遠い夜空。
暗い夜空。
黒い夜空。
輝く星々。
「北極星はね、こぐまの尻尾に刺さった釘なんだよ」
10年ほど昔の話だ、珍しく家族サービスで静かな場所に旅行に行った。その晩にそんな話を語って聞かせたことがある。
他愛も無い星の話。
といっても又聞きの又聞きで知った話で、記憶の隅から掘り起こすのが大変だったと覚えている。
だが、あんな顔をされると曖昧な記憶でも話したくなるというものだろう。
真剣に夜空を望む瞳は限りなく澄んでいる。夜空に手が届くと思っているのか、その星に向かって手を伸ばしている我が子。
届かないと教えるより、その先に在るものについて語ろう。
「こぐまはいたずらをしてしまってね、ああして神様に張り付けられてお仕置きされてるんだって。だから北極星は動かないんだよ」
「刺さってるの? それじゃあものすごく痛いじゃん。こぐまさん……、かわいそう」
「そうだね」
心配そうに北極星を見つめる我が子は純粋にその話を信じている、……それが何か尊いもののように見えて、目に焼き付けた。
果たしてそのときの私はどんな顔をしていただろうか。子の顔ばかりを覚えている。
私はその頭にポンと手を置いた。
「だけどね、心配はいらない」
「……なんで? パパはかわいそうじゃないの? 痛いんだよ、釘が刺さるとすごく痛いんだから、かわいそうでしょ?」
むうと大人の言い分を突っぱねる姿は微笑ましい。
こうしてたまに噛み付かれるのだから手痛いが、それぐらい大人は敵であってもいい。
「かわいそうだとも。けどね、こぐま座の傍にはおおぐま座があるんだ。お母さん熊が……見守ってくれてるんだよ」
「……お母さんが?」
「そうだよ」
「あのくまさんってお母さんが居るんだ。それじゃあ、さびしくないね。いいなぁ」
「ああ、こぐまはきっと寂しくない。いつも優しいお母さんが傍に居てくれるんだからね。空に居てもきっと、幸せだよ」
私の手の平の下でもぞもぞと動いては、星を見上げ、手を伸ばす。
なんで手を伸ばしているのかと聞いたら「尻尾に刺さっている釘を抜く」のだと言われた。真っ直ぐな瞳で「助けてあげたい」のだと。
子供は、時としてとても尊い。
その手が届かないと、神話は変えられぬと、どうして言えるだろうか。
現実的に生きることを教えるなら言うべきなのかもしれない。
ただ私はそんなことをする気にはなれなかった。
この優しさを摘み取ってしまうことだけは、どうしても出来なかった。……その判断と甘さが後々どうなるかは分からない、だが誇りは持てた。
「あたしたちのママも、見てるかな?」
「もちろん、きっと私達に一番近い星で優心のことを見守ってくれている。咲はお母さん熊にも負けないぐらい優しかったからね。あそこから見守ってくれているはずだ。ずっと……、ずっと」
だから。
私は笑顔を浮かべて娘の頭をなでてやるばかり。
母を思い出して泣き出しそうになる娘に、パパもママも傍に居るからと。離れはしない証拠を……頭の上に乗せてやる。
この小さな温もりだけは失わぬように。
この子の未来だけは、あの星空のように輝けるものであって欲しいと。
――――いつまでも。あの星空の親子を見上げていた。
――――――――――――――――――――――――
『北辰の釘』
――――――――――――――――――――――――
弱々しく肩を落とした巨躯の獣人は語り終えると「笑ってくれ」と落とした肩をすくめた。
舞台は以前と変わらぬあの社のエリア、2人はそのまま鳥居の隅に腰掛けて話している。
月夜に照らされた2人の姿は暗く、どこか祭りの後の寂しさのような空気が漂っていた。
「……要するに娘が家出したので仕事をほっぽらかして追っているのだろう? 頼みに答えてやりたいのは山々だが、それを聞いて笑えるほど踏み外してはおらんよ」
「そうか……いい奴だな、君は」
「ふっ、よく言われる」
「そうか」
獣人は苦笑をするようなどこか羨むような、そんな表情を浮かべた。
なんだ張り合いが無い、とでも言いたげにORZは自尊的な笑みを崩す。
「君に愚痴っても仕方の無い話だったかもしれないが聞いてくれたお陰で少し肩が軽くなった。ありがとう」
そういって軽く頭を下げると、月光下の大きな影が揺れる。巨体が頭を下げるとはアンバランスだ。
話に寄れば、呼び名通りこの大柄の熊のような獣人は奈々々の父親だという。
先ほどは誤魔化そうとしていたようだが、ORZが巧みに話を乞うて来るうちにそれも諦めたらしい。ORZの言葉は巧みと言うか強引と言うかしつこいというか、とにかく事の顛末を知りたいと真摯に頼んできたのである。
ついに根負けしたパパラッチョスーパーアルマゲドン三世は思案するように黙り込み、……やがてとつとつと語り始めた、というわけである。
そう、己が奈々々を追っている理由を。
リアルの奈々々は家出をしていた。それで父親であるパパラッチョは追っているのだ。
家出をしてるくせにThe Worldは続けているらしく、行方のつかめないパパラッチョは自分もインして話だけでもしようと追っているのだという。
パパラッチョのリアルの仕事は作家だそうだ。
仕事柄パソコンを使うことは多く暇つぶしに始めたのがこのゲームで、そしてそれを横から見ていた優心……奈々々のリアルだ、彼女も興味を持ち。いつしかこのゲームは親子共通の趣味になったらしい。
初めて暫くはお互いに楽しんでいた。
……が、しかし、それを一ヶ月ほど前にパパラッチョが禁止にしたらしい。
受験が近付いていたからだ。
それや受験のストレスが溜まってこんな事態になったのだろう。と、獣人は遠い出来事を語るように言った。
そして溜息のように言葉をこぼす。
「……私は、間違えていたのだろうか。私は、あの子の為を思ってそうしたのだが、結局愛想を尽かされてしまった。私は、どれほどあの子に重圧をかけていたのだろう」
あまりにもショックが大きかったのだろう。
その巨躯に奈々々を前にしたときのような覇気はなく、三日月型の巨大な鎌も力無く項垂れている。
全てを後悔している。勉強を強要したことも、引き止められなかったことも、こんな父親を続けていることも。
しかしそのどれを直したところで……何も変わらないことは分かっていた。
「そうだな、お主は決定的な所で間違えていおるぞ」
そこに決定的な止めを刺すかのように、赤帯を締めた道着姿の拳術士……ORZは言い放った。
月光の下で軽く吹き抜けた風が、その実寒々と心を冷やしていく。
獣人は暗い表情をしつつORZを見つめる。何を、と。
「お主は自分自身の事はよく知っておる。正しい教育とは何かもしっかりと考えておるしそれ自体は間違っておらぬだろう、ただ……」
ORZはハッキリと獣人の金色の瞳を睨むように見つめ返す、その真紅の瞳で。
「奈々々のことを知っておらぬ。お主、奈々々の内心について何も核心を突いたことは言っておらぬだろう? 理解しておらぬのだ、ストレスだろうと言う解釈も結局のところ憶測でしかない。
お主が知らぬのだから俺にも原因は何かは分からぬが、知らぬことがまず大きな間違いだろうよ。……男の片親の辛いところだとは思うがな」
「愛するばかりでは相手の気持ちは分からない、か」
「うむ。だがそれを聞こうとすれば逃げられる、……まこと厄介な家出少女だな」
話し合いが無ければ歩みよりも無い、だが歩み寄れば逃げられると言うこの現状が難儀だった。
あれだけ意地っ張りな性格だ、もし帰りたいと思っていても父親を前にすると突っぱねるだろう。
だとすれば……、必要なのは中立勢力だった。間に入って話を持たせれば何とかなるかもしれない。
それに気付いてか、適任者は誰なのか。
……ORZは何かを諦めたかのように腰を上げた。
「……ここまで聞いて首を突っ込んでおきながら何もしないわけには行くまい。むしろ見ておれんわ、この話俺にも手伝わせてくれぬか?」
「君が? その気持ちは嬉しいが、これは私たちの……」
「聞いた以上無関係ではあるまい、むしろ共犯だ。第三者が仲介に入れば奈々々も話を聞くかも知れぬしな。退けと言うのなら構わんが。どうだ、ここはひとつ藁にすがってはみんか?」
わからない。彼は何故そこまで他人に肩入れしようとするのか?
疑問といえばそれが疑問だ、顔も見えない相手に何故……。分からないことばかりだが、ひとつ言えるのは、彼のその声は痛いほどに真摯だということだ。
パパラッチョはまた思案するように目を閉じる。
……そういえば、私も誰とも知れない人間に愚痴っていたな。他人だからこそ、何のしがらみもなく動けるのかもしれない……
すぐに結論は訪れ、間を空けずにその金色の瞳を見開いた。
「……分かった、縋ろう。巻き込んですまないね」
「なに、赤の他人に協力を惜しまないのがMMORPGであろう。袖触れ合うのも多少の縁と言うやつよ」
「だが、難しいぞ? 娘の友人に電話をしてもらったこともあったが、――ブツン、ときたものだ」
「そうか、だがそれは友人であったからだろうよ、友人では第三者になりえぬからな」
自信ありげに言うとORZは―――親指を立ててにっと笑って見せた。
「まぁ任せておけ、こう見えて口八丁にだけは自信がある。お主は期待せずに叱咤の文句でも考えながら待っておればよかろ」
身を翻す、そして缶ジュースでも買いに行くかのような気楽さで走りだす。赤帯は暗がりの彼方へと溶けていった。
それを複雑な表情で見送るサングラスの獣人。
少々心配だが、今は彼に頼ってみよう。お節介な上に怪しい人物ではあるが、もしかしたら何か進展をもたらしてくれるかもしれない。
まさに藁にも縋る思いだった。
呆と、静かに座り続ける。夜は深く月は高く。
剛毛の覆う身体には淡い月光の光が降り注いでいる。
己が体は間違っても美しいとは言いがたいが、不思議と月光は物事を美しく見せる。
揺れる草木、静かな空気。
……獣人はふとその月夜を見上げ、10年ほど前に見た古い星空を思い出していた。
「叱咤の文句か。……そういえば優心を最後に叱ったのはいつのことだったか。……やれやれ、親バカが過ぎた証拠だな」
――――――――――――――――――――――――
「優心、いつまでゲームをやってるんだ?」
「え、でもまだインしたばっかで……」
「止めてくれないかそんなもの。もう受験も近いんだからそろそろ志望校を固めて試験勉強をしないと置いていかれるぞ。やれば出来るんだから、優心ならもっと上を目指せるだろう?」
「上……? 紫格でいいじゃん。別にそこまで無理して上を目指す理由も無いし、友達もそこに行くって言ってるし」
「目指せるなら上を目指した方がいいよ。母さんだってきっと……」
「がり勉になって欲しかったんだ? ママってそんな人だったんだね」
「優心、それは」
「出て行って、あたしにそんなつもりは無いんだから。……出てってよ」
「違う、おまえの為を思って……」
「出てけってば!!」
――――――――――――――――――――――――
……ふと思い出がよぎるが、そんなものは知らないと店内に入る。相変わらず無愛想な店員が、相変わらず同じ時間にやってくる優心にやはり無愛想に対応した。
201、代金と引き換えに出されたのはいつもの数字が書かれた札だった。
家出を決行してからもう一ヶ月くらいになる。
自分が居ないまま学校は終業式を迎えて夏休みにでも入っているころだろう、こういうときは成績にどう響くか気になるけど、それも今はどうでもいい話だ。
学校なんか、家なんかとはもう縁を切った。自分は一人で生きていくのだ。
幸いバイトとして雇ってくれるところも見つかったし、お金の工面も付いている。
こうなったらあの分からず屋のパパが勘違いを正して真っ直ぐになりすぎた根性を融通が利くように捻曲げてくれるまでは戻らない覚悟だ。
それまで自分はPKとして悪行の限りを尽くそう、そしてついでに最強になってやる。たまりに溜まったストレスを発散させてやる、そしてそして名を馳せて見せるのだ。
1人になったらやりたいことをやってやる。優心はかねてよりそう決めていて、今こそそれを実現させていた。
……今のところ、邪魔ばかり入ってるけど。
「ああもうムッカツクゥ。なんであたしがPKしようとするといつも邪魔が入るかなぁ」
ぼやきながらネカフェのいつもの席に座ってPCの電源を入れる。
主に思い浮かぶのはあの変な赤帯を締めた針金頭の変な名前の変な奴だったりするが、その妄想を打ち払ってメーラーを開く。思い出すだけで腹が立つってものだ。
と、今日も着信無しかと思ったら見慣れない送り主から一通のメールが来ていた。
「……『挑戦状』? 送り主はオーアール…………ゲッ、ORZってあの変な奴じゃん!」
そう、たった一通のメールは、ほんのちょっと友達とかパパとかからの手紙なんじゃないかと期待して開いたメールはよりにもよってよりまくってあの変な奴からだった。
しかも内容は『【Δ鼻曲がる 絶叫の 古戦場】にて待つ』と言う文だけ。タイトルは望むところだが微妙にワードが馬鹿にしている。というかむかつく。
……罠でもあるのだろうか?
しかし呼び出してくるということは自身も来ている確立も高い、罠だったところであのレベルなら捕まえてしまえば楽勝である。あえて挑んでみるのも面白そうだ。
じゃ、行こう。罠があったらその時はその時、別にリアルになんかあるわけじゃないんだし。
そこまで考えると決断は早かった。優心はすぐに奈々々でログインしてカオスゲートに向かった。
思い込んだら即実行、それが彼女の性格である。
さっきまでの不機嫌も忘れて今日こそは決着をつけてやると走っていく。
……そして実を言うと、その原理はこの家出にも当てはまっていた。
パパもORZも彼女の深ーく複雑なオトメ心を察しようと頑張っていたわけだが、はなからあんまし理由なんて無いのである。強いて言えばむかついたからと、1回1人暮らしというのがやってみたかったから……というのが家出の真相である。
やってみたかったから実行して頑張って成功させた。それだけ。……彼女ならきっと石器時代に生まれても逞しく生き抜いて見せたことだろう。
「……居るんでしょ? 隠れてないで出てきなさいよ」
背後には激流。家をも飲み込んで紙屑のように流してしまいそうなその川の立てる音に負けない声で、彼女は目の前に広がる森に向かって声を浴びせた。
返事は無い。
見れば、プラットホームはこの砂利の広がる川原側にありエリアは迷路のような森へと続いているようだ、全てのワードが言葉のイメージどおりの場所に繋がっているわけではないということか。
そして……奈々々がざっと位置を確認したところで、ようやくあの忌々しい男が暗い森の中からふっと姿を現した。
ぶらっと散歩でもしているかのような何気ない足取りだが……奈々々はそれを見逃さなかった。しっかりと武器が変わっている、つまり今の今までレベルを上げていたのだろう。
「いやすまぬちと飯オチしておってな、待たせたか?」
「フン、自分で呼び出したんだからちゃんと待ってなさいよ。……っと、それよりまず聞かせて、あたしのアドレスをどうやって手に入れたわけ? 交換した覚えないんだけど」
携帯やパソコンのアドレスならまだしも、あのメールが送られてきたのはThe Worldを経由してだった。仕様では本人が渡さない限り交換は出来ないはずだが……。
「ああそれか、パパ殿が代わりにログインしてくれてな、それで交換したのだ」
「……ふーん、別にいいけど。やっぱりパパが絡んでるんだ」
「察しの通りよ、まぁ頼まれたことではなく俺様が勝手にやっているお節介ではあるのだが」
もとよりパパのパソコンを借りて登録しているのだ、パスワードは最初から割れている。つまりその気になればパパはキャラを消すことも出来るわけであり、その程度は奈々々も予想していた。
勝手にログインされる程度ならまだマシといえるだろう。
奈々々は確認しただけでそこには特に突っ込む気は無いようだった。
そしてパパの存在を確認した途端に答えを出す。
「悪いけど、そゆことならパス。挑戦は受けない」
スパッとそう答えると、奈々々はやや唖然とするORZの横をするりと抜けて森の方へ歩いていく。
逃煙玉も快速のタリスマンも用意してある、逃げるのはイヤだがパパの思う壺になるのはもっとイヤだった。
そこに……意外だと言う様に振り返ったORZが声をかける。
「ほう、お主とは決着が付けたかったのだが。……まさかもうカオティックになるという目標は捨てたのか?」
「まさか。でもどーせあたしが負けたら家に帰れとか言うつもりなんでしょ? あたしはそーゆー戦いが目的じゃない戦いは嫌いなのー、残念でしたー」
「……ふむ。なんだバレておったか、ちと浅慮だったな」
などと、あの筋肉バカに見えて実は策士バカであるつまりバカが後ろで戯言を言っていたが、奈々々は無視して歩みを進める。
「バカにすんな、バーカ。……フン」
捨て台詞を残して。
あんな奴の口車なんかに乗せられてなるものか、パパが関わってるなら戦ってなんてやらないのだ。
ただ、わざわざ来て帰るだけというのもなんである。ここはひとつエリアの方でウサ晴らしでもしてこよう、レベルを見る限り丁度いい感じだったし……。
そう決めると、奈々々はORZを川原に残して足早に闇と緑が混ざったような森へと走って消えていった。
やがてその姿が完全に見えなくなる。
「バカ、か。……うむ、その通りだ。だからこそ鈍感でな、この程度で諦めるべくもなし」
……前に、ORZは白い道着を揺らしながら奈々々を追って行く。
そう、ここからが本番だ。
――――――――――――――――――――――――
「上手いじゃないか優心、お父さんなんかよりずっと才能があるなぁ」
「とーぜんじゃん? ……でもパパレベル高過ぎだし、才能でレベル差が埋まらないのは悔しいっていうか」
「ハハハそんなのはすぐに追いつくさ」
「そんなもん?」
「ああ、そんなもん」
「じゃあさ、レベルが追いついたらアリーナに出よ? 絶対名前売れるって、目立つしパパそー言うのだけは得意だし。……1回そう言う大会の頂点に立ってみたかったんだよね、最強の親子現るとか言われたりとかさ」
「それはいいね、お父さんも昔はそういうのに憧れたよ。最強のヒーローになってみたいってね」
「いったね? それ現実になるから覚悟しててよパパ。今にのし上がるんだから」
――――――――――――――――――――――――
『甲式・竜鰭刺(りゅうきし)』
それが、奈々々の持つ双剣の銘である。
物々しい名前とは対照的にすらりとした小太刀を思わせる短刀で、逆手に構えればまるで猫の爪のように見えるほど細い。打ち合いには向かないが切れ味は抜群だ。
これはある特殊なイベントで手に入れたもの……ではなく、ただの武器だった。ネットで流れていた画像を見て痛く気に入ってしまい必死になってGPを貯めて持ち主とトレードした奈々々最愛の2振りである。
愛情を込めれば武器ですら答えるのか、黒のボディスーツの上にしなやかな革鎧を纏った奈々々にその双剣は良く似合っていた。装備すればまさに黒猫そのものだ。
そのせいか、戦っている際には華である刃物より彼女の場合その髪が目立つ。
猫には無い鮮やかな赤髪が激しい動きに合わせて踊る姿は暗い水面に咲く睡蓮の花のように際立って見えた。……だが今回の場合惜しいことにその戦いも一瞬で終る。
雑魚戦が終ったのだ。
「………で、いつまで付いてくんの? ストーカーさん」
森の中に何故か車座で屯っていた醜悪な姿の妖精……かは分からないがそれらしきモンスターを倒すと、奈々々は振り向かずに背後に言い捨てた。
そこには先ほどから一定距離を置いて付き纏っているORZが森の木々を背にして立っている。
まるで手馴れた犯罪者のような迅速かつ的確なその動きは実に怪しいが……気配は感じさせない、目的さえ無ければ間違いなくストーカーそのものであった。
「ふむ、この先の予定はお主によるが……ああなに、気にしなくても構わんぞ? 別に邪魔する気は毛頭と無い故な」
「あっそ」
つまり付いてくるのが鬱陶しいのだが、そんなものは知らんとばかりにORZはいけしゃあしゃあと答えた。戦わないといわれたので余裕ぶっかましてるのである。
……それにつれない返事をしながら奈々々はさらに森の奥地へと踏み込んでいく。
このフロアの敵は大体倒したし、そろそろ次のフロアに行く通路かもしくは終着点が見えてくるはずだ。
歩みを速める、後ろのは気にしたら負けだ。
……そんなことがかれこれ30分ぐらい続いた。
「ところで、お主は何故家出などしおったのだ?」
「……ああもうっ!! しつこい! ウザイ! それと前々から思ってたけど喋り方偉そうでムカツク!!」
そしてかれこれもう何回も似たような問答を続けていた。
「うむ、自分でもそう思うがこれも仕事でな。因みに口調はロールではなく素だから治せんぞ、ハッハッハどうだ参ったか」
「威張るなーーっ! それといい加減帰れーーっ! この……バカッ!」
「うむ、自分でもそう思うぞ。思うが、……ところで理由が聞きたいのだが?」
「………(怒)」
マイクは無言でも声にならない声を読み取って的確に変換してくれるらしい、最近の技術は目を見張るものがある。
「…………」
「……聞きたいのだが?」
剣を持つ手をプルプル震わせている奈々々だが……ガックリと肩を落とした。それに伴って紅い髪がクシャリと揺れる。
「………ハァァァ、分かった。答えればいいんでしょ、答えれば」
「おお、やっと教えてくれるか! いやさすが俺様の見込んだことはある、話しが分かる御人よ」
とりあえず一発殴ってから話したいが、大人な奈々々は何とかそれを我慢した。
話をして済むならちゃちゃっと話して一刻も早くコイツを帰らせたい。
ネカフェには時間制限があるのだ、ログアウトして撒くのは時間浪費と言う観点から最終手段にしたいところなのである。……コイツの思惑に乗せられるのは非常に遺憾だがこの際瀬に腹は代えられない。
「して、理由とは如何なものだったのかな。ああ、乙女心は複雑と聞くがなるべく平易に答えて貰えるとありがたい」
「むかついたから、それだけ」
「…………ハ?」
ズバッと言い切る奈々々。いや、確かに平易ではあるが、平易過ぎて読めない。
せめて主語と述語がほしい、最近の若者言葉はいけません。
「確かに平易とはいったが端折るのは感心せん、もっと他にあるのではないか? 友達同士の付き合いに疲れたとか受験勉強に嫌気が差したとか教師がそこはかとなくダメな人だとか有り得んとは思うが苛めとか」
「ないよ、そんなもん。……受験勉強は確かにイヤだったけど、直接むかついたのはそれじゃないし」
「では、何が原因なのだ?」
「………パパに決まってるじゃん。有名大学に行かせて官僚とか一流企業に就職できれば娘は幸せになれるとか信じて疑ってない、パパにね」
「ホホゥ、それがイヤってことはつまりお嫁さんになりたいとか?」
「バッ!? お前バカだろっ! な、無いとは言わないけどその切り返しはとにかくバカだっ」
奈々々は吐き捨てるようにそういうと、そこからは堰を切ったように話し出した。今まで溜め込んできた何かを吐き出すかのように。
蓋が外れると一気に話し出すその様子は、図らずともパパと似ていた。
それをORZは静かに頷き、時には相槌を返しながら聞いていく。パパのときと同じように、やはり聞き手に回ったORZは急に真摯になる。……それは何かのコツなのかもしれない。
奈々々は話す、昔は世話焼きだったくせに今は将来にばかり世話をしようとすること、そんなに好きなら通知表と再婚してしまえと思ったこと、成績なんかより友達が大事なこと、ついでに足臭いのもどうにかして欲しいこと。
ORZはそれらを何一つバカにすることなく聞き届けた、最後のついでまで。
「………つまり、お主はかまってほしいのだな? パパに」
「ヘ?」
一通り聞き終わると、ORZは急にそんなことを言った。それに一瞬キョトンとなる奈々々。
そしてすぐに自分を思い出す。
「なっ、な、なわけあるかっ!! あたしはただむかついただけで――」
「ホホ、ならばそのようにしておこう」
「口先だけで取り繕うなっ! 訂正しろ心からっ」
「ハッハッハ、日本国憲法では良心の自由が保障されておるのだ、本心でどう思うかは自由だぞ奈々々よ」
ムキーッと抗議する奈々々を軽くいなしていくORZ、どうも奈々々には相性がいいようだ。
殴ってやりたいがそうなると戦うことになる、挑戦は受けないといった手前戦いは避ける、だがむかつく。
そんなオーラが奈々々から溢れてる。
「まぁそれはそうと――――奈々々よ、いい加減パパラッチョ殿に会ってはどうだ?」
「……なんでよ、会う必要なんて無いじゃない」
家出してるんだから、と言う奈々々。
それはどうかな、と笑うORZ。
「そうか、ではお主はパパラッチョ殿が嫌いなのか?」
「………」
「本人ではなく『方針』が嫌いならば、話し合いで解決できよう? むかつくならむかつくと目の前で言ってやるのが一番良い薬になる」
「………」
奈々々は答えない。……だがそれはパソコンの前のPLが動く余裕も無いということだろう。
別にORZの言葉に説得されたわけではない、だけどむかつくのならそれは本人に言うべき……という言葉は正しいと思ってしまっただけだ。
天秤にかかる『不満を正したい心』と『気恥ずかしさ』。
ORZはそれだけ話すと、クルリと背を向けた。そして宝箱を目前にした通路を悠々と引き返していく。
奈々々が固まっているのを見て、自分の役割は終ったとばかりに。
「ああそうだ。あの獣人殿は見た目にそぐわず星空が好みらしい、最近では毎晩星の良く見えるエリアに出かけるのが日課になってしまったのだとか。悲しきかな、都心に居ると良い星空は望めぬからなぁ」
白々しくそう言って、最後までお節介だった厄介な男の姿が見えなくなる。
絶対最後まで笑ってやがった、奈々々にそんな感想を抱かせながら。むしろ最後は口笛吹きながら歌ってなかったか?
気を取り直してダンジョンを攻略していく……。
ただ、どれだけモンスターを倒してもアイテムを溜め込んでも気は晴れない。晴れないまま曇った心を抱えて行き止まりにまで来てしまった。
「……星空、か」
宝箱を蹴り開けてみるも、中身は見えない。
その目はいつか見た星座を幻視している――――。
――――――――――――――――――――――――
「ママって、どんな人だった?」
「んー……一言では言えない人、かな。普段はのんびりのほほんとしてるのにいざとなると鋭くて知的になったり、笑うとこの上なく綺麗なのに怒ると鬼より怖かったり。……あ、最後のは墓前じゃ内緒だよ?」
「えー、言っちゃおっかなー?」
「コラコラ、怖いこと言わないでくれよ」
「愛してた?」
「そりゃもちろん。色々あったけど、どんな表情の彼女も好きだったからね」
「そうじゃなくて、ママはパパを愛してた?」
「それは本人に聞いてみなくちゃ分からないな。……実はね、愛してるって言ってくれたのはママが先だったんだよ」
「そっか、……ママは。あたしも好きになってくれたかな」
「どうだろうね」
「え?」
「どうにも、パパにもママの心は分からない。そういう人だったからね。
……けど、いつか天国に行ってその答えを聞くときのために。優心、いい人になりなさい。それが一番の近道だ」
「うん」
――――――――――――――――――――――――
遠い夜空。
暗い夜空。
黒い夜空。
輝く星々。
「………優心、私が悪かった」
「ちょっと、こっちで本名呼ばないでよね。それと何も言ってないのに謝らないで、もしこっちが悪くてもそれじゃ謝れないじゃない」
「先に謝るな……か。懐かしいな、咲にもよくそう言われた」
月光の存在しない真の闇を否定するかのような星々の灯りの下、大きな獣人と小さな少女が相見えた。
お互いに背中を向け、間に枯れた巨木を挟みながら、同じ星空を見上げている。
「なに、もしかしてあたしにママを重ねてる?」
「まさか、咲はもう少しお淑やかだったよ」
「……悪かったわね、いきなり家出するようなガサツな娘で」
背中越しなのにプイと顔を背けているのが分かったのか、獣人は嬉しそうに苦笑した。
同じく少女もそれを読み取ったのか、むっと表情を作った。
風が抜けるが、二人の心はそれを感じない。木々だけが俄かな闇にさめざめと音を紡ぐ。
「悪くはないさ、それは咲には無かった長所にもなるからね。……ああ、その意味でこの家出も悪くない。1ヶ月も家出してぴんぴんとしてるのはある意味才能だよ」
「それ、褒めてない」
「ああ、怒ってるからね」
ハッ、と息を飲んだ。
口調はあまりにも穏やかだけど……パパから『怒ってる』なんて単語を聞いたのは生まれて初めてだった。
そして真実、パパは怒っているだろうから。
初めて感じる感覚に痺れるような胸の痛みと慙愧、そして湧き上がってくる熱さを抑えられない。これが反省と後悔の痛みなのだろうか。
―――そっか、パパでも怒ってるんだ。
「奈々々、黙って家を出るのはせめて成人してからにしなさい。私が悪い部分もあったのだろうけど、15年間君を育てた報酬にしてはあんまりな仕打ちだとは思わないかい?」
―――よかった、怒ってるならやっと言える。
「……ごめんなさい」
「あ、いや。……参ったな、素直でよろしい」
どんな反撃が来たものかと身構えていたパパは一番予想外の反撃を前に慌てていた。
けどこれぐらいは当然の報いなのだ、子供を従わせたかったら叱るのが一番、なんて当たり前のことを忘れていた優し過ぎるパパへの叱咤なんだから。
それに……こんなときぐらい、一番言いたかった台詞を言わせてくれてもいいじゃないか。
ごめんなさいなんて、こんなときじゃないと言えないんだから。
「………」
「………」
魔法のような一言で呆気なく事件が収まってしまい、その場を急速に無言が冷やしていった。
なんとなしに頭上で煌いている星空を見上げる。
それは現実世界で見える星空を参考にして創ったテクスチャなのか、何処か見覚えのある星の配置になっている。
一つ、二つ、……数えられないぐらい沢山の星。その中に……
「ねぇ、こぐま座の話って覚えてる?」
……一際明るく輝く北辰の星(くぎ)を見て、奈々々は呟いた。
「覚えてるぞ。小さい頃せがまれて何十回と話したからね、いや将来天文学の博士にでもなりたいのかと思ったよ」
「何十回? うわー、そりゃ覚えてるはずね……」
「まぁ、桃太郎を何度も読むのと同じだ」
「……こぐまの尻尾には釘が刺さっていて、それが抜けないからおおぐまは心配でいつもこぐまの周りをくるくる回ってるんだっけ」
「そうそう。本当はもっと厳密な神話があるらしいけど、私はこの話が好きだな」
咲に教えてもらった話だから、と呟くパパはいつに無く惚気てる。やだやだ、いつまで経ってもバカップルなんだから。
……けど、そんなだからこそあたしも微笑んでいたのだと思う。
この話にはそんな優しさが詰まっていたからこそ、お気に入りだったのだ。
「けど、この話って絶対にこぐまとおおぐまは触れ合えない、悲しい話だよね。なんかその結末だけがいっつも納得いかなくて、あの釘を抜きたかった……」
「ふむ、……だがそれは間違いだよ奈々々。物語には意味があるから、けっしてその内容は変わらない」
「む、昔はそんなこと言わなかったくせに……。パパはロマンがないなぁ」
ほんの少し非難を込めて言うと、パパはそうかもしれないと頷いた。よく言う、あたしなんかよりよっぽどロマンチストなくせに。
昔はけっして口にしなかったその否定を咎めようと巨木を回ってパパの隣に座った。
パパはずっと夜空を見上げていてあたしの方には振り向かなかったけど……その大きな手の平だけが、当たり前のように頭の上に被さった。
静かに、星の意思が紡がれる。
「この話から釘を抜くことは出来ない。何故なら、あの天空の親子は自分達は永遠に触れ合えないからこそ、私達のような地上の親子は触れ合えるのだと語ってくれているのだから」
その手を、しっかりと握り返した。
(続く)
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……遅れまくってほんとーに申し訳ない、と言うあとがきの始まり方も芸がないのでこの辺りにしておきます、はい。
前々回のあたりから書こうと思ってパソコンの前には座るのですが、書いては消して、書いては消して。ぬわぉおぉっと何度叫んだことか。
スランプではなく一皮向けた物書きになるための一つの試練だと思いたいところです。
さて、今回は星と親子の話ということでいつもとは毛色の違うものを目指したのですが如何だったでしょうか。
実は大昔にプラネタリウムで聞いた話が元ネタだったりします、何事も経験と記憶、何が役に立つか分かりませんね。
次回からやっとメインヒロインと主人公の話になります、やっと。
また苦心することは目に見えてますが、忘れずに居ていただけると嬉しいです。
それでは、長々とお付き合い頂きありがとう御座いました。
因みに北辰とは北極星のことです。