(※この作品には.hack/GUには存在しない設定が幾つか登場します)


          <信じぬくその心>










        誰かを探しています
 
 
 それが誰なのかは、私も分かりません。

 けど、探しているんです。

 だって、私の心にちゃんと残っている。

 顔も、名前も、声も分からないけど。思い出せないだけで、覚えてる。

 だから、見つけたいと思うんです。

 誰なのか分からない、誰かを。






 それは、アナタかもしれない。









 ………師匠の講義は分かりやすいと思う。


 丁寧だし、正確だし、あんまり私情を挟まないで喋るから、できのいい教科書みたいに
言葉が綺麗だと思う。

 うん、だから、わたしがバカなんだ。

 分からないのが申し訳なくておどおどとしてしまう、けれど、知りたいと思うからわた
しは恥を捨てて手を挙げた。


「師匠、分かりません!」

「そうか、課題のチムチム蹴り3回追加だ。バカモノ」


 ……師匠は、ちょっとひどいです。
 そんな恐ろしいことを平然と言ってしまいます。
 しかも、わたしがガックリしてると、聞こえないようにそっとため息をついてます。
 わりといい声で返事をしちゃったからでしょうか?


「まったく……、いいか? もう一回噛み砕いて話すから、今度はちゃんと聞いてろ」

「はーい」


 でも結局はちゃんと説明してくれるので、見た目と言動と雰囲気と名前と所属ギルドと
顔によらず、優しい人なんです。
 当然です。
 わたしの自慢の、お師匠様ですから。

 わたしの返事を聞いて師匠はまた説明を始めてくれました。
 あれ? でも若干、分厚い鎧を着た双肩が重そうに見えます。
 なにか背負ってるんでしょうか?
 「返事だけはいいな…」と呟きながら師匠はまたため息を漏らしてました。
 ひどいです、まだ5回目のリテイクなのに。


「PK行為のもたらす恩恵と被害について。まず、分かりやすく被害から述べていこう。取
り合えずいえるのはPKされると気分が悪いということだ。これは分かるな?」

「はい、いきなり殺されちゃうのは嫌です。あと、経験値ももったいないですよね」

「そういうことだ、お互いの合意無しでのPKは迷惑行為になる。このシステムは主にプレ
イヤー同士が対戦したい時にお互いの装備意外を全部倉庫に預けてから、決闘のように使
うものだ。あとはGvGとかな」

「………えーーっと、決闘は分かりました! けど、GvGってなんですか?」

「ギルドヴァーサスギルド、ギルド同士の戦争のことだ。こちらも主にお互いの力比べを
したいときに行う。アイテムをかけたりしてな」

「へぇ……、なんだか面白そうですね」

「そうでもない。……今、このThe WorldでのGvGは……本当に戦争だからな。野蛮だ」




 …………………




 師匠の講義は、こんな風に2時間ぐらい続きました。
 最初はわたしが「この世界の常識を教えて下さい」って頼んだんですけど、予想外に師
匠は真面目さんでした。
 むしろ、語るのを楽しんでるような気がします。
 知識魔ですね。
 ……ってこんなこと考えてたら、きっと「顔に出てるぞ」とか師匠に言われるっ!
 なんとかかんとか、言われたことを頭に詰め込むことにします……。
 うーん、The Worldって難しいなぁ。


 そんなこんなで、講義を終えたわたしたちはモンスターハント……えっと、一般には『狩
り』って言うそうですから、狩りに行くことになりました。
 なんか、ずっと座ってたから足がふらつくような気がします。
 ゲームですし、気のせいですよね。
 
 
 ………あれ? 師匠がいない?


「………こら、なんで45度も違う方向に歩いていくんだ。歩くのはマスターしたんじゃ
なかったのか?」

「う……、き、きっと詰め込みすぎて頭がパンクしそうなんです!」


 実際そんな気がします。
 スゴク。
 師匠と違ってわたしの頭脳はデリケートなんです。
 因みに師匠はコンクリートに筋金が入ったような頭脳をしてます。


「自業自得だ、内容的には15分の内容を2時間も長引かせたんだからな。……顔でも洗
って来い」

「大丈夫です!」


 わたしが見得を切っていうと。
 師匠は、なんか疑わしそうな目で見てます。 


「……ホントか?」


 だから、自信を持って頷きました。


「はい!」

「………………たぶん」


 あ、なんか師匠が呆れてます。
 きっと聞くまでもないことを聞いてしまった自分に呆れてるんですね、あれは。


「……まぁ、行動で示してくれ」

「はーい♪」


 今度は斜め25度まで直しました。
 わたしってばバツグンの回復力です!
 どうです? この草原を颯爽と走り抜ける姿は!
 真っ直ぐに走れてますよ! フラフラ曲がらないんですよ!
 すごい進歩です。
 しかも背中に背負った大鎌がいい感じに揺れてかっこいいです。わたしってば強そう!
 
 師匠は…………あれ? なんか遠くにいました。



 ………そして、物凄い勢いでズンズンとこっちにやってきます。
 あ、額に『怒りマーク』が




「 バ カ モ ノ ! 」



 ……そして、師匠には拳骨を貰いました。
 師匠、ひどい。
 
 ちょっと優しくないかもです。













  ―――――――――――――――――――――――――――― The start ―――
――












 まったくもって、調子が狂う。
 最近の俺は柄にもなく感情的だ、……人間としての程度が下がったように思えてならな
い。
 俺は、こんなにも直情的な人間だったのだろうか?




 ギルド『クリスタルパレス』のサロンの椅子に腰掛け、深く昨日の反省をしていた。
 ここは考え事には丁度良い部屋だ。
 見渡す限りの荘厳な装飾や品の良すぎる家具などは落ち着かないが、このどうにも緊張
感の抜けない造りだからこそ真剣な考え事には向いている。
 だがはたから見れば不気味だろう。
 この王族御用達のような雰囲気の部屋に一人で巨漢の鎧男が居座っているのだ、むしろ
滑稽か。
 だが、彼は気にする性格ではないし、俺も気にしない。

 昨日の講義と戦闘の練習を思い出し……そして恒例のため息を漏らした。

 先日はロールに入りすぎていたような気がする。
 確かにThe startは世話好きの男だが、俺にあそこまで感情は見せる気はなかった。
 どうも、自制心が薄れるようだ、あのバカ弟子……チェリーを前にすると。
 まだ問題というほどではない。
 だが別に問題がある。
 俺自身原因が掴めていない、ということが問題だ。
 『相手も自分も的確に把握する』というのが俺の信条なのだが……。


「まったく、良い意味でも悪い意味でもかき回してくれるな……」


 悪い気はしていない。
 そもそも俺はマンネリとしてきたこのゲームでの生活を覆すために、彼女(暫定だが)
に接触したのだ。
 それは半分以上成功しているし、彼女に問題はない。
 ……いや、文句なら、それこそ山のようにあるのだが。
 富士山クラスに。
 問題なのは、『何故面白くなったのか』ということを俺自身がうまく分かってないことだ。

 
 自分を面白くさせるにはどうしたらいいか?


 その答えが、まだ出せていない。
 俺はその答えを出すために、このゲームをプレイしているのだ。だからこそこの壁に悩
んでいる。
 答えを解く鍵は目の前にあるのだろう。
 だがそれは目前に見えて、実質掴むことはできない蜃気楼。
 まだ、何かが足りていない。
 俺にはまだ知らなくてはいけないことがある、ということか。


 ………歯がゆい。

 気を紛らわすために、戯れにティーカップを傾けた。


「あれ、珍しいですね? スタートさんが本拠地の方に来るなんて」


 そのタイミングを見計らっていたかのように、背後から少年の『ような』声がした。
 白々しい。
 無礼はお互い様ということで、俺も振り向かずに答えた。


「そういうお前も珍しいな? 俺に声をかけるなんて」


 この声の主は口調ほど軽く親しげな人間ではない。
 いや、むしろ誰も話したがらない。
 何処までも腹の底が黒く、そして有能な男だ。
 そいつは俺の背後で何処から見ても曇りもない、にこやかな笑みと弾んだ声で話を続け
た。


「ハッハハ、そりゃあ声も掛けますよ。そんなにも美味しくなさそうな顔をして紅茶を飲
む人がいたら、誰だってね。まさかとは思いますが毒でも入ってましたか?」


 なるほど、確かにこれ以上ない程まずそうに飲んでいたことだろう。
 あの弟子にも「考え事をしてるときの顔、怖いです」とよく言われるからな。きっと元々
怖い顔を更にしかめっ面にしてティーカップを傾けていたに違いない。
 だがコレはThe start……彼の性格なのだから仕方がない。彼は、幾多の戦いを経験し
た鎧姿の無骨な傭兵なのだ、優しい顔はしていない。
 そうはいっているんだが、弟子にはロールを無視して「ほーら、スマイル♪ です」な
どといわれている。

 断言しよう、彼がにこやかな笑みを浮かべれば、The WorldはThe endだ。


「残念ながら、毒は入ってなかったな」

「ほう、それは残念でしたね」


 そいつは、本当に残念そうな声で言った。
 心底、そのままくたばってくれれば良かったのにと思っていたかのような声だ。


「………」

「ハッハハ、冗談ですよ! ……それで、何を悩んでたんですか?」


 本気が半分、冗談が半分、そんなところだろう。
 俺はあの男にとって有益な鶏であり、しかしいつ寝込みを刺すかも知れぬ蠍(さそり)
なのだから。
 鬱陶しい。
 キャラと同じ思考を胸に、目線だけを向けた。


「厄介な新人が入った、その教育に頭を悩ませていただけだ」

「ほう……、それは良かった。私のような上位管理職には関係のない悩みですからね」


 そういうとその男は取ってつけたかのようにまたにこやかな笑みを浮かべ。


「ご苦労様です」


 と、張りぼてのような労いを投げてよこした。
 かけられない方がいく分か気分はましだっただろう。
 気を紛らわすために、また、ティーカップを傾けた。
 そして気晴らしに広々としたガラス窓を見上げる。
 この最高に華麗な牢獄のような城の中でも、空だけは平和な光を降らせていた。……思
えば、チェリーの笑顔はあの空に似ている。

 そんなことを考えていると、背後の気配は足音もなく遠ざかっていった。


「では、よい午後を」

「……ふん」


 無愛想を丁寧語であざ笑うかのように返事が返ってくる。


「ああ、そうだ。明後日のことですが、このギルドと『ケストレル』で100対100GvG
を行います」

「それが、どうかしたのか」

「はい、どうかしますよ。……あなたもその新人さんも連れて参戦していただけないかと、
思いましてね」


 ……チェリーを、あの、GvGに……?
 しかも相手はケストレル、だと。
 わざわざ肉食獣の檻の中に生まれたばかりのひよこをを放り投げるというのか。


「……馬鹿げているな、二人分の戦力を無駄にすることになるぞ」

「ええ、二人程度抜けても勝ちますので、問題はありません。……フフ、新人育成ですよ。
新人さんにGvGを経験させて『戦える』ように仕上げてください」


 問題ない。
 そいつは、月の樹に並ぶ『最大のギルド』を相手に平然と言った。
 まるで最初から勝つことを知っているかのように。

 ……当然だが、このクリスタルパレスの人口はケストレルの10分の1にも満たない。
 100人は集まるだろうが、5000人中の100人に勝てるかどうかと問われれば普
通は否だろう。
 こいつは、何を考えているのか……。

 とは言え、貴重な経験になるに間違いはない。
 嫌な匂いのする話だが、そう言った話を経験させるのもまた、経験か。


「いいんだな? 撤回しなければその話、飲むぞ」

「是非に」


 短くそう答えた次の瞬間。
 その男の気配は消えていた。



「………ケストレル、か」






               






―――――――――空気が絶対零度まで凍りついたかのような、絶対的な静寂。










 そう、戦争を前にした場の空気など、そんなものだ。
 
 空は重く圧し掛かっているのに落ちてこない。
 大地は今にも割れて崩れそうなのに崩れない。
 木々は今にも俺達を閉じ込めそうなのに道はある。
 何もかもがいつもの通りで、そしてその全てにおいて何かが違う。
 例えるなら全ての物体に『恐怖』という二文字が混ざりこんでいる。


 ここは、そう。
 何の変哲もない『森・昼』のフィールドである。
 ただ、いつもと違うのは、数分後にここで戦争が行われるということだけだ。


「………師匠……」


 こんな場所につれてきたからだろうか?
 チェリーは若干恨めしそうな顔をしつつ、俺の後ろにぴったりとくっついていた。
 まるで父親の背に隠れる子供だ……、もっとも、今回ばかりはこの方が都合が良い。
 見つからない方がいいのだ。
 見つかったら、まず殺(PK)される。


「俺たちは最後衛だ、まだ暫く敵は来ないから緊張しなくてもいい。じっくりと、こっち
の陣形と作戦を読み返すんだ」

「それは……もうやってます。そうじゃなくて、なんで私も参加するんですか? 役に立
たないのに」


 遠まわしに、今からでも逃げ出したいと言っているようだった。
 しかし真実をただ述べているようでもある。
 ……両方だろう。


「上からの命令だ、新人教育の一環にしろとな。……俺の所属するギルドに入りたいとい
ったのはチェリーだ、怖いのは分かるが我慢してくれ」

「こ、怖いわけないじゃないですか!? やだなー師匠ったら、も、もうっ!」


 ガチガチだった。


「こんなに素直に意見を言われると困るな、本当に」

「……帰るか?」

「それはダメです! ……折角呼んでもらったんですから。役に立たないながらもなにか
役にたたなきゃダメですよ」

「……そうだな。なら、見ることだ」


 そう言って俺は森を蛇のようにウネリながら貫いている道を指差す。
 今後の進行方向だ。
 戦いの火蓋が切って落とされたのか、ほんの小さく、地面が悲鳴をあげているかのよう
な怒号が聞こえてきた。


「このThe World R:2の中の、特に汚い部分を。この意味、分かるな?」

「えっと……、はい。綺麗なものを信じたいなら、汚いものも知らなきゃダメ。……って
ことですよね? 対比させなきゃ、両方の価値が分からないから」


 そして背後に相撲でもとり出しそうなほどくっついている弟子に、その大きな手の平を
乗せた。


「上出来だ」


 珍しく、The startに小さな笑みを浮かべさせる。
 そしてチェリーは、いつもの笑みを浮かべた。
 ほんの少しだけ、恐怖が薄れたようだ。


「これから辛いことがあるかもしれないが……」 

「大丈夫です! なんてったってわたしですから、めげたりしませんよ?」

「終わってからもそれが言えたら、褒めてやろう」


 そう言って俺たちは、森へと続く道に向かって走っていく。
 今、こちらにギルドチャットで進行の命令がきたからだ。


 これから森の端より渦を巻くように旋回して中心部に向かう。
 こうやって少しずつ森に散らばった敵を倒していくのである。
 いきなり中央に突っ込める戦力ではない。
 とはいえ、俺のレベルは50そこそこだ。敵によってはソロの敵に遭っても負けるだろ
う。
 あくまで『見学』が主な目的である。 
 

 今までの特訓の成果あってか、二人揃って真っ直ぐに走ることができていた。
 それとも、単なる偶然だったのだろうか。









 

――――――予想以上に、森は深い。






 いつもならば稀にモンスターが徘徊しているだけの森なのだが、それのかわりにどうし
ようもなく重い空気が漂っている。
 木々が生い茂っている、というのを甘く見ていた。
 平原ならば敵の位置は分かりやすい、その分こちらも落ち着いて行動できる。
 だがここは森なのだ、道こそあるがバカ正直にそこを歩く人間など居ない。
 皆森に隠れて行動しているのである。
 そう、つまりいつ何処から敵が攻めてくるか分からない。


 いつ、何処からこの体を切り裂かれるか分からない。


 ケストレル100人の精鋭とは、そんな人間ばかりだろう。
 そのプレッシャーは計り知れない。
 俺は漠然とした不安を抱えるチェリーとは別の所で緊張を抱えながら、片手で槍を構え
て慎重に歩いていた。
 もう片方の手は、……遺憾ながらチェリーの手を引いている。
 こんなところで逸れてもらっては困るからだ。
 断じて。
 彼女は今はべったりではなく二歩後ろを歩いている。どうやら歩いたり走ったりするの
はもうマスターしたらしい。
 

 歩くたびに近くなる戦争の音。
 叫び声、怒号、そして耳を覆いたくなるような品の悪い罵声。
 そのどれもが本気で食って掛かるようで、背筋が寒くなる。
「くったばれぇぇぇぇぇ!!!!!」
 すぐ近くで叫び声が聞こえた。
 コレは、我々に言ったのではない。近くで戦闘があったのだ。


「し、師匠ぅ……」

「静かに」


 素早くチェリーの首根っこを掴んで木の裏に隠れ、声のした方から隠れつつ様子を伺う。
 息を止め、身を小さくして物音を殺す。
 ……激しい戦闘SEが聞こえてきた。
 剣と剣がぶつかる音、魔法スキルが飛び交う爆音……まるで本物の戦争のような緊迫感
だ。
 こっちとしては恐ろしいだけだが、この実戦さながらの緊迫感を味わうのがGvGの醍醐
味ではある。
 事実、戦闘をしている本人達は楽しそうだ。
 ……音が聞こえなくなるまで、約5分。
 音が消えたということは、戦闘は終わったのだろう。だが無闇に顔は出せない。
 ……の、だから、顔を出そうとしていたチェリーを慌てて引き寄せる。
「へぐぅっ!?」
 頭を抱え込んだものだから俺の胸当てに顔をぶつけたらしい。……そんな目で見るな、
自分が悪い。
 俺はチェリーを抑えつつ、すぐにギルドチャットを開く。


『こちら座標330:103、この付近で戦闘があったようだが、どうなった?』

『……あー、こちらがその戦闘を行ったチームだ。大丈夫、勝ったぜ。……けど、向こう
の平均レベルは70以上あるようだ。そっちも注意しとけよ? やつら、流石に強い』

『……了解。今回は健闘を称える』


 通信をそこで切る。
 このログが流れるとまたギルドチャットでは戦況報告や上からの命令が飛び交う。
 もっとも、こちらは殆ど独立しているので聞くのは戦況だけでいいのだが。
 戦況は……予想通り、70:80程度でこちらが押されている。
 だが、森の中心部分にあるダンジョンだけはこちらが先に制圧したようだ。だから、ま
だどうなるかは分からない。
 作戦ではこの塔型ダンジョンの形状を生かして篭城戦を仕掛ける予定なのだが……。


 ……コンコン。


 俺が深く鋭く考えをめぐらせていると、不意にチェリーが兜の側面をノックした。
 何ゆえノックなのかはこの際気にしないでおこう。


「……どうした?」

「師匠、あれ……っ!!」


 抑える必要はないんだが聞こえるか聞こえないか程度まで声を殺し、チェリーは森の一
角を指差した。
 その先には茂みが有るだけだ。一見して誰も居ない。
 だが、人が隠れることはできる大きさだ。


「……あそこ、誰かが隠れてます。さっきチラッと見ちゃいました」


 どうやら、俺が考えをめぐらせている間にチェリーのほうが役に立っていたらしい。
 弟子に教えられるようでは、師匠失格だな。


「分かった、お前はここに居るんだ。危なくなったら一人でも逃げるように」

「し、師匠を置いてですか!?」

「当たり前だ。……このゲームは制限時間までに敵を殲滅すれば勝ちになる。ひとりでも
生き残っていれば最悪引き分けになるからな」


 チェリーが指差した方向に目線を向けずに、パーティチャットで話す。
 ……あまり納得がいかないようだが、コレばかりは仕方がない。
 戦闘で役に立たない以上、『残りライフ』として働いてもらうしかないのだ。
 
 俺は気取られないように静かに、しかし不自然にならないようにThe startを立たせる。
 そして、つないでいた手を離した。


「あ……」

「世の中には平和な戦いと、危険な戦いがある。……よく見ておけ、危険な方がどんなも
のかを」


 そして何の予備動作もなくあの茂みに向けて全力で飛び込む。
 一瞬にしてThe startの姿はチェリーの隣から消えうせ、茂みを飛び越えてターゲット
の背後に降り立った。
 動きの鈍い職業でもこのぐらいはできる。
 足元で激しく落ち葉を散らしながら、体を反転させる勢いで鉄棒のような槍を思い切り
薙いだ。
 茂みをかする音ではなく、重い金属で受け止められる鈍い音がした。


「ほっほぉーーぅ……よく見つけたもんだ」


 そいつは、迷彩柄の服の上に黒いプロテクターを着けている双剣士だった。
 先手を取られたというのに余裕をうかがわせる笑みを浮かべている。
 俺の一撃は、片手で受け止められていた。
 ……その双剣には見覚えがある。
 確か、要求レベルは……


「こっちは、100レベルオーバーなんて見つけたくなかったけどな」

「ごもっともだな。まぁ、今の内に諦めておけよ。……抵抗は無駄、だっ!」


語尾を言い切ると共にブンと振られる双剣。
かすりでもしたらHPの大半が持っていかれる。
その鋭い攻撃を何とか槍で受け流し、剣の場合から離れる。


「抵抗は無駄か。それでは仕方がないな。ならば、……こちらから攻て倒すだけだ」 

「ヒュ〜〜ゥ、かっこぃ〜」


 癇に障る声だ。
 だが、悔しいことにレベル差は確かにこちらが遊ばれていることを証明している。
 プレイヤーの技術でどうこうなる差ではない。
 まったく、最初からこんなのに出くわすとは、日ごろの行いが悪かったのだろうか?

 ………ふむ、すこし。チェリーを苛めすぎていたかもしれない。

 勇んで槍を振るったのはいいものの、あっという間に戦況は悪くなっていく。
 こちらのダメージは自然回復で間に合う量であり。 
 あちらからのダメージは回復薬では追いつかない。
 歯向かっても歯向かっても無駄になる。
 ゲームである以上、性能差は絶対だ。
 やがて、HPが空になったThe startは、なす術もなく膝を着いた。殺せと、言わんばか
りに。
 そう、このThe Worldではこうやって、簡単に自分は死ぬのだ。
 その様を、チェリーはちゃんと見ているだろうか。

 因みに、GvGでは復活アイテムは使えない。そんな物が使えたらそれこそ団体戦なんて
終わらなくなるからだ。


「………ここまで、か」

「ああ、そうみたいだな」


 嘲笑ではなく、何の表情もなくそいつは俺の首筋に刃を突きつけた。
 双剣士対重槍士、この距離ではもう避ける術はない。


「レベルの割には良く頑張ったな、アンタ。それじゃ、サヨナラだ」


 ――――シュ


 終わりは、派手な音も演出もなく、驚くほど簡単にやってきた。
 相手はボタンを一つ押すだけ。
 それで、The startは死んだのだ。
 
 やれやれ、いいところの一つも見せられなかったな。


 俺の画面は暗転し、若干の読み込み時間を経てクリスタルパレスの専用フィールドに転
送される。
 流石にカオスゲートの前に飛ばされたら重くなるのでこちらの飛ぶのである。
 場所は重厚な造りの美しい城の中庭。クリスタルパレルの中で最も広い空間である。
 そこには俺のほかにも20人程度脱落者がたむろっていた。
 だが何もしていないわけではない。
 敵情報の整理、報告、そして司令塔として通信係を受け持っているのである。
 ……が、もちろん俺はその任務からは外されている。
 新人育成の任務が負かされているからというのもあるが……基本的に、窓際族なのだ、
俺は。


 だが、そんなことはどうでもいい。
 GvGの戦況よりも俺はチェリーがどうしているかが心配でならなかった。
 まだやられてはいないようだが……。

 手早く戦死報告を担当の人間に報告し、パーティチャットを開く。
 

「無事か? ……チェリー」





 ―――――――――――――――――――――――――――― チェリー ―――――











 木の陰に隠れていたわたし。
 その10歩ぐらい先の空間で師匠は戦っていました。
 必死に、あんなにいつもやる気のない師匠が頑張って戦っていたんです。あんなところ、
初めてみました。
 師匠は本当に強かったんです。
 でも。


「う……そ……」


 師匠が、あの鎧でガッチガチで殴っても叩いてもびくともしないような師匠が、あんな
に簡単に負けちゃうなんて……。
 敵さんが軽く双剣を振っただけで、師匠は死んじゃったんです。
 師匠の方が何回も攻撃を避けながら上手に攻撃を当てていたのに、向こうは何も気にし
ないで当てるだけ。
 レベル差って……なんだかずるいです。
 あ! でも、あの人も頑張ってレベルを上げたんだろうし、ずるくないのかな?

 ……あの師匠を倒した人がこっちにやってきます。
 逃げなきゃ!
 ああ、でも逃げたら見つかっちゃうし!?

 うん、隠れよう。
 木だ、木になるんだ。わたしは樹齢37年の立派な樹木になったのだ……。
 気持ちだけ、木に同化しつつ。隠れました。


「あっれぇ……、っかしいな? 他にももう一人、いたはずなんだが……?」


 すると、なんか成功したみたいです。
 木の後ろにしゃがんでただけなのに、その人はキョロキョロしながら横を通り過ぎてい
っちゃいました。
 自分でもちょっと、無理のある隠れ方だとは思ってたんですけど、なんかラッキーです。
 ホントに木に一体化してたのかもしれません、信ずるものは報われるのです。
 それとも、日ごろの行いがよかったから神様が救ってくれたんでしょうか?
 さすが、お天道様は見てるものですね。


「……ホッ」


 と、安心して立ってはみましたけど、そう言えば危険なことに変わりは無いんですよね
……。
 師匠……ゴメンなさい。大丈夫っていいましたけど、やっぱり不安です。怖いです。
 逃げろっていったってどっちに行けばいいんですか?
 もし敵が居たらどうするんですか?
 分かんないですよ……。
 師匠……。


「とにかく、歩かないと」


 目標は、取り合えずMAPの端っこあたりにしましょう。そこなら見つからないかもしれ
ませんし。
 つないでいた右手に寂しさを感じつつも、また歩き出します。
 ガサゴソ、ガサゴソ、と。
 音が出るから小枝を踏まないように気をつけつつ、師匠がやってたみたいにあえて道は
避けて森の中を歩き続けます。
 師匠に教えてもらったこつを思い出しながら、MAPを見ながら間違えすに歩いていきま
す。
 途中で叫び声とかが聞こえたら木に溶け込んで、物音一つにも警戒して歩きます。
 半ば本能です。
 だって「ぎゃぁぁぁぁ!!」っとか本気で叫んでるんですよ?


 戦争は、リアルでもネットでも怖いですね……。


 暫くすると、戦いの音もだいぶ小さくなりました。
 聞こえなくなったりはしませんけど、戦闘区域からは十分離れたと思います。


「……ふぅ、ここまで来れば取り合えず安心、かな?」

「ざぁぁ〜〜んねぇぇ〜〜ん。つけられてたんだよね、キ・ミ」


 なんだか、聞いたことのある声が木の上から聞こえてきました……。
 見上げてみると、人影が飛び降りるところでした。
 ……そう、落ち葉を撒き散らして着地したのは、さっきの迷彩服の人です。


「ったく、仲間のもとに行くかと思えば単独で生き残り作戦かよ。悪くはないが、仲間ご
と一網打尽にしようとした俺は大損したもんだねぇ」

「え、あ、えっと………ごめんない!」


 その人は優に3泊ぐらい間を置いて答えてくれました。


「………はぁ?」

「あれ? だって損したんじゃないんですか? だから、ごめんなさいって」


 わたしはすごーく真面目に謝ったのに、なんかこっちが損した気分です。
 

「わけ分かんね………、まぁいいや。転んだんだし、ただで起きるのもなんだよな? …
…お嬢ちゃん、ここは一つトレードをしないか?」

「トレード、……ですか?」


 なんか、妖しい響きです。
 でもあっちはバッチリ双剣を構えて喋ってます。
 コレはホントに、……ずるいです。


「売ってくれよ、あんたのギルドを。お代は、あんたの命を出すぜ?」

「それは、どういう……」

「つまりはさ、裏切れってことだよ。そっちの作戦とメンバー、それとリーダーの名前を
教えてくれれば……見逃してやるよ。ああそうだ、ケストレルのキーもオマケでやるよ。
もしバレてそっちにいられなくなってもケストレルに来ればいい。うちはどんな人間だっ
て大歓迎だぜ……へへ」


 そういうと、その人は口の端をニッて上げる笑みを浮かべました。
 なんか、向けられても嬉しくない笑顔です。
 師匠の、さっき見せてくれた小さな笑みの方が何百倍もいい笑顔だって思います。
 
 わたしは大抵の人は好きですけど、この人とは仲良くなれないような気がします。
 だって、この人はわたしを見下して、侮辱したんですから。
 わたしにだって分かります。
 仲間を裏切ったりしちゃ、ダメだって。


「……ます」

「ああっ? なんだって?」

「 お こ と わ り し ま す っ !! 」


 もう、全力です。
 自慢の4000もある肺活量全部使って叫びました。師匠にも届けーーーってぐらい
に!
 わたしちょっと、怒ってます。
 怒ると怖いんですよ、わたしは。
 その人の目を見て、キッチリと拒否します。……笑みは、消えてました。


「断ればどうなるのか、分かってるか?」

「分かってます、……けど、お断りします。わたしは師匠の弟子なんです、だから絶対に
裏切ったりしないんです。死んじゃうかもしれないけど。……わたしは、わたしは絶対師
匠についていくんです!」


 思いっきりいってやりました!
 なんかちょっとストレス発散したかもしれません。
 覚悟が決まってるから、言えた一言だと思います。
 ……それを聞いても、迷彩服の人は眉一つ動かしませんでしたけど。
 なんか、冷たいです。
 そして何もいわないこの会話の間が、すごく冷た重たいです。


『無事か? ……チェリー』


 あれ、ここでいきなり師匠の声、ですか…?
 ………ああ、そう言えばチャットって色んなモードがあるんだっけ。
 師匠はパーティチャットで話してるんですね。


『無事……じゃ、なくなりそうです。今、目の前にさっきの迷彩服の人がいます。しかも
怒ってます、スッゴク』

『何やったんだお前は? ……まぁいい、とにかく座標を言え。時間を稼げそうなら稼い
でくれ、無理なら逃げるんだ』

『はーい。11:121です』


 ……とは、いったものの。
 逃げるのも時間稼ぐのも無理な気がします。
 だって、あの人物凄く『逃げたらぶっころーす!」…って感じの目で睨みつけてるんで
すから。
 時間も、どうやって稼いだらいいんだか……。
 あ、そうだ!


「隣の家に囲いが出来たんだってね。へー、かっこいいー!」


 ふっふっふ、こうやって聞き入るしかないような面白い話をしていればきっと攻撃でき
ないはず!

 ………。

 ……あれ? おかしいですね?
 何にも反応してないような、しかもなんだか今すごく冷たい風が吹き抜けたような。
 どうしたんでしょうか?


「………決めた、通信で指示仰ぐなんてもぅいい…いらん。……ぶっころぉぉぉすっ! 今、
今、すぐにっ!!」

「ええっ、何でですか!? 聞いてくださいよわたしの小話!」

「ええいうるせぇっ!! 笑えねぇんだよバカヤロウっ!!」

「やろうじゃないですよっ!」


 まったくもう、つくづく失礼な人のようです。
 ですが、そんなことをいってる暇はありませんね。
 双剣を引き抜いていきなり襲い掛かってきたんですからっ!
 
 よ 、避けないと!

 ………ダメ、全然悲しいぐらい、間に合わないっ!

 弾丸みたいな速さで襲ってくる蛇のように、その剣はうねりつつも真っ直ぐにわたしの
首筋を――


――――キンッ


 切り裂く、そのほんの皮一枚寸前で、双剣はその勢いを止められました。
 ぶつかり合う、一筋の銀光によって。
 

「ハッハハ、今のギャグは素晴らしかったですよ、新人さん。不覚ながら貴女の行為には
笑わせて頂きました」

「ど、どうもです」


 見てみれば、……ええっと、誰だっけ。
 えーーーーっと………。

 ……そうだ、副団長さんです!

 その人が柄の長い斧で100レベルを越えてる双剣を簡単に弾き返してました。
 迷彩服の人も強かったですけど、副団長さんはそれよりももっともっと強かったんです
ね。
 2,3回打ち合っただけでアッサリと倒しちゃいましたし。
 迷彩服の人も、副団長さんを見ただけで諦めに入ってましたし。
 つくづく戦争って無情です。
 ……でも、気のせいでしょうか? 
 この人の温和な笑みの方が、迷彩の人の嘲笑より100倍黒いような気がしました。
 師匠の言ってた通りですね。それが、この人の色みたいです。


「『密林の蛇』……狩り取りました。あの人はいっつもソロで隠れながら戦うものですから
苦労させられるのですよね。早めに倒せたのは行幸ででした。お手柄ですよ、新人さん」 

「あ、はい、頑張りました」


 よく分からないですけど、役には立ったみたいです。
 さっき座標を言ったのが良かったのかな……?


「では、暫くお待ちを。すぐに片付けますので」

「はーい………ってまた待つんですかっ!?」


 副団長さんは、振り返りもせずにいってしまいました。
 そしてまた、わたしはひとリぼっちです。
 うう、師匠に文句言ってやります、絶対。










 ……結局、GvGではクリスタルパレスが勝っちゃいました。
 相手に統率が取れてないのを利用して、ダンジョンでトラップに嵌める作戦が功を制し
たらしいです。
 ですけど、きっと団長さんや副団長さんが影で頑張ってたのが大きいんじゃ無いないか
なと、わたしは思ってます。
 あと、向こうの団長さんや副団長さんは参加してなかったようです。

 ともかく、勝っちゃったんです。師匠の予想に反して。
 師匠は負ける悔しさを教えたいっていってたんですけどね。ひどいですよねー。
 でも、なんだかんだいって今回の件で師匠も少しはわたしのことを認めてくれたようで
すし。
 大満足なのでした。








「それで、終わってみた感想はどうだ。めげてないか?」

「スッゴク怖かったし怖かったし寂しかったっし! 師匠のバカァーーッ!! ……って
感じです」

「………そうか、それは――」

「でも、ですよ? わたしはめげてなんていません。師匠、……ありがとう御座いました!」


「―――そうか」


 無駄なことを言わずに頷くと、師匠はおおきな手の平をわたしの頭の上に乗せてくれま
す。
 ちょっと乱暴に、それでいて誰にも無い優ししさを込めて。


「よくがんばったな、チェリー」

「当然です! 弟子ですからね」


 だから。
 自然とわたしも、笑顔になるのです―――