたその男の言葉に従ってしまった。
 まるでロボットのような反射対応だが、もちろんそれで2人が納得する筈も無い。

『ちょ、ちょっと待てよニア! ソイツ絶対なんか怪しいって、女神様だとかいってピンポイントでニアに声かけてくるとかストーカーだぞっ!?』
『同意だ。それにあの衣装……噂に聞くチートというものでは無いか? 犯罪の匂いのする工房とやらに行くのは危険だと進言しよう。それに、パーティを組んだ先約は我々に有るのではないかね?』

 ぴたっと、パーティチャットでの説得が効いたのか男についていこうとしたニアの動きが止まる。

「せやね、空たちが止めるなら行かない」
「なるほどなるほど。やはり私は怪しい、と?」 
「違う。ウチは願いを掛けられれば誰にでも応えるけど、二つあったら片方を取らなあかんから。……空たちの方が大事やもん」

 口元の笑みを消す紳士。
 微妙にずれた論理のような気もするが、とにかくニアは思いとどまってくれたようだ。
 それにしても、言葉通りに受け取るならニアは頼まれたことなら何でも応えてくれるらしい。そういうプレイスタイルなのだろうか。

「ハッハッハ、これは参りました。女神様に大事に思われているとは、お2人とも徳がお高いようですね」
「そりゃ光栄だけどさ。……なんで女神なんだよ、いい加減わけ分かんねぇぞアンタ?」
「おや、お気付きでありませんでしたか? なら、知る必要もないことですよ。どうぞ私のことは変人とでも思って忘れて下さい」

 シルクハットのつばを持ってククと笑う紳士。
 一体なにを気付けと言うのだろう?
 だがそんなことを考える前に、紳士は手に持ったステッキを此方に向けた。……見た目はただのステッキだ、だがそれをただのステッキだとは思わないほうがいいだろう。

「……さて、断られたのでは仕方有りません。些(いささ)か乱暴な手段に出ますがご勘弁を」
「っ!」

 即座に抜刀し、或いは構えて身構えるORZと空。
 数秒の間を置き、どちらかが先に動けば戦いが始まると言う緊迫した空気が張り詰める。
 距離を読み、間合いを計り、実力を推定し、戦術を組み立てる一瞬の空白。
 その火薬が敷き詰められたかのような空気の中において、ただ一人ニアだけが何の殺気も立てずに佇んでいた。
 紳士はシルクハットを上げ、自らを睨む2つの視線を掻い潜りそのニアを見つめる……が。
 急に、驚いたような表情を浮かべた。
 
「……プロテクト、ですと」
「オートリープはウチの体には作用せーへんよ、飛行以外の移動方法は翼が嫌がるんや」
「なるほど、では、例えこの護衛の方々を倒したところで貴女をお連れすることは不可能、と言うことですか」

 フムと頷き、一歩下がる紳士。それだけで緊張感が5割以上も溶けて消えた。
 あちら側の戦う意思が明らかに消え去ったのだ。残っている戦意はとげとげしい空の視線ばかりである。

「なんか知らないけどそーいうことだ、さっさと帰ってくれ」
「空、気持ちはわかるがその発言は少しバカが丸出しに過ぎるぞ?」
「うっさいわっ」

 そのやり取りを見てなのか、紳士はふっと笑うとあっさりと背中を見せた。

「では、私はこれにて失礼させていただきますが。……お2人に1つだけ忠告させていただきましょう」

 そしてそのまま、マントを靡かせて扉の方へと帰っていく。
 カツコツと革靴の足音を響かせながら、光の中に溶けていくかのように。

「無知は幸せであり、無知は罪です。断罪を免れたくば手を引きなさい。今のあなた方に、真実に至る力はないのですから」

 黒い影は去っていく。
 人形のようにただ静寂の中に泰然と立つ女神と、憮然とした顔の少年を残したまま。







――――――――――――――――――――――――
因みに、紳士の名前は『逆月(さかづき)』と言ったりします。
紳士と書いた方がイメージが伝わりやすいと判断しましたのでそのまま書きましたが、名前はちゃんと表示されていました。
さて、さて、久々に書き上げた作品がこんなにもあっさり風味で良かったものでしょうか?(汗
台詞と描写の量のバランスを模索中です……。