……本当に牢獄にでもしたかったのだろうか?


 インターネットの使用を禁じられたのは、一ヶ月ほど前の話だった。
 即ち、私がThe Worldを止めて一ヶ月。
 禁じられた当初は反発もしたけど、無駄に終わって1ヶ月も経てば落ち着いてしまう。
 私は今現在、三十回目の満たされない紅茶を飲んでいた。
 誰かさんのことを考えながら。




 相次ぐウィルスの被害や意識不明者の頻出を見て、お父様が回線を封鎖したらしい。
 おかげで無人島の住民のようになってしまった、なにしろ、この屋敷にはテレビやラジオすら存在しないのだから。
 全ての情報から隔離された屋敷、まるで絶海の孤島。
 ……何を考えているんだろうか?
 お父様の真意は、結局のところ分かっていない。表面的には。
 けれど私は薄々分かってはいた。
 壱狼……彼との接触が、お父様の耳に入ったのだ。
 お父様は自分の気に入った人間しか認めようとしない、だからきっとそのせいで――

 ――落ち着いたとはいえ、思考はいつも同じことを考えている。

 そしていつもと同じように、愚痴を零した。

「過保護にも程があるでしょうに、そう思わない? 沢松」
「そうで御座いますね。ですがこれもお嬢様を思ってのこと、と存じております」

 何度目かの、同じ台詞のやりとり。
 執事のこの苦笑も晴れて三十回目だ。

「……それでも、やりすぎよ」

 ――これ以上執事に当たるのも可哀想だと思い。適当なところで、沢松に退室を促した。
 沢松はいつものように礼儀正しく頭を下げると部屋を出て行く。その表情には憐憫が浮かんでいたように見えた。
 静かな足音、それもやがて広く長い廊下の果てに消えて行き。
 残ったのは半分中身が入ったティーカップと、満たされない私の心だけ。
 スーツの後姿を見送って溜息をつく。
 この現状はなんなのだろう。
 足りない、何かが決定的に足りない、そんな気持ち。
 例えるなら、この胸を形作っている大切なピースが一つ、抜け落ちてしまったかのよう。 
 きっと飲んだ紅茶もそこから零れてしまうのだ、だからどんなに美味しい紅茶を飲んでも満たされない。
 ずっと、ずっと、何かが、足りない。
 ネットが無くなっただけでこれだ。私はいつから廃人になったのだろう?
 紅茶の香りを楽しむのを忘れ、私は優美な窓から空を覗き上げた。

「壱狼……どうしてるかしら」

 ふと……あのメガネをかけた白衣の狼の姿が目に浮かぶ。
 何も出来ないまま、会えなくなってしまったPCの顔を思い出す。
 その記憶(ピース)を。
 狼の獣人なのに白衣なんか着てメガネまでかけてる、へんな呪療士の顔を……。
 頭が良さそうで、凄く悪くて。
 それでも一緒に居ると凄く楽しくて、私が助けてあげると子供のような笑顔を浮かべて。
 ……挨拶も、出来なかった。
 何も出来なかった。

「私が、居なくなって……」

 悲しんでいるだろうか?
 怒っているだろうか?
 ……それとも、さっさと忘れて別のPTを組んで遊んでるだろうか?
 コトリ、とカップを置いて呟く。
 
「……忘れちゃうわよね。それが、ネットだから」 

 知っている、ネットで人間が居なくなるなんて日常茶飯事のことだから、皆すぐに忘れてしまう。
 彼もきっとその例に漏れないだろう。
 だから私も、忘れるべきだ。
 それが正しいし、それが普通だと思う。そもそも私は庶民と触れ合うことなんてありえない。

――――本当に?

 ……ただ、そう思いながらも忘れきれない私がいた。
 人は、失くしてこそ、失くした物の大切さを知る。
 私も今、噛み締めている。
 彼の大切さを。
 その笑顔の価値を。

 私が、私でなければ……今頃はきっと一緒に笑っていたのに。
 私は何故、こんな別荘に閉じ込められているのだろう。
 何故………。
 カップの中に浮かぶ私の顔は、浮かばれない。

「壱狼……どうしてるかしら」

 堂々巡りする思考に飽き飽きしながらも、やっぱり同じ台詞を呟いてしまう。
 自分は呆れるほどに、『外』という世界に出てみたかった。
 それが私の物心ついた時からずっと持ち続けてきた……『夢』。
 だからこそThe Worldと言う世界での一時は、私にとっては夢が叶う瞬間だった。
 その中で出会った壱狼は、差し詰め白馬の王子様だろうか? ……ちょっと、頼りない上に落馬しがちで剣も持ってなくて馬鹿だけど。
 しかし、その夢からも覚めてしまった。
 深窓の令嬢。
 それが渡し、それが現実(リアル)。
 令嬢……その実態は囚人となんら変わりない。違うのは囚人服を着ているか着ていないかくらい。
 だからこそ、私は『外』に憧れた。
 篭の中の小鳥を演じるのは、もう飽き飽きしていた。
 昔の私ならそんなことは露ほども思わなかっただろう。
 けれど私は『外』と言うものをしってしまった。
 眼前に広がる空に、飛び出したくないわけがない。
 ……それに、恐ろしくもある。
 篭の中の鳥はやがて、飛び方を忘れてしまうのだから。


―――ボーン、―――ボーン、古びた壁時計が鈍い音で響く。


 さぁ、もうすぐ時間だ。
 ヴァイオリンの稽古に行かないと……。













        <本気で夢叶える為に命懸けでクソ頑張って蹴落とされながらも、それを、掴み取る物語>









―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 永瀬晃一 side ――













 日差しがきつい。



 陰から出て10秒もすれば汗がどっと噴出すような、そんな7月の暮れのこと。
 汗だくでクーラーの効いたネカフェに飛び込んだ俺は、いつものように世界にログインしていた。
 シエルが突然いなくなってしまってから1ヶ月。
 俺は性懲りも無く世界に降り立っている。
 彼女がいなくなったからと言って、The Worldを止めるつもりは無かった。
 一浪してる身分なんだからこれを期に勉強に集中するべきなんだろうけど……ここで止めたら、負けたような気がするから。
 それに止めると言うことは二度とシエルと会えなくなることを意味する。
 彼女は何も言わなかった。
 だから、止めた訳じゃないかもしれない。
 そんなほんの小さな希望が鎖となって俺を世界に繋ぎ続けている。
 だってそうだ。
 あの几帳面なシエル先生が「さよなら」を言わないで行ってしまうわけがない。
 ……俺はそう信じていた。
 だから、止めずに待っている。
 この世界で。
 例え待ちぼうけになったっていい、壱狼は今日も世界にあり続ける。難しいことじゃない。

 ……そんなことを思いながら、もう一ヶ月にもなる。
 メーラーは依然、『着信なし』のままだった。


 
 

 そんな風にログインしたのが、つい5分ほど前のこと。
 その時の俺はこんなことになるなんてまるで考えてもいなかっただろう。
 ぶらぶらとレベル上げに草原のエリアに来た俺は………。



「待って下されぇぇぇぇぇっっっ!!!! 一浪どのぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
「待てるかボケェェェェェッッッ!!!! それと一浪って言うな俺は壱狼だぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」



 何故か、追われていた。
 なんか、凶悪なおっさんが凄い勢いで迫ってくる。
 怖い、逃げた、でもぴったり後ろにいる!
 だあああああっっ!! と泣き叫びながら逃げていた、巨石ごろごろみたいな感じに。
 真昼の草原は悲鳴と叫びで染められあたかも、別世界。



「な、なんなんだこの状況はっっ!? 俺のシリアスを返してくれ……っ」



 いろんな意味で。
 背後から追ってくる、危険人物。
 後ろを見れば、ナマズみたいな髭を生やした白髪をベートーベンみたいにカールさせてる初老の男だ。
 そいつから俺は全力で逃げている。エリアに来たらなんかいきなり叫びながら追っかけてきたのだ、そりゃ逃げる。
 目がビカーーッて光ってるのは仕様だろうか?
 そいつから、『うるせーぞ兄ちゃん!!』なんてお隣から苦情が飛ぶぐらい、必死に逃げていた。

 川を飛び越え、岩に隠れては見つかり、木に登ってみればチムチムに蹴りだされ、ともかくありとあらゆる手段を使って逃げた。
 「ひょほほほっ!!」と、すぐ後ろの気配はどれだけ逃げたって消えやしなかったが。

 何で逃げるのかって?
 アンタは、逃げないのか?
 ……ゴスロリって奴だろうか。
 フリフリのピンクのドレスを着て可愛らしくスカートの端を持ち上げつつ、カールルイスも真っ青な恐ろしい勢いで急接近してくる逞しい初老の男がいたら、普通は逃げるよな?
 速い、マジで速い、ちょっと見え隠れしてるスネ毛とかが破壊的な速度を生み出している。
 神よ……俺、なんか悪いことしましたか? したとしても、このおっさんを使者に出すなんて嫌がらせっすか?
 そいつは大きく手を開いて「待って下され〜〜お話がぁ〜〜!」と叫んで迫ってくる。
 凄く怖い。マジで怖い。
 しかも速い、ズッ・ド・ド・ドッッ!! と足を踏み込むたびに土煙が巻き上がるようなスピードだ。
 そんな速度で迫ってくる、フリフリのピンクのドレスを纏った逞しい肉体。
 ダメだ。ありえない。
 アレはとりあえず存在を許されちゃいけない部類の生命体だ――――っ!!

「お願いします、お待ちになって下されぇぇぇぇ〜〜!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」

 ズダダダダッ! と、普段ならありえない速度で草原を走り抜けていく二つのPC。
 一人は白衣の狼、狼のくせに足はトロい。
 一人はピンクのフリフリドレスを着たベートーベンみたいな初老の男、武器がないので多分拳闘士だろう、だから速い。
 導き出される結果。
 5分と言うそれなりの健闘の末。

「ひょほほほ、捕まえましたぞぉぉ〜〜っ♪」

 狼の方が捕まった。
 
「ゲフッ………ああ、俺、なんか悪いことしたっけ」

 背後から踏み倒され、顔面から柔らかい地面に叩きつけられる狼。勢い余ってポーンと飛んで行くメガネ。
 もしかしてコイツ新手のPK? だとしたら心得てやがるぜ、こんなに嫌なPKは初めて見た……。
 ジャイ○ンのように狼の背に踏み立つフリフリドレスのベートーベン。
 わけが分からん。
 
 ……が、とにかくこれ以上ないぐらい俺は捕まってしまったのだった。

 とりあえず死は覚悟した。
 むしろ早くやってほしい、こんなところ誰かに見られたら俺の狼生おしまいだ。
 ヒソヒソと「新手のプレイかしら。やだわ〜」なんてチャットとBBSの噂に上ってしまう光景を思い浮かべ、ゲッソリとする。
 もしそうなったら光の速さで伝播するだろう、ネットの住人と言う奴はこんなネタが大好きなのだから……。
 ……が、そいつはあろうことか踏ん付けながらも恭しく頭を下げた。

「一浪どの、私めは名乗るほどの者では御座いませんが、一つお願いに参りました」

 はい?
 な、なんかよく分からないことを仰ってるぞこの人。
 確かにPKする気はないみたいだけど、人を追っかけまわした末に踏み倒して動きを封じながら言うことか?
 とりあえず、突っ込む。

「いや、お願いに来たんなら名前ぐらい名乗れよ。というか俺は壱狼だ」

 とても、知りたくはないが。

「そうで御座いますか? ならば、気軽にセバスチャンとでもお呼び下さい」
「はいはいセバスチャンな。……で、俺に何の用だよ?」

 よく分からないが取りあえず納得して流しておくことにした。
 世の中には変な人がたくさんいるのだ、ネットでは特に多い、こんな挨拶が普通だって思う人も居るんだろう。
 ……そこで、もう一度そいつの姿を確認してみる。
 セバスチャンと名乗ったそいつは、なるほど、確かに片メガネをつけた紳士な顔立ちと上品な白髪はそれらしい雰囲気をかもし出している。中世ヨーロッパの王宮から抜け出してきたみたいな感じだ。小粋にシルクハットまで被っている。
 顔、は。
 体は無駄に逞しかった。引き絞った無駄の無い筋肉と長い手足、その先にはハードな手甲と金属で補強されたブーツが装着されている。そして、注目するべきはそれを使いこなす肉体を……優美に、華麗に、そして清楚に、包み込むように着こなしているピンクのフリフリドレスだろう。
 食み出した太ももと上腕二等筋がイタ過ぎる。
 そのスネ毛は一級品の凶器だ、間違いない。
 リアルだったら猥褻物陳列罪で絶対捕まる。誰だよ男PCにこんな装備をつけれるようにしたCC社の社員は。……いや、美少年型PC用にデザインしたものかもしれないけどさ。弊害を、考えて欲しかった。
 だがそいつは自分のあまりにも恐ろしい姿に一切気付いていないのか、深刻そうな顔で溜息なんてついていた。

「はい、実は折り入って相談が御座いまして……かねてより人柄が良いと伺っていた貴方様を頼ってきた次第で御座います」
「誰だよコイツに吹き込んだのは……」

 確かに接客業をやってるから人当たりは良いとは思うけど、友人間で評価が高いのは嬉しいけど、けど、けど! こいつにそれを教えるのは色んな意味で嫌がらせにしか思えない。
 俺、やっぱり誰かの恨みを買ってたんだろうか?
 誰だろうとうーんと唸っている最中、セバスチャンと名乗った初老のフリフリドレスは語りだした。

「実は……このPCエディットを直したいので御座います」
「良かった、気にしては居たんだ」

「はい、ピンクではなく、最近の流行はむしろ白と黒のコントラストだと気付きまして」
「………あ、そ」

 自己陶酔したように無駄にポーズを取るセバスチャン。
 目を逸らしたので描写はしない。
 してたまるか、俺はまだ読者を敵に回したくない。
 ああ、音が、音が聞こえる、耳もふさがないと。
 それを見てか、セバスチャンは軽快に笑い声をあげた。

「ハッハッハ、冗談で御座いますよ」
「どこまでがだ」

 なんだか途轍もなく掴み所が無い会話をしているような気がする。
 が、そんなこともお構い無しにセバスチャンは語りを続けた。
 ああ、聞き届けるまで帰してくれないんだろうなきっと。
 セバスチャンは、深刻そうに自分の格好を見下ろし……ひとつ、溜息をついた。

「……実は、この髪型に合うそれなりのステータスを持ったタキシード形の装備を探しているので御座います。現レベルでの最高のステータスを追い求めていったらこのような格好に行き着いたのですが、どうも装備して以来他の方々からメール受信拒否とPT拒否登録をされてしまいましてな。変更した方が良いと思いまして」
「それは、まぁ。実に当たり前だと思うよ」
「分かって下さいますか! さすがは一浪どので御座いますな」
「壱狼だってば」
「ああ、この方に頼って良かった………どうにも、ソロでは良い装備が手に入らなくて困っていたので御座います」

 いや、あの。
 そう解釈しますか貴方は。
 と言うか、物凄い勢いで俺が手伝うことになってないか?
 猪みたいなポジティブ精神してるなこの人。

「まて、そんなの装備変えて誰か別の人に頼めば……」
「そ、そそそそのようなことは致しかねますっ!? 私め、ポリシーとして中世式の鎧型以外の装備しか身につけないと決めております、中世の住民というのがアイデンティティなので御座いますよ。それに……実はシャイで御座いまして。知らぬ人にお声をかけるのはちょっと……」

 どこがだ。
 ああ、なんか頭が痛くなってきた……。
 要約すれば、何が何でも俺に装備品探しを手伝って欲しいってことなんだろうけど。
 全力で断りたい。
 でもここで断ってもなんか大変なことになりそうな気もするし。引き受けるしかないだろう。
 なんか取りあえず困ってるのはホントらしいし、俺を頼って来てくれたんなら無下にするのも気が引ける。
 いやいろんな意味で気が引けるけど。
 けど、シエルがいたらきっと手伝えと言ったはずだ。
 『どんな形であれ、助け合うことが出来るのがこのゲームの面白さだよ』と、昔言っていた覚えがある。
 この場合そういいながら俺に押し付ける気もするけど。
 ……プレイスタイルは貫かなきゃな。「困っている人は助ける」そう決めたのは俺たち自身だ。
 結局それが、決め手になった。
 俺は盛大に溜息をついてから、答えた。

「分かった分かった! 行く、手伝う。……だけどな、一つだけ条件がある」

 引き受けると決めたが、この条件だけは絶対に譲れない。
 「なんですかな?」と首をかしげるセバスチャン。
 若干の怒りを込めて言ってやった。

「その、……背中からどいてくれないか?」

 今までずっと、踏みつけられていたのだった。










―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 天羽美郷 side ――











 一般的に大邸宅、と呼んで余りあるほどの建物の最上階。

「ならんっ!!」

 その上品な作りを根底から砕いてしまいそうな大声が、広い部屋の隅々まで響き渡った。
 思わず控えていた使用人がうっと肩をすくめる。
 その中で、私だけは絶対に怯むものかとお父様を睨み返していた。

「何故ですかお父様! 今の時代ネット環境が無ければ宿題も出来ません、お願いします、もう一度回線を……」
「二言は無い! そのような宿題など無視しろ、儂が学校側に認めさせてやる」

 前と同じように、目の前の最高級のスーツに身を包んだ壮年の男性――お父様の口元はへの字のまま。私の目などまるで意に介していない。
 険しい柳眉は岩のように寄せられたまま固まっていて、その裁判官のような厳格な雰囲気に隠すことの無い怒りを称えている。頑固な額の皺は解けないでいた。
 私は、もう三度目になるお父様との舌戦を繰り広げていた。
 あまりにも立場の違う戦いで、勝つ見込みなんてまるでなかったけど。
 それでも、しつこく食いついていた。どうしても納得が出来なかったから。
 その様子を使用人たちはハラハラと見守っている。けど、何もすることはないだろう、見守っているだけで助けてくれたことは一度も無い。

「どうして……、どうしてお父様はそんなに意地悪なんですかっ!? 外出は出来ない、ネットも出来ない、服も食事も趣味も友達も親友も将来も結婚相手でさえ選ばせてもらえない! 私は人形ではないんですよ!」

 もう我慢できない、そんな意思をありったけこめて叫んでいた。
 十八年も黙って人形をしていたけど、それはもう嫌だと、叫ぶ。
 飛びたくて仕方が無かった。
 私はと外というものに触れて、飛び方を思い出した。
 篭の中の鳥なんて、もう嫌だった。
 壱狼のように、自由になりたかった。
 だから、私は最近溜め込んだ火山が爆発したかのようにお父様に噛み付いている。
 誰一人として歯向かう者の居なかったお父様に、初めてゴマすり以外の言葉を叩きつけている。 

「意地悪ではない、お前は『特別』なんだ。儂は一つの親としてお前を正しい方向に導く義務がある、少しでも毒気のあるものは排除して然りだろう」
「毒を知らなければ何が綺麗かなんて分からないじゃないですかっ! 温室で育った花は、野の花よりあまりにも弱い、お父様は何も分かっていません!!」
「黙りなさい! 何も知らない小娘が、儂の教育方針に口を出すんじゃない!」
「そう、では誰ですか? 私に何も教えてくれなかったのは……っ!! 親は子供に、何を教えるべきと心得ていらっしゃるんですかっ!」

 喰らいつく私、岩のように態度を変えようとしないお父様。まるで焼け石に焼け水。
 ああ、三回目もやっぱり同じだ。
 二人とも絶対に主張を変えようとしない、だから歩みよりも無く。
 ………静寂、そして。
 最後にはお父様が口を開く。

「儂の方針に変更は無い、出て行きなさい」

 この一言で、終わってしまう。
 父と娘の戦いは、あまりにも娘に不利だった。
 控えていた黒服のSPが両脇から私の腕をがっちりと抱え込む、抵抗もむなしく。

「お嬢様、どうぞお引取り下さい。旦那様はお仕事が御座います故……」
「お父様の分からず屋ぁっ!! 馬鹿、馬鹿、……ばかぁぁーーーーっ!!!」

 僅かに知っているスラングの中からありったけの物を選び、呪い叫びながら……ズルズルと体は部屋の外へと運び出されてしまう。
 三度目もやっぱり敗北に終わってしまった。
 それが悔しくて、悲しくて。
 溢れ出してくる涙を止められなかった……。ああ、やっぱり子供だな、私は。

 バタンと、重々しくも無情に。
 扉は閉められた。







「口先で喚くだけでは、檻からは出られんぞ。美郷」













―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 永瀬晃一 side ――












 ダンジョンの天井から天国に飛んでいってしまいそうな絶叫が響き渡った。

「おおおおおおおっぅ!! こ、これで御座いますっ!! これこそが私めの欲していた最高級タキシードで御座います!!」

 願わくば、そのまま天国に行ってくれた方がきっと世の為になるだろう。
 と、そんなことを白けた目で見つめながら思ったのだった。
 場所は薄暗い古城型のダンジョンの最深部、鎧武者型のBOSSを倒した先の部屋。
 時間にして、3日目の昼下がりの出来事。
 正直俺は疲れ果てていた。
 BBSで変な噂が立つわ一人で歩いててもヒソヒソ話をされるわ、ちょっといいですかーなんて言ってSSを撮られるわ、他の友人リストの友達から一切連絡が取れなくなるわ。
 そんな状況で何十と言うダンジョンに挑んだのだから、二人で。
 人生ってこんなに辛いものだったんだ。
 思わず手を組んで天に祈ってしまう……。

「もういい、もういいんだ……これで悪夢も終わるんだ」
「ほほほっ、見て下され一浪どの! この通り、タキシード姿になってみましたが似合っておりますでしょうか?」
「似合ってる、死ぬほど似合ってるよ。うん、嬉しくて俺も涙が出そうだ」

 ウンウンと頷き。
 実際ぴったりと似合ってたんだがそのまま観想を言った。
 本当に、この地獄から抜け出せたかと思うと涙が溢れそうになる。よく頑張った、俺。
 セバスチャンの方も相当に上機嫌みたいだ。
 
「いやー、これで私めも本来の姿に戻ることが出来ました。本当にありがとう御座います。ほほ、あのドレスも実は気に入ってはいたのですが」
「どういたしまして。でも絶対本来の姿のほうが良いと思う、絶対、世の中のためにも」

 必死に念を押しておいた。
 ベートーベンにはドレスよりタキシードのほうが良く似合うに決まっている。
 もう間違った道に進むなよー、なんていいながら俺は二人分のHPを回復させた。
 The Worldらしい美しいエフェクトが体を包み、HPを満タンにする。そしてそのまま「ほぅ」……と息をつく。

「……終わった、な。任務完了! シエルにメールでも打っておくか、見てるか分かんないけど」
「シエル? お知り合いですかな」

 メーラーを開く俺の横から、ニュー〜〜と顔の横3cmほどの近さで後ろから首を突っ込むセバスチャン。
 近い、ヤバイ、避ける。
 「……ぜぃ、はぁ」この男、危険だ。

「あ、ああっそうだよ。相棒さ。最近愛想を尽かされちゃったみたいで反応ないけど……」
「ほほ、しかし一浪どのの方は愛想を尽かしてはおられないようですな」
「『みたい』で切れるような薄っぺらい信頼関係じゃなかった、って。信じたくてね。   あと、壱狼だから」

 そこまで言って自分に苦笑する、これじゃストーカーだな。
 好意は受け止めてもらえれば愛だが、もらえなければ犯罪だ。
 最近の俺の空回り具合を見てるとどうも後者だ。
 上手くいかないよな、いろいろ。
 少し俯いて自嘲していると、そんな俺を見ていたセバスチャンは意外なほど静かな言葉を言った。



「尽かしておられれば、幸せだったものを。一浪どの、その在り方は虚しくはありませんかな?」



 まるで心の中を見透かされたような一言だった、血の気が引くほどに。
 名前を訂正するのも忘れて、生返事しか出来なかった。

「そ、そんなことは……」
「嘘はいけませんぞ。恋する者は皆、同時に寂しさを抱えるものです。一浪どの、それは恥して否定すべき感情ではありません」
「………」
「しかしながら、ここはネット上に構築された仮想空間だということも忘れてはなりません。良識のある人は仮想よりも現実を重視致します、何らかの事情で『存在できなくなる』可能性も多々ある、例え気持ちは残っていようとも現実は優先されるのです」

 型メガネを拭きながら語るセバスチャンの台詞は静かに澄み渡る冷水のように心地よく、冷たく、どこまでも真実だった。
 そっか、やっぱり他人から見るとそう見えるんだ……。
 まるで大穴馬券を買って、それは当たらないと諭されたみたいな心境だった。

「……一浪どの、お見受けする限り貴方はお若い、それに良い眼をしておられる。そろそろ新たな楽しみ方を探しても良いのではないですかな?」

 その声は心の芯から俺を心配する響きで満ちていた。メガネの奥の瞳が細められている。
 いい奴だ。
 困った奴だけど悪い奴ではない……ぐらいに思ってたけど、認識が改まる思いだった。
 同時に、それぐらい今の俺はダメダメに見えるって事だ。
 けど、俺は……。

「ありがとう。……でも、まだ一ヶ月だしさ。もうちょっと待ってみようかと思うんだ」
「ですが……」
「あいつ、待ち合わせに遅れると怒るんだよ」
「はい?」
「はは、叱られてばっかだった。……だからさ、今度は思いっきり待ち伏せてやろうと思ってるんだ。少なくとも、その『待ち伏せ』が楽しいと思える間ぐらいは」

 そう、それぐらい俺の心は消えちゃいない。
 遠まわしなその言葉に「さようで御座いますか……」とセバスチャンは頷いた。


 ………。


 ………。 


 それから二人とも何かを考えているようで、言葉を言い出し辛いような静寂が流れた。
 行き成りしんみりした空気が流れてしまったせいなのか、上手く言葉が出てこない。
 駄目だなー引っ込み思案をやってると、こんなとき応用が利かない。
 シエルがいたら……いや、今は考えないでおこう。

「ま、まぁとりあえずタキシードも手に入ったんだしさ! いったん戻ろうか」

 少しだけ不自然に声を上げると、しかしセバスチャンは固まっていた。
 だが聞こえてたはずだ。
 行っちまうぞー、とか言いながらそのままプラットホームに行こうとして……。

「……ああ、ちょっと待って下され。壱狼どの」

 若干低い声が呼び止めた。
 来た来たー!
 そして場を明るくしようとすかさず突っ込む!

「一浪だってばっ!」

 ……ログを見て、絶句した。

「ってあああっいきなり普通に呼ぶなよっ!? な、なんだ、まだ何か用があるのか?」

 はっははは……ま、まぁこれで場も和んだことだろうと、振り向くと。
 心臓が、エグられるかと思った。

「はい」

 振り向いて見れば、……殺気が走っていた。
 いやこれは闘気と言うものだろうか、専門家じゃないから分からないが、……セバスチャンはいつに無く真剣な顔をしていた。
 細めた眼光は鋭利な刃物のように冷たく、まるで獲物を見定める猛禽類のそれ。
 まるで先程の問答の空気を、100倍にして低くしたかのよう。
 腰を低く重心を下げ足を開き、腕を腰溜めに構えるその姿は……正に極限の臨戦態勢。鈍く、手足の武具が光を反射する。
 途轍もない圧力(プレッシャー)を放っていた。
 その場に花があれば身を伏せ、獣が居れば散り散りになって逃げ失せるだろう。
 見た瞬間『殺される』と思わされてしまうほどの、圧力―――
 おちゃらけたセバスチャンの面影などもはやまるで存在しなかった。仮面でも、剥いだかのように。
 噴出す汗、混乱する頭。
 何がどうなったのか分からない、だがしかし、目の前の構えは『本気』だ。
 そして、そいつはとんでもないことを口走った。

「――壱狼どの、貴方は天羽美郷というお方をご存知ですかな?」

 シエルの、リアルの名前(な)を。
 まるで知ってはいけない事を知っているかと、問うのような口調。
 その瞬間、俺の心は氷の猛禽の前で……燃えた。

「あんた、何でその名前を」
「……知って、居るのですな」

 しまった、と思ったときにはもう遅い。
 「ふむ」と噛み締めるように頷くと、セバスチャンはギリ…リ……と手甲を噛む様により強く握り締めた。
 圧力がさらにギリギリと圧し掛かり、あまりの恐ろしさにドッと冷や汗が噴出してくる。
 あまりの威圧感に目の前のタキシードが何倍にも大きく見えた。
 に、人間かコイツ……?

「ならば、逃がす分けにはいきますまい」

 しかしそのシルクハットの下の眼は、憐憫に満ちていた。

「な、何がだよっ! あんたいったい何を言ってるんだ!? なんで美郷の名前を知ってるんだよ!」
「教える義理など無いのですが、タキシードの礼として答えて差し上げましょう。……私めは『刺客』に御座います」
「刺客……?」
「ええ、お嬢様の身辺に付き纏う『毒』を排除するのが我らが使命。……そして残念ながら貴方様は『毒』だった。この数日で人間性、生まれ、資産、学歴、人間関係、将来性などを見させていただきましたが……実に絶望的で御座います」

 それはつまり。

「到底、お嬢様とは釣り合わない」

 俺を、殺すと?
 ……言っていることが、見えてきた。
 シエルのリアルは大富豪の一人娘だと言っていた。つまり、悪い虫を追い払うと言うことだろう。
 リアルだけじゃなくてネットまで追ってくるなんて……相当の富豪なのか、それとも親の底意地が悪いのか。
 よほど、あいつの家は厳しいらしい。
 ……目の前の『本気』の眼の奴が、そう語っている。

「……釣り合わない?」

 汗が吹き出る中、なんとか……何とかこらえて、睨み返した。
 確かに俺は一浪してるし半分勘当されてる上に貧乏で将来性も無い。
 だから、納得はしてしまった。
 親の立場じゃ嫌だろう、こんな一浪貧乏学生なんて。
 納得はした。
 だけど……。

「……なんで、あんたにそんな事がいえるんだ? それは本人が決めることだろ」
「いいえ、ご本人が決めることでは御座いません。壱狼どの、冷静にお考え下さい。そういった一生を左右するような決断は高々十数年の人生観で決められるものでは御座いません、先人たる我々が知恵と経験を最大限駆使して決定してこそより良い結果が得られるのです。違いますかな?」

 それも頷けはする、合理的ではある。
 だが、大事なことを聞いてない。

「それじゃあ、あんたたちは何て決定したんだ?」
「お嬢様の立場上、社会的地位は外せないパラメーターで御座います。今後の将来性における展望が望める人間性と地位をお持ちになる若い実業家の方を選びました、……さて、これだけ言えば満足ですかな」

 あくまで紳士に、しかし殺気を崩すことなくセバスチャンは答えた。
 冷静な思考と激しい気、殆ど仙人だ。
 だけどもう、そんな事は見えない。
 そんな目の前の出来事は、視界から抹殺した。
 こいつらは……こいつらはシエルをなんだと思ってるんだ?

「人間ってのは、身分で惹かれあうものなのか?」
「………」
「ふざけるなっ!! 金が無かったら不幸か? 三流会社勤めは不幸か? 馬鹿と結ばれちゃ不幸かっ!? もっと大切なものがあるだろ?」
「ありません。不幸、で御座いましょう」
「違うっ!!」

 俺は現状も忘れて叫んでいた、もうお隣なんて気にしちゃいない。
 全力で違うと言い切った。
 恐らく、それを言っても届かないであろうシエルの代わりに。
 セバスチャンは平然とそれを受け止める。
 だけど退かない、ここだけは絶対に退けない。
 あいつが来なくなった理由が分かったから。
 叫ぶ。
 地位、金、そんなもので断言させたくは無かった。
 あいつが求めていたのはそんな地位でも、金でも、約束された未来でもないのだから。
 
 あいつが、あいつが本当に欲しかったものは……!




「あいつはそんな典型的な『幸せの見本』なんて求めちゃいなかった! あいつが、……美郷が本当に欲しかったのは金じゃない、自由だっ!!」



 叫んだ。 


 そう、自由。
 あいつは言っていた。
 篭の中の鳥はもう、嫌だと。
 あの時、シエルははにかみながら言ったんだ。

『私は本当に良い暮らしをさせて貰ってるけど、「イコール幸せ」じゃないのよ。本当の幸せは、自分で幸せだと思えることを見つけることだと思うわ』

 だから俺は、目の前のタキシードに掴みかかっていた。
 社会的地位に見合った人間を見繕った? 
 ネットを強制的に遮断し、俺みたいに『近い人間』追放して見繕った人間だということを鑑みる限り、それは決してシエルが選んだ人間じゃない。
 叫んだ、あいつは自由に飛びたいんだと。

「知ったような事を仰る、自由が幸せですと? あのか弱いお嬢様が自由の中で生きて行けるとでも? それは『本当の自由』と言うものを知らぬが故の戯言で御座いましょう」
「戯言じゃない、あいつは本気だ。……確かに自由は危険だけど、けどその中には必ず幸せがある。あいつはそれを求めているんだ!」
「そんな危険性を孕んだ感情論で釣り合わない人間を選べと? それも戯言ですな」
「釣り合わないだって? あいつがそう言ったのかよ、……言ったのかよ!! お前たちの天秤で美郷を計ってるんじゃない!!」

 向こうから見れば、正に俺は毒そのものだろう。
 けど幾らでも毒を吐いてやる。
 シエルから見ての翼である限り―――
 俺はあいつの味方でいたい。

「シエルって名前の意味を知ってるか? ……フランス語で、『空』なんだ。あいつがどんな思いでその名前を付けたんだと思う」

「……どうやら、お嬢様に対する認識において相違があるようですな。お嬢様が誰の娘で、誰のものかを良く理解されるのが宜しいでしょう」
「あいつはあいつだ、誰のものでもない。人は誰だって根本的に平等で、そして自由なんだ」
「ハァ、……貴方はお嬢様と同じことを仰っている、まだまだお若い、いや子供ですな。理想と現実は違いますよ」

 右手を僅かに引いたのが見えた。

「……と言っても納得されないでしょうね。宜しい、では体の方に教えて差し上げましょう」

 瞬間、言い切る前にすでに踏み込んでいる。
 万全の構えから踏み込まれた拳は即座に俺の腹を打ち抜いた。あまりの衝撃に体が浮く、防御どころか視認する暇も無い。
 大砲のような一撃に視界がぶれ、唾が飛んだ。
 何も出来なかった。

「グァッ、ぁ………っ」
「……ご高説ありがとう御座いました、ですが所詮私めは刺客の身分。何を仰られようと貴方を消すことに変わりは無いのですよ、毒虫どの」

 耳元で囁くそれは悪魔の言葉か。死刑宣告か。
 浮いた体にさらに突き上げるように一撃、二撃とボディーブローが容赦なく叩き込まれ、「く」の字に体が折れ曲がり更に視界が霞む。
 苦し塗れの杖の一撃も無駄に終わった。腕を取られ捻られながら振り上げ、まるでバレーボールのように地面に叩きつけられる。
 緑の大地に鈍い衝撃音が轟く。
 草原の草を千切り飛ばし土煙が舞い、一瞬でHPはどん底の寸前まで削げ落とされた。
 ……辛うじて回復アイテムが間に合ったお陰で一撃死は免れたが、呪紋など使ってる暇はまるで無かった。
 倒れてる俺に、漆黒のタキシードを纏ったセバスチャンが歩いてくる。
 その目はとても凍てついていて、どこまでも機械的だった。機械的に……俺を完全抹殺しようとしている。
 俺の言葉は、無駄だったみたいだ。
 歩いてくる。
 そして影が……俺の視界を黒く覆った。

「ふむ、貴方を倒せるレベルになるには一ヶ月と踏みましたが。三日で充分なようでしたな。……さぁ、諦めて下さい」
「何を、だ……。この世界も、シエルも、……俺は諦めるつもりなんて、無い」

 その瞬間背中に衝撃が走った。
 背骨を折るかという勢いで踏みつけられたのだ。あまりの衝撃に肺から息が漏れる。

「諦めて下さいませ。フリフリドレスで一生PKし続けますぞ?」
「ぐ、はっ……っ」
 
 そ、そうかあのドレスはそんな脅迫の意味が……。
 背中を押さえられながら、あまりの恐ろしさに身を震わせる。今一間抜けだが確かに脅しとしてはこれ以上のことは無い。
 本気で俺からThe Worldを奪いに来ている。
 万が一シエルが戻ってきてもセバスチャンの執念ならば容赦なくぶち壊しに来るだろう。
 それに、リアルのことも調べたと言っていた、何を仕出かすか分からない。
 コイツは、俺の世界を壊し続けると脅しているんだ。
 もう二度と、ここには来るなと。来たら、殺すと。
 正に完璧な刺客。
 でも……

「……やってみろよ」

 回復アイテムを使い、踏み付けられた足を逆手に掴んだ。
 スキルを使ってる暇はない。 

「むっ」

 全力で身を捻りながらその足を外し、手を突く。
 白衣を着た狼はボロボロの体を引き摺りながら、立ち上がった。
 割れたメガネは捨てた。

「やってみろよ! 俺はここで待ってるって決めたんだ。それは誰にも譲らない!」
「二度と冒険は出来ない、そして友人も居ない、そんな世界でも待つと?」

 間合いを計り、ステップも踏まずにセバスチャンは悠然と俺を見下ろしている。
 形の無い刃物を突きつけられているかのようだ。

「待つ、絶対に」
「誰も来ない、それでも待つのですか?」
「それでも……俺は待つ。こんな分からず屋に囲まれてると知ったから、なおのこと」

 少しだけ笑みを見せた俺の顔に向けて風切り音が聞こえたと思うと。
 セバスチャンは俺の横顔を蹴り抜いた。
 音も感覚も曖昧、ただ目の前の光景だけが物凄い勢いで回転して気持ち悪くなり……次の瞬間には遥か遠くに俺の体が転がっていた。
 死ななかったのが不思議だ。

「待っているだけでは無意味ですぞ、壱狼どの。……私めに言える最後の言葉です、それを持ち、どうか良い黄泉路を」

 俺が返事をする間もなく。
 セバスチャンは炎殺球の呪符を使用し、俺の最後のHPを削りきった。
 発火のエフェクトと共に倒れ伏せる白衣の狼。『GAMEOVER』と言う黒い幕が視界を覆う。
 最後に見たのは彫像のように立つ、タキシードの影。
 どこまでも容赦の無い戦いと、言葉。
 灰色の眼光は最後まで刃物のような光を宿していて、事実俺の心は串刺しにされた。
 けど、あいつは最後まで……憐憫を込めた眼で、俺を見ていた。
 




 結局俺は喚いただけで、何も出来ていなかったんだ。









 …………。







 暫く、放心するように目を閉じて。
 色々なことを考えて、……いるようでなにも考えていない空白の時間を過ごし。
 やがてFMDを外した。

 急に明るいライトの光が眼に入り、一瞬視界が白む。
 けれどすぐにそれは鮮明な映像になる、……こう見えてリアルの俺は視力だけはいい、浪人してるくせに。

「はぁ……とは言ったけど、今すぐログインする気は流石に起きないな」

 したところで、セバスチャンが見張ってることだろう。
 それだけで憂鬱になる。
 だけど、ここまでされて退く気なんてサラサラ無いのも本当だ。

「……ん?」

 気も晴れず、睨むようにネットカフェの綺麗なような実は汚い画面を見ていると、ポーン…と新しいメールの到着を知らせる音がなった。
 驚いた。
 送り主は……『セバスチャン』。
 その時点で目玉が2,3個飛び出しそうなほど睨みつけたが、問題は中身だ。
 件名は、『貴殿の健闘を称え、ただ一度だけの奇跡を授与する』とあった。よく分からないが褒めてはくれてるらしい。
 そのメールを開封してみる。


 中には……、一つの電話番号が書かれていた。











 
  
―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 天羽美郷 side ――













 あの後。私の部屋の鍵は二個ばかり増やされた。
 勿論『外から』施錠するタイプで、私の側からは開けられない。



―――ボスン



 と、ベッドの温もりに顔を埋めた。
 別にどうでもいいことだ、一個から三個に増えたところで関係ない。
 逃げ出す場所が無いんだから。
 そもそも逃げようとも思わない。
 ………ベッドのふかふかの温もりが、少しだけ湿った。
 埋めてるから視界は真っ暗。
 その耳に窓から漏れてくる軽井沢と言う避暑地独特の虫の音と、極稀な車の音が聞こえる。
 もう夜だ、今は虫の音色の方が大きく聞こえる。


 リーー……  リーー……


 リーー……  リーー……


 ―――コンコン、と、その音を遮るノックが聞こえた。
 この丁寧な叩き方は沢松だ。
 虫の音色に身を任せてうとうとしていた私は、ほんの少し棘を込めて返事をする。

「なに? 沢松、もう夜よ」
「……お嬢様、お電話で御座います」
「誰から?」

 どうでもいい人間なら、明日にしてもらおうと思った。
 正直今の気分でお見合い相手の挨拶なんて聞かされたら、間違いなく××××と叫んで切ってしまう。
 『仕事』をこなす為にも、必要な判断である。
 
「それが、『イチロウと言えば分かる』と仰られるだけでして……。もしお嬢様が知られていな」
「出る! 出るわっ、受話器を持ってきて!」

 一瞬でそんな陰鬱な気分は月夜に飛んでいってしまった。

「は、はい、ただいま!」

 ドタドタと沢松が受話器を取りに行っている間、私の心は真っ白だった。
 よく分からない。
 とにかく驚きが勝っている、もう絶対にありえないことだと思っていたから。
 ただ、嬉しいことは、確かだった。
 沢松が持ってきた小型の受話器(子機)を慌てて受け取ると、……小さく深呼吸をした。
 ああ、跳ねる心臓がうるさくて仕方が無い。
 もし嫌われていたら?
 もしこれが別れを告げる電話だったら?
 もし……

「……もしもし?」
「もしもし、……………………あ、そういやボイスチェンジャー使ってたんだっけな。油断した」

 今までずっと聞きたかった声は、そんな世間体染みた言葉を言った。
 あまりにも飾らない言葉。
 思わず噴出してしまいそうで、いろんなモヤモヤした恐れは瞬きの間に溶けてしまった。

「待った、挨拶が先じゃあないのかい?」
「うわっ!? 素でロールするなよ!? い、違和感がっ」
「………ふーん」
「……あー、遅くにゴメン。こんばんは、分かってると思うけど壱狼だよ」
「はい今晩は、こちらシエルです。……いえ、ロールしてなんだから美郷って名乗っておくわね」
「あ、じゃあ俺も晃一で」
「あなたは素だから壱狼でいいのよ」
「ええぇ何故っ!?」

 いつものやり取りのようで、全然違う暖かさ。
 ベッドの温もりから放した顔には、自然と笑みが浮かんでいた。
 そして落ち着いてくると、次に疑問が浮かんでくる。

「えっと、なんでこの電話番号が分かったの? 突然ネット回線を切られちゃってて教える暇も無かったと思うんだけど」
「……あー、うん、それは秘密。本人匿名希望って言ってたからさ」
「匿名、ね。まぁ大体想像つくけど」
「そうなんだ………」
「………」
「………」

 そして、不意に会話が途切れてしまう。
 お互い言いたいことは沢山あったはずなのに、いざ本番になってみると出てこない。
 例えば家のこととか。
 例えばこの気持ちのこととか。
 例えば、なんでもない笑い話とか。
 話したいことは、山ほどあるのに。
 胸の中で熱い風船がギュウギュウと膨らんできて、それが喉に詰まってしまったような感じ。
 どんな言葉も、今話すことじゃないような気がして飲み込んでしまう。

「えと………」

 何、やってるんだろう……。

「あの、さ」

 最初に、壱狼が口を開いた。

「な、なにかしら?」

 ぎこちない言葉に、ぎこちない返事。
 総じてぎこちなく、歯車は回り出した。
 小さな深呼吸の音と共に。

「俺、美郷のこと、好きなんだ」

 そう、運命の歯車が。
 私の息を飲む音を駆動音に、高鳴る鼓動に同調するかのように。
 ゆっくりと回りだした。
 その熱で、私の体は足の先から顔の隅々まで熱を帯びていく。
 突然の衝撃に、ドンドンと胸が暴れだす。

「え―――」
「一度しかないチャンスらしいから、ハッキリと言っておく。……大好きなんだ」

 顔が熱くなりすぎたせいだろうか?
 汗の代わりに、涙が流れ出した。
 あまりにも夢だと、私には遠い遠い遠すぎる夢のように思っていた言葉だから。
 壱狼だったから。
 きっと、流れたんだと思う。
 悲しみの涙か、喜びの涙か、そんなこともう、考える必要も無くて。
 ……ありがとう。って。

「好きなんだ! 愛してるんだ! 他人(ひと)に取られたくないんだ! 一緒に居て欲しいんだ! 馬鹿で貧乏で鈍感な上に根性無しだけどっ、俺は、俺は美郷が好きなんだ!!」

 何度も叫ばれるその声に、私は……。

「や、やかましいっ!」
「ええっ!?」
「一回言えば分かるわよもう、顔から火が出るじゃない! まったく………グス…」

 最後に少ししゃくりあげてしまった。
 恥ずかしい、……声が少し上ずってる。
 誰だろう、泣くなんて機能を人間に持たせたのは。
 返事が言いにくいじゃない。
 でも、言わないと。
 この勇気ある狼さんに。
 私はきっと涙に濡れている声で。

「私だって、大好きよ。大好きなんだから……よーく聞いておきなさい、大好きなの!」

 余韻が響くぐらいに、言ってやった。
 私ばかり言われてるなんて嫌だし。
 ……なんて、言い訳はそこそこに。
 やっと、やっと本音を叫ぶことが出来た喜びを、噛み締めた。
 ありがとう壱狼。
 好きだよ、壱狼。
 そんな単純なことがいえなかったこと、それが私に足りなかったもの。
 壱狼も向こうでぐしゃぐしゃになって泣いてるみたいだった。
 なんだかその周りからも泣き声が聞こえる。……お店か何かからかけてたんだろうか?
 いつの間にか私の涙は止まり、静かに、噛み締めるような喜びと笑みだけが残った。 

 お父様、もう負けません。


 私の心の中の夜は、今やっと夜明けを迎えたから―――
 












  ……数日後……








 その日の早朝、朝日は薄い雲の間から瑠璃色の空を青く染め上げていた。
 鳥が囀り空気は冷たく、大抵の家ではまだ目覚ましもならない時刻。
 そんな時に。
 私はあろうことか、ロープを括り付けた椅子を塀の向こうに放り投げ、どこかの国の特殊工作員張りに壁をよじ登っていた。

 重ねて言うけど、いい朝日だった。

「よい、しょっと」

 ワンピースでやるにはいささか大胆すぎる格好で塀の頂上まで這い上がって、そこから別荘の方を油断なく振り返る。
 朝日を受けて鶉色に照らされた別荘は、今日も穏やかな雰囲気を漂わせている。広さで言えば東京ドームの半分ぐらいはあるけど。
 ……うん、誰も動いてる影はなかった。
 使用人のシフトはちゃんと調べてある、朝の早い沢松もこの日は一人足りなくなる使用人の代わりに朝食の準備をしていて忙しいはずだ。
 
「……じゃあね、沢松」

 置手紙も、済ませてきた。
 出来る限りの旅装もした。
 別れの挨拶が出来ないのだけが心残りだけど、これで済ませておく。
 軽くそれらを確かめると、……長年憧れ続けていた塀の外側に眼を向ける。
 高さは4mほど、地面には柔らかそうな花壇が並んでいて、その先に少し歩くと道路が延びている。
 あれを右手にまっすぐ行けばバス停がある。目標はそこだった。

「じゃあね、過去の私」

 私は目の前に伸びていた木の枝にロープを結びなおすと、今度は慎重にロープを伝って降りた。
 花を踏まないように着地すると、ふわりとスカートが膨らんだ。それを抑えて、小走りに駆け出していく。
 私の未来に向かって。
 背中の別荘がだんだんと小さくなっていき、代わりに道路が大きくなっていく、そして私の息も弾んだ。
 暫くして道路まで出ると……一息ついた、やっぱり運動不足だ、これだけで軽く息が上がってしまう。
 ブオォォォ……と、車が通り過ぎていく音。
 早くしないと、この辺りは少ないとはいえ知り合いが居るから、見つかって連絡でもされたら大変なことになる。
 私はつば広の帽子を目深に被ると。

「………お嬢様」

 背後からかけられた声に、ビクリと身を固めた。
 聞きなれた柔らかい声。
 振り向いた先にいたのは、我が家の初老の執事……沢松だった。

「沢松、止めないで。私は――」
「お嬢様。忘れ物が御座いますよ」

 彼は穏やかにそう言って、手に持っていた小ぶりの手提げ鞄を渡してくれた。
 私の好きなスミレの柄の入った鞄、誕生日にお父様から貰った……。
 中を見てみると。そこには小さな包みと保険証、そして出来たてらしい温かいお弁当が入っていた。

「沢松……」

 止めどなく、涙が溢れた。
 それを見て沢松は屈んで。無言で、ハンカチで拭いてくれた。
 優しい手の温もり。
 子供の頃からずっと、こうやって。
 ……そうか、沢松はずっと私の味方だったんだ。
 拭き終わると、その白髪の顔をくしゃくしゃにして、彼は笑った。

「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「……ええ、行ってくるわ」

 私は、とにかく走った。
 涙を隠す必要はなかったけど、気恥ずかしかったから。
 それに、走れば乾くと思った。
 ありがとう、ありがとうと呟きながら。走った。
 だんだんと沢松の姿が小さくなっていく。
 懐かしい姿が、小さくなっていく。

 そして、最後に振り向いた時も、彼は軽く片手を振り続けていた。



「彼のことは調べましたが、どうやら信頼に足る人間のようです。お嬢様、どうかお幸せに……」



 私はバス停からバスに乗り、駅へと向かう道に着く。
 ほぅと息をついて座り、膝の上にスミレの鞄を置く。
 さぁ、待ち合わせ場所にはいつ到着するだろうか。
 それより、あの壱狼はまた遅刻してこないだろうか?
 そんなことを考えては小さく笑みを浮かべ――――



 そんな私の背へ、初夏の日差しがまるで祝砲を上げるかのように明るく差し込んでいる。





<了>








――――――――――――――――――――――――――――――――――――

うけ、うけけけけっ!(やりすぎてハイになってる)
もう何も言うまい。
私に出来る全てのことは詰め込んだ。
あとは皆様に向けてぶっ放すだけ!
ってこれ読んでるってことはもうぶっ放されてるってことですね!?
……美郷の口調変わってるのは気にしないでっ!?

……はい、とりあえず寝ようと思います。
いい夢見られるぐらいには、書けたかと思います。
自画自賛ですが久々に満足しました。

台詞が楽しかったですね、特に執事、執事が。
続編は……実はネタはあったりするんですが、このまま終わらせても綺麗かなと迷ってたりします。
その辺り感想を聞かせてもらえると嬉しいです。