夢を、見た。
内容は『己が鳥となって大空を舞うこと』どこぞのゲームではないが、ありきたりな夢だ。
人間は空を飛ぶことを夢見ると言うが、どうやらそれは俺にも当てはまったらしい。
どうせなら宇宙でも見てみたいと思ってたはずなんだが、現実の俺は思ってたより謙虚だった。
ただ、思い切り気持ち良かった。
この身で風を切る爽快感、想像以上に偉大で強力な風の力、それを確かな友にする翼、ともすれば地球に吸い寄せられてしまう冷やりとする感覚。
夢に感覚があるとはおかしな話だがそんな夢だったのだから仕方がない。そもそも人の夢を見たことがある奴なんていないんだ、俺の夢は飛びきりリアルに出来ていたのだろう。
だから、その時ばかりは夢に夢中になった。
ほら! 雲はあんなにも真っ白なのに、近付いてみるとこんなにも透明なんだ。
ほら! 遥か足元を泳ぐ豆粒みたいなフェリーなんかより、俺の方が断然早い。
飛べる、飛んでいる。
どこまでも空という空間を泳ぎ渡ることができる。
飛べる、飛んでいる。
どこまでも、どこまでだって。空に壁なんてないから………
ああ、あんなにも天が近い。
翼が届きそうだ。
ならば一度くらい天国まで羽ばたいて、あいつに――――
――――――――――――――――――――――――
<無口な鳥>
――――――――――――――――――――――――
「………をーい、空ーどうしたー? 寝オチかね?」
「……ふぁ? あ、すまん! ちょっと考え事してたみたいだ」
気付けば、先を歩く友人と大分距離が出来てしまっていた。
「……チッ、なんか頭から離れねぇな」
海岸のエリア、空と呼ばれた彼とその友人、ORZ(オズ)の間には線路のように足跡が刻まれている。
……ザザンと小さく波が寄せ、その足跡を洗っていった。
その音に被さるように笑い声が響いた。
「お前が考え事? お前は物事に悩むタイプだったのか、それは意外だ、びっくりしていいか?」
「自分でも驚いてる、驚いてるんだが………テメェにだけは言われたくねぇーーっっ」
空はスターティングスタートで思いっきり駆け出し、即座にORZ(オズ)との距離を消化する。飛び膝蹴りの構えだ。
紅い帯を締めた道着姿の拳術士……ORZは笑いながらそれを待っていた。
失礼な事を言った友人に天誅! ……は、パシンと、受け止められる音に終わる。所詮は撃剣士の蹴りである。
「ほっほ、何を言うか、俺様ほど思慮深く憂いに満ちた聖人君子はこの世に2人と居らぬぞよ?」
「自販機の前を通るたびに屈んで小銭探索する聖人君子なんて俺は認めん、認めんからな」
「ホホ、アレは生き残る為の仕方無しの行為。見なかったことにしてたもれ」
「一緒に居る俺の立場も考えろっ! 通行人の目が痛くてたまらネェ……てかその口調むかつくから止めろ」
ギリギリと蹴り上げていた脚を引き、溜息をつく空。
彼とORZは仲がいい、というのも空はORZとはリアル繋がりの友人関係であるからだ。悪友と言う奴である、しかも事あるごとにクラスが一緒になり続け何の因縁かそれがはや10年も続いているという、因縁というかもはや呪いに近い縁がある。兄弟とすら言えるかもしれない。
そんな彼らがここに居るのは理由がある。
彼らはいつものノリで「ヒマダー」……と街中をブラブラしていた所、電気屋の店頭に並んでいたあるゲームを見つけた。
それが『The World』だった、ということだ。
……「暇ならこれ、やってみるか?」……と。
今日はレベルを2桁にするために2人でレベル上げに来ていたところだ。
エリアは初期の初期、半島のようなデザインの初心者向けの海岸のエリアである。
……が、しかし。
見ての通り会話に花が咲いてしまい中々どうして、レベル上げははかどっていない様子である。そしてこれからもはかどらないだろう。
ここは楽しそうだからよしとするべきなのか。
彼らはこんな調子で要領の悪いレベル上げを続けるのだった。
笑い合い、ボケて突っ込み、時にはドツき合い。
それが1時間。
「……ハァ、ちょっと休憩しようぜ」
エリアに屯うモンスターたちを粗方片付けた後、空は浜辺に脚を投げ出すように腰を下ろした。
「どうした、もう疲れたのか一般人よ。フッ、聖人君子と一般人ではそもそも体力が違ったようだな」
「ああ疲れたよ、主にお前への突っ込みのお陰でな」
同時に、派手な音を立てて巨大な青い剣が地面に突き刺さり、それを見て空の溜息が舞う。
1時間ずっと喋りっぱなしの上に常に大声で突っ込んでいたのだ、そりゃ疲れるってものである。
「それに撃剣士ってなんか戦ってると必要以上に疲れるような気がするよな、こんなでっかくて重そうな剣を振り回してさ」
「まぁそれは確かに分からんでもない。が、マイフレンドよ。その程度で参ってるようではこの先やっていけぬぞ?」
「分かってるさ。そのうち慣れる、……ハズ。あと、呼び方と喋り方を統一しろ、不気味な言葉使いをするな気色悪い」
「統一か……フッ、無理な相談を言ってくれる」
なんで無理なんだろうか?
ヤレヤレと肩をすくめて両手を挙げるORZ、よく分からない奴である。
「無理なわけあるかっ!? というか相談じゃネェ、命令だ」
と、すかさず突っ込む空だったが……疲れが出たのか、そのままばったりと上半身も投げ出した。
全身を覆う青い衣が少しだけ砂浜の砂に埋まる。……彼は上下皮鎧付きの青い服装をベルトで固定している、全身真っ青と言う特徴的な出で立ちだ。
青空と掛けているのだろう、奇抜ではあるがネットゲームでは分かりやすい個性があった方が楽しみやすい。
頭の後ろに手を組んで枕代わりにする空。
顔は天井の空を向く。
眼だけを動かして辺りを見てみれば、一部の不純物(ORZ)を除いて全てが真っ青な青空が目の前に広がっていた。
濃淡のあるコントラストの効いた真っ青な天井は、まるでよくできた宝石のようだ。
よくこの世界は『まるで本物のようだ』と、そのリアルな表現技術を称えられるが。空にとってそれは少し違うように思えた。
例えば、この世界には空を汚す空気汚染がない。
空に傷跡をつける飛行機雲も無ければ青空の美観を損ねる不恰好な雲もない。陽光を遮る高層建築物なんてもってのほか。
不純物を無くし美しくなるよう造られたこの人工物の空は、言わば人の理想であった。……ならば、これは本物よりもよほど美しい空ではないだろうか。
だとしたら……
「………ハァ」
空は空を見上げ、溜息を漏らす。
「なんだ、本当に疲れてるのか? なら今日はこのぐらいにしておくか」
「いや、ちょっと空に見惚れてただけだ。問題ないって」
「世間一般的な解釈では、相棒が行き成り空を見て溜息なんぞ漏らしだしたら『問題ある』のだがな。ま、ええわい、お前がそう言うのなら気にせん」
「助かる」
「なに、長い仲だろう」
だとしたら、この空を飛ぶことが出来たら……どれほど心地よいのだろう。
現実的に考えればPCの行けない場所のグラフィックなど作られていないのだろうが。
この場所から見上げる空はとても美しく……そこから連想してしまう想像の中の空中遊泳は、現実を越えた先の美しさがあるんじゃないかと思えて仕方がない。
「それにしても空を見て溜息とは……フッ、恋の悩みならORZオニーサンに何でも言うがいいぞ。深く広い知識で素晴らしい助言をしてやろう」
「ほう、例えばどんな?」
「例えば告白の台詞はこれだ! 『おお、セニョリータ! 愛しき君! 君のハートをボクの口付けと交換してくれないかい? お望みならボクの全てを君に捧げてもいい。ンマッ』……さぁ、これを言うのだ!」
………。
「……今日の晩飯なににすっかなー」
「のぅぁぁぁぁつ、突っ込め! 突っ込んでくれ空ぁぁぁぁああ!!!」
寝転がりながらORZの台詞をかるーくあしらい、……寝ぼけた頭を振るう。
休憩はこのぐらいでいいだろう。
巨大で重そうな青い剣を引き抜き、空は鎧に付いた砂を打ち払って空は立ち上がった。
そして何事もなかったように跪いているORZの肩を叩く。
「休憩終わりっと! 悪ぃな、次はどこ行く?」
「うむ、それなのだがな。……このエリア、どうやらダンジョンというおまけ付らしい。どうだ?」
ORZは一瞬で立ち直った。慣れた反応である。
「ダンジョンかぁ……それもいいけど厳しくねぇか? 俺ら回復スキルなんて持ってないし、ダンジョンって一回り強い敵が出るんだろ」
「フッ、浅はかな考えだな一般市民よ」
「だからその呼び方は止めろっつの」
「カッカッカッ失敬失敬! 回復だがな、我々に無ければ持ってる者を呼ぶのが道理だろう? 幸いパーティには一人分空きがあり……」
目線をチラッと海岸沿いの岩場のほうに向け、ORZはハードレザーグローブに覆われた右手の親指をそちらに向けた。
空がその方向に眼を向けてみると……そこには、いつの間にか人影があった。
女性PC……だろうか、スカートを履いているようなのでそうだろう。それに風に泳いでる長い金髪が印象的だ。あれで男だったら逆に訴えたい。
胸には長い棒のようなものを持っている、なるほど、あの形は呪杖だった。
「……あそこにおわすのは、呪療士だとお見受けしたが、どうだ?」
「OK、つまりだ。ナンパしよう、そう言いたいんだな?」
「うむ、流石俺の相棒だ! ナンパとは心得ておるな! この際中身が明らかに男でも目を瞑ろう、俺達は夢に生きるのだ、ナンパは夢なのだ!」
さり気なく『俺達』と言い切るORZ。空はそれに「はいはい」と慣れた返答をしつつ、海岸沿いの岩場に佇む呪療士の元に歩んでいった。
赤帯の道着姿のORZもそれに並んで歩く。
ナンパするために。
まぁ、それもThe Worldの一つの楽しみ方であるのは間違いない。
この世界に海を象ったエリアは沢山ある。
孤島のようなエリアもあれば広い海岸のようなエリアもあり、また海の底というシチュレーションのエリアすらある。開発者がよほど海のグラフィックを作ることに苦心したので使いまわしているのだろうともっぱらの噂だった。
そこはそんな海を望めるエリアの一角。
砂浜も途切れ、人を寄せ付けぬような大岩が網目のように海に沈んでいる岩場である。たまに気を利かせてカニのモンスターなどが出現する場所だ。
そんな海草と藤壺の付着した面白みのない岩の一つに、彼女は腰掛けていた。何もすることもないのか大きな黒い岩の上に座り込み、呆と長い金髪を潮風に泳がせている。リアルならば髪を傷めるところだ。
波と共に風が流れ行く。
……彼女は、何をするでもなく……ただ空を見上げていた。
その姿勢は先ほどの空に似ているが、彼女の場合徹底している。何しろ空が声を掛けても、ORZが大声で叫んでも振り向きさえせず……天空を望み続けているのだから。
人形のようなPCだった……その眼はとても空ろにさえ見える。ただ、時折波を見て体を動かしているから、AFKではないらしい。
声を掛けるのを諦めて空が両手を腰に当てる。
「なんだありゃ……ひょっとしてNPCだったか?」
「いや、装備からしてPCだろう。ほれ、クリックするとちゃんとメニューが出るしパーティ申請も出せた」
「……なるほど。ただまぁ、あの様子だと返事は期待できそうにないけどな」
やはり返事は来ないと聞いて、空は岩場をひょいと飛んで渡り、彼女の方に歩んでいく。
直接面と向かって交渉に行く気なのだろう。
「しつこい男は嫌われるぞ?」
「嫌われるのは慣れてるさ」
……なんとなく、イヤだったのだ。
確かにソロという遊び方もあるがこのパーティ推奨のMMOで誰とも関わらないで遊ぼうというスタイルは、空にとって解せないものであったから。
お節介かもしれないが、黙っている奴ほど話しかけたい。それが空である。
無論、相手はただ警戒しているだけなのかもしれない。
治安が悪いのは知っている。この世界で人を信用しすぎるのはバカのすることだ。
でも、この世界に来るからには必ず……誰かを求めているはずだから。きっと話せば理解してくれる……ハズ、なのだ。
空は、その空を見上げている金髪の呪療士の隣にまでやってきた、近くで見ると予想以上に人形めいた綺麗さがあってドキリとする。
太陽にかざせば透けてしまいそうな薄金の髪はとても柔らかそうに見えた、それは結われてもおらず、ほんの僅かな風でさえその髪を宙に流した。
いぶかしむ様にこちらを見るトルコブルーの薄い瞳には、表情の割りにあまりにも力がない。まるで意思など感じさせないような……この行動ですら小動物が 身を竦める本能的な動作に見える。
些(いささ)か失礼ではあるが、そう思ってしまった。……まるで彼女は、翼を?(も)がれた鳥なのだと。
白いブラウスに桃色のリボンが胸の辺りで結ばれている……空色のスカートが薄金……月色の髪によく映えていた。
ただ、圧倒的に儚い雰囲気が……全てをまるで薄手の羽衣のように見せている。
巨剣のせいでバランスを取るのが難しいらしく、岩場の上で少しぐらついた。心までそうなのだろうか。
さて……と少し思案する。来てみたものの上手い話術を心得ているわけでもなく、話題に困った。むしろいつもORZとつるんでいたせいで女性と話すのは苦手である(本当に女性ならばだが)
何か、何か喋らなければ……そう思い。
「……空、好きなのか?」
そんな言葉が出てきた。
我ながら安直だと苦笑する。普段は饒舌な癖にこんな時ばかり口下手になるのはどうだろう、空は己の口を恨んだ。
「……空は、好きや」
ただ、それでも喋ろうとする努力は報われたらしい。
いままで二人に見向きもしなかった彼女はまるで『空(そら)』と言う単語にだけ反応したかのように、空に顔を向けた。
意外にも、関西弁。
ただ、声は波の砕ける音に消え入ってしまいそうなほどに小さくか細い。……まるで人見知りする子供が始めて口を開いたかのような言葉だった。
「奇遇だな、俺も空は好きなんだ」
「………」
が、それ以降返事はない。
「な、なぁ、良かったら一緒にパーティを組まないか? 丁度回復役が足りなくて困っててさ、助けると思って入ってくれるとスゲェ嬉しい! ……ダメ?」
「………」
それどころか彼女は言葉など聞こえていないようにゆっくりと顔を空に向けなおし、そのトルコブルーの瞳に同色の空を映した。
そしてやっと口を開いたかと思うと。
「ええと」
「………ダメ」
「そ、そうか。悪ぃな邪魔して…ウザかったろ、すまん、それじゃな」
単純明快でグザッと来る返答に若干笑みを凍らせつつも軽く頭を下げる空、変なところで律儀な人間である。
「ウザ……? なんやそれ」
「ん? あ、いや。なんつーんかな。うざったらしいとか、邪魔臭いとかそんな意味の言葉だけど」
「そうなんや……なら、それ違う。別にウザくない、今は他にやることがあるだけやから」
やはり律儀に説明する空に、彼女は空を見ながら答えた。よく分からないが、別に悪意はないと言いたいらしい。
ウザいを知らないとはそれなりに年配だったのだろうか?
掴み所がまるでないが悪い奴ではない……のかもしれない。どちらにせよ「眼中にない」と断言されたようなものだが。
「ふーん? あ、ならまた誘ってもいいか?」
「気が向けば……」
「OK! 十分だ! ハッハッハー、それじゃまたなー!」
ブンブンと手を振ってその場を後にする空。無駄に明るいあたり、本人は否定するだろうがやはりORZの友人である。
残された少女は一瞬不可解そうな表情をしつつも、またすぐに人形のような表情と仕草に戻っていった。
まるで空を望むことが、何よりも大切だとでも言うかのように。遠い瞳で空を望み続けている……それはまるで、空を失った鳥のようだった。
帰還した空の肩をORZが叩く。
「……失敗だが大失敗ではない、といったところか。腕を上げおったな相棒よ」
「ま、まぁな」
そしてにっこりと笑い。
「……丁度アイテムも尽きておる。どうだ、回復なしのダンジョン特攻にでも行こうではないか? なに、男二人遠慮することなど何もない、玉砕するのも遊び方の一つであろうよ。気晴らしをするにはよかろ」
結局そうなるのか、とガックリ肩を落とす空。……その姿勢で親指だけ上げて了解の意を示す。
ナンパは失敗に終り、結果がこれなわけである。
クリアするのは厳しいが、最初のうちはこのぐらい苦労してこそプレイヤースキルも上がるというもの。
まぁそれもありだと。
砂浜を少し登ったあたりにある洞穴のような入り口を、青い撃剣士と、白い拳術士が潜っていく。
……その後姿を、空色の瞳が見つめていた。
そこは、鍾乳洞を模したダンジョンだった。
ぴちゃりぴちゃりと天井から滴る地下水が地面に滴り、そこかしこに水溜りや鍾乳石を造っている。
鍾乳洞ではあるがやたら広い上にしっかりと道になっているのは大人の事情なのだろう、こういった縦への空洞の多い地形をカルスト地形と言うらしいが、大人の事情でちゃんとダンジョンになっているのだった。
中では蛍のような光が幻想的に舞って証明になっている。たまに転がっている骸骨などを蹴るとチムチムの光もその中に混ざった。
迷いやすそうだが意外とモンスターは少ない構造のようだ。
これなら何とかなる……と、二人がそう思いながら地下二階へと続く下り道に足を踏み入れようとしたその時である。
「そこ行くいかにもモテなさそうな男ニ匹! こっちを向け!」
背後から、なにやらヒジョーに失礼な声を掛けられた。
甲高く子供っぽい声だった。
ピクリ、とORZが反応した。
「待たれよ、何のつもりか知らぬがそいつは誤解だ!」
「おう、行き成りモテないとはご挨拶だな」
「モテないのはコヤツだけだっ!!」
「おいっ」
激情するかのように吼え猛るORZに華麗に肘打ちを決める空。
それはともかく、彼らが振り向いた先には………あれ? 何も居ない?
「ここよ、ここっ!」
ああ、と目線を下げてみると何かチマいのがいた。
二人ともPCの身長を高く設定してるので気付かなかった、胸辺りの高さの少女が割りと近くに立っていたのだ。
黒紐でツインテールにした赤髪が印象的な丸っこい紅い瞳をした少女で、ジョブは双剣士らしい。なめし革の鎧で武装しているのは勇ましいがどう見ても第一印象は女の子版一寸法師だった。
彼女はようやく目線が合った事を確認すると、鋭い手捌きで二本持った竜を象ったレイピアの内片方を二人に突きつける。その動きは……あくまで本気だった。
それだけで場に緊張感が走る。
「さぁ、あたしといざ尋常に勝負だ!」
「……なんで?」
「なんでじゃない! あーもぅ調子狂うなぁ〜、……いい? よく聞きなさいモテなさそうな二人! あ・た・し・が・P・K・だ・か・ら・だぁっ! ピーケーッ!」
ぜいぜいときっぱりと言い放つ少女。
本人は大真面目だが心なしか緊張感が薄れていった。
「……ああ、なんだそうだったのか! いやー、そうかなーとは思ったけど初めてなんでちょっと迷ったぜ、ハッハッハ」
「いやはや、我らもついにPK殿に狙われる身分となったのだなぁ。成長した証ということか、これは目出度い! アッハッハ」
「和むなぁっ!!」
がぁーっと叫ぶ少女、だがその突っ込みは今一届かない。
あまりにも突っ込まれ慣れた二人であった。
むしろ喜んでいる、いや楽しんでいた。これだけレベルが低ければデスペナなんてへのかっぱということだろうか、いやよく分かってないだけだ。
少女はワナワナと美しいレイピアを振るわせる……よく分かってない二人に対して少女のレベルはかなり高そうだった。
「あーもう、これだから初心者は……! とにかく、あたしと勝負しなさい!」
「フム、ちゃんと待ってる辺りに武士道を感じた。良かろう! このORZ、この赤帯にかけてその勝負受けて立とう!」
「赤帯? なにか意味があったっけそれ?」
「気分だ!」
無意味に赤帯を締めて胸を張るORZ。日々をノリだけで生きる男。
「ちょっとそーいう裏話はパーティチャットでやってよね! …やる気削げるなぁ」
「悪ぃ悪ぃ、まだ慣れてなくてさ」
「フン、だからって容赦はしないからね。巡り合ったが最後、真剣勝負あるのみ! ……行くぞぉっ!」
このまま話し込んだら埒が明かないと思ったらしく少女は苛立ちを込めて踏み込んできた。
「イッ!?」……その速さに驚愕する空、その体は何の反応もする間もなく無防備な腹を斬られて沈む。それは小さな体に似合わぬ華麗な一撃。
武器を構えることさえ追いつかなかった。
いや、散々勝負だと言われていたのに武器さえ抜かなかった愚かさが身に祟ったのだ。
空は表情を驚きで固めたまま、水溜りの中に倒れ伏した。
「……? なに、撃剣士が一撃ぃ? 二人で此処に来る割には手応え無いじゃん」
「うむ、我々はダメもとで遊びに来てただけであったからな」
「……ハズレってこと? ……ハァ、まぁいいや、戦うからには勝つだけなんだから!」
再度、今度はORZへと素早く踏み込む、それはしなやかに跳躍する猫のような動き。
しかしそこは動きの速い拳術士、一度見ていたお陰か少女の一撃は空を切り……
「フッ!」
そしてほぼ同時に袈裟を狙ったもう一つの剣は十字に構えたハードレザーグローブに止められた。無論、甲には鉄板が付いている。
「レイピアは斬る物では無いぞ?」
「あんた達にはそれで、十分っ!」
引き戻したもう一本の剣の一撃を辛うじて避け、その勢いで大きく後ろへと跳ぶORZ。……風圧で道着の端が切れた。
受けただけだというのにHPは大きく削れている、……これがORZの得意とする3D格闘ゲームならまだ挽回もありえようが、ガードだけでこれではORZにもどうすることも出来ない。
冷や汗が、その情け容赦なく跳ねまくった癖毛の間に流れる……。
因みにORZが道着姿なのは某対戦格闘ゲームの影響である。
「参ったな、お嬢さんには勝てそうも無い。白旗を揚げたいのだが認めてもらえぬか?」
「フン、却下。倒さないと撃墜数にはカウントされないもん」
降伏の提案は1秒もせずに切り捨てられた。
「それは残念。……聞いたかモテない男よ! 無理そうなんで俺様負けるわっ」
『モテないって言うなっ!! まぁ確かに、悔しいけどレベルが違いすぎるし時間の無駄……と言いたいところだけどさ。けど、すまん、最後まで足掻いてみてくれねぇか?』
「ほう、それはまた何故だ?」
『画面の下、見てみろよ』
「………なるほど、それは確かに」
パーティチャットを閉じ、ORZは静かに両手を胸の位置で開いて構えた。
足は肩幅、膝は深く曲げ地面と一体となるような動き……。
「降参するんじゃなかったの?」
「そう思ったんだがな、ちと用事が出来たのさ」
答えを聞く前に鋭く剣を振りかぶる少女を前に、ORZは口元を歪めた。
「フッ、一つだけ俺様がお嬢さんに勝っていることを教えてやろう」
また、紙一重。低く構えた足は左右に雷撃の如く踏み出すための布石であった。
劣るPC性能で辛うじて一撃を避けたORZは"背中"を斬られつつも若干の間合いを取ることに成功した。
そう、敵に背を向けたのだ。
瞬間、全速力で地を蹴りスターティングスタートで猛ダッシュをかます! 振り返るそぶりなど全く無い!
「それは逃げ足だ! 少年時代にスカートめくりで鍛え上げた逃走術、貴様には敗れまいっ!」
「なっ、スススカートめくりぃっ!?」
『恥ずかしいから真ん中の台詞は言うなぁっ!!』
フハハハハ! なんて叫びながらピョンピョンと逃げ回るORZ。その動きはまさにあの憎たらしい黒い悪魔のようだった。
額に怒りマークを浮かべながら追う少女は、速さでこそ勝ってるもののその巧みなフェイントと奇怪な動きを前に攻撃を当てきれない。
圧倒的なハエ叩きの力を持ってしてもあの悪魔は中々捉えられないのと同じ原理である。
ましてや此処は鍾乳洞、逃げ隠れやフェイントに使える場所などいくらでもある。
ORZは、逃げることだけは天才的だった。
「ああっ、もう! ムカツク!! なんなのアイツ!」
『言えない……。ただの変態だなんて、言えない……』
「相棒よ、さり気に酷いことを言うな」
ただ、ORZの逃げ足もそう長くは続かなかった。
少しでも掠ればダメージは大きい上に、回復アイテムなど当の昔に使いきってしまっているのである。
PKと公言するだけあって少女の腕もけっして悪いわけではなく、確実にORZの動きに慣れては追い詰めていく。
その状態で5分近く逃げ回ったことは賞賛すべきだろう。
ただ、そこまでが限界だった。
「ハァ、ハァ……やっと、追い詰めた。よくもこんなに逃げ回ってくれたね」
「フッ、逃げることだけは大得意なのでね。ああ、でもそれも此処までよ……。ああ、せめて最後にお嬢さんの名前ぐらい聞かせてはくれぬか? このままでは浮かばれん」
「あたしの名前? どうしよっかな……あんたに教えるとロクなことにならない気がするんだけど………ま、いいや。あたしは奈々々(ななな)、未来のカオティックPKだ! よーく覚えとけ!」
「カオティック……? ハッハッハ、俺様一人捕らえられぬようでは未来への道のりは遠そうだな!」
「うるさいっ! 確かにあたしもそんなにレベル高くないけど……けど、絶対カオティックPKになるんだ! 絶対だ!」
緋色の髪を揺らし、激情と共にORZへと斬りかかる奈々々。
とっさに身をかわそうとするORZだが流石に袋小路に追い詰められていてはそれもままならない。
閃く二本の銀閃が今度こそ確実にORZの首をかき切る、……そう思ったその時である。
「……リウクルズ」
「なっ」
激しく踏み込んだ奈々々の足元の水溜りが弾け、そのまま渦巻く鉄砲水となって奈々々の体を弾き飛ばしたのは。
かなりレベルの高い一撃だったらしく、不意打ちを受けたその体が鍾乳洞の湿った壁に叩き付けられた。
「クァッ……だ、だれ? あたしの邪魔をするのは!」
「………」
受身も取り損ねたために若干立ち直るが遅れたが……その過程に大きな瞳だけはキッと開き、邪魔を入れた第三者の顔を睨む。
その先には……。
薄金の長髪を石灰石に濡らさない様に注意して歩いている呪療士の姿があった。
だが、どんなに奈々々が叫んでも睨んでも全く反応しない。
相変わらず人の言葉にまったく反応せず、我関せずと言った風に倒れている空のほうに歩み寄っていく金髪の呪療士。白いブラウスが暗い鍾乳洞の中で否応無しに目立っていた。
そして彼女は空の胸の辺りに呪杖をかざし……。
「……リプメイン」
「あ、さ、サンキュ」
と、小さく唱えた。
先ほどまで動かなかった空の体に一息で活力が戻る。
「フッ、俺様が時間を稼いだお陰よな。君もナイスタイミングであったぞ! よもやあのタイミングでパーティ申請メールが受理されるとは思っておらなんだが、粋なことをする」
「気がむいたんや」
「……オッケー、助かったぜ。これで何とかなるかもな」
奈々々が弾き飛ばされたと見てすかさず駆け寄ってきたORZが合流する。
そう、降参しようとしていたあの時パーティメンバーが増えたのだ。だからああして時間を稼いだ……。
ORZはともかくこの少女……メンバーの表示によると『ニア』と言うらしい、彼女は現状打破できるだけのレベルがあったのである。
「ちぇ……呪療士がいたなんて、めんどくさいな」
「フッ、逃げても良いのだぞ?」
「むぅっ」
一方、すぐに体制を立て直した奈々々の方は攻めあぐねていると言った感じだ。
強さで言えば明らかにニアよりも強いが、前衛に鬱陶しいのがいるのである。時間を稼がれている内に魔法で攻められたら流石に奈々々でも厳しい。
彼女は武器に資金を注ぎ込んでいる反面防具は安物なのだ、物理防御力はあるが魔法に対しては殆ど無防備なのである。
だから……取る道は一つ。
彼女は、渋々と後ろに一つ歩んだ。
「だ、誰が逃げるか! ……こ、これは戦略的撤退だ! 撤退なんだからな!」
そしてそのまま、尾を引くような動きで来た道へと走っていった。
紅い、小さな人影はすぐに見えなくなる。
「フハハハ、これぞ……モガガガッ!?」
「はいはいお前は黙ってろ、せっかく帰ってくれるんだから。戻ってきたらどうする」
「ォモガガガーガーッ」
ORZの口を塞ぐ空を見て、ニアは首をかしげた。
口を塞ぐと言うよりは首を絞めてるように見えたからだ、いやむしろ羽交い絞めにしている。
「……ええの?」
「ええの、コイツは喋れないぐらいで丁度いい」
「モッガモガガーゴモガガッ」
語弊である。喋れなくてもうるさかった。
しかも腕の中でかなり暴れる、が筋力で言えば撃剣士の方が強い。羽交い絞めは解けない。
空はもう一段階力を込めて、改めてニアに向き直る。
「とにかく、さっきはありがとうな。いやほんとどうなるかと思った」
そして素直な笑顔を向ける、それは当たり前の「ありがとう」だったのだが。
ニアはそれを見て……何故か酷く珍しいものを見たような、恥ずかしがっているような表情を見せた。が、すぐにそれも消える。
「パーティ組んだんやから、あれくらいは当たり前。……でも、よかったん?」
「何が?」
「ウチと、パーティ組んで。……ウチ、喋れへんし、変なやつやし」
ふむ、と空は腕を組み。
親指をORZの額に突きつける。
「慣れてる」
「せやな」
「納得するな貴様らっ!?」
……そのとき、初めてニアが笑った……ような気がした。
その後の探索はニアのフォローによって順調に進み、無事に神像のアイテムも取得することが出来た。
そしてそれ以降、今まで二人組みだったメンバーにもう一人、いつものメンバーが加わることになった。
ただ、それが。
二人にとって重要な出会いになるとは、まだ思いもしなかった。
ダンジョンを出た直後、いきなり巨大な影が三人の前に立ち塞がった。しかも毛むくじゃらだ。
モンスター! ……ではないらしい。
何かと思って見上げてみれば、そこには2mは軽くありそうな巨大な獣人の鎌闘士の姿があった。
体毛なのか顎鬚なのか良くわからない実にダンディな顔をしている。ついでに言えばイカすサングラスらしきものまでつけていた。
「もし……君たちに質問がある。私はPKKであり、一人のPKを追っているのだが……このぐらいの、背の低い赤髪の双剣士を見なかったか?」
「このぐらい? ああ、それ奈々々のことか?」
空がさっき中で見たぜーと答えるとその巨大な獣人は驚きの表情を浮かべた。
「なにっ!? それは本当か! こうしてはおれん……!」
「あ、ちょっと待てよっ!?」
もう逃げちゃっていないから……とは間違ってもいえない雰囲気を纏って、その獣人はダンジョンへと豪快に走っていった。
「なんだったんだ。……まぁ、PKKにもいろんなのが居るんだな。物好きっつーかなんていうか」
ま、いいや。と。
空たちは再び歩みだした。
<つづく>
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……なんか、なんか物凄い難産でした。
何を思ったのか『よし、今回は恋愛シュミレーション風味でいこう!』なんて思いついて書き出したのですが、いざやってみると『……それってどんな風味?』と思ってしまい、意外と難しかったのです。
ただ、無駄にキャラだけは濃くできたという自信は御座います。
2,3続きが御座いますので、上手く台詞主体で引っ張って行けたらと思っています。